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インスタグラムも見てください|アコールセラピーの休憩(735)

アコールのブログ投稿(更新)が遅くなっています。

アコール林貞子のインスタグラムはほぼ毎日投稿しています。そちらの方も見ていただけると幸いです。上の部分をクリックしてください。この時点で最新のインスタグラム投稿へ飛びます。

飛んだ先のインスタグラムの画面で、下記の写真部分を見つけてクリックすると、過去の投稿も見られます。

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母親に対する依存と殺意の一体構造はあなたの大切な人に対しても|アコールセラピーの現場から(734)

[母親に対する依存と殺意の一体構造]
小さな子供が健康な母親に育てられるとき、完全な一体感を伴う依存を味わうでしょう。母の懐で何不自由なく天国の時間をたっぷり過ごすでしょう。そして満足した後で依存から卒業し健康な発達を遂げることでしょう。
しかし、なかなか、そうはうまくいかない。健康な母親はめったにいない。そのため十分な依存が手にいらずに、大人になっても依存的な人たちがいる。

依存と殺意は、一体のものとして、小さい子供が人生のはじめに、母親に対して形成するもの。母親から十分な愛情をもらえなかった子供の感覚として、母親の中に良い母親と悪い母親がいる。悪い母親への殺意をあらわにすると母親全体を失ってしまう。母親に嫌われる。母親を失った子供を待っているのは、一人ぼっちの死である。耐えられない。そこで悪い母親への殺意を隠し、良い母親への依存を失わないようにする。しかし殺意を隠し持っているので、一体性のある本当の愛情を獲得することはできない。依存しながら殺意を隠して付き合うことの不満足さは、母親に対してのみならず、その後の他の人間に対しても、受け継がれる。

[他の人間に対する受け継ぎ]
依存と殺意の一体構造は、大人になったのちも、持ち続ける。どうしようもない母親には見切りをつけて、新しい、より好ましい人間関係をつくろうとしても、他の人間に対して、依存と殺意の一体構造は、気が付かないうちに維持され、それに伴う不満足さは受け継がれる。
すなわち大人になっても、奥深くでうごめく一人ぼっちの死を避けるために、最も好ましいと思われる誰かに依存する。母親の代わり(依存対象)だ。会社の上役、夫、カウンセラー、子供。しかし依存によって満足するのは、感受性を失っていない小さな子供が、健康で好ましい母親との関係で、完全な一体感を伴う場合であって、大人になった今となっては、相手にとっては迷惑な限りであろう。あるいは病的な相互依存をなす。不満足はどこまでも続く。
その人の感覚が鋭く、運が良ければ、あるとき追い詰められる。何か(殺意)を隠したようなそんな生き方は嫌だ、という気持ちが強まる。殺意は依存対象へ向かう。もともと母親へ向かうべきものが、せき止められており、現在の依存対象を襲う。
その時、殺意を放出する本人が、内面の一人ぼっちの死を恐れないほどに勇敢であれば、依存から抜ける。ブレスの中で殺意を表現し「一人ぼっちの死」に入っていくことができて「これで初めて生きていける感じがする」というのは、ニュアンスは異なるけれども、よく聞く感想である。
「生と死のエネルギー」
依存的な人たちは、昔、十分には手に入らなかった愛情(依存)を、今、何とか手に入れて生きていこうとする、生のエネルギーを中心とする人たちのように思えます。ある人は自分を見抜いて自嘲的に「愛情乞食」と言っていました。一方で、一人ぼっちの死を拒否し、そのために殺意という大きなエネルギー(死のエネルギー)を隠さなければなりません。それが、一人ぼっちの死を受け入れたときに、それまでの生のエネルギーに死のエネルギーが補われ、生と死のエネルギーが統合され、自分の本当のエネルギーを手に入れるのだと理解できます。

 

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ヒナを守って犬にも向かって行く白鳥(白鳥の話2)|アコールセラピーの休憩時間(732)

白鳥の話2(つづき)

[4.守る親白鳥]

白鳥の両親は、いつもヒナを守っていた。

私が、一家へ必要以上に近づくと・・・3メートルくらいかなあ・・、父白鳥がこちらに向かってくる。真っ白い両羽根を、肩を怒らす様に持ち上げる。ノッシのっしと歩いてくる。別に、パンが欲しいわけではない。歯がない口ばししか持っていないのに、・・やってくる。ごめん、ごめん。あわてて後ろへ下がるしかない。

あるとき、白鳥が子育て中であるという事情が分かっていない人が、飼い犬を連れて散歩にやってきた。犬が20メートルくらい近くになったときに、父白鳥が無言のまま動き出した。犬に向かってノッシのっしと歩いていく。犬は、・・・逃げた。本気の戦いなら、白鳥は勝てるはずはない。首が細い。口ばしが小さい。歯がない。でも気迫勝ち。

人や飼い犬は、ヒナを襲わない。でも野生の肉食の生き物は、違う。襲って食べる。生きるために食べる。人が見ても、小さなヒナはかわいらしく、おいしそうである。ときどき白鳥の両親がともに、急に、首を上げて動きを止めることがある。上空にトビがいる。カラスがいるときである。

[5.生存の厳しさ]

私たちが初めて、一家に会ったときは、ヒナは3羽だった。地元の人によると、ヒナは、はじめは6羽くらいいたらしい。「狐ではないか」ということだった。ある朝さらに、2羽に減っていた。周りを見ると、近くの木に複数のカラスがいた。木の近くの屋根の上に、何かがある。屋根に近づいてよく見ると、はっきりしないものの、大きさや色が、それらしかった。湖畔には、白鳥が隠れる適当なものがない。上空から襲われたら防ぐのは楽ではない。あの父白鳥がいても、守り切れるのは2羽くらいかもしれない。それで湖の白鳥の数は、そこそこに維持される。

意外なことがある。犬にさえ向かって行く白鳥が、さっさと退散することがある。一家が急に目の前から移動しはめるので、何事かと思い、よく観察すると、遠くから、他のつがいの白鳥がやってきていた。距離は100メートルもあるかと思うほど遠かった。白鳥同士なので仲よくすればいいのに、と思うけれど、違う。ほかの動物でも同じようなことがある。同じ種の群れ同士が出会うと激しい争いになることがある。草食、肉食を問わない。多分、食べ物や生きるために必要な環境が重なるので、他の群れを追っ払う必要がある。あるいは追っ払われてしまう。子供(ヒナ)がいるときには、子供が殺されないように、さっさと退散するに越したことはないのであろう。

[6.ヒナの成長と家族の終了]

私たちが出会ったのは、6月ころだった。片手の平に乗るくらい小さかった。一口サイズ。かわいかった。会うたびに大きくなっていった。片手では難しそうになり、近くのカルガモを超える大きさになり、両手でやっとだろうなと思えるくらいになり、あれよアレヨと、大きくなった。

ヒナは増々かわいくなり、4羽家族の居る風景は、しみじみ愛おしかった。あるとき、4羽家族は、ワカサギ釣りの屋形船がつながれている木の下に、いた。木の周りは、柔らかそうな緑の草が、芝生のようにふわふわと生えていた。その上に、4羽家族は幸せそうにうずくまっていた。ヒナはもうカラスには簡単には襲われない大きさになっていた。親白鳥の安心が伝わってきた。就学前くらいの男の子が走ってきた。白鳥家族を見つけ、赤ん坊を抱っこしたお母さんの手を振り切って、木のところまで来た。白鳥家族のすぐ近くに来て、「天国みたい!」と大声で言った。そう、まるで天国みたいだった。

親白鳥の半分くらいの大きさになっても、羽根の色が薄い茶色なので、遠くからでもヒナだとわかった。このころ、両親白鳥は、ヒナに遠慮せずに食パンを食べた。

親白鳥とほぼ同じ大きさになっても、色は、茶色と白のマダラ模様なので、ヒナだとわかる。

マダラ模様になる少し前あたりから、父白鳥はいなくなっていた。母白鳥はその後もかなり一緒にいた。近くにいるので、母白鳥だろうな、と思うだけで、母白鳥らしいしぐさをするわけではない。他の白鳥かもしれなかった。そのうち、マダラ模様の二羽のヒナだけで堂々としているようになった。母白鳥が近くにいるのかどうか、わからなかった。私には見分けがつかない。どこかへ行ってしまったかもしれない。11月になっていた。マダラ模様が完全に消えて、真っ白になるころ、この二羽の兄弟も、互いに独立して、他の白鳥とつがいになるのかもしれない。

[7.健全さの違いは何?]

成長したヒナだけで堂々としている様子は、自然界の親離れを感じさせますね。ヒナを守るために犬にも向かって行っていた父白鳥が、いつの間にかいなくなり、エサをヒナに譲っていた母白鳥も、やがていなくなる様は、寂しいようで、健全な子離れを感じさせます。この健全さはどこから来るのでしょうか。本能に過ぎないと言えばそうでしょうが、人間だって本能は持っています。違いは何なのでしょうか。

推測します。

白鳥は人間よりも自由に生きています。つがいになる相手も自分で選ぶでしょう。自分の気持ちを感じ相手を感じ、感じるままにつがいになります。誰にも強制されません。誰へも忖度しません。生まれてきたヒナは、だから、「とてもかわいい」と親白鳥は感じるでしょう。かわいいヒナには、命をかけ、エサも譲って、後悔はないでしょう。気の進まない結婚をして、いやいやながら子育てをする人間を、白鳥はなんと思うでしょう。

(おわり)

親白鳥は食べずにヒナに譲る(白鳥の話1)|アコールセラピーの休憩時間(731)

白鳥の話1/2

 

[1.白鳥一家]

山中湖の湖畔に白鳥たちが住みついている。2021年には、ある白鳥の一家が、私たちのセミナーハウスの近くに住んでいた。両親の白鳥と数羽のヒナだった。ヒナは淡い茶色でフワフワしていた。カステラをくりぬいたお菓子のようだった。ヒナのあまりのかわいらしさに、私たちは毎朝、湖畔を散歩するたびにその一家を探した。

湖畔には、春になると、小さいおいしいサクランボをつける、背の低い富士桜の並木があった。その並木が両側を囲む小道を抜けると、目の前に湖が大きく広がり、一家が居る地域になる。片道20分くらい歩く距離で、日によって、居る場所が違った。彼らも朝は食事であちこち水草をもとめて移動するらしい。私たちは食パンをポケットに忍ばせて、ちぎって白鳥に投げ与え、ときどき私たちも食べた。

[2.白鳥の食欲]

白鳥は食パンを好んで食べる。透明な湖水に白く浮かんだパンを、口ばしでほぐしながら、水と一緒に飲み下す。たいていの白鳥はお腹を空かしていて、あっという間に食べ尽くす。そして、もっと寄こせと、水から上がる。恐竜のような大きな水かきが現れ、ノッシのっしと、歩いて、こちらへ近づいてくる。堂々としている。小さな二つの眼が正面からこちらを見据えて、やってくる。野生の白鳥だ。零下20度の山中湖の冬を、白く雪をかぶりながら身一つで過ごして生き抜く、凄さがある。

そして、パンをちぎるのに手間取っていると、すぐそこへ来た白鳥に、必ず手をかまれる。口ばしには歯がないので痛くない。でも、あまりの迫力に誰もが、小さな悲鳴を上げてしまい、手からパンを落としてしまう。落ちたパンはたちまち白鳥が食べる。思わず後ずさりしてのろのろしていると、あっという間に食べ終わった白鳥が、再び、ノッシのっしと迫ってくる。あんなに美しくてかわいいと思っていた白鳥へのイメージは変わってしまう。怖い・・・。白鳥の食欲はすごい。

[3.食べない親白鳥]

しかし、一家の親白鳥は、ほとんどパンを食べない。自分は食べずにヒナに譲る。親鳥のすぐ近くにパンを投げても、ヒナがそばに居れば、食べない。食べようか食べるまいか迷う様子はなかった。ヒナが、当然のように食べてしまう。多分、子育て中は、親白鳥は食欲そのものがなくなるのではないかと思える。

仮に、食欲が自動的になくなるとしても、人間にも同じような感覚はあるのだから、ついつい想像してしまう。親白鳥はヒナが可愛くてしょうがなくて、あまりの可愛さに、ヒナが食べるのを見ていると自分の食欲さえ失ってしまうのだ・・と。あの本来持っているすごい食欲を失うのだから、どれほど可愛いと感じているのだろうか、と。

(つづく)

あけましておめでとうございます|アコールセラピーの現場から(730)

あけましておめでとうございます。

コロナ禍のため、山中湖のグループセッションがなかなか再開できませんが、今年こそ再開可能になることを祈っています。

 

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落語とベビーブレス|役作りと再体験|アコールセラピーの休憩時間(728)

 

(古今亭志ん生)

先日、落語を聞いた。不思議。古典落語は、内容はわかりきっている。何度も聞いている。目新しいところはない。なのに、名人がやると面白い。初めて聞いたように笑ってしまう。なぜだろう。

落語に限らない。映画や演劇でもそう。「役作り」ということがある。セリフの言い方や表情の作り方や間の取り方や、だけではない。役になりきる。愛すべき粗忽者、孤独な殺人者、真実のためにすべてを捨てる人。その役の気持ちを、役者本人が再体験する。それが、見ていて面白い。見ているだけでもぞくぞくする。価値がある。そのためにお金を払って見に行く。

ベビーブレスが似ている。ベビーブレスの初期には、失ってしまった本当の自分を演じるという意味がある。演じ、声を出したり、体を動かしたりする。
なかなか、本当の自分の中に入ることができない。ただの「演技」になってしまう。しかし、続けていると、ある瞬間に「本当の自分」の気持ちを再体験できる。母親から愛されず長い間石のように閉じ苦しみぬいてきたが本当はエネルギーにあふれる自分。感情が爆発する。自分を取り戻す。ぞくぞく、どころではない。天と地がひっくり返る。

そして、落語や演劇は、演技者の演技(再体験)を、こちらは観客として遠くから見るだけだ。役者だって、脚本家によって作られた役を、いわば他人を、再体験するに過ぎない。
ベビーブレスは違う。作られてはいない。他人ではない。本当の自分自身。それまで隠しに隠していた本当の自分。再体験によって、感情が爆発して、本当の自分自身とつながる。嘘の人生とさようなら。本当の自分自身と合流する。本当の人生。

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殺すなら殺せ|アコールセラピーの現場から(726)

<W>

今日はj君のまとめですね。

<H>

彼は、上手な絵で、回顧録をまとめてくれました。ありがとうございます。以下<j>の部分はj君の回顧録の部分です。絵は10枚です。絵を中心にまとめています。

<W>

彼のきっかけは、一言で言うと、何になるのでしょう。生きづらさとでも言えばいいのでしょうか。

<H>

そうですね。彼はあるチェーン店の店長を務めており、初めのころは上司や部下との関係などが話題に上がりました。以下、彼の回顧録を見ていきます。

1枚目

<j>

「周りの目を極度に気にする自分」

周りの評価を極度に気にする自分。

生きづらさに苦しむ。

集団の中にいるのが苦手。小人数もダメ。

話すことが見つからないと異常に焦る。

早く1人になりたい。

人との関係の中でいつもそう思っていた。

そして当時の上司との関係に苦しんでいた私。

これがセッションを始めるきっかけとなる。

<H>

j君は、はじめは、こんなふうにはっきり自分のことを語ったわけではなかったような気がします。もう少しぼんやり「自分のことを知りたい」とかなんとかいうことだったと思います。

<W>

今、まとめができる段階になって、よりはっきり自分のことを語れるようになったんでしょうね。

2枚目

<j>

「悲しみの母」

私がセッションを始めた当初。

まずこんな家族の様子を感覚的に思い出しました。

母はいつも悲しい顔をしている。

祖母(父の母親)はいつも母を攻撃している。悪辣。嫌味ったらしい。

父は扉の向こう。何処かに行っている。家にはいない。

私は暗い気持ち。

他に兄と姉もいたが、家族の誰も私には関心が無い。

誰の心の中にも私はいない。

という感覚がずっとある。

当時は家族がいない所で、寂しさや怒りを訴える。

こんなセッションを何度も何度も、繰り返していました。

<H>

兄弟を含め人間関係が薄い感じがしました。実家に帰ってもあまりお兄ちゃんなどと話をしなかったようです。

<W>

一時期は、お兄ちゃんの悪口などを言っていましたね。

<H>

この回顧録では一切触れてないです。セッションが大きく進んで、もう、どうでもよくなっていってしまったのに違いない、と思います。自分のことをやらないと、外側(例:お兄ちゃん)に問題を求めてしまう。

<W>

そういうものですね。

3枚目

<j>

「「苦しみ死に」の恐怖」

ある日のセッションで私に起こった、とてつもない恐怖の体験。

圧倒的な力で押し寄せる死の恐怖。

全く抵抗できない。

死を受け入れる心の準備などできずに、

苦しんで、苦しんで死んでいく。

それが胎児期の恐怖である事は当時から分かっていたが、

具体的な事が分かったのは、

もっと後になってからであった。

父には私が生まれる前から浮気相手がいた。

母はそれを知っており、

父を自分に繋ぎ止めるために私を妊娠した。

しかし母は私を妊娠している時に、

父の浮気が続いている事を知ってしまう。

私を妊娠した事は全くの無駄であった。

母の強い怒りが私に向きます。

母の殺意。

とてつもない身体的な苦痛を伴って

殺される恐怖。

このセッションで体験したこの「苦しみ死に」の恐怖は、

その後長く私を停滞させる事になる。

<W>

それまで彼が希望していたのは「心の傷に触れずに、感情豊かで、魅力的な人間になりたい」辛いところには触れたくない、というようなことだったと思います。

<H>

お土産だけが欲しい人だった、ようです。

<W>

今は見事に、心の傷のおおもとに届きました。対峙すべき心の傷がはっきりしました。

<H>

生きにくさの原因には、親の意向を汲んで生きていくと言う、同じグループカウンセリングの仲間の話なども参考になっていると思われます。

<W>

親に利用され、自分から利用されようとする切ない気持ちですね。

<H>

切ないです。

<W>

彼は「「苦しみ死に」の恐怖は、その後長く私を停滞させる事になる。」と言いますが、なぜ、「停滞」してしまうのかが、人が悩むということのカラクリのような気がします。

<H>

傷を目の前にして、引き返そうとする気持ちが働くのですね。

<W>

引き返しを言うのであれば、傷を目の前にする以前から、傷に無意識なときから、何とかして引き返そうとしていた、とも言えます。事実を否認することで何とかしようと苦戦する。

4枚目。

<j>

「グレーにする自分」

父を自分に繋ぎ止める為に私を妊娠した母。

私はその役目を果たせれば、

母からの愛情を得られる。

と思うようになります。

本当は愛情あって私を産んだわけではない事は知っているが、

それを直視しない。

正しく認識する事を避ける。

ぼかしてグレーにしてしまう。

この心の癖は、

この後の私の対人面にしばしば影響を

及ぼす事になります。

<W>

今でこそ、そのようにはっきり言えますが、白黒はっきりさせないグレーな場所にいるときには、ひたすら、ただグレーだったのでしょう。

<H>

なんとかすれば(自分に対する母親の)愛情はあるはずだと思い込んで、ギリギリのところで生きていこうとするのは、トラブルに悩んでいる人の共通の部分かもしれません。本当の母親の姿、本当の自分の姿、を見ることができない。

5枚目

<j>

「全てを閉ざして石になる」

母は私に、

父を自分に繋ぎ止める役目を与えて、

私を出産します。

しかし私が4歳くらいのとき。

両親は離婚。

役目を果たせなかった私は、

一人洞窟の中で石になって、

全てを閉ざして死んでいく。

家族の誰も私の事など意識がなく、

私は誰にも知られない所で、

一人死んでいきます。

一度死んでしまえば

案外そこは居心地が良く、

私は自分をその場所に居続けさせる事になります。

閉ざして生きていけば、嬉しい事は少ないが、

辛い思いをすること事も無くてすむ。

 

何も無い人生を私は選んだ。

しかし、私は覚えていました。

閉ざすとき、

凄く凄く悔しかった。

悔しかったが、閉ざす事しか出来なかった。

無理難題をおしつける母への怒り。

母の愛情を得るために頑張ってきたが、

それが叶わない絶望感。

母と私は両思い。

という暗示を自分にかけて、

他の事は閉ざしてしまった。

そうするしか無かった。

<H>

母親にはほんとに愛情がないんだということがわかって、石のように閉じてしまう、ということですね。

<W>

そこのところです。彼の回顧録では、あくまで「離婚」がきっかけです。しかし、「父を繋ぎ止める役目を」うまく果たし「離婚」がなければ、母から本当に愛情を得られたのでしょうか。離婚がなくても本当の愛情は無理だったのかもしれません。そもそも条件付きの愛情ではj君自身が納得しないでしょう。彼は、実は知っていたのかもしれません。「母親にはほんとに愛情がないんだ」と無意識には始めから。

6枚目

<j>

「殺すなら殺せ」

グレーにする自分から脱却するきっかけになったのは、

「殺すなら殺せ」をやった事であった。

愛情の無い両親から生まれた私が、

自分の存在にどれだけ戸惑って生きてきたか。

愛情が無いなら俺を殺せ。

俺はおまえの役には立たない。

そんな事はしたくも無い。

だから殺せ。

キズだらけ血まみれの私の、

渾身の怒りであった。

 

しかしいざ殺されるとなると、

母を思う気持ち。慕う気持ちが溢れる。

大好きで死を受け入れる。

母を殺すセッションも繰り返し行なってきた。

怒りで始める母殺しですが、

大好きで大好きで殺しきる。

母への怒りをやればやるほど、

母を慕う気持ちを思い出していく事になる。

 

この、「殺すなら殺せ」をやって以降、

私に色々な変化が起こっていった。

 

<W>

大きな突破が、転機が起きました。大迫力の絵です。

<H>

この転機が訪れるきっかけになったことの一つが、セッションを中止するかどうかのカウンセラーとの話し合いだったかもしれません。グレーにして石のようになりセッションが進まない。このままやっていても、時間とお金が無駄なので、中止したほうがいいのではというふうに相談をしました。

<W>

カウンセラーも、彼の心情と一体になって、決断が迫られたのですね。

<H>

彼が辛いようにカウンセラーも辛い。グレーにして石のような状態には、だんだんカウンセラーも耐えられなくなる。本当に同じような内的な経験をするのだと思います。

<W>

そして彼は前に進む決断をするのですが、その結果の「殺すなら殺せ」はカウンセラーにも向けられていたのかもしれません。「見放すのなら見放せ」と。陰には依存がありますから。カウンセラーはいつの間にか母親役です。辛いときに依存は慰めになります。ところが依存を頼りにして前には進みたくない。依存できなければ自分で立つしかない。その時、前に進むも見放されるも同じようなもので自分の目の前にある。

<H>

そういう意味ではカウンセラー自身が健康でなければならない。ぎりぎりのところまで。

<W>

「いろんな変化が起こっていった」とあります。

<H>

「停滞がなくなってきた」ということですね。

<W>

その変化の原因が回顧録のここに書かれています。母親への愛憎の統合から生死の統合が起きています。

<H>

母親への愛憎の統合は、自分自身の生死の統合に通じているというあれですね。

<W>

あれです。大切なところですから、見ていきます。

「殺すなら殺せ」は母親への究極の怒りです。憎悪です。「母への怒りをやればやるほど、母を慕う気持ちを思い出していく」とあり母親への愛憎のエネルギーが実は同じであることを彼は体感しています。愛憎の統合です。

そして「殺すなら殺せ」は、また同時に、自分自身の死の受け入れです。

グレーにして石のようになって何とか生を守ろうとしますが、その守りの彼岸は死です。自分にとって宇宙のように大切な母親から、あろうことか自分自身の死が望まれている、その死です。

その死を受け入れることで「渾身の怒り」つまり激しい「生」が出ます。何とか守ろうとする弱々しい生ではありません。死を受け入れて本当の生が出る。生死の統合の兆しです。この辺りは、この後の8枚目の絵でも描かれています。

7枚目。

<j>

「靄に包まれて死ぬ」

胎児期に母に殺されそうになった感覚は、

身体的苦痛として私の心に刻まれ、

私はその記憶にずっと苦しめられてきた。

一切の抵抗は許されず、

死を受け入れる心の準備も出来ず、

胎内いう狭い場所で暑さからも逃れられず、

窒息死するという、「苦しみ死に」の恐怖。

 

しかしある日のセッションで気づくことになる。

本当に怖いのは一人ぼっち。

母も。誰も彼も。私の事など意識に無いと知ること。

そしてこの世界の、

厳しさ。冷たさ。無慈悲さを知る事。

それが本当の恐怖。

一人ぼっちを自覚したくないが為に、

私は「苦しみ死に」の恐怖を利用していた。

「苦しみ死に」に囚われていれば、

一人ぼっちを自覚しなくて済むので。

恐怖で恐怖を隠す。

私はそんな生き方をしていたのだ。

この7枚目の絵に描いた黒い靄は「苦しみ死に」を表現しています。

 

「苦しみ死に」の正体(一人ぼっち)を知った私は、

抵抗する事なく安心して、靄に包まれて死んでいく。

“やっと死ねた。”

私の中からしみじみとそういう気持ちが湧いて来た。

 

<H>

「本当に怖いのは」「一人ぼっち」。母親から殺される「苦しみ死に」の恐怖ではなく、さらに、その奥にあった。

<W>

はい。6枚目の絵のところで母親からの死を受け入れたら、その奥の本当の恐怖である「一人ぼっち」を受け入れることができ、「やっと死ねた」という境地になったのですね。

<H>

大亀の水底に足が着いた。「安心」ですね。

<W>

死の受け入れが深まった。

8枚目

<j>

「恐怖と共に生きていく」

私は恐怖を克服したいと思って、セッションを続けてきました。

日常的に感じている、対人面での恐怖が辛くて辛くて。

しかしそれ(辛い辛いと言うこと)は心を閉ざして生きていく、

と言っているのと同じことだと、ある時、気づかされます。

本当の自分の人生を歩んでいくために、恐怖と共に生きて行こう。

と思うようになりました。

 

幼いころの恐怖がどんな物であったか。

日常の中で感じながら生活していると、

不思議と恐怖は和らぎ、

恐怖の中にいる事に心地良さを感じることも多いほどです。

 

どんなに惨めな思いをしてきたか。

本当に死んでしまいたかった。

消えて無くなってしまいたかった。

そんな事も少しづつ思い出していきました。

 

8枚目の絵には3人の自分を描いています。

その中の一番小さい自分は恐怖している自分。傷ついた小さい自分。可愛い、可愛い自分。

真ん中はそれを包む今の自分。恐怖と共に生きて行く。

一番大きい自分は、本当の自分のようなものだと思われる。いつも私(真ん中の自分)に、”大丈夫。オレがついてるから大丈夫。落ち着いて!”と声をかけてくれる。

 

<H>

「どんなに惨めな思いをしてきたか。本当に死んでしまいたかった。消えて無くなってしまいたかった。」と過去形で話せるようになりました。よかった。「不思議と恐怖は和らぎ」とあります。「和ら」がせるセッションもありますが、自然と起きてくることが本物ですね。

<W>

はい。この絵がいいですね。

<H>

見るだけで暖かい「安心」が伝わってきますね。「3人の自分」が成長を表現しているようにも見えます。

<W>

生と死の統合を見ます。6枚目の絵のところで「殺すなら殺せ」と死を受け入れて本当の生「渾身の怒り」が出た後で、7枚目の絵でさらにその奥の「一人ぼっち」を自覚して死の受け入れがより深まり、この8枚目の絵で、その深まった死(真ん中の自分)に応ずるように暖かい生(外側二人の黄色とオレンジの自分)が現れ、生と死の統合がより明確に描かれているように思います。

9枚目

<j>

「やっと甘えられた」

ある日のセッション。

母を慕う気持ちを感じながら母を殺す。

愛おしくて愛おしくて殺す。

 

その後、死んだ母に抱きついて

心から甘える。

思いがけず甘えを出せた私でした。

甘えたいと強く望んでいる自分を、

さほど意識いてはいなかったのだが、

 

“やっと甘えられた”

“やっと甘えられた”

何度も何度もそう思いました。

本当に嬉しかった。

<H>

「思いがけず、やっと甘えられた」いいですね。甘えると言うのは難しいことです。甘えたふりはできるけどほんとに甘えるのは難しい。

<W>

努力して甘えられるものではないのかもしれません。恐怖の正体を知り受け入れ「安心」できたのが大きいのでしょう。

<H>

母親はいまだ石のような色に描かれています。母は石であっても甘えるのは自分、自分は甘えられる。母の事情に左右されないということなのかもしれません。

10枚目。

<j>

「心から自分を抱きしめる」

またある日のセッションで。

恐怖でオロオロする自分を思い出した。

父を母に繋ぎ止めるなんて出来ない。

でも母は私にそれを求めて私を生んだ。

どうしたらいいか分からず。

どうにも出来ず。

焦り、恐怖し、オロオロするしか無かった。

 

そんな自分がかわいそうで。かわいそうで。

幼い自分を抱きしめて安心させてあげたい。

大丈夫だよ。と言ってあげたい。

そんな事は出来なくていいんだよ、と。

 

“心から自分を抱きしめてあげて‼️”

私の内側からこんな声が

湧き上がってきました。

 

嬉しさやら。切なさやら。

悲しさやら。愛おしさやら。

幼い自分を抱きしめて泣きました。

幼い自分も感情的のままに泣いていました。

<W>

いいですねー。

<H>

いいですねー。

これらの絵には出てきていませんが、彼は、本当に生きていくエネルギーが出てきて、宇宙に向かって吠えるような、歌うような表現ができたということです。

<W>

いいですねー。

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(つづき)
<H>(寂しさや怒りを出しまくって)家族など周りは大変だった、迷惑したと、まずい話ですね。実はいい話もいっぱいあるのです。いい話もしてもらいましょう。彼女の話だと、職場で信頼されるようになった、パートなんだけれど社員よりも頼られるようになった。上司への不満をちゃんと言えるようになった。など、次のように言ってました。

<S>
「「職場での活躍」」
販売接客業のパートを10年勤続。小さな店舗で7年程。今は大型店舗に勤務している。
小さな店舗では途中から店を任されることに。その頃、感情表現も出来る様になっていたので上司や社員に相談したり、意見したり、納得いかない事には怒りをぶつけたりしてきた。
「お客さんに満足してもらう為に」を軸に、店舗では店の問題点を改善したり、お客さんにも、一緒に働くパートの皆んなにも、意識を向けて観ていたし声かけしたりしていた。そしてよく話を聞いた。大変ではあったけど充実していて売り上げもどんどん上がって成果は上げた。
上司は私にこう声を掛けてくれた。「いつも五感を使って仕事をしている。」「店全体がよく見えていて、目の前の仕事をしながら、いつも三手くらい先の仕事を常に頭に置いて動いているよね」と。常にアンテナを張って仕事をしていたのでそう言われたことは素直に嬉しかった。半分本気のような冗談で「マネージャーやって欲しいわ」と言われたりしていた。
この頃には「大型店舗に行ってバリバリ働いてくれないか」と言われていたが、その大型店舗のマネージャーの事が苦手だったので、断っていた。でも、そのうちその苦手マネージャーが移動になり、大型店舗勤務になった。その後も、私の仕事のやり方は変わらずだった。
次のマネージャーからも、更にその次の今のマネージャーからも、色んな事を相談された(頼りにされた)。パート仲間からも仕事や私用でも相談された。自分でも周りから頼りにされている事がわかった。馴染みのお客さんも沢山できて仕事はやりがいはある。
ブレスも進んできてより深まって来ていたのでどっしりしてきていた。
(私が私をひとりぽっちにしていた。私が私を大切に扱えるんだと気がついた時期)
人からの評価は気にならなくなっていた。
本社から巡回で、お偉い方々が来られる時がある。私の仕事を見ていた社長が「皆んなが彼女(私)のようなレベルの仕事働き方をして欲しい」とコメントして下さった。
怒り、恐怖、殺意、更に生と死の体験をしてからは、より素直により正直になってきたと思うし、色々感じる力も増したと思う。
<W>
いいですね~~。彼女の持っているものが解放された。起きたというべきでしょうか。
しかし下手すると、ブレスを知らない経営者から、彼女のように{意見ははっきり言いましょう}{仲間に声掛けしましょう}{仕事は五感を使いましょう}{三手先を頭に置きましょう}{好き嫌いははっきりしましょう}などのノウハウをつくられてしまいそうです。が、勘違いしてはならないのは、ノウハウなどで意図して起こしたのではなく、ブレスで自分を取り戻すことで、自然に起きたことなのです。意図してすることには無理があります。偽物のにおいがします。大して効果はありません。起こすことに価値はなく、起きることに価値があります。
<H>
彼女の真の実力ですね。
職場だけではありません。家庭についても彼女は言います。子供たちも自分の気持ちをお母さん(彼女)に話せるようになった。子供が寄ってくるようになった。うまく対処できるようになった。子供の気持ちもわかるようになった。思春期の自分の子供がトラブルを起こしても動じなかった。どっしりしていた。彼女に内面を話すようになっていった、などと言います。以下は、その一部です。
<S>
「「子どもの気持ちが理解出来た」」
そもそも私は親から「あなたはどうなの?どう思った?どう感じているの?」っていうような問いかけをされた事が無い。父や母と感情に触れるような会話などした事が無い。
ブレスを始めてその事のおかしさ、気持ち悪さ、人として生きていなかったんだと気がついた。まず自分の寂しさに気が付き、ブレスで泣いたり母に怒りを出し始めた頃から、段々と理解出来てきた。ブレスで寂しいって泣いたり甘えたかったとか嫌だったとか駄々っ子とか怒りとか、とにかく湧いて出た色々な感情を出す事、表現する事の気持ちよさを知ったから。
ちょうど次女が駄々っ子していた時期に私もブレスで(同じように)経験して「あ〜駄々っ子ってこんなに気持ち良いんだぁ。足をバタバタさせ最後は全身で汗流しながらバタバタって気力も体力もいって全力でやるって凄いなぁ」って、自分が経験してから今度は次女に感心するまでになった。
感情を出せない事がどんなに切なく辛く苦しいのか。また母に気持ちを理解してもらえない、繋(つな)がれない事がどれだけ絶望的か、、。ブレスが進むにつれて理解が深まっていって、気がつけば、日々のイライラが少なく八つ当たりも無くなっていった。
以前は、例えば「片付けしなさい」って言ってもすぐに言う事を聞かない子どもにイライラしていたし、「あれは嫌だこれは嫌だ」と言う子どもが理解出来ず「わがままばかりいいやがって」と腹が立ち理由も聞かず怒り飛ばしていたし、私はあれもこれもとやる事いっぱいで大変なのにと子どもにイライラをぶつけていた。
<H>
職場や家庭での彼女の変化について、語ってもらいました。再び、死のエネルギーと生のエネルギーを扱い始めた頃に戻ってもらいます。
<S>
「「生と死」」
この頃には随分どっしりとして安定感が出てきた、落ち着いている。地に足がついていて、自分を生きている実感もある。

「「その後のブレス」」
産まれたくない、自然の力重力に負けて産まれ落ちたけど、私は産まれたくなかった。戻りたい。ここ(子宮)が良いここから出たくない。私はここに居る、母と一体になって繋がっている。

ここから絶対に出ない。死に向かう、私の思いを貫く。これは究極の思い通りだ!母と一体のまま死ぬ。
<W>
死のエネルギーが深まります。しかも「一体」なんですね。
<H>
彼女の怒りは生。ここは死。死といっても、この死は、母と自分の一体の死です。母は自分を産んで生かした生の源であり、母がもっていたであろう殺意から彼女の死の源でもあります。そこに注目すると、生と死の統合という要素をもはらんでいると思います。
<S>

安心し満足、大満足、たまらなく幸せ。
<W>
すごいね。
<H>
すごい。
<S>

そして、皆んなに見守られる中、土葬されている様な死。
<H>
彼女がブレス場で言っていました。「楽しんでブレスしていた。あー楽しい。」本当にそんな感じでした。
<S>
大地と一体になる死の体験。じわじわと溶け込み大自然の一部になった。そこから今度は芽吹き、成長して木になり、枝葉が広がりぐんぐん伸びて大木になった。
<W>
怒りというのは、生エネルギーのうち陰のエネルギーとでも言うべきもの。この場面は、生エネルギーのうち陽のエネルギーですね。気持ちいいですね。生エネルギーが陰陽で全うされた感じです。死を通って全(まった)き生へ、です。生と死の統合です。
<H>
統合ですね。
<S>
死のエネルギーも生のエネルギーも壮大で同じエネルギーを感じた。感動で涙が出る。
<H>
「同じ」であることを感じ取った。
<W>
ほんとに「涙が出」ますね。

********おわり***********

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抱っこして、一緒にいて、逃げないで2/3|アコールセラピーの現場から(721)

(つづき)

「「怒り」」
(母に求めても、母には届かない、応えてなんかくれないこと)そのことへ、とにかく怒った。求める度に気がつかない、わかろうとしない母へ怒った。
<H>
「気がつかない、わかろうとしない」というのは、無意識的な無視で、母に内在する消極的な殺意でしょう。
<W>
でしょうね。「いらない子」と「気がつかない、わかろうとしない」というのが起こりえるのは、背後に無意識の殺意があるから、と考えられます。
<S>
時に唸り、吠えたり雄叫びをあげて段ボール(母の身代わり)を殴り蹴飛ばし馬乗りになったり踏みつけちぎって捻って潰した。あっさり潰れることにより怒りが増す。怒りは出せるだけ目一杯出した、爆発していた。出せることがとにかく気持ち良かった。
求めても求めても母の反応は無い。母が遠い。私への意識が無い。出しまくったら、なーーんにも無い事が良くわかった。
<H>
「なーーんにも無い」というのは自分(彼女)への敵意さえない。敵意でも虐待でもあった方がまだまし。
<S>
孤独、ひとりぼっちの恐怖。気狂いになると思った。気が狂う、こんか恐怖には耐えられるはずが無い。閉じるしかなかった事に納得もした。
<W>
この恐怖、はじめの方で語られた「のっぺらぼう」とつながりますね。
<S>

私は母に安心して100%の依存したかった。でもそんな事は叶わない。だんだん怖くなって、「助けて欲しい」って誰に向かうでもなく、ただずっと「助けて助けて」って叫んでいた。
「「大きな衝撃:あんたが気がついてあげないと」」

その時ふっと自分に対して「あんたが気がついてあげないと」って思った。えっ!私!!
ハッとした。すっごい衝撃だった。
<H>
大きな気づきですね。なかなかないです。
<W>
永遠に「助けて助けて」を繰り返していっても不思議ではありません。この復元力というか健康さに目を見張りますね。いわゆる治療的自己ですね。
<H>
彼女の強さですね。
<S>
目が開いた、目が醒めた。誰でもなかった、私だった。今まで気がつかなかった自分に怒りが湧いた殺意で自分に向った、本来の私を生かしたい生きる為に(自分を)殺した。
<H>
自分殺し。愚かな自分を殺した。同時に死の受け入れを感じます。
<S>
深く深く泣いた。「私」に謝ったただただごめんなさい、私が「私」を大切にしていなかった本当にごめんなさい。本当の私の存在に気がついた。心強い存在。
<W>
死を受け入れた、その瞬間に、本当の自分を手に入れた。
<S>
そこから日常生活もすごく楽に送っていて気づいたら周りに求めなくなっていた。ひとりぼっちを受け入れていてひとりで大丈夫になった。
<W>
この「ひとりぼっち」、いいですね。人依存とは正反対です。
<H>
この頃から、彼女は、どんどんどんどん安定していきました。
<S>
「「エネルギーは永遠に枯れない/諦め無くて良い/自由だっー」」
その後のブレスでも母を求める。
私を受け入れ理解出来るのは私しかいない。でも私はただただ母を求めて叫んだ。母を呼んだ。どんどん出てくる湧いて溢れて出てくる母を求めるエネルギー。この求めるエネルギーは止まらないし永遠に枯れないって思った。もう諦め無くて良いし諦められるものでは無いと思ったそれ程までにすごいエネルギー。そう思ったらなんか自由だっーって感じた。
<H>
ダメな「母を求める」のではなく、自分の生きるエネルギーに気がついた。同じようにブレスしても難渋する人は、このレベルの手前でとどまってしまう。手前でとどまって、深くまでいかない。浅いところでパニックになって盲目になってしまう。
<W>
鍵になるところですね。百万回でも読んで欲しい、話して欲しい。
<S>
こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか?こんなにあるのに無い事にしていたなんて、そう思うと泣けて泣けて胸が締めつけられ痛くて苦しかった。そして子ども達の顔が浮かんだ。皆んな持ってるんだね、求めているんだね、求めてくれることがありがたいし「こんなお母さんだけど決して諦めないでね」って思った。
<H>
いいお母さんになったね。
<W>
「こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか・・泣けて泣けて胸が痛い」、いいですねえ~。
<S>

「「殺意」」
怒りでどんどん自分の中心子宮がムズムズするどんどん熱くなる。「いらないなら産むな、産みっぱなしにするな。」「わかった振りをするな、被害者面するな許さん許さん!」怒りに震えてとどめを刺す。殺意は父や夫子ども達、祖母祖父にも向いた。そして自分にも。子どもを利用した私、子どもに意識が無かった私。被害者面する母と私は一緒だ。私も加害者だ。最大の怒りに震えた。
<H>
この怒りのエネルギーは、統合されるべき生のエネルギー。本当の自分のエネルギー。純粋の怒りのエネルギー。何が「のっぺらぼう」だよ。
<W>
はい。「のっぺらぼう」とは正反対の人になりました。
<S>
寂しさや怒りを出しまくっていた時期は、日常生活でも抑えきれず、(怒りを)周りに出しまくっていた。思い通りにならないと怒り、寂しくて泣いたり嫉妬も酷かった。とにかく周りの人に私を1番大事に私を大切に思って扱って欲しかった。H先生からは「家族にちゃんと説明するように」って言われていたので、話をして(寂しさや怒りを)「出させて下さい」ってお願いはしていたけど、(人生で)今まで出せなかった分かなり凄かったと思うし(周りは)大変だったと思う。
<H>
家族など周りは大変だった、迷惑したと、まずい話ですね。実はいい話もいっぱいあるのです。いい話もしてもらいましょう。彼女の話だと、職場で信頼されるようになった、パートなんだけれど社員よりも頼られるようになった。上司への不満をちゃんと言えるようになった。など、次のように言ってました。

(つづく)

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知る人ぞ知る秘密のバラ園(山中湖)|アコールセラピーの休憩時間(720)

 

今年もまた、散歩のついでに、あのバラ園へ行ってきました。知る人ぞ知るあのバラ園へ。アコール研修施設から少し歩きます。独特の雰囲気、至宝の香り、・・・何とも言えません。

バラが好きで、ほかのバラ園にもよく行きます。府中の深大寺植物園の広大なバラ園、横浜港の見える丘の環境抜群のバラ園、・・・、でもここは特別です。

個人のバラ好きのご夫婦(特に奥様)が、個人的な思いを山のように込め、費用度外視で、バラの天国を作り上げています。足の踏み場もないほどに、バラが密生しています。また、バラの香りがとても強い。山中湖の厳しい冬を毎年生き延びるので、野生の生きるエネルギーを目覚めさせ、バラの体臭を振り撒いているのかもしれません。素晴らしい限りです。特にブレスワークの後では、五感が、バラに圧倒されます。

素晴らしさの割には、知られていません。山中湖の住民でも知らない人もいます。ポスターなども見かけません。ことさら秘密にしているわけではないのでしょうが、あまり多くの人に来てもらっても、ご夫婦だけでは対処にしようがないのか、宣伝する気は感じられません。バラの数が膨大で世話が大変なようで、奥様は「今年でやめる」と毎年言っています。でも、うわさを聞きつけてか、観光バスもたまに来るようです。今年はコロナで来ませんが・・・。

「オープンガーデン」「塚原ガーデン」「MF(何の略か不明)ガーデン」などと呼ばれています。他の人のブログで地図などの載った詳しいものもありますので、必要な人は検索してください。入園料ひとり500円。開園期間がとても短い。6月後半から7月頭まで。

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抱っこして、一緒にいて、逃げないで1/3|アコールセラピーの現場から(719)

<W>
今日はSさんの話ですね。
<H>
彼女は、ご自分で、絵と原稿をまとめてくれました。ありがとうございます。以下<S>の部分はSさんの原稿の部分です。
<S>
アコールのベビーブレスの事は兄と義姉を通して知っていた。
「「ブレス以前」」
今思うと、ブレス以前の私は、のっぺらぼうの顔なしのようだった。自分がなかった。自分の意思がなかった。母親のいいなりだったが、それで良かった。

私は生きにくさも感じていなかったし、なにより母との関係に何も問題が無いと思っていたので(ブレスなど)必要では無かった。
「「ブレスを受けるきっかけ」」
ブレスを受けるきっかけは夫のパチンコによる借金の発覚。私の父親もパチンコによる借金で夫婦喧嘩が絶えない家で育った私は、結婚前に常々、夫にそれが嫌だったと話をしていた。(夫は私の気持ちを)わかってくれていると思っていた。(しかしそうではなかった)家事や育児に協力をしないTVやゲームばかりの夫へ不満、不信感も募っていった。イライラを子どもにもぶつけたり、思い通りにならない事に怒りが止まらない。精神状態が悪く、やっと私にも何か問題があるのではないかと思い始めた。
<H>
似た人を選んだんですね。
<W>
自分のことが分かる前は、そんなもんですね。
<H>
それで増幅して、追い詰められるのかもしれません。
<S>
「「はじめのころのブレス」」
夫、私、長男、長女4人で東京へ夫と私が個人セッションを受けた。
夫、父への怒りを出す。嫌だと知っているのに(パチンコなど)何故するのか。わかってもらえない怒り、寂しい。
(そのブレスの中で)母からの殺意に気づいた。恐怖。いらないと思われている。いらない子だった。母に向かい「殺さないで欲しい、助けて」とすがる。母が堕胎をしていた事実を、ブレスを受ける前に知った。それまで両親は隠していた。「いらない子」はショックだった。でも何か問題があるのかもしれないと思い始めていたので、その何かがこれだったのかとスッキリした。そして今まで何も問題は無いと頑なに思っていたのか納得がいった。
<W>
「頑な」になる必要があった、隠す必要があった、ということですね。
<H>
本当は知っていた。知らないふりをする必要があった。
<W>
Sさんが言いたいのは、堕胎という生命軽視の環境があって、その環境の中で自分への扱いが「いらない子」であった、ということですね。
<H>
はい。子供の命が大事にされない状況です。
<S>
月に一度の勉強会や3〜4ヶ月に一度のグループカウンセリング&ブレスを始めてから、自分の想いや感情に意識を向けるようになってきた。本当の気持ちはこうだったとか幼い頃の記憶を思い出せたりもした。
「「思い出した記憶の例1、スーパーの商品を食べた」」
4歳頃母と2人で近所のスーパーへ買い物へ。ガムが欲しかったけど母に欲しいとは言えなかった。でもどうしても欲しくてひとりでお菓子売り場に行った。縦にぶら下げて陳列している袋入りガムの一番下を一つちぎってその場で食べた。甘くておいしいって思った。でもすぐに怖くなった。心臓がバクバクした。悪い事をしてしまった、、。ばれたらお母さんを困らせてしまう、、。「絶対にバレませんように」って思った。
<H>
「欲しい」ということを言える状況ではない。心の中はそうなのですね。
<S>
「思い出した記憶の例2、寂しくて寂しくて嫌だった」
小学校低学年の夏休みの朝、仕事に行く母を見送る為、バス乗り場まで一緒に行っていた時の事。バスに乗り込む母に笑顔で「行ってらっしゃい」って手を振っているんだけど本当は泣きそうなのを我慢していた。バスを見送った後も近所の人に見られたくなくて泣くのを我慢して帰った。ひとりで家に戻るのも寂しくて寂しくて嫌だった本当は一緒に家に居て欲しかった。
<W>
「寂しくて寂しくて」などの本当の深い気持ちは「我慢」しなければならなかった。「近所の人」だけではなく当の「母」に対しても。
<S>
「「ブレスで溢れ出た寂しさ」」

ブレスでは寂しさが溢れ出て家族や周りの人達皆んなにわかって欲しかった。本命の母へは○○して欲しいという思いがたっくさん出てきた。「抱っこして、一緒にいて、遊んで、こっちにきて、そばにいて、ギュっとして、私だけ見て、逃げないで、気付いて、、」とにかく母に求めた。でも母には届かない、応えてなんかくれない。

(つづく)

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ブログ(715)への感想|2〜3歳の頃から理由がわからない不安|アコールセラピーの休憩時間(718)

<W>
ブログに対して寄せていただいた感想をご紹介したいと思います。
<H>
ブログ(715)「命もっていかれるような不安1/3記憶がはっきりしない」を読んだEさんの感想です。
<Eさん>
ブログを読んでいる時は内容に引き込まれる感覚で、自分に重ねる感じは無かったのですが、その後の瞑想で、幼い頃のいくつかの場面を思い出しました。
記憶にあるのは、2〜3歳の頃から理由がわからない不安が常にあった事(今は母親に拒絶される不安だったと思う)。思い出す場面で、その時の会話や様子から、母親の気持ちを感じ取っているが、自分自身の気持ちがわからない。
母親の感情が全てという感じだった事を思い出しました。どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じがすごく悲しかったです。
<W>
ブログが刺激になっていて、その時には思い出すことはなかったのが、瞑想で深く自分の中に入ったときに、思い出したんですね。
<H>
ブログでも「記憶がはっきりしない」とあり、簡単には思い出せなかったことが前提ですね。深いところに深いところが響いた。そういうことですね。
<W>
響いた先が「理由がわからない不安」で、わかってみると「母親に拒絶される不安」でした。ブログ(715)~(717)でも、「命もっていかれるような不安」があって、その不安は、はじめは理由がわからなかったのですが、やがて母親からの不安ということが判明します。
<H>
そのあたりは共通しますね。根源的な不安はやっぱりそこになりますね。そういう厳しい不安に小さなころからさらされることで、「自分自身の気持ちがわからない」状況になり「母親の感情が全て」となってしまうことも、よくあることです。
<W>
「どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じ」とありますが、その中の「意識が全くない」というのは、どちらの意味なんでしょう。母親の意識が自分(Eさん)にない、という意味か、あるいは、自分自身(Eさん)が「自分(Eさん)の気持ちに意識が全くない」という意味なのでしょうか。
<H>
そうか。私は当然、前者の意味と思っていましたが、後者の意味の可能性もありそうですね。
<W>
ブログ(715)~(717)の内容を前提にEさんの感想を聞くと、私は、後者の意味にとれていました。子供のころからきつい不安に触れ続けると、自我の発達が弱くなり、そのため自分と母親の境界がはっきりしなくなり、母親だけではなく、同じように自分自身も、
同じ感じになってしまう。どちらも悲しいけれど、後者のほうがさらに悲しいですね。
<H>
Eさん、感想をありがとうございました。ブログを読んで感じるところがあっても、なかなか文字(言葉)にするのは容易ではないですね。しかし言葉にしようとすることで、自分の中の大切な部分を何度も見つめることになり、有意義なセッションになることと思います。Eさんから次のようなメールをもらいました。
<Eさん>
思った事をそのまま言葉にする事は難しいです。隠したり、ずらしたり悪い癖が出そうで慎重になります。自然でいたいです。

<H>

追伸:Eさんから、意識がなかったのは自分自身(後者)だそうです。回答ありがとうございます。

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命もって行かれるような不安3/3|謎の罪悪感から生と死の受け入れ|アコールセラピーの現場から(717)

(つづき)

<謎の罪悪感>
<H>
この頃の彼は、罪悪感という言葉を盛んに口にします。この執拗な罪悪感はどういうことなのでしょうか。彼の言葉だけでは謎です。本当は、母を護もりきれずに死なせてしまったために罪悪感があるのではなく、実は心の奥では、狂気の母を攻撃していたのではないか?
<W>
はい。
<H>
意識に上らないように抑え込んではいたものの、自分に十分な愛情を注ぐこともなく病気に逃げた母を、攻撃し、自分を孤独にし寂しさの暗闇に追い込み心に大きな消えない傷を残した母を、攻撃し、その攻撃する気持ちに対して、罪悪感があり、その罪悪感だけが、最近になって意識されるようになった。
<W>
はい、はい。
<H>
そういえば、昔、狂気の母に対して、「関わらない、見て見ぬ振りなどした」ことがありました。
セラピーを通して自分の中には癒されない「大きな怒り(殺意)」があることが分かっています。何への怒り(殺意)なのかははっきりしません。その自分の中にある怒り(殺意)を、本命の母に向けることが一番の恐怖です。
<W>
はい、はい、はい。
<H>
怒り(殺意)を母に向けると、病気がちでいつも弱い存在であった母はその殺意に耐えられず、母を失うことになります。優しく愛情いっぱい(彼にとっては)の母を失うことになるのです。命の基盤であった大切な母を失うことになるのです。それには私が耐えられません。それが一番の恐怖です。
<W>
はーい。
<H>
それでも殺意は依然としてあるのを知っているから、母に何かある度に、自分に責任があるのではないか、隠れている殺意のせいではないかという罪悪感が襲ってきます。
<W>
追加として、彼自身も彼の中に母と同じ狂気を感じる部分があると思われますが、その狂気の正体も、物凄く強い殺意(怒り)のエネルギーなのではないでしょうか。これは、彼の口から語られることはなく、未だはっきりはしません。

<母親殺し>

絵6
<W>
いよいよ彼は自分の殺意を正面から扱えるようになります。絵6には3つの絵が描かれます。
左側の絵の中央に描かれる灰色のシャツは彼です。ピンクの服はお母ちゃんです。
上側の絵のピンクの服もお母ちゃんです。黄色の服はお祖母ちゃんです。
右側の絵のピンクのスリッパは、ピンクの服を着たお母ちゃんが履いていることが、先の絵4で描かれています。殺意を表す鬼のような顔は、本人とお母ちゃんで、同じ顔が描かれています。世代間伝達です。
<H>
本人からの絵の説明です。
「(ベビーブレスで)、殺意(をやっていて)、お母ちゃんをぶっ殺していたら、お母ちゃんがお祖母ちゃんをぶっ殺すイメージが同時に…(出てきた。)左上は、(症状が重くなったお母ちゃんが)新聞紙で塞いだ窓。左下は、「死にたい、死にたい、死にたい」と書かれた(お母ちゃんの)ノート。右下は、(絵4でも描いた)鉄格子越しのピンクのスリッパ。怖い象徴。」
「母親になって気狂いをやろうとしたがなかなか上手くいかない。・・・(母親からの)「死にたい」というのが来て、死ねばいいじゃないか、だったら殺してやろうかとグワッときた。馬乗りになって首を締めた。意外と早く死んだ、ぐにゃぐにゃになった。気に入らなくて捻ってグニャグニャにして、抱えこんで首も折って。死んでいるのに。手が食い込んで一体になった。やっている間に、だんだん寂しい塊になって来た。だけどギューっとやっている。死体でなくなって来て、寂しいの塊になっていた。大切に思えて離せなくなった。後でやっちゃったと言うのが来た。また泣けた。あったかい涙。終わってから罪悪感が来るのかなと様子を見ていた。来ない。」
<W>
母親への憎悪(殺意)と愛情が一体になっています。愛憎の統合です。罪悪感は来なかったんですね。
<H>
その事実が一番ですね。
<母親への殺意を出してみて:消えた罪悪感>
<H>
彼は言います。「自分の中にある殺意は母に向けてのもの(である)と、ここ最近では確信していた。しかし母は何としても(自分が)護る存在。聖域。もし母にそれを向ければ母は死に、自分も死ぬ。その恐怖で抑え込んできた。それが一番怖かった。しかし出してみて・・・。(謎だった殺意は)自分が母に向けて(のも)であるように、殺意は(ある)対象に向けてのものであるが、そうでは無い(対象はない)とも感じられる。それぞれ(自分、お母ちゃん、お祖母ちゃん)の中にあるもので、抑圧した寂しいかたまり。
・・・うまく繋げられない(説明できない)けど、重い蓋を少し開けられたことで、安心して怒りのエネルギーを出せる気が今はしています。罪悪感に脅える感覚も、嘘のように消え去っています。」
<W>
世代間伝達で代々溜まっていて彼が受け取っていた殺意を、ようやく出した、ということと説明されています。殺意は単に母親へだけのものではないと。

<阿闍世コンプレックス>
<W>
この殺意と罪悪感は、阿闍世コンプレックスを暗示します。そう考えると、彼の、命もって行かれるような不安というのも、理解できます。
<H>
阿闍世コンプレックスは、胎児期に母親から殺されそうになったことへの恨み、というようなことですが、
彼自身が次のように言っています。
セッションが進んで自分の出自に興味が出て「「どこで生まれたか」と聞いた時の父親の反応。堕すという話があったよう。親父が言っていた。「子はかすがいだ」と言っていたので、そうだ。」
<W>
本当は堕されるところだったが、「かすがい」として利用するために産んだ・・ということでしょうか。この阿闍世コンプレックスについては、いつか、もっと詳しく彼に話して欲しいです。

<愛憎の統合から生死の統合へ>
<H>
彼は、「俺は生とか死の話とは無縁」で、よくわからないと言っていました。しかし、母親への殺意(憎悪)は明確になりました。
<W>
なりましたね。
<H>
はじめのころ彼は、母親から愛された誇らしいような感覚を持っていました。少なくとも母親への愛情は感じていました。そして今回、母親への殺意(憎悪)が明確になりました。そのため、愛憎の統合が着手されました。
同時に、母親のもとで幸せに生きたいと思う生と、「命もって行かれる」という死との統合も着手されたとしてよいと思います。生と死の統合のど真ん中を進んでいると言えると思われます。
<W>
そのようにして愛憎の統合や生死の統合が起きてくれば、母親へのこだわりは減って自立が始まります。
<母親離れ>
彼は言います。「よく泣いた。呼吸していて、エネルギーがワーッときていて、言いたくてしょうないみたいな。何か言いたくてしょうがないというのがワーッと来て。マットレス(母親代わり)が良かった。お母ちゃんだから丸めて文句言っている。時より怒りが来て首しめたり愛おしくなったり、文句言って、雑に扱うんじゃねえ。無視するんじゃないと言っていた。怖くて寂しくて向いて欲しいと思っている。・・・お母ちゃんに「寂しいって言え、不安だと言え」と言っていた。そう言っていて愛おしくなった。・・・怒るほど優しくなる。不満だったりストレスだったり抑えていたのが残念だったりする。お母ちゃんをずっと抱いていて離さない。ぶっ殺しているが愛おしい。文句言えた。「泣いてみろ」と言った。(母親が今も)生きていたら・・・(このセッションを受けさせに)連れて行きたい。」
<W>
母親に支配されていたのが、愛憎の統合が進み、母親から離れ、母親を癒そうとしています。
<H>
ほんとうに。
彼は言います。「・・・不満が出て来て、寂しい求める感じが出て来て、お母ちゃんを抱きしめる。どんどん(感情が)上がってくるとぶっ殺す。やればやるほど濃厚になる。どんどん(昔に)戻って、どんだけ(愛情が)なかったんだよ、なかったことにして来たんだよというのが凄く出て来た。ブレスが(時間がたつのが)早くて勿体ない。・・・もう終わっちゃうのかと。体を動かしていたらお母ちゃんをおいて一人で踊っていたら、・・・体が軽くなって、風のようにフワフワと舞っていた。・・・よりパワーアップして自由に踊って気持ち良かったです。・・・しばらくしたら暖かいものが来て、布団を抱きしめてお母ちゃんと一体感。気持ちいい。瞑想は無になれて気持ち良かった。・・・みんなの話でも寂しさが伝わって響く、どんだけ寂しいんだろうと増して来た。分かっていた自分もいたが、全然分かっていない、足りていない、小さな坊主が叫んでいる。凄く納得する。」
<W>
愛憎の統合が進み、自分の人生を「納得する」ということでしょう。
<母親との別れ:バイバイ>
<H>
彼は続けます。
「・・・母を抱いた。・・・力いっぱい抱きしめた。大好きと抱きしめた。力一杯大好きとやっていたら、殺意が出て来たのでブッ殺していたらまた大好きとでた。・・・吠えていた。ダンスだから動いていた。一人になろうと思い布団をおいて動いていたら気持ち良くなって来た。上に向かってバイバイと自然と出た。その涙はしめっぽい涙ではなかった。・・・自分が風になった。風になって吹きまくっていた。涙も止まってただ単に呼吸も静かにユラユラ揺れていた。・・・静かで寝ているように静かに無で瞑想できた。凄く心地良かった。」
<W>
母親との心地よい別れですね。

<心からの求め:完成>
<H>
ブレスの中で勇気を出して「お母ちゃん」と叫んでみますが返事はありません。
「・・・今まで大きい声で「お母ちゃん」と叫んでみたい願望はあった。それをやってみた。やりたいと思える事ができるようになった。勇気が言った。腹から「お母ちゃん」と叫んでも何もなかった。期待していた・・・甘い世界があると思った。愛おしくなることもなく、止まってしまった。そんな訳ないと叫んでみたら、何もない事が自覚した。何もないのは母の意識がなかったと思った。ない事が自覚して来たら一人と言う自覚が出て来た。寂しかった。イメージとは違っていたが、知っていた感じもあった。ビックリというよりもそうだよな・・・という感じだった。何度も何度も「お母ちゃん」と叫んでいる自分が母を求めているものがとめどもない感じがあった。ずっと言いたかった事で叫んでいると自分が愛おしくなった。もっと一緒にいたかった。自分の中にあるものを出している実感があった。・・・腹のそこから叫んで本当に心から求めた。
・・・寂しさ、一人だった。甘いのがないのを経験したから苦痛だが、「お母ちゃん、お母ちゃん」と求めていた。だけどいなかった。・・・一人でずっとこれまでそうなんだと、どこかで知ってたが実感がなかった。本当に一人だった。常に一人なんだけど、一人だからお母ちゃんを感じていた。・・・マットレスを抱っこしていたら時より怒りがきた。寂しくて、ぶっ殺すよりも思い切り力を入れて体を密着させてお母ちゃんをピッタリした。こねくり回して密着させた。それでも一人だった。本当に愛おしいし、本当に大好きなんだと実感した。それで良いと思った。それを誤魔化してきたから、(今回誤魔化さずに)良かった。寂しいのは甘い世界だった。・・・寂しいから癒着してラブラブだと思ったが、向こうは全く(愛情は)なかった。・・・」
<W>
母親に愛情はなかったが、自分は心から求めることができた・・・。
<H>
心から求めることができて、「一人」の意味が違ってきます。
「(ベビーブレスで)・・・一人になって落ち着いた。凄く安心の場所。・・・それが自分。泣けてきた。お母ちゃんに甘えたくなって、「ずっと見て、ずっといて」と声に出して叫んで泣いた。落ち着いてきた。きちがいが怖くて、嫌だったのに、凄く良い気持ちになって、そこがお母ちゃんで甘えることもできて、安心感が出てそこにいたかった。・・・遊んでいる感じ。一人で遊んでいる。テーマは一人だった。実際遊んでいた。楽しかったんだと。取り巻く環境は怖かったが遊んでいたのは楽しかった。・・・意味分からないが勝ち誇ったよう。「勝ったぞー」と。凄く気持ちよかった。」
<W>
・・・自立が完成しました。人生の困難に勝ったんですね。

<孫が眩しい>
<H>
実生活でも変化が出てきます。かわいい孫への気持ちが新鮮です。
「涙が止まらなくなる。寂しさも怒りも怖さも冷え切ってカチカチしていたのが、緩んだり溶けたりしている。(そこへ)触れるとダメ。Hちゃん(彼の孫)はもうダメ。光輝いている。眩しくて(自分も輝きたかったという)憧れがあって、これだろうと思う。」
<W>
周り中が眩しくなりますよね。

<本当はこうしたかった>

絵7

絵8
<H>
ここまでくると安心して、本当はこうしたかったという気持ちを表現できます。
絵7、絵8を表現して彼は次のように言います。「一緒にいるときにいなかった感じがあるし、(今も)一緒にいたいんだな。一緒にいたくて離れたくなくて置いていかれたくなくて連れて行って欲しくて、とにかく一緒にいたい。・・・大好きなんだなと思った。やり直しをしたい。甘えたり、抱っこしたり、置いていかれそうになったら駄々こねたり、病院の鉄格子の中にも一緒に行きたい。」

絵9
<H>
絵9について、「あったかい家族全員で過ごしたかった」と言います。

 

絵10
<自分と富士山と星空が一体:贅沢>
<H>
彼はそれまでも、みんなとワイワイするキャンプは好きでしたが、ソロキャンプをも楽しめるようになりました。そこで神秘的といえるような贅沢な体験をします。
「今年初のソロキャンプに・・・行った。・・・怖いのを取っ払ったら、晴天、満天の星。焚き火していると夜でも富士山が見える。夜中ぼーっとしていた。そこで(瞑想の時のように)呼吸を整えたら、星と一体になって富士山(の中)に自分が入った感じになった。点の自分と富士山と星空が一体になった。・・・全部富士山になっている。宇宙と地上の間の富士山と自分がいる。
富士山のシルエットの中に自分が入り込んで、宇宙と繋がっている、大地に根がバーっと張っている。死って宇宙だと分かった。あっちに行って無の世界か。この世にきて辛いことも生きているのかと考えた。
自分のとっての死が原点、贅沢で寝る。・・・満喫した。一人で贅沢味わって満喫する。一人は贅沢。
それでキラキラして起きる。(セッションが進んで)死が怖くなくなった、生きやすいと言っていたが、(さらに進んではじめから)生きていたんだなとなった。愛おしい。」
<W>
死と生がともに受け入れられるものとして語られます。
<H>
バンザーイ。

(終わり)

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命もって行かれるような不安2/3|母親の発作を止め早く終わらせて・・|アコールセラピーの現場から(716)

(つづき)

<イモリ、ハムスター、インコ>
<H>
本人の言に反して母親との関係はあまりよくないので、そのため、友達との関係もうまく作れなくて、彼は小動物のペットを友達にします。ブレスが進んで幼い頃の自分をよく思い出すようになった彼は、そんな幼い自分のことを「チビ」と呼びます。
「怖くて、寂しくているチビ(自分)を周りから見ている感覚になった。そして泣いた。チビの頃、イモリを飼っていた。それをいじっていた。これが寂しい。イモリと遊ぶしかない。唯一の友達だった。暴れているイモリを撫ぜていたら大人しくなって眠った。イモリと通じ合えた。それとなら通じた。縁側でイモリと遊んでいた。たまらない。何でイモリと遊ばないとならないのか。
ハムスターも7回飼った。死んだらまた飼った。小動物と寂しさを分かち合っていた。・・・イモリやハムスター、インコ。頭に乗せたりしていた。(小動物をかわいがるように見えるので学校の)先生に「優しい子だ」と言われるのが嫌だった。優しくもない、寂しいだけ。」
<W>
グループカウンセリングの中で、幼い頃の自分をチビと呼ぶ彼は、自分を治療する治療者のようでした。
<H>
このころ、A兄ちゃんの存在もあって母親は安定し、彼は幸せな時期を過ごします。しかし、A兄ちゃんに全面的に頼るということも不可能でしょう。やがて破局が来ます。そして母親の大きな発作が起きます。
<W>
うーん・・・・・。

<母親の発作を止める:早く終わらせて楽しいことやろう>
<H>
彼は言います。
「母の発作を止めたあの場面(絵には未だ描かれない)は中3の時だ。多分きっかけはA兄ちゃんが音信不通で帰らなくなったことだと思う。この中学3年の時が相当やばかった。どんどん実感がわいてくる。刃物で(自身を)切ろうとしている母を(羽交い絞めにして)止め、それ(その現実)を見ないようにして、「早く終わらせて楽しいことやろう」などと思っている。究極を行っている。力緩めたらイコール死の状況なのにそう思っている。普段ビクビクしているのは当たり前だ。究極そうした。発作の場面はこれまで気違いが怖かった。」
<W>
「早く終わらせて楽しいことやろう」。自分の心の状況を守るものが、それしかないんですね。「気違い」というのは母親の状況であり、自分自身の危うさでしょう。
<H>
彼は続けます。「自分自身の(中学卒業に向かっての)進路の不安と、A兄ちゃんがいなくなることと、それによって母がまた崩れていく恐怖と、全部重なった時期だ。発作は何回もあった。後々発作を起こしても包丁や(鉄道への)飛び込みは止めれば良い。しかし、この中3の怖いのは、比ではないのがあった。」
<W>
「比ではない」というのは自分自身の危機・・・ということです。
<H>
彼自身が狂ってしまうかもしれないという恐怖・・・。その恐怖を今思い起こして消化し、理解が進んでいきます。
彼は言います。「母親は、病気の時は子供(私)どころでないが、一寸良くなれば(私へ)愛情を注いだというのはあるのだろう。閉鎖感があった。母親の発作が起きる瞬間に自分は白ける。「又かよ」と表向きは思っている。(実は)凄い恐怖があるからだと思う。お母ちゃんが健康なら(包丁を持ち出したりしないで)子供を守ろうとすると思う。大好きで「お母ちゃんはいつも優しくて・・」とやっていたのがおかしい。」
<W>
「おかしい」と、自分を振り返り始めます。
<美化する自分への理解>
<H>
彼が二十歳代の時に母親はなくなります。彼は言います。「(母が)余命1年の時に、(母の世話を)自分がやりたくてやったが、やりたくない自分もいた。大好きなお母ちゃんと(自分で)言っているが、(本当なのか)疑ってしまう。客観的に考えたら、何事もなく穏やかに過ごせた時間が少なかった。嫌がっていたり、恨んでいたりしたかもしれない。他人の家の家族の食卓が羨ましがったりしていた。〈悪感情を抑圧し〉押えて蓋して、美化している。それをやらないと、自分が美化した人間でないとまずいとなる。お母ちゃんがダメなら自分もダメになる感覚だから。」
<W>
美化しないと幼い自分が危なかった・・。

<突破口となった怒り>
<H>
少し復習しますが、彼は彼自身の問題点として、自信がなく、不安感情が強く、(物事を)ぼやかしやすく、強い抑圧があり、奥さんへの八つ当たりをしてしまうことなどを、認識できており、さらに、ブレスワークを怖いと思いながらも少しずつ進んできていました。そして、以上のように、自分の成育歴もだんだんはっきりして来て、母親との関係も徐々に明らかになって来ました。また、自分自身も悪感情を押えて蓋し美化しているなどと見抜くようになってきていました。そうして大きな突破口となったのは、怒りでした。
<W>
そうでしたね。

絵5
<W>
この絵5では、自分チャートとして8つの絵が描かれています。セッションを受けて変化していった自分の意識です。意識は左から右へ、上から下へ変化します。以下、説明のために、第一~第八の絵と呼びます。
<第一の絵>
はじめのころ(過去の自分)を示す絵には、中心には怖さ(恐怖:黒色の玉)が描かれ、それを隠すように周囲にはしらけ(薄青色)が描かれます。初めのころのブレスワークを怖いと思う意識です。
<第二の絵>
その後、しらけの中から怒りが現れます(濃い青色)。同時に寂しさも現れます(茶色)。大きな突破口となる怒りが出せました。彼は言います。「(映像は出てこないけども)何故か、怒りが出てきた。怒りを吐き出した。ギャンギャン怒っている。前は分からなかったが意図して怒っている。終わったら寂しくなった。(でも)気持ち良い。」
怒りを出せると恐怖からも逃げないでいられます。
「(怖いところから逃げないでいられた)ずっと怖いところにバックれ(しらけて逃げること)ないでいれている。子供の頃からの、怖いドキドキに近いような匂いがするところにずっといる。・・・・・・・・怖いとこがベタっとあって。すごく泣ける、怒りが、感覚が、出てくる。ベターっと怖い感覚にいる。」
<第三の絵>
そうするうちに、中心には本当の自分としての小さな坊主(赤色:チビ)が認識されます。怒りや恐怖を扱えるようになり、本当の自分に出会えます。
「小さい坊主と出会って、寂しいというのが自分のものにできてきた。何でそうなったのかに行きたくなっている。その坊主が何でそうなったのかと。それを無視して放り出していたのが溶けてきたから、何でそんな可哀想になったのかを知りたいのだろうと思う。拒絶している意識はないが嫌だと思っていた。」
<第四の絵>
怒りや寂しさが、より大きくはっきりします。
本当の自分が何を感じているのかが少しずつ分かるようになります。
「・・・何なんだという怒り、取り巻く怖さは何なんだと。お母ちゃんを求めるが感じられない。泣いた、怒って泣いた。」
彼が坊主と呼ぶ幼い自分自身を、治療者としての彼自身が扱います。しかし怒りの対象は未だに謎です。
「・・・・・怒るかと思ったら泣いちゃった。おーおー泣いちゃって。・・・・・・毛布を抱っこして小さい自分。・・・・マットレスが敵だった。取っ組み合っていた。蹴っ飛ばしたりぶん殴ったり破いたし地面に押し込んだし、良いあんばいだった。・・・・久しぶりに出てきた子供。一人ぽっちで寂しい坊主を感じた。ずっと抱っこして凄く泣けてきた。満足するくらいやれた。マットレスを小さい子も一緒になって叩いていた。一緒になっていた。マットレスはお母ちゃんだというとやれない。・・・泣きながらやっていた。動いていた。毛布を高い高いや飛行機ブンブンをやった。・・・ずっと寂しかった坊主と今の自分が一つになる。・・・毛布を丸めて抱くとたまらなくて愛おしくて泣いていた。やっぱりここかと。前は白けがやってきた時は嫌で怒っていた。白けている坊主をギューっとして、白けは俺じゃないかと。今日はずっと寂しい坊主と一緒にいた。」
<第五の絵>
第四の絵の段階が過ぎて停滞が生じます。停滞の原因が、表現されることを拒否している殺意ではないかと、グループカウンセリングの中で気が付きますが、受け入れきれずに再び、怒りや寂しさが追いやられて消され、しらけが優勢になります。
<第六の絵>
その後に突然、恐怖の中から殺意が爆発します。爆発する殺意は恐怖と同じ黒色で描かれます。殺意自体が寂しさをも伴っています。今までの寂しさの中身がはっきりし、(母親を)求める自分や愛しさ、あったかさを感じるようになります。
「寂しい自分が自分だろうな、「お母ちゃん、お母ちゃん」と求めていた。ずっと泣いていた。恋しくて愛おしくてずっと泣いていた。凄くお母ちゃんを求めて、キチガイじゃないお母ちゃん、兄ちゃんも寂しいし、みんな寂しいしここに来て、求めていても満たされない。でも求めているので満足。」
<第七の絵>
寂しさはさらに大きくなり、もはや恐怖(黒色の玉)は描かれておらず、代わりに爆発する殺意(黒色)と本当の自分(赤色の玉)が描かれます。まるで、本当の自分には殺意があり、それを閉じ込めていたので恐怖が存在した、というふうに取れます。
絵には描かれていませんが、殺意の近くには罪悪感がありました。殺意の対象がわからないのと同じで、罪悪感の正体はわかりません。
「小さい頃からずっとそうだった。・・・最後の最後に出さないように踏ん張っていた自分が出て来て泣けた。逃げているんだと。罪悪感や殺意も感じないようにバックれている。・・・だから凄く疲れる」
わかるのは、ずっと一人だった、ということです。
「やっぱりぶっ飛んでんだなと思えて。再確認できた。ずっと一人だったので、ずっと一人だった。・・・母に意識がなくてずっと一人だった。最後の方のブレスにそこに行けた。背中を丸めてヤモリ、鳥、ハムスターとか何でも飼っていた自分。なんかすっきりした。一人ぽっちだと分かってすっきりした。」
<第八の絵>
最後の絵八では、本当の自分は寂しい自分であると認識でき、その寂しさには底がないと感じます。
このように寂しさを正面から扱えるようになると、正体がはっきりしない殺意や罪悪感に焦点が定まります。そして、殺意や罪悪感の正体を受け入れるようになっていきます。

(つづく)

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命もって行かれるような不安1/3|記憶がはっきりしない|アコールセラピーの現場から(715)

<H>
世間では、新型コロナ災害の第一波を何とかかわし、緊急事態制限が解除されました。
<W>
死と生の統合シリーズの第三弾として、ようやく、新しいブログを出すことができます。心待ちにしていた皆様、お待たせしました。
<命もって行かれるような不安>
<H>
今回のまとめは、小さなお孫さんがいる男性です。
<W>
よくやりました。彼自身も無我夢中の感じで来たと思いますが、よかったです。
<H>
はじめのころ、彼が意識できる彼自身の問題点としては、次のようなものがありました。
○自信がないこと。自分への過少評価を凄くする。
○不安感情が強い。(自分の心の中を)はっきり見たら「命もって行かれるような不安」がある。
○だから(物事を)ぼやかしてきたので、(いつも)霧の中にいるようで怖い感じがする。言い換えると、周囲がはっきり見えていない。(もしも)見えたら怖くないと思う(が見えない)。
〇世間では良い人と言われるが、実は強い抑圧がある。(抑圧のはけ口として)奥さんへの八つ当たりをしてしまう。ストレス溜まると奥さんに甘える(だから八つ当たりができる)。
○(何に対してかわからないが)怒りがある。煮えくり返るものがあると思うが、それは出ないものの、甘えられる奥さんに(ある程度)出てしまう。わざとやっている自覚はない。子供の前でもイライラするとガーって当たってしまう。「お前のせいだ」と押し付けたり、「ごめんね」と謝ったり繰り返す。
<W>
命もって行かれるような不安や、何に対してかわからない怒りがある、というのは大きな手掛かりでしたが、彼自身は、それらの謎解きを積極的に話すという感じは、少なかった印象ですね。
<H>
その代わりセッション(ベビーブレスなど)の中では夢中でやっていた感じです。夢中でやった結果、振り向いたら、いつの間にか謎が解けていた・・という感じでしょう。
<W>
実践派ですね。

<記憶がはっきりしない>
<H>
はじめのころ、問題点の背景になるものとして彼が意識できるものには、次のようなものがありました。
○精神的病になった母に育てられた。
彼は言います。「お袋が勤め先から帰ってくるとき、笑っている顔だと、だんだん近づいてきて表情を見てほっとする。調子悪い顔だとドキドキしていた。顔色を伺っていたんだなと。」
○お袋の病状が悪化して最後に言葉が喋れなくなった場面は恐怖体験だった。(子供心にはっきりわからないまま)何度となく、最終的には病気で「そうなってしまうんじゃないか」と怖くて怖くていたなと。
○その精神的病が(おそらく)原因で両親が離婚したこと。彼は母親に引き取られた。
○離婚などもあり何回か引っ越ししているが住居の記憶がはっきりしない部分がある。
<W>
「笑っている顔だと・・・ほっとする」「そうなって(悪化して)しまうんじゃないかと怖くて怖くて」と母親を失うことの不安を言っています。それが問題点の背景だと・・。ところが、ベビーブレスなどの実践をしていくと、もっと奥の方へ入っていきますね。
<H>
奥へ入っていくのは、もっと、後のことで、はじめのころは消えていた記憶と対峙することで精いっぱいだった、かもしれません。
彼は言います。「ブレスワーク(をすること)を思うと怖い。呼吸することがキチガイになる感覚。自分がキチガイになる感じ。記憶の母か、自分がなると思う恐怖なのか。」
<明るい畳の部屋>

絵1
<H>
辛い記憶がよみがえる前は、彼は、自分が愛されて育ってきたという自負がありました。そのような幸せな記憶も描いています(絵1)。
彼は言います。「自分が赤ちゃんで畳の部屋でバタバタしてる感覚が出てきた。明るくて陽がこうこうとしていて、父ちゃん母ちゃんもいたイメージが出てきた。木漏れ陽があって、自分が守られている。ただ寝ているだけ、それが居心地良い。泣けてくる。凄い、光にも包まれていて、畳の臭い、太陽の臭いがして感覚に残っている。いつもお母ちゃんがいて何ともない安心感。包まれている中にいた。こんな世界があるんだと泣けて、泣けてきた。」
<W>
あったかい絵ですね。もっとも、人は誰もいませんけど・・。
<H>
絵は描かれていませんが、おっぱいと母親の記憶もよみがえっています。
彼は言います。「おっぱいを飲んでいる。足りなくなってくるとお母ちゃんがおっぱいくれて、気持ち悪くなるとお尻を掻いてくれて。下から見上げているお母ちゃん。味とかもフワーとして、温かく満たされてベットに寝かされて。自分だけ安全な所にいる位の感じ。怖くも寂しくもない。居心地良かった。おっぱいを飲んでいて、臭いも感じてきた。望まれていたかどうかは分らないがお母ちゃんは大事にしてくれた。愛情を感じた。」
<W>
「大事にしてくれた」とあったかい記憶ですが、陰はありますね・・。
<H>
「望まれていたかどうかは分らないが・・・」ですね。
<W>
表面は明るい畳の部屋・・、ですが、チラチラと暗い奥が・・。辛すぎるのでしょう。
<H>
そうなんです。
彼は言います。「幼稚園はバスに乗って行っていた。笑っていたお母ちゃんが出てくる。存在として親父もいたよう。卒園した後、離婚した後だと思うが、小学2,3年ごろの記憶を抹消してなくしていた。」
後でわかったことですが、このころ母の具合が悪くなり、入院などの都合で引っ越ししなければなりませんでした。
<W>
離婚、入院、引っ越し・・・辛いことが重なって記憶が消えたんですね。引っ越しで、明るい畳の部屋も実際に失ったことになります。
<H>
いいこともありました。小学高学年の頃には、母親に新しいパートナーができ、離婚の痛手が癒(いや)されます。彼はその人をA兄ちゃんと呼んで、なつきます。彼は言います。「A兄ちゃんが外に連れて行って(キャンプやバーベキュー)くれて楽しかった。」
<W>
パートナーができ母親が安定したことで彼も安定したんですね。

<働く母を見る安心感>

絵2
<H>
そのようにして、彼は、小学高学年から中学にかけては、安定していたんです。幸せな時期ですね。
<W>
そういう時期があってよかったですね。
<H>
もっとも母親が本当に真に健康になったわけではないでしょうから、不安はつきまといます。彼は言います。「中学のころ(母の職場の)映画館に何度も行っている(絵2)。自分も何で行っているのか考えちゃった。そしたら、働いているお母ちゃん、アイスクリームを抱いて働いている、それが(あって自分が)安心している。働いているお母ちゃんが安心でそれを求めている。家にいても笑っているときも穏やかな時もあったろうが、狂ってしまうお母ちゃんがイメージで(在る)。働いているお母ちゃんを見て(それが楽しくて)、映画が楽しいわけでない。」
「(下校後の)バスケを(して)友達と別れて一人で帰る。休みはお母ちゃん追いかけて(遠くの町のその映画館に)行っていた。働くお母ちゃんは目が合うとニコッとする。映画が終ると出てくるお母ちゃん。2,3回(同じ題名の)映画は見た。だから(見たいのは)映画ではない。日常は(母親は)いるのに何でわざわざ(映画館に)会いに行っていたのか。(自分は)満たされないで不安で寂しい子だった。ジワジワ思い出した。溢れるような感情ではないが。」
<W>
絵には他の観客がいません。映画が終わって次の映画が始まる間の様子でしょうか。彼と、働けてニコッとする母親とが、二人きりになれる瞬間だったのでしょうか。家でも手にいらない瞬間だったのでしょうか。

<愛されて育ったと思い込んで来たというが、愛されないとどうなるの>
<H>
彼は言います。「寂しいとか(は心の)表にいて、お母ちゃんが死んでしまう怖さ(もある)。(しかし)内側は見せないように思った。そこには誰も入れないような感じ。内側には(愛された)誇らしいような感覚がある。」
<W>
「誰も入れない」で死守されるべき砦(とりで)なんですね。
<H>
しかし、彼はその後、愛されて育ったと「思い込んで来た」と言うようになります。
<W>
セッションが進んで余裕ができ「誰も入れないで思い込む」必要がなくなってきた・・・。
<H>
彼に聞いたことがあります。「愛されて育ったと思い込んで来た」というが、母親は自分の問題で追い詰められていて十分な愛情をあなたに注げたとは思えない。愛されないとどうなるのか、と。
彼は言いました。「死んじゃうような恐怖感。愛されていなかったら存在意義がないような恐怖感。ピンボケにして、見ないようにして、自分がないようにしてきたが、唯一「愛された」と思ってきたのでそれがなくなったら、ピンボケの自分だけだから、(自分は)いなくなる、消滅感か。怖いから(母親に)しがみ付いて癒着していた。」
<W>
消滅するんですね。
<H>
彼は続けました。「冷めていてピントずらしても母と同じところにいたから怖かったのか。難病で発病した時の恐怖は半端じゃなかった。お母ちゃんが死ぬか自分が死ぬ話か。だから罪意識か〈後年、母親は病気で亡くなるが、一緒に逝かなかった事〉。(自分と母親は)一緒なのに片方だけになった。それだけの癒着があったな。」
<W>
愛されて育ったという思い込みが必要でなくなり、辛い過去の記憶にも向き合うようになります。
<H>
そうです。話が少し戻ります。辛くて記憶を抹消していた、卒園した後から小学2,3年ごろのことです。
<抹消したいお化け屋敷>

絵3
<W>
記憶を抹消した中心の話がこの絵3と次の絵4になります。
<H>
母親の病状が悪化し入院のために家を引っ越しする必要がありました。引っ越し先の家を、彼はお化け屋敷と呼びます。
<W>
よほど嫌だったんですね。怖かったんですね。
<H>
母親の入院の時期に、彼は自分の小学校の入学式を迎えます。
<W>
この絵3は入学式の帰りですね。まるで絶望に向かって帰っていくようです。ピシッとした和服の女性は、お祖母ちゃんですね。
<H>
はい。
彼は言います。「(記憶がよみがえってきて)小学校の入学式の場面が出てきた。入学式の(自分の実際の)写真があるのだが、(それまで抹消していた記憶が)動き始めた。お祖母ちゃんが取ったのだろう。嬉しいのと不安が混合していて、どっちかいうと不安が大きい。入学式は初めてだから不安なのだろうが、(母親が)明らかに病院に入って(いたのに入学式のために)出てきたので、ビックリしたのといなくなる恐怖があった。嬉しさもあった。(式の時に母がいる)後ろをずっと見ていたときの感覚が出てきた。
怖くて、「またいなくなんだろう」と、最初からいなければいいが、いるのは嬉しいが又いなくなる。いなくなったのは病院に(帰って)行ったということ。(式にいたはずの)友達も出てこない。記憶喪失のようになっている。」
<W>
式の記憶が記憶喪失のようなんですね。
<H>
彼は続けます。「(入学式の帰りには)お母ちゃんがいなかった。お祖母ちゃんが怖かった(絵3)。お母ちゃんは(精神科の)病院に入院していたのだろう。牢屋(病院の中の鉄格子で区切られた空間)に入っているのは怖い。入学式の後にお化け屋敷(病院時代の自宅)に帰ったに違いないのに、お祖母ちゃんの背中を見て帰ったところは(記憶では)、(それ以前の彼が幼い時代を過ごした)両親がいたところの家だった。(実際は違った。お化け屋敷に帰った。)創作していた。無意識でそうした。(母が)入学式に来てくれたのは嬉しくなかった。「まだいる」「まだいる」「やっぱりいなくなった」と。泣きもしない。お祖母ちゃんが慰める訳でもない。抹消したい家(お化け屋敷)に帰った。」
<W>
記憶を抹消するだけでなく、別の家へ帰ったと、ゆがめて創作していたんですね。
<H>
さらに続けます。「帰り道は途中まで思い出したが、お化け屋敷は思い出せなかった。(夜寝たのは)どんな布団なのか、お祖母ちゃんと二人で寝たのか出てこない。出てきたのは、ごま塩のような石(花崗岩?)の台所に立っているお祖母ちゃん。お祖母ちゃんが洗物をしている背中が出てきた。中華料理なのかそこで卵焼きを作ってくれた。醤油付けにしたような卵焼き。お母さんの方は甘い卵焼きだった。毒々しい醤油味の卵焼きを思い出した。それを食べていたんだよな。どんなちゃぶ台だったのか覚えていない。」
<W>
家(お化け屋敷)も思い出せないし、「毒々しい醤油味」・・・嫌だったんですね。
<H>
「卵焼き」だけでなく「トウモロコシ」は今も苦手です。
「昼間なのに薄暗い部屋の風景が見えて。トウモロコシが出てきた。兄貴もいた。おばあちゃんが茹でたトウモロコシをオチャラケてグワーッと食べた。息が詰まって苦しかった。おばあちゃんも兄貴も助けてくれない。お母ちゃん助けてとやったが誰も助けてくれない。お母ちゃんがいなくなって後の事。寂しさの穴埋めで食べたと言うのが落ちた。ふざけてやってしまう事。何も考えずオチャラケて食べた。それで吐いた。死の体験のよう。怖い。誰も助けてくれない。お母ちゃんがいないと感じた瞬間が怖い。」
<W>
怖さを埋めるために「オチャラケて食べ・・吐いた」・・。
<H>
お祖母ちゃんは、卵焼きやトウモロコシをつくってくれたのに、彼は嫌いだったんですね。
<W>
それでもその人に命をつないでもらう(食べ物)しかない。
<H>
お祖母ちゃんの夫(祖父)は日本海軍の連合艦隊のお偉いさんだったらしい。そのせいなのか、お祖母ちゃんは厳しかったのかもしれません。
彼は言います。「離婚にもお祖母ちゃんは絡んでいる。凛として存在が強かった。尋常でない状況でも凄かった。普通でない状況でも動じないようにしている。祖母は、子供を一人養女に出し、母と、母の姉は精神的病を得ている。祖母は戦時中の時代の人で、連合艦隊の白服の夫を持ち、お国のためとやっていた代々の因縁があるのか。」
<W>
戦争のために人間性を自分から犠牲にしていった、そして子供も犠牲にしていった世代というのがあるのかもしれません。
<H>
犠牲にされた子供(母親)は耐えられないということなのでしょう。
彼は続けます。「お母ちゃんは寂しい。父親と別れたり、A兄ちゃんを含め(他の)おじさんも2回去っていく。支えになる人がいないとだめな弱い人が母だった。」
実は、彼の卒園前に、両親が離婚し父だけ家を出て別居しますが、このことが契機になって母親の入院があったと考えられます。別居と入院はほぼ同じ時期です。また、後で話題になりますが、A兄ちゃんが音信不通になって母親の大きな発作が起きます。
<W>
お祖母ちゃんも辛い、子供(母親)も辛い、孫(彼)も辛い・・。連鎖しているよう。
<H>
そう。「お祖母ちゃんと一緒に歩いている時(絵3)、お祖母ちゃんから逃れられない、後ろで黙って歩いていた。」

絵4
<牢屋>
<H>
絵3を描いたかなり後に、ようやくして上の絵4が描かれます。
<W>
なかなか思い出せなかった「ピンクのスリッパ」の上の部分ですね。抹消記憶の中心部分。
<H>
ええ。入院している母親です。彼は病院を牢屋と呼びます。
彼は言います。「お化け屋敷の時代に、怖いのが、母が精神科の病院に連れて行かれたこと。いかにも病院。分厚いガラスと鉄格子。まるで牢屋。面会をしたはずだ。鉄格子の精神病棟の奥にあって、あれが怖かった。中も二重になっていて、そこからお袋の顔が出てきた。鉄格子を開けて出てきて、怖かった。厚いドアの向こう、あんな奥にいるんだという恐怖。思い出そうとしても母親の顔(の詳しい様子)が出ない。顔を見ようとしても見えない。鉄格子だけ見えて、スリッパしか出ない。ピンクのパジャマを着ていた。大好きなお母ちゃんなのに顔を見ないで帰って来た。おかしい。二度と会えないという恐怖、(小学入学の)これからスタートという時に二度と会えない切り裂かれる恐怖。子供ながらに残っている。トラウマ。そこは怖い。」
<W>
顔の詳しい様子は出てきませんが、それでも、それまで出なかった「ピンクのスリッパ」の上の部分がかなり描かれています。彼の状況がよくなった証しですね。
<H>
彼は、自分が母親に愛されて育ったと言いますが、一方で、母親をお化けとも言います。もう一面があると言います。
「恐れているお化けは「愛してくれたお母ちゃん像が崩れる事」だと思う。(母親は私に)愛情一杯と思っているが、本当はどうかと。(母親の)もう一面を見る事になるから。母親が病気で死ぬと俺が死んでいなくなるという感覚はずっとあった。その時のお母ちゃんって嫌いだったと思う。病気が出てきたら「早く前のお母ちゃんに戻って」と思っていたと思う。でもどこかで罪意識があった。」
<W>
お化けに関して、何かの「罪意識があった」ということですね。ここは重要ですが、まだまだ、はっきりはしません。

<鉄格子というフィルターの中>
<H>
彼はよく、フィルターの中にいた、と言います。
「初めてお母ちゃんがキチガイ病院に入っていることを知った時、友達がいたけど、遊んでいたけど、一緒にいるが自分だけが違う所にいる感じで怖くて。何をやっても怖い。何やっても楽しくない。今の子じゃないからゲームもない。怖くて、怖くて。100パーセント影響を受けていた。友達の中にいるとき自分だけフィルターを掛けられているようだった。怖い。鉄格子の中に自分がいるようだったのか。」
<W>
母親と同じように自分自身が鉄格子のなかに・・・。

<H>
母親は2年後に退院して次の家へ引っ越し、やや安定した日が続きます(絵2)が、完全に安心できる状況ではありません。
「母親は2年間入院した。出てきてからは自力でいて病院に通っていて、大量の薬を飲んでいた。」
<W>
薬に頼るしかないのでしょうが、危(あや)ういですね。

(つづく)

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私わかった!3/3|アコールセラピーの現場から(709)

前回の続き<<私わかった!3/3>>

⑨ <死に対抗する狂気、あるいは死そのもの>


<W>
絵の⑦⑧のように無表情になったり分裂したりして、自分を隠しますが、うまくはいきません。隠された自分は必ず復讐します。心の中に温存されます。それがこの顔です。
<H>
よく描いてくれました。
<W>
揺らぎがあるものの、彼女の持つ強烈なエネルギーがレーザー光線のように、ときどき、本質を突きます。
<H>
ズバリと突きますね。
<W>
死に対抗する狂気の顔です。あるいは自分を脅かす死そのものなのかもしれません。狂気か死そのものなのか、この辺は一体混沌でしょう。

⑩ <私の死、死を受け入れた自分を包み込む>

彼女自身からの説明です。
「私の死です。今までの私の死は突然現れては私を追いかけ回してくる暗くて寂しくて恐怖そのものだった。私の死のイメージは母からの死だった。(死から逃げ回ることをやめ向き合って)この“死”という事だけに必死に焦点をあてて、怖くても蹴り飛ばしたくても(そうせずに)純粋に死だけを願っていた時に「私の死は自分で決める!!奪わないで!!」
と私の中から出てきた。その時の死は私を包み込んでとても暖かく物凄く愛情があり私の全てを優しく包み込んでくれた。その死は、母からの死ではなく、私の中にある私だけの死だった。その私の死を絵にしたものです。」
<H>
やりました。ついに。
<W>
そうです。受け入れが起きました。
<H>
私もその現場にいました。
しかし、彼女の激しい気づきにしては、上の絵は、なんだか穏やかすぎますね。
<W>
そうです。
私の感じでは、上の⑨と⑩の間には、死を受け入れる大きな、大きな激しい気づきがあった。
彼女の大きな気づきは、まるで嵐の中の遭遇のようでした。それまでのはっきりしない謎のようなものが消え、「私わかった!」と叫んだ彼女の顔が今でも思い浮かびます。
しかし、絵には描かれていない。その気づきの瞬間はあまりにも痛く、あまりにも強烈で、絵にできないのかもしれない。あるいはいまだに痛すぎて、完全には思い出せないのかもしれない。上の絵⑩は大きな嵐が過ぎた後の絵のようです。結果の絵です。
<H>
ここで「私の死のイメージは母からの死だった」とあります。はじめて認める感じです。
<W>
彼女の心の中には、そのことは既にあったのでしょうが、外に向かって認めるのは、遅れる傾向にあります。あなたの言う「わかりたくない揺らぎ」が遅れをつくるのだと思います。
<H>
絵の話ですが。真ん中の小さな丸い黒っぽい部分が死で、その死をピンク色の小さな自分が抱えています。小さな自分が、それまでの自分でしょう。その死を抱える小さな自分を、死を受け入れた大きな暖かいオレンジ色の自分が、包み込んでいます。死を自分のものにした状況ですね。
<W>
「私だけの死」という気持ちを表した絵ですね。
「私だけの死」というのは、母親から強制されていやいや死んでいく自分というのから縁を切ったともいえます。自分自身で自分の死を引き受けるということだと思います。自分で死を引き受けた時に初めて、自分自身が生きていけるという、そういう風に言えます。
彼女の強い怒り、すなわち生きるエネルギー・・生と、ここで受け入れらえた死が合体して、生と死の統合がなされ得たと言って構わないと思います。

⑪ <母親(の母性)との和睦>

彼女自身からの説明です。
「おっぱいを飲んでいる絵です。私が母に置いて出て行かれた(絵⑤)時、母を探し母が恋しくて、おっぱいが恋しくて、温かい母乳が恋しくて、泣いた。泣いても、泣いても母はいない。母の気持ち、母の意識もない。寂しくて、怖くて1人で死を目の前に突き付けられた感じだったが、それでも私は母を求め、おっぱいを求め、母乳を求めた。私の純粋に母を、そしておっぱいを求める気持ち。そこに母親がいなくても母の意識がなくても私の中にある理想のおっぱい=理想の母親を絵にしたものです。」
<W>
子供(彼女)に愛情を与えられない「現実の母親」を卒業し、「理想の母親」が手に入った。あるいは「母親そのもの」から、「求めるという自分自身」に、重心が移った。自立。言葉にするとそう言えるかもしれません。
<H>
「そこに母親がいなくても母の意識がなくても」かまわないという心境ですね。
<W>
ええ。
そのような心境に意識してなろうとしても無理ですね。自立しようと思っても無理です。それは結果ですね。
<H>
あれですね。
<W>
あれです。
統合です。
それまで自分に死を迫る母親に対して、心の奥では怒りがあったはずです。彼女の激しいエネルギーに支えられ、激しい怒りがあったはずです。わからないまま怒りパニック発作にも一役かっているのでしょうが、怒りはそもそも、生きようとする生のエネルギーです。
ところが反対側には、彼女は長い間嫌い続けましたが、死がありました。自分自身の死の狂気があったはずです(絵⑨)。その死を受け入れた途端に自己の回復が起き(絵⑩)、母性との仲直り(和睦)が行われました(絵⑪)。すなわち生と死の統合です。
<H>
自立したいなら統合せよ。統合を目指すなら死を受け入れよ・・。
<W>
彼女の場合は、怒りという生が強すぎ、死を徹底して嫌っていました。逆の人もいます。その場合には、起きるプロセスは異なります。その場合には、生を受け入れよ・・・が起きます。
<H>
最後のおっぱいの絵は印象的でした。私の場合と似ていました。
<W>
あなたの場合も、口に入りきらないほど大きな乳首のイメージが出てくる、あるいは空いっぱいに広がる乳房のイメージが出てくるということでしたね。
<H>
この記事で彼女のケースを全体として観ることができますね。よかったです。ほかの人の勉強にもなります。
<W>
最後に、この記事の掲載に協力し許可してくれた彼女自身にお礼を言いたいと思います。

<<終>>

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私わかった!2/3|アコールセラピーの現場から(708)

前回の続き<<私わかった!2/3>>

③ <振り向かない母親>

<H>
はじめの頃は、彼女は自分のパニック障害が母親と関係があるなどとはわからなかったと思います。セッションが進むにつれて自分の心の中に引っかかりがあり、それが③の<ふりむかない母親>という形で思い出されました。いくら自分が母親の愛情を求めても、母親は振り向いてもくれないというイメージです。扱いたくない母親との関係を、ようやく扱うようになるきっかけといってもいいと思います。
<W>
これで前進することができるという場面です。

④ <泣き叫ぶ自分>

<H>
泣き叫んでいる自分は、母親との関係で泣き叫んでいます。母親の関係が非常に大きいとわかってくる段階です。
<W>
上の③の絵は、子供が笑っていますが、無理して笑いかけているのでしょうか。無事にしたいのでしょうか。④の絵は、大泣きしています。本音ですね。

⑤ <おいて行かれた恐怖>

<H>
暗闇の中に簡単に小さな自分が描かれています。母親との関係を探っていくうちに、ある時、母親から自分が置いていかれた事件を思い出します。その時の恐怖を描いた絵です。この恐怖が後になってパニック障害につながっていることが徐々にわかってくる糸口のような絵です。
<W>
置いて行かれた事件についての恐怖ですが、さらに探っていって、単にその事件だけにとどまらず、自分を置いて行ってしまえるような母親への恐怖が、背後にあることがわかります。次の絵が、それを暗示します。
<H>
彼女の場合には、長い間、暗示にとどまっていました。

⑥ <襲い来る恐怖=死>

<W>
上の④⑤の恐怖がどれだけ大きなものかという事を示す絵(⑥)です。まるで大きなモンスターに小さな赤ちゃんが追いかけられている感じがよく出ています。赤ちゃんがとらえた恐ろしい死のイメージです。パニック障害のからくりを示すような絵です。
<H>
モンスターにパクっと一口で食べられそうです。

⑦<感情をなくして耐える自分>

⑧ <分裂して耐える自分>


<W>
小さな赤ちゃんにとって、⑤⑥のような恐ろしい恐怖に耐えられるはずもありません。
<H>
まるで荒野に一人ぼっちになって背後に巨大な肉食獣(モンスター)が忍び寄って、今にも食べられそうな恐怖です。
<W>
肉食獣なら、まだ、いい。母親です。耐えられません。
<H>
ほんとに。
<W>
感情をなくして、怖いという自分を味わわないようにして耐えます。⑦はそのころの無表情な自分を描いています。表情がないどころか顔が書かれていません。まるで自閉という状態を暗示するようです。
<H>
自閉して無表情になって耐えようとするんですね。
<W>
しかしそのように感情をなくすだけでは、十分には、本当に恐ろしい恐怖には耐えられません。自分を分裂して(⑧)何とかやりくりして耐えようとします。明るい自分と、そうでない闇の自分です。そうすれば闇の自分は横に置いておいて、明るい自分として楽しく過ごすこともできるようになります。そのようにして何とか生きていきます。
<H>
そのようなものすごい恐怖は、置いて行かれた事件(⑤)というだけでは、説明できない。ほかの部分(③④⑤⑥)も併せてみると、母親への恐怖ということでしょう。
<W>
自分の生命のすべてを支えている母親自身が、実は、死の恐怖の出処でしょう。
<H>
全体としては示されますが、ずばりの絵を彼女は、描いていません。
<W>
わかりたくない、というのがトラブルの中心にある芯かもしれません。はじめの絵(①)の彼女自身の説明にもある子供に対する思いの揺らぎようなものが、母親に対する思いにもあるように感じられます。
<H>
わかりたくない揺らぎですか。

<<続く>>

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ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違2/2|セラピーの休憩時間(706)

<以下は前回の続き>

ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似:二つ目の類似

(W)

二つ目は、論理的ではうまく説明できないこと(②)です。

母親へのアンビバレンツは理論です。文章で説明できます。しかし、アンビバレンツを受け入れ解放される現象が、なぜ起きるのか、準備を重ねつつも、それまでなぜ起きなかったのかは、説明することができません。

(H)

受け入れるのは辛かったんでしょう、としか言えません。

(W)

とはいえ、アンビバレンツの受け入れ現象には、言葉では説明しきれない不可思議な感じが付きまといます。理屈としての不思議さですが・・。

辛いといえば、悟ること自体も実は苦痛が伴うのかもしれません。だから時間がかかるのでしょう。禅の悟りも、理論では説明できないことが知られています。不立文字などと言われます。

(H)

一般に仏教では、親には感謝しろ、と言われるでしょうから。アンビバレンツはね~。

(W)

怪しいですね。悟りは、母親へのアンビバレンツの内容には触れないまま、アンビバレンツ自体を乗り越えようとする離れ業なのかもしれません。

(H)

キリスト教のマリア様信仰も、母親へのアンビバレンツには耐えられないので、理想の母親像をつくっているように見えます。満たされなかった母親への愛情を、マリア様に向かって解き放とうとすることのように思えます。

(W)

三つ目は、二元論から離れること(③)です。

禅の悟りにより、人は二元論(主義)を捨て去る(鈴木大拙「禅学入門」悟り-新境地の獲得)と言われます。二元論のうち心理的なものとしては、愛憎や生死は最大のものでしょうから、母親へのアンビバレンツを受け入れ解放される現象は、そのような二元論から離れることに他なりません。

(H)

いよいよ、難しくなりました。

(W)

いえいえ、難しくありません。

母親への愛憎のアンビバレンツを受け入れると、次は生と死です。人によっては、「次は」という時間はなく、同時に起きます。母親からの愛情は生です。母親からの愛情なしは死です。それを受け入れることは、生と死のアンビバレンツを許すことになります。

つまり、アンビバレンツのうち半分の否定的な部分、愛情の不在、すなわち死が、はじめて受け入れられます。一人ぼっちの愛情なしの死です。究極の死です。その受け入れ後も、なお、私たちは生きていくのですから、そのときに、生死の二元論からも離れるきっかけが与えられることになります。

(H)

二元論などというと難しく感じます。でも、言葉は別にして、中身を聞くと、セッションで毎日扱っている内容です。

(W)

そうです。

(H)

あなたが時々言うのを聞いたことがあります。あれですね。

(W)

あれです。死にながら生き、生きながら死ぬ。

(H)

解放を、言葉で言おうとすると、そのようになるのでしょうね。

(W)

しかし、生と死は、言葉の意味が正反対ですから、そのような言い方は凸凹していて、真意が通じなくなります。そう言う時の生死の意味は、反対ではなく、同じなのです。実は、生きながら生き、死にながら死ぬ、と同じニュアンスです。

(H)

解放ですね。

(W)

四つ目は、人生の大きな変化(④)です。似ています。

母親へのアンビバレンツを受け入れ解放されると、その後の人生に、大きな変化が起きます。その人の感覚そのものが、その日を境に、大きく変わります。これも禅の悟りの場合と類似するようです。

(H)

アンビバレンツの受け入れの場合も、家族などの人間関係の改善や仕事の改善などが報告されますが、中心にあるのは、生きやすくなった、という感覚です。生きやすくなった、というのは平凡な表現で、本当は、その人の中で何かが変わるというのが、実際の感じのようです。

(W)さて、以上は、ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似するところを話しました。今度は相違するところを話したいと思います。

(H)

はい

[Ⅱ]相違

(W)

私の感覚としては、類似よりも相違のほうが、より多くのヒントが得られると思います。

(H)

ベビーブレスや禅を、客観的に理解する上でのヒントですね。

(W)

はい。

母親へのアンビバレンツの受け入れる手法と、禅の手法は、次の部分で大きく相違します。つまり、禅の修行では、母親へのアンビバレンツを観る作業を、それほどやらないようです。もっとも、仏教一派の修行法として「身しらべ」があり、禅の公案には「父母未生以前の真面目」(父母が生まれる前の本当の自分とは何か)というのがあります。が、全体の修行の一部にしかすぎないようです。

(H)

禅は、なぜ母親を積極的に扱わないのか、という点ですね。

(W)

そうです。

(H)

精神分析の世界ではメラニークラインが正面から扱っていますが、フロイトご本人は扱っていません。

(W)

フロイト本人の事情が絡むと思います。

(H)

では仏教の場合には、ダルマさん自身の事情が絡んだのでしょうか。

(W)

わかりませんが、その可能性もあるのでしょうね。

その個人的な事情以外にも、社会的事情も絡むと思います。

(H)

世の中の事情ということでしょうか?

(W)

はい。禅を含む仏教は、長い時間をかけてインドから中国を通って日本へ伝わり、国教として認められるなどして、生き残ってきた事情があります。ですから治世する側(国)の要請として、当然に、両親への感謝は保持しなければなりません。

(H)

道徳や倫理ということでしょうか。

(W)

そうです。かなりの時間を通して、儒教を信じる人たちは多数派だったでしょうから、それに面と向かって反したら、長い時間は生き残れないでしょう。

(H)

大変だ。

(W)

フロイトだって性的な問題を根本的に扱うことになったので、社会から手厳しくバッシングされた経緯があります。

(H)

性的な問題を扱うこと自体が反社会的だということだったのですね。

(W)

仏教だって反社会的なラベルを貼られたら生き残れなかったはずです。

(H)

生き残る便法としての意味もあったということでしょうか。

(w)

両親のうちでも、特に母親への恩は大事にしなければならず、母親へのアンビバレンツを受け入れるというテーマ自体が、難しいものであったのかもしれません。

引きこもりからの自立等いろいろな心理的悩み相談や心理カウンセリングのお試し無料あります。さらにベビーブレス(アコールで開発した独自のブレス,ブレスワーク,またはブリージング)ができるようになれば精神分析の組合せで大きな効果があります。東京府中

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ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違1/2|セラピーの休憩時間(705)

「ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違」

(H)

今日のお題は何やら難しそうですね。

(W)

いつか話したいと昔から思っていました。

(H)

やさしく話してくださいね。個人的には少しは聞いていますが・・。

(W)

ベビーブレスによる爆発するような大きな気づきがあります。同時に大きな開放があります。禅仏教にも、悟り、というものがあります。類似する点があります。

(H)

似ていることが不思議だということでしょうか。

(W)

いえ。当然だと思います。人の心の奥底は同じでしょう。同じホモサピエンスの脳を持っているのですから。

(H)

不思議でないとしたら、何が、ポイントなのでしょうか。

(W)

ベビーブレスや禅で、人の心の奥底に何が起きるのか、より客観的に理解できるのではないかということです。

(H)

はい。

より、はっきりするということですね。

(W)

ベビーブレスと禅。二つ以上の視点を持つことはとても重要です。

(H)

動物が二つの目があるのは、獲物をはっきり見定めるためですね。

(W)

そう。象徴的に。

ベビーブレスという手法で探求を続けると母子関係の「アンビバレンツの受け入れ」という問題に到達し、やがて突破します。それは強力ではあるものの一つの視点、もう一つ欲しい。

(H)

アンビバレンツはキーワードですね。日本語で両価性と言われます。その意味するところは、セラピーの現場でとても重要ですね。「このくそババー!」という究極の殺意と、「ママー!」「かあちゃーん!」という愛情の本質のようなものが、実は同じものと気が付く瞬間があるのですよね。セラピーのだいご味です。

母親には本当の愛情がないことで小さな乳幼児は死を突きくけられる。一人ぼっちの死。究極の恐怖です。他方、母親は、自分の生命を支えてくれる全宇宙のような存在。そのことに気が付くとき、死と生を同じものとして受け入れる。

(W)

そうです。「アンビバレンツの受け入れ」と言葉では簡単ですが、果てしなく大きなことです。ドカンとくるような大きな気づき、大きな開放です。

(H)

もう一つの視点が欲しい、というのは?

(W)

「アンビバレンツの受け入れ」がいくら大きなことと、こちらがわかっていても、ベビーブレスを体験しない人には、説得力がない。今はやりの言葉で言えば、エビデンスが足りない。

(H)

エビデンスは十分です。何を言いますか。実際に人に、大きな気づき、大きな開放があるのですから。世の中に、これ以上大きな事はないくらいです。山のように動かせない証拠です。

(W)

それは体験した人のことです。体験しない人にはさっぱりです。このブログを読む人には不十分です。体験しない人には、言葉の説明しかありません。エビデンスというのは言葉によるエビデンスということです。客観的な理解というのは、極論すれば、言葉です。

(H)

体験しない人に言葉で伝えるのは難しいでしょう。

(W)

その通りです。

しかし、ブログを出すというのは、その難しさにあえてチャレンジするという面があります。難しさを、少しでも減らすために、二つの視点が有効と思うのです。

(H)

そんな難しいことをやらなければならないのだったら、私は、一人でも多くの人に実際に「アンビバレンツの受け入れ」を体験してもらう苦労をしたい。

(W)

うーーん。まあ、まあ。そう言わずに。

体験した人にも全く関係ないことでもありません。体験し大きな気づきがあり大きな開放があっても、それが瞬間的なことで終わってしまう弊害があります。大きな気づき大きな開放があった結果、家族などとの人間関係が改善し、自分自身の生きやすさが生じても、そういう結果物、そういうお土産(おみやげ)だけで満足し、自分に何が起きたのかを検討しようとしない弊害があります。私は不満ですね。

(H)

確かに、ニコニコして明るくなり、楽しそうに、いろいろな改善を報告して来ても、なぜ、そのようなことが起きたのか、振り返れない人もいますね。私だって不満です。なにやら浅い感じがします。

(W)

そうです。振り返って検討することは大切です。客観的な理解は必要です。

(H)

そのために二つの視点が必要ということでしょうか。

(W)

はい。

ベビーブレスと同じように自己を深く探求するものとして禅仏教(禅宗)があります。宗教ではありますが、ほとんど心理学に近い感じです。禅宗の本で、修行僧が「道でブッダにあったらすぐに殺せ」という話がありました。宗祖様を殺せとは・・。宗教を超越する雰囲気があります。重要なのは宗祖様ではなく自己ということです。もう一つの視点として有力です。

(H)

わかりました。

それでは、禅宗の悟りとの類似と相違、お願いします。

[Ⅰ]類似

(W)

まずは「類似性」です。

アンビバレンツの受け入れによる解放と、禅の悟りとは、際立つ類似性があるように思われます。4つくらいありますかね。

(H)

ほー。

(W)

といっても、私自身が悟りを経験したことはないので、禅の悟りの材料は、書物です。

経験していれば、もっとたくさんの類似点を挙げられるのかもしれません。これは想像ですが、無数に挙げられるのかもしれません・・。

(H)

ほーほー。

(W)

一つ目は、突然やってくること(①)。これが似ています。

ベビーブレスを中心としたアコールのセッションでも、母親へのアンビバレンツを観るために、カウンセリング、ベビーブレス、寸劇などいろいろ行っていきます。アンビバレンツの概念は、理論で理解できます。自分の成育歴も、文章化できます。過去の母親との係わりを調べることができます。

(H)

仏教でも、身しらべというのがあるようですね。

(W)

あなたは長い間、似た行をやってきましたね。

(H)

はい

(W)

アコールでもいろいろ行いますが、しかし、それらは準備にしかすぎません。実際に、その人がアンビバレンツを観て受け入れ解放されることは、突然にやってきます。

(H)

そうですね。ある時、潮が満ちるように、ね。

(W)

禅の悟りも、些細な物事をきっかけに、突然やってくることが知られています。この辺りは、書物にいろいろありますね。

(H)

ほうきで掃いた小石が、竹の幹に当たって、コーンと音がした瞬間に悟ったとか。

(W)

それは有名ですね。禅寺の美しい庭が想像されます。おしゃれなほうです。悟りの瞬間をたくさん集めた書物によると、便所で小便をしていてブクブク泡が立った瞬間に悟った、とかいうのもあるようです。

(H)

・・・・・。

(W)

なぜ突然くるのか。

(H)

毎日セッションしていて、クライアントの抵抗と対面している側としては、抵抗が突然に崩れ落ちる感じは、なじみがあり、違和感がないのですが・・・。

(W)

はい。

脳の中がどんな風に突然変化するのかも興味があります。想像しかできませんが、神経細胞がつながっていき、ある瞬間に必要な電流の臨界に達するのかもしれません。

(H)

むむ。

<以下は次回に続く>

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最後の壁|セラピーの現場から(704)

「最後の壁」
(W)
最後の壁を突破する人たちが出てきました。
(H)
嬉しい限りです。もっと多くの人に伝えたいと思います。
(W)
アコールセミナーのアプローチは、母親に対する愛憎の統合を体験し、生と死の統合を体験することです。最終的に統合して弾けるような元気な自分を取り戻す人たちが出ています。その最終的な統合ができたときに、最後の壁が突破されたと、感じます。見ていて、人が変わります。内側から元気になります。
(H)
人は、生まれたての赤ちゃんは、もともと、こんなだったのだろうなと思えるような元気さです。本当は嫌っていた自分を、心からいとおしくなります。外側の変化としては、職場での大活躍や子供に対する愛情が溢れるように出てきます。子供が可愛くなると、子供にそのことが通じ、親子ともども、さらによくなります。自然にそうなってしまう。

(W)

はい。

(H)

もっとも大変な側面もあります。その人の心の大鍋(なべ)をひっくり返してドロドロした鍋底をすべて引き受けることにもなります。

(W)

いえいえ。それこそ、それでしょう。

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山中湖は厳冬?|セラピーの現場は冬景色(703)

「山中湖は厳冬?」
(H)
山中湖の冬を本格的に体験しました。一週間ほど生活してみました。一年で一番寒い時期を選びました。山中湖セミナーハウスの老朽化した部分を一部改修し、冬も何とか過ごせるように、住みやすくする工事もありました。
(W)
山中湖セミナーハウスは十年使っていますが、初めての体験でしたね。
(H)
山中湖の冬は厳冬です。マイナス20度前後になることもあります。現地の人には、東京の人は「来ないほうがいい」と言われました。北海道出身の人に「北海道よりも寒い」と言わせる寒さだということでした。セミナーハウスの隣の敷地に施設を持っていた方が、数年前の大雪で、3メートルの積雪に閉じ込められ、懲(こ)りた、という話もうかがいました。
(W)
防寒着としてスキー服を持っていきました。雪用の長靴やアイゼンも用意しました。
(H)
10年前に一日だけ真冬の山中湖に行ったことがあり、その時の雪や氷はすごかったですからね。
(W)
ところが・・・暖冬でした。一週間のうちの最も寒い時がマイナス7度でした。スキー服やアイゼンは使いませんでした。
(H)
世界的な温暖化の影響でしょうか。マイナス15度は行くだろうと思っていたのに、ちょっと残念。
(W)
でも夜の星空はきれいでした。夏よりも空気がきれいなのか、月や星の明るさが素晴らしかった。
(H)
鹿さんとも、より、お近づきになれました。冬は木の葉が落ちて、地面は雪で白一色。
鹿の姿がはっきり見えます。
(W)
鹿の足跡が、雪の上に、そこら中に残っていました。糞もね。
(H)
鹿の糞は、ピーナツチョコのように黒くて、真っ白い雪に映えます。鹿は、出会うと、警戒してジッとこちらを見ていますが、優しい声で話しかけると、再び穏やかに餌を食べ始めたりします。わかるようです。一週間のうちに何度も話しかけて、警戒が薄くなって、すぐそこにいても、逃げなくなりましたね。

山中湖セミナーハウスの庭の近くにきている小鹿。庭の石垣のすぐ向こうにいます。頭は左向き。

右向きだと思うと狐に見えるね。

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死は「いやだーー!」と「死にたーい!」|生死の統合|セラピーの現場から(702)

「生死の統合」
(H)
前回(701)の続きをやりたいと思います。実際のセッションでも、とても重要なところですから。
(W)
前回は、小さいころに「母親の意識の中に自分がいない」として死の恐怖にさらされ、それが心の不調の原因になっていたものが、セッションが進んで「生死の統合」を経て回復していく、というような内容でした。
(H)
ベビーブレスをやったりして経験がある人には分かるでしょうが、一般には分かりにくいですね。その「生死の統合」というところを今回やりたいです。
(W)
「母親の意識の中に自分がいない」ことは、小さな子供にとっては、死を意味することは、ベビーブレスをしなくても、それほど分かりにくくはないと思います。
この死に対する感じ方で、人は二つのグループに分けられるように思います。便宜的ですが・・。
(H)
死に対して「いやだーー!」というのと、「死にたーい!」というのですね。
(W)
そうです。
一つめは、死を忌み嫌い、死を怒りで払いのけようとするグループです。生きようとするエネルギーに重心がある人達です。しかし、死を払いのけることはできません。それで心の不調がやってきます。
二つめは、死に親近感があり、生きることに価値を見いだせないグループです。死へのエネルギーに重心がある人達です。しかし、生きることを止めるわけにはいきません。それで心の不調がやってきます。
(H)
どちらのグループも片肺飛行機のようです。墜落寸前。
(W)
原因は同じです。
「母親の意識の中に自分がいない」というのは、小さいころに愛情が決定的に足りなかったということです。小さな子にとって救いの主になれるのは、唯一、母親です。しかし現実の母親は変わりません。現実の母親はあてになりません。本来は他人です。他人を当てにし続けることこそが、心の不調の原因です。
(H)
小さな子、というのは、大人になっても心の中にいる小さな子、ということですね。
(W)
はい。みんな、心の中には小さな子がいます。傷ついた子です。
そこでセッションでは、自分が、仮に健康な母親から愛されたらどうだったか、というようなことをやります。そのときにヒットして、湧き起る感情は、生きようとする強い肯定的な感情です。
(H)
その肯定的な感情を味わうと、その感情は、現実の母親には関係がないことが、分かりますね。他人に頼らず、健康な自分が自分を支えてくれることを実感します。自立の感覚です。これが助けになります。
(W)
感情というには、あまりに強すぎて、エネルギーというべきですね。
(H)
ほんとに。
(W)
一つ目のグループでは、・・・
(H)
「いやだーー!」の人たちですね。
(W)
はい。
一つ目のグループでは、この自立して生きることを肯定するエネルギーが、不思議なことに、死を受け入れるエネルギーにつながります。あれほど嫌っていた死が、どういうわけか嫌いではなくなり受け入れられるようになります。死を受け入れられると、もともと持っていた生きようとするエネルギーは更に強くなる・・・、というか、死が邪魔にならなくなり、初めて、本当に生きる感じになります。本当に生きると、死は増々、親しくなります。親しくなった死は、生きるエネルギーをさらに強くします。
(H)
「いやだーー!」と言っていたのに、まるで宝物と言うようになる人たちもいます。
(W)
二つめのグループ・・・、
(H)
「死にたーい!」の人たちですね。
(W)
はい。
二つめのグループでは、自立して生きる肯定的なエネルギーが、新鮮な生まれて初めての感覚のように感じられます。生きることに初めて価値を見いだします。死へのエネルギーに重心があり、死には違和感がありません。ですから、死はもともと邪魔にならず、初めての生きる肯定的なエネルギーを、純粋に、受け入れることができます。はじめて生きるのです。純粋に生きるようになると、実はそれまで違和感がなかったものの、冷たい死の中にいたのに、死が冷たくなくなります。柔らかく、あったかくさえなります。
(H)
この「死にたーい!」の人たちは、健康な母親を・・というより、小さいころに親切にしてくれた先生とか、心を通じていたペットとか、心を許した自然の景色の思い出とか、のように、母親から離れた事柄を想起することが役立つかもしれません。
(W)
そうですね。
この二つめのグループでは、「健康な母親」というのは、「仮に」の話にしても難しいのかもしれません。ケースバイケースでお願いできれば・・・。
(H)
個人セッションでは、ケースバイケースで対応しています。
(W)
どちらのグループも、死と生の、一見して正反対の二つのエネルギーが、交互に、互いを深めていくようです。
(H)
交互に徐々に、という場合もあれば、一時にドカンとくる場合もありますね。
(W)
ドカンの人、いますよね。二つのエネルギーが、ドカンと一つになる感じ。
しかし、その場合でも、それで終わりではなく、そのドカンの感じをその後も忘れずに維持できれば、さらに深まっていくと思われます。
(H)
是非、忘れないでほしい。
(W)
さて、この「健康な母親」という手法で起きることは、ベビーブレスで深く入れば、ひとりでに起きてくるプロセスです。「いやだーー!」や「死にたーい!」に強く引っかかってしまうと、なかなか深くには入れない。そこで、そのプロセスを、あえて、手法化しようとしているともいえます。
(H)
有効な手法です。
ベビーブレスで深く入れば、ひとりでに・・・ということですが、そこのところを、もう少し、話せますか。
(W)
私も、理屈や手法に頼るのは、本当は好きではありません。
ベビーブレスで深く入れば、自分自身の嘘を自分で見抜くことができます。
一つめのグループが、死を排除して生きようとすることも、実は嘘です。何かを毛嫌いし、忌み嫌っているだけです。無力な自分を隠そうとしています。母親からもらった死を、本当は自分が望んでいることを、隠さなければなりません。嫌い続け、戦い続けるために。
(H)
本当は自分が望んでいるですよね・・・。
(W)
また、二つめのグループは、死へのエネルギーに支配されてることに、本当は、満足はしていません。生きることに価値を見いだせないことに、本当は、満足はしていません。死に傾倒し続けるためには、満足していないことを隠さなければなりません。そのまま、不本意だった生を終えることには、実は、納得できません。それを隠さなければなりません。生きることができる生があることを、うっすらと知っているのに、現実のものとして実感できない。悔いが残ります。
(H)
本当は知っているんですよね・・・。
(W)
ベビーブレスで可能なのですから・・もったいない。
二つのエネルギーが一つになる、生と死の統合とでもいうべきものだと思います。死んで万歳、生きて万歳の境地になると思われます。統合した後で、瞑想で確かめて欲しいです。

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母親の意識の中に自分がいない|心に刻まれた死の恐怖|セラピーの現場から(701)

「母親の意識の中に自分がいない」
<W>
ベビーブレスで、自分の心の不調の原因となっていたものを受け入れると、自然治癒が働いて自分から健康になっていきます。
<H>
そのプロセスは驚くような劇的なものを含みます。そのプロセスを全力で支えるのが私たちの仕事です。
<W>
原因が何か、分かればいいのですが、心の奥では、分かりたくないのですから、分かりたくないという抵抗と戦うことになりますね。いきなり原因が分ったりは、しにくいですね。
<H>
そこのところは人それぞれです。
ですが、ベビーブレスという強力な手法がありますので、原因の断片は手に入りやすいです。断片をパズルのように合わせて、原因に近づきます。
<W>
そうして分かった原因として、かなりの人に共通して言えることがありますね。
<H>
あれですか。
<W>
あれです。
<H>
母親の意識の中に自分がいない。あるいは、いなかった。
<W>
はい。小さなころですね。
<H>
小さなころは感覚が鋭いですからね。本人が大きくなっても母親の意識はそれほど変わらないでしょうが、小さいころに大きな被害を受けます。
<W>
大人になってからは、被害つまり傷を受けていることは、はっきりしていません。少なくとも意識の上では・・。蓋をしていた、などといいますね。
<H>
ベビーブレスと分析を重ねて、そこのところが、心の不調の1番奥の原因だったとわかる日が来ます。
<W>
分かった途端に大きな変化がありますね。
<H>
ありますね。分かったことで、これが原因だったと本人が一番感じる。身の回りに大きな変化が起きる。根本的な変化です。今までにないような心の霧が晴れたような感じを受ける。
<W>
そのまま、分かったことを維持できればいいですが、・・・。
<H>
分かっても、数時間後に忘れたり、数日経ったら忘れたり、することがあります。揺り戻しです。
<W>
身体は大人でも、その部分の心は小さいころのままですからねえ。
<H>
そうなんです。
母親の意識の中に自分がいないことは、小さな子供にとっては、死を意味します。分かることは死が待っている。現実的な死ではないですが、小さな子供が感じる恐怖の死です。心の中には、いまだに小さい頃の死の恐怖が癒(いや)されないまま刻み込まれていたのです。命の源であるはずの母親を失い、死の恐怖にさらされる苦痛に耐えられない。耐えられないからこそ、いろいろな不調が起きていた。
<W>
そうですね。
愛されて育つべき小さな子供が、愛されないどころか、母親からの死に、さらされるのですから。究極の死です。
しかし、やがて小さなころの現実を受け入れていきます。
<H>
その受け入れこそが、成長と呼べるもののような気がします。小さなころに果たせなかった成長です。なかなか難しいです。
<W>
そこで役立つのが、「健康な自分」ですね。自立して生きようとする健康な自分です。生です。もし健康な母親から愛されたらどうだったか、と・・。
<H>
はい。
自分の子供が意識の中にないという母親は、やはり、母親自身が心に傷を持っているわけです。母親も心に傷を持っていたことは、自分(子供)も、ベビーブレスと分析を通して、分かってくるのですが、それでも難しさは同じですね。死の恐怖はなかなか受け入れられない。
そこで、母親が健康であったらどうだったかということを想起してもらいます。仮に健康な母親から自分が愛されたらどうだったか、どんな感じがするかと・・・。
<W>
そこには喜んで愛情を受け入れる健康な自分がいるわけですね。それまで求めても無駄と諦めていたのに、強烈に愛情を求める健康な自分がいる・・・。生きようとする健康なエネルギーを自分の中に感じることになるのですね。
<H>
時として爆発するようなエネルギーを自分の中に感じることになります。その健康な自分は、母親には関係なしに、いるわけです。母親が愛情をくれまいと、傷持ちであろうと、いるわけです。自立している。
<W>
そうそう。それまでは現実には、子供を愛せない、傷持ちの母親が目の前にいるわけですから。愛情を求めるなんて、ムダ、無理、あり得ない・・・。そんな状況が、長い間ず——と続いていたわけです。母親にやられて、健康な自分でありえなかったのです。病んだ母親から自立できなかった。
<H>
健康な自分が、健康な母親から愛されたらどうだったか、というような時の感情は、生きようとする肯定的な感情です。
<W>
その生のエネルギーを強く体験できるのも、それまで、自分の死に向かい合ってきた積み重ねがあり、母親の傷を観てきた積み重ねがあるからですね。
<H>
そうなんです。その積み重ねがなければ、想起しろと言っても、空振りです。
そして、この生きることを肯定するエネルギーが、死を受け入れるエネルギーにつながります。一見して正反対の二つのエネルギーが、交互に、互いを深めていく。
<W>
それまで、耐えられずに、嫌いに嫌っていた死を、受け入れる。そうして死を受け入れると、更に深く、生を受け入れる。生と死の統合とでもいうべきものが起きるのです。生きるのもOK、死ぬのもOK。
<H>
理屈でいうと難しいですが、実際に、そのところを、自分のオリジナルの体験として体験し回復していくことになりますね。
ここのところの生死の統合は分かりにくいと思いますので、また、やりたいです。
<W>
そうですね。

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doではなくbeを会得する自己トレーニング|セラピーの休憩時間(699)

「doではなくbe」
ベビーブレスは、激しい呼吸を長時間続けることで、赤ちゃんのようになることを目指す。うまくいけば赤ちゃんのように呼吸し、赤ちゃんのように声を出し、赤ちゃんのように動く。始めはうまくいかないかもしれない。「演技」が有効かもしれない。そのうちに赤ちゃんのように「なる」。「演技」から「なった」ことは本人が分かる。doからbeである。治療的退行と呼ばれる。いろいろの治療効果が期待できる。
ところが「演技」と「なる」の区別がつかないということがある。いつまでも「演技」が続き「なる」ことができない。いつまでも演技が続き、それを演技だと自分で認識できない。
そういう場合、ベビーブレスの中だけではなく、生活自体にも同じような傾向がある。要求されたことはする(do)けれど、自分が何をしたいのか分からない。自分の本音が分からない。自分に感情がない。「be」できない。
「beの自己トレーニング」
そうであれば、日々のトレーニングを次のように行うことができる。一人で部屋に立っているとき、横になっているとき、何かを意図して行う「do」ではなく、何かを「する」必要がない「be」を会得する。まるで赤ちゃんのように「なって」しまわなければならない。要求されなくても、自分がしたいことを、いつの間にかやっている、それが自然に身についていく。例えば、部屋を掃除するにしても、掃除機を動かす順序などは気にせず、目についたやりたいところから掃除する。やりたいところが変わったら、その瞬間に、何も考えないまま、変わったところを優先して掃除する。
「徐々に変わる」
そのようになるよう自己トレーニングすることで、そのように務めることで、できなくてもできるように努めることで、徐々に、自分の中が変わっていく。
そうすれば、何をしたいのか、と問われれば、簡単に答えられる。自分の本音が明確になる。知らないうちに自分の感情とともに居る。それが健康というものであることが実感として分かる。

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大きな壁を突破して絶好調の毎日|絶望を手に入れたとき「私、解った!」|セラピーの現場から(695)

<W>
今日はYさんのインタビューをしたいと思います。
<H>
Yさんは大きな壁を突破して、絶好調の毎日を過ごしています。
<Y>
(笑)
<H>
ご自分でも、今まで経験した自分史のまとめを書き始めているということです。しかし、絶好調のせいで、新しい仕事も始めたということもあり、日常もいろいろ忙しいようで、自分史の完成は時間がかかるかもしれません。とりあえず、皆さんにご報告したいので、今日、インタビューさせていただきます。
<Y>
毎日が気力に満ちて充実していて、夜はコテッと寝てしまうんです。
<W>
(笑)
<H>
ベビーブレスを始めた頃のあなたは、全くやる気がなかったですね。
<Y>
最初のベビーブレスは、高校生の頃です。そのころ、朝起きる事が出来ず学校も遅刻するようになり、夜になったらバイトに行く…また朝が起きられないの繰り返しの私にうんざりしてました。母親に勧められて、嫌々ベビーブレスをしました。「やりゃ良いんでしょ、あなたが満足するんでしょ」とやった。呼吸もせずにただ寝ていたんです。
<W>
始めたきっかけは子育てがうまくいかないということでしたね。
<Y>
子育てでオッパイが出すぎたということもあり、オッパイを上手く吸ってくれない娘のせい‼︎とイライラして、4階から子供を放り投げるイメージが出ていました。それを思いとどまったのは私の愛情だ、と自分に言っていました。子供の大事な成長期にネグレクトが続いたことも、思いとどまった愛情の結果だったんです。
<H>
ベビーブレスなどのセッションを続けて「絶対嫌」というのが手がかりでした。重要なところで口癖のように「絶対嫌」と言っていました。何が絶対嫌なのかはっきりしないところがありましたね。
<Y>
心の傷の奥底を「絶対嫌」と言っていた。今思えば絶望だった。心の谷底へ通じる淵。とてつもなく怖かった。愛情や殺意がバラバラに存在していた。そのことが話題になっても、せっかくバラバラにしたのに何故一つにしないとダメなのと、いう感じで、ピンとこなかった。
<W>
なるほど。
<Y>
バラバラになっていることこそが、自分の存在意義の感じなんです。うまくは言えないけれど・・。いろいろの心痛やトラブルを、バラバラになったそれぞれのせいにできる。ある心痛は愛情のせい。あるトラブルは殺意のせい。傷の奥底に絶望があってバラバラにした。愛情や殺意は、本当は自分の中にあって、自分という一つのものなのだけれども、バラバラにしておくことで、全部周りのせいにできる。この私の愛情があってそうなったの!私は悪くない。私に向けられた(母からの)殺意に対して、殺意でやり返して生き抜くことが私のすべてだった。怒りでやり返すことが自分の存在意義だったんです。
<H>
激しい怒り(殺意)がありました。絶望を怒りで追い払うというか・・・。
<Y>
ところが、絶望を手に入れたら怖くない。絶望を手に入れたとき「私、解った!」と叫んだ。何度も叫んだ。その感覚を説明するのは難しい。これこそが本当の私の存在。生きていても存在がある。死んで体が無くなっても私の存在がある。
<W>
バラバラのものが一つになることが、谷底淵の絶望だったんですね。
<H>
Yさんの描いた絵はそう言っているようにみえますが・・。
<Y>
そこのところは未だによく言葉にできないんです。「解った!」という感覚ははっきりしていますが、感覚のままなんです。
<H>
「解っ」てみると、生きることも死ぬことも私だ、という感覚なんですね。
<W>
言葉による説明を越えていますね。絶望が嫌だったのでバラバラにした。絶望を手に入れたから怖くない。そういうことになりますね。
<H>
今のYさんは以前にくらべ堂々とした美人で別人のようという人もいます。美人の度合いがますますパワフルになって、そばにいると、こちらも元気になります。
ご自分で意識するのは難しいかもしれませんが、どう変わったか、教えてください。
<Y>
私は、死や病気に対して人並み以上の恐怖があったんですが、最近の乳がんの検診でビクビクしない自分がいました。それまででは、あり得ない感じです。今までだったらパニックになっていました。持病の足爪の治療も怖くなくてできた。
仕事も新しく二倍にしました。やりたいんです。新しい仕事の指導を受ける時も「緊張していないね」と言われました。古い仕事の仕事場でも、自分は楽になっている、と感じています。そのせいか、同僚に「やっと心が開いたのね」と言われてしまいました。
<W>
子供さんへの気持ちはどうですか。
<Y>
子供を憎たらしいと感じるのは消えてきました。でも全て消えたというのではなく、突発的に子供へ怒りを感じることもあります。そのときも「私の殺意だ」と分かる。認識できるので楽です。今までと違います。そのため自分にも子供にも隠さなくて良い状況になっています。今までは子供への殺意を隠していたので後悔したり、子供の事を思うと切なくなり、辛かったです。

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どうにもならない母親|自分が切り替わる瞬間|セラピーの現場から(692)

どうにもならない母親|自分が切り替わる瞬間4パターン
「W」
今日は、どうにもならない母親に立ち往生していた人が、あるとき切り替わる瞬間があり、突破口へ向かうという話をしたいです。
「H」
外向きから内向きへ、ですね。
「W」
それはそうですが、そう簡単に言っていただくと、なにやら企業の研修会のスローガンみたいで・・・。
「H」
これは失礼。
その切り替わる瞬間は、こちらから見ていると劇的な瞬間とも言えますが、本人は只々起きてしまうことで意識がないようにも見えたりします。
「W」
そこを意識化できれば・・、言語化できればと、思います。
ベビーブレスを進んでいくと、例えば、次のような経過をたどることが多いですね。始め、出なかった感情を出せるようになって、その感情の中には激しい怒りがあることに気が付いて、怒りの元になる心の傷があることが分かり、その傷が母親から来ているがはっきりしてくる。同時に、母親もまた、その母親(祖母)から傷を受けていることを理解するようになる。
「H」
はい。そのあたりまでは、順調な回復とともに進むことが多いように思われます。
「W」
それでも納得できなくて、どうにもならない母親をなんとか変えようとし、エネルギーは外側へ外側へと向き、それが叶わない怒り悲しみ恐怖にとらわれる。
「H」
怒り悲しみ恐怖に絡め取られて身動きができず苦戦する人が多いですね。心理的なトラブルの本質的な部分です。
「W」
本質的であるから辛さも辛い・・。
「H」
逃げる人もいる。
「W」
こう着状態、立ち往生。
「H」
逃げずにスーと通って洞察が起きる人もいるのですけれどね。逃げるか逃げないか・・。と言うより、あの違いは何でしょうね。
「W」
まったく。分岐点ですね。
それまでは、母親が変わらないという怒り悲しみ恐怖のど真ん中に居た人が、そうではなくて、母親をなんとかしようとする自分のエネルギーそのものに気持ちが向く事がある。切り替えが起きる。そのエネルギーが自分そのものである。傷を負ってどうしようもなくなってしまった母親は、関係がなくなる。
「H」
本当にね。
「W」
怒りのようなエネルギーが出ているという状況は、こちらから見ていて、この2つは非常に似ている。が、切り替えが起きる時、何かが大きく変わる。180度異なることになる。
「H」
その切り替わる瞬間は、人によっていろいろあるように思えます。
「W」
いくつかパターンを上げます。
パターン1
自分に愛情くれない憎たらしい母親が、傷を負った1人の悲しい女性と見えた瞬間、それが起きることがある。
「H」
母親も自分と同じだ、とね。
「W」
パターン2
自分の母親が、仮に、傷を持たず健康な人であったならば、自分は愛されたであろう、その愛された自分はどのようなエネルギーを持つか想像するときに、それが起きることがある。
「H」
起きた人は、体が熱くなるようなエネルギーを感じますね。
「W」
パターン3
どうにもならない母親の事をどうにかしようとして悩み続け苦しんだあげく、「あーめんどくせ」となって、それが起きる瞬間がある。
「H」
子供の側からの突き離しですね。「あーめんどくせ」は個人の例ですけど・・。
「W」
パターン4
怒り悲しみ恐怖にとらわれている自分の、その「恐怖」の真っただ中へ入れたとき、それが起きることがある。
「H」
一番逃げたかったところへ入るという・・。究極の切り替えといっていいかも。
「W」
4つもパターンを挙げました。
言葉を変えると親離れの瞬間とも言えます。「親離れをしなければならない」「私(自分)を受け入れなければならない」と、そういうふうにも言えるかもしれない。しかしそれは全く役に立たないですね。何々「せねばならない」は役に立たない。何かを「理解する」「何かが理解される」。その瞬間に何かが変わる。理解が洞察ですね。
「H」
その理解がなされるために必要なものがあります。怒り悲しみ恐怖に苦戦する体験です。その体験を避けたら、結局は逃げになり、理解も洞察もないでしょうね。

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事実のみが人を癒す|周りの人は分かっている|セラピーの現場から(689)

「W」
事実のみが人を癒す、ということがありますね。
事実を曲げて人を慰めるのは、単に慰めるだけで、本当の癒しにはならない。
「H」
そうですね。
しかし、それは究極のところです。そのところへ行くまでは、誰でも母親が自分を愛していなかった事実を認めるのは辛い。
「W」
特に小さな子供にとってはそうでしょう。そして、その事実は心の傷となります。しかし、子供は心の奥では知っています。知っているから傷を受け、閉じます。閉じたまま大きくなり、トラブルを抱えます。
「H」
セッションの初期の段階では、事実を認めるのは辛いけれども、トラブルのままは嫌です・・と。
「W」
認めるという辛い作業なしで、トラブルを解消したいと、いう気持ちになるのももっともです。しかし、そんなうまい方法があればいいのですが・・・。
「H」
セッションでは行きつ戻りつしながら、事実を認める辛さと、トラブルの辛さの間で、揺れながら、自己成長していきます。そばにいて、そのお手伝いをするしかありません。慰めが欲しくても、欲しいことを認めてあげるだけです。慰めを上げるわけにはいきません。
「W」
グループカウンセリングなどで、人のことは良くわかる。事実を認められなくて慰めが欲しくて苦しんでいるのがよくわかる。しかし自分の番になるとそうはいかない。同じように認められなくて苦しむ。周りの人は皆分かっている。
「H」
見ているこちらも自分の事のように辛くて、稀に、この人にこれ以上は無理なのかな、と思うことがあります。
「W」
そんな時、瞬間的には事実を認めることもあるのに、直後に、せっかくわかった事実を否定する。そうすると、もっと症状がひどくなる、ということがありますね。
「H」
瞬間的には事実を認めたが、本当には認めきれずに、防衛が働くのです。揺り戻しです。
「W」
でも、あるときその事実を本当に認められる地点にやってくる。劇的な場面です。多くの涙と本当の癒しが同時にやってくる。その時になって今までの慰めは全く色あせてしまう。役に立たなかったことが分かる。
「H」
感動的な場面ですね。
「W」
事実こそが深い癒し。そのことを体感できれば、事実の否定はばかばかしい。
いちど事実を受け入れた後は、あまりの清々しさに、なぜ自分が否定を続けたのかさえもよくわからない。思い出すことができにくい。

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聖母マリア様信仰と似て異なる|事実を理解して「理想の母親」|セラピーの現場から(688)

「W」
前回のブログ(687)の続きを少し話したいと思います。
「H」
「理想の(健康な)母親」と聖母マリアの話ですね。「理想の母親」を仮定してベビーブレスを行い自分のトラブルの突破口をつかむ人がいるけれども、それは聖母マリア様信仰と似ているということでした。
「W」
似ているけれど根本的に異なる点があるということです。
「H」
はい。
「W」
例としては愛情を抑圧している人になります。愛憎のアンビバレントのうち、母親への怒り(憎悪)は認識できるようになったものの、母親への愛情を、つまり母親を求める気持ちが認識できないでいる人の話になります。
「H」
怒りが半分は出せるようになって、エネルギーはある程度改善できている段階ですね。半分は健康になった。しかし、あと半分ある。母親を求める気持ちが閉じ込められている。「あの母親にはいくら言ってもムダ・・・」という段階です。
「W」
そう。「半分」です。しかし、両方そろって初めて大きなエネルギーが湧き起って、トラブルを吹き飛ばします。「半分」では、やはり、トラブルを抱え続けることになります。残りの半分は抑えられ続けることになります。結局は自分を抑えることを続けなければなりません。
「H」
両方そろっても、その二つが統合されなければ、大きなエネルギーにはなりません。両方を別々には、出来る人もいます。
「W」
両方そろっているのに統合されない状況の話は、ここでは、割愛させてください。統合はまた別のところで。今日は、聖母マリア様信仰と根本的に異なる点に絞らせてください。
「H」
はい。
聖母マリア様信仰であっても、果たせなかった母親への求める気持ちを、出せるようになって救われる人もいるでしょう。愛情を感じられず出せずにいるよりも遥かに素晴らしいと思います。その部分だけ見れば、似ていますね。
「W」
はい、似ています。
「H」
異なる点は色々あるでしょうね。
「W」
一番大きな点は、何かを信じ込む必要がないことです。マリア様を信じ込む必要がない。
「H」
なるほど。仮に「理想の母親」だったならばという仮定で済む・・。
「W」
そうです。
「H」
しかし単に「理想の母親」を仮定するだけで済むには、やはり条件がありますよね。理解が必要です。自分の心の傷を理解し、母親の心の傷を理解する。自分は愛されなかったことで心に傷ができ苦しんでいる。母親もまたその母親から愛情を貰ってはいなかった。だからこうなっていると・・。
その理解の上で、「理想の母親」を仮に仮定するのだから、その「仮定」にとらわれる必要は起きない。
「W」
そうです。「仮定」を便法として利用することができます。自分を回復するための便法です。理解があって、利用するという心の余裕ができる。
ところが、信じ込む事は、他方で、何かを事実を否定することに通じ、無理を生じます。社会的に肯定的と思われるもの(愛情)のみが受け入れられ、否定的と思われるもの(憎悪)は受け入れられません。実際には二つともあるのですから、うっかりすると、自分に嘘をつかなければならない羽目になります。天使と悪魔・・・。
「H」
必要なのは事実の理解ですね。
愛憎のアンビバレントは、人の心にある事実です。愛情と憎悪を理解する。グループカウンセリングで人の話を聞くなどして理解できる。客観的な理解で構わない。「両方あるんだな」と。でも自分の傷を通して理解しないとエネルギーは湧かない。抑圧している状態。
その上で、理想の母親を仮定する。仮定すること自体はためしに行ってみることで、無理はない。仮にそうであったならば、どうする、と。隠れていた愛情のエネルギーを出してみることができる。
「W」
仮定してやってみるのだけれども、結果として愛情のエネルギーがどっと出れば、これは仮定としてやったものの実は本当の事だったんだ、自分には愛情があったんだと、分かることになる。
「H」
それだけでも自分を取り戻して、非常に助かる人もいます。更に、愛憎の両方が統合されれば、とても大きなエネルギーになります。
「W」
その統合については、やはり、別の機会に。

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健康な母親だったら!私自身の本性にも触れた|セラピーの現場から(686)

「健康な母親だったら!」というセッションを行って。
<母>
母は必ずしも、私にとり万全の母ではなかった。大正末期に生まれた、貧しい農家の後妻の次女だった。(祖母は後妻としての遠慮も当然にあったであろうから、自分の子供に十分な愛情は注がれなかったことも想像できる。)食うや食わずの日々を過ごす当時の環境を考えれば、経済が最優先の時代で、環境は厳しかった。 小学校を出た母は、街場の小さな紡績工場で日銭を稼ぐ日々だった。
その日々の稼ぎ高こそが、周囲からの母親への評価。その評価こそ、母親が彼女の両親から得たかった愛情の代替えに違いなかった。(母親のこころの中に経済が重要な尺度として形成されたと思われる。)
<母から受け継いだもの>
この母親の状況が、私の生きざまに影響を与えてきた。(私は母から愛情をえたかった。母は彼女の両親から直接の愛情は得られなかったであろう。そのため、私が母から直接の愛情を得ることもなかった。)
与えられた影響は私の中にもそのまま受け継がれている。
私は、父から受け継いだ会社の責任者になった。そうして、それが、母親から受け継がれた状況が、無意識のうちに出た
「私は今よりも売り上げを上げ、今よりも利益を出さなければいけない」と思ってやってきた。売り上げダウンや赤字はけっして許されないと。私は私で仕事を通じてどれだけお金をかせいだか、という尺度だけを持つようになっていた。
<愛情を母から求めることはできなかった>
母には、子供から「求められる愛情」に応じるという感情は、育っておらず、持ち合わせていない。
その結果として私は愛情を母から求めることはできなかった
母から思えば「私だって必死にやってきた。面倒見てきた。たいへんだった。何が文句ある?産んでやった。育ててやった!」という思いだったのであろう。自分の経験即だけに基づいた思慮判断しかできなくなっていたと思う。母は、「当然」という感覚、「とにかく私はやった」という感覚に支配されていたと思う。
(小さい私は、それでも幾度も、母親に求めた。しかし果たせなかった。否定された。求める感情は抑えられた。)その感情を吐露する度に私は酷い後悔と自己嫌悪に襲われるからだ。
<裏切られた思い出>
5歳ごろのことだ。叔父の結婚式の直後のことだった。親戚や近所の人が三々五々に帰途につき、私の家族だけでお茶を飲み一息入れていた。時間も遅くなり私は眠気に襲われた。その場を離れるのも寂しく私は母の傍へ寄り添って休むことを考えた。(小さいこどもとしては自然なことだった。)一方、迷いも生まれた。否定されたら「どうしよう」と。でも、思い切って、母の腰元に寄り添った。案の定、母は私をピシャリとはねのけた。「甘ったれんじゃないよ!」って感じだった。やり場のない感情が私を襲った。そして私は自分を責めた。
私は、求めるという私の感情を、幾たびかの経験を持って、心の奥深くに綴じ込めてしまった。
私は諦めと同時に、歪んだ渇愛に自己を慰めて生きてきたし、そのような精神状態にいささかな満足感も得ていた。
<あきらめ>
「もう、何を言っても通じない!何を思っても、わかってもらえない!」という思いが私の心を占めるようになってきた。この人(母)には、「もう無理」って。だから、もうその心を「出さないようにしよう」心の奥深くに「仕舞い込もう」と私は思った。そしてそうしてきた。
そして、今回のセミナーである。
その諦めていた母への渇望愛、歪んだ感情と、押さえ込んでいた私の心に、もし「健康な母親にだったら・・」の声は今までにはない衝撃だった。
<「健康な母親」をイメージできなった>
何度かの母親への(求めるという)チャレンジが打ち砕かれ、私には母というものに対する否定感が生まれていた。(成人してからの異性に対してもその否定感は当然に及んだ。)それは、どのような素晴らしい異性でも、私の求めるものを満たしてくれる人はいない、絶対にいない、というものだった。
求める「相手」はいないものの、一方では、求める「心」は存在している。葛藤していた。「どこかにいる。」「きっといる。」「バカ言うな」「そんなのいる訳ねえだろう」って。
結果、「求めない心」にすればよい、となった。そうして、想像することもしなくなった。だから、「健康な母親」というイメージは、私にはまったく考えられなかった。(そのはずだった・・・。)
<ところがブレスワークで>
そのままブレスワークに入った。私はその母親の腰元に何の躊躇もなく飛び込み、「母ちゃん、母ちゃん」と力の限り泣き叫んだ。五分、十分時間の感覚はなくなっていた。
涙にまみれた私のほほに伝わる母の皮膚感覚は現実的、肉感的なものであり、その感情は私自身の本性にも触れた気がした。
そうだ、私は60年、この感覚を求めていたんだ。このほとばしるような熱い感情を表に出したかったんだ。何の抑圧もなく誰にも遠慮することなく、全身でこの感情、感覚を心のままに任せて。
この時間が永遠であってほしい・・・。
至福に満たされた感覚、感情の中に永遠性を求め、私はひたすら浸った。その後、不思議な感覚が私を襲った。何と私の背後、背中にはぴったりと寄り添う父の姿があった。
(それは実母のイメージではなかった。しかし、あの厳しかった父が、優しいイメージとして現れた。)
ブレスワークから時間がたった今の実母感は、おかげでフラットになっているよう思える。(自己嫌悪を覚えるほどではなくなったかもしれない。)
私が母子関係を学び、自分自身を学べたようには、学びを得なかった実母の悲しさと寂しさと無知を、私は今、受け入れているように思う。

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たとえば眼の病気|心身症|セラピーの休憩タイム(683)

「W」
映画「Ray」を見ました。見たことがありますか。
「H」
どんな映画ですか。
「W」
盲目の音楽家レイチャールズの生涯を描いたものです。その中で失明の原因を心の傷として描く部分がありました。
「H」
見たかもしれませんが、はっきりは覚えていません。ジャズの音楽家ですね。
「W」
はい。
彼が幼い頃に、弟が水死する状況を黙って見てたことを、母親に激しく叱責されるシーンがありました。なぜ「見てたの!」と責められました。その直後に彼は目の病気(緑内障?)になり始め、やがて失明します。まるで「見てた」ことが悪いというようにです。その後、失明に負けず成人し有名な音楽家になりお金にも不自由しなくなります。そして麻薬にはまります。
「H」
麻薬は、演奏や作曲の際の感性を高めるという意味もあるでしょうね。ショウビジネスの世界の厳しいストレスもあるかもしれません。
「W」
まるで、アメリカの音楽家のお決まりのようです。
「H」
日本だって無縁ではないですね。
「W」
はい。
レイチャールズの場合に、この映画では、麻薬依存には更に深い意味があります。彼は、何かの拍子に、得体のしれない小さな水死体の幻覚を伴うフラッシュバックに苦しみます。そのためか更に麻薬に依存し、重度の麻薬中毒になります。
「H」
なるほど。
「W」
音楽家の生命が断たれようとするときに、彼は麻薬を断つ決心をします。激しい禁断症状の中、禁断症状を緩めることができるとして医者から勧められた薬の使用も拒否し、耐え抜き、ついに恐怖に勝ちます。そのきっかけとして、水の中から溺れる子供を拾い上げる幻覚を見ます。小さな弟は死んでおらず、生きて彼と抱き合います。そして中毒症状からぬけて、音楽家として回復します。
「H」
ふんふん。
「W」
この映画がどこまで事実に基づくものか分かりませんが、リアリティーがあり脚本や演出に感心しました。
「H」
心身症という概念がありますね。
「W」
はい。心の傷が身体の病気の原因になり得ることを示すものです。
この映画を仮に事実として見ると、次のように解釈できます。主人公は無意識に、弟と、母親からの愛情を得る競争状態にあって、つい殺意が出て弟を見殺します。
「H」
一般的な健康な兄弟関係でも、愛情をめぐる競争状態はありますよね。無意識まで探れば殺意も珍しくはありません。
「W」
はい。
彼は、その殺意に対する自分の罪悪感から、罪悪感をぬぐおうとするフラッシュバックを経験します。
「H」
弟の水死事故というトラウマを、何度も思い出すことで消化しようとするんですね。
「W」
特に、自分が殺したという罪悪感がありますから・・。
「H」
「やっちまった」とね。
「W」
しかし、母からの愛情は己の命のもとであり、それを損なう弟への殺意を容易にキャンセルできない。譲れない。
「H」
意識からは消せてもね。
「W」
そうして彼は簡単には克服できず、葛藤(フラッシュバック)は続きます。麻薬に溺れる原因にもなります。しかし楽譜も読まずに名曲をつくれる感性の鋭さから、自分の苦悩の原因を悟り、原因から逃げることを止める決心をします。
原因に立ち向かい、昔できなかったこと、弟を救い上げることを、ついに実行します。年老い傷んでしまった目自体は回復しませんが、音楽家としての健康さは回復します。
「H」
似た例を思い出しますね。古沢平作のエピソード。
「W」
そうなんです。
古沢平作はフロイトの精神分析を日本に導入した人ですが、目に障害を持っていました。愛弟子、木田恵子の伝えるところによると、古沢は乳児の頃に、母親から乳をもらえず他の女性からもらい乳をしていましたが、その乳(命)を飲む至福の時に、女性自身の子供から来る非難の視線に、睨み返すような視線で応じていました。その時の自分の罪悪感から、目が悪くなり障害を持ったということです。
「H」
そうそう。
「W」
レイも古沢も、命にかかわるような愛情関係の中で自分が得た罪悪感(心の傷)から、自分の目に障害を持つようになったということが、推測されます。
「H」
自分を責めるん(罪悪感)ですね。身体を悪くするほど。すごいですね。
「W」
仏教では心身一如という言葉がありますね。
「H」
心が身体にでる、ということですね。
「W」
蛇足です。レイは目に緑内障という器質的な疾患があったのかもしれません。古沢の目にも器質的な疾患を示す病名が付いていたかもしれません。障害を持ってしまった目自体を見れば器質的な疾患が確認されるかもしれません。しかし、器質的な疾患があれば、それが原因なのだから、原因が心の傷(心因性)ではないとするのは、短絡的です。器質的な疾患がなぜ起きたのかという視点がすっぽりと抜け落ちることになります。大間違い。

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立てる自分がいる|職場への不満と母への依存6/6|セラピーの現場から(681)

<<(680)の続き>>

<殺してくれた方が良かった><殺すより残虐>
傷に触っていたら「死んじゃいそう」と思った。初めての感じを受けた。死んでしまうかもしれないお父さんの心の傷と自分の傷も一緒だと泣いた。色んな事に触れて、怒り、悲しみの奥に狂気があって、狂気の中で怒りや悲しみになって、四方八方に引き裂かれる感じ。お母さんに「殺してくれた方が良かった」と言った。「存在を潰して半殺しにするのは、殺すより残虐だ」と言ったら「そうかもね」と母は言っていた。
存在を潰したい気持ちがあるからか職場の人を「辞めさせたんだね」と言われて思った。
狂気と自分の虐待の悲しみとか一緒になった。傷そのものが自分の中から出せている。

<両手を広げてにっこり>

そのセッションの次の日は関東でも雪が降った。早番の帰り道、駐車場を歩いていたら、向かいの家のおやじさんが車に積もった雪かきをしており、「そこはすべらないか」と不意に声を掛けられた。「はい、滑らないです」と答えた次の瞬間、私は思わず、空へ両手を広げてにっこりと笑って「もうこれ以上雪がふらないといいですね」と本当に自然に気づいたら言っていた。それは、自分が好かれるための人へのサービスではない、本当の私の心から出た、本当の気持ちの、本当の言葉だった。そのはじめての感じに自分で驚いた。
<“もうピエロにならなくていいんだよ”セッションで自立した母の後に続きたい><なぜかうれしい感じがして>
人が嫌いだ、という自分を取り繕うため、人の望むことを予想し、いいことを言っているが、内心は反発心グツグツで胸が苦しかった。いいことを言っているけど心がついてこない嘘だから疲れる。うそのシナリオを自分で書いて、読み上げていた人生だ。だから人といるのが嫌になるのだ。そんな自分だった。
そのことを思いながら坂道を降りる時も、なぜかうれしい感じがしていたら不意に、セッション中に「もうピエロにならなくていいんだよ」と声がした、という母の話を思い出した。自分の本当の気持ちを、表現していいんだよ。さっきのやり取りでそれがでてきて嬉しかった。嘘くさく肯定しあって、ベタベタくっつく。依存しあった偽の愛ではなく、お互いが自立し一人で立って、一人の人間として向き合える、そして、本当の親子になるのだ。と母親が最近言っていた。それを目指して今後も自分を深めていきたいと思っている。
<立てる自分がいる>
暗く寒くて怖い早朝を一人で職場に出かけていく、それを味わうのが怖くて嫌で仕方なかったが、本当の自分を掴んで昨日と地続きの普通の時間の流れの中にある朝として立っていられるのではないか、いや、今まで仕事を続けることで、すでにその中に立てる自分がいたのだと思っている。

<<終>>

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私もお母さんが嫌い|職場への不満と母への依存5/6|セラピーの現場から(680)

<<(679)の続き>>

<私も嫌い><一人ぽっち>
お母さんが立たされている状況も自分が立たされる状況も厳しい。お母さんからの拒否された感じ。確かに私は受け入れられていない、関心がない感じが、分かる。私も「お母さん大好き」でやって来たけど、そう言うお母さんのことを「嫌いだ」と言うところからやろうと思う。そしたら一人ぽっちになる。
<人はどうでもいい>
私は職場でまた調子が悪くなって、馬鹿な“男”だからと社長にも上司にも挨拶を無視したりしてつっけんどんにしている。強い威勢のいい女風ではあるが、実際にはこの間父の入院直前に家に来た兄とは向き合いない、でたらめな私だ。そしてお母さんのようにお調子者で身の入らない仕事をしている人にも、腹が立ってくる。怒りながら仕事している。その話を母にした。母は言った。
「上司なんて、(あなたが)会って何年もしないのに(あなたのその調子の悪さに責任があるはずもない)そんな人はどうでもいい人だ。(責任があるのは)本当は私なんだ」と。
<私も嫌いかも→胸ギューがなくなってきた>
母と言い争いになった時に「私も嫌いかも」と言った。母が私を嫌いというのを信じたくなくていたが、私もお母さんを嫌いかもと言ってしまった。お母さんがまた私を操ろうとしても見破る、お母さんが本当は嫌いだという所から始めてみようと思おう、と言ってしまった。
職場で胸が苦しくて仕事をしていたが最近はそれがなくなってきた。何かあっても冷静に考えられるようになってきている。先日も職場でちょっとした失敗をやらかした。前は自分の失敗(お母さんに嫌われていること、自分自身が肯定されていないこと、すなわち自分の正体)を隠さないといけないから、時間に追われて胸がギューっとなっていたが、それがなくなって来た。
セッションに行く日も満員電車で座れるとか座れないとかで、いつもなら胸がギューっとなるが、ならなかった。隠したいものがあったからそうなっていたのでは、と思う。
隠したいものとは?最初から一人ぽっち。お母さんを嫌いで嫌われていたこと。肯定されなかったこと。それは気が狂いそうな寂しさ、悲しさ。それら自分の中にあるもの。
<傷そのものを出せるようになって来た>
前回のセッションで初めて自分の傷に触れたような感じが忘れられなくて、また、セッションを受けた。始め、この前のようには入れない。入ろうと、職場の自分とか思い出したりした。でも、狂気の自分、怒りも何もわからないような自分に、なった。狂ったように体を動かした。お母さんと兄が組んで一緒になって私を粗末に扱った感じ。もうそこには、いいお母さんはいなかった。
ニュースで虐待の子が報道されている。その子(いらない子)が出て来て、自分にリンクして泣けて来た。虐待の方法も環境も違うが、泣きは同じだなと。お腹を蹴られているように苦しくて泣いていた。狂気の自分にも入れるようになって来たが、虐待された子の傷の感情が出て来た。人のことでリンクして泣いているが、本当に自分の中から泣きが出て来た。本当は泣きたかったのに泣けなかった。追体験して泣いている。ただ泣いている時に、傷そのものになって来た。

<<続く>>

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嫉妬や怒りでおかしく|職場への不満と母への依存4/6|セラピーの現場から(679)

<<(678)の続き>>

<またどこかへやっちゃったア>
そして次のセッションを迎えたが、(心の中がすっきりからっぽのあの感じを)またどこかへやっちゃったア・・・・。
退職した人の代わりに、すぐに新しい人が来た。でも使えない人。仕事の経験がない。できない。私の話を聞いていない。覚えが悪くて遅い。その人が仕事ができないことのしわ寄せは、すぐ私に来た。大嫌いな朝番ばかりやることになった。
<いつものようにグツグツしてくる私の嫉妬><(私と違って)愛されるということが最大の脅威>
上司はその人に変に優しくて、聞いていて私はグツグツしてきた。馬鹿でできなくても優しくされる事が最大の怒りだった。私はこんなに頑張ってるのにバカみたい!!しかし馬鹿でできなくても(私と違って)愛されるということが最大の脅威なのだった。そうしたら、完璧に出来る自分を演出することに神経を費やしている“私”の存在が無意味、になってしまう。
<嫉妬や怒りでおかしくなってくる>
私は何なんだ。焦りと嫉妬や怒りで、だんだんおかしくなってくる。ミスを多発して、自爆して疲れてきた。いつもの私の癖が出始めた。口先だけで真心のない感性の悪い社長。
適当なことばかり言い、その場しのぎで騙す嘘つきの上司。会社はまるでブラック企業。お前たちは何回私の心を踏みにじってきただろう!
待遇について騙されている、嘘をつかれているような感じがぶりかえってきて、自分が騙されているという考えに取りつかれる。
<こちらから捨ててやる>
本当の自分を生きるために馬鹿で鈍い嘘つきはこちらから捨ててやる(職場を辞めてやる)のだ。自分を欲しくて、自分を評価して、大事にしてくれる所を自分で選んでいくのだ。一日中その考えがグルグルめぐる。自分がどうしたいのかわからず四方に自分が割かれ、苦しくて収拾がつかず、会社を捨て、転職しようと思ってスマホで他の就職先を探した。
それなりの給料のところで残業は多いが福利厚生はいい。申し込んだ。出来ない人のせいで仕事が忙しくて、休みの日には暗くして寝ていて鬱になっていた。
<やることは自分を観ることでしょ、捨てるべき人は誰?バーカあかんべえ>
お母さんはお父さんのことで大変で毎日喧嘩のようだった。それでもお母さんに愚痴を言った。そうしたら言われた。
「(心の中がすっきりからっぽのあの感じから)1週間しか持たなかったね」「あなたのやることは今、自分を観ることでしょ」と。今職場を変えたら自分を見ることから遠ざかると。
職場を捨てようとして申し込んだところをこちらから断ったが、職場でその日にまた嫌なことを言われて申し込みを断ったのを後悔した。たまりかねてお母さんに昼休みに電話した。「父の入院の準備でバタバタしているときに、お母さんの気持ちが自分から離れたからと言って、気を引くために騒ぎを起こすな、いつものあんたのクセだ」といわれ、相手にされなかった。
その後メールで「捨てるべき人は誰?」「わかっているのに覚悟ができない。まず母親を捨てろ、バーカあかんべえ」と返信が来た。
<あんたを一番騙していたのはお母さんだよ><気持ち悪いから辞めろ><お母さんは一人になりたい>
一人ぽっちだなと感じた。父も母もいなくなるし、怖い。正社員とか待遇とかで、上司に騙されている、と愚痴ったら、「それはお母さんと兄だよ」と、「あんたを一番騙していたのはお母さんだよ」という。
職場で嫌なことがあるとお母さんに抱きつく、「それは気持ち悪いから辞めろ」という。
それでもお母さんに抱きつこうと絡んでいたら「お母さんは一人になりたい」と突き放された。お母さんに抱きつけば癒(いや)されると思っていたけど、お母さんが私を嫌いだというのを本気で信じていなかった。
最近、それ(お母さんが私を嫌いだということ)一つを考えた時に、「確かにそうかもね」と思えるようになった。あれほど言われているのに信じていなかった。

<<続く>>

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怒りで本音を必死に掻き消している|セラピーの現場から(675)

<W>
671~674について、本人の了解をとって、検討してみたいと思います。671にあるように、彼女は努力を重ね大きな改善を得ました。「物凄く落ち着いている」と言います。
<H>
よく頑張ったなと思います。パニック障害に苦しむ以前の彼女を知っていますのでね。
<W>
私はセッションでどんどん進んでいく彼女しか知りません。
<H>
そうなんです。
<W>
きっかけは、「見捨てないで」というセッションを行い自分を観られたからだ、と彼女は言います。それは何を意味するとすればいいでしょうか。
<H>
674で彼女も言うようにやはり「死」でしょう。これはそこまでは彼女は言ってませんが、本当は死にたかったのだ、と私は思います。
<W>
そこは彼女の了解をとりましょう(*)。
<H>
はい。それが奥のほうに隠れている本音。それが大事です。
<W>
つまり、怒りを力に変えて生きようとするのは本音の半分に過ぎない。もう半分の本音は消し去られていた、ということですね。自分の半分を無いものとして生きてきたのだと言うことですね。
<H>
そうです。無いものとしてきた部分を少し観れたので、よくなったということでしょう。
<W>
672にあるように、「何だか分からない恐怖と戦い」、その恐怖に対して怒りで対抗しようとする。
<H>
これは苦しかったですね。苦しいけど何とか生きていこうとするための便法(べんぽう)です。それしかやれない。
<W>
切ないですね。
<H>
はい。
<W>
673についてです。「弱さや寂しさ」は受け入れられた。その範囲であれば「死」を受け入れた、ということですね。
<H>
よく受け入れられたー。受け入れが起きたことが大切。
<W>
けれども、完全な「死」は受け入れられない。
<H>
そうなんです。
<W>
「植え付けられた死・・・絶対に嫌だ。」とあります。彼女のエネルギーは細く鋭い感じがしますね。そこに葛藤(かっとう)が残ります。改善のきっかけも「死」だったけれど、残るのも死の問題だという事は分かっている感じがします。
<H>
分かっていても、苦労する、ということはあります。
<W>
彼女のやり方で進んでいくのが楽しみです。
<H>
今の段階で、よくやったね、とほめたい。
<W>
674についてです。育児放棄を子供を守ったと説明するくだりがありますね。
<H>
子供に対する死の話は、673と合わせて読むと理解できます。

<W>

母と同じように自分も子供を傷つけた。子供を「殺す想像を何回もした」、殺意があったと言います。しかし、愛する子供にそんなことはできない。すぐに罪悪感の揺り戻しが来ます。もうここでは、別の見方が強調されます。子供を肉体的に「守った」。助けたと言う事実が強調されます。

<H>

彼女は、自分の持つ2つの面を自分から語っています。認識できています。

<W>

それでも2つをまとめて一つにすることは、苦しく、切ない。

<<追加>>
(*)の部分の本人からの確認はとれました。セッションの以前の記録で確認できたそうです。今回の記事内容に対して本人からの感想が次のように届いています。
「怒りで本音を必死に掻き消しているのですね。本質をずらそうとする事が分かり、あ〜やっぱりね♬と納得感があります。」

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人生の息苦しさを解く最後の関門は一つの謎として立ちはだかった(その2)|セラピーの現場から(661)

<見っともない人生>

そういう状況(660参照)の中で、「見っともない人生」を生きてきてしまった、という気持ちがあった。そして、「見っともない人生」をいまだに歩んでいるという、強い不満があった。何が見っともないのか。それが謎だった。自分が愛情をもらえない「干しけ猿」だったという気づきや、ついついエリートやリーダーとして振る舞う癖があるという気づきなど、大切な気づきがあるにもかかわらず、これらの気づきは「何が」の答えにはならなかった。微妙にズレがあった。そして、これらの気づきは互いにつながらなかった。人生の息苦しさを解くことができなかった。最後の関門として残った。謎として立ちはだかった。繰り返して自分の中に湧き起こって来ては自分を苦しめる一つの思い。「自分の人生は見っともなかった。」

<あきらめようかとも>

謎は謎のまま時間が過ぎ、あきらめようかとも思った。思えばつらい人生であったが、自分でもよく頑張ってきたと思う。「干しけ猿」として生まれ、恐ろしい太平洋戦争の子供時代をくぐり抜け、エリートとして、リーダーとして頑張ってきた。少々、他人に煙たく思われようと、頑張ってきた。立派にやってきた。褒められていいはずだ。それでいいではないか。

<でも納得しなかった>

そう思ってもどこかで自分自身が納得しなかった。あきらめなかった。セッション受けを続けた。

<謎は解けた>

やがて謎は解けた。

生きている事自体が見っともない。そのことを、自分自身が認めたくなかった。最後までエリートとしてリーダーとして、なんとか、立派な人生を終えたかった。生きている事自体が見っともなかったことを認めると、今までの人生がウソになってしまい、死んでしまうような気がして、認められなかった。

ところが、認めたら、心のそこからエネルギーが沸き起こり、大泣きした。まるで臨終の人のように、人生全体が走馬灯のように思い起こされた。セッションの中で、それまでできなかった母親殺しを、本気で行うことができた。すっきりした。本当の人生が始まるという強い予感がしている。

 

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ブログに対するご

人生の息苦しさを解く最後の関門は一つの謎として立ちはだかった(その1)|セラピーの現場から(660)

Kさんの人生の息苦しさを解く最後の関門は、一つの謎として立ちはだかった。自分の中に湧き起こって来て自分を苦しめる一つの思い。「自分の人生は見っともなかった。」しかし何が見っともなかったのか自分でも分からなかった。謎だった。やがて謎は解けた。生きている事自体が見っともなかった。

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<働けない子供をどうしたらいいのか>

Kさんは、もともとは子供の問題で、カウンセリングを受け始めた。子供が大学は出たのだけれども、社会に出ていけない、働けない状況が続いていた。

子育てを失敗したという自覚はあったものの、子供をどうしたらいいのかという問題が最も主なものであった。自分自身の問題を探っていくという事はできなかった。

子育てがうまくいかなかったのは、自分が教員の仕事を続けてしまったからだという反省があった。教員の仕事が忙しすぎることが原因だと思った。定年前に教員を辞めてしまった。辞めることで子供に正面から関わろうとした。

<実は子供を愛してなかった>

カウンセリングが進むにつれて、しかし実は、子供を愛してなかったということに気がつき始めた。

<自分自身のこと:エリートとしてリーダーとして>

自分は地方の学生としてはエリートであった。親からは期待され、懸命にそのエリートの道を歩んだ。それは、あとで気づくのだが、母親のプライドのために利用されたものだった。社会的にも恥じることがないように、人々のリーダーになれるように、一生懸命に生きた。でも子育てはうまくいかなかった。また、エリートとして振る舞い、人々を逆に傷つけ続けた。

<自殺願望と寂しさ> <名前「干しけ猿」>

いつも変わらず自殺願望があり、心の中から寂しさが消えなかった。これら自殺願望や寂しさがどこから来るのか。ベビーブレスの中で、自分自身の赤ん坊のころのイメージが出た。愛情をもらえず干からびた猿のような赤ん坊。名前を付けた。「干しけ猿」。母親から愛情をもらえなかった。母親は彼女を望んでおらず育てる気も弱かった。

母親から愛情をもらえず、そのために、自分の子供を愛することができなかったという種明かしはできた。愛することができずに子供の問題が起きていたのだ。

しかし彼女は何か納得ができなかった。自分の心の傷が未だに癒(い)えないという強い不満があった。自殺願望と寂しさはやっぱり消えなかった。

その一方で、エリートとして、リーダーとして振る舞う癖もぬぐえなかった。そして、そのように振る舞えば振る舞うほど、周りの人々とうまくいかない状況になった。

 

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途方も無く長い時間一人だったんだな|逆に宝物に思えるとは|セラピーの現場から(659)

○新生児の私は、何はともあれ7週間の間1人で耐え抜いた。親の支えもなく、自分自身の支えも乏しく、それでも堪えた。あまりに辛い人生のその部分は、なくなって欲しかった。しかし、今、その部分が、自分の宝物に変わっていった。
○私は産まれてすぐに入院し保育器に入れられた。7週間の間1人だった。途方も無い時間、一人だったんだなと思う。感じたくない時間だったのだろう。そのイメージを絵に描くと、氷水にどっぷりつかり、冷たい、寒い、寂しい感じになる。お腹の中の、母と意思疎通のない胎児。保育器に入れられ、誰にも待たれない私、親の期待と違った私、という感じになる。そして、お腹から出てきても一人だった。いつも一人。今も殻の中。薄いカプセルの中。流す涙も無い。一人ぽっち、一人ぽっちで体育すわり。そんな感じのイメージになる。絵を描くだけでもドロドロに疲れる。
○セッションでは、「何はともあれ7週間の間1人で耐え抜いた」という言葉が出た。そのことを自分自身に何度も何度も言ってみた。今までより地に足がついていて堂々としていたかな。感情を止めたなかったし、皆さんが泣いていてびっくりした。耐えたことが一番だったので私は「よく耐えた」とやった。納得と満足があった。
○今までは保育器のことがあって、何かに追われているような焦りがあったかなと思う。でも、今は凄く満足している。保育器のことが逆に自分の自信になる宝物に思えるとは、考えても見なかった。

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「抱っこ」(生きようとする気持ち)と「殺せ」|セラピーの現場から(657)

○母親から自分が殺されそうになる恐怖の記憶から逃れるために、別の人格Kが存在する。人格Kは感覚を持たないので、その恐怖に耐えられる。しかし人格Kは恐怖に反撃する激しい殺意を持ち、謎の部分が多くて制御できず、まれに実生活で現れ問題を起こしてしまうことがあった。最近、人格Kの詳細を把握することができるようになってきていて、セッションで進歩があった。
自分を殺す母親と優しい母親の2つに分裂していたが、その中間の寂しいお母さんが出てきた。対象の分裂から統合への始まりと思われる。死の恐怖の受け入れがあって、生と死の統合が起きつつある。人格Kは、この統合をきっかけに、小さくなり、本人の一部になる兆し(きざし)が出てきた。
○セッションでは(小さい自分がお母さんへの愛情を求める)「抱っこ」を叫んでいた。(始めは母親は)気配だけで誰もいない。(そのうち)殺そうとするお母さんと優しいお母さんが今までは別々だったが両方いるお母さんだった。殺そうとするのに優しくするのは「何で」と(お母さんを)やっつけていた。泣きながら両方のお母さんをやっつけていたのに、目の前に、寂しいお母さんが出てきた。怖くも優しくもない寂しいお母さんだった。初めてだった。私も寂しくなって(近くにあった)毛布を抱きしめて一緒に泣いていた。寂しさに満たされて気持ちがあったかい。
○次のセッションでは、お母さんから殺されそうになった(イメージに入った)。言うことを聞くから「殺さないで」とやっていた。「怖い怖い」と逃げていた。そのうち「殺せ殺せ」「殺してください」「お願いします、殺してください、お願いします、殺してください」と声を大きく言っていた。
その後、「抱っこ」と「お願いだから殺してください」が混じり合っていて、バタッと倒れた。心臓だけがどくどくいっている。指先から血が流れる感じで暖かくなって、指、手、顔が暖かくなった。「抱っこ」(生きようとする気持ち)と、「殺せ」「お願いします殺してください」は私の気持ちで同じ(自分の本音)だと思った。
寝ながら揺れていたら凄く悲しくなって泣いた。3歳の人格Kが一緒に死んだ。Kを抱いて座っていた。Kが(自分の)お腹の前にいる感じがした。

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ホームページの記事もどうぞ⇒実績紹介>より詳しいベビーブレス体験

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遠吠えのように泣けた|激しい怒りを担当する人格Kに近づけた|セラピーの現場から(644)

やまなかや

Kと呼ばれる人格を扱っている。Kは、皆殺しや自分殺し母親殺しを一挙に担当する、破壊的な人格。その人格Kが隠れていて、隠れているのに時々、顔を出して、問題を起こす。これが実生活上の問題となっている。しかも顔を出したことを本人が意識できない。Kがどういう理由で存在するのか、存在しなければならないのか、どのようなことがきっかけで顔を出すのか、詳しいことが意識できない。言葉で説明できない。
最近、その人格Kを絵にすることで、意識できるようになった。そして描いた絵をヒントにしてセッションをおこない、人格Kを中心とした自分の闇の部分を解明している。
***************
○セッションで母から首を絞められるのが出てきた。とともに、優しいお母さんが抱っこしてくれる場面が出てきた。抱っこしてくれるお母さんのところに行けなくて、泣くことしかできなくて泣いて終わった。次に母が幼い私に向かって、私のことは「やっつけられないでしょ」と言う。私は動けないしやっつけられない。自分の中の怒りは出てくるが母には出せなくて自分をやっつけるしかできなかった。お母さんはやっつけられない。Kのようには怒りを出すことができない。だから私の代わりに、Kは、怒りを担当してくれるのだ。
○次のセッションで、「抱っこ」(赤ん坊のように抱っこしてほしいと表現すること)をやった。Kが出て来た。他方でKが出ないように引き止める人(別の気持ち)がいる。せめぎあいの中でやった。引き止められながらも前より自分の怒りを出せた。終わったら悲しくなって寂しくなって来て、セッションルームの端の隅の方で泣くのが一人ぽっちでぴったり来た。怒りの奥には寂しさがあった。
○さらに次のセッションでは、近くにKが怒っている絵を置いていて、やった。
寂しくて泣いた。泣き終わったら、お母さんをやっつけた。寂しさの奥にも怒りがあった。怒りと寂しさは重なり合っていた。Kがやる絵のように、母をやっつけられた。母の上に乗って、若いワンピースをつけたお母さんに乗って、(刃物で)胸を突き続ける。感情もない。ワンピースも(血で)赤黒い。手も(血で)ねっとりしている。刺しても刺しても怒りは止まることがない。刺し続けても疲れない。ずっと刺していた。お母さんの表情が、最初は怖い若いお母さんで、そのあとは今のお母さんが出て来て、(その母には)感情がない。もう一つは私を産んだ頃のお母さん。ただ刺し殺している。こんな母親殺しのような激しい怒りを、今まで、出せなかったのを、代わりにKが担当してくれていた。母親殺しの近くには、皆殺しや自分殺しもある。
○そしたら、再び、寂しくて悲しくて泣いた。最初は少しずつ泣いていたが、そのうち遠吠えのように泣けて来た。泣きながら体を動かして、終わりの頃に「抱っこして」と言いながら泣いている。凄く寂しかった。
○その後、自然な感じで、肩はなで肩になったように力が抜けた。静かな中にいた。寂しいけど気分は良い。今まで引き止めていてせめぎあっていたので出しづらかったが、今回のセッションは、引き止めるものがなく気持ちよかった。今までぼんやりしていたお母さんの顔が、しっかり出て来た。

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絶対嫌だ|でも知りたい|セラピーの現場から(642)

○グループセッションでは、自分の中に大きなエネルギーが湧き起る体験をしている。その時は強く満足する。しかし後になると、なにか、満足しない部分がある。「絶対一人は嫌だ」という気持ちが強くある。頭にこびりついている。絶対嫌の中身は何なのか、自分でもうまく説明できない。そこを知りたい。
○そこで久しぶりに個人セッションを受けた。私は生後8か月のときに、両親において行かれた経験がある。個人セッションの準備として、置いていかれた時の赤ちゃんの絵を「描いて来て」と言われた。描いてみた。どうしても表情がない。顔が描けない。描くのも嫌で苦しくなった。体と頭だけを描いて持って行った。
○個人セッションの当日では、やはり、「絶対一人は嫌だ」というのが出て、自分に向かってくる殺意や自傷がでる。自分が描いた顔のない赤ちゃんを目の前にして、気持ち悪くて、可哀想でもあり、見ていられなくて、絵をグシャグシャにした。
そのうち、(自分を置いて行った)母に対する恨みと呪い殺す感じが出た。しかし、足りない。殺しても殺してもビクともしない。母を呼んでも泣いて呼んでもそこにはいない。震えるくらい恨んで呪い殺した。私自身とこんな私を作り出したみんなを殺した。隠してきた殺意が表現できたのは前進だ。
○この殺意は娘にも向いた。娘だからと言って手加減はない。昔、私は、産まれた娘に対してのオムツを変えなかった。育児放棄だ。娘は今、自閉的だ。当時は娘なんかいなくなれば良いと思っていた。娘に触れないことで、娘を、私の恨みと呪い殺しから守っていたのだ。赤ん坊の自分と、赤ん坊の娘は重なる。赤ん坊の娘と、自分の顔なしの絵がダブル。苦しい。
○恨みや呪いは表現できたのに「絶対一人は嫌だ」はまだ存在する。まだ満足しない部分がある。死を拒否しているのがあるし、生きるのも苦しいというのもあるし。もがいている感じがある。
○呪い殺す時の気持ちを絵に描いた。暗い背景に二つの赤い目だけを描いた。個人セッションから帰って、その後、その絵を全然見れなかった。しまって置いた。呪い殺す、真っ黒な背景に赤い目だった。何でこんなに純粋な(母を求めても得られずに呪い殺すほどの)気持ちを、訴えてはいけないのか、何で求めたらいけないのか、私はどうしたいいのか、本当に生きることも死ぬこともできずに、もがいて苦しくて苦しくて。瞑想でずっとそこにいる。
○そうしていると、母が彼女のセッションで口にする「何で、何で」が出てくる。母もまた母(祖母)に私と同じような思いがあるのか。それと、寝たきりになってしまった祖母の硬直した手とが出てくる。祖母とも微かに会話が成立するときがあり「どうせ私なんか」という気持ちがあるようだ。あの祖母の姿は自分を見ているようで辛い。(おそらく私と同じような辛さの)思いを出してあげたいが、しかし、そうすればきっと今度は自分が耐えられない。手を伸ばそうとしても(私のその手も)硬い。ドキドキする。親子3代にわたって続くものがある。
○私の気持ちを自分ではどうしようもできない。(母を求める)純粋な気持ちなのに(そんな気持ちをぶつけても受け取ってもらえないことも分かっているのに、引っ込めることなどできず)自分でどうしようもできない。もどかしい。だから(母とは関係のない仕事先の)上司や仲間に、(彼らに失態や)何かある度に、物凄く怒ることがある。何としてもひん曲げてやりたいという気持ちが出てしまう。
○描いた自分の顔の赤い目は何を意味しているか。私が純粋に求めているのに受け取れない母を恨み呪い殺す、何もできない無力な自分も恨み呪い殺す、生まれてこなければいい、何で産んだんだというのもある。死を拒否する気持ちがある。一人で死ぬくらいなら巻き込んでやるというのがある。
○「絶対一人は嫌だ」の中身が少し変わった。それまでは、一人ぼっちの死は、自分が弱くなることなので、受け入れられなかった。弱いのが嫌いだった。だから死が嫌いだった。だから一人ぼっちになるのは嫌いだった。でも今回は少し違った。隠していた殺意を表現できたことで、強くなった。正面切って、少しだけれど、死を受け入れることが起きた。

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閉じこもりだった子供の回復は続いている|でも母との関係は怖くて・・|セラピーの現場から(641)

○[閉じこもりだった子供は好調。でも・・]
閉じこもりだった子供の回復は続いている。子供は好調だ。問題は私だ。
私が自分の問題に取り組み始めたことで、子供の回復が起きて来ているようだ。しかし本格的に問題に取り組めるのか。全然自信がない。「やりたくない、今が良ければ良いじゃん。」となってしまいそうになる。
子供の閉じこもりの原因を私が作ったらしいことは、おおよそ、了解している。そして、その原因の中へ、さらに一歩を踏み出すのが、とても難しい。原因が作られた幼い頃の自分(私)の事をちゃんと解ってあげたい。そう、頭では思う。だけれど、なんとも心がついていかない。
○ [・・「ありません」と嘘ついて来た]
それは私と母のことだ。
私は自分に嘘をついて来た。(母へ)いろんな気持ちがあったはずなのに、求める気持ちも、辛かったことも、「ありません」と嘘ついて来た。分かってくれる旦那と子供で埋め合わせていた。でも本当には上手くいかなくて、本当に求めているのは、夫や子供でなくて…(母だ)。この部分をどうしても言いたくない。あまりにも嘘ついて来て、そんな自分が可哀想になる。言えない。(母は)頼りになれない。(本当のことを言わせまいと)自分が自分を縛るのが強い。そんな気持ちはダメ、こんなのはダメとか、ぽろぽろ(弱気になって本音を)出すんじゃないとか、心の声が言う。だから本音は言えない(私と母の関係を認められない)。
<少しでもいいから言ってみてくれませんか>「(母に)もうちょっと側にいて欲しい」「遠くを見てないで近くにいてくれないかな」って。「何も言わなくて良いから近くにいてくれたら」「「何もできなくて良いよ」って言って欲しい」・・・。
この本音を、場所を変えたセッションで、改めて言うことになった。
○[・・引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い]
その場所になると、なかなか決心がつかなくて、「言ってもいいかな」と言うと、みんなが答えてくれて心強かった。おっかなびっくりだった。慣れない。本当になれない。まんじりとしない。少し言葉に出すと、(出させまいと後ろへ)引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い。出すと引っ張られる。他の兄弟より「私を見て」と(母へ)言おうとすると、罪悪感が出る。小さく言った。ちょっとは言えたけど、もっと力を抜いて言いたかった。どうしてもあーなっちゃう。終わった後、頭がくらくらした。みんなが声かけてくれて嬉しかった。一人では無理だろう。大変だった。
原因となったであろう母と私の関係。わかってはいるけど認められない。認められない認められないと言いつつ、今回のセッションで、でも、ほんの少し認められた。怖くて怖くてしょうがなかったが、ほんの少しは、言えた。

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大きなエネルギーが出るようになった|それでも納得できなかった謎の答え|セラピーの現場から(640)

納得できなかった謎の答え。
○幼い頃から抑えていた自分自身を解放するセッションを重ね、ようやく心が開いて、大きなエネルギーが出るようになった。嬉しかった。
○しかし、心底から喜べない気持ちがあった。何かどうしても納得できないことがあったからだ。それが何かは説明できないけれど、納得できないことがあるのは確かだった。謎だった。
そこで今度は、セッションで自分を、再び抑える作業をし始めた。抑えたエネルギーが凄いことを今更のように体験した。そしたら昔と同じように、具合が悪くなり、以前のような恐怖が来るようになった。痺れがきて、身体が重くなって動かない。以前味わった抜け殻のような感じだ。そのようにして、自分を閉じる作業をして、そして閉じた。でも、やはり納得がいかなかった。何に納得がいかないのかもはっきり分からないままだった。
○やがて気がついた。親戚の人の母子関係で、子供を「親が勝手に抑え込む」という話を聞くことがあって、そのことが自分の心に響いた。自分は、自分のことばかりやって、自分の子供への加害性に、意識があまりなかったのだ。子供を抑え込んで自閉的な子にしてしまった。セッションで子供への「ごめんなさい」を言った。止まらなかった。いくら言っても言っても言ってもどんなに言っても許されないような、言っても言っても足らない感じだった。はじめて自分が「親」になった。
「抑えた」ということが、自分で自分を抑えていながら、子供にも抑えることをやってしまったという、そこがなかったなと思った。どっちも怖かった。自分を抑えたという被害者も、やってしまったという加害者も、怖かった。今までは被害者だけだった。それが分かった。そして、再び開いて、再び大きなエネルギーが、わき出した。嬉しかった。納得感があった。

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対談(631)について|大きくヤマを越えて1/3|セラピーの現場から(635)

対談(631)について(敬称略)
林:また、大きくヤマを越える人が出てきましたね。
諸智:自分の問題に向き合い続けるというのは、できそうで、なかなかできないものです。
林:<何が起きたのか>の「後々、気になっていた」「それもしっくりこないでいた」というのは、自分の感覚で自分の中を探るというのが、はっきり出ていますね。
諸智:奥の方に納得したいという感覚がある感じです。
諸智:<殺意を強く抑圧し続けるのでストレス>というのは大きくヤマを越えたから分かるようになったことで、超えるまでは分からなかった。ストレスだけは分かっていた。「分厚い蓋」はなんとなく分かっていたが、その原因である「殺意を強く抑圧」していることは分からない状態がありました。
林:その分からない状態で「殺意」というヒントを逃がさず、逃がさなかったので「殺意⇒猛烈な強い怒りのエネルギー⇒母への殺意」ということを観(み)抜きましたね。
諸智:逃さなかったのも、納得したいという感覚の現れのような気がします。観抜いて自分で納得できて、だから、こころが開きました。
林:「自分の中のエネルギーが湧き出す体験をした」ことは、そういうことですね。蓋が取れたと言っていいと思います。

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激しい怒り|恐怖から何とか逃げようと|セラピーの現場(622)

セッションで行き詰っている。理屈では、自分がなぜ行き詰っているのか、その理由は分かっているつもりだ(母親との関係だ)。でも、感覚ではどうしようもない。
恐怖から何とか逃げようとしている、らしい。それも分かった。激しい怒りは今でも出せるけれど、深さがない。満足しない。物足りない。今までのようには、うまくいっていない感じがする。
どうして良いか分からない。このうまくいっていない感じは、喉(のど)に魚の骨が引っかかっているようで気に入らない。何とか骨を取りたい。
でも、実は、この骨を「取ってたまるか」という本音が自分の中にあるのが分かった。
骨を取ったらどうなるのか?怒りを引っ込めて弱くなることか?何もなくなる自分が出てくることか?そういえば、あまり踏ん張るのはやめようと力を抜くと、声がお腹から出ていた。気持ちよかった。そのことか?でもピンとこない。
後日、自宅で瞑想していて、腑に落ちた。凄い気張って踏ん張ったりせず、力を抜いていられるということなんだ。セッションを思い返して、ああ、なるほどと、今更のように腑に落ちた。何かすごいものつかまえてやろう、すごいこと発見しなきゃ、と頑張ってばかりだった。踏ん張ってばかりで、恐怖が出ても浸る、味わうどころか跳ね除けてしまったんだと納得した。

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「あ~いつか終わってしまう」という感じも今はない|セラピーの現場(610)

(575)(579)(583)関連
その後、日常生活も楽に(?)リラックスしている感じがします。昔のようには気を張っていないというか、力んでない気がします。
自宅で瞑想していますが、日を追うごとに瞑想が変わりました。瞑想していて、別に寝ている訳ではないのに、1日中(?)何時間も寝たかのようにシャキ~!!!!とするようになりました。今までは、このシャキッ!!という感じはあまりありませんでした。
今は何があっても日常が楽しく、現在も楽しいのですが、これからの自分が歩いて行く人生を思うとワクワクしてきます。言わば毎日が遠足前日の気分なのです。今までは、調子の良いときにありがちだった「あ~いつか終わってしまう…」という感じも、今は全くありません。いつまでも続いていきそうなこの気分に、まだまだ、圧倒されそうです。日々瞑想をしたり、日々感じ味わいながら過ごしていきます。そして圧倒されるばかりでなく探りながら過ごしてみたいと思いますが、この深く探るということが中々できません。「ん~悔しい~!!」となります。でも、もう少しだけこの圧倒される気分を味わっていても「良いかな…」とも思っています。

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あちこち相談に行き学校も変えたが原因もはっきりせず子供は睡眠障害に|そして私のセラピー|セラピー現場(588)

子育てがうまくいかなかった。何とか強気で頑張っていたがうまくいかなかった。
段々、子供が学校に行きたがらなくなってきた。
育児に不安を抱えながらも、その不安を見て見ぬ振りをして、気を張って対応してきた。あちらこちらと相談に行き、学校も変えたが、大きな改善は見られなかった。 何が原因なのかはっきりしないままに、子供は睡眠障害を抱えるまで状態が悪くなってしまった。セラピーを続け少しずつ分かってきた。
私はホントは意気地なしでよわっちい。
だって、死にかけで産まれてきたもんね。
お母さんのお腹から追い出されて、未熟児で生まれ、生後3日で保育器に入れられて、1ヶ月半入院したんだものね。
母親は病院から呼ばれるまで、腰痛を言い訳にして見舞いにこなかった。
ひとりぼっちの、存在感のない、しょんぼりした私が、私の奥に、あの時のままいるんだ。
いろいろ分かってきて、誕生の頃のつらさの痛みが強くなるほど、 このこと自体を認めたくないんだということもはっきりし、(いろいろ分かる前に) 子等にひどい対応をした痛みも強くなり、自信のない自分と、先のことへ不安を持つ自分がどこまでいっても現れる。
それでもここまで来たのに。
できたことを手放しで喜ばない自分がいる。

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母は「役に立たなきゃいらない」と私の生を望んでいなかった|なのに頑張る|私の中の<氷水>|セラピーの現場(585)

役に立つように頑張るという条件のもとで、はじめて生きていていいということになっている、自分の中のカラクリが分かってから、生きることがとても楽になってきていた。ところが、同じそこのところで、未だにクリアーできない何かがある。
仕事をしていても(必要以上に周りの状況に)合わせる自分がいる。そんなに頑張らなくても良いのに(と重々分かっているのに、それでも)頑張る自分がいる。それって何だろう。(おかげで溜め込んでしまった)数日の疲れ感を振り返った時に、(分かっていること以外の?)何かあるなと思った。
頑張っちゃって疲れるのはあるが、それ以外に疲れる訳があるのかなと思う。感覚的に何かあるなと思う。ただ体が疲れたと済ませてもいいけど、(心の中の)何かあるなと思う。
ベビーブレスを受ける。
やりたいことは(心の奥にあって未だに避けているらしい)<氷水>のところ。<氷水>の中で本当に孤独な感じで、母親の事情(役に立たなきゃいらないとして私を使い、本当に私の生を望んでいる感じでないこと)も知っている。でもそれだけではないようだ。私が<氷水>の中で感じているのがもっとあると思うので続きをやりたい。
【ベビーブレス】
呼吸を始めたあたりから足が冷え始めてきて、頭もちょっと痛かった。呼吸は止めずにやった。(エネルギーの)吐き出しのときに、逆に体が暖かくなってきて、凄く暖かくなって、呼吸のときの冷えはなくなって、本当に体は暖かい。頭痛はあった。冷たいはずの<氷水>のところへ行く予定だったのに、ずっと暖かかった。でも頭が痛いから(そのまま)ずっと続けていた。体は暖かい、何もなくてただ暖かい。終わりの方になったら頭痛がなくなってきて、暖かくて、何もないけど暖かい。
吐き出しが終わって静かな曲になったとき思った。「ただの暖かい自分」を無しにしていたと思った。そしたら(知らないうちに)泣いていた。何か「条件」がないとダメな自分なんだなと分かる。でも本当は「ただ暖かい自分」が自分なんだな。それを認めるのは自分が怖い。手放しになるのが怖い。慣れていないというか。それを忘れるくらい「条件」があった方が生きやすい。「ただ暖かい」感じを認めていないのは私なんだなと。涙が出てきて分かった。
ベビーブレスが終わって、今、体がポカポカで暖かい。「条件」で麻痺していたんだ。行けたところが<氷水>でなくてちょっとビックリしている。冷たい予定だったが暖かくなった(*)。
(*:避けていた<氷水>という象徴の中に、あるいは手前に、「条件で麻痺」という部分があり、避けずにその部分へ入って行けたので、融けて暖かくなった、と語られているように理解できる)

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自分は何かが腑に落ちない何かが気に入らない|セッションの羅針盤|セラピーの現場から(582)

ベビーブレス(弊社で開発したブレスワーク)のようなセッションに臨むときには、自分自身が強く望むことが重要のようです。自分自身の欲求不満を大切にしてほしいと思います。自分の生き方は何かが腑に落ちない。自分は何かが満足していない。自分の人生を何かが気に入らない。そういう感じが、セッションの中で進むときの羅針盤になります。
強く強く望んで欲しいのです。どのように変わるかはイメージがつかないはずなので、「どのように」を考えることは無意味だと思われます。方向を固定してしまうのは害にもなると思われます。自分自身がどのように変わるかは、変わる前には分からないもののようです。わからないけど、本当の自分をどこかで知っているので、現状に腑に落ちない、満足できない、となります。だから、ただ強く望むことが全てだとも言えるようです。

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ジワ~と全身を満たすような感じ|物凄いエネルギー|セラピーの現場から(579)

前回のセッションで、初めてと思えるような物凄いエネルギーを感じ、そのエネルギーが溢れてきて、永遠に泣けていられるような体験をしてから、一週間以上たちます。今も同じような深い場所に居続けられています。
自分の変化が分かります。とても良いです。ハイになる喜びではなく、ジワ~と満される感じ、溢れる感じの喜び、嬉しさです。まだ、言葉(普通の寂しさや孤独という言葉では十分に表せきれない何か)は見つかっていませんが、その寂しさや孤独を感じられているからこそ、溢れるような満されるような喜びがジワ~と全身を満たすような感じなのかもしれません。味わっていきたいと思います。

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311 ベビーがベビーブレスをした

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もうすぐ2歳の息子のこと。お盆休みに家族で海の近くの宿に3泊4日で泊まった。
着いた日は、海で遊んでそのまま眠りに入っていた。2泊目の夜だった。息子が12時頃に泣き始めた。なだめてみるけれど止まらない。泣き続けている内容が「寂しい」から「怒り」になった。私は殴られる引っ掻かれると散々。お気に入りのタオルを抱いたり叩いたりしていてやっつけている。甘えと怒りを何度か繰り返して最後は<殺してやる>という感じになっていた。(殺されているのは多分私)もっとやれ、もっとやれ、とやらせた。あまりの騒ぎに夫はいられなくて違う部屋で寝た。息子はお構いなしに続けた。泣きながら怒って、走って違う部屋で怒ってと繰り返して、1時間位やった。見ていて、甘えと怒りと殺しが手に取るように分かった。最後はそのまま死んだように寝た。私は感動して涙が止まらない。凄いなーと。ベビーがベビーブレスをした。
次の日、息子は凄いいい顔をしていた。澄んだ瞳で晴れやかな顔だった。あれが生きるという事か!溜まっていたのを全部出していた。(溜めさせていたのは私で、感心してばかりもいられないのだが・・)生きようとしている。彼のパワーを出している。
この前の自分自身のベビーブレスでちょうど「死」をやって「振り向けば南」(参考:ブログ番号242)の感覚を味わったばかりだった。その感覚がなければ、息子の行動の意味がわからず、やらせられなかったと思った。息子もその感覚を私から間接的に受け取って自由になっていたのかもしれない。「振り向けば南」の感覚は良いな。
今は息子と私はお互い自己主張している。「嫌だ」という息子にこっちだって「嫌だ」と言ったりしている。楽しい。

247 「ベビーブレス」:赤ちゃんへ|生きることは、贅沢。喜び。愉快。歓喜。

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「ベビーブレス」:赤ちゃんへ
赤ちゃんは可愛い。なぜ、あんなにまで可愛いのか。天使のよう。赤ちゃんは、生と死がほとんどくっついているところで、生きている。数年前までは、数か月前までは、この世にいなかった。いないことが自然だった。いないことが当たり前。いわば死の中に溶けていた。いることは、とんでもないような贅沢。喜び。愉快。歓喜。だからあんなにかわいい。だからあんなに生き生きとして、生きる。笑う。泣く。
赤ちゃんは少し前までこの世にいなかった。この世に登場する準備中の10か月の間、生と死が同じ価値を持っているところにいて、毎日を過ごしていた。また消滅し、母の胎内に吸収されることも起きうる。生きる事は当然とはなっていない。大人になると生きられることが当然なってしまうが、未だ、なっていない。生きることは、何か当たり前の既成事実のようには、なっていない。
私たちは皆たかだか数十年前には赤ちゃんだった。そのことを知っていた。体感していた。実は今も知っている。ベビーブレスではそこへ入っていく。

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244 あったかい自分が生まれている|自分が生まれ自分を産むその瞬間

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ベビーブレスで胎児期や出産期の記憶と思われるものが体験されても、なかなかうまく言葉で表現されることは少ないのですが、その少ない1つの体験例を紹介します。この体験例では、産む自分と生まれる自分の両方が同時に体感されています。1回目、2回目、・・・というのは、ベビーブレスでは、複数回に分割してセッションンを行うためです。
「1回目の吐き出しのとき、頭がぐっと締め付けられる痛みがあった。生まれるときの痛さに似ている。産もうとしている。生まれようとする、頭が痛い。産もうとすると力む。力むと同時に締め付けられる。出す感じもあって、(一体ではなく)離れている感じ。締め付けられる方と、出て行く方と、両方の感じ。自分が自分を生んでいるようでもある。離れていくのにびっくりした。
2回目の吐き出しの前も、グリグリしてでようとしている。スポンと生まれた。一瞬間があった。「?」真っさらな自分が、あったかい自分が、生まれている。ただ泣くことしかできなくて、怒りでもない。何もできないから求めるだけ。凄くあったかい真っさらな自分。そのまま、ワーッと泣いていた。
3回目のときは、あったかい感じで泣いていたら、閉じる自分も温かくなっていた。閉じるのは変わらないが、それも温かくなった。温かい自分も、閉じる自分も、愛おしくなって涙が溢れる。
その後の瞑想:あったかい自分がいたというのは嬉しかった。あたたかさを感じていた。閉じるのも嫌じゃない感じ。閉じる訳も理解してOKとなった感じ。今、体がめっちゃ温かい。」

 

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192 生まれてすぐの自分と他の区別|既にある

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ベビーブレスでは胎児期の記憶が出ることがある。というより、それが普通。精神分析の学者の世界では、生まれてすぐでは、自分と他(主に母親)の区別がないとするのが主流だったので、堂々と「胎児期の記憶」などといえない雰囲気だった。しかし最近は、生まれてすぐでも自分と他の区別が既にあるとするのが勢いを得ているらしい。経験上、当然と思う。

 

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143 初めてのベビーブレスー生まれて始めて「浄化」を体験

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本日は1日セッション、本当にありがとうございました!

ベビーブレスでは心から解放感を味わう事ができました。
カウンセリング中は笑いが絶えなくて、とても楽しかったです。またゆっくりとお話がしたいです。
今後もセッションを継続していきたいと思います。
以下に感想を記載します。
【ベビーブレスの体験感想】
ベイビーブレスを受けての感想を一言で言うならば「心が洗われて本来の自分に戻れた」です。
本番での三回のセッションでは段階を通じて、抑圧してきたネガティヴな感情(怒り、嫉妬、悲しみ…)を解放させて、抱えている問題の根本と真正面から向き合う事ができました。
セッション前と後では明らかに自分の表情が変わり、本来の自分の感覚や欲求が蘇ってきました。
本番を迎える前から二、三週間程、メールのやり取りでカウンセリングを行い準備をしていた為、 本番では抵抗なく自分と繋がる事が出来たと思っています。
言葉では上手く表現出来ませんが、生まれて始めて「浄化」を体験出来て、とても貴重な時間でした。今後も継続して本来の自分と繋がっていきたいと思います。

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