自傷を防ぐために唇を切除|生産性を考えるのであれば殺せばいい|天国と地獄|セラピーの現場から(700)

「「天国と地獄」」
———————「これ以上頑張れません話を聞いてほしい」———————
<W>
アコールのセミナーは個人的なものですが、まれに、企業単位でセミナーをやり、その中で、個人的な問題と企業の問題との絡みを、観させてもらうことがあります。
<H>
企業セミナーですね。
<W>
企業間の激しい競争によって、企業で働く個人が、人間として苦しむという問題があります。人間性の問題です。激しい競争は、日本全国、のみならず世界全体の苦しみということがあるのでしょう。企業は経済競争に支配され、少しでも生産性を上げなければ、生き残ることができません。生産性の問題です。生き残らなければ、個人に給料を払うこともできません。
<H>
その二つは、どう絡みますか。
———————「対応を考えたのだから文句はなかろう」———————
<W>
例えば、企業で働く個人が、競争が厳しくて業務が辛いから「話を聞いてほしい、これ以上頑張れません、苦しいんです」と思う気持ちを、企業組織の上司に訴える。人間的な苦しみですね。
上司は、その話を「問題解決」の問題として捉えようとする気持ちがあります。特に男性はそうです。業務が苦しくとも生産性を維持するにはどうすればいいか・・・。「それなら辞めてもらうか、誰かと交替するか。」
すれ違いが起きてしまう。個人は、「話しを聞いてもらえなかった」。上司は、生産性の解決に向けて「対応策を考えるのが俺の仕事。対応を考えたのだから文句はなかろう。」そこで問題が起きてしまう。話しを聞いてやれなかったかもしれないと上司はあとで感じるが、どうしようもない。
<H>
個人の人間性と企業の生産性、この二つが、すれ違ってしまう、ということですね。前者を労働者、後者を資本とすれば、資本主義の問題というような、経済学の問題になりそうですね。
———————「階級闘争の話ではない」———————
<W>
そうですね。階級闘争ですか。
しかし、ここで扱うのは、二つが、階級の争いの問題ではなく、一人の人の心の中の問題として存在するということです。一人のサラリーマンの心の中にも二つあるでしょう。一人の社長の心の中にも二つあるでしょう。
<H>
自然人の心の中にある人間性と生産性の問題ということでしょうか。
<W>
そうです。
ヒントになる話があります。あなた(H)から昔、よく聞いた話です。あなたが教師として養護学校で働いたときの経験です。
<H>
あれですか。
<W>
あれです。たっぷりお願いします。
———————「尿瓶を持って走り回る」———————
<H>
はい。
私が昔、若いときに、肢体不自由児の養護学校で働いたときですね。
<W>
お願いします。
<H>
養護学校で受け持ったのは、小学生から高校生にかけての男女の障害児たちでした。服薬のせいで臭いよだれと、腫れた歯茎と、ゆがんだ顔。言葉を話せない人たちも多い。身体も満足には動かせないんです。生きるための自分自身の世話もできない。その面倒を全部見てあげなければならない。トイレにも行けないので、尿瓶を持って、走り回る。若い女の私が、毛の生えかかったおチンチンを、尿瓶の中に入れてあげなければならない。
<W>
はい、はい〜。
<H>
よだれと臭いで汚れたTシャツを、1日に何回も着替える。初めの頃は、飲み会の席で思わず本音が出て「こんなの嫌だ」と泣いたことがあった。辞めていく同僚も少なくなかったんです。
———————「口に入れたら、うんこだった。」———————
<W>
はい。
<H>
そんな日が何年も続いた。徐々に慣れていった。私自身が変わっていったんです。彼らの中に自分の生活もある状態だった。食事指導も教育の一環で食べさせていた。自分も一緒に食事をしていて、チョコレートパンのかけらを落としたと思って拾って口に入れたら、すごく苦かった。うんこだった。
<W>
苦いんですね〜。
———————「車いすから降りて這いずってゲームを戦った」———————
<H>
重度の障害児たちだったので、身体は、まともに動かせないんです。そこでバスビーというゲームを産みだしたんです。バスケットとラグビーを一緒にしたようなゲームだった。彼らは、松葉杖や義足などを外し、車いすから降りて、ゲームを戦った。這いずって行って、タイヤの中にボールを入れたら得点になる。介助に入っている教師も自分の手足を縛って参加し這いずった。ヒートアップし、あちこちで、噛み付きや髪の毛を引っ張る事態になった。だから噛み付きと髪の毛引っ張りは禁止にした。ルールはそれだけだった。子供達はゲームに夢中になった。
<W>
手足を縛って、ね~。
<H>
教室で、何か学科を教えるというよりは、子供達の中で一体となって過ごした。休み時間も、職員室にはいなくて、教室の廊下で、プロレスみたいに、子供と組(く)んず解(ほぐ)れつしていた。子供達も私とのプロレスを好んだ。子供達からの評判は抜群だった。教師同士の授業研究では注目された。
<W>
授業が・・というより、心が繋がっている・・。
———————「生まれたとき母親は殺そうとした」———————
<H>
ある時期、私に、大きな不幸が起きたんです。事故や病気で、夫や肉親が立て続けに亡くなっていった。職場から帰ると泣き通す日々だった。毎朝、泣きはらした顔で職場に行った。子供達が言った「また泣いただろう。」言い返した「泣くに決まってるじゃん。」
子供達からの評判が更によくなった。あいつには、心がある、というようなことのようだった。子供達も私に話をした。「自分が生まれたとき母親は殺そうとした。」「親戚に責められて母親は死のうとした。」などと。私も、この職場に来たときには「気持ち悪い、何でこの子たちは生きているの、こんなの嫌だ」と泣いたんだという話をみんなにした。・・・それでも、何がやりたい?と問うと、みんなでバスビーをやりたいと言った。いつの間にか天国を見ていた。彼らは生産性はゼロだが人間性の塊だった。
<W>
うん。
———————「高収入のぬいぐるみ」———————
<H>
少し横道にそれます。こんな仕事をしていて、いろいろ有名な会社のトップの方にもお会いする機会がありました。高収入、高学歴、容姿も淡麗、話し方も流麗、服も一流。でも心がない。からっぽ。まるで、立派なぬいぐるみのよう。本当にぬいぐるみだと感じたんですよ。
それに比べて、障害児の子供達は正反対。見た目は丸でひどい様子だったが、心は超一流。
<W>
・・・・
———————「自傷を防ぐために手術で唇を切除して歯列が丸出し」———————
<H>
子供達は自分の世話ができない。便秘の子供はお尻をほじってやらなければならない。女の子には生理のときタンポンを入れてあげなければならない。そんなとき私は「感謝するんだぞ」などと言っていた。でもあるとき気が付いた。自分でできないので断れない、他人に頼むしかない。年頃の子供達は恥ずかしいはず。我慢しているはず。それなのに・・・と、トイレに駆け込んで大泣きした。
<W>
・・・・
<H>
彼らの中には、自傷で、唇を歯で噛み、頭を打ち続ける子がいた。唇を血だらけのぼろぼろにするので、それを防ぐために手術で唇をすっかり切除して歯列が丸出しになる子もいる。彼らは、自殺しようとしても窓枠までたどりつけない。自殺するために海岸に行くわけにはいかない。私は車でどこへでも行ける。なんと恵まれていることだろう!。
<W>
・・・・
———————「生産性を考えるのであれば殺せばいい」———————
<H>
教育とは何か、障害児教育とは何か。障害を持つ子供達は長くは生きられない。数年で死んでしまう病気の子もいる。教育して言葉や算数を教えてそれで何になる。生産性はゼロどころかマイナス。生産性を考えるのであれば殺せばいい。3年前に障害者施設「やまゆり園」で大量殺人が起きた。ヒットラーはそれをやった。ドイツ国民が支持した。社会で劣っているとみなされた人々が、恐ろしい数、殺された。まるで地獄。しかし生産性を考えれば合理的な考えかも知れない。
<W>
ありがとうございました。
人類が誕生して数万年。地球ができて数十億年、宇宙ができて百数十億年。私たちは無事に生きれば80年ほど生きる。しかし80年だろうが数年だろうが、全体から見れば大して違わない。自分たちは同じような時間、同じところに住んでいる。
「話を聞く」という人間性のことと「生産性」のことで、Hさんの面白い経験談が久しぶりに聞けました。
話を聞いてほしいという人に対して、話が聞けなかった、と嘆くことは、一見ほんの少しの食い違いかもしれません。しかし、Hさんが養護学校で経験された「天国」と、劣っているものを殺してしまう「地獄」とは、天と地のほどの食い違い。根は同じ。人間性と生産性の食い違いは深いです。

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