きっかけは人間関係の行き詰まり|アコールセラピーの現場から(725)

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人間関係で行き詰ったが、両親を理解でき生きやすくなった

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子供を心からかわいいと思えていないのではと不安|アコールセラピーの現場から(724)

Babyブレス経験者の声: 手汗の問題がきっかけで実は怒りを抑圧していたことがわかり生きやすくなった ******************* お試しの「無料カウンセリング」もあります 自社施設紹介

もの心ついたときから手に汗|アコールセラピーの現場から(723)

Babyブレス経験者の声:
手汗の問題がきっかけで実は怒りを抑圧していたことがわかり生きやすくなった

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抱っこして、一緒にいて、逃げないで3/3|アコールセラピーの現場から(722)

(つづき)
<H>(寂しさや怒りを出しまくって)家族など周りは大変だった、迷惑したと、まずい話ですね。実はいい話もいっぱいあるのです。いい話もしてもらいましょう。彼女の話だと、職場で信頼されるようになった、パートなんだけれど社員よりも頼られるようになった。上司への不満をちゃんと言えるようになった。など、次のように言ってました。

<S>
「「職場での活躍」」
販売接客業のパートを10年勤続。小さな店舗で7年程。今は大型店舗に勤務している。
小さな店舗では途中から店を任されることに。その頃、感情表現も出来る様になっていたので上司や社員に相談したり、意見したり、納得いかない事には怒りをぶつけたりしてきた。
「お客さんに満足してもらう為に」を軸に、店舗では店の問題点を改善したり、お客さんにも、一緒に働くパートの皆んなにも、意識を向けて観ていたし声かけしたりしていた。そしてよく話を聞いた。大変ではあったけど充実していて売り上げもどんどん上がって成果は上げた。
上司は私にこう声を掛けてくれた。「いつも五感を使って仕事をしている。」「店全体がよく見えていて、目の前の仕事をしながら、いつも三手くらい先の仕事を常に頭に置いて動いているよね」と。常にアンテナを張って仕事をしていたのでそう言われたことは素直に嬉しかった。半分本気のような冗談で「マネージャーやって欲しいわ」と言われたりしていた。
この頃には「大型店舗に行ってバリバリ働いてくれないか」と言われていたが、その大型店舗のマネージャーの事が苦手だったので、断っていた。でも、そのうちその苦手マネージャーが移動になり、大型店舗勤務になった。その後も、私の仕事のやり方は変わらずだった。
次のマネージャーからも、更にその次の今のマネージャーからも、色んな事を相談された(頼りにされた)。パート仲間からも仕事や私用でも相談された。自分でも周りから頼りにされている事がわかった。馴染みのお客さんも沢山できて仕事はやりがいはある。
ブレスも進んできてより深まって来ていたのでどっしりしてきていた。
(私が私をひとりぽっちにしていた。私が私を大切に扱えるんだと気がついた時期)
人からの評価は気にならなくなっていた。
本社から巡回で、お偉い方々が来られる時がある。私の仕事を見ていた社長が「皆んなが彼女(私)のようなレベルの仕事働き方をして欲しい」とコメントして下さった。
怒り、恐怖、殺意、更に生と死の体験をしてからは、より素直により正直になってきたと思うし、色々感じる力も増したと思う。
<W>
いいですね~~。彼女の持っているものが解放された。起きたというべきでしょうか。
しかし下手すると、ブレスを知らない経営者から、彼女のように{意見ははっきり言いましょう}{仲間に声掛けしましょう}{仕事は五感を使いましょう}{三手先を頭に置きましょう}{好き嫌いははっきりしましょう}などのノウハウをつくられてしまいそうです。が、勘違いしてはならないのは、ノウハウなどで意図して起こしたのではなく、ブレスで自分を取り戻すことで、自然に起きたことなのです。意図してすることには無理があります。偽物のにおいがします。大して効果はありません。起こすことに価値はなく、起きることに価値があります。
<H>
彼女の真の実力ですね。
職場だけではありません。家庭についても彼女は言います。子供たちも自分の気持ちをお母さん(彼女)に話せるようになった。子供が寄ってくるようになった。うまく対処できるようになった。子供の気持ちもわかるようになった。思春期の自分の子供がトラブルを起こしても動じなかった。どっしりしていた。彼女に内面を話すようになっていった、などと言います。以下は、その一部です。
<S>
「「子どもの気持ちが理解出来た」」
そもそも私は親から「あなたはどうなの?どう思った?どう感じているの?」っていうような問いかけをされた事が無い。父や母と感情に触れるような会話などした事が無い。
ブレスを始めてその事のおかしさ、気持ち悪さ、人として生きていなかったんだと気がついた。まず自分の寂しさに気が付き、ブレスで泣いたり母に怒りを出し始めた頃から、段々と理解出来てきた。ブレスで寂しいって泣いたり甘えたかったとか嫌だったとか駄々っ子とか怒りとか、とにかく湧いて出た色々な感情を出す事、表現する事の気持ちよさを知ったから。
ちょうど次女が駄々っ子していた時期に私もブレスで(同じように)経験して「あ〜駄々っ子ってこんなに気持ち良いんだぁ。足をバタバタさせ最後は全身で汗流しながらバタバタって気力も体力もいって全力でやるって凄いなぁ」って、自分が経験してから今度は次女に感心するまでになった。
感情を出せない事がどんなに切なく辛く苦しいのか。また母に気持ちを理解してもらえない、繋(つな)がれない事がどれだけ絶望的か、、。ブレスが進むにつれて理解が深まっていって、気がつけば、日々のイライラが少なく八つ当たりも無くなっていった。
以前は、例えば「片付けしなさい」って言ってもすぐに言う事を聞かない子どもにイライラしていたし、「あれは嫌だこれは嫌だ」と言う子どもが理解出来ず「わがままばかりいいやがって」と腹が立ち理由も聞かず怒り飛ばしていたし、私はあれもこれもとやる事いっぱいで大変なのにと子どもにイライラをぶつけていた。
<H>
職場や家庭での彼女の変化について、語ってもらいました。再び、死のエネルギーと生のエネルギーを扱い始めた頃に戻ってもらいます。
<S>
「「生と死」」
この頃には随分どっしりとして安定感が出てきた、落ち着いている。地に足がついていて、自分を生きている実感もある。

「「その後のブレス」」
産まれたくない、自然の力重力に負けて産まれ落ちたけど、私は産まれたくなかった。戻りたい。ここ(子宮)が良いここから出たくない。私はここに居る、母と一体になって繋がっている。

ここから絶対に出ない。死に向かう、私の思いを貫く。これは究極の思い通りだ!母と一体のまま死ぬ。
<W>
死のエネルギーが深まります。しかも「一体」なんですね。
<H>
彼女の怒りは生。ここは死。死といっても、この死は、母と自分の一体の死です。母は自分を産んで生かした生の源であり、母がもっていたであろう殺意から彼女の死の源でもあります。そこに注目すると、生と死の統合という要素をもはらんでいると思います。
<S>

安心し満足、大満足、たまらなく幸せ。
<W>
すごいね。
<H>
すごい。
<S>

そして、皆んなに見守られる中、土葬されている様な死。
<H>
彼女がブレス場で言っていました。「楽しんでブレスしていた。あー楽しい。」本当にそんな感じでした。
<S>
大地と一体になる死の体験。じわじわと溶け込み大自然の一部になった。そこから今度は芽吹き、成長して木になり、枝葉が広がりぐんぐん伸びて大木になった。
<W>
怒りというのは、生エネルギーのうち陰のエネルギーとでも言うべきもの。この場面は、生エネルギーのうち陽のエネルギーですね。気持ちいいですね。生エネルギーが陰陽で全うされた感じです。死を通って全(まった)き生へ、です。生と死の統合です。
<H>
統合ですね。
<S>
死のエネルギーも生のエネルギーも壮大で同じエネルギーを感じた。感動で涙が出る。
<H>
「同じ」であることを感じ取った。
<W>
ほんとに「涙が出」ますね。

********おわり***********

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抱っこして、一緒にいて、逃げないで2/3|アコールセラピーの現場から(721)

(つづき)

「「怒り」」
(母に求めても、母には届かない、応えてなんかくれないこと)そのことへ、とにかく怒った。求める度に気がつかない、わかろうとしない母へ怒った。
<H>
「気がつかない、わかろうとしない」というのは、無意識的な無視で、母に内在する消極的な殺意でしょう。
<W>
でしょうね。「いらない子」と「気がつかない、わかろうとしない」というのが起こりえるのは、背後に無意識の殺意があるから、と考えられます。
<S>
時に唸り、吠えたり雄叫びをあげて段ボール(母の身代わり)を殴り蹴飛ばし馬乗りになったり踏みつけちぎって捻って潰した。あっさり潰れることにより怒りが増す。怒りは出せるだけ目一杯出した、爆発していた。出せることがとにかく気持ち良かった。
求めても求めても母の反応は無い。母が遠い。私への意識が無い。出しまくったら、なーーんにも無い事が良くわかった。
<H>
「なーーんにも無い」というのは自分(彼女)への敵意さえない。敵意でも虐待でもあった方がまだまし。
<S>
孤独、ひとりぼっちの恐怖。気狂いになると思った。気が狂う、こんか恐怖には耐えられるはずが無い。閉じるしかなかった事に納得もした。
<W>
この恐怖、はじめの方で語られた「のっぺらぼう」とつながりますね。
<S>

私は母に安心して100%の依存したかった。でもそんな事は叶わない。だんだん怖くなって、「助けて欲しい」って誰に向かうでもなく、ただずっと「助けて助けて」って叫んでいた。
「「大きな衝撃:あんたが気がついてあげないと」」

その時ふっと自分に対して「あんたが気がついてあげないと」って思った。えっ!私!!
ハッとした。すっごい衝撃だった。
<H>
大きな気づきですね。なかなかないです。
<W>
永遠に「助けて助けて」を繰り返していっても不思議ではありません。この復元力というか健康さに目を見張りますね。いわゆる治療的自己ですね。
<H>
彼女の強さですね。
<S>
目が開いた、目が醒めた。誰でもなかった、私だった。今まで気がつかなかった自分に怒りが湧いた殺意で自分に向った、本来の私を生かしたい生きる為に(自分を)殺した。
<H>
自分殺し。愚かな自分を殺した。同時に死の受け入れを感じます。
<S>
深く深く泣いた。「私」に謝ったただただごめんなさい、私が「私」を大切にしていなかった本当にごめんなさい。本当の私の存在に気がついた。心強い存在。
<W>
死を受け入れた、その瞬間に、本当の自分を手に入れた。
<S>
そこから日常生活もすごく楽に送っていて気づいたら周りに求めなくなっていた。ひとりぼっちを受け入れていてひとりで大丈夫になった。
<W>
この「ひとりぼっち」、いいですね。人依存とは正反対です。
<H>
この頃から、彼女は、どんどんどんどん安定していきました。
<S>
「「エネルギーは永遠に枯れない/諦め無くて良い/自由だっー」」
その後のブレスでも母を求める。
私を受け入れ理解出来るのは私しかいない。でも私はただただ母を求めて叫んだ。母を呼んだ。どんどん出てくる湧いて溢れて出てくる母を求めるエネルギー。この求めるエネルギーは止まらないし永遠に枯れないって思った。もう諦め無くて良いし諦められるものでは無いと思ったそれ程までにすごいエネルギー。そう思ったらなんか自由だっーって感じた。
<H>
ダメな「母を求める」のではなく、自分の生きるエネルギーに気がついた。同じようにブレスしても難渋する人は、このレベルの手前でとどまってしまう。手前でとどまって、深くまでいかない。浅いところでパニックになって盲目になってしまう。
<W>
鍵になるところですね。百万回でも読んで欲しい、話して欲しい。
<S>
こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか?こんなにあるのに無い事にしていたなんて、そう思うと泣けて泣けて胸が締めつけられ痛くて苦しかった。そして子ども達の顔が浮かんだ。皆んな持ってるんだね、求めているんだね、求めてくれることがありがたいし「こんなお母さんだけど決して諦めないでね」って思った。
<H>
いいお母さんになったね。
<W>
「こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか・・泣けて泣けて胸が痛い」、いいですねえ~。
<S>

「「殺意」」
怒りでどんどん自分の中心子宮がムズムズするどんどん熱くなる。「いらないなら産むな、産みっぱなしにするな。」「わかった振りをするな、被害者面するな許さん許さん!」怒りに震えてとどめを刺す。殺意は父や夫子ども達、祖母祖父にも向いた。そして自分にも。子どもを利用した私、子どもに意識が無かった私。被害者面する母と私は一緒だ。私も加害者だ。最大の怒りに震えた。
<H>
この怒りのエネルギーは、統合されるべき生のエネルギー。本当の自分のエネルギー。純粋の怒りのエネルギー。何が「のっぺらぼう」だよ。
<W>
はい。「のっぺらぼう」とは正反対の人になりました。
<S>
寂しさや怒りを出しまくっていた時期は、日常生活でも抑えきれず、(怒りを)周りに出しまくっていた。思い通りにならないと怒り、寂しくて泣いたり嫉妬も酷かった。とにかく周りの人に私を1番大事に私を大切に思って扱って欲しかった。H先生からは「家族にちゃんと説明するように」って言われていたので、話をして(寂しさや怒りを)「出させて下さい」ってお願いはしていたけど、(人生で)今まで出せなかった分かなり凄かったと思うし(周りは)大変だったと思う。
<H>
家族など周りは大変だった、迷惑したと、まずい話ですね。実はいい話もいっぱいあるのです。いい話もしてもらいましょう。彼女の話だと、職場で信頼されるようになった、パートなんだけれど社員よりも頼られるようになった。上司への不満をちゃんと言えるようになった。など、次のように言ってました。

(つづく)

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知る人ぞ知る秘密のバラ園(山中湖)|アコールセラピーの休憩時間(720)

 

今年もまた、散歩のついでに、あのバラ園へ行ってきました。知る人ぞ知るあのバラ園へ。アコール研修施設から少し歩きます。独特の雰囲気、至宝の香り、・・・何とも言えません。

バラが好きで、ほかのバラ園にもよく行きます。府中の深大寺植物園の広大なバラ園、横浜港の見える丘の環境抜群のバラ園、・・・、でもここは特別です。

個人のバラ好きのご夫婦(特に奥様)が、個人的な思いを山のように込め、費用度外視で、バラの天国を作り上げています。足の踏み場もないほどに、バラが密生しています。また、バラの香りがとても強い。山中湖の厳しい冬を毎年生き延びるので、野生の生きるエネルギーを目覚めさせ、バラの体臭を振り撒いているのかもしれません。素晴らしい限りです。特にブレスワークの後では、五感が、バラに圧倒されます。

素晴らしさの割には、知られていません。山中湖の住民でも知らない人もいます。ポスターなども見かけません。ことさら秘密にしているわけではないのでしょうが、あまり多くの人に来てもらっても、ご夫婦だけでは対処にしようがないのか、宣伝する気は感じられません。バラの数が膨大で世話が大変なようで、奥様は「今年でやめる」と毎年言っています。でも、うわさを聞きつけてか、観光バスもたまに来るようです。今年はコロナで来ませんが・・・。

「オープンガーデン」「塚原ガーデン」「MF(何の略か不明)ガーデン」などと呼ばれています。他の人のブログで地図などの載った詳しいものもありますので、必要な人は検索してください。入園料ひとり500円。開園期間がとても短い。6月後半から7月頭まで。

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抱っこして、一緒にいて、逃げないで1/3|アコールセラピーの現場から(719)

<W>
今日はSさんの話ですね。
<H>
彼女は、ご自分で、絵と原稿をまとめてくれました。ありがとうございます。以下<S>の部分はSさんの原稿の部分です。
<S>
アコールのベビーブレスの事は兄と義姉を通して知っていた。
「「ブレス以前」」
今思うと、ブレス以前の私は、のっぺらぼうの顔なしのようだった。自分がなかった。自分の意思がなかった。母親のいいなりだったが、それで良かった。

私は生きにくさも感じていなかったし、なにより母との関係に何も問題が無いと思っていたので(ブレスなど)必要では無かった。
「「ブレスを受けるきっかけ」」
ブレスを受けるきっかけは夫のパチンコによる借金の発覚。私の父親もパチンコによる借金で夫婦喧嘩が絶えない家で育った私は、結婚前に常々、夫にそれが嫌だったと話をしていた。(夫は私の気持ちを)わかってくれていると思っていた。(しかしそうではなかった)家事や育児に協力をしないTVやゲームばかりの夫へ不満、不信感も募っていった。イライラを子どもにもぶつけたり、思い通りにならない事に怒りが止まらない。精神状態が悪く、やっと私にも何か問題があるのではないかと思い始めた。
<H>
似た人を選んだんですね。
<W>
自分のことが分かる前は、そんなもんですね。
<H>
それで増幅して、追い詰められるのかもしれません。
<S>
「「はじめのころのブレス」」
夫、私、長男、長女4人で東京へ夫と私が個人セッションを受けた。
夫、父への怒りを出す。嫌だと知っているのに(パチンコなど)何故するのか。わかってもらえない怒り、寂しい。
(そのブレスの中で)母からの殺意に気づいた。恐怖。いらないと思われている。いらない子だった。母に向かい「殺さないで欲しい、助けて」とすがる。母が堕胎をしていた事実を、ブレスを受ける前に知った。それまで両親は隠していた。「いらない子」はショックだった。でも何か問題があるのかもしれないと思い始めていたので、その何かがこれだったのかとスッキリした。そして今まで何も問題は無いと頑なに思っていたのか納得がいった。
<W>
「頑な」になる必要があった、隠す必要があった、ということですね。
<H>
本当は知っていた。知らないふりをする必要があった。
<W>
Sさんが言いたいのは、堕胎という生命軽視の環境があって、その環境の中で自分への扱いが「いらない子」であった、ということですね。
<H>
はい。子供の命が大事にされない状況です。
<S>
月に一度の勉強会や3〜4ヶ月に一度のグループカウンセリング&ブレスを始めてから、自分の想いや感情に意識を向けるようになってきた。本当の気持ちはこうだったとか幼い頃の記憶を思い出せたりもした。
「「思い出した記憶の例1、スーパーの商品を食べた」」
4歳頃母と2人で近所のスーパーへ買い物へ。ガムが欲しかったけど母に欲しいとは言えなかった。でもどうしても欲しくてひとりでお菓子売り場に行った。縦にぶら下げて陳列している袋入りガムの一番下を一つちぎってその場で食べた。甘くておいしいって思った。でもすぐに怖くなった。心臓がバクバクした。悪い事をしてしまった、、。ばれたらお母さんを困らせてしまう、、。「絶対にバレませんように」って思った。
<H>
「欲しい」ということを言える状況ではない。心の中はそうなのですね。
<S>
「思い出した記憶の例2、寂しくて寂しくて嫌だった」
小学校低学年の夏休みの朝、仕事に行く母を見送る為、バス乗り場まで一緒に行っていた時の事。バスに乗り込む母に笑顔で「行ってらっしゃい」って手を振っているんだけど本当は泣きそうなのを我慢していた。バスを見送った後も近所の人に見られたくなくて泣くのを我慢して帰った。ひとりで家に戻るのも寂しくて寂しくて嫌だった本当は一緒に家に居て欲しかった。
<W>
「寂しくて寂しくて」などの本当の深い気持ちは「我慢」しなければならなかった。「近所の人」だけではなく当の「母」に対しても。
<S>
「「ブレスで溢れ出た寂しさ」」

ブレスでは寂しさが溢れ出て家族や周りの人達皆んなにわかって欲しかった。本命の母へは○○して欲しいという思いがたっくさん出てきた。「抱っこして、一緒にいて、遊んで、こっちにきて、そばにいて、ギュっとして、私だけ見て、逃げないで、気付いて、、」とにかく母に求めた。でも母には届かない、応えてなんかくれない。

(つづく)

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ブログ(715)への感想|2〜3歳の頃から理由がわからない不安|アコールセラピーの休憩時間(718)

<W>
ブログに対して寄せていただいた感想をご紹介したいと思います。
<H>
ブログ(715)「命もっていかれるような不安1/3記憶がはっきりしない」を読んだEさんの感想です。
<Eさん>
ブログを読んでいる時は内容に引き込まれる感覚で、自分に重ねる感じは無かったのですが、その後の瞑想で、幼い頃のいくつかの場面を思い出しました。
記憶にあるのは、2〜3歳の頃から理由がわからない不安が常にあった事(今は母親に拒絶される不安だったと思う)。思い出す場面で、その時の会話や様子から、母親の気持ちを感じ取っているが、自分自身の気持ちがわからない。
母親の感情が全てという感じだった事を思い出しました。どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じがすごく悲しかったです。
<W>
ブログが刺激になっていて、その時には思い出すことはなかったのが、瞑想で深く自分の中に入ったときに、思い出したんですね。
<H>
ブログでも「記憶がはっきりしない」とあり、簡単には思い出せなかったことが前提ですね。深いところに深いところが響いた。そういうことですね。
<W>
響いた先が「理由がわからない不安」で、わかってみると「母親に拒絶される不安」でした。ブログ(715)~(717)でも、「命もっていかれるような不安」があって、その不安は、はじめは理由がわからなかったのですが、やがて母親からの不安ということが判明します。
<H>
そのあたりは共通しますね。根源的な不安はやっぱりそこになりますね。そういう厳しい不安に小さなころからさらされることで、「自分自身の気持ちがわからない」状況になり「母親の感情が全て」となってしまうことも、よくあることです。
<W>
「どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じ」とありますが、その中の「意識が全くない」というのは、どちらの意味なんでしょう。母親の意識が自分(Eさん)にない、という意味か、あるいは、自分自身(Eさん)が「自分(Eさん)の気持ちに意識が全くない」という意味なのでしょうか。
<H>
そうか。私は当然、前者の意味と思っていましたが、後者の意味の可能性もありそうですね。
<W>
ブログ(715)~(717)の内容を前提にEさんの感想を聞くと、私は、後者の意味にとれていました。子供のころからきつい不安に触れ続けると、自我の発達が弱くなり、そのため自分と母親の境界がはっきりしなくなり、母親だけではなく、同じように自分自身も、
同じ感じになってしまう。どちらも悲しいけれど、後者のほうがさらに悲しいですね。
<H>
Eさん、感想をありがとうございました。ブログを読んで感じるところがあっても、なかなか文字(言葉)にするのは容易ではないですね。しかし言葉にしようとすることで、自分の中の大切な部分を何度も見つめることになり、有意義なセッションになることと思います。Eさんから次のようなメールをもらいました。
<Eさん>
思った事をそのまま言葉にする事は難しいです。隠したり、ずらしたり悪い癖が出そうで慎重になります。自然でいたいです。

<H>

追伸:Eさんから、意識がなかったのは自分自身(後者)だそうです。回答ありがとうございます。

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命もって行かれるような不安3/3|謎の罪悪感から生と死の受け入れ|アコールセラピーの現場から(717)

(つづき)

<謎の罪悪感>
<H>
この頃の彼は、罪悪感という言葉を盛んに口にします。この執拗な罪悪感はどういうことなのでしょうか。彼の言葉だけでは謎です。本当は、母を護もりきれずに死なせてしまったために罪悪感があるのではなく、実は心の奥では、狂気の母を攻撃していたのではないか?
<W>
はい。
<H>
意識に上らないように抑え込んではいたものの、自分に十分な愛情を注ぐこともなく病気に逃げた母を、攻撃し、自分を孤独にし寂しさの暗闇に追い込み心に大きな消えない傷を残した母を、攻撃し、その攻撃する気持ちに対して、罪悪感があり、その罪悪感だけが、最近になって意識されるようになった。
<W>
はい、はい。
<H>
そういえば、昔、狂気の母に対して、「関わらない、見て見ぬ振りなどした」ことがありました。
セラピーを通して自分の中には癒されない「大きな怒り(殺意)」があることが分かっています。何への怒り(殺意)なのかははっきりしません。その自分の中にある怒り(殺意)を、本命の母に向けることが一番の恐怖です。
<W>
はい、はい、はい。
<H>
怒り(殺意)を母に向けると、病気がちでいつも弱い存在であった母はその殺意に耐えられず、母を失うことになります。優しく愛情いっぱい(彼にとっては)の母を失うことになるのです。命の基盤であった大切な母を失うことになるのです。それには私が耐えられません。それが一番の恐怖です。
<W>
はーい。
<H>
それでも殺意は依然としてあるのを知っているから、母に何かある度に、自分に責任があるのではないか、隠れている殺意のせいではないかという罪悪感が襲ってきます。
<W>
追加として、彼自身も彼の中に母と同じ狂気を感じる部分があると思われますが、その狂気の正体も、物凄く強い殺意(怒り)のエネルギーなのではないでしょうか。これは、彼の口から語られることはなく、未だはっきりはしません。

<母親殺し>

絵6
<W>
いよいよ彼は自分の殺意を正面から扱えるようになります。絵6には3つの絵が描かれます。
左側の絵の中央に描かれる灰色のシャツは彼です。ピンクの服はお母ちゃんです。
上側の絵のピンクの服もお母ちゃんです。黄色の服はお祖母ちゃんです。
右側の絵のピンクのスリッパは、ピンクの服を着たお母ちゃんが履いていることが、先の絵4で描かれています。殺意を表す鬼のような顔は、本人とお母ちゃんで、同じ顔が描かれています。世代間伝達です。
<H>
本人からの絵の説明です。
「(ベビーブレスで)、殺意(をやっていて)、お母ちゃんをぶっ殺していたら、お母ちゃんがお祖母ちゃんをぶっ殺すイメージが同時に…(出てきた。)左上は、(症状が重くなったお母ちゃんが)新聞紙で塞いだ窓。左下は、「死にたい、死にたい、死にたい」と書かれた(お母ちゃんの)ノート。右下は、(絵4でも描いた)鉄格子越しのピンクのスリッパ。怖い象徴。」
「母親になって気狂いをやろうとしたがなかなか上手くいかない。・・・(母親からの)「死にたい」というのが来て、死ねばいいじゃないか、だったら殺してやろうかとグワッときた。馬乗りになって首を締めた。意外と早く死んだ、ぐにゃぐにゃになった。気に入らなくて捻ってグニャグニャにして、抱えこんで首も折って。死んでいるのに。手が食い込んで一体になった。やっている間に、だんだん寂しい塊になって来た。だけどギューっとやっている。死体でなくなって来て、寂しいの塊になっていた。大切に思えて離せなくなった。後でやっちゃったと言うのが来た。また泣けた。あったかい涙。終わってから罪悪感が来るのかなと様子を見ていた。来ない。」
<W>
母親への憎悪(殺意)と愛情が一体になっています。愛憎の統合です。罪悪感は来なかったんですね。
<H>
その事実が一番ですね。
<母親への殺意を出してみて:消えた罪悪感>
<H>
彼は言います。「自分の中にある殺意は母に向けてのもの(である)と、ここ最近では確信していた。しかし母は何としても(自分が)護る存在。聖域。もし母にそれを向ければ母は死に、自分も死ぬ。その恐怖で抑え込んできた。それが一番怖かった。しかし出してみて・・・。(謎だった殺意は)自分が母に向けて(のも)であるように、殺意は(ある)対象に向けてのものであるが、そうでは無い(対象はない)とも感じられる。それぞれ(自分、お母ちゃん、お祖母ちゃん)の中にあるもので、抑圧した寂しいかたまり。
・・・うまく繋げられない(説明できない)けど、重い蓋を少し開けられたことで、安心して怒りのエネルギーを出せる気が今はしています。罪悪感に脅える感覚も、嘘のように消え去っています。」
<W>
世代間伝達で代々溜まっていて彼が受け取っていた殺意を、ようやく出した、ということと説明されています。殺意は単に母親へだけのものではないと。

<阿闍世コンプレックス>
<W>
この殺意と罪悪感は、阿闍世コンプレックスを暗示します。そう考えると、彼の、命もって行かれるような不安というのも、理解できます。
<H>
阿闍世コンプレックスは、胎児期に母親から殺されそうになったことへの恨み、というようなことですが、
彼自身が次のように言っています。
セッションが進んで自分の出自に興味が出て「「どこで生まれたか」と聞いた時の父親の反応。堕すという話があったよう。親父が言っていた。「子はかすがいだ」と言っていたので、そうだ。」
<W>
本当は堕されるところだったが、「かすがい」として利用するために産んだ・・ということでしょうか。この阿闍世コンプレックスについては、いつか、もっと詳しく彼に話して欲しいです。

<愛憎の統合から生死の統合へ>
<H>
彼は、「俺は生とか死の話とは無縁」で、よくわからないと言っていました。しかし、母親への殺意(憎悪)は明確になりました。
<W>
なりましたね。
<H>
はじめのころ彼は、母親から愛された誇らしいような感覚を持っていました。少なくとも母親への愛情は感じていました。そして今回、母親への殺意(憎悪)が明確になりました。そのため、愛憎の統合が着手されました。
同時に、母親のもとで幸せに生きたいと思う生と、「命もって行かれる」という死との統合も着手されたとしてよいと思います。生と死の統合のど真ん中を進んでいると言えると思われます。
<W>
そのようにして愛憎の統合や生死の統合が起きてくれば、母親へのこだわりは減って自立が始まります。
<母親離れ>
彼は言います。「よく泣いた。呼吸していて、エネルギーがワーッときていて、言いたくてしょうないみたいな。何か言いたくてしょうがないというのがワーッと来て。マットレス(母親代わり)が良かった。お母ちゃんだから丸めて文句言っている。時より怒りが来て首しめたり愛おしくなったり、文句言って、雑に扱うんじゃねえ。無視するんじゃないと言っていた。怖くて寂しくて向いて欲しいと思っている。・・・お母ちゃんに「寂しいって言え、不安だと言え」と言っていた。そう言っていて愛おしくなった。・・・怒るほど優しくなる。不満だったりストレスだったり抑えていたのが残念だったりする。お母ちゃんをずっと抱いていて離さない。ぶっ殺しているが愛おしい。文句言えた。「泣いてみろ」と言った。(母親が今も)生きていたら・・・(このセッションを受けさせに)連れて行きたい。」
<W>
母親に支配されていたのが、愛憎の統合が進み、母親から離れ、母親を癒そうとしています。
<H>
ほんとうに。
彼は言います。「・・・不満が出て来て、寂しい求める感じが出て来て、お母ちゃんを抱きしめる。どんどん(感情が)上がってくるとぶっ殺す。やればやるほど濃厚になる。どんどん(昔に)戻って、どんだけ(愛情が)なかったんだよ、なかったことにして来たんだよというのが凄く出て来た。ブレスが(時間がたつのが)早くて勿体ない。・・・もう終わっちゃうのかと。体を動かしていたらお母ちゃんをおいて一人で踊っていたら、・・・体が軽くなって、風のようにフワフワと舞っていた。・・・よりパワーアップして自由に踊って気持ち良かったです。・・・しばらくしたら暖かいものが来て、布団を抱きしめてお母ちゃんと一体感。気持ちいい。瞑想は無になれて気持ち良かった。・・・みんなの話でも寂しさが伝わって響く、どんだけ寂しいんだろうと増して来た。分かっていた自分もいたが、全然分かっていない、足りていない、小さな坊主が叫んでいる。凄く納得する。」
<W>
愛憎の統合が進み、自分の人生を「納得する」ということでしょう。
<母親との別れ:バイバイ>
<H>
彼は続けます。
「・・・母を抱いた。・・・力いっぱい抱きしめた。大好きと抱きしめた。力一杯大好きとやっていたら、殺意が出て来たのでブッ殺していたらまた大好きとでた。・・・吠えていた。ダンスだから動いていた。一人になろうと思い布団をおいて動いていたら気持ち良くなって来た。上に向かってバイバイと自然と出た。その涙はしめっぽい涙ではなかった。・・・自分が風になった。風になって吹きまくっていた。涙も止まってただ単に呼吸も静かにユラユラ揺れていた。・・・静かで寝ているように静かに無で瞑想できた。凄く心地良かった。」
<W>
母親との心地よい別れですね。

<心からの求め:完成>
<H>
ブレスの中で勇気を出して「お母ちゃん」と叫んでみますが返事はありません。
「・・・今まで大きい声で「お母ちゃん」と叫んでみたい願望はあった。それをやってみた。やりたいと思える事ができるようになった。勇気が言った。腹から「お母ちゃん」と叫んでも何もなかった。期待していた・・・甘い世界があると思った。愛おしくなることもなく、止まってしまった。そんな訳ないと叫んでみたら、何もない事が自覚した。何もないのは母の意識がなかったと思った。ない事が自覚して来たら一人と言う自覚が出て来た。寂しかった。イメージとは違っていたが、知っていた感じもあった。ビックリというよりもそうだよな・・・という感じだった。何度も何度も「お母ちゃん」と叫んでいる自分が母を求めているものがとめどもない感じがあった。ずっと言いたかった事で叫んでいると自分が愛おしくなった。もっと一緒にいたかった。自分の中にあるものを出している実感があった。・・・腹のそこから叫んで本当に心から求めた。
・・・寂しさ、一人だった。甘いのがないのを経験したから苦痛だが、「お母ちゃん、お母ちゃん」と求めていた。だけどいなかった。・・・一人でずっとこれまでそうなんだと、どこかで知ってたが実感がなかった。本当に一人だった。常に一人なんだけど、一人だからお母ちゃんを感じていた。・・・マットレスを抱っこしていたら時より怒りがきた。寂しくて、ぶっ殺すよりも思い切り力を入れて体を密着させてお母ちゃんをピッタリした。こねくり回して密着させた。それでも一人だった。本当に愛おしいし、本当に大好きなんだと実感した。それで良いと思った。それを誤魔化してきたから、(今回誤魔化さずに)良かった。寂しいのは甘い世界だった。・・・寂しいから癒着してラブラブだと思ったが、向こうは全く(愛情は)なかった。・・・」
<W>
母親に愛情はなかったが、自分は心から求めることができた・・・。
<H>
心から求めることができて、「一人」の意味が違ってきます。
「(ベビーブレスで)・・・一人になって落ち着いた。凄く安心の場所。・・・それが自分。泣けてきた。お母ちゃんに甘えたくなって、「ずっと見て、ずっといて」と声に出して叫んで泣いた。落ち着いてきた。きちがいが怖くて、嫌だったのに、凄く良い気持ちになって、そこがお母ちゃんで甘えることもできて、安心感が出てそこにいたかった。・・・遊んでいる感じ。一人で遊んでいる。テーマは一人だった。実際遊んでいた。楽しかったんだと。取り巻く環境は怖かったが遊んでいたのは楽しかった。・・・意味分からないが勝ち誇ったよう。「勝ったぞー」と。凄く気持ちよかった。」
<W>
・・・自立が完成しました。人生の困難に勝ったんですね。

<孫が眩しい>
<H>
実生活でも変化が出てきます。かわいい孫への気持ちが新鮮です。
「涙が止まらなくなる。寂しさも怒りも怖さも冷え切ってカチカチしていたのが、緩んだり溶けたりしている。(そこへ)触れるとダメ。Hちゃん(彼の孫)はもうダメ。光輝いている。眩しくて(自分も輝きたかったという)憧れがあって、これだろうと思う。」
<W>
周り中が眩しくなりますよね。

<本当はこうしたかった>

絵7

絵8
<H>
ここまでくると安心して、本当はこうしたかったという気持ちを表現できます。
絵7、絵8を表現して彼は次のように言います。「一緒にいるときにいなかった感じがあるし、(今も)一緒にいたいんだな。一緒にいたくて離れたくなくて置いていかれたくなくて連れて行って欲しくて、とにかく一緒にいたい。・・・大好きなんだなと思った。やり直しをしたい。甘えたり、抱っこしたり、置いていかれそうになったら駄々こねたり、病院の鉄格子の中にも一緒に行きたい。」

絵9
<H>
絵9について、「あったかい家族全員で過ごしたかった」と言います。

 

絵10
<自分と富士山と星空が一体:贅沢>
<H>
彼はそれまでも、みんなとワイワイするキャンプは好きでしたが、ソロキャンプをも楽しめるようになりました。そこで神秘的といえるような贅沢な体験をします。
「今年初のソロキャンプに・・・行った。・・・怖いのを取っ払ったら、晴天、満天の星。焚き火していると夜でも富士山が見える。夜中ぼーっとしていた。そこで(瞑想の時のように)呼吸を整えたら、星と一体になって富士山(の中)に自分が入った感じになった。点の自分と富士山と星空が一体になった。・・・全部富士山になっている。宇宙と地上の間の富士山と自分がいる。
富士山のシルエットの中に自分が入り込んで、宇宙と繋がっている、大地に根がバーっと張っている。死って宇宙だと分かった。あっちに行って無の世界か。この世にきて辛いことも生きているのかと考えた。
自分のとっての死が原点、贅沢で寝る。・・・満喫した。一人で贅沢味わって満喫する。一人は贅沢。
それでキラキラして起きる。(セッションが進んで)死が怖くなくなった、生きやすいと言っていたが、(さらに進んではじめから)生きていたんだなとなった。愛おしい。」
<W>
死と生がともに受け入れられるものとして語られます。
<H>
バンザーイ。

(終わり)

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命もって行かれるような不安2/3|母親の発作を止め早く終わらせて・・|アコールセラピーの現場から(716)

(つづき)

<イモリ、ハムスター、インコ>
<H>
本人の言に反して母親との関係はあまりよくないので、そのため、友達との関係もうまく作れなくて、彼は小動物のペットを友達にします。ブレスが進んで幼い頃の自分をよく思い出すようになった彼は、そんな幼い自分のことを「チビ」と呼びます。
「怖くて、寂しくているチビ(自分)を周りから見ている感覚になった。そして泣いた。チビの頃、イモリを飼っていた。それをいじっていた。これが寂しい。イモリと遊ぶしかない。唯一の友達だった。暴れているイモリを撫ぜていたら大人しくなって眠った。イモリと通じ合えた。それとなら通じた。縁側でイモリと遊んでいた。たまらない。何でイモリと遊ばないとならないのか。
ハムスターも7回飼った。死んだらまた飼った。小動物と寂しさを分かち合っていた。・・・イモリやハムスター、インコ。頭に乗せたりしていた。(小動物をかわいがるように見えるので学校の)先生に「優しい子だ」と言われるのが嫌だった。優しくもない、寂しいだけ。」
<W>
グループカウンセリングの中で、幼い頃の自分をチビと呼ぶ彼は、自分を治療する治療者のようでした。
<H>
このころ、A兄ちゃんの存在もあって母親は安定し、彼は幸せな時期を過ごします。しかし、A兄ちゃんに全面的に頼るということも不可能でしょう。やがて破局が来ます。そして母親の大きな発作が起きます。
<W>
うーん・・・・・。

<母親の発作を止める:早く終わらせて楽しいことやろう>
<H>
彼は言います。
「母の発作を止めたあの場面(絵には未だ描かれない)は中3の時だ。多分きっかけはA兄ちゃんが音信不通で帰らなくなったことだと思う。この中学3年の時が相当やばかった。どんどん実感がわいてくる。刃物で(自身を)切ろうとしている母を(羽交い絞めにして)止め、それ(その現実)を見ないようにして、「早く終わらせて楽しいことやろう」などと思っている。究極を行っている。力緩めたらイコール死の状況なのにそう思っている。普段ビクビクしているのは当たり前だ。究極そうした。発作の場面はこれまで気違いが怖かった。」
<W>
「早く終わらせて楽しいことやろう」。自分の心の状況を守るものが、それしかないんですね。「気違い」というのは母親の状況であり、自分自身の危うさでしょう。
<H>
彼は続けます。「自分自身の(中学卒業に向かっての)進路の不安と、A兄ちゃんがいなくなることと、それによって母がまた崩れていく恐怖と、全部重なった時期だ。発作は何回もあった。後々発作を起こしても包丁や(鉄道への)飛び込みは止めれば良い。しかし、この中3の怖いのは、比ではないのがあった。」
<W>
「比ではない」というのは自分自身の危機・・・ということです。
<H>
彼自身が狂ってしまうかもしれないという恐怖・・・。その恐怖を今思い起こして消化し、理解が進んでいきます。
彼は言います。「母親は、病気の時は子供(私)どころでないが、一寸良くなれば(私へ)愛情を注いだというのはあるのだろう。閉鎖感があった。母親の発作が起きる瞬間に自分は白ける。「又かよ」と表向きは思っている。(実は)凄い恐怖があるからだと思う。お母ちゃんが健康なら(包丁を持ち出したりしないで)子供を守ろうとすると思う。大好きで「お母ちゃんはいつも優しくて・・」とやっていたのがおかしい。」
<W>
「おかしい」と、自分を振り返り始めます。
<美化する自分への理解>
<H>
彼が二十歳代の時に母親はなくなります。彼は言います。「(母が)余命1年の時に、(母の世話を)自分がやりたくてやったが、やりたくない自分もいた。大好きなお母ちゃんと(自分で)言っているが、(本当なのか)疑ってしまう。客観的に考えたら、何事もなく穏やかに過ごせた時間が少なかった。嫌がっていたり、恨んでいたりしたかもしれない。他人の家の家族の食卓が羨ましがったりしていた。〈悪感情を抑圧し〉押えて蓋して、美化している。それをやらないと、自分が美化した人間でないとまずいとなる。お母ちゃんがダメなら自分もダメになる感覚だから。」
<W>
美化しないと幼い自分が危なかった・・。

<突破口となった怒り>
<H>
少し復習しますが、彼は彼自身の問題点として、自信がなく、不安感情が強く、(物事を)ぼやかしやすく、強い抑圧があり、奥さんへの八つ当たりをしてしまうことなどを、認識できており、さらに、ブレスワークを怖いと思いながらも少しずつ進んできていました。そして、以上のように、自分の成育歴もだんだんはっきりして来て、母親との関係も徐々に明らかになって来ました。また、自分自身も悪感情を押えて蓋し美化しているなどと見抜くようになってきていました。そうして大きな突破口となったのは、怒りでした。
<W>
そうでしたね。

絵5
<W>
この絵5では、自分チャートとして8つの絵が描かれています。セッションを受けて変化していった自分の意識です。意識は左から右へ、上から下へ変化します。以下、説明のために、第一~第八の絵と呼びます。
<第一の絵>
はじめのころ(過去の自分)を示す絵には、中心には怖さ(恐怖:黒色の玉)が描かれ、それを隠すように周囲にはしらけ(薄青色)が描かれます。初めのころのブレスワークを怖いと思う意識です。
<第二の絵>
その後、しらけの中から怒りが現れます(濃い青色)。同時に寂しさも現れます(茶色)。大きな突破口となる怒りが出せました。彼は言います。「(映像は出てこないけども)何故か、怒りが出てきた。怒りを吐き出した。ギャンギャン怒っている。前は分からなかったが意図して怒っている。終わったら寂しくなった。(でも)気持ち良い。」
怒りを出せると恐怖からも逃げないでいられます。
「(怖いところから逃げないでいられた)ずっと怖いところにバックれ(しらけて逃げること)ないでいれている。子供の頃からの、怖いドキドキに近いような匂いがするところにずっといる。・・・・・・・・怖いとこがベタっとあって。すごく泣ける、怒りが、感覚が、出てくる。ベターっと怖い感覚にいる。」
<第三の絵>
そうするうちに、中心には本当の自分としての小さな坊主(赤色:チビ)が認識されます。怒りや恐怖を扱えるようになり、本当の自分に出会えます。
「小さい坊主と出会って、寂しいというのが自分のものにできてきた。何でそうなったのかに行きたくなっている。その坊主が何でそうなったのかと。それを無視して放り出していたのが溶けてきたから、何でそんな可哀想になったのかを知りたいのだろうと思う。拒絶している意識はないが嫌だと思っていた。」
<第四の絵>
怒りや寂しさが、より大きくはっきりします。
本当の自分が何を感じているのかが少しずつ分かるようになります。
「・・・何なんだという怒り、取り巻く怖さは何なんだと。お母ちゃんを求めるが感じられない。泣いた、怒って泣いた。」
彼が坊主と呼ぶ幼い自分自身を、治療者としての彼自身が扱います。しかし怒りの対象は未だに謎です。
「・・・・・怒るかと思ったら泣いちゃった。おーおー泣いちゃって。・・・・・・毛布を抱っこして小さい自分。・・・・マットレスが敵だった。取っ組み合っていた。蹴っ飛ばしたりぶん殴ったり破いたし地面に押し込んだし、良いあんばいだった。・・・・久しぶりに出てきた子供。一人ぽっちで寂しい坊主を感じた。ずっと抱っこして凄く泣けてきた。満足するくらいやれた。マットレスを小さい子も一緒になって叩いていた。一緒になっていた。マットレスはお母ちゃんだというとやれない。・・・泣きながらやっていた。動いていた。毛布を高い高いや飛行機ブンブンをやった。・・・ずっと寂しかった坊主と今の自分が一つになる。・・・毛布を丸めて抱くとたまらなくて愛おしくて泣いていた。やっぱりここかと。前は白けがやってきた時は嫌で怒っていた。白けている坊主をギューっとして、白けは俺じゃないかと。今日はずっと寂しい坊主と一緒にいた。」
<第五の絵>
第四の絵の段階が過ぎて停滞が生じます。停滞の原因が、表現されることを拒否している殺意ではないかと、グループカウンセリングの中で気が付きますが、受け入れきれずに再び、怒りや寂しさが追いやられて消され、しらけが優勢になります。
<第六の絵>
その後に突然、恐怖の中から殺意が爆発します。爆発する殺意は恐怖と同じ黒色で描かれます。殺意自体が寂しさをも伴っています。今までの寂しさの中身がはっきりし、(母親を)求める自分や愛しさ、あったかさを感じるようになります。
「寂しい自分が自分だろうな、「お母ちゃん、お母ちゃん」と求めていた。ずっと泣いていた。恋しくて愛おしくてずっと泣いていた。凄くお母ちゃんを求めて、キチガイじゃないお母ちゃん、兄ちゃんも寂しいし、みんな寂しいしここに来て、求めていても満たされない。でも求めているので満足。」
<第七の絵>
寂しさはさらに大きくなり、もはや恐怖(黒色の玉)は描かれておらず、代わりに爆発する殺意(黒色)と本当の自分(赤色の玉)が描かれます。まるで、本当の自分には殺意があり、それを閉じ込めていたので恐怖が存在した、というふうに取れます。
絵には描かれていませんが、殺意の近くには罪悪感がありました。殺意の対象がわからないのと同じで、罪悪感の正体はわかりません。
「小さい頃からずっとそうだった。・・・最後の最後に出さないように踏ん張っていた自分が出て来て泣けた。逃げているんだと。罪悪感や殺意も感じないようにバックれている。・・・だから凄く疲れる」
わかるのは、ずっと一人だった、ということです。
「やっぱりぶっ飛んでんだなと思えて。再確認できた。ずっと一人だったので、ずっと一人だった。・・・母に意識がなくてずっと一人だった。最後の方のブレスにそこに行けた。背中を丸めてヤモリ、鳥、ハムスターとか何でも飼っていた自分。なんかすっきりした。一人ぽっちだと分かってすっきりした。」
<第八の絵>
最後の絵八では、本当の自分は寂しい自分であると認識でき、その寂しさには底がないと感じます。
このように寂しさを正面から扱えるようになると、正体がはっきりしない殺意や罪悪感に焦点が定まります。そして、殺意や罪悪感の正体を受け入れるようになっていきます。

(つづく)

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命もって行かれるような不安1/3|記憶がはっきりしない|アコールセラピーの現場から(715)

<H>
世間では、新型コロナ災害の第一波を何とかかわし、緊急事態制限が解除されました。
<W>
死と生の統合シリーズの第三弾として、ようやく、新しいブログを出すことができます。心待ちにしていた皆様、お待たせしました。
<命もって行かれるような不安>
<H>
今回のまとめは、小さなお孫さんがいる男性です。
<W>
よくやりました。彼自身も無我夢中の感じで来たと思いますが、よかったです。
<H>
はじめのころ、彼が意識できる彼自身の問題点としては、次のようなものがありました。
○自信がないこと。自分への過少評価を凄くする。
○不安感情が強い。(自分の心の中を)はっきり見たら「命もって行かれるような不安」がある。
○だから(物事を)ぼやかしてきたので、(いつも)霧の中にいるようで怖い感じがする。言い換えると、周囲がはっきり見えていない。(もしも)見えたら怖くないと思う(が見えない)。
〇世間では良い人と言われるが、実は強い抑圧がある。(抑圧のはけ口として)奥さんへの八つ当たりをしてしまう。ストレス溜まると奥さんに甘える(だから八つ当たりができる)。
○(何に対してかわからないが)怒りがある。煮えくり返るものがあると思うが、それは出ないものの、甘えられる奥さんに(ある程度)出てしまう。わざとやっている自覚はない。子供の前でもイライラするとガーって当たってしまう。「お前のせいだ」と押し付けたり、「ごめんね」と謝ったり繰り返す。
<W>
命もって行かれるような不安や、何に対してかわからない怒りがある、というのは大きな手掛かりでしたが、彼自身は、それらの謎解きを積極的に話すという感じは、少なかった印象ですね。
<H>
その代わりセッション(ベビーブレスなど)の中では夢中でやっていた感じです。夢中でやった結果、振り向いたら、いつの間にか謎が解けていた・・という感じでしょう。
<W>
実践派ですね。

<記憶がはっきりしない>
<H>
はじめのころ、問題点の背景になるものとして彼が意識できるものには、次のようなものがありました。
○精神的病になった母に育てられた。
彼は言います。「お袋が勤め先から帰ってくるとき、笑っている顔だと、だんだん近づいてきて表情を見てほっとする。調子悪い顔だとドキドキしていた。顔色を伺っていたんだなと。」
○お袋の病状が悪化して最後に言葉が喋れなくなった場面は恐怖体験だった。(子供心にはっきりわからないまま)何度となく、最終的には病気で「そうなってしまうんじゃないか」と怖くて怖くていたなと。
○その精神的病が(おそらく)原因で両親が離婚したこと。彼は母親に引き取られた。
○離婚などもあり何回か引っ越ししているが住居の記憶がはっきりしない部分がある。
<W>
「笑っている顔だと・・・ほっとする」「そうなって(悪化して)しまうんじゃないかと怖くて怖くて」と母親を失うことの不安を言っています。それが問題点の背景だと・・。ところが、ベビーブレスなどの実践をしていくと、もっと奥の方へ入っていきますね。
<H>
奥へ入っていくのは、もっと、後のことで、はじめのころは消えていた記憶と対峙することで精いっぱいだった、かもしれません。
彼は言います。「ブレスワーク(をすること)を思うと怖い。呼吸することがキチガイになる感覚。自分がキチガイになる感じ。記憶の母か、自分がなると思う恐怖なのか。」
<明るい畳の部屋>

絵1
<H>
辛い記憶がよみがえる前は、彼は、自分が愛されて育ってきたという自負がありました。そのような幸せな記憶も描いています(絵1)。
彼は言います。「自分が赤ちゃんで畳の部屋でバタバタしてる感覚が出てきた。明るくて陽がこうこうとしていて、父ちゃん母ちゃんもいたイメージが出てきた。木漏れ陽があって、自分が守られている。ただ寝ているだけ、それが居心地良い。泣けてくる。凄い、光にも包まれていて、畳の臭い、太陽の臭いがして感覚に残っている。いつもお母ちゃんがいて何ともない安心感。包まれている中にいた。こんな世界があるんだと泣けて、泣けてきた。」
<W>
あったかい絵ですね。もっとも、人は誰もいませんけど・・。
<H>
絵は描かれていませんが、おっぱいと母親の記憶もよみがえっています。
彼は言います。「おっぱいを飲んでいる。足りなくなってくるとお母ちゃんがおっぱいくれて、気持ち悪くなるとお尻を掻いてくれて。下から見上げているお母ちゃん。味とかもフワーとして、温かく満たされてベットに寝かされて。自分だけ安全な所にいる位の感じ。怖くも寂しくもない。居心地良かった。おっぱいを飲んでいて、臭いも感じてきた。望まれていたかどうかは分らないがお母ちゃんは大事にしてくれた。愛情を感じた。」
<W>
「大事にしてくれた」とあったかい記憶ですが、陰はありますね・・。
<H>
「望まれていたかどうかは分らないが・・・」ですね。
<W>
表面は明るい畳の部屋・・、ですが、チラチラと暗い奥が・・。辛すぎるのでしょう。
<H>
そうなんです。
彼は言います。「幼稚園はバスに乗って行っていた。笑っていたお母ちゃんが出てくる。存在として親父もいたよう。卒園した後、離婚した後だと思うが、小学2,3年ごろの記憶を抹消してなくしていた。」
後でわかったことですが、このころ母の具合が悪くなり、入院などの都合で引っ越ししなければなりませんでした。
<W>
離婚、入院、引っ越し・・・辛いことが重なって記憶が消えたんですね。引っ越しで、明るい畳の部屋も実際に失ったことになります。
<H>
いいこともありました。小学高学年の頃には、母親に新しいパートナーができ、離婚の痛手が癒(いや)されます。彼はその人をA兄ちゃんと呼んで、なつきます。彼は言います。「A兄ちゃんが外に連れて行って(キャンプやバーベキュー)くれて楽しかった。」
<W>
パートナーができ母親が安定したことで彼も安定したんですね。

<働く母を見る安心感>

絵2
<H>
そのようにして、彼は、小学高学年から中学にかけては、安定していたんです。幸せな時期ですね。
<W>
そういう時期があってよかったですね。
<H>
もっとも母親が本当に真に健康になったわけではないでしょうから、不安はつきまといます。彼は言います。「中学のころ(母の職場の)映画館に何度も行っている(絵2)。自分も何で行っているのか考えちゃった。そしたら、働いているお母ちゃん、アイスクリームを抱いて働いている、それが(あって自分が)安心している。働いているお母ちゃんが安心でそれを求めている。家にいても笑っているときも穏やかな時もあったろうが、狂ってしまうお母ちゃんがイメージで(在る)。働いているお母ちゃんを見て(それが楽しくて)、映画が楽しいわけでない。」
「(下校後の)バスケを(して)友達と別れて一人で帰る。休みはお母ちゃん追いかけて(遠くの町のその映画館に)行っていた。働くお母ちゃんは目が合うとニコッとする。映画が終ると出てくるお母ちゃん。2,3回(同じ題名の)映画は見た。だから(見たいのは)映画ではない。日常は(母親は)いるのに何でわざわざ(映画館に)会いに行っていたのか。(自分は)満たされないで不安で寂しい子だった。ジワジワ思い出した。溢れるような感情ではないが。」
<W>
絵には他の観客がいません。映画が終わって次の映画が始まる間の様子でしょうか。彼と、働けてニコッとする母親とが、二人きりになれる瞬間だったのでしょうか。家でも手にいらない瞬間だったのでしょうか。

<愛されて育ったと思い込んで来たというが、愛されないとどうなるの>
<H>
彼は言います。「寂しいとか(は心の)表にいて、お母ちゃんが死んでしまう怖さ(もある)。(しかし)内側は見せないように思った。そこには誰も入れないような感じ。内側には(愛された)誇らしいような感覚がある。」
<W>
「誰も入れない」で死守されるべき砦(とりで)なんですね。
<H>
しかし、彼はその後、愛されて育ったと「思い込んで来た」と言うようになります。
<W>
セッションが進んで余裕ができ「誰も入れないで思い込む」必要がなくなってきた・・・。
<H>
彼に聞いたことがあります。「愛されて育ったと思い込んで来た」というが、母親は自分の問題で追い詰められていて十分な愛情をあなたに注げたとは思えない。愛されないとどうなるのか、と。
彼は言いました。「死んじゃうような恐怖感。愛されていなかったら存在意義がないような恐怖感。ピンボケにして、見ないようにして、自分がないようにしてきたが、唯一「愛された」と思ってきたのでそれがなくなったら、ピンボケの自分だけだから、(自分は)いなくなる、消滅感か。怖いから(母親に)しがみ付いて癒着していた。」
<W>
消滅するんですね。
<H>
彼は続けました。「冷めていてピントずらしても母と同じところにいたから怖かったのか。難病で発病した時の恐怖は半端じゃなかった。お母ちゃんが死ぬか自分が死ぬ話か。だから罪意識か〈後年、母親は病気で亡くなるが、一緒に逝かなかった事〉。(自分と母親は)一緒なのに片方だけになった。それだけの癒着があったな。」
<W>
愛されて育ったという思い込みが必要でなくなり、辛い過去の記憶にも向き合うようになります。
<H>
そうです。話が少し戻ります。辛くて記憶を抹消していた、卒園した後から小学2,3年ごろのことです。
<抹消したいお化け屋敷>

絵3
<W>
記憶を抹消した中心の話がこの絵3と次の絵4になります。
<H>
母親の病状が悪化し入院のために家を引っ越しする必要がありました。引っ越し先の家を、彼はお化け屋敷と呼びます。
<W>
よほど嫌だったんですね。怖かったんですね。
<H>
母親の入院の時期に、彼は自分の小学校の入学式を迎えます。
<W>
この絵3は入学式の帰りですね。まるで絶望に向かって帰っていくようです。ピシッとした和服の女性は、お祖母ちゃんですね。
<H>
はい。
彼は言います。「(記憶がよみがえってきて)小学校の入学式の場面が出てきた。入学式の(自分の実際の)写真があるのだが、(それまで抹消していた記憶が)動き始めた。お祖母ちゃんが取ったのだろう。嬉しいのと不安が混合していて、どっちかいうと不安が大きい。入学式は初めてだから不安なのだろうが、(母親が)明らかに病院に入って(いたのに入学式のために)出てきたので、ビックリしたのといなくなる恐怖があった。嬉しさもあった。(式の時に母がいる)後ろをずっと見ていたときの感覚が出てきた。
怖くて、「またいなくなんだろう」と、最初からいなければいいが、いるのは嬉しいが又いなくなる。いなくなったのは病院に(帰って)行ったということ。(式にいたはずの)友達も出てこない。記憶喪失のようになっている。」
<W>
式の記憶が記憶喪失のようなんですね。
<H>
彼は続けます。「(入学式の帰りには)お母ちゃんがいなかった。お祖母ちゃんが怖かった(絵3)。お母ちゃんは(精神科の)病院に入院していたのだろう。牢屋(病院の中の鉄格子で区切られた空間)に入っているのは怖い。入学式の後にお化け屋敷(病院時代の自宅)に帰ったに違いないのに、お祖母ちゃんの背中を見て帰ったところは(記憶では)、(それ以前の彼が幼い時代を過ごした)両親がいたところの家だった。(実際は違った。お化け屋敷に帰った。)創作していた。無意識でそうした。(母が)入学式に来てくれたのは嬉しくなかった。「まだいる」「まだいる」「やっぱりいなくなった」と。泣きもしない。お祖母ちゃんが慰める訳でもない。抹消したい家(お化け屋敷)に帰った。」
<W>
記憶を抹消するだけでなく、別の家へ帰ったと、ゆがめて創作していたんですね。
<H>
さらに続けます。「帰り道は途中まで思い出したが、お化け屋敷は思い出せなかった。(夜寝たのは)どんな布団なのか、お祖母ちゃんと二人で寝たのか出てこない。出てきたのは、ごま塩のような石(花崗岩?)の台所に立っているお祖母ちゃん。お祖母ちゃんが洗物をしている背中が出てきた。中華料理なのかそこで卵焼きを作ってくれた。醤油付けにしたような卵焼き。お母さんの方は甘い卵焼きだった。毒々しい醤油味の卵焼きを思い出した。それを食べていたんだよな。どんなちゃぶ台だったのか覚えていない。」
<W>
家(お化け屋敷)も思い出せないし、「毒々しい醤油味」・・・嫌だったんですね。
<H>
「卵焼き」だけでなく「トウモロコシ」は今も苦手です。
「昼間なのに薄暗い部屋の風景が見えて。トウモロコシが出てきた。兄貴もいた。おばあちゃんが茹でたトウモロコシをオチャラケてグワーッと食べた。息が詰まって苦しかった。おばあちゃんも兄貴も助けてくれない。お母ちゃん助けてとやったが誰も助けてくれない。お母ちゃんがいなくなって後の事。寂しさの穴埋めで食べたと言うのが落ちた。ふざけてやってしまう事。何も考えずオチャラケて食べた。それで吐いた。死の体験のよう。怖い。誰も助けてくれない。お母ちゃんがいないと感じた瞬間が怖い。」
<W>
怖さを埋めるために「オチャラケて食べ・・吐いた」・・。
<H>
お祖母ちゃんは、卵焼きやトウモロコシをつくってくれたのに、彼は嫌いだったんですね。
<W>
それでもその人に命をつないでもらう(食べ物)しかない。
<H>
お祖母ちゃんの夫(祖父)は日本海軍の連合艦隊のお偉いさんだったらしい。そのせいなのか、お祖母ちゃんは厳しかったのかもしれません。
彼は言います。「離婚にもお祖母ちゃんは絡んでいる。凛として存在が強かった。尋常でない状況でも凄かった。普通でない状況でも動じないようにしている。祖母は、子供を一人養女に出し、母と、母の姉は精神的病を得ている。祖母は戦時中の時代の人で、連合艦隊の白服の夫を持ち、お国のためとやっていた代々の因縁があるのか。」
<W>
戦争のために人間性を自分から犠牲にしていった、そして子供も犠牲にしていった世代というのがあるのかもしれません。
<H>
犠牲にされた子供(母親)は耐えられないということなのでしょう。
彼は続けます。「お母ちゃんは寂しい。父親と別れたり、A兄ちゃんを含め(他の)おじさんも2回去っていく。支えになる人がいないとだめな弱い人が母だった。」
実は、彼の卒園前に、両親が離婚し父だけ家を出て別居しますが、このことが契機になって母親の入院があったと考えられます。別居と入院はほぼ同じ時期です。また、後で話題になりますが、A兄ちゃんが音信不通になって母親の大きな発作が起きます。
<W>
お祖母ちゃんも辛い、子供(母親)も辛い、孫(彼)も辛い・・。連鎖しているよう。
<H>
そう。「お祖母ちゃんと一緒に歩いている時(絵3)、お祖母ちゃんから逃れられない、後ろで黙って歩いていた。」

絵4
<牢屋>
<H>
絵3を描いたかなり後に、ようやくして上の絵4が描かれます。
<W>
なかなか思い出せなかった「ピンクのスリッパ」の上の部分ですね。抹消記憶の中心部分。
<H>
ええ。入院している母親です。彼は病院を牢屋と呼びます。
彼は言います。「お化け屋敷の時代に、怖いのが、母が精神科の病院に連れて行かれたこと。いかにも病院。分厚いガラスと鉄格子。まるで牢屋。面会をしたはずだ。鉄格子の精神病棟の奥にあって、あれが怖かった。中も二重になっていて、そこからお袋の顔が出てきた。鉄格子を開けて出てきて、怖かった。厚いドアの向こう、あんな奥にいるんだという恐怖。思い出そうとしても母親の顔(の詳しい様子)が出ない。顔を見ようとしても見えない。鉄格子だけ見えて、スリッパしか出ない。ピンクのパジャマを着ていた。大好きなお母ちゃんなのに顔を見ないで帰って来た。おかしい。二度と会えないという恐怖、(小学入学の)これからスタートという時に二度と会えない切り裂かれる恐怖。子供ながらに残っている。トラウマ。そこは怖い。」
<W>
顔の詳しい様子は出てきませんが、それでも、それまで出なかった「ピンクのスリッパ」の上の部分がかなり描かれています。彼の状況がよくなった証しですね。
<H>
彼は、自分が母親に愛されて育ったと言いますが、一方で、母親をお化けとも言います。もう一面があると言います。
「恐れているお化けは「愛してくれたお母ちゃん像が崩れる事」だと思う。(母親は私に)愛情一杯と思っているが、本当はどうかと。(母親の)もう一面を見る事になるから。母親が病気で死ぬと俺が死んでいなくなるという感覚はずっとあった。その時のお母ちゃんって嫌いだったと思う。病気が出てきたら「早く前のお母ちゃんに戻って」と思っていたと思う。でもどこかで罪意識があった。」
<W>
お化けに関して、何かの「罪意識があった」ということですね。ここは重要ですが、まだまだ、はっきりはしません。

<鉄格子というフィルターの中>
<H>
彼はよく、フィルターの中にいた、と言います。
「初めてお母ちゃんがキチガイ病院に入っていることを知った時、友達がいたけど、遊んでいたけど、一緒にいるが自分だけが違う所にいる感じで怖くて。何をやっても怖い。何やっても楽しくない。今の子じゃないからゲームもない。怖くて、怖くて。100パーセント影響を受けていた。友達の中にいるとき自分だけフィルターを掛けられているようだった。怖い。鉄格子の中に自分がいるようだったのか。」
<W>
母親と同じように自分自身が鉄格子のなかに・・・。

<H>
母親は2年後に退院して次の家へ引っ越し、やや安定した日が続きます(絵2)が、完全に安心できる状況ではありません。
「母親は2年間入院した。出てきてからは自力でいて病院に通っていて、大量の薬を飲んでいた。」
<W>
薬に頼るしかないのでしょうが、危(あや)ういですね。

(つづく)

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新型コロナウィルス災害についてのご挨拶|アコールセラピーの現場から(714)

新型コロナウィルス災害についてのご挨拶

新型コロナウィルスが猛威をふるっています。ご自身やご家族の生命健康を守っていただきたい、皆さんと力を合わせて乗り切っていきたいと思っています。以下のことお伝えします。

○弊社のグループカウンセリングなどの集団のセッションは自粛していますが、オンラインカウンセリングや個人セッションなどは新しく工夫し行っております。

◯失業や倒産の危機にさらされることもあると思います。命の危機にさらされることもあると思います。それらの危機が心の奥の傷に響くこともあると思います。心理的に大きな危機を迎えて、心は遠い昔に戻り、未だ解決されていない心の傷(固着点)に戻ってしまうことがあるからです。
○仮に、心の傷に響くことがあったとき、そのことは、ご自身の心の傷に気づき振り返るチャンスでもあります。目をそらさずに、そのチャンスをものにすれば、このような大きな災害の中でも自分の人生を生きやすくなります。災害が過ぎ去った後にも、取り戻した自分の人生をより楽しむことができます。

◯なにとぞ、気をしっかり保って、慌てずに最善の対処をされることを願っています。

アコール有限会社 代表 林 貞子

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役に立たなければいらない3/3|無条件の死から無条件の生へ|アコールセラピーの現場から(713)

(続き)3/3


絵7
<無条件の死と無条件の生、二つの間に血が通う>
<W>
この絵がすごいですね。前回の話(役に立たなければいらない2/3)からさらに進んだことが分かります。
<H>
絵6の変形としての絵7が描かれています。下方の小さな球は、地球です。
<W>
ずいぶん小さいですね。自分が大きいんだね。その感覚がね・・すごいね。
<H>
その上に、大きな私が乗っかっています。上方に二つの手が描かれ、かろうじて人だとわかります。私の地球に乗っかっている部分は、無条件の生です。上方は、果てしなく一人ぼっちの無条件の死です。無条件の生と無条件の死の間には、虹色のたくさんの線が描かれます。血管ということです。死と生は、もはや分かたれていません。たくさんの血管でつながれ、一つであることが強調されます。
<W>
血が通って一つに・・。
<H>
彼女は言う。「自分が愛おしかった。跳ねた。(堕胎という生命を絶つことを)やらかした自分も愛おしいという感じだった。(母を)大好きはダメだった。(母を)恨んで生きるのもダメだった。(母を)かばう、躊躇する感じが日常でもある。かばう気持ちは罪悪感。勝手にかばう、迷う。(母を)好きな事を攻撃しなくても良いと思った。大好きをやって良いと思った。カラフルな毛細血管が通ったみたい。良いことだけじゃなくて殺される気持ちもあって良い。カラフルで良い。真っ黒もあるし、暖かい黄色もある」
<W>
上の彼女の記録(「 」書き)中に、(母を)という言葉を何か所も入れさせてもらいました。しかし、彼女が「母を」と言わなかったのは、母であって、もはや母ではないのかもしれません。「母を」好きだったり恨んだり・・というのは「母を・・自分を、世の中全体を、宇宙を・・」ということなのかもしれません。
<H>
母は小さな子供にとっては宇宙ですから・・・。
<W>
この絵7は、まさに生と死の統合の確立という感じです。

絵8
<死と生のサンドイッチ、自分の原点>
<H>
絵6や絵7と同じようなニュアンスの絵(絵8)を彼女は描いています。絵の上半分では、暖かそうな地球のような上(生のイメージか)で大の字になって、何もない世界(死のイメージか)を見ながら、ブレスワークをしています。お腹がぱっかーと開いて、自分は暖かい生と、冷たい死のサンドイッチになっていることを知ります(絵の下半分の左)。それが自分の生の原点であると気づきます(絵の下半分の右)。
<W>
生と死が、絵7よりも、近い感じがします。より一体になる感じか・・・。
<H>
彼女は言う。「自分のお腹が怒りを出したらパカーと開いた感じ。その後、傷ついていない胎児を感じている途中に、物凄い冷たいものと温かい物のサンドイッチになった。(絵の中の)イクラのオレンジの美味しい所が自分の原点みたいな所。」
<W>
まるで胎児の元になる受精卵のような・・・。


絵9
<穏やかな生 暖かすぎてびっくりして泣いた>
<W>
この絵はまるで絵8の「オレンジのイクラ」の受精卵が成長して大きくなったような感じを受けます。
<H>
彼女は言う。「お腹の中であったかく浮かんでいる感じだった。(今までは)お腹の中はいつも冷たかった。あったかくてびっくりした。暖かくて浮かんでいる感じで、そんなのあるんだと。そのままいようと。自然と出てきたのが、そのまま暖かいままで死にたいと思った。そのままいたら、あったかい感じで死んだ。苦しくもないし、怖くもないし。その暖かさに委ねている。暖かいというところにずっといて、凄いあったかいしかない。自分の世界の全てが暖かい。暖かすぎてびっくりして泣いた。信じられない暖かさ。無条件に暖かい感じにいた。・・・今までにない暖かさをずっと感じるようにしていた。」
<W>
「暖かすぎてびっくりして泣いた」んですね。よかった。
<H>
彼女は生と死のサンドイッチをていねいにやった、納得するまでやった、それがよかったと思います。


絵10
<マーライオンのよう 自分の気持ちを吐き出せる>
<W>
絵1の不全感に、我慢するばかりで何も言わせない(言えない)というのがありましたが、ここでは、大いに言えるようになった自分が描かれます。このころ、見ていて、彼女はますます魅力的な女性になっていきました。
<H>
彼女は言う。「(ブレスで)呼吸をして吐き出した時にマーライオンみたいに、ヘドロのような自分の我慢していたものがドァーっと出た。全部出そうと思った。・・・発酵しているものはこれだと思い出した。ヘドロが段々柔らかい物になった。最後の方は暖かい黄色いものが出て来た。黄色いものが出るマーライオンになった。」
<W>
絵10の左の絵は、ヘドロの感じがよくでています。我慢していたんですね。
<H>
ニコニコ仮面で本当には自分の気持ちを言えなかったのが、実際の生活でも驚くほど言えるようになって改善された、ということを、彼女から聞いています。
<W>
改善は全体に及んでいると思います。

(終わり)

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役に立たなければいらない2/3|役に立っても立たなくても最初からいらない|アコールセラピーの現場から(712)

(続き)2/3


絵4
<生まれて初めて怒りを出した><早く消えてしまいたい自分がいたのだろう>
<H>
彼女の不全感(絵1)がどこからくるのかという謎解きは、母親との関係で進みます(絵2、絵3)が、さらに、母親を含む家族との関係で、幅広く進んでいきます(絵4)。
<W>
家族との関係で母親を理解するという側面もあります。
<H>
この絵4では、幼い彼女が、家の階段の途中に座り込んで泣いています。一階には祖母と父が生活し、二階には母と妹が生活します。そして家族は一階と二階に分かれて確執があり、その中心は、母親とおばあちゃんの確執です。その確執の調整役として彼女は苦しみます。
<W>
一階にいる6つの顔に比べ、二階にいる二つの顔は、悲しそうです。彼女も泣いています。
<H>
彼女は言います。「小さい頃(小学校低学年)親戚が集まる時(お正月など)父が長男なので複数の弟(叔父さん達)が家族を連れて来た。私達、母と妹は二階に住んでいた。一階でみんな食べているのを階段のところから私は見ていた。母は二階にいるし、私が一階には行っては行けない雰囲気だった。いつも、誰かが来ると母は、表には出なかった。祖母は表で母の文句を言っていた。」
<W>
一階に行けないけれど二階にも居ない。階段の途中です。調整役だったんですね。
<H>
そんな状況下で、お母さんは、何とか彼女を利用して父の家の実質的な一員として迎え入れられたかった。
彼女は言う。彼女の不全感の原因は「父でも祖母でもなく、母だなと思う。母は生きるために私を産んだなと思う。」彼女が生まれる前、母親は父親と「2,3年別居していたよう。でもどうしてもお父さんのところに戻りたくて、母親の親に頭を下げてもらって父方の家に戻してもらった。ちょっとして生まれたのが私だった。母は自分が生きるために産んだのではないかと・・・考えたら涙が止まらない。何か繋がる感じだった。・・・いつも子供の頃思ったのは母親にしがみ付かれる思いだった。(そのころ)子供らしくいられないのは、(不自然にニコニコと)笑顔でいたのは、「お母さん大丈夫かな」と思っていたから。(お母さんを)助けないといけないと思う。」
<W>
命をかけての調整役を強いられた・・・。
<H>
母親にしてみれば、あなたの家の子供(彼女)を産んだので、私をあなたの家の一員にしてください、ということです。
彼女は続けます。「(大人になった現在の)仕事も「責任感」とか、「どうにかしなくちゃ」、「見てみぬ振りは出来ぬ」というようなのがあるが、それ(母親に対する気持ち)と繋がるのか。」と彼女は推測する。
<W>
「役に立たないならいらない」で仕事も頑張るということですね。辛いです。楽しくないですね。
<H>
このように謎解きが進んで、彼女は怒りを出せるようになった。「・・・ブレスをして、怒りを、多分生まれて初めてだと思うが出した。・・・・・・・(それ)から仕事が凄く楽になった。疲れてもよしやるか、となる。」
<W>
よかった!生まれて初めて・・・。乾杯!
<H>
こんな時はその夜などに乾杯しますね。
<W>
その時はどうでしたっけ?
<H>
実は私もあまり覚えていません。乾杯はしょっちゅうやってますから。(笑)
<W>
次、いきましょう。
<H>
怒りが出せるようになって、閉じ込めていた自分自身の気持ちに気が付くようになります。「お母さんに愛して欲しいというのを、子供の時に諦めている。無理だと。でも本当は求めていた。単純に抱きしめて、添い寝して欲しい。(でも母は)いない、(私を)見ていない、だから諦めた。怒りより、寂しさが今回出てきた。」
<W>
生まれて初めての怒りが出せて、生まれて初めて本当の「愛して欲しい」が出ます。
<H>
感激します。
彼女は言います。「発見って楽しい。自分を知っていくのは楽しい。今年の春は一番の春だった。桜がきれいだし緑が・・・と良い春が来た。こんな感覚始めてだなと。」
「子どもの時っていつも死んじゃうような不安があって生き急いでいるようなのがあった。(大人になっても)早く仕事で一人前になりたいとかだった(不自然に急いでいた)。本当は死にたいのかなと。早く消えてしまいたい自分がいたのだろう。」
<W>
そういうことなんですね。
<H>
彼女は、階段の途中(図4)は長いことかかって、ていねいにやりました。納得するまでやりました。それがよかったと思います。本人(彼女)が納得するまで。結果的に、進みが速かった。


絵5
<最初からいらない子:無条件の死>
<W>
いよいよ、です。
役に立たないならいらない(絵3)という「いらない」の意味は、母の殺意でした。つまり死でした。「役に立たないなら」という条件付きの死でした。その殺意は幼い彼女の中に取り込まれ「本当は死にたい」「早く消えてしまいたい」という自分を形成しました。それが、やがて絵5のように解明され、役に立っても立たなくても最初からいらない、無条件の死ということが分かって、大きな手がかり、大きな解放になりました。
<H>
はい。
この絵5に描かれているように、怨みツラミを繰り返す母に、彼女は何とか役に立って生きようとしがみついつきます。しかし、母は振り返らず、怒ったまま、まるで脚にとまったセミでも振り払うように、彼女を振り払います(絵の左下)。それは繰り返えされ、母は永遠に振り返らず(絵の中央)、彼女はどこまで行っても果てしなく一人ぼっちでした。そして彼女はついに悟ります。自分は、役に立っても立たなくても最初からいらない子だったのだ(絵の右上)。無条件の死がそこにありました。
このことは、大きな手掛かりになり、彼女が解放される転換点になりました。彼女は言う。それまで仕事で対面する「お客さんも怖かったけれど(無条件の死に気が付いたときから)(何かお客さんからのクレームがあったときなどの)「どうしよう、どうしよう」というのは無くなったかな。〈余裕が出てきたよね、何でそうなったのでしょうか〉役に立とうとしてもしなくても「いらない」だった。「最初からいらない」は大きい。「役に立つなら良いよ」にしがみ付いてきたから役に立とうとニコニコしていた。その呪縛が取れた。(本当の気持ちから)仕事したい自分もいるし、しなくてはいけないという呪縛が取れた感じ。「役に立たないとダメ、頑張らなくちゃダメ」が無くなった。」
<W>
無条件の死で解放されるというのは、ベビーブレスを体験した人に共有できる凄味です。
<H>
一生ものですね。こんなブログだけでではなく、人のお話だけではなく、ぜひ体験してほしいです。

絵6
<無条件の死から無条件の生へ>
<W>
彼女はさらに進みます。
<H>
この図6では、左端に彼女が描かれ、目の前には、果てしなく遠く暗黒の宇宙へ続く無条件の死があります。彼女は、小さな地球の上で大の字になって、暖かさを感じ、無条件の生命を感じています。
<W>
無条件の死を受け入れたら無条件の生命が待っていた・・。

<H>
彼女は言う。「「役に立たないならいらない(絵3)」「役に立つならいていいよ」と、長い間味わってきた。そこを味わっていた。ずっと寂しいもの。条件付きのもの。それが、無条件で「いらない」(絵5)。永遠に一人ぽっち。その気づきがこの前だったが、ずっと引き続いてきたものは死だった。・・・じっくり味わっていた。そうだよなー、と。
何もない感じで瞑想していたら、ちゃんと「生きる」がある。正反対のものだけど「生きる」がある。(今まで生きてきたのは)ずっと誤魔化しの生きるだった。死をないことにするために、生きていいために、誤魔化しの死、だった。長い間生きてきたけど、我慢してきたんだなと。瞑想の時、ポッとお腹の中に「生きる」があった。嫌な感じはしない。(そこを)もっと味わいたい。良いよねと。(今まで、見かけ上は)生を引き継いできたけど(実は)死を受け継いできた。」
<W>
無条件の生という開放を手に入れた・・・。無条件の死を受け入れたら無条件の生命が待っていた。生と死の統合の目覚め・・・。

(続く)

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役に立たなければいらない1/3|早く消えてしまいたい|アコールセラピーの現場から(711)

1/3

<W>
今回はある女性の話です。彼女も抜けていきましたね。
<H>
ほんとにうれしいです。とても魅力的な女性になりました。
彼女は、初めは周りばかりが気になり、笑顔で居ないと嫌われると思っていました。
<W>
問題を忘れないように、ニコニコ仮面という名前を付けてもらいました。
<H>
後で話題になりますが、ニコニコ仮面の裏には、「早く消えてしまいたい」というような辛い心境が隠れていました。
<W>
では、その種明かしを、彼女の絵と記録(以下「 」書きの部分)にしてもらいましょう。彼女が描いた絵を見てきましょう。

絵1
<我慢してニコニコ仮面>
<H>
絵1は彼女の当初の不全感を表したものです。上のほうには、①「何も言わせない」「世間の目」から見られ「怖がって遠慮している私」がいて、②誰かに「守って」「助けて」と訴えますが、③④ 父という壁や母の呪縛があって苦しみます。
<W>
絵1の中の「エ エ」は人の目ですね。いくつかのシンプルな人型は彼女自身でしょうか。
<H>
はい。もっとも、その中の3つ目の人型は母親かもしれません・・・。
<W>
この時代は母親と自分の区別があいまいなのかもしれません。
<H>
彼女自身の説明です。「我慢する。周りにばかり気にする。笑顔で居ないと嫌われると思う。ニコニコ仮面をしていないといられない。寂しいということを自覚するのが怖い。」
「環境は悪かったと思う。親は笑っていない。自分は笑っていた。贅沢はいらないから明るくいたいと思っていた。ご機嫌を伺っていた。」と説明します。
<W>
今だから「ご機嫌を伺って」などと言えますが当時は大変だったことでしょう。

絵2
<役に立たなくてごめんなさい>
<H>
母という呪縛は、母からの怨みツラミを聞かされてつくられます。絵2には、右上の母親が、左下の彼女に向かって、怨みツラミを放っています。
<W>
小さな彼女が、黄色の丸いバリアで自分を守っている様子は、痛々しいです。
<H>
母親と父方の祖母(おばあちゃん)には確執があり、彼女はその板挟みになります。
彼女は言います「子供の時は、母は「早く死にたい」と言っていた。愚痴を言っていた。「あんたはおばあちゃんに可愛がられていいわよね」」と。小さな彼女は「役に立たなくてごめんなさい」と思うしかありませんでした。
<W>
そもそも母親に「早く死にたい」があったわけですね。
<H>
世代間伝達が暗示されます。

絵3
<役に立たないならいらない>
<W>
この絵(絵3)は絵2をさらに詳しく描いたものですね。自分の気持ちを言ってはいけないと、押し殺し、閉じ込めています。
<H>
母から怨みツラミの中には、お母さん自身が「死にたい」と言うことと、お母さんのヒステリックが多く含まれていました。
彼女は「お母さんがかわいそう。お母さんごめんなさい。役に立たなければ(自分は)いらない」と思います。
<W>
そうなんですね。小さな子供(彼女)は、母の気持ちを自分の気持ちとして受け入れます。ある意味では母と自分の区別がつきません。絵を見ると、彼女は、怨みツラミを放つ母親を抱きかかえています。
<H>
他方では、後で思い起こすと、「自分の気持ちを言ってはいけない、押し殺していた」と言います。また、「小学生の時に母親に「もう殺して」と言った覚えがある。生きている心地がしなかったと思う。家(うち)は何で(こんな辛い雰囲気なんだ)という話をしていたと思う。「お母さん死んで」じゃなくて、「私を殺して」だった。・・・言った自分が申し訳ないと思った。困らせたと。今なら(母親は)子供にそんなことを言わせるなよと思う。」と言います。
<W>
「言わせるなよ」というのは自分が回復してきたから、自分自身が出てきたから、言えることですね。
<H>
自我がしっかりしてきた。
でもそのころは、自分というもの(自我)は頼りなく、母親にしがみつくしかなかった。
彼女は言います。「漠然と母の殺意が怖いというのがあって、(母に)凄くしがみ付いている。小さくて怖くて泣いていて。私に取って母の殺意は「役に立たないならいらない」だった。「いらない」ってやられるのが怖くてしがみ付いていた。」と。
<W>
この「役に立たないならいらない」というのは大きかったですね。長い間彼女を支配していた大きなものです。そのことに彼女は気が付き、カウンセリングのたびに自分のテーマにしていました。彼女の中がずんずん進んでいったような記憶があります。
<H>
大人になり彼女自身も、そのことの加害者になったという事件があります。ある時お付き合いしていた人との結婚を望んでいました。妊娠しましたが、その人は結婚に同意しませんでした。彼女は堕胎しました。結婚という目的に役に立たない子供を堕胎したんだと、彼女は言います。同じことをしてしまったと。
<W>
彼女はそれまでにも増して真剣になりました。進んでいきました。

(続く)

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現代の悟り:見捨てられ感から悟りの道|アコールセラピーの現場から(710)

「現代の悟り:見捨てられ感から悟りの道」
<W>
ブログ(705)(706)で悟りとの類似性を話題にしました。
<H>
アコールセラピーが似ているということですね。
<W>
はい。すこし、続きをさせてください。
<H>
どうぞ。アコールセラピーが現代の悟りだという話ですね。
<W>
悟りというのは日本の禅仏教だけの概念ではありません。
他国の宗教にも似た概念があるようです。エンライトメントとか言うこともあるようです。
<H>
うんうん。それで・・・。
<W>
宗教の話をするには、宗教とは何かが、ある程度はっきりしていないと、実のある話にはなりにくいです。しかし、宗教といえば、心が解放される点(悟り)、そのために死を扱う点などは共通していると言っていいと思います。大ざっぱですが・・・。
<H>
なぜ死なのか、ということですね。
<W>
そこです。寿命という意味の死だけでは、説得力がないですね。毎日、宗教家が修行するのに、50年先の寿命の死をどう扱うのかを目標にしているなどとは・・・。
<H>
毎日修行するのですから、もっと時々刻々の切実な心的欲求があるはずだと・・・。無意識では。
<W>
その通りです。
<H>
定説ではないけれど、イエスキリストの原罪というのが、彼の出生の秘密に関係していて、母マリアから本当の愛情をもらえなかったことから来る、というあれですね。
<W>
キリスト教を例にすると、ということですね。はい。
二千年以上前のことですから真相がわかるということは望みにくいけれど。根強くささやかれるというあの話です。例えばですが。マリアがローマ兵にレイプされてできた子供がイエスで、マリアが信心深かったので、イエスの命を長らえ、何とか育てたけれども、本当にはイエスを愛することは、決してできなかった。
<H>
感性豊かな子供であったであろうイエスの心は、深く、深く傷ついたでしょうね。
<W>
イエス自身には何の落ち度もないのに、絶対に真の愛情はもらえない。意識の底では本当は嫌われ続けるのですから。自分には、生まれる前からの原罪というのがあるのだ、ということにも当然なりますね。
<H>
深い得体のしれない殺意を抱いた殺人者になっても不思議ではない、ひどい話ですね。
<W>
深い殺意の裏には死があったでしょうね。
<H>
あったでしょうね。実は死を望まれていたでしょうから。いらない子。
<W>
母子関係からの死です。母親からの見捨てられ感からの死です。
そこを観られれば、悟りの道まっしぐら。
<H>
母親からの見捨てられ感は現代に溢れかえっていますね。だから見捨てられ感から悟りの道へ入っていけるということですね。
<W>
そうです。
現代の悟りの道です。
<H>
苦しむだけではもったいないということでしょうか。
<W>
まさに。医療は役に立たない。自分を変えられない。薬に頼らない。慰めに頼らない。事実を観て自分で自分を変える。苦しみを抱えた現代人の突破口。現代の悟り、です。
<H>
究極の健康が手に入るということでしょうか。
<W>
そのハウツウが、愛憎の統合、生死の統合です。
<H>
その統合についは既に別のブログで話していますね。
<W>
何度でも話したいです。

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私わかった!3/3|アコールセラピーの現場から(709)

前回の続き<<私わかった!3/3>>

⑨ <死に対抗する狂気、あるいは死そのもの>


<W>
絵の⑦⑧のように無表情になったり分裂したりして、自分を隠しますが、うまくはいきません。隠された自分は必ず復讐します。心の中に温存されます。それがこの顔です。
<H>
よく描いてくれました。
<W>
揺らぎがあるものの、彼女の持つ強烈なエネルギーがレーザー光線のように、ときどき、本質を突きます。
<H>
ズバリと突きますね。
<W>
死に対抗する狂気の顔です。あるいは自分を脅かす死そのものなのかもしれません。狂気か死そのものなのか、この辺は一体混沌でしょう。

⑩ <私の死、死を受け入れた自分を包み込む>

彼女自身からの説明です。
「私の死です。今までの私の死は突然現れては私を追いかけ回してくる暗くて寂しくて恐怖そのものだった。私の死のイメージは母からの死だった。(死から逃げ回ることをやめ向き合って)この“死”という事だけに必死に焦点をあてて、怖くても蹴り飛ばしたくても(そうせずに)純粋に死だけを願っていた時に「私の死は自分で決める!!奪わないで!!」
と私の中から出てきた。その時の死は私を包み込んでとても暖かく物凄く愛情があり私の全てを優しく包み込んでくれた。その死は、母からの死ではなく、私の中にある私だけの死だった。その私の死を絵にしたものです。」
<H>
やりました。ついに。
<W>
そうです。受け入れが起きました。
<H>
私もその現場にいました。
しかし、彼女の激しい気づきにしては、上の絵は、なんだか穏やかすぎますね。
<W>
そうです。
私の感じでは、上の⑨と⑩の間には、死を受け入れる大きな、大きな激しい気づきがあった。
彼女の大きな気づきは、まるで嵐の中の遭遇のようでした。それまでのはっきりしない謎のようなものが消え、「私わかった!」と叫んだ彼女の顔が今でも思い浮かびます。
しかし、絵には描かれていない。その気づきの瞬間はあまりにも痛く、あまりにも強烈で、絵にできないのかもしれない。あるいはいまだに痛すぎて、完全には思い出せないのかもしれない。上の絵⑩は大きな嵐が過ぎた後の絵のようです。結果の絵です。
<H>
ここで「私の死のイメージは母からの死だった」とあります。はじめて認める感じです。
<W>
彼女の心の中には、そのことは既にあったのでしょうが、外に向かって認めるのは、遅れる傾向にあります。あなたの言う「わかりたくない揺らぎ」が遅れをつくるのだと思います。
<H>
絵の話ですが。真ん中の小さな丸い黒っぽい部分が死で、その死をピンク色の小さな自分が抱えています。小さな自分が、それまでの自分でしょう。その死を抱える小さな自分を、死を受け入れた大きな暖かいオレンジ色の自分が、包み込んでいます。死を自分のものにした状況ですね。
<W>
「私だけの死」という気持ちを表した絵ですね。
「私だけの死」というのは、母親から強制されていやいや死んでいく自分というのから縁を切ったともいえます。自分自身で自分の死を引き受けるということだと思います。自分で死を引き受けた時に初めて、自分自身が生きていけるという、そういう風に言えます。
彼女の強い怒り、すなわち生きるエネルギー・・生と、ここで受け入れらえた死が合体して、生と死の統合がなされ得たと言って構わないと思います。

⑪ <母親(の母性)との和睦>

彼女自身からの説明です。
「おっぱいを飲んでいる絵です。私が母に置いて出て行かれた(絵⑤)時、母を探し母が恋しくて、おっぱいが恋しくて、温かい母乳が恋しくて、泣いた。泣いても、泣いても母はいない。母の気持ち、母の意識もない。寂しくて、怖くて1人で死を目の前に突き付けられた感じだったが、それでも私は母を求め、おっぱいを求め、母乳を求めた。私の純粋に母を、そしておっぱいを求める気持ち。そこに母親がいなくても母の意識がなくても私の中にある理想のおっぱい=理想の母親を絵にしたものです。」
<W>
子供(彼女)に愛情を与えられない「現実の母親」を卒業し、「理想の母親」が手に入った。あるいは「母親そのもの」から、「求めるという自分自身」に、重心が移った。自立。言葉にするとそう言えるかもしれません。
<H>
「そこに母親がいなくても母の意識がなくても」かまわないという心境ですね。
<W>
ええ。
そのような心境に意識してなろうとしても無理ですね。自立しようと思っても無理です。それは結果ですね。
<H>
あれですね。
<W>
あれです。
統合です。
それまで自分に死を迫る母親に対して、心の奥では怒りがあったはずです。彼女の激しいエネルギーに支えられ、激しい怒りがあったはずです。わからないまま怒りパニック発作にも一役かっているのでしょうが、怒りはそもそも、生きようとする生のエネルギーです。
ところが反対側には、彼女は長い間嫌い続けましたが、死がありました。自分自身の死の狂気があったはずです(絵⑨)。その死を受け入れた途端に自己の回復が起き(絵⑩)、母性との仲直り(和睦)が行われました(絵⑪)。すなわち生と死の統合です。
<H>
自立したいなら統合せよ。統合を目指すなら死を受け入れよ・・。
<W>
彼女の場合は、怒りという生が強すぎ、死を徹底して嫌っていました。逆の人もいます。その場合には、起きるプロセスは異なります。その場合には、生を受け入れよ・・・が起きます。
<H>
最後のおっぱいの絵は印象的でした。私の場合と似ていました。
<W>
あなたの場合も、口に入りきらないほど大きな乳首のイメージが出てくる、あるいは空いっぱいに広がる乳房のイメージが出てくるということでしたね。
<H>
この記事で彼女のケースを全体として観ることができますね。よかったです。ほかの人の勉強にもなります。
<W>
最後に、この記事の掲載に協力し許可してくれた彼女自身にお礼を言いたいと思います。

<<終>>

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私わかった!2/3|アコールセラピーの現場から(708)

前回の続き<<私わかった!2/3>>

③ <振り向かない母親>

<H>
はじめの頃は、彼女は自分のパニック障害が母親と関係があるなどとはわからなかったと思います。セッションが進むにつれて自分の心の中に引っかかりがあり、それが③の<ふりむかない母親>という形で思い出されました。いくら自分が母親の愛情を求めても、母親は振り向いてもくれないというイメージです。扱いたくない母親との関係を、ようやく扱うようになるきっかけといってもいいと思います。
<W>
これで前進することができるという場面です。

④ <泣き叫ぶ自分>

<H>
泣き叫んでいる自分は、母親との関係で泣き叫んでいます。母親の関係が非常に大きいとわかってくる段階です。
<W>
上の③の絵は、子供が笑っていますが、無理して笑いかけているのでしょうか。無事にしたいのでしょうか。④の絵は、大泣きしています。本音ですね。

⑤ <おいて行かれた恐怖>

<H>
暗闇の中に簡単に小さな自分が描かれています。母親との関係を探っていくうちに、ある時、母親から自分が置いていかれた事件を思い出します。その時の恐怖を描いた絵です。この恐怖が後になってパニック障害につながっていることが徐々にわかってくる糸口のような絵です。
<W>
置いて行かれた事件についての恐怖ですが、さらに探っていって、単にその事件だけにとどまらず、自分を置いて行ってしまえるような母親への恐怖が、背後にあることがわかります。次の絵が、それを暗示します。
<H>
彼女の場合には、長い間、暗示にとどまっていました。

⑥ <襲い来る恐怖=死>

<W>
上の④⑤の恐怖がどれだけ大きなものかという事を示す絵(⑥)です。まるで大きなモンスターに小さな赤ちゃんが追いかけられている感じがよく出ています。赤ちゃんがとらえた恐ろしい死のイメージです。パニック障害のからくりを示すような絵です。
<H>
モンスターにパクっと一口で食べられそうです。

⑦<感情をなくして耐える自分>

⑧ <分裂して耐える自分>


<W>
小さな赤ちゃんにとって、⑤⑥のような恐ろしい恐怖に耐えられるはずもありません。
<H>
まるで荒野に一人ぼっちになって背後に巨大な肉食獣(モンスター)が忍び寄って、今にも食べられそうな恐怖です。
<W>
肉食獣なら、まだ、いい。母親です。耐えられません。
<H>
ほんとに。
<W>
感情をなくして、怖いという自分を味わわないようにして耐えます。⑦はそのころの無表情な自分を描いています。表情がないどころか顔が書かれていません。まるで自閉という状態を暗示するようです。
<H>
自閉して無表情になって耐えようとするんですね。
<W>
しかしそのように感情をなくすだけでは、十分には、本当に恐ろしい恐怖には耐えられません。自分を分裂して(⑧)何とかやりくりして耐えようとします。明るい自分と、そうでない闇の自分です。そうすれば闇の自分は横に置いておいて、明るい自分として楽しく過ごすこともできるようになります。そのようにして何とか生きていきます。
<H>
そのようなものすごい恐怖は、置いて行かれた事件(⑤)というだけでは、説明できない。ほかの部分(③④⑤⑥)も併せてみると、母親への恐怖ということでしょう。
<W>
自分の生命のすべてを支えている母親自身が、実は、死の恐怖の出処でしょう。
<H>
全体としては示されますが、ずばりの絵を彼女は、描いていません。
<W>
わかりたくない、というのがトラブルの中心にある芯かもしれません。はじめの絵(①)の彼女自身の説明にもある子供に対する思いの揺らぎようなものが、母親に対する思いにもあるように感じられます。
<H>
わかりたくない揺らぎですか。

<<続く>>

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私わかった!1/3|アコールセラピーの現場から(707)

<<私わかった!1/3>>
<W>
今日は、パニック障害が治った女性の話です。その話から、人がどう治っていくか、事の全体を観られるといいと思います。
<H>
はい。
<W>彼女は、女のお子さんを持っていますが、自身のパニック障害から逃げるのが精いっぱいで、子育てに苦労しました。
<H>
パニック障害や子育ての問題は、いわば表面の話で、こういう問題は奥が深いですから。彼女の場合には、その奥に手が届きましたね。その人全体に大きな変化がありました。人間性の回復ですね。
<W>
その通りです。まずは、大きな、大きな山を越えましたね。本当によかったですね。
<H>
人生を取り戻したことでしょう。うれしそうな彼女を見ていて、心の中~のほうが明るくなった彼女を見ていて、こちらもうれしいです。
<W>
まったく。
少し戻します。
今回彼女の話をするのは、彼女の全体を見ていくためです。超えた山があまりに大きいので、全体が見えにくいということがあります。
<H>
彼女自身の性質にもそういうところが、まだ残っています。
<W>
他の人たちにとっても、全体として何が起きたのかということを眺めてみることは、とても役に立つことだと思います。
<H>
はい。本質的な部分は共通しますからね。たとえパニック障害や子育てとは関係ない人でも、問題の本質は同じですから。
<W>
さて、以下に掲げるように、今回は彼女が描いた絵を中心に話を進めます。
その絵のことです。私たちは、セッションの後で、カウンセリングのまとめを文章化して本人に渡し、「後日何度も読み返してください」とお願いすることをしています。しかし文章は時間をかけて読まなければならず、読んだ内容をまとめて全体を見渡すことができにくい。その点で絵は、一目で見て、感覚的に自分の全体をつかむことができます。そのため、何かの気づきのたびに絵を書いてもらうようにしています。
彼女の場合も絵を描いてもらいました。わかりやすい絵を並べてみました。彼女のセッションの進み具合を全体的に理解できると思われます。
<H>
では見ていきましょう。この絵(①)ですね。
<W>
そうです。右上に、小~さな子供が描かれています。真ん中は、本人自身です。

① <子育てができない>

彼女自身からの説明です。
「この(絵の中央の人体は自分で、その)二重の部分は、本当の自分に蓋をして抜け殻になっている感じです。抜け殻の私と、その私を見つめている娘の絵です。
(私は)娘が産まれてから「育てられない」と思った。でも、その奥では「育てたい、(健康に育って)私のようになって欲しくない」とも思っていた。まだ新生児の時は良かった。おっぱいをあげればまた寝てくれたから。でも、娘がお座りをするようになると、朝しっかりと目が覚め、おっぱいをあげても寝てくれなくなった。それでも私は体が動かないので娘を放置して寝ていた。そんな私を娘は私の側でジッと私を見つめて座っていた。オムツはおしっこでたっぷりになり、うんちもしているからビチャビチャで気持ち悪かっただろうに、娘は泣かずにジッと私の側で座って私を見つめていた。
この時の私は、後のセッションで、抜け殻の状態だった事が分かった。育てられないという娘に対する殺意を抜け殻の状態でいる事で私は(殺意を実行せずに)娘を守った。私の娘に対する愛情でもあったことは事実だ。でも、娘の事はどうでも良い、どうなっても良いという私の殺意があった事も事実だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
本当の私(絵の二重の部分の内側)がいるのに、しっかりと蓋をし隠し正面から私を見る事ができないので、被害者の抜け殻の所にいる絵であり、この頃が子育てで1番辛くて、ハッキリと覚えているけど思い出すのが辛い所の絵です。」
<H>
抜け殻でいることで子供を守ったんだと彼女は繰り返して主張していました。抜け殻でなければ殺意を実行したんですね。
<W>
「守った」ことを強調しないと危ないということです。
<H>
その意味では殺意に十分には向き合えてはいません。
<W>
この絵の子供の存在の小ささが印象的です。「子供」を守ったという意味の絵にしては、主役の子供が小さすぎます。
<H>
抜け殻になることで何かから耐えた、といことですね。主役は、隠された殺意、でいいでしょうか。
<W>
この後の絵で、感情を無くして耐えたり、分裂して耐えたりする絵が出てきます。抜け殻も、耐えるための守りの一つといえると思われます。

② <襲い来る何か(死)から必死に逃げる パニック発作>

彼女自身からの説明です。
「これは1番辛かった時期の絵です。死の恐怖から必死で逃げている絵です。突然と現れて必死に逃げても死の恐怖が迫ってくる。自傷する(彼女には自傷歴があります)ヒマを与えずにどんどん迫ってきて、死の恐怖に飲み込まれないように、絶対嫌だと無我夢中で必死で逃げて逃げまくった。
とても寂しくて、孤独で、死が目の前に(恐怖が)くるから1人で耐えて、死の恐怖を永遠とまた味わいたくない、耐えたくない、感じたくない、お願い、誰か助けて!!と必死でもがいた。私は死にたくない・・・怖い、絶対嫌だと必死で逃げているのがパニック発作、過呼吸の原因でした。」
<H>
彼女の問題は子育てがうまく行えないというのもありましたが、1番の問題はパニック発作が起きて苦しくてしょうがないという事がありましたね。その原因は、上の説明で彼女は「死の恐怖」と言っていますが、もちろん本人は最初はわからない。ただひたすら発作を起こして暴れたり泣いたりすることのようでした。
<W>
わからないこそのパニック発作ですね。
<H>
当時はもちろんそういう死との絡みで理解する事はとても出来ませんでした。得体の知れない恐怖です。得体が知らないので余計苦しくて恐ろしいということだと思います。恐怖を振り払おうとする彼女の強烈な怒りで、周りの人々も、大変でした。
<W>
わかりたくない、ということもありますね。それがトラブルの中心にある芯かもしれません。

<<続く>>

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ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違2/2|セラピーの休憩時間(706)

<以下は前回の続き>

ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似:二つ目の類似

(W)

二つ目は、論理的ではうまく説明できないこと(②)です。

母親へのアンビバレンツは理論です。文章で説明できます。しかし、アンビバレンツを受け入れ解放される現象が、なぜ起きるのか、準備を重ねつつも、それまでなぜ起きなかったのかは、説明することができません。

(H)

受け入れるのは辛かったんでしょう、としか言えません。

(W)

とはいえ、アンビバレンツの受け入れ現象には、言葉では説明しきれない不可思議な感じが付きまといます。理屈としての不思議さですが・・。

辛いといえば、悟ること自体も実は苦痛が伴うのかもしれません。だから時間がかかるのでしょう。禅の悟りも、理論では説明できないことが知られています。不立文字などと言われます。

(H)

一般に仏教では、親には感謝しろ、と言われるでしょうから。アンビバレンツはね~。

(W)

怪しいですね。悟りは、母親へのアンビバレンツの内容には触れないまま、アンビバレンツ自体を乗り越えようとする離れ業なのかもしれません。

(H)

キリスト教のマリア様信仰も、母親へのアンビバレンツには耐えられないので、理想の母親像をつくっているように見えます。満たされなかった母親への愛情を、マリア様に向かって解き放とうとすることのように思えます。

(W)

三つ目は、二元論から離れること(③)です。

禅の悟りにより、人は二元論(主義)を捨て去る(鈴木大拙「禅学入門」悟り-新境地の獲得)と言われます。二元論のうち心理的なものとしては、愛憎や生死は最大のものでしょうから、母親へのアンビバレンツを受け入れ解放される現象は、そのような二元論から離れることに他なりません。

(H)

いよいよ、難しくなりました。

(W)

いえいえ、難しくありません。

母親への愛憎のアンビバレンツを受け入れると、次は生と死です。人によっては、「次は」という時間はなく、同時に起きます。母親からの愛情は生です。母親からの愛情なしは死です。それを受け入れることは、生と死のアンビバレンツを許すことになります。

つまり、アンビバレンツのうち半分の否定的な部分、愛情の不在、すなわち死が、はじめて受け入れられます。一人ぼっちの愛情なしの死です。究極の死です。その受け入れ後も、なお、私たちは生きていくのですから、そのときに、生死の二元論からも離れるきっかけが与えられることになります。

(H)

二元論などというと難しく感じます。でも、言葉は別にして、中身を聞くと、セッションで毎日扱っている内容です。

(W)

そうです。

(H)

あなたが時々言うのを聞いたことがあります。あれですね。

(W)

あれです。死にながら生き、生きながら死ぬ。

(H)

解放を、言葉で言おうとすると、そのようになるのでしょうね。

(W)

しかし、生と死は、言葉の意味が正反対ですから、そのような言い方は凸凹していて、真意が通じなくなります。そう言う時の生死の意味は、反対ではなく、同じなのです。実は、生きながら生き、死にながら死ぬ、と同じニュアンスです。

(H)

解放ですね。

(W)

四つ目は、人生の大きな変化(④)です。似ています。

母親へのアンビバレンツを受け入れ解放されると、その後の人生に、大きな変化が起きます。その人の感覚そのものが、その日を境に、大きく変わります。これも禅の悟りの場合と類似するようです。

(H)

アンビバレンツの受け入れの場合も、家族などの人間関係の改善や仕事の改善などが報告されますが、中心にあるのは、生きやすくなった、という感覚です。生きやすくなった、というのは平凡な表現で、本当は、その人の中で何かが変わるというのが、実際の感じのようです。

(W)さて、以上は、ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似するところを話しました。今度は相違するところを話したいと思います。

(H)

はい

[Ⅱ]相違

(W)

私の感覚としては、類似よりも相違のほうが、より多くのヒントが得られると思います。

(H)

ベビーブレスや禅を、客観的に理解する上でのヒントですね。

(W)

はい。

母親へのアンビバレンツの受け入れる手法と、禅の手法は、次の部分で大きく相違します。つまり、禅の修行では、母親へのアンビバレンツを観る作業を、それほどやらないようです。もっとも、仏教一派の修行法として「身しらべ」があり、禅の公案には「父母未生以前の真面目」(父母が生まれる前の本当の自分とは何か)というのがあります。が、全体の修行の一部にしかすぎないようです。

(H)

禅は、なぜ母親を積極的に扱わないのか、という点ですね。

(W)

そうです。

(H)

精神分析の世界ではメラニークラインが正面から扱っていますが、フロイトご本人は扱っていません。

(W)

フロイト本人の事情が絡むと思います。

(H)

では仏教の場合には、ダルマさん自身の事情が絡んだのでしょうか。

(W)

わかりませんが、その可能性もあるのでしょうね。

その個人的な事情以外にも、社会的事情も絡むと思います。

(H)

世の中の事情ということでしょうか?

(W)

はい。禅を含む仏教は、長い時間をかけてインドから中国を通って日本へ伝わり、国教として認められるなどして、生き残ってきた事情があります。ですから治世する側(国)の要請として、当然に、両親への感謝は保持しなければなりません。

(H)

道徳や倫理ということでしょうか。

(W)

そうです。かなりの時間を通して、儒教を信じる人たちは多数派だったでしょうから、それに面と向かって反したら、長い時間は生き残れないでしょう。

(H)

大変だ。

(W)

フロイトだって性的な問題を根本的に扱うことになったので、社会から手厳しくバッシングされた経緯があります。

(H)

性的な問題を扱うこと自体が反社会的だということだったのですね。

(W)

仏教だって反社会的なラベルを貼られたら生き残れなかったはずです。

(H)

生き残る便法としての意味もあったということでしょうか。

(w)

両親のうちでも、特に母親への恩は大事にしなければならず、母親へのアンビバレンツを受け入れるというテーマ自体が、難しいものであったのかもしれません。

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ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違1/2|セラピーの休憩時間(705)

「ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違」

(H)

今日のお題は何やら難しそうですね。

(W)

いつか話したいと昔から思っていました。

(H)

やさしく話してくださいね。個人的には少しは聞いていますが・・。

(W)

ベビーブレスによる爆発するような大きな気づきがあります。同時に大きな開放があります。禅仏教にも、悟り、というものがあります。類似する点があります。

(H)

似ていることが不思議だということでしょうか。

(W)

いえ。当然だと思います。人の心の奥底は同じでしょう。同じホモサピエンスの脳を持っているのですから。

(H)

不思議でないとしたら、何が、ポイントなのでしょうか。

(W)

ベビーブレスや禅で、人の心の奥底に何が起きるのか、より客観的に理解できるのではないかということです。

(H)

はい。

より、はっきりするということですね。

(W)

ベビーブレスと禅。二つ以上の視点を持つことはとても重要です。

(H)

動物が二つの目があるのは、獲物をはっきり見定めるためですね。

(W)

そう。象徴的に。

ベビーブレスという手法で探求を続けると母子関係の「アンビバレンツの受け入れ」という問題に到達し、やがて突破します。それは強力ではあるものの一つの視点、もう一つ欲しい。

(H)

アンビバレンツはキーワードですね。日本語で両価性と言われます。その意味するところは、セラピーの現場でとても重要ですね。「このくそババー!」という究極の殺意と、「ママー!」「かあちゃーん!」という愛情の本質のようなものが、実は同じものと気が付く瞬間があるのですよね。セラピーのだいご味です。

母親には本当の愛情がないことで小さな乳幼児は死を突きくけられる。一人ぼっちの死。究極の恐怖です。他方、母親は、自分の生命を支えてくれる全宇宙のような存在。そのことに気が付くとき、死と生を同じものとして受け入れる。

(W)

そうです。「アンビバレンツの受け入れ」と言葉では簡単ですが、果てしなく大きなことです。ドカンとくるような大きな気づき、大きな開放です。

(H)

もう一つの視点が欲しい、というのは?

(W)

「アンビバレンツの受け入れ」がいくら大きなことと、こちらがわかっていても、ベビーブレスを体験しない人には、説得力がない。今はやりの言葉で言えば、エビデンスが足りない。

(H)

エビデンスは十分です。何を言いますか。実際に人に、大きな気づき、大きな開放があるのですから。世の中に、これ以上大きな事はないくらいです。山のように動かせない証拠です。

(W)

それは体験した人のことです。体験しない人にはさっぱりです。このブログを読む人には不十分です。体験しない人には、言葉の説明しかありません。エビデンスというのは言葉によるエビデンスということです。客観的な理解というのは、極論すれば、言葉です。

(H)

体験しない人に言葉で伝えるのは難しいでしょう。

(W)

その通りです。

しかし、ブログを出すというのは、その難しさにあえてチャレンジするという面があります。難しさを、少しでも減らすために、二つの視点が有効と思うのです。

(H)

そんな難しいことをやらなければならないのだったら、私は、一人でも多くの人に実際に「アンビバレンツの受け入れ」を体験してもらう苦労をしたい。

(W)

うーーん。まあ、まあ。そう言わずに。

体験した人にも全く関係ないことでもありません。体験し大きな気づきがあり大きな開放があっても、それが瞬間的なことで終わってしまう弊害があります。大きな気づき大きな開放があった結果、家族などとの人間関係が改善し、自分自身の生きやすさが生じても、そういう結果物、そういうお土産(おみやげ)だけで満足し、自分に何が起きたのかを検討しようとしない弊害があります。私は不満ですね。

(H)

確かに、ニコニコして明るくなり、楽しそうに、いろいろな改善を報告して来ても、なぜ、そのようなことが起きたのか、振り返れない人もいますね。私だって不満です。なにやら浅い感じがします。

(W)

そうです。振り返って検討することは大切です。客観的な理解は必要です。

(H)

そのために二つの視点が必要ということでしょうか。

(W)

はい。

ベビーブレスと同じように自己を深く探求するものとして禅仏教(禅宗)があります。宗教ではありますが、ほとんど心理学に近い感じです。禅宗の本で、修行僧が「道でブッダにあったらすぐに殺せ」という話がありました。宗祖様を殺せとは・・。宗教を超越する雰囲気があります。重要なのは宗祖様ではなく自己ということです。もう一つの視点として有力です。

(H)

わかりました。

それでは、禅宗の悟りとの類似と相違、お願いします。

[Ⅰ]類似

(W)

まずは「類似性」です。

アンビバレンツの受け入れによる解放と、禅の悟りとは、際立つ類似性があるように思われます。4つくらいありますかね。

(H)

ほー。

(W)

といっても、私自身が悟りを経験したことはないので、禅の悟りの材料は、書物です。

経験していれば、もっとたくさんの類似点を挙げられるのかもしれません。これは想像ですが、無数に挙げられるのかもしれません・・。

(H)

ほーほー。

(W)

一つ目は、突然やってくること(①)。これが似ています。

ベビーブレスを中心としたアコールのセッションでも、母親へのアンビバレンツを観るために、カウンセリング、ベビーブレス、寸劇などいろいろ行っていきます。アンビバレンツの概念は、理論で理解できます。自分の成育歴も、文章化できます。過去の母親との係わりを調べることができます。

(H)

仏教でも、身しらべというのがあるようですね。

(W)

あなたは長い間、似た行をやってきましたね。

(H)

はい

(W)

アコールでもいろいろ行いますが、しかし、それらは準備にしかすぎません。実際に、その人がアンビバレンツを観て受け入れ解放されることは、突然にやってきます。

(H)

そうですね。ある時、潮が満ちるように、ね。

(W)

禅の悟りも、些細な物事をきっかけに、突然やってくることが知られています。この辺りは、書物にいろいろありますね。

(H)

ほうきで掃いた小石が、竹の幹に当たって、コーンと音がした瞬間に悟ったとか。

(W)

それは有名ですね。禅寺の美しい庭が想像されます。おしゃれなほうです。悟りの瞬間をたくさん集めた書物によると、便所で小便をしていてブクブク泡が立った瞬間に悟った、とかいうのもあるようです。

(H)

・・・・・。

(W)

なぜ突然くるのか。

(H)

毎日セッションしていて、クライアントの抵抗と対面している側としては、抵抗が突然に崩れ落ちる感じは、なじみがあり、違和感がないのですが・・・。

(W)

はい。

脳の中がどんな風に突然変化するのかも興味があります。想像しかできませんが、神経細胞がつながっていき、ある瞬間に必要な電流の臨界に達するのかもしれません。

(H)

むむ。

<以下は次回に続く>

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最後の壁|セラピーの現場から(704)

「最後の壁」
(W)
最後の壁を突破する人たちが出てきました。
(H)
嬉しい限りです。もっと多くの人に伝えたいと思います。
(W)
アコールセミナーのアプローチは、母親に対する愛憎の統合を体験し、生と死の統合を体験することです。最終的に統合して弾けるような元気な自分を取り戻す人たちが出ています。その最終的な統合ができたときに、最後の壁が突破されたと、感じます。見ていて、人が変わります。内側から元気になります。
(H)
人は、生まれたての赤ちゃんは、もともと、こんなだったのだろうなと思えるような元気さです。本当は嫌っていた自分を、心からいとおしくなります。外側の変化としては、職場での大活躍や子供に対する愛情が溢れるように出てきます。子供が可愛くなると、子供にそのことが通じ、親子ともども、さらによくなります。自然にそうなってしまう。

(W)

はい。

(H)

もっとも大変な側面もあります。その人の心の大鍋(なべ)をひっくり返してドロドロした鍋底をすべて引き受けることにもなります。

(W)

いえいえ。それこそ、それでしょう。

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山中湖は厳冬?|セラピーの現場は冬景色(703)

「山中湖は厳冬?」
(H)
山中湖の冬を本格的に体験しました。一週間ほど生活してみました。一年で一番寒い時期を選びました。山中湖セミナーハウスの老朽化した部分を一部改修し、冬も何とか過ごせるように、住みやすくする工事もありました。
(W)
山中湖セミナーハウスは十年使っていますが、初めての体験でしたね。
(H)
山中湖の冬は厳冬です。マイナス20度前後になることもあります。現地の人には、東京の人は「来ないほうがいい」と言われました。北海道出身の人に「北海道よりも寒い」と言わせる寒さだということでした。セミナーハウスの隣の敷地に施設を持っていた方が、数年前の大雪で、3メートルの積雪に閉じ込められ、懲(こ)りた、という話もうかがいました。
(W)
防寒着としてスキー服を持っていきました。雪用の長靴やアイゼンも用意しました。
(H)
10年前に一日だけ真冬の山中湖に行ったことがあり、その時の雪や氷はすごかったですからね。
(W)
ところが・・・暖冬でした。一週間のうちの最も寒い時がマイナス7度でした。スキー服やアイゼンは使いませんでした。
(H)
世界的な温暖化の影響でしょうか。マイナス15度は行くだろうと思っていたのに、ちょっと残念。
(W)
でも夜の星空はきれいでした。夏よりも空気がきれいなのか、月や星の明るさが素晴らしかった。
(H)
鹿さんとも、より、お近づきになれました。冬は木の葉が落ちて、地面は雪で白一色。
鹿の姿がはっきり見えます。
(W)
鹿の足跡が、雪の上に、そこら中に残っていました。糞もね。
(H)
鹿の糞は、ピーナツチョコのように黒くて、真っ白い雪に映えます。鹿は、出会うと、警戒してジッとこちらを見ていますが、優しい声で話しかけると、再び穏やかに餌を食べ始めたりします。わかるようです。一週間のうちに何度も話しかけて、警戒が薄くなって、すぐそこにいても、逃げなくなりましたね。

山中湖セミナーハウスの庭の近くにきている小鹿。庭の石垣のすぐ向こうにいます。頭は左向き。

右向きだと思うと狐に見えるね。

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