落語とベビーブレス|役作りと再体験|アコールセラピーの休憩時間(728)

 

(古今亭志ん生)

先日、落語を聞いた。不思議。古典落語は、内容はわかりきっている。何度も聞いている。目新しいところはない。なのに、名人がやると面白い。初めて聞いたように笑ってしまう。なぜだろう。

落語に限らない。映画や演劇でもそう。「役作り」ということがある。セリフの言い方や表情の作り方や間の取り方や、だけではない。役になりきる。愛すべき粗忽者、孤独な殺人者、真実のためにすべてを捨てる人。その役の気持ちを、役者本人が再体験する。それが、見ていて面白い。見ているだけでもぞくぞくする。価値がある。そのためにお金を払って見に行く。

ベビーブレスが似ている。ベビーブレスの初期には、失ってしまった本当の自分を演じるという意味がある。演じ、声を出したり、体を動かしたりする。
なかなか、本当の自分の中に入ることができない。ただの「演技」になってしまう。しかし、続けていると、ある瞬間に「本当の自分」の気持ちを再体験できる。母親から愛されず長い間石のように閉じ苦しみぬいてきたが本当はエネルギーにあふれる自分。感情が爆発する。自分を取り戻す。ぞくぞく、どころではない。天と地がひっくり返る。

そして、落語や演劇は、演技者の演技(再体験)を、こちらは観客として遠くから見るだけだ。役者だって、脚本家によって作られた役を、いわば他人を、再体験するに過ぎない。
ベビーブレスは違う。作られてはいない。他人ではない。本当の自分自身。それまで隠しに隠していた本当の自分。再体験によって、感情が爆発して、本当の自分自身とつながる。嘘の人生とさようなら。本当の自分自身と合流する。本当の人生。

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