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[母親に対する依存と殺意の一体構造]
小さな子供が健康な母親に育てられるとき、完全な一体感を伴う依存を味わうでしょう。母の懐で何不自由なく天国の時間をたっぷり過ごすでしょう。そして満足した後で依存から卒業し健康な発達を遂げることでしょう。
しかし、なかなか、そうはうまくいかない。健康な母親はめったにいない。そのため十分な依存が手にいらずに、大人になっても依存的な人たちがいる。
依存と殺意は、一体のものとして、小さい子供が人生のはじめに、母親に対して形成するもの。母親から十分な愛情をもらえなかった子供の感覚として、母親の中に良い母親と悪い母親がいる。悪い母親への殺意をあらわにすると母親全体を失ってしまう。母親に嫌われる。母親を失った子供を待っているのは、一人ぼっちの死である。耐えられない。そこで悪い母親への殺意を隠し、良い母親への依存を失わないようにする。しかし殺意を隠し持っているので、一体性のある本当の愛情を獲得することはできない。依存しながら殺意を隠して付き合うことの不満足さは、母親に対してのみならず、その後の他の人間に対しても、受け継がれる。
[他の人間に対する受け継ぎ]
依存と殺意の一体構造は、大人になったのちも、持ち続ける。どうしようもない母親には見切りをつけて、新しい、より好ましい人間関係をつくろうとしても、他の人間に対して、依存と殺意の一体構造は、気が付かないうちに維持され、それに伴う不満足さは受け継がれる。
すなわち大人になっても、奥深くでうごめく一人ぼっちの死を避けるために、最も好ましいと思われる誰かに依存する。母親の代わり(依存対象)だ。会社の上役、夫、カウンセラー、子供。しかし依存によって満足するのは、感受性を失っていない小さな子供が、健康で好ましい母親との関係で、完全な一体感を伴う場合であって、大人になった今となっては、相手にとっては迷惑な限りであろう。あるいは病的な相互依存をなす。不満足はどこまでも続く。
その人の感覚が鋭く、運が良ければ、あるとき追い詰められる。何か(殺意)を隠したようなそんな生き方は嫌だ、という気持ちが強まる。殺意は依存対象へ向かう。もともと母親へ向かうべきものが、せき止められており、現在の依存対象を襲う。
その時、殺意を放出する本人が、内面の一人ぼっちの死を恐れないほどに勇敢であれば、依存から抜ける。ブレスの中で殺意を表現し「一人ぼっちの死」に入っていくことができて「これで初めて生きていける感じがする」というのは、ニュアンスは異なるけれども、よく聞く感想である。
「生と死のエネルギー」
依存的な人たちは、昔、十分には手に入らなかった愛情(依存)を、今、何とか手に入れて生きていこうとする、生のエネルギーを中心とする人たちのように思えます。ある人は自分を見抜いて自嘲的に「愛情乞食」と言っていました。一方で、一人ぼっちの死を拒否し、そのために殺意という大きなエネルギー(死のエネルギー)を隠さなければなりません。それが、一人ぼっちの死を受け入れたときに、それまでの生のエネルギーに死のエネルギーが補われ、生と死のエネルギーが統合され、自分の本当のエネルギーを手に入れるのだと理解できます。
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白鳥の話2(つづき)
[4.守る親白鳥]
白鳥の両親は、いつもヒナを守っていた。
私が、一家へ必要以上に近づくと・・・3メートルくらいかなあ・・、父白鳥がこちらに向かってくる。真っ白い両羽根を、肩を怒らす様に持ち上げる。ノッシのっしと歩いてくる。別に、パンが欲しいわけではない。歯がない口ばししか持っていないのに、・・やってくる。ごめん、ごめん。あわてて後ろへ下がるしかない。
あるとき、白鳥が子育て中であるという事情が分かっていない人が、飼い犬を連れて散歩にやってきた。犬が20メートルくらい近くになったときに、父白鳥が無言のまま動き出した。犬に向かってノッシのっしと歩いていく。犬は、・・・逃げた。本気の戦いなら、白鳥は勝てるはずはない。首が細い。口ばしが小さい。歯がない。でも気迫勝ち。
人や飼い犬は、ヒナを襲わない。でも野生の肉食の生き物は、違う。襲って食べる。生きるために食べる。人が見ても、小さなヒナはかわいらしく、おいしそうである。ときどき白鳥の両親がともに、急に、首を上げて動きを止めることがある。上空にトビがいる。カラスがいるときである。
[5.生存の厳しさ]
私たちが初めて、一家に会ったときは、ヒナは3羽だった。地元の人によると、ヒナは、はじめは6羽くらいいたらしい。「狐ではないか」ということだった。ある朝さらに、2羽に減っていた。周りを見ると、近くの木に複数のカラスがいた。木の近くの屋根の上に、何かがある。屋根に近づいてよく見ると、はっきりしないものの、大きさや色が、それらしかった。湖畔には、白鳥が隠れる適当なものがない。上空から襲われたら防ぐのは楽ではない。あの父白鳥がいても、守り切れるのは2羽くらいかもしれない。それで湖の白鳥の数は、そこそこに維持される。
意外なことがある。犬にさえ向かって行く白鳥が、さっさと退散することがある。一家が急に目の前から移動しはめるので、何事かと思い、よく観察すると、遠くから、他のつがいの白鳥がやってきていた。距離は100メートルもあるかと思うほど遠かった。白鳥同士なので仲よくすればいいのに、と思うけれど、違う。ほかの動物でも同じようなことがある。同じ種の群れ同士が出会うと激しい争いになることがある。草食、肉食を問わない。多分、食べ物や生きるために必要な環境が重なるので、他の群れを追っ払う必要がある。あるいは追っ払われてしまう。子供(ヒナ)がいるときには、子供が殺されないように、さっさと退散するに越したことはないのであろう。
[6.ヒナの成長と家族の終了]
私たちが出会ったのは、6月ころだった。片手の平に乗るくらい小さかった。一口サイズ。かわいかった。会うたびに大きくなっていった。片手では難しそうになり、近くのカルガモを超える大きさになり、両手でやっとだろうなと思えるくらいになり、あれよアレヨと、大きくなった。
ヒナは増々かわいくなり、4羽家族の居る風景は、しみじみ愛おしかった。あるとき、4羽家族は、ワカサギ釣りの屋形船がつながれている木の下に、いた。木の周りは、柔らかそうな緑の草が、芝生のようにふわふわと生えていた。その上に、4羽家族は幸せそうにうずくまっていた。ヒナはもうカラスには簡単には襲われない大きさになっていた。親白鳥の安心が伝わってきた。就学前くらいの男の子が走ってきた。白鳥家族を見つけ、赤ん坊を抱っこしたお母さんの手を振り切って、木のところまで来た。白鳥家族のすぐ近くに来て、「天国みたい!」と大声で言った。そう、まるで天国みたいだった。
親白鳥の半分くらいの大きさになっても、羽根の色が薄い茶色なので、遠くからでもヒナだとわかった。このころ、両親白鳥は、ヒナに遠慮せずに食パンを食べた。
親白鳥とほぼ同じ大きさになっても、色は、茶色と白のマダラ模様なので、ヒナだとわかる。
マダラ模様になる少し前あたりから、父白鳥はいなくなっていた。母白鳥はその後もかなり一緒にいた。近くにいるので、母白鳥だろうな、と思うだけで、母白鳥らしいしぐさをするわけではない。他の白鳥かもしれなかった。そのうち、マダラ模様の二羽のヒナだけで堂々としているようになった。母白鳥が近くにいるのかどうか、わからなかった。私には見分けがつかない。どこかへ行ってしまったかもしれない。11月になっていた。マダラ模様が完全に消えて、真っ白になるころ、この二羽の兄弟も、互いに独立して、他の白鳥とつがいになるのかもしれない。
[7.健全さの違いは何?]
成長したヒナだけで堂々としている様子は、自然界の親離れを感じさせますね。ヒナを守るために犬にも向かって行っていた父白鳥が、いつの間にかいなくなり、エサをヒナに譲っていた母白鳥も、やがていなくなる様は、寂しいようで、健全な子離れを感じさせます。この健全さはどこから来るのでしょうか。本能に過ぎないと言えばそうでしょうが、人間だって本能は持っています。違いは何なのでしょうか。
推測します。
白鳥は人間よりも自由に生きています。つがいになる相手も自分で選ぶでしょう。自分の気持ちを感じ相手を感じ、感じるままにつがいになります。誰にも強制されません。誰へも忖度しません。生まれてきたヒナは、だから、「とてもかわいい」と親白鳥は感じるでしょう。かわいいヒナには、命をかけ、エサも譲って、後悔はないでしょう。気の進まない結婚をして、いやいやながら子育てをする人間を、白鳥はなんと思うでしょう。
(おわり)
白鳥の話1/2
[1.白鳥一家]
山中湖の湖畔に白鳥たちが住みついている。2021年には、ある白鳥の一家が、私たちのセミナーハウスの近くに住んでいた。両親の白鳥と数羽のヒナだった。ヒナは淡い茶色でフワフワしていた。カステラをくりぬいたお菓子のようだった。ヒナのあまりのかわいらしさに、私たちは毎朝、湖畔を散歩するたびにその一家を探した。
湖畔には、春になると、小さいおいしいサクランボをつける、背の低い富士桜の並木があった。その並木が両側を囲む小道を抜けると、目の前に湖が大きく広がり、一家が居る地域になる。片道20分くらい歩く距離で、日によって、居る場所が違った。彼らも朝は食事であちこち水草をもとめて移動するらしい。私たちは食パンをポケットに忍ばせて、ちぎって白鳥に投げ与え、ときどき私たちも食べた。
[2.白鳥の食欲]
白鳥は食パンを好んで食べる。透明な湖水に白く浮かんだパンを、口ばしでほぐしながら、水と一緒に飲み下す。たいていの白鳥はお腹を空かしていて、あっという間に食べ尽くす。そして、もっと寄こせと、水から上がる。恐竜のような大きな水かきが現れ、ノッシのっしと、歩いて、こちらへ近づいてくる。堂々としている。小さな二つの眼が正面からこちらを見据えて、やってくる。野生の白鳥だ。零下20度の山中湖の冬を、白く雪をかぶりながら身一つで過ごして生き抜く、凄さがある。
そして、パンをちぎるのに手間取っていると、すぐそこへ来た白鳥に、必ず手をかまれる。口ばしには歯がないので痛くない。でも、あまりの迫力に誰もが、小さな悲鳴を上げてしまい、手からパンを落としてしまう。落ちたパンはたちまち白鳥が食べる。思わず後ずさりしてのろのろしていると、あっという間に食べ終わった白鳥が、再び、ノッシのっしと迫ってくる。あんなに美しくてかわいいと思っていた白鳥へのイメージは変わってしまう。怖い・・・。白鳥の食欲はすごい。
[3.食べない親白鳥]
しかし、一家の親白鳥は、ほとんどパンを食べない。自分は食べずにヒナに譲る。親鳥のすぐ近くにパンを投げても、ヒナがそばに居れば、食べない。食べようか食べるまいか迷う様子はなかった。ヒナが、当然のように食べてしまう。多分、子育て中は、親白鳥は食欲そのものがなくなるのではないかと思える。
仮に、食欲が自動的になくなるとしても、人間にも同じような感覚はあるのだから、ついつい想像してしまう。親白鳥はヒナが可愛くてしょうがなくて、あまりの可愛さに、ヒナが食べるのを見ていると自分の食欲さえ失ってしまうのだ・・と。あの本来持っているすごい食欲を失うのだから、どれほど可愛いと感じているのだろうか、と。
(つづく)
あけましておめでとうございます。
コロナ禍のため、山中湖のグループセッションがなかなか再開できませんが、今年こそ再開可能になることを祈っています。
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(古今亭志ん生)
先日、落語を聞いた。不思議。古典落語は、内容はわかりきっている。何度も聞いている。目新しいところはない。なのに、名人がやると面白い。初めて聞いたように笑ってしまう。なぜだろう。
落語に限らない。映画や演劇でもそう。「役作り」ということがある。セリフの言い方や表情の作り方や間の取り方や、だけではない。役になりきる。愛すべき粗忽者、孤独な殺人者、真実のためにすべてを捨てる人。その役の気持ちを、役者本人が再体験する。それが、見ていて面白い。見ているだけでもぞくぞくする。価値がある。そのためにお金を払って見に行く。
ベビーブレスが似ている。ベビーブレスの初期には、失ってしまった本当の自分を演じるという意味がある。演じ、声を出したり、体を動かしたりする。
なかなか、本当の自分の中に入ることができない。ただの「演技」になってしまう。しかし、続けていると、ある瞬間に「本当の自分」の気持ちを再体験できる。母親から愛されず長い間石のように閉じ苦しみぬいてきたが本当はエネルギーにあふれる自分。感情が爆発する。自分を取り戻す。ぞくぞく、どころではない。天と地がひっくり返る。
そして、落語や演劇は、演技者の演技(再体験)を、こちらは観客として遠くから見るだけだ。役者だって、脚本家によって作られた役を、いわば他人を、再体験するに過ぎない。
ベビーブレスは違う。作られてはいない。他人ではない。本当の自分自身。それまで隠しに隠していた本当の自分。再体験によって、感情が爆発して、本当の自分自身とつながる。嘘の人生とさようなら。本当の自分自身と合流する。本当の人生。
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(つづき)
<H>(寂しさや怒りを出しまくって)家族など周りは大変だった、迷惑したと、まずい話ですね。実はいい話もいっぱいあるのです。いい話もしてもらいましょう。彼女の話だと、職場で信頼されるようになった、パートなんだけれど社員よりも頼られるようになった。上司への不満をちゃんと言えるようになった。など、次のように言ってました。
<S>
「「職場での活躍」」
販売接客業のパートを10年勤続。小さな店舗で7年程。今は大型店舗に勤務している。
小さな店舗では途中から店を任されることに。その頃、感情表現も出来る様になっていたので上司や社員に相談したり、意見したり、納得いかない事には怒りをぶつけたりしてきた。
「お客さんに満足してもらう為に」を軸に、店舗では店の問題点を改善したり、お客さんにも、一緒に働くパートの皆んなにも、意識を向けて観ていたし声かけしたりしていた。そしてよく話を聞いた。大変ではあったけど充実していて売り上げもどんどん上がって成果は上げた。
上司は私にこう声を掛けてくれた。「いつも五感を使って仕事をしている。」「店全体がよく見えていて、目の前の仕事をしながら、いつも三手くらい先の仕事を常に頭に置いて動いているよね」と。常にアンテナを張って仕事をしていたのでそう言われたことは素直に嬉しかった。半分本気のような冗談で「マネージャーやって欲しいわ」と言われたりしていた。
この頃には「大型店舗に行ってバリバリ働いてくれないか」と言われていたが、その大型店舗のマネージャーの事が苦手だったので、断っていた。でも、そのうちその苦手マネージャーが移動になり、大型店舗勤務になった。その後も、私の仕事のやり方は変わらずだった。
次のマネージャーからも、更にその次の今のマネージャーからも、色んな事を相談された(頼りにされた)。パート仲間からも仕事や私用でも相談された。自分でも周りから頼りにされている事がわかった。馴染みのお客さんも沢山できて仕事はやりがいはある。
ブレスも進んできてより深まって来ていたのでどっしりしてきていた。
(私が私をひとりぽっちにしていた。私が私を大切に扱えるんだと気がついた時期)
人からの評価は気にならなくなっていた。
本社から巡回で、お偉い方々が来られる時がある。私の仕事を見ていた社長が「皆んなが彼女(私)のようなレベルの仕事働き方をして欲しい」とコメントして下さった。
怒り、恐怖、殺意、更に生と死の体験をしてからは、より素直により正直になってきたと思うし、色々感じる力も増したと思う。
<W>
いいですね~~。彼女の持っているものが解放された。起きたというべきでしょうか。
しかし下手すると、ブレスを知らない経営者から、彼女のように{意見ははっきり言いましょう}{仲間に声掛けしましょう}{仕事は五感を使いましょう}{三手先を頭に置きましょう}{好き嫌いははっきりしましょう}などのノウハウをつくられてしまいそうです。が、勘違いしてはならないのは、ノウハウなどで意図して起こしたのではなく、ブレスで自分を取り戻すことで、自然に起きたことなのです。意図してすることには無理があります。偽物のにおいがします。大して効果はありません。起こすことに価値はなく、起きることに価値があります。
<H>
彼女の真の実力ですね。
職場だけではありません。家庭についても彼女は言います。子供たちも自分の気持ちをお母さん(彼女)に話せるようになった。子供が寄ってくるようになった。うまく対処できるようになった。子供の気持ちもわかるようになった。思春期の自分の子供がトラブルを起こしても動じなかった。どっしりしていた。彼女に内面を話すようになっていった、などと言います。以下は、その一部です。
<S>
「「子どもの気持ちが理解出来た」」
そもそも私は親から「あなたはどうなの?どう思った?どう感じているの?」っていうような問いかけをされた事が無い。父や母と感情に触れるような会話などした事が無い。
ブレスを始めてその事のおかしさ、気持ち悪さ、人として生きていなかったんだと気がついた。まず自分の寂しさに気が付き、ブレスで泣いたり母に怒りを出し始めた頃から、段々と理解出来てきた。ブレスで寂しいって泣いたり甘えたかったとか嫌だったとか駄々っ子とか怒りとか、とにかく湧いて出た色々な感情を出す事、表現する事の気持ちよさを知ったから。
ちょうど次女が駄々っ子していた時期に私もブレスで(同じように)経験して「あ〜駄々っ子ってこんなに気持ち良いんだぁ。足をバタバタさせ最後は全身で汗流しながらバタバタって気力も体力もいって全力でやるって凄いなぁ」って、自分が経験してから今度は次女に感心するまでになった。
感情を出せない事がどんなに切なく辛く苦しいのか。また母に気持ちを理解してもらえない、繋(つな)がれない事がどれだけ絶望的か、、。ブレスが進むにつれて理解が深まっていって、気がつけば、日々のイライラが少なく八つ当たりも無くなっていった。
以前は、例えば「片付けしなさい」って言ってもすぐに言う事を聞かない子どもにイライラしていたし、「あれは嫌だこれは嫌だ」と言う子どもが理解出来ず「わがままばかりいいやがって」と腹が立ち理由も聞かず怒り飛ばしていたし、私はあれもこれもとやる事いっぱいで大変なのにと子どもにイライラをぶつけていた。
<H>
職場や家庭での彼女の変化について、語ってもらいました。再び、死のエネルギーと生のエネルギーを扱い始めた頃に戻ってもらいます。
<S>
「「生と死」」
この頃には随分どっしりとして安定感が出てきた、落ち着いている。地に足がついていて、自分を生きている実感もある。
「「その後のブレス」」
産まれたくない、自然の力重力に負けて産まれ落ちたけど、私は産まれたくなかった。戻りたい。ここ(子宮)が良いここから出たくない。私はここに居る、母と一体になって繋がっている。
ここから絶対に出ない。死に向かう、私の思いを貫く。これは究極の思い通りだ!母と一体のまま死ぬ。
<W>
死のエネルギーが深まります。しかも「一体」なんですね。
<H>
彼女の怒りは生。ここは死。死といっても、この死は、母と自分の一体の死です。母は自分を産んで生かした生の源であり、母がもっていたであろう殺意から彼女の死の源でもあります。そこに注目すると、生と死の統合という要素をもはらんでいると思います。
<S>
安心し満足、大満足、たまらなく幸せ。
<W>
すごいね。
<H>
すごい。
<S>
そして、皆んなに見守られる中、土葬されている様な死。
<H>
彼女がブレス場で言っていました。「楽しんでブレスしていた。あー楽しい。」本当にそんな感じでした。
<S>
大地と一体になる死の体験。じわじわと溶け込み大自然の一部になった。そこから今度は芽吹き、成長して木になり、枝葉が広がりぐんぐん伸びて大木になった。
<W>
怒りというのは、生エネルギーのうち陰のエネルギーとでも言うべきもの。この場面は、生エネルギーのうち陽のエネルギーですね。気持ちいいですね。生エネルギーが陰陽で全うされた感じです。死を通って全(まった)き生へ、です。生と死の統合です。
<H>
統合ですね。
<S>
死のエネルギーも生のエネルギーも壮大で同じエネルギーを感じた。感動で涙が出る。
<H>
「同じ」であることを感じ取った。
<W>
ほんとに「涙が出」ますね。
********おわり***********
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(つづき)
「「怒り」」
(母に求めても、母には届かない、応えてなんかくれないこと)そのことへ、とにかく怒った。求める度に気がつかない、わかろうとしない母へ怒った。
<H>
「気がつかない、わかろうとしない」というのは、無意識的な無視で、母に内在する消極的な殺意でしょう。
<W>
でしょうね。「いらない子」と「気がつかない、わかろうとしない」というのが起こりえるのは、背後に無意識の殺意があるから、と考えられます。
<S>
時に唸り、吠えたり雄叫びをあげて段ボール(母の身代わり)を殴り蹴飛ばし馬乗りになったり踏みつけちぎって捻って潰した。あっさり潰れることにより怒りが増す。怒りは出せるだけ目一杯出した、爆発していた。出せることがとにかく気持ち良かった。
求めても求めても母の反応は無い。母が遠い。私への意識が無い。出しまくったら、なーーんにも無い事が良くわかった。
<H>
「なーーんにも無い」というのは自分(彼女)への敵意さえない。敵意でも虐待でもあった方がまだまし。
<S>
孤独、ひとりぼっちの恐怖。気狂いになると思った。気が狂う、こんか恐怖には耐えられるはずが無い。閉じるしかなかった事に納得もした。
<W>
この恐怖、はじめの方で語られた「のっぺらぼう」とつながりますね。
<S>
私は母に安心して100%の依存したかった。でもそんな事は叶わない。だんだん怖くなって、「助けて欲しい」って誰に向かうでもなく、ただずっと「助けて助けて」って叫んでいた。
「「大きな衝撃:あんたが気がついてあげないと」」
その時ふっと自分に対して「あんたが気がついてあげないと」って思った。えっ!私!!
ハッとした。すっごい衝撃だった。
<H>
大きな気づきですね。なかなかないです。
<W>
永遠に「助けて助けて」を繰り返していっても不思議ではありません。この復元力というか健康さに目を見張りますね。いわゆる治療的自己ですね。
<H>
彼女の強さですね。
<S>
目が開いた、目が醒めた。誰でもなかった、私だった。今まで気がつかなかった自分に怒りが湧いた殺意で自分に向った、本来の私を生かしたい生きる為に(自分を)殺した。
<H>
自分殺し。愚かな自分を殺した。同時に死の受け入れを感じます。
<S>
深く深く泣いた。「私」に謝ったただただごめんなさい、私が「私」を大切にしていなかった本当にごめんなさい。本当の私の存在に気がついた。心強い存在。
<W>
死を受け入れた、その瞬間に、本当の自分を手に入れた。
<S>
そこから日常生活もすごく楽に送っていて気づいたら周りに求めなくなっていた。ひとりぼっちを受け入れていてひとりで大丈夫になった。
<W>
この「ひとりぼっち」、いいですね。人依存とは正反対です。
<H>
この頃から、彼女は、どんどんどんどん安定していきました。
<S>
「「エネルギーは永遠に枯れない/諦め無くて良い/自由だっー」」
その後のブレスでも母を求める。
私を受け入れ理解出来るのは私しかいない。でも私はただただ母を求めて叫んだ。母を呼んだ。どんどん出てくる湧いて溢れて出てくる母を求めるエネルギー。この求めるエネルギーは止まらないし永遠に枯れないって思った。もう諦め無くて良いし諦められるものでは無いと思ったそれ程までにすごいエネルギー。そう思ったらなんか自由だっーって感じた。
<H>
ダメな「母を求める」のではなく、自分の生きるエネルギーに気がついた。同じようにブレスしても難渋する人は、このレベルの手前でとどまってしまう。手前でとどまって、深くまでいかない。浅いところでパニックになって盲目になってしまう。
<W>
鍵になるところですね。百万回でも読んで欲しい、話して欲しい。
<S>
こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか?こんなにあるのに無い事にしていたなんて、そう思うと泣けて泣けて胸が締めつけられ痛くて苦しかった。そして子ども達の顔が浮かんだ。皆んな持ってるんだね、求めているんだね、求めてくれることがありがたいし「こんなお母さんだけど決して諦めないでね」って思った。
<H>
いいお母さんになったね。
<W>
「こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか・・泣けて泣けて胸が痛い」、いいですねえ~。
<S>
「「殺意」」
怒りでどんどん自分の中心子宮がムズムズするどんどん熱くなる。「いらないなら産むな、産みっぱなしにするな。」「わかった振りをするな、被害者面するな許さん許さん!」怒りに震えてとどめを刺す。殺意は父や夫子ども達、祖母祖父にも向いた。そして自分にも。子どもを利用した私、子どもに意識が無かった私。被害者面する母と私は一緒だ。私も加害者だ。最大の怒りに震えた。
<H>
この怒りのエネルギーは、統合されるべき生のエネルギー。本当の自分のエネルギー。純粋の怒りのエネルギー。何が「のっぺらぼう」だよ。
<W>
はい。「のっぺらぼう」とは正反対の人になりました。
<S>
寂しさや怒りを出しまくっていた時期は、日常生活でも抑えきれず、(怒りを)周りに出しまくっていた。思い通りにならないと怒り、寂しくて泣いたり嫉妬も酷かった。とにかく周りの人に私を1番大事に私を大切に思って扱って欲しかった。H先生からは「家族にちゃんと説明するように」って言われていたので、話をして(寂しさや怒りを)「出させて下さい」ってお願いはしていたけど、(人生で)今まで出せなかった分かなり凄かったと思うし(周りは)大変だったと思う。
<H>
家族など周りは大変だった、迷惑したと、まずい話ですね。実はいい話もいっぱいあるのです。いい話もしてもらいましょう。彼女の話だと、職場で信頼されるようになった、パートなんだけれど社員よりも頼られるようになった。上司への不満をちゃんと言えるようになった。など、次のように言ってました。
(つづく)
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今年もまた、散歩のついでに、あのバラ園へ行ってきました。知る人ぞ知るあのバラ園へ。アコール研修施設から少し歩きます。独特の雰囲気、至宝の香り、・・・何とも言えません。
バラが好きで、ほかのバラ園にもよく行きます。府中の深大寺植物園の広大なバラ園、横浜港の見える丘の環境抜群のバラ園、・・・、でもここは特別です。
個人のバラ好きのご夫婦(特に奥様)が、個人的な思いを山のように込め、費用度外視で、バラの天国を作り上げています。足の踏み場もないほどに、バラが密生しています。また、バラの香りがとても強い。山中湖の厳しい冬を毎年生き延びるので、野生の生きるエネルギーを目覚めさせ、バラの体臭を振り撒いているのかもしれません。素晴らしい限りです。特にブレスワークの後では、五感が、バラに圧倒されます。
素晴らしさの割には、知られていません。山中湖の住民でも知らない人もいます。ポスターなども見かけません。ことさら秘密にしているわけではないのでしょうが、あまり多くの人に来てもらっても、ご夫婦だけでは対処にしようがないのか、宣伝する気は感じられません。バラの数が膨大で世話が大変なようで、奥様は「今年でやめる」と毎年言っています。でも、うわさを聞きつけてか、観光バスもたまに来るようです。今年はコロナで来ませんが・・・。
「オープンガーデン」「塚原ガーデン」「MF(何の略か不明)ガーデン」などと呼ばれています。他の人のブログで地図などの載った詳しいものもありますので、必要な人は検索してください。入園料ひとり500円。開園期間がとても短い。6月後半から7月頭まで。
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<W>
今日はSさんの話ですね。
<H>
彼女は、ご自分で、絵と原稿をまとめてくれました。ありがとうございます。以下<S>の部分はSさんの原稿の部分です。
<S>
アコールのベビーブレスの事は兄と義姉を通して知っていた。
「「ブレス以前」」
今思うと、ブレス以前の私は、のっぺらぼうの顔なしのようだった。自分がなかった。自分の意思がなかった。母親のいいなりだったが、それで良かった。
私は生きにくさも感じていなかったし、なにより母との関係に何も問題が無いと思っていたので(ブレスなど)必要では無かった。
「「ブレスを受けるきっかけ」」
ブレスを受けるきっかけは夫のパチンコによる借金の発覚。私の父親もパチンコによる借金で夫婦喧嘩が絶えない家で育った私は、結婚前に常々、夫にそれが嫌だったと話をしていた。(夫は私の気持ちを)わかってくれていると思っていた。(しかしそうではなかった)家事や育児に協力をしないTVやゲームばかりの夫へ不満、不信感も募っていった。イライラを子どもにもぶつけたり、思い通りにならない事に怒りが止まらない。精神状態が悪く、やっと私にも何か問題があるのではないかと思い始めた。
<H>
似た人を選んだんですね。
<W>
自分のことが分かる前は、そんなもんですね。
<H>
それで増幅して、追い詰められるのかもしれません。
<S>
「「はじめのころのブレス」」
夫、私、長男、長女4人で東京へ夫と私が個人セッションを受けた。
夫、父への怒りを出す。嫌だと知っているのに(パチンコなど)何故するのか。わかってもらえない怒り、寂しい。
(そのブレスの中で)母からの殺意に気づいた。恐怖。いらないと思われている。いらない子だった。母に向かい「殺さないで欲しい、助けて」とすがる。母が堕胎をしていた事実を、ブレスを受ける前に知った。それまで両親は隠していた。「いらない子」はショックだった。でも何か問題があるのかもしれないと思い始めていたので、その何かがこれだったのかとスッキリした。そして今まで何も問題は無いと頑なに思っていたのか納得がいった。
<W>
「頑な」になる必要があった、隠す必要があった、ということですね。
<H>
本当は知っていた。知らないふりをする必要があった。
<W>
Sさんが言いたいのは、堕胎という生命軽視の環境があって、その環境の中で自分への扱いが「いらない子」であった、ということですね。
<H>
はい。子供の命が大事にされない状況です。
<S>
月に一度の勉強会や3〜4ヶ月に一度のグループカウンセリング&ブレスを始めてから、自分の想いや感情に意識を向けるようになってきた。本当の気持ちはこうだったとか幼い頃の記憶を思い出せたりもした。
「「思い出した記憶の例1、スーパーの商品を食べた」」
4歳頃母と2人で近所のスーパーへ買い物へ。ガムが欲しかったけど母に欲しいとは言えなかった。でもどうしても欲しくてひとりでお菓子売り場に行った。縦にぶら下げて陳列している袋入りガムの一番下を一つちぎってその場で食べた。甘くておいしいって思った。でもすぐに怖くなった。心臓がバクバクした。悪い事をしてしまった、、。ばれたらお母さんを困らせてしまう、、。「絶対にバレませんように」って思った。
<H>
「欲しい」ということを言える状況ではない。心の中はそうなのですね。
<S>
「思い出した記憶の例2、寂しくて寂しくて嫌だった」
小学校低学年の夏休みの朝、仕事に行く母を見送る為、バス乗り場まで一緒に行っていた時の事。バスに乗り込む母に笑顔で「行ってらっしゃい」って手を振っているんだけど本当は泣きそうなのを我慢していた。バスを見送った後も近所の人に見られたくなくて泣くのを我慢して帰った。ひとりで家に戻るのも寂しくて寂しくて嫌だった本当は一緒に家に居て欲しかった。
<W>
「寂しくて寂しくて」などの本当の深い気持ちは「我慢」しなければならなかった。「近所の人」だけではなく当の「母」に対しても。
<S>
「「ブレスで溢れ出た寂しさ」」
ブレスでは寂しさが溢れ出て家族や周りの人達皆んなにわかって欲しかった。本命の母へは○○して欲しいという思いがたっくさん出てきた。「抱っこして、一緒にいて、遊んで、こっちにきて、そばにいて、ギュっとして、私だけ見て、逃げないで、気付いて、、」とにかく母に求めた。でも母には届かない、応えてなんかくれない。
(つづく)
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(つづき)
<謎の罪悪感>
<H>
この頃の彼は、罪悪感という言葉を盛んに口にします。この執拗な罪悪感はどういうことなのでしょうか。彼の言葉だけでは謎です。本当は、母を護もりきれずに死なせてしまったために罪悪感があるのではなく、実は心の奥では、狂気の母を攻撃していたのではないか?
<W>
はい。
<H>
意識に上らないように抑え込んではいたものの、自分に十分な愛情を注ぐこともなく病気に逃げた母を、攻撃し、自分を孤独にし寂しさの暗闇に追い込み心に大きな消えない傷を残した母を、攻撃し、その攻撃する気持ちに対して、罪悪感があり、その罪悪感だけが、最近になって意識されるようになった。
<W>
はい、はい。
<H>
そういえば、昔、狂気の母に対して、「関わらない、見て見ぬ振りなどした」ことがありました。
セラピーを通して自分の中には癒されない「大きな怒り(殺意)」があることが分かっています。何への怒り(殺意)なのかははっきりしません。その自分の中にある怒り(殺意)を、本命の母に向けることが一番の恐怖です。
<W>
はい、はい、はい。
<H>
怒り(殺意)を母に向けると、病気がちでいつも弱い存在であった母はその殺意に耐えられず、母を失うことになります。優しく愛情いっぱい(彼にとっては)の母を失うことになるのです。命の基盤であった大切な母を失うことになるのです。それには私が耐えられません。それが一番の恐怖です。
<W>
はーい。
<H>
それでも殺意は依然としてあるのを知っているから、母に何かある度に、自分に責任があるのではないか、隠れている殺意のせいではないかという罪悪感が襲ってきます。
<W>
追加として、彼自身も彼の中に母と同じ狂気を感じる部分があると思われますが、その狂気の正体も、物凄く強い殺意(怒り)のエネルギーなのではないでしょうか。これは、彼の口から語られることはなく、未だはっきりはしません。
<母親殺し>
絵6
<W>
いよいよ彼は自分の殺意を正面から扱えるようになります。絵6には3つの絵が描かれます。
左側の絵の中央に描かれる灰色のシャツは彼です。ピンクの服はお母ちゃんです。
上側の絵のピンクの服もお母ちゃんです。黄色の服はお祖母ちゃんです。
右側の絵のピンクのスリッパは、ピンクの服を着たお母ちゃんが履いていることが、先の絵4で描かれています。殺意を表す鬼のような顔は、本人とお母ちゃんで、同じ顔が描かれています。世代間伝達です。
<H>
本人からの絵の説明です。
「(ベビーブレスで)、殺意(をやっていて)、お母ちゃんをぶっ殺していたら、お母ちゃんがお祖母ちゃんをぶっ殺すイメージが同時に…(出てきた。)左上は、(症状が重くなったお母ちゃんが)新聞紙で塞いだ窓。左下は、「死にたい、死にたい、死にたい」と書かれた(お母ちゃんの)ノート。右下は、(絵4でも描いた)鉄格子越しのピンクのスリッパ。怖い象徴。」
「母親になって気狂いをやろうとしたがなかなか上手くいかない。・・・(母親からの)「死にたい」というのが来て、死ねばいいじゃないか、だったら殺してやろうかとグワッときた。馬乗りになって首を締めた。意外と早く死んだ、ぐにゃぐにゃになった。気に入らなくて捻ってグニャグニャにして、抱えこんで首も折って。死んでいるのに。手が食い込んで一体になった。やっている間に、だんだん寂しい塊になって来た。だけどギューっとやっている。死体でなくなって来て、寂しいの塊になっていた。大切に思えて離せなくなった。後でやっちゃったと言うのが来た。また泣けた。あったかい涙。終わってから罪悪感が来るのかなと様子を見ていた。来ない。」
<W>
母親への憎悪(殺意)と愛情が一体になっています。愛憎の統合です。罪悪感は来なかったんですね。
<H>
その事実が一番ですね。
<母親への殺意を出してみて:消えた罪悪感>
<H>
彼は言います。「自分の中にある殺意は母に向けてのもの(である)と、ここ最近では確信していた。しかし母は何としても(自分が)護る存在。聖域。もし母にそれを向ければ母は死に、自分も死ぬ。その恐怖で抑え込んできた。それが一番怖かった。しかし出してみて・・・。(謎だった殺意は)自分が母に向けて(のも)であるように、殺意は(ある)対象に向けてのものであるが、そうでは無い(対象はない)とも感じられる。それぞれ(自分、お母ちゃん、お祖母ちゃん)の中にあるもので、抑圧した寂しいかたまり。
・・・うまく繋げられない(説明できない)けど、重い蓋を少し開けられたことで、安心して怒りのエネルギーを出せる気が今はしています。罪悪感に脅える感覚も、嘘のように消え去っています。」
<W>
世代間伝達で代々溜まっていて彼が受け取っていた殺意を、ようやく出した、ということと説明されています。殺意は単に母親へだけのものではないと。
<阿闍世コンプレックス>
<W>
この殺意と罪悪感は、阿闍世コンプレックスを暗示します。そう考えると、彼の、命もって行かれるような不安というのも、理解できます。
<H>
阿闍世コンプレックスは、胎児期に母親から殺されそうになったことへの恨み、というようなことですが、
彼自身が次のように言っています。
セッションが進んで自分の出自に興味が出て「「どこで生まれたか」と聞いた時の父親の反応。堕すという話があったよう。親父が言っていた。「子はかすがいだ」と言っていたので、そうだ。」
<W>
本当は堕されるところだったが、「かすがい」として利用するために産んだ・・ということでしょうか。この阿闍世コンプレックスについては、いつか、もっと詳しく彼に話して欲しいです。
<愛憎の統合から生死の統合へ>
<H>
彼は、「俺は生とか死の話とは無縁」で、よくわからないと言っていました。しかし、母親への殺意(憎悪)は明確になりました。
<W>
なりましたね。
<H>
はじめのころ彼は、母親から愛された誇らしいような感覚を持っていました。少なくとも母親への愛情は感じていました。そして今回、母親への殺意(憎悪)が明確になりました。そのため、愛憎の統合が着手されました。
同時に、母親のもとで幸せに生きたいと思う生と、「命もって行かれる」という死との統合も着手されたとしてよいと思います。生と死の統合のど真ん中を進んでいると言えると思われます。
<W>
そのようにして愛憎の統合や生死の統合が起きてくれば、母親へのこだわりは減って自立が始まります。
<母親離れ>
彼は言います。「よく泣いた。呼吸していて、エネルギーがワーッときていて、言いたくてしょうないみたいな。何か言いたくてしょうがないというのがワーッと来て。マットレス(母親代わり)が良かった。お母ちゃんだから丸めて文句言っている。時より怒りが来て首しめたり愛おしくなったり、文句言って、雑に扱うんじゃねえ。無視するんじゃないと言っていた。怖くて寂しくて向いて欲しいと思っている。・・・お母ちゃんに「寂しいって言え、不安だと言え」と言っていた。そう言っていて愛おしくなった。・・・怒るほど優しくなる。不満だったりストレスだったり抑えていたのが残念だったりする。お母ちゃんをずっと抱いていて離さない。ぶっ殺しているが愛おしい。文句言えた。「泣いてみろ」と言った。(母親が今も)生きていたら・・・(このセッションを受けさせに)連れて行きたい。」
<W>
母親に支配されていたのが、愛憎の統合が進み、母親から離れ、母親を癒そうとしています。
<H>
ほんとうに。
彼は言います。「・・・不満が出て来て、寂しい求める感じが出て来て、お母ちゃんを抱きしめる。どんどん(感情が)上がってくるとぶっ殺す。やればやるほど濃厚になる。どんどん(昔に)戻って、どんだけ(愛情が)なかったんだよ、なかったことにして来たんだよというのが凄く出て来た。ブレスが(時間がたつのが)早くて勿体ない。・・・もう終わっちゃうのかと。体を動かしていたらお母ちゃんをおいて一人で踊っていたら、・・・体が軽くなって、風のようにフワフワと舞っていた。・・・よりパワーアップして自由に踊って気持ち良かったです。・・・しばらくしたら暖かいものが来て、布団を抱きしめてお母ちゃんと一体感。気持ちいい。瞑想は無になれて気持ち良かった。・・・みんなの話でも寂しさが伝わって響く、どんだけ寂しいんだろうと増して来た。分かっていた自分もいたが、全然分かっていない、足りていない、小さな坊主が叫んでいる。凄く納得する。」
<W>
愛憎の統合が進み、自分の人生を「納得する」ということでしょう。
<母親との別れ:バイバイ>
<H>
彼は続けます。
「・・・母を抱いた。・・・力いっぱい抱きしめた。大好きと抱きしめた。力一杯大好きとやっていたら、殺意が出て来たのでブッ殺していたらまた大好きとでた。・・・吠えていた。ダンスだから動いていた。一人になろうと思い布団をおいて動いていたら気持ち良くなって来た。上に向かってバイバイと自然と出た。その涙はしめっぽい涙ではなかった。・・・自分が風になった。風になって吹きまくっていた。涙も止まってただ単に呼吸も静かにユラユラ揺れていた。・・・静かで寝ているように静かに無で瞑想できた。凄く心地良かった。」
<W>
母親との心地よい別れですね。
<心からの求め:完成>
<H>
ブレスの中で勇気を出して「お母ちゃん」と叫んでみますが返事はありません。
「・・・今まで大きい声で「お母ちゃん」と叫んでみたい願望はあった。それをやってみた。やりたいと思える事ができるようになった。勇気が言った。腹から「お母ちゃん」と叫んでも何もなかった。期待していた・・・甘い世界があると思った。愛おしくなることもなく、止まってしまった。そんな訳ないと叫んでみたら、何もない事が自覚した。何もないのは母の意識がなかったと思った。ない事が自覚して来たら一人と言う自覚が出て来た。寂しかった。イメージとは違っていたが、知っていた感じもあった。ビックリというよりもそうだよな・・・という感じだった。何度も何度も「お母ちゃん」と叫んでいる自分が母を求めているものがとめどもない感じがあった。ずっと言いたかった事で叫んでいると自分が愛おしくなった。もっと一緒にいたかった。自分の中にあるものを出している実感があった。・・・腹のそこから叫んで本当に心から求めた。
・・・寂しさ、一人だった。甘いのがないのを経験したから苦痛だが、「お母ちゃん、お母ちゃん」と求めていた。だけどいなかった。・・・一人でずっとこれまでそうなんだと、どこかで知ってたが実感がなかった。本当に一人だった。常に一人なんだけど、一人だからお母ちゃんを感じていた。・・・マットレスを抱っこしていたら時より怒りがきた。寂しくて、ぶっ殺すよりも思い切り力を入れて体を密着させてお母ちゃんをピッタリした。こねくり回して密着させた。それでも一人だった。本当に愛おしいし、本当に大好きなんだと実感した。それで良いと思った。それを誤魔化してきたから、(今回誤魔化さずに)良かった。寂しいのは甘い世界だった。・・・寂しいから癒着してラブラブだと思ったが、向こうは全く(愛情は)なかった。・・・」
<W>
母親に愛情はなかったが、自分は心から求めることができた・・・。
<H>
心から求めることができて、「一人」の意味が違ってきます。
「(ベビーブレスで)・・・一人になって落ち着いた。凄く安心の場所。・・・それが自分。泣けてきた。お母ちゃんに甘えたくなって、「ずっと見て、ずっといて」と声に出して叫んで泣いた。落ち着いてきた。きちがいが怖くて、嫌だったのに、凄く良い気持ちになって、そこがお母ちゃんで甘えることもできて、安心感が出てそこにいたかった。・・・遊んでいる感じ。一人で遊んでいる。テーマは一人だった。実際遊んでいた。楽しかったんだと。取り巻く環境は怖かったが遊んでいたのは楽しかった。・・・意味分からないが勝ち誇ったよう。「勝ったぞー」と。凄く気持ちよかった。」
<W>
・・・自立が完成しました。人生の困難に勝ったんですね。
<孫が眩しい>
<H>
実生活でも変化が出てきます。かわいい孫への気持ちが新鮮です。
「涙が止まらなくなる。寂しさも怒りも怖さも冷え切ってカチカチしていたのが、緩んだり溶けたりしている。(そこへ)触れるとダメ。Hちゃん(彼の孫)はもうダメ。光輝いている。眩しくて(自分も輝きたかったという)憧れがあって、これだろうと思う。」
<W>
周り中が眩しくなりますよね。
<本当はこうしたかった>
絵7
絵8
<H>
ここまでくると安心して、本当はこうしたかったという気持ちを表現できます。
絵7、絵8を表現して彼は次のように言います。「一緒にいるときにいなかった感じがあるし、(今も)一緒にいたいんだな。一緒にいたくて離れたくなくて置いていかれたくなくて連れて行って欲しくて、とにかく一緒にいたい。・・・大好きなんだなと思った。やり直しをしたい。甘えたり、抱っこしたり、置いていかれそうになったら駄々こねたり、病院の鉄格子の中にも一緒に行きたい。」
絵9
<H>
絵9について、「あったかい家族全員で過ごしたかった」と言います。
絵10
<自分と富士山と星空が一体:贅沢>
<H>
彼はそれまでも、みんなとワイワイするキャンプは好きでしたが、ソロキャンプをも楽しめるようになりました。そこで神秘的といえるような贅沢な体験をします。
「今年初のソロキャンプに・・・行った。・・・怖いのを取っ払ったら、晴天、満天の星。焚き火していると夜でも富士山が見える。夜中ぼーっとしていた。そこで(瞑想の時のように)呼吸を整えたら、星と一体になって富士山(の中)に自分が入った感じになった。点の自分と富士山と星空が一体になった。・・・全部富士山になっている。宇宙と地上の間の富士山と自分がいる。
富士山のシルエットの中に自分が入り込んで、宇宙と繋がっている、大地に根がバーっと張っている。死って宇宙だと分かった。あっちに行って無の世界か。この世にきて辛いことも生きているのかと考えた。
自分のとっての死が原点、贅沢で寝る。・・・満喫した。一人で贅沢味わって満喫する。一人は贅沢。
それでキラキラして起きる。(セッションが進んで)死が怖くなくなった、生きやすいと言っていたが、(さらに進んではじめから)生きていたんだなとなった。愛おしい。」
<W>
死と生がともに受け入れられるものとして語られます。
<H>
バンザーイ。
(終わり)
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(つづき)
<イモリ、ハムスター、インコ>
<H>
本人の言に反して母親との関係はあまりよくないので、そのため、友達との関係もうまく作れなくて、彼は小動物のペットを友達にします。ブレスが進んで幼い頃の自分をよく思い出すようになった彼は、そんな幼い自分のことを「チビ」と呼びます。
「怖くて、寂しくているチビ(自分)を周りから見ている感覚になった。そして泣いた。チビの頃、イモリを飼っていた。それをいじっていた。これが寂しい。イモリと遊ぶしかない。唯一の友達だった。暴れているイモリを撫ぜていたら大人しくなって眠った。イモリと通じ合えた。それとなら通じた。縁側でイモリと遊んでいた。たまらない。何でイモリと遊ばないとならないのか。
ハムスターも7回飼った。死んだらまた飼った。小動物と寂しさを分かち合っていた。・・・イモリやハムスター、インコ。頭に乗せたりしていた。(小動物をかわいがるように見えるので学校の)先生に「優しい子だ」と言われるのが嫌だった。優しくもない、寂しいだけ。」
<W>
グループカウンセリングの中で、幼い頃の自分をチビと呼ぶ彼は、自分を治療する治療者のようでした。
<H>
このころ、A兄ちゃんの存在もあって母親は安定し、彼は幸せな時期を過ごします。しかし、A兄ちゃんに全面的に頼るということも不可能でしょう。やがて破局が来ます。そして母親の大きな発作が起きます。
<W>
うーん・・・・・。
<母親の発作を止める:早く終わらせて楽しいことやろう>
<H>
彼は言います。
「母の発作を止めたあの場面(絵には未だ描かれない)は中3の時だ。多分きっかけはA兄ちゃんが音信不通で帰らなくなったことだと思う。この中学3年の時が相当やばかった。どんどん実感がわいてくる。刃物で(自身を)切ろうとしている母を(羽交い絞めにして)止め、それ(その現実)を見ないようにして、「早く終わらせて楽しいことやろう」などと思っている。究極を行っている。力緩めたらイコール死の状況なのにそう思っている。普段ビクビクしているのは当たり前だ。究極そうした。発作の場面はこれまで気違いが怖かった。」
<W>
「早く終わらせて楽しいことやろう」。自分の心の状況を守るものが、それしかないんですね。「気違い」というのは母親の状況であり、自分自身の危うさでしょう。
<H>
彼は続けます。「自分自身の(中学卒業に向かっての)進路の不安と、A兄ちゃんがいなくなることと、それによって母がまた崩れていく恐怖と、全部重なった時期だ。発作は何回もあった。後々発作を起こしても包丁や(鉄道への)飛び込みは止めれば良い。しかし、この中3の怖いのは、比ではないのがあった。」
<W>
「比ではない」というのは自分自身の危機・・・ということです。
<H>
彼自身が狂ってしまうかもしれないという恐怖・・・。その恐怖を今思い起こして消化し、理解が進んでいきます。
彼は言います。「母親は、病気の時は子供(私)どころでないが、一寸良くなれば(私へ)愛情を注いだというのはあるのだろう。閉鎖感があった。母親の発作が起きる瞬間に自分は白ける。「又かよ」と表向きは思っている。(実は)凄い恐怖があるからだと思う。お母ちゃんが健康なら(包丁を持ち出したりしないで)子供を守ろうとすると思う。大好きで「お母ちゃんはいつも優しくて・・」とやっていたのがおかしい。」
<W>
「おかしい」と、自分を振り返り始めます。
<美化する自分への理解>
<H>
彼が二十歳代の時に母親はなくなります。彼は言います。「(母が)余命1年の時に、(母の世話を)自分がやりたくてやったが、やりたくない自分もいた。大好きなお母ちゃんと(自分で)言っているが、(本当なのか)疑ってしまう。客観的に考えたら、何事もなく穏やかに過ごせた時間が少なかった。嫌がっていたり、恨んでいたりしたかもしれない。他人の家の家族の食卓が羨ましがったりしていた。〈悪感情を抑圧し〉押えて蓋して、美化している。それをやらないと、自分が美化した人間でないとまずいとなる。お母ちゃんがダメなら自分もダメになる感覚だから。」
<W>
美化しないと幼い自分が危なかった・・。
<突破口となった怒り>
<H>
少し復習しますが、彼は彼自身の問題点として、自信がなく、不安感情が強く、(物事を)ぼやかしやすく、強い抑圧があり、奥さんへの八つ当たりをしてしまうことなどを、認識できており、さらに、ブレスワークを怖いと思いながらも少しずつ進んできていました。そして、以上のように、自分の成育歴もだんだんはっきりして来て、母親との関係も徐々に明らかになって来ました。また、自分自身も悪感情を押えて蓋し美化しているなどと見抜くようになってきていました。そうして大きな突破口となったのは、怒りでした。
<W>
そうでしたね。
絵5
<W>
この絵5では、自分チャートとして8つの絵が描かれています。セッションを受けて変化していった自分の意識です。意識は左から右へ、上から下へ変化します。以下、説明のために、第一~第八の絵と呼びます。
<第一の絵>
はじめのころ(過去の自分)を示す絵には、中心には怖さ(恐怖:黒色の玉)が描かれ、それを隠すように周囲にはしらけ(薄青色)が描かれます。初めのころのブレスワークを怖いと思う意識です。
<第二の絵>
その後、しらけの中から怒りが現れます(濃い青色)。同時に寂しさも現れます(茶色)。大きな突破口となる怒りが出せました。彼は言います。「(映像は出てこないけども)何故か、怒りが出てきた。怒りを吐き出した。ギャンギャン怒っている。前は分からなかったが意図して怒っている。終わったら寂しくなった。(でも)気持ち良い。」
怒りを出せると恐怖からも逃げないでいられます。
「(怖いところから逃げないでいられた)ずっと怖いところにバックれ(しらけて逃げること)ないでいれている。子供の頃からの、怖いドキドキに近いような匂いがするところにずっといる。・・・・・・・・怖いとこがベタっとあって。すごく泣ける、怒りが、感覚が、出てくる。ベターっと怖い感覚にいる。」
<第三の絵>
そうするうちに、中心には本当の自分としての小さな坊主(赤色:チビ)が認識されます。怒りや恐怖を扱えるようになり、本当の自分に出会えます。
「小さい坊主と出会って、寂しいというのが自分のものにできてきた。何でそうなったのかに行きたくなっている。その坊主が何でそうなったのかと。それを無視して放り出していたのが溶けてきたから、何でそんな可哀想になったのかを知りたいのだろうと思う。拒絶している意識はないが嫌だと思っていた。」
<第四の絵>
怒りや寂しさが、より大きくはっきりします。
本当の自分が何を感じているのかが少しずつ分かるようになります。
「・・・何なんだという怒り、取り巻く怖さは何なんだと。お母ちゃんを求めるが感じられない。泣いた、怒って泣いた。」
彼が坊主と呼ぶ幼い自分自身を、治療者としての彼自身が扱います。しかし怒りの対象は未だに謎です。
「・・・・・怒るかと思ったら泣いちゃった。おーおー泣いちゃって。・・・・・・毛布を抱っこして小さい自分。・・・・マットレスが敵だった。取っ組み合っていた。蹴っ飛ばしたりぶん殴ったり破いたし地面に押し込んだし、良いあんばいだった。・・・・久しぶりに出てきた子供。一人ぽっちで寂しい坊主を感じた。ずっと抱っこして凄く泣けてきた。満足するくらいやれた。マットレスを小さい子も一緒になって叩いていた。一緒になっていた。マットレスはお母ちゃんだというとやれない。・・・泣きながらやっていた。動いていた。毛布を高い高いや飛行機ブンブンをやった。・・・ずっと寂しかった坊主と今の自分が一つになる。・・・毛布を丸めて抱くとたまらなくて愛おしくて泣いていた。やっぱりここかと。前は白けがやってきた時は嫌で怒っていた。白けている坊主をギューっとして、白けは俺じゃないかと。今日はずっと寂しい坊主と一緒にいた。」
<第五の絵>
第四の絵の段階が過ぎて停滞が生じます。停滞の原因が、表現されることを拒否している殺意ではないかと、グループカウンセリングの中で気が付きますが、受け入れきれずに再び、怒りや寂しさが追いやられて消され、しらけが優勢になります。
<第六の絵>
その後に突然、恐怖の中から殺意が爆発します。爆発する殺意は恐怖と同じ黒色で描かれます。殺意自体が寂しさをも伴っています。今までの寂しさの中身がはっきりし、(母親を)求める自分や愛しさ、あったかさを感じるようになります。
「寂しい自分が自分だろうな、「お母ちゃん、お母ちゃん」と求めていた。ずっと泣いていた。恋しくて愛おしくてずっと泣いていた。凄くお母ちゃんを求めて、キチガイじゃないお母ちゃん、兄ちゃんも寂しいし、みんな寂しいしここに来て、求めていても満たされない。でも求めているので満足。」
<第七の絵>
寂しさはさらに大きくなり、もはや恐怖(黒色の玉)は描かれておらず、代わりに爆発する殺意(黒色)と本当の自分(赤色の玉)が描かれます。まるで、本当の自分には殺意があり、それを閉じ込めていたので恐怖が存在した、というふうに取れます。
絵には描かれていませんが、殺意の近くには罪悪感がありました。殺意の対象がわからないのと同じで、罪悪感の正体はわかりません。
「小さい頃からずっとそうだった。・・・最後の最後に出さないように踏ん張っていた自分が出て来て泣けた。逃げているんだと。罪悪感や殺意も感じないようにバックれている。・・・だから凄く疲れる」
わかるのは、ずっと一人だった、ということです。
「やっぱりぶっ飛んでんだなと思えて。再確認できた。ずっと一人だったので、ずっと一人だった。・・・母に意識がなくてずっと一人だった。最後の方のブレスにそこに行けた。背中を丸めてヤモリ、鳥、ハムスターとか何でも飼っていた自分。なんかすっきりした。一人ぽっちだと分かってすっきりした。」
<第八の絵>
最後の絵八では、本当の自分は寂しい自分であると認識でき、その寂しさには底がないと感じます。
このように寂しさを正面から扱えるようになると、正体がはっきりしない殺意や罪悪感に焦点が定まります。そして、殺意や罪悪感の正体を受け入れるようになっていきます。
(つづく)
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引きこもりからの自立等いろいろな心理的悩み相談や心理カウンセリングのお試し無料あります。さらにベビーブレス(アコールで開発した独自のブレス,ブレスワーク,またはブリージング)ができるようになれば精神分析の組合せで大きな効果があります。東京府中
<H>
世間では、新型コロナ災害の第一波を何とかかわし、緊急事態制限が解除されました。
<W>
死と生の統合シリーズの第三弾として、ようやく、新しいブログを出すことができます。心待ちにしていた皆様、お待たせしました。
<命もって行かれるような不安>
<H>
今回のまとめは、小さなお孫さんがいる男性です。
<W>
よくやりました。彼自身も無我夢中の感じで来たと思いますが、よかったです。
<H>
はじめのころ、彼が意識できる彼自身の問題点としては、次のようなものがありました。
○自信がないこと。自分への過少評価を凄くする。
○不安感情が強い。(自分の心の中を)はっきり見たら「命もって行かれるような不安」がある。
○だから(物事を)ぼやかしてきたので、(いつも)霧の中にいるようで怖い感じがする。言い換えると、周囲がはっきり見えていない。(もしも)見えたら怖くないと思う(が見えない)。
〇世間では良い人と言われるが、実は強い抑圧がある。(抑圧のはけ口として)奥さんへの八つ当たりをしてしまう。ストレス溜まると奥さんに甘える(だから八つ当たりができる)。
○(何に対してかわからないが)怒りがある。煮えくり返るものがあると思うが、それは出ないものの、甘えられる奥さんに(ある程度)出てしまう。わざとやっている自覚はない。子供の前でもイライラするとガーって当たってしまう。「お前のせいだ」と押し付けたり、「ごめんね」と謝ったり繰り返す。
<W>
命もって行かれるような不安や、何に対してかわからない怒りがある、というのは大きな手掛かりでしたが、彼自身は、それらの謎解きを積極的に話すという感じは、少なかった印象ですね。
<H>
その代わりセッション(ベビーブレスなど)の中では夢中でやっていた感じです。夢中でやった結果、振り向いたら、いつの間にか謎が解けていた・・という感じでしょう。
<W>
実践派ですね。
<記憶がはっきりしない>
<H>
はじめのころ、問題点の背景になるものとして彼が意識できるものには、次のようなものがありました。
○精神的病になった母に育てられた。
彼は言います。「お袋が勤め先から帰ってくるとき、笑っている顔だと、だんだん近づいてきて表情を見てほっとする。調子悪い顔だとドキドキしていた。顔色を伺っていたんだなと。」
○お袋の病状が悪化して最後に言葉が喋れなくなった場面は恐怖体験だった。(子供心にはっきりわからないまま)何度となく、最終的には病気で「そうなってしまうんじゃないか」と怖くて怖くていたなと。
○その精神的病が(おそらく)原因で両親が離婚したこと。彼は母親に引き取られた。
○離婚などもあり何回か引っ越ししているが住居の記憶がはっきりしない部分がある。
<W>
「笑っている顔だと・・・ほっとする」「そうなって(悪化して)しまうんじゃないかと怖くて怖くて」と母親を失うことの不安を言っています。それが問題点の背景だと・・。ところが、ベビーブレスなどの実践をしていくと、もっと奥の方へ入っていきますね。
<H>
奥へ入っていくのは、もっと、後のことで、はじめのころは消えていた記憶と対峙することで精いっぱいだった、かもしれません。
彼は言います。「ブレスワーク(をすること)を思うと怖い。呼吸することがキチガイになる感覚。自分がキチガイになる感じ。記憶の母か、自分がなると思う恐怖なのか。」
<明るい畳の部屋>
絵1
<H>
辛い記憶がよみがえる前は、彼は、自分が愛されて育ってきたという自負がありました。そのような幸せな記憶も描いています(絵1)。
彼は言います。「自分が赤ちゃんで畳の部屋でバタバタしてる感覚が出てきた。明るくて陽がこうこうとしていて、父ちゃん母ちゃんもいたイメージが出てきた。木漏れ陽があって、自分が守られている。ただ寝ているだけ、それが居心地良い。泣けてくる。凄い、光にも包まれていて、畳の臭い、太陽の臭いがして感覚に残っている。いつもお母ちゃんがいて何ともない安心感。包まれている中にいた。こんな世界があるんだと泣けて、泣けてきた。」
<W>
あったかい絵ですね。もっとも、人は誰もいませんけど・・。
<H>
絵は描かれていませんが、おっぱいと母親の記憶もよみがえっています。
彼は言います。「おっぱいを飲んでいる。足りなくなってくるとお母ちゃんがおっぱいくれて、気持ち悪くなるとお尻を掻いてくれて。下から見上げているお母ちゃん。味とかもフワーとして、温かく満たされてベットに寝かされて。自分だけ安全な所にいる位の感じ。怖くも寂しくもない。居心地良かった。おっぱいを飲んでいて、臭いも感じてきた。望まれていたかどうかは分らないがお母ちゃんは大事にしてくれた。愛情を感じた。」
<W>
「大事にしてくれた」とあったかい記憶ですが、陰はありますね・・。
<H>
「望まれていたかどうかは分らないが・・・」ですね。
<W>
表面は明るい畳の部屋・・、ですが、チラチラと暗い奥が・・。辛すぎるのでしょう。
<H>
そうなんです。
彼は言います。「幼稚園はバスに乗って行っていた。笑っていたお母ちゃんが出てくる。存在として親父もいたよう。卒園した後、離婚した後だと思うが、小学2,3年ごろの記憶を抹消してなくしていた。」
後でわかったことですが、このころ母の具合が悪くなり、入院などの都合で引っ越ししなければなりませんでした。
<W>
離婚、入院、引っ越し・・・辛いことが重なって記憶が消えたんですね。引っ越しで、明るい畳の部屋も実際に失ったことになります。
<H>
いいこともありました。小学高学年の頃には、母親に新しいパートナーができ、離婚の痛手が癒(いや)されます。彼はその人をA兄ちゃんと呼んで、なつきます。彼は言います。「A兄ちゃんが外に連れて行って(キャンプやバーベキュー)くれて楽しかった。」
<W>
パートナーができ母親が安定したことで彼も安定したんですね。
<働く母を見る安心感>
絵2
<H>
そのようにして、彼は、小学高学年から中学にかけては、安定していたんです。幸せな時期ですね。
<W>
そういう時期があってよかったですね。
<H>
もっとも母親が本当に真に健康になったわけではないでしょうから、不安はつきまといます。彼は言います。「中学のころ(母の職場の)映画館に何度も行っている(絵2)。自分も何で行っているのか考えちゃった。そしたら、働いているお母ちゃん、アイスクリームを抱いて働いている、それが(あって自分が)安心している。働いているお母ちゃんが安心でそれを求めている。家にいても笑っているときも穏やかな時もあったろうが、狂ってしまうお母ちゃんがイメージで(在る)。働いているお母ちゃんを見て(それが楽しくて)、映画が楽しいわけでない。」
「(下校後の)バスケを(して)友達と別れて一人で帰る。休みはお母ちゃん追いかけて(遠くの町のその映画館に)行っていた。働くお母ちゃんは目が合うとニコッとする。映画が終ると出てくるお母ちゃん。2,3回(同じ題名の)映画は見た。だから(見たいのは)映画ではない。日常は(母親は)いるのに何でわざわざ(映画館に)会いに行っていたのか。(自分は)満たされないで不安で寂しい子だった。ジワジワ思い出した。溢れるような感情ではないが。」
<W>
絵には他の観客がいません。映画が終わって次の映画が始まる間の様子でしょうか。彼と、働けてニコッとする母親とが、二人きりになれる瞬間だったのでしょうか。家でも手にいらない瞬間だったのでしょうか。
<愛されて育ったと思い込んで来たというが、愛されないとどうなるの>
<H>
彼は言います。「寂しいとか(は心の)表にいて、お母ちゃんが死んでしまう怖さ(もある)。(しかし)内側は見せないように思った。そこには誰も入れないような感じ。内側には(愛された)誇らしいような感覚がある。」
<W>
「誰も入れない」で死守されるべき砦(とりで)なんですね。
<H>
しかし、彼はその後、愛されて育ったと「思い込んで来た」と言うようになります。
<W>
セッションが進んで余裕ができ「誰も入れないで思い込む」必要がなくなってきた・・・。
<H>
彼に聞いたことがあります。「愛されて育ったと思い込んで来た」というが、母親は自分の問題で追い詰められていて十分な愛情をあなたに注げたとは思えない。愛されないとどうなるのか、と。
彼は言いました。「死んじゃうような恐怖感。愛されていなかったら存在意義がないような恐怖感。ピンボケにして、見ないようにして、自分がないようにしてきたが、唯一「愛された」と思ってきたのでそれがなくなったら、ピンボケの自分だけだから、(自分は)いなくなる、消滅感か。怖いから(母親に)しがみ付いて癒着していた。」
<W>
消滅するんですね。
<H>
彼は続けました。「冷めていてピントずらしても母と同じところにいたから怖かったのか。難病で発病した時の恐怖は半端じゃなかった。お母ちゃんが死ぬか自分が死ぬ話か。だから罪意識か〈後年、母親は病気で亡くなるが、一緒に逝かなかった事〉。(自分と母親は)一緒なのに片方だけになった。それだけの癒着があったな。」
<W>
愛されて育ったという思い込みが必要でなくなり、辛い過去の記憶にも向き合うようになります。
<H>
そうです。話が少し戻ります。辛くて記憶を抹消していた、卒園した後から小学2,3年ごろのことです。
<抹消したいお化け屋敷>
絵3
<W>
記憶を抹消した中心の話がこの絵3と次の絵4になります。
<H>
母親の病状が悪化し入院のために家を引っ越しする必要がありました。引っ越し先の家を、彼はお化け屋敷と呼びます。
<W>
よほど嫌だったんですね。怖かったんですね。
<H>
母親の入院の時期に、彼は自分の小学校の入学式を迎えます。
<W>
この絵3は入学式の帰りですね。まるで絶望に向かって帰っていくようです。ピシッとした和服の女性は、お祖母ちゃんですね。
<H>
はい。
彼は言います。「(記憶がよみがえってきて)小学校の入学式の場面が出てきた。入学式の(自分の実際の)写真があるのだが、(それまで抹消していた記憶が)動き始めた。お祖母ちゃんが取ったのだろう。嬉しいのと不安が混合していて、どっちかいうと不安が大きい。入学式は初めてだから不安なのだろうが、(母親が)明らかに病院に入って(いたのに入学式のために)出てきたので、ビックリしたのといなくなる恐怖があった。嬉しさもあった。(式の時に母がいる)後ろをずっと見ていたときの感覚が出てきた。
怖くて、「またいなくなんだろう」と、最初からいなければいいが、いるのは嬉しいが又いなくなる。いなくなったのは病院に(帰って)行ったということ。(式にいたはずの)友達も出てこない。記憶喪失のようになっている。」
<W>
式の記憶が記憶喪失のようなんですね。
<H>
彼は続けます。「(入学式の帰りには)お母ちゃんがいなかった。お祖母ちゃんが怖かった(絵3)。お母ちゃんは(精神科の)病院に入院していたのだろう。牢屋(病院の中の鉄格子で区切られた空間)に入っているのは怖い。入学式の後にお化け屋敷(病院時代の自宅)に帰ったに違いないのに、お祖母ちゃんの背中を見て帰ったところは(記憶では)、(それ以前の彼が幼い時代を過ごした)両親がいたところの家だった。(実際は違った。お化け屋敷に帰った。)創作していた。無意識でそうした。(母が)入学式に来てくれたのは嬉しくなかった。「まだいる」「まだいる」「やっぱりいなくなった」と。泣きもしない。お祖母ちゃんが慰める訳でもない。抹消したい家(お化け屋敷)に帰った。」
<W>
記憶を抹消するだけでなく、別の家へ帰ったと、ゆがめて創作していたんですね。
<H>
さらに続けます。「帰り道は途中まで思い出したが、お化け屋敷は思い出せなかった。(夜寝たのは)どんな布団なのか、お祖母ちゃんと二人で寝たのか出てこない。出てきたのは、ごま塩のような石(花崗岩?)の台所に立っているお祖母ちゃん。お祖母ちゃんが洗物をしている背中が出てきた。中華料理なのかそこで卵焼きを作ってくれた。醤油付けにしたような卵焼き。お母さんの方は甘い卵焼きだった。毒々しい醤油味の卵焼きを思い出した。それを食べていたんだよな。どんなちゃぶ台だったのか覚えていない。」
<W>
家(お化け屋敷)も思い出せないし、「毒々しい醤油味」・・・嫌だったんですね。
<H>
「卵焼き」だけでなく「トウモロコシ」は今も苦手です。
「昼間なのに薄暗い部屋の風景が見えて。トウモロコシが出てきた。兄貴もいた。おばあちゃんが茹でたトウモロコシをオチャラケてグワーッと食べた。息が詰まって苦しかった。おばあちゃんも兄貴も助けてくれない。お母ちゃん助けてとやったが誰も助けてくれない。お母ちゃんがいなくなって後の事。寂しさの穴埋めで食べたと言うのが落ちた。ふざけてやってしまう事。何も考えずオチャラケて食べた。それで吐いた。死の体験のよう。怖い。誰も助けてくれない。お母ちゃんがいないと感じた瞬間が怖い。」
<W>
怖さを埋めるために「オチャラケて食べ・・吐いた」・・。
<H>
お祖母ちゃんは、卵焼きやトウモロコシをつくってくれたのに、彼は嫌いだったんですね。
<W>
それでもその人に命をつないでもらう(食べ物)しかない。
<H>
お祖母ちゃんの夫(祖父)は日本海軍の連合艦隊のお偉いさんだったらしい。そのせいなのか、お祖母ちゃんは厳しかったのかもしれません。
彼は言います。「離婚にもお祖母ちゃんは絡んでいる。凛として存在が強かった。尋常でない状況でも凄かった。普通でない状況でも動じないようにしている。祖母は、子供を一人養女に出し、母と、母の姉は精神的病を得ている。祖母は戦時中の時代の人で、連合艦隊の白服の夫を持ち、お国のためとやっていた代々の因縁があるのか。」
<W>
戦争のために人間性を自分から犠牲にしていった、そして子供も犠牲にしていった世代というのがあるのかもしれません。
<H>
犠牲にされた子供(母親)は耐えられないということなのでしょう。
彼は続けます。「お母ちゃんは寂しい。父親と別れたり、A兄ちゃんを含め(他の)おじさんも2回去っていく。支えになる人がいないとだめな弱い人が母だった。」
実は、彼の卒園前に、両親が離婚し父だけ家を出て別居しますが、このことが契機になって母親の入院があったと考えられます。別居と入院はほぼ同じ時期です。また、後で話題になりますが、A兄ちゃんが音信不通になって母親の大きな発作が起きます。
<W>
お祖母ちゃんも辛い、子供(母親)も辛い、孫(彼)も辛い・・。連鎖しているよう。
<H>
そう。「お祖母ちゃんと一緒に歩いている時(絵3)、お祖母ちゃんから逃れられない、後ろで黙って歩いていた。」
絵4
<牢屋>
<H>
絵3を描いたかなり後に、ようやくして上の絵4が描かれます。
<W>
なかなか思い出せなかった「ピンクのスリッパ」の上の部分ですね。抹消記憶の中心部分。
<H>
ええ。入院している母親です。彼は病院を牢屋と呼びます。
彼は言います。「お化け屋敷の時代に、怖いのが、母が精神科の病院に連れて行かれたこと。いかにも病院。分厚いガラスと鉄格子。まるで牢屋。面会をしたはずだ。鉄格子の精神病棟の奥にあって、あれが怖かった。中も二重になっていて、そこからお袋の顔が出てきた。鉄格子を開けて出てきて、怖かった。厚いドアの向こう、あんな奥にいるんだという恐怖。思い出そうとしても母親の顔(の詳しい様子)が出ない。顔を見ようとしても見えない。鉄格子だけ見えて、スリッパしか出ない。ピンクのパジャマを着ていた。大好きなお母ちゃんなのに顔を見ないで帰って来た。おかしい。二度と会えないという恐怖、(小学入学の)これからスタートという時に二度と会えない切り裂かれる恐怖。子供ながらに残っている。トラウマ。そこは怖い。」
<W>
顔の詳しい様子は出てきませんが、それでも、それまで出なかった「ピンクのスリッパ」の上の部分がかなり描かれています。彼の状況がよくなった証しですね。
<H>
彼は、自分が母親に愛されて育ったと言いますが、一方で、母親をお化けとも言います。もう一面があると言います。
「恐れているお化けは「愛してくれたお母ちゃん像が崩れる事」だと思う。(母親は私に)愛情一杯と思っているが、本当はどうかと。(母親の)もう一面を見る事になるから。母親が病気で死ぬと俺が死んでいなくなるという感覚はずっとあった。その時のお母ちゃんって嫌いだったと思う。病気が出てきたら「早く前のお母ちゃんに戻って」と思っていたと思う。でもどこかで罪意識があった。」
<W>
お化けに関して、何かの「罪意識があった」ということですね。ここは重要ですが、まだまだ、はっきりはしません。
<鉄格子というフィルターの中>
<H>
彼はよく、フィルターの中にいた、と言います。
「初めてお母ちゃんがキチガイ病院に入っていることを知った時、友達がいたけど、遊んでいたけど、一緒にいるが自分だけが違う所にいる感じで怖くて。何をやっても怖い。何やっても楽しくない。今の子じゃないからゲームもない。怖くて、怖くて。100パーセント影響を受けていた。友達の中にいるとき自分だけフィルターを掛けられているようだった。怖い。鉄格子の中に自分がいるようだったのか。」
<W>
母親と同じように自分自身が鉄格子のなかに・・・。
<H>
母親は2年後に退院して次の家へ引っ越し、やや安定した日が続きます(絵2)が、完全に安心できる状況ではありません。
「母親は2年間入院した。出てきてからは自力でいて病院に通っていて、大量の薬を飲んでいた。」
<W>
薬に頼るしかないのでしょうが、危(あや)ういですね。
(つづく)
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「現代の悟り:見捨てられ感から悟りの道」
<W>
ブログ(705)(706)で悟りとの類似性を話題にしました。
<H>
アコールセラピーが似ているということですね。
<W>
はい。すこし、続きをさせてください。
<H>
どうぞ。アコールセラピーが現代の悟りだという話ですね。
<W>
悟りというのは日本の禅仏教だけの概念ではありません。
他国の宗教にも似た概念があるようです。エンライトメントとか言うこともあるようです。
<H>
うんうん。それで・・・。
<W>
宗教の話をするには、宗教とは何かが、ある程度はっきりしていないと、実のある話にはなりにくいです。しかし、宗教といえば、心が解放される点(悟り)、そのために死を扱う点などは共通していると言っていいと思います。大ざっぱですが・・・。
<H>
なぜ死なのか、ということですね。
<W>
そこです。寿命という意味の死だけでは、説得力がないですね。毎日、宗教家が修行するのに、50年先の寿命の死をどう扱うのかを目標にしているなどとは・・・。
<H>
毎日修行するのですから、もっと時々刻々の切実な心的欲求があるはずだと・・・。無意識では。
<W>
その通りです。
<H>
定説ではないけれど、イエスキリストの原罪というのが、彼の出生の秘密に関係していて、母マリアから本当の愛情をもらえなかったことから来る、というあれですね。
<W>
キリスト教を例にすると、ということですね。はい。
二千年以上前のことですから真相がわかるということは望みにくいけれど。根強くささやかれるというあの話です。例えばですが。マリアがローマ兵にレイプされてできた子供がイエスで、マリアが信心深かったので、イエスの命を長らえ、何とか育てたけれども、本当にはイエスを愛することは、決してできなかった。
<H>
感性豊かな子供であったであろうイエスの心は、深く、深く傷ついたでしょうね。
<W>
イエス自身には何の落ち度もないのに、絶対に真の愛情はもらえない。意識の底では本当は嫌われ続けるのですから。自分には、生まれる前からの原罪というのがあるのだ、ということにも当然なりますね。
<H>
深い得体のしれない殺意を抱いた殺人者になっても不思議ではない、ひどい話ですね。
<W>
深い殺意の裏には死があったでしょうね。
<H>
あったでしょうね。実は死を望まれていたでしょうから。いらない子。
<W>
母子関係からの死です。母親からの見捨てられ感からの死です。
そこを観られれば、悟りの道まっしぐら。
<H>
母親からの見捨てられ感は現代に溢れかえっていますね。だから見捨てられ感から悟りの道へ入っていけるということですね。
<W>
そうです。
現代の悟りの道です。
<H>
苦しむだけではもったいないということでしょうか。
<W>
まさに。医療は役に立たない。自分を変えられない。薬に頼らない。慰めに頼らない。事実を観て自分で自分を変える。苦しみを抱えた現代人の突破口。現代の悟り、です。
<H>
究極の健康が手に入るということでしょうか。
<W>
そのハウツウが、愛憎の統合、生死の統合です。
<H>
その統合についは既に別のブログで話していますね。
<W>
何度でも話したいです。
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前回の続き<<私わかった!2/3>>
③ <振り向かない母親>
<H>
はじめの頃は、彼女は自分のパニック障害が母親と関係があるなどとはわからなかったと思います。セッションが進むにつれて自分の心の中に引っかかりがあり、それが③の<ふりむかない母親>という形で思い出されました。いくら自分が母親の愛情を求めても、母親は振り向いてもくれないというイメージです。扱いたくない母親との関係を、ようやく扱うようになるきっかけといってもいいと思います。
<W>
これで前進することができるという場面です。
④ <泣き叫ぶ自分>
<H>
泣き叫んでいる自分は、母親との関係で泣き叫んでいます。母親の関係が非常に大きいとわかってくる段階です。
<W>
上の③の絵は、子供が笑っていますが、無理して笑いかけているのでしょうか。無事にしたいのでしょうか。④の絵は、大泣きしています。本音ですね。
⑤ <おいて行かれた恐怖>
<H>
暗闇の中に簡単に小さな自分が描かれています。母親との関係を探っていくうちに、ある時、母親から自分が置いていかれた事件を思い出します。その時の恐怖を描いた絵です。この恐怖が後になってパニック障害につながっていることが徐々にわかってくる糸口のような絵です。
<W>
置いて行かれた事件についての恐怖ですが、さらに探っていって、単にその事件だけにとどまらず、自分を置いて行ってしまえるような母親への恐怖が、背後にあることがわかります。次の絵が、それを暗示します。
<H>
彼女の場合には、長い間、暗示にとどまっていました。
⑥ <襲い来る恐怖=死>
<W>
上の④⑤の恐怖がどれだけ大きなものかという事を示す絵(⑥)です。まるで大きなモンスターに小さな赤ちゃんが追いかけられている感じがよく出ています。赤ちゃんがとらえた恐ろしい死のイメージです。パニック障害のからくりを示すような絵です。
<H>
モンスターにパクっと一口で食べられそうです。
⑦<感情をなくして耐える自分>
⑧ <分裂して耐える自分>
<W>
小さな赤ちゃんにとって、⑤⑥のような恐ろしい恐怖に耐えられるはずもありません。
<H>
まるで荒野に一人ぼっちになって背後に巨大な肉食獣(モンスター)が忍び寄って、今にも食べられそうな恐怖です。
<W>
肉食獣なら、まだ、いい。母親です。耐えられません。
<H>
ほんとに。
<W>
感情をなくして、怖いという自分を味わわないようにして耐えます。⑦はそのころの無表情な自分を描いています。表情がないどころか顔が書かれていません。まるで自閉という状態を暗示するようです。
<H>
自閉して無表情になって耐えようとするんですね。
<W>
しかしそのように感情をなくすだけでは、十分には、本当に恐ろしい恐怖には耐えられません。自分を分裂して(⑧)何とかやりくりして耐えようとします。明るい自分と、そうでない闇の自分です。そうすれば闇の自分は横に置いておいて、明るい自分として楽しく過ごすこともできるようになります。そのようにして何とか生きていきます。
<H>
そのようなものすごい恐怖は、置いて行かれた事件(⑤)というだけでは、説明できない。ほかの部分(③④⑤⑥)も併せてみると、母親への恐怖ということでしょう。
<W>
自分の生命のすべてを支えている母親自身が、実は、死の恐怖の出処でしょう。
<H>
全体としては示されますが、ずばりの絵を彼女は、描いていません。
<W>
わかりたくない、というのがトラブルの中心にある芯かもしれません。はじめの絵(①)の彼女自身の説明にもある子供に対する思いの揺らぎようなものが、母親に対する思いにもあるように感じられます。
<H>
わかりたくない揺らぎですか。
<<続く>>
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<<私わかった!1/3>>
<W>
今日は、パニック障害が治った女性の話です。その話から、人がどう治っていくか、事の全体を観られるといいと思います。
<H>
はい。
<W>彼女は、女のお子さんを持っていますが、自身のパニック障害から逃げるのが精いっぱいで、子育てに苦労しました。
<H>
パニック障害や子育ての問題は、いわば表面の話で、こういう問題は奥が深いですから。彼女の場合には、その奥に手が届きましたね。その人全体に大きな変化がありました。人間性の回復ですね。
<W>
その通りです。まずは、大きな、大きな山を越えましたね。本当によかったですね。
<H>
人生を取り戻したことでしょう。うれしそうな彼女を見ていて、心の中~のほうが明るくなった彼女を見ていて、こちらもうれしいです。
<W>
まったく。
少し戻します。
今回彼女の話をするのは、彼女の全体を見ていくためです。超えた山があまりに大きいので、全体が見えにくいということがあります。
<H>
彼女自身の性質にもそういうところが、まだ残っています。
<W>
他の人たちにとっても、全体として何が起きたのかということを眺めてみることは、とても役に立つことだと思います。
<H>
はい。本質的な部分は共通しますからね。たとえパニック障害や子育てとは関係ない人でも、問題の本質は同じですから。
<W>
さて、以下に掲げるように、今回は彼女が描いた絵を中心に話を進めます。
その絵のことです。私たちは、セッションの後で、カウンセリングのまとめを文章化して本人に渡し、「後日何度も読み返してください」とお願いすることをしています。しかし文章は時間をかけて読まなければならず、読んだ内容をまとめて全体を見渡すことができにくい。その点で絵は、一目で見て、感覚的に自分の全体をつかむことができます。そのため、何かの気づきのたびに絵を書いてもらうようにしています。
彼女の場合も絵を描いてもらいました。わかりやすい絵を並べてみました。彼女のセッションの進み具合を全体的に理解できると思われます。
<H>
では見ていきましょう。この絵(①)ですね。
<W>
そうです。右上に、小~さな子供が描かれています。真ん中は、本人自身です。
① <子育てができない>
彼女自身からの説明です。
「この(絵の中央の人体は自分で、その)二重の部分は、本当の自分に蓋をして抜け殻になっている感じです。抜け殻の私と、その私を見つめている娘の絵です。
(私は)娘が産まれてから「育てられない」と思った。でも、その奥では「育てたい、(健康に育って)私のようになって欲しくない」とも思っていた。まだ新生児の時は良かった。おっぱいをあげればまた寝てくれたから。でも、娘がお座りをするようになると、朝しっかりと目が覚め、おっぱいをあげても寝てくれなくなった。それでも私は体が動かないので娘を放置して寝ていた。そんな私を娘は私の側でジッと私を見つめて座っていた。オムツはおしっこでたっぷりになり、うんちもしているからビチャビチャで気持ち悪かっただろうに、娘は泣かずにジッと私の側で座って私を見つめていた。
この時の私は、後のセッションで、抜け殻の状態だった事が分かった。育てられないという娘に対する殺意を抜け殻の状態でいる事で私は(殺意を実行せずに)娘を守った。私の娘に対する愛情でもあったことは事実だ。でも、娘の事はどうでも良い、どうなっても良いという私の殺意があった事も事実だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
本当の私(絵の二重の部分の内側)がいるのに、しっかりと蓋をし隠し正面から私を見る事ができないので、被害者の抜け殻の所にいる絵であり、この頃が子育てで1番辛くて、ハッキリと覚えているけど思い出すのが辛い所の絵です。」
<H>
抜け殻でいることで子供を守ったんだと彼女は繰り返して主張していました。抜け殻でなければ殺意を実行したんですね。
<W>
「守った」ことを強調しないと危ないということです。
<H>
その意味では殺意に十分には向き合えてはいません。
<W>
この絵の子供の存在の小ささが印象的です。「子供」を守ったという意味の絵にしては、主役の子供が小さすぎます。
<H>
抜け殻になることで何かから耐えた、といことですね。主役は、隠された殺意、でいいでしょうか。
<W>
この後の絵で、感情を無くして耐えたり、分裂して耐えたりする絵が出てきます。抜け殻も、耐えるための守りの一つといえると思われます。
② <襲い来る何か(死)から必死に逃げる パニック発作>
彼女自身からの説明です。
「これは1番辛かった時期の絵です。死の恐怖から必死で逃げている絵です。突然と現れて必死に逃げても死の恐怖が迫ってくる。自傷する(彼女には自傷歴があります)ヒマを与えずにどんどん迫ってきて、死の恐怖に飲み込まれないように、絶対嫌だと無我夢中で必死で逃げて逃げまくった。
とても寂しくて、孤独で、死が目の前に(恐怖が)くるから1人で耐えて、死の恐怖を永遠とまた味わいたくない、耐えたくない、感じたくない、お願い、誰か助けて!!と必死でもがいた。私は死にたくない・・・怖い、絶対嫌だと必死で逃げているのがパニック発作、過呼吸の原因でした。」
<H>
彼女の問題は子育てがうまく行えないというのもありましたが、1番の問題はパニック発作が起きて苦しくてしょうがないという事がありましたね。その原因は、上の説明で彼女は「死の恐怖」と言っていますが、もちろん本人は最初はわからない。ただひたすら発作を起こして暴れたり泣いたりすることのようでした。
<W>
わからないこそのパニック発作ですね。
<H>
当時はもちろんそういう死との絡みで理解する事はとても出来ませんでした。得体の知れない恐怖です。得体が知らないので余計苦しくて恐ろしいということだと思います。恐怖を振り払おうとする彼女の強烈な怒りで、周りの人々も、大変でした。
<W>
わかりたくない、ということもありますね。それがトラブルの中心にある芯かもしれません。
<<続く>>
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「最後の壁」
(W)
最後の壁を突破する人たちが出てきました。
(H)
嬉しい限りです。もっと多くの人に伝えたいと思います。
(W)
アコールセミナーのアプローチは、母親に対する愛憎の統合を体験し、生と死の統合を体験することです。最終的に統合して弾けるような元気な自分を取り戻す人たちが出ています。その最終的な統合ができたときに、最後の壁が突破されたと、感じます。見ていて、人が変わります。内側から元気になります。
(H)
人は、生まれたての赤ちゃんは、もともと、こんなだったのだろうなと思えるような元気さです。本当は嫌っていた自分を、心からいとおしくなります。外側の変化としては、職場での大活躍や子供に対する愛情が溢れるように出てきます。子供が可愛くなると、子供にそのことが通じ、親子ともども、さらによくなります。自然にそうなってしまう。
(W)
はい。
(H)
もっとも大変な側面もあります。その人の心の大鍋(なべ)をひっくり返してドロドロした鍋底をすべて引き受けることにもなります。
(W)
いえいえ。それこそ、それでしょう。
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「母親の意識の中に自分がいない」
<W>
ベビーブレスで、自分の心の不調の原因となっていたものを受け入れると、自然治癒が働いて自分から健康になっていきます。
<H>
そのプロセスは驚くような劇的なものを含みます。そのプロセスを全力で支えるのが私たちの仕事です。
<W>
原因が何か、分かればいいのですが、心の奥では、分かりたくないのですから、分かりたくないという抵抗と戦うことになりますね。いきなり原因が分ったりは、しにくいですね。
<H>
そこのところは人それぞれです。
ですが、ベビーブレスという強力な手法がありますので、原因の断片は手に入りやすいです。断片をパズルのように合わせて、原因に近づきます。
<W>
そうして分かった原因として、かなりの人に共通して言えることがありますね。
<H>
あれですか。
<W>
あれです。
<H>
母親の意識の中に自分がいない。あるいは、いなかった。
<W>
はい。小さなころですね。
<H>
小さなころは感覚が鋭いですからね。本人が大きくなっても母親の意識はそれほど変わらないでしょうが、小さいころに大きな被害を受けます。
<W>
大人になってからは、被害つまり傷を受けていることは、はっきりしていません。少なくとも意識の上では・・。蓋をしていた、などといいますね。
<H>
ベビーブレスと分析を重ねて、そこのところが、心の不調の1番奥の原因だったとわかる日が来ます。
<W>
分かった途端に大きな変化がありますね。
<H>
ありますね。分かったことで、これが原因だったと本人が一番感じる。身の回りに大きな変化が起きる。根本的な変化です。今までにないような心の霧が晴れたような感じを受ける。
<W>
そのまま、分かったことを維持できればいいですが、・・・。
<H>
分かっても、数時間後に忘れたり、数日経ったら忘れたり、することがあります。揺り戻しです。
<W>
身体は大人でも、その部分の心は小さいころのままですからねえ。
<H>
そうなんです。
母親の意識の中に自分がいないことは、小さな子供にとっては、死を意味します。分かることは死が待っている。現実的な死ではないですが、小さな子供が感じる恐怖の死です。心の中には、いまだに小さい頃の死の恐怖が癒(いや)されないまま刻み込まれていたのです。命の源であるはずの母親を失い、死の恐怖にさらされる苦痛に耐えられない。耐えられないからこそ、いろいろな不調が起きていた。
<W>
そうですね。
愛されて育つべき小さな子供が、愛されないどころか、母親からの死に、さらされるのですから。究極の死です。
しかし、やがて小さなころの現実を受け入れていきます。
<H>
その受け入れこそが、成長と呼べるもののような気がします。小さなころに果たせなかった成長です。なかなか難しいです。
<W>
そこで役立つのが、「健康な自分」ですね。自立して生きようとする健康な自分です。生です。もし健康な母親から愛されたらどうだったか、と・・。
<H>
はい。
自分の子供が意識の中にないという母親は、やはり、母親自身が心に傷を持っているわけです。母親も心に傷を持っていたことは、自分(子供)も、ベビーブレスと分析を通して、分かってくるのですが、それでも難しさは同じですね。死の恐怖はなかなか受け入れられない。
そこで、母親が健康であったらどうだったかということを想起してもらいます。仮に健康な母親から自分が愛されたらどうだったか、どんな感じがするかと・・・。
<W>
そこには喜んで愛情を受け入れる健康な自分がいるわけですね。それまで求めても無駄と諦めていたのに、強烈に愛情を求める健康な自分がいる・・・。生きようとする健康なエネルギーを自分の中に感じることになるのですね。
<H>
時として爆発するようなエネルギーを自分の中に感じることになります。その健康な自分は、母親には関係なしに、いるわけです。母親が愛情をくれまいと、傷持ちであろうと、いるわけです。自立している。
<W>
そうそう。それまでは現実には、子供を愛せない、傷持ちの母親が目の前にいるわけですから。愛情を求めるなんて、ムダ、無理、あり得ない・・・。そんな状況が、長い間ず——と続いていたわけです。母親にやられて、健康な自分でありえなかったのです。病んだ母親から自立できなかった。
<H>
健康な自分が、健康な母親から愛されたらどうだったか、というような時の感情は、生きようとする肯定的な感情です。
<W>
その生のエネルギーを強く体験できるのも、それまで、自分の死に向かい合ってきた積み重ねがあり、母親の傷を観てきた積み重ねがあるからですね。
<H>
そうなんです。その積み重ねがなければ、想起しろと言っても、空振りです。
そして、この生きることを肯定するエネルギーが、死を受け入れるエネルギーにつながります。一見して正反対の二つのエネルギーが、交互に、互いを深めていく。
<W>
それまで、耐えられずに、嫌いに嫌っていた死を、受け入れる。そうして死を受け入れると、更に深く、生を受け入れる。生と死の統合とでもいうべきものが起きるのです。生きるのもOK、死ぬのもOK。
<H>
理屈でいうと難しいですが、実際に、そのところを、自分のオリジナルの体験として体験し回復していくことになりますね。
ここのところの生死の統合は分かりにくいと思いますので、また、やりたいです。
<W>
そうですね。
*******************
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<W>
長い間、ブログをお休みしていました。ホームページもアクセスできない期間がありました。
<H>
サーバーの引越しだったんですね。
<W>
そうなんです。自力でやれる部分を増やそうとして、一応、自主管理ということでやろうとしたんですが、難渋しました。
<H>
今は、トラブっていることはないのでしょうか。
<W>
はい、おかげさまで。
<H>
ブログも頑張ってくださいね。待っている人も多いと思います。
さて、今日は、「自分の辛さが分かる」ということを話したいと思います。例えば、自分自身の生き辛さ、人とのトラブルなどの、辛さ。
<W>
いつも、内輪で話題になることですね。
<H>
そうです。話題になる理由は、そこに二つの方向があるからですね。一つは、辛さから逃げてしまう。責めることはできません。もう一つは、辛さが分かるということは、ある理解がそこにある。逃げない。
<W>
快、不快で、苦痛から逃げるのは、当然と言えば当然ですからね。でも、逃げてしまうと、セッションの進みが悪くなってしまう、という愚痴も出てしまうのですね。
<H>
はい、愚痴が出ます。
<W>
本気で逃げる時は、本人は、逃げたという意識は無いですね。
<H>
重症なほど、無いですね。「こんな辛いこと、いやだ~、逃げてやる」というのは意識がありますから、重症ではありません。重症なときは、意識がなく、ケロリとしています。自分が逃げたことを知りません。
<W>
戻すのが大変ですね。「・・・逃げてやる」は、逃げることが話題になっていますから、楽ですよね。ケロリは、そもそも逃げたことをどうやって話題にするのか、から工夫しないといけませんね。
<H>
そうです。
<W>
そもそも、人は、辛い状況にあっても、これが普通と思うかもしれない。セッションを受けて、回復したときに、こんなこと!(回復した状況への感慨)が起きるのかという感想を持つ。それからすると、あの状況は普通じゃなかった。すごく辛かった。それで初めて分かる。それまでは、本当の意味では、けっして、分からない。
<H>
そう。
<W>
回復が起きないうちには分からない。
<H>
う・・・ん。いえ。
辛いということは、実は、分かっている。ぼんやりさせているかもしれないけれど、分かっている。分かっているからこそ、辛い。辛さの奥には辛さを感じる健康さがある。
<W>
辛さを感じる健康さこそが、治療の始めに、治療を進める原動力になる、ということですね。
<H>
はい。治療が進み、辛さの原因を見抜いたときに、自分は健康であったことが強く分かる。自分は始めからこうだった。健康だった。ちょっと病んでただけだ。
<W>
治療のためには、その辛さこそが、救い。そこが今日の話ですね。
<H>
辛さの手前で、辛さを否定すれば・・、辛さなんてない、これが普通、人並みと、いうことにすれば、自分への嘘つきにならざるを得ない。嘘つきの人生。分かることは健康。辛いと分かることは健康。
*******************
お試しの「無料カウンセリング・無料10分ブレス」もあります
<H>
今日はNさんの話を聞きたいと思う。大きな山を越えたように感じる。
Nさんは仕事では頑張れる人だ。成果もあげる。しかし、子育てや人間関係でトラブっていた。大事な場面ではシャッターを下ろして殻を閉じてしまう。シャッターの向こうから、ついついトゲトゲを出して攻撃的になってしまう。それで自分自身が困っていた。
<N>
はい。
<W>
大きな山を越え始めるきっかけが「大好き」と言う言葉だった。
<N>
そう。
私には、絶対に言ってはいけない言葉があった。 「大好き」と言う言葉だ。この言葉を自分の奥底に埋 め込んだ。その言葉とともに湧き出てくる自分の感情に、鍵をかけて、無いことにして、ずっと無視をしていた。
<H>
そう言えば、他人への「無視」もあなたのトゲトゲの主要な一部だった。
<W>
自分の感情への無視だけではなくて・・・。
<N>
「大好き」と反対に、「嫌い」や「イヤだ」などの否定的な言葉は言いやすかった。すぐに自分の感情と一緒になった。ずっとそちら側にいた。 反対側に。
<H>
なぜか。
<N>
甘えである「大好き」と言う感情を出してしまったら、 母親にうとましく思われ無視をされてほっとかれて 1人になってしまうからだ。1人になったら寂しくって生きていられない。
<W>
否定的な言葉はなじみやすかった・・?。「1人」を否定して頑張る。
<N>
私は生きるために、頑張らなければいけなかった。 私の頑張りは、ブレス(ベビーブレス以下同じ)の中で、這(は)ってでも前へ進むという匍匐(ほふく)前進と言うイメージで現れた。そのイメージの通り、とにかく頑張る、自分の居場所を作るために頑張る、自分 の存在を周りに認めさせるためにとにかく頑張る! そして頑張る。それでは足りず、1人で匍匐前進するだけでは足りず、誰かを背負てでも頑張る!そんなかんじだった。
<H>
他人にも?
<N>
甘えを出している人がいれば「甘ったれてんなよ」とイライラする。甘えたいのはこっちだよ!と怒る。
<W>
それだけ頑張っても満足できるというのではない?
<N>
そんなに頑張って匍匐前進していてもやりきっ た感じがしない。満足しない。足りない。で、逆にやればやるほど寂しくなってきていた。自分の存在を消 したくなる事も多々あった。
<H>
少しづつ種明かしができてきた頃だよね。なぜ、そんなに頑張らなければならないのか。
<N>
私はいらない子だった。母親の意識は子供(私)にはなかっ た。生まれる時も母親の意識は私にはなかった。私は、(ブレスの時のイメージとしては)お腹の中にいるときから必死にへその緒を握りしめ流れないようにしていた。頑張っていた。 まだ、出たくないのに出されてしまった。帝王切開だった。母親も麻酔をかけていて本当に意識がなかった。生まれたときに母から注がれる意識を私は、もらっていない。
<W>
意識がないというのが一番つらい。
<N>
そして私が 1 歳 9 ヵ月の時に弟が産まれた。母親の世話の意識は弟にいってしまった。 私が駄々をこねたり、甘えたりすると母親がもっと大変になってもっと見てもらえなくなる、無視をされるのが嫌で、なにも言わず、待っていた。
<H>
「無視」は母親からもらっているかも。一番つらいのが無視。
<N>
弟の世話を手伝い良い子にしていた。今でも母親は、「あんたは手のかからない子だった」といっている。 私は甘えたい気持ちをおしこめた。頑張ることで「いていいよ」と思ってもらえるようにした。もしも私が男だったら、もっと見てもらえる のではないかと思っていた。兄弟の方に母の意識がいっていたから。だから男ぽくふるまっていた。本当の男には、まけたくなかった。 何かに熱中するこで自分の居場所を確保したかった。
<W>
男のように頑張ってみとめてもらいたかった。
<N>
大人になり仕事を始めたら、そんな気持ちがもっと出てきた。とにかくがむしゃらに仕事をした。頑張った。甘えたい気持ちは無視をしたまま。 後輩ができると、その子達と上手くいかず、みんなやめ ていってしまった。続けられないのはその子の問題で、 自分とは関係ない、「なんでもっと頑張れないんだろう?」と思っていた。そうだから、人との関係が上手くいかなくなり悩み始めた。自分の気持ちを表現するのが難しかった。
<W>
そもそも自分の重要な気持ちの大好き、甘えを表現してはいけない。
<N>
その時の自分のイメージは「ミノムシ」だった。殻の 中に閉じこもり怖くって殻から出られない。外側は、 肩肘はって頑張っている。 この頃のブレスは、ずっと「寂しい、怖い」といいながら 泣いていた。どんどん泣いて、叫べるようになっていった。 ミノムシの中の気持ちを出せるようになってきた。 泣いて、寂しい怖いを続けていたら、自分の寂しさが少しずつわかってきてミノムシの殻を出てみよう。と思って殻を破った。殻の中では自由になってきたけど、まだ内側と外側の境界があった。
<H>
自分はミノムシだと分かったのが大きかった。
<N>
そのミノムシや境界は、シャッターとも言っていた。何かがあると、自分では怖くってシャッターを、ガラガラガラーとおろす。おろしているんだけれども、シャッターの外側にはトゲがあり、そのトゲで人をやっつけていた。
<H>
トゲが出ていることが分かったのも大きかった。
<N>
トゲで攻撃していた。当時は、攻撃をしているとは思っていなかった。でも、トゲは殺意だった。かなりの殺傷能力があるトゲだ。 当時は、攻撃されないように守っていると思っていた。攻撃を 受けそうになると頭が真っ白になっていた。何も浮かばない思考停止、フリーズしてしまう。これ以上内側に攻めこまれないようにシャッターをおろす。外側から何を言われてもシャッターは開かない。外側から見たら、トゲがあり、触れられない状態。シャッターを下ろしているときは、周りを無視する。強い強い無視 だ。「大好き」という甘えの感情を出させてないようにするために外側への強い攻撃をすることで自分の問題に入れない様にした。
<W>
「大好き」という甘えの感情が自分の中に存在することを、知られることの方が、辛い・・・。
<H>
だからトゲは、本当は好きな人にとりわけ鋭い!
<N>
私は、これだけ頑張っているのに認めてもらえずに寂しかった。寂しい自分をわかって欲しかった。認めて 欲しかった。自分の寂しさがわかってくれそうで認めてくれそうな人(上司)に依存した。甘えを出すのなら、まだ、かわいいが、私の場合、陰性転移の方が多かった。 攻撃した。自分だけ見ていて欲しかった。一番になりたかった。意識が向いているときは良いけど、向いていないときは、強い反発で無視をした。攻撃をした。「どこまでやれば、追い出されるのか?」とかけひきをしているかんじだった。強い強い無視を続けた。その強い無視は、上司だけでなく、上司の大切な人もやっつけた。職場から追い出した。そして自分の居場所を確保した。憎悪、嫉妬をすべてぶつけていた。
<W>
でも満足はしない。本命は・・。
<N>
外側に出しまくっていたけれども、本当にわかってほ しいのは母親だ。上司に、周りに出させてもらっていたから、本命の母親に向かえるようにもなった。母親を求めた。「こっち見て!」「私は、ここにいる」と求めても求めても(母が)「いない」のはもう知っている。だから、いつもここで諦める。求めても来ないなら、求めることをやめちゃおう、としてきた。実際の母を見たら(見込みがないので)、余計にあきらめる。「もうー、言わない。」求めない。というように 自分の気持ちを無視する。
<H>
「あきらめ」ていることに気が付いた・・。
<N>
そう。でも本当はメイプルシロップのようにベッタリと一 緒にいたい。一秒たりとも離れないようにベッタリと して離れたくない。洗い流してもまだ、ついているようなべったりとし感じ。ずっとずっと言いたかった。ずっとずっと思っていた。
<H>
その本音に気が付いたのが気持ちよさそうだったねえ。
<N>
私は、二度初期の流産をしている。ほしいと思いながら、本当の本当は、「欲しくなかった。」 妊娠がわかったのにお腹に力を入れたりした。実際は、殺したんだ。上の子で手一杯だった。
<W><H>
・・・・・・・。
<N>
理想の母親になりたかったんだ。やっぱり、ここでも凄く頑張っていた。 常に子供に意識を向けて子供の意見を尊重させて… そんな母親になりたかった。でもできなかった。 頑張って良い母親になろうとしていた。その頑張りで 子供の湿疹がひどかった。湿疹なんて無いことにしたかった。湿疹を見ると自分の頑張りが足りないのではないかと感じていた。周りからも、そういう目で見られているんじゃないかと感じていた。どんどん自信がなくなった。不安で薬をぬっていた。全然良くならなかった。
<W>
がんばってする子育ては無理があった・・・。
<N>
もともと、頑張る事事態は嫌いじゃな い。でも、人を背負って匍匐前進するほどの頑張りは、やりたくなかった。
<H>
「メイプルシロップ」や「やりたくなかった」の頃に転機がきた・・・。
<N>
分かってはいても、なかなか甘えや弱さが出せないでいた。あるグループカウンセリングのときに「もしも匍匐前進をしなかったら…」と言う問いを出された。応え切れないまま、後日、その事を瞑想していたら、何もできない頑張れない赤ちゃんの自分が布団の上にいた。いつもなら何も考えず自動スターターのように匍匐前進しているのに、できない。布団の上でじっと待っている。死ぬ事も出来ず動く(生きる)事も出来ずにいた。母も誰も助けに来ない。大泣きしたときに「大好き~」と言う言葉がでた。泣きじゃくって大好きをずっとずっと唱えていた。
<W>
大きな山・・。
<N>
その後、山中湖でも「大好き~」と言う寸劇をした。無意識の反撃があり、ゆり戻しで怪我、事故をおこした。どんなに「大好き」 を封印していたのか、鍵をかけて押し込んでいたのかが良くわかった。「大好き」と言うエネルギーを出せるようになって、言葉でも、行動でも自分が変わってきているのが分かった。
<W><H>
うんうん
<N>
ところが、それなのに、実際の母のまえに行くと、自分が閉じるのがわかる。
<W><H>
いよいよ本丸だ。
<N>
その後のブレスで、「大好き」と「怒り(殺意)」を同時に出せる様になった。それから「大好き」は自分のもの、と思えた。「思っていて良いんだ!」「私のものだ」と自信になっていった。
<W>
それまで「怒り(殺意)」は出しやすかった・・。
<H>
そう。「大好き」が後から追いかけてきた。
<N>
「大好き」と「怒り(殺意)」は別々のものだと思っていた。だけど、大好きが OK になればなるほど、セットで怒り、殺意が出てくる感じがある。両方あっていいんだと、思えるようになった。一緒じゃん。元々のエネルギーは。
それでも、それまでのクセが出る。頑張る方に引っ張られる。行ってしまう。甘えが薄れてくる。怒りや、殺意の方がおおくなる。でも、戻れる様になってきている。行き来自由になり たい。
<H>
愛憎の統合・・・。
<N>
「大好き」「殺意怒り」が足りていないと思っていたが、ブレスで父親、母親一人ずつちゃんと殺せた。そして両親一緒にギューッと抱き締めた。両親と私が川の字で寝ていた。小さい頃、兄弟がいたので両親を一人締めしたことはなかった。できた。嬉しかった。自分のものになった感じがした。
<W><H>
うんうん
<N>
子供とも一つになりたかった。
ブレスで子供を殺した。子供は私の殺意を知っていた。なかなかトドメをさせない私に子供は「バイバイ」と笑顔で言った。そして食べて自分のものにしたくなった。一口頭から食べた。飲み込む瞬間や食道を通る感覚がハッキリとわかる。ゆっくり、ゆっくり全身を食べていった。全身食べ終わる頃には私の身体中から黄色いエネルギーが出ていた。私の末端の指先足先まで届いた感じがした。満たされている。
<W><H>
うんうん
<N>
私は、「大好き」がほしかった。一体感が欲しかった。愛情が欲しかった。そして殺意がある。 大好きも殺意も同じエネルギーだ!
<W><H>
うんうん
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お試しの「無料カウンセリング」もあります
<W>
今日はYさんのインタビューをしたいと思います。
<H>
Yさんは大きな壁を突破して、絶好調の毎日を過ごしています。
<Y>
(笑)
<H>
ご自分でも、今まで経験した自分史のまとめを書き始めているということです。しかし、絶好調のせいで、新しい仕事も始めたということもあり、日常もいろいろ忙しいようで、自分史の完成は時間がかかるかもしれません。とりあえず、皆さんにご報告したいので、今日、インタビューさせていただきます。
<Y>
毎日が気力に満ちて充実していて、夜はコテッと寝てしまうんです。
<W>
(笑)
<H>
ベビーブレスを始めた頃のあなたは、全くやる気がなかったですね。
<Y>
最初のベビーブレスは、高校生の頃です。そのころ、朝起きる事が出来ず学校も遅刻するようになり、夜になったらバイトに行く…また朝が起きられないの繰り返しの私にうんざりしてました。母親に勧められて、嫌々ベビーブレスをしました。「やりゃ良いんでしょ、あなたが満足するんでしょ」とやった。呼吸もせずにただ寝ていたんです。
<W>
始めたきっかけは子育てがうまくいかないということでしたね。
<Y>
子育てでオッパイが出すぎたということもあり、オッパイを上手く吸ってくれない娘のせい‼︎とイライラして、4階から子供を放り投げるイメージが出ていました。それを思いとどまったのは私の愛情だ、と自分に言っていました。子供の大事な成長期にネグレクトが続いたことも、思いとどまった愛情の結果だったんです。
<H>
ベビーブレスなどのセッションを続けて「絶対嫌」というのが手がかりでした。重要なところで口癖のように「絶対嫌」と言っていました。何が絶対嫌なのかはっきりしないところがありましたね。
<Y>
心の傷の奥底を「絶対嫌」と言っていた。今思えば絶望だった。心の谷底へ通じる淵。とてつもなく怖かった。愛情や殺意がバラバラに存在していた。そのことが話題になっても、せっかくバラバラにしたのに何故一つにしないとダメなのと、いう感じで、ピンとこなかった。
<W>
なるほど。
<Y>
バラバラになっていることこそが、自分の存在意義の感じなんです。うまくは言えないけれど・・。いろいろの心痛やトラブルを、バラバラになったそれぞれのせいにできる。ある心痛は愛情のせい。あるトラブルは殺意のせい。傷の奥底に絶望があってバラバラにした。愛情や殺意は、本当は自分の中にあって、自分という一つのものなのだけれども、バラバラにしておくことで、全部周りのせいにできる。この私の愛情があってそうなったの!私は悪くない。私に向けられた(母からの)殺意に対して、殺意でやり返して生き抜くことが私のすべてだった。怒りでやり返すことが自分の存在意義だったんです。
<H>
激しい怒り(殺意)がありました。絶望を怒りで追い払うというか・・・。
<Y>
ところが、絶望を手に入れたら怖くない。絶望を手に入れたとき「私、解った!」と叫んだ。何度も叫んだ。その感覚を説明するのは難しい。これこそが本当の私の存在。生きていても存在がある。死んで体が無くなっても私の存在がある。
<W>
バラバラのものが一つになることが、谷底淵の絶望だったんですね。
<H>
Yさんの描いた絵はそう言っているようにみえますが・・。
<Y>
そこのところは未だによく言葉にできないんです。「解った!」という感覚ははっきりしていますが、感覚のままなんです。
<H>
「解っ」てみると、生きることも死ぬことも私だ、という感覚なんですね。
<W>
言葉による説明を越えていますね。絶望が嫌だったのでバラバラにした。絶望を手に入れたから怖くない。そういうことになりますね。
<H>
今のYさんは以前にくらべ堂々とした美人で別人のようという人もいます。美人の度合いがますますパワフルになって、そばにいると、こちらも元気になります。
ご自分で意識するのは難しいかもしれませんが、どう変わったか、教えてください。
<Y>
私は、死や病気に対して人並み以上の恐怖があったんですが、最近の乳がんの検診でビクビクしない自分がいました。それまででは、あり得ない感じです。今までだったらパニックになっていました。持病の足爪の治療も怖くなくてできた。
仕事も新しく二倍にしました。やりたいんです。新しい仕事の指導を受ける時も「緊張していないね」と言われました。古い仕事の仕事場でも、自分は楽になっている、と感じています。そのせいか、同僚に「やっと心が開いたのね」と言われてしまいました。
<W>
子供さんへの気持ちはどうですか。
<Y>
子供を憎たらしいと感じるのは消えてきました。でも全て消えたというのではなく、突発的に子供へ怒りを感じることもあります。そのときも「私の殺意だ」と分かる。認識できるので楽です。今までと違います。そのため自分にも子供にも隠さなくて良い状況になっています。今までは子供への殺意を隠していたので後悔したり、子供の事を思うと切なくなり、辛かったです。
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宗教との対比
「H」
私達のベビーブレスでは、フォーカスする部分が、主に母子関係が中心になりますね。それも愛憎のアンビバレントに重点がいきます。
「W」
そのことについて・・。
母親へのアンビバレントに特化されると、何か定められた方針があって、それに沿って活動しているようで・・、予め定められていることに対して批判も生まれるかもしれません。
「H」
型に嵌めると・・?。しかし、これは何か方針というよりも、長い間にベビーブレスで人の心の奥を探っていった結果です。何十年も探ってきた結果です。その自然な事実として、トラブルの中心にはそのような部分が存在しており、その中でも重点はここという、当然の流れであったということですからね。
「W」
それに、人のこころへ精神分析的な探求をすることとも関係します。
「H」
関係しますね。ベビーブレスを利用して、自分で自分の心を科学し、自己分析して、一体どうなっているか、と。どうなっているかを自分で理解し納得できれば、洞察が起きてトラブルが自然と改善する。これ以上に根本的なセラピーはないのでは・・・。
「W」
その通りですが、批判としては他にも、大恩のある母親への憎悪を正面から扱うことなどです。「母を憎悪するとはけしからん!」と。
「H」
批判は避けたいので、あらかじめ話しておきたいということですね。
「W」
そうです。
宗教などとの違い、どうあるべきかではない。どうなっているか、ということです。「どうあるべきか」は人間性の抑圧につながり、「どうなっているか」は人間性の理解、解放につながります。
「H」
まったく。
「W」
例えばいろいろの宗教は「親に感謝しろ」という。
「H」
宗教にはいろいろな戒律があります。それは、たくさんの戒律がないとそもそも歯止めがきかないのだろうなと思ってしまう。必要でなければ存在しない戒律です。
「W」
そうです。人々を抑え込みにかかります。戒律がないと、まるで宗教が成立しないかのようです。
それらの宗教は残れたものだけが残っている。優れていてもつぶれていったものも山ほどあると思います。生き残れた事情として、人々に支持されたということもあるのだろうけれども、それよりも、治世する側としての国に認められたということがある。国が認めるということは倫理や道徳、治世しやすさと折り合いをつけた宗教だけが残っているということです。裸の宗教はつぶれてきたはず。原始仏教や原始キリスト教は、国との整合性がないので、今は生き残っていない。ブッダやキリストは生きていれば殺されます。
「H」
生き残っている宗教は人々や国に支持されたということですが、表面的にはそうでも、本当に支持されたのでしょうか。生き残った宗教が本当に人々に役に立つのならば、今の世の中の心のトラブルは、いったいなぜ起きているのでしょうか。恐ろしいようなトラブルが山ほど続発しています。
「W」
そのことを言いたかったのです。
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「W」
断捨離ブームが起きて久しいですが、変化が起きていますね。ネットを見ると断捨離の賛成派と反対派がいっぱい出てきました。
「H」
始めにゴミ屋敷や片付けられない人々がいて、それから、断捨離ブームが起き、物を捨ててすっきりすることに共感する人が大勢出て、ブームが盛り上がりました。
「W」
それが行き過ぎたのか、断捨離依存症とか過度のミニマリズムなどと、反対の意見が言われるようになって来ています。
「H」
そうなんですね。
「W」
賛成派の主な主張は、「もったいない」という気持ちは執着心の表れで、断捨離することですっきり整理整頓ができ、決断力もつくようになる、などということでいいと思います。
反対派の主な主張は、過剰な断捨離やミニマリズムの根底には「怒り」や「不満・不安」があり、それらを、物を捨て去るという形で解消しようとする。捨てる快感にのめり込み、必要なものを捨ててしまうなどの不都合も起きてしまう、などということでいいと思います。
「H」
あなたは、どちら派ですか?。
「W」
溜め込み派です。私の家はリフォームしてまだ1年ちょっとなので、見た目は超すっきりしていますが、実は捨てられない私物が、人目に付かないところに溜め込まれています。あなたは?
「H」
断捨離あこがれ派です。捨てられてすっきりしたらいいなあと思うのですが、なかなかそうはいきません。
「W」
興味があるのは、ブームを起こした心理ですね。
何に対しての「執着」なのか?何を「整理」できないのか?何が「決断」できないのか?何に「怒り不満不安」があるのか?
「H」
そうですね。「物」は表面的なことですからね。
「W」
同じことが精神病理学の世界でも、はっきりしない。
[H]
どういうことですか?
「W」
精神病理学では、不安や恐怖という言葉が、重要な場面では必ず出てくるけれども、「何に」「何が」不安なのか恐怖なのかは、語られない。断捨離の世界と同じように、語られない。
「H」
ベビーブレスでははっきりするのですけれど・・・。
「W」
宇宙物理では、宇宙の誕生さえ解明されている状況なのに、精神病理学の世界、人間心理の世界は寂しい限りです。
「H」
ベビーブレスやカウンセリングでは、無意識を何とか意識化し洞察が起き言語化することで、改善が起きます。それが目的です。断捨離では意識化はなされていなくても、「捨てる」という行動化で、すっきりするのだと思います。
「W」
すっきりですね。快感が得られるのですから。
「H」
すっきりです。
「W」
しかし、意識化がついてこなくては、ただの行動化と同じになってしまいます。
「H」
先ほどの「何に」「何が」の部分は、分からないままですね。
「W」
そう。憎悪や暴力も快感はあるわけですから。
「H」
でも、憎悪や暴力にくらべれば、物を捨てるのは、穏やかで平和主義的ですね。
「W」
くらべれば、ね。
それも、必要なものを捨ててしまうところへ行けば、限りなく近づいてしまうでしょう。
「H」
だから、あこがれ派にとどまってしまうのかもね。
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「W」
今日は少し愚痴らせてもらいましょう。
「H」
賛成。たまには愚痴くらい言わせてもらわないと、やってけない。
「W」
セッションがうまくいって、その人が弾けたりすると、こちらまで元気になります。反対に・・・。
「H」
せっかくいいところまで行って、結局、後退してしまうようなことがあると、がっかりしてしまいますね。
「W」
ほんとにガックリきます。まるで自分の子供に裏切られたような・・・。セッションも交互の気持ちの流れがありますから。こちらの気持ちも大きく影響を受ける。
「H」
こちらも誠心誠意ですからね。人間ですからね。落ち込みますね。
「W」
つくづく思います。自分の心の傷を見るのは難しい。すぐに防衛が働いてしまう。知らないうちに、その傷を見ずに何とか生きていく道を探してしまう。
「H」
でもそれでは解決や癒しはやってこない。今までと変わらない。
「W」
そうですねえ・・・。全く。
「H」
リードする方としてはついついじれったくなってしまう。
「W」
しかし、当事者の立場になってみれば、もっともなことであり、丁寧に扱いわなければならない。
「H」
重々わかってます。
「W」
止まって立ち止まって待っているということが大切。そこから退かず、無理して進まず、でも目をそらさずに待っている。
「H」
分かりきるほどわかっています。
「W」
本当に傷を見る直前になると、ついつい、いつもの癖が出てしまう。口実を作って逃げてしまう。強がってしまう。いつもの防衛が出てしまう。馴染みのあるその人の防衛。そうではなく、ある意味弱くなってしまわなければならない。負けてしまわっなければならない。そのことがとても難しい。語弊がある。説明しにくいです。
「H」
私も説明はできません。言葉は出ませんが、じれったい気持ちが多分、顔に出ると思います。
「W」
私だって、ただただガッカリします。
「H」
そのことに関して、例えば初心者から「弱くなって傷を見るとどうしていいのか。」というような質問を受けることがあります。
「W」
本当のこと(傷)を受け入れると本当の強さが出てくる。本当のエネルギーが出てくる。湧いてくる。嘘をついていたのではそうはならない。やってみないとわからない。
弱くなるには勇気がいる。大きな勇気がいる。強くなることに勇気がいるわけではない。全く逆です。
「H」
私も「やれば分かる」といいます。
「W」
後退するときに使われる防衛は人それぞれですね。
「H」
仕事に逃げる。
「W」
これは良くありますね。
「H」
人への怒りを出す。
「W」
エネルギーは気持ちいいですから。
「H」
ニコニコしていい人をやる。
「W」
反対のもので覆うわけですね。
「H」
頭が真っ白という人も結構います。
「W」
正直ですね。
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理想の健康な母親だったら
「W」
ベビーブレスで深くまで入り、隠されていたいろいろな感情が出てくると、心のトラブルの底には、母親からの見捨てられ感があるように思われます。
「H」
そうですね。経験的には疑いようもないです。ベビーブレスをしても始めはなかなか感情が出ない人もいますが、そのうち自分を解放し感情が出てくると、今のところ例外はないですね。
「W」
心のトラブルは脳の傷だから母親は関係ないと言われたりしますが、ストレスやトラウマが脳の傷をつくることは常識になってきています。原因と結果が逆ですね。
「H」
脳の傷だからと言ってカウンセリングなども行わず投薬して人間性を殺し死を待つようなことが医療として行われているのを見たりすると、悔しくなることがあります。
「W」
ほんとうに。少しずれましたので、話を前に進めましょう。
「H」
はい
「W」
母親からの見捨てられ感に対しては、母親への怒りと母親を求める気持ちと、アンビバレントな感情が生じます。
「H」
本人が自覚する気持ちは一方だけということが多いです。簡単にいうと「クソババー」か「ママー」か。
「W」
はい。
個人差がありますが一般的には、怒りは出しやすいですが、求める気持ちは閉じ込める傾向にあります。現実の具体的な母親を見るとエネルギーを閉じ込めるしかない。
「H」
小さい頃に、いくら求めても、そのたびにひどい目にあってきて、もう閉じるしかない・・・という個人史があるのだと思います。「あの母親にはいくら言ってもムダ・・・」ということですね。
「W」
一方の気持ちを閉じる、つまりアンビバレントの愛憎のエネルギーの一方を閉じるので、不具合が起きます。それでも間に合わないと、分裂、解離、・・・・。
「H」
閉じてない方の気持ちであっても、深く底を突くまでやれば、もう一方の気持ちにも自然にたどり着くのだけれでも・・。自力で・・。
「W」
問題は人によっては時間がかかってしまうという点です。月に一度程度のペースでは、揺り戻しも含めると、遅々としてしまうことがあります。
「H」
それこそ個人差ですね。
「W」
「理想の母親」をやるのは、現実の具体的な母親から少し離れて、自分自身のエネルギー、求めるエネルギー自体に焦点を当ててもらうためです。
「H」
そこがなかなか難しい人もいます。「あの母親に・・・今さら・・」ということです。
「W」
そこで、良くたとえ話をします。カルガモの「刷り込み」の話です。生まれたての鳥(カルガモ)のひなは、目の前で動く相手を母親と信じ込みます。動物学的には、そうすることで、無力なひなが肉食獣から身を守る確率が高くなるということでしょう。動くものが、ただの風船でも、無我夢中で(まるでそのように見えます)追いかけます。しかし、もしカルガモに心があれば、相手がどんなにカラッポでも頼りなくても、切ないほど母親を求めているに違いありません。
「H」
人も、いわば同じに違いないということですね。
「W」
そう。人が乳幼児期に自分で生きていけない無力さは、カルガモにも負けません。同じような刷り込みがあっても不思議ではありません。どんな母親であっても、その母親を通して理想の母親を見て、命がけで求めて構わないのです。母親も自分の傷を持っていて自分の子供(あなた)の気持ちに応じることができなかったのでしょう。仮に、彼女がそのような傷を持っておらず、理想の健康な母親であったら・・・どうでしょう。恥じて自分を抑える必要はありません。ベビーブレスの中で、求めることができたときに、自分自身のエネルギーの強さに驚くでしょう。閉じ込めていたエネルギーの解放を感じるでしょう。
「H」
何人もの人が、そのエネルギーの解放をできています。そのエネルギーの強さには驚きますし、愛憎のエネルギーの両方が強化されます。その人のエネルギー自体が強まる印象です。そして、求めるエネルギーは肯定的なエネルギーですから、家庭や社会の活動にもいい影響が直接にあるようです。
「W」
はい。
「H」
「理想の母親」というと、たとえば南米でのキリスト教に見られる聖母マリア様信仰を思い出します。
「W」
確かに似ています。だから聖母マリア様信仰は広まっているのでしょう。しかし根本的に異なります。そのことは次回のブログにします。
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<<(680)の続き>>
<殺してくれた方が良かった><殺すより残虐>
傷に触っていたら「死んじゃいそう」と思った。初めての感じを受けた。死んでしまうかもしれないお父さんの心の傷と自分の傷も一緒だと泣いた。色んな事に触れて、怒り、悲しみの奥に狂気があって、狂気の中で怒りや悲しみになって、四方八方に引き裂かれる感じ。お母さんに「殺してくれた方が良かった」と言った。「存在を潰して半殺しにするのは、殺すより残虐だ」と言ったら「そうかもね」と母は言っていた。
存在を潰したい気持ちがあるからか職場の人を「辞めさせたんだね」と言われて思った。
狂気と自分の虐待の悲しみとか一緒になった。傷そのものが自分の中から出せている。
<両手を広げてにっこり>
そのセッションの次の日は関東でも雪が降った。早番の帰り道、駐車場を歩いていたら、向かいの家のおやじさんが車に積もった雪かきをしており、「そこはすべらないか」と不意に声を掛けられた。「はい、滑らないです」と答えた次の瞬間、私は思わず、空へ両手を広げてにっこりと笑って「もうこれ以上雪がふらないといいですね」と本当に自然に気づいたら言っていた。それは、自分が好かれるための人へのサービスではない、本当の私の心から出た、本当の気持ちの、本当の言葉だった。そのはじめての感じに自分で驚いた。
<“もうピエロにならなくていいんだよ”セッションで自立した母の後に続きたい><なぜかうれしい感じがして>
人が嫌いだ、という自分を取り繕うため、人の望むことを予想し、いいことを言っているが、内心は反発心グツグツで胸が苦しかった。いいことを言っているけど心がついてこない嘘だから疲れる。うそのシナリオを自分で書いて、読み上げていた人生だ。だから人といるのが嫌になるのだ。そんな自分だった。
そのことを思いながら坂道を降りる時も、なぜかうれしい感じがしていたら不意に、セッション中に「もうピエロにならなくていいんだよ」と声がした、という母の話を思い出した。自分の本当の気持ちを、表現していいんだよ。さっきのやり取りでそれがでてきて嬉しかった。嘘くさく肯定しあって、ベタベタくっつく。依存しあった偽の愛ではなく、お互いが自立し一人で立って、一人の人間として向き合える、そして、本当の親子になるのだ。と母親が最近言っていた。それを目指して今後も自分を深めていきたいと思っている。
<立てる自分がいる>
暗く寒くて怖い早朝を一人で職場に出かけていく、それを味わうのが怖くて嫌で仕方なかったが、本当の自分を掴んで昨日と地続きの普通の時間の流れの中にある朝として立っていられるのではないか、いや、今まで仕事を続けることで、すでにその中に立てる自分がいたのだと思っている。
<<終>>
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<<(677)の続き>>
<人を許し優しくなれる>
お母さんに言われてもよく分からなかったが、ほんのちょっとだけ、寂しさのとびらを開けて出したら、確かに理屈はわからないが、人を許せる、優しくなれる感じを味わった。次の日から行った職場で・・・。嫌いだと思っている人を愛おしいと思う瞬間があって驚いた。まだまだぶれるが・・・。
<職場の人との別れが思わず心にしみる>
父親の人生、私の人生がリンクしていることが分かり泣けたことを前回セッションでやったが、職場の人とのことで同じような体験をした。
その人を、今まで私の都合のいいように、私の気分で振り回し、利用してきた。言わなくても自分の気持ちを察して都合よく動いてくれる人だった。その人に私は依存し、ひどいことをした。自分のいうことに絶対服従させてきた。右に左に操ってきた。
その人が、今回、ついに退職してしまうのだが、その寂しさもはっきりでてきた。まるで父に対してと同じような扱いをしていたな、とも思う。その人に、お別れの挨拶がちゃんとできるか心配だった。
一緒の勤務が最後の時は、まだいじけていて、自分を裏切って自分を置いて「1人だけボーナスもらってさっさと退職かよ!」と怒りながらも、寂しさもあるという私の滅茶苦茶な心の中だった。「何でアンタに!」と(矛盾した気持ちで)思いながらも、お別れの品を渡し、今までのお礼を言い別れた。その後も、すっきりしない心でいた。
<大きな花束に涙>
後日、不意にその人が職場に現れ、、私に大きな袋を渡した。見たら素晴らしい花束だった。私があげた品のお礼だといい、「今まで大変お世話になりました」というのだった。
素晴らしい花束すぎて、びっくりしていた。もらった花をじっと見ては、色んな感情が交差し、涙が、でてきた。
<お母さんと一緒に死にたい>
この花も、時間をかけて、かれていく・・・。一緒に働いている人だって、いつか離れてゆくし、親も次第に老いて、死んでしまう。本当はそこまで思ってないけど、(仮に)死んでほしいと真剣に願う嫌いな人でも老いて死んでいくのだ。
本当は弱くて一人で生きていく力のない自分が隠れ蓑にして依存している親が、弱って行くことに不安を感じ、避けて、観ないようにしてきた。
そして、自分の人生。自然の流れを止めたくて、親離れが出来ず、大人になることを拒否し、結婚もできず、産まれないまま、親にくっついて来た人生だった。男の人には全く興味がなく、お母さんが一番いい、ずっとずっとあの世でも一緒にいたいと思った。お母さんと一緒に死にたいと真剣に思っていた。
<私の中の何か過剰なものの正体>
自分が人と違う何か過剰なものがあるのは分かっていたけれど、それが何かわからず、才能か?なんて思いながら、本当の私は、こんなじゃないと、仕事の種類や、技能に捕らわれて、外側でぐるぐる、ああでもない、こうでもないと、迷って来た人生だと分かった。からっぽの自分を埋めるものを、外側に求めて探し回ってきたのが大半の人生だったと思う。
しかし、過剰なものの正体は、この間セッションで触れた傷の中にあるものなのだった・・・。
私は、今泣きながら、この事を書いているが、いつもの「こんな人生になっちゃったー」と言う泣きの涙とは違う。
<心の中がすっきりからっぽ>
きれいな花が枯れていく。人が年をとって死んでゆく。親しい人と別れてゆく。朝が来て、日がたっぷり差した暖かな日中から、夕暮れになり、暗い寒い寂しい夜が来る。貰った花を見ているだけでも、たまらない何か感情のうずきがある。
セッション後は無性に外を1人で歩いたが、(セッションで)寂しさを外へ出したら、心の中がすっきりからっぽで軽くて気持ちいい感じがした。そんな感じは初めてだった。
<<続く>>
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<<(676)の続き>>
<スピリチュアル>
仕事を辞めて旅行でもと思う。しかしこの心のままどこかに出かけても楽しいことはない。 結婚し子供を産む年齢を通り過ぎた現実も辛く、普通の人とは全く違う自分の人生、自分の空白を、埋めるものが何なのかわからない。その空白を手っ取り早く埋めたくて、のスピリチュアルだったと思う。意を決してスピリチュアルなところに行くが、変わらない自分がいるのみだった。意識で自分を抑え込もうとしてかえって、自分がおかしくなった。
<あなたも分かっているだろう>
「楽をして治ることはない、痛みを通してしか分からない」と母が言う。「あなたも分かっているだろう」と。私にとって母親は重要だ。
<父親の危機的病気にこころが揺れる>
けれど、それだけでなく、父親を見ていると、何か引っかかる。それが死ぬのと被る。自分がどうなのか説明できないが、たまらないものがある。その気持ちのままセッションを受けた。
<こころ傷に触れられた>
今まで、こころの傷というものを、人から聞いた話とか、頭で考えていたけど、お父さんのことから、死のこと・・・、良く分からないまま、バーっと感情が出て来た。
良く分からない感情だった。出て来た時、胸からこみ上げて来るもの、泣きと叫びに任せて、息が深くなって、何が悲しいとかでなくて、こみ上げて来たものが胸から出て来る。それが私の傷なのだ。自分の傷に触れた、とはじめて思った。今まで傷があるのかないのか・・・。触れきれなかった。あるじゃんと、思った。
傷からそのいろいろな感情が出て来る感じがした。ずっと赤ちゃんのように泣いている。呼吸が通る感じがして、初めて声を出しながら泣いた。流れるままに泣いた。
これが傷に触れているという感じなんだと思った。いくらでも泣いて叫んでいられそう・・・・。
<お父さんのこととリンク。苦しかったのは、こういうことだったのか>
お父さんのこととリンクしているが、いなくなって寂しいとかでなく、「死」に響いている。
自分の死につながる。お父さんの人生と自分の人生がリンクした感じ、それはずっと何もかもすべて寂しい人生という点で同じだと、セッションで感じた。
これが自分の知らない自分の空白だった。お父さんが倒れた時もいつまでも年金にしがみついて利用することを考える。お父さんって私にとってなんだったのだろうと思った。そしてお父さんという人自体について思ったが、一生懸命仕事をしていたという以外本当に何も浮かんでこなくてショックを受けた。
何も知らないのだ。自分の存在が意味がないとおもってきた。お父さんのことも・・・。お父さんも自分の体がガタガタなのに、薬いっぱい飲んで(よく)生きて来てくれたなと思う。いつも怒りっぽいのも、こころが落ち着かなかったのかなと・・・。
お父さんも愛をもらってないのに子供(私)を頑張って育てたなと、自分のセッションが深まったときに思い至った。
<自分の二重性>
残酷な自分と可哀想な自分と二重性がある。日常で怒りが強くなっているが、同時に、陰でやりたかった(本気で泣けた)ことが出て来たのだと思う。泣ける自分がいて良かった。
自分の傷、自分に触った感じが、今後も消えないようにしたいと思っている。
<狂気のような寂しさの爆発>
セッションでそれまでできなかった、自分の心の傷に触れたせいか、その後日、実生活で、すごい体験をした。
心の傷に触れた感じが続き、夜あまり眠れず早くに目が覚めるが、セッション後の余波のように自分からまだまだ出てくる色んな寂しさで涙を流したり、寂しさをひたすら感じていたり、していた。
ある日の夜は狂気のような寂しさの爆発が来て、叫び出しそうだった。が、残念、周りを気にして押さえてしまった。(セッションのときのように)そのまま爆発できれば、どんなに良かったろうかと思う。殺されるときの叫び声みたいなのが出そうだった。
以前も、今回ほどではないが、同じような激しい寂しさを味わったことがあった。その時はなかなかセッションがうまく進まず、自分にはもうできない気がして、そうして怒りが湧いてきて、(セッションを催している)アコールとも縁を切ろうとしたことがある。そのお別れのメールを書いて送った直後も、一瞬で白髪になりそうな、寂しさに襲われた。
その時以上の気が狂うほどの寂しさの叫びが自分の中にあると、今回はっきりした。そして、自分で自覚できてきた傷はまだまだまだまだ泣きたがっている・・・。
<<続く>>
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<<前回(673)からの続き>>
<譲れない私の意思、私の命>
私には私の意思がある。どんなに小さくても私には私の意思がはっきりある。その意思を否定される事は許さない。
お母さんが大好きな事。誰よりも愛しているという事。そして私の存在を母に私を愛してもらいたいという事。これは私の意思。
そして、私の命は私の物であって、たとえ大好きな母でも私の命を握る事は許さない。
私の命を握るのではなく私の命を大切に母の愛で守ってくれる存在が母であり、私の命を自由に扱って良い権利などない。
<脅迫されての死はいや、爆弾で吹き飛ばす>
ましてや私の命を、母が私の脅迫の材料に使うなら、母を恨み呪い殺してやる。そしてそんな事が出来ないように、私は自らの命を絶つ。それは私の唯一できること、母への怒りのまま、寂しさや呪いを怒りの爆弾で、自らを吹っ飛ばす。これが私の怒りの元だ。私の命は私の物。
<抜け殻のように死にながら生きている>
でも実際は生きている。生きることを選んでいる。母に従い生きている。まるで抜け殻のように死にながら生きている。
(実際には、自らを吹っ飛ばすという)私の意思は持ってはいけないのだから、体は生きているが、中身は死んでいる。
<歴代の母たちは子供から奪ってきた>
母は私のこの爆弾部分を吸い取り、私は抜け殻のように意思もなく死んでいる。この爆弾部分を吸い取るのは代々(祖母、母、私、娘)続いている。決して子供には持たせてはいけない意思、爆弾を歴代の母たちは奪ってきた。子供が自分の意思を持たないように、そして子供に自ら死なれないように、また自分も殺されないように、必死に奪ってきた。
<死とリラックス><爆弾の死、抜け殻の死、安心の死>
(抜け殻のような死を味わうことでリラックスする体験を以前にしたが)何故リラックスなのか分からなかった。何故抜け殻がリラックスなのか分からなかった。(その後に瞑想で自分から真っ暗な所へ入って行く体験ができるようになった。安心できた。真っ暗な所は死だった。自分から入って行ける死だった。)私が真っ暗な所が安心していられるように、自ら納得し死を受け入れられる時は怖くはないし、安心できる。リラックスできる。(自分の意思ではない脅迫されての爆弾の死も、)抜け殻の死も、(安心の死も)死んでしまえば同じ死だ。
抜け殻の死と安心の死は奥では死で繋がっていた。抜け殻の死のリラックスが中々理解できなかったのは奥では死で繋がっているもう片方の死、自分の意思ではない死を味わうのが不十分だったからなのだと思った。(それまでは死を半分しか味わえなかった。)
こうして私の死は3つになった。
爆弾の死、爆弾部分を吸い取られた抜け殻の死。そして安心の死。
こんなに死を毛嫌いしていたのに、3つも味わった。
<抜け殻になって娘を守った>
(娘を産んだ時に抜け殻でいたので、身体が思うように動かず、娘をほとんど育児放棄してしまった。にもかかわらず)抜け殻でいたのは娘を守っていたという感じがあった。それは、(母から私が受けたことによる、私が娘へ向ける殺意があり、その殺意である)爆弾が現れると怒り、呪いで爆弾が吹っ飛び私も娘も死んでしまう。娘を殺さないようにできる唯一私が守れる手段が抜け殻の死のまま娘を育てる事だった。そう思うととても納得ができた。(娘を殺したかったのに。)
<パニックは、強く生きたいという思いと母からの死との激突>
私は生と死の狭間でパニックになることがあった。そうなるのは、自分の意思を母に吸い取られ、そして自らも押さえつけていたからだ。パニックは、母から植え付けられた死に対する恐怖と死に対する否定と怒りだ。そして私の生きたい、どうしても生きたい強く生きたいという思いが死と激突していたからだ。
弱く生きるのではなく、強く生きたい、何がなんでも強く生きたい!。(抜け殻のようになって生きる)弱くて無力な生と、(脅迫された死を受け入れる)弱くて無力な死は、嫌って嫌って絶対に嫌だった。大嫌いだった。
<傷の受け入れから理解が起きた>
そう思うととても納得ができた。(そのように今まで理解出来なかった事が、出来たのは、最近深い部分の寂しさの受け入れが起きたからだ。)「見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで」という思いは最近、ようやく意識化できるようになった。見捨てないでという深い寂しさから納得できる、理解できる部分が増えた。
<<終>>
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<<前回(672)からの続き>>
<育児放棄>
私は結婚をし子供を産んだが、子供の面倒をみられない。何かに吸い取られたように体が動かない。そんな自分が嫌だった。嫌だったけど、どうにもできなかった。育児放棄をしてしまった。
<子供への殺意><私もまた私の事しか考えていなかった>
その事で娘に深い心の傷を負わせてしまった。母と同じように私もしてしまった。無性に殺意が湧き上がり、娘を殺す想像を何回もした。娘に対する怒り、殺意がある。湧き上がってしまう。
私の中の母に対する殺意、そして自分自身への殺意が、弱い立場で守るべき我が子に向かってしまった。今でも深い傷のある娘は、自分の意思を私や第三者に伝えられない。怖くて言えないのだ。
そういう風に自分の意思を抑え込むという事を私が教えてしまった。私も母と同じように私の事しか考えていなかった。
<何で産んだの―問う娘>
娘が小学校低学年の頃娘に聞かれた。泣きながら、怒りながら私に質問してきた。
『何で産んだの?』私は一瞬戸惑った。この時セッションをしていたので自分自身の怒りや殺意など多少は味わっていたので娘に話した。だけど、娘は納得したような感じがしなかったし、私自身も気持ちが悪かった。
<私の存在を認め慕ってくれる存在が欲しかった―心からの愛情なんてなかった>
今ならこう答える。私を絶対に裏切らずに、私の存在を心から認め慕ってくれる存在が欲しかったから。娘の事なんて何一つ考えていない。私が、生きる為に、私が人の生死を握れる為に私の為に子供を産んだ。私の中の被害者意識で産んだ。母と同じ事を娘にしてしまった。心からの愛情なんて一つもなかった。
<無力で弱い私のまま泣けた>
セッションを進め、私の見捨てないで、置いていかないで、1人にしないでという心の傷を見る事で、母に見捨てられるという寂しさ、そして私自身も私を見捨ててしまったという感情を味わい寂しくて、無力で弱い私のまま泣けた。泣きながら吠えたような感じだった。私の全身で感じた寂しさだった。
<絶望もなく全部ひっくるめて理解しているような感じ>
その寂しさの中にいると光もない真っ暗な何もない所にいる。そこは怖いや、寂しいなどを通り越したような感じで安心する。弱くても良い、情けなくても良い、無力でも良い。絶望なんてものはなくて、ただ真っ暗の安心できる所だ。それは私の事を私が全部ひっくるめて理解しているような感じだから安心するのかもしれない。この真っ暗な寂しさの中に、自分から瞑想で入って行けるようになった。
<許せない-母に植え付けられた死や恐怖>
私が弱くても無力でも良いと私が許せても、絶対に許せない事がある。
それは母に植え付けられた死や恐怖。絶対に許せない。絶対に嫌だ。母に否定され、邪魔にされ、母が生きる為に利用されるのだけは絶対に嫌だ。認められない。そんな死を私は毛嫌いしている。
<<続く>>
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<<前回(671)からの続き>>
<一人で恐怖と戦う>
奥に追いやったはずの弱くて1人の自分が、無意識に出てきそうになると、その弱い気持ちが出てこないように、必死で母に助けを求めた。母に助けて欲しかった。
だが、母に助けてもらう事は出来なかった。結局1人で何が何だか分からない恐怖と戦うことになる。もっと強くいなければ。
<父の家庭内暴力><死に場所探しに私はいない>
父の家庭内暴力を見て恐怖を感じ、それでも大好きだった父の事を大好きと言えずに、父を嫌っている母に従い私も父を嫌った。
私の大好きだった父も問題のある人でお酒を飲んではよく暴れた。父の家庭内暴力に耐えられず、母は私を連れて家出をした事があった。死に場所を探すためだ。
この時も母は私に意識がない。私の人生は?死に場所探しのドライブは、今思い出しても、恐怖そのものだった。父が暴れている恐怖、そして私の意思など無視をして自分の事しか考えていない母。私の本当の気持ちはますます奥の方へと自ら抑え込んでいった。
<見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで>
大好きだった父が自殺をしてしまった。この時私は父がいなくなってしまった事が悲しかった。
全身から溢れてくる寂しさから父が火葬される時に泣いた。この時泣きながら父に言いたかったのは、『私を置いていかないで、1人にしないで』だった。私が1歳前に味わった「見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで」という事を無意識に思い出したのかもしれない。大好きな父に置いていかれたくなかった。一緒にいたかった。今だからそう思えるが当時は訳も分からずに溢れ出てくる悲しさでとにかく泣いた。この「見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで」という思いは最近まで無意識に閉じ込められており、ようやく意識化できるようになった。ようやく、深い部分の傷の受け入れが起きてきた。
<産まれたことを罰する自傷行為>
思春期になれば怒りを鎮めるために自傷した。死ぬ為ではなく、自分を傷つける事で、生まれてきてしまった私を私が罰していた。母に邪魔にされ、いらないと思われ、母の中に私が存在しない。母は自分の事だけ。私を利用するだけ。そして、どんなに純粋に母を求めても意味がないと感じ自分自身も無力に感じる。こんな無力な自分、弱い自分を自ら罰した。強くなれ!と罰していた。そのことろ、私が堕胎した子供も、何もなかったかのようにポイッと意識なく殺した。
<<続く>>
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<<最近の私は物凄く落ち着いている>>
最近の私は物凄く落ち着いている。とても安心できる場所にいる。調子がいい。
それは「見捨てないで」というセッションを行い、自分自身の深い寂しさや怖さ、そして私の願いがどうやっても叶わないという弱い自分、を観られたからだと思う。(このシリーズは(671)~(674)まで連続します)
<母は私に意識がなかった>
私が母のお腹の中にいる時から母は私に意識が向いていなかった。父の事で精一杯だったし、母は自分の中にある小さい時からの被害者意識で一杯だった。
母の怒りや憎しみ、恨み、寂しさ、母自身の生への否定を、負の感情を、私はお腹の中で感じていた。私がお腹の中にいる時から母は私に意識がない。
<死ぬ事が出来なかった>
私は、自らの意思で生きるのを諦めようとした時に、帝王切開で産まれた。死ぬ事が出来ずにガッカリし母に従って生きる事になってしまった。自らの意思で死ぬ事が出来なかった。
<乳児のときに捨てられた>
私は8ヶ月か9ヶ月の頃、母に置いていかれた。母は私を置いて家出をした。父は私の面倒を見られないので母の実家に預けた。私からすれば、母に捨てられ、父にも捨てられた。その事で深く傷ついた。意識のない母。お腹の中でも感じていた事が産まれて生きているこの時もハッキリと味わった。
<純粋な求める気持ちは裏切られた>
預けられた私は母を求め、母を呼んだ。呼んでも呼んでも母はいない。何故呼んでもこない?私の純粋で真っ直ぐに母を求める気持ちは、裏切られた。そして小さい私は無力だった。深い寂しさがあった。純粋にただ母を求めているだけなのに、この純粋な気持ちがどうにもならない事に怒った。
<怒りが恨みに呪いに><無力な自分も許せない>
怒りが段々と恨みになり呪いになった。
母を含め母の一族も許せない。そして私は自分の無力ささえも許せなくなった。自分の無力さに絶望し、その弱くて無力な自分が許せなくなった。絶対に弱くなってはいけない。強くならなければいけない。
<怒りを力に>
弱い自分が1人でいる事がどれ程怖くて寂しくて情けない事か。置いていった母も許せないが、それ以上に1人ぼっちで無力な自分が許せなかった。弱くなってたまるものか!絶対に強くなくてはならない!と固く誓った。 怒りを生の力に変えて強く生きていく事になった大きな出来事だった。
<吃音、視野狭窄、下痢>
その後も私は固く誓ったこの守りを奥にしまい込み成長した。
小学生になった頃、緊張すると吃音になったり、視野が狭くなり目が見えなくなって心療内科に通った。
<弱い自分が出ないように>
1人になる寂しさや、1人を匂わすような事があると、この許す事のできない弱い自分が出てくるので、弱い自分が出ないように必死になっていたんだ、と思う。弱くなってはダメだと自分を抑えている結果、吃音が出たり、視野がおかしくなったり、すぐ下痢をしたりと体に症状が出ていた。
<<次回に続く>>
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Kさんは人生の謎が解け(「生きている事自体が見っともなかった」)、人生全体を細部まで語ります。セラピーの現場から(660)の中の<実は子供を愛してなかった>の細部1/2 です。
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妊娠中
<胎児を大事にする気持ちがなかった>
校長は、お腹の大きいの(教師)は採用しないが「取るしかなくて」と言った。同じく教員だった夫はそこから6キロ離れた学校に勤めなければならなかった。まともな腹帯もなかったし、妊婦の私は腹を巻く腹帯の付け方も分からない。始めはサラシの腹帯をしていたが汚れたから伸縮(性)のある腹巻きで仕事をしていた。胎児(長男)に対する優しさはなかった。そのうち腹が目立ってくる。胎児を大事にする気持ちがないので、大きくなったお腹で無理をした。と言うより、やっていけないことが、わからなかった。つっかけを履いたまま子供達と一緒に暴れ回ってお腹に意識がなかった。胎児が逆子になった。引越し先から離れた所の産婦人科の検診で分かった。そこで体操を教わって戻した。ようやく助産婦さんに教わって腹帯の巻き方をした。
お産は、夫の実家を頼った。夫の実家は遠かった。私の勤務地から3時間かけて行った。夫の実家のあるところから更に離れた病院でお産することにした。出産ギリギリまで日直もやった。
出産
<仮死状態、おっぱいが出ない、ミルクを吐いた>
入院した。初産だから状況が分からなくて、赤ん坊の頭が出かかっているのに看護師さんを呼ばなかった。怒られた。分娩室に行って産んだが赤ん坊は泣き声をあげなかった。へその緒が、何重にも絡んでいて仮死状態だった。次の日あたりから泣き始めた。初乳をあげたがおっぱいが出ない。赤ん坊は私に3時間くっついて離れなかったがやはり出なくて泣いた。助産婦さんに「泣き過ぎてチアノーゼ状態になるので、大きくなったら脳波を調べるよう」に言われた。諦めてミルクにした。ミルクの上げ方も下手だったのか赤ん坊は激しく吐いた。私は不安なまま子供を育てはじめた。
<着替えの産着を持ってきてもらえなかった、院内感染した>
産着や肌着や布団を汚した。当時の産院では子供の産着は用意されていなく自分で持参する習慣だった。着替えの産着を夫に家から持ってくるように頼んだが、いつまでも持ってこなかった。仕事が忙しいせいということもなかったはずだ。冬休みで実家にいたのに。頼んだことをまともに聞かなかった。父親という感覚が無かったのだと思う。とうとう持って来なかった。産着なしで何とかするしかなかった。子供用の丹前を母が作ってくれていたので、仕方なく、それを肌着なしで着せて横に寝かせた。そのせいで子供は風邪をひき、さらには院内感染し、ブドウ状球菌にやられた。
<子供を抱いて飛び降りたいと思った>
姑(夫の実家)のところに退院した。が、子供は熱があって胸が腫れた。ブドウ状球菌が残り大きく紫に腫れていた。しょうがなく他の病院に行った。一緒に入院した。ベットに寝ていたけど、子供の扱いが分からなかった。病院の屋上から子供を抱いて飛び降りたいと思った。子供を育てられない、この先どうして良いか分からない、親子心中しようと思った。実行は出来なかった。
<不安、赤ん坊が落ちるかも>
赤ん坊を脱水状態にさせたこともある。とんでもない扱いをした。夫はセックスが満たされない期間が長かったから怒りっぽかった。夫が迎えに来た。夫の実家といっても狭いアパートだった。そこへ子供を連れて3人が転がり込んだ。産湯は姑がやってくれた。私は産湯につけさせるのは不安だからやれなかった。手から落ちると思ってやれない。今思うとやれないはずがないのに。今は産院でも教えてくれるが、当時私の場合には親は教えてくれないし、不安でやれなかった。
ミルクは私も夫もやったがぎこちない。「そんなんで子供を育てられるか」と姑は怒った。夫は「立派に育てて見せる」と啖呵(たんか)を切った。ミルクの濃さが分からず濃いミルクを与え続けたために、子供は便秘になった。姑が油を塗って肛門を刺激し出してくれた。私は子育てから逃げたかった。赤ん坊が怖くて接することができなかった。
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<W>
カウンセリングやセッションの成否を左右する要素は色々ありますが、最も初めの段階にある要素が、参加者の「病識」の有無です。
<H>
当面の成否を左右しますね。
<W>
「病識」というのは、本来は、自分が病気であることを認識していることをいいますね。ここでは、なぜ、カウンセリングやセッションに参加しているのかの理由の認識ということになります。対人関係や自分自身の問題など、抱えているトラブルにはいろいろありますが、ご自分の中に解決を探る姿勢が、ある人とない人と大きく分かれます。
<H>
分かれますね。
トラブルの原因は他人に在って、自分にはない、というのが一番大変です。それが本当であれば、ご自分への心理的なカウンセリングやセッションは必要ないはずです。
<W>
しかし、カウンセリングやセッションの費用を払い、会社を休み、交通費を出してやって来ているわけですから、何とか、自分の中に解決を探ろうとしているともいえます。
<H>
そうです。
ところが、カウンセリングやセッションを進めてみると、自分の中をなかなか観ることができず、固く他人のせいになっていることも多々あります。そうなると、お互いに苦しむことになります。
<W>
つらい状況ですね。
<H>
カウンセリングやセッションをリードさせていただく立場としては、こちらの力量不足も絡んでくるので難しい問題です。その問題に触れないわけにもいかず、痛し痒しです。愚痴も言いたくなりますが、自分の力量も振り返らなければなりません。
<W>
難しいですね。
<H>
例えば家族との人間関係や職場の人間関係に困っているときに、その夫や上司が100パーセント悪いのであれば、必要なのは、弁護士や警察かもしれません。そのような良くない人間関係の中で、ニッチのサッチもいかなくなるのは、なぜでしょう。人によっては何とかなる人もいるはずです。困り果てて生きづらさを認識するのは、やはりご自身の心の中に傷があり、その傷に触れてしまうからではないのだろうかと、探る必要があります。参加者が、傷を探る姿勢になるまで、待ち、辛抱し、促進しなければなりません。それが力量というものでしょう。しかし、とてもとても難しいです。
<W>
まったく本当に。
将来その傷を理解でき成長できれば、良くない人間関係の中でも何とかなるかもしれません。というよりは、そのような人間関係の中で、逆に、頼りにされる人になってしまうということが多いのですが・・・。
<H>
カウンセリングやセッションの初めには、そんなことは想像もできないでしょうから、こちらも正直のところ困ります。
<W>
病識が無く他人のせいになってしまうというのは、ある意味、無理もないかもしれません。例えば人間関係に対応できない心の傷も、結局は、幼い時の養育者(母親)からの影響があることがほとんどなので、人(養育者(母親))のせいということになります。
*(注、養育者は母親に限らず、父親、祖父母、親戚、義理母、施設の担当者などいろいろなケースがあるでしょうが、もっとも一般的で決定的な影響力がある母親を例にします)
<H>
つまり、認識ですね。養育者のせいということが認識されていれば、立派に「病識」はあることになり、セッションもスムーズに進むことでしょう。
<W>
幼い時の養育者は、その人にとっては生きる基盤のようなものですから、その認識は簡単ではないということでしょうか。
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スタッフ対談
<W>
今回は、愛憎のアンビバレントについて、少し話したいと思います。
<H>
分かりました。
<W>
ブレスワークを通して分析すると、母親への愛憎のアンビバレントが事実として出てくるのですが、社会的には困ったことにもなります。「愛」の方はいいのですが「憎」が困るということです。
<H>
困るというのは公に話しにくいということですか。
<W>
そうです。
精神分析にでも興味がある人であればそういいうこともないのでしょうが、一般的には、特に日本社会のように儒教の影響が残っている社会では、困ります。大恩ある自分の親への憎悪を当然のように扱うのは、道徳的に非難されがちです。「愛」「憎」ともに事実なのですが、道徳的には「愛」の方はいいのですが「憎」が非難されます。
<H>
確かに、子供さんがセッションを受けに来て、費用は親御さんが出す場合など、親御さんへの憎悪を当然のように扱うのは、ある意味、気が引けなくもないです。しかし、事実はは事実。だから回復が期待できる。道徳は抑え込んで悪化させることになります。親御さんも、またその親御さんへの愛憎が事実としてあるのですから、説得できます。私は腹をくくっています。
<W>
なるほど。
しかし、儒教の影響は親御さんなど社会だけではなく、セッションを受ける本人の中にもあります。心の中にあります。自分自身によって「愛」の方は受け入れられ「憎」が非難されます。
また、儒帳だけではなく心理的にも「愛」はよく「憎」はダメです。
<H>
本人の心理であれば、そうです。
<W>
心理的に「憎」はダメというのが多数派なので、やはり社会的な困難性もあるのではないかと思います。
<H>
さて、セッションを受ける人が「いい人」であればあるほど、愛憎のアンビバレントのうち、否定的なものである憎悪は隠されます。そして、その隠された憎悪を認識することがカギになります。
<W>
憎悪は認識されにくいということですね。
<H>
はい。
愛憎のアンビバレントのうち、都合の良い方の愛され愛しという面を強調して、なんとか生きていこうとします。しかし、残念なことにうまくいかない。隠されたものがあるから。隠されたものは必ず悪さをする。心理的な不具合の原因となる。始めは分からないけれども、セッションが進み、アンビバレントが統合されて初めて納得がいくことになります。
<W>
憎悪は認識されにくい理由を詳しく説明してください。
<H>
憎悪は否定的なもので嫌われてしまう。憎悪の先は、行き着くところ、生きていけない破壊的なもの、死が待っている。だから認識したくないのです。
<W>
憎悪の行きつく先ですね。
<H>
憎悪そのものが意味するところもそうです。認識したくない。認識しようとすると、憎悪を作った傷、心の傷を見ることになってしまうから。例えば乳幼児期の辛い心象風景を思い出してしまう。心の傷を癒すことなく、自分の憎悪を観ることは難しいです。
<W>
どうすれば心の傷を癒せるのでしょうか。
<H>
心の傷は再体験する事で初めて癒される。
再体験とは、自分で自分の傷をわかってあげること。そのことで初めて癒される。隠された傷は癒されないまま温存されます。
<W>
再体験ですね。
<H>
再体験は難しい。なぜなら、心の傷が痛むから。心の傷を扱う事は辛く嫌なことだから。
<W>
でも鍵は再体験ですね。
<H>
そう。再体験された自分は、ありのままの自分とか、等身大の自分とか、素の自分とかいう。まさにそのこと。
<W>
癒しと痛みは同じところにあるようですね。行きつく先の死はどうなるのでしょうか。
<H>
いつの間にか経験されます。できてしまえば、それほど怖くはありません。
観る事は、辛いことであり、同時に癒しです。
ヒーリングと言って、美しい音楽を聴いたり、いい香りをかいだり、いろいろなことが行われますが、傷を観て本当に癒された後は、良い音楽や良い香りは必要でなくなります。すべてのものに癒されます。
<W>
はい。
<H>
心の傷を見る事は、本当の自分を知ること。本当の自分を知れば、本当に生きることができる。本当に生きることができれば、死ぬことが怖くない。そうゆうふうに進みます。
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<被害者と加害者の両面性>
私達の心の傷の元を探っていくと、一番深いところでは、自分の母親にたどり着くようです。母親から十分な愛情を貰えなかったことが心の傷の根源的な原因のようです。ところが、その母親も、なぜ自分の子供に十分な愛情を与えきれなかったのかを探ると、母親自身の心の傷が見つかります。そして、母親もまた、自身の母親すなわち祖母から十分な愛情がもらえなかったことが分かってきます。十分な愛情を貰えなかったので、十分な愛情を与えられなかったという事情が見えてきます。原戸籍などを検討すると、祖母もまた、曽祖母から十分な愛情をもれえなかったであろう事情がうかがえることが多くあります。そのようにして、ある女性が自分の心の傷を見るときに、傷は上流側の女性群、すなわち、母←祖母←曾祖母から伝わってやってきており、彼女は被害者であると言えるでしょう。
ところが、その下流の女性群(孫娘→娘)から見ると彼女こそが、心の傷の犯人であり、被害の元凶であるということになりがちです。心の傷という負の側面を見るときに、女性はこのように被害者と加害者の両面を受け持つ事になります。
<傷と女神の両面性>
心の傷という負の側面とは反対に、もともと備わった豊かな人間性などの正の側面を見るときには、母や祖母は豊かさの源泉であり、子供たちにとって心の女神となるようです。心の傷が少ない、あるいは無いということは、そのまま豊かな人間性につながります。傷の無い人間性は、豊かさそのものといえるからです。そもそも人間は、そういうものだからです。
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○どうも自分はお母さんから虐待されて育ったようだ。そして自分のこども達を同じように虐待してきた。そう考えると納得できる。自分が虐待された時の怒り恨みを溜め込んでいるはずだ。その溜め込んだものを、本当に出したいが、本気が足りないことがわかってきた。今回、本気でやったら、恨みの母親を殺し、恨みの自分も殺せた。その後、愛おしさ寂しさが現れた。
○事前に、怒り恨みを本気で出すために、自分を虐待し怒り狂っているお母さんの顔を絵に描いて見ようと思った。が、どうしても描けない。記憶が欠けている。そこでこども達を虐待しているときの自分の顔を、こども達に頼んで描いてもらった。見事に描いてくれた。怒り狂っている顔だ。こども達は具体的に描けるのが良いなと思う。私よりは自由だ。
○この自分の顔の絵を、お母さんの顔としてセッションをした。この絵とか思い浮かべてて(イメージの母親を)殺すことができた。死んだ感じがあったので、(母親を)可哀想だなと思って泣けた。
寂しい、一人だな。お腹の中でもさみしいな、全てに寂しい。寂しさに対して恨みがあって、恐怖もあって、母への恨みというより、自分の寂しさからくる恨み。恨みの自分を殺したくなる。
恨みを、動けなくなるくらい枯れるまで、やってやろうと思った。恨みの自分を(イメージの中で)「殺してやる」と本気でやれた。そしたら死にそうになる直前で恐怖が来て、「死にたくない」になった。そして苦しくなって、「殺してくれ」になって、恨みの自分は死んだ。
今まで、生きるのに恨みを支えとしてきた自分だったから、死んだら(自分が)可哀想だった。寂しいから恨んで、恨みが支えで生きて来た。恨みの自分が愛おしくなって来た。死んで平和になった。途中で悲しくなってきた。泣いて、途中から「生きていこう」となって、恨みがないけど「生きていこう」前に「進もう」になった。気持ち良かった。
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○それまで有るとさえ思わなかった、大きな大きな怒りを出すことができ、いろいろなことが改善され、まるで別世界のような中にいるみたいだ。しかし、自分が感じる日常の怒りが気になっている。まるで前よりも怒りでイライラしているのではないかと思ってしまう。ところが周りの私への評価は逆だ。周りは言う。昔大きな怒りを隠していたときの方がイライラ感が強く私には近寄れなかった。最近は私は丸くなりほとんど怒りが感じられない、と言う。私と周りの感覚の違いは驚くほどだ。怒りに敏感になっているようだ。怒り続けている。何に怒っているのか。
○仕事でイラついて、理不尽にイラついているのではなくて、「まっ良いか」と流していたことが「(そうではなくて)こうだろう」と思うことが結構ある。カッカしてしまう。気になることが多い。それまでスルーしたり無いことにしていたことが、気になって出している。ずっと怒っている。周りの感覚は違うのだろうけれど、私は怒っている。
○何に怒っているのか。それは不自由さだ。押さえつけられ自由になれない。(大きな大きな怒りを出すことができた)今だから分かるのは、(自分の)抑圧で、フィルターのように囲われるもの。究極は守らないといけないと刷り込まれてきたが、(大きな大きな怒りを出すことができてから)解禁された。
○私の不自由さの原因は、気を病んで病院で亡くなってしまった私の母、シングルマザーとして私を育てた母だ。母自身が怒りを持っていた。怒りの塊。寂しい塊だった。その影響を私は受けた。問題の原因として扱いたいのは、母だったり祖母だったり、する。二人は繋がっている。
母の怒りの正体は寂しさだ。寂しいからみんなに癒着していた。祖母や父や(父と離婚後にお付き合いしていた)Aに癒着していた。でも母は祖母に対して甘えられなかったろう。大きな大きな怒りを出すことができた時、寂しい塊は、祖母であり母だったことがわかった。私の不自由さの原因を扱うことができないと(私は)気狂いになる。大きな大きな怒りの対象は彼女ら二人だ。怒りを出すことは、それまでタブーだったが、そのタブーの感じは今は来なくなった。怒りを出せるようになった。扱えるようになった。
○昔は、日常でも人と何かあると、「(その人に自分のとった対応が)良かったのかどうか」と気になって朝まで眠れなかったが、今は気にならなくなった。怒りを出してそれで「良いんだ」と思えるようになった。
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○セッションでは、閉じ込めた怒りを、感情を伴わずに、イメージで扱っている。怒りがあまりに激しいためかもしれない。それでも進むにつれて、改善が起き始めている。
○セッションでは、保育器が出てくる。新生児の時に、親の都合で長い間、保育器に入れられたことが大きな傷になっていて、その傷の象徴が保育器だ。今までのセッションでは、保育器の外側に両親がいて相談している。仕事が忙しい時なので(新生児=私を病院に)「預けちゃおう」と言う話をしていた。私は聞かないふりをして静かにしていた。しかし、この保育器は私を入れたまま、レールの上を走り、焼却炉へ投入される運命だ。
○今回のセッションでは、静かにせずに、保育器の中で(嫌だと)暴れていた。その状況を両親も見ている。感覚的には(言葉にはならないが)私は「こんなところに入れやがって」と怒っている。
○親の都合で新生児を無慈悲に扱う雰囲気が、別の場面では、祖母が残飯を無造作に窓から捨てる光景につながる。鍋の残りを捨てる。その残飯を捨てるように私は保育器へ捨てられた。祖母から母へ、そして私へと伝わる雰囲気だ。
○私の怒りが燃え上がる。今度は、私の方が捨てる番だ。窓際で母と祖母を捨てようとしている。彼女らは窓枠にしがみ付く。蹴ったり押したりしても、しぶとく、なかなか落ちない。窓の外は霧が立ち込めて見えない。落ちないでいて、ナタがあったので、しがみついている手や足をナタで叩いた。ひたすらやってなんとか外に落とそうとしている。指とか下にバラバラ落ちている。指のなくなった手首だけで戻ろうとしている。許さない。激しい憎悪だ。さらに叩く。もぐらたたきのよう。そんなイメージでやっていた。窓枠から入ってくる手首を外に出した。彼らは最終的にいなくなった。窓の内側に落ちている指や手を外へ投げた。気持ち悪い。
○次の場面では、自分が燃えている。怒りの象徴。灯油をかぶって全身を炎に包まれ燃えるように。燃えている自分を見て母も祖母も逃げて行く。追いかけて抱きついて一緒に燃やす。燃える匂いや髪の毛がわかる。何度もやるが、途中から母親だけは何度も生き返る。しぶとく逃げる。「どうだこのやろう」と怒ってやる。
○焼却炉のイメージと関係があるのか、私は、火の中に入れられても、死ぬまで我慢できる、という気がする。(火だけではなく、私は傷みにも人一倍我慢強い。)私は我慢できるが、抱きついて焼かれるのは我慢できないだろう、この怒りがわかるか、苦しみがわかるか、どうだこのやろうと、そういうことだと思われる。
○出てきた三つの場面とも、激しい怒りがテーマだ。怒りの矛先は母と祖母、特に祖母。普段の生活では、同じような想像をしても、冷静で怒りとかはない。今回のセッションでは、怒りとして出てきた。確かに怒っている。が、全然物足りない。何度もやりたい。
○実生活は、かえって、落ち着いている。我慢している感じはない。我慢しているのではない。前よりも寛容になっている。怒りそのものが減っている。いろんなことに、だんだん我慢できなくなっている。痛みもダメになっている。
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やまなかや
Kと呼ばれる人格を扱っている。Kは、皆殺しや自分殺し母親殺しを一挙に担当する、破壊的な人格。その人格Kが隠れていて、隠れているのに時々、顔を出して、問題を起こす。これが実生活上の問題となっている。しかも顔を出したことを本人が意識できない。Kがどういう理由で存在するのか、存在しなければならないのか、どのようなことがきっかけで顔を出すのか、詳しいことが意識できない。言葉で説明できない。
最近、その人格Kを絵にすることで、意識できるようになった。そして描いた絵をヒントにしてセッションをおこない、人格Kを中心とした自分の闇の部分を解明している。
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○セッションで母から首を絞められるのが出てきた。とともに、優しいお母さんが抱っこしてくれる場面が出てきた。抱っこしてくれるお母さんのところに行けなくて、泣くことしかできなくて泣いて終わった。次に母が幼い私に向かって、私のことは「やっつけられないでしょ」と言う。私は動けないしやっつけられない。自分の中の怒りは出てくるが母には出せなくて自分をやっつけるしかできなかった。お母さんはやっつけられない。Kのようには怒りを出すことができない。だから私の代わりに、Kは、怒りを担当してくれるのだ。
○次のセッションで、「抱っこ」(赤ん坊のように抱っこしてほしいと表現すること)をやった。Kが出て来た。他方でKが出ないように引き止める人(別の気持ち)がいる。せめぎあいの中でやった。引き止められながらも前より自分の怒りを出せた。終わったら悲しくなって寂しくなって来て、セッションルームの端の隅の方で泣くのが一人ぽっちでぴったり来た。怒りの奥には寂しさがあった。
○さらに次のセッションでは、近くにKが怒っている絵を置いていて、やった。
寂しくて泣いた。泣き終わったら、お母さんをやっつけた。寂しさの奥にも怒りがあった。怒りと寂しさは重なり合っていた。Kがやる絵のように、母をやっつけられた。母の上に乗って、若いワンピースをつけたお母さんに乗って、(刃物で)胸を突き続ける。感情もない。ワンピースも(血で)赤黒い。手も(血で)ねっとりしている。刺しても刺しても怒りは止まることがない。刺し続けても疲れない。ずっと刺していた。お母さんの表情が、最初は怖い若いお母さんで、そのあとは今のお母さんが出て来て、(その母には)感情がない。もう一つは私を産んだ頃のお母さん。ただ刺し殺している。こんな母親殺しのような激しい怒りを、今まで、出せなかったのを、代わりにKが担当してくれていた。母親殺しの近くには、皆殺しや自分殺しもある。
○そしたら、再び、寂しくて悲しくて泣いた。最初は少しずつ泣いていたが、そのうち遠吠えのように泣けて来た。泣きながら体を動かして、終わりの頃に「抱っこして」と言いながら泣いている。凄く寂しかった。
○その後、自然な感じで、肩はなで肩になったように力が抜けた。静かな中にいた。寂しいけど気分は良い。今まで引き止めていてせめぎあっていたので出しづらかったが、今回のセッションは、引き止めるものがなく気持ちよかった。今までぼんやりしていたお母さんの顔が、しっかり出て来た。
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○グループセッションでは、自分の中に大きなエネルギーが湧き起る体験をしている。その時は強く満足する。しかし後になると、なにか、満足しない部分がある。「絶対一人は嫌だ」という気持ちが強くある。頭にこびりついている。絶対嫌の中身は何なのか、自分でもうまく説明できない。そこを知りたい。
○そこで久しぶりに個人セッションを受けた。私は生後8か月のときに、両親において行かれた経験がある。個人セッションの準備として、置いていかれた時の赤ちゃんの絵を「描いて来て」と言われた。描いてみた。どうしても表情がない。顔が描けない。描くのも嫌で苦しくなった。体と頭だけを描いて持って行った。
○個人セッションの当日では、やはり、「絶対一人は嫌だ」というのが出て、自分に向かってくる殺意や自傷がでる。自分が描いた顔のない赤ちゃんを目の前にして、気持ち悪くて、可哀想でもあり、見ていられなくて、絵をグシャグシャにした。
そのうち、(自分を置いて行った)母に対する恨みと呪い殺す感じが出た。しかし、足りない。殺しても殺してもビクともしない。母を呼んでも泣いて呼んでもそこにはいない。震えるくらい恨んで呪い殺した。私自身とこんな私を作り出したみんなを殺した。隠してきた殺意が表現できたのは前進だ。
○この殺意は娘にも向いた。娘だからと言って手加減はない。昔、私は、産まれた娘に対してのオムツを変えなかった。育児放棄だ。娘は今、自閉的だ。当時は娘なんかいなくなれば良いと思っていた。娘に触れないことで、娘を、私の恨みと呪い殺しから守っていたのだ。赤ん坊の自分と、赤ん坊の娘は重なる。赤ん坊の娘と、自分の顔なしの絵がダブル。苦しい。
○恨みや呪いは表現できたのに「絶対一人は嫌だ」はまだ存在する。まだ満足しない部分がある。死を拒否しているのがあるし、生きるのも苦しいというのもあるし。もがいている感じがある。
○呪い殺す時の気持ちを絵に描いた。暗い背景に二つの赤い目だけを描いた。個人セッションから帰って、その後、その絵を全然見れなかった。しまって置いた。呪い殺す、真っ黒な背景に赤い目だった。何でこんなに純粋な(母を求めても得られずに呪い殺すほどの)気持ちを、訴えてはいけないのか、何で求めたらいけないのか、私はどうしたいいのか、本当に生きることも死ぬこともできずに、もがいて苦しくて苦しくて。瞑想でずっとそこにいる。
○そうしていると、母が彼女のセッションで口にする「何で、何で」が出てくる。母もまた母(祖母)に私と同じような思いがあるのか。それと、寝たきりになってしまった祖母の硬直した手とが出てくる。祖母とも微かに会話が成立するときがあり「どうせ私なんか」という気持ちがあるようだ。あの祖母の姿は自分を見ているようで辛い。(おそらく私と同じような辛さの)思いを出してあげたいが、しかし、そうすればきっと今度は自分が耐えられない。手を伸ばそうとしても(私のその手も)硬い。ドキドキする。親子3代にわたって続くものがある。
○私の気持ちを自分ではどうしようもできない。(母を求める)純粋な気持ちなのに(そんな気持ちをぶつけても受け取ってもらえないことも分かっているのに、引っ込めることなどできず)自分でどうしようもできない。もどかしい。だから(母とは関係のない仕事先の)上司や仲間に、(彼らに失態や)何かある度に、物凄く怒ることがある。何としてもひん曲げてやりたいという気持ちが出てしまう。
○描いた自分の顔の赤い目は何を意味しているか。私が純粋に求めているのに受け取れない母を恨み呪い殺す、何もできない無力な自分も恨み呪い殺す、生まれてこなければいい、何で産んだんだというのもある。死を拒否する気持ちがある。一人で死ぬくらいなら巻き込んでやるというのがある。
○「絶対一人は嫌だ」の中身が少し変わった。それまでは、一人ぼっちの死は、自分が弱くなることなので、受け入れられなかった。弱いのが嫌いだった。だから死が嫌いだった。だから一人ぼっちになるのは嫌いだった。でも今回は少し違った。隠していた殺意を表現できたことで、強くなった。正面切って、少しだけれど、死を受け入れることが起きた。
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お試しの「無料カウンセリング」もあります
○[閉じこもりだった子供は好調。でも・・]
閉じこもりだった子供の回復は続いている。子供は好調だ。問題は私だ。
私が自分の問題に取り組み始めたことで、子供の回復が起きて来ているようだ。しかし本格的に問題に取り組めるのか。全然自信がない。「やりたくない、今が良ければ良いじゃん。」となってしまいそうになる。
子供の閉じこもりの原因を私が作ったらしいことは、おおよそ、了解している。そして、その原因の中へ、さらに一歩を踏み出すのが、とても難しい。原因が作られた幼い頃の自分(私)の事をちゃんと解ってあげたい。そう、頭では思う。だけれど、なんとも心がついていかない。
○ [・・「ありません」と嘘ついて来た]
それは私と母のことだ。
私は自分に嘘をついて来た。(母へ)いろんな気持ちがあったはずなのに、求める気持ちも、辛かったことも、「ありません」と嘘ついて来た。分かってくれる旦那と子供で埋め合わせていた。でも本当には上手くいかなくて、本当に求めているのは、夫や子供でなくて…(母だ)。この部分をどうしても言いたくない。あまりにも嘘ついて来て、そんな自分が可哀想になる。言えない。(母は)頼りになれない。(本当のことを言わせまいと)自分が自分を縛るのが強い。そんな気持ちはダメ、こんなのはダメとか、ぽろぽろ(弱気になって本音を)出すんじゃないとか、心の声が言う。だから本音は言えない(私と母の関係を認められない)。
<少しでもいいから言ってみてくれませんか>「(母に)もうちょっと側にいて欲しい」「遠くを見てないで近くにいてくれないかな」って。「何も言わなくて良いから近くにいてくれたら」「「何もできなくて良いよ」って言って欲しい」・・・。
この本音を、場所を変えたセッションで、改めて言うことになった。
○[・・引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い]
その場所になると、なかなか決心がつかなくて、「言ってもいいかな」と言うと、みんなが答えてくれて心強かった。おっかなびっくりだった。慣れない。本当になれない。まんじりとしない。少し言葉に出すと、(出させまいと後ろへ)引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い。出すと引っ張られる。他の兄弟より「私を見て」と(母へ)言おうとすると、罪悪感が出る。小さく言った。ちょっとは言えたけど、もっと力を抜いて言いたかった。どうしてもあーなっちゃう。終わった後、頭がくらくらした。みんなが声かけてくれて嬉しかった。一人では無理だろう。大変だった。
原因となったであろう母と私の関係。わかってはいるけど認められない。認められない認められないと言いつつ、今回のセッションで、でも、ほんの少し認められた。怖くて怖くてしょうがなかったが、ほんの少しは、言えた。
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納得できなかった謎の答え。
○幼い頃から抑えていた自分自身を解放するセッションを重ね、ようやく心が開いて、大きなエネルギーが出るようになった。嬉しかった。
○しかし、心底から喜べない気持ちがあった。何かどうしても納得できないことがあったからだ。それが何かは説明できないけれど、納得できないことがあるのは確かだった。謎だった。
そこで今度は、セッションで自分を、再び抑える作業をし始めた。抑えたエネルギーが凄いことを今更のように体験した。そしたら昔と同じように、具合が悪くなり、以前のような恐怖が来るようになった。痺れがきて、身体が重くなって動かない。以前味わった抜け殻のような感じだ。そのようにして、自分を閉じる作業をして、そして閉じた。でも、やはり納得がいかなかった。何に納得がいかないのかもはっきり分からないままだった。
○やがて気がついた。親戚の人の母子関係で、子供を「親が勝手に抑え込む」という話を聞くことがあって、そのことが自分の心に響いた。自分は、自分のことばかりやって、自分の子供への加害性に、意識があまりなかったのだ。子供を抑え込んで自閉的な子にしてしまった。セッションで子供への「ごめんなさい」を言った。止まらなかった。いくら言っても言っても言ってもどんなに言っても許されないような、言っても言っても足らない感じだった。はじめて自分が「親」になった。
「抑えた」ということが、自分で自分を抑えていながら、子供にも抑えることをやってしまったという、そこがなかったなと思った。どっちも怖かった。自分を抑えたという被害者も、やってしまったという加害者も、怖かった。今までは被害者だけだった。それが分かった。そして、再び開いて、再び大きなエネルギーが、わき出した。嬉しかった。納得感があった。
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○<閉じこもりは母子関係>
私の子供が閉じこもる理由は、私との母子関係に隠れていた。
子供は、母親(私)の寂しさを紛らわすための犠牲として、自立を諦(あきら)めていた。そういえば、子供は小さい頃から優しい子だった。レストランなどで自分の料理を必ず私に分けてくれるような子だった。
○<子供は溺れる母親(私)の浮き輪>
閉じこもりという現象は、子供が浮き輪となり、溺れかけている母親(私)を助けるということだった。私は一人になりたくない。子供にしがみついて浮輪にした。母親(私)の足には重りがついている。重りがいつも足を引っ張り常に溺れかけている。だから浮き輪が必要だった。
○<溺れさせる重りは私の母>
その重りは、母親(私)が身分自身の母から愛情を貰えなかったという、気づいてはならなかった秘密。今もその秘密はなかなか突破できない。今も私は自分と母の関係をうまく探れない。触れない。触ると砂のように崩れる母がいる。だから触るのが怖い。触れるのも怖いが、実は、触れても何の反応もないのが、もっと怖い。だから触れられない。その先は考えられない。考えようとすると、首が凝る、頭が痛くなる。何かを抑える感じ。
○<私も母の浮き輪だった>
子供を、自分の命を救うための浮き輪としていることに気が付いたとき、自分自身も母の浮き輪だったと、直感した。私は子供を長い間、浮き輪にしてきたが、私自身はその何倍もの間ずーっと母の浮き輪だった。母の生い立ちの大変さは、戸籍を調べた時にそうだったろうなと思った。
○<母へ向かうべきもの>
一人になりたくないという恐怖は、私の中だけではなく、母の中にもあるのかもしれないと想像する。そんな母を支えてあげたいが、母には触れられない。だから母に向かうべきエネルギーが子供に向かったのかもしれない。子供を母の寂しさの代用品とした。「いてあげなくちゃ、守ってあげなくちゃ」として過干渉になり子供の自立を妨げてしまったが、本当は、これは母へ向かうべきものだったのかもしれないと考える。
○<嬉しい子供の自立>
さて、母親(私)が自分の足の重りに気がついて、その重りの謎を解き始めること(自分では十分とは思えないが)で、子供は浮き輪の役割を徐々に免除され、自立に向かってきているようだ。そのことが嬉しくて仕方がない。
子供は外出の範囲を徐々に広げている。始めは深夜のコンビニ、そのあと家族との外食。やがて仲間と待ち合わせての外出。最近は、仲間と待ち合わせての外出したものの、出先で仲間と会うことができないというトラブルに陥った。にもかかわらず、トラブルを自分で解決して、難なく仲間と会うことができ、予定通りにイベントを楽しんで、帰りに食事して来た。今までの完全完璧な閉じこもりからすると夢のようだ。
○<でも絶対に離したくない>
でも私は白状する。私の中には、自立してほしくない気持ちが、まだある。セッションの中では子供に対する「行くな」(自立するな)という気持ちが出た。「絶対に離したくない」というのが出た。「絶対に離したくない」のは(離すくらいなら)「死んじまえ」ということだった。
○<捨てられことに対する絶望的な抵抗>
私が小さいときに、母が私達姉妹を置いて出ていく場面で、同じように「行くな」という私の強い思いがあった。未だに母からポイっと捨てられるような気がする。だから過干渉は、ポイっと捨てられ砂のように崩れることに対する絶望的な抵抗なのかもしれない。
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諸智:<停滞期「踊り場」>で「(自分探しへの)感覚が遠のいた」と言っていますが、本当に後ろ向きになったのではなく、苦しみながらも、問題に向き合う感じがありました。
林:少しずつ前へ進む感じでしたね。
林:<反抗期を真似てみたら罪悪感が襲いかかる>の「反抗期の無かった」というのは母に対する反抗であって、社会に対する反抗はできていたようです。やはり母親に対するものが重要なのですね。
諸智:重要だけれども、どうしてもできなかったのでしょう。
林:<母親を護りたい気持ちでスタッフに「失恋」>の「自分の会社の社員」に「弱い母」や「理想の母親(女神)」を投影してしまうというのは、ひょっとして経営者には起きやすいことなのかもしれません。幼い頃の不十分な家族関係を、長じて、自分の会社で修復しようとする試みなのかもしれませんね。
諸智:会社を自分の理想の家族のようにしたい、ということなのかもしれません。
諸智:<近づいてくる恐怖>で「アクセルとブレーキを一緒に踏む感じ」とありますが、これもご自身が自分で認識しているのがいいなあ、と感じます。
林:「鉄格子の下にのぞいているピンクのスリッパ」というのは、当時の状況では、目の前に立ちはだかる高い障壁でもあり、自分を開くために動くことのない大きな手掛かりでもありました。
諸智:その高い壁の前で「恐怖」にひるんで「抑え込んでしらけ」てしまうのですが、そのしらけに、幼い自分である「寂しい坊主」を観ることができ、また、前進します。
林:しらけの裏にあるものを観る感性がいいですね。
林:<抑え込みの裏にあった殺意>で「隠れているかもしれない「殺意」は(前から気が付いていた)罪悪感を説明づけるのに疑う余地もなくぴったりきた」というように、「殺意」を自分のものにしましたね。そして「母親や祖母との私の癒着」に対する「猛烈なストレス(怒り)があったことが思い出された」と、記憶もよみがえりました。良かったですねえ。突破口になりました。
諸智:突破口が開いたので、ひとりでに「人生の長い期間抑え込んでいた殺意というエネルギーが沸騰」するのですが、エネルギーを受け止める「心の通じた仲間」が居たのはラッキーでした。
林:そして「必然的に事が進むように準備はすべて整(ととの)」い「自分の中で繋がらなかったものが繋がった」経験をします。「繋がらない」という感覚を既につかんでいたので、この「繋がった」という感覚が産まれたのですね。繋がらないとか、繋がるとか、実は、本当のことを知っているから、生じる感覚だと思いますね。人というのはすごい。
諸智:「この殺意を伴う猛烈な怒りのエネルギーを抑圧する。そうすると気狂いになるんだ。もしも外側に出せれば解き放たれる。・・・繋がった。」ということで、母の狂気も乗り越えた。自分と母の2世代分のしこりを解(ほど)いたと言えそうです。
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自分の心の傷を観る作業をしてきて、一つの大きなヤマは越えたのではと思いつつも、次のヤマの前で留まっているのかもしれない、そう思う日々この頃です。
高校生の子供が、自らヨガと瞑想を始めだしました。
子供は(瞑想などをする)私の日常を見て育ちました。子供に瞑想やヨガの効能や時間の使い方の質問に聞かれたら答えるだけで、私は特に勧めてません。
高校生ですが、自分の心は自分でなんとかするしかないんだという所まで、来たんだと思います。私の背中を見ていてくれたのかもしれません。子供と、同年齢の頃の私と比べたら、人生雲泥の差です。私は「自分で」などという心境にはありませんでした。
子供は、小さな頃から耳が悪いのかと思う位、テレビの音を大きくし、私は注意ばかりしてました。子供が瞑想を始めてまだ数日ですが、子供自身が「うるさく感じるようになった」と言って、音量が普通並になりました。
私は「それだけ今まで心がザワザワして集中出来なかったんだね」と子供に言いました。子供は納得した様子です。瞑想で落ち着く感じが「人生初の感覚で、ずっと瞑想していられるかもしれない」とまで言ってました。
自分の心の傷を観ないでいると深くなってしまう世代間伝達(の影響)が、少しずつでも薄らいでいくようにしてあげたい、そう思ってます。
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(母から)捨てられる恐怖を感じて、私が閉じ込めた思いは何だろう。怒りや悲しみが少しずつ出てきている。まだまだ出てきそう。
(テレビで)豊田議員の罵倒(する声)を聞いて、自然と心臓がドキドキした。フラッシュバックしたような感じだった。(この豊田議員の例だけではなく)大きな音や声にも命の危険を感じて、ドキドキ、イライラする。大きな音や声は私を殺すものに感じられる。それで私も殺されまいと怒るけど、それは偽り。本当は怒りたくなんてない。本当は怖くて怖くてたまらない。縮こまる心が、どうにもならない。怒りたくなくて縮こまって逃れようとするがうまくいかない。
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ハッキリしなかった私の心に届いた。ようやく見つけた。私の本音「甘えたかっただけじゃん」。
ある日のセッションで本気でやれた。それまで、(セッションは)やれば良いんでしょみたいだったが、本当にやれた。その後に出て来たのは虚しさ悲しさ。ワーッと出て来た。その瞬間「甘えたかっただけじゃん」とストンと分かった。子供も私にこんなに甘えたかったんだなと分かった。その後のセッションで、劇の補助役の母役だった時に、やはり同じように、そのことに響いた。
今回のセッションでも同じ本音をやった。納得できた。そして死に響く。甘えたかっただけなのに。この「甘えたい」を隠したのはなぜか。死に近づくからだ。「甘えるとは何事か」「生きているうちは甘えな」「甘えるとはとんでもない」(母が)ものすごい剣幕で私を殺そうとする。
それでも母親に甘えたい。殺されようと、私は甘えたかった。私への殺意があっても、甘えたかった。そのことを味わった。寂しさがあった。でもあったかい。あったかい涙。
これがあれば生きていける。これは譲れない。私にはこれ(甘え)がある。殺されようが譲れない。誰がなんと言われても譲れない。殺されたって曲げることがない。媚びることがない。気持ちよかった。
セッションから家に帰って、今夜こそ、ぐっすり眠れると思った。その通りにぐっすり眠れた。解放感を味わった。今までは、しつこい不眠症気味だった。
次の日は、身体は疲れるけれど心は軽いと感じた。苦手な母の介護もイライラは長く続かなかったな~と感じた。明日、母をまたお世話するのが、ある意味楽しみだ・・・。これも「甘えたいだけじゃん」のお陰だ!私の究極の本音だから。頑張って(母に対する)「いい娘」をやったり(子供に対する)「いい母」をやったりしない様にしたい。頑張りではなく本音とともに居たい。
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引きこもりからの自立等いろいろな心理的悩み相談や心理カウンセリングのお試し無料あります。さらにベビーブレス(アコールで開発した独自のブレス,ブレスワーク,またはブリージング)ができるようになれば精神分析の組合せで大きな効果があります。東京府中
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母からは本当の愛情がもらえなかったので、せめて、母から褒められることをした。母は私を褒めて利用した。その母も今はいないが、私の褒められて頑張る癖は残っている。
職場では母と同じ年代のようなおばちゃん達と仕事をする。母と似たような相互依存があるのかもしれない。おばちゃん達は私を褒めて利用しようとする。私はおばちゃん達から褒められることを望んで、利用されていることがわかっているのに、その通りにして嬉しく思う。おばちゃん達の中には、息子が結婚して嫁さんに息子を取られた事が気に入らなず、私を息子代わりに、かわいがろうとする人もいる。擬似母子をやっている。自分もそれほど悪い気持ちはしていなかった。
でも、もうそろそろやめにしたいと思う。他者評価よりも、自分で自分が認められる自己評価の方が価値があるように思えてきた。お互い甘えの中でやっていた。みんなを集めて「卒業します」と宣言した。
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<母に腹が立たない>
以前は家で母と一緒にいてもただイライラするばかりだったのですが、今は自分で選んで母と一緒に引きこもっているんだなというのがわかります。そうすると自然と母に腹が立たなくなりました。自分が子供なので、母と一緒にいる(いざるを得ない)のは当然かもしれません。私が母にある程度心を開いているせいか、母は一緒に出掛けると延々としゃべっています。
私はまだ母を受け止めきれる余裕はないので、話は聞いたり聞かなかったりです。母からしてみれば父にも私にも話を「聞いてもらう」ではなく、テニスの壁打ちのように単に話を「ぶつけられればいい」のかもしれません。母は相変わらず自分の話しかしませんし、意思の疎通は殆ど出来ません。
それでも以前のように母に怒りをぶつけなくなったのは、セッションで甘えが出来たからかもしれません。彼女自身も子供ですが、私にとっては甘えたい母親なのです。私がある程度年齢やセッションを重ねたのでこう言えますが、小さい子供だった自分は愛情を受けられずとても苦しかったのは覚えています。子供では対処しきれません(今もなかなか無理ですが)。母が私に甘えてくるのを見ると、「捨てないで!」と言われている気がします。(*お母さんは変わっていないけど、本人の内面がどんどん成長しているように思われる。)
<依存から寂しさへ|「一人」を受け入れている>
寂しさや独りぼっちを味わう感じは続いています。本当に一人だと思います。普段の生活でも瞑想している感じです。私自身「深いところ」と言うのははっきりとは分からないのですが、辛いけれど寂しいところにずっといたいなと感じています。もともと人(友人)を誘ってもタイミングが悪かったり、相手に一緒に遊ぶほど親しくないと思われる程度の人間関係しか築けなかったので、一人を感じるには丁度いいと思います。SNS中毒で毎日何かしらを発信しないと気が済まなかったのが、今はSNSを見てもいません。SNSをしていると余計に自分が一人だと感じられて辛かったのに、無理やり誰かと繋がっているつもりでやっていたのが、今ならわかります。私は一人です、そのことに真摯に向き合うときなんだと思います。そちらのが性に合っている気がします。
(*「一人」を受け入れ、その方が気持ち良いと感じている。何かに依存している時はわからないもので、半年前は考えられないほどのことのように、思われる。)
<自死について>
最近、妙に死が近いです。自分の後ろにべったり張り付いている感じがします。自死したいわけではないのですが、寂しさ=死を見つめている感じがします。過去に2回自殺未遂をしたときは、自分ではなく他人に絶望して死のうとしたんだと思います。今の自分に絶望しているか?と聞かれたら、死にたいほど絶望はしていないと思います。これから自分と向き合って本当に自分に絶望するときが来るかもしれません。それでも自ら死を選ぶのか?はわかりませんが、自分に絶望しても死は選ばない気がします。
(*「死」に向き合えば本当に生きられると思われる。不思議なものですが。)
<中絶について>
今までは(友人などが)中絶するんだと話をしても「へぇ~」くらいの感想しか持ちませんでした。今、自分のお腹に子宮内膜症の痛みがあり、自分のなかに小さな自分が生まれた、と感じています(本当には産まれませんが)。その小さな自分のイメージのせいか、同じような話を聞いて、とてもショックでした。話を聞いていたときに「やはり私は要らないのか!捨てるのか!」と小さい私が言ったので、ずっとこんな所(子宮内膜症の治療のための病院)に連れてきてごめんとお腹をさすっていました。彼女(小さな自分)には悪いことをしました。
あまりにもショックだったので母に話したら、中絶は「その人の都合だから仕方ないよね~」とそっけなく言われたので(セッションで、そうじゃないかと感じることがあったが、やはり)母は私を降ろす気があったんだなぁと思いました。セッションで感じたことは本当だったのかもしれません。人の命はそんなに軽いものなのでしょうか。話を聞いてから気持ちが悪く吐き気がします。自分が母に拒絶されているみたいです。
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<表現できた人格>
自分の中に、破壊を担当する人格があったが、なかなか今まで、その人格をセラピーの場で表現することはできなかった。今回それができた(*1)。3歳の女の子だ。名前をKさんという。まっすぐで自由で活発で強い性格だ。強いので、辛い記憶を一身に受け持ってくれるが、辛い記憶を原因として、破壊の衝動がある。
<なぜ表現できなかったか>
自分が幼い頃に母親から殺されかかったことが認められず、人格をかい離させて、対応したらしい。頭では分かっている。でも、今も完全には認められない。
Kさんの存在自体も忘れて、無いことにしていた。何故、忘れ、無いことにしていたのか。Kさんを忘れていれば母から殺されることも忘れられるからだ。Kさんが居ることになれば、セラピーの場の皆んなや母親を殺してしまうかもしれないからだ。だからKさんをやっつけ無くしてしまいた自分もいる。Kさんを殺したい。Kさんが自分の一部だと認められない。(自分一人の時などは)時々出てくるのに、認められない。Kさんを認めてしまったら怖い。気が狂いそう。凄い怖い。Kさんでない部分(主たる人格)の自分は、弱っちくって、辛くて、ガクガクする。弱くて、母から殺されることを、引き受けられない。
<その人格の気持ちは?>
おっぱい。おっぱいちょうだい。おっぱいが欲しいだけなのに。まっすぐにお母さんの愛情が欲しかっただけ。おっぱいの中身がなかった、空っぽだった(*2)。空っぽで何もなかったので母の乳首を噛んだ。殺されるのは出てこない(*3)。貰えないのは嫌だ。だから(母親を、みんなを、宇宙を)やっつけちゃう(*4)。
<あなたの今の気持ちは?>
空っぽのおっぱいを持っていると安心した。空っぽのおっぱい。これがあれば生きていける。大切な空っぽのおっぱい。「空っぽだ」と言うのがいい。愛情がない。何もない。今までは「ちょっとはあるだろう」と思い本当には認められなかった。「愛情がない」ということ、「ない」のが事実。おかげで、ちゃんとしなくて良い。楽になった(*5)。
Kさんは、母に愛情がなかったことを受けたら、気狂いになるしかなかった。気狂いだけど気狂いじゃない。どうしようもなかった。
(*1:セラピーの大きな一歩になると思われる)
(*2:実際のおっぱいは出すぎるほど出た、と母親は証言する。過剰なおっぱいの中には愛情がなかった、だから「空っぽ」だったという意味に解される。)
(*3:Kさんの人格で母親から「殺される」ことについての気持ちが未だ「出てこない」が、これは人格の統合作業が今からであるということを示しているように思える)
(*4:小さな乳児にとって母親は全てでありみんなや宇宙を代表するものなので「やっつけちゃう」ことは対象が特定されない抽象的な「破壊」になる)
(*5:「ちょっとはあるだろう」と思い「ない」ことを否定しながら生きることは辛かったが、「ない」事実を受け入れることができたときに初めて生きることが「楽になった」という意味にとれる)
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(575)(579)(583)関連
ベビーブレスの感想を送ります。
ひたすら呼吸をして、グゥーと抑える感覚になりました。我慢の時に味わっていたような締め付けるような、圧力のような感じです。訳も分からずに過呼吸になりそれが嫌で、いつもなら「わぁー!!」と怒りを出していましたが、怒りではなく、泣きながらそこにいられました。泣きながら味わえました。(悲しみ自体はやはり)嫌な感じですが、味わえてる感じで不思議と気持ちが良かったです。凄く良かったです。
今まで、小さく小さく弱く弱くなる感じをベビーブレスで何回もしましたが、その時に味わった感じと全然違いました。グゥーと抑えるような小さくなる感じを味わっているのですが、観ている感じでした。観察しているという表現の方が近いかもしれません。その感覚を思い出していると、不思議だし、面白いです。 初めて味わうベビーブレスでした(*)。
(怒りの)感情を抑えているのに力がある事を知りました。あれだけ怒りがあるのだからと分かってはいましたが、抑えている力も凄いものだな…と改め知らされた感じでした。本当に初めて味わうブレスで、とても良かったです。
(*:「過呼吸」として存在するエネルギーを、それまでのように怒りとして外側へ出すのではなく、内側へ留め悲しみとして引き受け、それを観ている感じ、と理解できる。)
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<子供の閉じこもりと、自分と母親の関係>
長年の閉じこもりだった子供に変化が起き始めたのは、私が自分の母親との関係をやり始めた途端の変化だと、言われる。でも、私には、そこのところは理屈では分かっているが、ぼんやりしている。
<怒りから母親へ、そして恐怖と死へ>
セッションでは今までは激しい怒りが中心だった。この怒りは母に関係しているらしい。そこでセッションで母のことをやろうとする。すると、恐怖が出てくる。何もない恐怖。愛情を貰ってなくて空っぽで生きている。死が追いかけてくる。母と一体になって死にたかったのに、死なずに生まれることを選択したので、生き続けるにはその死は観ちゃいけない。でも観なくても、その死は無くなったわけではないので、追いかけてくる。母のお腹の中だとそういうことだったのだろうと思う。生まれてしまった今でも、その死があるから「怖い」のか、と思う。
<死の願望と死の恐怖>
死が怖いのに、なぜ死にたいのよ、と考えていた。死の選択もできたのに生まれた。生まれることを選択してきたので、死をないものにしてきた。自分の中ではそこ(死)に行きたいと思ったのに(死は)ないことにしていた。それでも生きなきゃ行けないから怖いのか。恐怖に居られないから怒るが、逃げるから(恐怖が)追いかけてくるから、嫌で嫌で怖い。死をないことにしているから怖い。恐怖からなんとか逃げようとしていたんだと初めてわかった。世紀の大発見だった。
<行かないで>
この恐怖を扱ったセッションの中で、思わず出た言葉がある。「行かないで」という言葉が出た。それは自立しようとする子供へ発する本音のようでもあり、自分の幼い頃に愛情を貰えないまま行ってしまおうとする母へ発する隠されていた本音のようでもあった。閉じこもりという現象の謎を解く鍵を見たような感じだった。
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これまでの1年は、グループワークの効果もあり、とてもセラピーが進んだ1年であった。調子良く成長し満足感があった。
ところが今回のセッションはその満足感がいっぺんに吹き飛ぶような、悔しさに満ちたものとなってしまった。その悔しさから、セッション後のグループカウンセリングでは、怒りが湧きおこり「愛情の欠片(かけら)もないこの場を壊してやろう」とさえ思った。
でも後で考えると、セッションの途中で、苦しさ(湧き上がる死への恐怖)に耐え切れず、途中で逃げ出してしまった。また困難から逃げ出してしまったという、自分に対する悔しさであると感じた。
あれから1週間あまりが経過した。直後はだいぶ気持ちが塞(ふさ)がっていたが、激しい悔しさを味わった割には、意外に自分が元気であることに驚く。仕事中に湧き上がるウキウキ感には戸惑ってしまうほどだ。また、(職場で怒るべき場面では)人に対してハッキリと怒りを出せた。とっても気待ちが良かった。
思い返してみると、苦しかったセッションは幼い頃の困難(虐待)に伴う心の傷の再体験をしていたのだ。1週間あまりの間、自分に対する理解は案外すすんだようだ。かつて困難に直面した時に逃げてしまった自分。今でも困難に立ち向かえない弱い自分。それらの事を本当に悔しいと思っている自分。自分に対する強い怒りがあった事を理解した。この怒りを抑え込んで生活していることを考えると、日頃、自分自身に抱いている気持ち悪さにも、説明がつくように思える。
この1年、調子良く成長してこられたのは、セッションで感じた恐怖や、自分に対する憤りと向かいあうための準備であったと、今は思える。
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今回のセラピーを振り返ると、セラピーの間、一部始終、自分を抑え込んでいたと感じました。その姿は、恐怖を隠す寂しい自分です。恐怖の正体は、殺意に関係するようです。優しく愛情いっぱいの母と、狂気の母が混在する環境で育った影響があります。優しく愛情いっぱいもらったと感じる部分は、寂しさから母に癒着しようとするものです。狂気の母が、恐怖を感じる一番の原因だと思います。
つまり、恐怖の正体が殺意に関係するとすれば、その殺意は母に対するものです。それを説明づけられるのが、私の中に常にある罪悪感、罪意識です。
今まで、母は自分が護る存在であると思ってきた経緯があります。その思いは私に染み付いています。しかし実際は護れなかった、、、だから罪意識があるのだと、考えていました。でも、病気がちな母には十分なケアをしてきました。それは他人の目から見ると、やりすぎと思われるほどでした。その母もどうしようもなく亡くなってから、久しい時間が流れました。それでも、いまだに罪悪感が残っています。
この執拗な罪悪感はどういうことなのでしょうか。謎です。本当は、母を護もりきれずに死なせてしまったために罪悪感があるのではなく、実は心の奥では、狂気の母を攻撃していたんではないか?自分に十分な愛情を注ぐこともなく病気に逃げた母を。自分を孤独にし寂しさの暗闇に追い込み心に大きな消えない傷を残した母を。そういえば、昔、狂気の母に対して、関わらない、見て見ぬ振りなどしたことがありました。
セラピーを通して自分の中には癒されない大きな怒り(殺意)があることが分かっています。何への怒り(殺意)なのかははっきりしません。その自分の中にある怒り(殺意)を、母に向けることが一番の恐怖です。
怒り(殺意)を母に向けると、病気がちでいつも弱い存在であった母はその殺意に耐えられず、母を失うことになります。優しく愛情いっぱいの母を失うことになるのです。私の命の基盤であった大切な母を失うことになるのです。それには私が耐えられません。それが私の一番の恐怖です。
それでも殺意は依然としてあるのを知っているから、母に何かある度に(あるいは、母に似た状況の身近な女性に何かある度に)、自分に責任があるのではないか、隠れている殺意のせいではないかという罪悪感が襲ってきます。
なお、これは、直接に母との関係なのかどうか未だはっきりしませんが、自分の中にも母と同じ狂気を感じる部分があります。その狂気も物凄く強い怒りのエネルギーだと思います。
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ベビーブレス(弊所開発のブレスワーク)をやっていると、多くのブレスワークがそうであるように過去世を扱うのか、過去世はあると思うか、という問いに出会います。
過去世や来世の考えは私たちにとって独特の魅力があります。過去世があるのであれば、実際にこの現世があるのですから、来世もあり得ることになります。そのため、心の奥の究極で私たちを苦しめる死の恐怖を、弱めることができることになると思われます。死んでも来世があるのです。結局、死は無くなるのです。死は慰撫されます。そういう効果があるようです。ブレスワークを通しての過去世や来世の体験が、仮に脳の作用として味わえるだけのものであっても、この効果は否定できません。おまけに、来世はない、とはっきり証明できる人はいないはずです。
しかし過去世や来世の体験が与える慰めは、微かな香りのようで何とも物足りません。この現世で現実の死に対峙し、現実の死と現実の生の合一を体験するときの強烈な、圧倒される満足感とは、とても比較になりません。この現世で十分すぎるほど十分なのです。
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ベビーブレス(弊社で開発したブレスワーク)のようなセッションに臨むときには、自分自身が強く望むことが重要のようです。自分自身の欲求不満を大切にしてほしいと思います。自分の生き方は何かが腑に落ちない。自分は何かが満足していない。自分の人生を何かが気に入らない。そういう感じが、セッションの中で進むときの羅針盤になります。
強く強く望んで欲しいのです。どのように変わるかはイメージがつかないはずなので、「どのように」を考えることは無意味だと思われます。方向を固定してしまうのは害にもなると思われます。自分自身がどのように変わるかは、変わる前には分からないもののようです。わからないけど、本当の自分をどこかで知っているので、現状に腑に落ちない、満足できない、となります。だから、ただ強く望むことが全てだとも言えるようです。
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セラピーを受けて自分が変わるというのはどういうこと、なのでしょうか。人によって抱えていたトラブルは様々で、その人が変わることで影響があり、そのトラブル解消に向かって大きな前進がある、という側面もあるでしょう。しかし、それは結果であって、果実であって、私たちは「お土産」と呼んでいます。
私たちが変わると、私たち自身に大きなエネルギーが湧きます。私たちが驚くほどです。そのようなエネルギーの伴う何かが、変わるということの本質のようです。変わってみるとあまりにハッキリとしたことなので、変わるというのはどういうことか、自分は変わったのだろうかと、誰かに訪ねる必要を感じません。それは、ものすごいエネルギーです。
私たちは自分が変わる前に、そのエネルギーのことを想像できません。しかし、その一方で、そのことを本当はうすうす知っているように思います。うすうすは知っているけれども想像ができません。変わる前は、だから欲求不満になります。何かが腑に落ちない、何かが満足しない、何かが気に入らないとなります。変わってみて、はじめて、これがそうだったと納得するようです。
それでも、やはり、変わる前には分からないもののようです。変わる前には形のある答えは出ません。教科書のように言葉や概念に表すことは出ません。もっと形のないもので、エネルギーの塊のような何かと感じられるものです。それでも、あえて言葉にするのであれば、愛憎、生死のような右か左か、裏か表か、という感じ方から解放されること、これらの2方向に拡がると感じられていたものは結局同じもの、と感じるようになること、全体が遠くまで観えるようになること、などと言えるのかとも思われます。
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前回のベビーブレスから、母に対してはそこまで腹が立たなくなりました。不味い飯も、素っ頓狂な言葉も、彼女自身が子供(私)に「どうやって愛情を与えたらいいのか分からない」故の行動なのかなぁと考えるようになりました。もちろん、私を殺そうとしたことや人生をめちゃくちゃにしたことは許せません。ただ、怒り以外の感情が母に出てきていることも確かです。怒りだけなら怒りだけの方がとても楽です。慈しみなら慈しみの感情だけの方が楽です。両方同時に、というのは辛いです。怒りに任せて母に暴言を吐いていた方が楽でした。けれどもうそこには戻れないと思います。それだけ前回のベビーブレスは重かったです。
もう戻れないのだけれども、今の気づきも、受け入れられないで苦しんでいます。今回も生理痛の腹痛がひどく、何日も会社を休んでしまいました。仕事を休むと職場の人みんなに「嫌われてしまうんじゃないか?」と思い怖くなってしまいます。ともかく職場に行くのが怖いです。
思えば、母への怒りだけが私の人生でした。母を許すことは、今までの生き方の否定になります。
母の私への愛情なんて認めたら、私が狂っている現実を見つめなければならない。それが辛いのもあるんだと思います。私がセッションを始めたのも、気狂いな母を倒すためだったと思います。でも何かが足りないのです。足りない何かがわからないのがとても辛いです。
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生後すぐに保育器へ入れられ長い間入院させられた。そのことに産みの母は無頓着(むとんちゃく)だったようだ。その時の心の傷が私を苦しめている。そこをセッションでやる。
保育器から出せ。
お母さんに言おうとすることをためらう。言葉に出すのはなんとか言えたけど。
さっさと私を病院に預けてホッとしたんだろ。
お腹の中。早産。出たらすぐに保育器。私が望んだことじゃないことばかりで散々だ。
早産と、生まれた直後の感覚と、保育器と、(この3つ)が繋がった。感情が出た。泣けた。散々だ散々だと思って歩いてた。
ところが、私の別の人格が出てきた。「早く終われよー自分のことなんて見たくない。」この人格のことを忘れていたので、はっとした。どういう時に現れるのだろう?(*)
(*:この人格はしばらく影を潜めていたのに現れたのは、3つのことが繋がったので、揺り戻しとも思われる)
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子供の閉じこもりがきっかけでセラピーを始めた。セラピーで気が付いたところを家で瞑想するようにしている。しかし、怖くて瞑想できないことがある。何が怖いのか。自分の中の恐怖を考えていた。腑に落ちたことがある。閉じこもりは私が子供を支配したからだ。子供を支配するのに食べ物を使っていた。自分の恐怖で、子供の(食べ物を)生き死にを支配していた。子育てがうまくいかないことは私の恐怖が元だったのかと、考えていた。何かの「「淵」に立っているから怖いのでは」と言われたので、淵に立つだけではなく、(瞑想で)中を覗きながら見ていようと思った。ぼんやり「死」だというのが分かっている(*1)。納得していないから、はっきりは言えないが多分そうなんだろう。
(*1:「死」に裏打ちされた自分の恐怖を慰めるために、子供の生き死にを支配し、子供の閉じこもりが起きた、という文脈で語られている)
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息子は、引きこもりで家から全く出ない状態だった。しかし、母親である私のセラピーが進むにつれ、最近は、家から出て買い物に行くようになった。始めのときは嬉しくて驚いた。息子にばれないように表情は隠した。息子は買い物にもだんだん慣れてきたようだ。そうしていると、今度は息子が、友達と会うと「約束をした」という。今度ばかりは嬉しい表情を隠すことができず、あからさまに喜んでしまった。しかも、息子の眼鏡が傷んでいるのが気になり、見た目が悪いので、急いで「眼鏡屋さんに行こうよ」と焦ってしまった(*1)。嬉しさ余って、やってはいけないことを、ついつい、やってしまった。途端に、息子は夕飯も「いらない」、友達とも「会わない」となった。そして布団に潜ってしまった。私が困惑して「ごめん」と謝ると、息子は「小学校からそうだよね」という。小学校のころから息子の俺を、自分(母親)の思い通りにしようとしていたよね、という意味だ。私も落ち込んだ。本当に落ち込んだ。そうしていたら(*2)息子が布団から出て来て、「ごめん」という。私こそ申し訳ないと思い、自分にがっかりした。
(*1:強制する雰囲気があったのかもしれない。*2:母親が落ち込む様子の中に、息子は自分が本当に理解されていることを感じられたので、その結果、相互の謝罪が起きたと理解できる。)
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今回(明日)のセッション前は、かなり気が立っているように思います。元々、(あまり付き合いもよくない方)なのですが、友人の誘いも断ってしまい、常に怒っているところに怒りを上乗せしている気分です。
これは、セラピーへの拒絶の影響が大きく出ているのかもしれません。今までにない感覚です。明日は何か大きな変化がある気がします。何か見たくないものが隠れている気がします。
気分としては、母を殺して私も死にたいです。最近、妙に死が近いです。私が死んでも代わりはいるし世界はなにも変わらないよなぁと思っています。以前だったら、そこで本当の死を選んでいたと思いますが、今は(セラピーを始めいろいろなことが分かってきたので)考えているだけで、(実際に)自死をするつもりはありません。母に「要らない」と思われることがこんなに辛いのか…と思っています。
(次の日のセッションで、彼女は、殺したいほどの「わるい母親」の対極に隠れている「いい母親」に言及し、その結果、両者の統合が起きる兆しと見るべきなのか、自分の気持ちを説明するのに使っていたそれまで複数の人格を必要としなくなった。何か見たくないものとは「いい母親」との「統合」のことだったのかもしれない。)
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失われた記憶を思い出すことには2つの価値があるように思われます。1つはその記憶そのものの重要性です。つまり、その記憶を知ることで、なぜ、その記憶を思い出したくなかったのかが理解できるようになります。自分の隠れた気持ちを知ることができます。この意味から、催眠下で思い出した(純粋に自分の力で思い出したことにはならないと思われますが)記憶にも、価値があると思われます。
もう一つは自分で思い出せる力です。つまり、記憶を失うことで不都合なことから目をそらしてバラバラになろうとする気持ちよりも、記憶や気持ちを統合して健康に生きていこうとする力を強くすることができるという意味があります。この意味から、同じ記憶を思い出しては忘れ又思い出すという繰り返し(何度も忘れる自分自身にうんざりする)、あるいは、覚えていていいはずの記憶が出てこずに苦労すること(思い出せない自分にうんざりする)にも、徐々に、思い出せる力を強くできるという価値があると思われます。
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(先日のブログ(549)の続き) ある女性は、戸籍から家系図をつくってみることにより、祖母や母から連鎖したであろう、女性であるがゆえの寂しさ不自由さを、経済的な頑張りで挽回しようとする傾向を、自分自身が持っていること、を理解します(ブログ(549))。女性は男に負けないように働いて役に立たなければなりません。
しかし、この傾向は、さらに別の方向からも強化されます。父です。女性の父は、姉たちが家を支える経済的な役に立たず、自分が犠牲になるようにして懸命に働き家を支えました。そのような父の経験は、その後の男尊女卑の言動を強くしたとも考えられます。女は役に立たない、ということです。女性が母のお腹に宿ったとき、父は、宿った子が男であることを期待します。その期待を受けて母も、子がきっと男であると思い込みます。そして両親は女性が産まれたときに「男が良かった」と落胆します。女なんかいらなかった、ということです。
女性は、胎児期の両親の期待と生後の両親の落胆を、幼い心に強く刻むことになります。これらに追い立てられるようにして、祖母や母から連鎖する経済的な頑張りの傾向に、拍車をかけます。女性は、命の存続をかけて、男に負けないように働いて役に立たなければならないのです。
女性が嗅ぎ取っていた自分自身の秘密が、そのようにして、よりはっきりと理解されるようになりました。
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ありふれた場所、ありふれた時間に、幼い子供たちが遊んでいるのを見ることがあります。幼稚園の帰りに。立ち話の親の足元で。自宅の前で。買い物の途中の階段で。子供はどうしてあんなにかわいいのかと思います。彼らは生きることに夢中。一生懸命。つい、この前まで母のお腹の中にいました。その前は、この世にいませんでした。存在しませんでした。生きられることが当たり前ではありません。生命(いのち)が当たり前ではありません。当然の権利ではありません。
あの感覚は、私たちが、ベビーブレスの後で体験する感覚と似ています。非日常的な感覚です。しかし、それこそが望まれていたもの、欲しかったものたと感じます。日常では忘れていて、欠落していたもの。何か本質を見逃していたような、その本質。生きられることが当たり前ではなかったという事実を、ベビーブレスを通して逃げずに体験したからこそ、味わえる本質ではないかと思われるのです。
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私は、娘の甘えを許せなかった。ベビーブレスで自分を掘り下げた結果、自分自身の奥底に、止めどなく甘えたい欲求が潜んでいることに驚いた。甘えたい欲求が潜むその未知の領域の大きさ。ただただ大いなるその存在に向かって泣けた。
娘の甘えを許せなかったことがはっきり自覚できて、初めて、自分の内に甘えたい欲求が潜んでいることを納得できた!
母に甘えられなかった私は、自分自身の甘えたい気持ちを封印した結果、娘の甘えを拒否したのだった。
娘にやってしまったことの後ろめたさに、何とか、挽回し許される道はないかとさまよったが、今、許されなくていいと、はっきりした!逃げることはもうしない。
ありふれた場所、ありふれた時間に、幼い子供たちが遊んでいるのを見ることがあります。幼稚園の帰りに。立ち話の親の足元で。自宅の前で。買い物の途中の階段で。子供はどうしてあんなにかわいいのかと思います。彼らは生きることに夢中。一生懸命。つい、この前まで母のお腹の中にいました。その前は、この世にいませんでした。存在しませんでした。生きられることが当たり前ではありません。生命(いのち)が当たり前ではありません。当然の権利ではありません。あの感覚は、私たちが、ベビーブレスの後で体験する感覚と似ています。非日常的な感覚です。しかし、それこそが望まれていたもの、欲しかったものたと感じます。日常では忘れていて、欠落していたもの。何か本質を見逃していたような、その本質。生きられることが当たり前ではなかったという事実を、ベビーブレスを通して逃げずに体験したからこそ、味わえる本質ではないかと思われるのです。
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グループカウンセリング。みんなの前で決して出してはならなかったもの。自分でも意識するのが難しかったもの。それを初めて出すことができた。激しい怒りの、破壊のエネルギー。世の中全体に対する怒り、世界を破壊するようなエネルギー。それを閉じ込めるために、自分の意識をバラバラにしてきた。長い長い間、閉じ込めてきた。何十年も隠してきた。
それを出すと逆に自分が叩きのめされると感じていた。ところが出しても何も起きなかった。みんなは静かに聞いていてくれた。みんな誰も変わらない。それは不思議なくらい。自分が怖がっていただけだった。あっけなかった。
出せた後の数日は夜の眠りが浅かった。興奮していた。しかし数日経って徐々に眠れるようになってきた。不眠が治り、リラックスしているのが自分でわかる。体の力が抜けてぐっすり眠れ緊張がなくなっている感じがする。自分に正直とはこういうことかと思う。とはいうものの、今まで隠しているつもりも嘘ついているつもりもなかった。出してみて初めてそうだったのかと思えた。
エネルギーを出すには勇気がいったけれど、出せてよかった。あの破壊のエネルギーは赤ちゃんの頃からずっと今まであったということが体感できた。
せっかく出せたのに後戻りしないように、できるだけ毎日瞑想して思い出している。瞑想中に匂いがした。ご飯が炊きあがる匂い。それまでは炊き上がりは電子音でわかっていただけ。そういえば小さい頃から匂いに対して自分の感覚は閉じていた。それが蘇ったかもしれない。
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お試しの「無料カウンセリング」もあります
ブレスワーク(弊社の開発したものはベビーブレスと呼んでいる)の最中に、しらけてしまうのだけれどどうすればいいか、ということが時々あります。それほど心配することはありません。
しらけるのは、あなたの一部が、あなた自身にブレスワークをさせないよう引き止めるために、起きることのようです。背後に恐怖や不安や怒りなど出してはならない感情があると思われます。引き止めていたものが何であったのかは、感情が出た後に自分ではっきり認識することが多いようです。
別のあなたはベビーブレスをして自分を変えたい、成長したいわけですから、二つのあなたが対立し迷っているともいえます。この対立は別の場面でもよくあらわれるのかもしれません。言わば、しらけはあなたがいつも抱えている葛藤そのものだと思われます。何とかかいくぐって、感情に入っていってください。しらけが強いときには、ほんのちょっとでも入ることができれば、効果があります。一度入れば二度目からはそれほど苦労しないのが普通です。統合へ向かい迷いが少なくなります。
しらけを自力でかいくぐるときに実力がつきます。自分の方法を何とか見つけることをお勧めします。とはいうものの<どうすればいいか>ということです。人によってはしらけがやってくる方向が、ボンヤリとですが、あることがあります。例えば右から来るとか、斜め上から来るとか。であれば、それとは別の、反対の方向へ見て続けてください。ブレスワークは、真っ暗の中で、あるいは、目を閉じて行うことが普通ですので、方向を「見る」といっても戸惑うかもしれませんが、それでもボンヤリ方向と言うのがわかることがありますので、そのときには、試してみてください。
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これまで私が苦しんできたのは、母からもらうことばかりだったから。今回、「ただ甘えたいだけなのに」という境地に居れた。その違いは大きい。<もらう>とか<甘える>とかの言葉の問題ではない。
母親からもらうことばっかりでいっぱいになっていた。幼い頃から愛情をもらえない渇きはほとんど命の問題だった。しかも、当の母親は、どうしょうもない、愛情をくれない母親であったため、大きな混乱が生じていた。今は、母親自身も寂しい人で、愛情を人にあげられるような余裕は無いことがわかってきた。それが分かっているにもかかわらず自分には甘えたい気持ちがある。とても激しい気持ちだ。その甘えたい気持ちは、母親とは関係なく、{独立して}{自分の}気持ちとして存在する。そういう自分がいとおしい。これが寂しさに居ることなんだ。寂しいというところに居られると、母親が関係なくなる。自分が1人で立っている。そうして、さらに、寂しいことが正面から味わえる。逃げずに居られる。
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小さいころから良い子でいようと頑張っていた。お母さんも自分の事で大変そうだなと分かっていた。でも、良い子でいようと思って過ごしていたら、精神的に参ってきて、「人が怖い」とか思うようになった。人前で緊張してうまくやっていけない。
高校2年のころ、母に、精神科に行って薬を飲みたいと話した。母は、精神科にいくのは「キチガイになったという事なんだよ」と応えた。「キチガイにしたのは誰だよ」と思った。凄い言い合いになって、平手打ちをされて、返して、怒りに怒った。「この人に何を言ってもダメだ」と思って、ドアをバンと閉じこもったが、これは何もならないから、出て、どうにか母を説得して病院に一緒に行った。医者とは私一人で会った。母は会わなかった。母は、医者との話の内容は聞かない。薬は自分で調べて、副作用が出ると分かり、実際にちょっと出たが、飲み続けた。薬で症状は安定はしていった。それまで学校の授業だけでなく、電車に乗るのも、人とご飯食べるのも、怖くなっていたが、だんだん大丈夫になったので、飲み続けた。ずっと飲み続けているのが5年くらいあった。
そのうち、おかしいぞと思うようになった。保育の仕事をはじめていたが、そこは心を育てる保育園で、園児の「自己肯定感」が大切だとかキーワードが出てきた。それがきっかけで、園児のことではなく、むしろ自分の事を考えるようになった。薬でなく、心と向き合って行こうと思った。
セラピーを始めた。少し進み、グループカウンセリング勉強会で人の前で話せたことが自信になった。職場では大勢の前で話す場面があると緊張するので、そんな時は事前に薬を飲んでいた。最近、同じような場面があったものの、薬を飲まずに済んだ。実は、飲むのを忘れていた。
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自分をダメにした母親への怒りが強い。母親は、どうにもならないと頭では分かっている。それでも母親を何とかしたいと思う。怒りが掻き立てられる。ほとんど絶望的だ。子供のころ母親から本当の愛情をもらえなかった。寂しい。その寂しさには、耐えられない。いつも怒ってきた。怒りは出しやすい。怒ることには慣れている。でも、それだけでは物足りない。それだけでは自分の成長は望めないのではと感じている。このままでは、いつまでも子供のままいる感じがする。嫌だ。でも、そこのところで停滞している。つい先ごろのセッションで、自分の心の深いところにある本音に気が付いた。母親と一体になりたい。母親との一体感が本当に欲しいもの。それが本音。でも、どうしようもない現実の母親との一体はまっぴらごめん。多分、幼いころ味わった理想の母親との一体感。それが欲しい。
そこまでは分かっているのだが、それらの気づきがなかなかつながらず、堂々巡りの傾向がある。そこで、分かっている範囲でまとめてみる。
① 母親への怒りは出しやすい。
② 寂しいところにいなければならないと思う。
③ 理想の母親との一体感が本当に欲しいもの。
これらをつなげるために、①②③を使って、まとめてみた。
「自分の母親への怒りは、どうにもならないと頭では分かっている母親を、それでも何とかしたいと言う絶望的な怒りだ。母親から本当の愛情をもらえなかった寂しさにはいられないので、怒ることで自分を支えてきた。でも、それだけでは自分の成長は望めない。自分の心の深いところの本音は、母親との一体感が本当に欲しいというものだ。どうしようもない現実の母親ではなく、理想の母親との一体感だ。一人になり寂しさに耐えることができれば、人生の早期に得られていたように、その一体感が得られる感じがする。」
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凄いことが起った!!昨日の息子が中学の卒業式だった。父親である私も出席した。でも、それは、まるで自分自身の卒業式だった!涙が溢れて止まらなかった。やっと自分が、この〇〇中学校を卒業できた。
40年近く前に、私がこの〇〇中学校を卒業したときのことを、その卒業式を、私はまるで覚えていなかった。当時、私は、シングルマザーで病弱な母に育てられ、進学する経済的な余裕はなく、母の不安定な心の状況をそのままもらって、心の余裕も全然なかった。ほとんど一人で社会へ出ていく心細さに、耐えられない気持ちだった。不安で怖くて、友達も先生も卒業式会場も何もかも全く覚えていなかった。ただただ真っ暗な空間に包み込まれて、おびえているひ弱な自分がいるだけだった。
その後、セラピーを重ね、自分の中に隠れていた怒り、恐怖、不安、母親への隠された心情を扱った。そして最近、徐々に、自分の本当の姿を味わうことができるようになってきた。感情が甦り(よみがえり)、家族への愛情が自然に湧くようになっていた。
そして昨日の卒業式の会場!!広々とした思い出の詰まっ体育館、一緒に過ごした友達の顔、優しい先生達、懐かしい学校の匂いなど、当時の感覚でよみがえってきた。不思議!当時の私がそこに居た。昨日、友達と楽しそうに絡む息子は、実は私だった。40年近く前にはできなかったが、本当の私は、まさに、そのようでした。それが本当の自分の姿でした。
今もまだ、思い出すと涙が溢れて止まらない。自分のこと(セラピーを通しての自分の探求)やっててよかった。本当にありがとう。
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経営する店の従業員の人間関係が、なかなか、うまくいかない。経営者である自分自身の問題があって、本当の感情を抑えてしまい、これもうまくいかない感じがしていた。
ところが、自分のセラピーが知らないうちに心の奥で進んでいたのか、ある日、それは起きた。うまくいかない問題の中心の従業員に、ガンガンやった(怒った)。始めてというくらい自分の中にあった怒りを全部出した感じ。凄くすっきりした。帰宅したとき奥さんに「何か良いことあったの」と言われたくらい。次の日、人の話を聞いていても、全部出した後なので晴れやかに聞けた。
後日のベビーブレス
感情が出て泣けた。自分でも驚くくらい自由かもしれないと思う。
続いて、自分の正体を暴露するようなイメージが出てきた。
アニメ映画の「千(せん)と千尋(ちひろ)」の中で登場する妖怪の「顔なし」のイメージが出てきた。まるで自分だった。従業員を激しく怒ってしまったこと、自分が自由になる感じがすること、今まではできなかったということ、怒っていながら罪悪感のような恐怖があること。これら今起こっていることで寂しくて怖くて、顔なし(私)が千(お母さん)に求めるけど、(求めは満たされず)寂しくて(寂しさを紛らすために食物を)食べている。そして、苦(にが)団子を食べて、(諭(さと)されるように)シュッとして寂しくている。苦団子はベビーブレスで吐き出すこと。シュッとして寂しく(隠していた正体の)顔なしになっている。
寂しい自分が本当の自分だろうな。「お母ちゃん、お母ちゃん」とお母ちゃんを求めていた。ずっと泣いていた。恋しくて愛おしくてずっと泣いていた。凄くお母ちゃんを求めた。キチガイ(注:母は心を病み入院した)じゃない(本当の)お母ちゃんも(心を病むほどに)寂しかった。兄ちゃんも寂しい。みんな寂しい。ここに来て(自分の正体がわかるようになって来て)、求めていても(本当には)満たされない。でも求めているので満足。それでも(お母ちゃんは)いない。(昔は目の前のお母ちゃんを)求めることもしなかった。(今は求めるということを)声に出して吐き出してそれで満足っていう感じ。でも寂しい。お母ちゃんの寂しさをリアルに感じる。声を出せば出すほど寂しい。
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人は色々のことを忘れます。便利でもあります。でも、重要なことを、思い出そうとしても思い出せないと生活や職場でに困ることになります。度々だととても困ります。何か原因があるかもしれません。その場合には、幼い時に対応できないほど辛いこと(例:虐待)があり、忘れるという作用を強めることで対処する癖を、身に付けてきたのかもしれません。大人になっても、その癖は続き、何かまずいことがあると、すぐに忘れてしまう。忘れたことに気がつかない。職場でも迷惑をかける。「誰がそんなヘマをしたんだろう、俺じゃない」なんてことになることもあります。
さらに、忘れるだけでは間に合わないこともあります。辛い出来事が大きすぎると、忘れたくても忘れられず、単に忘れるという作用は役に立たないことになります。すると、一人の人間でありながら、その出来事に別の人格を割り当てて、本来の人格との間では連絡が取れないようにすることで対応しようとします。なかなか自分で認識できることはできません。そうすることで、辛くても忘れられない出来事は、その別の人格Bが担当してくれるので、本来の人格Aが、思い出す必要はなくなります。人格Aの状態の人に、人格B担当の出来事をたずねても、雲をつかむような戸惑った表情を浮かべるだけ。鉄壁の忘却ともいえます。この忘却の方法がさらに強化されると、複数の辛い出来事ごとに、それぞれ人格を割り当て、人格A、B、C、D・・・が一人の人間の中に存在する、ということにもなります。
グループカウンセリングなどに参加していると、日常では分からないことも分かることになりますが、前者(健忘)は珍しいことではなく、割に多く見られる作用のように思われます。後者(人格が複数)は、はっきり現れる例は少ないようですが、その人の心の深いところに入っていくと、これもまた、それほど珍しくないのではなかろうかと感じられます。前者のことを解離性健忘といい、後者のことを解離性同一性障害(多重人格)というようです。
忘れていることに気付くようにすること、原因となっている幼い頃のことを思い出してみること、これらの試みは普段の生活でもできます。
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自分の親が「毒親」だと気がつくのは、軽傷の子供の場合のようです。子供にとって毒親と気がつくのには大きな勇気がいるからです。子供にとって親はどんな親でも命の基盤です。自分を産み育ててくれた大きな宇宙です。それを否定することは、簡単には、できません。やっつけることは簡単にはできません。非難することは容易ではありません。なぜなら、それは「失う」ことになるからです。命の基盤を失い、宇宙を失い、心(幼いこころ)は生きてはいけません。大きな不安や恐怖に直面します。
だから気が付かないまま抑え込まなければなりません。しかし、抑え込んでも傷自体がが治るわけではないようです。かえって傷は膿み塞(ふさ)がれ重くなります。外出できず、動けず、表現できません。抑え込んで重篤になります。それでも「失う」不安や恐怖よりは増しなのです。
不安や恐怖への直面は、一人ではできなくても、カウンセラーや仲間と一緒にいることで可能になります。不安や恐怖は弱められます。直面することで徐々に傷は開放され癒されていきます。
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母親は宗教に入信した。そのことで私は2度捨てられた。小さい時に私は母親から愛情を貰えずに捨てられた。大きな傷になった。大人になりその傷を修復する作業し始めた。始めは、その傷がどこから来るのか、はっきりしなかった。作業を続けるうちに、そこには母親がいた。原因としての母親がいた。原因が分かり、私は、母親にそのことを問い詰めたかった。しかし、母親は入信した宗教を守りとして、私の言い分には耳をかさない。そうやって、母親は私をもう一度捨てた。
母親には母親の傷があり、傷の原因があると、頭ではわかっている。でも、どうしても許す気にはなれない。遠くない時期に、私が母を看取る時期がやってくるだろう。許せないが、ことの全体をわかっている事はせめてもの救い。
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心理トラブルの深い部分を探ると、母親から出生を本当には歓迎されないのに産まれてきてしまった、という事情が隠れていることが多々あります。そのようにして生まれてきた人が抱える葛藤は、阿闍世コンプレックスと呼ばれます。この名称(名前)の由来となった阿闍世王の物語が、仏典にあります。しかし、阿闍世王の物語を載せる仏典は複数あり、物語の内容も少しずつ違うようです。そして必ずしも、阿闍世王の物語の中に、阿闍世コンプレックスと呼ばれるコンプレックスが正確に描かれていないのではと、妥当性が議論されます(例えば「阿闍世コンプレックス」小此木啓吾 創元社)。まるで、正確に描かれていないと、阿闍世コンプレックスという概念そのものが妥当でなくなるような勢いで、議論されます。
そのような議論は、心理セラピーの現場からいうと、無意味な感じがします。阿闍世コンプレックスは、あるコンプレックスの名称にしかすぎません。名前自体は何でもいいはずです。ABCコンプレックスでも、胎児コンプレックスでも、構わないはずです。母親から出生を歓迎されないのに産まれてきてしまったことが原因となって、深刻な葛藤が、実際に多くの人に共通して存在するのは事実です。多くの共通した事実があるので、この共通性に対して、一つ名称を付けましょうというのは、便宜上、当然のことです。
また名称を離れて、阿闍世コンプレックスという概念そのものの妥当性は、心理セラピーの現場で議論されるべきでしょう。そもそも仏典は、お釈迦様が亡くなって、かなり時代が下って伝承により書かれたものだそうで、しかも、その書かれたものも、さらに時代が下り人々に受け入れやすいように色々に書き直されていることが予想されるのですから、仏典の事実内容の正確さを云々するのが無理ではないでしょうか。
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「母を棄ててもいいですか?」(熊谷早智子 講談社)という本には、次のような意味の文章があります。母娘関係の相互依存から抜け出せない仕組みとして、母親側からは娘へ「あんなにしてやった」「こんなに面倒を見てやった」と刷り込みを行い、娘に「母に恩を返さなければならない」と思わせたい<娘を手放したくない>気持ちがある。他方、娘側には「母には自分<娘>への<本当の>愛情がないと認めてしまったら、<自分は>絶望するのではないか」と不安になってしまう<母を本当に失ってしまう>という気持ちがある。(なお< >書きはこのブログで追加)
お互いに、お互いを手放したくない、失いたくないという気持ちが背後にあるということだと思われます。このことは、弊社アコールの心理セッションでも常にテーマになるところです。では、さらにその背後には、何があるのでしょうか。手放し、失ったなら、何が起きるのでしょうか。言葉にならない領域です。ベビーブレスではその領域を味わうことができます。とても大切です。味わうことで大きな成長が起きてくるようです。
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おはようございます。昨日はありがとうございました。感覚的な感想なのですが、胸のつかえがとれた感じがします。心のフタが取れたというか。頭のモヤモヤはまだ取れませんが、不思議と気分はいいです。よく眠れました。呼吸がしやすいです。身体も少しですが軽い気がします。生理痛が軽いです。いつもは生理がくると寝込んでしまいます。それがありません。次行ったら、もっと怒りたいなぁ、楽しみだぁと思っています。
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母親に怒りたかった。弱い母だから怒れなかった。いい子をやるしかなかった。そう思っていた。
でも、母親が弱いから怒れないのではなかった。「自分が」怒れなかったことに気づいた。
ベビーブレスでは怒った。分かって貰えなく寂しかった。寂しくて怒った。
そのうち「お母さん」と声が湧き出てきた。お母さんを求めている。物凄く求めている自分だった。びっくりするほど求めている。
ただただ「お母さん」って泣いた。私がいた。
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それぞれの子どもに意識を向けて(それまで、できなかったこと)生きている私がいる。幸せだ。
私自身は母に意識を向けて貰えなかったいらない子なのに。
母への想いを諦めなかった私が自然とつかんだ大切な宝物。
ベビーブレスでいろんな感情を吐き出し、味わった、、
今振り返りながらも感動して涙がでる。
感情がとても豊かになり自分自身を生きている実感がある。
今も母の存在は遠く遠く感じている、もちろん私は諦めない。
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本日は1日セッション、本当にありがとうございました!
ベビーブレスでは心から解放感を味わう事ができました。
カウンセリング中は笑いが絶えなくて、とても楽しかったです。またゆっくりとお話がしたいです。
今後もセッションを継続していきたいと思います。
以下に感想を記載します。
【ベビーブレスの体験感想】
ベイビーブレスを受けての感想を一言で言うならば「心が洗われて本来の自分に戻れた」です。
本番での三回のセッションでは段階を通じて、抑圧してきたネガティヴな感情(怒り、嫉妬、悲しみ…)を解放させて、抱えている問題の根本と真正面から向き合う事ができました。
セッション前と後では明らかに自分の表情が変わり、本来の自分の感覚や欲求が蘇ってきました。
本番を迎える前から二、三週間程、メールのやり取りでカウンセリングを行い準備をしていた為、 本番では抵抗なく自分と繋がる事が出来たと思っています。
言葉では上手く表現出来ませんが、生まれて始めて「浄化」を体験出来て、とても貴重な時間でした。今後も継続して本来の自分と繋がっていきたいと思います。
[ベビーブレスや精神分析的心理カウンセリングなどのセラピーを行うアコール(有)のブログです]
車道の真ん中へダーーッ:孫の話その4(反抗2)
私の娘の子供つまり私の孫、名前はみーちゃんである。彼とはよく散歩に行く。迎えに行く私を、彼はダンスしながら出迎える。散歩は彼にとって大きな冒険の場。家ではできない大きな反抗の場でもある。できるだけ彼の好きなようにやらせる。大きな怪我をしないようにするだけが私の役割である。
彼にはたった1つ禁止してることがある。車道に出てはいけない。命にかかわるから。ところが、この禁止が、彼の標的になる。彼は、歩道から車道ぎりぎりに立ち、こちらに背中を向けて立つことがある。またやるなと思う。「それはだめだよ」私の小さめの声を背中に聞きながら、彼は、車道を車が走っていないことを確認すると、車道の真ん中へダーーッと駆け出す。彼の決然とした反抗である。この話を、私の気持ちの上の孫娘、なーちゃんにした。なーちゃんはそれは愉快そうに笑った。同じ話を別の日に、みーちゃんのいる前で娘に、した。娘は普通に聞いているだけだったが、横で聞いていた本人のみーちゃんは、はにかみながら、とてもいい笑顔になった。大人はよく理解できないが、子供はよく理解している。ベビーブレスをマスターすると、よく理解できる大人になる。子供のように楽しい人生を送れるようになる。
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娘の甘えを許せなかった私は、ベビーブレスで自分を掘り下げた結果、自分自身の奥底に止めどなく甘えたい欲求が潜んでいることに驚いた。
甘えたい欲求が潜むその未知の領域の大きさ。ただただ大いなるその存在に向かって泣けた。
娘の甘えを許せなかったことがはっきり自覚できて、初めて、自分の内に甘えたい欲求が潜んでいることを納得できた!
母に甘えられなかった私は、自分自身の甘えたい気持ちを封印した結果、娘の甘えを拒否したのだった。
娘にやってしまったことの後ろめたさに、何とか、挽回し許される道はないかとさまよったが、今、許されなくていいと、はっきりした!逃げることはもうしない。
今日、 あれほど心の通じなかった母に、謝られた。「だから許して」と言われた。…はっきり分かった。
子供の甘えを許せない私のような母親なら、ほとんどの人が認めたくない心の奥の秘め事。
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母さんと、小さい頃に分かれた。その時の母さんへの気持ちは封印されていたが、ベビーブレスを重ねて最近、よみがえってきた。
(ベビーブレスの中で母さんに)「会いたい」って言った。言えてよかった。会いたくて泣いた。追いかけた。こっちを向いてくれないのが「嫌だ」と言って、「好き」と言ってみた。だけど、好きと思える部分がお母さんに「ない」となって、「何もない、何もない」、何もない事で泣いた。「お母さん!」とやっている時は会いたい気持ちの中に「好き」があるけど、ふと気が付くと、母の中に好きな要素がない。何もない。ない事が悲しい。 好き嫌いをお母さんに感じられていないのが凄く悲しい。
泣いている中で、母の代わりに別の人が、次々と出てきた。母さんを感じられる雰囲気要のある人といたいと思うのかなと。向いてくれない(つらい)感じとかわかってくれる人かなと。現実は(母さんには)会えないから、(代わりに現実に)居る人を追いかけるものがある。そういう人に引き寄せられるのかなと思った。
でも、 お母さんお母さんと言えた。ベビーブレスの中で追いかけるお母さんと繋がった感じ。ベビーブレスの全部の呼吸の中にあって、現実に戻りたくないというのがあった。 ずっとここにいたい、止めたくない。繋がっていたい。
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胎児期も視野に入れた精神分析的カウンセリング、ベビーブレスを体験し、自分の心理的なトラブルを理解し、本当の自分をつかんだ人々の体験談集
価格:1,000円(税込)
著者:林貞子 雲泥諸智
単行本:162ページ
発行所:アコール有限会社