命もって行かれるような不安1/3|記憶がはっきりしない|アコールセラピーの現場から(715)

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世間では、新型コロナ災害の第一波を何とかかわし、緊急事態制限が解除されました。
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死と生の統合シリーズの第三弾として、ようやく、新しいブログを出すことができます。心待ちにしていた皆様、お待たせしました。
<命もって行かれるような不安>
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今回のまとめは、小さなお孫さんがいる男性です。
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よくやりました。彼自身も無我夢中の感じで来たと思いますが、よかったです。
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はじめのころ、彼が意識できる彼自身の問題点としては、次のようなものがありました。
○自信がないこと。自分への過少評価を凄くする。
○不安感情が強い。(自分の心の中を)はっきり見たら「命もって行かれるような不安」がある。
○だから(物事を)ぼやかしてきたので、(いつも)霧の中にいるようで怖い感じがする。言い換えると、周囲がはっきり見えていない。(もしも)見えたら怖くないと思う(が見えない)。
〇世間では良い人と言われるが、実は強い抑圧がある。(抑圧のはけ口として)奥さんへの八つ当たりをしてしまう。ストレス溜まると奥さんに甘える(だから八つ当たりができる)。
○(何に対してかわからないが)怒りがある。煮えくり返るものがあると思うが、それは出ないものの、甘えられる奥さんに(ある程度)出てしまう。わざとやっている自覚はない。子供の前でもイライラするとガーって当たってしまう。「お前のせいだ」と押し付けたり、「ごめんね」と謝ったり繰り返す。
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命もって行かれるような不安や、何に対してかわからない怒りがある、というのは大きな手掛かりでしたが、彼自身は、それらの謎解きを積極的に話すという感じは、少なかった印象ですね。
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その代わりセッション(ベビーブレスなど)の中では夢中でやっていた感じです。夢中でやった結果、振り向いたら、いつの間にか謎が解けていた・・という感じでしょう。
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実践派ですね。

<記憶がはっきりしない>
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はじめのころ、問題点の背景になるものとして彼が意識できるものには、次のようなものがありました。
○精神的病になった母に育てられた。
彼は言います。「お袋が勤め先から帰ってくるとき、笑っている顔だと、だんだん近づいてきて表情を見てほっとする。調子悪い顔だとドキドキしていた。顔色を伺っていたんだなと。」
○お袋の病状が悪化して最後に言葉が喋れなくなった場面は恐怖体験だった。(子供心にはっきりわからないまま)何度となく、最終的には病気で「そうなってしまうんじゃないか」と怖くて怖くていたなと。
○その精神的病が(おそらく)原因で両親が離婚したこと。彼は母親に引き取られた。
○離婚などもあり何回か引っ越ししているが住居の記憶がはっきりしない部分がある。
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「笑っている顔だと・・・ほっとする」「そうなって(悪化して)しまうんじゃないかと怖くて怖くて」と母親を失うことの不安を言っています。それが問題点の背景だと・・。ところが、ベビーブレスなどの実践をしていくと、もっと奥の方へ入っていきますね。
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奥へ入っていくのは、もっと、後のことで、はじめのころは消えていた記憶と対峙することで精いっぱいだった、かもしれません。
彼は言います。「ブレスワーク(をすること)を思うと怖い。呼吸することがキチガイになる感覚。自分がキチガイになる感じ。記憶の母か、自分がなると思う恐怖なのか。」
<明るい畳の部屋>

絵1
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辛い記憶がよみがえる前は、彼は、自分が愛されて育ってきたという自負がありました。そのような幸せな記憶も描いています(絵1)。
彼は言います。「自分が赤ちゃんで畳の部屋でバタバタしてる感覚が出てきた。明るくて陽がこうこうとしていて、父ちゃん母ちゃんもいたイメージが出てきた。木漏れ陽があって、自分が守られている。ただ寝ているだけ、それが居心地良い。泣けてくる。凄い、光にも包まれていて、畳の臭い、太陽の臭いがして感覚に残っている。いつもお母ちゃんがいて何ともない安心感。包まれている中にいた。こんな世界があるんだと泣けて、泣けてきた。」
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あったかい絵ですね。もっとも、人は誰もいませんけど・・。
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絵は描かれていませんが、おっぱいと母親の記憶もよみがえっています。
彼は言います。「おっぱいを飲んでいる。足りなくなってくるとお母ちゃんがおっぱいくれて、気持ち悪くなるとお尻を掻いてくれて。下から見上げているお母ちゃん。味とかもフワーとして、温かく満たされてベットに寝かされて。自分だけ安全な所にいる位の感じ。怖くも寂しくもない。居心地良かった。おっぱいを飲んでいて、臭いも感じてきた。望まれていたかどうかは分らないがお母ちゃんは大事にしてくれた。愛情を感じた。」
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「大事にしてくれた」とあったかい記憶ですが、陰はありますね・・。
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「望まれていたかどうかは分らないが・・・」ですね。
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表面は明るい畳の部屋・・、ですが、チラチラと暗い奥が・・。辛すぎるのでしょう。
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そうなんです。
彼は言います。「幼稚園はバスに乗って行っていた。笑っていたお母ちゃんが出てくる。存在として親父もいたよう。卒園した後、離婚した後だと思うが、小学2,3年ごろの記憶を抹消してなくしていた。」
後でわかったことですが、このころ母の具合が悪くなり、入院などの都合で引っ越ししなければなりませんでした。
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離婚、入院、引っ越し・・・辛いことが重なって記憶が消えたんですね。引っ越しで、明るい畳の部屋も実際に失ったことになります。
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いいこともありました。小学高学年の頃には、母親に新しいパートナーができ、離婚の痛手が癒(いや)されます。彼はその人をA兄ちゃんと呼んで、なつきます。彼は言います。「A兄ちゃんが外に連れて行って(キャンプやバーベキュー)くれて楽しかった。」
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パートナーができ母親が安定したことで彼も安定したんですね。

<働く母を見る安心感>

絵2
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そのようにして、彼は、小学高学年から中学にかけては、安定していたんです。幸せな時期ですね。
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そういう時期があってよかったですね。
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もっとも母親が本当に真に健康になったわけではないでしょうから、不安はつきまといます。彼は言います。「中学のころ(母の職場の)映画館に何度も行っている(絵2)。自分も何で行っているのか考えちゃった。そしたら、働いているお母ちゃん、アイスクリームを抱いて働いている、それが(あって自分が)安心している。働いているお母ちゃんが安心でそれを求めている。家にいても笑っているときも穏やかな時もあったろうが、狂ってしまうお母ちゃんがイメージで(在る)。働いているお母ちゃんを見て(それが楽しくて)、映画が楽しいわけでない。」
「(下校後の)バスケを(して)友達と別れて一人で帰る。休みはお母ちゃん追いかけて(遠くの町のその映画館に)行っていた。働くお母ちゃんは目が合うとニコッとする。映画が終ると出てくるお母ちゃん。2,3回(同じ題名の)映画は見た。だから(見たいのは)映画ではない。日常は(母親は)いるのに何でわざわざ(映画館に)会いに行っていたのか。(自分は)満たされないで不安で寂しい子だった。ジワジワ思い出した。溢れるような感情ではないが。」
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絵には他の観客がいません。映画が終わって次の映画が始まる間の様子でしょうか。彼と、働けてニコッとする母親とが、二人きりになれる瞬間だったのでしょうか。家でも手にいらない瞬間だったのでしょうか。

<愛されて育ったと思い込んで来たというが、愛されないとどうなるの>
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彼は言います。「寂しいとか(は心の)表にいて、お母ちゃんが死んでしまう怖さ(もある)。(しかし)内側は見せないように思った。そこには誰も入れないような感じ。内側には(愛された)誇らしいような感覚がある。」
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「誰も入れない」で死守されるべき砦(とりで)なんですね。
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しかし、彼はその後、愛されて育ったと「思い込んで来た」と言うようになります。
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セッションが進んで余裕ができ「誰も入れないで思い込む」必要がなくなってきた・・・。
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彼に聞いたことがあります。「愛されて育ったと思い込んで来た」というが、母親は自分の問題で追い詰められていて十分な愛情をあなたに注げたとは思えない。愛されないとどうなるのか、と。
彼は言いました。「死んじゃうような恐怖感。愛されていなかったら存在意義がないような恐怖感。ピンボケにして、見ないようにして、自分がないようにしてきたが、唯一「愛された」と思ってきたのでそれがなくなったら、ピンボケの自分だけだから、(自分は)いなくなる、消滅感か。怖いから(母親に)しがみ付いて癒着していた。」
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消滅するんですね。
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彼は続けました。「冷めていてピントずらしても母と同じところにいたから怖かったのか。難病で発病した時の恐怖は半端じゃなかった。お母ちゃんが死ぬか自分が死ぬ話か。だから罪意識か〈後年、母親は病気で亡くなるが、一緒に逝かなかった事〉。(自分と母親は)一緒なのに片方だけになった。それだけの癒着があったな。」
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愛されて育ったという思い込みが必要でなくなり、辛い過去の記憶にも向き合うようになります。
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そうです。話が少し戻ります。辛くて記憶を抹消していた、卒園した後から小学2,3年ごろのことです。
<抹消したいお化け屋敷>

絵3
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記憶を抹消した中心の話がこの絵3と次の絵4になります。
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母親の病状が悪化し入院のために家を引っ越しする必要がありました。引っ越し先の家を、彼はお化け屋敷と呼びます。
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よほど嫌だったんですね。怖かったんですね。
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母親の入院の時期に、彼は自分の小学校の入学式を迎えます。
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この絵3は入学式の帰りですね。まるで絶望に向かって帰っていくようです。ピシッとした和服の女性は、お祖母ちゃんですね。
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はい。
彼は言います。「(記憶がよみがえってきて)小学校の入学式の場面が出てきた。入学式の(自分の実際の)写真があるのだが、(それまで抹消していた記憶が)動き始めた。お祖母ちゃんが取ったのだろう。嬉しいのと不安が混合していて、どっちかいうと不安が大きい。入学式は初めてだから不安なのだろうが、(母親が)明らかに病院に入って(いたのに入学式のために)出てきたので、ビックリしたのといなくなる恐怖があった。嬉しさもあった。(式の時に母がいる)後ろをずっと見ていたときの感覚が出てきた。
怖くて、「またいなくなんだろう」と、最初からいなければいいが、いるのは嬉しいが又いなくなる。いなくなったのは病院に(帰って)行ったということ。(式にいたはずの)友達も出てこない。記憶喪失のようになっている。」
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式の記憶が記憶喪失のようなんですね。
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彼は続けます。「(入学式の帰りには)お母ちゃんがいなかった。お祖母ちゃんが怖かった(絵3)。お母ちゃんは(精神科の)病院に入院していたのだろう。牢屋(病院の中の鉄格子で区切られた空間)に入っているのは怖い。入学式の後にお化け屋敷(病院時代の自宅)に帰ったに違いないのに、お祖母ちゃんの背中を見て帰ったところは(記憶では)、(それ以前の彼が幼い時代を過ごした)両親がいたところの家だった。(実際は違った。お化け屋敷に帰った。)創作していた。無意識でそうした。(母が)入学式に来てくれたのは嬉しくなかった。「まだいる」「まだいる」「やっぱりいなくなった」と。泣きもしない。お祖母ちゃんが慰める訳でもない。抹消したい家(お化け屋敷)に帰った。」
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記憶を抹消するだけでなく、別の家へ帰ったと、ゆがめて創作していたんですね。
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さらに続けます。「帰り道は途中まで思い出したが、お化け屋敷は思い出せなかった。(夜寝たのは)どんな布団なのか、お祖母ちゃんと二人で寝たのか出てこない。出てきたのは、ごま塩のような石(花崗岩?)の台所に立っているお祖母ちゃん。お祖母ちゃんが洗物をしている背中が出てきた。中華料理なのかそこで卵焼きを作ってくれた。醤油付けにしたような卵焼き。お母さんの方は甘い卵焼きだった。毒々しい醤油味の卵焼きを思い出した。それを食べていたんだよな。どんなちゃぶ台だったのか覚えていない。」
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家(お化け屋敷)も思い出せないし、「毒々しい醤油味」・・・嫌だったんですね。
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「卵焼き」だけでなく「トウモロコシ」は今も苦手です。
「昼間なのに薄暗い部屋の風景が見えて。トウモロコシが出てきた。兄貴もいた。おばあちゃんが茹でたトウモロコシをオチャラケてグワーッと食べた。息が詰まって苦しかった。おばあちゃんも兄貴も助けてくれない。お母ちゃん助けてとやったが誰も助けてくれない。お母ちゃんがいなくなって後の事。寂しさの穴埋めで食べたと言うのが落ちた。ふざけてやってしまう事。何も考えずオチャラケて食べた。それで吐いた。死の体験のよう。怖い。誰も助けてくれない。お母ちゃんがいないと感じた瞬間が怖い。」
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怖さを埋めるために「オチャラケて食べ・・吐いた」・・。
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お祖母ちゃんは、卵焼きやトウモロコシをつくってくれたのに、彼は嫌いだったんですね。
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それでもその人に命をつないでもらう(食べ物)しかない。
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お祖母ちゃんの夫(祖父)は日本海軍の連合艦隊のお偉いさんだったらしい。そのせいなのか、お祖母ちゃんは厳しかったのかもしれません。
彼は言います。「離婚にもお祖母ちゃんは絡んでいる。凛として存在が強かった。尋常でない状況でも凄かった。普通でない状況でも動じないようにしている。祖母は、子供を一人養女に出し、母と、母の姉は精神的病を得ている。祖母は戦時中の時代の人で、連合艦隊の白服の夫を持ち、お国のためとやっていた代々の因縁があるのか。」
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戦争のために人間性を自分から犠牲にしていった、そして子供も犠牲にしていった世代というのがあるのかもしれません。
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犠牲にされた子供(母親)は耐えられないということなのでしょう。
彼は続けます。「お母ちゃんは寂しい。父親と別れたり、A兄ちゃんを含め(他の)おじさんも2回去っていく。支えになる人がいないとだめな弱い人が母だった。」
実は、彼の卒園前に、両親が離婚し父だけ家を出て別居しますが、このことが契機になって母親の入院があったと考えられます。別居と入院はほぼ同じ時期です。また、後で話題になりますが、A兄ちゃんが音信不通になって母親の大きな発作が起きます。
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お祖母ちゃんも辛い、子供(母親)も辛い、孫(彼)も辛い・・。連鎖しているよう。
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そう。「お祖母ちゃんと一緒に歩いている時(絵3)、お祖母ちゃんから逃れられない、後ろで黙って歩いていた。」

絵4
<牢屋>
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絵3を描いたかなり後に、ようやくして上の絵4が描かれます。
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なかなか思い出せなかった「ピンクのスリッパ」の上の部分ですね。抹消記憶の中心部分。
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ええ。入院している母親です。彼は病院を牢屋と呼びます。
彼は言います。「お化け屋敷の時代に、怖いのが、母が精神科の病院に連れて行かれたこと。いかにも病院。分厚いガラスと鉄格子。まるで牢屋。面会をしたはずだ。鉄格子の精神病棟の奥にあって、あれが怖かった。中も二重になっていて、そこからお袋の顔が出てきた。鉄格子を開けて出てきて、怖かった。厚いドアの向こう、あんな奥にいるんだという恐怖。思い出そうとしても母親の顔(の詳しい様子)が出ない。顔を見ようとしても見えない。鉄格子だけ見えて、スリッパしか出ない。ピンクのパジャマを着ていた。大好きなお母ちゃんなのに顔を見ないで帰って来た。おかしい。二度と会えないという恐怖、(小学入学の)これからスタートという時に二度と会えない切り裂かれる恐怖。子供ながらに残っている。トラウマ。そこは怖い。」
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顔の詳しい様子は出てきませんが、それでも、それまで出なかった「ピンクのスリッパ」の上の部分がかなり描かれています。彼の状況がよくなった証しですね。
<H>
彼は、自分が母親に愛されて育ったと言いますが、一方で、母親をお化けとも言います。もう一面があると言います。
「恐れているお化けは「愛してくれたお母ちゃん像が崩れる事」だと思う。(母親は私に)愛情一杯と思っているが、本当はどうかと。(母親の)もう一面を見る事になるから。母親が病気で死ぬと俺が死んでいなくなるという感覚はずっとあった。その時のお母ちゃんって嫌いだったと思う。病気が出てきたら「早く前のお母ちゃんに戻って」と思っていたと思う。でもどこかで罪意識があった。」
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お化けに関して、何かの「罪意識があった」ということですね。ここは重要ですが、まだまだ、はっきりはしません。

<鉄格子というフィルターの中>
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彼はよく、フィルターの中にいた、と言います。
「初めてお母ちゃんがキチガイ病院に入っていることを知った時、友達がいたけど、遊んでいたけど、一緒にいるが自分だけが違う所にいる感じで怖くて。何をやっても怖い。何やっても楽しくない。今の子じゃないからゲームもない。怖くて、怖くて。100パーセント影響を受けていた。友達の中にいるとき自分だけフィルターを掛けられているようだった。怖い。鉄格子の中に自分がいるようだったのか。」
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母親と同じように自分自身が鉄格子のなかに・・・。

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母親は2年後に退院して次の家へ引っ越し、やや安定した日が続きます(絵2)が、完全に安心できる状況ではありません。
「母親は2年間入院した。出てきてからは自力でいて病院に通っていて、大量の薬を飲んでいた。」
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薬に頼るしかないのでしょうが、危(あや)ういですね。

(つづく)

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