人生の息苦しさを解く最後の関門は一つの謎として立ちはだかった(その2)|セラピーの現場から(661)

<見っともない人生>

そういう状況(660参照)の中で、「見っともない人生」を生きてきてしまった、という気持ちがあった。そして、「見っともない人生」をいまだに歩んでいるという、強い不満があった。何が見っともないのか。それが謎だった。自分が愛情をもらえない「干しけ猿」だったという気づきや、ついついエリートやリーダーとして振る舞う癖があるという気づきなど、大切な気づきがあるにもかかわらず、これらの気づきは「何が」の答えにはならなかった。微妙にズレがあった。そして、これらの気づきは互いにつながらなかった。人生の息苦しさを解くことができなかった。最後の関門として残った。謎として立ちはだかった。繰り返して自分の中に湧き起こって来ては自分を苦しめる一つの思い。「自分の人生は見っともなかった。」

<あきらめようかとも>

謎は謎のまま時間が過ぎ、あきらめようかとも思った。思えばつらい人生であったが、自分でもよく頑張ってきたと思う。「干しけ猿」として生まれ、恐ろしい太平洋戦争の子供時代をくぐり抜け、エリートとして、リーダーとして頑張ってきた。少々、他人に煙たく思われようと、頑張ってきた。立派にやってきた。褒められていいはずだ。それでいいではないか。

<でも納得しなかった>

そう思ってもどこかで自分自身が納得しなかった。あきらめなかった。セッション受けを続けた。

<謎は解けた>

やがて謎は解けた。

生きている事自体が見っともない。そのことを、自分自身が認めたくなかった。最後までエリートとしてリーダーとして、なんとか、立派な人生を終えたかった。生きている事自体が見っともなかったことを認めると、今までの人生がウソになってしまい、死んでしまうような気がして、認められなかった。

ところが、認めたら、心のそこからエネルギーが沸き起こり、大泣きした。まるで臨終の人のように、人生全体が走馬灯のように思い起こされた。セッションの中で、それまでできなかった母親殺しを、本気で行うことができた。すっきりした。本当の人生が始まるという強い予感がしている。

 

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人生の息苦しさを解く最後の関門は一つの謎として立ちはだかった(その1)|セラピーの現場から(660)

Kさんの人生の息苦しさを解く最後の関門は、一つの謎として立ちはだかった。自分の中に湧き起こって来て自分を苦しめる一つの思い。「自分の人生は見っともなかった。」しかし何が見っともなかったのか自分でも分からなかった。謎だった。やがて謎は解けた。生きている事自体が見っともなかった。

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<働けない子供をどうしたらいいのか>

Kさんは、もともとは子供の問題で、カウンセリングを受け始めた。子供が大学は出たのだけれども、社会に出ていけない、働けない状況が続いていた。

子育てを失敗したという自覚はあったものの、子供をどうしたらいいのかという問題が最も主なものであった。自分自身の問題を探っていくという事はできなかった。

子育てがうまくいかなかったのは、自分が教員の仕事を続けてしまったからだという反省があった。教員の仕事が忙しすぎることが原因だと思った。定年前に教員を辞めてしまった。辞めることで子供に正面から関わろうとした。

<実は子供を愛してなかった>

カウンセリングが進むにつれて、しかし実は、子供を愛してなかったということに気がつき始めた。

<自分自身のこと:エリートとしてリーダーとして>

自分は地方の学生としてはエリートであった。親からは期待され、懸命にそのエリートの道を歩んだ。それは、あとで気づくのだが、母親のプライドのために利用されたものだった。社会的にも恥じることがないように、人々のリーダーになれるように、一生懸命に生きた。でも子育てはうまくいかなかった。また、エリートとして振る舞い、人々を逆に傷つけ続けた。

<自殺願望と寂しさ> <名前「干しけ猿」>

いつも変わらず自殺願望があり、心の中から寂しさが消えなかった。これら自殺願望や寂しさがどこから来るのか。ベビーブレスの中で、自分自身の赤ん坊のころのイメージが出た。愛情をもらえず干からびた猿のような赤ん坊。名前を付けた。「干しけ猿」。母親から愛情をもらえなかった。母親は彼女を望んでおらず育てる気も弱かった。

母親から愛情をもらえず、そのために、自分の子供を愛することができなかったという種明かしはできた。愛することができずに子供の問題が起きていたのだ。

しかし彼女は何か納得ができなかった。自分の心の傷が未だに癒(い)えないという強い不満があった。自殺願望と寂しさはやっぱり消えなかった。

その一方で、エリートとして、リーダーとして振る舞う癖もぬぐえなかった。そして、そのように振る舞えば振る舞うほど、周りの人々とうまくいかない状況になった。

 

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途方も無く長い時間一人だったんだな|逆に宝物に思えるとは|セラピーの現場から(659)

○新生児の私は、何はともあれ7週間の間1人で耐え抜いた。親の支えもなく、自分自身の支えも乏しく、それでも堪えた。あまりに辛い人生のその部分は、なくなって欲しかった。しかし、今、その部分が、自分の宝物に変わっていった。
○私は産まれてすぐに入院し保育器に入れられた。7週間の間1人だった。途方も無い時間、一人だったんだなと思う。感じたくない時間だったのだろう。そのイメージを絵に描くと、氷水にどっぷりつかり、冷たい、寒い、寂しい感じになる。お腹の中の、母と意思疎通のない胎児。保育器に入れられ、誰にも待たれない私、親の期待と違った私、という感じになる。そして、お腹から出てきても一人だった。いつも一人。今も殻の中。薄いカプセルの中。流す涙も無い。一人ぽっち、一人ぽっちで体育すわり。そんな感じのイメージになる。絵を描くだけでもドロドロに疲れる。
○セッションでは、「何はともあれ7週間の間1人で耐え抜いた」という言葉が出た。そのことを自分自身に何度も何度も言ってみた。今までより地に足がついていて堂々としていたかな。感情を止めたなかったし、皆さんが泣いていてびっくりした。耐えたことが一番だったので私は「よく耐えた」とやった。納得と満足があった。
○今までは保育器のことがあって、何かに追われているような焦りがあったかなと思う。でも、今は凄く満足している。保育器のことが逆に自分の自信になる宝物に思えるとは、考えても見なかった。

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怒り狂っているお母さんの顔の記憶が欠けている|セラピーの現場から(658)

○どうも自分はお母さんから虐待されて育ったようだ。そして自分のこども達を同じように虐待してきた。そう考えると納得できる。自分が虐待された時の怒り恨みを溜め込んでいるはずだ。その溜め込んだものを、本当に出したいが、本気が足りないことがわかってきた。今回、本気でやったら、恨みの母親を殺し、恨みの自分も殺せた。その後、愛おしさ寂しさが現れた。
○事前に、怒り恨みを本気で出すために、自分を虐待し怒り狂っているお母さんの顔を絵に描いて見ようと思った。が、どうしても描けない。記憶が欠けている。そこでこども達を虐待しているときの自分の顔を、こども達に頼んで描いてもらった。見事に描いてくれた。怒り狂っている顔だ。こども達は具体的に描けるのが良いなと思う。私よりは自由だ。
○この自分の顔の絵を、お母さんの顔としてセッションをした。この絵とか思い浮かべてて(イメージの母親を)殺すことができた。死んだ感じがあったので、(母親を)可哀想だなと思って泣けた。
寂しい、一人だな。お腹の中でもさみしいな、全てに寂しい。寂しさに対して恨みがあって、恐怖もあって、母への恨みというより、自分の寂しさからくる恨み。恨みの自分を殺したくなる。
恨みを、動けなくなるくらい枯れるまで、やってやろうと思った。恨みの自分を(イメージの中で)「殺してやる」と本気でやれた。そしたら死にそうになる直前で恐怖が来て、「死にたくない」になった。そして苦しくなって、「殺してくれ」になって、恨みの自分は死んだ。
今まで、生きるのに恨みを支えとしてきた自分だったから、死んだら(自分が)可哀想だった。寂しいから恨んで、恨みが支えで生きて来た。恨みの自分が愛おしくなって来た。死んで平和になった。途中で悲しくなってきた。泣いて、途中から「生きていこう」となって、恨みがないけど「生きていこう」前に「進もう」になった。気持ち良かった。

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「抱っこ」(生きようとする気持ち)と「殺せ」|セラピーの現場から(657)

○母親から自分が殺されそうになる恐怖の記憶から逃れるために、別の人格Kが存在する。人格Kは感覚を持たないので、その恐怖に耐えられる。しかし人格Kは恐怖に反撃する激しい殺意を持ち、謎の部分が多くて制御できず、まれに実生活で現れ問題を起こしてしまうことがあった。最近、人格Kの詳細を把握することができるようになってきていて、セッションで進歩があった。
自分を殺す母親と優しい母親の2つに分裂していたが、その中間の寂しいお母さんが出てきた。対象の分裂から統合への始まりと思われる。死の恐怖の受け入れがあって、生と死の統合が起きつつある。人格Kは、この統合をきっかけに、小さくなり、本人の一部になる兆し(きざし)が出てきた。
○セッションでは(小さい自分がお母さんへの愛情を求める)「抱っこ」を叫んでいた。(始めは母親は)気配だけで誰もいない。(そのうち)殺そうとするお母さんと優しいお母さんが今までは別々だったが両方いるお母さんだった。殺そうとするのに優しくするのは「何で」と(お母さんを)やっつけていた。泣きながら両方のお母さんをやっつけていたのに、目の前に、寂しいお母さんが出てきた。怖くも優しくもない寂しいお母さんだった。初めてだった。私も寂しくなって(近くにあった)毛布を抱きしめて一緒に泣いていた。寂しさに満たされて気持ちがあったかい。
○次のセッションでは、お母さんから殺されそうになった(イメージに入った)。言うことを聞くから「殺さないで」とやっていた。「怖い怖い」と逃げていた。そのうち「殺せ殺せ」「殺してください」「お願いします、殺してください、お願いします、殺してください」と声を大きく言っていた。
その後、「抱っこ」と「お願いだから殺してください」が混じり合っていて、バタッと倒れた。心臓だけがどくどくいっている。指先から血が流れる感じで暖かくなって、指、手、顔が暖かくなった。「抱っこ」(生きようとする気持ち)と、「殺せ」「お願いします殺してください」は私の気持ちで同じ(自分の本音)だと思った。
寝ながら揺れていたら凄く悲しくなって泣いた。3歳の人格Kが一緒に死んだ。Kを抱いて座っていた。Kが(自分の)お腹の前にいる感じがした。

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お母さんは空っぽ|自分に怒りがあるとは思えなかった|セラピーの現場から(656)

◎自分に怒りがあるとは思えなかった。そのうちに、怒りがあり、それを出すと気持ちが良いし、少しずついろんなことに改善があるのもわかってきた。しかし何か物足りない。やはり私は、かなわないと思っていても、母からの本当の愛情が欲しい。だから、母親への怒りがある事は分かってきたが、でもその怒りを出すことで、完全に納得するとまでは思えない。
<鉄の檻の中>
自分自身のイメージ。6歳くらいの自分が膝を抱えて一人でいる。鉄の檻の中にいる。本当に言いたいことが言えなくてモヤモヤしている。口がない。動けずにじっとしている。
<お母さんは空っぽ>
先回のセッションで、イメージとして初めてお母さんが出て来た。お母さんは中身がなくて空っぽで何もない。けれども自分はお母さんを抱きしめて離れない。自分は寂しさで冷たくなっている。冷たくて寒くてしょうがないけど、それでもお母さんにくっつけていられる喜びがある。
<自分に怒りがあるとは思えなかったが>
もともと自分に怒りがあるとは思えなかった。そのうち、怒りがあり、出すと気持ちが良いこともわかってきたし、そして少しずついろんなことに改善があるのもわかってきた。

<職場で感じた怖くなるくらい殺意>
そのころ、(大人しい私にはないことだったが)職場で怒りを感じる出来事があった。どうしても許せなくて怒りが出て抑えられない感じ、怖くなるくらいの自分の殺意を感じた。その出来事のイメージを絵に描いてみた。それは実は、母親への殺意だった。自分を見てくれない母を血まみれになるくらい引っ掻いて、自分も血まみれで引っ掻き続ける感じ。怒りと悲しみ。凄く怖い。イメージした後では、スッキリしている自分もいた。この気持ちを認めて良いんだなと思えた。この時の出来事は、ある幼児に関することだった。
<幼児期の記憶がない>
そういえば、私には0才くらいから5才まで記憶がない。そのころ父とは離婚して母と引っ越しした。引っ越しの前の記憶がない。小さい時に一緒に住んでいたはずの父との記憶がない。その事情を知りたい。
<止まらない涙と母への殺意>
セッションに入るまで怖さがあった。人のセッションを見ていて、私の心に響いて、涙が止まらなくて、それは自分に殺意があるからだと分かる。怖くて体が震えてくる。ここで(隠れている殺意を)吐き出さないと(自分は変わることができない)という気持ちで自分のセッションになったが、なかなかは入れなくて、でも、なんとか本当に出すところまでやってみようと思った。途中から、だんだん母親への殺意に移って来て、やっぱり、絶対許さないという気持ちで激しく怒った。ずっと激しい怒りが続いた。
<何で分かってくれないの>
そうしたら、「何で、何で、分かって欲しいのに何で分かってくれないの、こっちを向いて欲しい」という気持ちが出て、それも全部怒りになってぶつけた。そし、その怒りを言葉にしたら、寂しい気持ちにもなって来て、悲しいも寂しいも後から出て来て、母親の中に何もない、空っぽの母でも、それでも自分は甘えたかったし、くっつきたかったし、くっつきながら怒りをぶつけた。抑えずにできた。全身を使ってぶつかっていけたのが凄く良かった。深い悲しみが溢れてくる感じで、ちょっとスッキリした。
<悲しくて虚しくて>
でも、こんなに怒りを出し尽くしても、悲しくて虚しくて。やっぱり、くっついていたい気持ちになった。他方で、力が抜けて気持ちいい感じもした。
<母へのしがみつき>
セッションでは、母親にくっついて、そのまま絞め殺してしまうくらいのしがみつきを感じた。今まで隠れていたそれを感じられた。くっつきたいけど、何で安心もくれないの、何で分かってくれないの、だからますますくっつく。そういう意味のくっつき方だ。今までは母に嫌われる恐怖があって、くっつけなかったけれど、できた。自分のセッションを思い返してみて、なんか凄い怖い気持ちがあるなと思った。

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話の不得意な私が兄弟を集め話のキャッチボール|セラピーの現場から(655)

 

もともと私は話が不得意だった。表現が苦手だった。兄弟同士もあまり話をしなかった。最近その私が中心になって、兄弟の集まりを持った。自分が中を持って話のキャッチボールをした。すごく良い話ができた。お互いに、あの時はこう思っていたとか、親父が怖かったとか、兄弟間の話が足りなかったとか、本音が言えた。はじめて兄弟になれたよう。弟がこの集まりを「またやろう」と話していた。私は嬉しかった。
私の心の傷は、弟が生まれた時の2歳児のときにあるようだ。その傷が元になって表現が苦手なのかもしれない。セッションでは、表現できない自分を殺したし殺された。表現したい自分も出て来た。風船のイメージが出る。優しさや受容の象徴だ。2歳児の表現できない自分を、その風船の中に入れて、さらに「寂しい人おいで」とやった。自分の子供や父方の親戚も、入れた。みんなの顔が見える。笑顔で遊んでいる感じ。
そのセッションの後に、保育園に行ったら「お子さん、凄く話せるようになっていますね」と言われた。自分が表現することをOK出せたから自分の子供も出せたのか、と思う。

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母は父をつなぎとめるために自分を妊娠したが離婚し自分にはとてつもない恐怖|セラピーの現場から(654)

○自分の中にすごい恐怖があることが分かってきている。この恐怖が私の人生に存在する不具合の原因になっているようだ。その自分の恐怖の出所が今まで謎だった。それがうすうすわかってきたような気がしている。私の出生前、母と父の仲は破たんしかかっていた。母は父をつなぎとめるために妊娠した。しかし父の浮気があり結局は離婚した。そうであれば自分のとてつもない恐怖が説明できる。
○自分の中にすごい恐怖がある。とてつもない恐怖。言葉にすると全く抵抗ができない状態で、身動き取れない状態で、急に殺される。受け入れる準備もない。その状況で死んで行かなくてはいけない。窒息されるような感じ、否応無しに。
○この恐怖は、胎児が感じていたのではないか。そう思うと母が父の浮気を知った時のことが、当てはまるのではないかと思っている。その恐怖というのは、急に命が奪われる(堕胎の)恐怖だが、そのほかに絶望感がある。(愛情を貰えないまま)生きなきゃいけない絶望感。怖い思いをしなながら生きる生き辛さ、周りに疎まれながら、苦しいことが何度もあるのに生き続けなければならない絶望感だ。
○妊娠中に(浮気)相手がいるという時の母の絶望感があったのではないか。母の絶望感を自分が取り込んでいたのか。母が感じる絶望感なのか、自分が感じる絶望感なのか。区別はつかない。母と一体的で自我の無い(あるいは弱い)胎児には同じことかもしれない。
○今回のセッションではそこをやりたかった。最初、恐怖は出て来た。でも、それ以上は、上手く入れなかった。考える癖が出て来て、それで苛立っていた。逆方向への表現が起きた。楽しくなった。楽しさはエネルギーが出てワクワクしている感じ。それが本当の自分に近いんだろうなと思う。セッションで使われる音楽で楽しくなったのか。最初の恐怖を少しだけだけれども味わうことができたからか。恐怖の理解が進めば自分がこういう(楽しい)自分だろうなと少し納得できた。それが自分だろうな。苦しいこと、辛いことが多いけれども、本来は楽しい自分なのだろうな。
○恐怖をやりたい(深く入りたい)気持ちはあっても、意図的にやると上手く行かない。やはり怖くて嫌なんだと思う。胎児期の恐怖が絶望感になりエネルギーが湧かない、それが今までの自分だったんだ。そのことが分かってきた。

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パンドラの箱を開けた母を求める気持ち|セラピーの現場から(653)

○母を求める気持ちは、現実の母親には受け入れてもらえなかった。だから人生の早くに諦めた。そのつもりだった。そうしてきた。しかし、母を求める気持ちは、現実の母親とは関係なく、自分の中で、存在し続けていた。セッションでは、受け入れてもらえないことからくる、恨みと吐き気が起きる。今回のセッションでは、現実の母親とは関係なく純粋に母を求める愛気持ちが、突然、現れた。パンドラの箱を開けたような、地雷を踏んだような感じだった。
○小さなころから母には邪険にされた思いがある。どんなに母の愛情を求めても、母には受け入れてもらえなかった。心の中で、泣きながら自分を閉じていった。20歳になった頃には(母の愛情を求める)手を引っ込めた自分がいる。諦めた。心象を絵を描いて見ると、真っ暗で、人物の後姿しかない。この人物は母であり、自分でもあるなと思う。私の子供も、同じように私に愛情を求める。応じてあげられない。子供には、私に愛情を求めても「無理だから諦めろ」と言っている。
○今までセッションをやると、恨みと吐き気が起きる。「なんで、なんで」という言葉が出る。何で受け入れてくれないのかという意味だ。「寂しい、辛い、悲しい」という言葉も出る。しかし、それ以上はなかなか深まらない。現実の母親には受け入れてもらえなかったし、いくら求めても現実の母親には受け入れてもらえる可能性は無い。
○今回のセッションでは、セッションで使ったシーツを引っ張っていて、母親のように手放せない、引き寄せる感じが出て、突然に「好きだ」という言葉が出た。言ってはいけない言葉だった。どんなに望んでも愛情はもらえないことが分かっていたから、絶対言わない言葉だった。でも、出てしまった。パンドラの箱を開けたような、地雷を踏んだような感じだった。気持ち良かった。
○次のセッションでは、途中で、幸せだーという感じがあった。幸せが何回か出て来た。この幸せって何だろうなと思った。母親を好きだと言えず封じ込めていたことが、言えたことが幸せなのかと今は思う。今まで求めて来たものを、半分認めつつ、半分認めないでいたが、母親を求めているのをしっかりと認めた。

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生後数か月の頃に置いていかれた心の傷|セラピーの現場から(652)

○私には生後数か月の頃に、置いていかれて受けた心の傷がある。セッションをすると分かる。私の中には母を求める純粋な気持ちがある。赤ん坊が求めるような気持ちだ。それをどうしたら良いか分からない。母はいない、現れない。純粋な求めの矛先を向ける先がない。現実の母も私の気持ちを理解しない。どうしたら良いか分からない状況に直面すると恐怖と怒りがやってくる。
○この純粋な気持ちが通らない状況は死だ。その死をのぞき込んで恐怖を感じる。
○この恐怖は絶対嫌だ。激しい怒りの圧力ではねのける。(それが私の生きてきた生き方。怒りこそが私を支えてくれた。)恐怖は痺れとともにやってくる。手や顔も痺れる。怒りを出すとほぐれる感じはあった。しかし今までのような怒りでは届かない感じがして、恨み呪い殺すと言うのが出てきた。恨んでも呪っても殺しても相手は潰れる感じは全然ない。この怒りの先には皆殺しの殺意がある。それでも十分ではない。まだ体が辛い。
○死を意味する恐怖を少しでも受け入れると体が楽になることがわかっている。でも受け入れるのは嫌だ、絶対嫌だ。受け入れて弱くなるのが許せない。どっしりとしなくなるから。テレビで誰かアスリートが「恐怖を味方にしたら」自分の壁を突破できたというようなことを言っていた。自分には無理かもしれない。
○でも嫌だいやだと言いながら、少しずつ、何かが変わっている。
○セッションで母に「どうかお願いだから殺してください」というのが出た。同時に「一人にしやがって」というのが初めて出た。寂しい、一人ぽっちだった。だんだん、本当に一人なんだ、となった。寂しい悲しい感じの一人より、一人で強くなった感じだった。
○実生活でも変化が起き始めている。普段の生活で家族に対して湧き勝ちだった怒りが湧かない。子供に対して怒りが出ない。夫も楽になったらしい。以前はちょっとしたことで、例えば約束の時間に遅れたことで「このやろう」と腹わた煮えくる感じがあった。自分の中に引けない怒りがあり、怒っていると訳がわからなくなるものがあった。それが、最近は、家族の事情が見えて、怒れない。
○自分の怒りの事情も見えてきたのかもしれない。腹わた煮え繰り返る<どうしようもない>のは、赤ん坊の頃に置いていかれて<どうしようもなかった>んだろう。家庭や職場で自分で<どうしようもできないこと>に怒る。もどかしくなる。泣きながら怒る感じ、怒りながら泣く感じがある。湧いてくる怒りと赤ん坊の頃の恐怖を繋(つな)げないように、味わわないように、している感じがある。
○繋げて味わう途中が恐怖。しっかり恐怖というのを味わっていられない。体が辛かったり痺れたりするから、それで、怖さがあるのだろうと何とか実感できるが、本当に直接にその恐怖を感じるのはできない。何か違う方向に行っちゃうかもしれない。恐怖という一点に絞れない感じ。ドップリ浸かれない感じがする。
○ドップリ浸かれないが、セッションで瞬間的に浸かった経験はある。そのとき、体が全部抜けるような感覚で楽になる。瞑想でも瞬間的には浸かり楽になったりする。恐怖が体に出たりするときに、瞬間的に恐怖に触れると楽になる感じはある。
しかしその瞬間にたどり着くまでが長い恐怖で、その恐怖にはドップリ浸かれない。凄く苦しい。
○でも本当はドップリ浸かりたい。ドップリ浸かって心底満たされたら何もかも納得できる。恐怖は絶対嫌なんだけど恐怖抜きには語れない。

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母の言うことを聞く明るい私「そんな私は幻想だ」|セラピーの現場から(651)

○私の中にある激しい殺意の裏に、母に対して「自分をわかってほしい」「愛してほしい」「くっつきたい、一つになりたい」という気持ちがあった。いくら尽力しても母の愛情は手に入らない悲しさに気づき、涙が溢れ止まらなかった。だけど不思議と温かな気づきでもあった。手に入らないことに傷ついていた。悲しさ、虚しさの理由がわかって嬉しかった。自分の感情を受け入れたのかもしれない。安心感があった。
○ 母は何をきっかけに怒り出すのかわからない人だった。母の言うことを聞く、明るい私だけを好いている。「こんなところが好きだよ」と理想的な姿を並べられるたび傷ついた。「そんな私は幻想だ」と知ってほしくて、母の怒りに触れるようなことをわざとしたり、傷つけるような態度を取った。なぜそんな行動を取ってしまうのか自分のことなのにわからなかったが、はっきりしてきた。優しい母(私を部分的にしか受け入れない母)をぶち壊したい、暗くて悲しい悪態をつく私と向き合ってほしい。そんな背景があった。

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鬱と死の衝動|いらない子だった|セラピーの現場から(650)

 

○毎年ある季節になると、ひどい鬱になり、外に出られなくなる。ときどき死んでしまいたい衝動に駆られ、発作にもなる。その原因として考えられるのは、いらない子だったこと。いらない子だったと、口に出して言うことは簡単だが、正面から認めることがなかなか難しい。だから、その背後にあるべきはずの恐怖が感じられない。
○今、感じられるのは、認められたい、甘えたい、と思う本音、寂しさ、怒りだ。それらを出し切った後で、恐怖がやってくるのかもしれない。その恐怖を受け入れてようやく一人前になると、頭では理解できる。
○さて、私はいつも人前でニコニコ笑う。自分でも不自然と思うくらいニコニコする。この不自然さがひどい鬱と関係しているのかもしれない。前回のセッションではセッションの間中、あえてニコニコしないように、過ごした。そのセッションの後、ニコニコしないことを、持って帰って継続しようとしたができなかった。
無理していい子をやって来たことは随分前に気づいて来て、最近はいい子になろうと思っていないはずなのだけれど、「可愛い」とは思われたい。そうしてやっぱりニコニコしちゃう。可愛い女の子と思われたい。「認められたい、甘えたい」の変形なのかも知れない。
○このニコニコとどんな関係があるのか分からないが、別のことだと思うけれど、生活上であることに気づいた。秘密にしていたことだが、私は元々人を見下す性格で、人をバカにしている。それがとんでもない大きなことだと気づいた。例えば同じ職場で母親に近い年齢の人がいて、何かにつけて気になってしょうがない。目で追ってしまう。不快になる。そして、いつの間にか見下す。見て、凄くバカにしてしまう。その人を見ていて気持ち悪いし、こんな感情があるんだと、自分自身も気持ち悪い。関係ない他人なのに自分でも変だと思う。そもそも私は母親を見下してバカにしている。それが他人にも及んでしまうのかもしれない。母親への不満と怒りが混合して、見下しになるのかもしれない。
○今回のセッションを受けるに際して、どうも具合悪い。何かを分かりたくないのかもしれない。今までにないくらいドキドキして頭が痛い。
○今回のセッションで、前回のセッションでの気づきを、受け入れていないことに気が付いた。「いらない子」だったということが受け入れられていない。思えば、姉二人は母親が生きるためにしがみついて利用してきたが、私ははじめから利用もされない、完ぺきにいらない子だった。そうしてニコニコして生きて来た。ニコニコして元気にしていたら(私がここに存在することを)気づいてもらえるか、「いらない子」から脱せられるか、ということだと思う。
○今回のセッション前に宿題として、現状の自分の状況を、絵に描いてきた。その絵は、見下してひどい状態に描いた母と、その母から遠くに建つ細い高い塔の上に立つ小さな自分が、描かれている。小さな自分は、黒い細い線で描かれ、頭に不似合いなほど大きなリボンをつけている。
○今回のセッションをした。「私が一番」をやった。はっきり言葉にして大声でやれて気持ち良かった。私が可愛くて一番優れた人間で、要は認めて欲しい、認めて欲しいということだ。「だろうな」と思っていたがそこに自然に行けて、認めて欲しい、認めて欲しいを言い続けられた。よかった。
怒りをワーッと出せたのも良かった。最後まで怒りを止めないでできた。
○次の日のセッションでは、「認めて欲しい」や怒りは、影を潜めた。ある程度満足できたのかな。出て来たのが「抱っこー」だった。「認めて欲しい」より、もっと感覚的子供的だ。寂しい、抱っこして欲しい。姿は見えないけど母がいるのは分かる。どんなに泣いても叫んでも母は無反応。それを感じていらないんだなと思ったが、「頭で」考えてしまった。やっぱり本当にはそこに行けない、いらないのを受け入れられない。そこに行くのが怖いんだと分かる。頭では理解しているつもり。いつも分かったつもり、受け入れたつもりでいる。受け入れるのが怖いから「つもり」にしていたんだろうな。恐怖もはっきり感じられない。感じられないくらい怖いんだろうなと・・・。「ただ怖い」ところへ本当には行けない。
○実は母に頼んで、祖母のところに連れて行ってもらった。どうしても祖母に会いたかった。祖母は施設に入っていた。可愛かった。祖母は母を傷つけ、傷ついた母はそのため私を傷つけてしまった。母は私を直接に傷つけたから可愛くないが、祖母は直接でないから可愛いい。愛おしいと感じられる。よかった。

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今まで出せなかった寂しさや怒り|生きていくことが楽|セラピーの現場から(649)

○今までのセッションを通して自分を振り返ると、母親の役に立つことで何とか生きていこうとする心境から、役に立とうが立つまいが要らない子だったと気が付き、その無条件の死の受け入れが起きたことで、ただの温かい自分で居ていいという無条件の温かさに至り、これらの相反する二つのものの同居を「死と背中合わせの無条件な暖かい自分」と呼んで馴染んでいるうちに、それまで母親中心の世界という傾向だったのが、母親という囲いのない自分中心の世界へ移って行った。死の受け入れから真の自立が始まるように思われた。
○最近のセッションでは、死を扱う深い穴のような部分から、まるでその深穴を広げるように、今まで取り扱わなかった、より現実的な部分へと戻る傾向にある。一般的には、セッションを進めるにつれ、現実的な部分を含んだいかりや悲しみが出て、やがてその奥にある死を扱うようになるようだが、私の場合にはまるで、その逆の方向へ進んでいるようだ。死という大きな押さえが取れたので、安心して現実的な部分に取り組めるのかもしれない。
○セッションで、失恋した相手への怒りを出した。愛して欲しいというのが出てきた。母も祖母もそうだった(彼女たち自身もまた愛情を欲していた)。よしよしで終わった。そうではなく、自分自身のことを感じたいなと思っていたら、凄く寂しいのがゴーッと出てきた。昔からある寂しさ。途中から涙が出てきた。
○この涙は窮屈さに対するもの。よくイメージとして出てくる昔の場面で、階段の真ん中の自分にいる窮屈さだ。父と祖母と親戚が1階で、2階に母と妹がいる。1階と2階のグループの仲は悪い。自分はどっちのグループへもいけない。象徴的な場面。凄く狭い感じ。窮屈さ。居ていいよと言われないと、居られない。(自分の存在を)認めてもらえないのはこんなに窮屈なんだ。認めて欲しいのは、祖母も父も母も。
○それは分かっているが物足りない。家族に対して怒っている。寂しさを出した。物足りなくて発狂するように叫びが出てきた。本当に気が狂いそうな込み上げてくる。気が済むまで出そうと思って出した。最後はちょっと暖かくなった。気が狂うような発狂する叫びが良かった。
○今まで出せなかった寂しさや怒りだ。まだあるなと思う。寂しさはまだしも、怒りを扱うのができないので、少しずつ(怒りを)掘っていこうと思う。
○以前に比べれば生きていくことが楽になった。それでも今でも、職場などでの空気、雰囲気で萎縮することがあった。まるで階段の真ん中にいる感じだった。それが、セッションで「発狂」してから、それほどは空気にやられない感じがある。空気にやられるというのは、自分がいちゃいけない、自分を無くす感じだ。そのことが今更のようによくわかる。

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赤ん坊(私)は「荷物じゃない人間なんだ」|セラピーの現場から(648)

○私が胎児のとき母親が重い荷物を不用意に持って、予定よりもはるか前に、破水してしまった。助産院では手に生えない状態になり、病院に入った。もう助からないだろうと思われていた節がある。そうして生まれてすぐ保育器に入り50日近く一人ぼっちにされた。その傷をようやく直視することをはじめた。でもなかなか乗り越えきれなくている。乗り越えられるのかどうか自信がない。不安だ。
○セッションを始めたきっかけが、産後鬱(うつ)だった時のことを思い出す。自分を見たくて始めたというより、鬱々しているのを取りたくて(排除したくて)いたんだな、と思う。その後もセッションを続けようとすると、胸が苦しい妄想が湧いてきたり、風邪をひいたり、遅刻したり、身体に色々な反応が出た。続けるのが嫌なんだなと思ってきた。それだけ怖がっているんだなと分かってきた。そういえば、私の中学生の息子が学校に遅刻するのと似ているのかもしれない。
○今の自分の状況を絵に描いてみた。描かけたのは黒い小さな「点」。悲しみ、絶望、の涙を流している「点」の私。存在が薄い私、消えそう。その点を、消えそうな私を、拡大して描いて見た。体育座りしている私。背中や胸にたくさんの矢や槍のようなものが刺さっている。抜けない。身体中刺さっている。横たわってどす黒い血を吐いている。生きるエネルギーがない保育器の中にいる自分だ。
○この絵をイメージしてセッションを行った。絵は傷ついた恐怖の絵だと思った。横たわった時に湧いてきた感情は怒り。保育器に長い間入れられ見舞いにも来てもらえなかった。赤ん坊は「荷物じゃない人間なんだ」と。怒りの後は悔しいが出てきた。傷を直視しようとするには覚悟がいる。覚悟すること自体が怖い。怖い怖いと泣いていた。時々絵を思い出すと恐怖が引き締まる。怖い怖いと泣いていた。
○実は、もっと怖い事実がその先にあるのではないか。そもそも胎児期から自分の命は軽んじられていたのではないかという漠然とした恐怖がある。その恐怖を思う時、1歩も足が前へ進まなくなってしまうのではないか。
○その後の瞑想では、無の中に時々いられて、じわじわ、良かったなと思う。いつも泣けないのに、今回、泣けてよかった。
○セッションの後、自分という入れ物の中に自分が入っているのが少し感じられた。

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母自身が怒りを持っていた。怒りの塊。寂しい塊|セラピーの現場から(647)

○それまで有るとさえ思わなかった、大きな大きな怒りを出すことができ、いろいろなことが改善され、まるで別世界のような中にいるみたいだ。しかし、自分が感じる日常の怒りが気になっている。まるで前よりも怒りでイライラしているのではないかと思ってしまう。ところが周りの私への評価は逆だ。周りは言う。昔大きな怒りを隠していたときの方がイライラ感が強く私には近寄れなかった。最近は私は丸くなりほとんど怒りが感じられない、と言う。私と周りの感覚の違いは驚くほどだ。怒りに敏感になっているようだ。怒り続けている。何に怒っているのか。
○仕事でイラついて、理不尽にイラついているのではなくて、「まっ良いか」と流していたことが「(そうではなくて)こうだろう」と思うことが結構ある。カッカしてしまう。気になることが多い。それまでスルーしたり無いことにしていたことが、気になって出している。ずっと怒っている。周りの感覚は違うのだろうけれど、私は怒っている。
○何に怒っているのか。それは不自由さだ。押さえつけられ自由になれない。(大きな大きな怒りを出すことができた)今だから分かるのは、(自分の)抑圧で、フィルターのように囲われるもの。究極は守らないといけないと刷り込まれてきたが、(大きな大きな怒りを出すことができてから)解禁された。
○私の不自由さの原因は、気を病んで病院で亡くなってしまった私の母、シングルマザーとして私を育てた母だ。母自身が怒りを持っていた。怒りの塊。寂しい塊だった。その影響を私は受けた。問題の原因として扱いたいのは、母だったり祖母だったり、する。二人は繋がっている。
母の怒りの正体は寂しさだ。寂しいからみんなに癒着していた。祖母や父や(父と離婚後にお付き合いしていた)Aに癒着していた。でも母は祖母に対して甘えられなかったろう。大きな大きな怒りを出すことができた時、寂しい塊は、祖母であり母だったことがわかった。私の不自由さの原因を扱うことができないと(私は)気狂いになる。大きな大きな怒りの対象は彼女ら二人だ。怒りを出すことは、それまでタブーだったが、そのタブーの感じは今は来なくなった。怒りを出せるようになった。扱えるようになった。
○昔は、日常でも人と何かあると、「(その人に自分のとった対応が)良かったのかどうか」と気になって朝まで眠れなかったが、今は気にならなくなった。怒りを出してそれで「良いんだ」と思えるようになった。

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怒りがあまりに激しいため感情が伴わない|セラピーの現場から(646)

○セッションでは、閉じ込めた怒りを、感情を伴わずに、イメージで扱っている。怒りがあまりに激しいためかもしれない。それでも進むにつれて、改善が起き始めている。
○セッションでは、保育器が出てくる。新生児の時に、親の都合で長い間、保育器に入れられたことが大きな傷になっていて、その傷の象徴が保育器だ。今までのセッションでは、保育器の外側に両親がいて相談している。仕事が忙しい時なので(新生児=私を病院に)「預けちゃおう」と言う話をしていた。私は聞かないふりをして静かにしていた。しかし、この保育器は私を入れたまま、レールの上を走り、焼却炉へ投入される運命だ。
○今回のセッションでは、静かにせずに、保育器の中で(嫌だと)暴れていた。その状況を両親も見ている。感覚的には(言葉にはならないが)私は「こんなところに入れやがって」と怒っている。
○親の都合で新生児を無慈悲に扱う雰囲気が、別の場面では、祖母が残飯を無造作に窓から捨てる光景につながる。鍋の残りを捨てる。その残飯を捨てるように私は保育器へ捨てられた。祖母から母へ、そして私へと伝わる雰囲気だ。
○私の怒りが燃え上がる。今度は、私の方が捨てる番だ。窓際で母と祖母を捨てようとしている。彼女らは窓枠にしがみ付く。蹴ったり押したりしても、しぶとく、なかなか落ちない。窓の外は霧が立ち込めて見えない。落ちないでいて、ナタがあったので、しがみついている手や足をナタで叩いた。ひたすらやってなんとか外に落とそうとしている。指とか下にバラバラ落ちている。指のなくなった手首だけで戻ろうとしている。許さない。激しい憎悪だ。さらに叩く。もぐらたたきのよう。そんなイメージでやっていた。窓枠から入ってくる手首を外に出した。彼らは最終的にいなくなった。窓の内側に落ちている指や手を外へ投げた。気持ち悪い。
○次の場面では、自分が燃えている。怒りの象徴。灯油をかぶって全身を炎に包まれ燃えるように。燃えている自分を見て母も祖母も逃げて行く。追いかけて抱きついて一緒に燃やす。燃える匂いや髪の毛がわかる。何度もやるが、途中から母親だけは何度も生き返る。しぶとく逃げる。「どうだこのやろう」と怒ってやる。
○焼却炉のイメージと関係があるのか、私は、火の中に入れられても、死ぬまで我慢できる、という気がする。(火だけではなく、私は傷みにも人一倍我慢強い。)私は我慢できるが、抱きついて焼かれるのは我慢できないだろう、この怒りがわかるか、苦しみがわかるか、どうだこのやろうと、そういうことだと思われる。
○出てきた三つの場面とも、激しい怒りがテーマだ。怒りの矛先は母と祖母、特に祖母。普段の生活では、同じような想像をしても、冷静で怒りとかはない。今回のセッションでは、怒りとして出てきた。確かに怒っている。が、全然物足りない。何度もやりたい。
○実生活は、かえって、落ち着いている。我慢している感じはない。我慢しているのではない。前よりも寛容になっている。怒りそのものが減っている。いろんなことに、だんだん我慢できなくなっている。痛みもダメになっている。

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生きているお前はいらない| 母子相互依存|セラピーの現場から(645)

○母との相互依存から抜け出せない。なんとか自立しようとする気持ちがある。その反対に、共依存のままもっと一体化したいと言う思いが隠れている。その思いをなんとか、なくそうとしている。でもなくならない。強くなる。その絵を描いた。もっと一体化したいと言う気持ちでセッションが進んだ。ところが、そうすると、一体化の主導権を自分が握ることになり、母親は主導権を奪われ、離れていくと言うイメージが出た。相互依存から抜け出すきっかけが現れた。
○<母に対する憎悪から自立へ向かい空っぽの自分の正体へ>
母との相互依存に苦しんでいる。今まで母に対する憎悪を扱ってきた。そして、ようやく母からの自立の感覚が出てきた。前回のセッションで、自立を扱うにつれて、自分には感情がない、空っぽだと分かった。寂しいと言う感じが出た。これが自分の正体かもしれない。すると、その後の生活で、1週間くらいはぼんやりやる気が出なく眠い。昼寝してぼーっとしている。母から離れられず、本当に自立する勇気が出ないのかもしれない。でも自分で食材を買って来て料理をしようとしたり、それを食べて美味しいと感じる。喜怒哀楽や聴覚、味覚が戻って来た。悲しいときは泣くし、楽しいときは笑えるようになった。自立に向かっている自分の来の感覚がよみがえったのかもしれない。
この本来の感覚を今までなぜ失っていたんだろう。今まで色々なことを感じ過ぎるので、感情をなくして生きるしかなかった。感じ過ぎて反応すると(母からの)罵声が返ってくる。母が感情を切っている(OFFにしている)人なので、(私も)感情を持つことはいけないと刷り込まれたと思う。ちょっとしたことで嬉しかったり悲しかったりするのが本来の私に近い。
○<揺り戻しのように、自立したくない気持ちに向き合う>
つい最近、母に病気が見つかって、大慌てだった。手術はしなくて済んだが。母以上に、自分が慌てた。パニックになったらしく生理痛もひどかった。外に出られない。人と話すのが怖い。人と接するのが怖い、自立するのが怖い。自立できないという気持ちが、より本音に近い。自立できないという方が中身が入っている感じがする。
○<母と団子の絵>
自立したい自立しなければならないんだという気持ちの陰で、自立できない(したくない)という気持ちを否定し隠してきた。そこがネックになっている。そこで母と離れられない(離れたくない)という絵を描いて見た。自分と母が一体に団子(だんご)のようになっている絵、母が私を食べる絵、私が母を食べる絵だ。この絵をテーマにセッションを進めた。
○<隠れていた本音のセッション>
お母さんと一緒にいるのが怖かった。お母さんと「一緒にいる(いたい)」と言ったら、その途端にバイバイしなくちゃいけないと思っていた。お母さんと「一緒にいる」って言ってみたい。3歳の自分が言っていた。言っても(自分では)認知したくないことだった。お母さんと「一緒にいる」と言うことは3歳の自分が「生きる」ということだ。でも、本当に生きることは(母からの縛りで実は)叶わないことなので、いつも、死にたいと思っていたから、言えなかった。「生きたい」と言ったら嬉しかった。「一緒にいる」ことの主導権を、母ではなく、私が握った。死にながら「一緒にいる」のではなく、生きて「一緒にいる」ことを選ぼうとした。
<生きているお前はいらない>
そうしたら、(イメージとして)後ろからお母さんが出て来て、死んでないお前はいらない、生きているお前はいらないと言われた。
<本当に一緒になりたかった>
悲しかったし腹が立った。生きたいのを認めないのを許せなくて嫌だ、と母を殺したというより、こねた。(母に見立てた)座布団をこねた。今までのような状況でお母さんと生きるのは、私は死んだままだから嫌だった。でもお母さんを殺すことができない。できないのが嫌だとお母さんをこねていた。こねることで殺し始めていた。自分とお母さんが混じる感じだった。混じって一緒になって気持ちよかった。本当に一緒になりたかったんだ。
<バイバイ>
その瞬間お母さんはいなくなった。寂しい、辛い。いなくなった。混じったらいられるかと思ったがいなくなった。これから生きる決意を小声でバイバイお母さんと言った。寂しいし悲しいし、でも嬉しい。いなくなって嬉しい気持ちがあった。寂しさと嬉しいので泣けた。ずっと泣いていられる感じがあった。途中でやめた。もっと泣けば良かったな、と思いながら泣いた。
セッションが終わった後、足も軽いし、肩も軽い。不安もあるが、今回のセッション前は「お母さんと離れられなくて、これからどうしょう」と思っていたが、今は「私一人だし、これからどうしよう」だった。離れて一人になった。ご飯も美味しい。今回のセッションは自力で初めて掴んだ感じがあった。
<登場した「大好き」>
次の日のセッションでは、泣き足りなかったところからやった。「お母さん」と叫びたかった。以前は、こっちを向け、憎い(憎悪)、だったが、「お母さん」ダーっとボロボロ泣けた。「大好き」とやると、死んじゃえよとなってこねる。大好きと憎悪があって良いんだと思った。以前は、死にたいばかりできたが、生きたいもあって良いんだと思った。殺せなかった母を2回殺したし、あなたが生きたら私が死んじゃうと言うので「ふざけんじゃねえよ」と、やれた。死んだお母さんを抱いていたら安心した。落ち込むのと、寂しいのと、嬉しいのと、ため息だった。
生きていて良いぞと笑いたかった。「愛おしいお母さん」とやれたのが嬉しかった。お母さんと二人でダンスした。生きることも死ぬことも怖くないなと思った。母を本気で愛し本気で憎まなければ、本当の自立はありえないのだと思った。

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遠吠えのように泣けた|激しい怒りを担当する人格Kに近づけた|セラピーの現場から(644)

やまなかや

Kと呼ばれる人格を扱っている。Kは、皆殺しや自分殺し母親殺しを一挙に担当する、破壊的な人格。その人格Kが隠れていて、隠れているのに時々、顔を出して、問題を起こす。これが実生活上の問題となっている。しかも顔を出したことを本人が意識できない。Kがどういう理由で存在するのか、存在しなければならないのか、どのようなことがきっかけで顔を出すのか、詳しいことが意識できない。言葉で説明できない。
最近、その人格Kを絵にすることで、意識できるようになった。そして描いた絵をヒントにしてセッションをおこない、人格Kを中心とした自分の闇の部分を解明している。
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○セッションで母から首を絞められるのが出てきた。とともに、優しいお母さんが抱っこしてくれる場面が出てきた。抱っこしてくれるお母さんのところに行けなくて、泣くことしかできなくて泣いて終わった。次に母が幼い私に向かって、私のことは「やっつけられないでしょ」と言う。私は動けないしやっつけられない。自分の中の怒りは出てくるが母には出せなくて自分をやっつけるしかできなかった。お母さんはやっつけられない。Kのようには怒りを出すことができない。だから私の代わりに、Kは、怒りを担当してくれるのだ。
○次のセッションで、「抱っこ」(赤ん坊のように抱っこしてほしいと表現すること)をやった。Kが出て来た。他方でKが出ないように引き止める人(別の気持ち)がいる。せめぎあいの中でやった。引き止められながらも前より自分の怒りを出せた。終わったら悲しくなって寂しくなって来て、セッションルームの端の隅の方で泣くのが一人ぽっちでぴったり来た。怒りの奥には寂しさがあった。
○さらに次のセッションでは、近くにKが怒っている絵を置いていて、やった。
寂しくて泣いた。泣き終わったら、お母さんをやっつけた。寂しさの奥にも怒りがあった。怒りと寂しさは重なり合っていた。Kがやる絵のように、母をやっつけられた。母の上に乗って、若いワンピースをつけたお母さんに乗って、(刃物で)胸を突き続ける。感情もない。ワンピースも(血で)赤黒い。手も(血で)ねっとりしている。刺しても刺しても怒りは止まることがない。刺し続けても疲れない。ずっと刺していた。お母さんの表情が、最初は怖い若いお母さんで、そのあとは今のお母さんが出て来て、(その母には)感情がない。もう一つは私を産んだ頃のお母さん。ただ刺し殺している。こんな母親殺しのような激しい怒りを、今まで、出せなかったのを、代わりにKが担当してくれていた。母親殺しの近くには、皆殺しや自分殺しもある。
○そしたら、再び、寂しくて悲しくて泣いた。最初は少しずつ泣いていたが、そのうち遠吠えのように泣けて来た。泣きながら体を動かして、終わりの頃に「抱っこして」と言いながら泣いている。凄く寂しかった。
○その後、自然な感じで、肩はなで肩になったように力が抜けた。静かな中にいた。寂しいけど気分は良い。今まで引き止めていてせめぎあっていたので出しづらかったが、今回のセッションは、引き止めるものがなく気持ちよかった。今までぼんやりしていたお母さんの顔が、しっかり出て来た。

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子供達への虐待は母からの虐待|物凄く怖い母自身の恨み|セラピーの現場から(643)

○セッションを始めたのは、私の子供達への虐待が、止まらなかったからだ。今は、かなり改善された。私の職場での人間関係もやや改善された。それでも私の問題は残っている。奥の方では母との関係だ。表面的には、自分の感情が出にくい。怒りや悲しみが出にくい。感情を出そうとすると恐怖がやってきて邪魔をする。他の人がセッションで本気で怒っているのを見てショックを受けた。自分に足りないのは、あの「本気」だと思った。
○何とか本気になりたい。今回のセッションに参加する準備として、絵を書いた。真っ暗な中にぽつんと小さな子供(自分自身)の絵。弱々しく線だけでできた小さな子供。この絵は、(母に)置いていかれた恐怖だ。背後には母の怖さがある。小さな頃の母のイメージはとにかく怖い。どんなに怖いかを表現できないほど怖い。怖いときの母の顔を思い出せない。感じられるのは心配と不安。絵は、私が3歳の時に、妹が生まれて両親が離婚し、私が置いていかれている恐怖だ。
母に置いていかれた、無視された、そこが一番傷ついている。真っ暗な中に一人ぽっち。母が怒っているのも、真っ暗で一人になっているのも、怖い。置いていかれたのは覚えている。意識がある。わがまま言って置いていかれた。「言うこと聞かない」とお尻叩かれた。多分、母の思い通りにしなかったから怒られた。きちんとやらなかったから。それでもいうことを聞かないと母は「勝手にしなさい」と、行っちゃう。歩いている道の真ん中で。自分が子供達へやっているのと同じ虐待だ。
そのことをグループカウンセリングで話していたら悲しみが出て泣けた。昔のその状況の時には泣けたなかったのではないかと思う。
○セッションで、母から怖い目にあわされたことへ、恨みを込め、怒りを出した。ところが本気で怒れない。恐怖を本当には感じたくないから本気で殺意を出せない。母から傷ついたことを何となくそうだったとは思えるものの、本当は物凄く傷ついたから、怖くて怒れない。怒りを止める。アクセルとブレーキを同時に踏んでいる。怒れないで弱々しく泣いてしまう。怖さを感じないようにしているから踏み込みない。感じられない、感じたくない恐怖がある。本気になれない。ストップさせている。へなちょこな気持ちになって、最後まで行かれないと思った。
○恐怖にドップリ浸かれない。もし浸かったら本当の殺意(怒り)が出てくると思う。本当の殺意(怒り)に行くまで距離がある。
○母への理解もほんの少し進んだかもしれない。母は、怒った時に物凄く怖い。怒って母自身の恨みを出していた。恨みも殺意も全部出して、きちがいになって私を怒っていた。それが怖い。お母さん自身の恨み。親に愛されなかった恨み、夫とも離婚して一人になった恨み、全てへの恨み。お母さんを抱きしめた。怖さの正体がほんの少し見えてきた。
○母に実際に聞いてみたことがある。私のことを「可愛いと思ったことがあったのか」と聞いたら「(あなたは私の)言うことを聞かなかったから」と応えた。「妹は生まれた時は天使のようで可愛かった」という。私は差別され虐められたようだ。

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絶対嫌だ|でも知りたい|セラピーの現場から(642)

○グループセッションでは、自分の中に大きなエネルギーが湧き起る体験をしている。その時は強く満足する。しかし後になると、なにか、満足しない部分がある。「絶対一人は嫌だ」という気持ちが強くある。頭にこびりついている。絶対嫌の中身は何なのか、自分でもうまく説明できない。そこを知りたい。
○そこで久しぶりに個人セッションを受けた。私は生後8か月のときに、両親において行かれた経験がある。個人セッションの準備として、置いていかれた時の赤ちゃんの絵を「描いて来て」と言われた。描いてみた。どうしても表情がない。顔が描けない。描くのも嫌で苦しくなった。体と頭だけを描いて持って行った。
○個人セッションの当日では、やはり、「絶対一人は嫌だ」というのが出て、自分に向かってくる殺意や自傷がでる。自分が描いた顔のない赤ちゃんを目の前にして、気持ち悪くて、可哀想でもあり、見ていられなくて、絵をグシャグシャにした。
そのうち、(自分を置いて行った)母に対する恨みと呪い殺す感じが出た。しかし、足りない。殺しても殺してもビクともしない。母を呼んでも泣いて呼んでもそこにはいない。震えるくらい恨んで呪い殺した。私自身とこんな私を作り出したみんなを殺した。隠してきた殺意が表現できたのは前進だ。
○この殺意は娘にも向いた。娘だからと言って手加減はない。昔、私は、産まれた娘に対してのオムツを変えなかった。育児放棄だ。娘は今、自閉的だ。当時は娘なんかいなくなれば良いと思っていた。娘に触れないことで、娘を、私の恨みと呪い殺しから守っていたのだ。赤ん坊の自分と、赤ん坊の娘は重なる。赤ん坊の娘と、自分の顔なしの絵がダブル。苦しい。
○恨みや呪いは表現できたのに「絶対一人は嫌だ」はまだ存在する。まだ満足しない部分がある。死を拒否しているのがあるし、生きるのも苦しいというのもあるし。もがいている感じがある。
○呪い殺す時の気持ちを絵に描いた。暗い背景に二つの赤い目だけを描いた。個人セッションから帰って、その後、その絵を全然見れなかった。しまって置いた。呪い殺す、真っ黒な背景に赤い目だった。何でこんなに純粋な(母を求めても得られずに呪い殺すほどの)気持ちを、訴えてはいけないのか、何で求めたらいけないのか、私はどうしたいいのか、本当に生きることも死ぬこともできずに、もがいて苦しくて苦しくて。瞑想でずっとそこにいる。
○そうしていると、母が彼女のセッションで口にする「何で、何で」が出てくる。母もまた母(祖母)に私と同じような思いがあるのか。それと、寝たきりになってしまった祖母の硬直した手とが出てくる。祖母とも微かに会話が成立するときがあり「どうせ私なんか」という気持ちがあるようだ。あの祖母の姿は自分を見ているようで辛い。(おそらく私と同じような辛さの)思いを出してあげたいが、しかし、そうすればきっと今度は自分が耐えられない。手を伸ばそうとしても(私のその手も)硬い。ドキドキする。親子3代にわたって続くものがある。
○私の気持ちを自分ではどうしようもできない。(母を求める)純粋な気持ちなのに(そんな気持ちをぶつけても受け取ってもらえないことも分かっているのに、引っ込めることなどできず)自分でどうしようもできない。もどかしい。だから(母とは関係のない仕事先の)上司や仲間に、(彼らに失態や)何かある度に、物凄く怒ることがある。何としてもひん曲げてやりたいという気持ちが出てしまう。
○描いた自分の顔の赤い目は何を意味しているか。私が純粋に求めているのに受け取れない母を恨み呪い殺す、何もできない無力な自分も恨み呪い殺す、生まれてこなければいい、何で産んだんだというのもある。死を拒否する気持ちがある。一人で死ぬくらいなら巻き込んでやるというのがある。
○「絶対一人は嫌だ」の中身が少し変わった。それまでは、一人ぼっちの死は、自分が弱くなることなので、受け入れられなかった。弱いのが嫌いだった。だから死が嫌いだった。だから一人ぼっちになるのは嫌いだった。でも今回は少し違った。隠していた殺意を表現できたことで、強くなった。正面切って、少しだけれど、死を受け入れることが起きた。

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大きなエネルギーが出るようになった|それでも納得できなかった謎の答え|セラピーの現場から(640)

納得できなかった謎の答え。
○幼い頃から抑えていた自分自身を解放するセッションを重ね、ようやく心が開いて、大きなエネルギーが出るようになった。嬉しかった。
○しかし、心底から喜べない気持ちがあった。何かどうしても納得できないことがあったからだ。それが何かは説明できないけれど、納得できないことがあるのは確かだった。謎だった。
そこで今度は、セッションで自分を、再び抑える作業をし始めた。抑えたエネルギーが凄いことを今更のように体験した。そしたら昔と同じように、具合が悪くなり、以前のような恐怖が来るようになった。痺れがきて、身体が重くなって動かない。以前味わった抜け殻のような感じだ。そのようにして、自分を閉じる作業をして、そして閉じた。でも、やはり納得がいかなかった。何に納得がいかないのかもはっきり分からないままだった。
○やがて気がついた。親戚の人の母子関係で、子供を「親が勝手に抑え込む」という話を聞くことがあって、そのことが自分の心に響いた。自分は、自分のことばかりやって、自分の子供への加害性に、意識があまりなかったのだ。子供を抑え込んで自閉的な子にしてしまった。セッションで子供への「ごめんなさい」を言った。止まらなかった。いくら言っても言っても言ってもどんなに言っても許されないような、言っても言っても足らない感じだった。はじめて自分が「親」になった。
「抑えた」ということが、自分で自分を抑えていながら、子供にも抑えることをやってしまったという、そこがなかったなと思った。どっちも怖かった。自分を抑えたという被害者も、やってしまったという加害者も、怖かった。今までは被害者だけだった。それが分かった。そして、再び開いて、再び大きなエネルギーが、わき出した。嬉しかった。納得感があった。

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閉じこもりは母子関係|絶対に離したくない|セラピーの現場から(639)

○<閉じこもりは母子関係>
私の子供が閉じこもる理由は、私との母子関係に隠れていた。
子供は、母親(私)の寂しさを紛らわすための犠牲として、自立を諦(あきら)めていた。そういえば、子供は小さい頃から優しい子だった。レストランなどで自分の料理を必ず私に分けてくれるような子だった。
○<子供は溺れる母親(私)の浮き輪>
閉じこもりという現象は、子供が浮き輪となり、溺れかけている母親(私)を助けるということだった。私は一人になりたくない。子供にしがみついて浮輪にした。母親(私)の足には重りがついている。重りがいつも足を引っ張り常に溺れかけている。だから浮き輪が必要だった。
○<溺れさせる重りは私の母>
その重りは、母親(私)が身分自身の母から愛情を貰えなかったという、気づいてはならなかった秘密。今もその秘密はなかなか突破できない。今も私は自分と母の関係をうまく探れない。触れない。触ると砂のように崩れる母がいる。だから触るのが怖い。触れるのも怖いが、実は、触れても何の反応もないのが、もっと怖い。だから触れられない。その先は考えられない。考えようとすると、首が凝る、頭が痛くなる。何かを抑える感じ。
○<私も母の浮き輪だった>
子供を、自分の命を救うための浮き輪としていることに気が付いたとき、自分自身も母の浮き輪だったと、直感した。私は子供を長い間、浮き輪にしてきたが、私自身はその何倍もの間ずーっと母の浮き輪だった。母の生い立ちの大変さは、戸籍を調べた時にそうだったろうなと思った。
○<母へ向かうべきもの>
一人になりたくないという恐怖は、私の中だけではなく、母の中にもあるのかもしれないと想像する。そんな母を支えてあげたいが、母には触れられない。だから母に向かうべきエネルギーが子供に向かったのかもしれない。子供を母の寂しさの代用品とした。「いてあげなくちゃ、守ってあげなくちゃ」として過干渉になり子供の自立を妨げてしまったが、本当は、これは母へ向かうべきものだったのかもしれないと考える。
○<嬉しい子供の自立>
さて、母親(私)が自分の足の重りに気がついて、その重りの謎を解き始めること(自分では十分とは思えないが)で、子供は浮き輪の役割を徐々に免除され、自立に向かってきているようだ。そのことが嬉しくて仕方がない。
子供は外出の範囲を徐々に広げている。始めは深夜のコンビニ、そのあと家族との外食。やがて仲間と待ち合わせての外出。最近は、仲間と待ち合わせての外出したものの、出先で仲間と会うことができないというトラブルに陥った。にもかかわらず、トラブルを自分で解決して、難なく仲間と会うことができ、予定通りにイベントを楽しんで、帰りに食事して来た。今までの完全完璧な閉じこもりからすると夢のようだ。
○<でも絶対に離したくない>
でも私は白状する。私の中には、自立してほしくない気持ちが、まだある。セッションの中では子供に対する「行くな」(自立するな)という気持ちが出た。「絶対に離したくない」というのが出た。「絶対に離したくない」のは(離すくらいなら)「死んじまえ」ということだった。
○<捨てられことに対する絶望的な抵抗>
私が小さいときに、母が私達姉妹を置いて出ていく場面で、同じように「行くな」という私の強い思いがあった。未だに母からポイっと捨てられるような気がする。だから過干渉は、ポイっと捨てられ砂のように崩れることに対する絶望的な抵抗なのかもしれない。

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3歳の子供「お母さんお腹がすいた」死の縁から引き返し|セラピーの現場から(638)

<ある記憶の本当の意味が鮮明になった。>
○長い間、自分の本音というものが分からず、苦しんだ。自分の子供にも嫌われた。背後に、親からの愛情が少なかったことがあるのに、気が付いていた。やがて、「甘えたいだけじゃん」と言う自分の本音に気がついて、生きるのが自由になり、遊びたい心が初めて芽生え、子供の気持ちがわかるようになってきた。それと同時に、ある記憶の意味が、鮮明に思い出されるようになってきた。
○昔あるとき、とりわけ辛いことがあった。その辛い気持ちを紛らわせるために、町を離れ、バスに乗って、自然の中へ行った。3歳の子供の手を引き、赤ちゃんを背負い、そこへ行った。
○そこは、たまたま(と思っていた)自殺の名所だった。今、記憶が鮮明になって、実はやはり、自殺のためにそこへ行ったのだった。そのことが思い出された。鋭く察知した3歳の子供が「お母さんお腹がすいた」と言った。死の縁へ向かう母親(私)を引き止めた。死から引き返させた。3歳の子供は、人の心を観抜きそうなクリッとした眼をした子だった。私は「今日はお昼なんかないの」と言ったけど、しかたなく近くの食堂をさがして食べさせ、赤ちゃんのオムツを取り替えた。その時のことを思い出した。子供達にご飯を食べさせ、オムツを替えること、世話をすることで、はじめて生きられる感覚だった。3歳の子供は「死なずに生きよう」とは言わずに「お母さんお腹がすいた」と言ったのは、そこのことだった。私に本当に生きることは求めきれないが、「世話」を求めることはかろうじて求められる。<本当ニ生キルノハ難シクテモ、私ノ世話ハ、デキルデショウ。ダカラ、オカアサン、ワタシノ世話ヲスルコトデ、今ハ生キテ!>
○私は、薄幸な人生の中で、子供があって生きられた。そして、どれだけ子供にしがみ付いたことか、私にとって子供は救いの神だった。生きるために子供を利用した。子供は、私に自我を潰されて、(怒られなくてもいいことで)怒られて、それでも私に従った。私は、子供にしがみ付いていた自分を隠した。隠していることさえ分からなかった。分かったら、初めて、子供に「しがみ付いていたこと」を告白できるようになった。
○それまで、子供とまともに話すことが出来なかった。子供に「しがみ付いている」ことを観抜かれ(その自覚はないが)、嫌われていることが痛かった。子供と話す時に、子供の目を見れない、目が泳ぐ、話を聞くこともできなくてオロオロしていた。
それが、正面から話が出来るようになった。聞けるようになって来た。逃げないで聞けるようになったのだろう。子供との関係が徐々に改善している。

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対談(633)について|大きくヤマを越えて3/3|セラピーの現場から(637)

諸智:<停滞期「踊り場」>で「(自分探しへの)感覚が遠のいた」と言っていますが、本当に後ろ向きになったのではなく、苦しみながらも、問題に向き合う感じがありました。
林:少しずつ前へ進む感じでしたね。
林:<反抗期を真似てみたら罪悪感が襲いかかる>の「反抗期の無かった」というのは母に対する反抗であって、社会に対する反抗はできていたようです。やはり母親に対するものが重要なのですね。
諸智:重要だけれども、どうしてもできなかったのでしょう。
林:<母親を護りたい気持ちでスタッフに「失恋」>の「自分の会社の社員」に「弱い母」や「理想の母親(女神)」を投影してしまうというのは、ひょっとして経営者には起きやすいことなのかもしれません。幼い頃の不十分な家族関係を、長じて、自分の会社で修復しようとする試みなのかもしれませんね。
諸智:会社を自分の理想の家族のようにしたい、ということなのかもしれません。
諸智:<近づいてくる恐怖>で「アクセルとブレーキを一緒に踏む感じ」とありますが、これもご自身が自分で認識しているのがいいなあ、と感じます。
林:「鉄格子の下にのぞいているピンクのスリッパ」というのは、当時の状況では、目の前に立ちはだかる高い障壁でもあり、自分を開くために動くことのない大きな手掛かりでもありました。
諸智:その高い壁の前で「恐怖」にひるんで「抑え込んでしらけ」てしまうのですが、そのしらけに、幼い自分である「寂しい坊主」を観ることができ、また、前進します。
林:しらけの裏にあるものを観る感性がいいですね。
林:<抑え込みの裏にあった殺意>で「隠れているかもしれない「殺意」は(前から気が付いていた)罪悪感を説明づけるのに疑う余地もなくぴったりきた」というように、「殺意」を自分のものにしましたね。そして「母親や祖母との私の癒着」に対する「猛烈なストレス(怒り)があったことが思い出された」と、記憶もよみがえりました。良かったですねえ。突破口になりました。
諸智:突破口が開いたので、ひとりでに「人生の長い期間抑え込んでいた殺意というエネルギーが沸騰」するのですが、エネルギーを受け止める「心の通じた仲間」が居たのはラッキーでした。
林:そして「必然的に事が進むように準備はすべて整(ととの)」い「自分の中で繋がらなかったものが繋がった」経験をします。「繋がらない」という感覚を既につかんでいたので、この「繋がった」という感覚が産まれたのですね。繋がらないとか、繋がるとか、実は、本当のことを知っているから、生じる感覚だと思いますね。人というのはすごい。
諸智:「この殺意を伴う猛烈な怒りのエネルギーを抑圧する。そうすると気狂いになるんだ。もしも外側に出せれば解き放たれる。・・・繋がった。」ということで、母の狂気も乗り越えた。自分と母の2世代分のしこりを解(ほど)いたと言えそうです。

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対談(631)について|大きくヤマを越えて1/3|セラピーの現場から(635)

対談(631)について(敬称略)
林:また、大きくヤマを越える人が出てきましたね。
諸智:自分の問題に向き合い続けるというのは、できそうで、なかなかできないものです。
林:<何が起きたのか>の「後々、気になっていた」「それもしっくりこないでいた」というのは、自分の感覚で自分の中を探るというのが、はっきり出ていますね。
諸智:奥の方に納得したいという感覚がある感じです。
諸智:<殺意を強く抑圧し続けるのでストレス>というのは大きくヤマを越えたから分かるようになったことで、超えるまでは分からなかった。ストレスだけは分かっていた。「分厚い蓋」はなんとなく分かっていたが、その原因である「殺意を強く抑圧」していることは分からない状態がありました。
林:その分からない状態で「殺意」というヒントを逃がさず、逃がさなかったので「殺意⇒猛烈な強い怒りのエネルギー⇒母への殺意」ということを観(み)抜きましたね。
諸智:逃さなかったのも、納得したいという感覚の現れのような気がします。観抜いて自分で納得できて、だから、こころが開きました。
林:「自分の中のエネルギーが湧き出す体験をした」ことは、そういうことですね。蓋が取れたと言っていいと思います。

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ひと山越えて子どもが成長|私と比べたら人生雲泥の差|セラピーの現場から(634)

自分の心の傷を観る作業をしてきて、一つの大きなヤマは越えたのではと思いつつも、次のヤマの前で留まっているのかもしれない、そう思う日々この頃です。

高校生の子供が、自らヨガと瞑想を始めだしました。
子供は(瞑想などをする)私の日常を見て育ちました。子供に瞑想やヨガの効能や時間の使い方の質問に聞かれたら答えるだけで、私は特に勧めてません。

高校生ですが、自分の心は自分でなんとかするしかないんだという所まで、来たんだと思います。私の背中を見ていてくれたのかもしれません。子供と、同年齢の頃の私と比べたら、人生雲泥の差です。私は「自分で」などという心境にはありませんでした。

子供は、小さな頃から耳が悪いのかと思う位、テレビの音を大きくし、私は注意ばかりしてました。子供が瞑想を始めてまだ数日ですが、子供自身が「うるさく感じるようになった」と言って、音量が普通並になりました。
私は「それだけ今まで心がザワザワして集中出来なかったんだね」と子供に言いました。子供は納得した様子です。瞑想で落ち着く感じが「人生初の感覚で、ずっと瞑想していられるかもしれない」とまで言ってました。

自分の心の傷を観ないでいると深くなってしまう世代間伝達(の影響)が、少しずつでも薄らいでいくようにしてあげたい、そう思ってます。

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護りたい弱い母親への実は隠れた殺意3/3|セラピーの現場から(633)

続き

<停滞期「踊り場」>
(自分探しへの)感覚が遠のいた時期(「踊り場」と呼んでいた)では、「呼吸だけが頼り」と取り組んだり、「何度も同じ話しをして」とアドバイスされ、疑問に感じたけど何度も同じ話をすることが、何度も感覚に触れること、そして回を増す毎に深まっていき、感覚が近づいて来ることも経験した。
そんな風に抑え込んでいた感覚に沢山触れて、少しづつ解き放たれていたことが準備となり、あの息子の卒業式の出来事に繋がったのだと思う。
<反抗期を真似てみたら罪悪感が襲いかかる>
また当時、反抗期の息子が(反抗期の無かった自分にはうらやましくて)眩(まぶ)しく、グループセッションで真似してみた経験が、物凄く気持ち良かった。途中から自分自身になり、思いがけず母を攻撃!する体験をした。事後、罪悪感が襲いかかり、しばらく何もできない期間があった。
<母親を護りたい気持ちでスタッフに「失恋」>
現実社会では、心の中の弱い母を護りたい気持ちが高じて、他の人を弱い母の代わりにしてしまい、失敗する出来事があった。
自分の会社の社員で、母子家庭で女手一つで子供を育てているスタッフを、他人のようには思えず、長い間ずっと見護ってきた。母子家庭を支え懸命に働き愛情豊かで強い母親は私の女神だ。私が幼い頃、家計の足しにするために、映画館でアイスクリームを売っていた私の母親と重なった。そのスタッフがまるで私を裏切るようにして退社した。ひどいショックを受けた。裏切られ捨てられたと感じた経験は、母親から受けた経験と重なり、とても辛く、今でもあとを引く切ない経験だった。まるで失恋だった。
このことで、自分は理想の母親(女神)を求め、自分の寂しさを、他人を利用して穴埋めしようとするところがあるということを学んだ。学んだけれども自分の寂しい心は、簡単には埋まるとも思えず、これからも同じような失敗をするのではないかと、覚悟をして、自分の中に納めた。
<近づいてくる恐怖>
以降、ベビーブレスでは恐怖がどんどん近づいて来る感じを受け、抑え込みが増していた。いつも記憶にあったのは、病院の鉄格子の下にのぞいているピンクのスリッパ。そのスリッパの上の方にあるはずの顔(気狂いの母)が、思い出せず、ブラックホールに見えたりした。恐怖が近づくにつれ、怒りのエネルギーも封印していた気がする。
この時期のセッションでは、終始、自分を抑えていた。何とか自分を開こうと頑張る自分(アクセル)と、抑え込む自分(ブレーキ)を一緒に踏む感じだった。抑え込んでしらけた自分を直後に動画で見たら、そこには寂しい坊主が居た。涙が溢れ出て止まらなかった。
<抑え込みの裏にあった殺意>
自分を抑え込む力に翻弄されていたとき、セッションのスタッフから「殺意」というワードが出て、相当動揺にした。自分の中にある「罪悪感」には気が付いていた。母が病院へ通う時代に感じていた、そして亡くなった今もまだ感じるこの罪悪感の意味が、すこしずつはっきりしてきた。隠れているかもしれない「殺意」は、その罪悪感を説明づけるのに、疑う余地もなくぴったりきた。隠れた「殺意」があるから根拠のない「罪悪感」が生じ、自分を抑え込まなければならないのだ。以後、生活の中で、自分の殺意がチラついて仕方なかった。殺意に関係する、心当たりとなる新しい記憶も思い出されて、殺意の存在はいよいよ確信的になってきた。思い出したのは、私が中3になった以降、就職後の大人になってからも、母親や祖母との私の癒着が続いていたこと。その癒着に対する猛烈なストレス(怒り)があったことが思い出された。
<浮上する怒り>
この頃、現実の仕事でも、とにかく怒りが浮上して、(それまでは抑えることができていた怒りの言葉を抑えられず)言わないと気が済まない状況にあった。心の通じた仲間へ、出せるところへ、怒りを出していた。人生の長い期間抑え込んでいた殺意というエネルギーが、沸騰した。
<整った準備>
この様に、準備はすべて整っていた。必然的に事が進むように。
<自分の中で繋がらなかったものが繋がった>
直近のセッションをした。
自分の中にある殺意は、気狂いの母に向けたもの。その殺意の正体は、抑え込んだ猛烈な怒りのエネルギー。この殺意を味わって・・・。殺意は、自分の中にあり、母そのものであり、祖母でもあり、一体のもの。
「怖い!怖い!」という気持ちが「死にたい!死にたい!」となり、更に「死ねー!」という殺意に変化する。この殺意を伴う猛烈な怒りのエネルギーを抑圧する。そうすると気狂いになるんだ。もしも外側に出せれば解き放たれる。そんな気がした。繋がった。
自分の中にある殺意は母に向けてのもの。しかし母は何としても自分が護る存在。聖域。もし母にそれ(殺意)を向ければ母は死に、自分も死ぬ。その恐怖で(殺意を)抑え込んできた。それ(殺意)が一番怖かった。
しかし(セッションで殺意を)出してみて・・・。(殺意は)自分が母に向けていたように、殺意は(外側の)対象に向けてのものであるが、そうでは無いとも感じられる。対象とは関係なく自分の中にあるもので、抑圧した寂しいかたまり・・・。この最後の部分はがうまく繋げられないけど、重い蓋を少し開けられたことで、安心して怒りのエネルギーを出せる気が今はしている。怒りという色が付いたエネルギーだけれども、このエネルギー自体は、私自身。罪悪感に脅える感覚も、嘘のように消え去った。得たものを更に消化していきたい。

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護りたい弱い母親への実は隠れた殺意2/3|セラピーの現場から(632)

 

続き

<振り返ってみて>
<予兆:鬼門突破>
今回の重要なことが起き得たのは、今春息子の卒業式で起きた経験が、とても大きく関係していると思う。
中3の時代が自分にとっての<鬼門>で、これまでものすごく影響を受けてきた。中3で不本意に社会に出なければならず、自分の中にある蓋に、更に、社会に出ることの恐怖が上乗せされ、より強固な蓋になり、自分の人生が中3で停止していたようになっていた。
それが、息子の卒業式で、図(はか)らずも自分の卒業式を再体験し、当時の寂しさと怒りを両方味わい、本当に卒業できた、<鬼門>を突破できた。そんな経験をした。
今思えば、だから必然的に次に進んだのだと思う。卒業前の中3の自分には、(母親への)殺意というものは取り扱えなかったのだと思う。
<初めは「二度と来たくない」>
振り返れば、1番最初のグループセッションでは、終始しらけ、何もできなかった。
終始抑えこみ、その怖さからセッション会場がお化け屋敷に思え二度と来たくない場所となった。
<2回目すっきり|心が自由>
2回目のグループセッションでは怒りが爆発!自分を見失う(気違いになる)経験をし、怖かったけどすっきりしたのだと思う。
2回目以降のグループセッションでは、見失うことなく怒れるようにもなり、それに伴って心が自由な感覚を覚えるようになった。
<心が温まり溢れるように泣けた>
グループセッションやベビーブレスで怖い経験を再体験する毎に解き放たれる感覚になり、寂しいところに触れると逆に心が温まり溢れるように泣けた。
<しらける自分への怒り>
恐怖を感じるとしらける、現実逃避する、ずーっとそうして生きてきた。自分は人とは違う?、特殊?、自分も気狂い?。自分自身への疑問を他人に気づかれないように隠す。
そんな自分がとにかく大嫌いで、やっつけたくて、その頃のグループセッションでは、ベビーブレス中にしらけると、そのしらけた自分に怒りをぶつけていた。
<幼い寂しい坊主:氷が溶けていく>
あるベビーブレスで、しらけた自分の中に居る幼い寂しい坊主に触れた。丸めた毛布が坊主になり、愛おしく、思いっきり抱きしめて泣いた。その後、何度かその坊主に触れ、温めることで氷が溶けていく感じがした。
<しらけは防衛:分かって生き易い>
しらけを克服した。そう思えた。しらけの正体は、恐怖から身を護る防衛だった。そうしないと生きれない寂しい自分。この辺から、日常では変な力みが取れ、生き易くなっていった気がする。

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護りたい弱い母親への実は隠れた殺意1/3|セラピーの現場から(631)

<何が起きたのか>
今回のセッションで出てきたものが怒りだったのか?何なのか?とても重要なことが起きた気がした。それが後々、気になっていた。
セッション直後の感想ではたしか、外側じゃなく内側に向けての怒りと説明したかと思うが、それもしっくりこないでいた。
<隠れたいた母への殺意>
出てきたものは、強い「殺意」だ。
殺意の正体は、(既に亡くなっている)気狂いの母親に対するものだった。
また、それ(殺意)は、小さな頃からずーっと続く強いストレスの源(みなもと)だった。それ(殺意)は母親に、祖母に、取り巻く環境すべてに対して、うっかり気を許すと向かっていこうとするものだった。
<殺意を強く抑圧し続けるのでストレス>
最大のストレスは、弱い母を(殺意をむけるのではなく)自分が護らなくていけないということ。殺意が隠れているのに、表面の意識では逆に、護りたい。だから殺意は強く抑圧されなければならない。
この殺意が、私の中に強固に存在する抑圧の一番の原因で、それ(抑圧)はまるで分厚い蓋のように感じられた。罪悪感がカチカチに固まってできた蓋だ。蓋に閉ざされた中身は・・・猛烈な強い怒りのエネルギーだった。
今回の経験は、その分厚い蓋を少しだけ開けちゃった経験だったという気がする。事後の物足りなさ(初めて蓋をあけられたものの満足度は2割程度と感じたこと)は、中身の怒りのエネルギーはまだ全く出せていないと感じるから。
<繋がった>
今回の分厚い蓋を少しだけ開ける経験は、考えもしなかったことが突然起こったと感じたけど、思い返して消化する中で、これは必然的に起きたことだと、(セッションからの)帰り道、雨に降られながら繋がった。
この重要なことが繋がった後日のセッションでは、しらけもなく罪悪感もなく怒りを出せ、自分の中のエネルギーが湧き出す体験をした。

続く

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豊田議員の罵倒する声を聞いて心臓がドキドキ|セラピーの現場から(630)

(母から)捨てられる恐怖を感じて、私が閉じ込めた思いは何だろう。怒りや悲しみが少しずつ出てきている。まだまだ出てきそう。
(テレビで)豊田議員の罵倒(する声)を聞いて、自然と心臓がドキドキした。フラッシュバックしたような感じだった。(この豊田議員の例だけではなく)大きな音や声にも命の危険を感じて、ドキドキ、イライラする。大きな音や声は私を殺すものに感じられる。それで私も殺されまいと怒るけど、それは偽り。本当は怒りたくなんてない。本当は怖くて怖くてたまらない。縮こまる心が、どうにもならない。怒りたくなくて縮こまって逃れようとするがうまくいかない。

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自分の存在を消そうと頑張ってきた|自由を喜べない|セラピーの現場から(628)

ブログ化された私の文章(625)を読んで、(今まで)ずーーーっと苦しかった、と思って涙がでた。自分に嘘ついて生きるのって凄く苦しい。わたしは自分の存在を消そうと頑張ってきたようだ。一人でいる時より誰かといる時のほうがより孤独に感じることが強くなってきた。「わかってよーーーーー!」って叫びたくなる。だれに?だれよりも自分自身に?(グループセラピーの場の)自由は気持ちいいはずなのに、誰かの意識に引っ張られて自由を喜べなかった。私のやり方は?わたしの思いは?譲れない気持ちは?私がそうしたいからする。それでいいのに。それが気持ちよく出来たら素敵なことだと思う(その時は出来ず悔しかった)。
そのことに関係することがあった。職場の仲間に、自分の思いや話したいことを、相手の時間を割ってでも話せた。今までだったら「忙しそうだし止めておこう」と思っていたと思う。そしたら、仲間は手を止めて聞いてくれて「わたしも丁度そのこと話そうと思ってた!」と言ってもらえた。嬉しかった。自分の気持ちをどこまで正直に話せているのか分からないが、「どうしたらいいかわからない」ところも素直に相談でき、一緒にどうすればいいか考えられた。何より話せた後の世界がスッキリして見えた。そして仲間は、私が何を考えているのか見えたことが、どことなく嬉しそうだった。それからは以前は少し苦手だったその仲間とちょっと距離が縮まったような気がしている。
もう一つあった。職場に外部からの講師を招いて仕事をした。わたしの準備が不十分であることに対して講師が苛々していた。わたしも初めてだったので段取りが不十分な事は悪かったと思ったが、「初対面の私に対してその態度は何だよ」「初めてなんだからわからないことだってあるだろ!」「ふざけんなよ」って心の中で怒っていた。悔しくて悔しくて泣きたかった。
口を聞くのもやめようかと思ったが、何とか「初めてでわからないことが多くて、すみませんね。」と呟いてみた。そしたら講師に「そうね、経験ある人(講師)がちゃんと伝えなきゃダメよね。」と言われて、私も相手も少しだけ気持ちが落ち着いた。(講師が)誰かのせいにしているところが、何だか気に食わなかったけど、それでも言ってみて何かが変わった。言えて良かったと思った。
本当の気持ちを伝えようとせず逃げてきた自分がいたから、苦しいし悔しいんだ、と思った。

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何の感情なのか訳も分からずに必死で抑えていた|セラピーの現場から(627)

この喜びはもうそれだけで十分です。でも説明してほしいようなので、気乗りしなく苦手ですが、頑張って説明します。
母からの無意識に感じる圧力から、更に、自分で抑え何の感情なのか訳も分からずに、必死で抑えていた感じから、少しだけ解放された。だからこそ、日々自分で選択し、私が私を生きることができる。その喜びだと思います。今までと変わらない日常を過ごしているにも関わらず、今までのように「どうせ私なんか!!」とか、「なんで認めてくれないの?」「なんで私の言っている事が理解できないの?」と勝手に相手に求めて、怒りが爆発するというようなことが、なくなりました。何にも振り回されず自分で選択し、自分で生きる。私が、私自身を生きる。そう思うと益々ワクワク楽しくなってきます。もうワクワクが止まりません。
私の怒りは、寂しさや孤独という簡単な言葉で表したくない程の事(この事に少し触れたから私の解放は起きたのですが、残念ながら十分には触れる自信が今もあまりありません)に対して、強烈な叫びを伴って、怒って怒って怒っていたのかもしれません。だから(全く触れることができなかったから)怒りだけでは物足らなかったんだと思います。まだまだ謎の多いこの寂しさや孤独を、私が理解し納得できるように、(私自身で)これからも探っていきたいと思います。

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やりたくない、今が良ければ良いじゃん|でも子供を生きて行かせてあげたい|セラピーの現場(626)

閉じこもりの子供が回復しつつある。見ていて嬉しくてしょうがない。子供はいつも9時前後に起きるのだが、今朝は7時には起きてきて、8時半頃に遠くへ買い物に出かけたようだ。さっき「帰りは遅くなる」というメールが美味しそうな料理の写真と一緒に送られてきた。ついこの間までは、家から出ない子だったのに。この喜びを元に戻したくない。何があっても(私が自分のことをやって)前に進んで、子供を生きて行かせてあげたい。
私が自分のことを本当にやれるのか正直、自信はない。「いやだ、やりたくない、今が良ければ良いじゃん、その場をしのげれば良いじゃん。」となってしまう。そうなると、子供は家から出られない。そっちも絶対いや。どっちもできない。
でも、子供は生きて欲しい。今までのようになって欲しくない。(私が自分のことをやれず、子供が家から出られない間、実は)私も辛かったから、二人とも苦しい。辛くてしょうがない。悔しい。凄い悔しいし、悲しい。
幼い頃の自分(私)の事もちゃんと解ってあげたい。もう自分(のこと)がわからないまま居るのは嫌だ。自分のことを解明して前進したい。

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私を孤独にした相手にハラワタが煮え繰り返り「早く死ねばいい」と|セラピーの現場から(625)


最近はよく寂しい気持ちになる。だけど何かですぐに誤魔化すのではなく、寂しいと感じてみる自分がいる。それが嫌では無い感じ。
自宅でする瞑想の前に、吐き気があって、それでも瞑想をはじめたら、前回のグループセッションのイメージが出てきた、その時の感じも思い出した。ここは自由でいいんだなって思った後にものすごく身体が冷たくなった。自由と孤独が繋がるような、そんな感じなのか。うろうろ自分の気持ちを探して瞑想を続けると、恐怖の顔したまま固まって凍ってしまったような自分のイメージが出た。その動けなくなった自分を見て、わたしは怒っている。怒っている自分は自由に動ける。でも、その間身体はずっと冷たい。
孤独を感じると、ものすごい憎しみがやってくる。自分から機嫌を直すなんて絶っ対に嫌で、わたしを孤独にした相手が、わたしの悪態で死ぬほど苦しめばいいのにって思う。もしくは早く死ねばいいのに、って思う。
自分からは心を開きたくない。自分のこと興味もないのに知って欲しくない。だから自分からは話しかけない。憎しみでハラワタが煮え繰り返りそうなほどだけど、本当の怒りや本当の感情とは違う気がする。ただ自分を守って守って守っているみたい。

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「なぜ、何で(愛情をくれないの)」がでてきた|セラピーの現場から(624)

いまも母からの愛情を求めている気持ちと、母としてできる限りの愛情を注いでくれたからそれ以上求めるのは自分勝手だと思う気持ちの2つの間で葛藤(かっとう)が続いている。

母は大変な生活の中でも私に愛情を注いでくれたと思う。愚痴を言わず、いつも気丈に笑っている母が大好きだった。母の苦労を私は理解しているつもりだ。

でも今なぜか自分の心は空っぽだと感じる。甘えてくる子供に十分に対応してあげられない。人との距離の取り方が分からない。誰かに親しみを感じて近づきたいと思っても、同時に自制する自分がいる。素直な感情がだせない。社会のルールが優先する。

これまでは社会のルールに従うことばかり考えていたが、今は自分のルールに従うように変わってきている。前回のセッションで、母を求める気持ちを諦めないでと言われ、それがとても印象に残った。

今回のセッションでは、母に甘えたい、抱きつきたい、ひたすら求めたい、その気持ちをやった。頭で考えずに思い切ってやった。「なぜ、何で(愛情をくれないの)」がでてきたと思う。凄く求める気持ちが出て来た。お母さんに「もっと抱っこ!一緒にいて!もっと丸ごと受け止めて!」と言えた。それと同時に怒りが出て来て、怒りの勢いが出て来たように感じた。これが本当の自分かも知れない。

でも、そのセッションの後で、やっぱり空っぽと感じた。求める母がいない(いなかった?)現実をまだ受け入れられない。

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子供は命の浮き輪だった|子供に何をしたか震え上がるほど恐ろしい|セラピーの現場から(623)

閉じこもりだった子供が回復しつつある。どんどん回復している。その嬉しさの中で、でも、自分で気が付いたことがある。衝撃だった。
実は、あの子は自分の浮き輪だった。思えば自分も母親の浮き輪だった。そのことに気がついた。足には重りがついていて必死にもがいかないと溺れて死んでしまう。
<子供は浮き輪だった:子供に何をしたか震え上がるほど恐ろしい>
自分があの子に何をしたか、あまりにも恐ろしくて、分からないことにないことにしていた。それをあの子にやったのかと考えたら、はっきりさせられない。というのは、中心にあるのは死という恐怖であること、やって来たことの恐ろしさが・・・。どうして良いかわからない、いたたまれない。わかっていてやった。震え上がるほど恐ろしい・・。
<指の間から溢れる砂のように崩れる母>。
イメージとして母に触るとボロボロと崩れてしまう。追いかけると逃げるように振り返る母がいる。私を「助けて」と言いたかったのに、そんなことを言おうものなら、(母は)崩れてしまって・・指の間から溢れる砂のように・・・、それが耐えられない、本当は「辛かったね」と抱きしめてくれるとか、・・・してほしかった。でも砂が溢れるようで怖い。このことに気が付き始めてから、カウンセリングの記録を読み返しても怖い。ここをはっきりさせて行くんだろうな私・・・と気が重い。それが出来ないから、生きるか死ぬかのレベルのことを今まで子供にやったのかい、って。気が付いたものの、どうして良いか分からない。
<重りの正体>
助けてと追いかけても逃げて砂のように崩れてしまう母。怖くて耐えられない。今にも溺れてしまいそう。足には重りが付いていた。今も本当には正体を観れない重り。だから子供にしがみ付いていた。子供が、私の生きるための浮き輪だった。本当に浮いて助かるのは、重りを外してからなのに・・、できない。子供も私と同じだった。子供は、私という重りを足に付けられて、ずっとそうしていたと思う。あの子は私だったんだ。
今、子供という浮き輪が外れたら、いよいよ潜れということ。重りを外すために潜れと。苦しくてそうなって来たのに、更に(恐怖という)水の中に落ちろということかと。
勝手に生みやがった。産みたくないのに産み落とされて、ずっと母親の顔色みて、母が死んじゃわないようにして来た。ずっと気を使って来た。……私も母の浮き輪か。この年まで母の浮き輪だったのか。衝撃だった。

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激しい怒り|恐怖から何とか逃げようと|セラピーの現場(622)

セッションで行き詰っている。理屈では、自分がなぜ行き詰っているのか、その理由は分かっているつもりだ(母親との関係だ)。でも、感覚ではどうしようもない。
恐怖から何とか逃げようとしている、らしい。それも分かった。激しい怒りは今でも出せるけれど、深さがない。満足しない。物足りない。今までのようには、うまくいっていない感じがする。
どうして良いか分からない。このうまくいっていない感じは、喉(のど)に魚の骨が引っかかっているようで気に入らない。何とか骨を取りたい。
でも、実は、この骨を「取ってたまるか」という本音が自分の中にあるのが分かった。
骨を取ったらどうなるのか?怒りを引っ込めて弱くなることか?何もなくなる自分が出てくることか?そういえば、あまり踏ん張るのはやめようと力を抜くと、声がお腹から出ていた。気持ちよかった。そのことか?でもピンとこない。
後日、自宅で瞑想していて、腑に落ちた。凄い気張って踏ん張ったりせず、力を抜いていられるということなんだ。セッションを思い返して、ああ、なるほどと、今更のように腑に落ちた。何かすごいものつかまえてやろう、すごいこと発見しなきゃ、と頑張ってばかりだった。踏ん張ってばかりで、恐怖が出ても浸る、味わうどころか跳ね除けてしまったんだと納得した。

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甘えたかっただけじゃん|すごい剣幕で私を殺そうとする母|でも譲れない|セラピーの現場(621)

ハッキリしなかった私の心に届いた。ようやく見つけた。私の本音「甘えたかっただけじゃん」。
ある日のセッションで本気でやれた。それまで、(セッションは)やれば良いんでしょみたいだったが、本当にやれた。その後に出て来たのは虚しさ悲しさ。ワーッと出て来た。その瞬間「甘えたかっただけじゃん」とストンと分かった。子供も私にこんなに甘えたかったんだなと分かった。その後のセッションで、劇の補助役の母役だった時に、やはり同じように、そのことに響いた。
今回のセッションでも同じ本音をやった。納得できた。そして死に響く。甘えたかっただけなのに。この「甘えたい」を隠したのはなぜか。死に近づくからだ。「甘えるとは何事か」「生きているうちは甘えな」「甘えるとはとんでもない」(母が)ものすごい剣幕で私を殺そうとする。
それでも母親に甘えたい。殺されようと、私は甘えたかった。私への殺意があっても、甘えたかった。そのことを味わった。寂しさがあった。でもあったかい。あったかい涙。
これがあれば生きていける。これは譲れない。私にはこれ(甘え)がある。殺されようが譲れない。誰がなんと言われても譲れない。殺されたって曲げることがない。媚びることがない。気持ちよかった。
セッションから家に帰って、今夜こそ、ぐっすり眠れると思った。その通りにぐっすり眠れた。解放感を味わった。今までは、しつこい不眠症気味だった。
次の日は、身体は疲れるけれど心は軽いと感じた。苦手な母の介護もイライラは長く続かなかったな~と感じた。明日、母をまたお世話するのが、ある意味楽しみだ・・・。これも「甘えたいだけじゃん」のお陰だ!私の究極の本音だから。頑張って(母に対する)「いい娘」をやったり(子供に対する)「いい母」をやったりしない様にしたい。頑張りではなく本音とともに居たい。

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母は私を褒めて利用|愛情はもらえず|職場のおばちゃん達も|そろそろ止めに|セラピーの現場(620)

母からは本当の愛情がもらえなかったので、せめて、母から褒められることをした。母は私を褒めて利用した。その母も今はいないが、私の褒められて頑張る癖は残っている。
職場では母と同じ年代のようなおばちゃん達と仕事をする。母と似たような相互依存があるのかもしれない。おばちゃん達は私を褒めて利用しようとする。私はおばちゃん達から褒められることを望んで、利用されていることがわかっているのに、その通りにして嬉しく思う。おばちゃん達の中には、息子が結婚して嫁さんに息子を取られた事が気に入らなず、私を息子代わりに、かわいがろうとする人もいる。擬似母子をやっている。自分もそれほど悪い気持ちはしていなかった。
でも、もうそろそろやめにしたいと思う。他者評価よりも、自分で自分が認められる自己評価の方が価値があるように思えてきた。お互い甘えの中でやっていた。みんなを集めて「卒業します」と宣言した。

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役に立とうが立つまいが要らない子という無条件の死|セラピーの現場から(619)

(585)(605)の続き
ベビーブレスをした。
役に立とうが立つまいが要らない子という、無条件の死。役に立とうが立つまいが、ただの温かい自分で居ていいという、無条件の温かさ。この相反する二つのものの同居を「死と背中合わせの無条件な暖かい自分」って私は呼んでいる。今回のベビーブレスで、ここのところを中心にやりたい。
はじめの方では、無条件の暖かい自分が、無条件の死を感じているようだった。二つのものは、別物では無く、両方同じところにある感じだった。だから、無条件の死だけの冷たい感じがしなかった。
そのうち、力が抜けていく感じがした。この力が抜けていく感じは無条件の死を、受け入れていく感じだった。ただ、ただ、自然と死んでいく感じ。すごく自然でとても気持ち良かった。
後の方では、浮いているようだった。何も締め付けがない。宙に浮いている。今までは二つのものは、閉じ込めているような感じだった。それが、下にも上にも囲いがない感じ。そして背中であったかさも感じる。何か、孤独も感じるが、囲いがなくなったよう。囲まれている感じから抜け出した感じだった。
無条件な死を受け入れることで、無条件な暖かい自分が、囲いの外へポンと出てくる感じだった。
今までの、母親の条件付きの死(役にたたなきゃいらない)と、条件付きの生(役にたつならいてもいい)という母親中心の世界から、無条件な死(役に立とうが、立たなくても最初からいらない)と無条件な生(役に立とうが、立たなくても暖かい自分がいる)という、自分中心の世界になったような感じが続いている。そして、今回の「締め付け」は、母親中心の世界で、「囲いのない」のは、自分中心の世界という感じだ。

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「何で認めてくれない見てくれない」「周りから褒めて欲しい」|喝采で麻痺|セラピーの現場(617)

<他者評価から自己評価へ>
母からの愛情が足りなかった欠乏感を埋めるためか、いつも周囲からの評価を求め、他者から褒められることで自分を奮い立たせていたが、それは苦しかった。今、初めて、自分で自分自身を認めることができるようになり、今までになかった充実感を味わっている。

<子供の頃から喝采で麻痺>
思えば、子供の頃から、ガキ大将で気持ち良かった。周りから認めれるので満たされる。「付いてこい」とやると付いてくる。喝采される。喝采で麻痺する。小学校で朝礼の朝礼台に乗って、学校行事のことを話す役、児童会の書記だった。マイクを握って話す気持ち良さ。弟たちの「お兄ちゃんだ」と聞こえてくる。全部こいつら子分だと。
<精神的な弱さの稀勢の里に共感>
相撲取りの稀勢の里のことを、横綱になったあたりから、好きになった。相撲は見なかったのに大好きになった。怪我しながら逆転優勝もした。「プレッシャーでいざという時に勝てない精神的な弱さがある」と稀勢の里が自分自身で知っている。「稽古、稽古しかないとやってた」とインタビューで言っていた。
彼の相撲の事を見ていて、他者評価を求めなければならない自分自身の精神的な弱さ、そして自分の仕事を思った。似ているところがある。
自分は、ヤダ、とか拗ねたりしていても、仕事はルーチンワークとしてずっとし続けてきたなと思た。思ったら自分自身の自信になった。自分で納得できた。他者評価でなく思えた。「何で認めてくれない、見てくれない」という事で「周りからの褒めて欲しい」評価が先行していて苦しんでいた。そういう気持ちもまだあるが、「自分でやっている」と思えた。思えたらお客さんに喜んで貰うのが仕事だが、もっといろんな事をやりたくなった。僕の仕事は調理だから、どんなものを食べたいかと考えて、できるようになった。更に、自信を持ったら、「何をやってもいい、制限はない、自由だし裁量はあるし」と思ったら、どんどんできるようになった。お客さんからストレートに声が掛かる。昨日、「おとうしが美味しい、娯しみにきているだよ」と言われた。毎日考えているし面倒臭いけど考えてやる。

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無視しシャッターをおろし「そんなことありましたか?」|実は、甘え|セラピーの現場(616)

職場などでうまく自分の気持ちを表現できず、人についつい無視をするクセがあったが、最近、無視の背後に隠れている謎の解明が進んできた。(続き)

〈無視をするとどうなるのか〉
自分の本音をないことにして無視をしていると、ある程度までは、人との関係性は作れるけれども、その関係性が進むとともに、出てきそうになる自分の本音を無いことにしないといけないので、最後には、関係を切ってしまう。シャッターを下ろししてしまう。自分は責任がないと投げてしまって人任せにしてしまう。そして言葉での表現はしない。代わりに態度で示す。他人を無視する。切る。シャッターを下ろす。
〈無視の正体〉
一方で、無視は、自分の気持ちを表現できない私にとって、ギリギリの甘えであり依存であり自己主張だった。
甘えや依存は、本当は母に出したかったけれども、勇気がなく怖いので、職場の上司に出した。積極的な無視をし始めた。核心を突くようなことを言われたりすると、「全く覚えていません。そんなことありましたか?なんのことでしょう?」などど本当にないことにしてしまう。 出し方はすごくハードだが、自分の中では、甘え、だった。
幼少期に母に甘えたことがないので、甘え方がわからず、どうしていいかわからかった。無視という形で甘えをしていた。積極的な無視は、自分がここにいるということの自己主張だった。自分の中に足りないものを、外側に、究極に、求めた結果だったと思う。
〈正体がわかってどうなったのか〉
足りないものを外側に向いて求めていたこと、上司に依存していたことが分かってきたら、実は、母を求めていることが分かり、上司に対する積極的な無視が少なくなってきた。
私は母を求めていた。本音は『お母さん抱っこして』と言ってずっと甘えたかった。お母さんと一緒にべったりとして離れたくなかった。自分を認めて欲しかった。ここにいて良いと…。自分の本音が分かってきた。
〈最近のセッションで〉
最近自分で自分をこのままでいいよ、と認められるようになってきた。そしたら、なんだか訳のわからない自信が湧いてくる。エネルギーを感じる。体が熱い。喜怒哀楽がはっきりしてきた。人間らしくなってきた。愛情もらっていなくっても、また無視が出てしまってもいいじゃん。ちゃんと謝ろう。みたいな変な自信。そんなエネルギーを感じる。自分の子供をまるまる認めていなかったことにも気付いた。
風船のイメージが出た。「そのままでいい風船」の中にいて、母、祖母、息子、主人、父、祖父、兄弟、叔父、叔母、みーんな風船の中においでと言いながら遊んだ。
でもここ(風船の中)にずっといられない。風船が小さくなり自分だけの時もあったり、風船自体が見えなくなっていたりする時もある。ずっと風船の中にいれるようにしていきたい。

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母『どうしよう出来ちゃった』|女の私は兄弟に母の意識を取られないように頑張った|セラピーの現場(615)

職場などでうまく自分の気持ちを表現できず、大事な場面で、人についつい無視するクセがあったが、最近、そのクセから卒業しかけている感じがしている。そして、自分がなぜそんなクセに陥(おちい)っていたのかが、分かってきた。
〈なぜ無視をしなければならなかったのか〉
私はいらない子だった。母はこどもに意識のない人だ。私がお腹の中にできた時『どうしよう出来ちゃった』と思っていた。妊娠後期になるとどんどん子供が大きくなってしまい、帝王切開になった。帝王切開をするので全身麻酔をしていて本当の意識もなくなっていた。
私が2歳前のときに弟が生まれた。もともと母は愛情をくれる人ではなかったが、兄弟が生まれたことで私に対する意識が更になくなっていた。私の居場所はなかった。大変な母の手をわずらわせないように、私も、手のかからない良い子をしてきた。自分の感情を出さずにとにかく頑張った。男に負けないように、兄弟に母の意識を取られないように、良い子にして頑張った。今でも母は、『手のかからない子だった』と言う。母はそれ以外覚えていないらしい。意識がない。無視をされていた。
母は、良いも悪いも、やりたいも、やりたくないも、気持ちを言葉で言う人ではなかったが、子供の面倒は見たくないし、家事もしたくない、が本音だったと思う。その母に対して、私が本音を言うことはできなかった。言うことが怖かった。そして自分の本音を無視した。本音を隠して、無いことにした。そして頑張った。自分の居場所を求めるように、自分を認めてもらうようにとにかく頑張った。
もともと頑張るのは好きだ。でも、必要以上に頑張らなければいけなかった。結果、仕事では、良い成績を収めることができた。誰もが認めてくれるくらい良い成績だった。それなのに自分自身は全く満足感はなかった。逆に、やればやるほど自信がなくなった。本当にこれでいいのかなー?と。成績はいいが、人との関係性が上手くいった感じがない。表現をして人と繋がった感じがない。本当に自信がなかった。肝心なところでシャッターを下ろして人を無視をしてしまう。上司や部下との関係もそうだった。人間関係を良好にさせることは難しかった。自分の本音を無視し、そして、人を無視した。

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母は何も言わないで秘密を持って死んで行った|私への裏切り行為|セラピーの現場(614)

<お父さんに対して私の心が開いた>
父親は大きな手術をした後、現在、1週間に一度に通院している。車の運転もやめた。目が定まっていないから。親父が実家の管理(掃除など)をしているが、十分ではないので、子供達(私達)も休日の時はやっている。それが親父には嬉しいみたい。父ー子供達でラインをして「お風呂掃除終わりました」「(家の)猫が近所の猫と喧嘩して逃げてきました」とか、やる。子供達(私達)の気持ちが父親に集まっている。
私も実家に泊まって「おはよう」と起きて父親の体を摩(さす)る。免疫高めるためにやっている。父は「いいよ、免疫高めなくても、死ぬから」と言いながらでも嬉しそう。
実はこれは母とやりたかったこと。そのことを自覚しながらやれる。嬉しいのは父が散歩するようになったこと。前は歩かなかった。散歩するというのがなかった。今は散歩しながら花や川を見たりしている。感じるように散歩しなと言ってある。ラインで報告がくる。親父が自分でやってくれるのが嬉しい。車に乗らないから、散歩がてら歩いて食材を買いに行く。親父はささやかながら自分の残り少ない人生を楽しみ始めたと私は感じている。
<本当はお母さんに対して開きたかった>
お母さんは自分自身のことを隠して死んでいってしまった。親父とのようにつながる事はなかった。それが今でも心残り。
セッションでは、病室のベットの上で寝ている母が出てきた。死んだら嫌だという悲しい気持ちと、何も通じ合っていない悲しみと怒りが出てきた。母は何も言わないで秘密を全部持って行っちゃう感じで・・。それ(悲しみと怒り)をやれた。
母について、印象としては最後に看取ったのは残っている。最後の最後は覚えている。その時は母親を失った悲しみが大きかった。愛されていたと思っていたから。大事な母を失った悲しみが大きくて死んだ時はそれ(愛されていたと思っていたこと)が出た。セラピーではそれも出たけれど、でも通じ合っていない、母の事を何もわかっていないし、母の事を知ろうとしなかったもどかしさ、悲しさ、が出た。当時はなかった。実際にはあると思う。そういう事がわかった。母が母自身の事を何も言わないのは(私への)裏切り行為だと思う。
<保育器>
私は未熟児で1ヶ月早く生まれた。保育器に1ヶ月入っていた。父が母乳を持っていくと綺麗な看護婦さんがコーヒーを淹れてくれたと、父が私に、しょっ中話す。
母の気持ちは全くない。聞いていない。赤ん坊の私を、気持ちの上で、放置していたのか、と思う。
<母は好きな人がいた>
母は大きな会社に勤めていた。なかなか仕事を休まないうちに、破水して、早く生まれた。自転車で通っていた。母は職場に好きな人がいた。その人は母の葬儀の時も来たみたいな話をしていた。
父は赤ん坊の私を抱いたという。お前が可愛くて抱くと仕事頑張らなくちゃなと思ったそうだ。母は子育てが楽しかったとは、私は感じない。母は毎日淡々と生きていた感じ。自分の人生を生きている感じはしない。だからこそ、父が母のようにはならず、自分の人生を楽しみ始めたことを、私は感動しているんだと思う。
<人生を生きたい>
親父もそうだが、他の人が、自分の人生を生きることに感動する。本当は私自身がそうしたいと思っているんだろうな、と思う。自分で自分を捨ててしまったのが母にあるから。職場のおばちゃんがフラダンスを習ってハワイに行ったり有名歌手を追いかけたりしていて、みんなにそうなって欲しい、と思う。私自身が自発的に楽しむのは一番だけど。本当は、母とカラオケや旅行に行きたかった。思えば、生前の母とは、日常の買い物でスーパーへ行った。1週間の買い物に家族全員の5人で行った。子供達はお菓子やアイスが楽しみだった。でも大人になってからは違うことをしたかった。
<母の母親との関係>
母と祖母(母の母親)との関係性は良くなかった。祖母は母に冷たいし、母も冷たい、喧嘩もするし。母親(祖母)が(母が)子供の時にお弁当を作ったというが、(母は)作って貰っていないという。祖母は農業で畑仕事が先で、家事は後回しだったろう。姑さんもそうだったろうし。嫁いできてからは農業に価値があり、母達が生まれても畑仕事が優先的だというのが見える。祖母も生まれて直ぐに父(曽祖父)を失くし母(曾祖母)も失くし、10人くらいの兄弟で、両親(曽祖父母)ではなく上の兄弟に育てられた。(本当には)親がいない。親からの愛情がない。祖母は(愛情を)貰っていないから出せないので、母も貰っていない。
<母にはできなかった>
今は父親に対して死んでほしくなくて愛情をかけることができる。家猫にも同じように愛情かけることができる。母にはできなかった。

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自分を知られたくなくビクビク|気持ちが湧かない|会話を続けるため質問と相槌|セラピーの現場(613)

会話のときに緊張感がある。自由に自分の他愛もない話をしていいはずの場で緊張する。自分の話なんてつまんないし誰が興味あるのか、と思ってしまう。自分の心の中にある考えや感じ方を知られたくないとビクビクする。それで、場の雰囲気をこわさないために、なんとか会話を続けるための手段が必要になる。相手へ質問と相槌をする。自分の番が回ってこないように工夫する。でも、時々自分のことを話すことができる時もある。話せた時は自分を知ってもらえて嬉しい気持ちでいっぱいになる。
そうなることも知っているのに、自分の語れる話題を探すと焦って、見つからず、・・・空っぽ?無?となることが多い。会話が盛り上がっていくことも、いつ、つまらない人間ってバレるかと、怖い。
幼い頃から母親との会話で、深く質問されたことがなかった。気持ちを掘っていくように聞かれたことがなかった。仮に、深く質問されたり聞かれたりしたら、自分がどういう気持ちになるのか?(母だけでなく)わたしも、感動や楽しい気持ちが心に保存されていかれない。それどころか、すぐに出来事を忘れてしまう。語りたいほどの感動が、誰かと共有したい気持ちが、あるはずなのに、湧いてこない。

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こんなに自分を殺して頑張っているのに、どうして私ばかりが責められるの?|セラピーの現場(612)

母は何に怒っているのか。知りたい。母は気持ちを封印していそうなので、(私が)自分で探るしかないかもしれない。母は幼い時に、小さい兄弟の世話を任されたらしい。「親でもないのに小さい子(兄弟)の世話を任されて、なんで生んだんだよ。子どもとして生きたかった。」という怒りなのかな。好きでもない小さい子の世話をさせられて懲(こ)りたはずなのに、なんで、その後に自分の子供(私)の子育てがよく出来たなあ、と思う。だけどそれこそが母の、母親(祖母)に従っていい子の仮面でしか生きられない理不尽な人生なのかもしれない。
そこを瞑想した。「こんなに周りのために自分を殺して頑張っているのに、どうして私ばかりが責められるの?私だって辛かった!誰がこの思いを聞けるのか!誰も分かるはずない!自分の人生を生きること(本心を話すこと)を辞めたのに、あなた(私)たちが自分の人生を生きようとするなんて許せない。生まれてくるなー!」と母の子宮に私が押し戻されるイメージが出た。

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子どもは愛情を求めてまたくっつきにくる|母親「裏切れないの知ってるよ」|セラピーの現場(611)

わたしの母親やよそ様の母子を見ていて、思うことがある。
子どもはどんなにおとな(母親)が間違ったことをやっても、その時は(母親を)嫌いでも、愛情を求めてまたくっつきにくる。わたしの場合も、その子ども(わたし)が(母親を)裏切れないという愛を、(母親に)頼りにされていた感じがする。わたしは母親の顔色を伺って、優しい面だけにくっついてきた。生きるために自分の(本当の)思いに蓋をした。(母親へ)反発しようものなら「いい加減にしろ!ここから出ていけ!」と怒鳴られる恐怖があった。
母親には、「自分(母親)が愛せなくても、どんなに酷(ひど)いことを(あなたに)しても、あなたは愛してくれるでしょ、(あなたは)認めてくれるでしょ。(あなたが)裏切れないの知ってるよ。」そう言われている気がする。
わたしの兄は母親との喧嘩で「出ていけ!」と言われて本当に一度出て行ったことがある。その時の母親は酷く(ひどく)動揺していた。自分(母親)が困ることを(母親は)何故言うんだと不思議でした。(母親は)子どもの言葉を聞いたり、自分の気持ちを話したり、話し合うことができないようだ。自分の本当の気持ちを閉じ込めて話せないのが、わたしの母親だから。怒りに任せるしか方法がないんだ。

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「あ~いつか終わってしまう」という感じも今はない|セラピーの現場(610)

(575)(579)(583)関連
その後、日常生活も楽に(?)リラックスしている感じがします。昔のようには気を張っていないというか、力んでない気がします。
自宅で瞑想していますが、日を追うごとに瞑想が変わりました。瞑想していて、別に寝ている訳ではないのに、1日中(?)何時間も寝たかのようにシャキ~!!!!とするようになりました。今までは、このシャキッ!!という感じはあまりありませんでした。
今は何があっても日常が楽しく、現在も楽しいのですが、これからの自分が歩いて行く人生を思うとワクワクしてきます。言わば毎日が遠足前日の気分なのです。今までは、調子の良いときにありがちだった「あ~いつか終わってしまう…」という感じも、今は全くありません。いつまでも続いていきそうなこの気分に、まだまだ、圧倒されそうです。日々瞑想をしたり、日々感じ味わいながら過ごしていきます。そして圧倒されるばかりでなく探りながら過ごしてみたいと思いますが、この深く探るということが中々できません。「ん~悔しい~!!」となります。でも、もう少しだけこの圧倒される気分を味わっていても「良いかな…」とも思っています。

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母の話はテニスの壁打|私はSNS中毒|寂しさは死を見つめて|セラピーの現場(609)


<母に腹が立たない>
以前は家で母と一緒にいてもただイライラするばかりだったのですが、今は自分で選んで母と一緒に引きこもっているんだなというのがわかります。そうすると自然と母に腹が立たなくなりました。自分が子供なので、母と一緒にいる(いざるを得ない)のは当然かもしれません。私が母にある程度心を開いているせいか、母は一緒に出掛けると延々としゃべっています。
私はまだ母を受け止めきれる余裕はないので、話は聞いたり聞かなかったりです。母からしてみれば父にも私にも話を「聞いてもらう」ではなく、テニスの壁打ちのように単に話を「ぶつけられればいい」のかもしれません。母は相変わらず自分の話しかしませんし、意思の疎通は殆ど出来ません。
それでも以前のように母に怒りをぶつけなくなったのは、セッションで甘えが出来たからかもしれません。彼女自身も子供ですが、私にとっては甘えたい母親なのです。私がある程度年齢やセッションを重ねたのでこう言えますが、小さい子供だった自分は愛情を受けられずとても苦しかったのは覚えています。子供では対処しきれません(今もなかなか無理ですが)。母が私に甘えてくるのを見ると、「捨てないで!」と言われている気がします。(*お母さんは変わっていないけど、本人の内面がどんどん成長しているように思われる。)
<依存から寂しさへ|「一人」を受け入れている>
寂しさや独りぼっちを味わう感じは続いています。本当に一人だと思います。普段の生活でも瞑想している感じです。私自身「深いところ」と言うのははっきりとは分からないのですが、辛いけれど寂しいところにずっといたいなと感じています。もともと人(友人)を誘ってもタイミングが悪かったり、相手に一緒に遊ぶほど親しくないと思われる程度の人間関係しか築けなかったので、一人を感じるには丁度いいと思います。SNS中毒で毎日何かしらを発信しないと気が済まなかったのが、今はSNSを見てもいません。SNSをしていると余計に自分が一人だと感じられて辛かったのに、無理やり誰かと繋がっているつもりでやっていたのが、今ならわかります。私は一人です、そのことに真摯に向き合うときなんだと思います。そちらのが性に合っている気がします。
(*「一人」を受け入れ、その方が気持ち良いと感じている。何かに依存している時はわからないもので、半年前は考えられないほどのことのように、思われる。)
<自死について>
最近、妙に死が近いです。自分の後ろにべったり張り付いている感じがします。自死したいわけではないのですが、寂しさ=死を見つめている感じがします。過去に2回自殺未遂をしたときは、自分ではなく他人に絶望して死のうとしたんだと思います。今の自分に絶望しているか?と聞かれたら、死にたいほど絶望はしていないと思います。これから自分と向き合って本当に自分に絶望するときが来るかもしれません。それでも自ら死を選ぶのか?はわかりませんが、自分に絶望しても死は選ばない気がします。
(*「死」に向き合えば本当に生きられると思われる。不思議なものですが。)
<中絶について>
今までは(友人などが)中絶するんだと話をしても「へぇ~」くらいの感想しか持ちませんでした。今、自分のお腹に子宮内膜症の痛みがあり、自分のなかに小さな自分が生まれた、と感じています(本当には産まれませんが)。その小さな自分のイメージのせいか、同じような話を聞いて、とてもショックでした。話を聞いていたときに「やはり私は要らないのか!捨てるのか!」と小さい私が言ったので、ずっとこんな所(子宮内膜症の治療のための病院)に連れてきてごめんとお腹をさすっていました。彼女(小さな自分)には悪いことをしました。
あまりにもショックだったので母に話したら、中絶は「その人の都合だから仕方ないよね~」とそっけなく言われたので(セッションで、そうじゃないかと感じることがあったが、やはり)母は私を降ろす気があったんだなぁと思いました。セッションで感じたことは本当だったのかもしれません。人の命はそんなに軽いものなのでしょうか。話を聞いてから気持ちが悪く吐き気がします。自分が母に拒絶されているみたいです。

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自分の中のKさんを忘れていれば母から殺されることも忘れられる|セラピーの現場(608)

<表現できた人格>
自分の中に、破壊を担当する人格があったが、なかなか今まで、その人格をセラピーの場で表現することはできなかった。今回それができた(*1)。3歳の女の子だ。名前をKさんという。まっすぐで自由で活発で強い性格だ。強いので、辛い記憶を一身に受け持ってくれるが、辛い記憶を原因として、破壊の衝動がある。
<なぜ表現できなかったか>
自分が幼い頃に母親から殺されかかったことが認められず、人格をかい離させて、対応したらしい。頭では分かっている。でも、今も完全には認められない。
Kさんの存在自体も忘れて、無いことにしていた。何故、忘れ、無いことにしていたのか。Kさんを忘れていれば母から殺されることも忘れられるからだ。Kさんが居ることになれば、セラピーの場の皆んなや母親を殺してしまうかもしれないからだ。だからKさんをやっつけ無くしてしまいた自分もいる。Kさんを殺したい。Kさんが自分の一部だと認められない。(自分一人の時などは)時々出てくるのに、認められない。Kさんを認めてしまったら怖い。気が狂いそう。凄い怖い。Kさんでない部分(主たる人格)の自分は、弱っちくって、辛くて、ガクガクする。弱くて、母から殺されることを、引き受けられない。
<その人格の気持ちは?>
おっぱい。おっぱいちょうだい。おっぱいが欲しいだけなのに。まっすぐにお母さんの愛情が欲しかっただけ。おっぱいの中身がなかった、空っぽだった(*2)。空っぽで何もなかったので母の乳首を噛んだ。殺されるのは出てこない(*3)。貰えないのは嫌だ。だから(母親を、みんなを、宇宙を)やっつけちゃう(*4)。
<あなたの今の気持ちは?>
空っぽのおっぱいを持っていると安心した。空っぽのおっぱい。これがあれば生きていける。大切な空っぽのおっぱい。「空っぽだ」と言うのがいい。愛情がない。何もない。今までは「ちょっとはあるだろう」と思い本当には認められなかった。「愛情がない」ということ、「ない」のが事実。おかげで、ちゃんとしなくて良い。楽になった(*5)。
Kさんは、母に愛情がなかったことを受けたら、気狂いになるしかなかった。気狂いだけど気狂いじゃない。どうしようもなかった。
(*1:セラピーの大きな一歩になると思われる)
(*2:実際のおっぱいは出すぎるほど出た、と母親は証言する。過剰なおっぱいの中には愛情がなかった、だから「空っぽ」だったという意味に解される。)
(*3:Kさんの人格で母親から「殺される」ことについての気持ちが未だ「出てこない」が、これは人格の統合作業が今からであるということを示しているように思える)
(*4:小さな乳児にとって母親は全てでありみんなや宇宙を代表するものなので「やっつけちゃう」ことは対象が特定されない抽象的な「破壊」になる)
(*5:「ちょっとはあるだろう」と思い「ない」ことを否定しながら生きることは辛かったが、「ない」事実を受け入れることができたときに初めて生きることが「楽になった」という意味にとれる)

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悲しみは嫌で怒り|抑えて過呼吸|観察し不思議|セラピーの現場(607)

(575)(579)(583)関連
ベビーブレスの感想を送ります。
ひたすら呼吸をして、グゥーと抑える感覚になりました。我慢の時に味わっていたような締め付けるような、圧力のような感じです。訳も分からずに過呼吸になりそれが嫌で、いつもなら「わぁー!!」と怒りを出していましたが、怒りではなく、泣きながらそこにいられました。泣きながら味わえました。(悲しみ自体はやはり)嫌な感じですが、味わえてる感じで不思議と気持ちが良かったです。凄く良かったです。
今まで、小さく小さく弱く弱くなる感じをベビーブレスで何回もしましたが、その時に味わった感じと全然違いました。グゥーと抑えるような小さくなる感じを味わっているのですが、観ている感じでした。観察しているという表現の方が近いかもしれません。その感覚を思い出していると、不思議だし、面白いです。 初めて味わうベビーブレスでした(*)。
(怒りの)感情を抑えているのに力がある事を知りました。あれだけ怒りがあるのだからと分かってはいましたが、抑えている力も凄いものだな…と改め知らされた感じでした。本当に初めて味わうブレスで、とても良かったです。
(*:「過呼吸」として存在するエネルギーを、それまでのように怒りとして外側へ出すのではなく、内側へ留め悲しみとして引き受け、それを観ている感じ、と理解できる。)

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ばい菌扱いされ顔を歪ませ笑った|近づいたら死んでしまうんじゃないか|セラピーの現場(606)

<子どもへ納得できない理由の指導がツライ>
セッションを受けて時間がたつが最近気づいたことがある。
仕事で子どもと居ることが多い。すると自分が子どもであるかのような感覚になる。大人らしい振る舞いが苦しくなる。だから何か指導することに抵抗がある。これしちゃダメあれしちゃダメがつらい。納得できる理由がないとツライ。言葉に力が入らない。自然なことかもしれないが・・・。
<泣けない平和主義者>
いつも悲しみが出てこない。涙を流すときは悔しい、怒ってる。小学生の時に面白半分でばい菌扱いされた時、ひどく傷ついた。悲しくても顔を歪ませて笑ってた。本当はすごくすごく泣きたかった。そうしたら友達や先生もわたしを助けてくれたかもしれないけど相手が非難されたり怒られたり、今度は相手が傷つくことを知ってたから、我慢した。どんだけ、平和主義のいい子なんだか。
周りに遠慮しなければ、私は生きられない。いい子でいなければ生かせてもらえなかった。わたしの悲しみはわたしだけのもの。周りがどうであれ、あの頃の自分に泣いていいんだよって、言いたい。
<背後に死?>
小さい頃、水が怖かった。今もそれほど好きではない。のびのびと身体が動かない。胎児の頃に何かあったのかと思うくらい。
自分が死ぬことは異常に怖い。けれど他人の死は、怖いというより神秘的だと思う、曽祖母の時も、叔父の時も、悲しい気持ちは不思議と感じない。感じられないように蓋をされている?。母の死だけは怖かったけど、今は前ほどではない。
兄(引きこもりが続いており壊れやすい感じがしている)が死ぬことは前より怖い。わたしが近づいたら精神的に何か作用して、死んでしまうんじゃないかと思って近寄れない。わたしがダメージに耐えられそうにないので近寄れない。

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「役にたたなきゃいらない」って何だよ!私を大切にしてよ!|セラピーの現場から(605)

<氷水>の話(585)の続き。
母親は、役に立たなきゃいらないとして幼い私の命を使い、本当に私の生を望んでいる感じではなかった。私はその影響を受けて、生きるために周囲の役に立とうとし、それでも結局は望まれないということを引き受けるのを避けつつ、究極の孤独の中に居るしかない。それが<氷水>。
先日のセッションでは、自分のやってみたいことができた感じがある。今の自分にとっての精一杯の感情が出せた感じがある。それは、母親に対しての怒り。怒りとともに母を求めてること。「役にたたなきゃいらないって何だよ!」「私を大切にしてよ!」など、いつもなかなか出せなかった言葉とともに、発狂するかのように、物凄く沸き上がるエネルギーとともに、感情を出せた感じがある。
そうしたら、氷水の所(究極の孤独)に行く予定で冷たいはずだったのに、逆に、自分の物凄く暖かいエネルギーを感じた。すごく暖かくてまっすぐなエネルギーだった。冷たい予定だったのに、暖かくてとまどった。その暖かい自分のいるところは、氷水の冷たい中、それなのに暖かいって感じがした。
相反するものが同居する。役に立とうが立つまいが要らない子という、無条件の死。役に立とうが立つまいが、ただの温かい自分で居ていいという、無条件の温かさ。この相反するものの同居を「死と背中合わせの無条件な暖かい自分を感じる」って私は言っている。セッションの後、自宅で、深く呼吸をしたりしてみて(これらの気づきを)消化をしようとしている中で、感じるのは、いい意味で自分の中が空っぽになった感覚。この感覚が少しずつ自分の物になって来るような、柔らかく近づいて来ている感じがあって、とても良い。ゆっくり、じっくり味わっている。味わえると、身体がポッかポッか暖かく自分のエネルギーを感じる。

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自分の存在がなく世界の終わり|保育器で50日一人ぼっち|セラピーの現場(604)

<成育歴> 母は、私を妊娠中に、重い扇風機を箱の中にしまおうとして破水した。殺意があったのかもしれない。私は、羊水を飲んで溺れたような状態になったらしい。生後、この早産のため未熟児で、すぐに保育器と入院とで50日近く一人ぼっちだった。母は、私を産み保育器に預けて退院し、その後は実家に居た。母は出産で腰を痛めていたので、祖母が病院に支払いに行ったりしていた。母にそのころのことを聞くと、その腰痛のことしか覚えていない。母は、母の父に「年越すまでに(嫁ぎ先へ)帰れ」と言われたらしい。「何であんな人(私の父)と結婚したのか」と後に述べており、母は嫁ぎ先に戻りたくなかったのかなと思う。母は、病院に居る赤ん坊の私へ見舞いにも来なかったらしい。母自身は見舞いに行ったと嘘をついていた。私が退院する時まで実家に居た。私が退院すると、こんな「生後1ヶ月の赤ちゃんをどうしよう」と言っていたようだ。ようやく母に会えても迷惑がられた感じがする。小学生になっても、母は、私の話を聞いていない、見ていない、信じていない、傾向があった。私は、言い返せなくて悔しい思いをした。

 <自分の中の二人> 胎児期から十分に月満ちるまで居させてもらえず未熟児となり、産まれてもそのまま一人ぼっち。その後も薄幸。大きな大きな傷。傷が大きすぎて、傷を観るのが辛すぎて、セッションを続けられるかどうか迷う。自分の中に二人いる感じ。 続けようと思う人はA子。セッションでの気づきが面白い。続けたくない人はS子。怖い。小さい頃、一人遊びでこの世の終わりのような劇をやっていて、すごく怖くなった。ワーッと夜中でも叫び出すくらいのがあった。そうなるのは今でもある。太陽が爆発して地球がなくなるというかなり未来の話も、ドキドキして怖い。自分の存在がなくなる、世界の終わりの恐怖。

<セッション> セッションは、二人が引っ張りあってなかなかうまくいかなかったが、何とかこなし、足が冷たいことが認識された。冷たい=怖い=捨てられることと自己解釈した。保育器に入ったことは捨てられるのと同じ。自分の存在を認めてもらえない、月満ちるまでいなかったことも捨てられる感じ。存在が消え、全て捨てられる恐怖に包まれている感じ。「悔しい」という気持ちも出る。しかし、生きた真の感情がなかなか出てこなかった。 後のセッションでS子の言い分を聞いた。「(セッションするなんて)よけいなことしやがって。誰のおかげでここまでやって来れたのだ。」防衛して我慢して生きていく、なんとか生きていく、その働きがS子。怒りの感情が爆発した。火の玉。感情が前面に出た。「気持ちを殺して、頭を使って生きてきた。今のまま、自分のことをわからずに、ロボットのようにして、はじめて生きていける。その私(S子)を無くすのか」今までS子が引っ張ってきて生きてこれた。

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人の話に割って入ってでも存在をアピールしなければ!|本当は喋るのも苦手|セラピーの現場(603)

セッション後の報告
<自分はおしゃべりで積極的ではなく、実は独りぼっちで人と接するのが怖く寂しい>
以前にもお話しましたが、私はおしゃべりで積極的な人間だと思い込んでいました。それは本当の自分ではなくて、人の輪に入るのが苦手で喋るのも苦手です。前は人の話に割って入ってでも喋らなければ!私の存在をアピールしなければ!と思っていました。いまは、人が喋っているのを邪魔するのは悪いなぁとか、私が喋りたいことは話の流れを無視しているから黙ってようと思うようになりました。その代わり?なのかはわかりませんが、誰の心にも私の存在なんてないんじゃないか?本当に独りぼっちだなと思います。その原因が、自分が壁を作っているからだというのも分かります。自分が必要とされていない、甘えられない子供なので、人と接するのが怖いのかもしれません。ちゃんと甘えたり自分のことが分かれば、この寂しさは改善されるのかもしれません。以前よりは耐えられていますが、まだ寂しいのは辛いです。
<自分の内面に向き合う>
以前はセッションを受けると、どんどんやるぞー!!とやる気に満ち溢れることが多かったのですが、今回は少し違います。ぼんやりしているとも言えますし、穏やかともいえます。誰とも繋がっていないなかで、より自分と向き合いたいと思っています。今までは好きだったSNSやサッカー等の外界の刺激が、鬱陶しいと思っている自分がいます。心をかき回されたくないのです。仮想世界でも良いから誰かと繋がっていたい!とSNSやサッカーに依存していました、本当の自分は独りぼっちなので、それを認めないことには先に進めないと思います。こんなに自分の内面に向き合っているのは初めてです。自分が精神的に弱いから、どうしても外界の刺激に流されてしまうのです。サッカーは嫌いになった訳じゃないので、自分が精神的に落ち着いたらまた見に行こうと思います。
じっくり自分と向き合おうと思います。

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赤ちゃんの泣声が怖い謎|ボタンを押され保育器ごと焼却炉|セラピーの現場(601)

<保育器の経験から我慢と遠慮>
誕生後すぐに保育器に入れられた。両親が仕事で忙しく、私を病院に預かってもらう必要があったという事情が大きく影響している。心の傷になっている。人生のスタートから一人ぼっちで保育器の中で我慢して過ごすしかなかった。今も、人生に対する我慢や遠慮が根強くある。
<ボタンを押され保育器ごと焼却炉へ>
セッションで、あるイメージが出た。保育器の中にいる自分を、高いところから両親が眺めており様子を見てボタンを押すと、保育器が自分ごとレールの上を滑り下って焼却炉の中に放り込まれる、というイメージだ。両親の意図で、抵抗する間もなく殺されてしまうという意味だ。
<赤ちゃんの泣き声が怖いという謎>
赤ちゃんの泣き声が怖い。なぜだかわからないけれども怖い。職場などで、他の人の赤ちゃんが火が付くように泣いていると、聞いているのに堪えられない。その赤ちゃんのように、自分が我慢を外して本気を出したら、ボタンを押されて殺されてしまう。背後には、どうしようもない遠慮と我慢の人生がある。本当は、その赤ちゃんのように泣いてみたいという自分もいるのかもしれない。
<死をも我慢しようとする>
セッションで死をやったが、今考えるとあっさりと死んだ。あっさりできた。保育器から火葬場まで熱いのも我慢して我慢して死ぬ。絶命するまで我慢できるのかと思ってしまう。でも実は、恐怖とか飛ばして死んだんだと思う。怖いところにいられない。すぐに死ねたのはその方が楽だからかもしれない。
でも後日、別のセッションで死をやったら、息もハアハアしてなかなか死ねない。往生際が悪い。かなり怖かった。
<どうしたら我慢しなくて済むのか>
セッションではどうしても我慢してしまう。立ち向ってしまう。降参できない。力を抜いて見たりするが、呼吸ができなくなるのではないかとビビりまくっていた。言葉も出ない。
<解放の仕方が分からない>
自分を解放するその解放の仕方がわからない。我慢は保育器から来ていることはわかっている。何かあると踏ん張って抵抗していた。我慢や抵抗ができないと、どうしようもない。
<クネクネと「やりたくねえ」「ヤダヤダ」>
セッションで、幼い子供が駄々をこねるようにクネクネと体を動かすと、少しは自分を解放できる気がする。でもクネクネしながらも脚を踏ん張っていた。そこで、踏ん張らないようにしてみた。そうしたらナマケモノのようなイメージになった。何も「やりたくねえ」「ヤダヤダ」とやって見た。自然とそうなった。気持ちよかった。でも本当の解放はこんなもんじゃないとも思う。

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私の「行かないで」は閉じこもりから自立する子供へのようでもあり母へのようでもあった|セラピーの現場(600)

<子供の閉じこもりと、自分と母親の関係>
長年の閉じこもりだった子供に変化が起き始めたのは、私が自分の母親との関係をやり始めた途端の変化だと、言われる。でも、私には、そこのところは理屈では分かっているが、ぼんやりしている。
<怒りから母親へ、そして恐怖と死へ>
セッションでは今までは激しい怒りが中心だった。この怒りは母に関係しているらしい。そこでセッションで母のことをやろうとする。すると、恐怖が出てくる。何もない恐怖。愛情を貰ってなくて空っぽで生きている。死が追いかけてくる。母と一体になって死にたかったのに、死なずに生まれることを選択したので、生き続けるにはその死は観ちゃいけない。でも観なくても、その死は無くなったわけではないので、追いかけてくる。母のお腹の中だとそういうことだったのだろうと思う。生まれてしまった今でも、その死があるから「怖い」のか、と思う。
<死の願望と死の恐怖>
死が怖いのに、なぜ死にたいのよ、と考えていた。死の選択もできたのに生まれた。生まれることを選択してきたので、死をないものにしてきた。自分の中ではそこ(死)に行きたいと思ったのに(死は)ないことにしていた。それでも生きなきゃ行けないから怖いのか。恐怖に居られないから怒るが、逃げるから(恐怖が)追いかけてくるから、嫌で嫌で怖い。死をないことにしているから怖い。恐怖からなんとか逃げようとしていたんだと初めてわかった。世紀の大発見だった。
<行かないで>
この恐怖を扱ったセッションの中で、思わず出た言葉がある。「行かないで」という言葉が出た。それは自立しようとする子供へ発する本音のようでもあり、自分の幼い頃に愛情を貰えないまま行ってしまおうとする母へ発する隠されていた本音のようでもあった。閉じこもりという現象の謎を解く鍵を見たような感じだった。

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今までの満足感がいっぺんに吹き飛ぶような悔しさに満ちたものに|セラピーの現場(599)

これまでの1年は、グループワークの効果もあり、とてもセラピーが進んだ1年であった。調子良く成長し満足感があった。
ところが今回のセッションはその満足感がいっぺんに吹き飛ぶような、悔しさに満ちたものとなってしまった。その悔しさから、セッション後のグループカウンセリングでは、怒りが湧きおこり「愛情の欠片(かけら)もないこの場を壊してやろう」とさえ思った。
でも後で考えると、セッションの途中で、苦しさ(湧き上がる死への恐怖)に耐え切れず、途中で逃げ出してしまった。また困難から逃げ出してしまったという、自分に対する悔しさであると感じた。
あれから1週間あまりが経過した。直後はだいぶ気持ちが塞(ふさ)がっていたが、激しい悔しさを味わった割には、意外に自分が元気であることに驚く。仕事中に湧き上がるウキウキ感には戸惑ってしまうほどだ。また、(職場で怒るべき場面では)人に対してハッキリと怒りを出せた。とっても気待ちが良かった。
思い返してみると、苦しかったセッションは幼い頃の困難(虐待)に伴う心の傷の再体験をしていたのだ。1週間あまりの間、自分に対する理解は案外すすんだようだ。かつて困難に直面した時に逃げてしまった自分。今でも困難に立ち向かえない弱い自分。それらの事を本当に悔しいと思っている自分。自分に対する強い怒りがあった事を理解した。この怒りを抑え込んで生活していることを考えると、日頃、自分自身に抱いている気持ち悪さにも、説明がつくように思える。
この1年、調子良く成長してこられたのは、セッションで感じた恐怖や、自分に対する憤りと向かいあうための準備であったと、今は思える。

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甘えている人に腹が立つ|べたーと来るような人には無視をする|母に甘えたことがない|セラピーの現場(598)

<聞き分けのいい子>
私は、親の手をわずらわせないように我慢して聞き分けのいい子をしてきた。その延長で今まで、職場や家庭でとにかく頑張った。
<甘えかたがわからない>
幼少期に母に甘えたことがない。ベタぁ~ジトぉ~という甘えをした記憶がない。甘えのイメージとしてはメイプルシロップの様にベッタリとすること。そんな甘えへ憧れを持つ自分の中の自分にメイプルちゃんと名前をつけた。幼少期にベッタリと甘えることは必要なことで健全なことだ。でも自分は甘えをしたことがないので、そもそも甘えかたがわからない。
<甘えを押し込めて無視をする>
甘えている人をみると腹が立ってしょうがなかった。初対面でもべたーと来るような人には、思わずシャッターを下ろす。それどころか、イライラして怒ってしまう。無視をする。自分の甘えたい気持ちを無視して、心の奥底に押し込めていた。そのことに気づくチャンスは沢山あったけれども、いつも忘れてしまうことが多い。
<甘えられない訳>
甘えることは(メイプルちゃん)本当は自分が一番やりたかったことだった。甘えたいと思っているけれども怖い。甘えの欲求を(母に)受け入れてもらえないことがわかっている。無視される。無視されるくらいなら、言わない方がいい。表現しないで黙っていよう。その気持ち(甘えたい気持ち)を押し込めて無いことにしよう。無視しよう。
その奥には、自分の存在を否定される怖さがある。否定をされることは、自分は「いらない子」になってしまうことだ。そこを認められなくってメイプルちゃんを我慢して、無視して生きてきた。でも、その気持ちに気づいたらメイプルちゃんを無視できなくなり表現してみたくなった。
<お母さんとバイバイして弾けた>
セッションをした。母に疎(うと)ましく思われているのは知っている。だから何があってもお母さんから離れない。離さない。しがみついた。お母さんと一緒になる感じがあった。そうしたら(できなかったことがやれて受け入れが起きたのか)自分から手を離しバイバイした。そして死んだ。お母さんとバイバイした。自分からバイバイできた。
その後、自分が泥団子になった感じでコロコロ転がり、バ~ンバ~ンと弾けた。
母から離れて初めて自由になった。メイプルちゃんと泥団子は自由な感じ。
<そのままの自分でいいんだ>
後日の自宅での瞑想で、「そのままの自分でいいんだよ」と自分で自分をOKを出せた。「そのままでいい風船」に入っていて守られている感じで安心している。体の中が熱くなってパワーが湧いてくる。「風船」がどんどん大きくなってきて中で自由に遊んでいる。
「そのままでいいよ」と何度も言いながら瞑想していると、小さい自分が(2歳くらい)出てきて、その子の(幼い自分の)頭をなでながら「そのままでいいよ」と言っていると、どんどん自分が小さくなり胎児になって人間の形もない位いの胎児になって、なでなでしていた。涙が止まらなかった。
<子供がいとおしい>
瞑想を終わって隣で寝ている子供をみて(いとおしくて)、又泣いた。「そのままでいいよ」と言いながら…外側の事ではなく、子供そのものを肯定していなかった事に気づいた瞬間だった。それからいとおしいと言う気持ちが出てきている。ホントに「そのままでいてほしい」と思う。親の言うことを聞いたり、自分のやりたいを無くしたり、表現しなかったりなど、が今までの自分であれば、その自分とは真逆のことが「そのまま」ということだ。
<職場でも自然にやれた>
その後、職場で、頑張る感じではなく自然に伝えよう、伝えたい、という気持ちが出てきて、職場の新人に自然な指導が出来るようになってきた。これだ。自分が大切にしていることが分かった。改めて確信が持てた!!その気持ちを伝えていきたいと感じている。
<家族とも改善>
子供はリアル。私が少しずれていると、態度が変わる。それを見た私が、ずれているんだと思い返すきっかけをくれる。こっちがまっすぐでいると真っ直ぐに返してくる。今回もそうだ。ホントにリアルだと感じる。
旦那に対して、(今思えば)上から目線でのものの言い方だったが、優しくお願いすることができたりしている所も出て来た。

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全く外出せず散髪もままならず宅配便も受け取れなかった|セラピーの現場(597)

長年の閉じこもりだった子供Yに変化が起き始めた。凄いスピードで変化している。私(母親)が自分の母親との関係、自分の傷は母親から来ていること、をやり始めた途端の変化だと、言われる。でも、私には、そこのところは理屈では分かっているが、ぼんやりしている。
しかし変化は起きている。Yの変化について行くのが大変だ。今まで、全く外出せず、散髪もままならなかった。他人に接するのが嫌で宅配便も受け取れなかった。それが、時折、夜間で私たち両親連れだが、外出してコンビニに行き買い物をするようになった。
そうしているうちに、昔の友達とメールで、会う約束をした、と言う。友達と会うための準備が始まった。長年の使用で傷んでいたメガネを変えることになった。買って来たメガネを喜んで受け取った。何日か後には、一緒に買い物に行った。靴を買った。帽子も買った。初めて買い物が「楽しかった」と笑いながら帰ってきた。
友達と会う当日は、朝から普通に起きてきて「行くんだ~」。遠くの大きな駅まで送って行くよと言っても「近くの駅でいいから」と言われる。その近くの駅へ送ったときに、閉じこもり以来はじめて「行ってきます」とニコッと笑った。新しい帽子かぶって、「かっこいい」と夫婦でつぶやいた。
その日、会うのは男女混合の数人。昔の学校の友達。食事をしたレストランの料理の写真がスマホに来た。夕方、「遅くなる」というメールが来た。私はきっとYは、両親の同伴のない一人で行ったので疲れ、友達と別れて帰る途中で、ネットカフェにでも休んでいるんだと思った。私「すごくさみしいんだYがいないから」と夫に言えた。Yはなかなか帰ってこない。夜も遅くなって帰って来た。喋ってくれた。友達とボーリングに行って、それから、また食事に行ってお酒を飲んで、カラオケ行って歌えた。フルコースだ。すごい…たまげた。
後日、私たち夫婦で外出した留守に、Yは、たった一人で散歩に出かけたらしい。夜ではなく、昼間一人で1時間半歩いた、という。私たち夫婦が夕方家に戻ると、Yは、夫婦の外出には参加しなかったけれど「食べには行くよ」とさらっと言った。「寿司がいい」と言うので気楽な回転すしに行った。家族で外食なんて何年ぶりだろう。その次の日も、「今日は何がいい」と言い、焼肉に行った。まるで当然のように、行った。
また次の日も、Yと一緒にショッピングに外出した。その後、Yは一人で散歩に行った。さらに次の日も、一緒に外出し、何軒も買い物をし、喫茶店やレストランに入った。レストランではちゃんと注文が顔を見て大きな声で言える。帰宅してからは、一人で散歩に行った。夜も一緒に散歩に行く。そんな日が続いた。
外出は車だったが、そのうち、多くの他人の目に触れる電車でも外出するようになった。閉じこもり以来、はじめて親戚にも会いに行けた。普通に挨拶し自然な会話をしたのに驚いた。
Yに急激な変化が起き、大変な事態になっていて狐につままれた感じがしている。普通に育った子供なら当然のことなのだろうが、一つ、一つできたことが嬉しい。
レストランなどにはいろいろ行けたが、ただ未だに、食べ放題は、お皿を落としてしまう妄想にかられてしまい、ちゃんとしないといけなくなるから嫌だという。ちゃんとしないと「ダメだ」と私が育てた。

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母を護もりきれずに死なせた罪悪感がではなく、実は母への攻撃では?|セラピーの現場(596)

今回のセラピーを振り返ると、セラピーの間、一部始終、自分を抑え込んでいたと感じました。その姿は、恐怖を隠す寂しい自分です。恐怖の正体は、殺意に関係するようです。優しく愛情いっぱいの母と、狂気の母が混在する環境で育った影響があります。優しく愛情いっぱいもらったと感じる部分は、寂しさから母に癒着しようとするものです。狂気の母が、恐怖を感じる一番の原因だと思います。

つまり、恐怖の正体が殺意に関係するとすれば、その殺意は母に対するものです。それを説明づけられるのが、私の中に常にある罪悪感、罪意識です。

今まで、母は自分が護る存在であると思ってきた経緯があります。その思いは私に染み付いています。しかし実際は護れなかった、、、だから罪意識があるのだと、考えていました。でも、病気がちな母には十分なケアをしてきました。それは他人の目から見ると、やりすぎと思われるほどでした。その母もどうしようもなく亡くなってから、久しい時間が流れました。それでも、いまだに罪悪感が残っています。

この執拗な罪悪感はどういうことなのでしょうか。謎です。本当は、母を護もりきれずに死なせてしまったために罪悪感があるのではなく、実は心の奥では、狂気の母を攻撃していたんではないか?自分に十分な愛情を注ぐこともなく病気に逃げた母を。自分を孤独にし寂しさの暗闇に追い込み心に大きな消えない傷を残した母を。そういえば、昔、狂気の母に対して、関わらない、見て見ぬ振りなどしたことがありました。

セラピーを通して自分の中には癒されない大きな怒り(殺意)があることが分かっています。何への怒り(殺意)なのかははっきりしません。その自分の中にある怒り(殺意)を、母に向けることが一番の恐怖です。

怒り(殺意)を母に向けると、病気がちでいつも弱い存在であった母はその殺意に耐えられず、母を失うことになります。優しく愛情いっぱいの母を失うことになるのです。私の命の基盤であった大切な母を失うことになるのです。それには私が耐えられません。それが私の一番の恐怖です。

それでも殺意は依然としてあるのを知っているから、母に何かある度に(あるいは、母に似た状況の身近な女性に何かある度に)、自分に責任があるのではないか、隠れている殺意のせいではないかという罪悪感が襲ってきます。

なお、これは、直接に母との関係なのかどうか未だはっきりしませんが、自分の中にも母と同じ狂気を感じる部分があります。その狂気も物凄く強い怒りのエネルギーだと思います。

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恋愛したいが怖い|別れた父とのこと|また捨てられるのでは|セラピー現場(592)

セラピーを始めて、いろいろのところで、すこしずつ余裕が出ているかもしれない。飲み会で出会った人とやり取りをしていて、会話しているのもしっくりくるので「いいな」と思う。恋愛したいとかも感じている。
でも嬉しい反面、怖い。傷つくんじゃないかとかネガティヴに見ちゃう。父親の関係も意識するというのがある。いつかのベビーブレスで、お父さんが「憎たらしい」気持ちがあった。けれど、そこまで憎いのかと思うと、実は「大好きだった」という気持ちに気付いた。(お父さんは私の)そのままの存在を、良い悪いでなくて、そのままの自分の(父の)側にいさせてくれた。(幼い頃に母と離婚したので長く会っていないが)会って見たいという気持ちが出てきた。
いろんな人と会うけど愛せない。お父さんを超えられる人がいない。お父さんを大好きという気持ちがあるものの、(離婚のときのように私が)置いていかれる寂しさとかが傷になっていて「嫌だな」と思う。今までも(恋愛が)ダメそうになると(本当にダメになる前に)私から振る。置き去りにされるなら自分からにする。
何で別れたかもぼんやりしている。周りのせいにしている。分かりたくないのかもしれない。

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「明るいところばかり見ていると人と繋がれないんだよ」と私「そんな人生あーやだやだやだ!」と母|セラピーの現場(591)

セラピーを何回か受けて自分を取り戻す方向へ向かっていると感じています。原因は母との関係のようです。しばらく会っていなかった母と会いました。
母親には、二人で出かけた際に話しをしました。自分の「心へ向き合うことがどれ程大切か」とか、(わたしが幼い頃に母と離婚した)「父さんに会いに行こうと思っている」「なぜお父さんと結婚したのか」など、今まで話せなかったようなことを、一気に話しました。母は何を言っても、響いていない様子でしたが、とりわけ母が感情的になったのが、「明るいところばかり見ていると心から人と繋がれないんだよ」「苦しみや悲しみも認めなければ・・」とわたしが言った時です。耳を塞ぐようにして「そんな人生あーやだやだやだ!」と言って、「全部わたしが悪いって言ってるんだよね。そうですよ、全部わたしのせいだよ。」とひねくれた態度で反撃してきました。
「そうは言っていないよ、、」と強いて穏やかに言ったところで無理でした。逆にわたしは今まで出せなかった怒りが出て、「みんなが苦しいから救おうとして言ってんだよ!!ちゃんと心と向き合おうとしないからみんな苦しんでるんだろ?わたしの人生ぐちゃぐちゃだ!どれだけ必死になってやってると思ってんだ!ふざけんな!!もう一緒には居たくない!」と心から怒れました。「ごめん」と母。外出中にも関わらずわたしは涙が止まらなかった。
その後も「もうわかったよ。全部わたしのせいだよ。」と母は言っていました。それがあなたのわかったことと言うならなら、本当には「わかってない!!」と私のイライラは止まりませんでした。話が噛み合わない。会いたいと心から思えるまで、会いたくないと思いました。とぼとぼ泣きながら帰るわたしは7歳のようでした。
「全部わたしが悪いって言ってるんだよね」と母に言われたときに、そうだ、お前のせいだ!というのが本当の私の気持ちだったのに、「そうだ!!!」とは言えませんでした。

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皆殺しの別の人格|原因は母からの殺意|再び「思い出せない記憶がある」に復帰|セラピーの現場(590)

私には、どうしても、すぐには思い出せない記憶がある。自分自身が持っている殺意に関係する記憶だ。思い出せないのは、どうやら、その記憶を受け持っている別の人格があるためのようだ。その人格をに出てきてもらって、なんとかセラピーを前進させたい。ところが、それがうまくいかない。
その人格が出てこない理由を探った。その人格は宇宙全体を破壊したいというような皆殺しの殺意を持っており、出てくると、周りや社会に迷惑をかけるから、と思った。でも本当の理由とは違うようだ。
本当の理由はこうだ。その人格が出てくると、その人格が持っている記憶を、少なくとも少しは私(現在の私)が引き受けなければならなくなり、その記憶の重さに耐えられないからだ。つまり、その人格が持つ殺意に関する記憶1を表に出すと、そのような殺意を抱くようになった原因となるできごとの記憶2も引きずられて表に出てしまう。母から殺意を抱かれたというできごとだ。こう思うことも、ほとんど一瞬で、時間がたつと、再び元に戻り、「すぐには思い出せない記憶がある」状態に復帰する。

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母のオカシサで私や兄がどれ程傷ついてきていたか|人生奪ったのはお前だろ!|セラピーの現場(589)

セラピーの後で、短い時間でしたが、母に会う機会がありました。ズタボロです。母を今更ながらオカシイと感じるところがいくつもありました。このオカシサのために私や兄がどれ程、親子関係で傷ついてきていたか・・・、そりゃ(わたしや兄が)他人とも繋がれないよね、と今まで以上に深く納得しました。
兄は(引きこもりの状態ですが)このオカシサに影響を受けた気持ち悪さで外出できないのです。兄とは顔を合わせて少し会話はできましたが、一緒には出かけられませんでした。
兄と話をしていて母は泣いていましたが、泣いている母をわたしは睨みつけました。(泣きたいのは兄だ!兄の人生奪ったのはお前の支配だろ!)「何の涙だ」と聞くと、泣いてない。と、キモチワルイ答えが返ってきて、お話になりません。

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あちこち相談に行き学校も変えたが原因もはっきりせず子供は睡眠障害に|そして私のセラピー|セラピー現場(588)

子育てがうまくいかなかった。何とか強気で頑張っていたがうまくいかなかった。
段々、子供が学校に行きたがらなくなってきた。
育児に不安を抱えながらも、その不安を見て見ぬ振りをして、気を張って対応してきた。あちらこちらと相談に行き、学校も変えたが、大きな改善は見られなかった。 何が原因なのかはっきりしないままに、子供は睡眠障害を抱えるまで状態が悪くなってしまった。セラピーを続け少しずつ分かってきた。
私はホントは意気地なしでよわっちい。
だって、死にかけで産まれてきたもんね。
お母さんのお腹から追い出されて、未熟児で生まれ、生後3日で保育器に入れられて、1ヶ月半入院したんだものね。
母親は病院から呼ばれるまで、腰痛を言い訳にして見舞いにこなかった。
ひとりぼっちの、存在感のない、しょんぼりした私が、私の奥に、あの時のままいるんだ。
いろいろ分かってきて、誕生の頃のつらさの痛みが強くなるほど、 このこと自体を認めたくないんだということもはっきりし、(いろいろ分かる前に) 子等にひどい対応をした痛みも強くなり、自信のない自分と、先のことへ不安を持つ自分がどこまでいっても現れる。
それでもここまで来たのに。
できたことを手放しで喜ばない自分がいる。

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シーソーのように考えが変わる|いい母親とわるい母親がごちゃ混ぜ|セラピーの現場(587)

自分は自閉的だと思う。考えがまとまらない。特に、母についてはまとまらない。いい母親とわるい母親がごちゃ混ぜになる(*1)。シーソーのように考えが変わる。
どこかで母親に認めてほしいと思うのに、すぐに、あんな母親に認めてくれなくても良いと思う。母親との一体感が欲しいはずなのに、すぐに、一体化したくない、が出てくる。一体化なんて気持ち悪いというのがある。心では(母親に)甘えたいし、心の中で繋がっていたいが(現実の母親という)実物はいらない。
悲しい、寂しい、怒りの中にある寂しさなんだと思う。でも母親に対して怒りを出そうと思ってもなかなか出てこない。
小さい頃、母親は家の二階で仕事をしていて降りて来ず、私は「お母さんが自分の都合ばかりで子どもと一緒にいないのはおかしい!」と苛立っていた。ずっとそうだった。でも一方で、私は母は子どもを放っておいたわけではないと思っていた。しかし嫌だった。子どもである私を産みたくないなら産むな!産まないで仕事をしてたらよかったんだ!
心中して母親と一緒に溶けてなくなりたい。
あんた(母)が母親(母の母親)に反抗しなかったから、子育てがうまくいかずにこんな失敗作の私ができた。恨むならこんなになった私じゃなく、(母親の)親を恨め。そう言っていると珍しく怒りの手応えのようなものを感じた。
母親と死にたかったが、(母親には私に対して)一片の愛情があったから、(私は)生きるしかないのかな。母親の愛情をかすかに感じたから生きるしかないんだと思う。いい母親とわるい母親がごちゃ混ぜになるから、普通の人が考えればわかることが思考が止まるような自分になったのかもしれない。そうは言いながら、はっきりとは分からない。探っていきたい。
(*1*2:「いい母親とわるい母親がごちゃ混ぜになる」混沌とした状況から、全体として「わるい母親」の姿がある程度はっきりする状況へ移ってきているように思われます。「わるい母親」と「いい母親」がともにはっきりすることで、将来、両者の統合が起きることが期待されます。しかし「でも一方で母親は、子どもを放っておいたというわけではない」と「いい母親」への揺り戻しが起き、再び、混沌が顔を出しています。本人にとってはっきりさせることは未だ耐え難い苦痛と思われます。)

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母は「役に立たなきゃいらない」と私の生を望んでいなかった|なのに頑張る|私の中の<氷水>|セラピーの現場(585)

役に立つように頑張るという条件のもとで、はじめて生きていていいということになっている、自分の中のカラクリが分かってから、生きることがとても楽になってきていた。ところが、同じそこのところで、未だにクリアーできない何かがある。
仕事をしていても(必要以上に周りの状況に)合わせる自分がいる。そんなに頑張らなくても良いのに(と重々分かっているのに、それでも)頑張る自分がいる。それって何だろう。(おかげで溜め込んでしまった)数日の疲れ感を振り返った時に、(分かっていること以外の?)何かあるなと思った。
頑張っちゃって疲れるのはあるが、それ以外に疲れる訳があるのかなと思う。感覚的に何かあるなと思う。ただ体が疲れたと済ませてもいいけど、(心の中の)何かあるなと思う。
ベビーブレスを受ける。
やりたいことは(心の奥にあって未だに避けているらしい)<氷水>のところ。<氷水>の中で本当に孤独な感じで、母親の事情(役に立たなきゃいらないとして私を使い、本当に私の生を望んでいる感じでないこと)も知っている。でもそれだけではないようだ。私が<氷水>の中で感じているのがもっとあると思うので続きをやりたい。
【ベビーブレス】
呼吸を始めたあたりから足が冷え始めてきて、頭もちょっと痛かった。呼吸は止めずにやった。(エネルギーの)吐き出しのときに、逆に体が暖かくなってきて、凄く暖かくなって、呼吸のときの冷えはなくなって、本当に体は暖かい。頭痛はあった。冷たいはずの<氷水>のところへ行く予定だったのに、ずっと暖かかった。でも頭が痛いから(そのまま)ずっと続けていた。体は暖かい、何もなくてただ暖かい。終わりの方になったら頭痛がなくなってきて、暖かくて、何もないけど暖かい。
吐き出しが終わって静かな曲になったとき思った。「ただの暖かい自分」を無しにしていたと思った。そしたら(知らないうちに)泣いていた。何か「条件」がないとダメな自分なんだなと分かる。でも本当は「ただ暖かい自分」が自分なんだな。それを認めるのは自分が怖い。手放しになるのが怖い。慣れていないというか。それを忘れるくらい「条件」があった方が生きやすい。「ただ暖かい」感じを認めていないのは私なんだなと。涙が出てきて分かった。
ベビーブレスが終わって、今、体がポカポカで暖かい。「条件」で麻痺していたんだ。行けたところが<氷水>でなくてちょっとビックリしている。冷たい予定だったが暖かくなった(*)。
(*:避けていた<氷水>という象徴の中に、あるいは手前に、「条件で麻痺」という部分があり、避けずにその部分へ入って行けたので、融けて暖かくなった、と語られているように理解できる)

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自分を早く変えたい|でもじっくり進もう|セラピーの現場から(584)

セラピーを受けていますが、自分を早く変えたいという気持ちがあるようです。そのこともあって、じっくり進もうと思い、自分を見て(セラピーを受けて)よかったことを思い返していました。
○少しずつ堂々としてきたこと、
○「自分の感覚」が少しわかってきたこと、
○自分の病んでいる部分を知ることができたこと、
○子供中心の生活に意識を向けられるように少しずつなってきたこと、
○グループカウンセリングで感情をともなって話ができるようになったこと 、
が浮かびました。

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保育器から出せ!|さっさと私を預けてホッとしたんだろ|セラピーの現場から(576)

生後すぐに保育器へ入れられ長い間入院させられた。そのことに産みの母は無頓着(むとんちゃく)だったようだ。その時の心の傷が私を苦しめている。そこをセッションでやる。
保育器から出せ。
お母さんに言おうとすることをためらう。言葉に出すのはなんとか言えたけど。
さっさと私を病院に預けてホッとしたんだろ。
お腹の中。早産。出たらすぐに保育器。私が望んだことじゃないことばかりで散々だ。
早産と、生まれた直後の感覚と、保育器と、(この3つ)が繋がった。感情が出た。泣けた。散々だ散々だと思って歩いてた。
ところが、私の別の人格が出てきた。「早く終われよー自分のことなんて見たくない。」この人格のことを忘れていたので、はっとした。どういう時に現れるのだろう?(*)
(*:この人格はしばらく影を潜めていたのに現れたのは、3つのことが繋がったので、揺り戻しとも思われる)

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怒っても怒っても物足りない|その奥に寂しさの物凄いエネルギー|セラピーの現場から(575)

セッションでは、私はいつも激しい怒りが出ます。以前はこの怒りを抑えることで心のトラブルを抱えていました。セッションで怒りを存分に噴出させることで自分を徐々に回復できてきました。
しかし、だんだん物足りなくなってきました。納得できなくなってきました。今回のセッションも、怒っても怒っても、物足りません。全然納得できませんでした。
そうしたら、怒りの奥には恐怖がありました。怖くて怖くて本当に怖かったです。寂しさや孤独という簡単な言葉では表したくない程の寂しさや孤独と共にいました。「泣いて良いんだよ」や「しっかり味わって」の言葉かけをしてもらい、そのようにしたら、また泣ける泣ける。永遠に泣けていられる感じでした。泣けるエネルギーは、 怒りと同じエネルギーでした。怒りよりも上回っていたと思います。怒りのエネルギーが小さく感じるぐらい、物凄いエネルギーを感じました。そのエネルギーを感じると、また泣ける泣ける。泣けるというよりは、溢れてきました。自分では抑えようがない程溢れてきました。はじめのセッションが終わり、最後は、マットレスに倒れ込む瞬間が幸せでした。
次のセッションでも、また溢れる感情が出て泣きました。その後は嬉しさなのか、自然と顔がニヤケ笑いながらセッションをして、倒れこみました。倒れる時は幸せ?というよりは快感に近いかもしれません。(*倒れるのは「死」の受け入れの意味があるのかも)
自宅へ帰ってきてから、今もドローベターとしていますが、芯はシャン!としている気がします。帰る間際に、「ますます美人になったね」と言われましたが、帰ってから旦那に「化粧しすぎてるの?」と言われました…笑。 自分でも肌の色がワントーン明るくなったように思います。若返った~と嬉しいです。
ここ(怒りの奥の寂しさや孤独の場所)に、いつまでいられるか分かりませんが、諦めずに居続けようと思います。怒りよりも更に深い寂しさや孤独(まだ「これ!!」という言葉が分からないのでこう表現します)がありました。それを隠すかのように怒って怒って怒ってたのかもしれません。不思議と帰ってきてからも怒りが出てきません。あの、(いつもお馴染の)フツフツとした怒りが出てこないんです。ちょっと寂しいですが…。

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生の世界を知らず死のことばかりしかなかった|いままで何だったのか?|セラピーの現場から(574)

 

セミナーで変化があった。閉じた心の扉が開いたから?なのか、人の話が前より全然、耳に入るという、何か不思議な感じがしてきた。

その後に、職場での人との「出会い」や、読めなかったブログが「読める」ということがあった。

<職場での人との出会い:死について>
今回のセミナーの後に、先日、職場の食事会があった。いつものように行きたくない気持ちと、何となくいつにない感じとの半々で、出かけた。セミナーで少し変化があったので、もしかしたら職場でも自分を開けるかも、と。
そこで気になる人との出会いがあった。その人の死に向かっている生き方を感じ、物凄くショックを受けた。その人が何となく好きだったので、尚更、勿体なく感じて、自分が苦しく辛くなった。

<ブログが読めた>
そんな中、ふと思いだした。あるブログを印刷したやつを無性によみたくなった。何か大事な事を話している気がするから印刷したはずなのに、前は、字を追っても追っても、内容が全く分からなかった。それなのに、昨日は読めた。頭に入ってくる。
<やっと感情が追い付いた?>
そして訳が分からず混乱して、苦しい私が、今朝、何だかわからないけど悲しくて、布団の中でずっとオイオイ泣いた。やっと感情が追い付いた?。日頃自分が「死にたい」というのに(職場の)人に「生きていて欲しい」と思ったし、何だかよくわからない妄想かもしれないけど、ものすごい寂しさを感じた。
<いままで何だったのか>
しかしこの、人の話が段々聞ける、耳にはいるとか、ブログの話が全く分からなかったのに分かるようになるのは何なんだろう。自分に興味がわいてきたのです!
明日から、また、行きたくない仕事なのだけど、今のこの、感覚、大切な手応えがぶっとんでいきませんように。
私は自分が生きれるなんて信じてなかった。生の世界を知らずか、無しにして、死のことばかりしかなかった。

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「ママどうしたのぉー。怒らないなんて」|セラピーの後で(572)

 

ベビーブレスから帰ってきて嬉しいのは、自分が気持ち良いだけではなく、子ども達がとても可愛いと思えることです。帰ってきて、自分の子どもを一目見ただけで、小さい赤ちゃんを見るように可愛いと思いました。子どもたちもブレスから帰って来た母は、優しいことをよく知っています。
中学生の子どもが期末試験で、勉強が間に合わなくて成績の悪い学科があったという。「理由がわかっているなら三学期は頑張って」というと「ママどうしたのぉー。怒らないなんて」と言っていました。それからずーと御機嫌で、いつもの反抗なし。私のうるさくいう態度に反抗していたのがよくわかりました。
翌日の朝。いつもなら、朝起きると、追い込まれたように朝ご飯や弁当の準備に取りかかり、余裕なく、思いのままに怒りちらした態度で、早く早くと子ども達をせかせて、毎日過ごしていました。朝だけではありません。晩も。そして職場でも。
ところが今日の朝は、その早く早くと追い込まれる感じがない。なんて楽なのか!子どもを起こす時、いつもなら「早く起きて 。なぜ自分で起きないの。早く」と何度も怒り散らして起こしています。だけど、今日は三回だけ「起きて」と優しく言えました。
起こす時だけではありません。他のことでも、一つ一つ声をかけるとき、言う前にどう言うか(と思う)余裕がある。しかも子どもの気持ちを考えて。
あーこんな毎日を過ごしたい!継続したい。ベビーブレスの次の日だけではなく。
思えば、夫にも同じような態度をとってきました。いちいち怒った態度でした。全然大事にできる余裕もありませんでした。
自分が認めてほしいがために、自分の職場の昇進試験の勉強と、仕事を優先にしてきました。本当はそんな試験勉強よりも家族のことを考えたら、ベビーブレスの時間を優先にすべきだったとは思います。そうしたらもっともっと家族を大事にできただろうに。
もう昇進試験も合格したので給料も立場も少しレベルアップしたから、安心して、ただただ目の前の気持ちのわかった、気持ちのこもった一言、声かけを家庭でも職場でも、やってみたい。

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会社の仕事のやり方を変えられ怒り夫のせいで大損し怒り|怒りの無い自分は「抜け殻」|セラピーの現場(570)

怒りが自分を支えてくれていた。そのことに気が付いた。気が付くと、やがて怒りだけでは嫌になった。怒りを取り除いた自分は何だろう。怒りの無い自分は「抜け殻」だった。そこに居ようと思い、ずっと「抜け殻」をやっていた。
ところが、続かない。「抜け殻」のままはできない。イライラがある。仕事が忙しくなった。会社の方針だからと仕事のやり方をゴロッと変えられた。理不尽な変更だ!現場で仕事しているこっちの身になって見ろ!怒りが出た。店長やマネージャーに抗議した。
確定申告で必要な手続きを夫がしなかった。私は事前に夫に言っていたのに!結局、税金の金額が大きくなってしまい大損した。ムカついた。怒りが出た。
自分でどうしようもない怒りが凄い。会社や夫、周囲の気に入らないことへ向かって噴出する。それまでの「抜け殻」なんてどこかへ行ってしまった。しかも怒りの中心にあるはずの母のこともどこかへ行ってしまっていた。何で何だろう。どうしようもできない。
私のこの怒りの謎は何だろう。母親に変わってほしいとか、変わって私に謝ってほしいとか、変わって始めから私に愛情を注いでほしいとか、そんなのではない。自分の中に自分で処理しきれないものがある。どう変わっても、謝ってもらっても、分かってくれたとしても、足りない。
母がそうなってしまった母自身の傷もわかる。しかし私にしたことは許さない。許せない。「分かったよ」と言えない。母からの謝罪がどんなに嘘でなく本心だとしても許せない。お腹の中から従いたくなかった。従わないことを、自分で選択していたらどうなるのだろうか。(母をどうの、こうの、ではなく)自分はこうして欲しかったというのもずっとあって、それが何なのか、知りたい。お腹の中で母から降り注がれて来ていた殺意、自分をダメにしたもの、自分の感情でないもの、がある。しかし、そのもっと前はどうだったろうか。感じて見たい。想像すると「抜け殻の死」かもしれないが、実感はない。

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「自分が変わっていく」などとは本気にしていない|セラピーの現場から(569)

 

セラピーを受けて「自分が変わっていく」ことに対して、その人の気持ちが少しずつ変遷(へんせん)するのを感じることがあります。始めは、例えば人間関係のトラブルの解消などの目的意識があり「トラブル」への意識が強く、「自分」への意識は弱い感じと言えるようです。自分が変わっていく」などとは本気にしていないというのが近いかもしれません。やがて隠されていて知らなかった自分を、自分自身で感じ取れるようになり、「自分」への興味が出てきます。自分への理解が進みます。そうする内に、自分が「変わってきている」ことに気が付くようになります。さらに変わってくると、周りの人もあからさまに、変わったことを認めてくれるようにもなります。その時期には、人のこともかなりよく「わかる人」で通るようになってくるでしょう。さらに進むと、何か物足りなくなり、もっと変わりたいという気持ちになるようです。自分はもう1つ皮を脱ぎたい、そう思ってとゾクゾクする気分を味わうことも起きてきます。

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自分の恐怖で子供の生き死にを支配していた|セラピーの現場から(567)

子供の閉じこもりがきっかけでセラピーを始めた。セラピーで気が付いたところを家で瞑想するようにしている。しかし、怖くて瞑想できないことがある。何が怖いのか。自分の中の恐怖を考えていた。腑に落ちたことがある。閉じこもりは私が子供を支配したからだ。子供を支配するのに食べ物を使っていた。自分の恐怖で、子供の(食べ物を)生き死にを支配していた。子育てがうまくいかないことは私の恐怖が元だったのかと、考えていた。何かの「「淵」に立っているから怖いのでは」と言われたので、淵に立つだけではなく、(瞑想で)中を覗きながら見ていようと思った。ぼんやり「死」だというのが分かっている(*1)。納得していないから、はっきりは言えないが多分そうなんだろう。

(*1:「死」に裏打ちされた自分の恐怖を慰めるために、子供の生き死にを支配し、子供の閉じこもりが起きた、という文脈で語られている)

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なぜか大事なものが壊れ体調が優れなかった|グループセラピーに初めて参加|セラピーの現場(566)

グループセラピーに初めて参加した。周りの人との関わりが良くない、というのが動機。当日、行くまでの間、大事なものが壊れたり、体調が優れなかったりした。
セッションでは、他の人を見て、涙が止まらなかった。なぜこんなに涙が溢れて来るのかわからない。怖いような、感動しているような。私の番がきて、周りの人からの応援の声で、消えそうな力が再び湧いてくる感じが不思議だった。初めて会った人の前で、自分の感情を露わにするなんて、とても出来ないと思っていたけど、何も気にせず、むしろ自分の世界に入り込んでいた。あんなに非日常的な体験をしたはずなのに、その晩はすぐに深い眠りについて、翌朝は気持ちの良い目覚めだった。
帰りの車の中では、他の参加者に、私の生い立ちを沢山聞いてもらえた。どんな質問でも、たくさん聞いてほしい。言いたい!と思った。嘘偽りなく話せた。自分を知ってもらうこと、こんなに嬉しいんだな、求めてたんだなとわかった。
なんだかすごいところに居た、感想は、ただそれだけ。

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私の中にいる「母」が脆(もろ)くてさわれない|だから気を使って来たんだなあ||セラピーの現場から(565)

子供が閉じこもりから回復する兆しが出て、ひと段落した感じがある。子供の閉じこもりは、母である自分が影響していた。特に自分の中の恐怖が元になっていた。この恐怖は出生の時にもらった死の恐怖だと思う。そのようにして、私のセラピーのテーマは、子供から、母になった。母は年取って歩けなくなって来ている。瞑想で母に触れると母は砂のように崩れていく。私も一緒に崩れていくように思う。もう瞑想しまいと思うくらい。母は何年生きられるか、客観的な母を見て具合の悪い母を心配しているのもあるが、そうではなく私の中にいる「母」が脆(もろ)くてさわれない。あんな母だったから、気を使って来たんだなあ。

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母を適当に褒めそやしていたら激しい頭痛|母を包み込む自分を演じれば演じるほどガタが来た|セラピーの現場から(560)

セッションを何回か受けて少し自分に余裕が出来てきました。今まで母へは怒りばかりが出ていましたが、母への理解も自分の中に生まれてきて、母の大変さも感じられる気がするので、ここはひとつ、母を褒めてみようと思いました。
昨日は母と2人で晩御飯を食べていたので、母を適当に褒めそやしていたら、激しい頭痛が起こりました。あまり激しいので今日の仕事を休んでしまいました。父はいつもこんなこと(母を褒めること)をしてるのか!と感心しました。凄く疲れます。人の人間を常に持ち上げないと成り立たない人間関係は、親子であろうと、おかしいのを痛感しました。今は頭痛やそれに伴う吐き気は、落ち着いて、食欲も戻ってきました。まだ少し頭痛は残っていますが……。明日は仕事に行けそうです。
思えば、少し自分に余裕が出来てきたので、母を褒めてみようとしたのは単なる思い上がりだったと思います。母を包み込む自分を演じれば演じるほどガタが来たように感じます。心理的なものが身体に出る、身体は正直ということでしょうか。正直な思いは、現実の母とは口を聞きたくもないし、見たくもありません。「気を使って貰って当たり前!」な態度を取る母に苛立ちます。それでも、何処か縋(すが)ってしまうのは、まだ理想の母と現実の母の区別がついていないんだと思います。母はどうして「私は褒めてもらって当たり前!」という態度を取るのでしょうか……。今まで気づかなかった(忘れていた)自分にも腹が立ちます。

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旅行で上司たちへ自分からは話しかけられなかった|小さい頃に周りの大人の顔色を伺って生きてきた|セラピーの現場から(558)

セッションを始めてから、徐々に上司たちとの関係が楽しめるようになった。
会社で毎年、旅行がある。小さなグループで行く。同じメンバー。その中に苦手な上司もいる。2年前の旅行では、上司たちへ自分からは話しかけられなかった。頑張って話そうとしてすぐに疲れて話せなくなるという感じだった。
昨年の旅行は、無理に話さなくても「いいか」と楽にはなった。今年の旅行は、初めて楽しく思えた。私は、本来そんなにしゃべる方ではないが、自分から(上司たちに)話しかける回数が「増えたかな」と思う。無理に話そうという感じもなくなっていた。前と比べればだが(注:「もっとできる」と自分で感じているのかも)、自然に楽にできた。
前より(大人や上司たちが)怖く無くなった。人にどう思われるか気にならなくなってきている。小さい頃に周りの大人の顔色を伺って生きてきたというのがあって、その中で息を潜めていた自分への嫌悪感が分かったことが、よかった。ベビーブレスの中で大人たちに対しても怒りを出して抵抗するのができるようになってきたことも、大きいだろう。

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女なんかいらなかった|女性は命の存続をかけて男に負けないように|セラピーの現場から(557)

(先日のブログ(549)の続き)    ある女性は、戸籍から家系図をつくってみることにより、祖母や母から連鎖したであろう、女性であるがゆえの寂しさ不自由さを、経済的な頑張りで挽回しようとする傾向を、自分自身が持っていること、を理解します(ブログ(549))。女性は男に負けないように働いて役に立たなければなりません。
しかし、この傾向は、さらに別の方向からも強化されます。父です。女性の父は、姉たちが家を支える経済的な役に立たず、自分が犠牲になるようにして懸命に働き家を支えました。そのような父の経験は、その後の男尊女卑の言動を強くしたとも考えられます。女は役に立たない、ということです。女性が母のお腹に宿ったとき、父は、宿った子が男であることを期待します。その期待を受けて母も、子がきっと男であると思い込みます。そして両親は女性が産まれたときに「男が良かった」と落胆します。女なんかいらなかった、ということです。
女性は、胎児期の両親の期待と生後の両親の落胆を、幼い心に強く刻むことになります。これらに追い立てられるようにして、祖母や母から連鎖する経済的な頑張りの傾向に、拍車をかけます。女性は、命の存続をかけて、男に負けないように働いて役に立たなければならないのです。
女性が嗅ぎ取っていた自分自身の秘密が、そのようにして、よりはっきりと理解されるようになりました。

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母が小さいときの私にしていたのと同じ|私も母の言うことを聞いていない|セラピーの現場から(554)

セラピーを始めて、いろいろなことが理解できるようになっている。母を理想像に近づけようと必死に努力した。母が怒ると面倒なので、かなり無理をして母を褒めたり肯定したりしていた。でもこれは、かなりのストレスで、不自然なことだと思い始めている。
そうやって褒めていたからか、母は私に甘えてくる。本当に子供だ。私も以前のように邪険にはしないが、(母の言うことを)聞いてもいない時が多い。母が小さいときの私にしていた態度と同じだ。もし自分に子供がいても同じことしていたと思う。恐ろしい。

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狂った人の人生のよう|自分の悲しみをそこそこにしか見てなかった|セラピーの後で(553)

セッションから後、雑念に負けず、毎日30分瞑想している。
自分を見つめ、分かってくればくるほど、まるで、狂った人の人生のよう。私の人生をこれ以上狂わしたくない。
ブログも毎日チェックしている。自分を見つめる視点が変わるので役だつ。
自分の悲しみをそこそこにしか見てなかった。だから母と同じ道を歩いてるんだ。分かってみればシンプルな事。
それを分からないようにしなければならない、隠さなければならないほど、まだまだ深い悲しみがあるんだな・・・。

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社会に適応できない娘を「大嫌いだ」と思う気持ち|娘は「もう知っているよ」|母親が私自身のことを大嫌いだと思っていた|セラピーの現場から(552)

心の中に、深く深く隠れていたことがあった。社会に適応できない娘を何とか自立させようと必死になり努力したが、心の底では、社会に適応できない娘を認められず「大嫌いだ」と思う気持ちが隠れていた。それがわかった途端、母親が私自身のことを、大嫌いだと思っていたんだということに思い当たり、すっきりした。何か足りなかったものがこれだということがわかり、納得した。しかし、事の深刻さに言葉がない。翌日、洗濯物を干しにベランダに、一歩足を踏み出したとき、いきなりググッとこみ上げてきて、声をあげて泣いてしまった。
いよいよ、娘に話した。娘に話すのは大変なことと覚悟していたが、私自身が認め、受け入れてしまえば、それは問題ではない。娘は動揺する事も無く、「もう知っているよ」と聞いてくれた。そして、翌日起きてきて、昨日は「泣きながら寝たけど、ぐっすり眠れた」と。
今日の雨、落ち着きます。今はなぜ娘が社会に適応出来ないのかが、よくわかります。

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何とか耐えた辛い失恋|その背後にいる母親を見抜く勇気はまだない|セラピーの現場(551)

心から好きだった彼女と別れた。
本当に好きだった。辛い失恋だった。その辛さの背後には母親がいた。
セッションを通して、その辛さは母親からくると理解することができていたので、その分、心が透明になり、辛さに耐えることができた。
彼女がいなくなった。母親との関係を直接にやらなければならなくなった。途端にセッションは進まなくなった。彼女とは別れることができたが、母親とは別れることができない。田舎に住んでいる老いた母親ではない。心の中の、自分の命を握っている母親のことである。母親とは心が通じないままであった。そのため女性に自信がなく失恋が起きたのだった。失恋には耐えたが、母親を見抜く勇気は未だ、ない。

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自分への「産まなきゃ良かった」という声で目がさめる|セラピーの現場から(550)

フローティングセラピー(弊社で開発のセラピー)で、それまで分からなかった胎児期の事情が理解できるような心象が体験されることがあります。以下、その一例の聞き取り内容です。

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お腹の中に帰れて良かった。「ここにいて良かったね」とウトウトすると、「いらない、産まなきゃ良かった」という声で目がさめる。それの繰り返し。繰り返しの間にはイメージで1歳の自分もでた。すごく可愛い。今の自分が(1歳の自分を)抱っこして可愛いなと思う(*1)。こんな可愛いいのにお母さんは「死ね」とか「いらない」とか何で言うのかなと考えていた。そうしたら、ウトウトしても寒くなってきて、動いてみた。それがお母さんのお腹を蹴ったりしているイメージだった。そうするとお母さんは「うるさいな」と思う。「ここにいるんだよ」と分かって欲しいから手足を動かしていた。お湯の温度は39度なのに寒い(*2)。動かしていないと寒い。トイレに行きたくなって、お腹も痛くなってきて、右腕だけでなく足も痛くなった。私はずっとお腹に「いたい」のに、母親から「早く出てこい」と足を引っ張られる感じ。可愛いから出てきてというのもあったがそれは建前で(結婚したのだから自分を産むことが母親の務めを果たすことなので)世間的にいいから「出てこい」だと思う。結婚して子供を産まないのはダメなことで、子供を産まないと認められないので「だから産むんだ」というのが出てきた。凄いショックだった(*3)。
(*1:自分自身への肯定的なイメージであり改善を感じさせる)
(*2:寒さは未消化の恐怖の再体験と思われる)
(*3:母親から自分への否定的な心的扱いの原因を洞察するものを感じさせる)

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女性であることの不自由さを経済的な頑張りで挽回しようとする|祖母や母から連鎖の家系図|セラピーの現場で(549)

戸籍から家系図をつくってみることも自分自身を理解するのに役に立ちます。戸籍は、誕生、養子、結婚、死亡など各人の人生の節目の記録しか記載されていませんが、それでも丹念に見ていくことで、いろいろな事実が分かり、手掛かりになります。

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ある女性は仕事を男に負けないように「頑張る傾向」があり、その傾向を自分で気に入っていると同時に、どこか不自然であるとも感じ、自分自身の秘密を嗅ぎ取っていました。家系図をつくってみると、その女性の祖母は、結婚し、夫(祖父)と早くに死別し、結婚によって出産した子供たちを養子に出し、そして再婚し、再婚先で別の子供たちを出産した、という事実があります。また、その養子の中の一人である母は、養子先で、義理の兄弟(女性の父)と結婚した、という事実があります。
そして、その女性は、自分自身の「頑張る傾向」と、小さい頃から目(ま)の当たりにしてきた母の様子と、家系図から見える事実との3つを照らし合わせて、いろいろなことを理解することができます。祖母は、多分に時代的経済的な事情から女親一人では家族を維持できず、そのため子供を養子に出して手放さなければならず、家族の崩壊という寂しさ、女性であるがゆえの悔しさ、を味わったであろうことが理解されます。母は、家族崩壊のもと、女性であるがゆえに養子に出され、祖母が他家の人になってしまい実母として頼ることができず、自分もまた時代的経済的な事情から女性の自立を果たせず、養子先で結婚しなければならず、孤独、寂しさ、女性であるがゆえの不自由さを味わい、これらを何とか挽回(ばんかい)しようと経済的に懸命に頑張ったであろうことが理解されます。たとえば、母は亡くなる間際まで分かっていながら縫物(仕事)をしていました。
これらの手掛かりから、女性は自分自身にも、祖母や母から連鎖したであろう寂しさ、女性であるがゆえの不自由さを経済的な「頑張り」で挽回しようとする傾向を持っていること、を理解します。女性であるがゆえの不自由さとは、生きる上の不自由さとも、言えるように思えます。

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仕事でクレームがあってエンドレスに繰り返して考えてしまう|セラピーの現場から(548)

 

いろいろなことに拘(こだわ)ってしまう。自分でも変だと思うほど。例えば、仕事で客先からクレームがあった時に、エンドレスに同じことを考えてしまう。そのことを絶対に人に言えなかった。とても辛かった。ベビーブレスで、そのことをオープンにできた。大きな衝撃だった。
後日、自分が変化していることに驚いた。それまでの自分とは違った。久しぶりに会った仲間を懐かしく感じた。今までにないほどだった。思わず仲間の肩を揺さぶってしまった。

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悩んで「失うものがない」|セラピーの現場から(547)

 

人によってセラピーで進みが速いか遅いは違いがあります。誰しも早く進みたいがなかなかそうはならないのは残念です。速く進みたい人ほど、焦りとなるのか、うまくない、ということもあります。焦りのこころには、セラピーの途中で味わうことになる苦い状況にいつまでもは「いたくない」というのもあるでしょう。

拝見していると、逆に、進みが着実で早い場合の傾向があるようです。その場合、プロセスを味わうことができます。はじめの目標は、例えば、身近な人とのトラブルを解消するため、自分自身の人生の不全感を治すためなど、いろいろです。しかし、その目標に縛られず、セラピーのプロセスで自分自身の気づきや小さな変化を楽しむ、ということがあるようです。「こんな気づきがあった」「あんないい変化があった」と見ることができるようです。目標へあまり焦らず、セラピーで起きていることを大切にする、という傾向です。
この傾向はどこから来るのかと思います。表面からはよく分かりません。心の傷の深い浅いにもそれほど関係がないように思われます。浅いから楽しめるのか、というと、そうでもないようです。楽しめる人は、さんざん悩んだ結果「失うものがない」という境地に近いせいかもしれないと思ったりします。

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ベビーブレス体験

出てきた!4つ目の人格|セラピーの現場から(544)

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心の中がいくつかに分かれていると考えた方が話がよくわかることがあります。セラピーの初期には特に、それぞれの人格に名前をつけてもらうということが、よく、あります。その上でベビーブレスの内容を聞かせてもらいます。
登場人格
K  :私が名付けた私の中の小さな子供       (傷ついている幼い自分)
私  :Kやお母さんがいないと存在できない人    (今の自分)
白け :私の中の一部でもあり、母や父の一部でもある人(超自我的な存在)
「私」:Kやお母さんから離れ自立した人       (治療者的存在、本当の自分)
最初は、前回のベビーブレスのときとと同じに、Kが「寂しい」と泣いた。「お母さんがいない、どこにもいない、置いていっちゃ嫌だ」という。すると、お母さんが出てきた。悲しいような嫌なような顔、下をむいている。その顔をみてKが「嫌だ」と、私をみて「悲しいのは嫌だ」という。前回は、お母さんは悲しい顔をすぐに引っ込めたが、今日はそのままいた。ずっといて「悲しい顔をしないで」とKが言っていた。ふとした瞬間に、Kもお母さんも二人ともいなくなった。私は不安で不安で、Kがいなくなったら私もいなくなる、お母さんもいなくなると私もいなくなる。私が私でなくなっちゃうと。突然二人が再び現れた。お母さんとKが手を繋いでいた。お母さんは笑っていた。前は笑った顔が怖かったが、今回は笑っている顔が嬉しかった。今の私が「一人じゃないね、良かったね」と。
一度、母が悲しい顔でKの手を払ったが、Kが握り返した。また、母はどこかにいなくなった。母のイメージは私が3歳くらいのときで黒い髪とメガネ。真っ白な空間に遠くに遠くに行った。そしたら、白けが出てきた。白けはお母さんだった。白けの顔のイメージで写真を思い出すと母が白けていたのが分かった。
白けは敵対するものかと思ったら、全身が刃で、Kを外から守っていた。外を守ったけど白けの刃でKや私はボロボロになったんだよと私が言った。ボロボロになったけど守ってくれたのはありがとう、邪険にしてごめんねと言った。言った瞬間に胸のあたりから何かが出てきた。モワッと出てきた。「私」だ。Kでも白けでもお母さんでもない「私」。嬉しい。嬉しくて泣いた。

(始めの3つの人格への理解、洞察が進んだ時点で、隠れていた4つ目の健康な人格が認識された)

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憎しみを感じるほど愚かな母親と自分の命のような母親と|同じとは認められない|セラピーの現場から(538)

 

多くの人にとって、自分の苦しみが、母親との関係で苦しんできたことが分かってきます。しかしなぜ、それほどまでに苦しむのか。大人になった自分が、目の前の年老いた母(今は経済も肉体的力も失っている人)によって、なぜ、いまだに、これほどまでに苦しむのか。それが分かりません!しかし、そのうちに、うすうす分かってきます。目の前にいる「愚かな母親」と、自分が知っているはずの「いい母親」が同じである、ということを<認められなくて>苦しんでいることが、かすかに分かってきます。認められることが突破する鍵です。クライン的な突破です。

でも、そもそも「いい母親」を自分は本当に知っているのか。探すことが始まります。目の前にいる愚かな母親に憎しみこそ感じるものの、その母親の中に「いい母親」を探すことは、無駄なことのように思えます。ばかばかしく思えます。しかし勘違いしないようにしましょう。愚かな母親の中にムリヤリ「いい母親」を見つけたつもりになり、妥協し、偽善をしようということではありません。
そうではありません。実は「いい母親」と言うのは、私たちが幼かった頃に<感じた>母親です。幼かった私たちは、無力であり、純真であり、どんな母親にでも、けなげに付いていきました。その母親の庇護(ひご)のもと、はじめて生きることができました。幼い子供の目に映る母親には、命を助けてくれる「いい母親」が映っていました。これは主観的なものです。実際に「いい」ことが証明されうるというような客観的なものではありません。

ヒントになる話があります。カルガモの[刷り込み]の実験(コンラット・ローレンツの実験)というのがあります。生まれたてのカルガモのひなが、初めて見た動くものを、母鳥と思い込みます。例えば、風船やおもちゃの汽車を母鳥と思い込み、懸命に付いていきます。その懸命さは、けなげで、本物の母親を慕うようで、見ているこちらの胸が痛くなります。主観的には風船は「いい母親」なのです。すばやく盲目的に付いていくことで肉食獣から命を奪われる確率が減ります。命そのものがかかっているのです。客観的には、風船は、ただのゴム膜と空気であり、いい母親などではありえません。そもそも生き物でさえありえません。しかし、命を守るために客観性は捨てられるのです。

「いい母親」と言うのは主観的なものです。幼い子供の主観です。思い出すために、通りがかりの乳母車の中の赤ちゃんの目を、覗き込んでほしい。「いい母親」は、私たち幼い子供が、汚れないまごころでつかんだものです。傷つく心をかえりみず懸命に受け入れたものです。天使のような純真さで手に入れたものです。現実でない世界に存在するものです。できの悪い母親、悪意の母親の存在では消し去れないものです。「いい母親」は幼い私たちの心の中に厳然として存在していました。そして今も心の中に存在するのです。私たち自身の命のようなものです。かけがえのないものです。

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ホームページの記事もどうぞ⇒実績紹介>ベビーブレス体験集(本の内容)

ただ甘えたいだけ|どうしようもない母親からの脱出口|セラピーの現場から(534)


これまで私が苦しんできたのは、母からもらうことばかりだったから。今回、「ただ甘えたいだけなのに」という境地に居れた。その違いは大きい。<もらう>とか<甘える>とかの言葉の問題ではない。
母親からもらうことばっかりでいっぱいになっていた。幼い頃から愛情をもらえない渇きはほとんど命の問題だった。しかも、当の母親は、どうしょうもない、愛情をくれない母親であったため、大きな混乱が生じていた。今は、母親自身も寂しい人で、愛情を人にあげられるような余裕は無いことがわかってきた。それが分かっているにもかかわらず自分には甘えたい気持ちがある。とても激しい気持ちだ。その甘えたい気持ちは、母親とは関係なく、{独立して}{自分の}気持ちとして存在する。そういう自分がいとおしい。これが寂しさに居ることなんだ。寂しいというところに居られると、母親が関係なくなる。自分が1人で立っている。そうして、さらに、寂しいことが正面から味わえる。逃げずに居られる。

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自分をダメにした母親への怒り|理想の母親との一体感が欲しい|セラピーの現場から(530)

自分をダメにした母親への怒りが強い。母親は、どうにもならないと頭では分かっている。それでも母親を何とかしたいと思う。怒りが掻き立てられる。ほとんど絶望的だ。子供のころ母親から本当の愛情をもらえなかった。寂しい。その寂しさには、耐えられない。いつも怒ってきた。怒りは出しやすい。怒ることには慣れている。でも、それだけでは物足りない。それだけでは自分の成長は望めないのではと感じている。このままでは、いつまでも子供のままいる感じがする。嫌だ。でも、そこのところで停滞している。つい先ごろのセッションで、自分の心の深いところにある本音に気が付いた。母親と一体になりたい。母親との一体感が本当に欲しいもの。それが本音。でも、どうしようもない現実の母親との一体はまっぴらごめん。多分、幼いころ味わった理想の母親との一体感。それが欲しい。
そこまでは分かっているのだが、それらの気づきがなかなかつながらず、堂々巡りの傾向がある。そこで、分かっている範囲でまとめてみる。
① 母親への怒りは出しやすい。
② 寂しいところにいなければならないと思う。
③ 理想の母親との一体感が本当に欲しいもの。
これらをつなげるために、①②③を使って、まとめてみた。
「自分の母親への怒りは、どうにもならないと頭では分かっている母親を、それでも何とかしたいと言う絶望的な怒りだ。母親から本当の愛情をもらえなかった寂しさにはいられないので、怒ることで自分を支えてきた。でも、それだけでは自分の成長は望めない。自分の心の深いところの本音は、母親との一体感が本当に欲しいというものだ。どうしようもない現実の母親ではなく、理想の母親との一体感だ。一人になり寂しさに耐えることができれば、人生の早期に得られていたように、その一体感が得られる感じがする。」

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仲間と話しながら原因を探る|セラピーの現場から(529)

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傷つきながら生きてきた人は、大方、自分を抑え込む感じがあります。ベビーブレスで徐々に解放されて行くようです。押え込み、抵抗、癖・・・というようなもの(言い方はいろいろ)がなくなっていきます。そして、ベビーブレス仲間と自分の癖をオープンに話せるようになります。その癖が付くまでに、幼い自分がどれだけ傷ついてきたことかと。お互いに、各自の癖や傷を意識させられるから余計に自覚でき認識しやすい自分が出てきます。自覚や認識の機会が少ないまま毎日を過ごしてしまうことを避けられます。そして、何でこうするんだろうと、原因となっている子供時代へと繋げていける機会が多くなるようです。

お試しの「無料60分心理カウンセリング」もあります

幼い頃に抱き閉じ込めた怒り(521)

自分の中に怒りがある。最近のことではない。普通に覚えているような頃の記憶でもない。かなり古い記憶。古い怒り。それしか「手がかりがない。」そうして、ベビーブレスをすると徐々に表れてくる。何か幼い頃の「象徴のようなものが出た」などと、断片的な記憶が、また一つ、また一つと増える。これらの記憶はやがて互いにつながり、はっきりした全体的なものになっていく。同時に怒りもはっきりした大きなものになっていく。怒りを「また強く出せた」とやや満足する。はっきりした怒りが、更に、隠されていた記憶を押し出す。そのようにして、隠されていた怒りと記憶が表れる。それに伴って、自分が怒りを抑えていることが認識できる。「我慢してたんだ」「出せなかったんだ」と。なぜ抑えているのかも、「知りたい」気持ちになり、おのずと分かってくる。「そういうことだったのか」となる。

お試しの「無料カウンセリング」もあります

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自分にある健忘に気が付かない|背景に幼い時の辛いことか|セラピーの現場から(517)

人は色々のことを忘れます。便利でもあります。でも、重要なことを、思い出そうとしても思い出せないと生活や職場でに困ることになります。度々だととても困ります。何か原因があるかもしれません。その場合には、幼い時に対応できないほど辛いこと(例:虐待)があり、忘れるという作用を強めることで対処する癖を、身に付けてきたのかもしれません。大人になっても、その癖は続き、何かまずいことがあると、すぐに忘れてしまう。忘れたことに気がつかない。職場でも迷惑をかける。「誰がそんなヘマをしたんだろう、俺じゃない」なんてことになることもあります。

さらに、忘れるだけでは間に合わないこともあります。辛い出来事が大きすぎると、忘れたくても忘れられず、単に忘れるという作用は役に立たないことになります。すると、一人の人間でありながら、その出来事に別の人格を割り当てて、本来の人格との間では連絡が取れないようにすることで対応しようとします。なかなか自分で認識できることはできません。そうすることで、辛くても忘れられない出来事は、その別の人格Bが担当してくれるので、本来の人格Aが、思い出す必要はなくなります。人格Aの状態の人に、人格B担当の出来事をたずねても、雲をつかむような戸惑った表情を浮かべるだけ。鉄壁の忘却ともいえます。この忘却の方法がさらに強化されると、複数の辛い出来事ごとに、それぞれ人格を割り当て、人格ABCD・・・が一人の人間の中に存在する、ということにもなります。

グループカウンセリングなどに参加していると、日常では分からないことも分かることになりますが、前者(健忘)は珍しいことではなく、割に多く見られる作用のように思われます。後者(人格が複数)は、はっきり現れる例は少ないようですが、その人の心の深いところに入っていくと、これもまた、それほど珍しくないのではなかろうかと感じられます。前者のことを解離性健忘といい、後者のことを解離性同一性障害(多重人格)というようです。

忘れていることに気付くようにすること、原因となっている幼い頃のことを思い出してみること、これらの試みは普段の生活でもできます。

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私は2度捨てられた|母親は宗教に入信|心理セラピーの現場から(512)

母親は宗教に入信した。そのことで私は2度捨てられた。小さい時に私は母親から愛情を貰えずに捨てられた。大きな傷になった。大人になりその傷を修復する作業し始めた。始めは、その傷がどこから来るのか、はっきりしなかった。作業を続けるうちに、そこには母親がいた。原因としての母親がいた。原因が分かり、私は、母親にそのことを問い詰めたかった。しかし、母親は入信した宗教を守りとして、私の言い分には耳をかさない。そうやって、母親は私をもう一度捨てた。
母親には母親の傷があり、傷の原因があると、頭ではわかっている。でも、どうしても許す気にはなれない。遠くない時期に、私が母を看取る時期がやってくるだろう。許せないが、ことの全体をわかっている事はせめてもの救い。

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なぜ?死と背中合わせから温かい無条件の自分の命へ|体験談|心理セラピーの現場から(499)

東京の電車の中から富士山が見える場所がある。毎朝、通勤の途中に眺(なが)める。富士山のふもとの山中湖の近くにある研修施設。そこでの気づき。私の命は条件付きの命。役に立つことが生きていてもいいことの条件。そのように生きてきた。そのことに気がついた。さらに実は、役に立とうが立つまいが、本当はそもそもいらない子だった。それにも思いあったった。
その気付きから逃げないでいるうちに、今、条件なしの自分に居る。役に立たなくても自分自身だ。いらない子だけれど自分には温かいのがある。気がつけば、体がポカポカしている。富士山が見える度(たび)に、そのことを思い出す。毎朝そこで確認する。体が暖かい。
天気によっては富士山が見えない日もある。でもそこに富士山がある事は、見えなくても感じる。富士山が見えない日も、自分の事を感じられる。条件付きの命、いらない子、を通して、その先にまっすぐな死がある事を。そうして、その死と背中合わせに、温かい無条件の自分の命がある事を、感じられる。

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495 人から意識がなくなり「無視」になる、その原因

対人関係で「無視」してしまうクセがある。今は、かなり改善されたと思うのだが、知らないうちに、そうしているらしく、自分でもショックだ。根深い「無視」がなぜ起きるかという原因が不明だった。今回、その原因に迫ることができた。
私を出産する時、母親は「陣痛が来ると眠くなる」と言っていたそうだ。その上、私は帝王切開で産まれた。母は麻酔をかけられ、ほんとに意識がなくなってしまった。そのことで私には大きな恐怖がある。これが原因だと直感できた。
生まれたばかりの子羊は、母羊とのコミニュケーションが欠けると自閉的になる。同じように、人間の新生児は、母親とのコミニュケーションが健全な成長に必要である(ブログ479「他の仔羊と遊ばない子羊」)ということらしい。もう少し早い時期、つまり人が生まれる前後も、母親とのコミニュケーションは重要なことが容易に推測できる。通常は、母親の全意識は産まれ出る子供に向いているはずだ。
私の場合、出産の前後に、それがなかった。これは大きな傷となる。大きな恐怖になる。その傷が癒えないと、その傷によって、人をやっつける。虐待された人は他人を虐待してしまう。子供を虐待してしまう。それと同じ。人から意識がなくなり無視する。普通は「無視」というと、「積極的に」知らんぷりするという感じがある。私の場合、そうではない。自分の意識がなくなってしまう。意識なし。それが「無視」になる。

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494 お母さんだって人間なんだから

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ベビーブレスをした。(母親に)わかってくれない事に対して怒りが出てきた。言おうとする前に「怖い顔がくるから言えないんだ」という気持ち。その後、聞いてもくれないから、自分の気持ちをわからなくして泣く事しかできなくて「何で聞いてくれないんだよ」って泣いているのに、怖くてこの瞬間が「終わってくれないかな」と。
聞いてもくれないので(そのままでは)怒りが増えてくるから「なかったものにしよう」としていたと気がついた。気が付いてから「何で聞いてくれなかったんだよ」本当は「こう思っていたのに」「怒った顔が怖いから言えなくなるじゃないか」と出た。怒りと悲しみをボコボコとぶつけた。私が大声であまり泣くからその場から母が立ち去って、泣き止んだ頃に優しい顔でくるけど、私は疑う気持ちで母の気持ちが分からないまま。受け入れてくるから(母の近くへ)行くんだけど。わからないまま行く。その瞬間しか甘えられないから(行く)。その時はべったり行くが、心は疑わしくて、私の事を好きか嫌いかわからないし、私も分からなくて苦しい。「分からないままくるな」と怒りたいけど母の感情のまま(それに従って今まで)生きてきた。
ブレスをやって深く入っていく中で、だんだん、お母さんに求めても繋がれない感覚で(私は)泣いている。「分からない」と泣いている。お母さんもどうして良いか、(なぜ私が)こんなに怒っちゃうか分からない。私の気持ちを聞けないのか、分からないのか、お母さんも泣いている。母の泣いた顔を見ると私が安心する。(母の)感情をもっと出して欲しかった。
大人になって心理の学びをして、おかあさんのせいでこうなったんだよと(強く)は言わないけど、「母親がこうだと子供は荒れるよね」と言う。お母さんを傷つける事を言って、母親を試すようにいうんだろうと思っていたけど、(本当は母親に)泣いて欲しかった、気付いて欲しかった。お母さんだって「泣くのを辞めた」というけど人間なんだから泣いて良いのに。
静かな呼吸になって、かわいそうなお母さんを小さくしてお腹の中に乗っけて「穏やかになって良いよ」というイメージでいた。一緒に穏やかになったよう。
足は震えて、怖い。怖いけど繋がりたい。そんなイメージだったのかも。

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