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アーカイブ カテゴリー: ブログ

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インスタグラムもどうぞ|アコールセラピーの休憩時間(735)

2022/12/10/カテゴリ: ブログ /作成者: 林 貞子

インスタグラムに毎日投稿しています。

いろいろコメントもいただき白熱しています。よろしければ、そちらもどうぞ閲覧してください。

インスタグラムで「林貞子」を検索してみてください。

 

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ブログに対するご感想やご質問をメール(info@accord-all.com)でどうぞ

https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 0 0 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2022-12-10 12:34:492022-12-10 12:34:49インスタグラムもどうぞ|アコールセラピーの休憩時間(735)

母親に対する依存と殺意の一体構造はあなたの大切な人に対しても|アコールセラピーの現場から(734)

2022/01/26/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

[母親に対する依存と殺意の一体構造]
小さな子供が健康な母親に育てられるとき、完全な一体感を伴う依存を味わうでしょう。母の懐で何不自由なく天国の時間をたっぷり過ごすでしょう。そして満足した後で依存から卒業し健康な発達を遂げることでしょう。
しかし、なかなか、そうはうまくいかない。健康な母親はめったにいない。そのため十分な依存が手にいらずに、大人になっても依存的な人たちがいる。

依存と殺意は、一体のものとして、小さい子供が人生のはじめに、母親に対して形成するもの。母親から十分な愛情をもらえなかった子供の感覚として、母親の中に良い母親と悪い母親がいる。悪い母親への殺意をあらわにすると母親全体を失ってしまう。母親に嫌われる。母親を失った子供を待っているのは、一人ぼっちの死である。耐えられない。そこで悪い母親への殺意を隠し、良い母親への依存を失わないようにする。しかし殺意を隠し持っているので、一体性のある本当の愛情を獲得することはできない。依存しながら殺意を隠して付き合うことの不満足さは、母親に対してのみならず、その後の他の人間に対しても、受け継がれる。

[他の人間に対する受け継ぎ]
依存と殺意の一体構造は、大人になったのちも、持ち続ける。どうしようもない母親には見切りをつけて、新しい、より好ましい人間関係をつくろうとしても、他の人間に対して、依存と殺意の一体構造は、気が付かないうちに維持され、それに伴う不満足さは受け継がれる。
すなわち大人になっても、奥深くでうごめく一人ぼっちの死を避けるために、最も好ましいと思われる誰かに依存する。母親の代わり(依存対象)だ。会社の上役、夫、カウンセラー、子供。しかし依存によって満足するのは、感受性を失っていない小さな子供が、健康で好ましい母親との関係で、完全な一体感を伴う場合であって、大人になった今となっては、相手にとっては迷惑な限りであろう。あるいは病的な相互依存をなす。不満足はどこまでも続く。
その人の感覚が鋭く、運が良ければ、あるとき追い詰められる。何か(殺意)を隠したようなそんな生き方は嫌だ、という気持ちが強まる。殺意は依存対象へ向かう。もともと母親へ向かうべきものが、せき止められており、現在の依存対象を襲う。
その時、殺意を放出する本人が、内面の一人ぼっちの死を恐れないほどに勇敢であれば、依存から抜ける。ブレスの中で殺意を表現し「一人ぼっちの死」に入っていくことができて「これで初めて生きていける感じがする」というのは、ニュアンスは異なるけれども、よく聞く感想である。
「生と死のエネルギー」
依存的な人たちは、昔、十分には手に入らなかった愛情(依存)を、今、何とか手に入れて生きていこうとする、生のエネルギーを中心とする人たちのように思えます。ある人は自分を見抜いて自嘲的に「愛情乞食」と言っていました。一方で、一人ぼっちの死を拒否し、そのために殺意という大きなエネルギー(死のエネルギー)を隠さなければなりません。それが、一人ぼっちの死を受け入れたときに、それまでの生のエネルギーに死のエネルギーが補われ、生と死のエネルギーが統合され、自分の本当のエネルギーを手に入れるのだと理解できます。

 

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https://accord-all.com/wp-content/uploads/2022/01/e5937aeee43f42b55f727525f54ec768.jpg 500 450 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2022-01-26 19:37:062022-01-26 19:45:43母親に対する依存と殺意の一体構造はあなたの大切な人に対しても|アコールセラピーの現場から(734)

ヒナを守って犬にも向かって行く白鳥(白鳥の話2)|アコールセラピーの休憩時間(732)

2022/01/22/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

白鳥の話2(つづき)

[4.守る親白鳥]

白鳥の両親は、いつもヒナを守っていた。

私が、一家へ必要以上に近づくと・・・3メートルくらいかなあ・・、父白鳥がこちらに向かってくる。真っ白い両羽根を、肩を怒らす様に持ち上げる。ノッシのっしと歩いてくる。別に、パンが欲しいわけではない。歯がない口ばししか持っていないのに、・・やってくる。ごめん、ごめん。あわてて後ろへ下がるしかない。

あるとき、白鳥が子育て中であるという事情が分かっていない人が、飼い犬を連れて散歩にやってきた。犬が20メートルくらい近くになったときに、父白鳥が無言のまま動き出した。犬に向かってノッシのっしと歩いていく。犬は、・・・逃げた。本気の戦いなら、白鳥は勝てるはずはない。首が細い。口ばしが小さい。歯がない。でも気迫勝ち。

人や飼い犬は、ヒナを襲わない。でも野生の肉食の生き物は、違う。襲って食べる。生きるために食べる。人が見ても、小さなヒナはかわいらしく、おいしそうである。ときどき白鳥の両親がともに、急に、首を上げて動きを止めることがある。上空にトビがいる。カラスがいるときである。

[5.生存の厳しさ]

私たちが初めて、一家に会ったときは、ヒナは3羽だった。地元の人によると、ヒナは、はじめは6羽くらいいたらしい。「狐ではないか」ということだった。ある朝さらに、2羽に減っていた。周りを見ると、近くの木に複数のカラスがいた。木の近くの屋根の上に、何かがある。屋根に近づいてよく見ると、はっきりしないものの、大きさや色が、それらしかった。湖畔には、白鳥が隠れる適当なものがない。上空から襲われたら防ぐのは楽ではない。あの父白鳥がいても、守り切れるのは2羽くらいかもしれない。それで湖の白鳥の数は、そこそこに維持される。

意外なことがある。犬にさえ向かって行く白鳥が、さっさと退散することがある。一家が急に目の前から移動しはめるので、何事かと思い、よく観察すると、遠くから、他のつがいの白鳥がやってきていた。距離は100メートルもあるかと思うほど遠かった。白鳥同士なので仲よくすればいいのに、と思うけれど、違う。ほかの動物でも同じようなことがある。同じ種の群れ同士が出会うと激しい争いになることがある。草食、肉食を問わない。多分、食べ物や生きるために必要な環境が重なるので、他の群れを追っ払う必要がある。あるいは追っ払われてしまう。子供(ヒナ)がいるときには、子供が殺されないように、さっさと退散するに越したことはないのであろう。

[6.ヒナの成長と家族の終了]

私たちが出会ったのは、6月ころだった。片手の平に乗るくらい小さかった。一口サイズ。かわいかった。会うたびに大きくなっていった。片手では難しそうになり、近くのカルガモを超える大きさになり、両手でやっとだろうなと思えるくらいになり、あれよアレヨと、大きくなった。

ヒナは増々かわいくなり、4羽家族の居る風景は、しみじみ愛おしかった。あるとき、4羽家族は、ワカサギ釣りの屋形船がつながれている木の下に、いた。木の周りは、柔らかそうな緑の草が、芝生のようにふわふわと生えていた。その上に、4羽家族は幸せそうにうずくまっていた。ヒナはもうカラスには簡単には襲われない大きさになっていた。親白鳥の安心が伝わってきた。就学前くらいの男の子が走ってきた。白鳥家族を見つけ、赤ん坊を抱っこしたお母さんの手を振り切って、木のところまで来た。白鳥家族のすぐ近くに来て、「天国みたい!」と大声で言った。そう、まるで天国みたいだった。

親白鳥の半分くらいの大きさになっても、羽根の色が薄い茶色なので、遠くからでもヒナだとわかった。このころ、両親白鳥は、ヒナに遠慮せずに食パンを食べた。

親白鳥とほぼ同じ大きさになっても、色は、茶色と白のマダラ模様なので、ヒナだとわかる。

マダラ模様になる少し前あたりから、父白鳥はいなくなっていた。母白鳥はその後もかなり一緒にいた。近くにいるので、母白鳥だろうな、と思うだけで、母白鳥らしいしぐさをするわけではない。他の白鳥かもしれなかった。そのうち、マダラ模様の二羽のヒナだけで堂々としているようになった。母白鳥が近くにいるのかどうか、わからなかった。私には見分けがつかない。どこかへ行ってしまったかもしれない。11月になっていた。マダラ模様が完全に消えて、真っ白になるころ、この二羽の兄弟も、互いに独立して、他の白鳥とつがいになるのかもしれない。

[7.健全さの違いは何?]

成長したヒナだけで堂々としている様子は、自然界の親離れを感じさせますね。ヒナを守るために犬にも向かって行っていた父白鳥が、いつの間にかいなくなり、エサをヒナに譲っていた母白鳥も、やがていなくなる様は、寂しいようで、健全な子離れを感じさせます。この健全さはどこから来るのでしょうか。本能に過ぎないと言えばそうでしょうが、人間だって本能は持っています。違いは何なのでしょうか。

推測します。

白鳥は人間よりも自由に生きています。つがいになる相手も自分で選ぶでしょう。自分の気持ちを感じ相手を感じ、感じるままにつがいになります。誰にも強制されません。誰へも忖度しません。生まれてきたヒナは、だから、「とてもかわいい」と親白鳥は感じるでしょう。かわいいヒナには、命をかけ、エサも譲って、後悔はないでしょう。気の進まない結婚をして、いやいやながら子育てをする人間を、白鳥はなんと思うでしょう。

(おわり)

https://accord-all.com/wp-content/uploads/2022/01/4c635b9160c637ec362716ae10828d44-e1642664603686.jpg 385 474 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2022-01-22 19:38:382022-01-22 19:45:35ヒナを守って犬にも向かって行く白鳥(白鳥の話2)|アコールセラピーの休憩時間(732)

親白鳥は食べずにヒナに譲る(白鳥の話1)|アコールセラピーの休憩時間(731)

2022/01/20/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

白鳥の話1/2

 

[1.白鳥一家]

山中湖の湖畔に白鳥たちが住みついている。2021年には、ある白鳥の一家が、私たちのセミナーハウスの近くに住んでいた。両親の白鳥と数羽のヒナだった。ヒナは淡い茶色でフワフワしていた。カステラをくりぬいたお菓子のようだった。ヒナのあまりのかわいらしさに、私たちは毎朝、湖畔を散歩するたびにその一家を探した。

湖畔には、春になると、小さいおいしいサクランボをつける、背の低い富士桜の並木があった。その並木が両側を囲む小道を抜けると、目の前に湖が大きく広がり、一家が居る地域になる。片道20分くらい歩く距離で、日によって、居る場所が違った。彼らも朝は食事であちこち水草をもとめて移動するらしい。私たちは食パンをポケットに忍ばせて、ちぎって白鳥に投げ与え、ときどき私たちも食べた。

[2.白鳥の食欲]

白鳥は食パンを好んで食べる。透明な湖水に白く浮かんだパンを、口ばしでほぐしながら、水と一緒に飲み下す。たいていの白鳥はお腹を空かしていて、あっという間に食べ尽くす。そして、もっと寄こせと、水から上がる。恐竜のような大きな水かきが現れ、ノッシのっしと、歩いて、こちらへ近づいてくる。堂々としている。小さな二つの眼が正面からこちらを見据えて、やってくる。野生の白鳥だ。零下20度の山中湖の冬を、白く雪をかぶりながら身一つで過ごして生き抜く、凄さがある。

そして、パンをちぎるのに手間取っていると、すぐそこへ来た白鳥に、必ず手をかまれる。口ばしには歯がないので痛くない。でも、あまりの迫力に誰もが、小さな悲鳴を上げてしまい、手からパンを落としてしまう。落ちたパンはたちまち白鳥が食べる。思わず後ずさりしてのろのろしていると、あっという間に食べ終わった白鳥が、再び、ノッシのっしと迫ってくる。あんなに美しくてかわいいと思っていた白鳥へのイメージは変わってしまう。怖い・・・。白鳥の食欲はすごい。

[3.食べない親白鳥]

しかし、一家の親白鳥は、ほとんどパンを食べない。自分は食べずにヒナに譲る。親鳥のすぐ近くにパンを投げても、ヒナがそばに居れば、食べない。食べようか食べるまいか迷う様子はなかった。ヒナが、当然のように食べてしまう。多分、子育て中は、親白鳥は食欲そのものがなくなるのではないかと思える。

仮に、食欲が自動的になくなるとしても、人間にも同じような感覚はあるのだから、ついつい想像してしまう。親白鳥はヒナが可愛くてしょうがなくて、あまりの可愛さに、ヒナが食べるのを見ていると自分の食欲さえ失ってしまうのだ・・と。あの本来持っているすごい食欲を失うのだから、どれほど可愛いと感じているのだろうか、と。

(つづく)

https://accord-all.com/wp-content/uploads/2022/01/ae9393b9c77787384de118fa74156293.jpg 1773 2364 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2022-01-20 17:28:052022-01-21 00:30:03親白鳥は食べずにヒナに譲る(白鳥の話1)|アコールセラピーの休憩時間(731)

あけましておめでとうございます|アコールセラピーの現場から(730)

2022/01/12/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

あけましておめでとうございます。

コロナ禍のため、山中湖のグループセッションがなかなか再開できませんが、今年こそ再開可能になることを祈っています。

 

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胎児が電磁波で母親の気持ちを察する?|アコールセラピーの休憩時間(729)

2021/01/23/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

<胎児が母親からの電磁波で母親の気持ちを察する可能性>

Babyブレスで胎児期の記憶を思い出すというのは珍しくありません。そして、その時の母親の気持ちに傷ついた、というのも良くあることです。例えば「私は胎児期から母親に望まれない子であった」というようなことです。いわば日常茶飯事です。それを認識し納得することで大きな心理的な改善があります。Babyブレスを前提にしてセラピーを行っていると、胎児期の記憶が残っていることも、胎児が母親の気持ちを察することも、経験上の事実として、疑いようのないものです。

しかし、Babyブレスを経験しない人には、そこのところの理解は難しいかもしれません。そもそも、そんなことがあり得るのだろうか、というところでしょう。厳密なエビデンスとまではいかないにしても、何らかの客観的な傍証は欲しいものです。

そこで、youtubeで例えば「胎児の記憶」と検索をすると、現在、少なくとも十数件の実例を見ることができます。胎児期の記憶が残っているという事柄は、そんなに珍しいことではないようです。

では、胎児が母親の気持ちをどのように察するのか、というのはどうでしょうか。過去に私の知っていた情報では、母親の血液の酸素濃度、母親の心拍、母親の発する声の調子、などなどから、胎児は母親の気持ちを知っているのではなかろうか、ということでした。しかしどれも、いまいち、不十分な感じがしていました。血液の酸素濃度の変化が胎児に伝わるには、かなりの時間がかかるでしょう。母親の心拍が、例えばなぜ高まっているのか、その理由はわからないでしょう。怒って高まっているのか、喜んで高まっているのか。母親の発する声だって、無言のまま、子供の堕胎を念ずる状況だってあるでしょうから。
ところが最近、人間同士が知らないうちに電磁波でコミニケーションをとっている旨の記事(https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/2018/11/transtech-1.php)がありました。であれば、胎児が母親からの電磁波で、母親の気持ちを察するというのは、かなり納得できるものです。電磁波というのは、伝わるのは速いし、周波数の変化や振幅の変化で多くの情報が送られ得るでしょうし、また、母親が無言を貫いても、知らないうちに発してしまうことは十分に考えられます。

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落語とベビーブレス|役作りと再体験|アコールセラピーの休憩時間(728)

2021/01/12/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

 

(古今亭志ん生)

先日、落語を聞いた。不思議。古典落語は、内容はわかりきっている。何度も聞いている。目新しいところはない。なのに、名人がやると面白い。初めて聞いたように笑ってしまう。なぜだろう。

落語に限らない。映画や演劇でもそう。「役作り」ということがある。セリフの言い方や表情の作り方や間の取り方や、だけではない。役になりきる。愛すべき粗忽者、孤独な殺人者、真実のためにすべてを捨てる人。その役の気持ちを、役者本人が再体験する。それが、見ていて面白い。見ているだけでもぞくぞくする。価値がある。そのためにお金を払って見に行く。

ベビーブレスが似ている。ベビーブレスの初期には、失ってしまった本当の自分を演じるという意味がある。演じ、声を出したり、体を動かしたりする。
なかなか、本当の自分の中に入ることができない。ただの「演技」になってしまう。しかし、続けていると、ある瞬間に「本当の自分」の気持ちを再体験できる。母親から愛されず長い間石のように閉じ苦しみぬいてきたが本当はエネルギーにあふれる自分。感情が爆発する。自分を取り戻す。ぞくぞく、どころではない。天と地がひっくり返る。

そして、落語や演劇は、演技者の演技(再体験)を、こちらは観客として遠くから見るだけだ。役者だって、脚本家によって作られた役を、いわば他人を、再体験するに過ぎない。
ベビーブレスは違う。作られてはいない。他人ではない。本当の自分自身。それまで隠しに隠していた本当の自分。再体験によって、感情が爆発して、本当の自分自身とつながる。嘘の人生とさようなら。本当の自分自身と合流する。本当の人生。

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殺すなら殺せ|アコールセラピーの現場から(726)

2021/01/07/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

<W>

今日はj君のまとめですね。

<H>

彼は、上手な絵で、回顧録をまとめてくれました。ありがとうございます。以下<j>の部分はj君の回顧録の部分です。絵は10枚です。絵を中心にまとめています。

<W>

彼のきっかけは、一言で言うと、何になるのでしょう。生きづらさとでも言えばいいのでしょうか。

<H>

そうですね。彼はあるチェーン店の店長を務めており、初めのころは上司や部下との関係などが話題に上がりました。以下、彼の回顧録を見ていきます。

1枚目

<j>

「周りの目を極度に気にする自分」

周りの評価を極度に気にする自分。

生きづらさに苦しむ。

集団の中にいるのが苦手。小人数もダメ。

話すことが見つからないと異常に焦る。

早く1人になりたい。

人との関係の中でいつもそう思っていた。

そして当時の上司との関係に苦しんでいた私。

これがセッションを始めるきっかけとなる。

<H>

j君は、はじめは、こんなふうにはっきり自分のことを語ったわけではなかったような気がします。もう少しぼんやり「自分のことを知りたい」とかなんとかいうことだったと思います。

<W>

今、まとめができる段階になって、よりはっきり自分のことを語れるようになったんでしょうね。

2枚目

<j>

「悲しみの母」

私がセッションを始めた当初。

まずこんな家族の様子を感覚的に思い出しました。

母はいつも悲しい顔をしている。

祖母(父の母親)はいつも母を攻撃している。悪辣。嫌味ったらしい。

父は扉の向こう。何処かに行っている。家にはいない。

私は暗い気持ち。

他に兄と姉もいたが、家族の誰も私には関心が無い。

誰の心の中にも私はいない。

という感覚がずっとある。

当時は家族がいない所で、寂しさや怒りを訴える。

こんなセッションを何度も何度も、繰り返していました。

<H>

兄弟を含め人間関係が薄い感じがしました。実家に帰ってもあまりお兄ちゃんなどと話をしなかったようです。

<W>

一時期は、お兄ちゃんの悪口などを言っていましたね。

<H>

この回顧録では一切触れてないです。セッションが大きく進んで、もう、どうでもよくなっていってしまったのに違いない、と思います。自分のことをやらないと、外側(例:お兄ちゃん)に問題を求めてしまう。

<W>

そういうものですね。

3枚目

<j>

「「苦しみ死に」の恐怖」

ある日のセッションで私に起こった、とてつもない恐怖の体験。

圧倒的な力で押し寄せる死の恐怖。

全く抵抗できない。

死を受け入れる心の準備などできずに、

苦しんで、苦しんで死んでいく。

それが胎児期の恐怖である事は当時から分かっていたが、

具体的な事が分かったのは、

もっと後になってからであった。

父には私が生まれる前から浮気相手がいた。

母はそれを知っており、

父を自分に繋ぎ止めるために私を妊娠した。

しかし母は私を妊娠している時に、

父の浮気が続いている事を知ってしまう。

私を妊娠した事は全くの無駄であった。

母の強い怒りが私に向きます。

母の殺意。

とてつもない身体的な苦痛を伴って

殺される恐怖。

このセッションで体験したこの「苦しみ死に」の恐怖は、

その後長く私を停滞させる事になる。

<W>

それまで彼が希望していたのは「心の傷に触れずに、感情豊かで、魅力的な人間になりたい」辛いところには触れたくない、というようなことだったと思います。

<H>

お土産だけが欲しい人だった、ようです。

<W>

今は見事に、心の傷のおおもとに届きました。対峙すべき心の傷がはっきりしました。

<H>

生きにくさの原因には、親の意向を汲んで生きていくと言う、同じグループカウンセリングの仲間の話なども参考になっていると思われます。

<W>

親に利用され、自分から利用されようとする切ない気持ちですね。

<H>

切ないです。

<W>

彼は「「苦しみ死に」の恐怖は、その後長く私を停滞させる事になる。」と言いますが、なぜ、「停滞」してしまうのかが、人が悩むということのカラクリのような気がします。

<H>

傷を目の前にして、引き返そうとする気持ちが働くのですね。

<W>

引き返しを言うのであれば、傷を目の前にする以前から、傷に無意識なときから、何とかして引き返そうとしていた、とも言えます。事実を否認することで何とかしようと苦戦する。

4枚目。

<j>

「グレーにする自分」

父を自分に繋ぎ止める為に私を妊娠した母。

私はその役目を果たせれば、

母からの愛情を得られる。

と思うようになります。

本当は愛情あって私を産んだわけではない事は知っているが、

それを直視しない。

正しく認識する事を避ける。

ぼかしてグレーにしてしまう。

この心の癖は、

この後の私の対人面にしばしば影響を

及ぼす事になります。

<W>

今でこそ、そのようにはっきり言えますが、白黒はっきりさせないグレーな場所にいるときには、ひたすら、ただグレーだったのでしょう。

<H>

なんとかすれば(自分に対する母親の)愛情はあるはずだと思い込んで、ギリギリのところで生きていこうとするのは、トラブルに悩んでいる人の共通の部分かもしれません。本当の母親の姿、本当の自分の姿、を見ることができない。

5枚目

<j>

「全てを閉ざして石になる」

母は私に、

父を自分に繋ぎ止める役目を与えて、

私を出産します。

しかし私が4歳くらいのとき。

両親は離婚。

役目を果たせなかった私は、

一人洞窟の中で石になって、

全てを閉ざして死んでいく。

家族の誰も私の事など意識がなく、

私は誰にも知られない所で、

一人死んでいきます。

一度死んでしまえば

案外そこは居心地が良く、

私は自分をその場所に居続けさせる事になります。

閉ざして生きていけば、嬉しい事は少ないが、

辛い思いをすること事も無くてすむ。

 

何も無い人生を私は選んだ。

しかし、私は覚えていました。

閉ざすとき、

凄く凄く悔しかった。

悔しかったが、閉ざす事しか出来なかった。

無理難題をおしつける母への怒り。

母の愛情を得るために頑張ってきたが、

それが叶わない絶望感。

母と私は両思い。

という暗示を自分にかけて、

他の事は閉ざしてしまった。

そうするしか無かった。

<H>

母親にはほんとに愛情がないんだということがわかって、石のように閉じてしまう、ということですね。

<W>

そこのところです。彼の回顧録では、あくまで「離婚」がきっかけです。しかし、「父を繋ぎ止める役目を」うまく果たし「離婚」がなければ、母から本当に愛情を得られたのでしょうか。離婚がなくても本当の愛情は無理だったのかもしれません。そもそも条件付きの愛情ではj君自身が納得しないでしょう。彼は、実は知っていたのかもしれません。「母親にはほんとに愛情がないんだ」と無意識には始めから。

6枚目

<j>

「殺すなら殺せ」

グレーにする自分から脱却するきっかけになったのは、

「殺すなら殺せ」をやった事であった。

愛情の無い両親から生まれた私が、

自分の存在にどれだけ戸惑って生きてきたか。

愛情が無いなら俺を殺せ。

俺はおまえの役には立たない。

そんな事はしたくも無い。

だから殺せ。

キズだらけ血まみれの私の、

渾身の怒りであった。

 

しかしいざ殺されるとなると、

母を思う気持ち。慕う気持ちが溢れる。

大好きで死を受け入れる。

母を殺すセッションも繰り返し行なってきた。

怒りで始める母殺しですが、

大好きで大好きで殺しきる。

母への怒りをやればやるほど、

母を慕う気持ちを思い出していく事になる。

 

この、「殺すなら殺せ」をやって以降、

私に色々な変化が起こっていった。

 

<W>

大きな突破が、転機が起きました。大迫力の絵です。

<H>

この転機が訪れるきっかけになったことの一つが、セッションを中止するかどうかのカウンセラーとの話し合いだったかもしれません。グレーにして石のようになりセッションが進まない。このままやっていても、時間とお金が無駄なので、中止したほうがいいのではというふうに相談をしました。

<W>

カウンセラーも、彼の心情と一体になって、決断が迫られたのですね。

<H>

彼が辛いようにカウンセラーも辛い。グレーにして石のような状態には、だんだんカウンセラーも耐えられなくなる。本当に同じような内的な経験をするのだと思います。

<W>

そして彼は前に進む決断をするのですが、その結果の「殺すなら殺せ」はカウンセラーにも向けられていたのかもしれません。「見放すのなら見放せ」と。陰には依存がありますから。カウンセラーはいつの間にか母親役です。辛いときに依存は慰めになります。ところが依存を頼りにして前には進みたくない。依存できなければ自分で立つしかない。その時、前に進むも見放されるも同じようなもので自分の目の前にある。

<H>

そういう意味ではカウンセラー自身が健康でなければならない。ぎりぎりのところまで。

<W>

「いろんな変化が起こっていった」とあります。

<H>

「停滞がなくなってきた」ということですね。

<W>

その変化の原因が回顧録のここに書かれています。母親への愛憎の統合から生死の統合が起きています。

<H>

母親への愛憎の統合は、自分自身の生死の統合に通じているというあれですね。

<W>

あれです。大切なところですから、見ていきます。

「殺すなら殺せ」は母親への究極の怒りです。憎悪です。「母への怒りをやればやるほど、母を慕う気持ちを思い出していく」とあり母親への愛憎のエネルギーが実は同じであることを彼は体感しています。愛憎の統合です。

そして「殺すなら殺せ」は、また同時に、自分自身の死の受け入れです。

グレーにして石のようになって何とか生を守ろうとしますが、その守りの彼岸は死です。自分にとって宇宙のように大切な母親から、あろうことか自分自身の死が望まれている、その死です。

その死を受け入れることで「渾身の怒り」つまり激しい「生」が出ます。何とか守ろうとする弱々しい生ではありません。死を受け入れて本当の生が出る。生死の統合の兆しです。この辺りは、この後の8枚目の絵でも描かれています。

7枚目。

<j>

「靄に包まれて死ぬ」

胎児期に母に殺されそうになった感覚は、

身体的苦痛として私の心に刻まれ、

私はその記憶にずっと苦しめられてきた。

一切の抵抗は許されず、

死を受け入れる心の準備も出来ず、

胎内いう狭い場所で暑さからも逃れられず、

窒息死するという、「苦しみ死に」の恐怖。

 

しかしある日のセッションで気づくことになる。

本当に怖いのは一人ぼっち。

母も。誰も彼も。私の事など意識に無いと知ること。

そしてこの世界の、

厳しさ。冷たさ。無慈悲さを知る事。

それが本当の恐怖。

一人ぼっちを自覚したくないが為に、

私は「苦しみ死に」の恐怖を利用していた。

「苦しみ死に」に囚われていれば、

一人ぼっちを自覚しなくて済むので。

恐怖で恐怖を隠す。

私はそんな生き方をしていたのだ。

この7枚目の絵に描いた黒い靄は「苦しみ死に」を表現しています。

 

「苦しみ死に」の正体(一人ぼっち)を知った私は、

抵抗する事なく安心して、靄に包まれて死んでいく。

“やっと死ねた。”

私の中からしみじみとそういう気持ちが湧いて来た。

 

<H>

「本当に怖いのは」「一人ぼっち」。母親から殺される「苦しみ死に」の恐怖ではなく、さらに、その奥にあった。

<W>

はい。6枚目の絵のところで母親からの死を受け入れたら、その奥の本当の恐怖である「一人ぼっち」を受け入れることができ、「やっと死ねた」という境地になったのですね。

<H>

大亀の水底に足が着いた。「安心」ですね。

<W>

死の受け入れが深まった。

8枚目

<j>

「恐怖と共に生きていく」

私は恐怖を克服したいと思って、セッションを続けてきました。

日常的に感じている、対人面での恐怖が辛くて辛くて。

しかしそれ(辛い辛いと言うこと)は心を閉ざして生きていく、

と言っているのと同じことだと、ある時、気づかされます。

本当の自分の人生を歩んでいくために、恐怖と共に生きて行こう。

と思うようになりました。

 

幼いころの恐怖がどんな物であったか。

日常の中で感じながら生活していると、

不思議と恐怖は和らぎ、

恐怖の中にいる事に心地良さを感じることも多いほどです。

 

どんなに惨めな思いをしてきたか。

本当に死んでしまいたかった。

消えて無くなってしまいたかった。

そんな事も少しづつ思い出していきました。

 

8枚目の絵には3人の自分を描いています。

その中の一番小さい自分は恐怖している自分。傷ついた小さい自分。可愛い、可愛い自分。

真ん中はそれを包む今の自分。恐怖と共に生きて行く。

一番大きい自分は、本当の自分のようなものだと思われる。いつも私(真ん中の自分)に、”大丈夫。オレがついてるから大丈夫。落ち着いて!”と声をかけてくれる。

 

<H>

「どんなに惨めな思いをしてきたか。本当に死んでしまいたかった。消えて無くなってしまいたかった。」と過去形で話せるようになりました。よかった。「不思議と恐怖は和らぎ」とあります。「和ら」がせるセッションもありますが、自然と起きてくることが本物ですね。

<W>

はい。この絵がいいですね。

<H>

見るだけで暖かい「安心」が伝わってきますね。「3人の自分」が成長を表現しているようにも見えます。

<W>

生と死の統合を見ます。6枚目の絵のところで「殺すなら殺せ」と死を受け入れて本当の生「渾身の怒り」が出た後で、7枚目の絵でさらにその奥の「一人ぼっち」を自覚して死の受け入れがより深まり、この8枚目の絵で、その深まった死(真ん中の自分)に応ずるように暖かい生(外側二人の黄色とオレンジの自分)が現れ、生と死の統合がより明確に描かれているように思います。

9枚目

<j>

「やっと甘えられた」

ある日のセッション。

母を慕う気持ちを感じながら母を殺す。

愛おしくて愛おしくて殺す。

 

その後、死んだ母に抱きついて

心から甘える。

思いがけず甘えを出せた私でした。

甘えたいと強く望んでいる自分を、

さほど意識いてはいなかったのだが、

 

“やっと甘えられた”

“やっと甘えられた”

何度も何度もそう思いました。

本当に嬉しかった。

<H>

「思いがけず、やっと甘えられた」いいですね。甘えると言うのは難しいことです。甘えたふりはできるけどほんとに甘えるのは難しい。

<W>

努力して甘えられるものではないのかもしれません。恐怖の正体を知り受け入れ「安心」できたのが大きいのでしょう。

<H>

母親はいまだ石のような色に描かれています。母は石であっても甘えるのは自分、自分は甘えられる。母の事情に左右されないということなのかもしれません。

10枚目。

<j>

「心から自分を抱きしめる」

またある日のセッションで。

恐怖でオロオロする自分を思い出した。

父を母に繋ぎ止めるなんて出来ない。

でも母は私にそれを求めて私を生んだ。

どうしたらいいか分からず。

どうにも出来ず。

焦り、恐怖し、オロオロするしか無かった。

 

そんな自分がかわいそうで。かわいそうで。

幼い自分を抱きしめて安心させてあげたい。

大丈夫だよ。と言ってあげたい。

そんな事は出来なくていいんだよ、と。

 

“心から自分を抱きしめてあげて‼️”

私の内側からこんな声が

湧き上がってきました。

 

嬉しさやら。切なさやら。

悲しさやら。愛おしさやら。

幼い自分を抱きしめて泣きました。

幼い自分も感情的のままに泣いていました。

<W>

いいですねー。

<H>

いいですねー。

これらの絵には出てきていませんが、彼は、本当に生きていくエネルギーが出てきて、宇宙に向かって吠えるような、歌うような表現ができたということです。

<W>

いいですねー。

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    2020/07/01/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    (つづき)
    <H>(寂しさや怒りを出しまくって)家族など周りは大変だった、迷惑したと、まずい話ですね。実はいい話もいっぱいあるのです。いい話もしてもらいましょう。彼女の話だと、職場で信頼されるようになった、パートなんだけれど社員よりも頼られるようになった。上司への不満をちゃんと言えるようになった。など、次のように言ってました。

    <S>
    「「職場での活躍」」
    販売接客業のパートを10年勤続。小さな店舗で7年程。今は大型店舗に勤務している。
    小さな店舗では途中から店を任されることに。その頃、感情表現も出来る様になっていたので上司や社員に相談したり、意見したり、納得いかない事には怒りをぶつけたりしてきた。
    「お客さんに満足してもらう為に」を軸に、店舗では店の問題点を改善したり、お客さんにも、一緒に働くパートの皆んなにも、意識を向けて観ていたし声かけしたりしていた。そしてよく話を聞いた。大変ではあったけど充実していて売り上げもどんどん上がって成果は上げた。
    上司は私にこう声を掛けてくれた。「いつも五感を使って仕事をしている。」「店全体がよく見えていて、目の前の仕事をしながら、いつも三手くらい先の仕事を常に頭に置いて動いているよね」と。常にアンテナを張って仕事をしていたのでそう言われたことは素直に嬉しかった。半分本気のような冗談で「マネージャーやって欲しいわ」と言われたりしていた。
    この頃には「大型店舗に行ってバリバリ働いてくれないか」と言われていたが、その大型店舗のマネージャーの事が苦手だったので、断っていた。でも、そのうちその苦手マネージャーが移動になり、大型店舗勤務になった。その後も、私の仕事のやり方は変わらずだった。
    次のマネージャーからも、更にその次の今のマネージャーからも、色んな事を相談された(頼りにされた)。パート仲間からも仕事や私用でも相談された。自分でも周りから頼りにされている事がわかった。馴染みのお客さんも沢山できて仕事はやりがいはある。
    ブレスも進んできてより深まって来ていたのでどっしりしてきていた。
    (私が私をひとりぽっちにしていた。私が私を大切に扱えるんだと気がついた時期)
    人からの評価は気にならなくなっていた。
    本社から巡回で、お偉い方々が来られる時がある。私の仕事を見ていた社長が「皆んなが彼女(私)のようなレベルの仕事働き方をして欲しい」とコメントして下さった。
    怒り、恐怖、殺意、更に生と死の体験をしてからは、より素直により正直になってきたと思うし、色々感じる力も増したと思う。
    <W>
    いいですね~~。彼女の持っているものが解放された。起きたというべきでしょうか。
    しかし下手すると、ブレスを知らない経営者から、彼女のように{意見ははっきり言いましょう}{仲間に声掛けしましょう}{仕事は五感を使いましょう}{三手先を頭に置きましょう}{好き嫌いははっきりしましょう}などのノウハウをつくられてしまいそうです。が、勘違いしてはならないのは、ノウハウなどで意図して起こしたのではなく、ブレスで自分を取り戻すことで、自然に起きたことなのです。意図してすることには無理があります。偽物のにおいがします。大して効果はありません。起こすことに価値はなく、起きることに価値があります。
    <H>
    彼女の真の実力ですね。
    職場だけではありません。家庭についても彼女は言います。子供たちも自分の気持ちをお母さん(彼女)に話せるようになった。子供が寄ってくるようになった。うまく対処できるようになった。子供の気持ちもわかるようになった。思春期の自分の子供がトラブルを起こしても動じなかった。どっしりしていた。彼女に内面を話すようになっていった、などと言います。以下は、その一部です。
    <S>
    「「子どもの気持ちが理解出来た」」
    そもそも私は親から「あなたはどうなの?どう思った?どう感じているの?」っていうような問いかけをされた事が無い。父や母と感情に触れるような会話などした事が無い。
    ブレスを始めてその事のおかしさ、気持ち悪さ、人として生きていなかったんだと気がついた。まず自分の寂しさに気が付き、ブレスで泣いたり母に怒りを出し始めた頃から、段々と理解出来てきた。ブレスで寂しいって泣いたり甘えたかったとか嫌だったとか駄々っ子とか怒りとか、とにかく湧いて出た色々な感情を出す事、表現する事の気持ちよさを知ったから。
    ちょうど次女が駄々っ子していた時期に私もブレスで(同じように)経験して「あ〜駄々っ子ってこんなに気持ち良いんだぁ。足をバタバタさせ最後は全身で汗流しながらバタバタって気力も体力もいって全力でやるって凄いなぁ」って、自分が経験してから今度は次女に感心するまでになった。
    感情を出せない事がどんなに切なく辛く苦しいのか。また母に気持ちを理解してもらえない、繋(つな)がれない事がどれだけ絶望的か、、。ブレスが進むにつれて理解が深まっていって、気がつけば、日々のイライラが少なく八つ当たりも無くなっていった。
    以前は、例えば「片付けしなさい」って言ってもすぐに言う事を聞かない子どもにイライラしていたし、「あれは嫌だこれは嫌だ」と言う子どもが理解出来ず「わがままばかりいいやがって」と腹が立ち理由も聞かず怒り飛ばしていたし、私はあれもこれもとやる事いっぱいで大変なのにと子どもにイライラをぶつけていた。
    <H>
    職場や家庭での彼女の変化について、語ってもらいました。再び、死のエネルギーと生のエネルギーを扱い始めた頃に戻ってもらいます。
    <S>
    「「生と死」」
    この頃には随分どっしりとして安定感が出てきた、落ち着いている。地に足がついていて、自分を生きている実感もある。

    「「その後のブレス」」
    産まれたくない、自然の力重力に負けて産まれ落ちたけど、私は産まれたくなかった。戻りたい。ここ(子宮)が良いここから出たくない。私はここに居る、母と一体になって繋がっている。

    ここから絶対に出ない。死に向かう、私の思いを貫く。これは究極の思い通りだ!母と一体のまま死ぬ。
    <W>
    死のエネルギーが深まります。しかも「一体」なんですね。
    <H>
    彼女の怒りは生。ここは死。死といっても、この死は、母と自分の一体の死です。母は自分を産んで生かした生の源であり、母がもっていたであろう殺意から彼女の死の源でもあります。そこに注目すると、生と死の統合という要素をもはらんでいると思います。
    <S>

    安心し満足、大満足、たまらなく幸せ。
    <W>
    すごいね。
    <H>
    すごい。
    <S>

    そして、皆んなに見守られる中、土葬されている様な死。
    <H>
    彼女がブレス場で言っていました。「楽しんでブレスしていた。あー楽しい。」本当にそんな感じでした。
    <S>
    大地と一体になる死の体験。じわじわと溶け込み大自然の一部になった。そこから今度は芽吹き、成長して木になり、枝葉が広がりぐんぐん伸びて大木になった。
    <W>
    怒りというのは、生エネルギーのうち陰のエネルギーとでも言うべきもの。この場面は、生エネルギーのうち陽のエネルギーですね。気持ちいいですね。生エネルギーが陰陽で全うされた感じです。死を通って全(まった)き生へ、です。生と死の統合です。
    <H>
    統合ですね。
    <S>
    死のエネルギーも生のエネルギーも壮大で同じエネルギーを感じた。感動で涙が出る。
    <H>
    「同じ」であることを感じ取った。
    <W>
    ほんとに「涙が出」ますね。

    ********おわり***********

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    抱っこして、一緒にいて、逃げないで2/3|アコールセラピーの現場から(721)

    2020/06/27/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    (つづき)

    「「怒り」」
    (母に求めても、母には届かない、応えてなんかくれないこと)そのことへ、とにかく怒った。求める度に気がつかない、わかろうとしない母へ怒った。
    <H>
    「気がつかない、わかろうとしない」というのは、無意識的な無視で、母に内在する消極的な殺意でしょう。
    <W>
    でしょうね。「いらない子」と「気がつかない、わかろうとしない」というのが起こりえるのは、背後に無意識の殺意があるから、と考えられます。
    <S>
    時に唸り、吠えたり雄叫びをあげて段ボール(母の身代わり)を殴り蹴飛ばし馬乗りになったり踏みつけちぎって捻って潰した。あっさり潰れることにより怒りが増す。怒りは出せるだけ目一杯出した、爆発していた。出せることがとにかく気持ち良かった。
    求めても求めても母の反応は無い。母が遠い。私への意識が無い。出しまくったら、なーーんにも無い事が良くわかった。
    <H>
    「なーーんにも無い」というのは自分(彼女)への敵意さえない。敵意でも虐待でもあった方がまだまし。
    <S>
    孤独、ひとりぼっちの恐怖。気狂いになると思った。気が狂う、こんか恐怖には耐えられるはずが無い。閉じるしかなかった事に納得もした。
    <W>
    この恐怖、はじめの方で語られた「のっぺらぼう」とつながりますね。
    <S>

    私は母に安心して100%の依存したかった。でもそんな事は叶わない。だんだん怖くなって、「助けて欲しい」って誰に向かうでもなく、ただずっと「助けて助けて」って叫んでいた。
    「「大きな衝撃:あんたが気がついてあげないと」」

    その時ふっと自分に対して「あんたが気がついてあげないと」って思った。えっ!私!!
    ハッとした。すっごい衝撃だった。
    <H>
    大きな気づきですね。なかなかないです。
    <W>
    永遠に「助けて助けて」を繰り返していっても不思議ではありません。この復元力というか健康さに目を見張りますね。いわゆる治療的自己ですね。
    <H>
    彼女の強さですね。
    <S>
    目が開いた、目が醒めた。誰でもなかった、私だった。今まで気がつかなかった自分に怒りが湧いた殺意で自分に向った、本来の私を生かしたい生きる為に(自分を)殺した。
    <H>
    自分殺し。愚かな自分を殺した。同時に死の受け入れを感じます。
    <S>
    深く深く泣いた。「私」に謝ったただただごめんなさい、私が「私」を大切にしていなかった本当にごめんなさい。本当の私の存在に気がついた。心強い存在。
    <W>
    死を受け入れた、その瞬間に、本当の自分を手に入れた。
    <S>
    そこから日常生活もすごく楽に送っていて気づいたら周りに求めなくなっていた。ひとりぼっちを受け入れていてひとりで大丈夫になった。
    <W>
    この「ひとりぼっち」、いいですね。人依存とは正反対です。
    <H>
    この頃から、彼女は、どんどんどんどん安定していきました。
    <S>
    「「エネルギーは永遠に枯れない/諦め無くて良い/自由だっー」」
    その後のブレスでも母を求める。
    私を受け入れ理解出来るのは私しかいない。でも私はただただ母を求めて叫んだ。母を呼んだ。どんどん出てくる湧いて溢れて出てくる母を求めるエネルギー。この求めるエネルギーは止まらないし永遠に枯れないって思った。もう諦め無くて良いし諦められるものでは無いと思ったそれ程までにすごいエネルギー。そう思ったらなんか自由だっーって感じた。
    <H>
    ダメな「母を求める」のではなく、自分の生きるエネルギーに気がついた。同じようにブレスしても難渋する人は、このレベルの手前でとどまってしまう。手前でとどまって、深くまでいかない。浅いところでパニックになって盲目になってしまう。
    <W>
    鍵になるところですね。百万回でも読んで欲しい、話して欲しい。
    <S>
    こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか?こんなにあるのに無い事にしていたなんて、そう思うと泣けて泣けて胸が締めつけられ痛くて苦しかった。そして子ども達の顔が浮かんだ。皆んな持ってるんだね、求めているんだね、求めてくれることがありがたいし「こんなお母さんだけど決して諦めないでね」って思った。
    <H>
    いいお母さんになったね。
    <W>
    「こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか・・泣けて泣けて胸が痛い」、いいですねえ~。
    <S>

    「「殺意」」
    怒りでどんどん自分の中心子宮がムズムズするどんどん熱くなる。「いらないなら産むな、産みっぱなしにするな。」「わかった振りをするな、被害者面するな許さん許さん!」怒りに震えてとどめを刺す。殺意は父や夫子ども達、祖母祖父にも向いた。そして自分にも。子どもを利用した私、子どもに意識が無かった私。被害者面する母と私は一緒だ。私も加害者だ。最大の怒りに震えた。
    <H>
    この怒りのエネルギーは、統合されるべき生のエネルギー。本当の自分のエネルギー。純粋の怒りのエネルギー。何が「のっぺらぼう」だよ。
    <W>
    はい。「のっぺらぼう」とは正反対の人になりました。
    <S>
    寂しさや怒りを出しまくっていた時期は、日常生活でも抑えきれず、(怒りを)周りに出しまくっていた。思い通りにならないと怒り、寂しくて泣いたり嫉妬も酷かった。とにかく周りの人に私を1番大事に私を大切に思って扱って欲しかった。H先生からは「家族にちゃんと説明するように」って言われていたので、話をして(寂しさや怒りを)「出させて下さい」ってお願いはしていたけど、(人生で)今まで出せなかった分かなり凄かったと思うし(周りは)大変だったと思う。
    <H>
    家族など周りは大変だった、迷惑したと、まずい話ですね。実はいい話もいっぱいあるのです。いい話もしてもらいましょう。彼女の話だと、職場で信頼されるようになった、パートなんだけれど社員よりも頼られるようになった。上司への不満をちゃんと言えるようになった。など、次のように言ってました。

    (つづく)

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    知る人ぞ知る秘密のバラ園(山中湖)|アコールセラピーの休憩時間(720)

    2020/06/22/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

     

    今年もまた、散歩のついでに、あのバラ園へ行ってきました。知る人ぞ知るあのバラ園へ。アコール研修施設から少し歩きます。独特の雰囲気、至宝の香り、・・・何とも言えません。

    バラが好きで、ほかのバラ園にもよく行きます。府中の深大寺植物園の広大なバラ園、横浜港の見える丘の環境抜群のバラ園、・・・、でもここは特別です。

    個人のバラ好きのご夫婦(特に奥様)が、個人的な思いを山のように込め、費用度外視で、バラの天国を作り上げています。足の踏み場もないほどに、バラが密生しています。また、バラの香りがとても強い。山中湖の厳しい冬を毎年生き延びるので、野生の生きるエネルギーを目覚めさせ、バラの体臭を振り撒いているのかもしれません。素晴らしい限りです。特にブレスワークの後では、五感が、バラに圧倒されます。

    素晴らしさの割には、知られていません。山中湖の住民でも知らない人もいます。ポスターなども見かけません。ことさら秘密にしているわけではないのでしょうが、あまり多くの人に来てもらっても、ご夫婦だけでは対処にしようがないのか、宣伝する気は感じられません。バラの数が膨大で世話が大変なようで、奥様は「今年でやめる」と毎年言っています。でも、うわさを聞きつけてか、観光バスもたまに来るようです。今年はコロナで来ませんが・・・。

    「オープンガーデン」「塚原ガーデン」「MF(何の略か不明)ガーデン」などと呼ばれています。他の人のブログで地図などの載った詳しいものもありますので、必要な人は検索してください。入園料ひとり500円。開園期間がとても短い。6月後半から7月頭まで。

    *******************

    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2020/06/b22bcc439b9c8fd9e48c1b6b760f667d.jpg 480 640 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2020-06-22 14:10:582020-06-22 14:10:58知る人ぞ知る秘密のバラ園(山中湖)|アコールセラピーの休憩時間(720)

    抱っこして、一緒にいて、逃げないで1/3|アコールセラピーの現場から(719)

    2020/06/22/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <W>
    今日はSさんの話ですね。
    <H>
    彼女は、ご自分で、絵と原稿をまとめてくれました。ありがとうございます。以下<S>の部分はSさんの原稿の部分です。
    <S>
    アコールのベビーブレスの事は兄と義姉を通して知っていた。
    「「ブレス以前」」
    今思うと、ブレス以前の私は、のっぺらぼうの顔なしのようだった。自分がなかった。自分の意思がなかった。母親のいいなりだったが、それで良かった。

    私は生きにくさも感じていなかったし、なにより母との関係に何も問題が無いと思っていたので(ブレスなど)必要では無かった。
    「「ブレスを受けるきっかけ」」
    ブレスを受けるきっかけは夫のパチンコによる借金の発覚。私の父親もパチンコによる借金で夫婦喧嘩が絶えない家で育った私は、結婚前に常々、夫にそれが嫌だったと話をしていた。(夫は私の気持ちを)わかってくれていると思っていた。(しかしそうではなかった)家事や育児に協力をしないTVやゲームばかりの夫へ不満、不信感も募っていった。イライラを子どもにもぶつけたり、思い通りにならない事に怒りが止まらない。精神状態が悪く、やっと私にも何か問題があるのではないかと思い始めた。
    <H>
    似た人を選んだんですね。
    <W>
    自分のことが分かる前は、そんなもんですね。
    <H>
    それで増幅して、追い詰められるのかもしれません。
    <S>
    「「はじめのころのブレス」」
    夫、私、長男、長女4人で東京へ夫と私が個人セッションを受けた。
    夫、父への怒りを出す。嫌だと知っているのに(パチンコなど)何故するのか。わかってもらえない怒り、寂しい。
    (そのブレスの中で)母からの殺意に気づいた。恐怖。いらないと思われている。いらない子だった。母に向かい「殺さないで欲しい、助けて」とすがる。母が堕胎をしていた事実を、ブレスを受ける前に知った。それまで両親は隠していた。「いらない子」はショックだった。でも何か問題があるのかもしれないと思い始めていたので、その何かがこれだったのかとスッキリした。そして今まで何も問題は無いと頑なに思っていたのか納得がいった。
    <W>
    「頑な」になる必要があった、隠す必要があった、ということですね。
    <H>
    本当は知っていた。知らないふりをする必要があった。
    <W>
    Sさんが言いたいのは、堕胎という生命軽視の環境があって、その環境の中で自分への扱いが「いらない子」であった、ということですね。
    <H>
    はい。子供の命が大事にされない状況です。
    <S>
    月に一度の勉強会や3〜4ヶ月に一度のグループカウンセリング&ブレスを始めてから、自分の想いや感情に意識を向けるようになってきた。本当の気持ちはこうだったとか幼い頃の記憶を思い出せたりもした。
    「「思い出した記憶の例1、スーパーの商品を食べた」」
    4歳頃母と2人で近所のスーパーへ買い物へ。ガムが欲しかったけど母に欲しいとは言えなかった。でもどうしても欲しくてひとりでお菓子売り場に行った。縦にぶら下げて陳列している袋入りガムの一番下を一つちぎってその場で食べた。甘くておいしいって思った。でもすぐに怖くなった。心臓がバクバクした。悪い事をしてしまった、、。ばれたらお母さんを困らせてしまう、、。「絶対にバレませんように」って思った。
    <H>
    「欲しい」ということを言える状況ではない。心の中はそうなのですね。
    <S>
    「思い出した記憶の例2、寂しくて寂しくて嫌だった」
    小学校低学年の夏休みの朝、仕事に行く母を見送る為、バス乗り場まで一緒に行っていた時の事。バスに乗り込む母に笑顔で「行ってらっしゃい」って手を振っているんだけど本当は泣きそうなのを我慢していた。バスを見送った後も近所の人に見られたくなくて泣くのを我慢して帰った。ひとりで家に戻るのも寂しくて寂しくて嫌だった本当は一緒に家に居て欲しかった。
    <W>
    「寂しくて寂しくて」などの本当の深い気持ちは「我慢」しなければならなかった。「近所の人」だけではなく当の「母」に対しても。
    <S>
    「「ブレスで溢れ出た寂しさ」」

    ブレスでは寂しさが溢れ出て家族や周りの人達皆んなにわかって欲しかった。本命の母へは○○して欲しいという思いがたっくさん出てきた。「抱っこして、一緒にいて、遊んで、こっちにきて、そばにいて、ギュっとして、私だけ見て、逃げないで、気付いて、、」とにかく母に求めた。でも母には届かない、応えてなんかくれない。

    (つづく)

    *******************

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    ブログ(715)への感想|2〜3歳の頃から理由がわからない不安|アコールセラピーの休憩時間(718)

    2020/06/07/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <W>
    ブログに対して寄せていただいた感想をご紹介したいと思います。
    <H>
    ブログ(715)「命もっていかれるような不安1/3記憶がはっきりしない」を読んだEさんの感想です。
    <Eさん>
    ブログを読んでいる時は内容に引き込まれる感覚で、自分に重ねる感じは無かったのですが、その後の瞑想で、幼い頃のいくつかの場面を思い出しました。
    記憶にあるのは、2〜3歳の頃から理由がわからない不安が常にあった事(今は母親に拒絶される不安だったと思う)。思い出す場面で、その時の会話や様子から、母親の気持ちを感じ取っているが、自分自身の気持ちがわからない。
    母親の感情が全てという感じだった事を思い出しました。どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じがすごく悲しかったです。
    <W>
    ブログが刺激になっていて、その時には思い出すことはなかったのが、瞑想で深く自分の中に入ったときに、思い出したんですね。
    <H>
    ブログでも「記憶がはっきりしない」とあり、簡単には思い出せなかったことが前提ですね。深いところに深いところが響いた。そういうことですね。
    <W>
    響いた先が「理由がわからない不安」で、わかってみると「母親に拒絶される不安」でした。ブログ(715)~(717)でも、「命もっていかれるような不安」があって、その不安は、はじめは理由がわからなかったのですが、やがて母親からの不安ということが判明します。
    <H>
    そのあたりは共通しますね。根源的な不安はやっぱりそこになりますね。そういう厳しい不安に小さなころからさらされることで、「自分自身の気持ちがわからない」状況になり「母親の感情が全て」となってしまうことも、よくあることです。
    <W>
    「どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じ」とありますが、その中の「意識が全くない」というのは、どちらの意味なんでしょう。母親の意識が自分(Eさん)にない、という意味か、あるいは、自分自身(Eさん)が「自分(Eさん)の気持ちに意識が全くない」という意味なのでしょうか。
    <H>
    そうか。私は当然、前者の意味と思っていましたが、後者の意味の可能性もありそうですね。
    <W>
    ブログ(715)~(717)の内容を前提にEさんの感想を聞くと、私は、後者の意味にとれていました。子供のころからきつい不安に触れ続けると、自我の発達が弱くなり、そのため自分と母親の境界がはっきりしなくなり、母親だけではなく、同じように自分自身も、
    同じ感じになってしまう。どちらも悲しいけれど、後者のほうがさらに悲しいですね。
    <H>
    Eさん、感想をありがとうございました。ブログを読んで感じるところがあっても、なかなか文字(言葉)にするのは容易ではないですね。しかし言葉にしようとすることで、自分の中の大切な部分を何度も見つめることになり、有意義なセッションになることと思います。Eさんから次のようなメールをもらいました。
    <Eさん>
    思った事をそのまま言葉にする事は難しいです。隠したり、ずらしたり悪い癖が出そうで慎重になります。自然でいたいです。

    <H>

    追伸:Eさんから、意識がなかったのは自分自身(後者)だそうです。回答ありがとうございます。

    *******************

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    命もって行かれるような不安3/3|謎の罪悪感から生と死の受け入れ|アコールセラピーの現場から(717)

    2020/06/04/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    (つづき)

    <謎の罪悪感>
    <H>
    この頃の彼は、罪悪感という言葉を盛んに口にします。この執拗な罪悪感はどういうことなのでしょうか。彼の言葉だけでは謎です。本当は、母を護もりきれずに死なせてしまったために罪悪感があるのではなく、実は心の奥では、狂気の母を攻撃していたのではないか?
    <W>
    はい。
    <H>
    意識に上らないように抑え込んではいたものの、自分に十分な愛情を注ぐこともなく病気に逃げた母を、攻撃し、自分を孤独にし寂しさの暗闇に追い込み心に大きな消えない傷を残した母を、攻撃し、その攻撃する気持ちに対して、罪悪感があり、その罪悪感だけが、最近になって意識されるようになった。
    <W>
    はい、はい。
    <H>
    そういえば、昔、狂気の母に対して、「関わらない、見て見ぬ振りなどした」ことがありました。
    セラピーを通して自分の中には癒されない「大きな怒り(殺意)」があることが分かっています。何への怒り(殺意)なのかははっきりしません。その自分の中にある怒り(殺意)を、本命の母に向けることが一番の恐怖です。
    <W>
    はい、はい、はい。
    <H>
    怒り(殺意)を母に向けると、病気がちでいつも弱い存在であった母はその殺意に耐えられず、母を失うことになります。優しく愛情いっぱい(彼にとっては)の母を失うことになるのです。命の基盤であった大切な母を失うことになるのです。それには私が耐えられません。それが一番の恐怖です。
    <W>
    はーい。
    <H>
    それでも殺意は依然としてあるのを知っているから、母に何かある度に、自分に責任があるのではないか、隠れている殺意のせいではないかという罪悪感が襲ってきます。
    <W>
    追加として、彼自身も彼の中に母と同じ狂気を感じる部分があると思われますが、その狂気の正体も、物凄く強い殺意(怒り)のエネルギーなのではないでしょうか。これは、彼の口から語られることはなく、未だはっきりはしません。

    <母親殺し>

    絵6
    <W>
    いよいよ彼は自分の殺意を正面から扱えるようになります。絵6には3つの絵が描かれます。
    左側の絵の中央に描かれる灰色のシャツは彼です。ピンクの服はお母ちゃんです。
    上側の絵のピンクの服もお母ちゃんです。黄色の服はお祖母ちゃんです。
    右側の絵のピンクのスリッパは、ピンクの服を着たお母ちゃんが履いていることが、先の絵4で描かれています。殺意を表す鬼のような顔は、本人とお母ちゃんで、同じ顔が描かれています。世代間伝達です。
    <H>
    本人からの絵の説明です。
    「(ベビーブレスで)、殺意(をやっていて)、お母ちゃんをぶっ殺していたら、お母ちゃんがお祖母ちゃんをぶっ殺すイメージが同時に…(出てきた。)左上は、(症状が重くなったお母ちゃんが)新聞紙で塞いだ窓。左下は、「死にたい、死にたい、死にたい」と書かれた(お母ちゃんの)ノート。右下は、(絵4でも描いた)鉄格子越しのピンクのスリッパ。怖い象徴。」
    「母親になって気狂いをやろうとしたがなかなか上手くいかない。・・・(母親からの)「死にたい」というのが来て、死ねばいいじゃないか、だったら殺してやろうかとグワッときた。馬乗りになって首を締めた。意外と早く死んだ、ぐにゃぐにゃになった。気に入らなくて捻ってグニャグニャにして、抱えこんで首も折って。死んでいるのに。手が食い込んで一体になった。やっている間に、だんだん寂しい塊になって来た。だけどギューっとやっている。死体でなくなって来て、寂しいの塊になっていた。大切に思えて離せなくなった。後でやっちゃったと言うのが来た。また泣けた。あったかい涙。終わってから罪悪感が来るのかなと様子を見ていた。来ない。」
    <W>
    母親への憎悪(殺意)と愛情が一体になっています。愛憎の統合です。罪悪感は来なかったんですね。
    <H>
    その事実が一番ですね。
    <母親への殺意を出してみて:消えた罪悪感>
    <H>
    彼は言います。「自分の中にある殺意は母に向けてのもの(である)と、ここ最近では確信していた。しかし母は何としても(自分が)護る存在。聖域。もし母にそれを向ければ母は死に、自分も死ぬ。その恐怖で抑え込んできた。それが一番怖かった。しかし出してみて・・・。(謎だった殺意は)自分が母に向けて(のも)であるように、殺意は(ある)対象に向けてのものであるが、そうでは無い(対象はない)とも感じられる。それぞれ(自分、お母ちゃん、お祖母ちゃん)の中にあるもので、抑圧した寂しいかたまり。
    ・・・うまく繋げられない(説明できない)けど、重い蓋を少し開けられたことで、安心して怒りのエネルギーを出せる気が今はしています。罪悪感に脅える感覚も、嘘のように消え去っています。」
    <W>
    世代間伝達で代々溜まっていて彼が受け取っていた殺意を、ようやく出した、ということと説明されています。殺意は単に母親へだけのものではないと。

    <阿闍世コンプレックス>
    <W>
    この殺意と罪悪感は、阿闍世コンプレックスを暗示します。そう考えると、彼の、命もって行かれるような不安というのも、理解できます。
    <H>
    阿闍世コンプレックスは、胎児期に母親から殺されそうになったことへの恨み、というようなことですが、
    彼自身が次のように言っています。
    セッションが進んで自分の出自に興味が出て「「どこで生まれたか」と聞いた時の父親の反応。堕すという話があったよう。親父が言っていた。「子はかすがいだ」と言っていたので、そうだ。」
    <W>
    本当は堕されるところだったが、「かすがい」として利用するために産んだ・・ということでしょうか。この阿闍世コンプレックスについては、いつか、もっと詳しく彼に話して欲しいです。

    <愛憎の統合から生死の統合へ>
    <H>
    彼は、「俺は生とか死の話とは無縁」で、よくわからないと言っていました。しかし、母親への殺意(憎悪)は明確になりました。
    <W>
    なりましたね。
    <H>
    はじめのころ彼は、母親から愛された誇らしいような感覚を持っていました。少なくとも母親への愛情は感じていました。そして今回、母親への殺意(憎悪)が明確になりました。そのため、愛憎の統合が着手されました。
    同時に、母親のもとで幸せに生きたいと思う生と、「命もって行かれる」という死との統合も着手されたとしてよいと思います。生と死の統合のど真ん中を進んでいると言えると思われます。
    <W>
    そのようにして愛憎の統合や生死の統合が起きてくれば、母親へのこだわりは減って自立が始まります。
    <母親離れ>
    彼は言います。「よく泣いた。呼吸していて、エネルギーがワーッときていて、言いたくてしょうないみたいな。何か言いたくてしょうがないというのがワーッと来て。マットレス(母親代わり)が良かった。お母ちゃんだから丸めて文句言っている。時より怒りが来て首しめたり愛おしくなったり、文句言って、雑に扱うんじゃねえ。無視するんじゃないと言っていた。怖くて寂しくて向いて欲しいと思っている。・・・お母ちゃんに「寂しいって言え、不安だと言え」と言っていた。そう言っていて愛おしくなった。・・・怒るほど優しくなる。不満だったりストレスだったり抑えていたのが残念だったりする。お母ちゃんをずっと抱いていて離さない。ぶっ殺しているが愛おしい。文句言えた。「泣いてみろ」と言った。(母親が今も)生きていたら・・・(このセッションを受けさせに)連れて行きたい。」
    <W>
    母親に支配されていたのが、愛憎の統合が進み、母親から離れ、母親を癒そうとしています。
    <H>
    ほんとうに。
    彼は言います。「・・・不満が出て来て、寂しい求める感じが出て来て、お母ちゃんを抱きしめる。どんどん(感情が)上がってくるとぶっ殺す。やればやるほど濃厚になる。どんどん(昔に)戻って、どんだけ(愛情が)なかったんだよ、なかったことにして来たんだよというのが凄く出て来た。ブレスが(時間がたつのが)早くて勿体ない。・・・もう終わっちゃうのかと。体を動かしていたらお母ちゃんをおいて一人で踊っていたら、・・・体が軽くなって、風のようにフワフワと舞っていた。・・・よりパワーアップして自由に踊って気持ち良かったです。・・・しばらくしたら暖かいものが来て、布団を抱きしめてお母ちゃんと一体感。気持ちいい。瞑想は無になれて気持ち良かった。・・・みんなの話でも寂しさが伝わって響く、どんだけ寂しいんだろうと増して来た。分かっていた自分もいたが、全然分かっていない、足りていない、小さな坊主が叫んでいる。凄く納得する。」
    <W>
    愛憎の統合が進み、自分の人生を「納得する」ということでしょう。
    <母親との別れ:バイバイ>
    <H>
    彼は続けます。
    「・・・母を抱いた。・・・力いっぱい抱きしめた。大好きと抱きしめた。力一杯大好きとやっていたら、殺意が出て来たのでブッ殺していたらまた大好きとでた。・・・吠えていた。ダンスだから動いていた。一人になろうと思い布団をおいて動いていたら気持ち良くなって来た。上に向かってバイバイと自然と出た。その涙はしめっぽい涙ではなかった。・・・自分が風になった。風になって吹きまくっていた。涙も止まってただ単に呼吸も静かにユラユラ揺れていた。・・・静かで寝ているように静かに無で瞑想できた。凄く心地良かった。」
    <W>
    母親との心地よい別れですね。

    <心からの求め:完成>
    <H>
    ブレスの中で勇気を出して「お母ちゃん」と叫んでみますが返事はありません。
    「・・・今まで大きい声で「お母ちゃん」と叫んでみたい願望はあった。それをやってみた。やりたいと思える事ができるようになった。勇気が言った。腹から「お母ちゃん」と叫んでも何もなかった。期待していた・・・甘い世界があると思った。愛おしくなることもなく、止まってしまった。そんな訳ないと叫んでみたら、何もない事が自覚した。何もないのは母の意識がなかったと思った。ない事が自覚して来たら一人と言う自覚が出て来た。寂しかった。イメージとは違っていたが、知っていた感じもあった。ビックリというよりもそうだよな・・・という感じだった。何度も何度も「お母ちゃん」と叫んでいる自分が母を求めているものがとめどもない感じがあった。ずっと言いたかった事で叫んでいると自分が愛おしくなった。もっと一緒にいたかった。自分の中にあるものを出している実感があった。・・・腹のそこから叫んで本当に心から求めた。
    ・・・寂しさ、一人だった。甘いのがないのを経験したから苦痛だが、「お母ちゃん、お母ちゃん」と求めていた。だけどいなかった。・・・一人でずっとこれまでそうなんだと、どこかで知ってたが実感がなかった。本当に一人だった。常に一人なんだけど、一人だからお母ちゃんを感じていた。・・・マットレスを抱っこしていたら時より怒りがきた。寂しくて、ぶっ殺すよりも思い切り力を入れて体を密着させてお母ちゃんをピッタリした。こねくり回して密着させた。それでも一人だった。本当に愛おしいし、本当に大好きなんだと実感した。それで良いと思った。それを誤魔化してきたから、(今回誤魔化さずに)良かった。寂しいのは甘い世界だった。・・・寂しいから癒着してラブラブだと思ったが、向こうは全く(愛情は)なかった。・・・」
    <W>
    母親に愛情はなかったが、自分は心から求めることができた・・・。
    <H>
    心から求めることができて、「一人」の意味が違ってきます。
    「(ベビーブレスで)・・・一人になって落ち着いた。凄く安心の場所。・・・それが自分。泣けてきた。お母ちゃんに甘えたくなって、「ずっと見て、ずっといて」と声に出して叫んで泣いた。落ち着いてきた。きちがいが怖くて、嫌だったのに、凄く良い気持ちになって、そこがお母ちゃんで甘えることもできて、安心感が出てそこにいたかった。・・・遊んでいる感じ。一人で遊んでいる。テーマは一人だった。実際遊んでいた。楽しかったんだと。取り巻く環境は怖かったが遊んでいたのは楽しかった。・・・意味分からないが勝ち誇ったよう。「勝ったぞー」と。凄く気持ちよかった。」
    <W>
    ・・・自立が完成しました。人生の困難に勝ったんですね。

    <孫が眩しい>
    <H>
    実生活でも変化が出てきます。かわいい孫への気持ちが新鮮です。
    「涙が止まらなくなる。寂しさも怒りも怖さも冷え切ってカチカチしていたのが、緩んだり溶けたりしている。(そこへ)触れるとダメ。Hちゃん(彼の孫)はもうダメ。光輝いている。眩しくて(自分も輝きたかったという)憧れがあって、これだろうと思う。」
    <W>
    周り中が眩しくなりますよね。

    <本当はこうしたかった>

    絵7

    絵8
    <H>
    ここまでくると安心して、本当はこうしたかったという気持ちを表現できます。
    絵7、絵8を表現して彼は次のように言います。「一緒にいるときにいなかった感じがあるし、(今も)一緒にいたいんだな。一緒にいたくて離れたくなくて置いていかれたくなくて連れて行って欲しくて、とにかく一緒にいたい。・・・大好きなんだなと思った。やり直しをしたい。甘えたり、抱っこしたり、置いていかれそうになったら駄々こねたり、病院の鉄格子の中にも一緒に行きたい。」

    絵9
    <H>
    絵9について、「あったかい家族全員で過ごしたかった」と言います。

     

    絵10
    <自分と富士山と星空が一体:贅沢>
    <H>
    彼はそれまでも、みんなとワイワイするキャンプは好きでしたが、ソロキャンプをも楽しめるようになりました。そこで神秘的といえるような贅沢な体験をします。
    「今年初のソロキャンプに・・・行った。・・・怖いのを取っ払ったら、晴天、満天の星。焚き火していると夜でも富士山が見える。夜中ぼーっとしていた。そこで(瞑想の時のように)呼吸を整えたら、星と一体になって富士山(の中)に自分が入った感じになった。点の自分と富士山と星空が一体になった。・・・全部富士山になっている。宇宙と地上の間の富士山と自分がいる。
    富士山のシルエットの中に自分が入り込んで、宇宙と繋がっている、大地に根がバーっと張っている。死って宇宙だと分かった。あっちに行って無の世界か。この世にきて辛いことも生きているのかと考えた。
    自分のとっての死が原点、贅沢で寝る。・・・満喫した。一人で贅沢味わって満喫する。一人は贅沢。
    それでキラキラして起きる。(セッションが進んで)死が怖くなくなった、生きやすいと言っていたが、(さらに進んではじめから)生きていたんだなとなった。愛おしい。」
    <W>
    死と生がともに受け入れられるものとして語られます。
    <H>
    バンザーイ。

    (終わり)

    *******************

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    命もって行かれるような不安2/3|母親の発作を止め早く終わらせて・・|アコールセラピーの現場から(716)

    2020/06/02/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    (つづき)

    <イモリ、ハムスター、インコ>
    <H>
    本人の言に反して母親との関係はあまりよくないので、そのため、友達との関係もうまく作れなくて、彼は小動物のペットを友達にします。ブレスが進んで幼い頃の自分をよく思い出すようになった彼は、そんな幼い自分のことを「チビ」と呼びます。
    「怖くて、寂しくているチビ(自分)を周りから見ている感覚になった。そして泣いた。チビの頃、イモリを飼っていた。それをいじっていた。これが寂しい。イモリと遊ぶしかない。唯一の友達だった。暴れているイモリを撫ぜていたら大人しくなって眠った。イモリと通じ合えた。それとなら通じた。縁側でイモリと遊んでいた。たまらない。何でイモリと遊ばないとならないのか。
    ハムスターも7回飼った。死んだらまた飼った。小動物と寂しさを分かち合っていた。・・・イモリやハムスター、インコ。頭に乗せたりしていた。(小動物をかわいがるように見えるので学校の)先生に「優しい子だ」と言われるのが嫌だった。優しくもない、寂しいだけ。」
    <W>
    グループカウンセリングの中で、幼い頃の自分をチビと呼ぶ彼は、自分を治療する治療者のようでした。
    <H>
    このころ、A兄ちゃんの存在もあって母親は安定し、彼は幸せな時期を過ごします。しかし、A兄ちゃんに全面的に頼るということも不可能でしょう。やがて破局が来ます。そして母親の大きな発作が起きます。
    <W>
    うーん・・・・・。

    <母親の発作を止める:早く終わらせて楽しいことやろう>
    <H>
    彼は言います。
    「母の発作を止めたあの場面(絵には未だ描かれない)は中3の時だ。多分きっかけはA兄ちゃんが音信不通で帰らなくなったことだと思う。この中学3年の時が相当やばかった。どんどん実感がわいてくる。刃物で(自身を)切ろうとしている母を(羽交い絞めにして)止め、それ(その現実)を見ないようにして、「早く終わらせて楽しいことやろう」などと思っている。究極を行っている。力緩めたらイコール死の状況なのにそう思っている。普段ビクビクしているのは当たり前だ。究極そうした。発作の場面はこれまで気違いが怖かった。」
    <W>
    「早く終わらせて楽しいことやろう」。自分の心の状況を守るものが、それしかないんですね。「気違い」というのは母親の状況であり、自分自身の危うさでしょう。
    <H>
    彼は続けます。「自分自身の(中学卒業に向かっての)進路の不安と、A兄ちゃんがいなくなることと、それによって母がまた崩れていく恐怖と、全部重なった時期だ。発作は何回もあった。後々発作を起こしても包丁や(鉄道への)飛び込みは止めれば良い。しかし、この中3の怖いのは、比ではないのがあった。」
    <W>
    「比ではない」というのは自分自身の危機・・・ということです。
    <H>
    彼自身が狂ってしまうかもしれないという恐怖・・・。その恐怖を今思い起こして消化し、理解が進んでいきます。
    彼は言います。「母親は、病気の時は子供(私)どころでないが、一寸良くなれば(私へ)愛情を注いだというのはあるのだろう。閉鎖感があった。母親の発作が起きる瞬間に自分は白ける。「又かよ」と表向きは思っている。(実は)凄い恐怖があるからだと思う。お母ちゃんが健康なら(包丁を持ち出したりしないで)子供を守ろうとすると思う。大好きで「お母ちゃんはいつも優しくて・・」とやっていたのがおかしい。」
    <W>
    「おかしい」と、自分を振り返り始めます。
    <美化する自分への理解>
    <H>
    彼が二十歳代の時に母親はなくなります。彼は言います。「(母が)余命1年の時に、(母の世話を)自分がやりたくてやったが、やりたくない自分もいた。大好きなお母ちゃんと(自分で)言っているが、(本当なのか)疑ってしまう。客観的に考えたら、何事もなく穏やかに過ごせた時間が少なかった。嫌がっていたり、恨んでいたりしたかもしれない。他人の家の家族の食卓が羨ましがったりしていた。〈悪感情を抑圧し〉押えて蓋して、美化している。それをやらないと、自分が美化した人間でないとまずいとなる。お母ちゃんがダメなら自分もダメになる感覚だから。」
    <W>
    美化しないと幼い自分が危なかった・・。

    <突破口となった怒り>
    <H>
    少し復習しますが、彼は彼自身の問題点として、自信がなく、不安感情が強く、(物事を)ぼやかしやすく、強い抑圧があり、奥さんへの八つ当たりをしてしまうことなどを、認識できており、さらに、ブレスワークを怖いと思いながらも少しずつ進んできていました。そして、以上のように、自分の成育歴もだんだんはっきりして来て、母親との関係も徐々に明らかになって来ました。また、自分自身も悪感情を押えて蓋し美化しているなどと見抜くようになってきていました。そうして大きな突破口となったのは、怒りでした。
    <W>
    そうでしたね。

    絵5
    <W>
    この絵5では、自分チャートとして8つの絵が描かれています。セッションを受けて変化していった自分の意識です。意識は左から右へ、上から下へ変化します。以下、説明のために、第一~第八の絵と呼びます。
    <第一の絵>
    はじめのころ(過去の自分)を示す絵には、中心には怖さ(恐怖:黒色の玉)が描かれ、それを隠すように周囲にはしらけ(薄青色)が描かれます。初めのころのブレスワークを怖いと思う意識です。
    <第二の絵>
    その後、しらけの中から怒りが現れます(濃い青色)。同時に寂しさも現れます(茶色)。大きな突破口となる怒りが出せました。彼は言います。「(映像は出てこないけども)何故か、怒りが出てきた。怒りを吐き出した。ギャンギャン怒っている。前は分からなかったが意図して怒っている。終わったら寂しくなった。(でも)気持ち良い。」
    怒りを出せると恐怖からも逃げないでいられます。
    「(怖いところから逃げないでいられた)ずっと怖いところにバックれ(しらけて逃げること)ないでいれている。子供の頃からの、怖いドキドキに近いような匂いがするところにずっといる。・・・・・・・・怖いとこがベタっとあって。すごく泣ける、怒りが、感覚が、出てくる。ベターっと怖い感覚にいる。」
    <第三の絵>
    そうするうちに、中心には本当の自分としての小さな坊主(赤色:チビ)が認識されます。怒りや恐怖を扱えるようになり、本当の自分に出会えます。
    「小さい坊主と出会って、寂しいというのが自分のものにできてきた。何でそうなったのかに行きたくなっている。その坊主が何でそうなったのかと。それを無視して放り出していたのが溶けてきたから、何でそんな可哀想になったのかを知りたいのだろうと思う。拒絶している意識はないが嫌だと思っていた。」
    <第四の絵>
    怒りや寂しさが、より大きくはっきりします。
    本当の自分が何を感じているのかが少しずつ分かるようになります。
    「・・・何なんだという怒り、取り巻く怖さは何なんだと。お母ちゃんを求めるが感じられない。泣いた、怒って泣いた。」
    彼が坊主と呼ぶ幼い自分自身を、治療者としての彼自身が扱います。しかし怒りの対象は未だに謎です。
    「・・・・・怒るかと思ったら泣いちゃった。おーおー泣いちゃって。・・・・・・毛布を抱っこして小さい自分。・・・・マットレスが敵だった。取っ組み合っていた。蹴っ飛ばしたりぶん殴ったり破いたし地面に押し込んだし、良いあんばいだった。・・・・久しぶりに出てきた子供。一人ぽっちで寂しい坊主を感じた。ずっと抱っこして凄く泣けてきた。満足するくらいやれた。マットレスを小さい子も一緒になって叩いていた。一緒になっていた。マットレスはお母ちゃんだというとやれない。・・・泣きながらやっていた。動いていた。毛布を高い高いや飛行機ブンブンをやった。・・・ずっと寂しかった坊主と今の自分が一つになる。・・・毛布を丸めて抱くとたまらなくて愛おしくて泣いていた。やっぱりここかと。前は白けがやってきた時は嫌で怒っていた。白けている坊主をギューっとして、白けは俺じゃないかと。今日はずっと寂しい坊主と一緒にいた。」
    <第五の絵>
    第四の絵の段階が過ぎて停滞が生じます。停滞の原因が、表現されることを拒否している殺意ではないかと、グループカウンセリングの中で気が付きますが、受け入れきれずに再び、怒りや寂しさが追いやられて消され、しらけが優勢になります。
    <第六の絵>
    その後に突然、恐怖の中から殺意が爆発します。爆発する殺意は恐怖と同じ黒色で描かれます。殺意自体が寂しさをも伴っています。今までの寂しさの中身がはっきりし、(母親を)求める自分や愛しさ、あったかさを感じるようになります。
    「寂しい自分が自分だろうな、「お母ちゃん、お母ちゃん」と求めていた。ずっと泣いていた。恋しくて愛おしくてずっと泣いていた。凄くお母ちゃんを求めて、キチガイじゃないお母ちゃん、兄ちゃんも寂しいし、みんな寂しいしここに来て、求めていても満たされない。でも求めているので満足。」
    <第七の絵>
    寂しさはさらに大きくなり、もはや恐怖(黒色の玉)は描かれておらず、代わりに爆発する殺意(黒色)と本当の自分(赤色の玉)が描かれます。まるで、本当の自分には殺意があり、それを閉じ込めていたので恐怖が存在した、というふうに取れます。
    絵には描かれていませんが、殺意の近くには罪悪感がありました。殺意の対象がわからないのと同じで、罪悪感の正体はわかりません。
    「小さい頃からずっとそうだった。・・・最後の最後に出さないように踏ん張っていた自分が出て来て泣けた。逃げているんだと。罪悪感や殺意も感じないようにバックれている。・・・だから凄く疲れる」
    わかるのは、ずっと一人だった、ということです。
    「やっぱりぶっ飛んでんだなと思えて。再確認できた。ずっと一人だったので、ずっと一人だった。・・・母に意識がなくてずっと一人だった。最後の方のブレスにそこに行けた。背中を丸めてヤモリ、鳥、ハムスターとか何でも飼っていた自分。なんかすっきりした。一人ぽっちだと分かってすっきりした。」
    <第八の絵>
    最後の絵八では、本当の自分は寂しい自分であると認識でき、その寂しさには底がないと感じます。
    このように寂しさを正面から扱えるようになると、正体がはっきりしない殺意や罪悪感に焦点が定まります。そして、殺意や罪悪感の正体を受け入れるようになっていきます。

    (つづく)

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2020/06/matano-3.jpg 480 640 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2020-06-02 23:16:332020-06-02 23:16:33命もって行かれるような不安2/3|母親の発作を止め早く終わらせて・・|アコールセラピーの現場から(716)

    命もって行かれるような不安1/3|記憶がはっきりしない|アコールセラピーの現場から(715)

    2020/06/01/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <H>
    世間では、新型コロナ災害の第一波を何とかかわし、緊急事態制限が解除されました。
    <W>
    死と生の統合シリーズの第三弾として、ようやく、新しいブログを出すことができます。心待ちにしていた皆様、お待たせしました。
    <命もって行かれるような不安>
    <H>
    今回のまとめは、小さなお孫さんがいる男性です。
    <W>
    よくやりました。彼自身も無我夢中の感じで来たと思いますが、よかったです。
    <H>
    はじめのころ、彼が意識できる彼自身の問題点としては、次のようなものがありました。
    ○自信がないこと。自分への過少評価を凄くする。
    ○不安感情が強い。(自分の心の中を)はっきり見たら「命もって行かれるような不安」がある。
    ○だから(物事を)ぼやかしてきたので、(いつも)霧の中にいるようで怖い感じがする。言い換えると、周囲がはっきり見えていない。(もしも)見えたら怖くないと思う(が見えない)。
    〇世間では良い人と言われるが、実は強い抑圧がある。(抑圧のはけ口として)奥さんへの八つ当たりをしてしまう。ストレス溜まると奥さんに甘える(だから八つ当たりができる)。
    ○(何に対してかわからないが)怒りがある。煮えくり返るものがあると思うが、それは出ないものの、甘えられる奥さんに(ある程度)出てしまう。わざとやっている自覚はない。子供の前でもイライラするとガーって当たってしまう。「お前のせいだ」と押し付けたり、「ごめんね」と謝ったり繰り返す。
    <W>
    命もって行かれるような不安や、何に対してかわからない怒りがある、というのは大きな手掛かりでしたが、彼自身は、それらの謎解きを積極的に話すという感じは、少なかった印象ですね。
    <H>
    その代わりセッション(ベビーブレスなど)の中では夢中でやっていた感じです。夢中でやった結果、振り向いたら、いつの間にか謎が解けていた・・という感じでしょう。
    <W>
    実践派ですね。

    <記憶がはっきりしない>
    <H>
    はじめのころ、問題点の背景になるものとして彼が意識できるものには、次のようなものがありました。
    ○精神的病になった母に育てられた。
    彼は言います。「お袋が勤め先から帰ってくるとき、笑っている顔だと、だんだん近づいてきて表情を見てほっとする。調子悪い顔だとドキドキしていた。顔色を伺っていたんだなと。」
    ○お袋の病状が悪化して最後に言葉が喋れなくなった場面は恐怖体験だった。(子供心にはっきりわからないまま)何度となく、最終的には病気で「そうなってしまうんじゃないか」と怖くて怖くていたなと。
    ○その精神的病が(おそらく)原因で両親が離婚したこと。彼は母親に引き取られた。
    ○離婚などもあり何回か引っ越ししているが住居の記憶がはっきりしない部分がある。
    <W>
    「笑っている顔だと・・・ほっとする」「そうなって(悪化して)しまうんじゃないかと怖くて怖くて」と母親を失うことの不安を言っています。それが問題点の背景だと・・。ところが、ベビーブレスなどの実践をしていくと、もっと奥の方へ入っていきますね。
    <H>
    奥へ入っていくのは、もっと、後のことで、はじめのころは消えていた記憶と対峙することで精いっぱいだった、かもしれません。
    彼は言います。「ブレスワーク(をすること)を思うと怖い。呼吸することがキチガイになる感覚。自分がキチガイになる感じ。記憶の母か、自分がなると思う恐怖なのか。」
    <明るい畳の部屋>

    絵1
    <H>
    辛い記憶がよみがえる前は、彼は、自分が愛されて育ってきたという自負がありました。そのような幸せな記憶も描いています(絵1)。
    彼は言います。「自分が赤ちゃんで畳の部屋でバタバタしてる感覚が出てきた。明るくて陽がこうこうとしていて、父ちゃん母ちゃんもいたイメージが出てきた。木漏れ陽があって、自分が守られている。ただ寝ているだけ、それが居心地良い。泣けてくる。凄い、光にも包まれていて、畳の臭い、太陽の臭いがして感覚に残っている。いつもお母ちゃんがいて何ともない安心感。包まれている中にいた。こんな世界があるんだと泣けて、泣けてきた。」
    <W>
    あったかい絵ですね。もっとも、人は誰もいませんけど・・。
    <H>
    絵は描かれていませんが、おっぱいと母親の記憶もよみがえっています。
    彼は言います。「おっぱいを飲んでいる。足りなくなってくるとお母ちゃんがおっぱいくれて、気持ち悪くなるとお尻を掻いてくれて。下から見上げているお母ちゃん。味とかもフワーとして、温かく満たされてベットに寝かされて。自分だけ安全な所にいる位の感じ。怖くも寂しくもない。居心地良かった。おっぱいを飲んでいて、臭いも感じてきた。望まれていたかどうかは分らないがお母ちゃんは大事にしてくれた。愛情を感じた。」
    <W>
    「大事にしてくれた」とあったかい記憶ですが、陰はありますね・・。
    <H>
    「望まれていたかどうかは分らないが・・・」ですね。
    <W>
    表面は明るい畳の部屋・・、ですが、チラチラと暗い奥が・・。辛すぎるのでしょう。
    <H>
    そうなんです。
    彼は言います。「幼稚園はバスに乗って行っていた。笑っていたお母ちゃんが出てくる。存在として親父もいたよう。卒園した後、離婚した後だと思うが、小学2,3年ごろの記憶を抹消してなくしていた。」
    後でわかったことですが、このころ母の具合が悪くなり、入院などの都合で引っ越ししなければなりませんでした。
    <W>
    離婚、入院、引っ越し・・・辛いことが重なって記憶が消えたんですね。引っ越しで、明るい畳の部屋も実際に失ったことになります。
    <H>
    いいこともありました。小学高学年の頃には、母親に新しいパートナーができ、離婚の痛手が癒(いや)されます。彼はその人をA兄ちゃんと呼んで、なつきます。彼は言います。「A兄ちゃんが外に連れて行って(キャンプやバーベキュー)くれて楽しかった。」
    <W>
    パートナーができ母親が安定したことで彼も安定したんですね。

    <働く母を見る安心感>

    絵2
    <H>
    そのようにして、彼は、小学高学年から中学にかけては、安定していたんです。幸せな時期ですね。
    <W>
    そういう時期があってよかったですね。
    <H>
    もっとも母親が本当に真に健康になったわけではないでしょうから、不安はつきまといます。彼は言います。「中学のころ(母の職場の)映画館に何度も行っている(絵2)。自分も何で行っているのか考えちゃった。そしたら、働いているお母ちゃん、アイスクリームを抱いて働いている、それが(あって自分が)安心している。働いているお母ちゃんが安心でそれを求めている。家にいても笑っているときも穏やかな時もあったろうが、狂ってしまうお母ちゃんがイメージで(在る)。働いているお母ちゃんを見て(それが楽しくて)、映画が楽しいわけでない。」
    「(下校後の)バスケを(して)友達と別れて一人で帰る。休みはお母ちゃん追いかけて(遠くの町のその映画館に)行っていた。働くお母ちゃんは目が合うとニコッとする。映画が終ると出てくるお母ちゃん。2,3回(同じ題名の)映画は見た。だから(見たいのは)映画ではない。日常は(母親は)いるのに何でわざわざ(映画館に)会いに行っていたのか。(自分は)満たされないで不安で寂しい子だった。ジワジワ思い出した。溢れるような感情ではないが。」
    <W>
    絵には他の観客がいません。映画が終わって次の映画が始まる間の様子でしょうか。彼と、働けてニコッとする母親とが、二人きりになれる瞬間だったのでしょうか。家でも手にいらない瞬間だったのでしょうか。

    <愛されて育ったと思い込んで来たというが、愛されないとどうなるの>
    <H>
    彼は言います。「寂しいとか(は心の)表にいて、お母ちゃんが死んでしまう怖さ(もある)。(しかし)内側は見せないように思った。そこには誰も入れないような感じ。内側には(愛された)誇らしいような感覚がある。」
    <W>
    「誰も入れない」で死守されるべき砦(とりで)なんですね。
    <H>
    しかし、彼はその後、愛されて育ったと「思い込んで来た」と言うようになります。
    <W>
    セッションが進んで余裕ができ「誰も入れないで思い込む」必要がなくなってきた・・・。
    <H>
    彼に聞いたことがあります。「愛されて育ったと思い込んで来た」というが、母親は自分の問題で追い詰められていて十分な愛情をあなたに注げたとは思えない。愛されないとどうなるのか、と。
    彼は言いました。「死んじゃうような恐怖感。愛されていなかったら存在意義がないような恐怖感。ピンボケにして、見ないようにして、自分がないようにしてきたが、唯一「愛された」と思ってきたのでそれがなくなったら、ピンボケの自分だけだから、(自分は)いなくなる、消滅感か。怖いから(母親に)しがみ付いて癒着していた。」
    <W>
    消滅するんですね。
    <H>
    彼は続けました。「冷めていてピントずらしても母と同じところにいたから怖かったのか。難病で発病した時の恐怖は半端じゃなかった。お母ちゃんが死ぬか自分が死ぬ話か。だから罪意識か〈後年、母親は病気で亡くなるが、一緒に逝かなかった事〉。(自分と母親は)一緒なのに片方だけになった。それだけの癒着があったな。」
    <W>
    愛されて育ったという思い込みが必要でなくなり、辛い過去の記憶にも向き合うようになります。
    <H>
    そうです。話が少し戻ります。辛くて記憶を抹消していた、卒園した後から小学2,3年ごろのことです。
    <抹消したいお化け屋敷>

    絵3
    <W>
    記憶を抹消した中心の話がこの絵3と次の絵4になります。
    <H>
    母親の病状が悪化し入院のために家を引っ越しする必要がありました。引っ越し先の家を、彼はお化け屋敷と呼びます。
    <W>
    よほど嫌だったんですね。怖かったんですね。
    <H>
    母親の入院の時期に、彼は自分の小学校の入学式を迎えます。
    <W>
    この絵3は入学式の帰りですね。まるで絶望に向かって帰っていくようです。ピシッとした和服の女性は、お祖母ちゃんですね。
    <H>
    はい。
    彼は言います。「(記憶がよみがえってきて)小学校の入学式の場面が出てきた。入学式の(自分の実際の)写真があるのだが、(それまで抹消していた記憶が)動き始めた。お祖母ちゃんが取ったのだろう。嬉しいのと不安が混合していて、どっちかいうと不安が大きい。入学式は初めてだから不安なのだろうが、(母親が)明らかに病院に入って(いたのに入学式のために)出てきたので、ビックリしたのといなくなる恐怖があった。嬉しさもあった。(式の時に母がいる)後ろをずっと見ていたときの感覚が出てきた。
    怖くて、「またいなくなんだろう」と、最初からいなければいいが、いるのは嬉しいが又いなくなる。いなくなったのは病院に(帰って)行ったということ。(式にいたはずの)友達も出てこない。記憶喪失のようになっている。」
    <W>
    式の記憶が記憶喪失のようなんですね。
    <H>
    彼は続けます。「(入学式の帰りには)お母ちゃんがいなかった。お祖母ちゃんが怖かった(絵3)。お母ちゃんは(精神科の)病院に入院していたのだろう。牢屋(病院の中の鉄格子で区切られた空間)に入っているのは怖い。入学式の後にお化け屋敷(病院時代の自宅)に帰ったに違いないのに、お祖母ちゃんの背中を見て帰ったところは(記憶では)、(それ以前の彼が幼い時代を過ごした)両親がいたところの家だった。(実際は違った。お化け屋敷に帰った。)創作していた。無意識でそうした。(母が)入学式に来てくれたのは嬉しくなかった。「まだいる」「まだいる」「やっぱりいなくなった」と。泣きもしない。お祖母ちゃんが慰める訳でもない。抹消したい家(お化け屋敷)に帰った。」
    <W>
    記憶を抹消するだけでなく、別の家へ帰ったと、ゆがめて創作していたんですね。
    <H>
    さらに続けます。「帰り道は途中まで思い出したが、お化け屋敷は思い出せなかった。(夜寝たのは)どんな布団なのか、お祖母ちゃんと二人で寝たのか出てこない。出てきたのは、ごま塩のような石(花崗岩?)の台所に立っているお祖母ちゃん。お祖母ちゃんが洗物をしている背中が出てきた。中華料理なのかそこで卵焼きを作ってくれた。醤油付けにしたような卵焼き。お母さんの方は甘い卵焼きだった。毒々しい醤油味の卵焼きを思い出した。それを食べていたんだよな。どんなちゃぶ台だったのか覚えていない。」
    <W>
    家(お化け屋敷)も思い出せないし、「毒々しい醤油味」・・・嫌だったんですね。
    <H>
    「卵焼き」だけでなく「トウモロコシ」は今も苦手です。
    「昼間なのに薄暗い部屋の風景が見えて。トウモロコシが出てきた。兄貴もいた。おばあちゃんが茹でたトウモロコシをオチャラケてグワーッと食べた。息が詰まって苦しかった。おばあちゃんも兄貴も助けてくれない。お母ちゃん助けてとやったが誰も助けてくれない。お母ちゃんがいなくなって後の事。寂しさの穴埋めで食べたと言うのが落ちた。ふざけてやってしまう事。何も考えずオチャラケて食べた。それで吐いた。死の体験のよう。怖い。誰も助けてくれない。お母ちゃんがいないと感じた瞬間が怖い。」
    <W>
    怖さを埋めるために「オチャラケて食べ・・吐いた」・・。
    <H>
    お祖母ちゃんは、卵焼きやトウモロコシをつくってくれたのに、彼は嫌いだったんですね。
    <W>
    それでもその人に命をつないでもらう(食べ物)しかない。
    <H>
    お祖母ちゃんの夫(祖父)は日本海軍の連合艦隊のお偉いさんだったらしい。そのせいなのか、お祖母ちゃんは厳しかったのかもしれません。
    彼は言います。「離婚にもお祖母ちゃんは絡んでいる。凛として存在が強かった。尋常でない状況でも凄かった。普通でない状況でも動じないようにしている。祖母は、子供を一人養女に出し、母と、母の姉は精神的病を得ている。祖母は戦時中の時代の人で、連合艦隊の白服の夫を持ち、お国のためとやっていた代々の因縁があるのか。」
    <W>
    戦争のために人間性を自分から犠牲にしていった、そして子供も犠牲にしていった世代というのがあるのかもしれません。
    <H>
    犠牲にされた子供(母親)は耐えられないということなのでしょう。
    彼は続けます。「お母ちゃんは寂しい。父親と別れたり、A兄ちゃんを含め(他の)おじさんも2回去っていく。支えになる人がいないとだめな弱い人が母だった。」
    実は、彼の卒園前に、両親が離婚し父だけ家を出て別居しますが、このことが契機になって母親の入院があったと考えられます。別居と入院はほぼ同じ時期です。また、後で話題になりますが、A兄ちゃんが音信不通になって母親の大きな発作が起きます。
    <W>
    お祖母ちゃんも辛い、子供(母親)も辛い、孫(彼)も辛い・・。連鎖しているよう。
    <H>
    そう。「お祖母ちゃんと一緒に歩いている時(絵3)、お祖母ちゃんから逃れられない、後ろで黙って歩いていた。」

    絵4
    <牢屋>
    <H>
    絵3を描いたかなり後に、ようやくして上の絵4が描かれます。
    <W>
    なかなか思い出せなかった「ピンクのスリッパ」の上の部分ですね。抹消記憶の中心部分。
    <H>
    ええ。入院している母親です。彼は病院を牢屋と呼びます。
    彼は言います。「お化け屋敷の時代に、怖いのが、母が精神科の病院に連れて行かれたこと。いかにも病院。分厚いガラスと鉄格子。まるで牢屋。面会をしたはずだ。鉄格子の精神病棟の奥にあって、あれが怖かった。中も二重になっていて、そこからお袋の顔が出てきた。鉄格子を開けて出てきて、怖かった。厚いドアの向こう、あんな奥にいるんだという恐怖。思い出そうとしても母親の顔(の詳しい様子)が出ない。顔を見ようとしても見えない。鉄格子だけ見えて、スリッパしか出ない。ピンクのパジャマを着ていた。大好きなお母ちゃんなのに顔を見ないで帰って来た。おかしい。二度と会えないという恐怖、(小学入学の)これからスタートという時に二度と会えない切り裂かれる恐怖。子供ながらに残っている。トラウマ。そこは怖い。」
    <W>
    顔の詳しい様子は出てきませんが、それでも、それまで出なかった「ピンクのスリッパ」の上の部分がかなり描かれています。彼の状況がよくなった証しですね。
    <H>
    彼は、自分が母親に愛されて育ったと言いますが、一方で、母親をお化けとも言います。もう一面があると言います。
    「恐れているお化けは「愛してくれたお母ちゃん像が崩れる事」だと思う。(母親は私に)愛情一杯と思っているが、本当はどうかと。(母親の)もう一面を見る事になるから。母親が病気で死ぬと俺が死んでいなくなるという感覚はずっとあった。その時のお母ちゃんって嫌いだったと思う。病気が出てきたら「早く前のお母ちゃんに戻って」と思っていたと思う。でもどこかで罪意識があった。」
    <W>
    お化けに関して、何かの「罪意識があった」ということですね。ここは重要ですが、まだまだ、はっきりはしません。

    <鉄格子というフィルターの中>
    <H>
    彼はよく、フィルターの中にいた、と言います。
    「初めてお母ちゃんがキチガイ病院に入っていることを知った時、友達がいたけど、遊んでいたけど、一緒にいるが自分だけが違う所にいる感じで怖くて。何をやっても怖い。何やっても楽しくない。今の子じゃないからゲームもない。怖くて、怖くて。100パーセント影響を受けていた。友達の中にいるとき自分だけフィルターを掛けられているようだった。怖い。鉄格子の中に自分がいるようだったのか。」
    <W>
    母親と同じように自分自身が鉄格子のなかに・・・。

    <H>
    母親は2年後に退院して次の家へ引っ越し、やや安定した日が続きます(絵2)が、完全に安心できる状況ではありません。
    「母親は2年間入院した。出てきてからは自力でいて病院に通っていて、大量の薬を飲んでいた。」
    <W>
    薬に頼るしかないのでしょうが、危(あや)ういですね。

    (つづく)

    *******************

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    新型コロナウィルス災害についてのご挨拶|アコールセラピーの現場から(714)

    2020/04/25/カテゴリ: ブログ, 事務連絡 /作成者: 雲泥 諸智

    新型コロナウィルス災害についてのご挨拶

    新型コロナウィルスが猛威をふるっています。ご自身やご家族の生命健康を守っていただきたい、皆さんと力を合わせて乗り切っていきたいと思っています。以下のことお伝えします。

    ○弊社のグループカウンセリングなどの集団のセッションは自粛していますが、オンラインカウンセリングや個人セッションなどは新しく工夫し行っております。

    ◯失業や倒産の危機にさらされることもあると思います。命の危機にさらされることもあると思います。それらの危機が心の奥の傷に響くこともあると思います。心理的に大きな危機を迎えて、心は遠い昔に戻り、未だ解決されていない心の傷(固着点)に戻ってしまうことがあるからです。
    ○仮に、心の傷に響くことがあったとき、そのことは、ご自身の心の傷に気づき振り返るチャンスでもあります。目をそらさずに、そのチャンスをものにすれば、このような大きな災害の中でも自分の人生を生きやすくなります。災害が過ぎ去った後にも、取り戻した自分の人生をより楽しむことができます。

    ◯なにとぞ、気をしっかり保って、慌てずに最善の対処をされることを願っています。

    アコール有限会社 代表 林 貞子

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    役に立たなければいらない3/3|無条件の死から無条件の生へ|アコールセラピーの現場から(713)

    2020/04/02/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    (続き)3/3


    絵7
    <無条件の死と無条件の生、二つの間に血が通う>
    <W>
    この絵がすごいですね。前回の話(役に立たなければいらない2/3)からさらに進んだことが分かります。
    <H>
    絵6の変形としての絵7が描かれています。下方の小さな球は、地球です。
    <W>
    ずいぶん小さいですね。自分が大きいんだね。その感覚がね・・すごいね。
    <H>
    その上に、大きな私が乗っかっています。上方に二つの手が描かれ、かろうじて人だとわかります。私の地球に乗っかっている部分は、無条件の生です。上方は、果てしなく一人ぼっちの無条件の死です。無条件の生と無条件の死の間には、虹色のたくさんの線が描かれます。血管ということです。死と生は、もはや分かたれていません。たくさんの血管でつながれ、一つであることが強調されます。
    <W>
    血が通って一つに・・。
    <H>
    彼女は言う。「自分が愛おしかった。跳ねた。(堕胎という生命を絶つことを)やらかした自分も愛おしいという感じだった。(母を)大好きはダメだった。(母を)恨んで生きるのもダメだった。(母を)かばう、躊躇する感じが日常でもある。かばう気持ちは罪悪感。勝手にかばう、迷う。(母を)好きな事を攻撃しなくても良いと思った。大好きをやって良いと思った。カラフルな毛細血管が通ったみたい。良いことだけじゃなくて殺される気持ちもあって良い。カラフルで良い。真っ黒もあるし、暖かい黄色もある」
    <W>
    上の彼女の記録(「 」書き)中に、(母を)という言葉を何か所も入れさせてもらいました。しかし、彼女が「母を」と言わなかったのは、母であって、もはや母ではないのかもしれません。「母を」好きだったり恨んだり・・というのは「母を・・自分を、世の中全体を、宇宙を・・」ということなのかもしれません。
    <H>
    母は小さな子供にとっては宇宙ですから・・・。
    <W>
    この絵7は、まさに生と死の統合の確立という感じです。

    絵8
    <死と生のサンドイッチ、自分の原点>
    <H>
    絵6や絵7と同じようなニュアンスの絵(絵8)を彼女は描いています。絵の上半分では、暖かそうな地球のような上(生のイメージか)で大の字になって、何もない世界(死のイメージか)を見ながら、ブレスワークをしています。お腹がぱっかーと開いて、自分は暖かい生と、冷たい死のサンドイッチになっていることを知ります(絵の下半分の左)。それが自分の生の原点であると気づきます(絵の下半分の右)。
    <W>
    生と死が、絵7よりも、近い感じがします。より一体になる感じか・・・。
    <H>
    彼女は言う。「自分のお腹が怒りを出したらパカーと開いた感じ。その後、傷ついていない胎児を感じている途中に、物凄い冷たいものと温かい物のサンドイッチになった。(絵の中の)イクラのオレンジの美味しい所が自分の原点みたいな所。」
    <W>
    まるで胎児の元になる受精卵のような・・・。


    絵9
    <穏やかな生 暖かすぎてびっくりして泣いた>
    <W>
    この絵はまるで絵8の「オレンジのイクラ」の受精卵が成長して大きくなったような感じを受けます。
    <H>
    彼女は言う。「お腹の中であったかく浮かんでいる感じだった。(今までは)お腹の中はいつも冷たかった。あったかくてびっくりした。暖かくて浮かんでいる感じで、そんなのあるんだと。そのままいようと。自然と出てきたのが、そのまま暖かいままで死にたいと思った。そのままいたら、あったかい感じで死んだ。苦しくもないし、怖くもないし。その暖かさに委ねている。暖かいというところにずっといて、凄いあったかいしかない。自分の世界の全てが暖かい。暖かすぎてびっくりして泣いた。信じられない暖かさ。無条件に暖かい感じにいた。・・・今までにない暖かさをずっと感じるようにしていた。」
    <W>
    「暖かすぎてびっくりして泣いた」んですね。よかった。
    <H>
    彼女は生と死のサンドイッチをていねいにやった、納得するまでやった、それがよかったと思います。


    絵10
    <マーライオンのよう 自分の気持ちを吐き出せる>
    <W>
    絵1の不全感に、我慢するばかりで何も言わせない(言えない)というのがありましたが、ここでは、大いに言えるようになった自分が描かれます。このころ、見ていて、彼女はますます魅力的な女性になっていきました。
    <H>
    彼女は言う。「(ブレスで)呼吸をして吐き出した時にマーライオンみたいに、ヘドロのような自分の我慢していたものがドァーっと出た。全部出そうと思った。・・・発酵しているものはこれだと思い出した。ヘドロが段々柔らかい物になった。最後の方は暖かい黄色いものが出て来た。黄色いものが出るマーライオンになった。」
    <W>
    絵10の左の絵は、ヘドロの感じがよくでています。我慢していたんですね。
    <H>
    ニコニコ仮面で本当には自分の気持ちを言えなかったのが、実際の生活でも驚くほど言えるようになって改善された、ということを、彼女から聞いています。
    <W>
    改善は全体に及んでいると思います。

    (終わり)

    *******************

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    役に立たなければいらない2/3|役に立っても立たなくても最初からいらない|アコールセラピーの現場から(712)

    2020/03/31/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    (続き)2/3


    絵4
    <生まれて初めて怒りを出した><早く消えてしまいたい自分がいたのだろう>
    <H>
    彼女の不全感(絵1)がどこからくるのかという謎解きは、母親との関係で進みます(絵2、絵3)が、さらに、母親を含む家族との関係で、幅広く進んでいきます(絵4)。
    <W>
    家族との関係で母親を理解するという側面もあります。
    <H>
    この絵4では、幼い彼女が、家の階段の途中に座り込んで泣いています。一階には祖母と父が生活し、二階には母と妹が生活します。そして家族は一階と二階に分かれて確執があり、その中心は、母親とおばあちゃんの確執です。その確執の調整役として彼女は苦しみます。
    <W>
    一階にいる6つの顔に比べ、二階にいる二つの顔は、悲しそうです。彼女も泣いています。
    <H>
    彼女は言います。「小さい頃(小学校低学年)親戚が集まる時(お正月など)父が長男なので複数の弟(叔父さん達)が家族を連れて来た。私達、母と妹は二階に住んでいた。一階でみんな食べているのを階段のところから私は見ていた。母は二階にいるし、私が一階には行っては行けない雰囲気だった。いつも、誰かが来ると母は、表には出なかった。祖母は表で母の文句を言っていた。」
    <W>
    一階に行けないけれど二階にも居ない。階段の途中です。調整役だったんですね。
    <H>
    そんな状況下で、お母さんは、何とか彼女を利用して父の家の実質的な一員として迎え入れられたかった。
    彼女は言う。彼女の不全感の原因は「父でも祖母でもなく、母だなと思う。母は生きるために私を産んだなと思う。」彼女が生まれる前、母親は父親と「2,3年別居していたよう。でもどうしてもお父さんのところに戻りたくて、母親の親に頭を下げてもらって父方の家に戻してもらった。ちょっとして生まれたのが私だった。母は自分が生きるために産んだのではないかと・・・考えたら涙が止まらない。何か繋がる感じだった。・・・いつも子供の頃思ったのは母親にしがみ付かれる思いだった。(そのころ)子供らしくいられないのは、(不自然にニコニコと)笑顔でいたのは、「お母さん大丈夫かな」と思っていたから。(お母さんを)助けないといけないと思う。」
    <W>
    命をかけての調整役を強いられた・・・。
    <H>
    母親にしてみれば、あなたの家の子供(彼女)を産んだので、私をあなたの家の一員にしてください、ということです。
    彼女は続けます。「(大人になった現在の)仕事も「責任感」とか、「どうにかしなくちゃ」、「見てみぬ振りは出来ぬ」というようなのがあるが、それ(母親に対する気持ち)と繋がるのか。」と彼女は推測する。
    <W>
    「役に立たないならいらない」で仕事も頑張るということですね。辛いです。楽しくないですね。
    <H>
    このように謎解きが進んで、彼女は怒りを出せるようになった。「・・・ブレスをして、怒りを、多分生まれて初めてだと思うが出した。・・・・・・・(それ)から仕事が凄く楽になった。疲れてもよしやるか、となる。」
    <W>
    よかった!生まれて初めて・・・。乾杯!
    <H>
    こんな時はその夜などに乾杯しますね。
    <W>
    その時はどうでしたっけ?
    <H>
    実は私もあまり覚えていません。乾杯はしょっちゅうやってますから。(笑)
    <W>
    次、いきましょう。
    <H>
    怒りが出せるようになって、閉じ込めていた自分自身の気持ちに気が付くようになります。「お母さんに愛して欲しいというのを、子供の時に諦めている。無理だと。でも本当は求めていた。単純に抱きしめて、添い寝して欲しい。(でも母は)いない、(私を)見ていない、だから諦めた。怒りより、寂しさが今回出てきた。」
    <W>
    生まれて初めての怒りが出せて、生まれて初めて本当の「愛して欲しい」が出ます。
    <H>
    感激します。
    彼女は言います。「発見って楽しい。自分を知っていくのは楽しい。今年の春は一番の春だった。桜がきれいだし緑が・・・と良い春が来た。こんな感覚始めてだなと。」
    「子どもの時っていつも死んじゃうような不安があって生き急いでいるようなのがあった。(大人になっても)早く仕事で一人前になりたいとかだった(不自然に急いでいた)。本当は死にたいのかなと。早く消えてしまいたい自分がいたのだろう。」
    <W>
    そういうことなんですね。
    <H>
    彼女は、階段の途中(図4)は長いことかかって、ていねいにやりました。納得するまでやりました。それがよかったと思います。本人(彼女)が納得するまで。結果的に、進みが速かった。


    絵5
    <最初からいらない子:無条件の死>
    <W>
    いよいよ、です。
    役に立たないならいらない(絵3)という「いらない」の意味は、母の殺意でした。つまり死でした。「役に立たないなら」という条件付きの死でした。その殺意は幼い彼女の中に取り込まれ「本当は死にたい」「早く消えてしまいたい」という自分を形成しました。それが、やがて絵5のように解明され、役に立っても立たなくても最初からいらない、無条件の死ということが分かって、大きな手がかり、大きな解放になりました。
    <H>
    はい。
    この絵5に描かれているように、怨みツラミを繰り返す母に、彼女は何とか役に立って生きようとしがみついつきます。しかし、母は振り返らず、怒ったまま、まるで脚にとまったセミでも振り払うように、彼女を振り払います(絵の左下)。それは繰り返えされ、母は永遠に振り返らず(絵の中央)、彼女はどこまで行っても果てしなく一人ぼっちでした。そして彼女はついに悟ります。自分は、役に立っても立たなくても最初からいらない子だったのだ(絵の右上)。無条件の死がそこにありました。
    このことは、大きな手掛かりになり、彼女が解放される転換点になりました。彼女は言う。それまで仕事で対面する「お客さんも怖かったけれど(無条件の死に気が付いたときから)(何かお客さんからのクレームがあったときなどの)「どうしよう、どうしよう」というのは無くなったかな。〈余裕が出てきたよね、何でそうなったのでしょうか〉役に立とうとしてもしなくても「いらない」だった。「最初からいらない」は大きい。「役に立つなら良いよ」にしがみ付いてきたから役に立とうとニコニコしていた。その呪縛が取れた。(本当の気持ちから)仕事したい自分もいるし、しなくてはいけないという呪縛が取れた感じ。「役に立たないとダメ、頑張らなくちゃダメ」が無くなった。」
    <W>
    無条件の死で解放されるというのは、ベビーブレスを体験した人に共有できる凄味です。
    <H>
    一生ものですね。こんなブログだけでではなく、人のお話だけではなく、ぜひ体験してほしいです。

    絵6
    <無条件の死から無条件の生へ>
    <W>
    彼女はさらに進みます。
    <H>
    この図6では、左端に彼女が描かれ、目の前には、果てしなく遠く暗黒の宇宙へ続く無条件の死があります。彼女は、小さな地球の上で大の字になって、暖かさを感じ、無条件の生命を感じています。
    <W>
    無条件の死を受け入れたら無条件の生命が待っていた・・。

    <H>
    彼女は言う。「「役に立たないならいらない(絵3)」「役に立つならいていいよ」と、長い間味わってきた。そこを味わっていた。ずっと寂しいもの。条件付きのもの。それが、無条件で「いらない」(絵5)。永遠に一人ぽっち。その気づきがこの前だったが、ずっと引き続いてきたものは死だった。・・・じっくり味わっていた。そうだよなー、と。
    何もない感じで瞑想していたら、ちゃんと「生きる」がある。正反対のものだけど「生きる」がある。(今まで生きてきたのは)ずっと誤魔化しの生きるだった。死をないことにするために、生きていいために、誤魔化しの死、だった。長い間生きてきたけど、我慢してきたんだなと。瞑想の時、ポッとお腹の中に「生きる」があった。嫌な感じはしない。(そこを)もっと味わいたい。良いよねと。(今まで、見かけ上は)生を引き継いできたけど(実は)死を受け継いできた。」
    <W>
    無条件の生という開放を手に入れた・・・。無条件の死を受け入れたら無条件の生命が待っていた。生と死の統合の目覚め・・・。

    (続く)

    *******************

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    役に立たなければいらない1/3|早く消えてしまいたい|アコールセラピーの現場から(711)

    2020/03/29/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    1/3

    <W>
    今回はある女性の話です。彼女も抜けていきましたね。
    <H>
    ほんとにうれしいです。とても魅力的な女性になりました。
    彼女は、初めは周りばかりが気になり、笑顔で居ないと嫌われると思っていました。
    <W>
    問題を忘れないように、ニコニコ仮面という名前を付けてもらいました。
    <H>
    後で話題になりますが、ニコニコ仮面の裏には、「早く消えてしまいたい」というような辛い心境が隠れていました。
    <W>
    では、その種明かしを、彼女の絵と記録(以下「 」書きの部分)にしてもらいましょう。彼女が描いた絵を見てきましょう。

    絵1
    <我慢してニコニコ仮面>
    <H>
    絵1は彼女の当初の不全感を表したものです。上のほうには、①「何も言わせない」「世間の目」から見られ「怖がって遠慮している私」がいて、②誰かに「守って」「助けて」と訴えますが、③④ 父という壁や母の呪縛があって苦しみます。
    <W>
    絵1の中の「エ エ」は人の目ですね。いくつかのシンプルな人型は彼女自身でしょうか。
    <H>
    はい。もっとも、その中の3つ目の人型は母親かもしれません・・・。
    <W>
    この時代は母親と自分の区別があいまいなのかもしれません。
    <H>
    彼女自身の説明です。「我慢する。周りにばかり気にする。笑顔で居ないと嫌われると思う。ニコニコ仮面をしていないといられない。寂しいということを自覚するのが怖い。」
    「環境は悪かったと思う。親は笑っていない。自分は笑っていた。贅沢はいらないから明るくいたいと思っていた。ご機嫌を伺っていた。」と説明します。
    <W>
    今だから「ご機嫌を伺って」などと言えますが当時は大変だったことでしょう。

    絵2
    <役に立たなくてごめんなさい>
    <H>
    母という呪縛は、母からの怨みツラミを聞かされてつくられます。絵2には、右上の母親が、左下の彼女に向かって、怨みツラミを放っています。
    <W>
    小さな彼女が、黄色の丸いバリアで自分を守っている様子は、痛々しいです。
    <H>
    母親と父方の祖母(おばあちゃん)には確執があり、彼女はその板挟みになります。
    彼女は言います「子供の時は、母は「早く死にたい」と言っていた。愚痴を言っていた。「あんたはおばあちゃんに可愛がられていいわよね」」と。小さな彼女は「役に立たなくてごめんなさい」と思うしかありませんでした。
    <W>
    そもそも母親に「早く死にたい」があったわけですね。
    <H>
    世代間伝達が暗示されます。

    絵3
    <役に立たないならいらない>
    <W>
    この絵(絵3)は絵2をさらに詳しく描いたものですね。自分の気持ちを言ってはいけないと、押し殺し、閉じ込めています。
    <H>
    母から怨みツラミの中には、お母さん自身が「死にたい」と言うことと、お母さんのヒステリックが多く含まれていました。
    彼女は「お母さんがかわいそう。お母さんごめんなさい。役に立たなければ(自分は)いらない」と思います。
    <W>
    そうなんですね。小さな子供(彼女)は、母の気持ちを自分の気持ちとして受け入れます。ある意味では母と自分の区別がつきません。絵を見ると、彼女は、怨みツラミを放つ母親を抱きかかえています。
    <H>
    他方では、後で思い起こすと、「自分の気持ちを言ってはいけない、押し殺していた」と言います。また、「小学生の時に母親に「もう殺して」と言った覚えがある。生きている心地がしなかったと思う。家(うち)は何で(こんな辛い雰囲気なんだ)という話をしていたと思う。「お母さん死んで」じゃなくて、「私を殺して」だった。・・・言った自分が申し訳ないと思った。困らせたと。今なら(母親は)子供にそんなことを言わせるなよと思う。」と言います。
    <W>
    「言わせるなよ」というのは自分が回復してきたから、自分自身が出てきたから、言えることですね。
    <H>
    自我がしっかりしてきた。
    でもそのころは、自分というもの(自我)は頼りなく、母親にしがみつくしかなかった。
    彼女は言います。「漠然と母の殺意が怖いというのがあって、(母に)凄くしがみ付いている。小さくて怖くて泣いていて。私に取って母の殺意は「役に立たないならいらない」だった。「いらない」ってやられるのが怖くてしがみ付いていた。」と。
    <W>
    この「役に立たないならいらない」というのは大きかったですね。長い間彼女を支配していた大きなものです。そのことに彼女は気が付き、カウンセリングのたびに自分のテーマにしていました。彼女の中がずんずん進んでいったような記憶があります。
    <H>
    大人になり彼女自身も、そのことの加害者になったという事件があります。ある時お付き合いしていた人との結婚を望んでいました。妊娠しましたが、その人は結婚に同意しませんでした。彼女は堕胎しました。結婚という目的に役に立たない子供を堕胎したんだと、彼女は言います。同じことをしてしまったと。
    <W>
    彼女はそれまでにも増して真剣になりました。進んでいきました。

    (続く)

    *******************

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    現代の悟り:見捨てられ感から悟りの道|アコールセラピーの現場から(710)

    2020/03/20/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「現代の悟り:見捨てられ感から悟りの道」
    <W>
    ブログ(705)(706)で悟りとの類似性を話題にしました。
    <H>
    アコールセラピーが似ているということですね。
    <W>
    はい。すこし、続きをさせてください。
    <H>
    どうぞ。アコールセラピーが現代の悟りだという話ですね。
    <W>
    悟りというのは日本の禅仏教だけの概念ではありません。
    他国の宗教にも似た概念があるようです。エンライトメントとか言うこともあるようです。
    <H>
    うんうん。それで・・・。
    <W>
    宗教の話をするには、宗教とは何かが、ある程度はっきりしていないと、実のある話にはなりにくいです。しかし、宗教といえば、心が解放される点(悟り)、そのために死を扱う点などは共通していると言っていいと思います。大ざっぱですが・・・。
    <H>
    なぜ死なのか、ということですね。
    <W>
    そこです。寿命という意味の死だけでは、説得力がないですね。毎日、宗教家が修行するのに、50年先の寿命の死をどう扱うのかを目標にしているなどとは・・・。
    <H>
    毎日修行するのですから、もっと時々刻々の切実な心的欲求があるはずだと・・・。無意識では。
    <W>
    その通りです。
    <H>
    定説ではないけれど、イエスキリストの原罪というのが、彼の出生の秘密に関係していて、母マリアから本当の愛情をもらえなかったことから来る、というあれですね。
    <W>
    キリスト教を例にすると、ということですね。はい。
    二千年以上前のことですから真相がわかるということは望みにくいけれど。根強くささやかれるというあの話です。例えばですが。マリアがローマ兵にレイプされてできた子供がイエスで、マリアが信心深かったので、イエスの命を長らえ、何とか育てたけれども、本当にはイエスを愛することは、決してできなかった。
    <H>
    感性豊かな子供であったであろうイエスの心は、深く、深く傷ついたでしょうね。
    <W>
    イエス自身には何の落ち度もないのに、絶対に真の愛情はもらえない。意識の底では本当は嫌われ続けるのですから。自分には、生まれる前からの原罪というのがあるのだ、ということにも当然なりますね。
    <H>
    深い得体のしれない殺意を抱いた殺人者になっても不思議ではない、ひどい話ですね。
    <W>
    深い殺意の裏には死があったでしょうね。
    <H>
    あったでしょうね。実は死を望まれていたでしょうから。いらない子。
    <W>
    母子関係からの死です。母親からの見捨てられ感からの死です。
    そこを観られれば、悟りの道まっしぐら。
    <H>
    母親からの見捨てられ感は現代に溢れかえっていますね。だから見捨てられ感から悟りの道へ入っていけるということですね。
    <W>
    そうです。
    現代の悟りの道です。
    <H>
    苦しむだけではもったいないということでしょうか。
    <W>
    まさに。医療は役に立たない。自分を変えられない。薬に頼らない。慰めに頼らない。事実を観て自分で自分を変える。苦しみを抱えた現代人の突破口。現代の悟り、です。
    <H>
    究極の健康が手に入るということでしょうか。
    <W>
    そのハウツウが、愛憎の統合、生死の統合です。
    <H>
    その統合についは既に別のブログで話していますね。
    <W>
    何度でも話したいです。

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    私わかった!3/3|アコールセラピーの現場から(709)

    2020/03/15/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    前回の続き<<私わかった!3/3>>

    ⑨ <死に対抗する狂気、あるいは死そのもの>


    <W>
    絵の⑦⑧のように無表情になったり分裂したりして、自分を隠しますが、うまくはいきません。隠された自分は必ず復讐します。心の中に温存されます。それがこの顔です。
    <H>
    よく描いてくれました。
    <W>
    揺らぎがあるものの、彼女の持つ強烈なエネルギーがレーザー光線のように、ときどき、本質を突きます。
    <H>
    ズバリと突きますね。
    <W>
    死に対抗する狂気の顔です。あるいは自分を脅かす死そのものなのかもしれません。狂気か死そのものなのか、この辺は一体混沌でしょう。

    ⑩ <私の死、死を受け入れた自分を包み込む>

    彼女自身からの説明です。
    「私の死です。今までの私の死は突然現れては私を追いかけ回してくる暗くて寂しくて恐怖そのものだった。私の死のイメージは母からの死だった。(死から逃げ回ることをやめ向き合って)この“死”という事だけに必死に焦点をあてて、怖くても蹴り飛ばしたくても(そうせずに)純粋に死だけを願っていた時に「私の死は自分で決める!!奪わないで!!」
    と私の中から出てきた。その時の死は私を包み込んでとても暖かく物凄く愛情があり私の全てを優しく包み込んでくれた。その死は、母からの死ではなく、私の中にある私だけの死だった。その私の死を絵にしたものです。」
    <H>
    やりました。ついに。
    <W>
    そうです。受け入れが起きました。
    <H>
    私もその現場にいました。
    しかし、彼女の激しい気づきにしては、上の絵は、なんだか穏やかすぎますね。
    <W>
    そうです。
    私の感じでは、上の⑨と⑩の間には、死を受け入れる大きな、大きな激しい気づきがあった。
    彼女の大きな気づきは、まるで嵐の中の遭遇のようでした。それまでのはっきりしない謎のようなものが消え、「私わかった!」と叫んだ彼女の顔が今でも思い浮かびます。
    しかし、絵には描かれていない。その気づきの瞬間はあまりにも痛く、あまりにも強烈で、絵にできないのかもしれない。あるいはいまだに痛すぎて、完全には思い出せないのかもしれない。上の絵⑩は大きな嵐が過ぎた後の絵のようです。結果の絵です。
    <H>
    ここで「私の死のイメージは母からの死だった」とあります。はじめて認める感じです。
    <W>
    彼女の心の中には、そのことは既にあったのでしょうが、外に向かって認めるのは、遅れる傾向にあります。あなたの言う「わかりたくない揺らぎ」が遅れをつくるのだと思います。
    <H>
    絵の話ですが。真ん中の小さな丸い黒っぽい部分が死で、その死をピンク色の小さな自分が抱えています。小さな自分が、それまでの自分でしょう。その死を抱える小さな自分を、死を受け入れた大きな暖かいオレンジ色の自分が、包み込んでいます。死を自分のものにした状況ですね。
    <W>
    「私だけの死」という気持ちを表した絵ですね。
    「私だけの死」というのは、母親から強制されていやいや死んでいく自分というのから縁を切ったともいえます。自分自身で自分の死を引き受けるということだと思います。自分で死を引き受けた時に初めて、自分自身が生きていけるという、そういう風に言えます。
    彼女の強い怒り、すなわち生きるエネルギー・・生と、ここで受け入れらえた死が合体して、生と死の統合がなされ得たと言って構わないと思います。

    ⑪ <母親(の母性)との和睦>

    彼女自身からの説明です。
    「おっぱいを飲んでいる絵です。私が母に置いて出て行かれた(絵⑤)時、母を探し母が恋しくて、おっぱいが恋しくて、温かい母乳が恋しくて、泣いた。泣いても、泣いても母はいない。母の気持ち、母の意識もない。寂しくて、怖くて1人で死を目の前に突き付けられた感じだったが、それでも私は母を求め、おっぱいを求め、母乳を求めた。私の純粋に母を、そしておっぱいを求める気持ち。そこに母親がいなくても母の意識がなくても私の中にある理想のおっぱい=理想の母親を絵にしたものです。」
    <W>
    子供(彼女)に愛情を与えられない「現実の母親」を卒業し、「理想の母親」が手に入った。あるいは「母親そのもの」から、「求めるという自分自身」に、重心が移った。自立。言葉にするとそう言えるかもしれません。
    <H>
    「そこに母親がいなくても母の意識がなくても」かまわないという心境ですね。
    <W>
    ええ。
    そのような心境に意識してなろうとしても無理ですね。自立しようと思っても無理です。それは結果ですね。
    <H>
    あれですね。
    <W>
    あれです。
    統合です。
    それまで自分に死を迫る母親に対して、心の奥では怒りがあったはずです。彼女の激しいエネルギーに支えられ、激しい怒りがあったはずです。わからないまま怒りパニック発作にも一役かっているのでしょうが、怒りはそもそも、生きようとする生のエネルギーです。
    ところが反対側には、彼女は長い間嫌い続けましたが、死がありました。自分自身の死の狂気があったはずです(絵⑨)。その死を受け入れた途端に自己の回復が起き(絵⑩)、母性との仲直り(和睦)が行われました(絵⑪)。すなわち生と死の統合です。
    <H>
    自立したいなら統合せよ。統合を目指すなら死を受け入れよ・・。
    <W>
    彼女の場合は、怒りという生が強すぎ、死を徹底して嫌っていました。逆の人もいます。その場合には、起きるプロセスは異なります。その場合には、生を受け入れよ・・・が起きます。
    <H>
    最後のおっぱいの絵は印象的でした。私の場合と似ていました。
    <W>
    あなたの場合も、口に入りきらないほど大きな乳首のイメージが出てくる、あるいは空いっぱいに広がる乳房のイメージが出てくるということでしたね。
    <H>
    この記事で彼女のケースを全体として観ることができますね。よかったです。ほかの人の勉強にもなります。
    <W>
    最後に、この記事の掲載に協力し許可してくれた彼女自身にお礼を言いたいと思います。

    <<終>>

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2020/03/70148fbc368e895ee30a3e4539e56715.jpg 425 567 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2020-03-15 22:31:202020-03-15 22:31:20私わかった!3/3|アコールセラピーの現場から(709)

    私わかった!2/3|アコールセラピーの現場から(708)

    2020/03/14/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    前回の続き<<私わかった!2/3>>

    ③ <振り向かない母親>

    <H>
    はじめの頃は、彼女は自分のパニック障害が母親と関係があるなどとはわからなかったと思います。セッションが進むにつれて自分の心の中に引っかかりがあり、それが③の<ふりむかない母親>という形で思い出されました。いくら自分が母親の愛情を求めても、母親は振り向いてもくれないというイメージです。扱いたくない母親との関係を、ようやく扱うようになるきっかけといってもいいと思います。
    <W>
    これで前進することができるという場面です。

    ④ <泣き叫ぶ自分>

    <H>
    泣き叫んでいる自分は、母親との関係で泣き叫んでいます。母親の関係が非常に大きいとわかってくる段階です。
    <W>
    上の③の絵は、子供が笑っていますが、無理して笑いかけているのでしょうか。無事にしたいのでしょうか。④の絵は、大泣きしています。本音ですね。

    ⑤ <おいて行かれた恐怖>

    <H>
    暗闇の中に簡単に小さな自分が描かれています。母親との関係を探っていくうちに、ある時、母親から自分が置いていかれた事件を思い出します。その時の恐怖を描いた絵です。この恐怖が後になってパニック障害につながっていることが徐々にわかってくる糸口のような絵です。
    <W>
    置いて行かれた事件についての恐怖ですが、さらに探っていって、単にその事件だけにとどまらず、自分を置いて行ってしまえるような母親への恐怖が、背後にあることがわかります。次の絵が、それを暗示します。
    <H>
    彼女の場合には、長い間、暗示にとどまっていました。

    ⑥ <襲い来る恐怖=死>

    <W>
    上の④⑤の恐怖がどれだけ大きなものかという事を示す絵(⑥)です。まるで大きなモンスターに小さな赤ちゃんが追いかけられている感じがよく出ています。赤ちゃんがとらえた恐ろしい死のイメージです。パニック障害のからくりを示すような絵です。
    <H>
    モンスターにパクっと一口で食べられそうです。

    ⑦<感情をなくして耐える自分>

    ⑧ <分裂して耐える自分>


    <W>
    小さな赤ちゃんにとって、⑤⑥のような恐ろしい恐怖に耐えられるはずもありません。
    <H>
    まるで荒野に一人ぼっちになって背後に巨大な肉食獣(モンスター)が忍び寄って、今にも食べられそうな恐怖です。
    <W>
    肉食獣なら、まだ、いい。母親です。耐えられません。
    <H>
    ほんとに。
    <W>
    感情をなくして、怖いという自分を味わわないようにして耐えます。⑦はそのころの無表情な自分を描いています。表情がないどころか顔が書かれていません。まるで自閉という状態を暗示するようです。
    <H>
    自閉して無表情になって耐えようとするんですね。
    <W>
    しかしそのように感情をなくすだけでは、十分には、本当に恐ろしい恐怖には耐えられません。自分を分裂して(⑧)何とかやりくりして耐えようとします。明るい自分と、そうでない闇の自分です。そうすれば闇の自分は横に置いておいて、明るい自分として楽しく過ごすこともできるようになります。そのようにして何とか生きていきます。
    <H>
    そのようなものすごい恐怖は、置いて行かれた事件(⑤)というだけでは、説明できない。ほかの部分(③④⑤⑥)も併せてみると、母親への恐怖ということでしょう。
    <W>
    自分の生命のすべてを支えている母親自身が、実は、死の恐怖の出処でしょう。
    <H>
    全体としては示されますが、ずばりの絵を彼女は、描いていません。
    <W>
    わかりたくない、というのがトラブルの中心にある芯かもしれません。はじめの絵(①)の彼女自身の説明にもある子供に対する思いの揺らぎようなものが、母親に対する思いにもあるように感じられます。
    <H>
    わかりたくない揺らぎですか。

    <<続く>>

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2020/03/55254cdeb058da37b7efeb8a1e81e954.jpg 425 567 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2020-03-14 19:11:122020-03-14 19:11:12私わかった!2/3|アコールセラピーの現場から(708)

    私わかった!1/3|アコールセラピーの現場から(707)

    2020/03/13/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <<私わかった!1/3>>
    <W>
    今日は、パニック障害が治った女性の話です。その話から、人がどう治っていくか、事の全体を観られるといいと思います。
    <H>
    はい。
    <W>彼女は、女のお子さんを持っていますが、自身のパニック障害から逃げるのが精いっぱいで、子育てに苦労しました。
    <H>
    パニック障害や子育ての問題は、いわば表面の話で、こういう問題は奥が深いですから。彼女の場合には、その奥に手が届きましたね。その人全体に大きな変化がありました。人間性の回復ですね。
    <W>
    その通りです。まずは、大きな、大きな山を越えましたね。本当によかったですね。
    <H>
    人生を取り戻したことでしょう。うれしそうな彼女を見ていて、心の中~のほうが明るくなった彼女を見ていて、こちらもうれしいです。
    <W>
    まったく。
    少し戻します。
    今回彼女の話をするのは、彼女の全体を見ていくためです。超えた山があまりに大きいので、全体が見えにくいということがあります。
    <H>
    彼女自身の性質にもそういうところが、まだ残っています。
    <W>
    他の人たちにとっても、全体として何が起きたのかということを眺めてみることは、とても役に立つことだと思います。
    <H>
    はい。本質的な部分は共通しますからね。たとえパニック障害や子育てとは関係ない人でも、問題の本質は同じですから。
    <W>
    さて、以下に掲げるように、今回は彼女が描いた絵を中心に話を進めます。
    その絵のことです。私たちは、セッションの後で、カウンセリングのまとめを文章化して本人に渡し、「後日何度も読み返してください」とお願いすることをしています。しかし文章は時間をかけて読まなければならず、読んだ内容をまとめて全体を見渡すことができにくい。その点で絵は、一目で見て、感覚的に自分の全体をつかむことができます。そのため、何かの気づきのたびに絵を書いてもらうようにしています。
    彼女の場合も絵を描いてもらいました。わかりやすい絵を並べてみました。彼女のセッションの進み具合を全体的に理解できると思われます。
    <H>
    では見ていきましょう。この絵(①)ですね。
    <W>
    そうです。右上に、小~さな子供が描かれています。真ん中は、本人自身です。

    ① <子育てができない>

    彼女自身からの説明です。
    「この(絵の中央の人体は自分で、その)二重の部分は、本当の自分に蓋をして抜け殻になっている感じです。抜け殻の私と、その私を見つめている娘の絵です。
    (私は)娘が産まれてから「育てられない」と思った。でも、その奥では「育てたい、(健康に育って)私のようになって欲しくない」とも思っていた。まだ新生児の時は良かった。おっぱいをあげればまた寝てくれたから。でも、娘がお座りをするようになると、朝しっかりと目が覚め、おっぱいをあげても寝てくれなくなった。それでも私は体が動かないので娘を放置して寝ていた。そんな私を娘は私の側でジッと私を見つめて座っていた。オムツはおしっこでたっぷりになり、うんちもしているからビチャビチャで気持ち悪かっただろうに、娘は泣かずにジッと私の側で座って私を見つめていた。
    この時の私は、後のセッションで、抜け殻の状態だった事が分かった。育てられないという娘に対する殺意を抜け殻の状態でいる事で私は(殺意を実行せずに)娘を守った。私の娘に対する愛情でもあったことは事実だ。でも、娘の事はどうでも良い、どうなっても良いという私の殺意があった事も事実だ。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・
    本当の私(絵の二重の部分の内側)がいるのに、しっかりと蓋をし隠し正面から私を見る事ができないので、被害者の抜け殻の所にいる絵であり、この頃が子育てで1番辛くて、ハッキリと覚えているけど思い出すのが辛い所の絵です。」
    <H>
    抜け殻でいることで子供を守ったんだと彼女は繰り返して主張していました。抜け殻でなければ殺意を実行したんですね。
    <W>
    「守った」ことを強調しないと危ないということです。
    <H>
    その意味では殺意に十分には向き合えてはいません。
    <W>
    この絵の子供の存在の小ささが印象的です。「子供」を守ったという意味の絵にしては、主役の子供が小さすぎます。
    <H>
    抜け殻になることで何かから耐えた、といことですね。主役は、隠された殺意、でいいでしょうか。
    <W>
    この後の絵で、感情を無くして耐えたり、分裂して耐えたりする絵が出てきます。抜け殻も、耐えるための守りの一つといえると思われます。

    ② <襲い来る何か(死)から必死に逃げる パニック発作>

    彼女自身からの説明です。
    「これは1番辛かった時期の絵です。死の恐怖から必死で逃げている絵です。突然と現れて必死に逃げても死の恐怖が迫ってくる。自傷する(彼女には自傷歴があります)ヒマを与えずにどんどん迫ってきて、死の恐怖に飲み込まれないように、絶対嫌だと無我夢中で必死で逃げて逃げまくった。
    とても寂しくて、孤独で、死が目の前に(恐怖が)くるから1人で耐えて、死の恐怖を永遠とまた味わいたくない、耐えたくない、感じたくない、お願い、誰か助けて!!と必死でもがいた。私は死にたくない・・・怖い、絶対嫌だと必死で逃げているのがパニック発作、過呼吸の原因でした。」
    <H>
    彼女の問題は子育てがうまく行えないというのもありましたが、1番の問題はパニック発作が起きて苦しくてしょうがないという事がありましたね。その原因は、上の説明で彼女は「死の恐怖」と言っていますが、もちろん本人は最初はわからない。ただひたすら発作を起こして暴れたり泣いたりすることのようでした。
    <W>
    わからないこそのパニック発作ですね。
    <H>
    当時はもちろんそういう死との絡みで理解する事はとても出来ませんでした。得体の知れない恐怖です。得体が知らないので余計苦しくて恐ろしいということだと思います。恐怖を振り払おうとする彼女の強烈な怒りで、周りの人々も、大変でした。
    <W>
    わかりたくない、ということもありますね。それがトラブルの中心にある芯かもしれません。

    <<続く>>

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2020/03/55254cdeb058da37b7efeb8a1e81e954.jpg 425 567 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2020-03-13 23:15:542020-03-13 23:15:54私わかった!1/3|アコールセラピーの現場から(707)

    ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違2/2|セラピーの休憩時間(706)

    2020/02/17/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <以下は前回の続き>

    ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似:二つ目の類似

    (W)

    二つ目は、論理的ではうまく説明できないこと(②)です。

    母親へのアンビバレンツは理論です。文章で説明できます。しかし、アンビバレンツを受け入れ解放される現象が、なぜ起きるのか、準備を重ねつつも、それまでなぜ起きなかったのかは、説明することができません。

    (H)

    受け入れるのは辛かったんでしょう、としか言えません。

    (W)

    とはいえ、アンビバレンツの受け入れ現象には、言葉では説明しきれない不可思議な感じが付きまといます。理屈としての不思議さですが・・。

    辛いといえば、悟ること自体も実は苦痛が伴うのかもしれません。だから時間がかかるのでしょう。禅の悟りも、理論では説明できないことが知られています。不立文字などと言われます。

    (H)

    一般に仏教では、親には感謝しろ、と言われるでしょうから。アンビバレンツはね~。

    (W)

    怪しいですね。悟りは、母親へのアンビバレンツの内容には触れないまま、アンビバレンツ自体を乗り越えようとする離れ業なのかもしれません。

    (H)

    キリスト教のマリア様信仰も、母親へのアンビバレンツには耐えられないので、理想の母親像をつくっているように見えます。満たされなかった母親への愛情を、マリア様に向かって解き放とうとすることのように思えます。

    (W)

    三つ目は、二元論から離れること(③)です。

    禅の悟りにより、人は二元論(主義)を捨て去る(鈴木大拙「禅学入門」悟り-新境地の獲得)と言われます。二元論のうち心理的なものとしては、愛憎や生死は最大のものでしょうから、母親へのアンビバレンツを受け入れ解放される現象は、そのような二元論から離れることに他なりません。

    (H)

    いよいよ、難しくなりました。

    (W)

    いえいえ、難しくありません。

    母親への愛憎のアンビバレンツを受け入れると、次は生と死です。人によっては、「次は」という時間はなく、同時に起きます。母親からの愛情は生です。母親からの愛情なしは死です。それを受け入れることは、生と死のアンビバレンツを許すことになります。

    つまり、アンビバレンツのうち半分の否定的な部分、愛情の不在、すなわち死が、はじめて受け入れられます。一人ぼっちの愛情なしの死です。究極の死です。その受け入れ後も、なお、私たちは生きていくのですから、そのときに、生死の二元論からも離れるきっかけが与えられることになります。

    (H)

    二元論などというと難しく感じます。でも、言葉は別にして、中身を聞くと、セッションで毎日扱っている内容です。

    (W)

    そうです。

    (H)

    あなたが時々言うのを聞いたことがあります。あれですね。

    (W)

    あれです。死にながら生き、生きながら死ぬ。

    (H)

    解放を、言葉で言おうとすると、そのようになるのでしょうね。

    (W)

    しかし、生と死は、言葉の意味が正反対ですから、そのような言い方は凸凹していて、真意が通じなくなります。そう言う時の生死の意味は、反対ではなく、同じなのです。実は、生きながら生き、死にながら死ぬ、と同じニュアンスです。

    (H)

    解放ですね。

    (W)

    四つ目は、人生の大きな変化(④)です。似ています。

    母親へのアンビバレンツを受け入れ解放されると、その後の人生に、大きな変化が起きます。その人の感覚そのものが、その日を境に、大きく変わります。これも禅の悟りの場合と類似するようです。

    (H)

    アンビバレンツの受け入れの場合も、家族などの人間関係の改善や仕事の改善などが報告されますが、中心にあるのは、生きやすくなった、という感覚です。生きやすくなった、というのは平凡な表現で、本当は、その人の中で何かが変わるというのが、実際の感じのようです。

    (W)さて、以上は、ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似するところを話しました。今度は相違するところを話したいと思います。

    (H)

    はい

    [Ⅱ]相違

    (W)

    私の感覚としては、類似よりも相違のほうが、より多くのヒントが得られると思います。

    (H)

    ベビーブレスや禅を、客観的に理解する上でのヒントですね。

    (W)

    はい。

    母親へのアンビバレンツの受け入れる手法と、禅の手法は、次の部分で大きく相違します。つまり、禅の修行では、母親へのアンビバレンツを観る作業を、それほどやらないようです。もっとも、仏教一派の修行法として「身しらべ」があり、禅の公案には「父母未生以前の真面目」(父母が生まれる前の本当の自分とは何か)というのがあります。が、全体の修行の一部にしかすぎないようです。

    (H)

    禅は、なぜ母親を積極的に扱わないのか、という点ですね。

    (W)

    そうです。

    (H)

    精神分析の世界ではメラニークラインが正面から扱っていますが、フロイトご本人は扱っていません。

    (W)

    フロイト本人の事情が絡むと思います。

    (H)

    では仏教の場合には、ダルマさん自身の事情が絡んだのでしょうか。

    (W)

    わかりませんが、その可能性もあるのでしょうね。

    その個人的な事情以外にも、社会的事情も絡むと思います。

    (H)

    世の中の事情ということでしょうか?

    (W)

    はい。禅を含む仏教は、長い時間をかけてインドから中国を通って日本へ伝わり、国教として認められるなどして、生き残ってきた事情があります。ですから治世する側(国)の要請として、当然に、両親への感謝は保持しなければなりません。

    (H)

    道徳や倫理ということでしょうか。

    (W)

    そうです。かなりの時間を通して、儒教を信じる人たちは多数派だったでしょうから、それに面と向かって反したら、長い時間は生き残れないでしょう。

    (H)

    大変だ。

    (W)

    フロイトだって性的な問題を根本的に扱うことになったので、社会から手厳しくバッシングされた経緯があります。

    (H)

    性的な問題を扱うこと自体が反社会的だということだったのですね。

    (W)

    仏教だって反社会的なラベルを貼られたら生き残れなかったはずです。

    (H)

    生き残る便法としての意味もあったということでしょうか。

    (w)

    両親のうちでも、特に母親への恩は大事にしなければならず、母親へのアンビバレンツを受け入れるというテーマ自体が、難しいものであったのかもしれません。

    引きこもりからの自立等いろいろな心理的悩み相談や心理カウンセリングのお試し無料あります。さらにベビーブレス(アコールで開発した独自のブレス,ブレスワーク,またはブリージング)ができるようになれば精神分析の組合せで大きな効果があります。東京府中

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    ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違1/2|セラピーの休憩時間(705)

    2020/02/15/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違」

    (H)

    今日のお題は何やら難しそうですね。

    (W)

    いつか話したいと昔から思っていました。

    (H)

    やさしく話してくださいね。個人的には少しは聞いていますが・・。

    (W)

    ベビーブレスによる爆発するような大きな気づきがあります。同時に大きな開放があります。禅仏教にも、悟り、というものがあります。類似する点があります。

    (H)

    似ていることが不思議だということでしょうか。

    (W)

    いえ。当然だと思います。人の心の奥底は同じでしょう。同じホモサピエンスの脳を持っているのですから。

    (H)

    不思議でないとしたら、何が、ポイントなのでしょうか。

    (W)

    ベビーブレスや禅で、人の心の奥底に何が起きるのか、より客観的に理解できるのではないかということです。

    (H)

    はい。

    より、はっきりするということですね。

    (W)

    ベビーブレスと禅。二つ以上の視点を持つことはとても重要です。

    (H)

    動物が二つの目があるのは、獲物をはっきり見定めるためですね。

    (W)

    そう。象徴的に。

    ベビーブレスという手法で探求を続けると母子関係の「アンビバレンツの受け入れ」という問題に到達し、やがて突破します。それは強力ではあるものの一つの視点、もう一つ欲しい。

    (H)

    アンビバレンツはキーワードですね。日本語で両価性と言われます。その意味するところは、セラピーの現場でとても重要ですね。「このくそババー!」という究極の殺意と、「ママー!」「かあちゃーん!」という愛情の本質のようなものが、実は同じものと気が付く瞬間があるのですよね。セラピーのだいご味です。

    母親には本当の愛情がないことで小さな乳幼児は死を突きくけられる。一人ぼっちの死。究極の恐怖です。他方、母親は、自分の生命を支えてくれる全宇宙のような存在。そのことに気が付くとき、死と生を同じものとして受け入れる。

    (W)

    そうです。「アンビバレンツの受け入れ」と言葉では簡単ですが、果てしなく大きなことです。ドカンとくるような大きな気づき、大きな開放です。

    (H)

    もう一つの視点が欲しい、というのは?

    (W)

    「アンビバレンツの受け入れ」がいくら大きなことと、こちらがわかっていても、ベビーブレスを体験しない人には、説得力がない。今はやりの言葉で言えば、エビデンスが足りない。

    (H)

    エビデンスは十分です。何を言いますか。実際に人に、大きな気づき、大きな開放があるのですから。世の中に、これ以上大きな事はないくらいです。山のように動かせない証拠です。

    (W)

    それは体験した人のことです。体験しない人にはさっぱりです。このブログを読む人には不十分です。体験しない人には、言葉の説明しかありません。エビデンスというのは言葉によるエビデンスということです。客観的な理解というのは、極論すれば、言葉です。

    (H)

    体験しない人に言葉で伝えるのは難しいでしょう。

    (W)

    その通りです。

    しかし、ブログを出すというのは、その難しさにあえてチャレンジするという面があります。難しさを、少しでも減らすために、二つの視点が有効と思うのです。

    (H)

    そんな難しいことをやらなければならないのだったら、私は、一人でも多くの人に実際に「アンビバレンツの受け入れ」を体験してもらう苦労をしたい。

    (W)

    うーーん。まあ、まあ。そう言わずに。

    体験した人にも全く関係ないことでもありません。体験し大きな気づきがあり大きな開放があっても、それが瞬間的なことで終わってしまう弊害があります。大きな気づき大きな開放があった結果、家族などとの人間関係が改善し、自分自身の生きやすさが生じても、そういう結果物、そういうお土産(おみやげ)だけで満足し、自分に何が起きたのかを検討しようとしない弊害があります。私は不満ですね。

    (H)

    確かに、ニコニコして明るくなり、楽しそうに、いろいろな改善を報告して来ても、なぜ、そのようなことが起きたのか、振り返れない人もいますね。私だって不満です。なにやら浅い感じがします。

    (W)

    そうです。振り返って検討することは大切です。客観的な理解は必要です。

    (H)

    そのために二つの視点が必要ということでしょうか。

    (W)

    はい。

    ベビーブレスと同じように自己を深く探求するものとして禅仏教(禅宗)があります。宗教ではありますが、ほとんど心理学に近い感じです。禅宗の本で、修行僧が「道でブッダにあったらすぐに殺せ」という話がありました。宗祖様を殺せとは・・。宗教を超越する雰囲気があります。重要なのは宗祖様ではなく自己ということです。もう一つの視点として有力です。

    (H)

    わかりました。

    それでは、禅宗の悟りとの類似と相違、お願いします。

    [Ⅰ]類似

    (W)

    まずは「類似性」です。

    アンビバレンツの受け入れによる解放と、禅の悟りとは、際立つ類似性があるように思われます。4つくらいありますかね。

    (H)

    ほー。

    (W)

    といっても、私自身が悟りを経験したことはないので、禅の悟りの材料は、書物です。

    経験していれば、もっとたくさんの類似点を挙げられるのかもしれません。これは想像ですが、無数に挙げられるのかもしれません・・。

    (H)

    ほーほー。

    (W)

    一つ目は、突然やってくること(①)。これが似ています。

    ベビーブレスを中心としたアコールのセッションでも、母親へのアンビバレンツを観るために、カウンセリング、ベビーブレス、寸劇などいろいろ行っていきます。アンビバレンツの概念は、理論で理解できます。自分の成育歴も、文章化できます。過去の母親との係わりを調べることができます。

    (H)

    仏教でも、身しらべというのがあるようですね。

    (W)

    あなたは長い間、似た行をやってきましたね。

    (H)

    はい

    (W)

    アコールでもいろいろ行いますが、しかし、それらは準備にしかすぎません。実際に、その人がアンビバレンツを観て受け入れ解放されることは、突然にやってきます。

    (H)

    そうですね。ある時、潮が満ちるように、ね。

    (W)

    禅の悟りも、些細な物事をきっかけに、突然やってくることが知られています。この辺りは、書物にいろいろありますね。

    (H)

    ほうきで掃いた小石が、竹の幹に当たって、コーンと音がした瞬間に悟ったとか。

    (W)

    それは有名ですね。禅寺の美しい庭が想像されます。おしゃれなほうです。悟りの瞬間をたくさん集めた書物によると、便所で小便をしていてブクブク泡が立った瞬間に悟った、とかいうのもあるようです。

    (H)

    ・・・・・。

    (W)

    なぜ突然くるのか。

    (H)

    毎日セッションしていて、クライアントの抵抗と対面している側としては、抵抗が突然に崩れ落ちる感じは、なじみがあり、違和感がないのですが・・・。

    (W)

    はい。

    脳の中がどんな風に突然変化するのかも興味があります。想像しかできませんが、神経細胞がつながっていき、ある瞬間に必要な電流の臨界に達するのかもしれません。

    (H)

    むむ。

    <以下は次回に続く>

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2020/02/dfe3b81cb9d5ecd095e207e70f7b5d32.jpg 411 312 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2020-02-15 23:36:392020-02-15 23:36:39ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違1/2|セラピーの休憩時間(705)

    最後の壁|セラピーの現場から(704)

    2020/02/09/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「最後の壁」
    (W)
    最後の壁を突破する人たちが出てきました。
    (H)
    嬉しい限りです。もっと多くの人に伝えたいと思います。
    (W)
    アコールセミナーのアプローチは、母親に対する愛憎の統合を体験し、生と死の統合を体験することです。最終的に統合して弾けるような元気な自分を取り戻す人たちが出ています。その最終的な統合ができたときに、最後の壁が突破されたと、感じます。見ていて、人が変わります。内側から元気になります。
    (H)
    人は、生まれたての赤ちゃんは、もともと、こんなだったのだろうなと思えるような元気さです。本当は嫌っていた自分を、心からいとおしくなります。外側の変化としては、職場での大活躍や子供に対する愛情が溢れるように出てきます。子供が可愛くなると、子供にそのことが通じ、親子ともども、さらによくなります。自然にそうなってしまう。

    (W)

    はい。

    (H)

    もっとも大変な側面もあります。その人の心の大鍋(なべ)をひっくり返してドロドロした鍋底をすべて引き受けることにもなります。

    (W)

    いえいえ。それこそ、それでしょう。

    *******************

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    山中湖は厳冬?|セラピーの現場は冬景色(703)

    2020/02/08/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「山中湖は厳冬?」
    (H)
    山中湖の冬を本格的に体験しました。一週間ほど生活してみました。一年で一番寒い時期を選びました。山中湖セミナーハウスの老朽化した部分を一部改修し、冬も何とか過ごせるように、住みやすくする工事もありました。
    (W)
    山中湖セミナーハウスは十年使っていますが、初めての体験でしたね。
    (H)
    山中湖の冬は厳冬です。マイナス20度前後になることもあります。現地の人には、東京の人は「来ないほうがいい」と言われました。北海道出身の人に「北海道よりも寒い」と言わせる寒さだということでした。セミナーハウスの隣の敷地に施設を持っていた方が、数年前の大雪で、3メートルの積雪に閉じ込められ、懲(こ)りた、という話もうかがいました。
    (W)
    防寒着としてスキー服を持っていきました。雪用の長靴やアイゼンも用意しました。
    (H)
    10年前に一日だけ真冬の山中湖に行ったことがあり、その時の雪や氷はすごかったですからね。
    (W)
    ところが・・・暖冬でした。一週間のうちの最も寒い時がマイナス7度でした。スキー服やアイゼンは使いませんでした。
    (H)
    世界的な温暖化の影響でしょうか。マイナス15度は行くだろうと思っていたのに、ちょっと残念。
    (W)
    でも夜の星空はきれいでした。夏よりも空気がきれいなのか、月や星の明るさが素晴らしかった。
    (H)
    鹿さんとも、より、お近づきになれました。冬は木の葉が落ちて、地面は雪で白一色。
    鹿の姿がはっきり見えます。
    (W)
    鹿の足跡が、雪の上に、そこら中に残っていました。糞もね。
    (H)
    鹿の糞は、ピーナツチョコのように黒くて、真っ白い雪に映えます。鹿は、出会うと、警戒してジッとこちらを見ていますが、優しい声で話しかけると、再び穏やかに餌を食べ始めたりします。わかるようです。一週間のうちに何度も話しかけて、警戒が薄くなって、すぐそこにいても、逃げなくなりましたね。

    山中湖セミナーハウスの庭の近くにきている小鹿。庭の石垣のすぐ向こうにいます。頭は左向き。

    右向きだと思うと狐に見えるね。

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    死は「いやだーー!」と「死にたーい!」|生死の統合|セラピーの現場から(702)

    2019/11/08/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「生死の統合」
    (H)
    前回(701)の続きをやりたいと思います。実際のセッションでも、とても重要なところですから。
    (W)
    前回は、小さいころに「母親の意識の中に自分がいない」として死の恐怖にさらされ、それが心の不調の原因になっていたものが、セッションが進んで「生死の統合」を経て回復していく、というような内容でした。
    (H)
    ベビーブレスをやったりして経験がある人には分かるでしょうが、一般には分かりにくいですね。その「生死の統合」というところを今回やりたいです。
    (W)
    「母親の意識の中に自分がいない」ことは、小さな子供にとっては、死を意味することは、ベビーブレスをしなくても、それほど分かりにくくはないと思います。
    この死に対する感じ方で、人は二つのグループに分けられるように思います。便宜的ですが・・。
    (H)
    死に対して「いやだーー!」というのと、「死にたーい!」というのですね。
    (W)
    そうです。
    一つめは、死を忌み嫌い、死を怒りで払いのけようとするグループです。生きようとするエネルギーに重心がある人達です。しかし、死を払いのけることはできません。それで心の不調がやってきます。
    二つめは、死に親近感があり、生きることに価値を見いだせないグループです。死へのエネルギーに重心がある人達です。しかし、生きることを止めるわけにはいきません。それで心の不調がやってきます。
    (H)
    どちらのグループも片肺飛行機のようです。墜落寸前。
    (W)
    原因は同じです。
    「母親の意識の中に自分がいない」というのは、小さいころに愛情が決定的に足りなかったということです。小さな子にとって救いの主になれるのは、唯一、母親です。しかし現実の母親は変わりません。現実の母親はあてになりません。本来は他人です。他人を当てにし続けることこそが、心の不調の原因です。
    (H)
    小さな子、というのは、大人になっても心の中にいる小さな子、ということですね。
    (W)
    はい。みんな、心の中には小さな子がいます。傷ついた子です。
    そこでセッションでは、自分が、仮に健康な母親から愛されたらどうだったか、というようなことをやります。そのときにヒットして、湧き起る感情は、生きようとする強い肯定的な感情です。
    (H)
    その肯定的な感情を味わうと、その感情は、現実の母親には関係がないことが、分かりますね。他人に頼らず、健康な自分が自分を支えてくれることを実感します。自立の感覚です。これが助けになります。
    (W)
    感情というには、あまりに強すぎて、エネルギーというべきですね。
    (H)
    ほんとに。
    (W)
    一つ目のグループでは、・・・
    (H)
    「いやだーー!」の人たちですね。
    (W)
    はい。
    一つ目のグループでは、この自立して生きることを肯定するエネルギーが、不思議なことに、死を受け入れるエネルギーにつながります。あれほど嫌っていた死が、どういうわけか嫌いではなくなり受け入れられるようになります。死を受け入れられると、もともと持っていた生きようとするエネルギーは更に強くなる・・・、というか、死が邪魔にならなくなり、初めて、本当に生きる感じになります。本当に生きると、死は増々、親しくなります。親しくなった死は、生きるエネルギーをさらに強くします。
    (H)
    「いやだーー!」と言っていたのに、まるで宝物と言うようになる人たちもいます。
    (W)
    二つめのグループ・・・、
    (H)
    「死にたーい!」の人たちですね。
    (W)
    はい。
    二つめのグループでは、自立して生きる肯定的なエネルギーが、新鮮な生まれて初めての感覚のように感じられます。生きることに初めて価値を見いだします。死へのエネルギーに重心があり、死には違和感がありません。ですから、死はもともと邪魔にならず、初めての生きる肯定的なエネルギーを、純粋に、受け入れることができます。はじめて生きるのです。純粋に生きるようになると、実はそれまで違和感がなかったものの、冷たい死の中にいたのに、死が冷たくなくなります。柔らかく、あったかくさえなります。
    (H)
    この「死にたーい!」の人たちは、健康な母親を・・というより、小さいころに親切にしてくれた先生とか、心を通じていたペットとか、心を許した自然の景色の思い出とか、のように、母親から離れた事柄を想起することが役立つかもしれません。
    (W)
    そうですね。
    この二つめのグループでは、「健康な母親」というのは、「仮に」の話にしても難しいのかもしれません。ケースバイケースでお願いできれば・・・。
    (H)
    個人セッションでは、ケースバイケースで対応しています。
    (W)
    どちらのグループも、死と生の、一見して正反対の二つのエネルギーが、交互に、互いを深めていくようです。
    (H)
    交互に徐々に、という場合もあれば、一時にドカンとくる場合もありますね。
    (W)
    ドカンの人、いますよね。二つのエネルギーが、ドカンと一つになる感じ。
    しかし、その場合でも、それで終わりではなく、そのドカンの感じをその後も忘れずに維持できれば、さらに深まっていくと思われます。
    (H)
    是非、忘れないでほしい。
    (W)
    さて、この「健康な母親」という手法で起きることは、ベビーブレスで深く入れば、ひとりでに起きてくるプロセスです。「いやだーー!」や「死にたーい!」に強く引っかかってしまうと、なかなか深くには入れない。そこで、そのプロセスを、あえて、手法化しようとしているともいえます。
    (H)
    有効な手法です。
    ベビーブレスで深く入れば、ひとりでに・・・ということですが、そこのところを、もう少し、話せますか。
    (W)
    私も、理屈や手法に頼るのは、本当は好きではありません。
    ベビーブレスで深く入れば、自分自身の嘘を自分で見抜くことができます。
    一つめのグループが、死を排除して生きようとすることも、実は嘘です。何かを毛嫌いし、忌み嫌っているだけです。無力な自分を隠そうとしています。母親からもらった死を、本当は自分が望んでいることを、隠さなければなりません。嫌い続け、戦い続けるために。
    (H)
    本当は自分が望んでいるですよね・・・。
    (W)
    また、二つめのグループは、死へのエネルギーに支配されてることに、本当は、満足はしていません。生きることに価値を見いだせないことに、本当は、満足はしていません。死に傾倒し続けるためには、満足していないことを隠さなければなりません。そのまま、不本意だった生を終えることには、実は、納得できません。それを隠さなければなりません。生きることができる生があることを、うっすらと知っているのに、現実のものとして実感できない。悔いが残ります。
    (H)
    本当は知っているんですよね・・・。
    (W)
    ベビーブレスで可能なのですから・・もったいない。
    二つのエネルギーが一つになる、生と死の統合とでもいうべきものだと思います。死んで万歳、生きて万歳の境地になると思われます。統合した後で、瞑想で確かめて欲しいです。

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    母親の意識の中に自分がいない|心に刻まれた死の恐怖|セラピーの現場から(701)

    2019/10/29/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「母親の意識の中に自分がいない」
    <W>
    ベビーブレスで、自分の心の不調の原因となっていたものを受け入れると、自然治癒が働いて自分から健康になっていきます。
    <H>
    そのプロセスは驚くような劇的なものを含みます。そのプロセスを全力で支えるのが私たちの仕事です。
    <W>
    原因が何か、分かればいいのですが、心の奥では、分かりたくないのですから、分かりたくないという抵抗と戦うことになりますね。いきなり原因が分ったりは、しにくいですね。
    <H>
    そこのところは人それぞれです。
    ですが、ベビーブレスという強力な手法がありますので、原因の断片は手に入りやすいです。断片をパズルのように合わせて、原因に近づきます。
    <W>
    そうして分かった原因として、かなりの人に共通して言えることがありますね。
    <H>
    あれですか。
    <W>
    あれです。
    <H>
    母親の意識の中に自分がいない。あるいは、いなかった。
    <W>
    はい。小さなころですね。
    <H>
    小さなころは感覚が鋭いですからね。本人が大きくなっても母親の意識はそれほど変わらないでしょうが、小さいころに大きな被害を受けます。
    <W>
    大人になってからは、被害つまり傷を受けていることは、はっきりしていません。少なくとも意識の上では・・。蓋をしていた、などといいますね。
    <H>
    ベビーブレスと分析を重ねて、そこのところが、心の不調の1番奥の原因だったとわかる日が来ます。
    <W>
    分かった途端に大きな変化がありますね。
    <H>
    ありますね。分かったことで、これが原因だったと本人が一番感じる。身の回りに大きな変化が起きる。根本的な変化です。今までにないような心の霧が晴れたような感じを受ける。
    <W>
    そのまま、分かったことを維持できればいいですが、・・・。
    <H>
    分かっても、数時間後に忘れたり、数日経ったら忘れたり、することがあります。揺り戻しです。
    <W>
    身体は大人でも、その部分の心は小さいころのままですからねえ。
    <H>
    そうなんです。
    母親の意識の中に自分がいないことは、小さな子供にとっては、死を意味します。分かることは死が待っている。現実的な死ではないですが、小さな子供が感じる恐怖の死です。心の中には、いまだに小さい頃の死の恐怖が癒(いや)されないまま刻み込まれていたのです。命の源であるはずの母親を失い、死の恐怖にさらされる苦痛に耐えられない。耐えられないからこそ、いろいろな不調が起きていた。
    <W>
    そうですね。
    愛されて育つべき小さな子供が、愛されないどころか、母親からの死に、さらされるのですから。究極の死です。
    しかし、やがて小さなころの現実を受け入れていきます。
    <H>
    その受け入れこそが、成長と呼べるもののような気がします。小さなころに果たせなかった成長です。なかなか難しいです。
    <W>
    そこで役立つのが、「健康な自分」ですね。自立して生きようとする健康な自分です。生です。もし健康な母親から愛されたらどうだったか、と・・。
    <H>
    はい。
    自分の子供が意識の中にないという母親は、やはり、母親自身が心に傷を持っているわけです。母親も心に傷を持っていたことは、自分(子供)も、ベビーブレスと分析を通して、分かってくるのですが、それでも難しさは同じですね。死の恐怖はなかなか受け入れられない。
    そこで、母親が健康であったらどうだったかということを想起してもらいます。仮に健康な母親から自分が愛されたらどうだったか、どんな感じがするかと・・・。
    <W>
    そこには喜んで愛情を受け入れる健康な自分がいるわけですね。それまで求めても無駄と諦めていたのに、強烈に愛情を求める健康な自分がいる・・・。生きようとする健康なエネルギーを自分の中に感じることになるのですね。
    <H>
    時として爆発するようなエネルギーを自分の中に感じることになります。その健康な自分は、母親には関係なしに、いるわけです。母親が愛情をくれまいと、傷持ちであろうと、いるわけです。自立している。
    <W>
    そうそう。それまでは現実には、子供を愛せない、傷持ちの母親が目の前にいるわけですから。愛情を求めるなんて、ムダ、無理、あり得ない・・・。そんな状況が、長い間ず——と続いていたわけです。母親にやられて、健康な自分でありえなかったのです。病んだ母親から自立できなかった。
    <H>
    健康な自分が、健康な母親から愛されたらどうだったか、というような時の感情は、生きようとする肯定的な感情です。
    <W>
    その生のエネルギーを強く体験できるのも、それまで、自分の死に向かい合ってきた積み重ねがあり、母親の傷を観てきた積み重ねがあるからですね。
    <H>
    そうなんです。その積み重ねがなければ、想起しろと言っても、空振りです。
    そして、この生きることを肯定するエネルギーが、死を受け入れるエネルギーにつながります。一見して正反対の二つのエネルギーが、交互に、互いを深めていく。
    <W>
    それまで、耐えられずに、嫌いに嫌っていた死を、受け入れる。そうして死を受け入れると、更に深く、生を受け入れる。生と死の統合とでもいうべきものが起きるのです。生きるのもOK、死ぬのもOK。
    <H>
    理屈でいうと難しいですが、実際に、そのところを、自分のオリジナルの体験として体験し回復していくことになりますね。
    ここのところの生死の統合は分かりにくいと思いますので、また、やりたいです。
    <W>
    そうですね。

    *******************

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    自傷を防ぐために唇を切除|生産性を考えるのであれば殺せばいい|天国と地獄|セラピーの現場から(700)

    2019/10/13/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「「天国と地獄」」
    ———————「これ以上頑張れません話を聞いてほしい」———————
    <W>
    アコールのセミナーは個人的なものですが、まれに、企業単位でセミナーをやり、その中で、個人的な問題と企業の問題との絡みを、観させてもらうことがあります。
    <H>
    企業セミナーですね。
    <W>
    企業間の激しい競争によって、企業で働く個人が、人間として苦しむという問題があります。人間性の問題です。激しい競争は、日本全国、のみならず世界全体の苦しみということがあるのでしょう。企業は経済競争に支配され、少しでも生産性を上げなければ、生き残ることができません。生産性の問題です。生き残らなければ、個人に給料を払うこともできません。
    <H>
    その二つは、どう絡みますか。
    ———————「対応を考えたのだから文句はなかろう」———————
    <W>
    例えば、企業で働く個人が、競争が厳しくて業務が辛いから「話を聞いてほしい、これ以上頑張れません、苦しいんです」と思う気持ちを、企業組織の上司に訴える。人間的な苦しみですね。
    上司は、その話を「問題解決」の問題として捉えようとする気持ちがあります。特に男性はそうです。業務が苦しくとも生産性を維持するにはどうすればいいか・・・。「それなら辞めてもらうか、誰かと交替するか。」
    すれ違いが起きてしまう。個人は、「話しを聞いてもらえなかった」。上司は、生産性の解決に向けて「対応策を考えるのが俺の仕事。対応を考えたのだから文句はなかろう。」そこで問題が起きてしまう。話しを聞いてやれなかったかもしれないと上司はあとで感じるが、どうしようもない。
    <H>
    個人の人間性と企業の生産性、この二つが、すれ違ってしまう、ということですね。前者を労働者、後者を資本とすれば、資本主義の問題というような、経済学の問題になりそうですね。
    ———————「階級闘争の話ではない」———————
    <W>
    そうですね。階級闘争ですか。
    しかし、ここで扱うのは、二つが、階級の争いの問題ではなく、一人の人の心の中の問題として存在するということです。一人のサラリーマンの心の中にも二つあるでしょう。一人の社長の心の中にも二つあるでしょう。
    <H>
    自然人の心の中にある人間性と生産性の問題ということでしょうか。
    <W>
    そうです。
    ヒントになる話があります。あなた(H)から昔、よく聞いた話です。あなたが教師として養護学校で働いたときの経験です。
    <H>
    あれですか。
    <W>
    あれです。たっぷりお願いします。
    ———————「尿瓶を持って走り回る」———————
    <H>
    はい。
    私が昔、若いときに、肢体不自由児の養護学校で働いたときですね。
    <W>
    お願いします。
    <H>
    養護学校で受け持ったのは、小学生から高校生にかけての男女の障害児たちでした。服薬のせいで臭いよだれと、腫れた歯茎と、ゆがんだ顔。言葉を話せない人たちも多い。身体も満足には動かせないんです。生きるための自分自身の世話もできない。その面倒を全部見てあげなければならない。トイレにも行けないので、尿瓶を持って、走り回る。若い女の私が、毛の生えかかったおチンチンを、尿瓶の中に入れてあげなければならない。
    <W>
    はい、はい〜。
    <H>
    よだれと臭いで汚れたTシャツを、1日に何回も着替える。初めの頃は、飲み会の席で思わず本音が出て「こんなの嫌だ」と泣いたことがあった。辞めていく同僚も少なくなかったんです。
    ———————「口に入れたら、うんこだった。」———————
    <W>
    はい。
    <H>
    そんな日が何年も続いた。徐々に慣れていった。私自身が変わっていったんです。彼らの中に自分の生活もある状態だった。食事指導も教育の一環で食べさせていた。自分も一緒に食事をしていて、チョコレートパンのかけらを落としたと思って拾って口に入れたら、すごく苦かった。うんこだった。
    <W>
    苦いんですね〜。
    ———————「車いすから降りて這いずってゲームを戦った」———————
    <H>
    重度の障害児たちだったので、身体は、まともに動かせないんです。そこでバスビーというゲームを産みだしたんです。バスケットとラグビーを一緒にしたようなゲームだった。彼らは、松葉杖や義足などを外し、車いすから降りて、ゲームを戦った。這いずって行って、タイヤの中にボールを入れたら得点になる。介助に入っている教師も自分の手足を縛って参加し這いずった。ヒートアップし、あちこちで、噛み付きや髪の毛を引っ張る事態になった。だから噛み付きと髪の毛引っ張りは禁止にした。ルールはそれだけだった。子供達はゲームに夢中になった。
    <W>
    手足を縛って、ね~。
    <H>
    教室で、何か学科を教えるというよりは、子供達の中で一体となって過ごした。休み時間も、職員室にはいなくて、教室の廊下で、プロレスみたいに、子供と組(く)んず解(ほぐ)れつしていた。子供達も私とのプロレスを好んだ。子供達からの評判は抜群だった。教師同士の授業研究では注目された。
    <W>
    授業が・・というより、心が繋がっている・・。
    ———————「生まれたとき母親は殺そうとした」———————
    <H>
    ある時期、私に、大きな不幸が起きたんです。事故や病気で、夫や肉親が立て続けに亡くなっていった。職場から帰ると泣き通す日々だった。毎朝、泣きはらした顔で職場に行った。子供達が言った「また泣いただろう。」言い返した「泣くに決まってるじゃん。」
    子供達からの評判が更によくなった。あいつには、心がある、というようなことのようだった。子供達も私に話をした。「自分が生まれたとき母親は殺そうとした。」「親戚に責められて母親は死のうとした。」などと。私も、この職場に来たときには「気持ち悪い、何でこの子たちは生きているの、こんなの嫌だ」と泣いたんだという話をみんなにした。・・・それでも、何がやりたい?と問うと、みんなでバスビーをやりたいと言った。いつの間にか天国を見ていた。彼らは生産性はゼロだが人間性の塊だった。
    <W>
    うん。
    ———————「高収入のぬいぐるみ」———————
    <H>
    少し横道にそれます。こんな仕事をしていて、いろいろ有名な会社のトップの方にもお会いする機会がありました。高収入、高学歴、容姿も淡麗、話し方も流麗、服も一流。でも心がない。からっぽ。まるで、立派なぬいぐるみのよう。本当にぬいぐるみだと感じたんですよ。
    それに比べて、障害児の子供達は正反対。見た目は丸でひどい様子だったが、心は超一流。
    <W>
    ・・・・
    ———————「自傷を防ぐために手術で唇を切除して歯列が丸出し」———————
    <H>
    子供達は自分の世話ができない。便秘の子供はお尻をほじってやらなければならない。女の子には生理のときタンポンを入れてあげなければならない。そんなとき私は「感謝するんだぞ」などと言っていた。でもあるとき気が付いた。自分でできないので断れない、他人に頼むしかない。年頃の子供達は恥ずかしいはず。我慢しているはず。それなのに・・・と、トイレに駆け込んで大泣きした。
    <W>
    ・・・・
    <H>
    彼らの中には、自傷で、唇を歯で噛み、頭を打ち続ける子がいた。唇を血だらけのぼろぼろにするので、それを防ぐために手術で唇をすっかり切除して歯列が丸出しになる子もいる。彼らは、自殺しようとしても窓枠までたどりつけない。自殺するために海岸に行くわけにはいかない。私は車でどこへでも行ける。なんと恵まれていることだろう!。
    <W>
    ・・・・
    ———————「生産性を考えるのであれば殺せばいい」———————
    <H>
    教育とは何か、障害児教育とは何か。障害を持つ子供達は長くは生きられない。数年で死んでしまう病気の子もいる。教育して言葉や算数を教えてそれで何になる。生産性はゼロどころかマイナス。生産性を考えるのであれば殺せばいい。3年前に障害者施設「やまゆり園」で大量殺人が起きた。ヒットラーはそれをやった。ドイツ国民が支持した。社会で劣っているとみなされた人々が、恐ろしい数、殺された。まるで地獄。しかし生産性を考えれば合理的な考えかも知れない。
    <W>
    ありがとうございました。
    人類が誕生して数万年。地球ができて数十億年、宇宙ができて百数十億年。私たちは無事に生きれば80年ほど生きる。しかし80年だろうが数年だろうが、全体から見れば大して違わない。自分たちは同じような時間、同じところに住んでいる。
    「話を聞く」という人間性のことと「生産性」のことで、Hさんの面白い経験談が久しぶりに聞けました。
    話を聞いてほしいという人に対して、話が聞けなかった、と嘆くことは、一見ほんの少しの食い違いかもしれません。しかし、Hさんが養護学校で経験された「天国」と、劣っているものを殺してしまう「地獄」とは、天と地のほどの食い違い。根は同じ。人間性と生産性の食い違いは深いです。

    *******************

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    doではなくbeを会得する自己トレーニング|セラピーの休憩時間(699)

    2019/10/09/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「doではなくbe」
    ベビーブレスは、激しい呼吸を長時間続けることで、赤ちゃんのようになることを目指す。うまくいけば赤ちゃんのように呼吸し、赤ちゃんのように声を出し、赤ちゃんのように動く。始めはうまくいかないかもしれない。「演技」が有効かもしれない。そのうちに赤ちゃんのように「なる」。「演技」から「なった」ことは本人が分かる。doからbeである。治療的退行と呼ばれる。いろいろの治療効果が期待できる。
    ところが「演技」と「なる」の区別がつかないということがある。いつまでも「演技」が続き「なる」ことができない。いつまでも演技が続き、それを演技だと自分で認識できない。
    そういう場合、ベビーブレスの中だけではなく、生活自体にも同じような傾向がある。要求されたことはする(do)けれど、自分が何をしたいのか分からない。自分の本音が分からない。自分に感情がない。「be」できない。
    「beの自己トレーニング」
    そうであれば、日々のトレーニングを次のように行うことができる。一人で部屋に立っているとき、横になっているとき、何かを意図して行う「do」ではなく、何かを「する」必要がない「be」を会得する。まるで赤ちゃんのように「なって」しまわなければならない。要求されなくても、自分がしたいことを、いつの間にかやっている、それが自然に身についていく。例えば、部屋を掃除するにしても、掃除機を動かす順序などは気にせず、目についたやりたいところから掃除する。やりたいところが変わったら、その瞬間に、何も考えないまま、変わったところを優先して掃除する。
    「徐々に変わる」
    そのようになるよう自己トレーニングすることで、そのように務めることで、できなくてもできるように努めることで、徐々に、自分の中が変わっていく。
    そうすれば、何をしたいのか、と問われれば、簡単に答えられる。自分の本音が明確になる。知らないうちに自分の感情とともに居る。それが健康というものであることが実感として分かる。

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    辛さの奥には辛さを感じる健康さがある|セラピーの現場から(698)

    2019/10/01/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <W>
    長い間、ブログをお休みしていました。ホームページもアクセスできない期間がありました。
    <H>
    サーバーの引越しだったんですね。
    <W>
    そうなんです。自力でやれる部分を増やそうとして、一応、自主管理ということでやろうとしたんですが、難渋しました。
    <H>
    今は、トラブっていることはないのでしょうか。
    <W>
    はい、おかげさまで。
    <H>
    ブログも頑張ってくださいね。待っている人も多いと思います。
    さて、今日は、「自分の辛さが分かる」ということを話したいと思います。例えば、自分自身の生き辛さ、人とのトラブルなどの、辛さ。
    <W>
    いつも、内輪で話題になることですね。
    <H>
    そうです。話題になる理由は、そこに二つの方向があるからですね。一つは、辛さから逃げてしまう。責めることはできません。もう一つは、辛さが分かるということは、ある理解がそこにある。逃げない。
    <W>
    快、不快で、苦痛から逃げるのは、当然と言えば当然ですからね。でも、逃げてしまうと、セッションの進みが悪くなってしまう、という愚痴も出てしまうのですね。
    <H>
    はい、愚痴が出ます。
    <W>
    本気で逃げる時は、本人は、逃げたという意識は無いですね。
    <H>
    重症なほど、無いですね。「こんな辛いこと、いやだ~、逃げてやる」というのは意識がありますから、重症ではありません。重症なときは、意識がなく、ケロリとしています。自分が逃げたことを知りません。
    <W>
    戻すのが大変ですね。「・・・逃げてやる」は、逃げることが話題になっていますから、楽ですよね。ケロリは、そもそも逃げたことをどうやって話題にするのか、から工夫しないといけませんね。
    <H>
    そうです。
    <W>
    そもそも、人は、辛い状況にあっても、これが普通と思うかもしれない。セッションを受けて、回復したときに、こんなこと!(回復した状況への感慨)が起きるのかという感想を持つ。それからすると、あの状況は普通じゃなかった。すごく辛かった。それで初めて分かる。それまでは、本当の意味では、けっして、分からない。
    <H>
    そう。
    <W>
    回復が起きないうちには分からない。
    <H>
    う・・・ん。いえ。
    辛いということは、実は、分かっている。ぼんやりさせているかもしれないけれど、分かっている。分かっているからこそ、辛い。辛さの奥には辛さを感じる健康さがある。
    <W>
    辛さを感じる健康さこそが、治療の始めに、治療を進める原動力になる、ということですね。
    <H>
    はい。治療が進み、辛さの原因を見抜いたときに、自分は健康であったことが強く分かる。自分は始めからこうだった。健康だった。ちょっと病んでただけだ。
    <W>
    治療のためには、その辛さこそが、救い。そこが今日の話ですね。
    <H>
    辛さの手前で、辛さを否定すれば・・、辛さなんてない、これが普通、人並みと、いうことにすれば、自分への嘘つきにならざるを得ない。嘘つきの人生。分かることは健康。辛いと分かることは健康。

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    ホームページ復旧しました|セラピーの休憩時間(697)

    2019/09/21/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    ここ1週間以上、ホームページやブログが、アクセス不能になっていました。お詫びします。

    アクセス不能の原因は、ホームページのサーバーを引っ越しする作業に、遅れが生じてしまったためです。現在は引っ越しが完了し、アクセスは可能になっています。

    引っ越しが必要となった理由は、ホームページの始めに「安全ではありません」という表示が出てしまうのを解消するためでした。解消するには、ホームページの安全性を証明するSSLサーバー証明書を設定する必要がありました。SSL化という作業です。ところが、ホームページをお願いしていた業者さんの使っているサーバーの使い方が特殊だったので、SSL化が不可能でした。結局、SSL化するには、サーバーの引っ越しが必要でした。この引っ越しに際して、いろいろ検討しているうちに、サーバーやホームページの管理を、今までのように業者さんを探してお願いするか、あるいは、思い切ってアコール自身が管理するかという問題が出てきました。結果的には、アコール自身が管理する方が有利ということになりました。

    しかし、いざ、サーバーを引っ越しする作業をアコール自身でやるということになって、知識不足、経験不足により、いろいろのことが難問、不可解、摩訶不思議な現象となって現れ、時間ばかりが経過し、大きな遅れになってしまいました。

    以上

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 0 0 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-09-21 13:37:142019-09-21 13:41:52ホームページ復旧しました|セラピーの休憩時間(697)

    死ぬ事も生きる事も出来ず|封印してきた「大好き」から突破|セラピーの現場から(696)

    2019/08/06/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <H>
    今日はNさんの話を聞きたいと思う。大きな山を越えたように感じる。
    Nさんは仕事では頑張れる人だ。成果もあげる。しかし、子育てや人間関係でトラブっていた。大事な場面ではシャッターを下ろして殻を閉じてしまう。シャッターの向こうから、ついついトゲトゲを出して攻撃的になってしまう。それで自分自身が困っていた。
    <N>
    はい。
    <W>
    大きな山を越え始めるきっかけが「大好き」と言う言葉だった。
    <N>
    そう。
    私には、絶対に言ってはいけない言葉があった。 「大好き」と言う言葉だ。この言葉を自分の奥底に埋 め込んだ。その言葉とともに湧き出てくる自分の感情に、鍵をかけて、無いことにして、ずっと無視をしていた。
    <H>
    そう言えば、他人への「無視」もあなたのトゲトゲの主要な一部だった。
    <W>
    自分の感情への無視だけではなくて・・・。
    <N>
    「大好き」と反対に、「嫌い」や「イヤだ」などの否定的な言葉は言いやすかった。すぐに自分の感情と一緒になった。ずっとそちら側にいた。 反対側に。
    <H>
    なぜか。
    <N>
    甘えである「大好き」と言う感情を出してしまったら、 母親にうとましく思われ無視をされてほっとかれて 1人になってしまうからだ。1人になったら寂しくって生きていられない。
    <W>
    否定的な言葉はなじみやすかった・・?。「1人」を否定して頑張る。
    <N>
    私は生きるために、頑張らなければいけなかった。 私の頑張りは、ブレス(ベビーブレス以下同じ)の中で、這(は)ってでも前へ進むという匍匐(ほふく)前進と言うイメージで現れた。そのイメージの通り、とにかく頑張る、自分の居場所を作るために頑張る、自分 の存在を周りに認めさせるためにとにかく頑張る! そして頑張る。それでは足りず、1人で匍匐前進するだけでは足りず、誰かを背負てでも頑張る!そんなかんじだった。
    <H>
    他人にも?
    <N>
    甘えを出している人がいれば「甘ったれてんなよ」とイライラする。甘えたいのはこっちだよ!と怒る。
    <W>
    それだけ頑張っても満足できるというのではない?
    <N>
    そんなに頑張って匍匐前進していてもやりきっ た感じがしない。満足しない。足りない。で、逆にやればやるほど寂しくなってきていた。自分の存在を消 したくなる事も多々あった。
    <H>
    少しづつ種明かしができてきた頃だよね。なぜ、そんなに頑張らなければならないのか。
    <N>
    私はいらない子だった。母親の意識は子供(私)にはなかっ た。生まれる時も母親の意識は私にはなかった。私は、(ブレスの時のイメージとしては)お腹の中にいるときから必死にへその緒を握りしめ流れないようにしていた。頑張っていた。 まだ、出たくないのに出されてしまった。帝王切開だった。母親も麻酔をかけていて本当に意識がなかった。生まれたときに母から注がれる意識を私は、もらっていない。
    <W>
    意識がないというのが一番つらい。
    <N>
    そして私が 1 歳 9 ヵ月の時に弟が産まれた。母親の世話の意識は弟にいってしまった。 私が駄々をこねたり、甘えたりすると母親がもっと大変になってもっと見てもらえなくなる、無視をされるのが嫌で、なにも言わず、待っていた。
    <H>
    「無視」は母親からもらっているかも。一番つらいのが無視。
    <N>
    弟の世話を手伝い良い子にしていた。今でも母親は、「あんたは手のかからない子だった」といっている。 私は甘えたい気持ちをおしこめた。頑張ることで「いていいよ」と思ってもらえるようにした。もしも私が男だったら、もっと見てもらえる のではないかと思っていた。兄弟の方に母の意識がいっていたから。だから男ぽくふるまっていた。本当の男には、まけたくなかった。 何かに熱中するこで自分の居場所を確保したかった。
    <W>
    男のように頑張ってみとめてもらいたかった。
    <N>
    大人になり仕事を始めたら、そんな気持ちがもっと出てきた。とにかくがむしゃらに仕事をした。頑張った。甘えたい気持ちは無視をしたまま。 後輩ができると、その子達と上手くいかず、みんなやめ ていってしまった。続けられないのはその子の問題で、 自分とは関係ない、「なんでもっと頑張れないんだろう?」と思っていた。そうだから、人との関係が上手くいかなくなり悩み始めた。自分の気持ちを表現するのが難しかった。
    <W>
    そもそも自分の重要な気持ちの大好き、甘えを表現してはいけない。
    <N>
    その時の自分のイメージは「ミノムシ」だった。殻の 中に閉じこもり怖くって殻から出られない。外側は、 肩肘はって頑張っている。 この頃のブレスは、ずっと「寂しい、怖い」といいながら 泣いていた。どんどん泣いて、叫べるようになっていった。 ミノムシの中の気持ちを出せるようになってきた。 泣いて、寂しい怖いを続けていたら、自分の寂しさが少しずつわかってきてミノムシの殻を出てみよう。と思って殻を破った。殻の中では自由になってきたけど、まだ内側と外側の境界があった。
    <H>
    自分はミノムシだと分かったのが大きかった。
    <N>
    そのミノムシや境界は、シャッターとも言っていた。何かがあると、自分では怖くってシャッターを、ガラガラガラーとおろす。おろしているんだけれども、シャッターの外側にはトゲがあり、そのトゲで人をやっつけていた。
    <H>
    トゲが出ていることが分かったのも大きかった。
    <N>
    トゲで攻撃していた。当時は、攻撃をしているとは思っていなかった。でも、トゲは殺意だった。かなりの殺傷能力があるトゲだ。 当時は、攻撃されないように守っていると思っていた。攻撃を 受けそうになると頭が真っ白になっていた。何も浮かばない思考停止、フリーズしてしまう。これ以上内側に攻めこまれないようにシャッターをおろす。外側から何を言われてもシャッターは開かない。外側から見たら、トゲがあり、触れられない状態。シャッターを下ろしているときは、周りを無視する。強い強い無視 だ。「大好き」という甘えの感情を出させてないようにするために外側への強い攻撃をすることで自分の問題に入れない様にした。
    <W>
    「大好き」という甘えの感情が自分の中に存在することを、知られることの方が、辛い・・・。
    <H>
    だからトゲは、本当は好きな人にとりわけ鋭い!
    <N>
    私は、これだけ頑張っているのに認めてもらえずに寂しかった。寂しい自分をわかって欲しかった。認めて 欲しかった。自分の寂しさがわかってくれそうで認めてくれそうな人(上司)に依存した。甘えを出すのなら、まだ、かわいいが、私の場合、陰性転移の方が多かった。 攻撃した。自分だけ見ていて欲しかった。一番になりたかった。意識が向いているときは良いけど、向いていないときは、強い反発で無視をした。攻撃をした。「どこまでやれば、追い出されるのか?」とかけひきをしているかんじだった。強い強い無視を続けた。その強い無視は、上司だけでなく、上司の大切な人もやっつけた。職場から追い出した。そして自分の居場所を確保した。憎悪、嫉妬をすべてぶつけていた。
    <W>
    でも満足はしない。本命は・・。
    <N>
    外側に出しまくっていたけれども、本当にわかってほ しいのは母親だ。上司に、周りに出させてもらっていたから、本命の母親に向かえるようにもなった。母親を求めた。「こっち見て!」「私は、ここにいる」と求めても求めても(母が)「いない」のはもう知っている。だから、いつもここで諦める。求めても来ないなら、求めることをやめちゃおう、としてきた。実際の母を見たら(見込みがないので)、余計にあきらめる。「もうー、言わない。」求めない。というように 自分の気持ちを無視する。
    <H>
    「あきらめ」ていることに気が付いた・・。
    <N>
    そう。でも本当はメイプルシロップのようにベッタリと一 緒にいたい。一秒たりとも離れないようにベッタリと して離れたくない。洗い流してもまだ、ついているようなべったりとし感じ。ずっとずっと言いたかった。ずっとずっと思っていた。
    <H>
    その本音に気が付いたのが気持ちよさそうだったねえ。
    <N>
    私は、二度初期の流産をしている。ほしいと思いながら、本当の本当は、「欲しくなかった。」 妊娠がわかったのにお腹に力を入れたりした。実際は、殺したんだ。上の子で手一杯だった。
    <W><H>
    ・・・・・・・。
    <N>
    理想の母親になりたかったんだ。やっぱり、ここでも凄く頑張っていた。 常に子供に意識を向けて子供の意見を尊重させて… そんな母親になりたかった。でもできなかった。 頑張って良い母親になろうとしていた。その頑張りで 子供の湿疹がひどかった。湿疹なんて無いことにしたかった。湿疹を見ると自分の頑張りが足りないのではないかと感じていた。周りからも、そういう目で見られているんじゃないかと感じていた。どんどん自信がなくなった。不安で薬をぬっていた。全然良くならなかった。
    <W>
    がんばってする子育ては無理があった・・・。
    <N>
    もともと、頑張る事事態は嫌いじゃな い。でも、人を背負って匍匐前進するほどの頑張りは、やりたくなかった。
    <H>
    「メイプルシロップ」や「やりたくなかった」の頃に転機がきた・・・。
    <N>
    分かってはいても、なかなか甘えや弱さが出せないでいた。あるグループカウンセリングのときに「もしも匍匐前進をしなかったら…」と言う問いを出された。応え切れないまま、後日、その事を瞑想していたら、何もできない頑張れない赤ちゃんの自分が布団の上にいた。いつもなら何も考えず自動スターターのように匍匐前進しているのに、できない。布団の上でじっと待っている。死ぬ事も出来ず動く(生きる)事も出来ずにいた。母も誰も助けに来ない。大泣きしたときに「大好き~」と言う言葉がでた。泣きじゃくって大好きをずっとずっと唱えていた。
    <W>
    大きな山・・。
    <N>
    その後、山中湖でも「大好き~」と言う寸劇をした。無意識の反撃があり、ゆり戻しで怪我、事故をおこした。どんなに「大好き」 を封印していたのか、鍵をかけて押し込んでいたのかが良くわかった。「大好き」と言うエネルギーを出せるようになって、言葉でも、行動でも自分が変わってきているのが分かった。
    <W><H>
    うんうん
    <N>
    ところが、それなのに、実際の母のまえに行くと、自分が閉じるのがわかる。
    <W><H>
    いよいよ本丸だ。
    <N>
    その後のブレスで、「大好き」と「怒り(殺意)」を同時に出せる様になった。それから「大好き」は自分のもの、と思えた。「思っていて良いんだ!」「私のものだ」と自信になっていった。
    <W>
    それまで「怒り(殺意)」は出しやすかった・・。
    <H>
    そう。「大好き」が後から追いかけてきた。
    <N>
    「大好き」と「怒り(殺意)」は別々のものだと思っていた。だけど、大好きが OK になればなるほど、セットで怒り、殺意が出てくる感じがある。両方あっていいんだと、思えるようになった。一緒じゃん。元々のエネルギーは。
    それでも、それまでのクセが出る。頑張る方に引っ張られる。行ってしまう。甘えが薄れてくる。怒りや、殺意の方がおおくなる。でも、戻れる様になってきている。行き来自由になり たい。
    <H>
    愛憎の統合・・・。
    <N>
    「大好き」「殺意怒り」が足りていないと思っていたが、ブレスで父親、母親一人ずつちゃんと殺せた。そして両親一緒にギューッと抱き締めた。両親と私が川の字で寝ていた。小さい頃、兄弟がいたので両親を一人締めしたことはなかった。できた。嬉しかった。自分のものになった感じがした。
    <W><H>
    うんうん
    <N>
    子供とも一つになりたかった。
    ブレスで子供を殺した。子供は私の殺意を知っていた。なかなかトドメをさせない私に子供は「バイバイ」と笑顔で言った。そして食べて自分のものにしたくなった。一口頭から食べた。飲み込む瞬間や食道を通る感覚がハッキリとわかる。ゆっくり、ゆっくり全身を食べていった。全身食べ終わる頃には私の身体中から黄色いエネルギーが出ていた。私の末端の指先足先まで届いた感じがした。満たされている。
    <W><H>
    うんうん
    <N>
    私は、「大好き」がほしかった。一体感が欲しかった。愛情が欲しかった。そして殺意がある。 大好きも殺意も同じエネルギーだ!
    <W><H>
    うんうん

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    大きな壁を突破して絶好調の毎日|絶望を手に入れたとき「私、解った!」|セラピーの現場から(695)

    2019/07/27/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <W>
    今日はYさんのインタビューをしたいと思います。
    <H>
    Yさんは大きな壁を突破して、絶好調の毎日を過ごしています。
    <Y>
    (笑)
    <H>
    ご自分でも、今まで経験した自分史のまとめを書き始めているということです。しかし、絶好調のせいで、新しい仕事も始めたということもあり、日常もいろいろ忙しいようで、自分史の完成は時間がかかるかもしれません。とりあえず、皆さんにご報告したいので、今日、インタビューさせていただきます。
    <Y>
    毎日が気力に満ちて充実していて、夜はコテッと寝てしまうんです。
    <W>
    (笑)
    <H>
    ベビーブレスを始めた頃のあなたは、全くやる気がなかったですね。
    <Y>
    最初のベビーブレスは、高校生の頃です。そのころ、朝起きる事が出来ず学校も遅刻するようになり、夜になったらバイトに行く…また朝が起きられないの繰り返しの私にうんざりしてました。母親に勧められて、嫌々ベビーブレスをしました。「やりゃ良いんでしょ、あなたが満足するんでしょ」とやった。呼吸もせずにただ寝ていたんです。
    <W>
    始めたきっかけは子育てがうまくいかないということでしたね。
    <Y>
    子育てでオッパイが出すぎたということもあり、オッパイを上手く吸ってくれない娘のせい‼︎とイライラして、4階から子供を放り投げるイメージが出ていました。それを思いとどまったのは私の愛情だ、と自分に言っていました。子供の大事な成長期にネグレクトが続いたことも、思いとどまった愛情の結果だったんです。
    <H>
    ベビーブレスなどのセッションを続けて「絶対嫌」というのが手がかりでした。重要なところで口癖のように「絶対嫌」と言っていました。何が絶対嫌なのかはっきりしないところがありましたね。
    <Y>
    心の傷の奥底を「絶対嫌」と言っていた。今思えば絶望だった。心の谷底へ通じる淵。とてつもなく怖かった。愛情や殺意がバラバラに存在していた。そのことが話題になっても、せっかくバラバラにしたのに何故一つにしないとダメなのと、いう感じで、ピンとこなかった。
    <W>
    なるほど。
    <Y>
    バラバラになっていることこそが、自分の存在意義の感じなんです。うまくは言えないけれど・・。いろいろの心痛やトラブルを、バラバラになったそれぞれのせいにできる。ある心痛は愛情のせい。あるトラブルは殺意のせい。傷の奥底に絶望があってバラバラにした。愛情や殺意は、本当は自分の中にあって、自分という一つのものなのだけれども、バラバラにしておくことで、全部周りのせいにできる。この私の愛情があってそうなったの!私は悪くない。私に向けられた(母からの)殺意に対して、殺意でやり返して生き抜くことが私のすべてだった。怒りでやり返すことが自分の存在意義だったんです。
    <H>
    激しい怒り(殺意)がありました。絶望を怒りで追い払うというか・・・。
    <Y>
    ところが、絶望を手に入れたら怖くない。絶望を手に入れたとき「私、解った!」と叫んだ。何度も叫んだ。その感覚を説明するのは難しい。これこそが本当の私の存在。生きていても存在がある。死んで体が無くなっても私の存在がある。
    <W>
    バラバラのものが一つになることが、谷底淵の絶望だったんですね。
    <H>
    Yさんの描いた絵はそう言っているようにみえますが・・。
    <Y>
    そこのところは未だによく言葉にできないんです。「解った!」という感覚ははっきりしていますが、感覚のままなんです。
    <H>
    「解っ」てみると、生きることも死ぬことも私だ、という感覚なんですね。
    <W>
    言葉による説明を越えていますね。絶望が嫌だったのでバラバラにした。絶望を手に入れたから怖くない。そういうことになりますね。
    <H>
    今のYさんは以前にくらべ堂々とした美人で別人のようという人もいます。美人の度合いがますますパワフルになって、そばにいると、こちらも元気になります。
    ご自分で意識するのは難しいかもしれませんが、どう変わったか、教えてください。
    <Y>
    私は、死や病気に対して人並み以上の恐怖があったんですが、最近の乳がんの検診でビクビクしない自分がいました。それまででは、あり得ない感じです。今までだったらパニックになっていました。持病の足爪の治療も怖くなくてできた。
    仕事も新しく二倍にしました。やりたいんです。新しい仕事の指導を受ける時も「緊張していないね」と言われました。古い仕事の仕事場でも、自分は楽になっている、と感じています。そのせいか、同僚に「やっと心が開いたのね」と言われてしまいました。
    <W>
    子供さんへの気持ちはどうですか。
    <Y>
    子供を憎たらしいと感じるのは消えてきました。でも全て消えたというのではなく、突発的に子供へ怒りを感じることもあります。そのときも「私の殺意だ」と分かる。認識できるので楽です。今までと違います。そのため自分にも子供にも隠さなくて良い状況になっています。今までは子供への殺意を隠していたので後悔したり、子供の事を思うと切なくなり、辛かったです。

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    親に感謝しろ!宗教との対比|戒律がないとだめ?|セラピーの現場から(694)

    2019/07/18/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    宗教との対比
    「H」
    私達のベビーブレスでは、フォーカスする部分が、主に母子関係が中心になりますね。それも愛憎のアンビバレントに重点がいきます。
    「W」
    そのことについて・・。
    母親へのアンビバレントに特化されると、何か定められた方針があって、それに沿って活動しているようで・・、予め定められていることに対して批判も生まれるかもしれません。
    「H」
    型に嵌めると・・?。しかし、これは何か方針というよりも、長い間にベビーブレスで人の心の奥を探っていった結果です。何十年も探ってきた結果です。その自然な事実として、トラブルの中心にはそのような部分が存在しており、その中でも重点はここという、当然の流れであったということですからね。
    「W」
    それに、人のこころへ精神分析的な探求をすることとも関係します。
    「H」
    関係しますね。ベビーブレスを利用して、自分で自分の心を科学し、自己分析して、一体どうなっているか、と。どうなっているかを自分で理解し納得できれば、洞察が起きてトラブルが自然と改善する。これ以上に根本的なセラピーはないのでは・・・。
    「W」
    その通りですが、批判としては他にも、大恩のある母親への憎悪を正面から扱うことなどです。「母を憎悪するとはけしからん!」と。
    「H」
    批判は避けたいので、あらかじめ話しておきたいということですね。
    「W」
    そうです。
    宗教などとの違い、どうあるべきかではない。どうなっているか、ということです。「どうあるべきか」は人間性の抑圧につながり、「どうなっているか」は人間性の理解、解放につながります。
    「H」
    まったく。
    「W」
    例えばいろいろの宗教は「親に感謝しろ」という。
    「H」
    宗教にはいろいろな戒律があります。それは、たくさんの戒律がないとそもそも歯止めがきかないのだろうなと思ってしまう。必要でなければ存在しない戒律です。
    「W」
    そうです。人々を抑え込みにかかります。戒律がないと、まるで宗教が成立しないかのようです。
    それらの宗教は残れたものだけが残っている。優れていてもつぶれていったものも山ほどあると思います。生き残れた事情として、人々に支持されたということもあるのだろうけれども、それよりも、治世する側としての国に認められたということがある。国が認めるということは倫理や道徳、治世しやすさと折り合いをつけた宗教だけが残っているということです。裸の宗教はつぶれてきたはず。原始仏教や原始キリスト教は、国との整合性がないので、今は生き残っていない。ブッダやキリストは生きていれば殺されます。
    「H」
    生き残っている宗教は人々や国に支持されたということですが、表面的にはそうでも、本当に支持されたのでしょうか。生き残った宗教が本当に人々に役に立つのならば、今の世の中の心のトラブルは、いったいなぜ起きているのでしょうか。恐ろしいようなトラブルが山ほど続発しています。

    「W」

    そのことを言いたかったのです。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/07/IMG_4384.jpg 640 480 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-07-18 11:44:182019-07-18 11:44:18親に感謝しろ!宗教との対比|戒律がないとだめ?|セラピーの現場から(694)

    ほんとうは何を捨てたいの?|あなたはどちら派?断捨離の賛成派と反対派|セラピーの昼休み(693)

    2019/07/11/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「W」
    断捨離ブームが起きて久しいですが、変化が起きていますね。ネットを見ると断捨離の賛成派と反対派がいっぱい出てきました。
    「H」
    始めにゴミ屋敷や片付けられない人々がいて、それから、断捨離ブームが起き、物を捨ててすっきりすることに共感する人が大勢出て、ブームが盛り上がりました。
    「W」
    それが行き過ぎたのか、断捨離依存症とか過度のミニマリズムなどと、反対の意見が言われるようになって来ています。
    「H」
    そうなんですね。
    「W」
    賛成派の主な主張は、「もったいない」という気持ちは執着心の表れで、断捨離することですっきり整理整頓ができ、決断力もつくようになる、などということでいいと思います。
    反対派の主な主張は、過剰な断捨離やミニマリズムの根底には「怒り」や「不満・不安」があり、それらを、物を捨て去るという形で解消しようとする。捨てる快感にのめり込み、必要なものを捨ててしまうなどの不都合も起きてしまう、などということでいいと思います。
    「H」
    あなたは、どちら派ですか?。
    「W」
    溜め込み派です。私の家はリフォームしてまだ1年ちょっとなので、見た目は超すっきりしていますが、実は捨てられない私物が、人目に付かないところに溜め込まれています。あなたは?
    「H」
    断捨離あこがれ派です。捨てられてすっきりしたらいいなあと思うのですが、なかなかそうはいきません。
    「W」
    興味があるのは、ブームを起こした心理ですね。
    何に対しての「執着」なのか?何を「整理」できないのか?何が「決断」できないのか?何に「怒り不満不安」があるのか?
    「H」
    そうですね。「物」は表面的なことですからね。
    「W」
    同じことが精神病理学の世界でも、はっきりしない。
    [H]
    どういうことですか?
    「W」
    精神病理学では、不安や恐怖という言葉が、重要な場面では必ず出てくるけれども、「何に」「何が」不安なのか恐怖なのかは、語られない。断捨離の世界と同じように、語られない。
    「H」
    ベビーブレスでははっきりするのですけれど・・・。
    「W」
    宇宙物理では、宇宙の誕生さえ解明されている状況なのに、精神病理学の世界、人間心理の世界は寂しい限りです。
    「H」
    ベビーブレスやカウンセリングでは、無意識を何とか意識化し洞察が起き言語化することで、改善が起きます。それが目的です。断捨離では意識化はなされていなくても、「捨てる」という行動化で、すっきりするのだと思います。
    「W」
    すっきりですね。快感が得られるのですから。
    「H」
    すっきりです。
    「W」
    しかし、意識化がついてこなくては、ただの行動化と同じになってしまいます。
    「H」
    先ほどの「何に」「何が」の部分は、分からないままですね。
    「W」
    そう。憎悪や暴力も快感はあるわけですから。
    「H」
    でも、憎悪や暴力にくらべれば、物を捨てるのは、穏やかで平和主義的ですね。
    「W」
    くらべれば、ね。
    それも、必要なものを捨ててしまうところへ行けば、限りなく近づいてしまうでしょう。

    「H」
    だから、あこがれ派にとどまってしまうのかもね。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/07/IMG_4441.jpg 374 324 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-07-11 09:19:142019-07-11 09:29:28ほんとうは何を捨てたいの?|あなたはどちら派?断捨離の賛成派と反対派|セラピーの昼休み(693)

    どうにもならない母親|自分が切り替わる瞬間|セラピーの現場から(692)

    2019/07/04/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    どうにもならない母親|自分が切り替わる瞬間4パターン
    「W」
    今日は、どうにもならない母親に立ち往生していた人が、あるとき切り替わる瞬間があり、突破口へ向かうという話をしたいです。
    「H」
    外向きから内向きへ、ですね。
    「W」
    それはそうですが、そう簡単に言っていただくと、なにやら企業の研修会のスローガンみたいで・・・。
    「H」
    これは失礼。
    その切り替わる瞬間は、こちらから見ていると劇的な瞬間とも言えますが、本人は只々起きてしまうことで意識がないようにも見えたりします。
    「W」
    そこを意識化できれば・・、言語化できればと、思います。
    ベビーブレスを進んでいくと、例えば、次のような経過をたどることが多いですね。始め、出なかった感情を出せるようになって、その感情の中には激しい怒りがあることに気が付いて、怒りの元になる心の傷があることが分かり、その傷が母親から来ているがはっきりしてくる。同時に、母親もまた、その母親(祖母)から傷を受けていることを理解するようになる。
    「H」
    はい。そのあたりまでは、順調な回復とともに進むことが多いように思われます。
    「W」
    それでも納得できなくて、どうにもならない母親をなんとか変えようとし、エネルギーは外側へ外側へと向き、それが叶わない怒り悲しみ恐怖にとらわれる。
    「H」
    怒り悲しみ恐怖に絡め取られて身動きができず苦戦する人が多いですね。心理的なトラブルの本質的な部分です。
    「W」
    本質的であるから辛さも辛い・・。
    「H」
    逃げる人もいる。
    「W」
    こう着状態、立ち往生。
    「H」
    逃げずにスーと通って洞察が起きる人もいるのですけれどね。逃げるか逃げないか・・。と言うより、あの違いは何でしょうね。
    「W」
    まったく。分岐点ですね。
    それまでは、母親が変わらないという怒り悲しみ恐怖のど真ん中に居た人が、そうではなくて、母親をなんとかしようとする自分のエネルギーそのものに気持ちが向く事がある。切り替えが起きる。そのエネルギーが自分そのものである。傷を負ってどうしようもなくなってしまった母親は、関係がなくなる。
    「H」
    本当にね。
    「W」
    怒りのようなエネルギーが出ているという状況は、こちらから見ていて、この2つは非常に似ている。が、切り替えが起きる時、何かが大きく変わる。180度異なることになる。
    「H」
    その切り替わる瞬間は、人によっていろいろあるように思えます。
    「W」
    いくつかパターンを上げます。
    パターン1
    自分に愛情くれない憎たらしい母親が、傷を負った1人の悲しい女性と見えた瞬間、それが起きることがある。
    「H」
    母親も自分と同じだ、とね。
    「W」
    パターン2
    自分の母親が、仮に、傷を持たず健康な人であったならば、自分は愛されたであろう、その愛された自分はどのようなエネルギーを持つか想像するときに、それが起きることがある。
    「H」
    起きた人は、体が熱くなるようなエネルギーを感じますね。
    「W」
    パターン3
    どうにもならない母親の事をどうにかしようとして悩み続け苦しんだあげく、「あーめんどくせ」となって、それが起きる瞬間がある。
    「H」
    子供の側からの突き離しですね。「あーめんどくせ」は個人の例ですけど・・。
    「W」
    パターン4
    怒り悲しみ恐怖にとらわれている自分の、その「恐怖」の真っただ中へ入れたとき、それが起きることがある。
    「H」
    一番逃げたかったところへ入るという・・。究極の切り替えといっていいかも。
    「W」
    4つもパターンを挙げました。
    言葉を変えると親離れの瞬間とも言えます。「親離れをしなければならない」「私(自分)を受け入れなければならない」と、そういうふうにも言えるかもしれない。しかしそれは全く役に立たないですね。何々「せねばならない」は役に立たない。何かを「理解する」「何かが理解される」。その瞬間に何かが変わる。理解が洞察ですね。
    「H」
    その理解がなされるために必要なものがあります。怒り悲しみ恐怖に苦戦する体験です。その体験を避けたら、結局は逃げになり、理解も洞察もないでしょうね。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/07/IMG_4486.jpg 523 384 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-07-04 10:12:062019-07-14 12:12:37どうにもならない母親|自分が切り替わる瞬間|セラピーの現場から(692)

    じれったい|ガッカリ|セラピーの現場から(691)

    2019/07/01/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「W」
    今日は少し愚痴らせてもらいましょう。
    「H」
    賛成。たまには愚痴くらい言わせてもらわないと、やってけない。
    「W」
    セッションがうまくいって、その人が弾けたりすると、こちらまで元気になります。反対に・・・。
    「H」
    せっかくいいところまで行って、結局、後退してしまうようなことがあると、がっかりしてしまいますね。
    「W」
    ほんとにガックリきます。まるで自分の子供に裏切られたような・・・。セッションも交互の気持ちの流れがありますから。こちらの気持ちも大きく影響を受ける。
    「H」
    こちらも誠心誠意ですからね。人間ですからね。落ち込みますね。
    「W」
    つくづく思います。自分の心の傷を見るのは難しい。すぐに防衛が働いてしまう。知らないうちに、その傷を見ずに何とか生きていく道を探してしまう。
    「H」
    でもそれでは解決や癒しはやってこない。今までと変わらない。
    「W」
    そうですねえ・・・。全く。
    「H」
    リードする方としてはついついじれったくなってしまう。
    「W」
    しかし、当事者の立場になってみれば、もっともなことであり、丁寧に扱いわなければならない。
    「H」
    重々わかってます。
    「W」
    止まって立ち止まって待っているということが大切。そこから退かず、無理して進まず、でも目をそらさずに待っている。
    「H」
    分かりきるほどわかっています。
    「W」
    本当に傷を見る直前になると、ついつい、いつもの癖が出てしまう。口実を作って逃げてしまう。強がってしまう。いつもの防衛が出てしまう。馴染みのあるその人の防衛。そうではなく、ある意味弱くなってしまわなければならない。負けてしまわっなければならない。そのことがとても難しい。語弊がある。説明しにくいです。
    「H」
    私も説明はできません。言葉は出ませんが、じれったい気持ちが多分、顔に出ると思います。
    「W」
    私だって、ただただガッカリします。
    「H」
    そのことに関して、例えば初心者から「弱くなって傷を見るとどうしていいのか。」というような質問を受けることがあります。
    「W」
    本当のこと(傷)を受け入れると本当の強さが出てくる。本当のエネルギーが出てくる。湧いてくる。嘘をついていたのではそうはならない。やってみないとわからない。
    弱くなるには勇気がいる。大きな勇気がいる。強くなることに勇気がいるわけではない。全く逆です。
    「H」
    私も「やれば分かる」といいます。
    「W」
    後退するときに使われる防衛は人それぞれですね。
    「H」
    仕事に逃げる。
    「W」
    これは良くありますね。
    「H」
    人への怒りを出す。
    「W」
    エネルギーは気持ちいいですから。
    「H」
    ニコニコしていい人をやる。
    「W」
    反対のもので覆うわけですね。
    「H」
    頭が真っ白という人も結構います。
    「W」
    正直ですね。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/07/IMG_4514.jpg 403 350 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-07-01 08:52:022019-07-01 08:52:02じれったい|ガッカリ|セラピーの現場から(691)

    あれっ、戻ってしまった|セラピーの現場から(690)

    2019/06/27/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    戻ってしまった人のために
    <W>
    今日は「あれっ、戻ってしまった」という話をしましょう。
    「H」
    時々ありますね。
    「W」
    本人は分からないで、かえって周りの人は気が付きますね。
    「H」
    本人の無意識で起こっていることなんですね。
    「W」
    ベビーブレスやカウンセリングを通して、その人が自分の心の深い部分の傷を観ることができたときには、周りで聞いている人も、そのことを感じます。
    「H」
    少なからず感動もします。多くの場合には、そのことをきっかけに、その人はグングンと良くなっていきます。
    「W」
    ところがまれに、そうならずに、戻ってしまう人がいます。その人の話を聞いていて、「あれっ、この前の、あの大きな気づきはどこへ行ったの?」「お母さんに対する、あの隠れていた気持ちはどこへ行ったの?」と怪訝に思ってしまいます。別人の話を聞いているようです。
    「H」
    戻ってしまったんですね。防衛機能の反撃です。瞬間的に観たけれどもやはり受け入れ切れないので閉じてしまう。心を開いたことで余計に傷に響き痛みを大きく感じる。
    「W」
    しかし、繰り返し傷を観て少しずつ痛みを受け入れることで本物になっていく。繰り返しが必要。
    「H」
    頑張れ!・・・といっても、本人はたいていポカンとしてますね。

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    事実のみが人を癒す|周りの人は分かっている|セラピーの現場から(689)

    2019/06/25/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「W」
    事実のみが人を癒す、ということがありますね。
    事実を曲げて人を慰めるのは、単に慰めるだけで、本当の癒しにはならない。
    「H」
    そうですね。
    しかし、それは究極のところです。そのところへ行くまでは、誰でも母親が自分を愛していなかった事実を認めるのは辛い。
    「W」
    特に小さな子供にとってはそうでしょう。そして、その事実は心の傷となります。しかし、子供は心の奥では知っています。知っているから傷を受け、閉じます。閉じたまま大きくなり、トラブルを抱えます。
    「H」
    セッションの初期の段階では、事実を認めるのは辛いけれども、トラブルのままは嫌です・・と。
    「W」
    認めるという辛い作業なしで、トラブルを解消したいと、いう気持ちになるのももっともです。しかし、そんなうまい方法があればいいのですが・・・。
    「H」
    セッションでは行きつ戻りつしながら、事実を認める辛さと、トラブルの辛さの間で、揺れながら、自己成長していきます。そばにいて、そのお手伝いをするしかありません。慰めが欲しくても、欲しいことを認めてあげるだけです。慰めを上げるわけにはいきません。
    「W」
    グループカウンセリングなどで、人のことは良くわかる。事実を認められなくて慰めが欲しくて苦しんでいるのがよくわかる。しかし自分の番になるとそうはいかない。同じように認められなくて苦しむ。周りの人は皆分かっている。
    「H」
    見ているこちらも自分の事のように辛くて、稀に、この人にこれ以上は無理なのかな、と思うことがあります。
    「W」
    そんな時、瞬間的には事実を認めることもあるのに、直後に、せっかくわかった事実を否定する。そうすると、もっと症状がひどくなる、ということがありますね。
    「H」
    瞬間的には事実を認めたが、本当には認めきれずに、防衛が働くのです。揺り戻しです。
    「W」
    でも、あるときその事実を本当に認められる地点にやってくる。劇的な場面です。多くの涙と本当の癒しが同時にやってくる。その時になって今までの慰めは全く色あせてしまう。役に立たなかったことが分かる。
    「H」
    感動的な場面ですね。
    「W」
    事実こそが深い癒し。そのことを体感できれば、事実の否定はばかばかしい。
    いちど事実を受け入れた後は、あまりの清々しさに、なぜ自分が否定を続けたのかさえもよくわからない。思い出すことができにくい。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/06/IMG_4379-2.jpg 640 480 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-06-25 13:41:202019-06-25 13:41:20事実のみが人を癒す|周りの人は分かっている|セラピーの現場から(689)

    聖母マリア様信仰と似て異なる|事実を理解して「理想の母親」|セラピーの現場から(688)

    2019/06/21/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「W」
    前回のブログ(687)の続きを少し話したいと思います。
    「H」
    「理想の(健康な)母親」と聖母マリアの話ですね。「理想の母親」を仮定してベビーブレスを行い自分のトラブルの突破口をつかむ人がいるけれども、それは聖母マリア様信仰と似ているということでした。
    「W」
    似ているけれど根本的に異なる点があるということです。
    「H」
    はい。
    「W」
    例としては愛情を抑圧している人になります。愛憎のアンビバレントのうち、母親への怒り(憎悪)は認識できるようになったものの、母親への愛情を、つまり母親を求める気持ちが認識できないでいる人の話になります。
    「H」
    怒りが半分は出せるようになって、エネルギーはある程度改善できている段階ですね。半分は健康になった。しかし、あと半分ある。母親を求める気持ちが閉じ込められている。「あの母親にはいくら言ってもムダ・・・」という段階です。
    「W」
    そう。「半分」です。しかし、両方そろって初めて大きなエネルギーが湧き起って、トラブルを吹き飛ばします。「半分」では、やはり、トラブルを抱え続けることになります。残りの半分は抑えられ続けることになります。結局は自分を抑えることを続けなければなりません。
    「H」
    両方そろっても、その二つが統合されなければ、大きなエネルギーにはなりません。両方を別々には、出来る人もいます。
    「W」
    両方そろっているのに統合されない状況の話は、ここでは、割愛させてください。統合はまた別のところで。今日は、聖母マリア様信仰と根本的に異なる点に絞らせてください。
    「H」
    はい。
    聖母マリア様信仰であっても、果たせなかった母親への求める気持ちを、出せるようになって救われる人もいるでしょう。愛情を感じられず出せずにいるよりも遥かに素晴らしいと思います。その部分だけ見れば、似ていますね。
    「W」
    はい、似ています。
    「H」
    異なる点は色々あるでしょうね。
    「W」
    一番大きな点は、何かを信じ込む必要がないことです。マリア様を信じ込む必要がない。
    「H」
    なるほど。仮に「理想の母親」だったならばという仮定で済む・・。
    「W」
    そうです。
    「H」
    しかし単に「理想の母親」を仮定するだけで済むには、やはり条件がありますよね。理解が必要です。自分の心の傷を理解し、母親の心の傷を理解する。自分は愛されなかったことで心に傷ができ苦しんでいる。母親もまたその母親から愛情を貰ってはいなかった。だからこうなっていると・・。
    その理解の上で、「理想の母親」を仮に仮定するのだから、その「仮定」にとらわれる必要は起きない。
    「W」
    そうです。「仮定」を便法として利用することができます。自分を回復するための便法です。理解があって、利用するという心の余裕ができる。
    ところが、信じ込む事は、他方で、何かを事実を否定することに通じ、無理を生じます。社会的に肯定的と思われるもの(愛情)のみが受け入れられ、否定的と思われるもの(憎悪)は受け入れられません。実際には二つともあるのですから、うっかりすると、自分に嘘をつかなければならない羽目になります。天使と悪魔・・・。
    「H」
    必要なのは事実の理解ですね。
    愛憎のアンビバレントは、人の心にある事実です。愛情と憎悪を理解する。グループカウンセリングで人の話を聞くなどして理解できる。客観的な理解で構わない。「両方あるんだな」と。でも自分の傷を通して理解しないとエネルギーは湧かない。抑圧している状態。
    その上で、理想の母親を仮定する。仮定すること自体はためしに行ってみることで、無理はない。仮にそうであったならば、どうする、と。隠れていた愛情のエネルギーを出してみることができる。
    「W」
    仮定してやってみるのだけれども、結果として愛情のエネルギーがどっと出れば、これは仮定としてやったものの実は本当の事だったんだ、自分には愛情があったんだと、分かることになる。
    「H」
    それだけでも自分を取り戻して、非常に助かる人もいます。更に、愛憎の両方が統合されれば、とても大きなエネルギーになります。
    「W」
    その統合については、やはり、別の機会に。

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    理想の健康な母親だったら|あの母親にはいくら言ってもムダ・・・|セラピーの現場から(687)

    2019/06/13/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    理想の健康な母親だったら
    「W」
    ベビーブレスで深くまで入り、隠されていたいろいろな感情が出てくると、心のトラブルの底には、母親からの見捨てられ感があるように思われます。
    「H」
    そうですね。経験的には疑いようもないです。ベビーブレスをしても始めはなかなか感情が出ない人もいますが、そのうち自分を解放し感情が出てくると、今のところ例外はないですね。
    「W」
    心のトラブルは脳の傷だから母親は関係ないと言われたりしますが、ストレスやトラウマが脳の傷をつくることは常識になってきています。原因と結果が逆ですね。
    「H」
    脳の傷だからと言ってカウンセリングなども行わず投薬して人間性を殺し死を待つようなことが医療として行われているのを見たりすると、悔しくなることがあります。
    「W」
    ほんとうに。少しずれましたので、話を前に進めましょう。
    「H」
    はい
    「W」
    母親からの見捨てられ感に対しては、母親への怒りと母親を求める気持ちと、アンビバレントな感情が生じます。
    「H」
    本人が自覚する気持ちは一方だけということが多いです。簡単にいうと「クソババー」か「ママー」か。
    「W」
    はい。
    個人差がありますが一般的には、怒りは出しやすいですが、求める気持ちは閉じ込める傾向にあります。現実の具体的な母親を見るとエネルギーを閉じ込めるしかない。
    「H」
    小さい頃に、いくら求めても、そのたびにひどい目にあってきて、もう閉じるしかない・・・という個人史があるのだと思います。「あの母親にはいくら言ってもムダ・・・」ということですね。
    「W」
    一方の気持ちを閉じる、つまりアンビバレントの愛憎のエネルギーの一方を閉じるので、不具合が起きます。それでも間に合わないと、分裂、解離、・・・・。
    「H」
    閉じてない方の気持ちであっても、深く底を突くまでやれば、もう一方の気持ちにも自然にたどり着くのだけれでも・・。自力で・・。
    「W」
    問題は人によっては時間がかかってしまうという点です。月に一度程度のペースでは、揺り戻しも含めると、遅々としてしまうことがあります。
    「H」
    それこそ個人差ですね。
    「W」
    「理想の母親」をやるのは、現実の具体的な母親から少し離れて、自分自身のエネルギー、求めるエネルギー自体に焦点を当ててもらうためです。
    「H」
    そこがなかなか難しい人もいます。「あの母親に・・・今さら・・」ということです。
    「W」
    そこで、良くたとえ話をします。カルガモの「刷り込み」の話です。生まれたての鳥(カルガモ)のひなは、目の前で動く相手を母親と信じ込みます。動物学的には、そうすることで、無力なひなが肉食獣から身を守る確率が高くなるということでしょう。動くものが、ただの風船でも、無我夢中で(まるでそのように見えます)追いかけます。しかし、もしカルガモに心があれば、相手がどんなにカラッポでも頼りなくても、切ないほど母親を求めているに違いありません。
    「H」
    人も、いわば同じに違いないということですね。
    「W」
    そう。人が乳幼児期に自分で生きていけない無力さは、カルガモにも負けません。同じような刷り込みがあっても不思議ではありません。どんな母親であっても、その母親を通して理想の母親を見て、命がけで求めて構わないのです。母親も自分の傷を持っていて自分の子供(あなた)の気持ちに応じることができなかったのでしょう。仮に、彼女がそのような傷を持っておらず、理想の健康な母親であったら・・・どうでしょう。恥じて自分を抑える必要はありません。ベビーブレスの中で、求めることができたときに、自分自身のエネルギーの強さに驚くでしょう。閉じ込めていたエネルギーの解放を感じるでしょう。

    「H」
    何人もの人が、そのエネルギーの解放をできています。そのエネルギーの強さには驚きますし、愛憎のエネルギーの両方が強化されます。その人のエネルギー自体が強まる印象です。そして、求めるエネルギーは肯定的なエネルギーですから、家庭や社会の活動にもいい影響が直接にあるようです。
    「W」
    はい。
    「H」
    「理想の母親」というと、たとえば南米でのキリスト教に見られる聖母マリア様信仰を思い出します。
    「W」
    確かに似ています。だから聖母マリア様信仰は広まっているのでしょう。しかし根本的に異なります。そのことは次回のブログにします。

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/06/IMG_4382.jpg 640 480 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-06-13 14:29:572019-06-13 14:29:57理想の健康な母親だったら|あの母親にはいくら言ってもムダ・・・|セラピーの現場から(687)

    健康な母親だったら!私自身の本性にも触れた|セラピーの現場から(686)

    2019/05/31/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「健康な母親だったら!」というセッションを行って。
    <母>
    母は必ずしも、私にとり万全の母ではなかった。大正末期に生まれた、貧しい農家の後妻の次女だった。(祖母は後妻としての遠慮も当然にあったであろうから、自分の子供に十分な愛情は注がれなかったことも想像できる。)食うや食わずの日々を過ごす当時の環境を考えれば、経済が最優先の時代で、環境は厳しかった。 小学校を出た母は、街場の小さな紡績工場で日銭を稼ぐ日々だった。
    その日々の稼ぎ高こそが、周囲からの母親への評価。その評価こそ、母親が彼女の両親から得たかった愛情の代替えに違いなかった。(母親のこころの中に経済が重要な尺度として形成されたと思われる。)
    <母から受け継いだもの>
    この母親の状況が、私の生きざまに影響を与えてきた。(私は母から愛情をえたかった。母は彼女の両親から直接の愛情は得られなかったであろう。そのため、私が母から直接の愛情を得ることもなかった。)
    与えられた影響は私の中にもそのまま受け継がれている。
    私は、父から受け継いだ会社の責任者になった。そうして、それが、母親から受け継がれた状況が、無意識のうちに出た
    「私は今よりも売り上げを上げ、今よりも利益を出さなければいけない」と思ってやってきた。売り上げダウンや赤字はけっして許されないと。私は私で仕事を通じてどれだけお金をかせいだか、という尺度だけを持つようになっていた。
    <愛情を母から求めることはできなかった>
    母には、子供から「求められる愛情」に応じるという感情は、育っておらず、持ち合わせていない。
    その結果として私は愛情を母から求めることはできなかった
    母から思えば「私だって必死にやってきた。面倒見てきた。たいへんだった。何が文句ある?産んでやった。育ててやった!」という思いだったのであろう。自分の経験即だけに基づいた思慮判断しかできなくなっていたと思う。母は、「当然」という感覚、「とにかく私はやった」という感覚に支配されていたと思う。
    (小さい私は、それでも幾度も、母親に求めた。しかし果たせなかった。否定された。求める感情は抑えられた。)その感情を吐露する度に私は酷い後悔と自己嫌悪に襲われるからだ。
    <裏切られた思い出>
    5歳ごろのことだ。叔父の結婚式の直後のことだった。親戚や近所の人が三々五々に帰途につき、私の家族だけでお茶を飲み一息入れていた。時間も遅くなり私は眠気に襲われた。その場を離れるのも寂しく私は母の傍へ寄り添って休むことを考えた。(小さいこどもとしては自然なことだった。)一方、迷いも生まれた。否定されたら「どうしよう」と。でも、思い切って、母の腰元に寄り添った。案の定、母は私をピシャリとはねのけた。「甘ったれんじゃないよ!」って感じだった。やり場のない感情が私を襲った。そして私は自分を責めた。
    私は、求めるという私の感情を、幾たびかの経験を持って、心の奥深くに綴じ込めてしまった。
    私は諦めと同時に、歪んだ渇愛に自己を慰めて生きてきたし、そのような精神状態にいささかな満足感も得ていた。
    <あきらめ>
    「もう、何を言っても通じない!何を思っても、わかってもらえない!」という思いが私の心を占めるようになってきた。この人(母)には、「もう無理」って。だから、もうその心を「出さないようにしよう」心の奥深くに「仕舞い込もう」と私は思った。そしてそうしてきた。
    そして、今回のセミナーである。
    その諦めていた母への渇望愛、歪んだ感情と、押さえ込んでいた私の心に、もし「健康な母親にだったら・・」の声は今までにはない衝撃だった。
    <「健康な母親」をイメージできなった>
    何度かの母親への(求めるという)チャレンジが打ち砕かれ、私には母というものに対する否定感が生まれていた。(成人してからの異性に対してもその否定感は当然に及んだ。)それは、どのような素晴らしい異性でも、私の求めるものを満たしてくれる人はいない、絶対にいない、というものだった。
    求める「相手」はいないものの、一方では、求める「心」は存在している。葛藤していた。「どこかにいる。」「きっといる。」「バカ言うな」「そんなのいる訳ねえだろう」って。
    結果、「求めない心」にすればよい、となった。そうして、想像することもしなくなった。だから、「健康な母親」というイメージは、私にはまったく考えられなかった。(そのはずだった・・・。)
    <ところがブレスワークで>
    そのままブレスワークに入った。私はその母親の腰元に何の躊躇もなく飛び込み、「母ちゃん、母ちゃん」と力の限り泣き叫んだ。五分、十分時間の感覚はなくなっていた。
    涙にまみれた私のほほに伝わる母の皮膚感覚は現実的、肉感的なものであり、その感情は私自身の本性にも触れた気がした。
    そうだ、私は60年、この感覚を求めていたんだ。このほとばしるような熱い感情を表に出したかったんだ。何の抑圧もなく誰にも遠慮することなく、全身でこの感情、感覚を心のままに任せて。
    この時間が永遠であってほしい・・・。
    至福に満たされた感覚、感情の中に永遠性を求め、私はひたすら浸った。その後、不思議な感覚が私を襲った。何と私の背後、背中にはぴったりと寄り添う父の姿があった。
    (それは実母のイメージではなかった。しかし、あの厳しかった父が、優しいイメージとして現れた。)
    ブレスワークから時間がたった今の実母感は、おかげでフラットになっているよう思える。(自己嫌悪を覚えるほどではなくなったかもしれない。)
    私が母子関係を学び、自分自身を学べたようには、学びを得なかった実母の悲しさと寂しさと無知を、私は今、受け入れているように思う。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/05/IMG_4377-1.jpg 302 216 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-05-31 00:22:472019-05-31 00:48:55健康な母親だったら!私自身の本性にも触れた|セラピーの現場から(686)

    まるで当事者の気分|セラピーの現場から(685)

    2019/04/03/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「H」
    私事で恐縮ですが、普段カウンセリングやセラピーをリードさせていただいている立場とは違う話を、させてください。
    「W」
    どうぞ。
    「H」
    私の親戚で、前々から躁鬱の気があり、最近、老化に伴う認知症もあるのか、症状がひどくなっている人がいます。本人は自覚(病識)がないために、カウンセリングやセラピーを受けてもらうこともできていません。親戚だからといって首に縄をつけて受けさせる、というわけにもいきません。
    「W」
    はいはい。
    「H」
    近い親戚なので、その人の心的状況は、私にとって他人事ではありません。私はまるで当事者の気分になるのです。
    「W」
    心配ですね。
    「H」
    その人は話し自体はしてくれるので、何とかカウンセリングの効果が出ればと、話を重ねていますが、うまくいきません。
    「W」
    近い親戚の方なので、あなた自身の焦りも加わるのでしょうか。
    「H」
    そうだと思います。当事者としての焦りのような・・・。
    「W」
    その方は自覚はないのですから表面の焦りはないでしょうが、奥の方では・・・。それをあなたが代わりに感じるということでしょうか。
    「H」
    そう言えるのかもしれません。
    話しを重ねていて、つくづく思うことがあります。自分の心の傷を見るのは難しい。すぐに防衛が働いてしまう。その傷を見ずに何とか生きていく道を探してしまう。
    「W」
    その結果が、その方の現状ですね。
    「H」
    はい。
    でも、それでは今までと変わらない。解決や癒しはやってこない。防衛は手強い。ついついじれったくなってしまう。
    しかし、その人の立場になってみれば、もっともなことなのです。近い親戚として理解できるのです。成育環境が似ていますから。丁寧に扱いわなければならない。立ち止まって待っているということが大切。そこから退かず、無理して進まず、目をそらさずに待っている。でも難しい。
    「W」
    自覚がないのですから、状況が重いということもあるのでしょうね。
    「H」
    重いですね。本当に傷を見る直前になると、ついつい強がってしまう。防衛してしまう。ある意味弱くなってしまわなければならない。負けてしまっわなければならない。そのことがとても難しい。
    「W」
    弱くなって傷を見るとどうしていいのか、ブログをはじめて見るような人にも分かるように、分かりやすく説明してくれませんか。
    「H」
    本当のこと(傷)を受け入れると、本当の強さが出てくる。本当のエネルギーが出てくる。湧いてくる。傷を見ずに嘘をついて(防衛して)いたのではそうはならない。
    「W」
    そこが分かりにくいかもしれません。
    「H」
    やってみないとわからない。やるときに本当の勇気がいる。
    「W」
    弱くなるには勇気がいる。しかも大きな勇気がいる。強くなることにそれほど勇気がいるわけではない。全く逆、ということでよろしいでしょうか。
    「H」
    まさに。
    「W」
    その方の防衛として、どんなことが・・・。
    「H」
    とにかく仕事にしがみつこうとする。人への怒りが顕著。表面ではニコニコしていい人をやる。
    「W」
    一般的にも言えるかもしれませんね。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/04/IMG_4386.jpg 640 480 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-04-03 10:25:052019-04-03 10:25:05まるで当事者の気分|セラピーの現場から(685)

    えー!セッション記録をスマートフォンが読み上げてくれるの?|セラピーの休憩タイム(684)

    2019/03/31/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    iPhoneやアンドロイドの読み上げ機能をオンにすると、このブログ記事やセッション記録などの文章を音声で読み上げてもらえます。例えば、アコールからのセッション記録をメールで受け取った場合に、そのメールの中の文章を、読み上げてもらうことができます。
    「I」
    iPhoneの場合
    「機能をオンにする」
    ① 設定アプリを開く
    ② [一般] > [アクセシビリティ] > [スピーチ]へ移動
    ③ [画面の読み上げ] をONにする
    ④ 読み上げ速度も調整できます
    ⑤ 男の声にすることもできます。
    「読み上げ方」
    ⑥ 読み上げたい文章を、コピーするときの要領で青色に反転させ、その時に現れる黒い小窓の中から「読み上げ」を選んでタップする。
    「II」
    アンドロイドの場合
    インターネットに読み上げ機能の案内記事があります。
    https://support.google.com/accessibility/android/answer/7349565?hl=ja

    皆さんトライしてみてください。

    ご自身のセッション記録を何度も聞いたり読んだりすることをお勧めします。通勤途中や車の中などで、読み上げ機能とイヤホンを使って何度も聞くことが可能です。

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/03/IMG_4380.jpg 401 307 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-03-31 15:38:572019-03-31 15:46:24えー!セッション記録をスマートフォンが読み上げてくれるの?|セラピーの休憩タイム(684)

    たとえば眼の病気|心身症|セラピーの休憩タイム(683)

    2019/03/31/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    「W」
    映画「Ray」を見ました。見たことがありますか。
    「H」
    どんな映画ですか。
    「W」
    盲目の音楽家レイチャールズの生涯を描いたものです。その中で失明の原因を心の傷として描く部分がありました。
    「H」
    見たかもしれませんが、はっきりは覚えていません。ジャズの音楽家ですね。
    「W」
    はい。
    彼が幼い頃に、弟が水死する状況を黙って見てたことを、母親に激しく叱責されるシーンがありました。なぜ「見てたの!」と責められました。その直後に彼は目の病気(緑内障?)になり始め、やがて失明します。まるで「見てた」ことが悪いというようにです。その後、失明に負けず成人し有名な音楽家になりお金にも不自由しなくなります。そして麻薬にはまります。
    「H」
    麻薬は、演奏や作曲の際の感性を高めるという意味もあるでしょうね。ショウビジネスの世界の厳しいストレスもあるかもしれません。
    「W」
    まるで、アメリカの音楽家のお決まりのようです。
    「H」
    日本だって無縁ではないですね。
    「W」
    はい。
    レイチャールズの場合に、この映画では、麻薬依存には更に深い意味があります。彼は、何かの拍子に、得体のしれない小さな水死体の幻覚を伴うフラッシュバックに苦しみます。そのためか更に麻薬に依存し、重度の麻薬中毒になります。
    「H」
    なるほど。
    「W」
    音楽家の生命が断たれようとするときに、彼は麻薬を断つ決心をします。激しい禁断症状の中、禁断症状を緩めることができるとして医者から勧められた薬の使用も拒否し、耐え抜き、ついに恐怖に勝ちます。そのきっかけとして、水の中から溺れる子供を拾い上げる幻覚を見ます。小さな弟は死んでおらず、生きて彼と抱き合います。そして中毒症状からぬけて、音楽家として回復します。
    「H」
    ふんふん。
    「W」
    この映画がどこまで事実に基づくものか分かりませんが、リアリティーがあり脚本や演出に感心しました。
    「H」
    心身症という概念がありますね。
    「W」
    はい。心の傷が身体の病気の原因になり得ることを示すものです。
    この映画を仮に事実として見ると、次のように解釈できます。主人公は無意識に、弟と、母親からの愛情を得る競争状態にあって、つい殺意が出て弟を見殺します。
    「H」
    一般的な健康な兄弟関係でも、愛情をめぐる競争状態はありますよね。無意識まで探れば殺意も珍しくはありません。
    「W」
    はい。
    彼は、その殺意に対する自分の罪悪感から、罪悪感をぬぐおうとするフラッシュバックを経験します。
    「H」
    弟の水死事故というトラウマを、何度も思い出すことで消化しようとするんですね。
    「W」
    特に、自分が殺したという罪悪感がありますから・・。
    「H」
    「やっちまった」とね。
    「W」
    しかし、母からの愛情は己の命のもとであり、それを損なう弟への殺意を容易にキャンセルできない。譲れない。
    「H」
    意識からは消せてもね。
    「W」
    そうして彼は簡単には克服できず、葛藤(フラッシュバック)は続きます。麻薬に溺れる原因にもなります。しかし楽譜も読まずに名曲をつくれる感性の鋭さから、自分の苦悩の原因を悟り、原因から逃げることを止める決心をします。
    原因に立ち向かい、昔できなかったこと、弟を救い上げることを、ついに実行します。年老い傷んでしまった目自体は回復しませんが、音楽家としての健康さは回復します。
    「H」
    似た例を思い出しますね。古沢平作のエピソード。
    「W」
    そうなんです。
    古沢平作はフロイトの精神分析を日本に導入した人ですが、目に障害を持っていました。愛弟子、木田恵子の伝えるところによると、古沢は乳児の頃に、母親から乳をもらえず他の女性からもらい乳をしていましたが、その乳(命)を飲む至福の時に、女性自身の子供から来る非難の視線に、睨み返すような視線で応じていました。その時の自分の罪悪感から、目が悪くなり障害を持ったということです。
    「H」
    そうそう。
    「W」
    レイも古沢も、命にかかわるような愛情関係の中で自分が得た罪悪感(心の傷)から、自分の目に障害を持つようになったということが、推測されます。
    「H」
    自分を責めるん(罪悪感)ですね。身体を悪くするほど。すごいですね。
    「W」
    仏教では心身一如という言葉がありますね。
    「H」
    心が身体にでる、ということですね。
    「W」
    蛇足です。レイは目に緑内障という器質的な疾患があったのかもしれません。古沢の目にも器質的な疾患を示す病名が付いていたかもしれません。障害を持ってしまった目自体を見れば器質的な疾患が確認されるかもしれません。しかし、器質的な疾患があれば、それが原因なのだから、原因が心の傷(心因性)ではないとするのは、短絡的です。器質的な疾患がなぜ起きたのかという視点がすっぽりと抜け落ちることになります。大間違い。

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    愛情が欲しいが生きたいとは思えない|記事<676>〜<681>について|セラピーの現場から(682)

    2019/03/23/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <W>
    記事<676>〜<681>について本人に許可を得て対談したいと思います。
    以前の彼女(本人)は、職場への強烈な不満を抱え、転職も繰り返し、その葛藤の真ん中で苦しんできました。実は、背後には母親との依存があったものの、そのことにはあまり触れることができませんでした。ましてや自分自身の本当の心の傷を観ることはできませんでした。
    <H>
    そのことを想うと、今の彼女は、驚くほどですね。褒めてあげたいです。
    <W>
    良かったですね。大きなきっかけは、やはり、あれですかね。
    <H>
    そう。母親の娘への依存がとれた。無くなった。そのことが大きいですね。娘は、そのこと(母親が離れたこと)に不満を述べていない<676>。もっとも自分自身の母親への依存は残っている。
    <W>
    残っているけれど少しづつ、とれざるをえない・・。
    <H>
    今までは純粋に職場への不満でした。強烈でした。それが変わってきた。<676>にあるように、自分は愛情が欲しい。生きたいとは思えない。それでも何とか生きるために、形にはめて生きようとする。でも生きる資格がない。もともと要らなかった(存在を望まれていなかった)自分。これらのことが正面から認識できるようになってきているということです。自分の問題として扱えるようになっている。
    <W>
    はい。それらの事実を受け入れ始めている。それら(不満)が外側の(職場などの)事柄ではなく、自分自身の事柄だと言うことをを受け入れ始めている。大きな進歩だと思われます。職場のトラブルを、自分のみじめさを、「境遇のせいにして」と、はっきり述べている。今まではこのことが全く抑え込まれてきていました。
    <H>
    それまでは「良い子」をやっているので、職場の不満が溜まり、そのことを家で愚痴る、というカラクリを述べることができている。職場へ本当の不満があるというよりは、仕事のせいにしていると、客観視しています。
    <W>
    「良い子」というのは、重要なカギですね。表面的には、職場で活躍することを通して世間に認めてもらおうとすることですが、無意識的には自分の存在を、生存を、親に認めてもらおうとすること・・・。さらには、親が無理なので、宇宙(大きな存在)に認めてもらおうとするような・・・。
    <H>
    同じく変化したこととして、それまで相手にしなかった父親のことも話に上るようになっている。
    <W>
    意識の変化が次々に起きてますね。
    <H>
    <676>や<677>にあるように、父を通して自分を理解するようなところが述べられていますね。仕事だけを頑張って死に向かうような病気になっている父、を通して、同じような状況にある自分を認識する。父を理解し自分を理解する。彼女の深まりを感じます。
    <W>
    はい。父を単に無視し軽蔑するような状況から、事の次第を理解することへ、大きく前進した感じがします。
    <H>
    <677>にあるように、彼女は自分の「セッションが深まった」と言っている。その通りだと思います。
    自分の二重性や狂気のような寂しさの存在に気づき、それを述べることができる彼女は、それ以前のひたすら職場への不満を述べることしかできなかった彼女と比べ、天と地の差があるように感じます。
    <W>
    ここでも母親からの助けは大きいですね。「楽をして治ることはない、痛みを通してしか分からない」「あなたも分かっているだろう」と母が言う。彼女も、私にとって母親は重要だ、と思いを漏らします。
    <H>
    母親が依存を抜けましたから、そのことが大きいです。
    <W>
    <678>にも、それまでなかったようなこととして、職場の人に優しい気持ちを持てる体験をしたことが語られます。それは、父親のこと、ひいては自分のことを理解したことと同じ広がりを感じる。理解の広がりとでも言えるようなことですね。
    もらった花が枯れること、人が死ぬこと、ひいては自分の人生、人の人生全体に思いが至る。お母さんと一緒に死にたいと思ったのは、過去のこととして、述べられています。今はもうそうではない、ということ。
    <H>
    自分の問題になれたという事は凄い事です。それまで(職場など外側への)攻撃ばっかりだったのに、このように自分の中に入れたのは、何度も言うけどすごい。父の姿も響いたと思うけれども、母親が依存から抜けていったのは決定的だった。そして、母親に依存させてもらえず、孤独に直面し、自分の問題を見ることができた彼女を褒めたいと思う。よくやった。
    <W>
    彼女は自分の問題を「過剰なもの」として表現し、その正体がこころの「傷の中」にあると意識しています。はっきり意識しています。大きな進歩ですね。
    次に<679>は揺り戻しですね。大きく前進すると、その直後に、かなり後退することがあります。3歩進んで2歩後退。
    <H>
    短い時間で見ると、2歩進んで4歩後退だってあります。いろいろある。傷に触れて大きな気づきがあり気持ちの良い反面、傷に触れた痛みにびっくりして後退してしまう。無意識でね。
    <W>
    「どっかやっちゃっ」ても、やっちゃったことを再認識できないということも、他のケースではありますが、今回は彼女はしっかり認識しているので、ここもやはりすごいです。<H>
    娘の揺り戻しを見た母親のアシストがすごいです。「あなたを1番騙してたのは私お母さんだよ」とか、「捨てるべき人は誰?バーカあかんべえ」とか、いやはや、頼りになるお母さんです。
    <W>
    ここのところは一般の人には難しいので、分かるように説明してください。
    <H>
    無理かも。実際にブレスをやり自分の依存などの傷を体験しなければ、この頼もしさは分かりにくいでしょう。
    <W>
    それまでの相互依存のいわば暖かさが前提としてあるので、その依存関係が偽物だったとして切って捨てるような鋭さも、冷た過ぎない。なんとか自分の苦しみから(いまだに続く自分側の依存から)脱出し本物になろうとする人には、かえって、砂漠で水のようなありがたさがある、ということでしょうか。
    <H>
    <680>では、その頼もしさの効果が語られています。彼女は、自分が一人ぽっちという本当のところを隠すために、「お母さん大好き」一本槍でがんばってきた。それが、お母さんから面と向かって拒否されることで、「私も嫌い」かもとなり、本当は「母から操られていた」、ということに焦点を当てるようになりました。
    <W>
    子離れから母離れへ、ですね。
    <H>
    それまで深い相互依存の状態であったところを脱して、娘を突き放したお母さんの功績です。そして、それに耐えて自分の中に入っていこうとした娘の頑張りがあります。
    <W>
    耐えざるを得ない。耐えられた結果、「胸がギューっとな」ることがなくなって来たり、泣けなかったのに「傷そのものになってただ泣く」ことができるなどの回復が起き始めた。
    <H>
    娘は、傷に触れ、傷を吐き出す作業を心地よいと感じている気配があります。心地よいと感じる事はとても重要なことです。それまでは嫌で逃げていた。今は、逃げないどころか、まったく反対で、心地よい。そのことが彼女が語る内容全体から感じ取れる。大きな前進だとおもいます。

    <W>
    次の<681>の部分でも、先導役としての母親の役割が大きいですね。
    <H>
    彼女が「殺すより残虐だ」と言ったら、母親は「そうかもね」。すごいですね。普通は否定や自己弁護などしてしまいますね。『そんなことはありません、私だって私なりに頑張ったのよ・・』などなど。
    <W>
    母親自身が苦しみ抜いて自分の傷を観て依存を抜けていきましたから。その母親の言葉ですからね。迫力はあるでしょう。
    <H>
    セッションで「傷そのものが自分の中から出せている」と彼女は言います。今度は彼女自身が、自分の傷を観て依存を抜けていこうとしています。
    <W>
    それはもう起き始めていますね。<681>の後半で、彼女は自分の傷を観て、自分を認めたことの、独特の清々(すがすが)しさが、彼女の言葉で語られています。

     

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/04/IMG_2375.jpg 479 382 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-03-23 11:55:572019-03-23 11:55:57愛情が欲しいが生きたいとは思えない|記事<676>〜<681>について|セラピーの現場から(682)

    立てる自分がいる|職場への不満と母への依存6/6|セラピーの現場から(681)

    2019/03/22/カテゴリ: ブログ /作成者: 林 貞子

    <<(680)の続き>>

    <殺してくれた方が良かった><殺すより残虐>
    傷に触っていたら「死んじゃいそう」と思った。初めての感じを受けた。死んでしまうかもしれないお父さんの心の傷と自分の傷も一緒だと泣いた。色んな事に触れて、怒り、悲しみの奥に狂気があって、狂気の中で怒りや悲しみになって、四方八方に引き裂かれる感じ。お母さんに「殺してくれた方が良かった」と言った。「存在を潰して半殺しにするのは、殺すより残虐だ」と言ったら「そうかもね」と母は言っていた。
    存在を潰したい気持ちがあるからか職場の人を「辞めさせたんだね」と言われて思った。
    狂気と自分の虐待の悲しみとか一緒になった。傷そのものが自分の中から出せている。

    <両手を広げてにっこり>

    そのセッションの次の日は関東でも雪が降った。早番の帰り道、駐車場を歩いていたら、向かいの家のおやじさんが車に積もった雪かきをしており、「そこはすべらないか」と不意に声を掛けられた。「はい、滑らないです」と答えた次の瞬間、私は思わず、空へ両手を広げてにっこりと笑って「もうこれ以上雪がふらないといいですね」と本当に自然に気づいたら言っていた。それは、自分が好かれるための人へのサービスではない、本当の私の心から出た、本当の気持ちの、本当の言葉だった。そのはじめての感じに自分で驚いた。
    <“もうピエロにならなくていいんだよ”セッションで自立した母の後に続きたい><なぜかうれしい感じがして>
    人が嫌いだ、という自分を取り繕うため、人の望むことを予想し、いいことを言っているが、内心は反発心グツグツで胸が苦しかった。いいことを言っているけど心がついてこない嘘だから疲れる。うそのシナリオを自分で書いて、読み上げていた人生だ。だから人といるのが嫌になるのだ。そんな自分だった。
    そのことを思いながら坂道を降りる時も、なぜかうれしい感じがしていたら不意に、セッション中に「もうピエロにならなくていいんだよ」と声がした、という母の話を思い出した。自分の本当の気持ちを、表現していいんだよ。さっきのやり取りでそれがでてきて嬉しかった。嘘くさく肯定しあって、ベタベタくっつく。依存しあった偽の愛ではなく、お互いが自立し一人で立って、一人の人間として向き合える、そして、本当の親子になるのだ。と母親が最近言っていた。それを目指して今後も自分を深めていきたいと思っている。
    <立てる自分がいる>
    暗く寒くて怖い早朝を一人で職場に出かけていく、それを味わうのが怖くて嫌で仕方なかったが、本当の自分を掴んで昨日と地続きの普通の時間の流れの中にある朝として立っていられるのではないか、いや、今まで仕事を続けることで、すでにその中に立てる自分がいたのだと思っている。

    <<終>>

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_2799.jpg 330 305 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2019-03-22 08:12:412019-03-22 08:12:41立てる自分がいる|職場への不満と母への依存6/6|セラピーの現場から(681)

    私もお母さんが嫌い|職場への不満と母への依存5/6|セラピーの現場から(680)

    2019/03/20/カテゴリ: ブログ /作成者: 林 貞子

    <<(679)の続き>>

    <私も嫌い><一人ぽっち>
    お母さんが立たされている状況も自分が立たされる状況も厳しい。お母さんからの拒否された感じ。確かに私は受け入れられていない、関心がない感じが、分かる。私も「お母さん大好き」でやって来たけど、そう言うお母さんのことを「嫌いだ」と言うところからやろうと思う。そしたら一人ぽっちになる。
    <人はどうでもいい>
    私は職場でまた調子が悪くなって、馬鹿な“男”だからと社長にも上司にも挨拶を無視したりしてつっけんどんにしている。強い威勢のいい女風ではあるが、実際にはこの間父の入院直前に家に来た兄とは向き合いない、でたらめな私だ。そしてお母さんのようにお調子者で身の入らない仕事をしている人にも、腹が立ってくる。怒りながら仕事している。その話を母にした。母は言った。
    「上司なんて、(あなたが)会って何年もしないのに(あなたのその調子の悪さに責任があるはずもない)そんな人はどうでもいい人だ。(責任があるのは)本当は私なんだ」と。
    <私も嫌いかも→胸ギューがなくなってきた>
    母と言い争いになった時に「私も嫌いかも」と言った。母が私を嫌いというのを信じたくなくていたが、私もお母さんを嫌いかもと言ってしまった。お母さんがまた私を操ろうとしても見破る、お母さんが本当は嫌いだという所から始めてみようと思おう、と言ってしまった。
    職場で胸が苦しくて仕事をしていたが最近はそれがなくなってきた。何かあっても冷静に考えられるようになってきている。先日も職場でちょっとした失敗をやらかした。前は自分の失敗(お母さんに嫌われていること、自分自身が肯定されていないこと、すなわち自分の正体)を隠さないといけないから、時間に追われて胸がギューっとなっていたが、それがなくなって来た。
    セッションに行く日も満員電車で座れるとか座れないとかで、いつもなら胸がギューっとなるが、ならなかった。隠したいものがあったからそうなっていたのでは、と思う。
    隠したいものとは?最初から一人ぽっち。お母さんを嫌いで嫌われていたこと。肯定されなかったこと。それは気が狂いそうな寂しさ、悲しさ。それら自分の中にあるもの。
    <傷そのものを出せるようになって来た>
    前回のセッションで初めて自分の傷に触れたような感じが忘れられなくて、また、セッションを受けた。始め、この前のようには入れない。入ろうと、職場の自分とか思い出したりした。でも、狂気の自分、怒りも何もわからないような自分に、なった。狂ったように体を動かした。お母さんと兄が組んで一緒になって私を粗末に扱った感じ。もうそこには、いいお母さんはいなかった。
    ニュースで虐待の子が報道されている。その子(いらない子)が出て来て、自分にリンクして泣けて来た。虐待の方法も環境も違うが、泣きは同じだなと。お腹を蹴られているように苦しくて泣いていた。狂気の自分にも入れるようになって来たが、虐待された子の傷の感情が出て来た。人のことでリンクして泣いているが、本当に自分の中から泣きが出て来た。本当は泣きたかったのに泣けなかった。追体験して泣いている。ただ泣いている時に、傷そのものになって来た。

    <<続く>>

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_2609.jpg 640 480 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2019-03-20 16:33:562019-03-20 16:33:56私もお母さんが嫌い|職場への不満と母への依存5/6|セラピーの現場から(680)

    嫉妬や怒りでおかしく|職場への不満と母への依存4/6|セラピーの現場から(679)

    2019/03/16/カテゴリ: ブログ /作成者: 林 貞子

    <<(678)の続き>>

    <またどこかへやっちゃったア>
    そして次のセッションを迎えたが、(心の中がすっきりからっぽのあの感じを)またどこかへやっちゃったア・・・・。
    退職した人の代わりに、すぐに新しい人が来た。でも使えない人。仕事の経験がない。できない。私の話を聞いていない。覚えが悪くて遅い。その人が仕事ができないことのしわ寄せは、すぐ私に来た。大嫌いな朝番ばかりやることになった。
    <いつものようにグツグツしてくる私の嫉妬><(私と違って)愛されるということが最大の脅威>
    上司はその人に変に優しくて、聞いていて私はグツグツしてきた。馬鹿でできなくても優しくされる事が最大の怒りだった。私はこんなに頑張ってるのにバカみたい!!しかし馬鹿でできなくても(私と違って)愛されるということが最大の脅威なのだった。そうしたら、完璧に出来る自分を演出することに神経を費やしている“私”の存在が無意味、になってしまう。
    <嫉妬や怒りでおかしくなってくる>
    私は何なんだ。焦りと嫉妬や怒りで、だんだんおかしくなってくる。ミスを多発して、自爆して疲れてきた。いつもの私の癖が出始めた。口先だけで真心のない感性の悪い社長。
    適当なことばかり言い、その場しのぎで騙す嘘つきの上司。会社はまるでブラック企業。お前たちは何回私の心を踏みにじってきただろう!
    待遇について騙されている、嘘をつかれているような感じがぶりかえってきて、自分が騙されているという考えに取りつかれる。
    <こちらから捨ててやる>
    本当の自分を生きるために馬鹿で鈍い嘘つきはこちらから捨ててやる(職場を辞めてやる)のだ。自分を欲しくて、自分を評価して、大事にしてくれる所を自分で選んでいくのだ。一日中その考えがグルグルめぐる。自分がどうしたいのかわからず四方に自分が割かれ、苦しくて収拾がつかず、会社を捨て、転職しようと思ってスマホで他の就職先を探した。
    それなりの給料のところで残業は多いが福利厚生はいい。申し込んだ。出来ない人のせいで仕事が忙しくて、休みの日には暗くして寝ていて鬱になっていた。
    <やることは自分を観ることでしょ、捨てるべき人は誰?バーカあかんべえ>
    お母さんはお父さんのことで大変で毎日喧嘩のようだった。それでもお母さんに愚痴を言った。そうしたら言われた。
    「(心の中がすっきりからっぽのあの感じから)1週間しか持たなかったね」「あなたのやることは今、自分を観ることでしょ」と。今職場を変えたら自分を見ることから遠ざかると。
    職場を捨てようとして申し込んだところをこちらから断ったが、職場でその日にまた嫌なことを言われて申し込みを断ったのを後悔した。たまりかねてお母さんに昼休みに電話した。「父の入院の準備でバタバタしているときに、お母さんの気持ちが自分から離れたからと言って、気を引くために騒ぎを起こすな、いつものあんたのクセだ」といわれ、相手にされなかった。
    その後メールで「捨てるべき人は誰?」「わかっているのに覚悟ができない。まず母親を捨てろ、バーカあかんべえ」と返信が来た。
    <あんたを一番騙していたのはお母さんだよ><気持ち悪いから辞めろ><お母さんは一人になりたい>
    一人ぽっちだなと感じた。父も母もいなくなるし、怖い。正社員とか待遇とかで、上司に騙されている、と愚痴ったら、「それはお母さんと兄だよ」と、「あんたを一番騙していたのはお母さんだよ」という。
    職場で嫌なことがあるとお母さんに抱きつく、「それは気持ち悪いから辞めろ」という。
    それでもお母さんに抱きつこうと絡んでいたら「お母さんは一人になりたい」と突き放された。お母さんに抱きつけば癒(いや)されると思っていたけど、お母さんが私を嫌いだというのを本気で信じていなかった。
    最近、それ(お母さんが私を嫌いだということ)一つを考えた時に、「確かにそうかもね」と思えるようになった。あれほど言われているのに信じていなかった。

    <<続く>>

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/07/12342.jpg 336 321 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2019-03-16 11:40:372019-03-16 11:40:37嫉妬や怒りでおかしく|職場への不満と母への依存4/6|セラピーの現場から(679)

    私の中の過剰なものの正体|職場への不満と母への依存3/6|セラピーの現場から(678)

    2019/03/12/カテゴリ: ブログ /作成者: 林 貞子

    <<(677)の続き>>

    <人を許し優しくなれる>
    お母さんに言われてもよく分からなかったが、ほんのちょっとだけ、寂しさのとびらを開けて出したら、確かに理屈はわからないが、人を許せる、優しくなれる感じを味わった。次の日から行った職場で・・・。嫌いだと思っている人を愛おしいと思う瞬間があって驚いた。まだまだぶれるが・・・。
    <職場の人との別れが思わず心にしみる>
    父親の人生、私の人生がリンクしていることが分かり泣けたことを前回セッションでやったが、職場の人とのことで同じような体験をした。
    その人を、今まで私の都合のいいように、私の気分で振り回し、利用してきた。言わなくても自分の気持ちを察して都合よく動いてくれる人だった。その人に私は依存し、ひどいことをした。自分のいうことに絶対服従させてきた。右に左に操ってきた。
    その人が、今回、ついに退職してしまうのだが、その寂しさもはっきりでてきた。まるで父に対してと同じような扱いをしていたな、とも思う。その人に、お別れの挨拶がちゃんとできるか心配だった。
    一緒の勤務が最後の時は、まだいじけていて、自分を裏切って自分を置いて「1人だけボーナスもらってさっさと退職かよ!」と怒りながらも、寂しさもあるという私の滅茶苦茶な心の中だった。「何でアンタに!」と(矛盾した気持ちで)思いながらも、お別れの品を渡し、今までのお礼を言い別れた。その後も、すっきりしない心でいた。
    <大きな花束に涙>
    後日、不意にその人が職場に現れ、、私に大きな袋を渡した。見たら素晴らしい花束だった。私があげた品のお礼だといい、「今まで大変お世話になりました」というのだった。
    素晴らしい花束すぎて、びっくりしていた。もらった花をじっと見ては、色んな感情が交差し、涙が、でてきた。
    <お母さんと一緒に死にたい>
    この花も、時間をかけて、かれていく・・・。一緒に働いている人だって、いつか離れてゆくし、親も次第に老いて、死んでしまう。本当はそこまで思ってないけど、(仮に)死んでほしいと真剣に願う嫌いな人でも老いて死んでいくのだ。
    本当は弱くて一人で生きていく力のない自分が隠れ蓑にして依存している親が、弱って行くことに不安を感じ、避けて、観ないようにしてきた。
    そして、自分の人生。自然の流れを止めたくて、親離れが出来ず、大人になることを拒否し、結婚もできず、産まれないまま、親にくっついて来た人生だった。男の人には全く興味がなく、お母さんが一番いい、ずっとずっとあの世でも一緒にいたいと思った。お母さんと一緒に死にたいと真剣に思っていた。
    <私の中の何か過剰なものの正体>
    自分が人と違う何か過剰なものがあるのは分かっていたけれど、それが何かわからず、才能か?なんて思いながら、本当の私は、こんなじゃないと、仕事の種類や、技能に捕らわれて、外側でぐるぐる、ああでもない、こうでもないと、迷って来た人生だと分かった。からっぽの自分を埋めるものを、外側に求めて探し回ってきたのが大半の人生だったと思う。
    しかし、過剰なものの正体は、この間セッションで触れた傷の中にあるものなのだった・・・。
    私は、今泣きながら、この事を書いているが、いつもの「こんな人生になっちゃったー」と言う泣きの涙とは違う。
    <心の中がすっきりからっぽ>
    きれいな花が枯れていく。人が年をとって死んでゆく。親しい人と別れてゆく。朝が来て、日がたっぷり差した暖かな日中から、夕暮れになり、暗い寒い寂しい夜が来る。貰った花を見ているだけでも、たまらない何か感情のうずきがある。
    セッション後は無性に外を1人で歩いたが、(セッションで)寂しさを外へ出したら、心の中がすっきりからっぽで軽くて気持ちいい感じがした。そんな感じは初めてだった。

    <<続く>>

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/06/9123.jpg 480 640 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2019-03-12 23:18:002019-03-12 23:18:00私の中の過剰なものの正体|職場への不満と母への依存3/6|セラピーの現場から(678)

    楽をして治ることはない、痛みを通してしか分からない|職場への不満と母への依存2/6|セラピーの現場から(677)

    2019/03/10/カテゴリ: ブログ /作成者: 林 貞子

    <<(676)の続き>>

    <スピリチュアル>
    仕事を辞めて旅行でもと思う。しかしこの心のままどこかに出かけても楽しいことはない。 結婚し子供を産む年齢を通り過ぎた現実も辛く、普通の人とは全く違う自分の人生、自分の空白を、埋めるものが何なのかわからない。その空白を手っ取り早く埋めたくて、のスピリチュアルだったと思う。意を決してスピリチュアルなところに行くが、変わらない自分がいるのみだった。意識で自分を抑え込もうとしてかえって、自分がおかしくなった。
    <あなたも分かっているだろう>
    「楽をして治ることはない、痛みを通してしか分からない」と母が言う。「あなたも分かっているだろう」と。私にとって母親は重要だ。
    <父親の危機的病気にこころが揺れる>
    けれど、それだけでなく、父親を見ていると、何か引っかかる。それが死ぬのと被る。自分がどうなのか説明できないが、たまらないものがある。その気持ちのままセッションを受けた。
    <こころ傷に触れられた>
    今まで、こころの傷というものを、人から聞いた話とか、頭で考えていたけど、お父さんのことから、死のこと・・・、良く分からないまま、バーっと感情が出て来た。

    良く分からない感情だった。出て来た時、胸からこみ上げて来るもの、泣きと叫びに任せて、息が深くなって、何が悲しいとかでなくて、こみ上げて来たものが胸から出て来る。それが私の傷なのだ。自分の傷に触れた、とはじめて思った。今まで傷があるのかないのか・・・。触れきれなかった。あるじゃんと、思った。
    傷からそのいろいろな感情が出て来る感じがした。ずっと赤ちゃんのように泣いている。呼吸が通る感じがして、初めて声を出しながら泣いた。流れるままに泣いた。
    これが傷に触れているという感じなんだと思った。いくらでも泣いて叫んでいられそう・・・・。
    <お父さんのこととリンク。苦しかったのは、こういうことだったのか>
    お父さんのこととリンクしているが、いなくなって寂しいとかでなく、「死」に響いている。
    自分の死につながる。お父さんの人生と自分の人生がリンクした感じ、それはずっと何もかもすべて寂しい人生という点で同じだと、セッションで感じた。
    これが自分の知らない自分の空白だった。お父さんが倒れた時もいつまでも年金にしがみついて利用することを考える。お父さんって私にとってなんだったのだろうと思った。そしてお父さんという人自体について思ったが、一生懸命仕事をしていたという以外本当に何も浮かんでこなくてショックを受けた。
    何も知らないのだ。自分の存在が意味がないとおもってきた。お父さんのことも・・・。お父さんも自分の体がガタガタなのに、薬いっぱい飲んで(よく)生きて来てくれたなと思う。いつも怒りっぽいのも、こころが落ち着かなかったのかなと・・・。
    お父さんも愛をもらってないのに子供(私)を頑張って育てたなと、自分のセッションが深まったときに思い至った。
    <自分の二重性>
    残酷な自分と可哀想な自分と二重性がある。日常で怒りが強くなっているが、同時に、陰でやりたかった(本気で泣けた)ことが出て来たのだと思う。泣ける自分がいて良かった。
    自分の傷、自分に触った感じが、今後も消えないようにしたいと思っている。
    <狂気のような寂しさの爆発>
    セッションでそれまでできなかった、自分の心の傷に触れたせいか、その後日、実生活で、すごい体験をした。
    心の傷に触れた感じが続き、夜あまり眠れず早くに目が覚めるが、セッション後の余波のように自分からまだまだ出てくる色んな寂しさで涙を流したり、寂しさをひたすら感じていたり、していた。
    ある日の夜は狂気のような寂しさの爆発が来て、叫び出しそうだった。が、残念、周りを気にして押さえてしまった。(セッションのときのように)そのまま爆発できれば、どんなに良かったろうかと思う。殺されるときの叫び声みたいなのが出そうだった。
    以前も、今回ほどではないが、同じような激しい寂しさを味わったことがあった。その時はなかなかセッションがうまく進まず、自分にはもうできない気がして、そうして怒りが湧いてきて、(セッションを催している)アコールとも縁を切ろうとしたことがある。そのお別れのメールを書いて送った直後も、一瞬で白髪になりそうな、寂しさに襲われた。
    その時以上の気が狂うほどの寂しさの叫びが自分の中にあると、今回はっきりした。そして、自分で自覚できてきた傷はまだまだまだまだ泣きたがっている・・・。

    <<続く>>

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/06/03453.jpg 480 640 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2019-03-10 19:57:492019-03-10 19:57:49楽をして治ることはない、痛みを通してしか分からない|職場への不満と母への依存2/6|セラピーの現場から(677)

    愛情が欲しいけれど生きたいと思えない|職場への不満と母への依存1/6|セラピーの現場から(676)

    2019/03/08/カテゴリ: ブログ /作成者: 林 貞子

    彼女がセッションを始めたのは職場への不満に取りつかれて身動きが取れなくなっていたためでした。背後には母親への強いあからさまな依存がありました。もともとは母親との相互依存が始まりでしたが、母親はセッションにより依存を脱出していました。
    あたかも母親への満たされない思いが職場への攻撃になっているようでした。母親は依存させてくれなくなりつつあったので彼女はいよいよ孤独でしたが、その孤独に向き合わざるを得ないために、一筋の光もさしてきました。
    <愛情が欲しいけれど生きたいと思えない>
    愛情が欲しい。何故か分からないが泣きから始まって、お母さんの愛情が欲しいでなく、みんなの愛情が欲しいになっていて、気持ちが欲しい、関心が欲しい、好きになって欲しい、愛が欲しい。そういう気持ちに支配されていた。(お母さんは今はセッションをしたため自分の傷に気づき、ちゃんと関心を持っているが昔は)母の愛情もなくて来たから。
    愛情が欲しいだけの私。それだけ。自分がない。
    でも、セッションで「愛情が欲しい」とやると、本当に一杯もらったら死ぬとしか思えない。愛情を貰って死にたい。「死にたい」がある。
    <型にはめて生きようとする><でも生きる資格がない>
    私の中では「生きていて良い理想の人像」があって、どうしても本当の自分を無視してそこに収めようとしている。
    (もともと母親に望まれず)要らなかった自分、死にそうな自分を守ろうとして、だんだん分からなくなって、型にはめて生きようとする。が、分からなくなって、生きる資格がない。生きたいと思えないのが(セッションでの)一番の泣きだった。(それは始めは)何だか分からない感情だったが出て来て良かったなと、思えた。
    「生きたい」とやっても「死ね」と返って来る。「生きてはダメ、死ね」という自分に泣いた。私には生きたいというのがないのか、目標は愛情を貰って死ぬんだとなってしまう。
    価値のない自分に泣けた。生きたいという価値も資格もない自分。その自分も隠そうとして見ないようにしている。うまくいかないと、頭だけで理想像に走って、(本音や感情がなく)泣けない。そんなセッションをやっていた。
    <父親の危機的病気>
    そうしているうち父親がトイレで倒れた。知り合いが癌の末期と聞いたショックからだった。脳梗塞だった。救急車を呼んだ。フラフラしながらも自分で歩いていたので大したことはないかと思っていたが、大手術することになった。
    そもそも父は、いても、いないようなものだった。いないのは慣れている。金銭的支えはあるだろうが、心の支えでない。かえって、自分の心の空白と向き合えない父が四六時中かけているテレビの音がなくなって良かった、と感じていた。
    それよりもお母さんが、病院に行くことで、疲れがあって、心配にはなった。
    <自分の「惨め」さを境遇(職場)のせいにし、左右に揺れ、時間に追われて・・。>
    そうするうちも相変わらず、職場のことで何回も母と喧嘩した。自分は職場を辞める、辞めないで左右に揺れて両親に愚痴を言った。そうしたら「生き死にがかかった人(父)に言うな」と母に怒られた。辞めたいなら辞めて「好きにしてくれ」と言われた。喧嘩した後、仕事に行きたくなくてじっとしていた。本気で辞めようかと思った。
    でも職場に行くと、私だけ作業の「時間がない」とガガーッとやる。怒りながら作業をしている。時間に追われて胸が苦しく楽しくないまま、「急げ急げ」で1日が終わる。
    <明日になるのが怖い>
    最高に苦しかった時など、休日に日が沈むのを見ると、胸が苦しくなり、明日になるのが最高に怖い時があった。明日になるのが嫌だから死にたいと本気で思った。人に会いたくない。
    <いい子をやって内心怒りがいっぱいで帰ってきて愚痴る>
    そんな気持ちを引きずって仕事場のドアを開けた瞬間に、仕事イケイケどんどんの自分が出てきて、怒りの勢いでうれしくも楽しくもない気持ちですごい勢いで仕事をこなすが、人への敵対心を隠すようないい人、いい子をやって内心怒りがいっぱいで帰ってきて親に愚痴る。
    まるで自分で自分の頭を鈍器で殴って気絶させて胡麻化しているような、嘘だらけの毎日である。仕事のせいで私は本当のなりたい自分になれないと思っていた。

    <<続く>>

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/06/IMG_2493.jpg 468 474 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2019-03-08 09:45:532019-03-08 09:45:53愛情が欲しいけれど生きたいと思えない|職場への不満と母への依存1/6|セラピーの現場から(676)

    怒りで本音を必死に掻き消している|セラピーの現場から(675)

    2019/03/06/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <W>
    671~674について、本人の了解をとって、検討してみたいと思います。671にあるように、彼女は努力を重ね大きな改善を得ました。「物凄く落ち着いている」と言います。
    <H>
    よく頑張ったなと思います。パニック障害に苦しむ以前の彼女を知っていますのでね。
    <W>
    私はセッションでどんどん進んでいく彼女しか知りません。
    <H>
    そうなんです。
    <W>
    きっかけは、「見捨てないで」というセッションを行い自分を観られたからだ、と彼女は言います。それは何を意味するとすればいいでしょうか。
    <H>
    674で彼女も言うようにやはり「死」でしょう。これはそこまでは彼女は言ってませんが、本当は死にたかったのだ、と私は思います。
    <W>
    そこは彼女の了解をとりましょう(*)。
    <H>
    はい。それが奥のほうに隠れている本音。それが大事です。
    <W>
    つまり、怒りを力に変えて生きようとするのは本音の半分に過ぎない。もう半分の本音は消し去られていた、ということですね。自分の半分を無いものとして生きてきたのだと言うことですね。
    <H>
    そうです。無いものとしてきた部分を少し観れたので、よくなったということでしょう。
    <W>
    672にあるように、「何だか分からない恐怖と戦い」、その恐怖に対して怒りで対抗しようとする。
    <H>
    これは苦しかったですね。苦しいけど何とか生きていこうとするための便法(べんぽう)です。それしかやれない。
    <W>
    切ないですね。
    <H>
    はい。
    <W>
    673についてです。「弱さや寂しさ」は受け入れられた。その範囲であれば「死」を受け入れた、ということですね。
    <H>
    よく受け入れられたー。受け入れが起きたことが大切。
    <W>
    けれども、完全な「死」は受け入れられない。
    <H>
    そうなんです。
    <W>
    「植え付けられた死・・・絶対に嫌だ。」とあります。彼女のエネルギーは細く鋭い感じがしますね。そこに葛藤(かっとう)が残ります。改善のきっかけも「死」だったけれど、残るのも死の問題だという事は分かっている感じがします。
    <H>
    分かっていても、苦労する、ということはあります。
    <W>
    彼女のやり方で進んでいくのが楽しみです。
    <H>
    今の段階で、よくやったね、とほめたい。
    <W>
    674についてです。育児放棄を子供を守ったと説明するくだりがありますね。
    <H>
    子供に対する死の話は、673と合わせて読むと理解できます。

    <W>

    母と同じように自分も子供を傷つけた。子供を「殺す想像を何回もした」、殺意があったと言います。しかし、愛する子供にそんなことはできない。すぐに罪悪感の揺り戻しが来ます。もうここでは、別の見方が強調されます。子供を肉体的に「守った」。助けたと言う事実が強調されます。

    <H>

    彼女は、自分の持つ2つの面を自分から語っています。認識できています。

    <W>

    それでも2つをまとめて一つにすることは、苦しく、切ない。

    <<追加>>
    (*)の部分の本人からの確認はとれました。セッションの以前の記録で確認できたそうです。今回の記事内容に対して本人からの感想が次のように届いています。
    「怒りで本音を必死に掻き消しているのですね。本質をずらそうとする事が分かり、あ〜やっぱりね♬と納得感があります。」

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/06/IMG_2500.jpg 640 480 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-03-06 12:18:522019-03-06 12:24:41怒りで本音を必死に掻き消している|セラピーの現場から(675)

    抜け殻になって娘を守った|殺さずに済んだ|セラピーの現場から(674)

    2019/02/27/カテゴリ: ブログ /作成者: 林 貞子

    <<前回(673)からの続き>>
    <譲れない私の意思、私の命>
    私には私の意思がある。どんなに小さくても私には私の意思がはっきりある。その意思を否定される事は許さない。
    お母さんが大好きな事。誰よりも愛しているという事。そして私の存在を母に私を愛してもらいたいという事。これは私の意思。
    そして、私の命は私の物であって、たとえ大好きな母でも私の命を握る事は許さない。
    私の命を握るのではなく私の命を大切に母の愛で守ってくれる存在が母であり、私の命を自由に扱って良い権利などない。
    <脅迫されての死はいや、爆弾で吹き飛ばす>
    ましてや私の命を、母が私の脅迫の材料に使うなら、母を恨み呪い殺してやる。そしてそんな事が出来ないように、私は自らの命を絶つ。それは私の唯一できること、母への怒りのまま、寂しさや呪いを怒りの爆弾で、自らを吹っ飛ばす。これが私の怒りの元だ。私の命は私の物。
    <抜け殻のように死にながら生きている>
    でも実際は生きている。生きることを選んでいる。母に従い生きている。まるで抜け殻のように死にながら生きている。
    (実際には、自らを吹っ飛ばすという)私の意思は持ってはいけないのだから、体は生きているが、中身は死んでいる。
    <歴代の母たちは子供から奪ってきた>
    母は私のこの爆弾部分を吸い取り、私は抜け殻のように意思もなく死んでいる。この爆弾部分を吸い取るのは代々(祖母、母、私、娘)続いている。決して子供には持たせてはいけない意思、爆弾を歴代の母たちは奪ってきた。子供が自分の意思を持たないように、そして子供に自ら死なれないように、また自分も殺されないように、必死に奪ってきた。
    <死とリラックス><爆弾の死、抜け殻の死、安心の死>
    (抜け殻のような死を味わうことでリラックスする体験を以前にしたが)何故リラックスなのか分からなかった。何故抜け殻がリラックスなのか分からなかった。(その後に瞑想で自分から真っ暗な所へ入って行く体験ができるようになった。安心できた。真っ暗な所は死だった。自分から入って行ける死だった。)私が真っ暗な所が安心していられるように、自ら納得し死を受け入れられる時は怖くはないし、安心できる。リラックスできる。(自分の意思ではない脅迫されての爆弾の死も、)抜け殻の死も、(安心の死も)死んでしまえば同じ死だ。
    抜け殻の死と安心の死は奥では死で繋がっていた。抜け殻の死のリラックスが中々理解できなかったのは奥では死で繋がっているもう片方の死、自分の意思ではない死を味わうのが不十分だったからなのだと思った。(それまでは死を半分しか味わえなかった。)
    こうして私の死は3つになった。
    爆弾の死、爆弾部分を吸い取られた抜け殻の死。そして安心の死。
    こんなに死を毛嫌いしていたのに、3つも味わった。
    <抜け殻になって娘を守った>
    (娘を産んだ時に抜け殻でいたので、身体が思うように動かず、娘をほとんど育児放棄してしまった。にもかかわらず)抜け殻でいたのは娘を守っていたという感じがあった。それは、(母から私が受けたことによる、私が娘へ向ける殺意があり、その殺意である)爆弾が現れると怒り、呪いで爆弾が吹っ飛び私も娘も死んでしまう。娘を殺さないようにできる唯一私が守れる手段が抜け殻の死のまま娘を育てる事だった。そう思うととても納得ができた。(娘を殺したかったのに。)
    <パニックは、強く生きたいという思いと母からの死との激突>
    私は生と死の狭間でパニックになることがあった。そうなるのは、自分の意思を母に吸い取られ、そして自らも押さえつけていたからだ。パニックは、母から植え付けられた死に対する恐怖と死に対する否定と怒りだ。そして私の生きたい、どうしても生きたい強く生きたいという思いが死と激突していたからだ。
    弱く生きるのではなく、強く生きたい、何がなんでも強く生きたい!。(抜け殻のようになって生きる)弱くて無力な生と、(脅迫された死を受け入れる)弱くて無力な死は、嫌って嫌って絶対に嫌だった。大嫌いだった。
    <傷の受け入れから理解が起きた>
    そう思うととても納得ができた。(そのように今まで理解出来なかった事が、出来たのは、最近深い部分の寂しさの受け入れが起きたからだ。)「見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで」という思いは最近、ようやく意識化できるようになった。見捨てないでという深い寂しさから納得できる、理解できる部分が増えた。
    <<終>>

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/07/678.jpg 640 480 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2019-02-27 10:09:082019-02-27 10:09:08抜け殻になって娘を守った|殺さずに済んだ|セラピーの現場から(674)

    何で産んだの―問う娘|セラピーの現場から(673)

    2019/02/26/カテゴリ: ブログ /作成者: 林 貞子

    <<前回(672)からの続き>>
    <育児放棄>
    私は結婚をし子供を産んだが、子供の面倒をみられない。何かに吸い取られたように体が動かない。そんな自分が嫌だった。嫌だったけど、どうにもできなかった。育児放棄をしてしまった。
    <子供への殺意><私もまた私の事しか考えていなかった>
    その事で娘に深い心の傷を負わせてしまった。母と同じように私もしてしまった。無性に殺意が湧き上がり、娘を殺す想像を何回もした。娘に対する怒り、殺意がある。湧き上がってしまう。
    私の中の母に対する殺意、そして自分自身への殺意が、弱い立場で守るべき我が子に向かってしまった。今でも深い傷のある娘は、自分の意思を私や第三者に伝えられない。怖くて言えないのだ。
    そういう風に自分の意思を抑え込むという事を私が教えてしまった。私も母と同じように私の事しか考えていなかった。
    <何で産んだの―問う娘>
    娘が小学校低学年の頃娘に聞かれた。泣きながら、怒りながら私に質問してきた。
    『何で産んだの?』私は一瞬戸惑った。この時セッションをしていたので自分自身の怒りや殺意など多少は味わっていたので娘に話した。だけど、娘は納得したような感じがしなかったし、私自身も気持ちが悪かった。
    <私の存在を認め慕ってくれる存在が欲しかった―心からの愛情なんてなかった>
    今ならこう答える。私を絶対に裏切らずに、私の存在を心から認め慕ってくれる存在が欲しかったから。娘の事なんて何一つ考えていない。私が、生きる為に、私が人の生死を握れる為に私の為に子供を産んだ。私の中の被害者意識で産んだ。母と同じ事を娘にしてしまった。心からの愛情なんて一つもなかった。
    <無力で弱い私のまま泣けた>
    セッションを進め、私の見捨てないで、置いていかないで、1人にしないでという心の傷を見る事で、母に見捨てられるという寂しさ、そして私自身も私を見捨ててしまったという感情を味わい寂しくて、無力で弱い私のまま泣けた。泣きながら吠えたような感じだった。私の全身で感じた寂しさだった。
    <絶望もなく全部ひっくるめて理解しているような感じ>
    その寂しさの中にいると光もない真っ暗な何もない所にいる。そこは怖いや、寂しいなどを通り越したような感じで安心する。弱くても良い、情けなくても良い、無力でも良い。絶望なんてものはなくて、ただ真っ暗の安心できる所だ。それは私の事を私が全部ひっくるめて理解しているような感じだから安心するのかもしれない。この真っ暗な寂しさの中に、自分から瞑想で入って行けるようになった。
    <許せない-母に植え付けられた死や恐怖>
    私が弱くても無力でも良いと私が許せても、絶対に許せない事がある。
    それは母に植え付けられた死や恐怖。絶対に許せない。絶対に嫌だ。母に否定され、邪魔にされ、母が生きる為に利用されるのだけは絶対に嫌だ。認められない。そんな死を私は毛嫌いしている。
    <<続く>>

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/07/1567.jpg 640 480 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2019-02-26 17:57:572019-02-26 17:57:57何で産んだの―問う娘|セラピーの現場から(673)

    産まれたことを罰する自傷行為|セラピーの現場から(672)

    2019/02/25/カテゴリ: ブログ /作成者: 林 貞子

    <<前回(671)からの続き>>
    <一人で恐怖と戦う>
    奥に追いやったはずの弱くて1人の自分が、無意識に出てきそうになると、その弱い気持ちが出てこないように、必死で母に助けを求めた。母に助けて欲しかった。
    だが、母に助けてもらう事は出来なかった。結局1人で何が何だか分からない恐怖と戦うことになる。もっと強くいなければ。
    <父の家庭内暴力><死に場所探しに私はいない>
    父の家庭内暴力を見て恐怖を感じ、それでも大好きだった父の事を大好きと言えずに、父を嫌っている母に従い私も父を嫌った。
    私の大好きだった父も問題のある人でお酒を飲んではよく暴れた。父の家庭内暴力に耐えられず、母は私を連れて家出をした事があった。死に場所を探すためだ。
    この時も母は私に意識がない。私の人生は?死に場所探しのドライブは、今思い出しても、恐怖そのものだった。父が暴れている恐怖、そして私の意思など無視をして自分の事しか考えていない母。私の本当の気持ちはますます奥の方へと自ら抑え込んでいった。

    <見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで>
    大好きだった父が自殺をしてしまった。この時私は父がいなくなってしまった事が悲しかった。
    全身から溢れてくる寂しさから父が火葬される時に泣いた。この時泣きながら父に言いたかったのは、『私を置いていかないで、1人にしないで』だった。私が1歳前に味わった「見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで」という事を無意識に思い出したのかもしれない。大好きな父に置いていかれたくなかった。一緒にいたかった。今だからそう思えるが当時は訳も分からずに溢れ出てくる悲しさでとにかく泣いた。この「見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで」という思いは最近まで無意識に閉じ込められており、ようやく意識化できるようになった。ようやく、深い部分の傷の受け入れが起きてきた。
    <産まれたことを罰する自傷行為>
    思春期になれば怒りを鎮めるために自傷した。死ぬ為ではなく、自分を傷つける事で、生まれてきてしまった私を私が罰していた。母に邪魔にされ、いらないと思われ、母の中に私が存在しない。母は自分の事だけ。私を利用するだけ。そして、どんなに純粋に母を求めても意味がないと感じ自分自身も無力に感じる。こんな無力な自分、弱い自分を自ら罰した。強くなれ!と罰していた。そのことろ、私が堕胎した子供も、何もなかったかのようにポイッと意識なく殺した。
    <<続く>>

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/c9f93924af9fd1c4bd379543e0076b1b.jpg 640 480 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2019-02-25 10:19:372019-02-25 10:19:43産まれたことを罰する自傷行為|セラピーの現場から(672)

    怒りを力に強く生きていくと誓ったのに吃音、視野狭窄、下痢|セラピーの現場から(671)

    2019/02/23/カテゴリ: ブログ /作成者: 林 貞子

    <<最近の私は物凄く落ち着いている>>
    最近の私は物凄く落ち着いている。とても安心できる場所にいる。調子がいい。
    それは「見捨てないで」というセッションを行い、自分自身の深い寂しさや怖さ、そして私の願いがどうやっても叶わないという弱い自分、を観られたからだと思う。(このシリーズは(671)~(674)まで連続します)

    <母は私に意識がなかった>
    私が母のお腹の中にいる時から母は私に意識が向いていなかった。父の事で精一杯だったし、母は自分の中にある小さい時からの被害者意識で一杯だった。
    母の怒りや憎しみ、恨み、寂しさ、母自身の生への否定を、負の感情を、私はお腹の中で感じていた。私がお腹の中にいる時から母は私に意識がない。
    <死ぬ事が出来なかった>
    私は、自らの意思で生きるのを諦めようとした時に、帝王切開で産まれた。死ぬ事が出来ずにガッカリし母に従って生きる事になってしまった。自らの意思で死ぬ事が出来なかった。
    <乳児のときに捨てられた>
    私は8ヶ月か9ヶ月の頃、母に置いていかれた。母は私を置いて家出をした。父は私の面倒を見られないので母の実家に預けた。私からすれば、母に捨てられ、父にも捨てられた。その事で深く傷ついた。意識のない母。お腹の中でも感じていた事が産まれて生きているこの時もハッキリと味わった。
    <純粋な求める気持ちは裏切られた>
    預けられた私は母を求め、母を呼んだ。呼んでも呼んでも母はいない。何故呼んでもこない?私の純粋で真っ直ぐに母を求める気持ちは、裏切られた。そして小さい私は無力だった。深い寂しさがあった。純粋にただ母を求めているだけなのに、この純粋な気持ちがどうにもならない事に怒った。
    <怒りが恨みに呪いに><無力な自分も許せない>
    怒りが段々と恨みになり呪いになった。
    母を含め母の一族も許せない。そして私は自分の無力ささえも許せなくなった。自分の無力さに絶望し、その弱くて無力な自分が許せなくなった。絶対に弱くなってはいけない。強くならなければいけない。
    <怒りを力に>
    弱い自分が1人でいる事がどれ程怖くて寂しくて情けない事か。置いていった母も許せないが、それ以上に1人ぼっちで無力な自分が許せなかった。弱くなってたまるものか!絶対に強くなくてはならない!と固く誓った。 怒りを生の力に変えて強く生きていく事になった大きな出来事だった。
    <吃音、視野狭窄、下痢>
    その後も私は固く誓ったこの守りを奥にしまい込み成長した。
    小学生になった頃、緊張すると吃音になったり、視野が狭くなり目が見えなくなって心療内科に通った。
    <弱い自分が出ないように>
    1人になる寂しさや、1人を匂わすような事があると、この許す事のできない弱い自分が出てくるので、弱い自分が出ないように必死になっていたんだ、と思う。弱くなってはダメだと自分を抑えている結果、吃音が出たり、視野がおかしくなったり、すぐ下痢をしたりと体に症状が出ていた。
    <<次回に続く>>

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/01/IMG_2050.jpg 640 480 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2019-02-23 16:24:542019-02-23 16:25:00怒りを力に強く生きていくと誓ったのに吃音、視野狭窄、下痢|セラピーの現場から(671)

    二番目の壁|セラピーの現場から(670)

    2019/02/20/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <W>
    今日は、ベビーブレス(ブレスワーク)で乗り越える二番目の壁のようなものについて、例を挙げて、話したいと思います。
    <H>
    はい。
    <W>
    壁のようなものは大きく二つあるように感じます。一番目の壁は、「出せるかどうか」の壁です。自分の中に入って行って、それまで長い間隠していた(といっても意識的ではないですが)怒り、悲しみ、恐怖を出せるかどうかです。
    <H>
    はい。ブレスワークをする人たちは皆、経験するところですね。この壁を乗り越えて、ブレスワークの魅力、醍醐味を知りますね。
    それまで隠されていた怒り、悲しみ、恐怖を出せるようになると、エネルギーが湧いてきて、いろいろな改善が起きてきます。出せなかったものが出せるようになって、しばらくは、それまで楽しめなかった人生を楽しむ余裕も出てきます。苦しかった人生がある程度楽になるのですから、出来るだけ、たっぷりと楽しんでほしいものです。
    <W>
    立派なブレッサー(笑)になりますね。
    ところが、それが出せるようになると、しばらくして、物足りなくなります。物足りないのに、それなのに何かに阻(はば)まれ、次に進めない感じです。二番目の壁です。出しても出しても、何かが満足しない。
    <H>
    はい。満足しない感じの人は進んでいくでしょう。いい感じです。怖くなって進めない感じで苦労するということもありますね。それで同じ所をぐるぐる回ってしまう。この怖さは意識はされていないことも多いでしょうが。
    <W>
    この二番目の壁を乗り越える時の話をしたいのです。
    <H>
    重要な部分ですね。そもそもブレスワークの中で自分自身で乗り越えるべきものですが、どうやって乗り越えたか、自分でも説明できない人も多いと思います。言葉にしにくい部分でもありますね。
    <W>
    そもそも自分自身で乗り越えることが、その人の実力になる、ということですね。その通りですが、しかし、乗り越えるのに時間がかかってしまう人もいるので、何とか話題にして、言葉にしてみたいです。大きな参考になると思います。
    怒り、悲しみ、恐怖を出せるようになると、それらの元になっている自分の心の傷が、母親から来ていることも明らかになります。そして傷をつくった母親に憤慨します。母親へ怒りが向き、母親をまともな人に変えたい気持ちが湧き起ります。変えようとします。でも変わりません。母親には母親自身の傷があるからです。変わらない、どうしようもない母親を前にして、地団太(じだんだ)を踏みます。母親が変わらないことを頭では分かっていても、どうしようもない気持ちに突き動かされます。母親を変えようとする気持ちが叶わないことで、怒り、悲しみ、恐怖にとらわれ、からめ捕(と)られてしまいます。

    <H>
    二番目の壁ですね。
    <W>
    そうです。そうやって怒り、悲しみ、恐怖で七転八倒(しちてんばっとう)しているうちに、ある何かが切り替わります。「母親」へエネルギーが向かうことに意識が向いていたのが、母親へ向かう「自分のエネルギー」に意識が向くとも言えます。母親へではなく、自分のエネルギーです。母親は関係がなくなるのです。
    <H>
    はい。母親は消えてしまう。そこですね。
    <W>
    切り替わる前後は、一見して、似ています。ともに、怒り、悲しみ、などのエネルギーに溢れているという点では非常に似ています。でも、180度異なっています。切り替えが起きています。大きく変わってしまいます。
    いくつかの事例を挙げてみます。
    (例1)
    幼い自分に愛情くれなかった母親、今もくれない母親。おかげで私は恐怖の底で死に直面しなければならない。その憎たらしい母親へ(セッションの場ではなく、やってはいけない)実生活の場で大きな怒りを出してしまった。今は若くない母親は、実際の私の怒りに、あっけないほど耐えられなかった。その瞬間、あの強大だった憎たらしい母親は、心に傷を負った1人の悲しい小さな弱い女性だった。そのことが初めて心に入ってきた。そうして、それが起きた。自分の悲しさだけがそこにあった。悲しさのエネルギーだけが。深い深い愛(いと)しいエネルギーが。
    (例2)
    母親もまた自分の母親から愛情を貰えなかった。そのために私を愛せなかった。頭では理解できる。でも本当には納得できない。私のこころは大きく傷ついている。傷は今も疼き(うずき)続ける。目の前の現実の母親に、理想の母親を求め続ける。他方では、愛情なしで死に追い立てられ、母親への狂気の憎悪が突き上げる。この狂気を無いものにするために私のこころは歪み(ゆがみ)続ける。
    そこで、想像してみる。仮に、自分の母親が、傷を持たず健康な人であったならば、どうだろう。愛情に溢れ自然に私を愛(いと)おしんでくれる人であったならば、どうだろう。自分は夢にまで見たような暖かさで愛されただろう。その愛された自分はどのようなエネルギーを持つだろうか。そう想像するときに、それが起きることがある。喜びのエネ
    ルギーが湧き起る。体が熱くなる。小さな子供が庭を走り回るように、私は走り回る。エネルギーだけがそこにある。求め喜ぶエネルギーだけがあり、もはや母親はいない。
    (例3)
    どうにもならない母親のことをどうにかしようとして悩み続け苦しんだ。自分の中の小さな子供が母親なしでは生きていけないと悲鳴を上げる。それでも実際にはどうにもならない。苦しみ続ける。その挙句(あげく)、問いかけても問いかけてもどうにもならない母親を「あーめんどくせ」と感じ放り投げる。瞬間的にではあるがそれが起きることがある。
    <W>
    何かが切り替わることを、母親へではなく自分のエネルギーへ意識が向くと説明してみました。
    <H>
    なるほど。
    <W>
    さて、この事は、陳腐になることを恐れなければ、親(母親)離れの瞬間とも言えるのでしょうか。
    <H>
    ことが重要すぎて、簡単にそうラべリングしたくないですね。
    <W>
    そうなんです。一度そう言ってしまうと、たちまち「親離れをしなければならない」「死を受け入れなければならない」と頭が働き始めます。まるで標語のように。標語は全く役に立ちません。「何々せねばならない」は役に立ちません。自発性が無くなりますから。標語の代わりに、実際に自分の中に動く何かへの理解が起きることが重要です。何かが理解されるその瞬間の感覚が重要と言えるようです。
    <H>
    ベビーブレス(ブレスワーク)で一番底まで行けば、おのずと起きることだと思います。

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/02/1d73934525bc9cc8a998e23a44881860.jpg 456 292 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-02-20 13:18:202019-02-20 13:18:26二番目の壁|セラピーの現場から(670)

    生きている事自体が見っともなかった<実は子供を愛してなかった>2/2|セラピーの現場から(669)

    2019/02/18/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    Kさんは人生の謎が解け(「生きている事自体が見っともなかった」)、人生全体を細部まで語ります。セラピーの現場から(660)の中の<実は子供を愛してなかった>の細部1/2 です。

    ***********************

    子育て
    <赤ん坊を預けた>
    赤ん坊が怖かった。仕事に戻ることを理由に赤ん坊を姑に預けた。姑に預けたのは赤ん坊が生後2ヶ月位のときだった。住むアパートは雪が深くてバス停から更に歩いていくような住まいだった。舅はおとなしく、姑は癇癪持ちだった。本当は私の母のところで産めればよかったのかもしれないと思った。

    <泣き続けた赤ん坊>
    この頃、一時、姑が腎炎になったことがあり、長男(産まれた子供)は姑から乳児院へ預けられた。2ヶ月間くらいだった。2ヶ月後に引き取ったら、長男は出臍になっていた。それだけ泣き続けたという証だった。姑は、へその上から10円玉を絆創膏で固定して治してくれた。私はそんな事も知らなかった。

    <赤ん坊が最初に発する言葉が「ダメ」>
    しばらくして姑から赤ん坊を引き取った。生後9ヶ月くらいだった。そのころ学校が教員住宅を用意してくれたので入った。一部屋だが今度は台所もあった。子供の面倒を見るのに未婚の妹を呼んだ。妹の住むところを近くに借りて、通いで面倒見て貰った。子供が最初に発する言葉が『ダメ』だった。片言話す時期に、独り言は「ダメ」だった。私が何でも子供のする事をダメと言っていたためだ。
    <私の顔色を見るようになった赤ん坊>
    赤ん坊は好奇心で動く。私はとにかく自分の不安感情でダメ出ししていた。子供は私の顔色を見るようになった。テレビを見て笑う時も(笑ってもいいのだろうかと)私の顔を見た。
    <子供を預けて単身赴任>
    やがて3年間の僻地勤務のノルマを果たしたので、都市部に戻りたかった。夫も教員をしていた。二人同時に都市部に移りたかった。でも、同時というのは難しかった。叶わなかった。夫と子供をまた姑に預けた。私は更に1年間僻地に留まって、単身赴任だった。
    単身赴任の地から、夫の実家へ、土曜の午後に片道3時間かかってバスと汽車を乗り継いで行った。そして、月曜日の朝早く、夫の自転車の荷台に乗って駅まで来て、僻地に戻った。夫が言うのは、「お前が哀れというか息子が哀れというか」と言っていた。

    <発達障害は人のせい>
    親にOKを出されないと動けない子供になった。典型的な自閉だ。今でこそ発達障害が育て方だと分かるが、恥ずかしいことに当時は分からなかった。「この子はおばあちゃん子だから」と姑のせいにした。自分のせいにはなれない。人のせいだ。子育てがうまくいかないことに追いつめられた。昔振られた彼氏のことも癪に触って(未練、恨みがあって)、彼氏の勤務先に子供(4~5歳のころ)を連れて行って会いに行った事がある。
    子育ては、学校に入るにはどうしたらいいかというのが目的で、自立して生きていく人間を育てるとは考えていなかった。立派に自閉傾向があったので医者に連れて行った。小児科の医者は、脳波を調べるより、「集団生活をさせなさい」と言った。保育園に入れた。
    その後、次男、三男と生まれた。子育ては自信がないので産児制限し次男は6年後だった。次男は元気で生まれたがその後に、優秀な子として期待して自由にさせることができずコントロールしてしまった。三男は、女の子が欲しかったのに男だったのでがっかりして、今思えば育児放棄してしまった。全体としては次男、三男は問題なく、長男だけが問題だと思っていた。今考えるとそうではない。氷のような子供を3人産んだという思いがある。

    <うまくいかない就職>
    私の心配は、子供が入れる学校があるかどうかということだけだった。問題の長男は高校には入った。大学は推薦で入り4年で卒業した。そこまでは良かった。しかし就活でつまづいた。はじめての就職先で大きなミスをした。「世の中通用しない」と言われた。この子(長男)をどうにかしたいと思った。

    <自傷する子供>
    私に三男は『俺たちのことはどうでも良いんだな』と言って高校に入ったがグレ始めた。呼び出しも何度かあった。次男はだらしない不甲斐ない兄を殴った。「何で仕事に行かないのか」と言うと「自信がないからだ」と大きな声で言ったから殴ったと言う。長男は「俺の頭は役に立たない」と自殺しようとした。頭を木ねじの付いた板(小さな家具)で殴った。血だらけになった。既に家庭が崩壊していたのに気がつかず、それでも、長男だけが問題だと思っていた。

    <抱きしめている大事な写真は私ではなかった>
    長男が頭に木ねじで(傷つけて)自殺しようとした時に、気が付いた。長男のベットの枕の下から写真が見付かった。彼が大事にしていた写真だ。長男が妹に抱きしめられている写真だった。私にではない。私は長男を抱きしめていないから。最初、写真を見た時、私かと思って「大事に持っているんだな」と。でも、よくよく見たら妹で、がっかりした。長男は妹には特別の感情がある。それくらい私はダメ母だ。

    <生みっぱなしで愛することを知らなかった>
    思うに私は、不安なまま子供を育て、愛することを知らなかった。生みっぱなしで、ほとんど虐待をした。子供を自分に近づけさせない、抱きしめない、遠ざける、悪いことしたとき抱きしめない、ダメダメばかりだった。そして子供がうまく育たないことを人のせいにしていた。環境のせいにしていた。自分自身の事が分からなかったから、観えなかったから。
    現在、この長男と2人で生活している。昔はできなかったが一つ一つ噛み砕いて話すと息子は分かる。子供の頃のやり残しを私はやっている。二人で食事しながら、育て直しのように、丁寧に話している。

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/02/IMG_2798.jpg 480 640 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-02-18 23:46:592019-02-18 23:55:53生きている事自体が見っともなかった<実は子供を愛してなかった>2/2|セラピーの現場から(669)

    生きている事自体が見っともなかった<実は子供を愛してなかった>1/2|セラピーの現場から(668)

    2019/02/16/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    Kさんは人生の謎が解け(「生きている事自体が見っともなかった」)、人生全体を細部まで語ります。セラピーの現場から(660)の中の<実は子供を愛してなかった>の細部1/2 です。

    ***********************

    妊娠中

    <劣悪な生活環境でとても子育ての気持ちにはならなかった>
    教員をしていた。結婚当時、私の故郷に通っている鉄道でも一番寒い町にある町民住宅に、住んでいた。春休みに転勤を命じられた。引っ越の時に妊娠しているのが分かった。引っ越した先が、僻地(へきち)で、それまでにも増してひどい家だった。学校で用意してくれた民家の離れだった。台所もなかった。縁側の端っこで大家さんの水を貰ってきて炊事した。暖房は石油ストーブだけだった。
    劣悪な生活環境で、とても子供を産んでも育てる勇気はなかった。それ以上に背筋が凍ることがあった。妊娠を母に言ったら「育てる状態でないなら堕せばいい」と言った。父親は青森の僻地に勤めていて、父母も楽な生活ではなかった。母は妊婦の私を引き取れない。そういう環境で「育てられないだろうから」ということだった。母も産んだ子供をまともに育てられなかった。私への扱いもひどかった。育ててもらえなかった子供もいた。母は自分も人殺しだから堕胎を進めた、と思った。背筋が凍った。

    <胎児を大事にする気持ちがなかった>
    校長は、お腹の大きいの(教師)は採用しないが「取るしかなくて」と言った。同じく教員だった夫はそこから6キロ離れた学校に勤めなければならなかった。まともな腹帯もなかったし、妊婦の私は腹を巻く腹帯の付け方も分からない。始めはサラシの腹帯をしていたが汚れたから伸縮(性)のある腹巻きで仕事をしていた。胎児(長男)に対する優しさはなかった。そのうち腹が目立ってくる。胎児を大事にする気持ちがないので、大きくなったお腹で無理をした。と言うより、やっていけないことが、わからなかった。つっかけを履いたまま子供達と一緒に暴れ回ってお腹に意識がなかった。胎児が逆子になった。引越し先から離れた所の産婦人科の検診で分かった。そこで体操を教わって戻した。ようやく助産婦さんに教わって腹帯の巻き方をした。
    お産は、夫の実家を頼った。夫の実家は遠かった。私の勤務地から3時間かけて行った。夫の実家のあるところから更に離れた病院でお産することにした。出産ギリギリまで日直もやった。

    出産
    <仮死状態、おっぱいが出ない、ミルクを吐いた>
    入院した。初産だから状況が分からなくて、赤ん坊の頭が出かかっているのに看護師さんを呼ばなかった。怒られた。分娩室に行って産んだが赤ん坊は泣き声をあげなかった。へその緒が、何重にも絡んでいて仮死状態だった。次の日あたりから泣き始めた。初乳をあげたがおっぱいが出ない。赤ん坊は私に3時間くっついて離れなかったがやはり出なくて泣いた。助産婦さんに「泣き過ぎてチアノーゼ状態になるので、大きくなったら脳波を調べるよう」に言われた。諦めてミルクにした。ミルクの上げ方も下手だったのか赤ん坊は激しく吐いた。私は不安なまま子供を育てはじめた。

    <着替えの産着を持ってきてもらえなかった、院内感染した>
    産着や肌着や布団を汚した。当時の産院では子供の産着は用意されていなく自分で持参する習慣だった。着替えの産着を夫に家から持ってくるように頼んだが、いつまでも持ってこなかった。仕事が忙しいせいということもなかったはずだ。冬休みで実家にいたのに。頼んだことをまともに聞かなかった。父親という感覚が無かったのだと思う。とうとう持って来なかった。産着なしで何とかするしかなかった。子供用の丹前を母が作ってくれていたので、仕方なく、それを肌着なしで着せて横に寝かせた。そのせいで子供は風邪をひき、さらには院内感染し、ブドウ状球菌にやられた。

    <子供を抱いて飛び降りたいと思った>
    姑(夫の実家)のところに退院した。が、子供は熱があって胸が腫れた。ブドウ状球菌が残り大きく紫に腫れていた。しょうがなく他の病院に行った。一緒に入院した。ベットに寝ていたけど、子供の扱いが分からなかった。病院の屋上から子供を抱いて飛び降りたいと思った。子供を育てられない、この先どうして良いか分からない、親子心中しようと思った。実行は出来なかった。

    <不安、赤ん坊が落ちるかも>
    赤ん坊を脱水状態にさせたこともある。とんでもない扱いをした。夫はセックスが満たされない期間が長かったから怒りっぽかった。夫が迎えに来た。夫の実家といっても狭いアパートだった。そこへ子供を連れて3人が転がり込んだ。産湯は姑がやってくれた。私は産湯につけさせるのは不安だからやれなかった。手から落ちると思ってやれない。今思うとやれないはずがないのに。今は産院でも教えてくれるが、当時私の場合には親は教えてくれないし、不安でやれなかった。
    ミルクは私も夫もやったがぎこちない。「そんなんで子供を育てられるか」と姑は怒った。夫は「立派に育てて見せる」と啖呵(たんか)を切った。ミルクの濃さが分からず濃いミルクを与え続けたために、子供は便秘になった。姑が油を塗って肛門を刺激し出してくれた。私は子育てから逃げたかった。赤ん坊が怖くて接することができなかった。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/02/6e24b9bac51c7f1cd873622eb4b1392c.jpg 466 387 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-02-16 23:46:422019-02-18 23:54:23生きている事自体が見っともなかった<実は子供を愛してなかった>1/2|セラピーの現場から(668)

    本気の恨みが出て愛おしさ|セラピーの現場から(667)

    2019/02/13/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    子どもさんへの虐待が止まらないとしてセッションをはじめた女性:
    怒り恨みを長い間やってきた。恨みはどもさんや社会に対するものから、やがて、母親へ移って行った。セッションで恨みを扱うことで、日常のいろいろな不具合が徐々に回復してきた。回復するにつれ、今一つ物足りない感じがしていた。そして気が付いた。それは本気。本気が足りないことがわかってきた。今回のセッションを本気でやった。恨みの母親を殺し、恨みの自分も殺せた。そうしたら、その後、愛おしさや寂しさが現れた。足りないものはこれだった。
    <W>
    この方のケースでは、セッションが進むにつれて、他のケースでも現れる流れが出ています。怒り(恨み)が向く対象が子どもさんや社会から母親へと移っていくこと。更に進むと、セッションを今一つ本気でできなかったのが、本気でやれるようになっていくこと。
    <H>
    そうですね。怖いですからね。手前で踏みとどまる。それが抵抗ですね。怒りが母親から来ていることは理屈ではボンヤリわかっていても、実際の感情が母親へ向くには勇気がいります。怖いし、痛い。無意識に、母親とはいい関係を残していたい。自分の命がかかっているのですから。
    <W>
    自分の無意識の心の中の子どもとしての命ですね。母親なしでは生きていけないほどの小さな子ども。その無力な子どもは心の中に居続けたので、母親を攻撃する代わりに子どもさんや社会を攻撃していたとも言えるということですね。
    抵抗と見るのであれば、本気でやらないことも抵抗と見えます。本気でやったら、本当に母親を失ってしまう。どんなにひどい母親でも、小さなこともにとっては、この上もなく大事な人なので。
    <H>
    でも、本当のところまでいって初めて、愛おしさや寂しさが現れる。それが足りないものだったのですね。
    <W>
    そうですね。
    それまで感じられなかった愛おしさや寂しさが感じられるというのは、自分を取り戻しているということ。
    <H>
    足りないものをどこかで知っていた。
    <W>
    自分を取り戻すことが、足りる、ということだったのですね。小さな子どもの本当の親離れと言っていいでしょうか。
    <H>
    足りないものを知っていた、取り戻したいものを知っていた、というのはいいですね。人間というのはいいです。
    <W>
    母殺しに続いて、自分殺しが出るというのも、流れですね。
    <H>
    チラッとですが死(死の本能)を満足できたので、より深い満足があったのだと思います。
    <W>
    そこのところは、どこかで詳しくやりたいです。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/02/73595b578e68d069d2ae6199a74b9d47.jpg 458 334 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-02-13 19:41:512019-02-13 19:41:58本気の恨みが出て愛おしさ|セラピーの現場から(667)

    なぜ参加しているのか|「病識」|セラピーの現場から(666)

    2019/02/12/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <W>
    カウンセリングやセッションの成否を左右する要素は色々ありますが、最も初めの段階にある要素が、参加者の「病識」の有無です。
    <H>
    当面の成否を左右しますね。
    <W>
    「病識」というのは、本来は、自分が病気であることを認識していることをいいますね。ここでは、なぜ、カウンセリングやセッションに参加しているのかの理由の認識ということになります。対人関係や自分自身の問題など、抱えているトラブルにはいろいろありますが、ご自分の中に解決を探る姿勢が、ある人とない人と大きく分かれます。
    <H>
    分かれますね。
    トラブルの原因は他人に在って、自分にはない、というのが一番大変です。それが本当であれば、ご自分への心理的なカウンセリングやセッションは必要ないはずです。
    <W>
    しかし、カウンセリングやセッションの費用を払い、会社を休み、交通費を出してやって来ているわけですから、何とか、自分の中に解決を探ろうとしているともいえます。
    <H>
    そうです。
    ところが、カウンセリングやセッションを進めてみると、自分の中をなかなか観ることができず、固く他人のせいになっていることも多々あります。そうなると、お互いに苦しむことになります。
    <W>
    つらい状況ですね。
    <H>
    カウンセリングやセッションをリードさせていただく立場としては、こちらの力量不足も絡んでくるので難しい問題です。その問題に触れないわけにもいかず、痛し痒しです。愚痴も言いたくなりますが、自分の力量も振り返らなければなりません。
    <W>
    難しいですね。
    <H>
    例えば家族との人間関係や職場の人間関係に困っているときに、その夫や上司が100パーセント悪いのであれば、必要なのは、弁護士や警察かもしれません。そのような良くない人間関係の中で、ニッチのサッチもいかなくなるのは、なぜでしょう。人によっては何とかなる人もいるはずです。困り果てて生きづらさを認識するのは、やはりご自身の心の中に傷があり、その傷に触れてしまうからではないのだろうかと、探る必要があります。参加者が、傷を探る姿勢になるまで、待ち、辛抱し、促進しなければなりません。それが力量というものでしょう。しかし、とてもとても難しいです。
    <W>
    まったく本当に。
    将来その傷を理解でき成長できれば、良くない人間関係の中でも何とかなるかもしれません。というよりは、そのような人間関係の中で、逆に、頼りにされる人になってしまうということが多いのですが・・・。
    <H>
    カウンセリングやセッションの初めには、そんなことは想像もできないでしょうから、こちらも正直のところ困ります。
    <W>
    病識が無く他人のせいになってしまうというのは、ある意味、無理もないかもしれません。例えば人間関係に対応できない心の傷も、結局は、幼い時の養育者(母親)からの影響があることがほとんどなので、人(養育者(母親))のせいということになります。
    *(注、養育者は母親に限らず、父親、祖父母、親戚、義理母、施設の担当者などいろいろなケースがあるでしょうが、もっとも一般的で決定的な影響力がある母親を例にします)
    <H>
    つまり、認識ですね。養育者のせいということが認識されていれば、立派に「病識」はあることになり、セッションもスムーズに進むことでしょう。
    <W>
    幼い時の養育者は、その人にとっては生きる基盤のようなものですから、その認識は簡単ではないということでしょうか。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/02/b442ab998f44c81f47cb26cb8d96c094.jpg 462 337 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-02-12 19:17:192019-02-12 19:33:41なぜ参加しているのか|「病識」|セラピーの現場から(666)

    スタッフ対談|憎悪はダメ|セラピーの現場から(664)

    2019/02/07/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    スタッフ対談

    <W>
    今回は、愛憎のアンビバレントについて、少し話したいと思います。
    <H>
    分かりました。
    <W>
    ブレスワークを通して分析すると、母親への愛憎のアンビバレントが事実として出てくるのですが、社会的には困ったことにもなります。「愛」の方はいいのですが「憎」が困るということです。
    <H>
    困るというのは公に話しにくいということですか。
    <W>
    そうです。
    精神分析にでも興味がある人であればそういいうこともないのでしょうが、一般的には、特に日本社会のように儒教の影響が残っている社会では、困ります。大恩ある自分の親への憎悪を当然のように扱うのは、道徳的に非難されがちです。「愛」「憎」ともに事実なのですが、道徳的には「愛」の方はいいのですが「憎」が非難されます。
    <H>
    確かに、子供さんがセッションを受けに来て、費用は親御さんが出す場合など、親御さんへの憎悪を当然のように扱うのは、ある意味、気が引けなくもないです。しかし、事実はは事実。だから回復が期待できる。道徳は抑え込んで悪化させることになります。親御さんも、またその親御さんへの愛憎が事実としてあるのですから、説得できます。私は腹をくくっています。
    <W>
    なるほど。
    しかし、儒教の影響は親御さんなど社会だけではなく、セッションを受ける本人の中にもあります。心の中にあります。自分自身によって「愛」の方は受け入れられ「憎」が非難されます。
    また、儒帳だけではなく心理的にも「愛」はよく「憎」はダメです。
    <H>
    本人の心理であれば、そうです。
    <W>
    心理的に「憎」はダメというのが多数派なので、やはり社会的な困難性もあるのではないかと思います。
    <H>
    さて、セッションを受ける人が「いい人」であればあるほど、愛憎のアンビバレントのうち、否定的なものである憎悪は隠されます。そして、その隠された憎悪を認識することがカギになります。
    <W>
    憎悪は認識されにくいということですね。
    <H>
    はい。
    愛憎のアンビバレントのうち、都合の良い方の愛され愛しという面を強調して、なんとか生きていこうとします。しかし、残念なことにうまくいかない。隠されたものがあるから。隠されたものは必ず悪さをする。心理的な不具合の原因となる。始めは分からないけれども、セッションが進み、アンビバレントが統合されて初めて納得がいくことになります。
    <W>
    憎悪は認識されにくい理由を詳しく説明してください。
    <H>
    憎悪は否定的なもので嫌われてしまう。憎悪の先は、行き着くところ、生きていけない破壊的なもの、死が待っている。だから認識したくないのです。
    <W>
    憎悪の行きつく先ですね。
    <H>
    憎悪そのものが意味するところもそうです。認識したくない。認識しようとすると、憎悪を作った傷、心の傷を見ることになってしまうから。例えば乳幼児期の辛い心象風景を思い出してしまう。心の傷を癒すことなく、自分の憎悪を観ることは難しいです。
    <W>
    どうすれば心の傷を癒せるのでしょうか。
    <H>
    心の傷は再体験する事で初めて癒される。
    再体験とは、自分で自分の傷をわかってあげること。そのことで初めて癒される。隠された傷は癒されないまま温存されます。
    <W>
    再体験ですね。
    <H>
    再体験は難しい。なぜなら、心の傷が痛むから。心の傷を扱う事は辛く嫌なことだから。

    <W>
    でも鍵は再体験ですね。
    <H>
    そう。再体験された自分は、ありのままの自分とか、等身大の自分とか、素の自分とかいう。まさにそのこと。
    <W>
    癒しと痛みは同じところにあるようですね。行きつく先の死はどうなるのでしょうか。
    <H>
    いつの間にか経験されます。できてしまえば、それほど怖くはありません。
    観る事は、辛いことであり、同時に癒しです。

    ヒーリングと言って、美しい音楽を聴いたり、いい香りをかいだり、いろいろなことが行われますが、傷を観て本当に癒された後は、良い音楽や良い香りは必要でなくなります。すべてのものに癒されます。
    <W>
    はい。
    <H>
    心の傷を見る事は、本当の自分を知ること。本当の自分を知れば、本当に生きることができる。本当に生きることができれば、死ぬことが怖くない。そうゆうふうに進みます。

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/02/f331d34173b389eb32daa06711b5b42c.jpg 640 480 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-02-07 16:46:542019-02-12 19:37:53スタッフ対談|憎悪はダメ|セラピーの現場から(664)

    本当は寂しいお母さん|セラピーの現場から(665)

    2019/02/04/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    解離性の状況を持つ女性:
    自分を殺すお母さんと優しいお母さんの2つに分裂していたが、今回のセッションで、その間の寂しいお母さんが出てきた。死の受け入れがあった。死に迫られ憎悪を受け持つ人格が、これをきっかけに、小さくなってきた。
    <H>
    「寂しいお母さん」というのは良かったですね。本当の母親像ということでいいと思います。「自分を殺すお母さん」と「優しいお母さん」というのはどちらも母親の一部であって、本当の母親ではありません。二つを足したものが本当のものでしょう。
    <W>
    対象(母親)の分裂から統合へ、ということでよろしいでしょうか。
    <H>
    統合の方向へ、ということでしょう。統合とまでは・・。
    <W>
    そうですね。なかなか苦労していますから楽観的にはなれないですね。
    <H>
    はい。前進があったと思われても、揺れ戻しが大きいことがあるので、用心しなければなりません。
    <W>
    対象の統合へ向かったことで、本人も統合へ向かった気がします。死に迫られ憎悪を受け持つ人格が、小さくなってきましたので。これも楽観的にはなれないでしょうが・・。
    そして、「寂しいお母さん」が出てきて「死の受け入れ」が起きたことも重要な気がします。いわば架空の世界で「優しいお母さん」に命をつないでいたものが、「寂しいお母さん」は実世界であり、いよいよ「死の受け入れ」なしには、実世界は認められないでしょう。というより「寂しいお母さん」と「死の受け入れ」はセットなのでしょう。つまり同じ価値を持つことなのかもしれません。そうして「死の受け入れ」ができるようになれば、人格を解離させて架空の世界へ逃避する必要もなくなるのでしょう。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/02/c1264e036d4214689a739c1d2298a0ea.jpg 578 447 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-02-04 10:47:322019-02-12 19:39:30本当は寂しいお母さん|セラピーの現場から(665)

    スタッフ対談|傷を観たくない|セラピーの現場から(663)

    2019/02/02/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    スタッフ対談

    <W>

    いろいろな心理的な不具合が、心の傷を、押し込めたり、無かったものにしたりすることで、起きてくる。そのことは、ブレスワークを通して心を分析する現場では、ほとんど明らかなように思えます。そして、心の傷の正体を自身で自覚できることで、不具合が回復するという事実が、そのことを自明のこととするように感じられます。

    <H>

    そうですね。セラピーの参加者も、そのことは自覚できるようになります。でも、実際には、なかなか難しいですね。理屈では分かっていても、心が付いて行かない。そこにセラピーの成否がかかります。

    <W>

    傷を自覚できない、「観たくない」ということですね。観ることができれば進み、観れなければ留まることになる、と言えますね。

    <H>

    心の傷に触れることは辛いですから。母から本当は愛されなかったなどのことは、やはり辛いです。だから自分でも触れないように、ついつい、無かったことにするのです。

    <W>

    セラピーが進み、ここ一番というときに、傷を「観たくない」と明言する人もいますね。ドロップアウトするのかな、というギリギリに立つ人もいますね。でも、明言しても、本心の本心かどうかは分からない。参加者本人も分からない。こちらも分からない。そういう面があります。「観たくない」と明言した後で、かえって、どんどん進んでいく人もいます。

    <H>

    ほんとに観たくないのなら、観ないまま「健康」に生きていけばいい。それでは何か気に入らないし、何かがうまくない。「健康」ではなく「病気」になってしまう。そこが人間の凄いところ。ほんとのことを知りたいし自分に嘘をついて生きていきたくない。

    <W>

    そうですね。そもそも病気になるという事はどういうことか。奥の方では求め続けているということ、「このままではいやだ」と言っていることのように感じます。人間の素晴らしさがそこにあると思います。

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    女性として被害者と加害者の両面性&傷と女神の両面性|セラピーの現場から(662)

    2019/01/29/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    <被害者と加害者の両面性>

    私達の心の傷の元を探っていくと、一番深いところでは、自分の母親にたどり着くようです。母親から十分な愛情を貰えなかったことが心の傷の根源的な原因のようです。ところが、その母親も、なぜ自分の子供に十分な愛情を与えきれなかったのかを探ると、母親自身の心の傷が見つかります。そして、母親もまた、自身の母親すなわち祖母から十分な愛情がもらえなかったことが分かってきます。十分な愛情を貰えなかったので、十分な愛情を与えられなかったという事情が見えてきます。原戸籍などを検討すると、祖母もまた、曽祖母から十分な愛情をもれえなかったであろう事情がうかがえることが多くあります。そのようにして、ある女性が自分の心の傷を見るときに、傷は上流側の女性群、すなわち、母←祖母←曾祖母から伝わってやってきており、彼女は被害者であると言えるでしょう。

    ところが、その下流の女性群(孫娘→娘)から見ると彼女こそが、心の傷の犯人であり、被害の元凶であるということになりがちです。心の傷という負の側面を見るときに、女性はこのように被害者と加害者の両面を受け持つ事になります。

    <傷と女神の両面性>

    心の傷という負の側面とは反対に、もともと備わった豊かな人間性などの正の側面を見るときには、母や祖母は豊かさの源泉であり、子供たちにとって心の女神となるようです。心の傷が少ない、あるいは無いということは、そのまま豊かな人間性につながります。傷の無い人間性は、豊かさそのものといえるからです。そもそも人間は、そういうものだからです。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/01/c8adbd20f145927b9e662c91913309db.jpg 640 480 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-01-29 21:44:012019-02-12 19:41:12女性として被害者と加害者の両面性&傷と女神の両面性|セラピーの現場から(662)

    人生の息苦しさを解く最後の関門は一つの謎として立ちはだかった(その2)|セラピーの現場から(661)

    2019/01/25/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    <見っともない人生>

    そういう状況(660参照)の中で、「見っともない人生」を生きてきてしまった、という気持ちがあった。そして、「見っともない人生」をいまだに歩んでいるという、強い不満があった。何が見っともないのか。それが謎だった。自分が愛情をもらえない「干しけ猿」だったという気づきや、ついついエリートやリーダーとして振る舞う癖があるという気づきなど、大切な気づきがあるにもかかわらず、これらの気づきは「何が」の答えにはならなかった。微妙にズレがあった。そして、これらの気づきは互いにつながらなかった。人生の息苦しさを解くことができなかった。最後の関門として残った。謎として立ちはだかった。繰り返して自分の中に湧き起こって来ては自分を苦しめる一つの思い。「自分の人生は見っともなかった。」

    <あきらめようかとも>

    謎は謎のまま時間が過ぎ、あきらめようかとも思った。思えばつらい人生であったが、自分でもよく頑張ってきたと思う。「干しけ猿」として生まれ、恐ろしい太平洋戦争の子供時代をくぐり抜け、エリートとして、リーダーとして頑張ってきた。少々、他人に煙たく思われようと、頑張ってきた。立派にやってきた。褒められていいはずだ。それでいいではないか。

    <でも納得しなかった>

    そう思ってもどこかで自分自身が納得しなかった。あきらめなかった。セッション受けを続けた。

    <謎は解けた>

    やがて謎は解けた。

    生きている事自体が見っともない。そのことを、自分自身が認めたくなかった。最後までエリートとしてリーダーとして、なんとか、立派な人生を終えたかった。生きている事自体が見っともなかったことを認めると、今までの人生がウソになってしまい、死んでしまうような気がして、認められなかった。

    ところが、認めたら、心のそこからエネルギーが沸き起こり、大泣きした。まるで臨終の人のように、人生全体が走馬灯のように思い起こされた。セッションの中で、それまでできなかった母親殺しを、本気で行うことができた。すっきりした。本当の人生が始まるという強い予感がしている。

     

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/01/d40b7791f7b035957b1b6cb2df213e87.jpg 480 640 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-01-25 01:04:232019-02-12 19:43:12人生の息苦しさを解く最後の関門は一つの謎として立ちはだかった(その2)|セラピーの現場から(661)

    人生の息苦しさを解く最後の関門は一つの謎として立ちはだかった(その1)|セラピーの現場から(660)

    2019/01/23/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    Kさんの人生の息苦しさを解く最後の関門は、一つの謎として立ちはだかった。自分の中に湧き起こって来て自分を苦しめる一つの思い。「自分の人生は見っともなかった。」しかし何が見っともなかったのか自分でも分からなかった。謎だった。やがて謎は解けた。生きている事自体が見っともなかった。

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    <働けない子供をどうしたらいいのか>

    Kさんは、もともとは子供の問題で、カウンセリングを受け始めた。子供が大学は出たのだけれども、社会に出ていけない、働けない状況が続いていた。

    子育てを失敗したという自覚はあったものの、子供をどうしたらいいのかという問題が最も主なものであった。自分自身の問題を探っていくという事はできなかった。

    子育てがうまくいかなかったのは、自分が教員の仕事を続けてしまったからだという反省があった。教員の仕事が忙しすぎることが原因だと思った。定年前に教員を辞めてしまった。辞めることで子供に正面から関わろうとした。

    <実は子供を愛してなかった>

    カウンセリングが進むにつれて、しかし実は、子供を愛してなかったということに気がつき始めた。

    <自分自身のこと:エリートとしてリーダーとして>

    自分は地方の学生としてはエリートであった。親からは期待され、懸命にそのエリートの道を歩んだ。それは、あとで気づくのだが、母親のプライドのために利用されたものだった。社会的にも恥じることがないように、人々のリーダーになれるように、一生懸命に生きた。でも子育てはうまくいかなかった。また、エリートとして振る舞い、人々を逆に傷つけ続けた。

    <自殺願望と寂しさ> <名前「干しけ猿」>

    いつも変わらず自殺願望があり、心の中から寂しさが消えなかった。これら自殺願望や寂しさがどこから来るのか。ベビーブレスの中で、自分自身の赤ん坊のころのイメージが出た。愛情をもらえず干からびた猿のような赤ん坊。名前を付けた。「干しけ猿」。母親から愛情をもらえなかった。母親は彼女を望んでおらず育てる気も弱かった。

    母親から愛情をもらえず、そのために、自分の子供を愛することができなかったという種明かしはできた。愛することができずに子供の問題が起きていたのだ。

    しかし彼女は何か納得ができなかった。自分の心の傷が未だに癒(い)えないという強い不満があった。自殺願望と寂しさはやっぱり消えなかった。

    その一方で、エリートとして、リーダーとして振る舞う癖もぬぐえなかった。そして、そのように振る舞えば振る舞うほど、周りの人々とうまくいかない状況になった。

     

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2019/01/cdfe2a6b6302741df76c0fce921ef269.jpg 487 409 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2019-01-23 15:58:462019-02-12 19:44:20人生の息苦しさを解く最後の関門は一つの謎として立ちはだかった(その1)|セラピーの現場から(660)

    途方も無く長い時間一人だったんだな|逆に宝物に思えるとは|セラピーの現場から(659)

    2018/01/24/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    ○新生児の私は、何はともあれ7週間の間1人で耐え抜いた。親の支えもなく、自分自身の支えも乏しく、それでも堪えた。あまりに辛い人生のその部分は、なくなって欲しかった。しかし、今、その部分が、自分の宝物に変わっていった。
    ○私は産まれてすぐに入院し保育器に入れられた。7週間の間1人だった。途方も無い時間、一人だったんだなと思う。感じたくない時間だったのだろう。そのイメージを絵に描くと、氷水にどっぷりつかり、冷たい、寒い、寂しい感じになる。お腹の中の、母と意思疎通のない胎児。保育器に入れられ、誰にも待たれない私、親の期待と違った私、という感じになる。そして、お腹から出てきても一人だった。いつも一人。今も殻の中。薄いカプセルの中。流す涙も無い。一人ぽっち、一人ぽっちで体育すわり。そんな感じのイメージになる。絵を描くだけでもドロドロに疲れる。
    ○セッションでは、「何はともあれ7週間の間1人で耐え抜いた」という言葉が出た。そのことを自分自身に何度も何度も言ってみた。今までより地に足がついていて堂々としていたかな。感情を止めたなかったし、皆さんが泣いていてびっくりした。耐えたことが一番だったので私は「よく耐えた」とやった。納得と満足があった。
    ○今までは保育器のことがあって、何かに追われているような焦りがあったかなと思う。でも、今は凄く満足している。保育器のことが逆に自分の自信になる宝物に思えるとは、考えても見なかった。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/12/8a846a531955760c7b7a66528b490fc9.jpg 362 284 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2018-01-24 10:31:482018-01-24 10:31:48途方も無く長い時間一人だったんだな|逆に宝物に思えるとは|セラピーの現場から(659)

    怒り狂っているお母さんの顔の記憶が欠けている|セラピーの現場から(658)

    2018/01/15/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

    ○どうも自分はお母さんから虐待されて育ったようだ。そして自分のこども達を同じように虐待してきた。そう考えると納得できる。自分が虐待された時の怒り恨みを溜め込んでいるはずだ。その溜め込んだものを、本当に出したいが、本気が足りないことがわかってきた。今回、本気でやったら、恨みの母親を殺し、恨みの自分も殺せた。その後、愛おしさ寂しさが現れた。
    ○事前に、怒り恨みを本気で出すために、自分を虐待し怒り狂っているお母さんの顔を絵に描いて見ようと思った。が、どうしても描けない。記憶が欠けている。そこでこども達を虐待しているときの自分の顔を、こども達に頼んで描いてもらった。見事に描いてくれた。怒り狂っている顔だ。こども達は具体的に描けるのが良いなと思う。私よりは自由だ。
    ○この自分の顔の絵を、お母さんの顔としてセッションをした。この絵とか思い浮かべてて(イメージの母親を)殺すことができた。死んだ感じがあったので、(母親を)可哀想だなと思って泣けた。
    寂しい、一人だな。お腹の中でもさみしいな、全てに寂しい。寂しさに対して恨みがあって、恐怖もあって、母への恨みというより、自分の寂しさからくる恨み。恨みの自分を殺したくなる。
    恨みを、動けなくなるくらい枯れるまで、やってやろうと思った。恨みの自分を(イメージの中で)「殺してやる」と本気でやれた。そしたら死にそうになる直前で恐怖が来て、「死にたくない」になった。そして苦しくなって、「殺してくれ」になって、恨みの自分は死んだ。
    今まで、生きるのに恨みを支えとしてきた自分だったから、死んだら(自分が)可哀想だった。寂しいから恨んで、恨みが支えで生きて来た。恨みの自分が愛おしくなって来た。死んで平和になった。途中で悲しくなってきた。泣いて、途中から「生きていこう」となって、恨みがないけど「生きていこう」前に「進もう」になった。気持ち良かった。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/c9f93924af9fd1c4bd379543e0076b1b.jpg 640 480 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2018-01-15 09:33:132018-01-24 10:29:42怒り狂っているお母さんの顔の記憶が欠けている|セラピーの現場から(658)

    「抱っこ」(生きようとする気持ち)と「殺せ」|セラピーの現場から(657)

    2017/12/24/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    ○母親から自分が殺されそうになる恐怖の記憶から逃れるために、別の人格Kが存在する。人格Kは感覚を持たないので、その恐怖に耐えられる。しかし人格Kは恐怖に反撃する激しい殺意を持ち、謎の部分が多くて制御できず、まれに実生活で現れ問題を起こしてしまうことがあった。最近、人格Kの詳細を把握することができるようになってきていて、セッションで進歩があった。
    自分を殺す母親と優しい母親の2つに分裂していたが、その中間の寂しいお母さんが出てきた。対象の分裂から統合への始まりと思われる。死の恐怖の受け入れがあって、生と死の統合が起きつつある。人格Kは、この統合をきっかけに、小さくなり、本人の一部になる兆し(きざし)が出てきた。
    ○セッションでは(小さい自分がお母さんへの愛情を求める)「抱っこ」を叫んでいた。(始めは母親は)気配だけで誰もいない。(そのうち)殺そうとするお母さんと優しいお母さんが今までは別々だったが両方いるお母さんだった。殺そうとするのに優しくするのは「何で」と(お母さんを)やっつけていた。泣きながら両方のお母さんをやっつけていたのに、目の前に、寂しいお母さんが出てきた。怖くも優しくもない寂しいお母さんだった。初めてだった。私も寂しくなって(近くにあった)毛布を抱きしめて一緒に泣いていた。寂しさに満たされて気持ちがあったかい。
    ○次のセッションでは、お母さんから殺されそうになった(イメージに入った)。言うことを聞くから「殺さないで」とやっていた。「怖い怖い」と逃げていた。そのうち「殺せ殺せ」「殺してください」「お願いします、殺してください、お願いします、殺してください」と声を大きく言っていた。
    その後、「抱っこ」と「お願いだから殺してください」が混じり合っていて、バタッと倒れた。心臓だけがどくどくいっている。指先から血が流れる感じで暖かくなって、指、手、顔が暖かくなった。「抱っこ」(生きようとする気持ち)と、「殺せ」「お願いします殺してください」は私の気持ちで同じ(自分の本音)だと思った。
    寝ながら揺れていたら凄く悲しくなって泣いた。3歳の人格Kが一緒に死んだ。Kを抱いて座っていた。Kが(自分の)お腹の前にいる感じがした。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/33fe63c768a123381b046c38b21af335.jpg 438 389 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2017-12-24 19:18:262017-12-24 19:18:26「抱っこ」(生きようとする気持ち)と「殺せ」|セラピーの現場から(657)

    お母さんは空っぽ|自分に怒りがあるとは思えなかった|セラピーの現場から(656)

    2017/12/20/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

    ◎自分に怒りがあるとは思えなかった。そのうちに、怒りがあり、それを出すと気持ちが良いし、少しずついろんなことに改善があるのもわかってきた。しかし何か物足りない。やはり私は、かなわないと思っていても、母からの本当の愛情が欲しい。だから、母親への怒りがある事は分かってきたが、でもその怒りを出すことで、完全に納得するとまでは思えない。
    <鉄の檻の中>
    自分自身のイメージ。6歳くらいの自分が膝を抱えて一人でいる。鉄の檻の中にいる。本当に言いたいことが言えなくてモヤモヤしている。口がない。動けずにじっとしている。
    <お母さんは空っぽ>
    先回のセッションで、イメージとして初めてお母さんが出て来た。お母さんは中身がなくて空っぽで何もない。けれども自分はお母さんを抱きしめて離れない。自分は寂しさで冷たくなっている。冷たくて寒くてしょうがないけど、それでもお母さんにくっつけていられる喜びがある。
    <自分に怒りがあるとは思えなかったが>
    もともと自分に怒りがあるとは思えなかった。そのうち、怒りがあり、出すと気持ちが良いこともわかってきたし、そして少しずついろんなことに改善があるのもわかってきた。

    <職場で感じた怖くなるくらい殺意>
    そのころ、(大人しい私にはないことだったが)職場で怒りを感じる出来事があった。どうしても許せなくて怒りが出て抑えられない感じ、怖くなるくらいの自分の殺意を感じた。その出来事のイメージを絵に描いてみた。それは実は、母親への殺意だった。自分を見てくれない母を血まみれになるくらい引っ掻いて、自分も血まみれで引っ掻き続ける感じ。怒りと悲しみ。凄く怖い。イメージした後では、スッキリしている自分もいた。この気持ちを認めて良いんだなと思えた。この時の出来事は、ある幼児に関することだった。
    <幼児期の記憶がない>
    そういえば、私には0才くらいから5才まで記憶がない。そのころ父とは離婚して母と引っ越しした。引っ越しの前の記憶がない。小さい時に一緒に住んでいたはずの父との記憶がない。その事情を知りたい。
    <止まらない涙と母への殺意>
    セッションに入るまで怖さがあった。人のセッションを見ていて、私の心に響いて、涙が止まらなくて、それは自分に殺意があるからだと分かる。怖くて体が震えてくる。ここで(隠れている殺意を)吐き出さないと(自分は変わることができない)という気持ちで自分のセッションになったが、なかなかは入れなくて、でも、なんとか本当に出すところまでやってみようと思った。途中から、だんだん母親への殺意に移って来て、やっぱり、絶対許さないという気持ちで激しく怒った。ずっと激しい怒りが続いた。
    <何で分かってくれないの>
    そうしたら、「何で、何で、分かって欲しいのに何で分かってくれないの、こっちを向いて欲しい」という気持ちが出て、それも全部怒りになってぶつけた。そし、その怒りを言葉にしたら、寂しい気持ちにもなって来て、悲しいも寂しいも後から出て来て、母親の中に何もない、空っぽの母でも、それでも自分は甘えたかったし、くっつきたかったし、くっつきながら怒りをぶつけた。抑えずにできた。全身を使ってぶつかっていけたのが凄く良かった。深い悲しみが溢れてくる感じで、ちょっとスッキリした。
    <悲しくて虚しくて>
    でも、こんなに怒りを出し尽くしても、悲しくて虚しくて。やっぱり、くっついていたい気持ちになった。他方で、力が抜けて気持ちいい感じもした。
    <母へのしがみつき>
    セッションでは、母親にくっついて、そのまま絞め殺してしまうくらいのしがみつきを感じた。今まで隠れていたそれを感じられた。くっつきたいけど、何で安心もくれないの、何で分かってくれないの、だからますますくっつく。そういう意味のくっつき方だ。今までは母に嫌われる恐怖があって、くっつけなかったけれど、できた。自分のセッションを思い返してみて、なんか凄い怖い気持ちがあるなと思った。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/767628d2a273e997ae942b1f9de7c00d.jpg 375 261 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2017-12-20 14:52:032017-12-24 19:17:36お母さんは空っぽ|自分に怒りがあるとは思えなかった|セラピーの現場から(656)

    話の不得意な私が兄弟を集め話のキャッチボール|セラピーの現場から(655)

    2017/11/30/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

     

    もともと私は話が不得意だった。表現が苦手だった。兄弟同士もあまり話をしなかった。最近その私が中心になって、兄弟の集まりを持った。自分が中を持って話のキャッチボールをした。すごく良い話ができた。お互いに、あの時はこう思っていたとか、親父が怖かったとか、兄弟間の話が足りなかったとか、本音が言えた。はじめて兄弟になれたよう。弟がこの集まりを「またやろう」と話していた。私は嬉しかった。
    私の心の傷は、弟が生まれた時の2歳児のときにあるようだ。その傷が元になって表現が苦手なのかもしれない。セッションでは、表現できない自分を殺したし殺された。表現したい自分も出て来た。風船のイメージが出る。優しさや受容の象徴だ。2歳児の表現できない自分を、その風船の中に入れて、さらに「寂しい人おいで」とやった。自分の子供や父方の親戚も、入れた。みんなの顔が見える。笑顔で遊んでいる感じ。
    そのセッションの後に、保育園に行ったら「お子さん、凄く話せるようになっていますね」と言われた。自分が表現することをOK出せたから自分の子供も出せたのか、と思う。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_26102.jpg 403 419 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2017-11-30 20:39:502017-11-30 20:39:50話の不得意な私が兄弟を集め話のキャッチボール|セラピーの現場から(655)

    母は父をつなぎとめるために自分を妊娠したが離婚し自分にはとてつもない恐怖|セラピーの現場から(654)

    2017/11/27/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

    ○自分の中にすごい恐怖があることが分かってきている。この恐怖が私の人生に存在する不具合の原因になっているようだ。その自分の恐怖の出所が今まで謎だった。それがうすうすわかってきたような気がしている。私の出生前、母と父の仲は破たんしかかっていた。母は父をつなぎとめるために妊娠した。しかし父の浮気があり結局は離婚した。そうであれば自分のとてつもない恐怖が説明できる。
    ○自分の中にすごい恐怖がある。とてつもない恐怖。言葉にすると全く抵抗ができない状態で、身動き取れない状態で、急に殺される。受け入れる準備もない。その状況で死んで行かなくてはいけない。窒息されるような感じ、否応無しに。
    ○この恐怖は、胎児が感じていたのではないか。そう思うと母が父の浮気を知った時のことが、当てはまるのではないかと思っている。その恐怖というのは、急に命が奪われる(堕胎の)恐怖だが、そのほかに絶望感がある。(愛情を貰えないまま)生きなきゃいけない絶望感。怖い思いをしなながら生きる生き辛さ、周りに疎まれながら、苦しいことが何度もあるのに生き続けなければならない絶望感だ。
    ○妊娠中に(浮気)相手がいるという時の母の絶望感があったのではないか。母の絶望感を自分が取り込んでいたのか。母が感じる絶望感なのか、自分が感じる絶望感なのか。区別はつかない。母と一体的で自我の無い(あるいは弱い)胎児には同じことかもしれない。
    ○今回のセッションではそこをやりたかった。最初、恐怖は出て来た。でも、それ以上は、上手く入れなかった。考える癖が出て来て、それで苛立っていた。逆方向への表現が起きた。楽しくなった。楽しさはエネルギーが出てワクワクしている感じ。それが本当の自分に近いんだろうなと思う。セッションで使われる音楽で楽しくなったのか。最初の恐怖を少しだけだけれども味わうことができたからか。恐怖の理解が進めば自分がこういう(楽しい)自分だろうなと少し納得できた。それが自分だろうな。苦しいこと、辛いことが多いけれども、本来は楽しい自分なのだろうな。
    ○恐怖をやりたい(深く入りたい)気持ちはあっても、意図的にやると上手く行かない。やはり怖くて嫌なんだと思う。胎児期の恐怖が絶望感になりエネルギーが湧かない、それが今までの自分だったんだ。そのことが分かってきた。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_26782.jpg 431 289 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2017-11-27 16:12:142017-11-30 20:38:44母は父をつなぎとめるために自分を妊娠したが離婚し自分にはとてつもない恐怖|セラピーの現場から(654)

    パンドラの箱を開けた母を求める気持ち|セラピーの現場から(653)

    2017/11/26/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    ○母を求める気持ちは、現実の母親には受け入れてもらえなかった。だから人生の早くに諦めた。そのつもりだった。そうしてきた。しかし、母を求める気持ちは、現実の母親とは関係なく、自分の中で、存在し続けていた。セッションでは、受け入れてもらえないことからくる、恨みと吐き気が起きる。今回のセッションでは、現実の母親とは関係なく純粋に母を求める愛気持ちが、突然、現れた。パンドラの箱を開けたような、地雷を踏んだような感じだった。
    ○小さなころから母には邪険にされた思いがある。どんなに母の愛情を求めても、母には受け入れてもらえなかった。心の中で、泣きながら自分を閉じていった。20歳になった頃には(母の愛情を求める)手を引っ込めた自分がいる。諦めた。心象を絵を描いて見ると、真っ暗で、人物の後姿しかない。この人物は母であり、自分でもあるなと思う。私の子供も、同じように私に愛情を求める。応じてあげられない。子供には、私に愛情を求めても「無理だから諦めろ」と言っている。
    ○今までセッションをやると、恨みと吐き気が起きる。「なんで、なんで」という言葉が出る。何で受け入れてくれないのかという意味だ。「寂しい、辛い、悲しい」という言葉も出る。しかし、それ以上はなかなか深まらない。現実の母親には受け入れてもらえなかったし、いくら求めても現実の母親には受け入れてもらえる可能性は無い。
    ○今回のセッションでは、セッションで使ったシーツを引っ張っていて、母親のように手放せない、引き寄せる感じが出て、突然に「好きだ」という言葉が出た。言ってはいけない言葉だった。どんなに望んでも愛情はもらえないことが分かっていたから、絶対言わない言葉だった。でも、出てしまった。パンドラの箱を開けたような、地雷を踏んだような感じだった。気持ち良かった。
    ○次のセッションでは、途中で、幸せだーという感じがあった。幸せが何回か出て来た。この幸せって何だろうなと思った。母親を好きだと言えず封じ込めていたことが、言えたことが幸せなのかと今は思う。今まで求めて来たものを、半分認めつつ、半分認めないでいたが、母親を求めているのをしっかりと認めた。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_26562.jpg 238 497 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2017-11-26 16:42:262017-11-26 16:42:26パンドラの箱を開けた母を求める気持ち|セラピーの現場から(653)

    生後数か月の頃に置いていかれた心の傷|セラピーの現場から(652)

    2017/11/22/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

    ○私には生後数か月の頃に、置いていかれて受けた心の傷がある。セッションをすると分かる。私の中には母を求める純粋な気持ちがある。赤ん坊が求めるような気持ちだ。それをどうしたら良いか分からない。母はいない、現れない。純粋な求めの矛先を向ける先がない。現実の母も私の気持ちを理解しない。どうしたら良いか分からない状況に直面すると恐怖と怒りがやってくる。
    ○この純粋な気持ちが通らない状況は死だ。その死をのぞき込んで恐怖を感じる。
    ○この恐怖は絶対嫌だ。激しい怒りの圧力ではねのける。(それが私の生きてきた生き方。怒りこそが私を支えてくれた。)恐怖は痺れとともにやってくる。手や顔も痺れる。怒りを出すとほぐれる感じはあった。しかし今までのような怒りでは届かない感じがして、恨み呪い殺すと言うのが出てきた。恨んでも呪っても殺しても相手は潰れる感じは全然ない。この怒りの先には皆殺しの殺意がある。それでも十分ではない。まだ体が辛い。
    ○死を意味する恐怖を少しでも受け入れると体が楽になることがわかっている。でも受け入れるのは嫌だ、絶対嫌だ。受け入れて弱くなるのが許せない。どっしりとしなくなるから。テレビで誰かアスリートが「恐怖を味方にしたら」自分の壁を突破できたというようなことを言っていた。自分には無理かもしれない。
    ○でも嫌だいやだと言いながら、少しずつ、何かが変わっている。
    ○セッションで母に「どうかお願いだから殺してください」というのが出た。同時に「一人にしやがって」というのが初めて出た。寂しい、一人ぽっちだった。だんだん、本当に一人なんだ、となった。寂しい悲しい感じの一人より、一人で強くなった感じだった。
    ○実生活でも変化が起き始めている。普段の生活で家族に対して湧き勝ちだった怒りが湧かない。子供に対して怒りが出ない。夫も楽になったらしい。以前はちょっとしたことで、例えば約束の時間に遅れたことで「このやろう」と腹わた煮えくる感じがあった。自分の中に引けない怒りがあり、怒っていると訳がわからなくなるものがあった。それが、最近は、家族の事情が見えて、怒れない。
    ○自分の怒りの事情も見えてきたのかもしれない。腹わた煮え繰り返る<どうしようもない>のは、赤ん坊の頃に置いていかれて<どうしようもなかった>んだろう。家庭や職場で自分で<どうしようもできないこと>に怒る。もどかしくなる。泣きながら怒る感じ、怒りながら泣く感じがある。湧いてくる怒りと赤ん坊の頃の恐怖を繋(つな)げないように、味わわないように、している感じがある。
    ○繋げて味わう途中が恐怖。しっかり恐怖というのを味わっていられない。体が辛かったり痺れたりするから、それで、怖さがあるのだろうと何とか実感できるが、本当に直接にその恐怖を感じるのはできない。何か違う方向に行っちゃうかもしれない。恐怖という一点に絞れない感じ。ドップリ浸かれない感じがする。
    ○ドップリ浸かれないが、セッションで瞬間的に浸かった経験はある。そのとき、体が全部抜けるような感覚で楽になる。瞑想でも瞬間的には浸かり楽になったりする。恐怖が体に出たりするときに、瞬間的に恐怖に触れると楽になる感じはある。
    しかしその瞬間にたどり着くまでが長い恐怖で、その恐怖にはドップリ浸かれない。凄く苦しい。
    ○でも本当はドップリ浸かりたい。ドップリ浸かって心底満たされたら何もかも納得できる。恐怖は絶対嫌なんだけど恐怖抜きには語れない。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_2802b.jpg 432 359 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2017-11-22 21:44:502017-11-22 21:44:50生後数か月の頃に置いていかれた心の傷|セラピーの現場から(652)

    母の言うことを聞く明るい私「そんな私は幻想だ」|セラピーの現場から(651)

    2017/11/19/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

    ○私の中にある激しい殺意の裏に、母に対して「自分をわかってほしい」「愛してほしい」「くっつきたい、一つになりたい」という気持ちがあった。いくら尽力しても母の愛情は手に入らない悲しさに気づき、涙が溢れ止まらなかった。だけど不思議と温かな気づきでもあった。手に入らないことに傷ついていた。悲しさ、虚しさの理由がわかって嬉しかった。自分の感情を受け入れたのかもしれない。安心感があった。
    ○ 母は何をきっかけに怒り出すのかわからない人だった。母の言うことを聞く、明るい私だけを好いている。「こんなところが好きだよ」と理想的な姿を並べられるたび傷ついた。「そんな私は幻想だ」と知ってほしくて、母の怒りに触れるようなことをわざとしたり、傷つけるような態度を取った。なぜそんな行動を取ってしまうのか自分のことなのにわからなかったが、はっきりしてきた。優しい母(私を部分的にしか受け入れない母)をぶち壊したい、暗くて悲しい悪態をつく私と向き合ってほしい。そんな背景があった。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_26712.jpg 392 296 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2017-11-19 11:34:442017-11-19 11:37:52母の言うことを聞く明るい私「そんな私は幻想だ」|セラピーの現場から(651)

    鬱と死の衝動|いらない子だった|セラピーの現場から(650)

    2017/11/16/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

     

    ○毎年ある季節になると、ひどい鬱になり、外に出られなくなる。ときどき死んでしまいたい衝動に駆られ、発作にもなる。その原因として考えられるのは、いらない子だったこと。いらない子だったと、口に出して言うことは簡単だが、正面から認めることがなかなか難しい。だから、その背後にあるべきはずの恐怖が感じられない。
    ○今、感じられるのは、認められたい、甘えたい、と思う本音、寂しさ、怒りだ。それらを出し切った後で、恐怖がやってくるのかもしれない。その恐怖を受け入れてようやく一人前になると、頭では理解できる。
    ○さて、私はいつも人前でニコニコ笑う。自分でも不自然と思うくらいニコニコする。この不自然さがひどい鬱と関係しているのかもしれない。前回のセッションではセッションの間中、あえてニコニコしないように、過ごした。そのセッションの後、ニコニコしないことを、持って帰って継続しようとしたができなかった。
    無理していい子をやって来たことは随分前に気づいて来て、最近はいい子になろうと思っていないはずなのだけれど、「可愛い」とは思われたい。そうしてやっぱりニコニコしちゃう。可愛い女の子と思われたい。「認められたい、甘えたい」の変形なのかも知れない。
    ○このニコニコとどんな関係があるのか分からないが、別のことだと思うけれど、生活上であることに気づいた。秘密にしていたことだが、私は元々人を見下す性格で、人をバカにしている。それがとんでもない大きなことだと気づいた。例えば同じ職場で母親に近い年齢の人がいて、何かにつけて気になってしょうがない。目で追ってしまう。不快になる。そして、いつの間にか見下す。見て、凄くバカにしてしまう。その人を見ていて気持ち悪いし、こんな感情があるんだと、自分自身も気持ち悪い。関係ない他人なのに自分でも変だと思う。そもそも私は母親を見下してバカにしている。それが他人にも及んでしまうのかもしれない。母親への不満と怒りが混合して、見下しになるのかもしれない。
    ○今回のセッションを受けるに際して、どうも具合悪い。何かを分かりたくないのかもしれない。今までにないくらいドキドキして頭が痛い。
    ○今回のセッションで、前回のセッションでの気づきを、受け入れていないことに気が付いた。「いらない子」だったということが受け入れられていない。思えば、姉二人は母親が生きるためにしがみついて利用してきたが、私ははじめから利用もされない、完ぺきにいらない子だった。そうしてニコニコして生きて来た。ニコニコして元気にしていたら(私がここに存在することを)気づいてもらえるか、「いらない子」から脱せられるか、ということだと思う。
    ○今回のセッション前に宿題として、現状の自分の状況を、絵に描いてきた。その絵は、見下してひどい状態に描いた母と、その母から遠くに建つ細い高い塔の上に立つ小さな自分が、描かれている。小さな自分は、黒い細い線で描かれ、頭に不似合いなほど大きなリボンをつけている。
    ○今回のセッションをした。「私が一番」をやった。はっきり言葉にして大声でやれて気持ち良かった。私が可愛くて一番優れた人間で、要は認めて欲しい、認めて欲しいということだ。「だろうな」と思っていたがそこに自然に行けて、認めて欲しい、認めて欲しいを言い続けられた。よかった。
    怒りをワーッと出せたのも良かった。最後まで怒りを止めないでできた。
    ○次の日のセッションでは、「認めて欲しい」や怒りは、影を潜めた。ある程度満足できたのかな。出て来たのが「抱っこー」だった。「認めて欲しい」より、もっと感覚的子供的だ。寂しい、抱っこして欲しい。姿は見えないけど母がいるのは分かる。どんなに泣いても叫んでも母は無反応。それを感じていらないんだなと思ったが、「頭で」考えてしまった。やっぱり本当にはそこに行けない、いらないのを受け入れられない。そこに行くのが怖いんだと分かる。頭では理解しているつもり。いつも分かったつもり、受け入れたつもりでいる。受け入れるのが怖いから「つもり」にしていたんだろうな。恐怖もはっきり感じられない。感じられないくらい怖いんだろうなと・・・。「ただ怖い」ところへ本当には行けない。
    ○実は母に頼んで、祖母のところに連れて行ってもらった。どうしても祖母に会いたかった。祖母は施設に入っていた。可愛かった。祖母は母を傷つけ、傷ついた母はそのため私を傷つけてしまった。母は私を直接に傷つけたから可愛くないが、祖母は直接でないから可愛いい。愛おしいと感じられる。よかった。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_26582.jpg 353 256 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2017-11-16 23:26:262017-11-16 23:27:32鬱と死の衝動|いらない子だった|セラピーの現場から(650)

    今まで出せなかった寂しさや怒り|生きていくことが楽|セラピーの現場から(649)

    2017/11/15/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

    ○今までのセッションを通して自分を振り返ると、母親の役に立つことで何とか生きていこうとする心境から、役に立とうが立つまいが要らない子だったと気が付き、その無条件の死の受け入れが起きたことで、ただの温かい自分で居ていいという無条件の温かさに至り、これらの相反する二つのものの同居を「死と背中合わせの無条件な暖かい自分」と呼んで馴染んでいるうちに、それまで母親中心の世界という傾向だったのが、母親という囲いのない自分中心の世界へ移って行った。死の受け入れから真の自立が始まるように思われた。
    ○最近のセッションでは、死を扱う深い穴のような部分から、まるでその深穴を広げるように、今まで取り扱わなかった、より現実的な部分へと戻る傾向にある。一般的には、セッションを進めるにつれ、現実的な部分を含んだいかりや悲しみが出て、やがてその奥にある死を扱うようになるようだが、私の場合にはまるで、その逆の方向へ進んでいるようだ。死という大きな押さえが取れたので、安心して現実的な部分に取り組めるのかもしれない。
    ○セッションで、失恋した相手への怒りを出した。愛して欲しいというのが出てきた。母も祖母もそうだった(彼女たち自身もまた愛情を欲していた)。よしよしで終わった。そうではなく、自分自身のことを感じたいなと思っていたら、凄く寂しいのがゴーッと出てきた。昔からある寂しさ。途中から涙が出てきた。
    ○この涙は窮屈さに対するもの。よくイメージとして出てくる昔の場面で、階段の真ん中の自分にいる窮屈さだ。父と祖母と親戚が1階で、2階に母と妹がいる。1階と2階のグループの仲は悪い。自分はどっちのグループへもいけない。象徴的な場面。凄く狭い感じ。窮屈さ。居ていいよと言われないと、居られない。(自分の存在を)認めてもらえないのはこんなに窮屈なんだ。認めて欲しいのは、祖母も父も母も。
    ○それは分かっているが物足りない。家族に対して怒っている。寂しさを出した。物足りなくて発狂するように叫びが出てきた。本当に気が狂いそうな込み上げてくる。気が済むまで出そうと思って出した。最後はちょっと暖かくなった。気が狂うような発狂する叫びが良かった。
    ○今まで出せなかった寂しさや怒りだ。まだあるなと思う。寂しさはまだしも、怒りを扱うのができないので、少しずつ(怒りを)掘っていこうと思う。
    ○以前に比べれば生きていくことが楽になった。それでも今でも、職場などでの空気、雰囲気で萎縮することがあった。まるで階段の真ん中にいる感じだった。それが、セッションで「発狂」してから、それほどは空気にやられない感じがある。空気にやられるというのは、自分がいちゃいけない、自分を無くす感じだ。そのことが今更のようによくわかる。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_2883b.jpg 640 480 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2017-11-15 13:00:272017-11-15 13:00:27今まで出せなかった寂しさや怒り|生きていくことが楽|セラピーの現場から(649)

    赤ん坊(私)は「荷物じゃない人間なんだ」|セラピーの現場から(648)

    2017/11/14/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

    ○私が胎児のとき母親が重い荷物を不用意に持って、予定よりもはるか前に、破水してしまった。助産院では手に生えない状態になり、病院に入った。もう助からないだろうと思われていた節がある。そうして生まれてすぐ保育器に入り50日近く一人ぼっちにされた。その傷をようやく直視することをはじめた。でもなかなか乗り越えきれなくている。乗り越えられるのかどうか自信がない。不安だ。
    ○セッションを始めたきっかけが、産後鬱(うつ)だった時のことを思い出す。自分を見たくて始めたというより、鬱々しているのを取りたくて(排除したくて)いたんだな、と思う。その後もセッションを続けようとすると、胸が苦しい妄想が湧いてきたり、風邪をひいたり、遅刻したり、身体に色々な反応が出た。続けるのが嫌なんだなと思ってきた。それだけ怖がっているんだなと分かってきた。そういえば、私の中学生の息子が学校に遅刻するのと似ているのかもしれない。
    ○今の自分の状況を絵に描いてみた。描かけたのは黒い小さな「点」。悲しみ、絶望、の涙を流している「点」の私。存在が薄い私、消えそう。その点を、消えそうな私を、拡大して描いて見た。体育座りしている私。背中や胸にたくさんの矢や槍のようなものが刺さっている。抜けない。身体中刺さっている。横たわってどす黒い血を吐いている。生きるエネルギーがない保育器の中にいる自分だ。
    ○この絵をイメージしてセッションを行った。絵は傷ついた恐怖の絵だと思った。横たわった時に湧いてきた感情は怒り。保育器に長い間入れられ見舞いにも来てもらえなかった。赤ん坊は「荷物じゃない人間なんだ」と。怒りの後は悔しいが出てきた。傷を直視しようとするには覚悟がいる。覚悟すること自体が怖い。怖い怖いと泣いていた。時々絵を思い出すと恐怖が引き締まる。怖い怖いと泣いていた。
    ○実は、もっと怖い事実がその先にあるのではないか。そもそも胎児期から自分の命は軽んじられていたのではないかという漠然とした恐怖がある。その恐怖を思う時、1歩も足が前へ進まなくなってしまうのではないか。
    ○その後の瞑想では、無の中に時々いられて、じわじわ、良かったなと思う。いつも泣けないのに、今回、泣けてよかった。
    ○セッションの後、自分という入れ物の中に自分が入っているのが少し感じられた。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_2800b.jpg 436 282 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2017-11-14 12:47:302017-11-14 12:47:30赤ん坊(私)は「荷物じゃない人間なんだ」|セラピーの現場から(648)

    母自身が怒りを持っていた。怒りの塊。寂しい塊|セラピーの現場から(647)

    2017/11/10/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

    ○それまで有るとさえ思わなかった、大きな大きな怒りを出すことができ、いろいろなことが改善され、まるで別世界のような中にいるみたいだ。しかし、自分が感じる日常の怒りが気になっている。まるで前よりも怒りでイライラしているのではないかと思ってしまう。ところが周りの私への評価は逆だ。周りは言う。昔大きな怒りを隠していたときの方がイライラ感が強く私には近寄れなかった。最近は私は丸くなりほとんど怒りが感じられない、と言う。私と周りの感覚の違いは驚くほどだ。怒りに敏感になっているようだ。怒り続けている。何に怒っているのか。
    ○仕事でイラついて、理不尽にイラついているのではなくて、「まっ良いか」と流していたことが「(そうではなくて)こうだろう」と思うことが結構ある。カッカしてしまう。気になることが多い。それまでスルーしたり無いことにしていたことが、気になって出している。ずっと怒っている。周りの感覚は違うのだろうけれど、私は怒っている。
    ○何に怒っているのか。それは不自由さだ。押さえつけられ自由になれない。(大きな大きな怒りを出すことができた)今だから分かるのは、(自分の)抑圧で、フィルターのように囲われるもの。究極は守らないといけないと刷り込まれてきたが、(大きな大きな怒りを出すことができてから)解禁された。
    ○私の不自由さの原因は、気を病んで病院で亡くなってしまった私の母、シングルマザーとして私を育てた母だ。母自身が怒りを持っていた。怒りの塊。寂しい塊だった。その影響を私は受けた。問題の原因として扱いたいのは、母だったり祖母だったり、する。二人は繋がっている。
    母の怒りの正体は寂しさだ。寂しいからみんなに癒着していた。祖母や父や(父と離婚後にお付き合いしていた)Aに癒着していた。でも母は祖母に対して甘えられなかったろう。大きな大きな怒りを出すことができた時、寂しい塊は、祖母であり母だったことがわかった。私の不自由さの原因を扱うことができないと(私は)気狂いになる。大きな大きな怒りの対象は彼女ら二人だ。怒りを出すことは、それまでタブーだったが、そのタブーの感じは今は来なくなった。怒りを出せるようになった。扱えるようになった。
    ○昔は、日常でも人と何かあると、「(その人に自分のとった対応が)良かったのかどうか」と気になって朝まで眠れなかったが、今は気にならなくなった。怒りを出してそれで「良いんだ」と思えるようになった。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_2803b.jpg 325 425 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2017-11-10 14:23:162017-11-10 14:23:16母自身が怒りを持っていた。怒りの塊。寂しい塊|セラピーの現場から(647)

    怒りがあまりに激しいため感情が伴わない|セラピーの現場から(646)

    2017/11/06/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

    ○セッションでは、閉じ込めた怒りを、感情を伴わずに、イメージで扱っている。怒りがあまりに激しいためかもしれない。それでも進むにつれて、改善が起き始めている。
    ○セッションでは、保育器が出てくる。新生児の時に、親の都合で長い間、保育器に入れられたことが大きな傷になっていて、その傷の象徴が保育器だ。今までのセッションでは、保育器の外側に両親がいて相談している。仕事が忙しい時なので(新生児=私を病院に)「預けちゃおう」と言う話をしていた。私は聞かないふりをして静かにしていた。しかし、この保育器は私を入れたまま、レールの上を走り、焼却炉へ投入される運命だ。
    ○今回のセッションでは、静かにせずに、保育器の中で(嫌だと)暴れていた。その状況を両親も見ている。感覚的には(言葉にはならないが)私は「こんなところに入れやがって」と怒っている。
    ○親の都合で新生児を無慈悲に扱う雰囲気が、別の場面では、祖母が残飯を無造作に窓から捨てる光景につながる。鍋の残りを捨てる。その残飯を捨てるように私は保育器へ捨てられた。祖母から母へ、そして私へと伝わる雰囲気だ。
    ○私の怒りが燃え上がる。今度は、私の方が捨てる番だ。窓際で母と祖母を捨てようとしている。彼女らは窓枠にしがみ付く。蹴ったり押したりしても、しぶとく、なかなか落ちない。窓の外は霧が立ち込めて見えない。落ちないでいて、ナタがあったので、しがみついている手や足をナタで叩いた。ひたすらやってなんとか外に落とそうとしている。指とか下にバラバラ落ちている。指のなくなった手首だけで戻ろうとしている。許さない。激しい憎悪だ。さらに叩く。もぐらたたきのよう。そんなイメージでやっていた。窓枠から入ってくる手首を外に出した。彼らは最終的にいなくなった。窓の内側に落ちている指や手を外へ投げた。気持ち悪い。
    ○次の場面では、自分が燃えている。怒りの象徴。灯油をかぶって全身を炎に包まれ燃えるように。燃えている自分を見て母も祖母も逃げて行く。追いかけて抱きついて一緒に燃やす。燃える匂いや髪の毛がわかる。何度もやるが、途中から母親だけは何度も生き返る。しぶとく逃げる。「どうだこのやろう」と怒ってやる。
    ○焼却炉のイメージと関係があるのか、私は、火の中に入れられても、死ぬまで我慢できる、という気がする。(火だけではなく、私は傷みにも人一倍我慢強い。)私は我慢できるが、抱きついて焼かれるのは我慢できないだろう、この怒りがわかるか、苦しみがわかるか、どうだこのやろうと、そういうことだと思われる。
    ○出てきた三つの場面とも、激しい怒りがテーマだ。怒りの矛先は母と祖母、特に祖母。普段の生活では、同じような想像をしても、冷静で怒りとかはない。今回のセッションでは、怒りとして出てきた。確かに怒っている。が、全然物足りない。何度もやりたい。
    ○実生活は、かえって、落ち着いている。我慢している感じはない。我慢しているのではない。前よりも寛容になっている。怒りそのものが減っている。いろんなことに、だんだん我慢できなくなっている。痛みもダメになっている。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/11/IMG_2799b.jpg 239 193 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2017-11-06 16:05:162017-11-06 16:05:16怒りがあまりに激しいため感情が伴わない|セラピーの現場から(646)

    生きているお前はいらない| 母子相互依存|セラピーの現場から(645)

    2017/11/02/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

    ○母との相互依存から抜け出せない。なんとか自立しようとする気持ちがある。その反対に、共依存のままもっと一体化したいと言う思いが隠れている。その思いをなんとか、なくそうとしている。でもなくならない。強くなる。その絵を描いた。もっと一体化したいと言う気持ちでセッションが進んだ。ところが、そうすると、一体化の主導権を自分が握ることになり、母親は主導権を奪われ、離れていくと言うイメージが出た。相互依存から抜け出すきっかけが現れた。
    ○<母に対する憎悪から自立へ向かい空っぽの自分の正体へ>
    母との相互依存に苦しんでいる。今まで母に対する憎悪を扱ってきた。そして、ようやく母からの自立の感覚が出てきた。前回のセッションで、自立を扱うにつれて、自分には感情がない、空っぽだと分かった。寂しいと言う感じが出た。これが自分の正体かもしれない。すると、その後の生活で、1週間くらいはぼんやりやる気が出なく眠い。昼寝してぼーっとしている。母から離れられず、本当に自立する勇気が出ないのかもしれない。でも自分で食材を買って来て料理をしようとしたり、それを食べて美味しいと感じる。喜怒哀楽や聴覚、味覚が戻って来た。悲しいときは泣くし、楽しいときは笑えるようになった。自立に向かっている自分の来の感覚がよみがえったのかもしれない。
    この本来の感覚を今までなぜ失っていたんだろう。今まで色々なことを感じ過ぎるので、感情をなくして生きるしかなかった。感じ過ぎて反応すると(母からの)罵声が返ってくる。母が感情を切っている(OFFにしている)人なので、(私も)感情を持つことはいけないと刷り込まれたと思う。ちょっとしたことで嬉しかったり悲しかったりするのが本来の私に近い。
    ○<揺り戻しのように、自立したくない気持ちに向き合う>
    つい最近、母に病気が見つかって、大慌てだった。手術はしなくて済んだが。母以上に、自分が慌てた。パニックになったらしく生理痛もひどかった。外に出られない。人と話すのが怖い。人と接するのが怖い、自立するのが怖い。自立できないという気持ちが、より本音に近い。自立できないという方が中身が入っている感じがする。
    ○<母と団子の絵>
    自立したい自立しなければならないんだという気持ちの陰で、自立できない(したくない)という気持ちを否定し隠してきた。そこがネックになっている。そこで母と離れられない(離れたくない)という絵を描いて見た。自分と母が一体に団子(だんご)のようになっている絵、母が私を食べる絵、私が母を食べる絵だ。この絵をテーマにセッションを進めた。
    ○<隠れていた本音のセッション>
    お母さんと一緒にいるのが怖かった。お母さんと「一緒にいる(いたい)」と言ったら、その途端にバイバイしなくちゃいけないと思っていた。お母さんと「一緒にいる」って言ってみたい。3歳の自分が言っていた。言っても(自分では)認知したくないことだった。お母さんと「一緒にいる」と言うことは3歳の自分が「生きる」ということだ。でも、本当に生きることは(母からの縛りで実は)叶わないことなので、いつも、死にたいと思っていたから、言えなかった。「生きたい」と言ったら嬉しかった。「一緒にいる」ことの主導権を、母ではなく、私が握った。死にながら「一緒にいる」のではなく、生きて「一緒にいる」ことを選ぼうとした。
    <生きているお前はいらない>
    そうしたら、(イメージとして)後ろからお母さんが出て来て、死んでないお前はいらない、生きているお前はいらないと言われた。
    <本当に一緒になりたかった>
    悲しかったし腹が立った。生きたいのを認めないのを許せなくて嫌だ、と母を殺したというより、こねた。(母に見立てた)座布団をこねた。今までのような状況でお母さんと生きるのは、私は死んだままだから嫌だった。でもお母さんを殺すことができない。できないのが嫌だとお母さんをこねていた。こねることで殺し始めていた。自分とお母さんが混じる感じだった。混じって一緒になって気持ちよかった。本当に一緒になりたかったんだ。
    <バイバイ>
    その瞬間お母さんはいなくなった。寂しい、辛い。いなくなった。混じったらいられるかと思ったがいなくなった。これから生きる決意を小声でバイバイお母さんと言った。寂しいし悲しいし、でも嬉しい。いなくなって嬉しい気持ちがあった。寂しさと嬉しいので泣けた。ずっと泣いていられる感じがあった。途中でやめた。もっと泣けば良かったな、と思いながら泣いた。
    セッションが終わった後、足も軽いし、肩も軽い。不安もあるが、今回のセッション前は「お母さんと離れられなくて、これからどうしょう」と思っていたが、今は「私一人だし、これからどうしよう」だった。離れて一人になった。ご飯も美味しい。今回のセッションは自力で初めて掴んだ感じがあった。
    <登場した「大好き」>
    次の日のセッションでは、泣き足りなかったところからやった。「お母さん」と叫びたかった。以前は、こっちを向け、憎い(憎悪)、だったが、「お母さん」ダーっとボロボロ泣けた。「大好き」とやると、死んじゃえよとなってこねる。大好きと憎悪があって良いんだと思った。以前は、死にたいばかりできたが、生きたいもあって良いんだと思った。殺せなかった母を2回殺したし、あなたが生きたら私が死んじゃうと言うので「ふざけんじゃねえよ」と、やれた。死んだお母さんを抱いていたら安心した。落ち込むのと、寂しいのと、嬉しいのと、ため息だった。
    生きていて良いぞと笑いたかった。「愛おしいお母さん」とやれたのが嬉しかった。お母さんと二人でダンスした。生きることも死ぬことも怖くないなと思った。母を本気で愛し本気で憎まなければ、本当の自立はありえないのだと思った。

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    遠吠えのように泣けた|激しい怒りを担当する人格Kに近づけた|セラピーの現場から(644)

    2017/10/23/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    やまなかや

    Kと呼ばれる人格を扱っている。Kは、皆殺しや自分殺し母親殺しを一挙に担当する、破壊的な人格。その人格Kが隠れていて、隠れているのに時々、顔を出して、問題を起こす。これが実生活上の問題となっている。しかも顔を出したことを本人が意識できない。Kがどういう理由で存在するのか、存在しなければならないのか、どのようなことがきっかけで顔を出すのか、詳しいことが意識できない。言葉で説明できない。
    最近、その人格Kを絵にすることで、意識できるようになった。そして描いた絵をヒントにしてセッションをおこない、人格Kを中心とした自分の闇の部分を解明している。
    ***************
    ○セッションで母から首を絞められるのが出てきた。とともに、優しいお母さんが抱っこしてくれる場面が出てきた。抱っこしてくれるお母さんのところに行けなくて、泣くことしかできなくて泣いて終わった。次に母が幼い私に向かって、私のことは「やっつけられないでしょ」と言う。私は動けないしやっつけられない。自分の中の怒りは出てくるが母には出せなくて自分をやっつけるしかできなかった。お母さんはやっつけられない。Kのようには怒りを出すことができない。だから私の代わりに、Kは、怒りを担当してくれるのだ。
    ○次のセッションで、「抱っこ」(赤ん坊のように抱っこしてほしいと表現すること)をやった。Kが出て来た。他方でKが出ないように引き止める人(別の気持ち)がいる。せめぎあいの中でやった。引き止められながらも前より自分の怒りを出せた。終わったら悲しくなって寂しくなって来て、セッションルームの端の隅の方で泣くのが一人ぽっちでぴったり来た。怒りの奥には寂しさがあった。
    ○さらに次のセッションでは、近くにKが怒っている絵を置いていて、やった。
    寂しくて泣いた。泣き終わったら、お母さんをやっつけた。寂しさの奥にも怒りがあった。怒りと寂しさは重なり合っていた。Kがやる絵のように、母をやっつけられた。母の上に乗って、若いワンピースをつけたお母さんに乗って、(刃物で)胸を突き続ける。感情もない。ワンピースも(血で)赤黒い。手も(血で)ねっとりしている。刺しても刺しても怒りは止まることがない。刺し続けても疲れない。ずっと刺していた。お母さんの表情が、最初は怖い若いお母さんで、そのあとは今のお母さんが出て来て、(その母には)感情がない。もう一つは私を産んだ頃のお母さん。ただ刺し殺している。こんな母親殺しのような激しい怒りを、今まで、出せなかったのを、代わりにKが担当してくれていた。母親殺しの近くには、皆殺しや自分殺しもある。
    ○そしたら、再び、寂しくて悲しくて泣いた。最初は少しずつ泣いていたが、そのうち遠吠えのように泣けて来た。泣きながら体を動かして、終わりの頃に「抱っこして」と言いながら泣いている。凄く寂しかった。
    ○その後、自然な感じで、肩はなで肩になったように力が抜けた。静かな中にいた。寂しいけど気分は良い。今まで引き止めていてせめぎあっていたので出しづらかったが、今回のセッションは、引き止めるものがなく気持ちよかった。今までぼんやりしていたお母さんの顔が、しっかり出て来た。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/10/4562.jpg 1024 779 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2017-10-23 14:10:512017-10-23 20:39:03遠吠えのように泣けた|激しい怒りを担当する人格Kに近づけた|セラピーの現場から(644)

    子供達への虐待は母からの虐待|物凄く怖い母自身の恨み|セラピーの現場から(643)

    2017/10/19/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    ○セッションを始めたのは、私の子供達への虐待が、止まらなかったからだ。今は、かなり改善された。私の職場での人間関係もやや改善された。それでも私の問題は残っている。奥の方では母との関係だ。表面的には、自分の感情が出にくい。怒りや悲しみが出にくい。感情を出そうとすると恐怖がやってきて邪魔をする。他の人がセッションで本気で怒っているのを見てショックを受けた。自分に足りないのは、あの「本気」だと思った。
    ○何とか本気になりたい。今回のセッションに参加する準備として、絵を書いた。真っ暗な中にぽつんと小さな子供(自分自身)の絵。弱々しく線だけでできた小さな子供。この絵は、(母に)置いていかれた恐怖だ。背後には母の怖さがある。小さな頃の母のイメージはとにかく怖い。どんなに怖いかを表現できないほど怖い。怖いときの母の顔を思い出せない。感じられるのは心配と不安。絵は、私が3歳の時に、妹が生まれて両親が離婚し、私が置いていかれている恐怖だ。
    母に置いていかれた、無視された、そこが一番傷ついている。真っ暗な中に一人ぽっち。母が怒っているのも、真っ暗で一人になっているのも、怖い。置いていかれたのは覚えている。意識がある。わがまま言って置いていかれた。「言うこと聞かない」とお尻叩かれた。多分、母の思い通りにしなかったから怒られた。きちんとやらなかったから。それでもいうことを聞かないと母は「勝手にしなさい」と、行っちゃう。歩いている道の真ん中で。自分が子供達へやっているのと同じ虐待だ。
    そのことをグループカウンセリングで話していたら悲しみが出て泣けた。昔のその状況の時には泣けたなかったのではないかと思う。
    ○セッションで、母から怖い目にあわされたことへ、恨みを込め、怒りを出した。ところが本気で怒れない。恐怖を本当には感じたくないから本気で殺意を出せない。母から傷ついたことを何となくそうだったとは思えるものの、本当は物凄く傷ついたから、怖くて怒れない。怒りを止める。アクセルとブレーキを同時に踏んでいる。怒れないで弱々しく泣いてしまう。怖さを感じないようにしているから踏み込みない。感じられない、感じたくない恐怖がある。本気になれない。ストップさせている。へなちょこな気持ちになって、最後まで行かれないと思った。
    ○恐怖にドップリ浸かれない。もし浸かったら本当の殺意(怒り)が出てくると思う。本当の殺意(怒り)に行くまで距離がある。
    ○母への理解もほんの少し進んだかもしれない。母は、怒った時に物凄く怖い。怒って母自身の恨みを出していた。恨みも殺意も全部出して、きちがいになって私を怒っていた。それが怖い。お母さん自身の恨み。親に愛されなかった恨み、夫とも離婚して一人になった恨み、全てへの恨み。お母さんを抱きしめた。怖さの正体がほんの少し見えてきた。
    ○母に実際に聞いてみたことがある。私のことを「可愛いと思ったことがあったのか」と聞いたら「(あなたは私の)言うことを聞かなかったから」と応えた。「妹は生まれた時は天使のようで可愛かった」という。私は差別され虐められたようだ。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/10/IMG_2506.jpg 640 480 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2017-10-19 10:04:232017-10-19 10:04:23子供達への虐待は母からの虐待|物凄く怖い母自身の恨み|セラピーの現場から(643)

    絶対嫌だ|でも知りたい|セラピーの現場から(642)

    2017/10/18/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    ○グループセッションでは、自分の中に大きなエネルギーが湧き起る体験をしている。その時は強く満足する。しかし後になると、なにか、満足しない部分がある。「絶対一人は嫌だ」という気持ちが強くある。頭にこびりついている。絶対嫌の中身は何なのか、自分でもうまく説明できない。そこを知りたい。
    ○そこで久しぶりに個人セッションを受けた。私は生後8か月のときに、両親において行かれた経験がある。個人セッションの準備として、置いていかれた時の赤ちゃんの絵を「描いて来て」と言われた。描いてみた。どうしても表情がない。顔が描けない。描くのも嫌で苦しくなった。体と頭だけを描いて持って行った。
    ○個人セッションの当日では、やはり、「絶対一人は嫌だ」というのが出て、自分に向かってくる殺意や自傷がでる。自分が描いた顔のない赤ちゃんを目の前にして、気持ち悪くて、可哀想でもあり、見ていられなくて、絵をグシャグシャにした。
    そのうち、(自分を置いて行った)母に対する恨みと呪い殺す感じが出た。しかし、足りない。殺しても殺してもビクともしない。母を呼んでも泣いて呼んでもそこにはいない。震えるくらい恨んで呪い殺した。私自身とこんな私を作り出したみんなを殺した。隠してきた殺意が表現できたのは前進だ。
    ○この殺意は娘にも向いた。娘だからと言って手加減はない。昔、私は、産まれた娘に対してのオムツを変えなかった。育児放棄だ。娘は今、自閉的だ。当時は娘なんかいなくなれば良いと思っていた。娘に触れないことで、娘を、私の恨みと呪い殺しから守っていたのだ。赤ん坊の自分と、赤ん坊の娘は重なる。赤ん坊の娘と、自分の顔なしの絵がダブル。苦しい。
    ○恨みや呪いは表現できたのに「絶対一人は嫌だ」はまだ存在する。まだ満足しない部分がある。死を拒否しているのがあるし、生きるのも苦しいというのもあるし。もがいている感じがある。
    ○呪い殺す時の気持ちを絵に描いた。暗い背景に二つの赤い目だけを描いた。個人セッションから帰って、その後、その絵を全然見れなかった。しまって置いた。呪い殺す、真っ黒な背景に赤い目だった。何でこんなに純粋な(母を求めても得られずに呪い殺すほどの)気持ちを、訴えてはいけないのか、何で求めたらいけないのか、私はどうしたいいのか、本当に生きることも死ぬこともできずに、もがいて苦しくて苦しくて。瞑想でずっとそこにいる。
    ○そうしていると、母が彼女のセッションで口にする「何で、何で」が出てくる。母もまた母(祖母)に私と同じような思いがあるのか。それと、寝たきりになってしまった祖母の硬直した手とが出てくる。祖母とも微かに会話が成立するときがあり「どうせ私なんか」という気持ちがあるようだ。あの祖母の姿は自分を見ているようで辛い。(おそらく私と同じような辛さの)思いを出してあげたいが、しかし、そうすればきっと今度は自分が耐えられない。手を伸ばそうとしても(私のその手も)硬い。ドキドキする。親子3代にわたって続くものがある。
    ○私の気持ちを自分ではどうしようもできない。(母を求める)純粋な気持ちなのに(そんな気持ちをぶつけても受け取ってもらえないことも分かっているのに、引っ込めることなどできず)自分でどうしようもできない。もどかしい。だから(母とは関係のない仕事先の)上司や仲間に、(彼らに失態や)何かある度に、物凄く怒ることがある。何としてもひん曲げてやりたいという気持ちが出てしまう。
    ○描いた自分の顔の赤い目は何を意味しているか。私が純粋に求めているのに受け取れない母を恨み呪い殺す、何もできない無力な自分も恨み呪い殺す、生まれてこなければいい、何で産んだんだというのもある。死を拒否する気持ちがある。一人で死ぬくらいなら巻き込んでやるというのがある。
    ○「絶対一人は嫌だ」の中身が少し変わった。それまでは、一人ぼっちの死は、自分が弱くなることなので、受け入れられなかった。弱いのが嫌いだった。だから死が嫌いだった。だから一人ぼっちになるのは嫌いだった。でも今回は少し違った。隠していた殺意を表現できたことで、強くなった。正面切って、少しだけれど、死を受け入れることが起きた。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/10/1456.jpg 640 480 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2017-10-18 11:16:142017-10-18 11:16:14絶対嫌だ|でも知りたい|セラピーの現場から(642)

    閉じこもりだった子供の回復は続いている|でも母との関係は怖くて・・|セラピーの現場から(641)

    2017/10/17/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    ○[閉じこもりだった子供は好調。でも・・]
    閉じこもりだった子供の回復は続いている。子供は好調だ。問題は私だ。
    私が自分の問題に取り組み始めたことで、子供の回復が起きて来ているようだ。しかし本格的に問題に取り組めるのか。全然自信がない。「やりたくない、今が良ければ良いじゃん。」となってしまいそうになる。
    子供の閉じこもりの原因を私が作ったらしいことは、おおよそ、了解している。そして、その原因の中へ、さらに一歩を踏み出すのが、とても難しい。原因が作られた幼い頃の自分(私)の事をちゃんと解ってあげたい。そう、頭では思う。だけれど、なんとも心がついていかない。
    ○ [・・「ありません」と嘘ついて来た]
    それは私と母のことだ。
    私は自分に嘘をついて来た。(母へ)いろんな気持ちがあったはずなのに、求める気持ちも、辛かったことも、「ありません」と嘘ついて来た。分かってくれる旦那と子供で埋め合わせていた。でも本当には上手くいかなくて、本当に求めているのは、夫や子供でなくて…(母だ)。この部分をどうしても言いたくない。あまりにも嘘ついて来て、そんな自分が可哀想になる。言えない。(母は)頼りになれない。(本当のことを言わせまいと)自分が自分を縛るのが強い。そんな気持ちはダメ、こんなのはダメとか、ぽろぽろ(弱気になって本音を)出すんじゃないとか、心の声が言う。だから本音は言えない(私と母の関係を認められない)。
    <少しでもいいから言ってみてくれませんか>「(母に)もうちょっと側にいて欲しい」「遠くを見てないで近くにいてくれないかな」って。「何も言わなくて良いから近くにいてくれたら」「「何もできなくて良いよ」って言って欲しい」・・・。
    この本音を、場所を変えたセッションで、改めて言うことになった。
    ○[・・引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い]
    その場所になると、なかなか決心がつかなくて、「言ってもいいかな」と言うと、みんなが答えてくれて心強かった。おっかなびっくりだった。慣れない。本当になれない。まんじりとしない。少し言葉に出すと、(出させまいと後ろへ)引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い。出すと引っ張られる。他の兄弟より「私を見て」と(母へ)言おうとすると、罪悪感が出る。小さく言った。ちょっとは言えたけど、もっと力を抜いて言いたかった。どうしてもあーなっちゃう。終わった後、頭がくらくらした。みんなが声かけてくれて嬉しかった。一人では無理だろう。大変だった。
    原因となったであろう母と私の関係。わかってはいるけど認められない。認められない認められないと言いつつ、今回のセッションで、でも、ほんの少し認められた。怖くて怖くてしょうがなかったが、ほんの少しは、言えた。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/10/0456.jpg 640 480 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2017-10-17 21:09:152017-10-17 21:09:15閉じこもりだった子供の回復は続いている|でも母との関係は怖くて・・|セラピーの現場から(641)

    大きなエネルギーが出るようになった|それでも納得できなかった謎の答え|セラピーの現場から(640)

    2017/10/16/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    納得できなかった謎の答え。
    ○幼い頃から抑えていた自分自身を解放するセッションを重ね、ようやく心が開いて、大きなエネルギーが出るようになった。嬉しかった。
    ○しかし、心底から喜べない気持ちがあった。何かどうしても納得できないことがあったからだ。それが何かは説明できないけれど、納得できないことがあるのは確かだった。謎だった。
    そこで今度は、セッションで自分を、再び抑える作業をし始めた。抑えたエネルギーが凄いことを今更のように体験した。そしたら昔と同じように、具合が悪くなり、以前のような恐怖が来るようになった。痺れがきて、身体が重くなって動かない。以前味わった抜け殻のような感じだ。そのようにして、自分を閉じる作業をして、そして閉じた。でも、やはり納得がいかなかった。何に納得がいかないのかもはっきり分からないままだった。
    ○やがて気がついた。親戚の人の母子関係で、子供を「親が勝手に抑え込む」という話を聞くことがあって、そのことが自分の心に響いた。自分は、自分のことばかりやって、自分の子供への加害性に、意識があまりなかったのだ。子供を抑え込んで自閉的な子にしてしまった。セッションで子供への「ごめんなさい」を言った。止まらなかった。いくら言っても言っても言ってもどんなに言っても許されないような、言っても言っても足らない感じだった。はじめて自分が「親」になった。
    「抑えた」ということが、自分で自分を抑えていながら、子供にも抑えることをやってしまったという、そこがなかったなと思った。どっちも怖かった。自分を抑えたという被害者も、やってしまったという加害者も、怖かった。今までは被害者だけだった。それが分かった。そして、再び開いて、再び大きなエネルギーが、わき出した。嬉しかった。納得感があった。

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    閉じこもりは母子関係|絶対に離したくない|セラピーの現場から(639)

    2017/10/14/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    ○<閉じこもりは母子関係>
    私の子供が閉じこもる理由は、私との母子関係に隠れていた。
    子供は、母親(私)の寂しさを紛らわすための犠牲として、自立を諦(あきら)めていた。そういえば、子供は小さい頃から優しい子だった。レストランなどで自分の料理を必ず私に分けてくれるような子だった。
    ○<子供は溺れる母親(私)の浮き輪>
    閉じこもりという現象は、子供が浮き輪となり、溺れかけている母親(私)を助けるということだった。私は一人になりたくない。子供にしがみついて浮輪にした。母親(私)の足には重りがついている。重りがいつも足を引っ張り常に溺れかけている。だから浮き輪が必要だった。
    ○<溺れさせる重りは私の母>
    その重りは、母親(私)が身分自身の母から愛情を貰えなかったという、気づいてはならなかった秘密。今もその秘密はなかなか突破できない。今も私は自分と母の関係をうまく探れない。触れない。触ると砂のように崩れる母がいる。だから触るのが怖い。触れるのも怖いが、実は、触れても何の反応もないのが、もっと怖い。だから触れられない。その先は考えられない。考えようとすると、首が凝る、頭が痛くなる。何かを抑える感じ。
    ○<私も母の浮き輪だった>
    子供を、自分の命を救うための浮き輪としていることに気が付いたとき、自分自身も母の浮き輪だったと、直感した。私は子供を長い間、浮き輪にしてきたが、私自身はその何倍もの間ずーっと母の浮き輪だった。母の生い立ちの大変さは、戸籍を調べた時にそうだったろうなと思った。
    ○<母へ向かうべきもの>
    一人になりたくないという恐怖は、私の中だけではなく、母の中にもあるのかもしれないと想像する。そんな母を支えてあげたいが、母には触れられない。だから母に向かうべきエネルギーが子供に向かったのかもしれない。子供を母の寂しさの代用品とした。「いてあげなくちゃ、守ってあげなくちゃ」として過干渉になり子供の自立を妨げてしまったが、本当は、これは母へ向かうべきものだったのかもしれないと考える。
    ○<嬉しい子供の自立>
    さて、母親(私)が自分の足の重りに気がついて、その重りの謎を解き始めること(自分では十分とは思えないが)で、子供は浮き輪の役割を徐々に免除され、自立に向かってきているようだ。そのことが嬉しくて仕方がない。
    子供は外出の範囲を徐々に広げている。始めは深夜のコンビニ、そのあと家族との外食。やがて仲間と待ち合わせての外出。最近は、仲間と待ち合わせての外出したものの、出先で仲間と会うことができないというトラブルに陥った。にもかかわらず、トラブルを自分で解決して、難なく仲間と会うことができ、予定通りにイベントを楽しんで、帰りに食事して来た。今までの完全完璧な閉じこもりからすると夢のようだ。
    ○<でも絶対に離したくない>
    でも私は白状する。私の中には、自立してほしくない気持ちが、まだある。セッションの中では子供に対する「行くな」(自立するな)という気持ちが出た。「絶対に離したくない」というのが出た。「絶対に離したくない」のは(離すくらいなら)「死んじまえ」ということだった。
    ○<捨てられことに対する絶望的な抵抗>
    私が小さいときに、母が私達姉妹を置いて出ていく場面で、同じように「行くな」という私の強い思いがあった。未だに母からポイっと捨てられるような気がする。だから過干渉は、ポイっと捨てられ砂のように崩れることに対する絶望的な抵抗なのかもしれない。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/10/9234.jpg 480 640 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2017-10-14 22:33:422017-10-14 22:33:42閉じこもりは母子関係|絶対に離したくない|セラピーの現場から(639)

    3歳の子供「お母さんお腹がすいた」死の縁から引き返し|セラピーの現場から(638)

    2017/09/01/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    <ある記憶の本当の意味が鮮明になった。>
    ○長い間、自分の本音というものが分からず、苦しんだ。自分の子供にも嫌われた。背後に、親からの愛情が少なかったことがあるのに、気が付いていた。やがて、「甘えたいだけじゃん」と言う自分の本音に気がついて、生きるのが自由になり、遊びたい心が初めて芽生え、子供の気持ちがわかるようになってきた。それと同時に、ある記憶の意味が、鮮明に思い出されるようになってきた。
    ○昔あるとき、とりわけ辛いことがあった。その辛い気持ちを紛らわせるために、町を離れ、バスに乗って、自然の中へ行った。3歳の子供の手を引き、赤ちゃんを背負い、そこへ行った。
    ○そこは、たまたま(と思っていた)自殺の名所だった。今、記憶が鮮明になって、実はやはり、自殺のためにそこへ行ったのだった。そのことが思い出された。鋭く察知した3歳の子供が「お母さんお腹がすいた」と言った。死の縁へ向かう母親(私)を引き止めた。死から引き返させた。3歳の子供は、人の心を観抜きそうなクリッとした眼をした子だった。私は「今日はお昼なんかないの」と言ったけど、しかたなく近くの食堂をさがして食べさせ、赤ちゃんのオムツを取り替えた。その時のことを思い出した。子供達にご飯を食べさせ、オムツを替えること、世話をすることで、はじめて生きられる感覚だった。3歳の子供は「死なずに生きよう」とは言わずに「お母さんお腹がすいた」と言ったのは、そこのことだった。私に本当に生きることは求めきれないが、「世話」を求めることはかろうじて求められる。<本当ニ生キルノハ難シクテモ、私ノ世話ハ、デキルデショウ。ダカラ、オカアサン、ワタシノ世話ヲスルコトデ、今ハ生キテ!>
    ○私は、薄幸な人生の中で、子供があって生きられた。そして、どれだけ子供にしがみ付いたことか、私にとって子供は救いの神だった。生きるために子供を利用した。子供は、私に自我を潰されて、(怒られなくてもいいことで)怒られて、それでも私に従った。私は、子供にしがみ付いていた自分を隠した。隠していることさえ分からなかった。分かったら、初めて、子供に「しがみ付いていたこと」を告白できるようになった。
    ○それまで、子供とまともに話すことが出来なかった。子供に「しがみ付いている」ことを観抜かれ(その自覚はないが)、嫌われていることが痛かった。子供と話す時に、子供の目を見れない、目が泳ぐ、話を聞くこともできなくてオロオロしていた。
    それが、正面から話が出来るようになった。聞けるようになって来た。逃げないで聞けるようになったのだろう。子供との関係が徐々に改善している。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/09/IMG_2495.jpg 640 480 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2017-09-01 10:10:322017-09-01 10:10:323歳の子供「お母さんお腹がすいた」死の縁から引き返し|セラピーの現場から(638)

    対談(633)について|大きくヤマを越えて3/3|セラピーの現場から(637)

    2017/08/01/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    諸智:<停滞期「踊り場」>で「(自分探しへの)感覚が遠のいた」と言っていますが、本当に後ろ向きになったのではなく、苦しみながらも、問題に向き合う感じがありました。
    林:少しずつ前へ進む感じでしたね。
    林:<反抗期を真似てみたら罪悪感が襲いかかる>の「反抗期の無かった」というのは母に対する反抗であって、社会に対する反抗はできていたようです。やはり母親に対するものが重要なのですね。
    諸智:重要だけれども、どうしてもできなかったのでしょう。
    林:<母親を護りたい気持ちでスタッフに「失恋」>の「自分の会社の社員」に「弱い母」や「理想の母親(女神)」を投影してしまうというのは、ひょっとして経営者には起きやすいことなのかもしれません。幼い頃の不十分な家族関係を、長じて、自分の会社で修復しようとする試みなのかもしれませんね。
    諸智:会社を自分の理想の家族のようにしたい、ということなのかもしれません。
    諸智:<近づいてくる恐怖>で「アクセルとブレーキを一緒に踏む感じ」とありますが、これもご自身が自分で認識しているのがいいなあ、と感じます。
    林:「鉄格子の下にのぞいているピンクのスリッパ」というのは、当時の状況では、目の前に立ちはだかる高い障壁でもあり、自分を開くために動くことのない大きな手掛かりでもありました。
    諸智:その高い壁の前で「恐怖」にひるんで「抑え込んでしらけ」てしまうのですが、そのしらけに、幼い自分である「寂しい坊主」を観ることができ、また、前進します。
    林:しらけの裏にあるものを観る感性がいいですね。
    林:<抑え込みの裏にあった殺意>で「隠れているかもしれない「殺意」は(前から気が付いていた)罪悪感を説明づけるのに疑う余地もなくぴったりきた」というように、「殺意」を自分のものにしましたね。そして「母親や祖母との私の癒着」に対する「猛烈なストレス(怒り)があったことが思い出された」と、記憶もよみがえりました。良かったですねえ。突破口になりました。
    諸智:突破口が開いたので、ひとりでに「人生の長い期間抑え込んでいた殺意というエネルギーが沸騰」するのですが、エネルギーを受け止める「心の通じた仲間」が居たのはラッキーでした。
    林:そして「必然的に事が進むように準備はすべて整(ととの)」い「自分の中で繋がらなかったものが繋がった」経験をします。「繋がらない」という感覚を既につかんでいたので、この「繋がった」という感覚が産まれたのですね。繋がらないとか、繋がるとか、実は、本当のことを知っているから、生じる感覚だと思いますね。人というのはすごい。
    諸智:「この殺意を伴う猛烈な怒りのエネルギーを抑圧する。そうすると気狂いになるんだ。もしも外側に出せれば解き放たれる。・・・繋がった。」ということで、母の狂気も乗り越えた。自分と母の2世代分のしこりを解(ほど)いたと言えそうです。

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    対談(632)について|大きくヤマを越えて2/3|セラピーの現場から(636)

    2017/08/01/カテゴリ: ブログ /作成者: 雲泥 諸智

    対談(632)について(敬称略)
    諸智:<予兆:鬼門突破>で「卒業前の中3の自分には
    (母親への)殺意というものは取り扱えなかった」というのは、身体は大人でも心の中には中3の自分が居続けたとすると、分かりやすいです。
    林:<初めは「二度と来たくない」>の「セッション会場がお化け屋敷に思え」たというのも、中3の子供の感覚だとすると、何やら一致するかもしれませんね。
    諸智:その後、よく続けてくれました。
    林:<2回目すっきり|心が自由>の「怒りが爆発!」したのだけれど、何への怒りなのかは分からないままで、それでも「すっきりし」「自由な感覚を覚えるようになった」のですから、その後のセッションが続けられたのかもしれません。
    林:その後も<心が温まり溢れるように泣けた><幼い寂しい坊主:氷が溶けていく>と次々に、自分の心の蓋を薄くしていくことが起きました。
    諸智:一方で<しらける自分への怒り>のように苦しいけれども、自分の問題に向き合い続ける姿勢が崩れませんでした。この人の本来持っている力なのかもしれません。その結果、<しらけは防衛:分かって生き易い>の「しらけの正体は、恐怖から身を護る防衛だった」というように自分を観抜き「変な力みが取れ、生き易くなっていった」と自分で成長していきます。
    林:セッションの度に成長しましたね。

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/07/IMG_26092.jpg 309 335 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2017-08-01 00:52:592017-08-01 00:52:59対談(632)について|大きくヤマを越えて2/3|セラピーの現場から(636)

    対談(631)について|大きくヤマを越えて1/3|セラピーの現場から(635)

    2017/07/28/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 雲泥 諸智

    対談(631)について(敬称略)
    林:また、大きくヤマを越える人が出てきましたね。
    諸智:自分の問題に向き合い続けるというのは、できそうで、なかなかできないものです。
    林:<何が起きたのか>の「後々、気になっていた」「それもしっくりこないでいた」というのは、自分の感覚で自分の中を探るというのが、はっきり出ていますね。
    諸智:奥の方に納得したいという感覚がある感じです。
    諸智:<殺意を強く抑圧し続けるのでストレス>というのは大きくヤマを越えたから分かるようになったことで、超えるまでは分からなかった。ストレスだけは分かっていた。「分厚い蓋」はなんとなく分かっていたが、その原因である「殺意を強く抑圧」していることは分からない状態がありました。
    林:その分からない状態で「殺意」というヒントを逃がさず、逃がさなかったので「殺意⇒猛烈な強い怒りのエネルギー⇒母への殺意」ということを観(み)抜きましたね。
    諸智:逃さなかったのも、納得したいという感覚の現れのような気がします。観抜いて自分で納得できて、だから、こころが開きました。
    林:「自分の中のエネルギーが湧き出す体験をした」ことは、そういうことですね。蓋が取れたと言っていいと思います。

    *******************

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/07/IMG_26102.jpg 384 444 雲泥 諸智 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 雲泥 諸智2017-07-28 21:01:282017-07-28 21:07:59対談(631)について|大きくヤマを越えて1/3|セラピーの現場から(635)

    ひと山越えて子どもが成長|私と比べたら人生雲泥の差|セラピーの現場から(634)

    2017/07/27/カテゴリ: ブログ, 実例 /作成者: 林 貞子

    自分の心の傷を観る作業をしてきて、一つの大きなヤマは越えたのではと思いつつも、次のヤマの前で留まっているのかもしれない、そう思う日々この頃です。

    高校生の子供が、自らヨガと瞑想を始めだしました。
    子供は(瞑想などをする)私の日常を見て育ちました。子供に瞑想やヨガの効能や時間の使い方の質問に聞かれたら答えるだけで、私は特に勧めてません。

    高校生ですが、自分の心は自分でなんとかするしかないんだという所まで、来たんだと思います。私の背中を見ていてくれたのかもしれません。子供と、同年齢の頃の私と比べたら、人生雲泥の差です。私は「自分で」などという心境にはありませんでした。

    子供は、小さな頃から耳が悪いのかと思う位、テレビの音を大きくし、私は注意ばかりしてました。子供が瞑想を始めてまだ数日ですが、子供自身が「うるさく感じるようになった」と言って、音量が普通並になりました。
    私は「それだけ今まで心がザワザワして集中出来なかったんだね」と子供に言いました。子供は納得した様子です。瞑想で落ち着く感じが「人生初の感覚で、ずっと瞑想していられるかもしれない」とまで言ってました。

    自分の心の傷を観ないでいると深くなってしまう世代間伝達(の影響)が、少しずつでも薄らいでいくようにしてあげたい、そう思ってます。

    *******************

    引きこもりからの自立等いろいろな心理的悩み相談や心理カウンセリングのお試し無料あります。さらにベビーブレス(アコールで開発した独自のブレス,ブレスワーク,またはブリージング)ができるようになれば精神分析の組合せで大きな効果があります。東京府中

     

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    https://accord-all.com/wp-content/uploads/2017/07/678.jpg 640 480 林 貞子 https://accord-all.com/wp-content/uploads/logo.svg 林 貞子2017-07-27 09:00:012017-07-27 09:00:01ひと山越えて子どもが成長|私と比べたら人生雲泥の差|セラピーの現場から(634)
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