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[母親に対する依存と殺意の一体構造]
小さな子供が健康な母親に育てられるとき、完全な一体感を伴う依存を味わうでしょう。母の懐で何不自由なく天国の時間をたっぷり過ごすでしょう。そして満足した後で依存から卒業し健康な発達を遂げることでしょう。
しかし、なかなか、そうはうまくいかない。健康な母親はめったにいない。そのため十分な依存が手にいらずに、大人になっても依存的な人たちがいる。
依存と殺意は、一体のものとして、小さい子供が人生のはじめに、母親に対して形成するもの。母親から十分な愛情をもらえなかった子供の感覚として、母親の中に良い母親と悪い母親がいる。悪い母親への殺意をあらわにすると母親全体を失ってしまう。母親に嫌われる。母親を失った子供を待っているのは、一人ぼっちの死である。耐えられない。そこで悪い母親への殺意を隠し、良い母親への依存を失わないようにする。しかし殺意を隠し持っているので、一体性のある本当の愛情を獲得することはできない。依存しながら殺意を隠して付き合うことの不満足さは、母親に対してのみならず、その後の他の人間に対しても、受け継がれる。
[他の人間に対する受け継ぎ]
依存と殺意の一体構造は、大人になったのちも、持ち続ける。どうしようもない母親には見切りをつけて、新しい、より好ましい人間関係をつくろうとしても、他の人間に対して、依存と殺意の一体構造は、気が付かないうちに維持され、それに伴う不満足さは受け継がれる。
すなわち大人になっても、奥深くでうごめく一人ぼっちの死を避けるために、最も好ましいと思われる誰かに依存する。母親の代わり(依存対象)だ。会社の上役、夫、カウンセラー、子供。しかし依存によって満足するのは、感受性を失っていない小さな子供が、健康で好ましい母親との関係で、完全な一体感を伴う場合であって、大人になった今となっては、相手にとっては迷惑な限りであろう。あるいは病的な相互依存をなす。不満足はどこまでも続く。
その人の感覚が鋭く、運が良ければ、あるとき追い詰められる。何か(殺意)を隠したようなそんな生き方は嫌だ、という気持ちが強まる。殺意は依存対象へ向かう。もともと母親へ向かうべきものが、せき止められており、現在の依存対象を襲う。
その時、殺意を放出する本人が、内面の一人ぼっちの死を恐れないほどに勇敢であれば、依存から抜ける。ブレスの中で殺意を表現し「一人ぼっちの死」に入っていくことができて「これで初めて生きていける感じがする」というのは、ニュアンスは異なるけれども、よく聞く感想である。
「生と死のエネルギー」
依存的な人たちは、昔、十分には手に入らなかった愛情(依存)を、今、何とか手に入れて生きていこうとする、生のエネルギーを中心とする人たちのように思えます。ある人は自分を見抜いて自嘲的に「愛情乞食」と言っていました。一方で、一人ぼっちの死を拒否し、そのために殺意という大きなエネルギー(死のエネルギー)を隠さなければなりません。それが、一人ぼっちの死を受け入れたときに、それまでの生のエネルギーに死のエネルギーが補われ、生と死のエネルギーが統合され、自分の本当のエネルギーを手に入れるのだと理解できます。
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白鳥の話2(つづき)
[4.守る親白鳥]
白鳥の両親は、いつもヒナを守っていた。
私が、一家へ必要以上に近づくと・・・3メートルくらいかなあ・・、父白鳥がこちらに向かってくる。真っ白い両羽根を、肩を怒らす様に持ち上げる。ノッシのっしと歩いてくる。別に、パンが欲しいわけではない。歯がない口ばししか持っていないのに、・・やってくる。ごめん、ごめん。あわてて後ろへ下がるしかない。
あるとき、白鳥が子育て中であるという事情が分かっていない人が、飼い犬を連れて散歩にやってきた。犬が20メートルくらい近くになったときに、父白鳥が無言のまま動き出した。犬に向かってノッシのっしと歩いていく。犬は、・・・逃げた。本気の戦いなら、白鳥は勝てるはずはない。首が細い。口ばしが小さい。歯がない。でも気迫勝ち。
人や飼い犬は、ヒナを襲わない。でも野生の肉食の生き物は、違う。襲って食べる。生きるために食べる。人が見ても、小さなヒナはかわいらしく、おいしそうである。ときどき白鳥の両親がともに、急に、首を上げて動きを止めることがある。上空にトビがいる。カラスがいるときである。
[5.生存の厳しさ]
私たちが初めて、一家に会ったときは、ヒナは3羽だった。地元の人によると、ヒナは、はじめは6羽くらいいたらしい。「狐ではないか」ということだった。ある朝さらに、2羽に減っていた。周りを見ると、近くの木に複数のカラスがいた。木の近くの屋根の上に、何かがある。屋根に近づいてよく見ると、はっきりしないものの、大きさや色が、それらしかった。湖畔には、白鳥が隠れる適当なものがない。上空から襲われたら防ぐのは楽ではない。あの父白鳥がいても、守り切れるのは2羽くらいかもしれない。それで湖の白鳥の数は、そこそこに維持される。
意外なことがある。犬にさえ向かって行く白鳥が、さっさと退散することがある。一家が急に目の前から移動しはめるので、何事かと思い、よく観察すると、遠くから、他のつがいの白鳥がやってきていた。距離は100メートルもあるかと思うほど遠かった。白鳥同士なので仲よくすればいいのに、と思うけれど、違う。ほかの動物でも同じようなことがある。同じ種の群れ同士が出会うと激しい争いになることがある。草食、肉食を問わない。多分、食べ物や生きるために必要な環境が重なるので、他の群れを追っ払う必要がある。あるいは追っ払われてしまう。子供(ヒナ)がいるときには、子供が殺されないように、さっさと退散するに越したことはないのであろう。
[6.ヒナの成長と家族の終了]
私たちが出会ったのは、6月ころだった。片手の平に乗るくらい小さかった。一口サイズ。かわいかった。会うたびに大きくなっていった。片手では難しそうになり、近くのカルガモを超える大きさになり、両手でやっとだろうなと思えるくらいになり、あれよアレヨと、大きくなった。
ヒナは増々かわいくなり、4羽家族の居る風景は、しみじみ愛おしかった。あるとき、4羽家族は、ワカサギ釣りの屋形船がつながれている木の下に、いた。木の周りは、柔らかそうな緑の草が、芝生のようにふわふわと生えていた。その上に、4羽家族は幸せそうにうずくまっていた。ヒナはもうカラスには簡単には襲われない大きさになっていた。親白鳥の安心が伝わってきた。就学前くらいの男の子が走ってきた。白鳥家族を見つけ、赤ん坊を抱っこしたお母さんの手を振り切って、木のところまで来た。白鳥家族のすぐ近くに来て、「天国みたい!」と大声で言った。そう、まるで天国みたいだった。
親白鳥の半分くらいの大きさになっても、羽根の色が薄い茶色なので、遠くからでもヒナだとわかった。このころ、両親白鳥は、ヒナに遠慮せずに食パンを食べた。
親白鳥とほぼ同じ大きさになっても、色は、茶色と白のマダラ模様なので、ヒナだとわかる。
マダラ模様になる少し前あたりから、父白鳥はいなくなっていた。母白鳥はその後もかなり一緒にいた。近くにいるので、母白鳥だろうな、と思うだけで、母白鳥らしいしぐさをするわけではない。他の白鳥かもしれなかった。そのうち、マダラ模様の二羽のヒナだけで堂々としているようになった。母白鳥が近くにいるのかどうか、わからなかった。私には見分けがつかない。どこかへ行ってしまったかもしれない。11月になっていた。マダラ模様が完全に消えて、真っ白になるころ、この二羽の兄弟も、互いに独立して、他の白鳥とつがいになるのかもしれない。
[7.健全さの違いは何?]
成長したヒナだけで堂々としている様子は、自然界の親離れを感じさせますね。ヒナを守るために犬にも向かって行っていた父白鳥が、いつの間にかいなくなり、エサをヒナに譲っていた母白鳥も、やがていなくなる様は、寂しいようで、健全な子離れを感じさせます。この健全さはどこから来るのでしょうか。本能に過ぎないと言えばそうでしょうが、人間だって本能は持っています。違いは何なのでしょうか。
推測します。
白鳥は人間よりも自由に生きています。つがいになる相手も自分で選ぶでしょう。自分の気持ちを感じ相手を感じ、感じるままにつがいになります。誰にも強制されません。誰へも忖度しません。生まれてきたヒナは、だから、「とてもかわいい」と親白鳥は感じるでしょう。かわいいヒナには、命をかけ、エサも譲って、後悔はないでしょう。気の進まない結婚をして、いやいやながら子育てをする人間を、白鳥はなんと思うでしょう。
(おわり)
白鳥の話1/2
[1.白鳥一家]
山中湖の湖畔に白鳥たちが住みついている。2021年には、ある白鳥の一家が、私たちのセミナーハウスの近くに住んでいた。両親の白鳥と数羽のヒナだった。ヒナは淡い茶色でフワフワしていた。カステラをくりぬいたお菓子のようだった。ヒナのあまりのかわいらしさに、私たちは毎朝、湖畔を散歩するたびにその一家を探した。
湖畔には、春になると、小さいおいしいサクランボをつける、背の低い富士桜の並木があった。その並木が両側を囲む小道を抜けると、目の前に湖が大きく広がり、一家が居る地域になる。片道20分くらい歩く距離で、日によって、居る場所が違った。彼らも朝は食事であちこち水草をもとめて移動するらしい。私たちは食パンをポケットに忍ばせて、ちぎって白鳥に投げ与え、ときどき私たちも食べた。
[2.白鳥の食欲]
白鳥は食パンを好んで食べる。透明な湖水に白く浮かんだパンを、口ばしでほぐしながら、水と一緒に飲み下す。たいていの白鳥はお腹を空かしていて、あっという間に食べ尽くす。そして、もっと寄こせと、水から上がる。恐竜のような大きな水かきが現れ、ノッシのっしと、歩いて、こちらへ近づいてくる。堂々としている。小さな二つの眼が正面からこちらを見据えて、やってくる。野生の白鳥だ。零下20度の山中湖の冬を、白く雪をかぶりながら身一つで過ごして生き抜く、凄さがある。
そして、パンをちぎるのに手間取っていると、すぐそこへ来た白鳥に、必ず手をかまれる。口ばしには歯がないので痛くない。でも、あまりの迫力に誰もが、小さな悲鳴を上げてしまい、手からパンを落としてしまう。落ちたパンはたちまち白鳥が食べる。思わず後ずさりしてのろのろしていると、あっという間に食べ終わった白鳥が、再び、ノッシのっしと迫ってくる。あんなに美しくてかわいいと思っていた白鳥へのイメージは変わってしまう。怖い・・・。白鳥の食欲はすごい。
[3.食べない親白鳥]
しかし、一家の親白鳥は、ほとんどパンを食べない。自分は食べずにヒナに譲る。親鳥のすぐ近くにパンを投げても、ヒナがそばに居れば、食べない。食べようか食べるまいか迷う様子はなかった。ヒナが、当然のように食べてしまう。多分、子育て中は、親白鳥は食欲そのものがなくなるのではないかと思える。
仮に、食欲が自動的になくなるとしても、人間にも同じような感覚はあるのだから、ついつい想像してしまう。親白鳥はヒナが可愛くてしょうがなくて、あまりの可愛さに、ヒナが食べるのを見ていると自分の食欲さえ失ってしまうのだ・・と。あの本来持っているすごい食欲を失うのだから、どれほど可愛いと感じているのだろうか、と。
(つづく)
あけましておめでとうございます。
コロナ禍のため、山中湖のグループセッションがなかなか再開できませんが、今年こそ再開可能になることを祈っています。
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<胎児が母親からの電磁波で母親の気持ちを察する可能性>
Babyブレスで胎児期の記憶を思い出すというのは珍しくありません。そして、その時の母親の気持ちに傷ついた、というのも良くあることです。例えば「私は胎児期から母親に望まれない子であった」というようなことです。いわば日常茶飯事です。それを認識し納得することで大きな心理的な改善があります。Babyブレスを前提にしてセラピーを行っていると、胎児期の記憶が残っていることも、胎児が母親の気持ちを察することも、経験上の事実として、疑いようのないものです。
しかし、Babyブレスを経験しない人には、そこのところの理解は難しいかもしれません。そもそも、そんなことがあり得るのだろうか、というところでしょう。厳密なエビデンスとまではいかないにしても、何らかの客観的な傍証は欲しいものです。
そこで、youtubeで例えば「胎児の記憶」と検索をすると、現在、少なくとも十数件の実例を見ることができます。胎児期の記憶が残っているという事柄は、そんなに珍しいことではないようです。
では、胎児が母親の気持ちをどのように察するのか、というのはどうでしょうか。過去に私の知っていた情報では、母親の血液の酸素濃度、母親の心拍、母親の発する声の調子、などなどから、胎児は母親の気持ちを知っているのではなかろうか、ということでした。しかしどれも、いまいち、不十分な感じがしていました。血液の酸素濃度の変化が胎児に伝わるには、かなりの時間がかかるでしょう。母親の心拍が、例えばなぜ高まっているのか、その理由はわからないでしょう。怒って高まっているのか、喜んで高まっているのか。母親の発する声だって、無言のまま、子供の堕胎を念ずる状況だってあるでしょうから。
ところが最近、人間同士が知らないうちに電磁波でコミニケーションをとっている旨の記事(https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/2018/11/transtech-1.php)がありました。であれば、胎児が母親からの電磁波で、母親の気持ちを察するというのは、かなり納得できるものです。電磁波というのは、伝わるのは速いし、周波数の変化や振幅の変化で多くの情報が送られ得るでしょうし、また、母親が無言を貫いても、知らないうちに発してしまうことは十分に考えられます。
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○1月のアコールのズームミーティングは1月3日に実施させていただきました。ベビーブレス体験のシェアが行われとても有意義なミーティングになりました。ありがとうございました。
○2月のアコールのズームミーティングは、2月6日土曜日20時から22時にさせていただきます。無料で出入り自由です。ベビーブレス体験者でご希望の方は林(042-363-9948)まで御連絡ください。当日、ズームミーティング参加のためのURLをメールやラインなどで送ります。ご参加のほどお待ちしております。
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<W>
今日はj君のまとめですね。
<H>
彼は、上手な絵で、回顧録をまとめてくれました。ありがとうございます。以下<j>の部分はj君の回顧録の部分です。絵は10枚です。絵を中心にまとめています。
<W>
彼のきっかけは、一言で言うと、何になるのでしょう。生きづらさとでも言えばいいのでしょうか。
<H>
そうですね。彼はあるチェーン店の店長を務めており、初めのころは上司や部下との関係などが話題に上がりました。以下、彼の回顧録を見ていきます。
1枚目
<j>
「周りの目を極度に気にする自分」
周りの評価を極度に気にする自分。
生きづらさに苦しむ。
集団の中にいるのが苦手。小人数もダメ。
話すことが見つからないと異常に焦る。
早く1人になりたい。
人との関係の中でいつもそう思っていた。
そして当時の上司との関係に苦しんでいた私。
これがセッションを始めるきっかけとなる。
<H>
j君は、はじめは、こんなふうにはっきり自分のことを語ったわけではなかったような気がします。もう少しぼんやり「自分のことを知りたい」とかなんとかいうことだったと思います。
<W>
今、まとめができる段階になって、よりはっきり自分のことを語れるようになったんでしょうね。
2枚目
<j>
「悲しみの母」
私がセッションを始めた当初。
まずこんな家族の様子を感覚的に思い出しました。
母はいつも悲しい顔をしている。
祖母(父の母親)はいつも母を攻撃している。悪辣。嫌味ったらしい。
父は扉の向こう。何処かに行っている。家にはいない。
私は暗い気持ち。
他に兄と姉もいたが、家族の誰も私には関心が無い。
誰の心の中にも私はいない。
という感覚がずっとある。
当時は家族がいない所で、寂しさや怒りを訴える。
こんなセッションを何度も何度も、繰り返していました。
<H>
兄弟を含め人間関係が薄い感じがしました。実家に帰ってもあまりお兄ちゃんなどと話をしなかったようです。
<W>
一時期は、お兄ちゃんの悪口などを言っていましたね。
<H>
この回顧録では一切触れてないです。セッションが大きく進んで、もう、どうでもよくなっていってしまったのに違いない、と思います。自分のことをやらないと、外側(例:お兄ちゃん)に問題を求めてしまう。
<W>
そういうものですね。
3枚目
<j>
「「苦しみ死に」の恐怖」
ある日のセッションで私に起こった、とてつもない恐怖の体験。
圧倒的な力で押し寄せる死の恐怖。
全く抵抗できない。
死を受け入れる心の準備などできずに、
苦しんで、苦しんで死んでいく。
それが胎児期の恐怖である事は当時から分かっていたが、
具体的な事が分かったのは、
もっと後になってからであった。
父には私が生まれる前から浮気相手がいた。
母はそれを知っており、
父を自分に繋ぎ止めるために私を妊娠した。
しかし母は私を妊娠している時に、
父の浮気が続いている事を知ってしまう。
私を妊娠した事は全くの無駄であった。
母の強い怒りが私に向きます。
母の殺意。
とてつもない身体的な苦痛を伴って
殺される恐怖。
このセッションで体験したこの「苦しみ死に」の恐怖は、
その後長く私を停滞させる事になる。
<W>
それまで彼が希望していたのは「心の傷に触れずに、感情豊かで、魅力的な人間になりたい」辛いところには触れたくない、というようなことだったと思います。
<H>
お土産だけが欲しい人だった、ようです。
<W>
今は見事に、心の傷のおおもとに届きました。対峙すべき心の傷がはっきりしました。
<H>
生きにくさの原因には、親の意向を汲んで生きていくと言う、同じグループカウンセリングの仲間の話なども参考になっていると思われます。
<W>
親に利用され、自分から利用されようとする切ない気持ちですね。
<H>
切ないです。
<W>
彼は「「苦しみ死に」の恐怖は、その後長く私を停滞させる事になる。」と言いますが、なぜ、「停滞」してしまうのかが、人が悩むということのカラクリのような気がします。
<H>
傷を目の前にして、引き返そうとする気持ちが働くのですね。
<W>
引き返しを言うのであれば、傷を目の前にする以前から、傷に無意識なときから、何とかして引き返そうとしていた、とも言えます。事実を否認することで何とかしようと苦戦する。
4枚目。
<j>
「グレーにする自分」
父を自分に繋ぎ止める為に私を妊娠した母。
私はその役目を果たせれば、
母からの愛情を得られる。
と思うようになります。
本当は愛情あって私を産んだわけではない事は知っているが、
それを直視しない。
正しく認識する事を避ける。
ぼかしてグレーにしてしまう。
この心の癖は、
この後の私の対人面にしばしば影響を
及ぼす事になります。
<W>
今でこそ、そのようにはっきり言えますが、白黒はっきりさせないグレーな場所にいるときには、ひたすら、ただグレーだったのでしょう。
<H>
なんとかすれば(自分に対する母親の)愛情はあるはずだと思い込んで、ギリギリのところで生きていこうとするのは、トラブルに悩んでいる人の共通の部分かもしれません。本当の母親の姿、本当の自分の姿、を見ることができない。
5枚目
<j>
「全てを閉ざして石になる」
母は私に、
父を自分に繋ぎ止める役目を与えて、
私を出産します。
しかし私が4歳くらいのとき。
両親は離婚。
役目を果たせなかった私は、
一人洞窟の中で石になって、
全てを閉ざして死んでいく。
家族の誰も私の事など意識がなく、
私は誰にも知られない所で、
一人死んでいきます。
一度死んでしまえば
案外そこは居心地が良く、
私は自分をその場所に居続けさせる事になります。
閉ざして生きていけば、嬉しい事は少ないが、
辛い思いをすること事も無くてすむ。
何も無い人生を私は選んだ。
しかし、私は覚えていました。
閉ざすとき、
凄く凄く悔しかった。
悔しかったが、閉ざす事しか出来なかった。
無理難題をおしつける母への怒り。
母の愛情を得るために頑張ってきたが、
それが叶わない絶望感。
母と私は両思い。
という暗示を自分にかけて、
他の事は閉ざしてしまった。
そうするしか無かった。
<H>
母親にはほんとに愛情がないんだということがわかって、石のように閉じてしまう、ということですね。
<W>
そこのところです。彼の回顧録では、あくまで「離婚」がきっかけです。しかし、「父を繋ぎ止める役目を」うまく果たし「離婚」がなければ、母から本当に愛情を得られたのでしょうか。離婚がなくても本当の愛情は無理だったのかもしれません。そもそも条件付きの愛情ではj君自身が納得しないでしょう。彼は、実は知っていたのかもしれません。「母親にはほんとに愛情がないんだ」と無意識には始めから。
6枚目
<j>
「殺すなら殺せ」
グレーにする自分から脱却するきっかけになったのは、
「殺すなら殺せ」をやった事であった。
愛情の無い両親から生まれた私が、
自分の存在にどれだけ戸惑って生きてきたか。
愛情が無いなら俺を殺せ。
俺はおまえの役には立たない。
そんな事はしたくも無い。
だから殺せ。
キズだらけ血まみれの私の、
渾身の怒りであった。
しかしいざ殺されるとなると、
母を思う気持ち。慕う気持ちが溢れる。
大好きで死を受け入れる。
母を殺すセッションも繰り返し行なってきた。
怒りで始める母殺しですが、
大好きで大好きで殺しきる。
母への怒りをやればやるほど、
母を慕う気持ちを思い出していく事になる。
この、「殺すなら殺せ」をやって以降、
私に色々な変化が起こっていった。
<W>
大きな突破が、転機が起きました。大迫力の絵です。
<H>
この転機が訪れるきっかけになったことの一つが、セッションを中止するかどうかのカウンセラーとの話し合いだったかもしれません。グレーにして石のようになりセッションが進まない。このままやっていても、時間とお金が無駄なので、中止したほうがいいのではというふうに相談をしました。
<W>
カウンセラーも、彼の心情と一体になって、決断が迫られたのですね。
<H>
彼が辛いようにカウンセラーも辛い。グレーにして石のような状態には、だんだんカウンセラーも耐えられなくなる。本当に同じような内的な経験をするのだと思います。
<W>
そして彼は前に進む決断をするのですが、その結果の「殺すなら殺せ」はカウンセラーにも向けられていたのかもしれません。「見放すのなら見放せ」と。陰には依存がありますから。カウンセラーはいつの間にか母親役です。辛いときに依存は慰めになります。ところが依存を頼りにして前には進みたくない。依存できなければ自分で立つしかない。その時、前に進むも見放されるも同じようなもので自分の目の前にある。
<H>
そういう意味ではカウンセラー自身が健康でなければならない。ぎりぎりのところまで。
<W>
「いろんな変化が起こっていった」とあります。
<H>
「停滞がなくなってきた」ということですね。
<W>
その変化の原因が回顧録のここに書かれています。母親への愛憎の統合から生死の統合が起きています。
<H>
母親への愛憎の統合は、自分自身の生死の統合に通じているというあれですね。
<W>
あれです。大切なところですから、見ていきます。
「殺すなら殺せ」は母親への究極の怒りです。憎悪です。「母への怒りをやればやるほど、母を慕う気持ちを思い出していく」とあり母親への愛憎のエネルギーが実は同じであることを彼は体感しています。愛憎の統合です。
そして「殺すなら殺せ」は、また同時に、自分自身の死の受け入れです。
グレーにして石のようになって何とか生を守ろうとしますが、その守りの彼岸は死です。自分にとって宇宙のように大切な母親から、あろうことか自分自身の死が望まれている、その死です。
その死を受け入れることで「渾身の怒り」つまり激しい「生」が出ます。何とか守ろうとする弱々しい生ではありません。死を受け入れて本当の生が出る。生死の統合の兆しです。この辺りは、この後の8枚目の絵でも描かれています。
7枚目。
<j>
「靄に包まれて死ぬ」
胎児期に母に殺されそうになった感覚は、
身体的苦痛として私の心に刻まれ、
私はその記憶にずっと苦しめられてきた。
一切の抵抗は許されず、
死を受け入れる心の準備も出来ず、
胎内いう狭い場所で暑さからも逃れられず、
窒息死するという、「苦しみ死に」の恐怖。
しかしある日のセッションで気づくことになる。
本当に怖いのは一人ぼっち。
母も。誰も彼も。私の事など意識に無いと知ること。
そしてこの世界の、
厳しさ。冷たさ。無慈悲さを知る事。
それが本当の恐怖。
一人ぼっちを自覚したくないが為に、
私は「苦しみ死に」の恐怖を利用していた。
「苦しみ死に」に囚われていれば、
一人ぼっちを自覚しなくて済むので。
恐怖で恐怖を隠す。
私はそんな生き方をしていたのだ。
この7枚目の絵に描いた黒い靄は「苦しみ死に」を表現しています。
「苦しみ死に」の正体(一人ぼっち)を知った私は、
抵抗する事なく安心して、靄に包まれて死んでいく。
“やっと死ねた。”
私の中からしみじみとそういう気持ちが湧いて来た。
<H>
「本当に怖いのは」「一人ぼっち」。母親から殺される「苦しみ死に」の恐怖ではなく、さらに、その奥にあった。
<W>
はい。6枚目の絵のところで母親からの死を受け入れたら、その奥の本当の恐怖である「一人ぼっち」を受け入れることができ、「やっと死ねた」という境地になったのですね。
<H>
大亀の水底に足が着いた。「安心」ですね。
<W>
死の受け入れが深まった。
8枚目
<j>
「恐怖と共に生きていく」
私は恐怖を克服したいと思って、セッションを続けてきました。
日常的に感じている、対人面での恐怖が辛くて辛くて。
しかしそれ(辛い辛いと言うこと)は心を閉ざして生きていく、
と言っているのと同じことだと、ある時、気づかされます。
本当の自分の人生を歩んでいくために、恐怖と共に生きて行こう。
と思うようになりました。
幼いころの恐怖がどんな物であったか。
日常の中で感じながら生活していると、
不思議と恐怖は和らぎ、
恐怖の中にいる事に心地良さを感じることも多いほどです。
どんなに惨めな思いをしてきたか。
本当に死んでしまいたかった。
消えて無くなってしまいたかった。
そんな事も少しづつ思い出していきました。
8枚目の絵には3人の自分を描いています。
その中の一番小さい自分は恐怖している自分。傷ついた小さい自分。可愛い、可愛い自分。
真ん中はそれを包む今の自分。恐怖と共に生きて行く。
一番大きい自分は、本当の自分のようなものだと思われる。いつも私(真ん中の自分)に、”大丈夫。オレがついてるから大丈夫。落ち着いて!”と声をかけてくれる。
<H>
「どんなに惨めな思いをしてきたか。本当に死んでしまいたかった。消えて無くなってしまいたかった。」と過去形で話せるようになりました。よかった。「不思議と恐怖は和らぎ」とあります。「和ら」がせるセッションもありますが、自然と起きてくることが本物ですね。
<W>
はい。この絵がいいですね。
<H>
見るだけで暖かい「安心」が伝わってきますね。「3人の自分」が成長を表現しているようにも見えます。
<W>
生と死の統合を見ます。6枚目の絵のところで「殺すなら殺せ」と死を受け入れて本当の生「渾身の怒り」が出た後で、7枚目の絵でさらにその奥の「一人ぼっち」を自覚して死の受け入れがより深まり、この8枚目の絵で、その深まった死(真ん中の自分)に応ずるように暖かい生(外側二人の黄色とオレンジの自分)が現れ、生と死の統合がより明確に描かれているように思います。
9枚目
<j>
「やっと甘えられた」
ある日のセッション。
母を慕う気持ちを感じながら母を殺す。
愛おしくて愛おしくて殺す。
その後、死んだ母に抱きついて
心から甘える。
思いがけず甘えを出せた私でした。
甘えたいと強く望んでいる自分を、
さほど意識いてはいなかったのだが、
“やっと甘えられた”
“やっと甘えられた”
何度も何度もそう思いました。
本当に嬉しかった。
<H>
「思いがけず、やっと甘えられた」いいですね。甘えると言うのは難しいことです。甘えたふりはできるけどほんとに甘えるのは難しい。
<W>
努力して甘えられるものではないのかもしれません。恐怖の正体を知り受け入れ「安心」できたのが大きいのでしょう。
<H>
母親はいまだ石のような色に描かれています。母は石であっても甘えるのは自分、自分は甘えられる。母の事情に左右されないということなのかもしれません。
10枚目。
<j>
「心から自分を抱きしめる」
またある日のセッションで。
恐怖でオロオロする自分を思い出した。
父を母に繋ぎ止めるなんて出来ない。
でも母は私にそれを求めて私を生んだ。
どうしたらいいか分からず。
どうにも出来ず。
焦り、恐怖し、オロオロするしか無かった。
そんな自分がかわいそうで。かわいそうで。
幼い自分を抱きしめて安心させてあげたい。
大丈夫だよ。と言ってあげたい。
そんな事は出来なくていいんだよ、と。
“心から自分を抱きしめてあげて‼️”
私の内側からこんな声が
湧き上がってきました。
嬉しさやら。切なさやら。
悲しさやら。愛おしさやら。
幼い自分を抱きしめて泣きました。
幼い自分も感情的のままに泣いていました。
<W>
いいですねー。
<H>
いいですねー。
これらの絵には出てきていませんが、彼は、本当に生きていくエネルギーが出てきて、宇宙に向かって吠えるような、歌うような表現ができたということです。
<W>
いいですねー。
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新型コロナウィルス災害についてのご挨拶
新型コロナウィルスが猛威をふるっています。ご自身やご家族の生命健康を守っていただきたい、皆さんと力を合わせて乗り切っていきたいと思っています。以下のことお伝えします。
○弊社のグループカウンセリングなどの集団のセッションは自粛していますが、オンラインカウンセリングや個人セッションなどは新しく工夫し行っております。
◯失業や倒産の危機にさらされることもあると思います。命の危機にさらされることもあると思います。それらの危機が心の奥の傷に響くこともあると思います。心理的に大きな危機を迎えて、心は遠い昔に戻り、未だ解決されていない心の傷(固着点)に戻ってしまうことがあるからです。
○仮に、心の傷に響くことがあったとき、そのことは、ご自身の心の傷に気づき振り返るチャンスでもあります。目をそらさずに、そのチャンスをものにすれば、このような大きな災害の中でも自分の人生を生きやすくなります。災害が過ぎ去った後にも、取り戻した自分の人生をより楽しむことができます。
◯なにとぞ、気をしっかり保って、慌てずに最善の対処をされることを願っています。
アコール有限会社 代表 林 貞子
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前回の続き<<私わかった!3/3>>
⑨ <死に対抗する狂気、あるいは死そのもの>
<W>
絵の⑦⑧のように無表情になったり分裂したりして、自分を隠しますが、うまくはいきません。隠された自分は必ず復讐します。心の中に温存されます。それがこの顔です。
<H>
よく描いてくれました。
<W>
揺らぎがあるものの、彼女の持つ強烈なエネルギーがレーザー光線のように、ときどき、本質を突きます。
<H>
ズバリと突きますね。
<W>
死に対抗する狂気の顔です。あるいは自分を脅かす死そのものなのかもしれません。狂気か死そのものなのか、この辺は一体混沌でしょう。
⑩ <私の死、死を受け入れた自分を包み込む>
彼女自身からの説明です。
「私の死です。今までの私の死は突然現れては私を追いかけ回してくる暗くて寂しくて恐怖そのものだった。私の死のイメージは母からの死だった。(死から逃げ回ることをやめ向き合って)この“死”という事だけに必死に焦点をあてて、怖くても蹴り飛ばしたくても(そうせずに)純粋に死だけを願っていた時に「私の死は自分で決める!!奪わないで!!」
と私の中から出てきた。その時の死は私を包み込んでとても暖かく物凄く愛情があり私の全てを優しく包み込んでくれた。その死は、母からの死ではなく、私の中にある私だけの死だった。その私の死を絵にしたものです。」
<H>
やりました。ついに。
<W>
そうです。受け入れが起きました。
<H>
私もその現場にいました。
しかし、彼女の激しい気づきにしては、上の絵は、なんだか穏やかすぎますね。
<W>
そうです。
私の感じでは、上の⑨と⑩の間には、死を受け入れる大きな、大きな激しい気づきがあった。
彼女の大きな気づきは、まるで嵐の中の遭遇のようでした。それまでのはっきりしない謎のようなものが消え、「私わかった!」と叫んだ彼女の顔が今でも思い浮かびます。
しかし、絵には描かれていない。その気づきの瞬間はあまりにも痛く、あまりにも強烈で、絵にできないのかもしれない。あるいはいまだに痛すぎて、完全には思い出せないのかもしれない。上の絵⑩は大きな嵐が過ぎた後の絵のようです。結果の絵です。
<H>
ここで「私の死のイメージは母からの死だった」とあります。はじめて認める感じです。
<W>
彼女の心の中には、そのことは既にあったのでしょうが、外に向かって認めるのは、遅れる傾向にあります。あなたの言う「わかりたくない揺らぎ」が遅れをつくるのだと思います。
<H>
絵の話ですが。真ん中の小さな丸い黒っぽい部分が死で、その死をピンク色の小さな自分が抱えています。小さな自分が、それまでの自分でしょう。その死を抱える小さな自分を、死を受け入れた大きな暖かいオレンジ色の自分が、包み込んでいます。死を自分のものにした状況ですね。
<W>
「私だけの死」という気持ちを表した絵ですね。
「私だけの死」というのは、母親から強制されていやいや死んでいく自分というのから縁を切ったともいえます。自分自身で自分の死を引き受けるということだと思います。自分で死を引き受けた時に初めて、自分自身が生きていけるという、そういう風に言えます。
彼女の強い怒り、すなわち生きるエネルギー・・生と、ここで受け入れらえた死が合体して、生と死の統合がなされ得たと言って構わないと思います。
⑪ <母親(の母性)との和睦>
彼女自身からの説明です。
「おっぱいを飲んでいる絵です。私が母に置いて出て行かれた(絵⑤)時、母を探し母が恋しくて、おっぱいが恋しくて、温かい母乳が恋しくて、泣いた。泣いても、泣いても母はいない。母の気持ち、母の意識もない。寂しくて、怖くて1人で死を目の前に突き付けられた感じだったが、それでも私は母を求め、おっぱいを求め、母乳を求めた。私の純粋に母を、そしておっぱいを求める気持ち。そこに母親がいなくても母の意識がなくても私の中にある理想のおっぱい=理想の母親を絵にしたものです。」
<W>
子供(彼女)に愛情を与えられない「現実の母親」を卒業し、「理想の母親」が手に入った。あるいは「母親そのもの」から、「求めるという自分自身」に、重心が移った。自立。言葉にするとそう言えるかもしれません。
<H>
「そこに母親がいなくても母の意識がなくても」かまわないという心境ですね。
<W>
ええ。
そのような心境に意識してなろうとしても無理ですね。自立しようと思っても無理です。それは結果ですね。
<H>
あれですね。
<W>
あれです。
統合です。
それまで自分に死を迫る母親に対して、心の奥では怒りがあったはずです。彼女の激しいエネルギーに支えられ、激しい怒りがあったはずです。わからないまま怒りパニック発作にも一役かっているのでしょうが、怒りはそもそも、生きようとする生のエネルギーです。
ところが反対側には、彼女は長い間嫌い続けましたが、死がありました。自分自身の死の狂気があったはずです(絵⑨)。その死を受け入れた途端に自己の回復が起き(絵⑩)、母性との仲直り(和睦)が行われました(絵⑪)。すなわち生と死の統合です。
<H>
自立したいなら統合せよ。統合を目指すなら死を受け入れよ・・。
<W>
彼女の場合は、怒りという生が強すぎ、死を徹底して嫌っていました。逆の人もいます。その場合には、起きるプロセスは異なります。その場合には、生を受け入れよ・・・が起きます。
<H>
最後のおっぱいの絵は印象的でした。私の場合と似ていました。
<W>
あなたの場合も、口に入りきらないほど大きな乳首のイメージが出てくる、あるいは空いっぱいに広がる乳房のイメージが出てくるということでしたね。
<H>
この記事で彼女のケースを全体として観ることができますね。よかったです。ほかの人の勉強にもなります。
<W>
最後に、この記事の掲載に協力し許可してくれた彼女自身にお礼を言いたいと思います。
<<終>>
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「生死の統合」
(H)
前回(701)の続きをやりたいと思います。実際のセッションでも、とても重要なところですから。
(W)
前回は、小さいころに「母親の意識の中に自分がいない」として死の恐怖にさらされ、それが心の不調の原因になっていたものが、セッションが進んで「生死の統合」を経て回復していく、というような内容でした。
(H)
ベビーブレスをやったりして経験がある人には分かるでしょうが、一般には分かりにくいですね。その「生死の統合」というところを今回やりたいです。
(W)
「母親の意識の中に自分がいない」ことは、小さな子供にとっては、死を意味することは、ベビーブレスをしなくても、それほど分かりにくくはないと思います。
この死に対する感じ方で、人は二つのグループに分けられるように思います。便宜的ですが・・。
(H)
死に対して「いやだーー!」というのと、「死にたーい!」というのですね。
(W)
そうです。
一つめは、死を忌み嫌い、死を怒りで払いのけようとするグループです。生きようとするエネルギーに重心がある人達です。しかし、死を払いのけることはできません。それで心の不調がやってきます。
二つめは、死に親近感があり、生きることに価値を見いだせないグループです。死へのエネルギーに重心がある人達です。しかし、生きることを止めるわけにはいきません。それで心の不調がやってきます。
(H)
どちらのグループも片肺飛行機のようです。墜落寸前。
(W)
原因は同じです。
「母親の意識の中に自分がいない」というのは、小さいころに愛情が決定的に足りなかったということです。小さな子にとって救いの主になれるのは、唯一、母親です。しかし現実の母親は変わりません。現実の母親はあてになりません。本来は他人です。他人を当てにし続けることこそが、心の不調の原因です。
(H)
小さな子、というのは、大人になっても心の中にいる小さな子、ということですね。
(W)
はい。みんな、心の中には小さな子がいます。傷ついた子です。
そこでセッションでは、自分が、仮に健康な母親から愛されたらどうだったか、というようなことをやります。そのときにヒットして、湧き起る感情は、生きようとする強い肯定的な感情です。
(H)
その肯定的な感情を味わうと、その感情は、現実の母親には関係がないことが、分かりますね。他人に頼らず、健康な自分が自分を支えてくれることを実感します。自立の感覚です。これが助けになります。
(W)
感情というには、あまりに強すぎて、エネルギーというべきですね。
(H)
ほんとに。
(W)
一つ目のグループでは、・・・
(H)
「いやだーー!」の人たちですね。
(W)
はい。
一つ目のグループでは、この自立して生きることを肯定するエネルギーが、不思議なことに、死を受け入れるエネルギーにつながります。あれほど嫌っていた死が、どういうわけか嫌いではなくなり受け入れられるようになります。死を受け入れられると、もともと持っていた生きようとするエネルギーは更に強くなる・・・、というか、死が邪魔にならなくなり、初めて、本当に生きる感じになります。本当に生きると、死は増々、親しくなります。親しくなった死は、生きるエネルギーをさらに強くします。
(H)
「いやだーー!」と言っていたのに、まるで宝物と言うようになる人たちもいます。
(W)
二つめのグループ・・・、
(H)
「死にたーい!」の人たちですね。
(W)
はい。
二つめのグループでは、自立して生きる肯定的なエネルギーが、新鮮な生まれて初めての感覚のように感じられます。生きることに初めて価値を見いだします。死へのエネルギーに重心があり、死には違和感がありません。ですから、死はもともと邪魔にならず、初めての生きる肯定的なエネルギーを、純粋に、受け入れることができます。はじめて生きるのです。純粋に生きるようになると、実はそれまで違和感がなかったものの、冷たい死の中にいたのに、死が冷たくなくなります。柔らかく、あったかくさえなります。
(H)
この「死にたーい!」の人たちは、健康な母親を・・というより、小さいころに親切にしてくれた先生とか、心を通じていたペットとか、心を許した自然の景色の思い出とか、のように、母親から離れた事柄を想起することが役立つかもしれません。
(W)
そうですね。
この二つめのグループでは、「健康な母親」というのは、「仮に」の話にしても難しいのかもしれません。ケースバイケースでお願いできれば・・・。
(H)
個人セッションでは、ケースバイケースで対応しています。
(W)
どちらのグループも、死と生の、一見して正反対の二つのエネルギーが、交互に、互いを深めていくようです。
(H)
交互に徐々に、という場合もあれば、一時にドカンとくる場合もありますね。
(W)
ドカンの人、いますよね。二つのエネルギーが、ドカンと一つになる感じ。
しかし、その場合でも、それで終わりではなく、そのドカンの感じをその後も忘れずに維持できれば、さらに深まっていくと思われます。
(H)
是非、忘れないでほしい。
(W)
さて、この「健康な母親」という手法で起きることは、ベビーブレスで深く入れば、ひとりでに起きてくるプロセスです。「いやだーー!」や「死にたーい!」に強く引っかかってしまうと、なかなか深くには入れない。そこで、そのプロセスを、あえて、手法化しようとしているともいえます。
(H)
有効な手法です。
ベビーブレスで深く入れば、ひとりでに・・・ということですが、そこのところを、もう少し、話せますか。
(W)
私も、理屈や手法に頼るのは、本当は好きではありません。
ベビーブレスで深く入れば、自分自身の嘘を自分で見抜くことができます。
一つめのグループが、死を排除して生きようとすることも、実は嘘です。何かを毛嫌いし、忌み嫌っているだけです。無力な自分を隠そうとしています。母親からもらった死を、本当は自分が望んでいることを、隠さなければなりません。嫌い続け、戦い続けるために。
(H)
本当は自分が望んでいるですよね・・・。
(W)
また、二つめのグループは、死へのエネルギーに支配されてることに、本当は、満足はしていません。生きることに価値を見いだせないことに、本当は、満足はしていません。死に傾倒し続けるためには、満足していないことを隠さなければなりません。そのまま、不本意だった生を終えることには、実は、納得できません。それを隠さなければなりません。生きることができる生があることを、うっすらと知っているのに、現実のものとして実感できない。悔いが残ります。
(H)
本当は知っているんですよね・・・。
(W)
ベビーブレスで可能なのですから・・もったいない。
二つのエネルギーが一つになる、生と死の統合とでもいうべきものだと思います。死んで万歳、生きて万歳の境地になると思われます。統合した後で、瞑想で確かめて欲しいです。
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「「天国と地獄」」
———————「これ以上頑張れません話を聞いてほしい」———————
<W>
アコールのセミナーは個人的なものですが、まれに、企業単位でセミナーをやり、その中で、個人的な問題と企業の問題との絡みを、観させてもらうことがあります。
<H>
企業セミナーですね。
<W>
企業間の激しい競争によって、企業で働く個人が、人間として苦しむという問題があります。人間性の問題です。激しい競争は、日本全国、のみならず世界全体の苦しみということがあるのでしょう。企業は経済競争に支配され、少しでも生産性を上げなければ、生き残ることができません。生産性の問題です。生き残らなければ、個人に給料を払うこともできません。
<H>
その二つは、どう絡みますか。
———————「対応を考えたのだから文句はなかろう」———————
<W>
例えば、企業で働く個人が、競争が厳しくて業務が辛いから「話を聞いてほしい、これ以上頑張れません、苦しいんです」と思う気持ちを、企業組織の上司に訴える。人間的な苦しみですね。
上司は、その話を「問題解決」の問題として捉えようとする気持ちがあります。特に男性はそうです。業務が苦しくとも生産性を維持するにはどうすればいいか・・・。「それなら辞めてもらうか、誰かと交替するか。」
すれ違いが起きてしまう。個人は、「話しを聞いてもらえなかった」。上司は、生産性の解決に向けて「対応策を考えるのが俺の仕事。対応を考えたのだから文句はなかろう。」そこで問題が起きてしまう。話しを聞いてやれなかったかもしれないと上司はあとで感じるが、どうしようもない。
<H>
個人の人間性と企業の生産性、この二つが、すれ違ってしまう、ということですね。前者を労働者、後者を資本とすれば、資本主義の問題というような、経済学の問題になりそうですね。
———————「階級闘争の話ではない」———————
<W>
そうですね。階級闘争ですか。
しかし、ここで扱うのは、二つが、階級の争いの問題ではなく、一人の人の心の中の問題として存在するということです。一人のサラリーマンの心の中にも二つあるでしょう。一人の社長の心の中にも二つあるでしょう。
<H>
自然人の心の中にある人間性と生産性の問題ということでしょうか。
<W>
そうです。
ヒントになる話があります。あなた(H)から昔、よく聞いた話です。あなたが教師として養護学校で働いたときの経験です。
<H>
あれですか。
<W>
あれです。たっぷりお願いします。
———————「尿瓶を持って走り回る」———————
<H>
はい。
私が昔、若いときに、肢体不自由児の養護学校で働いたときですね。
<W>
お願いします。
<H>
養護学校で受け持ったのは、小学生から高校生にかけての男女の障害児たちでした。服薬のせいで臭いよだれと、腫れた歯茎と、ゆがんだ顔。言葉を話せない人たちも多い。身体も満足には動かせないんです。生きるための自分自身の世話もできない。その面倒を全部見てあげなければならない。トイレにも行けないので、尿瓶を持って、走り回る。若い女の私が、毛の生えかかったおチンチンを、尿瓶の中に入れてあげなければならない。
<W>
はい、はい〜。
<H>
よだれと臭いで汚れたTシャツを、1日に何回も着替える。初めの頃は、飲み会の席で思わず本音が出て「こんなの嫌だ」と泣いたことがあった。辞めていく同僚も少なくなかったんです。
———————「口に入れたら、うんこだった。」———————
<W>
はい。
<H>
そんな日が何年も続いた。徐々に慣れていった。私自身が変わっていったんです。彼らの中に自分の生活もある状態だった。食事指導も教育の一環で食べさせていた。自分も一緒に食事をしていて、チョコレートパンのかけらを落としたと思って拾って口に入れたら、すごく苦かった。うんこだった。
<W>
苦いんですね〜。
———————「車いすから降りて這いずってゲームを戦った」———————
<H>
重度の障害児たちだったので、身体は、まともに動かせないんです。そこでバスビーというゲームを産みだしたんです。バスケットとラグビーを一緒にしたようなゲームだった。彼らは、松葉杖や義足などを外し、車いすから降りて、ゲームを戦った。這いずって行って、タイヤの中にボールを入れたら得点になる。介助に入っている教師も自分の手足を縛って参加し這いずった。ヒートアップし、あちこちで、噛み付きや髪の毛を引っ張る事態になった。だから噛み付きと髪の毛引っ張りは禁止にした。ルールはそれだけだった。子供達はゲームに夢中になった。
<W>
手足を縛って、ね~。
<H>
教室で、何か学科を教えるというよりは、子供達の中で一体となって過ごした。休み時間も、職員室にはいなくて、教室の廊下で、プロレスみたいに、子供と組(く)んず解(ほぐ)れつしていた。子供達も私とのプロレスを好んだ。子供達からの評判は抜群だった。教師同士の授業研究では注目された。
<W>
授業が・・というより、心が繋がっている・・。
———————「生まれたとき母親は殺そうとした」———————
<H>
ある時期、私に、大きな不幸が起きたんです。事故や病気で、夫や肉親が立て続けに亡くなっていった。職場から帰ると泣き通す日々だった。毎朝、泣きはらした顔で職場に行った。子供達が言った「また泣いただろう。」言い返した「泣くに決まってるじゃん。」
子供達からの評判が更によくなった。あいつには、心がある、というようなことのようだった。子供達も私に話をした。「自分が生まれたとき母親は殺そうとした。」「親戚に責められて母親は死のうとした。」などと。私も、この職場に来たときには「気持ち悪い、何でこの子たちは生きているの、こんなの嫌だ」と泣いたんだという話をみんなにした。・・・それでも、何がやりたい?と問うと、みんなでバスビーをやりたいと言った。いつの間にか天国を見ていた。彼らは生産性はゼロだが人間性の塊だった。
<W>
うん。
———————「高収入のぬいぐるみ」———————
<H>
少し横道にそれます。こんな仕事をしていて、いろいろ有名な会社のトップの方にもお会いする機会がありました。高収入、高学歴、容姿も淡麗、話し方も流麗、服も一流。でも心がない。からっぽ。まるで、立派なぬいぐるみのよう。本当にぬいぐるみだと感じたんですよ。
それに比べて、障害児の子供達は正反対。見た目は丸でひどい様子だったが、心は超一流。
<W>
・・・・
———————「自傷を防ぐために手術で唇を切除して歯列が丸出し」———————
<H>
子供達は自分の世話ができない。便秘の子供はお尻をほじってやらなければならない。女の子には生理のときタンポンを入れてあげなければならない。そんなとき私は「感謝するんだぞ」などと言っていた。でもあるとき気が付いた。自分でできないので断れない、他人に頼むしかない。年頃の子供達は恥ずかしいはず。我慢しているはず。それなのに・・・と、トイレに駆け込んで大泣きした。
<W>
・・・・
<H>
彼らの中には、自傷で、唇を歯で噛み、頭を打ち続ける子がいた。唇を血だらけのぼろぼろにするので、それを防ぐために手術で唇をすっかり切除して歯列が丸出しになる子もいる。彼らは、自殺しようとしても窓枠までたどりつけない。自殺するために海岸に行くわけにはいかない。私は車でどこへでも行ける。なんと恵まれていることだろう!。
<W>
・・・・
———————「生産性を考えるのであれば殺せばいい」———————
<H>
教育とは何か、障害児教育とは何か。障害を持つ子供達は長くは生きられない。数年で死んでしまう病気の子もいる。教育して言葉や算数を教えてそれで何になる。生産性はゼロどころかマイナス。生産性を考えるのであれば殺せばいい。3年前に障害者施設「やまゆり園」で大量殺人が起きた。ヒットラーはそれをやった。ドイツ国民が支持した。社会で劣っているとみなされた人々が、恐ろしい数、殺された。まるで地獄。しかし生産性を考えれば合理的な考えかも知れない。
<W>
ありがとうございました。
人類が誕生して数万年。地球ができて数十億年、宇宙ができて百数十億年。私たちは無事に生きれば80年ほど生きる。しかし80年だろうが数年だろうが、全体から見れば大して違わない。自分たちは同じような時間、同じところに住んでいる。
「話を聞く」という人間性のことと「生産性」のことで、Hさんの面白い経験談が久しぶりに聞けました。
話を聞いてほしいという人に対して、話が聞けなかった、と嘆くことは、一見ほんの少しの食い違いかもしれません。しかし、Hさんが養護学校で経験された「天国」と、劣っているものを殺してしまう「地獄」とは、天と地のほどの食い違い。根は同じ。人間性と生産性の食い違いは深いです。
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お試しの「無料カウンセリング」もあります
「doではなくbe」
ベビーブレスは、激しい呼吸を長時間続けることで、赤ちゃんのようになることを目指す。うまくいけば赤ちゃんのように呼吸し、赤ちゃんのように声を出し、赤ちゃんのように動く。始めはうまくいかないかもしれない。「演技」が有効かもしれない。そのうちに赤ちゃんのように「なる」。「演技」から「なった」ことは本人が分かる。doからbeである。治療的退行と呼ばれる。いろいろの治療効果が期待できる。
ところが「演技」と「なる」の区別がつかないということがある。いつまでも「演技」が続き「なる」ことができない。いつまでも演技が続き、それを演技だと自分で認識できない。
そういう場合、ベビーブレスの中だけではなく、生活自体にも同じような傾向がある。要求されたことはする(do)けれど、自分が何をしたいのか分からない。自分の本音が分からない。自分に感情がない。「be」できない。
「beの自己トレーニング」
そうであれば、日々のトレーニングを次のように行うことができる。一人で部屋に立っているとき、横になっているとき、何かを意図して行う「do」ではなく、何かを「する」必要がない「be」を会得する。まるで赤ちゃんのように「なって」しまわなければならない。要求されなくても、自分がしたいことを、いつの間にかやっている、それが自然に身についていく。例えば、部屋を掃除するにしても、掃除機を動かす順序などは気にせず、目についたやりたいところから掃除する。やりたいところが変わったら、その瞬間に、何も考えないまま、変わったところを優先して掃除する。
「徐々に変わる」
そのようになるよう自己トレーニングすることで、そのように務めることで、できなくてもできるように努めることで、徐々に、自分の中が変わっていく。
そうすれば、何をしたいのか、と問われれば、簡単に答えられる。自分の本音が明確になる。知らないうちに自分の感情とともに居る。それが健康というものであることが実感として分かる。
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お試しの「無料カウンセリング」もあります
<W>
長い間、ブログをお休みしていました。ホームページもアクセスできない期間がありました。
<H>
サーバーの引越しだったんですね。
<W>
そうなんです。自力でやれる部分を増やそうとして、一応、自主管理ということでやろうとしたんですが、難渋しました。
<H>
今は、トラブっていることはないのでしょうか。
<W>
はい、おかげさまで。
<H>
ブログも頑張ってくださいね。待っている人も多いと思います。
さて、今日は、「自分の辛さが分かる」ということを話したいと思います。例えば、自分自身の生き辛さ、人とのトラブルなどの、辛さ。
<W>
いつも、内輪で話題になることですね。
<H>
そうです。話題になる理由は、そこに二つの方向があるからですね。一つは、辛さから逃げてしまう。責めることはできません。もう一つは、辛さが分かるということは、ある理解がそこにある。逃げない。
<W>
快、不快で、苦痛から逃げるのは、当然と言えば当然ですからね。でも、逃げてしまうと、セッションの進みが悪くなってしまう、という愚痴も出てしまうのですね。
<H>
はい、愚痴が出ます。
<W>
本気で逃げる時は、本人は、逃げたという意識は無いですね。
<H>
重症なほど、無いですね。「こんな辛いこと、いやだ~、逃げてやる」というのは意識がありますから、重症ではありません。重症なときは、意識がなく、ケロリとしています。自分が逃げたことを知りません。
<W>
戻すのが大変ですね。「・・・逃げてやる」は、逃げることが話題になっていますから、楽ですよね。ケロリは、そもそも逃げたことをどうやって話題にするのか、から工夫しないといけませんね。
<H>
そうです。
<W>
そもそも、人は、辛い状況にあっても、これが普通と思うかもしれない。セッションを受けて、回復したときに、こんなこと!(回復した状況への感慨)が起きるのかという感想を持つ。それからすると、あの状況は普通じゃなかった。すごく辛かった。それで初めて分かる。それまでは、本当の意味では、けっして、分からない。
<H>
そう。
<W>
回復が起きないうちには分からない。
<H>
う・・・ん。いえ。
辛いということは、実は、分かっている。ぼんやりさせているかもしれないけれど、分かっている。分かっているからこそ、辛い。辛さの奥には辛さを感じる健康さがある。
<W>
辛さを感じる健康さこそが、治療の始めに、治療を進める原動力になる、ということですね。
<H>
はい。治療が進み、辛さの原因を見抜いたときに、自分は健康であったことが強く分かる。自分は始めからこうだった。健康だった。ちょっと病んでただけだ。
<W>
治療のためには、その辛さこそが、救い。そこが今日の話ですね。
<H>
辛さの手前で、辛さを否定すれば・・、辛さなんてない、これが普通、人並みと、いうことにすれば、自分への嘘つきにならざるを得ない。嘘つきの人生。分かることは健康。辛いと分かることは健康。
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お試しの「無料カウンセリング・無料10分ブレス」もあります
<W>
今日はYさんのインタビューをしたいと思います。
<H>
Yさんは大きな壁を突破して、絶好調の毎日を過ごしています。
<Y>
(笑)
<H>
ご自分でも、今まで経験した自分史のまとめを書き始めているということです。しかし、絶好調のせいで、新しい仕事も始めたということもあり、日常もいろいろ忙しいようで、自分史の完成は時間がかかるかもしれません。とりあえず、皆さんにご報告したいので、今日、インタビューさせていただきます。
<Y>
毎日が気力に満ちて充実していて、夜はコテッと寝てしまうんです。
<W>
(笑)
<H>
ベビーブレスを始めた頃のあなたは、全くやる気がなかったですね。
<Y>
最初のベビーブレスは、高校生の頃です。そのころ、朝起きる事が出来ず学校も遅刻するようになり、夜になったらバイトに行く…また朝が起きられないの繰り返しの私にうんざりしてました。母親に勧められて、嫌々ベビーブレスをしました。「やりゃ良いんでしょ、あなたが満足するんでしょ」とやった。呼吸もせずにただ寝ていたんです。
<W>
始めたきっかけは子育てがうまくいかないということでしたね。
<Y>
子育てでオッパイが出すぎたということもあり、オッパイを上手く吸ってくれない娘のせい‼︎とイライラして、4階から子供を放り投げるイメージが出ていました。それを思いとどまったのは私の愛情だ、と自分に言っていました。子供の大事な成長期にネグレクトが続いたことも、思いとどまった愛情の結果だったんです。
<H>
ベビーブレスなどのセッションを続けて「絶対嫌」というのが手がかりでした。重要なところで口癖のように「絶対嫌」と言っていました。何が絶対嫌なのかはっきりしないところがありましたね。
<Y>
心の傷の奥底を「絶対嫌」と言っていた。今思えば絶望だった。心の谷底へ通じる淵。とてつもなく怖かった。愛情や殺意がバラバラに存在していた。そのことが話題になっても、せっかくバラバラにしたのに何故一つにしないとダメなのと、いう感じで、ピンとこなかった。
<W>
なるほど。
<Y>
バラバラになっていることこそが、自分の存在意義の感じなんです。うまくは言えないけれど・・。いろいろの心痛やトラブルを、バラバラになったそれぞれのせいにできる。ある心痛は愛情のせい。あるトラブルは殺意のせい。傷の奥底に絶望があってバラバラにした。愛情や殺意は、本当は自分の中にあって、自分という一つのものなのだけれども、バラバラにしておくことで、全部周りのせいにできる。この私の愛情があってそうなったの!私は悪くない。私に向けられた(母からの)殺意に対して、殺意でやり返して生き抜くことが私のすべてだった。怒りでやり返すことが自分の存在意義だったんです。
<H>
激しい怒り(殺意)がありました。絶望を怒りで追い払うというか・・・。
<Y>
ところが、絶望を手に入れたら怖くない。絶望を手に入れたとき「私、解った!」と叫んだ。何度も叫んだ。その感覚を説明するのは難しい。これこそが本当の私の存在。生きていても存在がある。死んで体が無くなっても私の存在がある。
<W>
バラバラのものが一つになることが、谷底淵の絶望だったんですね。
<H>
Yさんの描いた絵はそう言っているようにみえますが・・。
<Y>
そこのところは未だによく言葉にできないんです。「解った!」という感覚ははっきりしていますが、感覚のままなんです。
<H>
「解っ」てみると、生きることも死ぬことも私だ、という感覚なんですね。
<W>
言葉による説明を越えていますね。絶望が嫌だったのでバラバラにした。絶望を手に入れたから怖くない。そういうことになりますね。
<H>
今のYさんは以前にくらべ堂々とした美人で別人のようという人もいます。美人の度合いがますますパワフルになって、そばにいると、こちらも元気になります。
ご自分で意識するのは難しいかもしれませんが、どう変わったか、教えてください。
<Y>
私は、死や病気に対して人並み以上の恐怖があったんですが、最近の乳がんの検診でビクビクしない自分がいました。それまででは、あり得ない感じです。今までだったらパニックになっていました。持病の足爪の治療も怖くなくてできた。
仕事も新しく二倍にしました。やりたいんです。新しい仕事の指導を受ける時も「緊張していないね」と言われました。古い仕事の仕事場でも、自分は楽になっている、と感じています。そのせいか、同僚に「やっと心が開いたのね」と言われてしまいました。
<W>
子供さんへの気持ちはどうですか。
<Y>
子供を憎たらしいと感じるのは消えてきました。でも全て消えたというのではなく、突発的に子供へ怒りを感じることもあります。そのときも「私の殺意だ」と分かる。認識できるので楽です。今までと違います。そのため自分にも子供にも隠さなくて良い状況になっています。今までは子供への殺意を隠していたので後悔したり、子供の事を思うと切なくなり、辛かったです。
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宗教との対比
「H」
私達のベビーブレスでは、フォーカスする部分が、主に母子関係が中心になりますね。それも愛憎のアンビバレントに重点がいきます。
「W」
そのことについて・・。
母親へのアンビバレントに特化されると、何か定められた方針があって、それに沿って活動しているようで・・、予め定められていることに対して批判も生まれるかもしれません。
「H」
型に嵌めると・・?。しかし、これは何か方針というよりも、長い間にベビーブレスで人の心の奥を探っていった結果です。何十年も探ってきた結果です。その自然な事実として、トラブルの中心にはそのような部分が存在しており、その中でも重点はここという、当然の流れであったということですからね。
「W」
それに、人のこころへ精神分析的な探求をすることとも関係します。
「H」
関係しますね。ベビーブレスを利用して、自分で自分の心を科学し、自己分析して、一体どうなっているか、と。どうなっているかを自分で理解し納得できれば、洞察が起きてトラブルが自然と改善する。これ以上に根本的なセラピーはないのでは・・・。
「W」
その通りですが、批判としては他にも、大恩のある母親への憎悪を正面から扱うことなどです。「母を憎悪するとはけしからん!」と。
「H」
批判は避けたいので、あらかじめ話しておきたいということですね。
「W」
そうです。
宗教などとの違い、どうあるべきかではない。どうなっているか、ということです。「どうあるべきか」は人間性の抑圧につながり、「どうなっているか」は人間性の理解、解放につながります。
「H」
まったく。
「W」
例えばいろいろの宗教は「親に感謝しろ」という。
「H」
宗教にはいろいろな戒律があります。それは、たくさんの戒律がないとそもそも歯止めがきかないのだろうなと思ってしまう。必要でなければ存在しない戒律です。
「W」
そうです。人々を抑え込みにかかります。戒律がないと、まるで宗教が成立しないかのようです。
それらの宗教は残れたものだけが残っている。優れていてもつぶれていったものも山ほどあると思います。生き残れた事情として、人々に支持されたということもあるのだろうけれども、それよりも、治世する側としての国に認められたということがある。国が認めるということは倫理や道徳、治世しやすさと折り合いをつけた宗教だけが残っているということです。裸の宗教はつぶれてきたはず。原始仏教や原始キリスト教は、国との整合性がないので、今は生き残っていない。ブッダやキリストは生きていれば殺されます。
「H」
生き残っている宗教は人々や国に支持されたということですが、表面的にはそうでも、本当に支持されたのでしょうか。生き残った宗教が本当に人々に役に立つのならば、今の世の中の心のトラブルは、いったいなぜ起きているのでしょうか。恐ろしいようなトラブルが山ほど続発しています。
「W」
そのことを言いたかったのです。
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どうにもならない母親|自分が切り替わる瞬間4パターン
「W」
今日は、どうにもならない母親に立ち往生していた人が、あるとき切り替わる瞬間があり、突破口へ向かうという話をしたいです。
「H」
外向きから内向きへ、ですね。
「W」
それはそうですが、そう簡単に言っていただくと、なにやら企業の研修会のスローガンみたいで・・・。
「H」
これは失礼。
その切り替わる瞬間は、こちらから見ていると劇的な瞬間とも言えますが、本人は只々起きてしまうことで意識がないようにも見えたりします。
「W」
そこを意識化できれば・・、言語化できればと、思います。
ベビーブレスを進んでいくと、例えば、次のような経過をたどることが多いですね。始め、出なかった感情を出せるようになって、その感情の中には激しい怒りがあることに気が付いて、怒りの元になる心の傷があることが分かり、その傷が母親から来ているがはっきりしてくる。同時に、母親もまた、その母親(祖母)から傷を受けていることを理解するようになる。
「H」
はい。そのあたりまでは、順調な回復とともに進むことが多いように思われます。
「W」
それでも納得できなくて、どうにもならない母親をなんとか変えようとし、エネルギーは外側へ外側へと向き、それが叶わない怒り悲しみ恐怖にとらわれる。
「H」
怒り悲しみ恐怖に絡め取られて身動きができず苦戦する人が多いですね。心理的なトラブルの本質的な部分です。
「W」
本質的であるから辛さも辛い・・。
「H」
逃げる人もいる。
「W」
こう着状態、立ち往生。
「H」
逃げずにスーと通って洞察が起きる人もいるのですけれどね。逃げるか逃げないか・・。と言うより、あの違いは何でしょうね。
「W」
まったく。分岐点ですね。
それまでは、母親が変わらないという怒り悲しみ恐怖のど真ん中に居た人が、そうではなくて、母親をなんとかしようとする自分のエネルギーそのものに気持ちが向く事がある。切り替えが起きる。そのエネルギーが自分そのものである。傷を負ってどうしようもなくなってしまった母親は、関係がなくなる。
「H」
本当にね。
「W」
怒りのようなエネルギーが出ているという状況は、こちらから見ていて、この2つは非常に似ている。が、切り替えが起きる時、何かが大きく変わる。180度異なることになる。
「H」
その切り替わる瞬間は、人によっていろいろあるように思えます。
「W」
いくつかパターンを上げます。
パターン1
自分に愛情くれない憎たらしい母親が、傷を負った1人の悲しい女性と見えた瞬間、それが起きることがある。
「H」
母親も自分と同じだ、とね。
「W」
パターン2
自分の母親が、仮に、傷を持たず健康な人であったならば、自分は愛されたであろう、その愛された自分はどのようなエネルギーを持つか想像するときに、それが起きることがある。
「H」
起きた人は、体が熱くなるようなエネルギーを感じますね。
「W」
パターン3
どうにもならない母親の事をどうにかしようとして悩み続け苦しんだあげく、「あーめんどくせ」となって、それが起きる瞬間がある。
「H」
子供の側からの突き離しですね。「あーめんどくせ」は個人の例ですけど・・。
「W」
パターン4
怒り悲しみ恐怖にとらわれている自分の、その「恐怖」の真っただ中へ入れたとき、それが起きることがある。
「H」
一番逃げたかったところへ入るという・・。究極の切り替えといっていいかも。
「W」
4つもパターンを挙げました。
言葉を変えると親離れの瞬間とも言えます。「親離れをしなければならない」「私(自分)を受け入れなければならない」と、そういうふうにも言えるかもしれない。しかしそれは全く役に立たないですね。何々「せねばならない」は役に立たない。何かを「理解する」「何かが理解される」。その瞬間に何かが変わる。理解が洞察ですね。
「H」
その理解がなされるために必要なものがあります。怒り悲しみ恐怖に苦戦する体験です。その体験を避けたら、結局は逃げになり、理解も洞察もないでしょうね。
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「W」
今日は少し愚痴らせてもらいましょう。
「H」
賛成。たまには愚痴くらい言わせてもらわないと、やってけない。
「W」
セッションがうまくいって、その人が弾けたりすると、こちらまで元気になります。反対に・・・。
「H」
せっかくいいところまで行って、結局、後退してしまうようなことがあると、がっかりしてしまいますね。
「W」
ほんとにガックリきます。まるで自分の子供に裏切られたような・・・。セッションも交互の気持ちの流れがありますから。こちらの気持ちも大きく影響を受ける。
「H」
こちらも誠心誠意ですからね。人間ですからね。落ち込みますね。
「W」
つくづく思います。自分の心の傷を見るのは難しい。すぐに防衛が働いてしまう。知らないうちに、その傷を見ずに何とか生きていく道を探してしまう。
「H」
でもそれでは解決や癒しはやってこない。今までと変わらない。
「W」
そうですねえ・・・。全く。
「H」
リードする方としてはついついじれったくなってしまう。
「W」
しかし、当事者の立場になってみれば、もっともなことであり、丁寧に扱いわなければならない。
「H」
重々わかってます。
「W」
止まって立ち止まって待っているということが大切。そこから退かず、無理して進まず、でも目をそらさずに待っている。
「H」
分かりきるほどわかっています。
「W」
本当に傷を見る直前になると、ついつい、いつもの癖が出てしまう。口実を作って逃げてしまう。強がってしまう。いつもの防衛が出てしまう。馴染みのあるその人の防衛。そうではなく、ある意味弱くなってしまわなければならない。負けてしまわっなければならない。そのことがとても難しい。語弊がある。説明しにくいです。
「H」
私も説明はできません。言葉は出ませんが、じれったい気持ちが多分、顔に出ると思います。
「W」
私だって、ただただガッカリします。
「H」
そのことに関して、例えば初心者から「弱くなって傷を見るとどうしていいのか。」というような質問を受けることがあります。
「W」
本当のこと(傷)を受け入れると本当の強さが出てくる。本当のエネルギーが出てくる。湧いてくる。嘘をついていたのではそうはならない。やってみないとわからない。
弱くなるには勇気がいる。大きな勇気がいる。強くなることに勇気がいるわけではない。全く逆です。
「H」
私も「やれば分かる」といいます。
「W」
後退するときに使われる防衛は人それぞれですね。
「H」
仕事に逃げる。
「W」
これは良くありますね。
「H」
人への怒りを出す。
「W」
エネルギーは気持ちいいですから。
「H」
ニコニコしていい人をやる。
「W」
反対のもので覆うわけですね。
「H」
頭が真っ白という人も結構います。
「W」
正直ですね。
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戻ってしまった人のために
<W>
今日は「あれっ、戻ってしまった」という話をしましょう。
「H」
時々ありますね。
「W」
本人は分からないで、かえって周りの人は気が付きますね。
「H」
本人の無意識で起こっていることなんですね。
「W」
ベビーブレスやカウンセリングを通して、その人が自分の心の深い部分の傷を観ることができたときには、周りで聞いている人も、そのことを感じます。
「H」
少なからず感動もします。多くの場合には、そのことをきっかけに、その人はグングンと良くなっていきます。
「W」
ところがまれに、そうならずに、戻ってしまう人がいます。その人の話を聞いていて、「あれっ、この前の、あの大きな気づきはどこへ行ったの?」「お母さんに対する、あの隠れていた気持ちはどこへ行ったの?」と怪訝に思ってしまいます。別人の話を聞いているようです。
「H」
戻ってしまったんですね。防衛機能の反撃です。瞬間的に観たけれどもやはり受け入れ切れないので閉じてしまう。心を開いたことで余計に傷に響き痛みを大きく感じる。
「W」
しかし、繰り返し傷を観て少しずつ痛みを受け入れることで本物になっていく。繰り返しが必要。
「H」
頑張れ!・・・といっても、本人はたいていポカンとしてますね。
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「W」
事実のみが人を癒す、ということがありますね。
事実を曲げて人を慰めるのは、単に慰めるだけで、本当の癒しにはならない。
「H」
そうですね。
しかし、それは究極のところです。そのところへ行くまでは、誰でも母親が自分を愛していなかった事実を認めるのは辛い。
「W」
特に小さな子供にとってはそうでしょう。そして、その事実は心の傷となります。しかし、子供は心の奥では知っています。知っているから傷を受け、閉じます。閉じたまま大きくなり、トラブルを抱えます。
「H」
セッションの初期の段階では、事実を認めるのは辛いけれども、トラブルのままは嫌です・・と。
「W」
認めるという辛い作業なしで、トラブルを解消したいと、いう気持ちになるのももっともです。しかし、そんなうまい方法があればいいのですが・・・。
「H」
セッションでは行きつ戻りつしながら、事実を認める辛さと、トラブルの辛さの間で、揺れながら、自己成長していきます。そばにいて、そのお手伝いをするしかありません。慰めが欲しくても、欲しいことを認めてあげるだけです。慰めを上げるわけにはいきません。
「W」
グループカウンセリングなどで、人のことは良くわかる。事実を認められなくて慰めが欲しくて苦しんでいるのがよくわかる。しかし自分の番になるとそうはいかない。同じように認められなくて苦しむ。周りの人は皆分かっている。
「H」
見ているこちらも自分の事のように辛くて、稀に、この人にこれ以上は無理なのかな、と思うことがあります。
「W」
そんな時、瞬間的には事実を認めることもあるのに、直後に、せっかくわかった事実を否定する。そうすると、もっと症状がひどくなる、ということがありますね。
「H」
瞬間的には事実を認めたが、本当には認めきれずに、防衛が働くのです。揺り戻しです。
「W」
でも、あるときその事実を本当に認められる地点にやってくる。劇的な場面です。多くの涙と本当の癒しが同時にやってくる。その時になって今までの慰めは全く色あせてしまう。役に立たなかったことが分かる。
「H」
感動的な場面ですね。
「W」
事実こそが深い癒し。そのことを体感できれば、事実の否定はばかばかしい。
いちど事実を受け入れた後は、あまりの清々しさに、なぜ自分が否定を続けたのかさえもよくわからない。思い出すことができにくい。
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「W」
前回のブログ(687)の続きを少し話したいと思います。
「H」
「理想の(健康な)母親」と聖母マリアの話ですね。「理想の母親」を仮定してベビーブレスを行い自分のトラブルの突破口をつかむ人がいるけれども、それは聖母マリア様信仰と似ているということでした。
「W」
似ているけれど根本的に異なる点があるということです。
「H」
はい。
「W」
例としては愛情を抑圧している人になります。愛憎のアンビバレントのうち、母親への怒り(憎悪)は認識できるようになったものの、母親への愛情を、つまり母親を求める気持ちが認識できないでいる人の話になります。
「H」
怒りが半分は出せるようになって、エネルギーはある程度改善できている段階ですね。半分は健康になった。しかし、あと半分ある。母親を求める気持ちが閉じ込められている。「あの母親にはいくら言ってもムダ・・・」という段階です。
「W」
そう。「半分」です。しかし、両方そろって初めて大きなエネルギーが湧き起って、トラブルを吹き飛ばします。「半分」では、やはり、トラブルを抱え続けることになります。残りの半分は抑えられ続けることになります。結局は自分を抑えることを続けなければなりません。
「H」
両方そろっても、その二つが統合されなければ、大きなエネルギーにはなりません。両方を別々には、出来る人もいます。
「W」
両方そろっているのに統合されない状況の話は、ここでは、割愛させてください。統合はまた別のところで。今日は、聖母マリア様信仰と根本的に異なる点に絞らせてください。
「H」
はい。
聖母マリア様信仰であっても、果たせなかった母親への求める気持ちを、出せるようになって救われる人もいるでしょう。愛情を感じられず出せずにいるよりも遥かに素晴らしいと思います。その部分だけ見れば、似ていますね。
「W」
はい、似ています。
「H」
異なる点は色々あるでしょうね。
「W」
一番大きな点は、何かを信じ込む必要がないことです。マリア様を信じ込む必要がない。
「H」
なるほど。仮に「理想の母親」だったならばという仮定で済む・・。
「W」
そうです。
「H」
しかし単に「理想の母親」を仮定するだけで済むには、やはり条件がありますよね。理解が必要です。自分の心の傷を理解し、母親の心の傷を理解する。自分は愛されなかったことで心に傷ができ苦しんでいる。母親もまたその母親から愛情を貰ってはいなかった。だからこうなっていると・・。
その理解の上で、「理想の母親」を仮に仮定するのだから、その「仮定」にとらわれる必要は起きない。
「W」
そうです。「仮定」を便法として利用することができます。自分を回復するための便法です。理解があって、利用するという心の余裕ができる。
ところが、信じ込む事は、他方で、何かを事実を否定することに通じ、無理を生じます。社会的に肯定的と思われるもの(愛情)のみが受け入れられ、否定的と思われるもの(憎悪)は受け入れられません。実際には二つともあるのですから、うっかりすると、自分に嘘をつかなければならない羽目になります。天使と悪魔・・・。
「H」
必要なのは事実の理解ですね。
愛憎のアンビバレントは、人の心にある事実です。愛情と憎悪を理解する。グループカウンセリングで人の話を聞くなどして理解できる。客観的な理解で構わない。「両方あるんだな」と。でも自分の傷を通して理解しないとエネルギーは湧かない。抑圧している状態。
その上で、理想の母親を仮定する。仮定すること自体はためしに行ってみることで、無理はない。仮にそうであったならば、どうする、と。隠れていた愛情のエネルギーを出してみることができる。
「W」
仮定してやってみるのだけれども、結果として愛情のエネルギーがどっと出れば、これは仮定としてやったものの実は本当の事だったんだ、自分には愛情があったんだと、分かることになる。
「H」
それだけでも自分を取り戻して、非常に助かる人もいます。更に、愛憎の両方が統合されれば、とても大きなエネルギーになります。
「W」
その統合については、やはり、別の機会に。
*******************
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理想の健康な母親だったら
「W」
ベビーブレスで深くまで入り、隠されていたいろいろな感情が出てくると、心のトラブルの底には、母親からの見捨てられ感があるように思われます。
「H」
そうですね。経験的には疑いようもないです。ベビーブレスをしても始めはなかなか感情が出ない人もいますが、そのうち自分を解放し感情が出てくると、今のところ例外はないですね。
「W」
心のトラブルは脳の傷だから母親は関係ないと言われたりしますが、ストレスやトラウマが脳の傷をつくることは常識になってきています。原因と結果が逆ですね。
「H」
脳の傷だからと言ってカウンセリングなども行わず投薬して人間性を殺し死を待つようなことが医療として行われているのを見たりすると、悔しくなることがあります。
「W」
ほんとうに。少しずれましたので、話を前に進めましょう。
「H」
はい
「W」
母親からの見捨てられ感に対しては、母親への怒りと母親を求める気持ちと、アンビバレントな感情が生じます。
「H」
本人が自覚する気持ちは一方だけということが多いです。簡単にいうと「クソババー」か「ママー」か。
「W」
はい。
個人差がありますが一般的には、怒りは出しやすいですが、求める気持ちは閉じ込める傾向にあります。現実の具体的な母親を見るとエネルギーを閉じ込めるしかない。
「H」
小さい頃に、いくら求めても、そのたびにひどい目にあってきて、もう閉じるしかない・・・という個人史があるのだと思います。「あの母親にはいくら言ってもムダ・・・」ということですね。
「W」
一方の気持ちを閉じる、つまりアンビバレントの愛憎のエネルギーの一方を閉じるので、不具合が起きます。それでも間に合わないと、分裂、解離、・・・・。
「H」
閉じてない方の気持ちであっても、深く底を突くまでやれば、もう一方の気持ちにも自然にたどり着くのだけれでも・・。自力で・・。
「W」
問題は人によっては時間がかかってしまうという点です。月に一度程度のペースでは、揺り戻しも含めると、遅々としてしまうことがあります。
「H」
それこそ個人差ですね。
「W」
「理想の母親」をやるのは、現実の具体的な母親から少し離れて、自分自身のエネルギー、求めるエネルギー自体に焦点を当ててもらうためです。
「H」
そこがなかなか難しい人もいます。「あの母親に・・・今さら・・」ということです。
「W」
そこで、良くたとえ話をします。カルガモの「刷り込み」の話です。生まれたての鳥(カルガモ)のひなは、目の前で動く相手を母親と信じ込みます。動物学的には、そうすることで、無力なひなが肉食獣から身を守る確率が高くなるということでしょう。動くものが、ただの風船でも、無我夢中で(まるでそのように見えます)追いかけます。しかし、もしカルガモに心があれば、相手がどんなにカラッポでも頼りなくても、切ないほど母親を求めているに違いありません。
「H」
人も、いわば同じに違いないということですね。
「W」
そう。人が乳幼児期に自分で生きていけない無力さは、カルガモにも負けません。同じような刷り込みがあっても不思議ではありません。どんな母親であっても、その母親を通して理想の母親を見て、命がけで求めて構わないのです。母親も自分の傷を持っていて自分の子供(あなた)の気持ちに応じることができなかったのでしょう。仮に、彼女がそのような傷を持っておらず、理想の健康な母親であったら・・・どうでしょう。恥じて自分を抑える必要はありません。ベビーブレスの中で、求めることができたときに、自分自身のエネルギーの強さに驚くでしょう。閉じ込めていたエネルギーの解放を感じるでしょう。
「H」
何人もの人が、そのエネルギーの解放をできています。そのエネルギーの強さには驚きますし、愛憎のエネルギーの両方が強化されます。その人のエネルギー自体が強まる印象です。そして、求めるエネルギーは肯定的なエネルギーですから、家庭や社会の活動にもいい影響が直接にあるようです。
「W」
はい。
「H」
「理想の母親」というと、たとえば南米でのキリスト教に見られる聖母マリア様信仰を思い出します。
「W」
確かに似ています。だから聖母マリア様信仰は広まっているのでしょう。しかし根本的に異なります。そのことは次回のブログにします。
*******************
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「健康な母親だったら!」というセッションを行って。
<母>
母は必ずしも、私にとり万全の母ではなかった。大正末期に生まれた、貧しい農家の後妻の次女だった。(祖母は後妻としての遠慮も当然にあったであろうから、自分の子供に十分な愛情は注がれなかったことも想像できる。)食うや食わずの日々を過ごす当時の環境を考えれば、経済が最優先の時代で、環境は厳しかった。 小学校を出た母は、街場の小さな紡績工場で日銭を稼ぐ日々だった。
その日々の稼ぎ高こそが、周囲からの母親への評価。その評価こそ、母親が彼女の両親から得たかった愛情の代替えに違いなかった。(母親のこころの中に経済が重要な尺度として形成されたと思われる。)
<母から受け継いだもの>
この母親の状況が、私の生きざまに影響を与えてきた。(私は母から愛情をえたかった。母は彼女の両親から直接の愛情は得られなかったであろう。そのため、私が母から直接の愛情を得ることもなかった。)
与えられた影響は私の中にもそのまま受け継がれている。
私は、父から受け継いだ会社の責任者になった。そうして、それが、母親から受け継がれた状況が、無意識のうちに出た
「私は今よりも売り上げを上げ、今よりも利益を出さなければいけない」と思ってやってきた。売り上げダウンや赤字はけっして許されないと。私は私で仕事を通じてどれだけお金をかせいだか、という尺度だけを持つようになっていた。
<愛情を母から求めることはできなかった>
母には、子供から「求められる愛情」に応じるという感情は、育っておらず、持ち合わせていない。
その結果として私は愛情を母から求めることはできなかった
母から思えば「私だって必死にやってきた。面倒見てきた。たいへんだった。何が文句ある?産んでやった。育ててやった!」という思いだったのであろう。自分の経験即だけに基づいた思慮判断しかできなくなっていたと思う。母は、「当然」という感覚、「とにかく私はやった」という感覚に支配されていたと思う。
(小さい私は、それでも幾度も、母親に求めた。しかし果たせなかった。否定された。求める感情は抑えられた。)その感情を吐露する度に私は酷い後悔と自己嫌悪に襲われるからだ。
<裏切られた思い出>
5歳ごろのことだ。叔父の結婚式の直後のことだった。親戚や近所の人が三々五々に帰途につき、私の家族だけでお茶を飲み一息入れていた。時間も遅くなり私は眠気に襲われた。その場を離れるのも寂しく私は母の傍へ寄り添って休むことを考えた。(小さいこどもとしては自然なことだった。)一方、迷いも生まれた。否定されたら「どうしよう」と。でも、思い切って、母の腰元に寄り添った。案の定、母は私をピシャリとはねのけた。「甘ったれんじゃないよ!」って感じだった。やり場のない感情が私を襲った。そして私は自分を責めた。
私は、求めるという私の感情を、幾たびかの経験を持って、心の奥深くに綴じ込めてしまった。
私は諦めと同時に、歪んだ渇愛に自己を慰めて生きてきたし、そのような精神状態にいささかな満足感も得ていた。
<あきらめ>
「もう、何を言っても通じない!何を思っても、わかってもらえない!」という思いが私の心を占めるようになってきた。この人(母)には、「もう無理」って。だから、もうその心を「出さないようにしよう」心の奥深くに「仕舞い込もう」と私は思った。そしてそうしてきた。
そして、今回のセミナーである。
その諦めていた母への渇望愛、歪んだ感情と、押さえ込んでいた私の心に、もし「健康な母親にだったら・・」の声は今までにはない衝撃だった。
<「健康な母親」をイメージできなった>
何度かの母親への(求めるという)チャレンジが打ち砕かれ、私には母というものに対する否定感が生まれていた。(成人してからの異性に対してもその否定感は当然に及んだ。)それは、どのような素晴らしい異性でも、私の求めるものを満たしてくれる人はいない、絶対にいない、というものだった。
求める「相手」はいないものの、一方では、求める「心」は存在している。葛藤していた。「どこかにいる。」「きっといる。」「バカ言うな」「そんなのいる訳ねえだろう」って。
結果、「求めない心」にすればよい、となった。そうして、想像することもしなくなった。だから、「健康な母親」というイメージは、私にはまったく考えられなかった。(そのはずだった・・・。)
<ところがブレスワークで>
そのままブレスワークに入った。私はその母親の腰元に何の躊躇もなく飛び込み、「母ちゃん、母ちゃん」と力の限り泣き叫んだ。五分、十分時間の感覚はなくなっていた。
涙にまみれた私のほほに伝わる母の皮膚感覚は現実的、肉感的なものであり、その感情は私自身の本性にも触れた気がした。
そうだ、私は60年、この感覚を求めていたんだ。このほとばしるような熱い感情を表に出したかったんだ。何の抑圧もなく誰にも遠慮することなく、全身でこの感情、感覚を心のままに任せて。
この時間が永遠であってほしい・・・。
至福に満たされた感覚、感情の中に永遠性を求め、私はひたすら浸った。その後、不思議な感覚が私を襲った。何と私の背後、背中にはぴったりと寄り添う父の姿があった。
(それは実母のイメージではなかった。しかし、あの厳しかった父が、優しいイメージとして現れた。)
ブレスワークから時間がたった今の実母感は、おかげでフラットになっているよう思える。(自己嫌悪を覚えるほどではなくなったかもしれない。)
私が母子関係を学び、自分自身を学べたようには、学びを得なかった実母の悲しさと寂しさと無知を、私は今、受け入れているように思う。
*******************
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お試しの「無料カウンセリング」もあります
「H」
私事で恐縮ですが、普段カウンセリングやセラピーをリードさせていただいている立場とは違う話を、させてください。
「W」
どうぞ。
「H」
私の親戚で、前々から躁鬱の気があり、最近、老化に伴う認知症もあるのか、症状がひどくなっている人がいます。本人は自覚(病識)がないために、カウンセリングやセラピーを受けてもらうこともできていません。親戚だからといって首に縄をつけて受けさせる、というわけにもいきません。
「W」
はいはい。
「H」
近い親戚なので、その人の心的状況は、私にとって他人事ではありません。私はまるで当事者の気分になるのです。
「W」
心配ですね。
「H」
その人は話し自体はしてくれるので、何とかカウンセリングの効果が出ればと、話を重ねていますが、うまくいきません。
「W」
近い親戚の方なので、あなた自身の焦りも加わるのでしょうか。
「H」
そうだと思います。当事者としての焦りのような・・・。
「W」
その方は自覚はないのですから表面の焦りはないでしょうが、奥の方では・・・。それをあなたが代わりに感じるということでしょうか。
「H」
そう言えるのかもしれません。
話しを重ねていて、つくづく思うことがあります。自分の心の傷を見るのは難しい。すぐに防衛が働いてしまう。その傷を見ずに何とか生きていく道を探してしまう。
「W」
その結果が、その方の現状ですね。
「H」
はい。
でも、それでは今までと変わらない。解決や癒しはやってこない。防衛は手強い。ついついじれったくなってしまう。
しかし、その人の立場になってみれば、もっともなことなのです。近い親戚として理解できるのです。成育環境が似ていますから。丁寧に扱いわなければならない。立ち止まって待っているということが大切。そこから退かず、無理して進まず、目をそらさずに待っている。でも難しい。
「W」
自覚がないのですから、状況が重いということもあるのでしょうね。
「H」
重いですね。本当に傷を見る直前になると、ついつい強がってしまう。防衛してしまう。ある意味弱くなってしまわなければならない。負けてしまっわなければならない。そのことがとても難しい。
「W」
弱くなって傷を見るとどうしていいのか、ブログをはじめて見るような人にも分かるように、分かりやすく説明してくれませんか。
「H」
本当のこと(傷)を受け入れると、本当の強さが出てくる。本当のエネルギーが出てくる。湧いてくる。傷を見ずに嘘をついて(防衛して)いたのではそうはならない。
「W」
そこが分かりにくいかもしれません。
「H」
やってみないとわからない。やるときに本当の勇気がいる。
「W」
弱くなるには勇気がいる。しかも大きな勇気がいる。強くなることにそれほど勇気がいるわけではない。全く逆、ということでよろしいでしょうか。
「H」
まさに。
「W」
その方の防衛として、どんなことが・・・。
「H」
とにかく仕事にしがみつこうとする。人への怒りが顕著。表面ではニコニコしていい人をやる。
「W」
一般的にも言えるかもしれませんね。
*******************
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iPhoneやアンドロイドの読み上げ機能をオンにすると、このブログ記事やセッション記録などの文章を音声で読み上げてもらえます。例えば、アコールからのセッション記録をメールで受け取った場合に、そのメールの中の文章を、読み上げてもらうことができます。
「I」
iPhoneの場合
「機能をオンにする」
① 設定アプリを開く
② [一般] > [アクセシビリティ] > [スピーチ]へ移動
③ [画面の読み上げ] をONにする
④ 読み上げ速度も調整できます
⑤ 男の声にすることもできます。
「読み上げ方」
⑥ 読み上げたい文章を、コピーするときの要領で青色に反転させ、その時に現れる黒い小窓の中から「読み上げ」を選んでタップする。
「II」
アンドロイドの場合
インターネットに読み上げ機能の案内記事があります。
https://support.google.com/accessibility/android/answer/7349565?hl=ja
皆さんトライしてみてください。
ご自身のセッション記録を何度も聞いたり読んだりすることをお勧めします。通勤途中や車の中などで、読み上げ機能とイヤホンを使って何度も聞くことが可能です。
*******************
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<W>
記事<676>〜<681>について本人に許可を得て対談したいと思います。
以前の彼女(本人)は、職場への強烈な不満を抱え、転職も繰り返し、その葛藤の真ん中で苦しんできました。実は、背後には母親との依存があったものの、そのことにはあまり触れることができませんでした。ましてや自分自身の本当の心の傷を観ることはできませんでした。
<H>
そのことを想うと、今の彼女は、驚くほどですね。褒めてあげたいです。
<W>
良かったですね。大きなきっかけは、やはり、あれですかね。
<H>
そう。母親の娘への依存がとれた。無くなった。そのことが大きいですね。娘は、そのこと(母親が離れたこと)に不満を述べていない<676>。もっとも自分自身の母親への依存は残っている。
<W>
残っているけれど少しづつ、とれざるをえない・・。
<H>
今までは純粋に職場への不満でした。強烈でした。それが変わってきた。<676>にあるように、自分は愛情が欲しい。生きたいとは思えない。それでも何とか生きるために、形にはめて生きようとする。でも生きる資格がない。もともと要らなかった(存在を望まれていなかった)自分。これらのことが正面から認識できるようになってきているということです。自分の問題として扱えるようになっている。
<W>
はい。それらの事実を受け入れ始めている。それら(不満)が外側の(職場などの)事柄ではなく、自分自身の事柄だと言うことをを受け入れ始めている。大きな進歩だと思われます。職場のトラブルを、自分のみじめさを、「境遇のせいにして」と、はっきり述べている。今まではこのことが全く抑え込まれてきていました。
<H>
それまでは「良い子」をやっているので、職場の不満が溜まり、そのことを家で愚痴る、というカラクリを述べることができている。職場へ本当の不満があるというよりは、仕事のせいにしていると、客観視しています。
<W>
「良い子」というのは、重要なカギですね。表面的には、職場で活躍することを通して世間に認めてもらおうとすることですが、無意識的には自分の存在を、生存を、親に認めてもらおうとすること・・・。さらには、親が無理なので、宇宙(大きな存在)に認めてもらおうとするような・・・。
<H>
同じく変化したこととして、それまで相手にしなかった父親のことも話に上るようになっている。
<W>
意識の変化が次々に起きてますね。
<H>
<676>や<677>にあるように、父を通して自分を理解するようなところが述べられていますね。仕事だけを頑張って死に向かうような病気になっている父、を通して、同じような状況にある自分を認識する。父を理解し自分を理解する。彼女の深まりを感じます。
<W>
はい。父を単に無視し軽蔑するような状況から、事の次第を理解することへ、大きく前進した感じがします。
<H>
<677>にあるように、彼女は自分の「セッションが深まった」と言っている。その通りだと思います。
自分の二重性や狂気のような寂しさの存在に気づき、それを述べることができる彼女は、それ以前のひたすら職場への不満を述べることしかできなかった彼女と比べ、天と地の差があるように感じます。
<W>
ここでも母親からの助けは大きいですね。「楽をして治ることはない、痛みを通してしか分からない」「あなたも分かっているだろう」と母が言う。彼女も、私にとって母親は重要だ、と思いを漏らします。
<H>
母親が依存を抜けましたから、そのことが大きいです。
<W>
<678>にも、それまでなかったようなこととして、職場の人に優しい気持ちを持てる体験をしたことが語られます。それは、父親のこと、ひいては自分のことを理解したことと同じ広がりを感じる。理解の広がりとでも言えるようなことですね。
もらった花が枯れること、人が死ぬこと、ひいては自分の人生、人の人生全体に思いが至る。お母さんと一緒に死にたいと思ったのは、過去のこととして、述べられています。今はもうそうではない、ということ。
<H>
自分の問題になれたという事は凄い事です。それまで(職場など外側への)攻撃ばっかりだったのに、このように自分の中に入れたのは、何度も言うけどすごい。父の姿も響いたと思うけれども、母親が依存から抜けていったのは決定的だった。そして、母親に依存させてもらえず、孤独に直面し、自分の問題を見ることができた彼女を褒めたいと思う。よくやった。
<W>
彼女は自分の問題を「過剰なもの」として表現し、その正体がこころの「傷の中」にあると意識しています。はっきり意識しています。大きな進歩ですね。
次に<679>は揺り戻しですね。大きく前進すると、その直後に、かなり後退することがあります。3歩進んで2歩後退。
<H>
短い時間で見ると、2歩進んで4歩後退だってあります。いろいろある。傷に触れて大きな気づきがあり気持ちの良い反面、傷に触れた痛みにびっくりして後退してしまう。無意識でね。
<W>
「どっかやっちゃっ」ても、やっちゃったことを再認識できないということも、他のケースではありますが、今回は彼女はしっかり認識しているので、ここもやはりすごいです。<H>
娘の揺り戻しを見た母親のアシストがすごいです。「あなたを1番騙してたのは私お母さんだよ」とか、「捨てるべき人は誰?バーカあかんべえ」とか、いやはや、頼りになるお母さんです。
<W>
ここのところは一般の人には難しいので、分かるように説明してください。
<H>
無理かも。実際にブレスをやり自分の依存などの傷を体験しなければ、この頼もしさは分かりにくいでしょう。
<W>
それまでの相互依存のいわば暖かさが前提としてあるので、その依存関係が偽物だったとして切って捨てるような鋭さも、冷た過ぎない。なんとか自分の苦しみから(いまだに続く自分側の依存から)脱出し本物になろうとする人には、かえって、砂漠で水のようなありがたさがある、ということでしょうか。
<H>
<680>では、その頼もしさの効果が語られています。彼女は、自分が一人ぽっちという本当のところを隠すために、「お母さん大好き」一本槍でがんばってきた。それが、お母さんから面と向かって拒否されることで、「私も嫌い」かもとなり、本当は「母から操られていた」、ということに焦点を当てるようになりました。
<W>
子離れから母離れへ、ですね。
<H>
それまで深い相互依存の状態であったところを脱して、娘を突き放したお母さんの功績です。そして、それに耐えて自分の中に入っていこうとした娘の頑張りがあります。
<W>
耐えざるを得ない。耐えられた結果、「胸がギューっとな」ることがなくなって来たり、泣けなかったのに「傷そのものになってただ泣く」ことができるなどの回復が起き始めた。
<H>
娘は、傷に触れ、傷を吐き出す作業を心地よいと感じている気配があります。心地よいと感じる事はとても重要なことです。それまでは嫌で逃げていた。今は、逃げないどころか、まったく反対で、心地よい。そのことが彼女が語る内容全体から感じ取れる。大きな前進だとおもいます。
<W>
次の<681>の部分でも、先導役としての母親の役割が大きいですね。
<H>
彼女が「殺すより残虐だ」と言ったら、母親は「そうかもね」。すごいですね。普通は否定や自己弁護などしてしまいますね。『そんなことはありません、私だって私なりに頑張ったのよ・・』などなど。
<W>
母親自身が苦しみ抜いて自分の傷を観て依存を抜けていきましたから。その母親の言葉ですからね。迫力はあるでしょう。
<H>
セッションで「傷そのものが自分の中から出せている」と彼女は言います。今度は彼女自身が、自分の傷を観て依存を抜けていこうとしています。
<W>
それはもう起き始めていますね。<681>の後半で、彼女は自分の傷を観て、自分を認めたことの、独特の清々(すがすが)しさが、彼女の言葉で語られています。
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<<(680)の続き>>
<殺してくれた方が良かった><殺すより残虐>
傷に触っていたら「死んじゃいそう」と思った。初めての感じを受けた。死んでしまうかもしれないお父さんの心の傷と自分の傷も一緒だと泣いた。色んな事に触れて、怒り、悲しみの奥に狂気があって、狂気の中で怒りや悲しみになって、四方八方に引き裂かれる感じ。お母さんに「殺してくれた方が良かった」と言った。「存在を潰して半殺しにするのは、殺すより残虐だ」と言ったら「そうかもね」と母は言っていた。
存在を潰したい気持ちがあるからか職場の人を「辞めさせたんだね」と言われて思った。
狂気と自分の虐待の悲しみとか一緒になった。傷そのものが自分の中から出せている。
<両手を広げてにっこり>
そのセッションの次の日は関東でも雪が降った。早番の帰り道、駐車場を歩いていたら、向かいの家のおやじさんが車に積もった雪かきをしており、「そこはすべらないか」と不意に声を掛けられた。「はい、滑らないです」と答えた次の瞬間、私は思わず、空へ両手を広げてにっこりと笑って「もうこれ以上雪がふらないといいですね」と本当に自然に気づいたら言っていた。それは、自分が好かれるための人へのサービスではない、本当の私の心から出た、本当の気持ちの、本当の言葉だった。そのはじめての感じに自分で驚いた。
<“もうピエロにならなくていいんだよ”セッションで自立した母の後に続きたい><なぜかうれしい感じがして>
人が嫌いだ、という自分を取り繕うため、人の望むことを予想し、いいことを言っているが、内心は反発心グツグツで胸が苦しかった。いいことを言っているけど心がついてこない嘘だから疲れる。うそのシナリオを自分で書いて、読み上げていた人生だ。だから人といるのが嫌になるのだ。そんな自分だった。
そのことを思いながら坂道を降りる時も、なぜかうれしい感じがしていたら不意に、セッション中に「もうピエロにならなくていいんだよ」と声がした、という母の話を思い出した。自分の本当の気持ちを、表現していいんだよ。さっきのやり取りでそれがでてきて嬉しかった。嘘くさく肯定しあって、ベタベタくっつく。依存しあった偽の愛ではなく、お互いが自立し一人で立って、一人の人間として向き合える、そして、本当の親子になるのだ。と母親が最近言っていた。それを目指して今後も自分を深めていきたいと思っている。
<立てる自分がいる>
暗く寒くて怖い早朝を一人で職場に出かけていく、それを味わうのが怖くて嫌で仕方なかったが、本当の自分を掴んで昨日と地続きの普通の時間の流れの中にある朝として立っていられるのではないか、いや、今まで仕事を続けることで、すでにその中に立てる自分がいたのだと思っている。
<<終>>
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<<(679)の続き>>
<私も嫌い><一人ぽっち>
お母さんが立たされている状況も自分が立たされる状況も厳しい。お母さんからの拒否された感じ。確かに私は受け入れられていない、関心がない感じが、分かる。私も「お母さん大好き」でやって来たけど、そう言うお母さんのことを「嫌いだ」と言うところからやろうと思う。そしたら一人ぽっちになる。
<人はどうでもいい>
私は職場でまた調子が悪くなって、馬鹿な“男”だからと社長にも上司にも挨拶を無視したりしてつっけんどんにしている。強い威勢のいい女風ではあるが、実際にはこの間父の入院直前に家に来た兄とは向き合いない、でたらめな私だ。そしてお母さんのようにお調子者で身の入らない仕事をしている人にも、腹が立ってくる。怒りながら仕事している。その話を母にした。母は言った。
「上司なんて、(あなたが)会って何年もしないのに(あなたのその調子の悪さに責任があるはずもない)そんな人はどうでもいい人だ。(責任があるのは)本当は私なんだ」と。
<私も嫌いかも→胸ギューがなくなってきた>
母と言い争いになった時に「私も嫌いかも」と言った。母が私を嫌いというのを信じたくなくていたが、私もお母さんを嫌いかもと言ってしまった。お母さんがまた私を操ろうとしても見破る、お母さんが本当は嫌いだという所から始めてみようと思おう、と言ってしまった。
職場で胸が苦しくて仕事をしていたが最近はそれがなくなってきた。何かあっても冷静に考えられるようになってきている。先日も職場でちょっとした失敗をやらかした。前は自分の失敗(お母さんに嫌われていること、自分自身が肯定されていないこと、すなわち自分の正体)を隠さないといけないから、時間に追われて胸がギューっとなっていたが、それがなくなって来た。
セッションに行く日も満員電車で座れるとか座れないとかで、いつもなら胸がギューっとなるが、ならなかった。隠したいものがあったからそうなっていたのでは、と思う。
隠したいものとは?最初から一人ぽっち。お母さんを嫌いで嫌われていたこと。肯定されなかったこと。それは気が狂いそうな寂しさ、悲しさ。それら自分の中にあるもの。
<傷そのものを出せるようになって来た>
前回のセッションで初めて自分の傷に触れたような感じが忘れられなくて、また、セッションを受けた。始め、この前のようには入れない。入ろうと、職場の自分とか思い出したりした。でも、狂気の自分、怒りも何もわからないような自分に、なった。狂ったように体を動かした。お母さんと兄が組んで一緒になって私を粗末に扱った感じ。もうそこには、いいお母さんはいなかった。
ニュースで虐待の子が報道されている。その子(いらない子)が出て来て、自分にリンクして泣けて来た。虐待の方法も環境も違うが、泣きは同じだなと。お腹を蹴られているように苦しくて泣いていた。狂気の自分にも入れるようになって来たが、虐待された子の傷の感情が出て来た。人のことでリンクして泣いているが、本当に自分の中から泣きが出て来た。本当は泣きたかったのに泣けなかった。追体験して泣いている。ただ泣いている時に、傷そのものになって来た。
<<続く>>
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<<(678)の続き>>
<またどこかへやっちゃったア>
そして次のセッションを迎えたが、(心の中がすっきりからっぽのあの感じを)またどこかへやっちゃったア・・・・。
退職した人の代わりに、すぐに新しい人が来た。でも使えない人。仕事の経験がない。できない。私の話を聞いていない。覚えが悪くて遅い。その人が仕事ができないことのしわ寄せは、すぐ私に来た。大嫌いな朝番ばかりやることになった。
<いつものようにグツグツしてくる私の嫉妬><(私と違って)愛されるということが最大の脅威>
上司はその人に変に優しくて、聞いていて私はグツグツしてきた。馬鹿でできなくても優しくされる事が最大の怒りだった。私はこんなに頑張ってるのにバカみたい!!しかし馬鹿でできなくても(私と違って)愛されるということが最大の脅威なのだった。そうしたら、完璧に出来る自分を演出することに神経を費やしている“私”の存在が無意味、になってしまう。
<嫉妬や怒りでおかしくなってくる>
私は何なんだ。焦りと嫉妬や怒りで、だんだんおかしくなってくる。ミスを多発して、自爆して疲れてきた。いつもの私の癖が出始めた。口先だけで真心のない感性の悪い社長。
適当なことばかり言い、その場しのぎで騙す嘘つきの上司。会社はまるでブラック企業。お前たちは何回私の心を踏みにじってきただろう!
待遇について騙されている、嘘をつかれているような感じがぶりかえってきて、自分が騙されているという考えに取りつかれる。
<こちらから捨ててやる>
本当の自分を生きるために馬鹿で鈍い嘘つきはこちらから捨ててやる(職場を辞めてやる)のだ。自分を欲しくて、自分を評価して、大事にしてくれる所を自分で選んでいくのだ。一日中その考えがグルグルめぐる。自分がどうしたいのかわからず四方に自分が割かれ、苦しくて収拾がつかず、会社を捨て、転職しようと思ってスマホで他の就職先を探した。
それなりの給料のところで残業は多いが福利厚生はいい。申し込んだ。出来ない人のせいで仕事が忙しくて、休みの日には暗くして寝ていて鬱になっていた。
<やることは自分を観ることでしょ、捨てるべき人は誰?バーカあかんべえ>
お母さんはお父さんのことで大変で毎日喧嘩のようだった。それでもお母さんに愚痴を言った。そうしたら言われた。
「(心の中がすっきりからっぽのあの感じから)1週間しか持たなかったね」「あなたのやることは今、自分を観ることでしょ」と。今職場を変えたら自分を見ることから遠ざかると。
職場を捨てようとして申し込んだところをこちらから断ったが、職場でその日にまた嫌なことを言われて申し込みを断ったのを後悔した。たまりかねてお母さんに昼休みに電話した。「父の入院の準備でバタバタしているときに、お母さんの気持ちが自分から離れたからと言って、気を引くために騒ぎを起こすな、いつものあんたのクセだ」といわれ、相手にされなかった。
その後メールで「捨てるべき人は誰?」「わかっているのに覚悟ができない。まず母親を捨てろ、バーカあかんべえ」と返信が来た。
<あんたを一番騙していたのはお母さんだよ><気持ち悪いから辞めろ><お母さんは一人になりたい>
一人ぽっちだなと感じた。父も母もいなくなるし、怖い。正社員とか待遇とかで、上司に騙されている、と愚痴ったら、「それはお母さんと兄だよ」と、「あんたを一番騙していたのはお母さんだよ」という。
職場で嫌なことがあるとお母さんに抱きつく、「それは気持ち悪いから辞めろ」という。
それでもお母さんに抱きつこうと絡んでいたら「お母さんは一人になりたい」と突き放された。お母さんに抱きつけば癒(いや)されると思っていたけど、お母さんが私を嫌いだというのを本気で信じていなかった。
最近、それ(お母さんが私を嫌いだということ)一つを考えた時に、「確かにそうかもね」と思えるようになった。あれほど言われているのに信じていなかった。
<<続く>>
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<<(677)の続き>>
<人を許し優しくなれる>
お母さんに言われてもよく分からなかったが、ほんのちょっとだけ、寂しさのとびらを開けて出したら、確かに理屈はわからないが、人を許せる、優しくなれる感じを味わった。次の日から行った職場で・・・。嫌いだと思っている人を愛おしいと思う瞬間があって驚いた。まだまだぶれるが・・・。
<職場の人との別れが思わず心にしみる>
父親の人生、私の人生がリンクしていることが分かり泣けたことを前回セッションでやったが、職場の人とのことで同じような体験をした。
その人を、今まで私の都合のいいように、私の気分で振り回し、利用してきた。言わなくても自分の気持ちを察して都合よく動いてくれる人だった。その人に私は依存し、ひどいことをした。自分のいうことに絶対服従させてきた。右に左に操ってきた。
その人が、今回、ついに退職してしまうのだが、その寂しさもはっきりでてきた。まるで父に対してと同じような扱いをしていたな、とも思う。その人に、お別れの挨拶がちゃんとできるか心配だった。
一緒の勤務が最後の時は、まだいじけていて、自分を裏切って自分を置いて「1人だけボーナスもらってさっさと退職かよ!」と怒りながらも、寂しさもあるという私の滅茶苦茶な心の中だった。「何でアンタに!」と(矛盾した気持ちで)思いながらも、お別れの品を渡し、今までのお礼を言い別れた。その後も、すっきりしない心でいた。
<大きな花束に涙>
後日、不意にその人が職場に現れ、、私に大きな袋を渡した。見たら素晴らしい花束だった。私があげた品のお礼だといい、「今まで大変お世話になりました」というのだった。
素晴らしい花束すぎて、びっくりしていた。もらった花をじっと見ては、色んな感情が交差し、涙が、でてきた。
<お母さんと一緒に死にたい>
この花も、時間をかけて、かれていく・・・。一緒に働いている人だって、いつか離れてゆくし、親も次第に老いて、死んでしまう。本当はそこまで思ってないけど、(仮に)死んでほしいと真剣に願う嫌いな人でも老いて死んでいくのだ。
本当は弱くて一人で生きていく力のない自分が隠れ蓑にして依存している親が、弱って行くことに不安を感じ、避けて、観ないようにしてきた。
そして、自分の人生。自然の流れを止めたくて、親離れが出来ず、大人になることを拒否し、結婚もできず、産まれないまま、親にくっついて来た人生だった。男の人には全く興味がなく、お母さんが一番いい、ずっとずっとあの世でも一緒にいたいと思った。お母さんと一緒に死にたいと真剣に思っていた。
<私の中の何か過剰なものの正体>
自分が人と違う何か過剰なものがあるのは分かっていたけれど、それが何かわからず、才能か?なんて思いながら、本当の私は、こんなじゃないと、仕事の種類や、技能に捕らわれて、外側でぐるぐる、ああでもない、こうでもないと、迷って来た人生だと分かった。からっぽの自分を埋めるものを、外側に求めて探し回ってきたのが大半の人生だったと思う。
しかし、過剰なものの正体は、この間セッションで触れた傷の中にあるものなのだった・・・。
私は、今泣きながら、この事を書いているが、いつもの「こんな人生になっちゃったー」と言う泣きの涙とは違う。
<心の中がすっきりからっぽ>
きれいな花が枯れていく。人が年をとって死んでゆく。親しい人と別れてゆく。朝が来て、日がたっぷり差した暖かな日中から、夕暮れになり、暗い寒い寂しい夜が来る。貰った花を見ているだけでも、たまらない何か感情のうずきがある。
セッション後は無性に外を1人で歩いたが、(セッションで)寂しさを外へ出したら、心の中がすっきりからっぽで軽くて気持ちいい感じがした。そんな感じは初めてだった。
<<続く>>
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<W>
671~674について、本人の了解をとって、検討してみたいと思います。671にあるように、彼女は努力を重ね大きな改善を得ました。「物凄く落ち着いている」と言います。
<H>
よく頑張ったなと思います。パニック障害に苦しむ以前の彼女を知っていますのでね。
<W>
私はセッションでどんどん進んでいく彼女しか知りません。
<H>
そうなんです。
<W>
きっかけは、「見捨てないで」というセッションを行い自分を観られたからだ、と彼女は言います。それは何を意味するとすればいいでしょうか。
<H>
674で彼女も言うようにやはり「死」でしょう。これはそこまでは彼女は言ってませんが、本当は死にたかったのだ、と私は思います。
<W>
そこは彼女の了解をとりましょう(*)。
<H>
はい。それが奥のほうに隠れている本音。それが大事です。
<W>
つまり、怒りを力に変えて生きようとするのは本音の半分に過ぎない。もう半分の本音は消し去られていた、ということですね。自分の半分を無いものとして生きてきたのだと言うことですね。
<H>
そうです。無いものとしてきた部分を少し観れたので、よくなったということでしょう。
<W>
672にあるように、「何だか分からない恐怖と戦い」、その恐怖に対して怒りで対抗しようとする。
<H>
これは苦しかったですね。苦しいけど何とか生きていこうとするための便法(べんぽう)です。それしかやれない。
<W>
切ないですね。
<H>
はい。
<W>
673についてです。「弱さや寂しさ」は受け入れられた。その範囲であれば「死」を受け入れた、ということですね。
<H>
よく受け入れられたー。受け入れが起きたことが大切。
<W>
けれども、完全な「死」は受け入れられない。
<H>
そうなんです。
<W>
「植え付けられた死・・・絶対に嫌だ。」とあります。彼女のエネルギーは細く鋭い感じがしますね。そこに葛藤(かっとう)が残ります。改善のきっかけも「死」だったけれど、残るのも死の問題だという事は分かっている感じがします。
<H>
分かっていても、苦労する、ということはあります。
<W>
彼女のやり方で進んでいくのが楽しみです。
<H>
今の段階で、よくやったね、とほめたい。
<W>
674についてです。育児放棄を子供を守ったと説明するくだりがありますね。
<H>
子供に対する死の話は、673と合わせて読むと理解できます。
<W>
母と同じように自分も子供を傷つけた。子供を「殺す想像を何回もした」、殺意があったと言います。しかし、愛する子供にそんなことはできない。すぐに罪悪感の揺り戻しが来ます。もうここでは、別の見方が強調されます。子供を肉体的に「守った」。助けたと言う事実が強調されます。
<H>
彼女は、自分の持つ2つの面を自分から語っています。認識できています。
<W>
それでも2つをまとめて一つにすることは、苦しく、切ない。
<<追加>>
(*)の部分の本人からの確認はとれました。セッションの以前の記録で確認できたそうです。今回の記事内容に対して本人からの感想が次のように届いています。
「怒りで本音を必死に掻き消しているのですね。本質をずらそうとする事が分かり、あ〜やっぱりね♬と納得感があります。」
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子どもさんへの虐待が止まらないとしてセッションをはじめた女性:
怒り恨みを長い間やってきた。恨みはどもさんや社会に対するものから、やがて、母親へ移って行った。セッションで恨みを扱うことで、日常のいろいろな不具合が徐々に回復してきた。回復するにつれ、今一つ物足りない感じがしていた。そして気が付いた。それは本気。本気が足りないことがわかってきた。今回のセッションを本気でやった。恨みの母親を殺し、恨みの自分も殺せた。そうしたら、その後、愛おしさや寂しさが現れた。足りないものはこれだった。
<W>
この方のケースでは、セッションが進むにつれて、他のケースでも現れる流れが出ています。怒り(恨み)が向く対象が子どもさんや社会から母親へと移っていくこと。更に進むと、セッションを今一つ本気でできなかったのが、本気でやれるようになっていくこと。
<H>
そうですね。怖いですからね。手前で踏みとどまる。それが抵抗ですね。怒りが母親から来ていることは理屈ではボンヤリわかっていても、実際の感情が母親へ向くには勇気がいります。怖いし、痛い。無意識に、母親とはいい関係を残していたい。自分の命がかかっているのですから。
<W>
自分の無意識の心の中の子どもとしての命ですね。母親なしでは生きていけないほどの小さな子ども。その無力な子どもは心の中に居続けたので、母親を攻撃する代わりに子どもさんや社会を攻撃していたとも言えるということですね。
抵抗と見るのであれば、本気でやらないことも抵抗と見えます。本気でやったら、本当に母親を失ってしまう。どんなにひどい母親でも、小さなこともにとっては、この上もなく大事な人なので。
<H>
でも、本当のところまでいって初めて、愛おしさや寂しさが現れる。それが足りないものだったのですね。
<W>
そうですね。
それまで感じられなかった愛おしさや寂しさが感じられるというのは、自分を取り戻しているということ。
<H>
足りないものをどこかで知っていた。
<W>
自分を取り戻すことが、足りる、ということだったのですね。小さな子どもの本当の親離れと言っていいでしょうか。
<H>
足りないものを知っていた、取り戻したいものを知っていた、というのはいいですね。人間というのはいいです。
<W>
母殺しに続いて、自分殺しが出るというのも、流れですね。
<H>
チラッとですが死(死の本能)を満足できたので、より深い満足があったのだと思います。
<W>
そこのところは、どこかで詳しくやりたいです。
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ホームページの記事もどうぞ⇒実績紹介>より詳しいベビーブレス体験
スタッフ対談
<W>
今回は、愛憎のアンビバレントについて、少し話したいと思います。
<H>
分かりました。
<W>
ブレスワークを通して分析すると、母親への愛憎のアンビバレントが事実として出てくるのですが、社会的には困ったことにもなります。「愛」の方はいいのですが「憎」が困るということです。
<H>
困るというのは公に話しにくいということですか。
<W>
そうです。
精神分析にでも興味がある人であればそういいうこともないのでしょうが、一般的には、特に日本社会のように儒教の影響が残っている社会では、困ります。大恩ある自分の親への憎悪を当然のように扱うのは、道徳的に非難されがちです。「愛」「憎」ともに事実なのですが、道徳的には「愛」の方はいいのですが「憎」が非難されます。
<H>
確かに、子供さんがセッションを受けに来て、費用は親御さんが出す場合など、親御さんへの憎悪を当然のように扱うのは、ある意味、気が引けなくもないです。しかし、事実はは事実。だから回復が期待できる。道徳は抑え込んで悪化させることになります。親御さんも、またその親御さんへの愛憎が事実としてあるのですから、説得できます。私は腹をくくっています。
<W>
なるほど。
しかし、儒教の影響は親御さんなど社会だけではなく、セッションを受ける本人の中にもあります。心の中にあります。自分自身によって「愛」の方は受け入れられ「憎」が非難されます。
また、儒帳だけではなく心理的にも「愛」はよく「憎」はダメです。
<H>
本人の心理であれば、そうです。
<W>
心理的に「憎」はダメというのが多数派なので、やはり社会的な困難性もあるのではないかと思います。
<H>
さて、セッションを受ける人が「いい人」であればあるほど、愛憎のアンビバレントのうち、否定的なものである憎悪は隠されます。そして、その隠された憎悪を認識することがカギになります。
<W>
憎悪は認識されにくいということですね。
<H>
はい。
愛憎のアンビバレントのうち、都合の良い方の愛され愛しという面を強調して、なんとか生きていこうとします。しかし、残念なことにうまくいかない。隠されたものがあるから。隠されたものは必ず悪さをする。心理的な不具合の原因となる。始めは分からないけれども、セッションが進み、アンビバレントが統合されて初めて納得がいくことになります。
<W>
憎悪は認識されにくい理由を詳しく説明してください。
<H>
憎悪は否定的なもので嫌われてしまう。憎悪の先は、行き着くところ、生きていけない破壊的なもの、死が待っている。だから認識したくないのです。
<W>
憎悪の行きつく先ですね。
<H>
憎悪そのものが意味するところもそうです。認識したくない。認識しようとすると、憎悪を作った傷、心の傷を見ることになってしまうから。例えば乳幼児期の辛い心象風景を思い出してしまう。心の傷を癒すことなく、自分の憎悪を観ることは難しいです。
<W>
どうすれば心の傷を癒せるのでしょうか。
<H>
心の傷は再体験する事で初めて癒される。
再体験とは、自分で自分の傷をわかってあげること。そのことで初めて癒される。隠された傷は癒されないまま温存されます。
<W>
再体験ですね。
<H>
再体験は難しい。なぜなら、心の傷が痛むから。心の傷を扱う事は辛く嫌なことだから。
<W>
でも鍵は再体験ですね。
<H>
そう。再体験された自分は、ありのままの自分とか、等身大の自分とか、素の自分とかいう。まさにそのこと。
<W>
癒しと痛みは同じところにあるようですね。行きつく先の死はどうなるのでしょうか。
<H>
いつの間にか経験されます。できてしまえば、それほど怖くはありません。
観る事は、辛いことであり、同時に癒しです。
ヒーリングと言って、美しい音楽を聴いたり、いい香りをかいだり、いろいろなことが行われますが、傷を観て本当に癒された後は、良い音楽や良い香りは必要でなくなります。すべてのものに癒されます。
<W>
はい。
<H>
心の傷を見る事は、本当の自分を知ること。本当の自分を知れば、本当に生きることができる。本当に生きることができれば、死ぬことが怖くない。そうゆうふうに進みます。
*******************
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解離性の状況を持つ女性:
自分を殺すお母さんと優しいお母さんの2つに分裂していたが、今回のセッションで、その間の寂しいお母さんが出てきた。死の受け入れがあった。死に迫られ憎悪を受け持つ人格が、これをきっかけに、小さくなってきた。
<H>
「寂しいお母さん」というのは良かったですね。本当の母親像ということでいいと思います。「自分を殺すお母さん」と「優しいお母さん」というのはどちらも母親の一部であって、本当の母親ではありません。二つを足したものが本当のものでしょう。
<W>
対象(母親)の分裂から統合へ、ということでよろしいでしょうか。
<H>
統合の方向へ、ということでしょう。統合とまでは・・。
<W>
そうですね。なかなか苦労していますから楽観的にはなれないですね。
<H>
はい。前進があったと思われても、揺れ戻しが大きいことがあるので、用心しなければなりません。
<W>
対象の統合へ向かったことで、本人も統合へ向かった気がします。死に迫られ憎悪を受け持つ人格が、小さくなってきましたので。これも楽観的にはなれないでしょうが・・。
そして、「寂しいお母さん」が出てきて「死の受け入れ」が起きたことも重要な気がします。いわば架空の世界で「優しいお母さん」に命をつないでいたものが、「寂しいお母さん」は実世界であり、いよいよ「死の受け入れ」なしには、実世界は認められないでしょう。というより「寂しいお母さん」と「死の受け入れ」はセットなのでしょう。つまり同じ価値を持つことなのかもしれません。そうして「死の受け入れ」ができるようになれば、人格を解離させて架空の世界へ逃避する必要もなくなるのでしょう。
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<被害者と加害者の両面性>
私達の心の傷の元を探っていくと、一番深いところでは、自分の母親にたどり着くようです。母親から十分な愛情を貰えなかったことが心の傷の根源的な原因のようです。ところが、その母親も、なぜ自分の子供に十分な愛情を与えきれなかったのかを探ると、母親自身の心の傷が見つかります。そして、母親もまた、自身の母親すなわち祖母から十分な愛情がもらえなかったことが分かってきます。十分な愛情を貰えなかったので、十分な愛情を与えられなかったという事情が見えてきます。原戸籍などを検討すると、祖母もまた、曽祖母から十分な愛情をもれえなかったであろう事情がうかがえることが多くあります。そのようにして、ある女性が自分の心の傷を見るときに、傷は上流側の女性群、すなわち、母←祖母←曾祖母から伝わってやってきており、彼女は被害者であると言えるでしょう。
ところが、その下流の女性群(孫娘→娘)から見ると彼女こそが、心の傷の犯人であり、被害の元凶であるということになりがちです。心の傷という負の側面を見るときに、女性はこのように被害者と加害者の両面を受け持つ事になります。
<傷と女神の両面性>
心の傷という負の側面とは反対に、もともと備わった豊かな人間性などの正の側面を見るときには、母や祖母は豊かさの源泉であり、子供たちにとって心の女神となるようです。心の傷が少ない、あるいは無いということは、そのまま豊かな人間性につながります。傷の無い人間性は、豊かさそのものといえるからです。そもそも人間は、そういうものだからです。
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○どうも自分はお母さんから虐待されて育ったようだ。そして自分のこども達を同じように虐待してきた。そう考えると納得できる。自分が虐待された時の怒り恨みを溜め込んでいるはずだ。その溜め込んだものを、本当に出したいが、本気が足りないことがわかってきた。今回、本気でやったら、恨みの母親を殺し、恨みの自分も殺せた。その後、愛おしさ寂しさが現れた。
○事前に、怒り恨みを本気で出すために、自分を虐待し怒り狂っているお母さんの顔を絵に描いて見ようと思った。が、どうしても描けない。記憶が欠けている。そこでこども達を虐待しているときの自分の顔を、こども達に頼んで描いてもらった。見事に描いてくれた。怒り狂っている顔だ。こども達は具体的に描けるのが良いなと思う。私よりは自由だ。
○この自分の顔の絵を、お母さんの顔としてセッションをした。この絵とか思い浮かべてて(イメージの母親を)殺すことができた。死んだ感じがあったので、(母親を)可哀想だなと思って泣けた。
寂しい、一人だな。お腹の中でもさみしいな、全てに寂しい。寂しさに対して恨みがあって、恐怖もあって、母への恨みというより、自分の寂しさからくる恨み。恨みの自分を殺したくなる。
恨みを、動けなくなるくらい枯れるまで、やってやろうと思った。恨みの自分を(イメージの中で)「殺してやる」と本気でやれた。そしたら死にそうになる直前で恐怖が来て、「死にたくない」になった。そして苦しくなって、「殺してくれ」になって、恨みの自分は死んだ。
今まで、生きるのに恨みを支えとしてきた自分だったから、死んだら(自分が)可哀想だった。寂しいから恨んで、恨みが支えで生きて来た。恨みの自分が愛おしくなって来た。死んで平和になった。途中で悲しくなってきた。泣いて、途中から「生きていこう」となって、恨みがないけど「生きていこう」前に「進もう」になった。気持ち良かった。
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もともと私は話が不得意だった。表現が苦手だった。兄弟同士もあまり話をしなかった。最近その私が中心になって、兄弟の集まりを持った。自分が中を持って話のキャッチボールをした。すごく良い話ができた。お互いに、あの時はこう思っていたとか、親父が怖かったとか、兄弟間の話が足りなかったとか、本音が言えた。はじめて兄弟になれたよう。弟がこの集まりを「またやろう」と話していた。私は嬉しかった。
私の心の傷は、弟が生まれた時の2歳児のときにあるようだ。その傷が元になって表現が苦手なのかもしれない。セッションでは、表現できない自分を殺したし殺された。表現したい自分も出て来た。風船のイメージが出る。優しさや受容の象徴だ。2歳児の表現できない自分を、その風船の中に入れて、さらに「寂しい人おいで」とやった。自分の子供や父方の親戚も、入れた。みんなの顔が見える。笑顔で遊んでいる感じ。
そのセッションの後に、保育園に行ったら「お子さん、凄く話せるようになっていますね」と言われた。自分が表現することをOK出せたから自分の子供も出せたのか、と思う。
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○自分の中にすごい恐怖があることが分かってきている。この恐怖が私の人生に存在する不具合の原因になっているようだ。その自分の恐怖の出所が今まで謎だった。それがうすうすわかってきたような気がしている。私の出生前、母と父の仲は破たんしかかっていた。母は父をつなぎとめるために妊娠した。しかし父の浮気があり結局は離婚した。そうであれば自分のとてつもない恐怖が説明できる。
○自分の中にすごい恐怖がある。とてつもない恐怖。言葉にすると全く抵抗ができない状態で、身動き取れない状態で、急に殺される。受け入れる準備もない。その状況で死んで行かなくてはいけない。窒息されるような感じ、否応無しに。
○この恐怖は、胎児が感じていたのではないか。そう思うと母が父の浮気を知った時のことが、当てはまるのではないかと思っている。その恐怖というのは、急に命が奪われる(堕胎の)恐怖だが、そのほかに絶望感がある。(愛情を貰えないまま)生きなきゃいけない絶望感。怖い思いをしなながら生きる生き辛さ、周りに疎まれながら、苦しいことが何度もあるのに生き続けなければならない絶望感だ。
○妊娠中に(浮気)相手がいるという時の母の絶望感があったのではないか。母の絶望感を自分が取り込んでいたのか。母が感じる絶望感なのか、自分が感じる絶望感なのか。区別はつかない。母と一体的で自我の無い(あるいは弱い)胎児には同じことかもしれない。
○今回のセッションではそこをやりたかった。最初、恐怖は出て来た。でも、それ以上は、上手く入れなかった。考える癖が出て来て、それで苛立っていた。逆方向への表現が起きた。楽しくなった。楽しさはエネルギーが出てワクワクしている感じ。それが本当の自分に近いんだろうなと思う。セッションで使われる音楽で楽しくなったのか。最初の恐怖を少しだけだけれども味わうことができたからか。恐怖の理解が進めば自分がこういう(楽しい)自分だろうなと少し納得できた。それが自分だろうな。苦しいこと、辛いことが多いけれども、本来は楽しい自分なのだろうな。
○恐怖をやりたい(深く入りたい)気持ちはあっても、意図的にやると上手く行かない。やはり怖くて嫌なんだと思う。胎児期の恐怖が絶望感になりエネルギーが湧かない、それが今までの自分だったんだ。そのことが分かってきた。
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○母を求める気持ちは、現実の母親には受け入れてもらえなかった。だから人生の早くに諦めた。そのつもりだった。そうしてきた。しかし、母を求める気持ちは、現実の母親とは関係なく、自分の中で、存在し続けていた。セッションでは、受け入れてもらえないことからくる、恨みと吐き気が起きる。今回のセッションでは、現実の母親とは関係なく純粋に母を求める愛気持ちが、突然、現れた。パンドラの箱を開けたような、地雷を踏んだような感じだった。
○小さなころから母には邪険にされた思いがある。どんなに母の愛情を求めても、母には受け入れてもらえなかった。心の中で、泣きながら自分を閉じていった。20歳になった頃には(母の愛情を求める)手を引っ込めた自分がいる。諦めた。心象を絵を描いて見ると、真っ暗で、人物の後姿しかない。この人物は母であり、自分でもあるなと思う。私の子供も、同じように私に愛情を求める。応じてあげられない。子供には、私に愛情を求めても「無理だから諦めろ」と言っている。
○今までセッションをやると、恨みと吐き気が起きる。「なんで、なんで」という言葉が出る。何で受け入れてくれないのかという意味だ。「寂しい、辛い、悲しい」という言葉も出る。しかし、それ以上はなかなか深まらない。現実の母親には受け入れてもらえなかったし、いくら求めても現実の母親には受け入れてもらえる可能性は無い。
○今回のセッションでは、セッションで使ったシーツを引っ張っていて、母親のように手放せない、引き寄せる感じが出て、突然に「好きだ」という言葉が出た。言ってはいけない言葉だった。どんなに望んでも愛情はもらえないことが分かっていたから、絶対言わない言葉だった。でも、出てしまった。パンドラの箱を開けたような、地雷を踏んだような感じだった。気持ち良かった。
○次のセッションでは、途中で、幸せだーという感じがあった。幸せが何回か出て来た。この幸せって何だろうなと思った。母親を好きだと言えず封じ込めていたことが、言えたことが幸せなのかと今は思う。今まで求めて来たものを、半分認めつつ、半分認めないでいたが、母親を求めているのをしっかりと認めた。
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○私の中にある激しい殺意の裏に、母に対して「自分をわかってほしい」「愛してほしい」「くっつきたい、一つになりたい」という気持ちがあった。いくら尽力しても母の愛情は手に入らない悲しさに気づき、涙が溢れ止まらなかった。だけど不思議と温かな気づきでもあった。手に入らないことに傷ついていた。悲しさ、虚しさの理由がわかって嬉しかった。自分の感情を受け入れたのかもしれない。安心感があった。
○ 母は何をきっかけに怒り出すのかわからない人だった。母の言うことを聞く、明るい私だけを好いている。「こんなところが好きだよ」と理想的な姿を並べられるたび傷ついた。「そんな私は幻想だ」と知ってほしくて、母の怒りに触れるようなことをわざとしたり、傷つけるような態度を取った。なぜそんな行動を取ってしまうのか自分のことなのにわからなかったが、はっきりしてきた。優しい母(私を部分的にしか受け入れない母)をぶち壊したい、暗くて悲しい悪態をつく私と向き合ってほしい。そんな背景があった。
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○今までのセッションを通して自分を振り返ると、母親の役に立つことで何とか生きていこうとする心境から、役に立とうが立つまいが要らない子だったと気が付き、その無条件の死の受け入れが起きたことで、ただの温かい自分で居ていいという無条件の温かさに至り、これらの相反する二つのものの同居を「死と背中合わせの無条件な暖かい自分」と呼んで馴染んでいるうちに、それまで母親中心の世界という傾向だったのが、母親という囲いのない自分中心の世界へ移って行った。死の受け入れから真の自立が始まるように思われた。
○最近のセッションでは、死を扱う深い穴のような部分から、まるでその深穴を広げるように、今まで取り扱わなかった、より現実的な部分へと戻る傾向にある。一般的には、セッションを進めるにつれ、現実的な部分を含んだいかりや悲しみが出て、やがてその奥にある死を扱うようになるようだが、私の場合にはまるで、その逆の方向へ進んでいるようだ。死という大きな押さえが取れたので、安心して現実的な部分に取り組めるのかもしれない。
○セッションで、失恋した相手への怒りを出した。愛して欲しいというのが出てきた。母も祖母もそうだった(彼女たち自身もまた愛情を欲していた)。よしよしで終わった。そうではなく、自分自身のことを感じたいなと思っていたら、凄く寂しいのがゴーッと出てきた。昔からある寂しさ。途中から涙が出てきた。
○この涙は窮屈さに対するもの。よくイメージとして出てくる昔の場面で、階段の真ん中の自分にいる窮屈さだ。父と祖母と親戚が1階で、2階に母と妹がいる。1階と2階のグループの仲は悪い。自分はどっちのグループへもいけない。象徴的な場面。凄く狭い感じ。窮屈さ。居ていいよと言われないと、居られない。(自分の存在を)認めてもらえないのはこんなに窮屈なんだ。認めて欲しいのは、祖母も父も母も。
○それは分かっているが物足りない。家族に対して怒っている。寂しさを出した。物足りなくて発狂するように叫びが出てきた。本当に気が狂いそうな込み上げてくる。気が済むまで出そうと思って出した。最後はちょっと暖かくなった。気が狂うような発狂する叫びが良かった。
○今まで出せなかった寂しさや怒りだ。まだあるなと思う。寂しさはまだしも、怒りを扱うのができないので、少しずつ(怒りを)掘っていこうと思う。
○以前に比べれば生きていくことが楽になった。それでも今でも、職場などでの空気、雰囲気で萎縮することがあった。まるで階段の真ん中にいる感じだった。それが、セッションで「発狂」してから、それほどは空気にやられない感じがある。空気にやられるというのは、自分がいちゃいけない、自分を無くす感じだ。そのことが今更のようによくわかる。
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○私が胎児のとき母親が重い荷物を不用意に持って、予定よりもはるか前に、破水してしまった。助産院では手に生えない状態になり、病院に入った。もう助からないだろうと思われていた節がある。そうして生まれてすぐ保育器に入り50日近く一人ぼっちにされた。その傷をようやく直視することをはじめた。でもなかなか乗り越えきれなくている。乗り越えられるのかどうか自信がない。不安だ。
○セッションを始めたきっかけが、産後鬱(うつ)だった時のことを思い出す。自分を見たくて始めたというより、鬱々しているのを取りたくて(排除したくて)いたんだな、と思う。その後もセッションを続けようとすると、胸が苦しい妄想が湧いてきたり、風邪をひいたり、遅刻したり、身体に色々な反応が出た。続けるのが嫌なんだなと思ってきた。それだけ怖がっているんだなと分かってきた。そういえば、私の中学生の息子が学校に遅刻するのと似ているのかもしれない。
○今の自分の状況を絵に描いてみた。描かけたのは黒い小さな「点」。悲しみ、絶望、の涙を流している「点」の私。存在が薄い私、消えそう。その点を、消えそうな私を、拡大して描いて見た。体育座りしている私。背中や胸にたくさんの矢や槍のようなものが刺さっている。抜けない。身体中刺さっている。横たわってどす黒い血を吐いている。生きるエネルギーがない保育器の中にいる自分だ。
○この絵をイメージしてセッションを行った。絵は傷ついた恐怖の絵だと思った。横たわった時に湧いてきた感情は怒り。保育器に長い間入れられ見舞いにも来てもらえなかった。赤ん坊は「荷物じゃない人間なんだ」と。怒りの後は悔しいが出てきた。傷を直視しようとするには覚悟がいる。覚悟すること自体が怖い。怖い怖いと泣いていた。時々絵を思い出すと恐怖が引き締まる。怖い怖いと泣いていた。
○実は、もっと怖い事実がその先にあるのではないか。そもそも胎児期から自分の命は軽んじられていたのではないかという漠然とした恐怖がある。その恐怖を思う時、1歩も足が前へ進まなくなってしまうのではないか。
○その後の瞑想では、無の中に時々いられて、じわじわ、良かったなと思う。いつも泣けないのに、今回、泣けてよかった。
○セッションの後、自分という入れ物の中に自分が入っているのが少し感じられた。
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○セッションでは、閉じ込めた怒りを、感情を伴わずに、イメージで扱っている。怒りがあまりに激しいためかもしれない。それでも進むにつれて、改善が起き始めている。
○セッションでは、保育器が出てくる。新生児の時に、親の都合で長い間、保育器に入れられたことが大きな傷になっていて、その傷の象徴が保育器だ。今までのセッションでは、保育器の外側に両親がいて相談している。仕事が忙しい時なので(新生児=私を病院に)「預けちゃおう」と言う話をしていた。私は聞かないふりをして静かにしていた。しかし、この保育器は私を入れたまま、レールの上を走り、焼却炉へ投入される運命だ。
○今回のセッションでは、静かにせずに、保育器の中で(嫌だと)暴れていた。その状況を両親も見ている。感覚的には(言葉にはならないが)私は「こんなところに入れやがって」と怒っている。
○親の都合で新生児を無慈悲に扱う雰囲気が、別の場面では、祖母が残飯を無造作に窓から捨てる光景につながる。鍋の残りを捨てる。その残飯を捨てるように私は保育器へ捨てられた。祖母から母へ、そして私へと伝わる雰囲気だ。
○私の怒りが燃え上がる。今度は、私の方が捨てる番だ。窓際で母と祖母を捨てようとしている。彼女らは窓枠にしがみ付く。蹴ったり押したりしても、しぶとく、なかなか落ちない。窓の外は霧が立ち込めて見えない。落ちないでいて、ナタがあったので、しがみついている手や足をナタで叩いた。ひたすらやってなんとか外に落とそうとしている。指とか下にバラバラ落ちている。指のなくなった手首だけで戻ろうとしている。許さない。激しい憎悪だ。さらに叩く。もぐらたたきのよう。そんなイメージでやっていた。窓枠から入ってくる手首を外に出した。彼らは最終的にいなくなった。窓の内側に落ちている指や手を外へ投げた。気持ち悪い。
○次の場面では、自分が燃えている。怒りの象徴。灯油をかぶって全身を炎に包まれ燃えるように。燃えている自分を見て母も祖母も逃げて行く。追いかけて抱きついて一緒に燃やす。燃える匂いや髪の毛がわかる。何度もやるが、途中から母親だけは何度も生き返る。しぶとく逃げる。「どうだこのやろう」と怒ってやる。
○焼却炉のイメージと関係があるのか、私は、火の中に入れられても、死ぬまで我慢できる、という気がする。(火だけではなく、私は傷みにも人一倍我慢強い。)私は我慢できるが、抱きついて焼かれるのは我慢できないだろう、この怒りがわかるか、苦しみがわかるか、どうだこのやろうと、そういうことだと思われる。
○出てきた三つの場面とも、激しい怒りがテーマだ。怒りの矛先は母と祖母、特に祖母。普段の生活では、同じような想像をしても、冷静で怒りとかはない。今回のセッションでは、怒りとして出てきた。確かに怒っている。が、全然物足りない。何度もやりたい。
○実生活は、かえって、落ち着いている。我慢している感じはない。我慢しているのではない。前よりも寛容になっている。怒りそのものが減っている。いろんなことに、だんだん我慢できなくなっている。痛みもダメになっている。
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やまなかや
Kと呼ばれる人格を扱っている。Kは、皆殺しや自分殺し母親殺しを一挙に担当する、破壊的な人格。その人格Kが隠れていて、隠れているのに時々、顔を出して、問題を起こす。これが実生活上の問題となっている。しかも顔を出したことを本人が意識できない。Kがどういう理由で存在するのか、存在しなければならないのか、どのようなことがきっかけで顔を出すのか、詳しいことが意識できない。言葉で説明できない。
最近、その人格Kを絵にすることで、意識できるようになった。そして描いた絵をヒントにしてセッションをおこない、人格Kを中心とした自分の闇の部分を解明している。
***************
○セッションで母から首を絞められるのが出てきた。とともに、優しいお母さんが抱っこしてくれる場面が出てきた。抱っこしてくれるお母さんのところに行けなくて、泣くことしかできなくて泣いて終わった。次に母が幼い私に向かって、私のことは「やっつけられないでしょ」と言う。私は動けないしやっつけられない。自分の中の怒りは出てくるが母には出せなくて自分をやっつけるしかできなかった。お母さんはやっつけられない。Kのようには怒りを出すことができない。だから私の代わりに、Kは、怒りを担当してくれるのだ。
○次のセッションで、「抱っこ」(赤ん坊のように抱っこしてほしいと表現すること)をやった。Kが出て来た。他方でKが出ないように引き止める人(別の気持ち)がいる。せめぎあいの中でやった。引き止められながらも前より自分の怒りを出せた。終わったら悲しくなって寂しくなって来て、セッションルームの端の隅の方で泣くのが一人ぽっちでぴったり来た。怒りの奥には寂しさがあった。
○さらに次のセッションでは、近くにKが怒っている絵を置いていて、やった。
寂しくて泣いた。泣き終わったら、お母さんをやっつけた。寂しさの奥にも怒りがあった。怒りと寂しさは重なり合っていた。Kがやる絵のように、母をやっつけられた。母の上に乗って、若いワンピースをつけたお母さんに乗って、(刃物で)胸を突き続ける。感情もない。ワンピースも(血で)赤黒い。手も(血で)ねっとりしている。刺しても刺しても怒りは止まることがない。刺し続けても疲れない。ずっと刺していた。お母さんの表情が、最初は怖い若いお母さんで、そのあとは今のお母さんが出て来て、(その母には)感情がない。もう一つは私を産んだ頃のお母さん。ただ刺し殺している。こんな母親殺しのような激しい怒りを、今まで、出せなかったのを、代わりにKが担当してくれていた。母親殺しの近くには、皆殺しや自分殺しもある。
○そしたら、再び、寂しくて悲しくて泣いた。最初は少しずつ泣いていたが、そのうち遠吠えのように泣けて来た。泣きながら体を動かして、終わりの頃に「抱っこして」と言いながら泣いている。凄く寂しかった。
○その後、自然な感じで、肩はなで肩になったように力が抜けた。静かな中にいた。寂しいけど気分は良い。今まで引き止めていてせめぎあっていたので出しづらかったが、今回のセッションは、引き止めるものがなく気持ちよかった。今までぼんやりしていたお母さんの顔が、しっかり出て来た。
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○セッションを始めたのは、私の子供達への虐待が、止まらなかったからだ。今は、かなり改善された。私の職場での人間関係もやや改善された。それでも私の問題は残っている。奥の方では母との関係だ。表面的には、自分の感情が出にくい。怒りや悲しみが出にくい。感情を出そうとすると恐怖がやってきて邪魔をする。他の人がセッションで本気で怒っているのを見てショックを受けた。自分に足りないのは、あの「本気」だと思った。
○何とか本気になりたい。今回のセッションに参加する準備として、絵を書いた。真っ暗な中にぽつんと小さな子供(自分自身)の絵。弱々しく線だけでできた小さな子供。この絵は、(母に)置いていかれた恐怖だ。背後には母の怖さがある。小さな頃の母のイメージはとにかく怖い。どんなに怖いかを表現できないほど怖い。怖いときの母の顔を思い出せない。感じられるのは心配と不安。絵は、私が3歳の時に、妹が生まれて両親が離婚し、私が置いていかれている恐怖だ。
母に置いていかれた、無視された、そこが一番傷ついている。真っ暗な中に一人ぽっち。母が怒っているのも、真っ暗で一人になっているのも、怖い。置いていかれたのは覚えている。意識がある。わがまま言って置いていかれた。「言うこと聞かない」とお尻叩かれた。多分、母の思い通りにしなかったから怒られた。きちんとやらなかったから。それでもいうことを聞かないと母は「勝手にしなさい」と、行っちゃう。歩いている道の真ん中で。自分が子供達へやっているのと同じ虐待だ。
そのことをグループカウンセリングで話していたら悲しみが出て泣けた。昔のその状況の時には泣けたなかったのではないかと思う。
○セッションで、母から怖い目にあわされたことへ、恨みを込め、怒りを出した。ところが本気で怒れない。恐怖を本当には感じたくないから本気で殺意を出せない。母から傷ついたことを何となくそうだったとは思えるものの、本当は物凄く傷ついたから、怖くて怒れない。怒りを止める。アクセルとブレーキを同時に踏んでいる。怒れないで弱々しく泣いてしまう。怖さを感じないようにしているから踏み込みない。感じられない、感じたくない恐怖がある。本気になれない。ストップさせている。へなちょこな気持ちになって、最後まで行かれないと思った。
○恐怖にドップリ浸かれない。もし浸かったら本当の殺意(怒り)が出てくると思う。本当の殺意(怒り)に行くまで距離がある。
○母への理解もほんの少し進んだかもしれない。母は、怒った時に物凄く怖い。怒って母自身の恨みを出していた。恨みも殺意も全部出して、きちがいになって私を怒っていた。それが怖い。お母さん自身の恨み。親に愛されなかった恨み、夫とも離婚して一人になった恨み、全てへの恨み。お母さんを抱きしめた。怖さの正体がほんの少し見えてきた。
○母に実際に聞いてみたことがある。私のことを「可愛いと思ったことがあったのか」と聞いたら「(あなたは私の)言うことを聞かなかったから」と応えた。「妹は生まれた時は天使のようで可愛かった」という。私は差別され虐められたようだ。
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○グループセッションでは、自分の中に大きなエネルギーが湧き起る体験をしている。その時は強く満足する。しかし後になると、なにか、満足しない部分がある。「絶対一人は嫌だ」という気持ちが強くある。頭にこびりついている。絶対嫌の中身は何なのか、自分でもうまく説明できない。そこを知りたい。
○そこで久しぶりに個人セッションを受けた。私は生後8か月のときに、両親において行かれた経験がある。個人セッションの準備として、置いていかれた時の赤ちゃんの絵を「描いて来て」と言われた。描いてみた。どうしても表情がない。顔が描けない。描くのも嫌で苦しくなった。体と頭だけを描いて持って行った。
○個人セッションの当日では、やはり、「絶対一人は嫌だ」というのが出て、自分に向かってくる殺意や自傷がでる。自分が描いた顔のない赤ちゃんを目の前にして、気持ち悪くて、可哀想でもあり、見ていられなくて、絵をグシャグシャにした。
そのうち、(自分を置いて行った)母に対する恨みと呪い殺す感じが出た。しかし、足りない。殺しても殺してもビクともしない。母を呼んでも泣いて呼んでもそこにはいない。震えるくらい恨んで呪い殺した。私自身とこんな私を作り出したみんなを殺した。隠してきた殺意が表現できたのは前進だ。
○この殺意は娘にも向いた。娘だからと言って手加減はない。昔、私は、産まれた娘に対してのオムツを変えなかった。育児放棄だ。娘は今、自閉的だ。当時は娘なんかいなくなれば良いと思っていた。娘に触れないことで、娘を、私の恨みと呪い殺しから守っていたのだ。赤ん坊の自分と、赤ん坊の娘は重なる。赤ん坊の娘と、自分の顔なしの絵がダブル。苦しい。
○恨みや呪いは表現できたのに「絶対一人は嫌だ」はまだ存在する。まだ満足しない部分がある。死を拒否しているのがあるし、生きるのも苦しいというのもあるし。もがいている感じがある。
○呪い殺す時の気持ちを絵に描いた。暗い背景に二つの赤い目だけを描いた。個人セッションから帰って、その後、その絵を全然見れなかった。しまって置いた。呪い殺す、真っ黒な背景に赤い目だった。何でこんなに純粋な(母を求めても得られずに呪い殺すほどの)気持ちを、訴えてはいけないのか、何で求めたらいけないのか、私はどうしたいいのか、本当に生きることも死ぬこともできずに、もがいて苦しくて苦しくて。瞑想でずっとそこにいる。
○そうしていると、母が彼女のセッションで口にする「何で、何で」が出てくる。母もまた母(祖母)に私と同じような思いがあるのか。それと、寝たきりになってしまった祖母の硬直した手とが出てくる。祖母とも微かに会話が成立するときがあり「どうせ私なんか」という気持ちがあるようだ。あの祖母の姿は自分を見ているようで辛い。(おそらく私と同じような辛さの)思いを出してあげたいが、しかし、そうすればきっと今度は自分が耐えられない。手を伸ばそうとしても(私のその手も)硬い。ドキドキする。親子3代にわたって続くものがある。
○私の気持ちを自分ではどうしようもできない。(母を求める)純粋な気持ちなのに(そんな気持ちをぶつけても受け取ってもらえないことも分かっているのに、引っ込めることなどできず)自分でどうしようもできない。もどかしい。だから(母とは関係のない仕事先の)上司や仲間に、(彼らに失態や)何かある度に、物凄く怒ることがある。何としてもひん曲げてやりたいという気持ちが出てしまう。
○描いた自分の顔の赤い目は何を意味しているか。私が純粋に求めているのに受け取れない母を恨み呪い殺す、何もできない無力な自分も恨み呪い殺す、生まれてこなければいい、何で産んだんだというのもある。死を拒否する気持ちがある。一人で死ぬくらいなら巻き込んでやるというのがある。
○「絶対一人は嫌だ」の中身が少し変わった。それまでは、一人ぼっちの死は、自分が弱くなることなので、受け入れられなかった。弱いのが嫌いだった。だから死が嫌いだった。だから一人ぼっちになるのは嫌いだった。でも今回は少し違った。隠していた殺意を表現できたことで、強くなった。正面切って、少しだけれど、死を受け入れることが起きた。
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○[閉じこもりだった子供は好調。でも・・]
閉じこもりだった子供の回復は続いている。子供は好調だ。問題は私だ。
私が自分の問題に取り組み始めたことで、子供の回復が起きて来ているようだ。しかし本格的に問題に取り組めるのか。全然自信がない。「やりたくない、今が良ければ良いじゃん。」となってしまいそうになる。
子供の閉じこもりの原因を私が作ったらしいことは、おおよそ、了解している。そして、その原因の中へ、さらに一歩を踏み出すのが、とても難しい。原因が作られた幼い頃の自分(私)の事をちゃんと解ってあげたい。そう、頭では思う。だけれど、なんとも心がついていかない。
○ [・・「ありません」と嘘ついて来た]
それは私と母のことだ。
私は自分に嘘をついて来た。(母へ)いろんな気持ちがあったはずなのに、求める気持ちも、辛かったことも、「ありません」と嘘ついて来た。分かってくれる旦那と子供で埋め合わせていた。でも本当には上手くいかなくて、本当に求めているのは、夫や子供でなくて…(母だ)。この部分をどうしても言いたくない。あまりにも嘘ついて来て、そんな自分が可哀想になる。言えない。(母は)頼りになれない。(本当のことを言わせまいと)自分が自分を縛るのが強い。そんな気持ちはダメ、こんなのはダメとか、ぽろぽろ(弱気になって本音を)出すんじゃないとか、心の声が言う。だから本音は言えない(私と母の関係を認められない)。
<少しでもいいから言ってみてくれませんか>「(母に)もうちょっと側にいて欲しい」「遠くを見てないで近くにいてくれないかな」って。「何も言わなくて良いから近くにいてくれたら」「「何もできなくて良いよ」って言って欲しい」・・・。
この本音を、場所を変えたセッションで、改めて言うことになった。
○[・・引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い]
その場所になると、なかなか決心がつかなくて、「言ってもいいかな」と言うと、みんなが答えてくれて心強かった。おっかなびっくりだった。慣れない。本当になれない。まんじりとしない。少し言葉に出すと、(出させまいと後ろへ)引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い。出すと引っ張られる。他の兄弟より「私を見て」と(母へ)言おうとすると、罪悪感が出る。小さく言った。ちょっとは言えたけど、もっと力を抜いて言いたかった。どうしてもあーなっちゃう。終わった後、頭がくらくらした。みんなが声かけてくれて嬉しかった。一人では無理だろう。大変だった。
原因となったであろう母と私の関係。わかってはいるけど認められない。認められない認められないと言いつつ、今回のセッションで、でも、ほんの少し認められた。怖くて怖くてしょうがなかったが、ほんの少しは、言えた。
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納得できなかった謎の答え。
○幼い頃から抑えていた自分自身を解放するセッションを重ね、ようやく心が開いて、大きなエネルギーが出るようになった。嬉しかった。
○しかし、心底から喜べない気持ちがあった。何かどうしても納得できないことがあったからだ。それが何かは説明できないけれど、納得できないことがあるのは確かだった。謎だった。
そこで今度は、セッションで自分を、再び抑える作業をし始めた。抑えたエネルギーが凄いことを今更のように体験した。そしたら昔と同じように、具合が悪くなり、以前のような恐怖が来るようになった。痺れがきて、身体が重くなって動かない。以前味わった抜け殻のような感じだ。そのようにして、自分を閉じる作業をして、そして閉じた。でも、やはり納得がいかなかった。何に納得がいかないのかもはっきり分からないままだった。
○やがて気がついた。親戚の人の母子関係で、子供を「親が勝手に抑え込む」という話を聞くことがあって、そのことが自分の心に響いた。自分は、自分のことばかりやって、自分の子供への加害性に、意識があまりなかったのだ。子供を抑え込んで自閉的な子にしてしまった。セッションで子供への「ごめんなさい」を言った。止まらなかった。いくら言っても言っても言ってもどんなに言っても許されないような、言っても言っても足らない感じだった。はじめて自分が「親」になった。
「抑えた」ということが、自分で自分を抑えていながら、子供にも抑えることをやってしまったという、そこがなかったなと思った。どっちも怖かった。自分を抑えたという被害者も、やってしまったという加害者も、怖かった。今までは被害者だけだった。それが分かった。そして、再び開いて、再び大きなエネルギーが、わき出した。嬉しかった。納得感があった。
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<ある記憶の本当の意味が鮮明になった。>
○長い間、自分の本音というものが分からず、苦しんだ。自分の子供にも嫌われた。背後に、親からの愛情が少なかったことがあるのに、気が付いていた。やがて、「甘えたいだけじゃん」と言う自分の本音に気がついて、生きるのが自由になり、遊びたい心が初めて芽生え、子供の気持ちがわかるようになってきた。それと同時に、ある記憶の意味が、鮮明に思い出されるようになってきた。
○昔あるとき、とりわけ辛いことがあった。その辛い気持ちを紛らわせるために、町を離れ、バスに乗って、自然の中へ行った。3歳の子供の手を引き、赤ちゃんを背負い、そこへ行った。
○そこは、たまたま(と思っていた)自殺の名所だった。今、記憶が鮮明になって、実はやはり、自殺のためにそこへ行ったのだった。そのことが思い出された。鋭く察知した3歳の子供が「お母さんお腹がすいた」と言った。死の縁へ向かう母親(私)を引き止めた。死から引き返させた。3歳の子供は、人の心を観抜きそうなクリッとした眼をした子だった。私は「今日はお昼なんかないの」と言ったけど、しかたなく近くの食堂をさがして食べさせ、赤ちゃんのオムツを取り替えた。その時のことを思い出した。子供達にご飯を食べさせ、オムツを替えること、世話をすることで、はじめて生きられる感覚だった。3歳の子供は「死なずに生きよう」とは言わずに「お母さんお腹がすいた」と言ったのは、そこのことだった。私に本当に生きることは求めきれないが、「世話」を求めることはかろうじて求められる。<本当ニ生キルノハ難シクテモ、私ノ世話ハ、デキルデショウ。ダカラ、オカアサン、ワタシノ世話ヲスルコトデ、今ハ生キテ!>
○私は、薄幸な人生の中で、子供があって生きられた。そして、どれだけ子供にしがみ付いたことか、私にとって子供は救いの神だった。生きるために子供を利用した。子供は、私に自我を潰されて、(怒られなくてもいいことで)怒られて、それでも私に従った。私は、子供にしがみ付いていた自分を隠した。隠していることさえ分からなかった。分かったら、初めて、子供に「しがみ付いていたこと」を告白できるようになった。
○それまで、子供とまともに話すことが出来なかった。子供に「しがみ付いている」ことを観抜かれ(その自覚はないが)、嫌われていることが痛かった。子供と話す時に、子供の目を見れない、目が泳ぐ、話を聞くこともできなくてオロオロしていた。
それが、正面から話が出来るようになった。聞けるようになって来た。逃げないで聞けるようになったのだろう。子供との関係が徐々に改善している。
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諸智:<停滞期「踊り場」>で「(自分探しへの)感覚が遠のいた」と言っていますが、本当に後ろ向きになったのではなく、苦しみながらも、問題に向き合う感じがありました。
林:少しずつ前へ進む感じでしたね。
林:<反抗期を真似てみたら罪悪感が襲いかかる>の「反抗期の無かった」というのは母に対する反抗であって、社会に対する反抗はできていたようです。やはり母親に対するものが重要なのですね。
諸智:重要だけれども、どうしてもできなかったのでしょう。
林:<母親を護りたい気持ちでスタッフに「失恋」>の「自分の会社の社員」に「弱い母」や「理想の母親(女神)」を投影してしまうというのは、ひょっとして経営者には起きやすいことなのかもしれません。幼い頃の不十分な家族関係を、長じて、自分の会社で修復しようとする試みなのかもしれませんね。
諸智:会社を自分の理想の家族のようにしたい、ということなのかもしれません。
諸智:<近づいてくる恐怖>で「アクセルとブレーキを一緒に踏む感じ」とありますが、これもご自身が自分で認識しているのがいいなあ、と感じます。
林:「鉄格子の下にのぞいているピンクのスリッパ」というのは、当時の状況では、目の前に立ちはだかる高い障壁でもあり、自分を開くために動くことのない大きな手掛かりでもありました。
諸智:その高い壁の前で「恐怖」にひるんで「抑え込んでしらけ」てしまうのですが、そのしらけに、幼い自分である「寂しい坊主」を観ることができ、また、前進します。
林:しらけの裏にあるものを観る感性がいいですね。
林:<抑え込みの裏にあった殺意>で「隠れているかもしれない「殺意」は(前から気が付いていた)罪悪感を説明づけるのに疑う余地もなくぴったりきた」というように、「殺意」を自分のものにしましたね。そして「母親や祖母との私の癒着」に対する「猛烈なストレス(怒り)があったことが思い出された」と、記憶もよみがえりました。良かったですねえ。突破口になりました。
諸智:突破口が開いたので、ひとりでに「人生の長い期間抑え込んでいた殺意というエネルギーが沸騰」するのですが、エネルギーを受け止める「心の通じた仲間」が居たのはラッキーでした。
林:そして「必然的に事が進むように準備はすべて整(ととの)」い「自分の中で繋がらなかったものが繋がった」経験をします。「繋がらない」という感覚を既につかんでいたので、この「繋がった」という感覚が産まれたのですね。繋がらないとか、繋がるとか、実は、本当のことを知っているから、生じる感覚だと思いますね。人というのはすごい。
諸智:「この殺意を伴う猛烈な怒りのエネルギーを抑圧する。そうすると気狂いになるんだ。もしも外側に出せれば解き放たれる。・・・繋がった。」ということで、母の狂気も乗り越えた。自分と母の2世代分のしこりを解(ほど)いたと言えそうです。
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対談(632)について(敬称略)
諸智:<予兆:鬼門突破>で「卒業前の中3の自分には
(母親への)殺意というものは取り扱えなかった」というのは、身体は大人でも心の中には中3の自分が居続けたとすると、分かりやすいです。
林:<初めは「二度と来たくない」>の「セッション会場がお化け屋敷に思え」たというのも、中3の子供の感覚だとすると、何やら一致するかもしれませんね。
諸智:その後、よく続けてくれました。
林:<2回目すっきり|心が自由>の「怒りが爆発!」したのだけれど、何への怒りなのかは分からないままで、それでも「すっきりし」「自由な感覚を覚えるようになった」のですから、その後のセッションが続けられたのかもしれません。
林:その後も<心が温まり溢れるように泣けた><幼い寂しい坊主:氷が溶けていく>と次々に、自分の心の蓋を薄くしていくことが起きました。
諸智:一方で<しらける自分への怒り>のように苦しいけれども、自分の問題に向き合い続ける姿勢が崩れませんでした。この人の本来持っている力なのかもしれません。その結果、<しらけは防衛:分かって生き易い>の「しらけの正体は、恐怖から身を護る防衛だった」というように自分を観抜き「変な力みが取れ、生き易くなっていった」と自分で成長していきます。
林:セッションの度に成長しましたね。
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対談(631)について(敬称略)
林:また、大きくヤマを越える人が出てきましたね。
諸智:自分の問題に向き合い続けるというのは、できそうで、なかなかできないものです。
林:<何が起きたのか>の「後々、気になっていた」「それもしっくりこないでいた」というのは、自分の感覚で自分の中を探るというのが、はっきり出ていますね。
諸智:奥の方に納得したいという感覚がある感じです。
諸智:<殺意を強く抑圧し続けるのでストレス>というのは大きくヤマを越えたから分かるようになったことで、超えるまでは分からなかった。ストレスだけは分かっていた。「分厚い蓋」はなんとなく分かっていたが、その原因である「殺意を強く抑圧」していることは分からない状態がありました。
林:その分からない状態で「殺意」というヒントを逃がさず、逃がさなかったので「殺意⇒猛烈な強い怒りのエネルギー⇒母への殺意」ということを観(み)抜きましたね。
諸智:逃さなかったのも、納得したいという感覚の現れのような気がします。観抜いて自分で納得できて、だから、こころが開きました。
林:「自分の中のエネルギーが湧き出す体験をした」ことは、そういうことですね。蓋が取れたと言っていいと思います。
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自分の心の傷を観る作業をしてきて、一つの大きなヤマは越えたのではと思いつつも、次のヤマの前で留まっているのかもしれない、そう思う日々この頃です。
高校生の子供が、自らヨガと瞑想を始めだしました。
子供は(瞑想などをする)私の日常を見て育ちました。子供に瞑想やヨガの効能や時間の使い方の質問に聞かれたら答えるだけで、私は特に勧めてません。
高校生ですが、自分の心は自分でなんとかするしかないんだという所まで、来たんだと思います。私の背中を見ていてくれたのかもしれません。子供と、同年齢の頃の私と比べたら、人生雲泥の差です。私は「自分で」などという心境にはありませんでした。
子供は、小さな頃から耳が悪いのかと思う位、テレビの音を大きくし、私は注意ばかりしてました。子供が瞑想を始めてまだ数日ですが、子供自身が「うるさく感じるようになった」と言って、音量が普通並になりました。
私は「それだけ今まで心がザワザワして集中出来なかったんだね」と子供に言いました。子供は納得した様子です。瞑想で落ち着く感じが「人生初の感覚で、ずっと瞑想していられるかもしれない」とまで言ってました。
自分の心の傷を観ないでいると深くなってしまう世代間伝達(の影響)が、少しずつでも薄らいでいくようにしてあげたい、そう思ってます。
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<停滞期「踊り場」>
(自分探しへの)感覚が遠のいた時期(「踊り場」と呼んでいた)では、「呼吸だけが頼り」と取り組んだり、「何度も同じ話しをして」とアドバイスされ、疑問に感じたけど何度も同じ話をすることが、何度も感覚に触れること、そして回を増す毎に深まっていき、感覚が近づいて来ることも経験した。
そんな風に抑え込んでいた感覚に沢山触れて、少しづつ解き放たれていたことが準備となり、あの息子の卒業式の出来事に繋がったのだと思う。
<反抗期を真似てみたら罪悪感が襲いかかる>
また当時、反抗期の息子が(反抗期の無かった自分にはうらやましくて)眩(まぶ)しく、グループセッションで真似してみた経験が、物凄く気持ち良かった。途中から自分自身になり、思いがけず母を攻撃!する体験をした。事後、罪悪感が襲いかかり、しばらく何もできない期間があった。
<母親を護りたい気持ちでスタッフに「失恋」>
現実社会では、心の中の弱い母を護りたい気持ちが高じて、他の人を弱い母の代わりにしてしまい、失敗する出来事があった。
自分の会社の社員で、母子家庭で女手一つで子供を育てているスタッフを、他人のようには思えず、長い間ずっと見護ってきた。母子家庭を支え懸命に働き愛情豊かで強い母親は私の女神だ。私が幼い頃、家計の足しにするために、映画館でアイスクリームを売っていた私の母親と重なった。そのスタッフがまるで私を裏切るようにして退社した。ひどいショックを受けた。裏切られ捨てられたと感じた経験は、母親から受けた経験と重なり、とても辛く、今でもあとを引く切ない経験だった。まるで失恋だった。
このことで、自分は理想の母親(女神)を求め、自分の寂しさを、他人を利用して穴埋めしようとするところがあるということを学んだ。学んだけれども自分の寂しい心は、簡単には埋まるとも思えず、これからも同じような失敗をするのではないかと、覚悟をして、自分の中に納めた。
<近づいてくる恐怖>
以降、ベビーブレスでは恐怖がどんどん近づいて来る感じを受け、抑え込みが増していた。いつも記憶にあったのは、病院の鉄格子の下にのぞいているピンクのスリッパ。そのスリッパの上の方にあるはずの顔(気狂いの母)が、思い出せず、ブラックホールに見えたりした。恐怖が近づくにつれ、怒りのエネルギーも封印していた気がする。
この時期のセッションでは、終始、自分を抑えていた。何とか自分を開こうと頑張る自分(アクセル)と、抑え込む自分(ブレーキ)を一緒に踏む感じだった。抑え込んでしらけた自分を直後に動画で見たら、そこには寂しい坊主が居た。涙が溢れ出て止まらなかった。
<抑え込みの裏にあった殺意>
自分を抑え込む力に翻弄されていたとき、セッションのスタッフから「殺意」というワードが出て、相当動揺にした。自分の中にある「罪悪感」には気が付いていた。母が病院へ通う時代に感じていた、そして亡くなった今もまだ感じるこの罪悪感の意味が、すこしずつはっきりしてきた。隠れているかもしれない「殺意」は、その罪悪感を説明づけるのに、疑う余地もなくぴったりきた。隠れた「殺意」があるから根拠のない「罪悪感」が生じ、自分を抑え込まなければならないのだ。以後、生活の中で、自分の殺意がチラついて仕方なかった。殺意に関係する、心当たりとなる新しい記憶も思い出されて、殺意の存在はいよいよ確信的になってきた。思い出したのは、私が中3になった以降、就職後の大人になってからも、母親や祖母との私の癒着が続いていたこと。その癒着に対する猛烈なストレス(怒り)があったことが思い出された。
<浮上する怒り>
この頃、現実の仕事でも、とにかく怒りが浮上して、(それまでは抑えることができていた怒りの言葉を抑えられず)言わないと気が済まない状況にあった。心の通じた仲間へ、出せるところへ、怒りを出していた。人生の長い期間抑え込んでいた殺意というエネルギーが、沸騰した。
<整った準備>
この様に、準備はすべて整っていた。必然的に事が進むように。
<自分の中で繋がらなかったものが繋がった>
直近のセッションをした。
自分の中にある殺意は、気狂いの母に向けたもの。その殺意の正体は、抑え込んだ猛烈な怒りのエネルギー。この殺意を味わって・・・。殺意は、自分の中にあり、母そのものであり、祖母でもあり、一体のもの。
「怖い!怖い!」という気持ちが「死にたい!死にたい!」となり、更に「死ねー!」という殺意に変化する。この殺意を伴う猛烈な怒りのエネルギーを抑圧する。そうすると気狂いになるんだ。もしも外側に出せれば解き放たれる。そんな気がした。繋がった。
自分の中にある殺意は母に向けてのもの。しかし母は何としても自分が護る存在。聖域。もし母にそれ(殺意)を向ければ母は死に、自分も死ぬ。その恐怖で(殺意を)抑え込んできた。それ(殺意)が一番怖かった。
しかし(セッションで殺意を)出してみて・・・。(殺意は)自分が母に向けていたように、殺意は(外側の)対象に向けてのものであるが、そうでは無いとも感じられる。対象とは関係なく自分の中にあるもので、抑圧した寂しいかたまり・・・。この最後の部分はがうまく繋げられないけど、重い蓋を少し開けられたことで、安心して怒りのエネルギーを出せる気が今はしている。怒りという色が付いたエネルギーだけれども、このエネルギー自体は、私自身。罪悪感に脅える感覚も、嘘のように消え去った。得たものを更に消化していきたい。
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<振り返ってみて>
<予兆:鬼門突破>
今回の重要なことが起き得たのは、今春息子の卒業式で起きた経験が、とても大きく関係していると思う。
中3の時代が自分にとっての<鬼門>で、これまでものすごく影響を受けてきた。中3で不本意に社会に出なければならず、自分の中にある蓋に、更に、社会に出ることの恐怖が上乗せされ、より強固な蓋になり、自分の人生が中3で停止していたようになっていた。
それが、息子の卒業式で、図(はか)らずも自分の卒業式を再体験し、当時の寂しさと怒りを両方味わい、本当に卒業できた、<鬼門>を突破できた。そんな経験をした。
今思えば、だから必然的に次に進んだのだと思う。卒業前の中3の自分には、(母親への)殺意というものは取り扱えなかったのだと思う。
<初めは「二度と来たくない」>
振り返れば、1番最初のグループセッションでは、終始しらけ、何もできなかった。
終始抑えこみ、その怖さからセッション会場がお化け屋敷に思え二度と来たくない場所となった。
<2回目すっきり|心が自由>
2回目のグループセッションでは怒りが爆発!自分を見失う(気違いになる)経験をし、怖かったけどすっきりしたのだと思う。
2回目以降のグループセッションでは、見失うことなく怒れるようにもなり、それに伴って心が自由な感覚を覚えるようになった。
<心が温まり溢れるように泣けた>
グループセッションやベビーブレスで怖い経験を再体験する毎に解き放たれる感覚になり、寂しいところに触れると逆に心が温まり溢れるように泣けた。
<しらける自分への怒り>
恐怖を感じるとしらける、現実逃避する、ずーっとそうして生きてきた。自分は人とは違う?、特殊?、自分も気狂い?。自分自身への疑問を他人に気づかれないように隠す。
そんな自分がとにかく大嫌いで、やっつけたくて、その頃のグループセッションでは、ベビーブレス中にしらけると、そのしらけた自分に怒りをぶつけていた。
<幼い寂しい坊主:氷が溶けていく>
あるベビーブレスで、しらけた自分の中に居る幼い寂しい坊主に触れた。丸めた毛布が坊主になり、愛おしく、思いっきり抱きしめて泣いた。その後、何度かその坊主に触れ、温めることで氷が溶けていく感じがした。
<しらけは防衛:分かって生き易い>
しらけを克服した。そう思えた。しらけの正体は、恐怖から身を護る防衛だった。そうしないと生きれない寂しい自分。この辺から、日常では変な力みが取れ、生き易くなっていった気がする。
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<何が起きたのか>
今回のセッションで出てきたものが怒りだったのか?何なのか?とても重要なことが起きた気がした。それが後々、気になっていた。
セッション直後の感想ではたしか、外側じゃなく内側に向けての怒りと説明したかと思うが、それもしっくりこないでいた。
<隠れたいた母への殺意>
出てきたものは、強い「殺意」だ。
殺意の正体は、(既に亡くなっている)気狂いの母親に対するものだった。
また、それ(殺意)は、小さな頃からずーっと続く強いストレスの源(みなもと)だった。それ(殺意)は母親に、祖母に、取り巻く環境すべてに対して、うっかり気を許すと向かっていこうとするものだった。
<殺意を強く抑圧し続けるのでストレス>
最大のストレスは、弱い母を(殺意をむけるのではなく)自分が護らなくていけないということ。殺意が隠れているのに、表面の意識では逆に、護りたい。だから殺意は強く抑圧されなければならない。
この殺意が、私の中に強固に存在する抑圧の一番の原因で、それ(抑圧)はまるで分厚い蓋のように感じられた。罪悪感がカチカチに固まってできた蓋だ。蓋に閉ざされた中身は・・・猛烈な強い怒りのエネルギーだった。
今回の経験は、その分厚い蓋を少しだけ開けちゃった経験だったという気がする。事後の物足りなさ(初めて蓋をあけられたものの満足度は2割程度と感じたこと)は、中身の怒りのエネルギーはまだ全く出せていないと感じるから。
<繋がった>
今回の分厚い蓋を少しだけ開ける経験は、考えもしなかったことが突然起こったと感じたけど、思い返して消化する中で、これは必然的に起きたことだと、(セッションからの)帰り道、雨に降られながら繋がった。
この重要なことが繋がった後日のセッションでは、しらけもなく罪悪感もなく怒りを出せ、自分の中のエネルギーが湧き出す体験をした。
続く
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(母から)捨てられる恐怖を感じて、私が閉じ込めた思いは何だろう。怒りや悲しみが少しずつ出てきている。まだまだ出てきそう。
(テレビで)豊田議員の罵倒(する声)を聞いて、自然と心臓がドキドキした。フラッシュバックしたような感じだった。(この豊田議員の例だけではなく)大きな音や声にも命の危険を感じて、ドキドキ、イライラする。大きな音や声は私を殺すものに感じられる。それで私も殺されまいと怒るけど、それは偽り。本当は怒りたくなんてない。本当は怖くて怖くてたまらない。縮こまる心が、どうにもならない。怒りたくなくて縮こまって逃れようとするがうまくいかない。
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ブログ化された私の文章(625)を読んで、(今まで)ずーーーっと苦しかった、と思って涙がでた。自分に嘘ついて生きるのって凄く苦しい。わたしは自分の存在を消そうと頑張ってきたようだ。一人でいる時より誰かといる時のほうがより孤独に感じることが強くなってきた。「わかってよーーーーー!」って叫びたくなる。だれに?だれよりも自分自身に?(グループセラピーの場の)自由は気持ちいいはずなのに、誰かの意識に引っ張られて自由を喜べなかった。私のやり方は?わたしの思いは?譲れない気持ちは?私がそうしたいからする。それでいいのに。それが気持ちよく出来たら素敵なことだと思う(その時は出来ず悔しかった)。
そのことに関係することがあった。職場の仲間に、自分の思いや話したいことを、相手の時間を割ってでも話せた。今までだったら「忙しそうだし止めておこう」と思っていたと思う。そしたら、仲間は手を止めて聞いてくれて「わたしも丁度そのこと話そうと思ってた!」と言ってもらえた。嬉しかった。自分の気持ちをどこまで正直に話せているのか分からないが、「どうしたらいいかわからない」ところも素直に相談でき、一緒にどうすればいいか考えられた。何より話せた後の世界がスッキリして見えた。そして仲間は、私が何を考えているのか見えたことが、どことなく嬉しそうだった。それからは以前は少し苦手だったその仲間とちょっと距離が縮まったような気がしている。
もう一つあった。職場に外部からの講師を招いて仕事をした。わたしの準備が不十分であることに対して講師が苛々していた。わたしも初めてだったので段取りが不十分な事は悪かったと思ったが、「初対面の私に対してその態度は何だよ」「初めてなんだからわからないことだってあるだろ!」「ふざけんなよ」って心の中で怒っていた。悔しくて悔しくて泣きたかった。
口を聞くのもやめようかと思ったが、何とか「初めてでわからないことが多くて、すみませんね。」と呟いてみた。そしたら講師に「そうね、経験ある人(講師)がちゃんと伝えなきゃダメよね。」と言われて、私も相手も少しだけ気持ちが落ち着いた。(講師が)誰かのせいにしているところが、何だか気に食わなかったけど、それでも言ってみて何かが変わった。言えて良かったと思った。
本当の気持ちを伝えようとせず逃げてきた自分がいたから、苦しいし悔しいんだ、と思った。
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この喜びはもうそれだけで十分です。でも説明してほしいようなので、気乗りしなく苦手ですが、頑張って説明します。
母からの無意識に感じる圧力から、更に、自分で抑え何の感情なのか訳も分からずに、必死で抑えていた感じから、少しだけ解放された。だからこそ、日々自分で選択し、私が私を生きることができる。その喜びだと思います。今までと変わらない日常を過ごしているにも関わらず、今までのように「どうせ私なんか!!」とか、「なんで認めてくれないの?」「なんで私の言っている事が理解できないの?」と勝手に相手に求めて、怒りが爆発するというようなことが、なくなりました。何にも振り回されず自分で選択し、自分で生きる。私が、私自身を生きる。そう思うと益々ワクワク楽しくなってきます。もうワクワクが止まりません。
私の怒りは、寂しさや孤独という簡単な言葉で表したくない程の事(この事に少し触れたから私の解放は起きたのですが、残念ながら十分には触れる自信が今もあまりありません)に対して、強烈な叫びを伴って、怒って怒って怒っていたのかもしれません。だから(全く触れることができなかったから)怒りだけでは物足らなかったんだと思います。まだまだ謎の多いこの寂しさや孤独を、私が理解し納得できるように、(私自身で)これからも探っていきたいと思います。
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閉じこもりの子供が回復しつつある。見ていて嬉しくてしょうがない。子供はいつも9時前後に起きるのだが、今朝は7時には起きてきて、8時半頃に遠くへ買い物に出かけたようだ。さっき「帰りは遅くなる」というメールが美味しそうな料理の写真と一緒に送られてきた。ついこの間までは、家から出ない子だったのに。この喜びを元に戻したくない。何があっても(私が自分のことをやって)前に進んで、子供を生きて行かせてあげたい。
私が自分のことを本当にやれるのか正直、自信はない。「いやだ、やりたくない、今が良ければ良いじゃん、その場をしのげれば良いじゃん。」となってしまう。そうなると、子供は家から出られない。そっちも絶対いや。どっちもできない。
でも、子供は生きて欲しい。今までのようになって欲しくない。(私が自分のことをやれず、子供が家から出られない間、実は)私も辛かったから、二人とも苦しい。辛くてしょうがない。悔しい。凄い悔しいし、悲しい。
幼い頃の自分(私)の事もちゃんと解ってあげたい。もう自分(のこと)がわからないまま居るのは嫌だ。自分のことを解明して前進したい。
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最近はよく寂しい気持ちになる。だけど何かですぐに誤魔化すのではなく、寂しいと感じてみる自分がいる。それが嫌では無い感じ。
自宅でする瞑想の前に、吐き気があって、それでも瞑想をはじめたら、前回のグループセッションのイメージが出てきた、その時の感じも思い出した。ここは自由でいいんだなって思った後にものすごく身体が冷たくなった。自由と孤独が繋がるような、そんな感じなのか。うろうろ自分の気持ちを探して瞑想を続けると、恐怖の顔したまま固まって凍ってしまったような自分のイメージが出た。その動けなくなった自分を見て、わたしは怒っている。怒っている自分は自由に動ける。でも、その間身体はずっと冷たい。
孤独を感じると、ものすごい憎しみがやってくる。自分から機嫌を直すなんて絶っ対に嫌で、わたしを孤独にした相手が、わたしの悪態で死ぬほど苦しめばいいのにって思う。もしくは早く死ねばいいのに、って思う。
自分からは心を開きたくない。自分のこと興味もないのに知って欲しくない。だから自分からは話しかけない。憎しみでハラワタが煮え繰り返りそうなほどだけど、本当の怒りや本当の感情とは違う気がする。ただ自分を守って守って守っているみたい。
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いまも母からの愛情を求めている気持ちと、母としてできる限りの愛情を注いでくれたからそれ以上求めるのは自分勝手だと思う気持ちの2つの間で葛藤(かっとう)が続いている。
母は大変な生活の中でも私に愛情を注いでくれたと思う。愚痴を言わず、いつも気丈に笑っている母が大好きだった。母の苦労を私は理解しているつもりだ。
でも今なぜか自分の心は空っぽだと感じる。甘えてくる子供に十分に対応してあげられない。人との距離の取り方が分からない。誰かに親しみを感じて近づきたいと思っても、同時に自制する自分がいる。素直な感情がだせない。社会のルールが優先する。
これまでは社会のルールに従うことばかり考えていたが、今は自分のルールに従うように変わってきている。前回のセッションで、母を求める気持ちを諦めないでと言われ、それがとても印象に残った。
今回のセッションでは、母に甘えたい、抱きつきたい、ひたすら求めたい、その気持ちをやった。頭で考えずに思い切ってやった。「なぜ、何で(愛情をくれないの)」がでてきたと思う。凄く求める気持ちが出て来た。お母さんに「もっと抱っこ!一緒にいて!もっと丸ごと受け止めて!」と言えた。それと同時に怒りが出て来て、怒りの勢いが出て来たように感じた。これが本当の自分かも知れない。
でも、そのセッションの後で、やっぱり空っぽと感じた。求める母がいない(いなかった?)現実をまだ受け入れられない。
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セッションで行き詰っている。理屈では、自分がなぜ行き詰っているのか、その理由は分かっているつもりだ(母親との関係だ)。でも、感覚ではどうしようもない。
恐怖から何とか逃げようとしている、らしい。それも分かった。激しい怒りは今でも出せるけれど、深さがない。満足しない。物足りない。今までのようには、うまくいっていない感じがする。
どうして良いか分からない。このうまくいっていない感じは、喉(のど)に魚の骨が引っかかっているようで気に入らない。何とか骨を取りたい。
でも、実は、この骨を「取ってたまるか」という本音が自分の中にあるのが分かった。
骨を取ったらどうなるのか?怒りを引っ込めて弱くなることか?何もなくなる自分が出てくることか?そういえば、あまり踏ん張るのはやめようと力を抜くと、声がお腹から出ていた。気持ちよかった。そのことか?でもピンとこない。
後日、自宅で瞑想していて、腑に落ちた。凄い気張って踏ん張ったりせず、力を抜いていられるということなんだ。セッションを思い返して、ああ、なるほどと、今更のように腑に落ちた。何かすごいものつかまえてやろう、すごいこと発見しなきゃ、と頑張ってばかりだった。踏ん張ってばかりで、恐怖が出ても浸る、味わうどころか跳ね除けてしまったんだと納得した。
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ハッキリしなかった私の心に届いた。ようやく見つけた。私の本音「甘えたかっただけじゃん」。
ある日のセッションで本気でやれた。それまで、(セッションは)やれば良いんでしょみたいだったが、本当にやれた。その後に出て来たのは虚しさ悲しさ。ワーッと出て来た。その瞬間「甘えたかっただけじゃん」とストンと分かった。子供も私にこんなに甘えたかったんだなと分かった。その後のセッションで、劇の補助役の母役だった時に、やはり同じように、そのことに響いた。
今回のセッションでも同じ本音をやった。納得できた。そして死に響く。甘えたかっただけなのに。この「甘えたい」を隠したのはなぜか。死に近づくからだ。「甘えるとは何事か」「生きているうちは甘えな」「甘えるとはとんでもない」(母が)ものすごい剣幕で私を殺そうとする。
それでも母親に甘えたい。殺されようと、私は甘えたかった。私への殺意があっても、甘えたかった。そのことを味わった。寂しさがあった。でもあったかい。あったかい涙。
これがあれば生きていける。これは譲れない。私にはこれ(甘え)がある。殺されようが譲れない。誰がなんと言われても譲れない。殺されたって曲げることがない。媚びることがない。気持ちよかった。
セッションから家に帰って、今夜こそ、ぐっすり眠れると思った。その通りにぐっすり眠れた。解放感を味わった。今までは、しつこい不眠症気味だった。
次の日は、身体は疲れるけれど心は軽いと感じた。苦手な母の介護もイライラは長く続かなかったな~と感じた。明日、母をまたお世話するのが、ある意味楽しみだ・・・。これも「甘えたいだけじゃん」のお陰だ!私の究極の本音だから。頑張って(母に対する)「いい娘」をやったり(子供に対する)「いい母」をやったりしない様にしたい。頑張りではなく本音とともに居たい。
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母からは本当の愛情がもらえなかったので、せめて、母から褒められることをした。母は私を褒めて利用した。その母も今はいないが、私の褒められて頑張る癖は残っている。
職場では母と同じ年代のようなおばちゃん達と仕事をする。母と似たような相互依存があるのかもしれない。おばちゃん達は私を褒めて利用しようとする。私はおばちゃん達から褒められることを望んで、利用されていることがわかっているのに、その通りにして嬉しく思う。おばちゃん達の中には、息子が結婚して嫁さんに息子を取られた事が気に入らなず、私を息子代わりに、かわいがろうとする人もいる。擬似母子をやっている。自分もそれほど悪い気持ちはしていなかった。
でも、もうそろそろやめにしたいと思う。他者評価よりも、自分で自分が認められる自己評価の方が価値があるように思えてきた。お互い甘えの中でやっていた。みんなを集めて「卒業します」と宣言した。
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今は何があっても日常が楽しく、これからの自分が歩いて行く人生を思うとワクワクしてくる。
今、分かってみれば、昔の私は死にさらされていて、そして死を完全に拒否していた。死にたくなかった。死ぬのが怖かった。生きたかった。どうしても生きたかった。でも、生きたい!!と言っては絶対いけなかった。心の蓋を開けてしまうようで、死に扉を開けてしまうようで、どうしても口に出して言えなかった。でも、私は自分を知りたかった。知って私は自分自身を生きたかった。その当時、セッションで、決意して「生きたい」と口に出して言った。ほんの少し死に扉を開けた。そしたら、なんと止まらない止まらない。この生きたい願望が湧き出した。どんどん口から、いや、お腹から、いや、全身から湧き出てくる。「生きたい」「生きたい」・・・。
この「生きたい」という願望は、同時に、その願望を許さない何かに向かって、激しい怒りのエネルギーとして噴出した。怒りを存分に噴出させることで自分を徐々に回復できる時期が続いた。
やがて、怒っても怒っても物足りないようになった。怒りの奥には恐怖があった。怖くて怖くて本当に怖かった。寂しさや孤独という簡単な言葉では表したくない程の寂しさや孤独だった。そこを跳ね除けるために怒っているようでもあった。
その後に、跳ね除けずにほんの少し味わうことができた。そうしたら堤(つつみ)が崩れるように泣けた。永遠に泣けていられる感じだった。泣けるエネルギーは、怒りと同じエネルギーだが、怒りのエネルギーが小さく感じるぐらい、物凄いエネルギーだった。
この物凄いエネルギーが出てから、今は、いわば毎日が遠足前日の気分で、日々圧倒される気分を味わっている。
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<他者評価から自己評価へ>
母からの愛情が足りなかった欠乏感を埋めるためか、いつも周囲からの評価を求め、他者から褒められることで自分を奮い立たせていたが、それは苦しかった。今、初めて、自分で自分自身を認めることができるようになり、今までになかった充実感を味わっている。
<子供の頃から喝采で麻痺>
思えば、子供の頃から、ガキ大将で気持ち良かった。周りから認めれるので満たされる。「付いてこい」とやると付いてくる。喝采される。喝采で麻痺する。小学校で朝礼の朝礼台に乗って、学校行事のことを話す役、児童会の書記だった。マイクを握って話す気持ち良さ。弟たちの「お兄ちゃんだ」と聞こえてくる。全部こいつら子分だと。
<精神的な弱さの稀勢の里に共感>
相撲取りの稀勢の里のことを、横綱になったあたりから、好きになった。相撲は見なかったのに大好きになった。怪我しながら逆転優勝もした。「プレッシャーでいざという時に勝てない精神的な弱さがある」と稀勢の里が自分自身で知っている。「稽古、稽古しかないとやってた」とインタビューで言っていた。
彼の相撲の事を見ていて、他者評価を求めなければならない自分自身の精神的な弱さ、そして自分の仕事を思った。似ているところがある。
自分は、ヤダ、とか拗ねたりしていても、仕事はルーチンワークとしてずっとし続けてきたなと思た。思ったら自分自身の自信になった。自分で納得できた。他者評価でなく思えた。「何で認めてくれない、見てくれない」という事で「周りからの褒めて欲しい」評価が先行していて苦しんでいた。そういう気持ちもまだあるが、「自分でやっている」と思えた。思えたらお客さんに喜んで貰うのが仕事だが、もっといろんな事をやりたくなった。僕の仕事は調理だから、どんなものを食べたいかと考えて、できるようになった。更に、自信を持ったら、「何をやってもいい、制限はない、自由だし裁量はあるし」と思ったら、どんどんできるようになった。お客さんからストレートに声が掛かる。昨日、「おとうしが美味しい、娯しみにきているだよ」と言われた。毎日考えているし面倒臭いけど考えてやる。
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職場などでうまく自分の気持ちを表現できず、人についつい無視をするクセがあったが、最近、無視の背後に隠れている謎の解明が進んできた。(続き)
〈無視をするとどうなるのか〉
自分の本音をないことにして無視をしていると、ある程度までは、人との関係性は作れるけれども、その関係性が進むとともに、出てきそうになる自分の本音を無いことにしないといけないので、最後には、関係を切ってしまう。シャッターを下ろししてしまう。自分は責任がないと投げてしまって人任せにしてしまう。そして言葉での表現はしない。代わりに態度で示す。他人を無視する。切る。シャッターを下ろす。
〈無視の正体〉
一方で、無視は、自分の気持ちを表現できない私にとって、ギリギリの甘えであり依存であり自己主張だった。
甘えや依存は、本当は母に出したかったけれども、勇気がなく怖いので、職場の上司に出した。積極的な無視をし始めた。核心を突くようなことを言われたりすると、「全く覚えていません。そんなことありましたか?なんのことでしょう?」などど本当にないことにしてしまう。 出し方はすごくハードだが、自分の中では、甘え、だった。
幼少期に母に甘えたことがないので、甘え方がわからず、どうしていいかわからかった。無視という形で甘えをしていた。積極的な無視は、自分がここにいるということの自己主張だった。自分の中に足りないものを、外側に、究極に、求めた結果だったと思う。
〈正体がわかってどうなったのか〉
足りないものを外側に向いて求めていたこと、上司に依存していたことが分かってきたら、実は、母を求めていることが分かり、上司に対する積極的な無視が少なくなってきた。
私は母を求めていた。本音は『お母さん抱っこして』と言ってずっと甘えたかった。お母さんと一緒にべったりとして離れたくなかった。自分を認めて欲しかった。ここにいて良いと…。自分の本音が分かってきた。
〈最近のセッションで〉
最近自分で自分をこのままでいいよ、と認められるようになってきた。そしたら、なんだか訳のわからない自信が湧いてくる。エネルギーを感じる。体が熱い。喜怒哀楽がはっきりしてきた。人間らしくなってきた。愛情もらっていなくっても、また無視が出てしまってもいいじゃん。ちゃんと謝ろう。みたいな変な自信。そんなエネルギーを感じる。自分の子供をまるまる認めていなかったことにも気付いた。
風船のイメージが出た。「そのままでいい風船」の中にいて、母、祖母、息子、主人、父、祖父、兄弟、叔父、叔母、みーんな風船の中においでと言いながら遊んだ。
でもここ(風船の中)にずっといられない。風船が小さくなり自分だけの時もあったり、風船自体が見えなくなっていたりする時もある。ずっと風船の中にいれるようにしていきたい。
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職場などでうまく自分の気持ちを表現できず、大事な場面で、人についつい無視するクセがあったが、最近、そのクセから卒業しかけている感じがしている。そして、自分がなぜそんなクセに陥(おちい)っていたのかが、分かってきた。
〈なぜ無視をしなければならなかったのか〉
私はいらない子だった。母はこどもに意識のない人だ。私がお腹の中にできた時『どうしよう出来ちゃった』と思っていた。妊娠後期になるとどんどん子供が大きくなってしまい、帝王切開になった。帝王切開をするので全身麻酔をしていて本当の意識もなくなっていた。
私が2歳前のときに弟が生まれた。もともと母は愛情をくれる人ではなかったが、兄弟が生まれたことで私に対する意識が更になくなっていた。私の居場所はなかった。大変な母の手をわずらわせないように、私も、手のかからない良い子をしてきた。自分の感情を出さずにとにかく頑張った。男に負けないように、兄弟に母の意識を取られないように、良い子にして頑張った。今でも母は、『手のかからない子だった』と言う。母はそれ以外覚えていないらしい。意識がない。無視をされていた。
母は、良いも悪いも、やりたいも、やりたくないも、気持ちを言葉で言う人ではなかったが、子供の面倒は見たくないし、家事もしたくない、が本音だったと思う。その母に対して、私が本音を言うことはできなかった。言うことが怖かった。そして自分の本音を無視した。本音を隠して、無いことにした。そして頑張った。自分の居場所を求めるように、自分を認めてもらうようにとにかく頑張った。
もともと頑張るのは好きだ。でも、必要以上に頑張らなければいけなかった。結果、仕事では、良い成績を収めることができた。誰もが認めてくれるくらい良い成績だった。それなのに自分自身は全く満足感はなかった。逆に、やればやるほど自信がなくなった。本当にこれでいいのかなー?と。成績はいいが、人との関係性が上手くいった感じがない。表現をして人と繋がった感じがない。本当に自信がなかった。肝心なところでシャッターを下ろして人を無視をしてしまう。上司や部下との関係もそうだった。人間関係を良好にさせることは難しかった。自分の本音を無視し、そして、人を無視した。
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<お父さんに対して私の心が開いた>
父親は大きな手術をした後、現在、1週間に一度に通院している。車の運転もやめた。目が定まっていないから。親父が実家の管理(掃除など)をしているが、十分ではないので、子供達(私達)も休日の時はやっている。それが親父には嬉しいみたい。父ー子供達でラインをして「お風呂掃除終わりました」「(家の)猫が近所の猫と喧嘩して逃げてきました」とか、やる。子供達(私達)の気持ちが父親に集まっている。
私も実家に泊まって「おはよう」と起きて父親の体を摩(さす)る。免疫高めるためにやっている。父は「いいよ、免疫高めなくても、死ぬから」と言いながらでも嬉しそう。
実はこれは母とやりたかったこと。そのことを自覚しながらやれる。嬉しいのは父が散歩するようになったこと。前は歩かなかった。散歩するというのがなかった。今は散歩しながら花や川を見たりしている。感じるように散歩しなと言ってある。ラインで報告がくる。親父が自分でやってくれるのが嬉しい。車に乗らないから、散歩がてら歩いて食材を買いに行く。親父はささやかながら自分の残り少ない人生を楽しみ始めたと私は感じている。
<本当はお母さんに対して開きたかった>
お母さんは自分自身のことを隠して死んでいってしまった。親父とのようにつながる事はなかった。それが今でも心残り。
セッションでは、病室のベットの上で寝ている母が出てきた。死んだら嫌だという悲しい気持ちと、何も通じ合っていない悲しみと怒りが出てきた。母は何も言わないで秘密を全部持って行っちゃう感じで・・。それ(悲しみと怒り)をやれた。
母について、印象としては最後に看取ったのは残っている。最後の最後は覚えている。その時は母親を失った悲しみが大きかった。愛されていたと思っていたから。大事な母を失った悲しみが大きくて死んだ時はそれ(愛されていたと思っていたこと)が出た。セラピーではそれも出たけれど、でも通じ合っていない、母の事を何もわかっていないし、母の事を知ろうとしなかったもどかしさ、悲しさ、が出た。当時はなかった。実際にはあると思う。そういう事がわかった。母が母自身の事を何も言わないのは(私への)裏切り行為だと思う。
<保育器>
私は未熟児で1ヶ月早く生まれた。保育器に1ヶ月入っていた。父が母乳を持っていくと綺麗な看護婦さんがコーヒーを淹れてくれたと、父が私に、しょっ中話す。
母の気持ちは全くない。聞いていない。赤ん坊の私を、気持ちの上で、放置していたのか、と思う。
<母は好きな人がいた>
母は大きな会社に勤めていた。なかなか仕事を休まないうちに、破水して、早く生まれた。自転車で通っていた。母は職場に好きな人がいた。その人は母の葬儀の時も来たみたいな話をしていた。
父は赤ん坊の私を抱いたという。お前が可愛くて抱くと仕事頑張らなくちゃなと思ったそうだ。母は子育てが楽しかったとは、私は感じない。母は毎日淡々と生きていた感じ。自分の人生を生きている感じはしない。だからこそ、父が母のようにはならず、自分の人生を楽しみ始めたことを、私は感動しているんだと思う。
<人生を生きたい>
親父もそうだが、他の人が、自分の人生を生きることに感動する。本当は私自身がそうしたいと思っているんだろうな、と思う。自分で自分を捨ててしまったのが母にあるから。職場のおばちゃんがフラダンスを習ってハワイに行ったり有名歌手を追いかけたりしていて、みんなにそうなって欲しい、と思う。私自身が自発的に楽しむのは一番だけど。本当は、母とカラオケや旅行に行きたかった。思えば、生前の母とは、日常の買い物でスーパーへ行った。1週間の買い物に家族全員の5人で行った。子供達はお菓子やアイスが楽しみだった。でも大人になってからは違うことをしたかった。
<母の母親との関係>
母と祖母(母の母親)との関係性は良くなかった。祖母は母に冷たいし、母も冷たい、喧嘩もするし。母親(祖母)が(母が)子供の時にお弁当を作ったというが、(母は)作って貰っていないという。祖母は農業で畑仕事が先で、家事は後回しだったろう。姑さんもそうだったろうし。嫁いできてからは農業に価値があり、母達が生まれても畑仕事が優先的だというのが見える。祖母も生まれて直ぐに父(曽祖父)を失くし母(曾祖母)も失くし、10人くらいの兄弟で、両親(曽祖父母)ではなく上の兄弟に育てられた。(本当には)親がいない。親からの愛情がない。祖母は(愛情を)貰っていないから出せないので、母も貰っていない。
<母にはできなかった>
今は父親に対して死んでほしくなくて愛情をかけることができる。家猫にも同じように愛情かけることができる。母にはできなかった。
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会話のときに緊張感がある。自由に自分の他愛もない話をしていいはずの場で緊張する。自分の話なんてつまんないし誰が興味あるのか、と思ってしまう。自分の心の中にある考えや感じ方を知られたくないとビクビクする。それで、場の雰囲気をこわさないために、なんとか会話を続けるための手段が必要になる。相手へ質問と相槌をする。自分の番が回ってこないように工夫する。でも、時々自分のことを話すことができる時もある。話せた時は自分を知ってもらえて嬉しい気持ちでいっぱいになる。
そうなることも知っているのに、自分の語れる話題を探すと焦って、見つからず、・・・空っぽ?無?となることが多い。会話が盛り上がっていくことも、いつ、つまらない人間ってバレるかと、怖い。
幼い頃から母親との会話で、深く質問されたことがなかった。気持ちを掘っていくように聞かれたことがなかった。仮に、深く質問されたり聞かれたりしたら、自分がどういう気持ちになるのか?(母だけでなく)わたしも、感動や楽しい気持ちが心に保存されていかれない。それどころか、すぐに出来事を忘れてしまう。語りたいほどの感動が、誰かと共有したい気持ちが、あるはずなのに、湧いてこない。
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母は何に怒っているのか。知りたい。母は気持ちを封印していそうなので、(私が)自分で探るしかないかもしれない。母は幼い時に、小さい兄弟の世話を任されたらしい。「親でもないのに小さい子(兄弟)の世話を任されて、なんで生んだんだよ。子どもとして生きたかった。」という怒りなのかな。好きでもない小さい子の世話をさせられて懲(こ)りたはずなのに、なんで、その後に自分の子供(私)の子育てがよく出来たなあ、と思う。だけどそれこそが母の、母親(祖母)に従っていい子の仮面でしか生きられない理不尽な人生なのかもしれない。
そこを瞑想した。「こんなに周りのために自分を殺して頑張っているのに、どうして私ばかりが責められるの?私だって辛かった!誰がこの思いを聞けるのか!誰も分かるはずない!自分の人生を生きること(本心を話すこと)を辞めたのに、あなた(私)たちが自分の人生を生きようとするなんて許せない。生まれてくるなー!」と母の子宮に私が押し戻されるイメージが出た。
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わたしの母親やよそ様の母子を見ていて、思うことがある。
子どもはどんなにおとな(母親)が間違ったことをやっても、その時は(母親を)嫌いでも、愛情を求めてまたくっつきにくる。わたしの場合も、その子ども(わたし)が(母親を)裏切れないという愛を、(母親に)頼りにされていた感じがする。わたしは母親の顔色を伺って、優しい面だけにくっついてきた。生きるために自分の(本当の)思いに蓋をした。(母親へ)反発しようものなら「いい加減にしろ!ここから出ていけ!」と怒鳴られる恐怖があった。
母親には、「自分(母親)が愛せなくても、どんなに酷(ひど)いことを(あなたに)しても、あなたは愛してくれるでしょ、(あなたは)認めてくれるでしょ。(あなたが)裏切れないの知ってるよ。」そう言われている気がする。
わたしの兄は母親との喧嘩で「出ていけ!」と言われて本当に一度出て行ったことがある。その時の母親は酷く(ひどく)動揺していた。自分(母親)が困ることを(母親は)何故言うんだと不思議でした。(母親は)子どもの言葉を聞いたり、自分の気持ちを話したり、話し合うことができないようだ。自分の本当の気持ちを閉じ込めて話せないのが、わたしの母親だから。怒りに任せるしか方法がないんだ。
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(575)(579)(583)関連
その後、日常生活も楽に(?)リラックスしている感じがします。昔のようには気を張っていないというか、力んでない気がします。
自宅で瞑想していますが、日を追うごとに瞑想が変わりました。瞑想していて、別に寝ている訳ではないのに、1日中(?)何時間も寝たかのようにシャキ~!!!!とするようになりました。今までは、このシャキッ!!という感じはあまりありませんでした。
今は何があっても日常が楽しく、現在も楽しいのですが、これからの自分が歩いて行く人生を思うとワクワクしてきます。言わば毎日が遠足前日の気分なのです。今までは、調子の良いときにありがちだった「あ~いつか終わってしまう…」という感じも、今は全くありません。いつまでも続いていきそうなこの気分に、まだまだ、圧倒されそうです。日々瞑想をしたり、日々感じ味わいながら過ごしていきます。そして圧倒されるばかりでなく探りながら過ごしてみたいと思いますが、この深く探るということが中々できません。「ん~悔しい~!!」となります。でも、もう少しだけこの圧倒される気分を味わっていても「良いかな…」とも思っています。
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<母に腹が立たない>
以前は家で母と一緒にいてもただイライラするばかりだったのですが、今は自分で選んで母と一緒に引きこもっているんだなというのがわかります。そうすると自然と母に腹が立たなくなりました。自分が子供なので、母と一緒にいる(いざるを得ない)のは当然かもしれません。私が母にある程度心を開いているせいか、母は一緒に出掛けると延々としゃべっています。
私はまだ母を受け止めきれる余裕はないので、話は聞いたり聞かなかったりです。母からしてみれば父にも私にも話を「聞いてもらう」ではなく、テニスの壁打ちのように単に話を「ぶつけられればいい」のかもしれません。母は相変わらず自分の話しかしませんし、意思の疎通は殆ど出来ません。
それでも以前のように母に怒りをぶつけなくなったのは、セッションで甘えが出来たからかもしれません。彼女自身も子供ですが、私にとっては甘えたい母親なのです。私がある程度年齢やセッションを重ねたのでこう言えますが、小さい子供だった自分は愛情を受けられずとても苦しかったのは覚えています。子供では対処しきれません(今もなかなか無理ですが)。母が私に甘えてくるのを見ると、「捨てないで!」と言われている気がします。(*お母さんは変わっていないけど、本人の内面がどんどん成長しているように思われる。)
<依存から寂しさへ|「一人」を受け入れている>
寂しさや独りぼっちを味わう感じは続いています。本当に一人だと思います。普段の生活でも瞑想している感じです。私自身「深いところ」と言うのははっきりとは分からないのですが、辛いけれど寂しいところにずっといたいなと感じています。もともと人(友人)を誘ってもタイミングが悪かったり、相手に一緒に遊ぶほど親しくないと思われる程度の人間関係しか築けなかったので、一人を感じるには丁度いいと思います。SNS中毒で毎日何かしらを発信しないと気が済まなかったのが、今はSNSを見てもいません。SNSをしていると余計に自分が一人だと感じられて辛かったのに、無理やり誰かと繋がっているつもりでやっていたのが、今ならわかります。私は一人です、そのことに真摯に向き合うときなんだと思います。そちらのが性に合っている気がします。
(*「一人」を受け入れ、その方が気持ち良いと感じている。何かに依存している時はわからないもので、半年前は考えられないほどのことのように、思われる。)
<自死について>
最近、妙に死が近いです。自分の後ろにべったり張り付いている感じがします。自死したいわけではないのですが、寂しさ=死を見つめている感じがします。過去に2回自殺未遂をしたときは、自分ではなく他人に絶望して死のうとしたんだと思います。今の自分に絶望しているか?と聞かれたら、死にたいほど絶望はしていないと思います。これから自分と向き合って本当に自分に絶望するときが来るかもしれません。それでも自ら死を選ぶのか?はわかりませんが、自分に絶望しても死は選ばない気がします。
(*「死」に向き合えば本当に生きられると思われる。不思議なものですが。)
<中絶について>
今までは(友人などが)中絶するんだと話をしても「へぇ~」くらいの感想しか持ちませんでした。今、自分のお腹に子宮内膜症の痛みがあり、自分のなかに小さな自分が生まれた、と感じています(本当には産まれませんが)。その小さな自分のイメージのせいか、同じような話を聞いて、とてもショックでした。話を聞いていたときに「やはり私は要らないのか!捨てるのか!」と小さい私が言ったので、ずっとこんな所(子宮内膜症の治療のための病院)に連れてきてごめんとお腹をさすっていました。彼女(小さな自分)には悪いことをしました。
あまりにもショックだったので母に話したら、中絶は「その人の都合だから仕方ないよね~」とそっけなく言われたので(セッションで、そうじゃないかと感じることがあったが、やはり)母は私を降ろす気があったんだなぁと思いました。セッションで感じたことは本当だったのかもしれません。人の命はそんなに軽いものなのでしょうか。話を聞いてから気持ちが悪く吐き気がします。自分が母に拒絶されているみたいです。
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<表現できた人格>
自分の中に、破壊を担当する人格があったが、なかなか今まで、その人格をセラピーの場で表現することはできなかった。今回それができた(*1)。3歳の女の子だ。名前をKさんという。まっすぐで自由で活発で強い性格だ。強いので、辛い記憶を一身に受け持ってくれるが、辛い記憶を原因として、破壊の衝動がある。
<なぜ表現できなかったか>
自分が幼い頃に母親から殺されかかったことが認められず、人格をかい離させて、対応したらしい。頭では分かっている。でも、今も完全には認められない。
Kさんの存在自体も忘れて、無いことにしていた。何故、忘れ、無いことにしていたのか。Kさんを忘れていれば母から殺されることも忘れられるからだ。Kさんが居ることになれば、セラピーの場の皆んなや母親を殺してしまうかもしれないからだ。だからKさんをやっつけ無くしてしまいた自分もいる。Kさんを殺したい。Kさんが自分の一部だと認められない。(自分一人の時などは)時々出てくるのに、認められない。Kさんを認めてしまったら怖い。気が狂いそう。凄い怖い。Kさんでない部分(主たる人格)の自分は、弱っちくって、辛くて、ガクガクする。弱くて、母から殺されることを、引き受けられない。
<その人格の気持ちは?>
おっぱい。おっぱいちょうだい。おっぱいが欲しいだけなのに。まっすぐにお母さんの愛情が欲しかっただけ。おっぱいの中身がなかった、空っぽだった(*2)。空っぽで何もなかったので母の乳首を噛んだ。殺されるのは出てこない(*3)。貰えないのは嫌だ。だから(母親を、みんなを、宇宙を)やっつけちゃう(*4)。
<あなたの今の気持ちは?>
空っぽのおっぱいを持っていると安心した。空っぽのおっぱい。これがあれば生きていける。大切な空っぽのおっぱい。「空っぽだ」と言うのがいい。愛情がない。何もない。今までは「ちょっとはあるだろう」と思い本当には認められなかった。「愛情がない」ということ、「ない」のが事実。おかげで、ちゃんとしなくて良い。楽になった(*5)。
Kさんは、母に愛情がなかったことを受けたら、気狂いになるしかなかった。気狂いだけど気狂いじゃない。どうしようもなかった。
(*1:セラピーの大きな一歩になると思われる)
(*2:実際のおっぱいは出すぎるほど出た、と母親は証言する。過剰なおっぱいの中には愛情がなかった、だから「空っぽ」だったという意味に解される。)
(*3:Kさんの人格で母親から「殺される」ことについての気持ちが未だ「出てこない」が、これは人格の統合作業が今からであるということを示しているように思える)
(*4:小さな乳児にとって母親は全てでありみんなや宇宙を代表するものなので「やっつけちゃう」ことは対象が特定されない抽象的な「破壊」になる)
(*5:「ちょっとはあるだろう」と思い「ない」ことを否定しながら生きることは辛かったが、「ない」事実を受け入れることができたときに初めて生きることが「楽になった」という意味にとれる)
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<子どもへ納得できない理由の指導がツライ>
セッションを受けて時間がたつが最近気づいたことがある。
仕事で子どもと居ることが多い。すると自分が子どもであるかのような感覚になる。大人らしい振る舞いが苦しくなる。だから何か指導することに抵抗がある。これしちゃダメあれしちゃダメがつらい。納得できる理由がないとツライ。言葉に力が入らない。自然なことかもしれないが・・・。
<泣けない平和主義者>
いつも悲しみが出てこない。涙を流すときは悔しい、怒ってる。小学生の時に面白半分でばい菌扱いされた時、ひどく傷ついた。悲しくても顔を歪ませて笑ってた。本当はすごくすごく泣きたかった。そうしたら友達や先生もわたしを助けてくれたかもしれないけど相手が非難されたり怒られたり、今度は相手が傷つくことを知ってたから、我慢した。どんだけ、平和主義のいい子なんだか。
周りに遠慮しなければ、私は生きられない。いい子でいなければ生かせてもらえなかった。わたしの悲しみはわたしだけのもの。周りがどうであれ、あの頃の自分に泣いていいんだよって、言いたい。
<背後に死?>
小さい頃、水が怖かった。今もそれほど好きではない。のびのびと身体が動かない。胎児の頃に何かあったのかと思うくらい。
自分が死ぬことは異常に怖い。けれど他人の死は、怖いというより神秘的だと思う、曽祖母の時も、叔父の時も、悲しい気持ちは不思議と感じない。感じられないように蓋をされている?。母の死だけは怖かったけど、今は前ほどではない。
兄(引きこもりが続いており壊れやすい感じがしている)が死ぬことは前より怖い。わたしが近づいたら精神的に何か作用して、死んでしまうんじゃないかと思って近寄れない。わたしがダメージに耐えられそうにないので近寄れない。
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セッション後の報告
<自分はおしゃべりで積極的ではなく、実は独りぼっちで人と接するのが怖く寂しい>
以前にもお話しましたが、私はおしゃべりで積極的な人間だと思い込んでいました。それは本当の自分ではなくて、人の輪に入るのが苦手で喋るのも苦手です。前は人の話に割って入ってでも喋らなければ!私の存在をアピールしなければ!と思っていました。いまは、人が喋っているのを邪魔するのは悪いなぁとか、私が喋りたいことは話の流れを無視しているから黙ってようと思うようになりました。その代わり?なのかはわかりませんが、誰の心にも私の存在なんてないんじゃないか?本当に独りぼっちだなと思います。その原因が、自分が壁を作っているからだというのも分かります。自分が必要とされていない、甘えられない子供なので、人と接するのが怖いのかもしれません。ちゃんと甘えたり自分のことが分かれば、この寂しさは改善されるのかもしれません。以前よりは耐えられていますが、まだ寂しいのは辛いです。
<自分の内面に向き合う>
以前はセッションを受けると、どんどんやるぞー!!とやる気に満ち溢れることが多かったのですが、今回は少し違います。ぼんやりしているとも言えますし、穏やかともいえます。誰とも繋がっていないなかで、より自分と向き合いたいと思っています。今までは好きだったSNSやサッカー等の外界の刺激が、鬱陶しいと思っている自分がいます。心をかき回されたくないのです。仮想世界でも良いから誰かと繋がっていたい!とSNSやサッカーに依存していました、本当の自分は独りぼっちなので、それを認めないことには先に進めないと思います。こんなに自分の内面に向き合っているのは初めてです。自分が精神的に弱いから、どうしても外界の刺激に流されてしまうのです。サッカーは嫌いになった訳じゃないので、自分が精神的に落ち着いたらまた見に行こうと思います。
じっくり自分と向き合おうと思います。
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問題は脳の障害が原因であって、心の傷が原因ではないとする傾向があります。器質的な問題なのだから、心因性の問題ではないとする傾向です。A(脳)だからB(心)ではないということです。
この傾向はだんだん強くなっており、例えばLD(学習障害)や ADHD(注意欠陥多動性障害)も脳などの機能障害(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/004/008.htm)とされるようになっています。LDや ADHDの子供たちは、別学級に入れられ、薬を飲まされ、通常の教育のルートから外されようとしています。これらの問題のある子供たちの数は多くなり教育の現場で手に負えなくなっているようです。脳(臓器)の問題であれば教育の問題ではなくなり教師は責任から逃げられます。親も面倒な子供の問題から逃げられ職場の仕事に専念できます。本人自身も、自分の心臓や盲腸等の内臓の病気に責任が無いように、責任から逃げられます(薬は飲まされてしまいますが・・)。
このA(脳)だからB(心)ではないという傾向は、脳科学の発達に従って、ますます広がっていくかもしれません。ぐずって親の言うことを聞かない幼い子供から、重大犯罪を犯す大人まで、広い範囲へ広がることと思います。
しかし、このA(脳)だからB(心)ではないという傾向は正しい方向なのでしょうか。セラピーの現場では全く違う感触を得ています。劇的に回復する例などを見ていると、とても脳の傷などの障害と片付けられません。
A(脳)だからB(心)ではないという判断自体も間違っているのではないでしょうか。例えば、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)は外部(災害、事故、暴力、戦争)からのストレスが心に傷を及ぼしたものであることに間違いありません。しかしこのPTSDにも脳の変化(委縮や炎症)が見つかっているらしいのです(http://news.mynavi.jp/news/2012/05/23/030/ http://www.excite.co.jp/News/it_biz/20120523/Cobs_ie_201205_ptsd.html)。この「心的外傷」は心を傷つける意味です。「心」であっても「脳」に変化が出るのです。A(脳)だからB(心)ではないという判断ではなく、AであればBの可能性も排除できない、という判断も必要なはずです。
脳科学の発達によって、それまで心因性(B)のものと考えられていたものが、脳(A)の障害として研究されるようになると思われます。激しい失恋も脳に変化を与えることが分かってくるかもしれません。そのときには、B(心)だからA(脳)だ、ということにもなると予想されます。心が問題を抱えていれば、当然に脳も問題を抱えているでしょう、となるでしょう。
仏教には心身一如という見方があるそうです。心と身(体、臓器、脳)は一体という意味にとれます。これは、まさにセラピーの現場の感触と同じです。
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<子供の閉じこもりと、自分と母親の関係>
長年の閉じこもりだった子供に変化が起き始めたのは、私が自分の母親との関係をやり始めた途端の変化だと、言われる。でも、私には、そこのところは理屈では分かっているが、ぼんやりしている。
<怒りから母親へ、そして恐怖と死へ>
セッションでは今までは激しい怒りが中心だった。この怒りは母に関係しているらしい。そこでセッションで母のことをやろうとする。すると、恐怖が出てくる。何もない恐怖。愛情を貰ってなくて空っぽで生きている。死が追いかけてくる。母と一体になって死にたかったのに、死なずに生まれることを選択したので、生き続けるにはその死は観ちゃいけない。でも観なくても、その死は無くなったわけではないので、追いかけてくる。母のお腹の中だとそういうことだったのだろうと思う。生まれてしまった今でも、その死があるから「怖い」のか、と思う。
<死の願望と死の恐怖>
死が怖いのに、なぜ死にたいのよ、と考えていた。死の選択もできたのに生まれた。生まれることを選択してきたので、死をないものにしてきた。自分の中ではそこ(死)に行きたいと思ったのに(死は)ないことにしていた。それでも生きなきゃ行けないから怖いのか。恐怖に居られないから怒るが、逃げるから(恐怖が)追いかけてくるから、嫌で嫌で怖い。死をないことにしているから怖い。恐怖からなんとか逃げようとしていたんだと初めてわかった。世紀の大発見だった。
<行かないで>
この恐怖を扱ったセッションの中で、思わず出た言葉がある。「行かないで」という言葉が出た。それは自立しようとする子供へ発する本音のようでもあり、自分の幼い頃に愛情を貰えないまま行ってしまおうとする母へ発する隠されていた本音のようでもあった。閉じこもりという現象の謎を解く鍵を見たような感じだった。
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これまでの1年は、グループワークの効果もあり、とてもセラピーが進んだ1年であった。調子良く成長し満足感があった。
ところが今回のセッションはその満足感がいっぺんに吹き飛ぶような、悔しさに満ちたものとなってしまった。その悔しさから、セッション後のグループカウンセリングでは、怒りが湧きおこり「愛情の欠片(かけら)もないこの場を壊してやろう」とさえ思った。
でも後で考えると、セッションの途中で、苦しさ(湧き上がる死への恐怖)に耐え切れず、途中で逃げ出してしまった。また困難から逃げ出してしまったという、自分に対する悔しさであると感じた。
あれから1週間あまりが経過した。直後はだいぶ気持ちが塞(ふさ)がっていたが、激しい悔しさを味わった割には、意外に自分が元気であることに驚く。仕事中に湧き上がるウキウキ感には戸惑ってしまうほどだ。また、(職場で怒るべき場面では)人に対してハッキリと怒りを出せた。とっても気待ちが良かった。
思い返してみると、苦しかったセッションは幼い頃の困難(虐待)に伴う心の傷の再体験をしていたのだ。1週間あまりの間、自分に対する理解は案外すすんだようだ。かつて困難に直面した時に逃げてしまった自分。今でも困難に立ち向かえない弱い自分。それらの事を本当に悔しいと思っている自分。自分に対する強い怒りがあった事を理解した。この怒りを抑え込んで生活していることを考えると、日頃、自分自身に抱いている気持ち悪さにも、説明がつくように思える。
この1年、調子良く成長してこられたのは、セッションで感じた恐怖や、自分に対する憤りと向かいあうための準備であったと、今は思える。
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<聞き分けのいい子>
私は、親の手をわずらわせないように我慢して聞き分けのいい子をしてきた。その延長で今まで、職場や家庭でとにかく頑張った。
<甘えかたがわからない>
幼少期に母に甘えたことがない。ベタぁ~ジトぉ~という甘えをした記憶がない。甘えのイメージとしてはメイプルシロップの様にベッタリとすること。そんな甘えへ憧れを持つ自分の中の自分にメイプルちゃんと名前をつけた。幼少期にベッタリと甘えることは必要なことで健全なことだ。でも自分は甘えをしたことがないので、そもそも甘えかたがわからない。
<甘えを押し込めて無視をする>
甘えている人をみると腹が立ってしょうがなかった。初対面でもべたーと来るような人には、思わずシャッターを下ろす。それどころか、イライラして怒ってしまう。無視をする。自分の甘えたい気持ちを無視して、心の奥底に押し込めていた。そのことに気づくチャンスは沢山あったけれども、いつも忘れてしまうことが多い。
<甘えられない訳>
甘えることは(メイプルちゃん)本当は自分が一番やりたかったことだった。甘えたいと思っているけれども怖い。甘えの欲求を(母に)受け入れてもらえないことがわかっている。無視される。無視されるくらいなら、言わない方がいい。表現しないで黙っていよう。その気持ち(甘えたい気持ち)を押し込めて無いことにしよう。無視しよう。
その奥には、自分の存在を否定される怖さがある。否定をされることは、自分は「いらない子」になってしまうことだ。そこを認められなくってメイプルちゃんを我慢して、無視して生きてきた。でも、その気持ちに気づいたらメイプルちゃんを無視できなくなり表現してみたくなった。
<お母さんとバイバイして弾けた>
セッションをした。母に疎(うと)ましく思われているのは知っている。だから何があってもお母さんから離れない。離さない。しがみついた。お母さんと一緒になる感じがあった。そうしたら(できなかったことがやれて受け入れが起きたのか)自分から手を離しバイバイした。そして死んだ。お母さんとバイバイした。自分からバイバイできた。
その後、自分が泥団子になった感じでコロコロ転がり、バ~ンバ~ンと弾けた。
母から離れて初めて自由になった。メイプルちゃんと泥団子は自由な感じ。
<そのままの自分でいいんだ>
後日の自宅での瞑想で、「そのままの自分でいいんだよ」と自分で自分をOKを出せた。「そのままでいい風船」に入っていて守られている感じで安心している。体の中が熱くなってパワーが湧いてくる。「風船」がどんどん大きくなってきて中で自由に遊んでいる。
「そのままでいいよ」と何度も言いながら瞑想していると、小さい自分が(2歳くらい)出てきて、その子の(幼い自分の)頭をなでながら「そのままでいいよ」と言っていると、どんどん自分が小さくなり胎児になって人間の形もない位いの胎児になって、なでなでしていた。涙が止まらなかった。
<子供がいとおしい>
瞑想を終わって隣で寝ている子供をみて(いとおしくて)、又泣いた。「そのままでいいよ」と言いながら…外側の事ではなく、子供そのものを肯定していなかった事に気づいた瞬間だった。それからいとおしいと言う気持ちが出てきている。ホントに「そのままでいてほしい」と思う。親の言うことを聞いたり、自分のやりたいを無くしたり、表現しなかったりなど、が今までの自分であれば、その自分とは真逆のことが「そのまま」ということだ。
<職場でも自然にやれた>
その後、職場で、頑張る感じではなく自然に伝えよう、伝えたい、という気持ちが出てきて、職場の新人に自然な指導が出来るようになってきた。これだ。自分が大切にしていることが分かった。改めて確信が持てた!!その気持ちを伝えていきたいと感じている。
<家族とも改善>
子供はリアル。私が少しずれていると、態度が変わる。それを見た私が、ずれているんだと思い返すきっかけをくれる。こっちがまっすぐでいると真っ直ぐに返してくる。今回もそうだ。ホントにリアルだと感じる。
旦那に対して、(今思えば)上から目線でのものの言い方だったが、優しくお願いすることができたりしている所も出て来た。
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長年の閉じこもりだった子供Yに変化が起き始めた。凄いスピードで変化している。私(母親)が自分の母親との関係、自分の傷は母親から来ていること、をやり始めた途端の変化だと、言われる。でも、私には、そこのところは理屈では分かっているが、ぼんやりしている。
しかし変化は起きている。Yの変化について行くのが大変だ。今まで、全く外出せず、散髪もままならなかった。他人に接するのが嫌で宅配便も受け取れなかった。それが、時折、夜間で私たち両親連れだが、外出してコンビニに行き買い物をするようになった。
そうしているうちに、昔の友達とメールで、会う約束をした、と言う。友達と会うための準備が始まった。長年の使用で傷んでいたメガネを変えることになった。買って来たメガネを喜んで受け取った。何日か後には、一緒に買い物に行った。靴を買った。帽子も買った。初めて買い物が「楽しかった」と笑いながら帰ってきた。
友達と会う当日は、朝から普通に起きてきて「行くんだ~」。遠くの大きな駅まで送って行くよと言っても「近くの駅でいいから」と言われる。その近くの駅へ送ったときに、閉じこもり以来はじめて「行ってきます」とニコッと笑った。新しい帽子かぶって、「かっこいい」と夫婦でつぶやいた。
その日、会うのは男女混合の数人。昔の学校の友達。食事をしたレストランの料理の写真がスマホに来た。夕方、「遅くなる」というメールが来た。私はきっとYは、両親の同伴のない一人で行ったので疲れ、友達と別れて帰る途中で、ネットカフェにでも休んでいるんだと思った。私「すごくさみしいんだYがいないから」と夫に言えた。Yはなかなか帰ってこない。夜も遅くなって帰って来た。喋ってくれた。友達とボーリングに行って、それから、また食事に行ってお酒を飲んで、カラオケ行って歌えた。フルコースだ。すごい…たまげた。
後日、私たち夫婦で外出した留守に、Yは、たった一人で散歩に出かけたらしい。夜ではなく、昼間一人で1時間半歩いた、という。私たち夫婦が夕方家に戻ると、Yは、夫婦の外出には参加しなかったけれど「食べには行くよ」とさらっと言った。「寿司がいい」と言うので気楽な回転すしに行った。家族で外食なんて何年ぶりだろう。その次の日も、「今日は何がいい」と言い、焼肉に行った。まるで当然のように、行った。
また次の日も、Yと一緒にショッピングに外出した。その後、Yは一人で散歩に行った。さらに次の日も、一緒に外出し、何軒も買い物をし、喫茶店やレストランに入った。レストランではちゃんと注文が顔を見て大きな声で言える。帰宅してからは、一人で散歩に行った。夜も一緒に散歩に行く。そんな日が続いた。
外出は車だったが、そのうち、多くの他人の目に触れる電車でも外出するようになった。閉じこもり以来、はじめて親戚にも会いに行けた。普通に挨拶し自然な会話をしたのに驚いた。
Yに急激な変化が起き、大変な事態になっていて狐につままれた感じがしている。普通に育った子供なら当然のことなのだろうが、一つ、一つできたことが嬉しい。
レストランなどにはいろいろ行けたが、ただ未だに、食べ放題は、お皿を落としてしまう妄想にかられてしまい、ちゃんとしないといけなくなるから嫌だという。ちゃんとしないと「ダメだ」と私が育てた。
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ベビーブレス(弊所開発のブレスワーク)をやっていると、多くのブレスワークがそうであるように過去世を扱うのか、過去世はあると思うか、という問いに出会います。
過去世や来世の考えは私たちにとって独特の魅力があります。過去世があるのであれば、実際にこの現世があるのですから、来世もあり得ることになります。そのため、心の奥の究極で私たちを苦しめる死の恐怖を、弱めることができることになると思われます。死んでも来世があるのです。結局、死は無くなるのです。死は慰撫されます。そういう効果があるようです。ブレスワークを通しての過去世や来世の体験が、仮に脳の作用として味わえるだけのものであっても、この効果は否定できません。おまけに、来世はない、とはっきり証明できる人はいないはずです。
しかし過去世や来世の体験が与える慰めは、微かな香りのようで何とも物足りません。この現世で現実の死に対峙し、現実の死と現実の生の合一を体験するときの強烈な、圧倒される満足感とは、とても比較になりません。この現世で十分すぎるほど十分なのです。
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セッションがそれまではうまくいっていたのに、何度やってもうまくいかなくなることがあります。うまくいっているときはご機嫌でも、そうでないと不愉快になってしまいます。誰かのせいにしたくなり、無駄をしているように思えます。
でも少し待って。うまくいかないときにこそ真剣に対応することで、それまでになかった成果が、見えないところで密かに築かれているかもしれません。実は、本質的な大きな問題が解け(ほどけ)かかっているのかもしれないのです。
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本当は知りたくなかった。少しずつ納得することがある。母親が私の存在を否定していた。否定されて大きくなった私は、まるで仕返しのように、私自身の子供を否定した。子供は無力で、それでも私にすがり付こうとした。私は許さなかった。やがて、子供に問題が起きてきた。私の言うことを聞かない。学校に行かない。子供にとって母である私は加害者だ。でも、その前に、私は私の母親からの被害者だ。被害としての傷が疼いて私の怒りが渦巻き、加害を詫びることはできない。
私の正直な気持ちは、この怒りだ。どうしようもない。この傷がいやされる前に誰かに詫びることはできない。そんなことをしたらウソになる。知る前はウソの人生だった。知った後に、またウソに身をゆだねるつもりはない。子供への愛情なしということになるが、それでもウソよりは増しだ。
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セラピーを始めて、いろいろのところで、すこしずつ余裕が出ているかもしれない。飲み会で出会った人とやり取りをしていて、会話しているのもしっくりくるので「いいな」と思う。恋愛したいとかも感じている。
でも嬉しい反面、怖い。傷つくんじゃないかとかネガティヴに見ちゃう。父親の関係も意識するというのがある。いつかのベビーブレスで、お父さんが「憎たらしい」気持ちがあった。けれど、そこまで憎いのかと思うと、実は「大好きだった」という気持ちに気付いた。(お父さんは私の)そのままの存在を、良い悪いでなくて、そのままの自分の(父の)側にいさせてくれた。(幼い頃に母と離婚したので長く会っていないが)会って見たいという気持ちが出てきた。
いろんな人と会うけど愛せない。お父さんを超えられる人がいない。お父さんを大好きという気持ちがあるものの、(離婚のときのように私が)置いていかれる寂しさとかが傷になっていて「嫌だな」と思う。今までも(恋愛が)ダメそうになると(本当にダメになる前に)私から振る。置き去りにされるなら自分からにする。
何で別れたかもぼんやりしている。周りのせいにしている。分かりたくないのかもしれない。
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セラピーを何回か受けて自分を取り戻す方向へ向かっていると感じています。原因は母との関係のようです。しばらく会っていなかった母と会いました。
母親には、二人で出かけた際に話しをしました。自分の「心へ向き合うことがどれ程大切か」とか、(わたしが幼い頃に母と離婚した)「父さんに会いに行こうと思っている」「なぜお父さんと結婚したのか」など、今まで話せなかったようなことを、一気に話しました。母は何を言っても、響いていない様子でしたが、とりわけ母が感情的になったのが、「明るいところばかり見ていると心から人と繋がれないんだよ」「苦しみや悲しみも認めなければ・・」とわたしが言った時です。耳を塞ぐようにして「そんな人生あーやだやだやだ!」と言って、「全部わたしが悪いって言ってるんだよね。そうですよ、全部わたしのせいだよ。」とひねくれた態度で反撃してきました。
「そうは言っていないよ、、」と強いて穏やかに言ったところで無理でした。逆にわたしは今まで出せなかった怒りが出て、「みんなが苦しいから救おうとして言ってんだよ!!ちゃんと心と向き合おうとしないからみんな苦しんでるんだろ?わたしの人生ぐちゃぐちゃだ!どれだけ必死になってやってると思ってんだ!ふざけんな!!もう一緒には居たくない!」と心から怒れました。「ごめん」と母。外出中にも関わらずわたしは涙が止まらなかった。
その後も「もうわかったよ。全部わたしのせいだよ。」と母は言っていました。それがあなたのわかったことと言うならなら、本当には「わかってない!!」と私のイライラは止まりませんでした。話が噛み合わない。会いたいと心から思えるまで、会いたくないと思いました。とぼとぼ泣きながら帰るわたしは7歳のようでした。
「全部わたしが悪いって言ってるんだよね」と母に言われたときに、そうだ、お前のせいだ!というのが本当の私の気持ちだったのに、「そうだ!!!」とは言えませんでした。
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私には、どうしても、すぐには思い出せない記憶がある。自分自身が持っている殺意に関係する記憶だ。思い出せないのは、どうやら、その記憶を受け持っている別の人格があるためのようだ。その人格をに出てきてもらって、なんとかセラピーを前進させたい。ところが、それがうまくいかない。
その人格が出てこない理由を探った。その人格は宇宙全体を破壊したいというような皆殺しの殺意を持っており、出てくると、周りや社会に迷惑をかけるから、と思った。でも本当の理由とは違うようだ。
本当の理由はこうだ。その人格が出てくると、その人格が持っている記憶を、少なくとも少しは私(現在の私)が引き受けなければならなくなり、その記憶の重さに耐えられないからだ。つまり、その人格が持つ殺意に関する記憶1を表に出すと、そのような殺意を抱くようになった原因となるできごとの記憶2も引きずられて表に出てしまう。母から殺意を抱かれたというできごとだ。こう思うことも、ほとんど一瞬で、時間がたつと、再び元に戻り、「すぐには思い出せない記憶がある」状態に復帰する。
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セラピーの後で、短い時間でしたが、母に会う機会がありました。ズタボロです。母を今更ながらオカシイと感じるところがいくつもありました。このオカシサのために私や兄がどれ程、親子関係で傷ついてきていたか・・・、そりゃ(わたしや兄が)他人とも繋がれないよね、と今まで以上に深く納得しました。
兄は(引きこもりの状態ですが)このオカシサに影響を受けた気持ち悪さで外出できないのです。兄とは顔を合わせて少し会話はできましたが、一緒には出かけられませんでした。
兄と話をしていて母は泣いていましたが、泣いている母をわたしは睨みつけました。(泣きたいのは兄だ!兄の人生奪ったのはお前の支配だろ!)「何の涙だ」と聞くと、泣いてない。と、キモチワルイ答えが返ってきて、お話になりません。
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子育てがうまくいかなかった。何とか強気で頑張っていたがうまくいかなかった。
段々、子供が学校に行きたがらなくなってきた。
育児に不安を抱えながらも、その不安を見て見ぬ振りをして、気を張って対応してきた。あちらこちらと相談に行き、学校も変えたが、大きな改善は見られなかった。 何が原因なのかはっきりしないままに、子供は睡眠障害を抱えるまで状態が悪くなってしまった。セラピーを続け少しずつ分かってきた。
私はホントは意気地なしでよわっちい。
だって、死にかけで産まれてきたもんね。
お母さんのお腹から追い出されて、未熟児で生まれ、生後3日で保育器に入れられて、1ヶ月半入院したんだものね。
母親は病院から呼ばれるまで、腰痛を言い訳にして見舞いにこなかった。
ひとりぼっちの、存在感のない、しょんぼりした私が、私の奥に、あの時のままいるんだ。
いろいろ分かってきて、誕生の頃のつらさの痛みが強くなるほど、 このこと自体を認めたくないんだということもはっきりし、(いろいろ分かる前に) 子等にひどい対応をした痛みも強くなり、自信のない自分と、先のことへ不安を持つ自分がどこまでいっても現れる。
それでもここまで来たのに。
できたことを手放しで喜ばない自分がいる。
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お試しの「無料カウンセリング」もあります
自分は自閉的だと思う。考えがまとまらない。特に、母についてはまとまらない。いい母親とわるい母親がごちゃ混ぜになる(*1)。シーソーのように考えが変わる。
どこかで母親に認めてほしいと思うのに、すぐに、あんな母親に認めてくれなくても良いと思う。母親との一体感が欲しいはずなのに、すぐに、一体化したくない、が出てくる。一体化なんて気持ち悪いというのがある。心では(母親に)甘えたいし、心の中で繋がっていたいが(現実の母親という)実物はいらない。
悲しい、寂しい、怒りの中にある寂しさなんだと思う。でも母親に対して怒りを出そうと思ってもなかなか出てこない。
小さい頃、母親は家の二階で仕事をしていて降りて来ず、私は「お母さんが自分の都合ばかりで子どもと一緒にいないのはおかしい!」と苛立っていた。ずっとそうだった。でも一方で、私は母は子どもを放っておいたわけではないと思っていた。しかし嫌だった。子どもである私を産みたくないなら産むな!産まないで仕事をしてたらよかったんだ!
心中して母親と一緒に溶けてなくなりたい。
あんた(母)が母親(母の母親)に反抗しなかったから、子育てがうまくいかずにこんな失敗作の私ができた。恨むならこんなになった私じゃなく、(母親の)親を恨め。そう言っていると珍しく怒りの手応えのようなものを感じた。
母親と死にたかったが、(母親には私に対して)一片の愛情があったから、(私は)生きるしかないのかな。母親の愛情をかすかに感じたから生きるしかないんだと思う。いい母親とわるい母親がごちゃ混ぜになるから、普通の人が考えればわかることが思考が止まるような自分になったのかもしれない。そうは言いながら、はっきりとは分からない。探っていきたい。
(*1*2:「いい母親とわるい母親がごちゃ混ぜになる」混沌とした状況から、全体として「わるい母親」の姿がある程度はっきりする状況へ移ってきているように思われます。「わるい母親」と「いい母親」がともにはっきりすることで、将来、両者の統合が起きることが期待されます。しかし「でも一方で母親は、子どもを放っておいたというわけではない」と「いい母親」への揺り戻しが起き、再び、混沌が顔を出しています。本人にとってはっきりさせることは未だ耐え難い苦痛と思われます。)
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セラピーが進むにつれて、いよいよ、重要なこと(重要な記憶)を思い出すか否かの境い目に来ることがあります。その記憶を観たい(思い出したい)気持ちと観たくない気持ちが半々に存在するのが通常です。境い目を突破するには、気持ちが半々であることを隠さないことが大切なようです。観たくない気持ちを認めることで、観たい気持ちが自由に動けるようになるようです。不思議なことなのですが・・。
この不思議さと同じ不思議さが、母親への愛憎のアンビバレントの突破についても、あります。母を恨む気持ちを隠さず認めると、母を愛する心が自由に動くようになるようです。同じことなのでしょうが、思えば不思議です。
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役に立つように頑張るという条件のもとで、はじめて生きていていいということになっている、自分の中のカラクリが分かってから、生きることがとても楽になってきていた。ところが、同じそこのところで、未だにクリアーできない何かがある。
仕事をしていても(必要以上に周りの状況に)合わせる自分がいる。そんなに頑張らなくても良いのに(と重々分かっているのに、それでも)頑張る自分がいる。それって何だろう。(おかげで溜め込んでしまった)数日の疲れ感を振り返った時に、(分かっていること以外の?)何かあるなと思った。
頑張っちゃって疲れるのはあるが、それ以外に疲れる訳があるのかなと思う。感覚的に何かあるなと思う。ただ体が疲れたと済ませてもいいけど、(心の中の)何かあるなと思う。
ベビーブレスを受ける。
やりたいことは(心の奥にあって未だに避けているらしい)<氷水>のところ。<氷水>の中で本当に孤独な感じで、母親の事情(役に立たなきゃいらないとして私を使い、本当に私の生を望んでいる感じでないこと)も知っている。でもそれだけではないようだ。私が<氷水>の中で感じているのがもっとあると思うので続きをやりたい。
【ベビーブレス】
呼吸を始めたあたりから足が冷え始めてきて、頭もちょっと痛かった。呼吸は止めずにやった。(エネルギーの)吐き出しのときに、逆に体が暖かくなってきて、凄く暖かくなって、呼吸のときの冷えはなくなって、本当に体は暖かい。頭痛はあった。冷たいはずの<氷水>のところへ行く予定だったのに、ずっと暖かかった。でも頭が痛いから(そのまま)ずっと続けていた。体は暖かい、何もなくてただ暖かい。終わりの方になったら頭痛がなくなってきて、暖かくて、何もないけど暖かい。
吐き出しが終わって静かな曲になったとき思った。「ただの暖かい自分」を無しにしていたと思った。そしたら(知らないうちに)泣いていた。何か「条件」がないとダメな自分なんだなと分かる。でも本当は「ただ暖かい自分」が自分なんだな。それを認めるのは自分が怖い。手放しになるのが怖い。慣れていないというか。それを忘れるくらい「条件」があった方が生きやすい。「ただ暖かい」感じを認めていないのは私なんだなと。涙が出てきて分かった。
ベビーブレスが終わって、今、体がポカポカで暖かい。「条件」で麻痺していたんだ。行けたところが<氷水>でなくてちょっとビックリしている。冷たい予定だったが暖かくなった(*)。
(*:避けていた<氷水>という象徴の中に、あるいは手前に、「条件で麻痺」という部分があり、避けずにその部分へ入って行けたので、融けて暖かくなった、と語られているように理解できる)
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雲泥:深いところへ達する人が出てきましたね(ブログ(575、579))。コメントをしてもらえますか。
林 :怒りを出し尽くさないとこの境地にはいけません。中途半端や瞬間的な怒りではいけない、届かないところですね。本当の怒りを出し尽くさないと行けない境地です。永遠に泣けていられる感じが本物だなあと、感じられます。溢れるように深く泣く、永遠にその場に居ていいんだと思える境地ですね。永遠に泣くような、永遠に笑うような、永遠に怒れるような、何と言っていいか分からないような、エネルギーとしか言えない・・・。
雲泥:人の閉じていたのが開くときに、なにか、年代物の美味しい瓶(ビン)のコルクが抜けるように、エネルギーが噴き出します。彼女の開く道は、はじめに怒りというコルクがあり、その後で涙というコルクがありました。瓶の首のところに上下に二つのコルク栓があった感じです。ダブルコルクの女(ひと)と私は密かに呼んでいます。「エネルギー」「怒りよりも更に深い寂しさや孤独」という表現に留まっていますが、今後、彼女の心に何が起きたのかを彼女自身が語ってくれるのを楽しみにしています。
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ベビーブレス(弊社で開発したブレスワーク)のようなセッションに臨むときには、自分自身が強く望むことが重要のようです。自分自身の欲求不満を大切にしてほしいと思います。自分の生き方は何かが腑に落ちない。自分は何かが満足していない。自分の人生を何かが気に入らない。そういう感じが、セッションの中で進むときの羅針盤になります。
強く強く望んで欲しいのです。どのように変わるかはイメージがつかないはずなので、「どのように」を考えることは無意味だと思われます。方向を固定してしまうのは害にもなると思われます。自分自身がどのように変わるかは、変わる前には分からないもののようです。わからないけど、本当の自分をどこかで知っているので、現状に腑に落ちない、満足できない、となります。だから、ただ強く望むことが全てだとも言えるようです。
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小さな子供にも転機というのがあるらしい。ある3歳の女の子Sちゃんは、冒険のような自由な散歩(ブログ344、348)を契機に、人が「変わった」(子供が変わった?)と親御さんは言う。生き生きとした子供になり急に心が成長し始めたという意味である。
このSちゃんに久しぶりに会った。彼女の姉妹や親御さん等を含め6人で、お祭りに行き、焼きそばなどを食べた。心の成長が見ていてわかる。自己主張、行動、表情が全て一致していて、彼女の生き生きした気持ちが伝わってくる。私も気持ちが良い。この小さな淑女に、あらためて、お近づきにならせていただいた。
お祭りで人々がごった返し、小さなテーブルに6人で肩を寄せ合って座った。狭い席なのに、行ったり来たり、席を変えながらみんなが楽しんだ。そのとき、この淑女は私の隣の席に来て私の目をまっすぐに見て「きたよ」と言った。私ハココニ来タヨ。私ヲ構ナサイ。構イタインデショウ。私モ構ワレテアゲルカラ、という意味だ。自信に溢れ堂々としている。自己肯定の塊のよう。信頼の分厚さ。私も小さい頃、こんなに堂々と自己主張してみたかった。
その後もSちゃんの生き生きした感じは続いている。電話でSちゃんの母親と話していると、Sちゃんが割り込んでくるのがわかる。可愛らしい声で「Sいるよ」という。
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セラピーを受けて自分が変わるというのはどういうこと、なのでしょうか。人によって抱えていたトラブルは様々で、その人が変わることで影響があり、そのトラブル解消に向かって大きな前進がある、という側面もあるでしょう。しかし、それは結果であって、果実であって、私たちは「お土産」と呼んでいます。
私たちが変わると、私たち自身に大きなエネルギーが湧きます。私たちが驚くほどです。そのようなエネルギーの伴う何かが、変わるということの本質のようです。変わってみるとあまりにハッキリとしたことなので、変わるというのはどういうことか、自分は変わったのだろうかと、誰かに訪ねる必要を感じません。それは、ものすごいエネルギーです。
私たちは自分が変わる前に、そのエネルギーのことを想像できません。しかし、その一方で、そのことを本当はうすうす知っているように思います。うすうすは知っているけれども想像ができません。変わる前は、だから欲求不満になります。何かが腑に落ちない、何かが満足しない、何かが気に入らないとなります。変わってみて、はじめて、これがそうだったと納得するようです。
それでも、やはり、変わる前には分からないもののようです。変わる前には形のある答えは出ません。教科書のように言葉や概念に表すことは出ません。もっと形のないもので、エネルギーの塊のような何かと感じられるものです。それでも、あえて言葉にするのであれば、愛憎、生死のような右か左か、裏か表か、という感じ方から解放されること、これらの2方向に拡がると感じられていたものは結局同じもの、と感じるようになること、全体が遠くまで観えるようになること、などと言えるのかとも思われます。
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前回のセッションで、初めてと思えるような物凄いエネルギーを感じ、そのエネルギーが溢れてきて、永遠に泣けていられるような体験をしてから、一週間以上たちます。今も同じような深い場所に居続けられています。
自分の変化が分かります。とても良いです。ハイになる喜びではなく、ジワ~と満される感じ、溢れる感じの喜び、嬉しさです。まだ、言葉(普通の寂しさや孤独という言葉では十分に表せきれない何か)は見つかっていませんが、その寂しさや孤独を感じられているからこそ、溢れるような満されるような喜びがジワ~と全身を満たすような感じなのかもしれません。味わっていきたいと思います。
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前回のベビーブレスから、母に対してはそこまで腹が立たなくなりました。不味い飯も、素っ頓狂な言葉も、彼女自身が子供(私)に「どうやって愛情を与えたらいいのか分からない」故の行動なのかなぁと考えるようになりました。もちろん、私を殺そうとしたことや人生をめちゃくちゃにしたことは許せません。ただ、怒り以外の感情が母に出てきていることも確かです。怒りだけなら怒りだけの方がとても楽です。慈しみなら慈しみの感情だけの方が楽です。両方同時に、というのは辛いです。怒りに任せて母に暴言を吐いていた方が楽でした。けれどもうそこには戻れないと思います。それだけ前回のベビーブレスは重かったです。
もう戻れないのだけれども、今の気づきも、受け入れられないで苦しんでいます。今回も生理痛の腹痛がひどく、何日も会社を休んでしまいました。仕事を休むと職場の人みんなに「嫌われてしまうんじゃないか?」と思い怖くなってしまいます。ともかく職場に行くのが怖いです。
思えば、母への怒りだけが私の人生でした。母を許すことは、今までの生き方の否定になります。
母の私への愛情なんて認めたら、私が狂っている現実を見つめなければならない。それが辛いのもあるんだと思います。私がセッションを始めたのも、気狂いな母を倒すためだったと思います。でも何かが足りないのです。足りない何かがわからないのがとても辛いです。
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胎児期も視野に入れた精神分析的カウンセリング、ベビーブレスを体験し、自分の心理的なトラブルを理解し、本当の自分をつかんだ人々の体験談集
価格:1,000円(税込)
著者:林貞子 雲泥諸智
単行本:162ページ
発行所:アコール有限会社