母を護もりきれずに死なせた罪悪感がではなく、実は母への攻撃では?|セラピーの現場(596)

今回のセラピーを振り返ると、セラピーの間、一部始終、自分を抑え込んでいたと感じました。その姿は、恐怖を隠す寂しい自分です。恐怖の正体は、殺意に関係するようです。優しく愛情いっぱいの母と、狂気の母が混在する環境で育った影響があります。優しく愛情いっぱいもらったと感じる部分は、寂しさから母に癒着しようとするものです。狂気の母が、恐怖を感じる一番の原因だと思います。

つまり、恐怖の正体が殺意に関係するとすれば、その殺意は母に対するものです。それを説明づけられるのが、私の中に常にある罪悪感、罪意識です。

今まで、母は自分が護る存在であると思ってきた経緯があります。その思いは私に染み付いています。しかし実際は護れなかった、、、だから罪意識があるのだと、考えていました。でも、病気がちな母には十分なケアをしてきました。それは他人の目から見ると、やりすぎと思われるほどでした。その母もどうしようもなく亡くなってから、久しい時間が流れました。それでも、いまだに罪悪感が残っています。

この執拗な罪悪感はどういうことなのでしょうか。謎です。本当は、母を護もりきれずに死なせてしまったために罪悪感があるのではなく、実は心の奥では、狂気の母を攻撃していたんではないか?自分に十分な愛情を注ぐこともなく病気に逃げた母を。自分を孤独にし寂しさの暗闇に追い込み心に大きな消えない傷を残した母を。そういえば、昔、狂気の母に対して、関わらない、見て見ぬ振りなどしたことがありました。

セラピーを通して自分の中には癒されない大きな怒り(殺意)があることが分かっています。何への怒り(殺意)なのかははっきりしません。その自分の中にある怒り(殺意)を、母に向けることが一番の恐怖です。

怒り(殺意)を母に向けると、病気がちでいつも弱い存在であった母はその殺意に耐えられず、母を失うことになります。優しく愛情いっぱいの母を失うことになるのです。私の命の基盤であった大切な母を失うことになるのです。それには私が耐えられません。それが私の一番の恐怖です。

それでも殺意は依然としてあるのを知っているから、母に何かある度に(あるいは、母に似た状況の身近な女性に何かある度に)、自分に責任があるのではないか、隠れている殺意のせいではないかという罪悪感が襲ってきます。

なお、これは、直接に母との関係なのかどうか未だはっきりしませんが、自分の中にも母と同じ狂気を感じる部分があります。その狂気も物凄く強い怒りのエネルギーだと思います。

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