健康な母親だったら!私自身の本性にも触れた|セラピーの現場から(686)

「健康な母親だったら!」というセッションを行って。
<母>
母は必ずしも、私にとり万全の母ではなかった。大正末期に生まれた、貧しい農家の後妻の次女だった。(祖母は後妻としての遠慮も当然にあったであろうから、自分の子供に十分な愛情は注がれなかったことも想像できる。)食うや食わずの日々を過ごす当時の環境を考えれば、経済が最優先の時代で、環境は厳しかった。 小学校を出た母は、街場の小さな紡績工場で日銭を稼ぐ日々だった。
その日々の稼ぎ高こそが、周囲からの母親への評価。その評価こそ、母親が彼女の両親から得たかった愛情の代替えに違いなかった。(母親のこころの中に経済が重要な尺度として形成されたと思われる。)
<母から受け継いだもの>
この母親の状況が、私の生きざまに影響を与えてきた。(私は母から愛情をえたかった。母は彼女の両親から直接の愛情は得られなかったであろう。そのため、私が母から直接の愛情を得ることもなかった。)
与えられた影響は私の中にもそのまま受け継がれている。
私は、父から受け継いだ会社の責任者になった。そうして、それが、母親から受け継がれた状況が、無意識のうちに出た
「私は今よりも売り上げを上げ、今よりも利益を出さなければいけない」と思ってやってきた。売り上げダウンや赤字はけっして許されないと。私は私で仕事を通じてどれだけお金をかせいだか、という尺度だけを持つようになっていた。
<愛情を母から求めることはできなかった>
母には、子供から「求められる愛情」に応じるという感情は、育っておらず、持ち合わせていない。
その結果として私は愛情を母から求めることはできなかった
母から思えば「私だって必死にやってきた。面倒見てきた。たいへんだった。何が文句ある?産んでやった。育ててやった!」という思いだったのであろう。自分の経験即だけに基づいた思慮判断しかできなくなっていたと思う。母は、「当然」という感覚、「とにかく私はやった」という感覚に支配されていたと思う。
(小さい私は、それでも幾度も、母親に求めた。しかし果たせなかった。否定された。求める感情は抑えられた。)その感情を吐露する度に私は酷い後悔と自己嫌悪に襲われるからだ。
<裏切られた思い出>
5歳ごろのことだ。叔父の結婚式の直後のことだった。親戚や近所の人が三々五々に帰途につき、私の家族だけでお茶を飲み一息入れていた。時間も遅くなり私は眠気に襲われた。その場を離れるのも寂しく私は母の傍へ寄り添って休むことを考えた。(小さいこどもとしては自然なことだった。)一方、迷いも生まれた。否定されたら「どうしよう」と。でも、思い切って、母の腰元に寄り添った。案の定、母は私をピシャリとはねのけた。「甘ったれんじゃないよ!」って感じだった。やり場のない感情が私を襲った。そして私は自分を責めた。
私は、求めるという私の感情を、幾たびかの経験を持って、心の奥深くに綴じ込めてしまった。
私は諦めと同時に、歪んだ渇愛に自己を慰めて生きてきたし、そのような精神状態にいささかな満足感も得ていた。
<あきらめ>
「もう、何を言っても通じない!何を思っても、わかってもらえない!」という思いが私の心を占めるようになってきた。この人(母)には、「もう無理」って。だから、もうその心を「出さないようにしよう」心の奥深くに「仕舞い込もう」と私は思った。そしてそうしてきた。
そして、今回のセミナーである。
その諦めていた母への渇望愛、歪んだ感情と、押さえ込んでいた私の心に、もし「健康な母親にだったら・・」の声は今までにはない衝撃だった。
<「健康な母親」をイメージできなった>
何度かの母親への(求めるという)チャレンジが打ち砕かれ、私には母というものに対する否定感が生まれていた。(成人してからの異性に対してもその否定感は当然に及んだ。)それは、どのような素晴らしい異性でも、私の求めるものを満たしてくれる人はいない、絶対にいない、というものだった。
求める「相手」はいないものの、一方では、求める「心」は存在している。葛藤していた。「どこかにいる。」「きっといる。」「バカ言うな」「そんなのいる訳ねえだろう」って。
結果、「求めない心」にすればよい、となった。そうして、想像することもしなくなった。だから、「健康な母親」というイメージは、私にはまったく考えられなかった。(そのはずだった・・・。)
<ところがブレスワークで>
そのままブレスワークに入った。私はその母親の腰元に何の躊躇もなく飛び込み、「母ちゃん、母ちゃん」と力の限り泣き叫んだ。五分、十分時間の感覚はなくなっていた。
涙にまみれた私のほほに伝わる母の皮膚感覚は現実的、肉感的なものであり、その感情は私自身の本性にも触れた気がした。
そうだ、私は60年、この感覚を求めていたんだ。このほとばしるような熱い感情を表に出したかったんだ。何の抑圧もなく誰にも遠慮することなく、全身でこの感情、感覚を心のままに任せて。
この時間が永遠であってほしい・・・。
至福に満たされた感覚、感情の中に永遠性を求め、私はひたすら浸った。その後、不思議な感覚が私を襲った。何と私の背後、背中にはぴったりと寄り添う父の姿があった。
(それは実母のイメージではなかった。しかし、あの厳しかった父が、優しいイメージとして現れた。)
ブレスワークから時間がたった今の実母感は、おかげでフラットになっているよう思える。(自己嫌悪を覚えるほどではなくなったかもしれない。)
私が母子関係を学び、自分自身を学べたようには、学びを得なかった実母の悲しさと寂しさと無知を、私は今、受け入れているように思う。

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