命もって行かれるような不安2/3|母親の発作を止め早く終わらせて・・|アコールセラピーの現場から(716)

(つづき)

<イモリ、ハムスター、インコ>
<H>
本人の言に反して母親との関係はあまりよくないので、そのため、友達との関係もうまく作れなくて、彼は小動物のペットを友達にします。ブレスが進んで幼い頃の自分をよく思い出すようになった彼は、そんな幼い自分のことを「チビ」と呼びます。
「怖くて、寂しくているチビ(自分)を周りから見ている感覚になった。そして泣いた。チビの頃、イモリを飼っていた。それをいじっていた。これが寂しい。イモリと遊ぶしかない。唯一の友達だった。暴れているイモリを撫ぜていたら大人しくなって眠った。イモリと通じ合えた。それとなら通じた。縁側でイモリと遊んでいた。たまらない。何でイモリと遊ばないとならないのか。
ハムスターも7回飼った。死んだらまた飼った。小動物と寂しさを分かち合っていた。・・・イモリやハムスター、インコ。頭に乗せたりしていた。(小動物をかわいがるように見えるので学校の)先生に「優しい子だ」と言われるのが嫌だった。優しくもない、寂しいだけ。」
<W>
グループカウンセリングの中で、幼い頃の自分をチビと呼ぶ彼は、自分を治療する治療者のようでした。
<H>
このころ、A兄ちゃんの存在もあって母親は安定し、彼は幸せな時期を過ごします。しかし、A兄ちゃんに全面的に頼るということも不可能でしょう。やがて破局が来ます。そして母親の大きな発作が起きます。
<W>
うーん・・・・・。

<母親の発作を止める:早く終わらせて楽しいことやろう>
<H>
彼は言います。
「母の発作を止めたあの場面(絵には未だ描かれない)は中3の時だ。多分きっかけはA兄ちゃんが音信不通で帰らなくなったことだと思う。この中学3年の時が相当やばかった。どんどん実感がわいてくる。刃物で(自身を)切ろうとしている母を(羽交い絞めにして)止め、それ(その現実)を見ないようにして、「早く終わらせて楽しいことやろう」などと思っている。究極を行っている。力緩めたらイコール死の状況なのにそう思っている。普段ビクビクしているのは当たり前だ。究極そうした。発作の場面はこれまで気違いが怖かった。」
<W>
「早く終わらせて楽しいことやろう」。自分の心の状況を守るものが、それしかないんですね。「気違い」というのは母親の状況であり、自分自身の危うさでしょう。
<H>
彼は続けます。「自分自身の(中学卒業に向かっての)進路の不安と、A兄ちゃんがいなくなることと、それによって母がまた崩れていく恐怖と、全部重なった時期だ。発作は何回もあった。後々発作を起こしても包丁や(鉄道への)飛び込みは止めれば良い。しかし、この中3の怖いのは、比ではないのがあった。」
<W>
「比ではない」というのは自分自身の危機・・・ということです。
<H>
彼自身が狂ってしまうかもしれないという恐怖・・・。その恐怖を今思い起こして消化し、理解が進んでいきます。
彼は言います。「母親は、病気の時は子供(私)どころでないが、一寸良くなれば(私へ)愛情を注いだというのはあるのだろう。閉鎖感があった。母親の発作が起きる瞬間に自分は白ける。「又かよ」と表向きは思っている。(実は)凄い恐怖があるからだと思う。お母ちゃんが健康なら(包丁を持ち出したりしないで)子供を守ろうとすると思う。大好きで「お母ちゃんはいつも優しくて・・」とやっていたのがおかしい。」
<W>
「おかしい」と、自分を振り返り始めます。
<美化する自分への理解>
<H>
彼が二十歳代の時に母親はなくなります。彼は言います。「(母が)余命1年の時に、(母の世話を)自分がやりたくてやったが、やりたくない自分もいた。大好きなお母ちゃんと(自分で)言っているが、(本当なのか)疑ってしまう。客観的に考えたら、何事もなく穏やかに過ごせた時間が少なかった。嫌がっていたり、恨んでいたりしたかもしれない。他人の家の家族の食卓が羨ましがったりしていた。〈悪感情を抑圧し〉押えて蓋して、美化している。それをやらないと、自分が美化した人間でないとまずいとなる。お母ちゃんがダメなら自分もダメになる感覚だから。」
<W>
美化しないと幼い自分が危なかった・・。

<突破口となった怒り>
<H>
少し復習しますが、彼は彼自身の問題点として、自信がなく、不安感情が強く、(物事を)ぼやかしやすく、強い抑圧があり、奥さんへの八つ当たりをしてしまうことなどを、認識できており、さらに、ブレスワークを怖いと思いながらも少しずつ進んできていました。そして、以上のように、自分の成育歴もだんだんはっきりして来て、母親との関係も徐々に明らかになって来ました。また、自分自身も悪感情を押えて蓋し美化しているなどと見抜くようになってきていました。そうして大きな突破口となったのは、怒りでした。
<W>
そうでしたね。

絵5
<W>
この絵5では、自分チャートとして8つの絵が描かれています。セッションを受けて変化していった自分の意識です。意識は左から右へ、上から下へ変化します。以下、説明のために、第一~第八の絵と呼びます。
<第一の絵>
はじめのころ(過去の自分)を示す絵には、中心には怖さ(恐怖:黒色の玉)が描かれ、それを隠すように周囲にはしらけ(薄青色)が描かれます。初めのころのブレスワークを怖いと思う意識です。
<第二の絵>
その後、しらけの中から怒りが現れます(濃い青色)。同時に寂しさも現れます(茶色)。大きな突破口となる怒りが出せました。彼は言います。「(映像は出てこないけども)何故か、怒りが出てきた。怒りを吐き出した。ギャンギャン怒っている。前は分からなかったが意図して怒っている。終わったら寂しくなった。(でも)気持ち良い。」
怒りを出せると恐怖からも逃げないでいられます。
「(怖いところから逃げないでいられた)ずっと怖いところにバックれ(しらけて逃げること)ないでいれている。子供の頃からの、怖いドキドキに近いような匂いがするところにずっといる。・・・・・・・・怖いとこがベタっとあって。すごく泣ける、怒りが、感覚が、出てくる。ベターっと怖い感覚にいる。」
<第三の絵>
そうするうちに、中心には本当の自分としての小さな坊主(赤色:チビ)が認識されます。怒りや恐怖を扱えるようになり、本当の自分に出会えます。
「小さい坊主と出会って、寂しいというのが自分のものにできてきた。何でそうなったのかに行きたくなっている。その坊主が何でそうなったのかと。それを無視して放り出していたのが溶けてきたから、何でそんな可哀想になったのかを知りたいのだろうと思う。拒絶している意識はないが嫌だと思っていた。」
<第四の絵>
怒りや寂しさが、より大きくはっきりします。
本当の自分が何を感じているのかが少しずつ分かるようになります。
「・・・何なんだという怒り、取り巻く怖さは何なんだと。お母ちゃんを求めるが感じられない。泣いた、怒って泣いた。」
彼が坊主と呼ぶ幼い自分自身を、治療者としての彼自身が扱います。しかし怒りの対象は未だに謎です。
「・・・・・怒るかと思ったら泣いちゃった。おーおー泣いちゃって。・・・・・・毛布を抱っこして小さい自分。・・・・マットレスが敵だった。取っ組み合っていた。蹴っ飛ばしたりぶん殴ったり破いたし地面に押し込んだし、良いあんばいだった。・・・・久しぶりに出てきた子供。一人ぽっちで寂しい坊主を感じた。ずっと抱っこして凄く泣けてきた。満足するくらいやれた。マットレスを小さい子も一緒になって叩いていた。一緒になっていた。マットレスはお母ちゃんだというとやれない。・・・泣きながらやっていた。動いていた。毛布を高い高いや飛行機ブンブンをやった。・・・ずっと寂しかった坊主と今の自分が一つになる。・・・毛布を丸めて抱くとたまらなくて愛おしくて泣いていた。やっぱりここかと。前は白けがやってきた時は嫌で怒っていた。白けている坊主をギューっとして、白けは俺じゃないかと。今日はずっと寂しい坊主と一緒にいた。」
<第五の絵>
第四の絵の段階が過ぎて停滞が生じます。停滞の原因が、表現されることを拒否している殺意ではないかと、グループカウンセリングの中で気が付きますが、受け入れきれずに再び、怒りや寂しさが追いやられて消され、しらけが優勢になります。
<第六の絵>
その後に突然、恐怖の中から殺意が爆発します。爆発する殺意は恐怖と同じ黒色で描かれます。殺意自体が寂しさをも伴っています。今までの寂しさの中身がはっきりし、(母親を)求める自分や愛しさ、あったかさを感じるようになります。
「寂しい自分が自分だろうな、「お母ちゃん、お母ちゃん」と求めていた。ずっと泣いていた。恋しくて愛おしくてずっと泣いていた。凄くお母ちゃんを求めて、キチガイじゃないお母ちゃん、兄ちゃんも寂しいし、みんな寂しいしここに来て、求めていても満たされない。でも求めているので満足。」
<第七の絵>
寂しさはさらに大きくなり、もはや恐怖(黒色の玉)は描かれておらず、代わりに爆発する殺意(黒色)と本当の自分(赤色の玉)が描かれます。まるで、本当の自分には殺意があり、それを閉じ込めていたので恐怖が存在した、というふうに取れます。
絵には描かれていませんが、殺意の近くには罪悪感がありました。殺意の対象がわからないのと同じで、罪悪感の正体はわかりません。
「小さい頃からずっとそうだった。・・・最後の最後に出さないように踏ん張っていた自分が出て来て泣けた。逃げているんだと。罪悪感や殺意も感じないようにバックれている。・・・だから凄く疲れる」
わかるのは、ずっと一人だった、ということです。
「やっぱりぶっ飛んでんだなと思えて。再確認できた。ずっと一人だったので、ずっと一人だった。・・・母に意識がなくてずっと一人だった。最後の方のブレスにそこに行けた。背中を丸めてヤモリ、鳥、ハムスターとか何でも飼っていた自分。なんかすっきりした。一人ぽっちだと分かってすっきりした。」
<第八の絵>
最後の絵八では、本当の自分は寂しい自分であると認識でき、その寂しさには底がないと感じます。
このように寂しさを正面から扱えるようになると、正体がはっきりしない殺意や罪悪感に焦点が定まります。そして、殺意や罪悪感の正体を受け入れるようになっていきます。

(つづく)

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