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インスタグラムも見てください|アコールセラピーの休憩(735)

アコールのブログ投稿(更新)が遅くなっています。

アコール林貞子のインスタグラムはほぼ毎日投稿しています。そちらの方も見ていただけると幸いです。上の部分をクリックしてください。この時点で最新のインスタグラム投稿へ飛びます。

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母親に対する依存と殺意の一体構造はあなたの大切な人に対しても|アコールセラピーの現場から(734)

[母親に対する依存と殺意の一体構造]
小さな子供が健康な母親に育てられるとき、完全な一体感を伴う依存を味わうでしょう。母の懐で何不自由なく天国の時間をたっぷり過ごすでしょう。そして満足した後で依存から卒業し健康な発達を遂げることでしょう。
しかし、なかなか、そうはうまくいかない。健康な母親はめったにいない。そのため十分な依存が手にいらずに、大人になっても依存的な人たちがいる。

依存と殺意は、一体のものとして、小さい子供が人生のはじめに、母親に対して形成するもの。母親から十分な愛情をもらえなかった子供の感覚として、母親の中に良い母親と悪い母親がいる。悪い母親への殺意をあらわにすると母親全体を失ってしまう。母親に嫌われる。母親を失った子供を待っているのは、一人ぼっちの死である。耐えられない。そこで悪い母親への殺意を隠し、良い母親への依存を失わないようにする。しかし殺意を隠し持っているので、一体性のある本当の愛情を獲得することはできない。依存しながら殺意を隠して付き合うことの不満足さは、母親に対してのみならず、その後の他の人間に対しても、受け継がれる。

[他の人間に対する受け継ぎ]
依存と殺意の一体構造は、大人になったのちも、持ち続ける。どうしようもない母親には見切りをつけて、新しい、より好ましい人間関係をつくろうとしても、他の人間に対して、依存と殺意の一体構造は、気が付かないうちに維持され、それに伴う不満足さは受け継がれる。
すなわち大人になっても、奥深くでうごめく一人ぼっちの死を避けるために、最も好ましいと思われる誰かに依存する。母親の代わり(依存対象)だ。会社の上役、夫、カウンセラー、子供。しかし依存によって満足するのは、感受性を失っていない小さな子供が、健康で好ましい母親との関係で、完全な一体感を伴う場合であって、大人になった今となっては、相手にとっては迷惑な限りであろう。あるいは病的な相互依存をなす。不満足はどこまでも続く。
その人の感覚が鋭く、運が良ければ、あるとき追い詰められる。何か(殺意)を隠したようなそんな生き方は嫌だ、という気持ちが強まる。殺意は依存対象へ向かう。もともと母親へ向かうべきものが、せき止められており、現在の依存対象を襲う。
その時、殺意を放出する本人が、内面の一人ぼっちの死を恐れないほどに勇敢であれば、依存から抜ける。ブレスの中で殺意を表現し「一人ぼっちの死」に入っていくことができて「これで初めて生きていける感じがする」というのは、ニュアンスは異なるけれども、よく聞く感想である。
「生と死のエネルギー」
依存的な人たちは、昔、十分には手に入らなかった愛情(依存)を、今、何とか手に入れて生きていこうとする、生のエネルギーを中心とする人たちのように思えます。ある人は自分を見抜いて自嘲的に「愛情乞食」と言っていました。一方で、一人ぼっちの死を拒否し、そのために殺意という大きなエネルギー(死のエネルギー)を隠さなければなりません。それが、一人ぼっちの死を受け入れたときに、それまでの生のエネルギーに死のエネルギーが補われ、生と死のエネルギーが統合され、自分の本当のエネルギーを手に入れるのだと理解できます。

 

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ヒナを守って犬にも向かって行く白鳥(白鳥の話2)|アコールセラピーの休憩時間(732)

白鳥の話2(つづき)

[4.守る親白鳥]

白鳥の両親は、いつもヒナを守っていた。

私が、一家へ必要以上に近づくと・・・3メートルくらいかなあ・・、父白鳥がこちらに向かってくる。真っ白い両羽根を、肩を怒らす様に持ち上げる。ノッシのっしと歩いてくる。別に、パンが欲しいわけではない。歯がない口ばししか持っていないのに、・・やってくる。ごめん、ごめん。あわてて後ろへ下がるしかない。

あるとき、白鳥が子育て中であるという事情が分かっていない人が、飼い犬を連れて散歩にやってきた。犬が20メートルくらい近くになったときに、父白鳥が無言のまま動き出した。犬に向かってノッシのっしと歩いていく。犬は、・・・逃げた。本気の戦いなら、白鳥は勝てるはずはない。首が細い。口ばしが小さい。歯がない。でも気迫勝ち。

人や飼い犬は、ヒナを襲わない。でも野生の肉食の生き物は、違う。襲って食べる。生きるために食べる。人が見ても、小さなヒナはかわいらしく、おいしそうである。ときどき白鳥の両親がともに、急に、首を上げて動きを止めることがある。上空にトビがいる。カラスがいるときである。

[5.生存の厳しさ]

私たちが初めて、一家に会ったときは、ヒナは3羽だった。地元の人によると、ヒナは、はじめは6羽くらいいたらしい。「狐ではないか」ということだった。ある朝さらに、2羽に減っていた。周りを見ると、近くの木に複数のカラスがいた。木の近くの屋根の上に、何かがある。屋根に近づいてよく見ると、はっきりしないものの、大きさや色が、それらしかった。湖畔には、白鳥が隠れる適当なものがない。上空から襲われたら防ぐのは楽ではない。あの父白鳥がいても、守り切れるのは2羽くらいかもしれない。それで湖の白鳥の数は、そこそこに維持される。

意外なことがある。犬にさえ向かって行く白鳥が、さっさと退散することがある。一家が急に目の前から移動しはめるので、何事かと思い、よく観察すると、遠くから、他のつがいの白鳥がやってきていた。距離は100メートルもあるかと思うほど遠かった。白鳥同士なので仲よくすればいいのに、と思うけれど、違う。ほかの動物でも同じようなことがある。同じ種の群れ同士が出会うと激しい争いになることがある。草食、肉食を問わない。多分、食べ物や生きるために必要な環境が重なるので、他の群れを追っ払う必要がある。あるいは追っ払われてしまう。子供(ヒナ)がいるときには、子供が殺されないように、さっさと退散するに越したことはないのであろう。

[6.ヒナの成長と家族の終了]

私たちが出会ったのは、6月ころだった。片手の平に乗るくらい小さかった。一口サイズ。かわいかった。会うたびに大きくなっていった。片手では難しそうになり、近くのカルガモを超える大きさになり、両手でやっとだろうなと思えるくらいになり、あれよアレヨと、大きくなった。

ヒナは増々かわいくなり、4羽家族の居る風景は、しみじみ愛おしかった。あるとき、4羽家族は、ワカサギ釣りの屋形船がつながれている木の下に、いた。木の周りは、柔らかそうな緑の草が、芝生のようにふわふわと生えていた。その上に、4羽家族は幸せそうにうずくまっていた。ヒナはもうカラスには簡単には襲われない大きさになっていた。親白鳥の安心が伝わってきた。就学前くらいの男の子が走ってきた。白鳥家族を見つけ、赤ん坊を抱っこしたお母さんの手を振り切って、木のところまで来た。白鳥家族のすぐ近くに来て、「天国みたい!」と大声で言った。そう、まるで天国みたいだった。

親白鳥の半分くらいの大きさになっても、羽根の色が薄い茶色なので、遠くからでもヒナだとわかった。このころ、両親白鳥は、ヒナに遠慮せずに食パンを食べた。

親白鳥とほぼ同じ大きさになっても、色は、茶色と白のマダラ模様なので、ヒナだとわかる。

マダラ模様になる少し前あたりから、父白鳥はいなくなっていた。母白鳥はその後もかなり一緒にいた。近くにいるので、母白鳥だろうな、と思うだけで、母白鳥らしいしぐさをするわけではない。他の白鳥かもしれなかった。そのうち、マダラ模様の二羽のヒナだけで堂々としているようになった。母白鳥が近くにいるのかどうか、わからなかった。私には見分けがつかない。どこかへ行ってしまったかもしれない。11月になっていた。マダラ模様が完全に消えて、真っ白になるころ、この二羽の兄弟も、互いに独立して、他の白鳥とつがいになるのかもしれない。

[7.健全さの違いは何?]

成長したヒナだけで堂々としている様子は、自然界の親離れを感じさせますね。ヒナを守るために犬にも向かって行っていた父白鳥が、いつの間にかいなくなり、エサをヒナに譲っていた母白鳥も、やがていなくなる様は、寂しいようで、健全な子離れを感じさせます。この健全さはどこから来るのでしょうか。本能に過ぎないと言えばそうでしょうが、人間だって本能は持っています。違いは何なのでしょうか。

推測します。

白鳥は人間よりも自由に生きています。つがいになる相手も自分で選ぶでしょう。自分の気持ちを感じ相手を感じ、感じるままにつがいになります。誰にも強制されません。誰へも忖度しません。生まれてきたヒナは、だから、「とてもかわいい」と親白鳥は感じるでしょう。かわいいヒナには、命をかけ、エサも譲って、後悔はないでしょう。気の進まない結婚をして、いやいやながら子育てをする人間を、白鳥はなんと思うでしょう。

(おわり)

親白鳥は食べずにヒナに譲る(白鳥の話1)|アコールセラピーの休憩時間(731)

白鳥の話1/2

 

[1.白鳥一家]

山中湖の湖畔に白鳥たちが住みついている。2021年には、ある白鳥の一家が、私たちのセミナーハウスの近くに住んでいた。両親の白鳥と数羽のヒナだった。ヒナは淡い茶色でフワフワしていた。カステラをくりぬいたお菓子のようだった。ヒナのあまりのかわいらしさに、私たちは毎朝、湖畔を散歩するたびにその一家を探した。

湖畔には、春になると、小さいおいしいサクランボをつける、背の低い富士桜の並木があった。その並木が両側を囲む小道を抜けると、目の前に湖が大きく広がり、一家が居る地域になる。片道20分くらい歩く距離で、日によって、居る場所が違った。彼らも朝は食事であちこち水草をもとめて移動するらしい。私たちは食パンをポケットに忍ばせて、ちぎって白鳥に投げ与え、ときどき私たちも食べた。

[2.白鳥の食欲]

白鳥は食パンを好んで食べる。透明な湖水に白く浮かんだパンを、口ばしでほぐしながら、水と一緒に飲み下す。たいていの白鳥はお腹を空かしていて、あっという間に食べ尽くす。そして、もっと寄こせと、水から上がる。恐竜のような大きな水かきが現れ、ノッシのっしと、歩いて、こちらへ近づいてくる。堂々としている。小さな二つの眼が正面からこちらを見据えて、やってくる。野生の白鳥だ。零下20度の山中湖の冬を、白く雪をかぶりながら身一つで過ごして生き抜く、凄さがある。

そして、パンをちぎるのに手間取っていると、すぐそこへ来た白鳥に、必ず手をかまれる。口ばしには歯がないので痛くない。でも、あまりの迫力に誰もが、小さな悲鳴を上げてしまい、手からパンを落としてしまう。落ちたパンはたちまち白鳥が食べる。思わず後ずさりしてのろのろしていると、あっという間に食べ終わった白鳥が、再び、ノッシのっしと迫ってくる。あんなに美しくてかわいいと思っていた白鳥へのイメージは変わってしまう。怖い・・・。白鳥の食欲はすごい。

[3.食べない親白鳥]

しかし、一家の親白鳥は、ほとんどパンを食べない。自分は食べずにヒナに譲る。親鳥のすぐ近くにパンを投げても、ヒナがそばに居れば、食べない。食べようか食べるまいか迷う様子はなかった。ヒナが、当然のように食べてしまう。多分、子育て中は、親白鳥は食欲そのものがなくなるのではないかと思える。

仮に、食欲が自動的になくなるとしても、人間にも同じような感覚はあるのだから、ついつい想像してしまう。親白鳥はヒナが可愛くてしょうがなくて、あまりの可愛さに、ヒナが食べるのを見ていると自分の食欲さえ失ってしまうのだ・・と。あの本来持っているすごい食欲を失うのだから、どれほど可愛いと感じているのだろうか、と。

(つづく)

あけましておめでとうございます|アコールセラピーの現場から(730)

あけましておめでとうございます。

コロナ禍のため、山中湖のグループセッションがなかなか再開できませんが、今年こそ再開可能になることを祈っています。

 

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胎児が電磁波で母親の気持ちを察する?|アコールセラピーの休憩時間(729)

<胎児が母親からの電磁波で母親の気持ちを察する可能性>

Babyブレスで胎児期の記憶を思い出すというのは珍しくありません。そして、その時の母親の気持ちに傷ついた、というのも良くあることです。例えば「私は胎児期から母親に望まれない子であった」というようなことです。いわば日常茶飯事です。それを認識し納得することで大きな心理的な改善があります。Babyブレスを前提にしてセラピーを行っていると、胎児期の記憶が残っていることも、胎児が母親の気持ちを察することも、経験上の事実として、疑いようのないものです。

しかし、Babyブレスを経験しない人には、そこのところの理解は難しいかもしれません。そもそも、そんなことがあり得るのだろうか、というところでしょう。厳密なエビデンスとまではいかないにしても、何らかの客観的な傍証は欲しいものです。

そこで、youtubeで例えば「胎児の記憶」と検索をすると、現在、少なくとも十数件の実例を見ることができます。胎児期の記憶が残っているという事柄は、そんなに珍しいことではないようです。

では、胎児が母親の気持ちをどのように察するのか、というのはどうでしょうか。過去に私の知っていた情報では、母親の血液の酸素濃度、母親の心拍、母親の発する声の調子、などなどから、胎児は母親の気持ちを知っているのではなかろうか、ということでした。しかしどれも、いまいち、不十分な感じがしていました。血液の酸素濃度の変化が胎児に伝わるには、かなりの時間がかかるでしょう。母親の心拍が、例えばなぜ高まっているのか、その理由はわからないでしょう。怒って高まっているのか、喜んで高まっているのか。母親の発する声だって、無言のまま、子供の堕胎を念ずる状況だってあるでしょうから。
ところが最近、人間同士が知らないうちに電磁波でコミニケーションをとっている旨の記事(https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/2018/11/transtech-1.php)がありました。であれば、胎児が母親からの電磁波で、母親の気持ちを察するというのは、かなり納得できるものです。電磁波というのは、伝わるのは速いし、周波数の変化や振幅の変化で多くの情報が送られ得るでしょうし、また、母親が無言を貫いても、知らないうちに発してしまうことは十分に考えられます。

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アコールのズームミーティング開催のお知らせ|アコールセラピー連絡(727)

○1月のアコールのズームミーティングは1月3日に実施させていただきました。ベビーブレス体験のシェアが行われとても有意義なミーティングになりました。ありがとうございました。
○2月のアコールのズームミーティングは、2月6日土曜日20時から22時にさせていただきます。無料で出入り自由です。ベビーブレス体験者でご希望の方は林(042-363-9948)まで御連絡ください。当日、ズームミーティング参加のためのURLをメールやラインなどで送ります。ご参加のほどお待ちしております。

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きっかけは人間関係の行き詰まり|アコールセラピーの現場から(725)

Babyブレス経験者の声:
人間関係で行き詰ったが、両親を理解でき生きやすくなった

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子供を心からかわいいと思えていないのではと不安|アコールセラピーの現場から(724)

Babyブレス経験者の声: 手汗の問題がきっかけで実は怒りを抑圧していたことがわかり生きやすくなった ******************* お試しの「無料カウンセリング」もあります 自社施設紹介

もの心ついたときから手に汗|アコールセラピーの現場から(723)

Babyブレス経験者の声:
手汗の問題がきっかけで実は怒りを抑圧していたことがわかり生きやすくなった

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抱っこして、一緒にいて、逃げないで3/3|アコールセラピーの現場から(722)

(つづき)
<H>(寂しさや怒りを出しまくって)家族など周りは大変だった、迷惑したと、まずい話ですね。実はいい話もいっぱいあるのです。いい話もしてもらいましょう。彼女の話だと、職場で信頼されるようになった、パートなんだけれど社員よりも頼られるようになった。上司への不満をちゃんと言えるようになった。など、次のように言ってました。

<S>
「「職場での活躍」」
販売接客業のパートを10年勤続。小さな店舗で7年程。今は大型店舗に勤務している。
小さな店舗では途中から店を任されることに。その頃、感情表現も出来る様になっていたので上司や社員に相談したり、意見したり、納得いかない事には怒りをぶつけたりしてきた。
「お客さんに満足してもらう為に」を軸に、店舗では店の問題点を改善したり、お客さんにも、一緒に働くパートの皆んなにも、意識を向けて観ていたし声かけしたりしていた。そしてよく話を聞いた。大変ではあったけど充実していて売り上げもどんどん上がって成果は上げた。
上司は私にこう声を掛けてくれた。「いつも五感を使って仕事をしている。」「店全体がよく見えていて、目の前の仕事をしながら、いつも三手くらい先の仕事を常に頭に置いて動いているよね」と。常にアンテナを張って仕事をしていたのでそう言われたことは素直に嬉しかった。半分本気のような冗談で「マネージャーやって欲しいわ」と言われたりしていた。
この頃には「大型店舗に行ってバリバリ働いてくれないか」と言われていたが、その大型店舗のマネージャーの事が苦手だったので、断っていた。でも、そのうちその苦手マネージャーが移動になり、大型店舗勤務になった。その後も、私の仕事のやり方は変わらずだった。
次のマネージャーからも、更にその次の今のマネージャーからも、色んな事を相談された(頼りにされた)。パート仲間からも仕事や私用でも相談された。自分でも周りから頼りにされている事がわかった。馴染みのお客さんも沢山できて仕事はやりがいはある。
ブレスも進んできてより深まって来ていたのでどっしりしてきていた。
(私が私をひとりぽっちにしていた。私が私を大切に扱えるんだと気がついた時期)
人からの評価は気にならなくなっていた。
本社から巡回で、お偉い方々が来られる時がある。私の仕事を見ていた社長が「皆んなが彼女(私)のようなレベルの仕事働き方をして欲しい」とコメントして下さった。
怒り、恐怖、殺意、更に生と死の体験をしてからは、より素直により正直になってきたと思うし、色々感じる力も増したと思う。
<W>
いいですね~~。彼女の持っているものが解放された。起きたというべきでしょうか。
しかし下手すると、ブレスを知らない経営者から、彼女のように{意見ははっきり言いましょう}{仲間に声掛けしましょう}{仕事は五感を使いましょう}{三手先を頭に置きましょう}{好き嫌いははっきりしましょう}などのノウハウをつくられてしまいそうです。が、勘違いしてはならないのは、ノウハウなどで意図して起こしたのではなく、ブレスで自分を取り戻すことで、自然に起きたことなのです。意図してすることには無理があります。偽物のにおいがします。大して効果はありません。起こすことに価値はなく、起きることに価値があります。
<H>
彼女の真の実力ですね。
職場だけではありません。家庭についても彼女は言います。子供たちも自分の気持ちをお母さん(彼女)に話せるようになった。子供が寄ってくるようになった。うまく対処できるようになった。子供の気持ちもわかるようになった。思春期の自分の子供がトラブルを起こしても動じなかった。どっしりしていた。彼女に内面を話すようになっていった、などと言います。以下は、その一部です。
<S>
「「子どもの気持ちが理解出来た」」
そもそも私は親から「あなたはどうなの?どう思った?どう感じているの?」っていうような問いかけをされた事が無い。父や母と感情に触れるような会話などした事が無い。
ブレスを始めてその事のおかしさ、気持ち悪さ、人として生きていなかったんだと気がついた。まず自分の寂しさに気が付き、ブレスで泣いたり母に怒りを出し始めた頃から、段々と理解出来てきた。ブレスで寂しいって泣いたり甘えたかったとか嫌だったとか駄々っ子とか怒りとか、とにかく湧いて出た色々な感情を出す事、表現する事の気持ちよさを知ったから。
ちょうど次女が駄々っ子していた時期に私もブレスで(同じように)経験して「あ〜駄々っ子ってこんなに気持ち良いんだぁ。足をバタバタさせ最後は全身で汗流しながらバタバタって気力も体力もいって全力でやるって凄いなぁ」って、自分が経験してから今度は次女に感心するまでになった。
感情を出せない事がどんなに切なく辛く苦しいのか。また母に気持ちを理解してもらえない、繋(つな)がれない事がどれだけ絶望的か、、。ブレスが進むにつれて理解が深まっていって、気がつけば、日々のイライラが少なく八つ当たりも無くなっていった。
以前は、例えば「片付けしなさい」って言ってもすぐに言う事を聞かない子どもにイライラしていたし、「あれは嫌だこれは嫌だ」と言う子どもが理解出来ず「わがままばかりいいやがって」と腹が立ち理由も聞かず怒り飛ばしていたし、私はあれもこれもとやる事いっぱいで大変なのにと子どもにイライラをぶつけていた。
<H>
職場や家庭での彼女の変化について、語ってもらいました。再び、死のエネルギーと生のエネルギーを扱い始めた頃に戻ってもらいます。
<S>
「「生と死」」
この頃には随分どっしりとして安定感が出てきた、落ち着いている。地に足がついていて、自分を生きている実感もある。

「「その後のブレス」」
産まれたくない、自然の力重力に負けて産まれ落ちたけど、私は産まれたくなかった。戻りたい。ここ(子宮)が良いここから出たくない。私はここに居る、母と一体になって繋がっている。

ここから絶対に出ない。死に向かう、私の思いを貫く。これは究極の思い通りだ!母と一体のまま死ぬ。
<W>
死のエネルギーが深まります。しかも「一体」なんですね。
<H>
彼女の怒りは生。ここは死。死といっても、この死は、母と自分の一体の死です。母は自分を産んで生かした生の源であり、母がもっていたであろう殺意から彼女の死の源でもあります。そこに注目すると、生と死の統合という要素をもはらんでいると思います。
<S>

安心し満足、大満足、たまらなく幸せ。
<W>
すごいね。
<H>
すごい。
<S>

そして、皆んなに見守られる中、土葬されている様な死。
<H>
彼女がブレス場で言っていました。「楽しんでブレスしていた。あー楽しい。」本当にそんな感じでした。
<S>
大地と一体になる死の体験。じわじわと溶け込み大自然の一部になった。そこから今度は芽吹き、成長して木になり、枝葉が広がりぐんぐん伸びて大木になった。
<W>
怒りというのは、生エネルギーのうち陰のエネルギーとでも言うべきもの。この場面は、生エネルギーのうち陽のエネルギーですね。気持ちいいですね。生エネルギーが陰陽で全うされた感じです。死を通って全(まった)き生へ、です。生と死の統合です。
<H>
統合ですね。
<S>
死のエネルギーも生のエネルギーも壮大で同じエネルギーを感じた。感動で涙が出る。
<H>
「同じ」であることを感じ取った。
<W>
ほんとに「涙が出」ますね。

********おわり***********

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抱っこして、一緒にいて、逃げないで2/3|アコールセラピーの現場から(721)

(つづき)

「「怒り」」
(母に求めても、母には届かない、応えてなんかくれないこと)そのことへ、とにかく怒った。求める度に気がつかない、わかろうとしない母へ怒った。
<H>
「気がつかない、わかろうとしない」というのは、無意識的な無視で、母に内在する消極的な殺意でしょう。
<W>
でしょうね。「いらない子」と「気がつかない、わかろうとしない」というのが起こりえるのは、背後に無意識の殺意があるから、と考えられます。
<S>
時に唸り、吠えたり雄叫びをあげて段ボール(母の身代わり)を殴り蹴飛ばし馬乗りになったり踏みつけちぎって捻って潰した。あっさり潰れることにより怒りが増す。怒りは出せるだけ目一杯出した、爆発していた。出せることがとにかく気持ち良かった。
求めても求めても母の反応は無い。母が遠い。私への意識が無い。出しまくったら、なーーんにも無い事が良くわかった。
<H>
「なーーんにも無い」というのは自分(彼女)への敵意さえない。敵意でも虐待でもあった方がまだまし。
<S>
孤独、ひとりぼっちの恐怖。気狂いになると思った。気が狂う、こんか恐怖には耐えられるはずが無い。閉じるしかなかった事に納得もした。
<W>
この恐怖、はじめの方で語られた「のっぺらぼう」とつながりますね。
<S>

私は母に安心して100%の依存したかった。でもそんな事は叶わない。だんだん怖くなって、「助けて欲しい」って誰に向かうでもなく、ただずっと「助けて助けて」って叫んでいた。
「「大きな衝撃:あんたが気がついてあげないと」」

その時ふっと自分に対して「あんたが気がついてあげないと」って思った。えっ!私!!
ハッとした。すっごい衝撃だった。
<H>
大きな気づきですね。なかなかないです。
<W>
永遠に「助けて助けて」を繰り返していっても不思議ではありません。この復元力というか健康さに目を見張りますね。いわゆる治療的自己ですね。
<H>
彼女の強さですね。
<S>
目が開いた、目が醒めた。誰でもなかった、私だった。今まで気がつかなかった自分に怒りが湧いた殺意で自分に向った、本来の私を生かしたい生きる為に(自分を)殺した。
<H>
自分殺し。愚かな自分を殺した。同時に死の受け入れを感じます。
<S>
深く深く泣いた。「私」に謝ったただただごめんなさい、私が「私」を大切にしていなかった本当にごめんなさい。本当の私の存在に気がついた。心強い存在。
<W>
死を受け入れた、その瞬間に、本当の自分を手に入れた。
<S>
そこから日常生活もすごく楽に送っていて気づいたら周りに求めなくなっていた。ひとりぼっちを受け入れていてひとりで大丈夫になった。
<W>
この「ひとりぼっち」、いいですね。人依存とは正反対です。
<H>
この頃から、彼女は、どんどんどんどん安定していきました。
<S>
「「エネルギーは永遠に枯れない/諦め無くて良い/自由だっー」」
その後のブレスでも母を求める。
私を受け入れ理解出来るのは私しかいない。でも私はただただ母を求めて叫んだ。母を呼んだ。どんどん出てくる湧いて溢れて出てくる母を求めるエネルギー。この求めるエネルギーは止まらないし永遠に枯れないって思った。もう諦め無くて良いし諦められるものでは無いと思ったそれ程までにすごいエネルギー。そう思ったらなんか自由だっーって感じた。
<H>
ダメな「母を求める」のではなく、自分の生きるエネルギーに気がついた。同じようにブレスしても難渋する人は、このレベルの手前でとどまってしまう。手前でとどまって、深くまでいかない。浅いところでパニックになって盲目になってしまう。
<W>
鍵になるところですね。百万回でも読んで欲しい、話して欲しい。
<S>
こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか?こんなにあるのに無い事にしていたなんて、そう思うと泣けて泣けて胸が締めつけられ痛くて苦しかった。そして子ども達の顔が浮かんだ。皆んな持ってるんだね、求めているんだね、求めてくれることがありがたいし「こんなお母さんだけど決して諦めないでね」って思った。
<H>
いいお母さんになったね。
<W>
「こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか・・泣けて泣けて胸が痛い」、いいですねえ~。
<S>

「「殺意」」
怒りでどんどん自分の中心子宮がムズムズするどんどん熱くなる。「いらないなら産むな、産みっぱなしにするな。」「わかった振りをするな、被害者面するな許さん許さん!」怒りに震えてとどめを刺す。殺意は父や夫子ども達、祖母祖父にも向いた。そして自分にも。子どもを利用した私、子どもに意識が無かった私。被害者面する母と私は一緒だ。私も加害者だ。最大の怒りに震えた。
<H>
この怒りのエネルギーは、統合されるべき生のエネルギー。本当の自分のエネルギー。純粋の怒りのエネルギー。何が「のっぺらぼう」だよ。
<W>
はい。「のっぺらぼう」とは正反対の人になりました。
<S>
寂しさや怒りを出しまくっていた時期は、日常生活でも抑えきれず、(怒りを)周りに出しまくっていた。思い通りにならないと怒り、寂しくて泣いたり嫉妬も酷かった。とにかく周りの人に私を1番大事に私を大切に思って扱って欲しかった。H先生からは「家族にちゃんと説明するように」って言われていたので、話をして(寂しさや怒りを)「出させて下さい」ってお願いはしていたけど、(人生で)今まで出せなかった分かなり凄かったと思うし(周りは)大変だったと思う。
<H>
家族など周りは大変だった、迷惑したと、まずい話ですね。実はいい話もいっぱいあるのです。いい話もしてもらいましょう。彼女の話だと、職場で信頼されるようになった、パートなんだけれど社員よりも頼られるようになった。上司への不満をちゃんと言えるようになった。など、次のように言ってました。

(つづく)

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抱っこして、一緒にいて、逃げないで1/3|アコールセラピーの現場から(719)

<W>
今日はSさんの話ですね。
<H>
彼女は、ご自分で、絵と原稿をまとめてくれました。ありがとうございます。以下<S>の部分はSさんの原稿の部分です。
<S>
アコールのベビーブレスの事は兄と義姉を通して知っていた。
「「ブレス以前」」
今思うと、ブレス以前の私は、のっぺらぼうの顔なしのようだった。自分がなかった。自分の意思がなかった。母親のいいなりだったが、それで良かった。

私は生きにくさも感じていなかったし、なにより母との関係に何も問題が無いと思っていたので(ブレスなど)必要では無かった。
「「ブレスを受けるきっかけ」」
ブレスを受けるきっかけは夫のパチンコによる借金の発覚。私の父親もパチンコによる借金で夫婦喧嘩が絶えない家で育った私は、結婚前に常々、夫にそれが嫌だったと話をしていた。(夫は私の気持ちを)わかってくれていると思っていた。(しかしそうではなかった)家事や育児に協力をしないTVやゲームばかりの夫へ不満、不信感も募っていった。イライラを子どもにもぶつけたり、思い通りにならない事に怒りが止まらない。精神状態が悪く、やっと私にも何か問題があるのではないかと思い始めた。
<H>
似た人を選んだんですね。
<W>
自分のことが分かる前は、そんなもんですね。
<H>
それで増幅して、追い詰められるのかもしれません。
<S>
「「はじめのころのブレス」」
夫、私、長男、長女4人で東京へ夫と私が個人セッションを受けた。
夫、父への怒りを出す。嫌だと知っているのに(パチンコなど)何故するのか。わかってもらえない怒り、寂しい。
(そのブレスの中で)母からの殺意に気づいた。恐怖。いらないと思われている。いらない子だった。母に向かい「殺さないで欲しい、助けて」とすがる。母が堕胎をしていた事実を、ブレスを受ける前に知った。それまで両親は隠していた。「いらない子」はショックだった。でも何か問題があるのかもしれないと思い始めていたので、その何かがこれだったのかとスッキリした。そして今まで何も問題は無いと頑なに思っていたのか納得がいった。
<W>
「頑な」になる必要があった、隠す必要があった、ということですね。
<H>
本当は知っていた。知らないふりをする必要があった。
<W>
Sさんが言いたいのは、堕胎という生命軽視の環境があって、その環境の中で自分への扱いが「いらない子」であった、ということですね。
<H>
はい。子供の命が大事にされない状況です。
<S>
月に一度の勉強会や3〜4ヶ月に一度のグループカウンセリング&ブレスを始めてから、自分の想いや感情に意識を向けるようになってきた。本当の気持ちはこうだったとか幼い頃の記憶を思い出せたりもした。
「「思い出した記憶の例1、スーパーの商品を食べた」」
4歳頃母と2人で近所のスーパーへ買い物へ。ガムが欲しかったけど母に欲しいとは言えなかった。でもどうしても欲しくてひとりでお菓子売り場に行った。縦にぶら下げて陳列している袋入りガムの一番下を一つちぎってその場で食べた。甘くておいしいって思った。でもすぐに怖くなった。心臓がバクバクした。悪い事をしてしまった、、。ばれたらお母さんを困らせてしまう、、。「絶対にバレませんように」って思った。
<H>
「欲しい」ということを言える状況ではない。心の中はそうなのですね。
<S>
「思い出した記憶の例2、寂しくて寂しくて嫌だった」
小学校低学年の夏休みの朝、仕事に行く母を見送る為、バス乗り場まで一緒に行っていた時の事。バスに乗り込む母に笑顔で「行ってらっしゃい」って手を振っているんだけど本当は泣きそうなのを我慢していた。バスを見送った後も近所の人に見られたくなくて泣くのを我慢して帰った。ひとりで家に戻るのも寂しくて寂しくて嫌だった本当は一緒に家に居て欲しかった。
<W>
「寂しくて寂しくて」などの本当の深い気持ちは「我慢」しなければならなかった。「近所の人」だけではなく当の「母」に対しても。
<S>
「「ブレスで溢れ出た寂しさ」」

ブレスでは寂しさが溢れ出て家族や周りの人達皆んなにわかって欲しかった。本命の母へは○○して欲しいという思いがたっくさん出てきた。「抱っこして、一緒にいて、遊んで、こっちにきて、そばにいて、ギュっとして、私だけ見て、逃げないで、気付いて、、」とにかく母に求めた。でも母には届かない、応えてなんかくれない。

(つづく)

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ブログ(715)への感想|2〜3歳の頃から理由がわからない不安|アコールセラピーの休憩時間(718)

<W>
ブログに対して寄せていただいた感想をご紹介したいと思います。
<H>
ブログ(715)「命もっていかれるような不安1/3記憶がはっきりしない」を読んだEさんの感想です。
<Eさん>
ブログを読んでいる時は内容に引き込まれる感覚で、自分に重ねる感じは無かったのですが、その後の瞑想で、幼い頃のいくつかの場面を思い出しました。
記憶にあるのは、2〜3歳の頃から理由がわからない不安が常にあった事(今は母親に拒絶される不安だったと思う)。思い出す場面で、その時の会話や様子から、母親の気持ちを感じ取っているが、自分自身の気持ちがわからない。
母親の感情が全てという感じだった事を思い出しました。どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じがすごく悲しかったです。
<W>
ブログが刺激になっていて、その時には思い出すことはなかったのが、瞑想で深く自分の中に入ったときに、思い出したんですね。
<H>
ブログでも「記憶がはっきりしない」とあり、簡単には思い出せなかったことが前提ですね。深いところに深いところが響いた。そういうことですね。
<W>
響いた先が「理由がわからない不安」で、わかってみると「母親に拒絶される不安」でした。ブログ(715)~(717)でも、「命もっていかれるような不安」があって、その不安は、はじめは理由がわからなかったのですが、やがて母親からの不安ということが判明します。
<H>
そのあたりは共通しますね。根源的な不安はやっぱりそこになりますね。そういう厳しい不安に小さなころからさらされることで、「自分自身の気持ちがわからない」状況になり「母親の感情が全て」となってしまうことも、よくあることです。
<W>
「どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じ」とありますが、その中の「意識が全くない」というのは、どちらの意味なんでしょう。母親の意識が自分(Eさん)にない、という意味か、あるいは、自分自身(Eさん)が「自分(Eさん)の気持ちに意識が全くない」という意味なのでしょうか。
<H>
そうか。私は当然、前者の意味と思っていましたが、後者の意味の可能性もありそうですね。
<W>
ブログ(715)~(717)の内容を前提にEさんの感想を聞くと、私は、後者の意味にとれていました。子供のころからきつい不安に触れ続けると、自我の発達が弱くなり、そのため自分と母親の境界がはっきりしなくなり、母親だけではなく、同じように自分自身も、
同じ感じになってしまう。どちらも悲しいけれど、後者のほうがさらに悲しいですね。
<H>
Eさん、感想をありがとうございました。ブログを読んで感じるところがあっても、なかなか文字(言葉)にするのは容易ではないですね。しかし言葉にしようとすることで、自分の中の大切な部分を何度も見つめることになり、有意義なセッションになることと思います。Eさんから次のようなメールをもらいました。
<Eさん>
思った事をそのまま言葉にする事は難しいです。隠したり、ずらしたり悪い癖が出そうで慎重になります。自然でいたいです。

<H>

追伸:Eさんから、意識がなかったのは自分自身(後者)だそうです。回答ありがとうございます。

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命もって行かれるような不安1/3|記憶がはっきりしない|アコールセラピーの現場から(715)

<H>
世間では、新型コロナ災害の第一波を何とかかわし、緊急事態制限が解除されました。
<W>
死と生の統合シリーズの第三弾として、ようやく、新しいブログを出すことができます。心待ちにしていた皆様、お待たせしました。
<命もって行かれるような不安>
<H>
今回のまとめは、小さなお孫さんがいる男性です。
<W>
よくやりました。彼自身も無我夢中の感じで来たと思いますが、よかったです。
<H>
はじめのころ、彼が意識できる彼自身の問題点としては、次のようなものがありました。
○自信がないこと。自分への過少評価を凄くする。
○不安感情が強い。(自分の心の中を)はっきり見たら「命もって行かれるような不安」がある。
○だから(物事を)ぼやかしてきたので、(いつも)霧の中にいるようで怖い感じがする。言い換えると、周囲がはっきり見えていない。(もしも)見えたら怖くないと思う(が見えない)。
〇世間では良い人と言われるが、実は強い抑圧がある。(抑圧のはけ口として)奥さんへの八つ当たりをしてしまう。ストレス溜まると奥さんに甘える(だから八つ当たりができる)。
○(何に対してかわからないが)怒りがある。煮えくり返るものがあると思うが、それは出ないものの、甘えられる奥さんに(ある程度)出てしまう。わざとやっている自覚はない。子供の前でもイライラするとガーって当たってしまう。「お前のせいだ」と押し付けたり、「ごめんね」と謝ったり繰り返す。
<W>
命もって行かれるような不安や、何に対してかわからない怒りがある、というのは大きな手掛かりでしたが、彼自身は、それらの謎解きを積極的に話すという感じは、少なかった印象ですね。
<H>
その代わりセッション(ベビーブレスなど)の中では夢中でやっていた感じです。夢中でやった結果、振り向いたら、いつの間にか謎が解けていた・・という感じでしょう。
<W>
実践派ですね。

<記憶がはっきりしない>
<H>
はじめのころ、問題点の背景になるものとして彼が意識できるものには、次のようなものがありました。
○精神的病になった母に育てられた。
彼は言います。「お袋が勤め先から帰ってくるとき、笑っている顔だと、だんだん近づいてきて表情を見てほっとする。調子悪い顔だとドキドキしていた。顔色を伺っていたんだなと。」
○お袋の病状が悪化して最後に言葉が喋れなくなった場面は恐怖体験だった。(子供心にはっきりわからないまま)何度となく、最終的には病気で「そうなってしまうんじゃないか」と怖くて怖くていたなと。
○その精神的病が(おそらく)原因で両親が離婚したこと。彼は母親に引き取られた。
○離婚などもあり何回か引っ越ししているが住居の記憶がはっきりしない部分がある。
<W>
「笑っている顔だと・・・ほっとする」「そうなって(悪化して)しまうんじゃないかと怖くて怖くて」と母親を失うことの不安を言っています。それが問題点の背景だと・・。ところが、ベビーブレスなどの実践をしていくと、もっと奥の方へ入っていきますね。
<H>
奥へ入っていくのは、もっと、後のことで、はじめのころは消えていた記憶と対峙することで精いっぱいだった、かもしれません。
彼は言います。「ブレスワーク(をすること)を思うと怖い。呼吸することがキチガイになる感覚。自分がキチガイになる感じ。記憶の母か、自分がなると思う恐怖なのか。」
<明るい畳の部屋>

絵1
<H>
辛い記憶がよみがえる前は、彼は、自分が愛されて育ってきたという自負がありました。そのような幸せな記憶も描いています(絵1)。
彼は言います。「自分が赤ちゃんで畳の部屋でバタバタしてる感覚が出てきた。明るくて陽がこうこうとしていて、父ちゃん母ちゃんもいたイメージが出てきた。木漏れ陽があって、自分が守られている。ただ寝ているだけ、それが居心地良い。泣けてくる。凄い、光にも包まれていて、畳の臭い、太陽の臭いがして感覚に残っている。いつもお母ちゃんがいて何ともない安心感。包まれている中にいた。こんな世界があるんだと泣けて、泣けてきた。」
<W>
あったかい絵ですね。もっとも、人は誰もいませんけど・・。
<H>
絵は描かれていませんが、おっぱいと母親の記憶もよみがえっています。
彼は言います。「おっぱいを飲んでいる。足りなくなってくるとお母ちゃんがおっぱいくれて、気持ち悪くなるとお尻を掻いてくれて。下から見上げているお母ちゃん。味とかもフワーとして、温かく満たされてベットに寝かされて。自分だけ安全な所にいる位の感じ。怖くも寂しくもない。居心地良かった。おっぱいを飲んでいて、臭いも感じてきた。望まれていたかどうかは分らないがお母ちゃんは大事にしてくれた。愛情を感じた。」
<W>
「大事にしてくれた」とあったかい記憶ですが、陰はありますね・・。
<H>
「望まれていたかどうかは分らないが・・・」ですね。
<W>
表面は明るい畳の部屋・・、ですが、チラチラと暗い奥が・・。辛すぎるのでしょう。
<H>
そうなんです。
彼は言います。「幼稚園はバスに乗って行っていた。笑っていたお母ちゃんが出てくる。存在として親父もいたよう。卒園した後、離婚した後だと思うが、小学2,3年ごろの記憶を抹消してなくしていた。」
後でわかったことですが、このころ母の具合が悪くなり、入院などの都合で引っ越ししなければなりませんでした。
<W>
離婚、入院、引っ越し・・・辛いことが重なって記憶が消えたんですね。引っ越しで、明るい畳の部屋も実際に失ったことになります。
<H>
いいこともありました。小学高学年の頃には、母親に新しいパートナーができ、離婚の痛手が癒(いや)されます。彼はその人をA兄ちゃんと呼んで、なつきます。彼は言います。「A兄ちゃんが外に連れて行って(キャンプやバーベキュー)くれて楽しかった。」
<W>
パートナーができ母親が安定したことで彼も安定したんですね。

<働く母を見る安心感>

絵2
<H>
そのようにして、彼は、小学高学年から中学にかけては、安定していたんです。幸せな時期ですね。
<W>
そういう時期があってよかったですね。
<H>
もっとも母親が本当に真に健康になったわけではないでしょうから、不安はつきまといます。彼は言います。「中学のころ(母の職場の)映画館に何度も行っている(絵2)。自分も何で行っているのか考えちゃった。そしたら、働いているお母ちゃん、アイスクリームを抱いて働いている、それが(あって自分が)安心している。働いているお母ちゃんが安心でそれを求めている。家にいても笑っているときも穏やかな時もあったろうが、狂ってしまうお母ちゃんがイメージで(在る)。働いているお母ちゃんを見て(それが楽しくて)、映画が楽しいわけでない。」
「(下校後の)バスケを(して)友達と別れて一人で帰る。休みはお母ちゃん追いかけて(遠くの町のその映画館に)行っていた。働くお母ちゃんは目が合うとニコッとする。映画が終ると出てくるお母ちゃん。2,3回(同じ題名の)映画は見た。だから(見たいのは)映画ではない。日常は(母親は)いるのに何でわざわざ(映画館に)会いに行っていたのか。(自分は)満たされないで不安で寂しい子だった。ジワジワ思い出した。溢れるような感情ではないが。」
<W>
絵には他の観客がいません。映画が終わって次の映画が始まる間の様子でしょうか。彼と、働けてニコッとする母親とが、二人きりになれる瞬間だったのでしょうか。家でも手にいらない瞬間だったのでしょうか。

<愛されて育ったと思い込んで来たというが、愛されないとどうなるの>
<H>
彼は言います。「寂しいとか(は心の)表にいて、お母ちゃんが死んでしまう怖さ(もある)。(しかし)内側は見せないように思った。そこには誰も入れないような感じ。内側には(愛された)誇らしいような感覚がある。」
<W>
「誰も入れない」で死守されるべき砦(とりで)なんですね。
<H>
しかし、彼はその後、愛されて育ったと「思い込んで来た」と言うようになります。
<W>
セッションが進んで余裕ができ「誰も入れないで思い込む」必要がなくなってきた・・・。
<H>
彼に聞いたことがあります。「愛されて育ったと思い込んで来た」というが、母親は自分の問題で追い詰められていて十分な愛情をあなたに注げたとは思えない。愛されないとどうなるのか、と。
彼は言いました。「死んじゃうような恐怖感。愛されていなかったら存在意義がないような恐怖感。ピンボケにして、見ないようにして、自分がないようにしてきたが、唯一「愛された」と思ってきたのでそれがなくなったら、ピンボケの自分だけだから、(自分は)いなくなる、消滅感か。怖いから(母親に)しがみ付いて癒着していた。」
<W>
消滅するんですね。
<H>
彼は続けました。「冷めていてピントずらしても母と同じところにいたから怖かったのか。難病で発病した時の恐怖は半端じゃなかった。お母ちゃんが死ぬか自分が死ぬ話か。だから罪意識か〈後年、母親は病気で亡くなるが、一緒に逝かなかった事〉。(自分と母親は)一緒なのに片方だけになった。それだけの癒着があったな。」
<W>
愛されて育ったという思い込みが必要でなくなり、辛い過去の記憶にも向き合うようになります。
<H>
そうです。話が少し戻ります。辛くて記憶を抹消していた、卒園した後から小学2,3年ごろのことです。
<抹消したいお化け屋敷>

絵3
<W>
記憶を抹消した中心の話がこの絵3と次の絵4になります。
<H>
母親の病状が悪化し入院のために家を引っ越しする必要がありました。引っ越し先の家を、彼はお化け屋敷と呼びます。
<W>
よほど嫌だったんですね。怖かったんですね。
<H>
母親の入院の時期に、彼は自分の小学校の入学式を迎えます。
<W>
この絵3は入学式の帰りですね。まるで絶望に向かって帰っていくようです。ピシッとした和服の女性は、お祖母ちゃんですね。
<H>
はい。
彼は言います。「(記憶がよみがえってきて)小学校の入学式の場面が出てきた。入学式の(自分の実際の)写真があるのだが、(それまで抹消していた記憶が)動き始めた。お祖母ちゃんが取ったのだろう。嬉しいのと不安が混合していて、どっちかいうと不安が大きい。入学式は初めてだから不安なのだろうが、(母親が)明らかに病院に入って(いたのに入学式のために)出てきたので、ビックリしたのといなくなる恐怖があった。嬉しさもあった。(式の時に母がいる)後ろをずっと見ていたときの感覚が出てきた。
怖くて、「またいなくなんだろう」と、最初からいなければいいが、いるのは嬉しいが又いなくなる。いなくなったのは病院に(帰って)行ったということ。(式にいたはずの)友達も出てこない。記憶喪失のようになっている。」
<W>
式の記憶が記憶喪失のようなんですね。
<H>
彼は続けます。「(入学式の帰りには)お母ちゃんがいなかった。お祖母ちゃんが怖かった(絵3)。お母ちゃんは(精神科の)病院に入院していたのだろう。牢屋(病院の中の鉄格子で区切られた空間)に入っているのは怖い。入学式の後にお化け屋敷(病院時代の自宅)に帰ったに違いないのに、お祖母ちゃんの背中を見て帰ったところは(記憶では)、(それ以前の彼が幼い時代を過ごした)両親がいたところの家だった。(実際は違った。お化け屋敷に帰った。)創作していた。無意識でそうした。(母が)入学式に来てくれたのは嬉しくなかった。「まだいる」「まだいる」「やっぱりいなくなった」と。泣きもしない。お祖母ちゃんが慰める訳でもない。抹消したい家(お化け屋敷)に帰った。」
<W>
記憶を抹消するだけでなく、別の家へ帰ったと、ゆがめて創作していたんですね。
<H>
さらに続けます。「帰り道は途中まで思い出したが、お化け屋敷は思い出せなかった。(夜寝たのは)どんな布団なのか、お祖母ちゃんと二人で寝たのか出てこない。出てきたのは、ごま塩のような石(花崗岩?)の台所に立っているお祖母ちゃん。お祖母ちゃんが洗物をしている背中が出てきた。中華料理なのかそこで卵焼きを作ってくれた。醤油付けにしたような卵焼き。お母さんの方は甘い卵焼きだった。毒々しい醤油味の卵焼きを思い出した。それを食べていたんだよな。どんなちゃぶ台だったのか覚えていない。」
<W>
家(お化け屋敷)も思い出せないし、「毒々しい醤油味」・・・嫌だったんですね。
<H>
「卵焼き」だけでなく「トウモロコシ」は今も苦手です。
「昼間なのに薄暗い部屋の風景が見えて。トウモロコシが出てきた。兄貴もいた。おばあちゃんが茹でたトウモロコシをオチャラケてグワーッと食べた。息が詰まって苦しかった。おばあちゃんも兄貴も助けてくれない。お母ちゃん助けてとやったが誰も助けてくれない。お母ちゃんがいなくなって後の事。寂しさの穴埋めで食べたと言うのが落ちた。ふざけてやってしまう事。何も考えずオチャラケて食べた。それで吐いた。死の体験のよう。怖い。誰も助けてくれない。お母ちゃんがいないと感じた瞬間が怖い。」
<W>
怖さを埋めるために「オチャラケて食べ・・吐いた」・・。
<H>
お祖母ちゃんは、卵焼きやトウモロコシをつくってくれたのに、彼は嫌いだったんですね。
<W>
それでもその人に命をつないでもらう(食べ物)しかない。
<H>
お祖母ちゃんの夫(祖父)は日本海軍の連合艦隊のお偉いさんだったらしい。そのせいなのか、お祖母ちゃんは厳しかったのかもしれません。
彼は言います。「離婚にもお祖母ちゃんは絡んでいる。凛として存在が強かった。尋常でない状況でも凄かった。普通でない状況でも動じないようにしている。祖母は、子供を一人養女に出し、母と、母の姉は精神的病を得ている。祖母は戦時中の時代の人で、連合艦隊の白服の夫を持ち、お国のためとやっていた代々の因縁があるのか。」
<W>
戦争のために人間性を自分から犠牲にしていった、そして子供も犠牲にしていった世代というのがあるのかもしれません。
<H>
犠牲にされた子供(母親)は耐えられないということなのでしょう。
彼は続けます。「お母ちゃんは寂しい。父親と別れたり、A兄ちゃんを含め(他の)おじさんも2回去っていく。支えになる人がいないとだめな弱い人が母だった。」
実は、彼の卒園前に、両親が離婚し父だけ家を出て別居しますが、このことが契機になって母親の入院があったと考えられます。別居と入院はほぼ同じ時期です。また、後で話題になりますが、A兄ちゃんが音信不通になって母親の大きな発作が起きます。
<W>
お祖母ちゃんも辛い、子供(母親)も辛い、孫(彼)も辛い・・。連鎖しているよう。
<H>
そう。「お祖母ちゃんと一緒に歩いている時(絵3)、お祖母ちゃんから逃れられない、後ろで黙って歩いていた。」

絵4
<牢屋>
<H>
絵3を描いたかなり後に、ようやくして上の絵4が描かれます。
<W>
なかなか思い出せなかった「ピンクのスリッパ」の上の部分ですね。抹消記憶の中心部分。
<H>
ええ。入院している母親です。彼は病院を牢屋と呼びます。
彼は言います。「お化け屋敷の時代に、怖いのが、母が精神科の病院に連れて行かれたこと。いかにも病院。分厚いガラスと鉄格子。まるで牢屋。面会をしたはずだ。鉄格子の精神病棟の奥にあって、あれが怖かった。中も二重になっていて、そこからお袋の顔が出てきた。鉄格子を開けて出てきて、怖かった。厚いドアの向こう、あんな奥にいるんだという恐怖。思い出そうとしても母親の顔(の詳しい様子)が出ない。顔を見ようとしても見えない。鉄格子だけ見えて、スリッパしか出ない。ピンクのパジャマを着ていた。大好きなお母ちゃんなのに顔を見ないで帰って来た。おかしい。二度と会えないという恐怖、(小学入学の)これからスタートという時に二度と会えない切り裂かれる恐怖。子供ながらに残っている。トラウマ。そこは怖い。」
<W>
顔の詳しい様子は出てきませんが、それでも、それまで出なかった「ピンクのスリッパ」の上の部分がかなり描かれています。彼の状況がよくなった証しですね。
<H>
彼は、自分が母親に愛されて育ったと言いますが、一方で、母親をお化けとも言います。もう一面があると言います。
「恐れているお化けは「愛してくれたお母ちゃん像が崩れる事」だと思う。(母親は私に)愛情一杯と思っているが、本当はどうかと。(母親の)もう一面を見る事になるから。母親が病気で死ぬと俺が死んでいなくなるという感覚はずっとあった。その時のお母ちゃんって嫌いだったと思う。病気が出てきたら「早く前のお母ちゃんに戻って」と思っていたと思う。でもどこかで罪意識があった。」
<W>
お化けに関して、何かの「罪意識があった」ということですね。ここは重要ですが、まだまだ、はっきりはしません。

<鉄格子というフィルターの中>
<H>
彼はよく、フィルターの中にいた、と言います。
「初めてお母ちゃんがキチガイ病院に入っていることを知った時、友達がいたけど、遊んでいたけど、一緒にいるが自分だけが違う所にいる感じで怖くて。何をやっても怖い。何やっても楽しくない。今の子じゃないからゲームもない。怖くて、怖くて。100パーセント影響を受けていた。友達の中にいるとき自分だけフィルターを掛けられているようだった。怖い。鉄格子の中に自分がいるようだったのか。」
<W>
母親と同じように自分自身が鉄格子のなかに・・・。

<H>
母親は2年後に退院して次の家へ引っ越し、やや安定した日が続きます(絵2)が、完全に安心できる状況ではありません。
「母親は2年間入院した。出てきてからは自力でいて病院に通っていて、大量の薬を飲んでいた。」
<W>
薬に頼るしかないのでしょうが、危(あや)ういですね。

(つづく)

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役に立たなければいらない2/3|役に立っても立たなくても最初からいらない|アコールセラピーの現場から(712)

(続き)2/3


絵4
<生まれて初めて怒りを出した><早く消えてしまいたい自分がいたのだろう>
<H>
彼女の不全感(絵1)がどこからくるのかという謎解きは、母親との関係で進みます(絵2、絵3)が、さらに、母親を含む家族との関係で、幅広く進んでいきます(絵4)。
<W>
家族との関係で母親を理解するという側面もあります。
<H>
この絵4では、幼い彼女が、家の階段の途中に座り込んで泣いています。一階には祖母と父が生活し、二階には母と妹が生活します。そして家族は一階と二階に分かれて確執があり、その中心は、母親とおばあちゃんの確執です。その確執の調整役として彼女は苦しみます。
<W>
一階にいる6つの顔に比べ、二階にいる二つの顔は、悲しそうです。彼女も泣いています。
<H>
彼女は言います。「小さい頃(小学校低学年)親戚が集まる時(お正月など)父が長男なので複数の弟(叔父さん達)が家族を連れて来た。私達、母と妹は二階に住んでいた。一階でみんな食べているのを階段のところから私は見ていた。母は二階にいるし、私が一階には行っては行けない雰囲気だった。いつも、誰かが来ると母は、表には出なかった。祖母は表で母の文句を言っていた。」
<W>
一階に行けないけれど二階にも居ない。階段の途中です。調整役だったんですね。
<H>
そんな状況下で、お母さんは、何とか彼女を利用して父の家の実質的な一員として迎え入れられたかった。
彼女は言う。彼女の不全感の原因は「父でも祖母でもなく、母だなと思う。母は生きるために私を産んだなと思う。」彼女が生まれる前、母親は父親と「2,3年別居していたよう。でもどうしてもお父さんのところに戻りたくて、母親の親に頭を下げてもらって父方の家に戻してもらった。ちょっとして生まれたのが私だった。母は自分が生きるために産んだのではないかと・・・考えたら涙が止まらない。何か繋がる感じだった。・・・いつも子供の頃思ったのは母親にしがみ付かれる思いだった。(そのころ)子供らしくいられないのは、(不自然にニコニコと)笑顔でいたのは、「お母さん大丈夫かな」と思っていたから。(お母さんを)助けないといけないと思う。」
<W>
命をかけての調整役を強いられた・・・。
<H>
母親にしてみれば、あなたの家の子供(彼女)を産んだので、私をあなたの家の一員にしてください、ということです。
彼女は続けます。「(大人になった現在の)仕事も「責任感」とか、「どうにかしなくちゃ」、「見てみぬ振りは出来ぬ」というようなのがあるが、それ(母親に対する気持ち)と繋がるのか。」と彼女は推測する。
<W>
「役に立たないならいらない」で仕事も頑張るということですね。辛いです。楽しくないですね。
<H>
このように謎解きが進んで、彼女は怒りを出せるようになった。「・・・ブレスをして、怒りを、多分生まれて初めてだと思うが出した。・・・・・・・(それ)から仕事が凄く楽になった。疲れてもよしやるか、となる。」
<W>
よかった!生まれて初めて・・・。乾杯!
<H>
こんな時はその夜などに乾杯しますね。
<W>
その時はどうでしたっけ?
<H>
実は私もあまり覚えていません。乾杯はしょっちゅうやってますから。(笑)
<W>
次、いきましょう。
<H>
怒りが出せるようになって、閉じ込めていた自分自身の気持ちに気が付くようになります。「お母さんに愛して欲しいというのを、子供の時に諦めている。無理だと。でも本当は求めていた。単純に抱きしめて、添い寝して欲しい。(でも母は)いない、(私を)見ていない、だから諦めた。怒りより、寂しさが今回出てきた。」
<W>
生まれて初めての怒りが出せて、生まれて初めて本当の「愛して欲しい」が出ます。
<H>
感激します。
彼女は言います。「発見って楽しい。自分を知っていくのは楽しい。今年の春は一番の春だった。桜がきれいだし緑が・・・と良い春が来た。こんな感覚始めてだなと。」
「子どもの時っていつも死んじゃうような不安があって生き急いでいるようなのがあった。(大人になっても)早く仕事で一人前になりたいとかだった(不自然に急いでいた)。本当は死にたいのかなと。早く消えてしまいたい自分がいたのだろう。」
<W>
そういうことなんですね。
<H>
彼女は、階段の途中(図4)は長いことかかって、ていねいにやりました。納得するまでやりました。それがよかったと思います。本人(彼女)が納得するまで。結果的に、進みが速かった。


絵5
<最初からいらない子:無条件の死>
<W>
いよいよ、です。
役に立たないならいらない(絵3)という「いらない」の意味は、母の殺意でした。つまり死でした。「役に立たないなら」という条件付きの死でした。その殺意は幼い彼女の中に取り込まれ「本当は死にたい」「早く消えてしまいたい」という自分を形成しました。それが、やがて絵5のように解明され、役に立っても立たなくても最初からいらない、無条件の死ということが分かって、大きな手がかり、大きな解放になりました。
<H>
はい。
この絵5に描かれているように、怨みツラミを繰り返す母に、彼女は何とか役に立って生きようとしがみついつきます。しかし、母は振り返らず、怒ったまま、まるで脚にとまったセミでも振り払うように、彼女を振り払います(絵の左下)。それは繰り返えされ、母は永遠に振り返らず(絵の中央)、彼女はどこまで行っても果てしなく一人ぼっちでした。そして彼女はついに悟ります。自分は、役に立っても立たなくても最初からいらない子だったのだ(絵の右上)。無条件の死がそこにありました。
このことは、大きな手掛かりになり、彼女が解放される転換点になりました。彼女は言う。それまで仕事で対面する「お客さんも怖かったけれど(無条件の死に気が付いたときから)(何かお客さんからのクレームがあったときなどの)「どうしよう、どうしよう」というのは無くなったかな。〈余裕が出てきたよね、何でそうなったのでしょうか〉役に立とうとしてもしなくても「いらない」だった。「最初からいらない」は大きい。「役に立つなら良いよ」にしがみ付いてきたから役に立とうとニコニコしていた。その呪縛が取れた。(本当の気持ちから)仕事したい自分もいるし、しなくてはいけないという呪縛が取れた感じ。「役に立たないとダメ、頑張らなくちゃダメ」が無くなった。」
<W>
無条件の死で解放されるというのは、ベビーブレスを体験した人に共有できる凄味です。
<H>
一生ものですね。こんなブログだけでではなく、人のお話だけではなく、ぜひ体験してほしいです。

絵6
<無条件の死から無条件の生へ>
<W>
彼女はさらに進みます。
<H>
この図6では、左端に彼女が描かれ、目の前には、果てしなく遠く暗黒の宇宙へ続く無条件の死があります。彼女は、小さな地球の上で大の字になって、暖かさを感じ、無条件の生命を感じています。
<W>
無条件の死を受け入れたら無条件の生命が待っていた・・。

<H>
彼女は言う。「「役に立たないならいらない(絵3)」「役に立つならいていいよ」と、長い間味わってきた。そこを味わっていた。ずっと寂しいもの。条件付きのもの。それが、無条件で「いらない」(絵5)。永遠に一人ぽっち。その気づきがこの前だったが、ずっと引き続いてきたものは死だった。・・・じっくり味わっていた。そうだよなー、と。
何もない感じで瞑想していたら、ちゃんと「生きる」がある。正反対のものだけど「生きる」がある。(今まで生きてきたのは)ずっと誤魔化しの生きるだった。死をないことにするために、生きていいために、誤魔化しの死、だった。長い間生きてきたけど、我慢してきたんだなと。瞑想の時、ポッとお腹の中に「生きる」があった。嫌な感じはしない。(そこを)もっと味わいたい。良いよねと。(今まで、見かけ上は)生を引き継いできたけど(実は)死を受け継いできた。」
<W>
無条件の生という開放を手に入れた・・・。無条件の死を受け入れたら無条件の生命が待っていた。生と死の統合の目覚め・・・。

(続く)

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ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違2/2|セラピーの休憩時間(706)

<以下は前回の続き>

ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似:二つ目の類似

(W)

二つ目は、論理的ではうまく説明できないこと(②)です。

母親へのアンビバレンツは理論です。文章で説明できます。しかし、アンビバレンツを受け入れ解放される現象が、なぜ起きるのか、準備を重ねつつも、それまでなぜ起きなかったのかは、説明することができません。

(H)

受け入れるのは辛かったんでしょう、としか言えません。

(W)

とはいえ、アンビバレンツの受け入れ現象には、言葉では説明しきれない不可思議な感じが付きまといます。理屈としての不思議さですが・・。

辛いといえば、悟ること自体も実は苦痛が伴うのかもしれません。だから時間がかかるのでしょう。禅の悟りも、理論では説明できないことが知られています。不立文字などと言われます。

(H)

一般に仏教では、親には感謝しろ、と言われるでしょうから。アンビバレンツはね~。

(W)

怪しいですね。悟りは、母親へのアンビバレンツの内容には触れないまま、アンビバレンツ自体を乗り越えようとする離れ業なのかもしれません。

(H)

キリスト教のマリア様信仰も、母親へのアンビバレンツには耐えられないので、理想の母親像をつくっているように見えます。満たされなかった母親への愛情を、マリア様に向かって解き放とうとすることのように思えます。

(W)

三つ目は、二元論から離れること(③)です。

禅の悟りにより、人は二元論(主義)を捨て去る(鈴木大拙「禅学入門」悟り-新境地の獲得)と言われます。二元論のうち心理的なものとしては、愛憎や生死は最大のものでしょうから、母親へのアンビバレンツを受け入れ解放される現象は、そのような二元論から離れることに他なりません。

(H)

いよいよ、難しくなりました。

(W)

いえいえ、難しくありません。

母親への愛憎のアンビバレンツを受け入れると、次は生と死です。人によっては、「次は」という時間はなく、同時に起きます。母親からの愛情は生です。母親からの愛情なしは死です。それを受け入れることは、生と死のアンビバレンツを許すことになります。

つまり、アンビバレンツのうち半分の否定的な部分、愛情の不在、すなわち死が、はじめて受け入れられます。一人ぼっちの愛情なしの死です。究極の死です。その受け入れ後も、なお、私たちは生きていくのですから、そのときに、生死の二元論からも離れるきっかけが与えられることになります。

(H)

二元論などというと難しく感じます。でも、言葉は別にして、中身を聞くと、セッションで毎日扱っている内容です。

(W)

そうです。

(H)

あなたが時々言うのを聞いたことがあります。あれですね。

(W)

あれです。死にながら生き、生きながら死ぬ。

(H)

解放を、言葉で言おうとすると、そのようになるのでしょうね。

(W)

しかし、生と死は、言葉の意味が正反対ですから、そのような言い方は凸凹していて、真意が通じなくなります。そう言う時の生死の意味は、反対ではなく、同じなのです。実は、生きながら生き、死にながら死ぬ、と同じニュアンスです。

(H)

解放ですね。

(W)

四つ目は、人生の大きな変化(④)です。似ています。

母親へのアンビバレンツを受け入れ解放されると、その後の人生に、大きな変化が起きます。その人の感覚そのものが、その日を境に、大きく変わります。これも禅の悟りの場合と類似するようです。

(H)

アンビバレンツの受け入れの場合も、家族などの人間関係の改善や仕事の改善などが報告されますが、中心にあるのは、生きやすくなった、という感覚です。生きやすくなった、というのは平凡な表現で、本当は、その人の中で何かが変わるというのが、実際の感じのようです。

(W)さて、以上は、ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似するところを話しました。今度は相違するところを話したいと思います。

(H)

はい

[Ⅱ]相違

(W)

私の感覚としては、類似よりも相違のほうが、より多くのヒントが得られると思います。

(H)

ベビーブレスや禅を、客観的に理解する上でのヒントですね。

(W)

はい。

母親へのアンビバレンツの受け入れる手法と、禅の手法は、次の部分で大きく相違します。つまり、禅の修行では、母親へのアンビバレンツを観る作業を、それほどやらないようです。もっとも、仏教一派の修行法として「身しらべ」があり、禅の公案には「父母未生以前の真面目」(父母が生まれる前の本当の自分とは何か)というのがあります。が、全体の修行の一部にしかすぎないようです。

(H)

禅は、なぜ母親を積極的に扱わないのか、という点ですね。

(W)

そうです。

(H)

精神分析の世界ではメラニークラインが正面から扱っていますが、フロイトご本人は扱っていません。

(W)

フロイト本人の事情が絡むと思います。

(H)

では仏教の場合には、ダルマさん自身の事情が絡んだのでしょうか。

(W)

わかりませんが、その可能性もあるのでしょうね。

その個人的な事情以外にも、社会的事情も絡むと思います。

(H)

世の中の事情ということでしょうか?

(W)

はい。禅を含む仏教は、長い時間をかけてインドから中国を通って日本へ伝わり、国教として認められるなどして、生き残ってきた事情があります。ですから治世する側(国)の要請として、当然に、両親への感謝は保持しなければなりません。

(H)

道徳や倫理ということでしょうか。

(W)

そうです。かなりの時間を通して、儒教を信じる人たちは多数派だったでしょうから、それに面と向かって反したら、長い時間は生き残れないでしょう。

(H)

大変だ。

(W)

フロイトだって性的な問題を根本的に扱うことになったので、社会から手厳しくバッシングされた経緯があります。

(H)

性的な問題を扱うこと自体が反社会的だということだったのですね。

(W)

仏教だって反社会的なラベルを貼られたら生き残れなかったはずです。

(H)

生き残る便法としての意味もあったということでしょうか。

(w)

両親のうちでも、特に母親への恩は大事にしなければならず、母親へのアンビバレンツを受け入れるというテーマ自体が、難しいものであったのかもしれません。

引きこもりからの自立等いろいろな心理的悩み相談や心理カウンセリングのお試し無料あります。さらにベビーブレス(アコールで開発した独自のブレス,ブレスワーク,またはブリージング)ができるようになれば精神分析の組合せで大きな効果があります。東京府中

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ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違1/2|セラピーの休憩時間(705)

「ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違」

(H)

今日のお題は何やら難しそうですね。

(W)

いつか話したいと昔から思っていました。

(H)

やさしく話してくださいね。個人的には少しは聞いていますが・・。

(W)

ベビーブレスによる爆発するような大きな気づきがあります。同時に大きな開放があります。禅仏教にも、悟り、というものがあります。類似する点があります。

(H)

似ていることが不思議だということでしょうか。

(W)

いえ。当然だと思います。人の心の奥底は同じでしょう。同じホモサピエンスの脳を持っているのですから。

(H)

不思議でないとしたら、何が、ポイントなのでしょうか。

(W)

ベビーブレスや禅で、人の心の奥底に何が起きるのか、より客観的に理解できるのではないかということです。

(H)

はい。

より、はっきりするということですね。

(W)

ベビーブレスと禅。二つ以上の視点を持つことはとても重要です。

(H)

動物が二つの目があるのは、獲物をはっきり見定めるためですね。

(W)

そう。象徴的に。

ベビーブレスという手法で探求を続けると母子関係の「アンビバレンツの受け入れ」という問題に到達し、やがて突破します。それは強力ではあるものの一つの視点、もう一つ欲しい。

(H)

アンビバレンツはキーワードですね。日本語で両価性と言われます。その意味するところは、セラピーの現場でとても重要ですね。「このくそババー!」という究極の殺意と、「ママー!」「かあちゃーん!」という愛情の本質のようなものが、実は同じものと気が付く瞬間があるのですよね。セラピーのだいご味です。

母親には本当の愛情がないことで小さな乳幼児は死を突きくけられる。一人ぼっちの死。究極の恐怖です。他方、母親は、自分の生命を支えてくれる全宇宙のような存在。そのことに気が付くとき、死と生を同じものとして受け入れる。

(W)

そうです。「アンビバレンツの受け入れ」と言葉では簡単ですが、果てしなく大きなことです。ドカンとくるような大きな気づき、大きな開放です。

(H)

もう一つの視点が欲しい、というのは?

(W)

「アンビバレンツの受け入れ」がいくら大きなことと、こちらがわかっていても、ベビーブレスを体験しない人には、説得力がない。今はやりの言葉で言えば、エビデンスが足りない。

(H)

エビデンスは十分です。何を言いますか。実際に人に、大きな気づき、大きな開放があるのですから。世の中に、これ以上大きな事はないくらいです。山のように動かせない証拠です。

(W)

それは体験した人のことです。体験しない人にはさっぱりです。このブログを読む人には不十分です。体験しない人には、言葉の説明しかありません。エビデンスというのは言葉によるエビデンスということです。客観的な理解というのは、極論すれば、言葉です。

(H)

体験しない人に言葉で伝えるのは難しいでしょう。

(W)

その通りです。

しかし、ブログを出すというのは、その難しさにあえてチャレンジするという面があります。難しさを、少しでも減らすために、二つの視点が有効と思うのです。

(H)

そんな難しいことをやらなければならないのだったら、私は、一人でも多くの人に実際に「アンビバレンツの受け入れ」を体験してもらう苦労をしたい。

(W)

うーーん。まあ、まあ。そう言わずに。

体験した人にも全く関係ないことでもありません。体験し大きな気づきがあり大きな開放があっても、それが瞬間的なことで終わってしまう弊害があります。大きな気づき大きな開放があった結果、家族などとの人間関係が改善し、自分自身の生きやすさが生じても、そういう結果物、そういうお土産(おみやげ)だけで満足し、自分に何が起きたのかを検討しようとしない弊害があります。私は不満ですね。

(H)

確かに、ニコニコして明るくなり、楽しそうに、いろいろな改善を報告して来ても、なぜ、そのようなことが起きたのか、振り返れない人もいますね。私だって不満です。なにやら浅い感じがします。

(W)

そうです。振り返って検討することは大切です。客観的な理解は必要です。

(H)

そのために二つの視点が必要ということでしょうか。

(W)

はい。

ベビーブレスと同じように自己を深く探求するものとして禅仏教(禅宗)があります。宗教ではありますが、ほとんど心理学に近い感じです。禅宗の本で、修行僧が「道でブッダにあったらすぐに殺せ」という話がありました。宗祖様を殺せとは・・。宗教を超越する雰囲気があります。重要なのは宗祖様ではなく自己ということです。もう一つの視点として有力です。

(H)

わかりました。

それでは、禅宗の悟りとの類似と相違、お願いします。

[Ⅰ]類似

(W)

まずは「類似性」です。

アンビバレンツの受け入れによる解放と、禅の悟りとは、際立つ類似性があるように思われます。4つくらいありますかね。

(H)

ほー。

(W)

といっても、私自身が悟りを経験したことはないので、禅の悟りの材料は、書物です。

経験していれば、もっとたくさんの類似点を挙げられるのかもしれません。これは想像ですが、無数に挙げられるのかもしれません・・。

(H)

ほーほー。

(W)

一つ目は、突然やってくること(①)。これが似ています。

ベビーブレスを中心としたアコールのセッションでも、母親へのアンビバレンツを観るために、カウンセリング、ベビーブレス、寸劇などいろいろ行っていきます。アンビバレンツの概念は、理論で理解できます。自分の成育歴も、文章化できます。過去の母親との係わりを調べることができます。

(H)

仏教でも、身しらべというのがあるようですね。

(W)

あなたは長い間、似た行をやってきましたね。

(H)

はい

(W)

アコールでもいろいろ行いますが、しかし、それらは準備にしかすぎません。実際に、その人がアンビバレンツを観て受け入れ解放されることは、突然にやってきます。

(H)

そうですね。ある時、潮が満ちるように、ね。

(W)

禅の悟りも、些細な物事をきっかけに、突然やってくることが知られています。この辺りは、書物にいろいろありますね。

(H)

ほうきで掃いた小石が、竹の幹に当たって、コーンと音がした瞬間に悟ったとか。

(W)

それは有名ですね。禅寺の美しい庭が想像されます。おしゃれなほうです。悟りの瞬間をたくさん集めた書物によると、便所で小便をしていてブクブク泡が立った瞬間に悟った、とかいうのもあるようです。

(H)

・・・・・。

(W)

なぜ突然くるのか。

(H)

毎日セッションしていて、クライアントの抵抗と対面している側としては、抵抗が突然に崩れ落ちる感じは、なじみがあり、違和感がないのですが・・・。

(W)

はい。

脳の中がどんな風に突然変化するのかも興味があります。想像しかできませんが、神経細胞がつながっていき、ある瞬間に必要な電流の臨界に達するのかもしれません。

(H)

むむ。

<以下は次回に続く>

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大きな壁を突破して絶好調の毎日|絶望を手に入れたとき「私、解った!」|セラピーの現場から(695)

<W>
今日はYさんのインタビューをしたいと思います。
<H>
Yさんは大きな壁を突破して、絶好調の毎日を過ごしています。
<Y>
(笑)
<H>
ご自分でも、今まで経験した自分史のまとめを書き始めているということです。しかし、絶好調のせいで、新しい仕事も始めたということもあり、日常もいろいろ忙しいようで、自分史の完成は時間がかかるかもしれません。とりあえず、皆さんにご報告したいので、今日、インタビューさせていただきます。
<Y>
毎日が気力に満ちて充実していて、夜はコテッと寝てしまうんです。
<W>
(笑)
<H>
ベビーブレスを始めた頃のあなたは、全くやる気がなかったですね。
<Y>
最初のベビーブレスは、高校生の頃です。そのころ、朝起きる事が出来ず学校も遅刻するようになり、夜になったらバイトに行く…また朝が起きられないの繰り返しの私にうんざりしてました。母親に勧められて、嫌々ベビーブレスをしました。「やりゃ良いんでしょ、あなたが満足するんでしょ」とやった。呼吸もせずにただ寝ていたんです。
<W>
始めたきっかけは子育てがうまくいかないということでしたね。
<Y>
子育てでオッパイが出すぎたということもあり、オッパイを上手く吸ってくれない娘のせい‼︎とイライラして、4階から子供を放り投げるイメージが出ていました。それを思いとどまったのは私の愛情だ、と自分に言っていました。子供の大事な成長期にネグレクトが続いたことも、思いとどまった愛情の結果だったんです。
<H>
ベビーブレスなどのセッションを続けて「絶対嫌」というのが手がかりでした。重要なところで口癖のように「絶対嫌」と言っていました。何が絶対嫌なのかはっきりしないところがありましたね。
<Y>
心の傷の奥底を「絶対嫌」と言っていた。今思えば絶望だった。心の谷底へ通じる淵。とてつもなく怖かった。愛情や殺意がバラバラに存在していた。そのことが話題になっても、せっかくバラバラにしたのに何故一つにしないとダメなのと、いう感じで、ピンとこなかった。
<W>
なるほど。
<Y>
バラバラになっていることこそが、自分の存在意義の感じなんです。うまくは言えないけれど・・。いろいろの心痛やトラブルを、バラバラになったそれぞれのせいにできる。ある心痛は愛情のせい。あるトラブルは殺意のせい。傷の奥底に絶望があってバラバラにした。愛情や殺意は、本当は自分の中にあって、自分という一つのものなのだけれども、バラバラにしておくことで、全部周りのせいにできる。この私の愛情があってそうなったの!私は悪くない。私に向けられた(母からの)殺意に対して、殺意でやり返して生き抜くことが私のすべてだった。怒りでやり返すことが自分の存在意義だったんです。
<H>
激しい怒り(殺意)がありました。絶望を怒りで追い払うというか・・・。
<Y>
ところが、絶望を手に入れたら怖くない。絶望を手に入れたとき「私、解った!」と叫んだ。何度も叫んだ。その感覚を説明するのは難しい。これこそが本当の私の存在。生きていても存在がある。死んで体が無くなっても私の存在がある。
<W>
バラバラのものが一つになることが、谷底淵の絶望だったんですね。
<H>
Yさんの描いた絵はそう言っているようにみえますが・・。
<Y>
そこのところは未だによく言葉にできないんです。「解った!」という感覚ははっきりしていますが、感覚のままなんです。
<H>
「解っ」てみると、生きることも死ぬことも私だ、という感覚なんですね。
<W>
言葉による説明を越えていますね。絶望が嫌だったのでバラバラにした。絶望を手に入れたから怖くない。そういうことになりますね。
<H>
今のYさんは以前にくらべ堂々とした美人で別人のようという人もいます。美人の度合いがますますパワフルになって、そばにいると、こちらも元気になります。
ご自分で意識するのは難しいかもしれませんが、どう変わったか、教えてください。
<Y>
私は、死や病気に対して人並み以上の恐怖があったんですが、最近の乳がんの検診でビクビクしない自分がいました。それまででは、あり得ない感じです。今までだったらパニックになっていました。持病の足爪の治療も怖くなくてできた。
仕事も新しく二倍にしました。やりたいんです。新しい仕事の指導を受ける時も「緊張していないね」と言われました。古い仕事の仕事場でも、自分は楽になっている、と感じています。そのせいか、同僚に「やっと心が開いたのね」と言われてしまいました。
<W>
子供さんへの気持ちはどうですか。
<Y>
子供を憎たらしいと感じるのは消えてきました。でも全て消えたというのではなく、突発的に子供へ怒りを感じることもあります。そのときも「私の殺意だ」と分かる。認識できるので楽です。今までと違います。そのため自分にも子供にも隠さなくて良い状況になっています。今までは子供への殺意を隠していたので後悔したり、子供の事を思うと切なくなり、辛かったです。

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あれっ、戻ってしまった|セラピーの現場から(690)

戻ってしまった人のために
<W>
今日は「あれっ、戻ってしまった」という話をしましょう。
「H」
時々ありますね。
「W」
本人は分からないで、かえって周りの人は気が付きますね。
「H」
本人の無意識で起こっていることなんですね。
「W」
ベビーブレスやカウンセリングを通して、その人が自分の心の深い部分の傷を観ることができたときには、周りで聞いている人も、そのことを感じます。
「H」
少なからず感動もします。多くの場合には、そのことをきっかけに、その人はグングンと良くなっていきます。
「W」
ところがまれに、そうならずに、戻ってしまう人がいます。その人の話を聞いていて、「あれっ、この前の、あの大きな気づきはどこへ行ったの?」「お母さんに対する、あの隠れていた気持ちはどこへ行ったの?」と怪訝に思ってしまいます。別人の話を聞いているようです。
「H」
戻ってしまったんですね。防衛機能の反撃です。瞬間的に観たけれどもやはり受け入れ切れないので閉じてしまう。心を開いたことで余計に傷に響き痛みを大きく感じる。
「W」
しかし、繰り返し傷を観て少しずつ痛みを受け入れることで本物になっていく。繰り返しが必要。
「H」
頑張れ!・・・といっても、本人はたいていポカンとしてますね。

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愛情が欲しいが生きたいとは思えない|記事<676>〜<681>について|セラピーの現場から(682)

<W>
記事<676>〜<681>について本人に許可を得て対談したいと思います。
以前の彼女(本人)は、職場への強烈な不満を抱え、転職も繰り返し、その葛藤の真ん中で苦しんできました。実は、背後には母親との依存があったものの、そのことにはあまり触れることができませんでした。ましてや自分自身の本当の心の傷を観ることはできませんでした。
<H>
そのことを想うと、今の彼女は、驚くほどですね。褒めてあげたいです。
<W>
良かったですね。大きなきっかけは、やはり、あれですかね。
<H>
そう。母親の娘への依存がとれた。無くなった。そのことが大きいですね。娘は、そのこと(母親が離れたこと)に不満を述べていない<676>。もっとも自分自身の母親への依存は残っている。
<W>
残っているけれど少しづつ、とれざるをえない・・。
<H>
今までは純粋に職場への不満でした。強烈でした。それが変わってきた。<676>にあるように、自分は愛情が欲しい。生きたいとは思えない。それでも何とか生きるために、形にはめて生きようとする。でも生きる資格がない。もともと要らなかった(存在を望まれていなかった)自分。これらのことが正面から認識できるようになってきているということです。自分の問題として扱えるようになっている。
<W>
はい。それらの事実を受け入れ始めている。それら(不満)が外側の(職場などの)事柄ではなく、自分自身の事柄だと言うことをを受け入れ始めている。大きな進歩だと思われます。職場のトラブルを、自分のみじめさを、「境遇のせいにして」と、はっきり述べている。今まではこのことが全く抑え込まれてきていました。
<H>
それまでは「良い子」をやっているので、職場の不満が溜まり、そのことを家で愚痴る、というカラクリを述べることができている。職場へ本当の不満があるというよりは、仕事のせいにしていると、客観視しています。
<W>
「良い子」というのは、重要なカギですね。表面的には、職場で活躍することを通して世間に認めてもらおうとすることですが、無意識的には自分の存在を、生存を、親に認めてもらおうとすること・・・。さらには、親が無理なので、宇宙(大きな存在)に認めてもらおうとするような・・・。
<H>
同じく変化したこととして、それまで相手にしなかった父親のことも話に上るようになっている。
<W>
意識の変化が次々に起きてますね。
<H>
<676>や<677>にあるように、父を通して自分を理解するようなところが述べられていますね。仕事だけを頑張って死に向かうような病気になっている父、を通して、同じような状況にある自分を認識する。父を理解し自分を理解する。彼女の深まりを感じます。
<W>
はい。父を単に無視し軽蔑するような状況から、事の次第を理解することへ、大きく前進した感じがします。
<H>
<677>にあるように、彼女は自分の「セッションが深まった」と言っている。その通りだと思います。
自分の二重性や狂気のような寂しさの存在に気づき、それを述べることができる彼女は、それ以前のひたすら職場への不満を述べることしかできなかった彼女と比べ、天と地の差があるように感じます。
<W>
ここでも母親からの助けは大きいですね。「楽をして治ることはない、痛みを通してしか分からない」「あなたも分かっているだろう」と母が言う。彼女も、私にとって母親は重要だ、と思いを漏らします。
<H>
母親が依存を抜けましたから、そのことが大きいです。
<W>
<678>にも、それまでなかったようなこととして、職場の人に優しい気持ちを持てる体験をしたことが語られます。それは、父親のこと、ひいては自分のことを理解したことと同じ広がりを感じる。理解の広がりとでも言えるようなことですね。
もらった花が枯れること、人が死ぬこと、ひいては自分の人生、人の人生全体に思いが至る。お母さんと一緒に死にたいと思ったのは、過去のこととして、述べられています。今はもうそうではない、ということ。
<H>
自分の問題になれたという事は凄い事です。それまで(職場など外側への)攻撃ばっかりだったのに、このように自分の中に入れたのは、何度も言うけどすごい。父の姿も響いたと思うけれども、母親が依存から抜けていったのは決定的だった。そして、母親に依存させてもらえず、孤独に直面し、自分の問題を見ることができた彼女を褒めたいと思う。よくやった。
<W>
彼女は自分の問題を「過剰なもの」として表現し、その正体がこころの「傷の中」にあると意識しています。はっきり意識しています。大きな進歩ですね。
次に<679>は揺り戻しですね。大きく前進すると、その直後に、かなり後退することがあります。3歩進んで2歩後退。
<H>
短い時間で見ると、2歩進んで4歩後退だってあります。いろいろある。傷に触れて大きな気づきがあり気持ちの良い反面、傷に触れた痛みにびっくりして後退してしまう。無意識でね。
<W>
「どっかやっちゃっ」ても、やっちゃったことを再認識できないということも、他のケースではありますが、今回は彼女はしっかり認識しているので、ここもやはりすごいです。<H>
娘の揺り戻しを見た母親のアシストがすごいです。「あなたを1番騙してたのは私お母さんだよ」とか、「捨てるべき人は誰?バーカあかんべえ」とか、いやはや、頼りになるお母さんです。
<W>
ここのところは一般の人には難しいので、分かるように説明してください。
<H>
無理かも。実際にブレスをやり自分の依存などの傷を体験しなければ、この頼もしさは分かりにくいでしょう。
<W>
それまでの相互依存のいわば暖かさが前提としてあるので、その依存関係が偽物だったとして切って捨てるような鋭さも、冷た過ぎない。なんとか自分の苦しみから(いまだに続く自分側の依存から)脱出し本物になろうとする人には、かえって、砂漠で水のようなありがたさがある、ということでしょうか。
<H>
<680>では、その頼もしさの効果が語られています。彼女は、自分が一人ぽっちという本当のところを隠すために、「お母さん大好き」一本槍でがんばってきた。それが、お母さんから面と向かって拒否されることで、「私も嫌い」かもとなり、本当は「母から操られていた」、ということに焦点を当てるようになりました。
<W>
子離れから母離れへ、ですね。
<H>
それまで深い相互依存の状態であったところを脱して、娘を突き放したお母さんの功績です。そして、それに耐えて自分の中に入っていこうとした娘の頑張りがあります。
<W>
耐えざるを得ない。耐えられた結果、「胸がギューっとな」ることがなくなって来たり、泣けなかったのに「傷そのものになってただ泣く」ことができるなどの回復が起き始めた。
<H>
娘は、傷に触れ、傷を吐き出す作業を心地よいと感じている気配があります。心地よいと感じる事はとても重要なことです。それまでは嫌で逃げていた。今は、逃げないどころか、まったく反対で、心地よい。そのことが彼女が語る内容全体から感じ取れる。大きな前進だとおもいます。

<W>
次の<681>の部分でも、先導役としての母親の役割が大きいですね。
<H>
彼女が「殺すより残虐だ」と言ったら、母親は「そうかもね」。すごいですね。普通は否定や自己弁護などしてしまいますね。『そんなことはありません、私だって私なりに頑張ったのよ・・』などなど。
<W>
母親自身が苦しみ抜いて自分の傷を観て依存を抜けていきましたから。その母親の言葉ですからね。迫力はあるでしょう。
<H>
セッションで「傷そのものが自分の中から出せている」と彼女は言います。今度は彼女自身が、自分の傷を観て依存を抜けていこうとしています。
<W>
それはもう起き始めていますね。<681>の後半で、彼女は自分の傷を観て、自分を認めたことの、独特の清々(すがすが)しさが、彼女の言葉で語られています。

 

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愛情が欲しいけれど生きたいと思えない|職場への不満と母への依存1/6|セラピーの現場から(676)

彼女がセッションを始めたのは職場への不満に取りつかれて身動きが取れなくなっていたためでした。背後には母親への強いあからさまな依存がありました。もともとは母親との相互依存が始まりでしたが、母親はセッションにより依存を脱出していました。
あたかも母親への満たされない思いが職場への攻撃になっているようでした。母親は依存させてくれなくなりつつあったので彼女はいよいよ孤独でしたが、その孤独に向き合わざるを得ないために、一筋の光もさしてきました。
<愛情が欲しいけれど生きたいと思えない>
愛情が欲しい。何故か分からないが泣きから始まって、お母さんの愛情が欲しいでなく、みんなの愛情が欲しいになっていて、気持ちが欲しい、関心が欲しい、好きになって欲しい、愛が欲しい。そういう気持ちに支配されていた。(お母さんは今はセッションをしたため自分の傷に気づき、ちゃんと関心を持っているが昔は)母の愛情もなくて来たから。
愛情が欲しいだけの私。それだけ。自分がない。
でも、セッションで「愛情が欲しい」とやると、本当に一杯もらったら死ぬとしか思えない。愛情を貰って死にたい。「死にたい」がある。
<型にはめて生きようとする><でも生きる資格がない>
私の中では「生きていて良い理想の人像」があって、どうしても本当の自分を無視してそこに収めようとしている。
(もともと母親に望まれず)要らなかった自分、死にそうな自分を守ろうとして、だんだん分からなくなって、型にはめて生きようとする。が、分からなくなって、生きる資格がない。生きたいと思えないのが(セッションでの)一番の泣きだった。(それは始めは)何だか分からない感情だったが出て来て良かったなと、思えた。
「生きたい」とやっても「死ね」と返って来る。「生きてはダメ、死ね」という自分に泣いた。私には生きたいというのがないのか、目標は愛情を貰って死ぬんだとなってしまう。
価値のない自分に泣けた。生きたいという価値も資格もない自分。その自分も隠そうとして見ないようにしている。うまくいかないと、頭だけで理想像に走って、(本音や感情がなく)泣けない。そんなセッションをやっていた。
<父親の危機的病気>
そうしているうち父親がトイレで倒れた。知り合いが癌の末期と聞いたショックからだった。脳梗塞だった。救急車を呼んだ。フラフラしながらも自分で歩いていたので大したことはないかと思っていたが、大手術することになった。
そもそも父は、いても、いないようなものだった。いないのは慣れている。金銭的支えはあるだろうが、心の支えでない。かえって、自分の心の空白と向き合えない父が四六時中かけているテレビの音がなくなって良かった、と感じていた。
それよりもお母さんが、病院に行くことで、疲れがあって、心配にはなった。
<自分の「惨め」さを境遇(職場)のせいにし、左右に揺れ、時間に追われて・・。>
そうするうちも相変わらず、職場のことで何回も母と喧嘩した。自分は職場を辞める、辞めないで左右に揺れて両親に愚痴を言った。そうしたら「生き死にがかかった人(父)に言うな」と母に怒られた。辞めたいなら辞めて「好きにしてくれ」と言われた。喧嘩した後、仕事に行きたくなくてじっとしていた。本気で辞めようかと思った。
でも職場に行くと、私だけ作業の「時間がない」とガガーッとやる。怒りながら作業をしている。時間に追われて胸が苦しく楽しくないまま、「急げ急げ」で1日が終わる。
<明日になるのが怖い>
最高に苦しかった時など、休日に日が沈むのを見ると、胸が苦しくなり、明日になるのが最高に怖い時があった。明日になるのが嫌だから死にたいと本気で思った。人に会いたくない。
<いい子をやって内心怒りがいっぱいで帰ってきて愚痴る>
そんな気持ちを引きずって仕事場のドアを開けた瞬間に、仕事イケイケどんどんの自分が出てきて、怒りの勢いでうれしくも楽しくもない気持ちですごい勢いで仕事をこなすが、人への敵対心を隠すようないい人、いい子をやって内心怒りがいっぱいで帰ってきて親に愚痴る。
まるで自分で自分の頭を鈍器で殴って気絶させて胡麻化しているような、嘘だらけの毎日である。仕事のせいで私は本当のなりたい自分になれないと思っていた。

<<続く>>

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二番目の壁|セラピーの現場から(670)

<W>
今日は、ベビーブレス(ブレスワーク)で乗り越える二番目の壁のようなものについて、例を挙げて、話したいと思います。
<H>
はい。
<W>
壁のようなものは大きく二つあるように感じます。一番目の壁は、「出せるかどうか」の壁です。自分の中に入って行って、それまで長い間隠していた(といっても意識的ではないですが)怒り、悲しみ、恐怖を出せるかどうかです。
<H>
はい。ブレスワークをする人たちは皆、経験するところですね。この壁を乗り越えて、ブレスワークの魅力、醍醐味を知りますね。
それまで隠されていた怒り、悲しみ、恐怖を出せるようになると、エネルギーが湧いてきて、いろいろな改善が起きてきます。出せなかったものが出せるようになって、しばらくは、それまで楽しめなかった人生を楽しむ余裕も出てきます。苦しかった人生がある程度楽になるのですから、出来るだけ、たっぷりと楽しんでほしいものです。
<W>
立派なブレッサー(笑)になりますね。
ところが、それが出せるようになると、しばらくして、物足りなくなります。物足りないのに、それなのに何かに阻(はば)まれ、次に進めない感じです。二番目の壁です。出しても出しても、何かが満足しない。
<H>
はい。満足しない感じの人は進んでいくでしょう。いい感じです。怖くなって進めない感じで苦労するということもありますね。それで同じ所をぐるぐる回ってしまう。この怖さは意識はされていないことも多いでしょうが。
<W>
この二番目の壁を乗り越える時の話をしたいのです。
<H>
重要な部分ですね。そもそもブレスワークの中で自分自身で乗り越えるべきものですが、どうやって乗り越えたか、自分でも説明できない人も多いと思います。言葉にしにくい部分でもありますね。
<W>
そもそも自分自身で乗り越えることが、その人の実力になる、ということですね。その通りですが、しかし、乗り越えるのに時間がかかってしまう人もいるので、何とか話題にして、言葉にしてみたいです。大きな参考になると思います。
怒り、悲しみ、恐怖を出せるようになると、それらの元になっている自分の心の傷が、母親から来ていることも明らかになります。そして傷をつくった母親に憤慨します。母親へ怒りが向き、母親をまともな人に変えたい気持ちが湧き起ります。変えようとします。でも変わりません。母親には母親自身の傷があるからです。変わらない、どうしようもない母親を前にして、地団太(じだんだ)を踏みます。母親が変わらないことを頭では分かっていても、どうしようもない気持ちに突き動かされます。母親を変えようとする気持ちが叶わないことで、怒り、悲しみ、恐怖にとらわれ、からめ捕(と)られてしまいます。

<H>
二番目の壁ですね。
<W>
そうです。そうやって怒り、悲しみ、恐怖で七転八倒(しちてんばっとう)しているうちに、ある何かが切り替わります。「母親」へエネルギーが向かうことに意識が向いていたのが、母親へ向かう「自分のエネルギー」に意識が向くとも言えます。母親へではなく、自分のエネルギーです。母親は関係がなくなるのです。
<H>
はい。母親は消えてしまう。そこですね。
<W>
切り替わる前後は、一見して、似ています。ともに、怒り、悲しみ、などのエネルギーに溢れているという点では非常に似ています。でも、180度異なっています。切り替えが起きています。大きく変わってしまいます。
いくつかの事例を挙げてみます。
(例1)
幼い自分に愛情くれなかった母親、今もくれない母親。おかげで私は恐怖の底で死に直面しなければならない。その憎たらしい母親へ(セッションの場ではなく、やってはいけない)実生活の場で大きな怒りを出してしまった。今は若くない母親は、実際の私の怒りに、あっけないほど耐えられなかった。その瞬間、あの強大だった憎たらしい母親は、心に傷を負った1人の悲しい小さな弱い女性だった。そのことが初めて心に入ってきた。そうして、それが起きた。自分の悲しさだけがそこにあった。悲しさのエネルギーだけが。深い深い愛(いと)しいエネルギーが。
(例2)
母親もまた自分の母親から愛情を貰えなかった。そのために私を愛せなかった。頭では理解できる。でも本当には納得できない。私のこころは大きく傷ついている。傷は今も疼き(うずき)続ける。目の前の現実の母親に、理想の母親を求め続ける。他方では、愛情なしで死に追い立てられ、母親への狂気の憎悪が突き上げる。この狂気を無いものにするために私のこころは歪み(ゆがみ)続ける。
そこで、想像してみる。仮に、自分の母親が、傷を持たず健康な人であったならば、どうだろう。愛情に溢れ自然に私を愛(いと)おしんでくれる人であったならば、どうだろう。自分は夢にまで見たような暖かさで愛されただろう。その愛された自分はどのようなエネルギーを持つだろうか。そう想像するときに、それが起きることがある。喜びのエネ
ルギーが湧き起る。体が熱くなる。小さな子供が庭を走り回るように、私は走り回る。エネルギーだけがそこにある。求め喜ぶエネルギーだけがあり、もはや母親はいない。
(例3)
どうにもならない母親のことをどうにかしようとして悩み続け苦しんだ。自分の中の小さな子供が母親なしでは生きていけないと悲鳴を上げる。それでも実際にはどうにもならない。苦しみ続ける。その挙句(あげく)、問いかけても問いかけてもどうにもならない母親を「あーめんどくせ」と感じ放り投げる。瞬間的にではあるがそれが起きることがある。
<W>
何かが切り替わることを、母親へではなく自分のエネルギーへ意識が向くと説明してみました。
<H>
なるほど。
<W>
さて、この事は、陳腐になることを恐れなければ、親(母親)離れの瞬間とも言えるのでしょうか。
<H>
ことが重要すぎて、簡単にそうラべリングしたくないですね。
<W>
そうなんです。一度そう言ってしまうと、たちまち「親離れをしなければならない」「死を受け入れなければならない」と頭が働き始めます。まるで標語のように。標語は全く役に立ちません。「何々せねばならない」は役に立ちません。自発性が無くなりますから。標語の代わりに、実際に自分の中に動く何かへの理解が起きることが重要です。何かが理解されるその瞬間の感覚が重要と言えるようです。
<H>
ベビーブレス(ブレスワーク)で一番底まで行けば、おのずと起きることだと思います。

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本当は寂しいお母さん|セラピーの現場から(665)

解離性の状況を持つ女性:
自分を殺すお母さんと優しいお母さんの2つに分裂していたが、今回のセッションで、その間の寂しいお母さんが出てきた。死の受け入れがあった。死に迫られ憎悪を受け持つ人格が、これをきっかけに、小さくなってきた。
<H>
「寂しいお母さん」というのは良かったですね。本当の母親像ということでいいと思います。「自分を殺すお母さん」と「優しいお母さん」というのはどちらも母親の一部であって、本当の母親ではありません。二つを足したものが本当のものでしょう。
<W>
対象(母親)の分裂から統合へ、ということでよろしいでしょうか。
<H>
統合の方向へ、ということでしょう。統合とまでは・・。
<W>
そうですね。なかなか苦労していますから楽観的にはなれないですね。
<H>
はい。前進があったと思われても、揺れ戻しが大きいことがあるので、用心しなければなりません。
<W>
対象の統合へ向かったことで、本人も統合へ向かった気がします。死に迫られ憎悪を受け持つ人格が、小さくなってきましたので。これも楽観的にはなれないでしょうが・・。
そして、「寂しいお母さん」が出てきて「死の受け入れ」が起きたことも重要な気がします。いわば架空の世界で「優しいお母さん」に命をつないでいたものが、「寂しいお母さん」は実世界であり、いよいよ「死の受け入れ」なしには、実世界は認められないでしょう。というより「寂しいお母さん」と「死の受け入れ」はセットなのでしょう。つまり同じ価値を持つことなのかもしれません。そうして「死の受け入れ」ができるようになれば、人格を解離させて架空の世界へ逃避する必要もなくなるのでしょう。

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スタッフ対談|傷を観たくない|セラピーの現場から(663)

スタッフ対談

<W>

いろいろな心理的な不具合が、心の傷を、押し込めたり、無かったものにしたりすることで、起きてくる。そのことは、ブレスワークを通して心を分析する現場では、ほとんど明らかなように思えます。そして、心の傷の正体を自身で自覚できることで、不具合が回復するという事実が、そのことを自明のこととするように感じられます。

<H>

そうですね。セラピーの参加者も、そのことは自覚できるようになります。でも、実際には、なかなか難しいですね。理屈では分かっていても、心が付いて行かない。そこにセラピーの成否がかかります。

<W>

傷を自覚できない、「観たくない」ということですね。観ることができれば進み、観れなければ留まることになる、と言えますね。

<H>

心の傷に触れることは辛いですから。母から本当は愛されなかったなどのことは、やはり辛いです。だから自分でも触れないように、ついつい、無かったことにするのです。

<W>

セラピーが進み、ここ一番というときに、傷を「観たくない」と明言する人もいますね。ドロップアウトするのかな、というギリギリに立つ人もいますね。でも、明言しても、本心の本心かどうかは分からない。参加者本人も分からない。こちらも分からない。そういう面があります。「観たくない」と明言した後で、かえって、どんどん進んでいく人もいます。

<H>

ほんとに観たくないのなら、観ないまま「健康」に生きていけばいい。それでは何か気に入らないし、何かがうまくない。「健康」ではなく「病気」になってしまう。そこが人間の凄いところ。ほんとのことを知りたいし自分に嘘をついて生きていきたくない。

<W>

そうですね。そもそも病気になるという事はどういうことか。奥の方では求め続けているということ、「このままではいやだ」と言っていることのように感じます。人間の素晴らしさがそこにあると思います。

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お母さんは空っぽ|自分に怒りがあるとは思えなかった|セラピーの現場から(656)

◎自分に怒りがあるとは思えなかった。そのうちに、怒りがあり、それを出すと気持ちが良いし、少しずついろんなことに改善があるのもわかってきた。しかし何か物足りない。やはり私は、かなわないと思っていても、母からの本当の愛情が欲しい。だから、母親への怒りがある事は分かってきたが、でもその怒りを出すことで、完全に納得するとまでは思えない。
<鉄の檻の中>
自分自身のイメージ。6歳くらいの自分が膝を抱えて一人でいる。鉄の檻の中にいる。本当に言いたいことが言えなくてモヤモヤしている。口がない。動けずにじっとしている。
<お母さんは空っぽ>
先回のセッションで、イメージとして初めてお母さんが出て来た。お母さんは中身がなくて空っぽで何もない。けれども自分はお母さんを抱きしめて離れない。自分は寂しさで冷たくなっている。冷たくて寒くてしょうがないけど、それでもお母さんにくっつけていられる喜びがある。
<自分に怒りがあるとは思えなかったが>
もともと自分に怒りがあるとは思えなかった。そのうち、怒りがあり、出すと気持ちが良いこともわかってきたし、そして少しずついろんなことに改善があるのもわかってきた。

<職場で感じた怖くなるくらい殺意>
そのころ、(大人しい私にはないことだったが)職場で怒りを感じる出来事があった。どうしても許せなくて怒りが出て抑えられない感じ、怖くなるくらいの自分の殺意を感じた。その出来事のイメージを絵に描いてみた。それは実は、母親への殺意だった。自分を見てくれない母を血まみれになるくらい引っ掻いて、自分も血まみれで引っ掻き続ける感じ。怒りと悲しみ。凄く怖い。イメージした後では、スッキリしている自分もいた。この気持ちを認めて良いんだなと思えた。この時の出来事は、ある幼児に関することだった。
<幼児期の記憶がない>
そういえば、私には0才くらいから5才まで記憶がない。そのころ父とは離婚して母と引っ越しした。引っ越しの前の記憶がない。小さい時に一緒に住んでいたはずの父との記憶がない。その事情を知りたい。
<止まらない涙と母への殺意>
セッションに入るまで怖さがあった。人のセッションを見ていて、私の心に響いて、涙が止まらなくて、それは自分に殺意があるからだと分かる。怖くて体が震えてくる。ここで(隠れている殺意を)吐き出さないと(自分は変わることができない)という気持ちで自分のセッションになったが、なかなかは入れなくて、でも、なんとか本当に出すところまでやってみようと思った。途中から、だんだん母親への殺意に移って来て、やっぱり、絶対許さないという気持ちで激しく怒った。ずっと激しい怒りが続いた。
<何で分かってくれないの>
そうしたら、「何で、何で、分かって欲しいのに何で分かってくれないの、こっちを向いて欲しい」という気持ちが出て、それも全部怒りになってぶつけた。そし、その怒りを言葉にしたら、寂しい気持ちにもなって来て、悲しいも寂しいも後から出て来て、母親の中に何もない、空っぽの母でも、それでも自分は甘えたかったし、くっつきたかったし、くっつきながら怒りをぶつけた。抑えずにできた。全身を使ってぶつかっていけたのが凄く良かった。深い悲しみが溢れてくる感じで、ちょっとスッキリした。
<悲しくて虚しくて>
でも、こんなに怒りを出し尽くしても、悲しくて虚しくて。やっぱり、くっついていたい気持ちになった。他方で、力が抜けて気持ちいい感じもした。
<母へのしがみつき>
セッションでは、母親にくっついて、そのまま絞め殺してしまうくらいのしがみつきを感じた。今まで隠れていたそれを感じられた。くっつきたいけど、何で安心もくれないの、何で分かってくれないの、だからますますくっつく。そういう意味のくっつき方だ。今までは母に嫌われる恐怖があって、くっつけなかったけれど、できた。自分のセッションを思い返してみて、なんか凄い怖い気持ちがあるなと思った。

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話の不得意な私が兄弟を集め話のキャッチボール|セラピーの現場から(655)

 

もともと私は話が不得意だった。表現が苦手だった。兄弟同士もあまり話をしなかった。最近その私が中心になって、兄弟の集まりを持った。自分が中を持って話のキャッチボールをした。すごく良い話ができた。お互いに、あの時はこう思っていたとか、親父が怖かったとか、兄弟間の話が足りなかったとか、本音が言えた。はじめて兄弟になれたよう。弟がこの集まりを「またやろう」と話していた。私は嬉しかった。
私の心の傷は、弟が生まれた時の2歳児のときにあるようだ。その傷が元になって表現が苦手なのかもしれない。セッションでは、表現できない自分を殺したし殺された。表現したい自分も出て来た。風船のイメージが出る。優しさや受容の象徴だ。2歳児の表現できない自分を、その風船の中に入れて、さらに「寂しい人おいで」とやった。自分の子供や父方の親戚も、入れた。みんなの顔が見える。笑顔で遊んでいる感じ。
そのセッションの後に、保育園に行ったら「お子さん、凄く話せるようになっていますね」と言われた。自分が表現することをOK出せたから自分の子供も出せたのか、と思う。

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パンドラの箱を開けた母を求める気持ち|セラピーの現場から(653)

○母を求める気持ちは、現実の母親には受け入れてもらえなかった。だから人生の早くに諦めた。そのつもりだった。そうしてきた。しかし、母を求める気持ちは、現実の母親とは関係なく、自分の中で、存在し続けていた。セッションでは、受け入れてもらえないことからくる、恨みと吐き気が起きる。今回のセッションでは、現実の母親とは関係なく純粋に母を求める愛気持ちが、突然、現れた。パンドラの箱を開けたような、地雷を踏んだような感じだった。
○小さなころから母には邪険にされた思いがある。どんなに母の愛情を求めても、母には受け入れてもらえなかった。心の中で、泣きながら自分を閉じていった。20歳になった頃には(母の愛情を求める)手を引っ込めた自分がいる。諦めた。心象を絵を描いて見ると、真っ暗で、人物の後姿しかない。この人物は母であり、自分でもあるなと思う。私の子供も、同じように私に愛情を求める。応じてあげられない。子供には、私に愛情を求めても「無理だから諦めろ」と言っている。
○今までセッションをやると、恨みと吐き気が起きる。「なんで、なんで」という言葉が出る。何で受け入れてくれないのかという意味だ。「寂しい、辛い、悲しい」という言葉も出る。しかし、それ以上はなかなか深まらない。現実の母親には受け入れてもらえなかったし、いくら求めても現実の母親には受け入れてもらえる可能性は無い。
○今回のセッションでは、セッションで使ったシーツを引っ張っていて、母親のように手放せない、引き寄せる感じが出て、突然に「好きだ」という言葉が出た。言ってはいけない言葉だった。どんなに望んでも愛情はもらえないことが分かっていたから、絶対言わない言葉だった。でも、出てしまった。パンドラの箱を開けたような、地雷を踏んだような感じだった。気持ち良かった。
○次のセッションでは、途中で、幸せだーという感じがあった。幸せが何回か出て来た。この幸せって何だろうなと思った。母親を好きだと言えず封じ込めていたことが、言えたことが幸せなのかと今は思う。今まで求めて来たものを、半分認めつつ、半分認めないでいたが、母親を求めているのをしっかりと認めた。

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生後数か月の頃に置いていかれた心の傷|セラピーの現場から(652)

○私には生後数か月の頃に、置いていかれて受けた心の傷がある。セッションをすると分かる。私の中には母を求める純粋な気持ちがある。赤ん坊が求めるような気持ちだ。それをどうしたら良いか分からない。母はいない、現れない。純粋な求めの矛先を向ける先がない。現実の母も私の気持ちを理解しない。どうしたら良いか分からない状況に直面すると恐怖と怒りがやってくる。
○この純粋な気持ちが通らない状況は死だ。その死をのぞき込んで恐怖を感じる。
○この恐怖は絶対嫌だ。激しい怒りの圧力ではねのける。(それが私の生きてきた生き方。怒りこそが私を支えてくれた。)恐怖は痺れとともにやってくる。手や顔も痺れる。怒りを出すとほぐれる感じはあった。しかし今までのような怒りでは届かない感じがして、恨み呪い殺すと言うのが出てきた。恨んでも呪っても殺しても相手は潰れる感じは全然ない。この怒りの先には皆殺しの殺意がある。それでも十分ではない。まだ体が辛い。
○死を意味する恐怖を少しでも受け入れると体が楽になることがわかっている。でも受け入れるのは嫌だ、絶対嫌だ。受け入れて弱くなるのが許せない。どっしりとしなくなるから。テレビで誰かアスリートが「恐怖を味方にしたら」自分の壁を突破できたというようなことを言っていた。自分には無理かもしれない。
○でも嫌だいやだと言いながら、少しずつ、何かが変わっている。
○セッションで母に「どうかお願いだから殺してください」というのが出た。同時に「一人にしやがって」というのが初めて出た。寂しい、一人ぽっちだった。だんだん、本当に一人なんだ、となった。寂しい悲しい感じの一人より、一人で強くなった感じだった。
○実生活でも変化が起き始めている。普段の生活で家族に対して湧き勝ちだった怒りが湧かない。子供に対して怒りが出ない。夫も楽になったらしい。以前はちょっとしたことで、例えば約束の時間に遅れたことで「このやろう」と腹わた煮えくる感じがあった。自分の中に引けない怒りがあり、怒っていると訳がわからなくなるものがあった。それが、最近は、家族の事情が見えて、怒れない。
○自分の怒りの事情も見えてきたのかもしれない。腹わた煮え繰り返る<どうしようもない>のは、赤ん坊の頃に置いていかれて<どうしようもなかった>んだろう。家庭や職場で自分で<どうしようもできないこと>に怒る。もどかしくなる。泣きながら怒る感じ、怒りながら泣く感じがある。湧いてくる怒りと赤ん坊の頃の恐怖を繋(つな)げないように、味わわないように、している感じがある。
○繋げて味わう途中が恐怖。しっかり恐怖というのを味わっていられない。体が辛かったり痺れたりするから、それで、怖さがあるのだろうと何とか実感できるが、本当に直接にその恐怖を感じるのはできない。何か違う方向に行っちゃうかもしれない。恐怖という一点に絞れない感じ。ドップリ浸かれない感じがする。
○ドップリ浸かれないが、セッションで瞬間的に浸かった経験はある。そのとき、体が全部抜けるような感覚で楽になる。瞑想でも瞬間的には浸かり楽になったりする。恐怖が体に出たりするときに、瞬間的に恐怖に触れると楽になる感じはある。
しかしその瞬間にたどり着くまでが長い恐怖で、その恐怖にはドップリ浸かれない。凄く苦しい。
○でも本当はドップリ浸かりたい。ドップリ浸かって心底満たされたら何もかも納得できる。恐怖は絶対嫌なんだけど恐怖抜きには語れない。

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母の言うことを聞く明るい私「そんな私は幻想だ」|セラピーの現場から(651)

○私の中にある激しい殺意の裏に、母に対して「自分をわかってほしい」「愛してほしい」「くっつきたい、一つになりたい」という気持ちがあった。いくら尽力しても母の愛情は手に入らない悲しさに気づき、涙が溢れ止まらなかった。だけど不思議と温かな気づきでもあった。手に入らないことに傷ついていた。悲しさ、虚しさの理由がわかって嬉しかった。自分の感情を受け入れたのかもしれない。安心感があった。
○ 母は何をきっかけに怒り出すのかわからない人だった。母の言うことを聞く、明るい私だけを好いている。「こんなところが好きだよ」と理想的な姿を並べられるたび傷ついた。「そんな私は幻想だ」と知ってほしくて、母の怒りに触れるようなことをわざとしたり、傷つけるような態度を取った。なぜそんな行動を取ってしまうのか自分のことなのにわからなかったが、はっきりしてきた。優しい母(私を部分的にしか受け入れない母)をぶち壊したい、暗くて悲しい悪態をつく私と向き合ってほしい。そんな背景があった。

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今まで出せなかった寂しさや怒り|生きていくことが楽|セラピーの現場から(649)

○今までのセッションを通して自分を振り返ると、母親の役に立つことで何とか生きていこうとする心境から、役に立とうが立つまいが要らない子だったと気が付き、その無条件の死の受け入れが起きたことで、ただの温かい自分で居ていいという無条件の温かさに至り、これらの相反する二つのものの同居を「死と背中合わせの無条件な暖かい自分」と呼んで馴染んでいるうちに、それまで母親中心の世界という傾向だったのが、母親という囲いのない自分中心の世界へ移って行った。死の受け入れから真の自立が始まるように思われた。
○最近のセッションでは、死を扱う深い穴のような部分から、まるでその深穴を広げるように、今まで取り扱わなかった、より現実的な部分へと戻る傾向にある。一般的には、セッションを進めるにつれ、現実的な部分を含んだいかりや悲しみが出て、やがてその奥にある死を扱うようになるようだが、私の場合にはまるで、その逆の方向へ進んでいるようだ。死という大きな押さえが取れたので、安心して現実的な部分に取り組めるのかもしれない。
○セッションで、失恋した相手への怒りを出した。愛して欲しいというのが出てきた。母も祖母もそうだった(彼女たち自身もまた愛情を欲していた)。よしよしで終わった。そうではなく、自分自身のことを感じたいなと思っていたら、凄く寂しいのがゴーッと出てきた。昔からある寂しさ。途中から涙が出てきた。
○この涙は窮屈さに対するもの。よくイメージとして出てくる昔の場面で、階段の真ん中の自分にいる窮屈さだ。父と祖母と親戚が1階で、2階に母と妹がいる。1階と2階のグループの仲は悪い。自分はどっちのグループへもいけない。象徴的な場面。凄く狭い感じ。窮屈さ。居ていいよと言われないと、居られない。(自分の存在を)認めてもらえないのはこんなに窮屈なんだ。認めて欲しいのは、祖母も父も母も。
○それは分かっているが物足りない。家族に対して怒っている。寂しさを出した。物足りなくて発狂するように叫びが出てきた。本当に気が狂いそうな込み上げてくる。気が済むまで出そうと思って出した。最後はちょっと暖かくなった。気が狂うような発狂する叫びが良かった。
○今まで出せなかった寂しさや怒りだ。まだあるなと思う。寂しさはまだしも、怒りを扱うのができないので、少しずつ(怒りを)掘っていこうと思う。
○以前に比べれば生きていくことが楽になった。それでも今でも、職場などでの空気、雰囲気で萎縮することがあった。まるで階段の真ん中にいる感じだった。それが、セッションで「発狂」してから、それほどは空気にやられない感じがある。空気にやられるというのは、自分がいちゃいけない、自分を無くす感じだ。そのことが今更のようによくわかる。

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生きているお前はいらない| 母子相互依存|セラピーの現場から(645)

○母との相互依存から抜け出せない。なんとか自立しようとする気持ちがある。その反対に、共依存のままもっと一体化したいと言う思いが隠れている。その思いをなんとか、なくそうとしている。でもなくならない。強くなる。その絵を描いた。もっと一体化したいと言う気持ちでセッションが進んだ。ところが、そうすると、一体化の主導権を自分が握ることになり、母親は主導権を奪われ、離れていくと言うイメージが出た。相互依存から抜け出すきっかけが現れた。
○<母に対する憎悪から自立へ向かい空っぽの自分の正体へ>
母との相互依存に苦しんでいる。今まで母に対する憎悪を扱ってきた。そして、ようやく母からの自立の感覚が出てきた。前回のセッションで、自立を扱うにつれて、自分には感情がない、空っぽだと分かった。寂しいと言う感じが出た。これが自分の正体かもしれない。すると、その後の生活で、1週間くらいはぼんやりやる気が出なく眠い。昼寝してぼーっとしている。母から離れられず、本当に自立する勇気が出ないのかもしれない。でも自分で食材を買って来て料理をしようとしたり、それを食べて美味しいと感じる。喜怒哀楽や聴覚、味覚が戻って来た。悲しいときは泣くし、楽しいときは笑えるようになった。自立に向かっている自分の来の感覚がよみがえったのかもしれない。
この本来の感覚を今までなぜ失っていたんだろう。今まで色々なことを感じ過ぎるので、感情をなくして生きるしかなかった。感じ過ぎて反応すると(母からの)罵声が返ってくる。母が感情を切っている(OFFにしている)人なので、(私も)感情を持つことはいけないと刷り込まれたと思う。ちょっとしたことで嬉しかったり悲しかったりするのが本来の私に近い。
○<揺り戻しのように、自立したくない気持ちに向き合う>
つい最近、母に病気が見つかって、大慌てだった。手術はしなくて済んだが。母以上に、自分が慌てた。パニックになったらしく生理痛もひどかった。外に出られない。人と話すのが怖い。人と接するのが怖い、自立するのが怖い。自立できないという気持ちが、より本音に近い。自立できないという方が中身が入っている感じがする。
○<母と団子の絵>
自立したい自立しなければならないんだという気持ちの陰で、自立できない(したくない)という気持ちを否定し隠してきた。そこがネックになっている。そこで母と離れられない(離れたくない)という絵を描いて見た。自分と母が一体に団子(だんご)のようになっている絵、母が私を食べる絵、私が母を食べる絵だ。この絵をテーマにセッションを進めた。
○<隠れていた本音のセッション>
お母さんと一緒にいるのが怖かった。お母さんと「一緒にいる(いたい)」と言ったら、その途端にバイバイしなくちゃいけないと思っていた。お母さんと「一緒にいる」って言ってみたい。3歳の自分が言っていた。言っても(自分では)認知したくないことだった。お母さんと「一緒にいる」と言うことは3歳の自分が「生きる」ということだ。でも、本当に生きることは(母からの縛りで実は)叶わないことなので、いつも、死にたいと思っていたから、言えなかった。「生きたい」と言ったら嬉しかった。「一緒にいる」ことの主導権を、母ではなく、私が握った。死にながら「一緒にいる」のではなく、生きて「一緒にいる」ことを選ぼうとした。
<生きているお前はいらない>
そうしたら、(イメージとして)後ろからお母さんが出て来て、死んでないお前はいらない、生きているお前はいらないと言われた。
<本当に一緒になりたかった>
悲しかったし腹が立った。生きたいのを認めないのを許せなくて嫌だ、と母を殺したというより、こねた。(母に見立てた)座布団をこねた。今までのような状況でお母さんと生きるのは、私は死んだままだから嫌だった。でもお母さんを殺すことができない。できないのが嫌だとお母さんをこねていた。こねることで殺し始めていた。自分とお母さんが混じる感じだった。混じって一緒になって気持ちよかった。本当に一緒になりたかったんだ。
<バイバイ>
その瞬間お母さんはいなくなった。寂しい、辛い。いなくなった。混じったらいられるかと思ったがいなくなった。これから生きる決意を小声でバイバイお母さんと言った。寂しいし悲しいし、でも嬉しい。いなくなって嬉しい気持ちがあった。寂しさと嬉しいので泣けた。ずっと泣いていられる感じがあった。途中でやめた。もっと泣けば良かったな、と思いながら泣いた。
セッションが終わった後、足も軽いし、肩も軽い。不安もあるが、今回のセッション前は「お母さんと離れられなくて、これからどうしょう」と思っていたが、今は「私一人だし、これからどうしよう」だった。離れて一人になった。ご飯も美味しい。今回のセッションは自力で初めて掴んだ感じがあった。
<登場した「大好き」>
次の日のセッションでは、泣き足りなかったところからやった。「お母さん」と叫びたかった。以前は、こっちを向け、憎い(憎悪)、だったが、「お母さん」ダーっとボロボロ泣けた。「大好き」とやると、死んじゃえよとなってこねる。大好きと憎悪があって良いんだと思った。以前は、死にたいばかりできたが、生きたいもあって良いんだと思った。殺せなかった母を2回殺したし、あなたが生きたら私が死んじゃうと言うので「ふざけんじゃねえよ」と、やれた。死んだお母さんを抱いていたら安心した。落ち込むのと、寂しいのと、嬉しいのと、ため息だった。
生きていて良いぞと笑いたかった。「愛おしいお母さん」とやれたのが嬉しかった。お母さんと二人でダンスした。生きることも死ぬことも怖くないなと思った。母を本気で愛し本気で憎まなければ、本当の自立はありえないのだと思った。

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遠吠えのように泣けた|激しい怒りを担当する人格Kに近づけた|セラピーの現場から(644)

やまなかや

Kと呼ばれる人格を扱っている。Kは、皆殺しや自分殺し母親殺しを一挙に担当する、破壊的な人格。その人格Kが隠れていて、隠れているのに時々、顔を出して、問題を起こす。これが実生活上の問題となっている。しかも顔を出したことを本人が意識できない。Kがどういう理由で存在するのか、存在しなければならないのか、どのようなことがきっかけで顔を出すのか、詳しいことが意識できない。言葉で説明できない。
最近、その人格Kを絵にすることで、意識できるようになった。そして描いた絵をヒントにしてセッションをおこない、人格Kを中心とした自分の闇の部分を解明している。
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○セッションで母から首を絞められるのが出てきた。とともに、優しいお母さんが抱っこしてくれる場面が出てきた。抱っこしてくれるお母さんのところに行けなくて、泣くことしかできなくて泣いて終わった。次に母が幼い私に向かって、私のことは「やっつけられないでしょ」と言う。私は動けないしやっつけられない。自分の中の怒りは出てくるが母には出せなくて自分をやっつけるしかできなかった。お母さんはやっつけられない。Kのようには怒りを出すことができない。だから私の代わりに、Kは、怒りを担当してくれるのだ。
○次のセッションで、「抱っこ」(赤ん坊のように抱っこしてほしいと表現すること)をやった。Kが出て来た。他方でKが出ないように引き止める人(別の気持ち)がいる。せめぎあいの中でやった。引き止められながらも前より自分の怒りを出せた。終わったら悲しくなって寂しくなって来て、セッションルームの端の隅の方で泣くのが一人ぽっちでぴったり来た。怒りの奥には寂しさがあった。
○さらに次のセッションでは、近くにKが怒っている絵を置いていて、やった。
寂しくて泣いた。泣き終わったら、お母さんをやっつけた。寂しさの奥にも怒りがあった。怒りと寂しさは重なり合っていた。Kがやる絵のように、母をやっつけられた。母の上に乗って、若いワンピースをつけたお母さんに乗って、(刃物で)胸を突き続ける。感情もない。ワンピースも(血で)赤黒い。手も(血で)ねっとりしている。刺しても刺しても怒りは止まることがない。刺し続けても疲れない。ずっと刺していた。お母さんの表情が、最初は怖い若いお母さんで、そのあとは今のお母さんが出て来て、(その母には)感情がない。もう一つは私を産んだ頃のお母さん。ただ刺し殺している。こんな母親殺しのような激しい怒りを、今まで、出せなかったのを、代わりにKが担当してくれていた。母親殺しの近くには、皆殺しや自分殺しもある。
○そしたら、再び、寂しくて悲しくて泣いた。最初は少しずつ泣いていたが、そのうち遠吠えのように泣けて来た。泣きながら体を動かして、終わりの頃に「抱っこして」と言いながら泣いている。凄く寂しかった。
○その後、自然な感じで、肩はなで肩になったように力が抜けた。静かな中にいた。寂しいけど気分は良い。今まで引き止めていてせめぎあっていたので出しづらかったが、今回のセッションは、引き止めるものがなく気持ちよかった。今までぼんやりしていたお母さんの顔が、しっかり出て来た。

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絶対嫌だ|でも知りたい|セラピーの現場から(642)

○グループセッションでは、自分の中に大きなエネルギーが湧き起る体験をしている。その時は強く満足する。しかし後になると、なにか、満足しない部分がある。「絶対一人は嫌だ」という気持ちが強くある。頭にこびりついている。絶対嫌の中身は何なのか、自分でもうまく説明できない。そこを知りたい。
○そこで久しぶりに個人セッションを受けた。私は生後8か月のときに、両親において行かれた経験がある。個人セッションの準備として、置いていかれた時の赤ちゃんの絵を「描いて来て」と言われた。描いてみた。どうしても表情がない。顔が描けない。描くのも嫌で苦しくなった。体と頭だけを描いて持って行った。
○個人セッションの当日では、やはり、「絶対一人は嫌だ」というのが出て、自分に向かってくる殺意や自傷がでる。自分が描いた顔のない赤ちゃんを目の前にして、気持ち悪くて、可哀想でもあり、見ていられなくて、絵をグシャグシャにした。
そのうち、(自分を置いて行った)母に対する恨みと呪い殺す感じが出た。しかし、足りない。殺しても殺してもビクともしない。母を呼んでも泣いて呼んでもそこにはいない。震えるくらい恨んで呪い殺した。私自身とこんな私を作り出したみんなを殺した。隠してきた殺意が表現できたのは前進だ。
○この殺意は娘にも向いた。娘だからと言って手加減はない。昔、私は、産まれた娘に対してのオムツを変えなかった。育児放棄だ。娘は今、自閉的だ。当時は娘なんかいなくなれば良いと思っていた。娘に触れないことで、娘を、私の恨みと呪い殺しから守っていたのだ。赤ん坊の自分と、赤ん坊の娘は重なる。赤ん坊の娘と、自分の顔なしの絵がダブル。苦しい。
○恨みや呪いは表現できたのに「絶対一人は嫌だ」はまだ存在する。まだ満足しない部分がある。死を拒否しているのがあるし、生きるのも苦しいというのもあるし。もがいている感じがある。
○呪い殺す時の気持ちを絵に描いた。暗い背景に二つの赤い目だけを描いた。個人セッションから帰って、その後、その絵を全然見れなかった。しまって置いた。呪い殺す、真っ黒な背景に赤い目だった。何でこんなに純粋な(母を求めても得られずに呪い殺すほどの)気持ちを、訴えてはいけないのか、何で求めたらいけないのか、私はどうしたいいのか、本当に生きることも死ぬこともできずに、もがいて苦しくて苦しくて。瞑想でずっとそこにいる。
○そうしていると、母が彼女のセッションで口にする「何で、何で」が出てくる。母もまた母(祖母)に私と同じような思いがあるのか。それと、寝たきりになってしまった祖母の硬直した手とが出てくる。祖母とも微かに会話が成立するときがあり「どうせ私なんか」という気持ちがあるようだ。あの祖母の姿は自分を見ているようで辛い。(おそらく私と同じような辛さの)思いを出してあげたいが、しかし、そうすればきっと今度は自分が耐えられない。手を伸ばそうとしても(私のその手も)硬い。ドキドキする。親子3代にわたって続くものがある。
○私の気持ちを自分ではどうしようもできない。(母を求める)純粋な気持ちなのに(そんな気持ちをぶつけても受け取ってもらえないことも分かっているのに、引っ込めることなどできず)自分でどうしようもできない。もどかしい。だから(母とは関係のない仕事先の)上司や仲間に、(彼らに失態や)何かある度に、物凄く怒ることがある。何としてもひん曲げてやりたいという気持ちが出てしまう。
○描いた自分の顔の赤い目は何を意味しているか。私が純粋に求めているのに受け取れない母を恨み呪い殺す、何もできない無力な自分も恨み呪い殺す、生まれてこなければいい、何で産んだんだというのもある。死を拒否する気持ちがある。一人で死ぬくらいなら巻き込んでやるというのがある。
○「絶対一人は嫌だ」の中身が少し変わった。それまでは、一人ぼっちの死は、自分が弱くなることなので、受け入れられなかった。弱いのが嫌いだった。だから死が嫌いだった。だから一人ぼっちになるのは嫌いだった。でも今回は少し違った。隠していた殺意を表現できたことで、強くなった。正面切って、少しだけれど、死を受け入れることが起きた。

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閉じこもりだった子供の回復は続いている|でも母との関係は怖くて・・|セラピーの現場から(641)

○[閉じこもりだった子供は好調。でも・・]
閉じこもりだった子供の回復は続いている。子供は好調だ。問題は私だ。
私が自分の問題に取り組み始めたことで、子供の回復が起きて来ているようだ。しかし本格的に問題に取り組めるのか。全然自信がない。「やりたくない、今が良ければ良いじゃん。」となってしまいそうになる。
子供の閉じこもりの原因を私が作ったらしいことは、おおよそ、了解している。そして、その原因の中へ、さらに一歩を踏み出すのが、とても難しい。原因が作られた幼い頃の自分(私)の事をちゃんと解ってあげたい。そう、頭では思う。だけれど、なんとも心がついていかない。
○ [・・「ありません」と嘘ついて来た]
それは私と母のことだ。
私は自分に嘘をついて来た。(母へ)いろんな気持ちがあったはずなのに、求める気持ちも、辛かったことも、「ありません」と嘘ついて来た。分かってくれる旦那と子供で埋め合わせていた。でも本当には上手くいかなくて、本当に求めているのは、夫や子供でなくて…(母だ)。この部分をどうしても言いたくない。あまりにも嘘ついて来て、そんな自分が可哀想になる。言えない。(母は)頼りになれない。(本当のことを言わせまいと)自分が自分を縛るのが強い。そんな気持ちはダメ、こんなのはダメとか、ぽろぽろ(弱気になって本音を)出すんじゃないとか、心の声が言う。だから本音は言えない(私と母の関係を認められない)。
<少しでもいいから言ってみてくれませんか>「(母に)もうちょっと側にいて欲しい」「遠くを見てないで近くにいてくれないかな」って。「何も言わなくて良いから近くにいてくれたら」「「何もできなくて良いよ」って言って欲しい」・・・。
この本音を、場所を変えたセッションで、改めて言うことになった。
○[・・引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い]
その場所になると、なかなか決心がつかなくて、「言ってもいいかな」と言うと、みんなが答えてくれて心強かった。おっかなびっくりだった。慣れない。本当になれない。まんじりとしない。少し言葉に出すと、(出させまいと後ろへ)引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い。出すと引っ張られる。他の兄弟より「私を見て」と(母へ)言おうとすると、罪悪感が出る。小さく言った。ちょっとは言えたけど、もっと力を抜いて言いたかった。どうしてもあーなっちゃう。終わった後、頭がくらくらした。みんなが声かけてくれて嬉しかった。一人では無理だろう。大変だった。
原因となったであろう母と私の関係。わかってはいるけど認められない。認められない認められないと言いつつ、今回のセッションで、でも、ほんの少し認められた。怖くて怖くてしょうがなかったが、ほんの少しは、言えた。

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大きなエネルギーが出るようになった|それでも納得できなかった謎の答え|セラピーの現場から(640)

納得できなかった謎の答え。
○幼い頃から抑えていた自分自身を解放するセッションを重ね、ようやく心が開いて、大きなエネルギーが出るようになった。嬉しかった。
○しかし、心底から喜べない気持ちがあった。何かどうしても納得できないことがあったからだ。それが何かは説明できないけれど、納得できないことがあるのは確かだった。謎だった。
そこで今度は、セッションで自分を、再び抑える作業をし始めた。抑えたエネルギーが凄いことを今更のように体験した。そしたら昔と同じように、具合が悪くなり、以前のような恐怖が来るようになった。痺れがきて、身体が重くなって動かない。以前味わった抜け殻のような感じだ。そのようにして、自分を閉じる作業をして、そして閉じた。でも、やはり納得がいかなかった。何に納得がいかないのかもはっきり分からないままだった。
○やがて気がついた。親戚の人の母子関係で、子供を「親が勝手に抑え込む」という話を聞くことがあって、そのことが自分の心に響いた。自分は、自分のことばかりやって、自分の子供への加害性に、意識があまりなかったのだ。子供を抑え込んで自閉的な子にしてしまった。セッションで子供への「ごめんなさい」を言った。止まらなかった。いくら言っても言っても言ってもどんなに言っても許されないような、言っても言っても足らない感じだった。はじめて自分が「親」になった。
「抑えた」ということが、自分で自分を抑えていながら、子供にも抑えることをやってしまったという、そこがなかったなと思った。どっちも怖かった。自分を抑えたという被害者も、やってしまったという加害者も、怖かった。今までは被害者だけだった。それが分かった。そして、再び開いて、再び大きなエネルギーが、わき出した。嬉しかった。納得感があった。

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3歳の子供「お母さんお腹がすいた」死の縁から引き返し|セラピーの現場から(638)

<ある記憶の本当の意味が鮮明になった。>
○長い間、自分の本音というものが分からず、苦しんだ。自分の子供にも嫌われた。背後に、親からの愛情が少なかったことがあるのに、気が付いていた。やがて、「甘えたいだけじゃん」と言う自分の本音に気がついて、生きるのが自由になり、遊びたい心が初めて芽生え、子供の気持ちがわかるようになってきた。それと同時に、ある記憶の意味が、鮮明に思い出されるようになってきた。
○昔あるとき、とりわけ辛いことがあった。その辛い気持ちを紛らわせるために、町を離れ、バスに乗って、自然の中へ行った。3歳の子供の手を引き、赤ちゃんを背負い、そこへ行った。
○そこは、たまたま(と思っていた)自殺の名所だった。今、記憶が鮮明になって、実はやはり、自殺のためにそこへ行ったのだった。そのことが思い出された。鋭く察知した3歳の子供が「お母さんお腹がすいた」と言った。死の縁へ向かう母親(私)を引き止めた。死から引き返させた。3歳の子供は、人の心を観抜きそうなクリッとした眼をした子だった。私は「今日はお昼なんかないの」と言ったけど、しかたなく近くの食堂をさがして食べさせ、赤ちゃんのオムツを取り替えた。その時のことを思い出した。子供達にご飯を食べさせ、オムツを替えること、世話をすることで、はじめて生きられる感覚だった。3歳の子供は「死なずに生きよう」とは言わずに「お母さんお腹がすいた」と言ったのは、そこのことだった。私に本当に生きることは求めきれないが、「世話」を求めることはかろうじて求められる。<本当ニ生キルノハ難シクテモ、私ノ世話ハ、デキルデショウ。ダカラ、オカアサン、ワタシノ世話ヲスルコトデ、今ハ生キテ!>
○私は、薄幸な人生の中で、子供があって生きられた。そして、どれだけ子供にしがみ付いたことか、私にとって子供は救いの神だった。生きるために子供を利用した。子供は、私に自我を潰されて、(怒られなくてもいいことで)怒られて、それでも私に従った。私は、子供にしがみ付いていた自分を隠した。隠していることさえ分からなかった。分かったら、初めて、子供に「しがみ付いていたこと」を告白できるようになった。
○それまで、子供とまともに話すことが出来なかった。子供に「しがみ付いている」ことを観抜かれ(その自覚はないが)、嫌われていることが痛かった。子供と話す時に、子供の目を見れない、目が泳ぐ、話を聞くこともできなくてオロオロしていた。
それが、正面から話が出来るようになった。聞けるようになって来た。逃げないで聞けるようになったのだろう。子供との関係が徐々に改善している。

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護りたい弱い母親への実は隠れた殺意3/3|セラピーの現場から(633)

続き

<停滞期「踊り場」>
(自分探しへの)感覚が遠のいた時期(「踊り場」と呼んでいた)では、「呼吸だけが頼り」と取り組んだり、「何度も同じ話しをして」とアドバイスされ、疑問に感じたけど何度も同じ話をすることが、何度も感覚に触れること、そして回を増す毎に深まっていき、感覚が近づいて来ることも経験した。
そんな風に抑え込んでいた感覚に沢山触れて、少しづつ解き放たれていたことが準備となり、あの息子の卒業式の出来事に繋がったのだと思う。
<反抗期を真似てみたら罪悪感が襲いかかる>
また当時、反抗期の息子が(反抗期の無かった自分にはうらやましくて)眩(まぶ)しく、グループセッションで真似してみた経験が、物凄く気持ち良かった。途中から自分自身になり、思いがけず母を攻撃!する体験をした。事後、罪悪感が襲いかかり、しばらく何もできない期間があった。
<母親を護りたい気持ちでスタッフに「失恋」>
現実社会では、心の中の弱い母を護りたい気持ちが高じて、他の人を弱い母の代わりにしてしまい、失敗する出来事があった。
自分の会社の社員で、母子家庭で女手一つで子供を育てているスタッフを、他人のようには思えず、長い間ずっと見護ってきた。母子家庭を支え懸命に働き愛情豊かで強い母親は私の女神だ。私が幼い頃、家計の足しにするために、映画館でアイスクリームを売っていた私の母親と重なった。そのスタッフがまるで私を裏切るようにして退社した。ひどいショックを受けた。裏切られ捨てられたと感じた経験は、母親から受けた経験と重なり、とても辛く、今でもあとを引く切ない経験だった。まるで失恋だった。
このことで、自分は理想の母親(女神)を求め、自分の寂しさを、他人を利用して穴埋めしようとするところがあるということを学んだ。学んだけれども自分の寂しい心は、簡単には埋まるとも思えず、これからも同じような失敗をするのではないかと、覚悟をして、自分の中に納めた。
<近づいてくる恐怖>
以降、ベビーブレスでは恐怖がどんどん近づいて来る感じを受け、抑え込みが増していた。いつも記憶にあったのは、病院の鉄格子の下にのぞいているピンクのスリッパ。そのスリッパの上の方にあるはずの顔(気狂いの母)が、思い出せず、ブラックホールに見えたりした。恐怖が近づくにつれ、怒りのエネルギーも封印していた気がする。
この時期のセッションでは、終始、自分を抑えていた。何とか自分を開こうと頑張る自分(アクセル)と、抑え込む自分(ブレーキ)を一緒に踏む感じだった。抑え込んでしらけた自分を直後に動画で見たら、そこには寂しい坊主が居た。涙が溢れ出て止まらなかった。
<抑え込みの裏にあった殺意>
自分を抑え込む力に翻弄されていたとき、セッションのスタッフから「殺意」というワードが出て、相当動揺にした。自分の中にある「罪悪感」には気が付いていた。母が病院へ通う時代に感じていた、そして亡くなった今もまだ感じるこの罪悪感の意味が、すこしずつはっきりしてきた。隠れているかもしれない「殺意」は、その罪悪感を説明づけるのに、疑う余地もなくぴったりきた。隠れた「殺意」があるから根拠のない「罪悪感」が生じ、自分を抑え込まなければならないのだ。以後、生活の中で、自分の殺意がチラついて仕方なかった。殺意に関係する、心当たりとなる新しい記憶も思い出されて、殺意の存在はいよいよ確信的になってきた。思い出したのは、私が中3になった以降、就職後の大人になってからも、母親や祖母との私の癒着が続いていたこと。その癒着に対する猛烈なストレス(怒り)があったことが思い出された。
<浮上する怒り>
この頃、現実の仕事でも、とにかく怒りが浮上して、(それまでは抑えることができていた怒りの言葉を抑えられず)言わないと気が済まない状況にあった。心の通じた仲間へ、出せるところへ、怒りを出していた。人生の長い期間抑え込んでいた殺意というエネルギーが、沸騰した。
<整った準備>
この様に、準備はすべて整っていた。必然的に事が進むように。
<自分の中で繋がらなかったものが繋がった>
直近のセッションをした。
自分の中にある殺意は、気狂いの母に向けたもの。その殺意の正体は、抑え込んだ猛烈な怒りのエネルギー。この殺意を味わって・・・。殺意は、自分の中にあり、母そのものであり、祖母でもあり、一体のもの。
「怖い!怖い!」という気持ちが「死にたい!死にたい!」となり、更に「死ねー!」という殺意に変化する。この殺意を伴う猛烈な怒りのエネルギーを抑圧する。そうすると気狂いになるんだ。もしも外側に出せれば解き放たれる。そんな気がした。繋がった。
自分の中にある殺意は母に向けてのもの。しかし母は何としても自分が護る存在。聖域。もし母にそれ(殺意)を向ければ母は死に、自分も死ぬ。その恐怖で(殺意を)抑え込んできた。それ(殺意)が一番怖かった。
しかし(セッションで殺意を)出してみて・・・。(殺意は)自分が母に向けていたように、殺意は(外側の)対象に向けてのものであるが、そうでは無いとも感じられる。対象とは関係なく自分の中にあるもので、抑圧した寂しいかたまり・・・。この最後の部分はがうまく繋げられないけど、重い蓋を少し開けられたことで、安心して怒りのエネルギーを出せる気が今はしている。怒りという色が付いたエネルギーだけれども、このエネルギー自体は、私自身。罪悪感に脅える感覚も、嘘のように消え去った。得たものを更に消化していきたい。

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護りたい弱い母親への実は隠れた殺意2/3|セラピーの現場から(632)

 

続き

<振り返ってみて>
<予兆:鬼門突破>
今回の重要なことが起き得たのは、今春息子の卒業式で起きた経験が、とても大きく関係していると思う。
中3の時代が自分にとっての<鬼門>で、これまでものすごく影響を受けてきた。中3で不本意に社会に出なければならず、自分の中にある蓋に、更に、社会に出ることの恐怖が上乗せされ、より強固な蓋になり、自分の人生が中3で停止していたようになっていた。
それが、息子の卒業式で、図(はか)らずも自分の卒業式を再体験し、当時の寂しさと怒りを両方味わい、本当に卒業できた、<鬼門>を突破できた。そんな経験をした。
今思えば、だから必然的に次に進んだのだと思う。卒業前の中3の自分には、(母親への)殺意というものは取り扱えなかったのだと思う。
<初めは「二度と来たくない」>
振り返れば、1番最初のグループセッションでは、終始しらけ、何もできなかった。
終始抑えこみ、その怖さからセッション会場がお化け屋敷に思え二度と来たくない場所となった。
<2回目すっきり|心が自由>
2回目のグループセッションでは怒りが爆発!自分を見失う(気違いになる)経験をし、怖かったけどすっきりしたのだと思う。
2回目以降のグループセッションでは、見失うことなく怒れるようにもなり、それに伴って心が自由な感覚を覚えるようになった。
<心が温まり溢れるように泣けた>
グループセッションやベビーブレスで怖い経験を再体験する毎に解き放たれる感覚になり、寂しいところに触れると逆に心が温まり溢れるように泣けた。
<しらける自分への怒り>
恐怖を感じるとしらける、現実逃避する、ずーっとそうして生きてきた。自分は人とは違う?、特殊?、自分も気狂い?。自分自身への疑問を他人に気づかれないように隠す。
そんな自分がとにかく大嫌いで、やっつけたくて、その頃のグループセッションでは、ベビーブレス中にしらけると、そのしらけた自分に怒りをぶつけていた。
<幼い寂しい坊主:氷が溶けていく>
あるベビーブレスで、しらけた自分の中に居る幼い寂しい坊主に触れた。丸めた毛布が坊主になり、愛おしく、思いっきり抱きしめて泣いた。その後、何度かその坊主に触れ、温めることで氷が溶けていく感じがした。
<しらけは防衛:分かって生き易い>
しらけを克服した。そう思えた。しらけの正体は、恐怖から身を護る防衛だった。そうしないと生きれない寂しい自分。この辺から、日常では変な力みが取れ、生き易くなっていった気がする。

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護りたい弱い母親への実は隠れた殺意1/3|セラピーの現場から(631)

<何が起きたのか>
今回のセッションで出てきたものが怒りだったのか?何なのか?とても重要なことが起きた気がした。それが後々、気になっていた。
セッション直後の感想ではたしか、外側じゃなく内側に向けての怒りと説明したかと思うが、それもしっくりこないでいた。
<隠れたいた母への殺意>
出てきたものは、強い「殺意」だ。
殺意の正体は、(既に亡くなっている)気狂いの母親に対するものだった。
また、それ(殺意)は、小さな頃からずーっと続く強いストレスの源(みなもと)だった。それ(殺意)は母親に、祖母に、取り巻く環境すべてに対して、うっかり気を許すと向かっていこうとするものだった。
<殺意を強く抑圧し続けるのでストレス>
最大のストレスは、弱い母を(殺意をむけるのではなく)自分が護らなくていけないということ。殺意が隠れているのに、表面の意識では逆に、護りたい。だから殺意は強く抑圧されなければならない。
この殺意が、私の中に強固に存在する抑圧の一番の原因で、それ(抑圧)はまるで分厚い蓋のように感じられた。罪悪感がカチカチに固まってできた蓋だ。蓋に閉ざされた中身は・・・猛烈な強い怒りのエネルギーだった。
今回の経験は、その分厚い蓋を少しだけ開けちゃった経験だったという気がする。事後の物足りなさ(初めて蓋をあけられたものの満足度は2割程度と感じたこと)は、中身の怒りのエネルギーはまだ全く出せていないと感じるから。
<繋がった>
今回の分厚い蓋を少しだけ開ける経験は、考えもしなかったことが突然起こったと感じたけど、思い返して消化する中で、これは必然的に起きたことだと、(セッションからの)帰り道、雨に降られながら繋がった。
この重要なことが繋がった後日のセッションでは、しらけもなく罪悪感もなく怒りを出せ、自分の中のエネルギーが湧き出す体験をした。

続く

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自分の存在を消そうと頑張ってきた|自由を喜べない|セラピーの現場から(628)

ブログ化された私の文章(625)を読んで、(今まで)ずーーーっと苦しかった、と思って涙がでた。自分に嘘ついて生きるのって凄く苦しい。わたしは自分の存在を消そうと頑張ってきたようだ。一人でいる時より誰かといる時のほうがより孤独に感じることが強くなってきた。「わかってよーーーーー!」って叫びたくなる。だれに?だれよりも自分自身に?(グループセラピーの場の)自由は気持ちいいはずなのに、誰かの意識に引っ張られて自由を喜べなかった。私のやり方は?わたしの思いは?譲れない気持ちは?私がそうしたいからする。それでいいのに。それが気持ちよく出来たら素敵なことだと思う(その時は出来ず悔しかった)。
そのことに関係することがあった。職場の仲間に、自分の思いや話したいことを、相手の時間を割ってでも話せた。今までだったら「忙しそうだし止めておこう」と思っていたと思う。そしたら、仲間は手を止めて聞いてくれて「わたしも丁度そのこと話そうと思ってた!」と言ってもらえた。嬉しかった。自分の気持ちをどこまで正直に話せているのか分からないが、「どうしたらいいかわからない」ところも素直に相談でき、一緒にどうすればいいか考えられた。何より話せた後の世界がスッキリして見えた。そして仲間は、私が何を考えているのか見えたことが、どことなく嬉しそうだった。それからは以前は少し苦手だったその仲間とちょっと距離が縮まったような気がしている。
もう一つあった。職場に外部からの講師を招いて仕事をした。わたしの準備が不十分であることに対して講師が苛々していた。わたしも初めてだったので段取りが不十分な事は悪かったと思ったが、「初対面の私に対してその態度は何だよ」「初めてなんだからわからないことだってあるだろ!」「ふざけんなよ」って心の中で怒っていた。悔しくて悔しくて泣きたかった。
口を聞くのもやめようかと思ったが、何とか「初めてでわからないことが多くて、すみませんね。」と呟いてみた。そしたら講師に「そうね、経験ある人(講師)がちゃんと伝えなきゃダメよね。」と言われて、私も相手も少しだけ気持ちが落ち着いた。(講師が)誰かのせいにしているところが、何だか気に食わなかったけど、それでも言ってみて何かが変わった。言えて良かったと思った。
本当の気持ちを伝えようとせず逃げてきた自分がいたから、苦しいし悔しいんだ、と思った。

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何の感情なのか訳も分からずに必死で抑えていた|セラピーの現場から(627)

この喜びはもうそれだけで十分です。でも説明してほしいようなので、気乗りしなく苦手ですが、頑張って説明します。
母からの無意識に感じる圧力から、更に、自分で抑え何の感情なのか訳も分からずに、必死で抑えていた感じから、少しだけ解放された。だからこそ、日々自分で選択し、私が私を生きることができる。その喜びだと思います。今までと変わらない日常を過ごしているにも関わらず、今までのように「どうせ私なんか!!」とか、「なんで認めてくれないの?」「なんで私の言っている事が理解できないの?」と勝手に相手に求めて、怒りが爆発するというようなことが、なくなりました。何にも振り回されず自分で選択し、自分で生きる。私が、私自身を生きる。そう思うと益々ワクワク楽しくなってきます。もうワクワクが止まりません。
私の怒りは、寂しさや孤独という簡単な言葉で表したくない程の事(この事に少し触れたから私の解放は起きたのですが、残念ながら十分には触れる自信が今もあまりありません)に対して、強烈な叫びを伴って、怒って怒って怒っていたのかもしれません。だから(全く触れることができなかったから)怒りだけでは物足らなかったんだと思います。まだまだ謎の多いこの寂しさや孤独を、私が理解し納得できるように、(私自身で)これからも探っていきたいと思います。

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やりたくない、今が良ければ良いじゃん|でも子供を生きて行かせてあげたい|セラピーの現場(626)

閉じこもりの子供が回復しつつある。見ていて嬉しくてしょうがない。子供はいつも9時前後に起きるのだが、今朝は7時には起きてきて、8時半頃に遠くへ買い物に出かけたようだ。さっき「帰りは遅くなる」というメールが美味しそうな料理の写真と一緒に送られてきた。ついこの間までは、家から出ない子だったのに。この喜びを元に戻したくない。何があっても(私が自分のことをやって)前に進んで、子供を生きて行かせてあげたい。
私が自分のことを本当にやれるのか正直、自信はない。「いやだ、やりたくない、今が良ければ良いじゃん、その場をしのげれば良いじゃん。」となってしまう。そうなると、子供は家から出られない。そっちも絶対いや。どっちもできない。
でも、子供は生きて欲しい。今までのようになって欲しくない。(私が自分のことをやれず、子供が家から出られない間、実は)私も辛かったから、二人とも苦しい。辛くてしょうがない。悔しい。凄い悔しいし、悲しい。
幼い頃の自分(私)の事もちゃんと解ってあげたい。もう自分(のこと)がわからないまま居るのは嫌だ。自分のことを解明して前進したい。

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私を孤独にした相手にハラワタが煮え繰り返り「早く死ねばいい」と|セラピーの現場から(625)


最近はよく寂しい気持ちになる。だけど何かですぐに誤魔化すのではなく、寂しいと感じてみる自分がいる。それが嫌では無い感じ。
自宅でする瞑想の前に、吐き気があって、それでも瞑想をはじめたら、前回のグループセッションのイメージが出てきた、その時の感じも思い出した。ここは自由でいいんだなって思った後にものすごく身体が冷たくなった。自由と孤独が繋がるような、そんな感じなのか。うろうろ自分の気持ちを探して瞑想を続けると、恐怖の顔したまま固まって凍ってしまったような自分のイメージが出た。その動けなくなった自分を見て、わたしは怒っている。怒っている自分は自由に動ける。でも、その間身体はずっと冷たい。
孤独を感じると、ものすごい憎しみがやってくる。自分から機嫌を直すなんて絶っ対に嫌で、わたしを孤独にした相手が、わたしの悪態で死ぬほど苦しめばいいのにって思う。もしくは早く死ねばいいのに、って思う。
自分からは心を開きたくない。自分のこと興味もないのに知って欲しくない。だから自分からは話しかけない。憎しみでハラワタが煮え繰り返りそうなほどだけど、本当の怒りや本当の感情とは違う気がする。ただ自分を守って守って守っているみたい。

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「なぜ、何で(愛情をくれないの)」がでてきた|セラピーの現場から(624)

いまも母からの愛情を求めている気持ちと、母としてできる限りの愛情を注いでくれたからそれ以上求めるのは自分勝手だと思う気持ちの2つの間で葛藤(かっとう)が続いている。

母は大変な生活の中でも私に愛情を注いでくれたと思う。愚痴を言わず、いつも気丈に笑っている母が大好きだった。母の苦労を私は理解しているつもりだ。

でも今なぜか自分の心は空っぽだと感じる。甘えてくる子供に十分に対応してあげられない。人との距離の取り方が分からない。誰かに親しみを感じて近づきたいと思っても、同時に自制する自分がいる。素直な感情がだせない。社会のルールが優先する。

これまでは社会のルールに従うことばかり考えていたが、今は自分のルールに従うように変わってきている。前回のセッションで、母を求める気持ちを諦めないでと言われ、それがとても印象に残った。

今回のセッションでは、母に甘えたい、抱きつきたい、ひたすら求めたい、その気持ちをやった。頭で考えずに思い切ってやった。「なぜ、何で(愛情をくれないの)」がでてきたと思う。凄く求める気持ちが出て来た。お母さんに「もっと抱っこ!一緒にいて!もっと丸ごと受け止めて!」と言えた。それと同時に怒りが出て来て、怒りの勢いが出て来たように感じた。これが本当の自分かも知れない。

でも、そのセッションの後で、やっぱり空っぽと感じた。求める母がいない(いなかった?)現実をまだ受け入れられない。

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子供は命の浮き輪だった|子供に何をしたか震え上がるほど恐ろしい|セラピーの現場から(623)

閉じこもりだった子供が回復しつつある。どんどん回復している。その嬉しさの中で、でも、自分で気が付いたことがある。衝撃だった。
実は、あの子は自分の浮き輪だった。思えば自分も母親の浮き輪だった。そのことに気がついた。足には重りがついていて必死にもがいかないと溺れて死んでしまう。
<子供は浮き輪だった:子供に何をしたか震え上がるほど恐ろしい>
自分があの子に何をしたか、あまりにも恐ろしくて、分からないことにないことにしていた。それをあの子にやったのかと考えたら、はっきりさせられない。というのは、中心にあるのは死という恐怖であること、やって来たことの恐ろしさが・・・。どうして良いかわからない、いたたまれない。わかっていてやった。震え上がるほど恐ろしい・・。
<指の間から溢れる砂のように崩れる母>。
イメージとして母に触るとボロボロと崩れてしまう。追いかけると逃げるように振り返る母がいる。私を「助けて」と言いたかったのに、そんなことを言おうものなら、(母は)崩れてしまって・・指の間から溢れる砂のように・・・、それが耐えられない、本当は「辛かったね」と抱きしめてくれるとか、・・・してほしかった。でも砂が溢れるようで怖い。このことに気が付き始めてから、カウンセリングの記録を読み返しても怖い。ここをはっきりさせて行くんだろうな私・・・と気が重い。それが出来ないから、生きるか死ぬかのレベルのことを今まで子供にやったのかい、って。気が付いたものの、どうして良いか分からない。
<重りの正体>
助けてと追いかけても逃げて砂のように崩れてしまう母。怖くて耐えられない。今にも溺れてしまいそう。足には重りが付いていた。今も本当には正体を観れない重り。だから子供にしがみ付いていた。子供が、私の生きるための浮き輪だった。本当に浮いて助かるのは、重りを外してからなのに・・、できない。子供も私と同じだった。子供は、私という重りを足に付けられて、ずっとそうしていたと思う。あの子は私だったんだ。
今、子供という浮き輪が外れたら、いよいよ潜れということ。重りを外すために潜れと。苦しくてそうなって来たのに、更に(恐怖という)水の中に落ちろということかと。
勝手に生みやがった。産みたくないのに産み落とされて、ずっと母親の顔色みて、母が死んじゃわないようにして来た。ずっと気を使って来た。……私も母の浮き輪か。この年まで母の浮き輪だったのか。衝撃だった。

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役に立とうが立つまいが要らない子という無条件の死|セラピーの現場から(619)

(585)(605)の続き
ベビーブレスをした。
役に立とうが立つまいが要らない子という、無条件の死。役に立とうが立つまいが、ただの温かい自分で居ていいという、無条件の温かさ。この相反する二つのものの同居を「死と背中合わせの無条件な暖かい自分」って私は呼んでいる。今回のベビーブレスで、ここのところを中心にやりたい。
はじめの方では、無条件の暖かい自分が、無条件の死を感じているようだった。二つのものは、別物では無く、両方同じところにある感じだった。だから、無条件の死だけの冷たい感じがしなかった。
そのうち、力が抜けていく感じがした。この力が抜けていく感じは無条件の死を、受け入れていく感じだった。ただ、ただ、自然と死んでいく感じ。すごく自然でとても気持ち良かった。
後の方では、浮いているようだった。何も締め付けがない。宙に浮いている。今までは二つのものは、閉じ込めているような感じだった。それが、下にも上にも囲いがない感じ。そして背中であったかさも感じる。何か、孤独も感じるが、囲いがなくなったよう。囲まれている感じから抜け出した感じだった。
無条件な死を受け入れることで、無条件な暖かい自分が、囲いの外へポンと出てくる感じだった。
今までの、母親の条件付きの死(役にたたなきゃいらない)と、条件付きの生(役にたつならいてもいい)という母親中心の世界から、無条件な死(役に立とうが、立たなくても最初からいらない)と無条件な生(役に立とうが、立たなくても暖かい自分がいる)という、自分中心の世界になったような感じが続いている。そして、今回の「締め付け」は、母親中心の世界で、「囲いのない」のは、自分中心の世界という感じだ。

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死にさらされて死を拒否|心の蓋を開けてしまうよう|堤が崩れ物凄いエネルギー|セラピーの現場(618)

今は何があっても日常が楽しく、これからの自分が歩いて行く人生を思うとワクワクしてくる。
今、分かってみれば、昔の私は死にさらされていて、そして死を完全に拒否していた。死にたくなかった。死ぬのが怖かった。生きたかった。どうしても生きたかった。でも、生きたい!!と言っては絶対いけなかった。心の蓋を開けてしまうようで、死に扉を開けてしまうようで、どうしても口に出して言えなかった。でも、私は自分を知りたかった。知って私は自分自身を生きたかった。その当時、セッションで、決意して「生きたい」と口に出して言った。ほんの少し死に扉を開けた。そしたら、なんと止まらない止まらない。この生きたい願望が湧き出した。どんどん口から、いや、お腹から、いや、全身から湧き出てくる。「生きたい」「生きたい」・・・。
この「生きたい」という願望は、同時に、その願望を許さない何かに向かって、激しい怒りのエネルギーとして噴出した。怒りを存分に噴出させることで自分を徐々に回復できる時期が続いた。
やがて、怒っても怒っても物足りないようになった。怒りの奥には恐怖があった。怖くて怖くて本当に怖かった。寂しさや孤独という簡単な言葉では表したくない程の寂しさや孤独だった。そこを跳ね除けるために怒っているようでもあった。
その後に、跳ね除けずにほんの少し味わうことができた。そうしたら堤(つつみ)が崩れるように泣けた。永遠に泣けていられる感じだった。泣けるエネルギーは、怒りと同じエネルギーだが、怒りのエネルギーが小さく感じるぐらい、物凄いエネルギーだった。
この物凄いエネルギーが出てから、今は、いわば毎日が遠足前日の気分で、日々圧倒される気分を味わっている。

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「何で認めてくれない見てくれない」「周りから褒めて欲しい」|喝采で麻痺|セラピーの現場(617)

<他者評価から自己評価へ>
母からの愛情が足りなかった欠乏感を埋めるためか、いつも周囲からの評価を求め、他者から褒められることで自分を奮い立たせていたが、それは苦しかった。今、初めて、自分で自分自身を認めることができるようになり、今までになかった充実感を味わっている。

<子供の頃から喝采で麻痺>
思えば、子供の頃から、ガキ大将で気持ち良かった。周りから認めれるので満たされる。「付いてこい」とやると付いてくる。喝采される。喝采で麻痺する。小学校で朝礼の朝礼台に乗って、学校行事のことを話す役、児童会の書記だった。マイクを握って話す気持ち良さ。弟たちの「お兄ちゃんだ」と聞こえてくる。全部こいつら子分だと。
<精神的な弱さの稀勢の里に共感>
相撲取りの稀勢の里のことを、横綱になったあたりから、好きになった。相撲は見なかったのに大好きになった。怪我しながら逆転優勝もした。「プレッシャーでいざという時に勝てない精神的な弱さがある」と稀勢の里が自分自身で知っている。「稽古、稽古しかないとやってた」とインタビューで言っていた。
彼の相撲の事を見ていて、他者評価を求めなければならない自分自身の精神的な弱さ、そして自分の仕事を思った。似ているところがある。
自分は、ヤダ、とか拗ねたりしていても、仕事はルーチンワークとしてずっとし続けてきたなと思た。思ったら自分自身の自信になった。自分で納得できた。他者評価でなく思えた。「何で認めてくれない、見てくれない」という事で「周りからの褒めて欲しい」評価が先行していて苦しんでいた。そういう気持ちもまだあるが、「自分でやっている」と思えた。思えたらお客さんに喜んで貰うのが仕事だが、もっといろんな事をやりたくなった。僕の仕事は調理だから、どんなものを食べたいかと考えて、できるようになった。更に、自信を持ったら、「何をやってもいい、制限はない、自由だし裁量はあるし」と思ったら、どんどんできるようになった。お客さんからストレートに声が掛かる。昨日、「おとうしが美味しい、娯しみにきているだよ」と言われた。毎日考えているし面倒臭いけど考えてやる。

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無視しシャッターをおろし「そんなことありましたか?」|実は、甘え|セラピーの現場(616)

職場などでうまく自分の気持ちを表現できず、人についつい無視をするクセがあったが、最近、無視の背後に隠れている謎の解明が進んできた。(続き)

〈無視をするとどうなるのか〉
自分の本音をないことにして無視をしていると、ある程度までは、人との関係性は作れるけれども、その関係性が進むとともに、出てきそうになる自分の本音を無いことにしないといけないので、最後には、関係を切ってしまう。シャッターを下ろししてしまう。自分は責任がないと投げてしまって人任せにしてしまう。そして言葉での表現はしない。代わりに態度で示す。他人を無視する。切る。シャッターを下ろす。
〈無視の正体〉
一方で、無視は、自分の気持ちを表現できない私にとって、ギリギリの甘えであり依存であり自己主張だった。
甘えや依存は、本当は母に出したかったけれども、勇気がなく怖いので、職場の上司に出した。積極的な無視をし始めた。核心を突くようなことを言われたりすると、「全く覚えていません。そんなことありましたか?なんのことでしょう?」などど本当にないことにしてしまう。 出し方はすごくハードだが、自分の中では、甘え、だった。
幼少期に母に甘えたことがないので、甘え方がわからず、どうしていいかわからかった。無視という形で甘えをしていた。積極的な無視は、自分がここにいるということの自己主張だった。自分の中に足りないものを、外側に、究極に、求めた結果だったと思う。
〈正体がわかってどうなったのか〉
足りないものを外側に向いて求めていたこと、上司に依存していたことが分かってきたら、実は、母を求めていることが分かり、上司に対する積極的な無視が少なくなってきた。
私は母を求めていた。本音は『お母さん抱っこして』と言ってずっと甘えたかった。お母さんと一緒にべったりとして離れたくなかった。自分を認めて欲しかった。ここにいて良いと…。自分の本音が分かってきた。
〈最近のセッションで〉
最近自分で自分をこのままでいいよ、と認められるようになってきた。そしたら、なんだか訳のわからない自信が湧いてくる。エネルギーを感じる。体が熱い。喜怒哀楽がはっきりしてきた。人間らしくなってきた。愛情もらっていなくっても、また無視が出てしまってもいいじゃん。ちゃんと謝ろう。みたいな変な自信。そんなエネルギーを感じる。自分の子供をまるまる認めていなかったことにも気付いた。
風船のイメージが出た。「そのままでいい風船」の中にいて、母、祖母、息子、主人、父、祖父、兄弟、叔父、叔母、みーんな風船の中においでと言いながら遊んだ。
でもここ(風船の中)にずっといられない。風船が小さくなり自分だけの時もあったり、風船自体が見えなくなっていたりする時もある。ずっと風船の中にいれるようにしていきたい。

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母『どうしよう出来ちゃった』|女の私は兄弟に母の意識を取られないように頑張った|セラピーの現場(615)

職場などでうまく自分の気持ちを表現できず、大事な場面で、人についつい無視するクセがあったが、最近、そのクセから卒業しかけている感じがしている。そして、自分がなぜそんなクセに陥(おちい)っていたのかが、分かってきた。
〈なぜ無視をしなければならなかったのか〉
私はいらない子だった。母はこどもに意識のない人だ。私がお腹の中にできた時『どうしよう出来ちゃった』と思っていた。妊娠後期になるとどんどん子供が大きくなってしまい、帝王切開になった。帝王切開をするので全身麻酔をしていて本当の意識もなくなっていた。
私が2歳前のときに弟が生まれた。もともと母は愛情をくれる人ではなかったが、兄弟が生まれたことで私に対する意識が更になくなっていた。私の居場所はなかった。大変な母の手をわずらわせないように、私も、手のかからない良い子をしてきた。自分の感情を出さずにとにかく頑張った。男に負けないように、兄弟に母の意識を取られないように、良い子にして頑張った。今でも母は、『手のかからない子だった』と言う。母はそれ以外覚えていないらしい。意識がない。無視をされていた。
母は、良いも悪いも、やりたいも、やりたくないも、気持ちを言葉で言う人ではなかったが、子供の面倒は見たくないし、家事もしたくない、が本音だったと思う。その母に対して、私が本音を言うことはできなかった。言うことが怖かった。そして自分の本音を無視した。本音を隠して、無いことにした。そして頑張った。自分の居場所を求めるように、自分を認めてもらうようにとにかく頑張った。
もともと頑張るのは好きだ。でも、必要以上に頑張らなければいけなかった。結果、仕事では、良い成績を収めることができた。誰もが認めてくれるくらい良い成績だった。それなのに自分自身は全く満足感はなかった。逆に、やればやるほど自信がなくなった。本当にこれでいいのかなー?と。成績はいいが、人との関係性が上手くいった感じがない。表現をして人と繋がった感じがない。本当に自信がなかった。肝心なところでシャッターを下ろして人を無視をしてしまう。上司や部下との関係もそうだった。人間関係を良好にさせることは難しかった。自分の本音を無視し、そして、人を無視した。

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母は何も言わないで秘密を持って死んで行った|私への裏切り行為|セラピーの現場(614)

<お父さんに対して私の心が開いた>
父親は大きな手術をした後、現在、1週間に一度に通院している。車の運転もやめた。目が定まっていないから。親父が実家の管理(掃除など)をしているが、十分ではないので、子供達(私達)も休日の時はやっている。それが親父には嬉しいみたい。父ー子供達でラインをして「お風呂掃除終わりました」「(家の)猫が近所の猫と喧嘩して逃げてきました」とか、やる。子供達(私達)の気持ちが父親に集まっている。
私も実家に泊まって「おはよう」と起きて父親の体を摩(さす)る。免疫高めるためにやっている。父は「いいよ、免疫高めなくても、死ぬから」と言いながらでも嬉しそう。
実はこれは母とやりたかったこと。そのことを自覚しながらやれる。嬉しいのは父が散歩するようになったこと。前は歩かなかった。散歩するというのがなかった。今は散歩しながら花や川を見たりしている。感じるように散歩しなと言ってある。ラインで報告がくる。親父が自分でやってくれるのが嬉しい。車に乗らないから、散歩がてら歩いて食材を買いに行く。親父はささやかながら自分の残り少ない人生を楽しみ始めたと私は感じている。
<本当はお母さんに対して開きたかった>
お母さんは自分自身のことを隠して死んでいってしまった。親父とのようにつながる事はなかった。それが今でも心残り。
セッションでは、病室のベットの上で寝ている母が出てきた。死んだら嫌だという悲しい気持ちと、何も通じ合っていない悲しみと怒りが出てきた。母は何も言わないで秘密を全部持って行っちゃう感じで・・。それ(悲しみと怒り)をやれた。
母について、印象としては最後に看取ったのは残っている。最後の最後は覚えている。その時は母親を失った悲しみが大きかった。愛されていたと思っていたから。大事な母を失った悲しみが大きくて死んだ時はそれ(愛されていたと思っていたこと)が出た。セラピーではそれも出たけれど、でも通じ合っていない、母の事を何もわかっていないし、母の事を知ろうとしなかったもどかしさ、悲しさ、が出た。当時はなかった。実際にはあると思う。そういう事がわかった。母が母自身の事を何も言わないのは(私への)裏切り行為だと思う。
<保育器>
私は未熟児で1ヶ月早く生まれた。保育器に1ヶ月入っていた。父が母乳を持っていくと綺麗な看護婦さんがコーヒーを淹れてくれたと、父が私に、しょっ中話す。
母の気持ちは全くない。聞いていない。赤ん坊の私を、気持ちの上で、放置していたのか、と思う。
<母は好きな人がいた>
母は大きな会社に勤めていた。なかなか仕事を休まないうちに、破水して、早く生まれた。自転車で通っていた。母は職場に好きな人がいた。その人は母の葬儀の時も来たみたいな話をしていた。
父は赤ん坊の私を抱いたという。お前が可愛くて抱くと仕事頑張らなくちゃなと思ったそうだ。母は子育てが楽しかったとは、私は感じない。母は毎日淡々と生きていた感じ。自分の人生を生きている感じはしない。だからこそ、父が母のようにはならず、自分の人生を楽しみ始めたことを、私は感動しているんだと思う。
<人生を生きたい>
親父もそうだが、他の人が、自分の人生を生きることに感動する。本当は私自身がそうしたいと思っているんだろうな、と思う。自分で自分を捨ててしまったのが母にあるから。職場のおばちゃんがフラダンスを習ってハワイに行ったり有名歌手を追いかけたりしていて、みんなにそうなって欲しい、と思う。私自身が自発的に楽しむのは一番だけど。本当は、母とカラオケや旅行に行きたかった。思えば、生前の母とは、日常の買い物でスーパーへ行った。1週間の買い物に家族全員の5人で行った。子供達はお菓子やアイスが楽しみだった。でも大人になってからは違うことをしたかった。
<母の母親との関係>
母と祖母(母の母親)との関係性は良くなかった。祖母は母に冷たいし、母も冷たい、喧嘩もするし。母親(祖母)が(母が)子供の時にお弁当を作ったというが、(母は)作って貰っていないという。祖母は農業で畑仕事が先で、家事は後回しだったろう。姑さんもそうだったろうし。嫁いできてからは農業に価値があり、母達が生まれても畑仕事が優先的だというのが見える。祖母も生まれて直ぐに父(曽祖父)を失くし母(曾祖母)も失くし、10人くらいの兄弟で、両親(曽祖父母)ではなく上の兄弟に育てられた。(本当には)親がいない。親からの愛情がない。祖母は(愛情を)貰っていないから出せないので、母も貰っていない。
<母にはできなかった>
今は父親に対して死んでほしくなくて愛情をかけることができる。家猫にも同じように愛情かけることができる。母にはできなかった。

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こんなに自分を殺して頑張っているのに、どうして私ばかりが責められるの?|セラピーの現場(612)

母は何に怒っているのか。知りたい。母は気持ちを封印していそうなので、(私が)自分で探るしかないかもしれない。母は幼い時に、小さい兄弟の世話を任されたらしい。「親でもないのに小さい子(兄弟)の世話を任されて、なんで生んだんだよ。子どもとして生きたかった。」という怒りなのかな。好きでもない小さい子の世話をさせられて懲(こ)りたはずなのに、なんで、その後に自分の子供(私)の子育てがよく出来たなあ、と思う。だけどそれこそが母の、母親(祖母)に従っていい子の仮面でしか生きられない理不尽な人生なのかもしれない。
そこを瞑想した。「こんなに周りのために自分を殺して頑張っているのに、どうして私ばかりが責められるの?私だって辛かった!誰がこの思いを聞けるのか!誰も分かるはずない!自分の人生を生きること(本心を話すこと)を辞めたのに、あなた(私)たちが自分の人生を生きようとするなんて許せない。生まれてくるなー!」と母の子宮に私が押し戻されるイメージが出た。

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子どもは愛情を求めてまたくっつきにくる|母親「裏切れないの知ってるよ」|セラピーの現場(611)

わたしの母親やよそ様の母子を見ていて、思うことがある。
子どもはどんなにおとな(母親)が間違ったことをやっても、その時は(母親を)嫌いでも、愛情を求めてまたくっつきにくる。わたしの場合も、その子ども(わたし)が(母親を)裏切れないという愛を、(母親に)頼りにされていた感じがする。わたしは母親の顔色を伺って、優しい面だけにくっついてきた。生きるために自分の(本当の)思いに蓋をした。(母親へ)反発しようものなら「いい加減にしろ!ここから出ていけ!」と怒鳴られる恐怖があった。
母親には、「自分(母親)が愛せなくても、どんなに酷(ひど)いことを(あなたに)しても、あなたは愛してくれるでしょ、(あなたは)認めてくれるでしょ。(あなたが)裏切れないの知ってるよ。」そう言われている気がする。
わたしの兄は母親との喧嘩で「出ていけ!」と言われて本当に一度出て行ったことがある。その時の母親は酷く(ひどく)動揺していた。自分(母親)が困ることを(母親は)何故言うんだと不思議でした。(母親は)子どもの言葉を聞いたり、自分の気持ちを話したり、話し合うことができないようだ。自分の本当の気持ちを閉じ込めて話せないのが、わたしの母親だから。怒りに任せるしか方法がないんだ。

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「あ~いつか終わってしまう」という感じも今はない|セラピーの現場(610)

(575)(579)(583)関連
その後、日常生活も楽に(?)リラックスしている感じがします。昔のようには気を張っていないというか、力んでない気がします。
自宅で瞑想していますが、日を追うごとに瞑想が変わりました。瞑想していて、別に寝ている訳ではないのに、1日中(?)何時間も寝たかのようにシャキ~!!!!とするようになりました。今までは、このシャキッ!!という感じはあまりありませんでした。
今は何があっても日常が楽しく、現在も楽しいのですが、これからの自分が歩いて行く人生を思うとワクワクしてきます。言わば毎日が遠足前日の気分なのです。今までは、調子の良いときにありがちだった「あ~いつか終わってしまう…」という感じも、今は全くありません。いつまでも続いていきそうなこの気分に、まだまだ、圧倒されそうです。日々瞑想をしたり、日々感じ味わいながら過ごしていきます。そして圧倒されるばかりでなく探りながら過ごしてみたいと思いますが、この深く探るということが中々できません。「ん~悔しい~!!」となります。でも、もう少しだけこの圧倒される気分を味わっていても「良いかな…」とも思っています。

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ばい菌扱いされ顔を歪ませ笑った|近づいたら死んでしまうんじゃないか|セラピーの現場(606)

<子どもへ納得できない理由の指導がツライ>
セッションを受けて時間がたつが最近気づいたことがある。
仕事で子どもと居ることが多い。すると自分が子どもであるかのような感覚になる。大人らしい振る舞いが苦しくなる。だから何か指導することに抵抗がある。これしちゃダメあれしちゃダメがつらい。納得できる理由がないとツライ。言葉に力が入らない。自然なことかもしれないが・・・。
<泣けない平和主義者>
いつも悲しみが出てこない。涙を流すときは悔しい、怒ってる。小学生の時に面白半分でばい菌扱いされた時、ひどく傷ついた。悲しくても顔を歪ませて笑ってた。本当はすごくすごく泣きたかった。そうしたら友達や先生もわたしを助けてくれたかもしれないけど相手が非難されたり怒られたり、今度は相手が傷つくことを知ってたから、我慢した。どんだけ、平和主義のいい子なんだか。
周りに遠慮しなければ、私は生きられない。いい子でいなければ生かせてもらえなかった。わたしの悲しみはわたしだけのもの。周りがどうであれ、あの頃の自分に泣いていいんだよって、言いたい。
<背後に死?>
小さい頃、水が怖かった。今もそれほど好きではない。のびのびと身体が動かない。胎児の頃に何かあったのかと思うくらい。
自分が死ぬことは異常に怖い。けれど他人の死は、怖いというより神秘的だと思う、曽祖母の時も、叔父の時も、悲しい気持ちは不思議と感じない。感じられないように蓋をされている?。母の死だけは怖かったけど、今は前ほどではない。
兄(引きこもりが続いており壊れやすい感じがしている)が死ぬことは前より怖い。わたしが近づいたら精神的に何か作用して、死んでしまうんじゃないかと思って近寄れない。わたしがダメージに耐えられそうにないので近寄れない。

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「役にたたなきゃいらない」って何だよ!私を大切にしてよ!|セラピーの現場から(605)

<氷水>の話(585)の続き。
母親は、役に立たなきゃいらないとして幼い私の命を使い、本当に私の生を望んでいる感じではなかった。私はその影響を受けて、生きるために周囲の役に立とうとし、それでも結局は望まれないということを引き受けるのを避けつつ、究極の孤独の中に居るしかない。それが<氷水>。
先日のセッションでは、自分のやってみたいことができた感じがある。今の自分にとっての精一杯の感情が出せた感じがある。それは、母親に対しての怒り。怒りとともに母を求めてること。「役にたたなきゃいらないって何だよ!」「私を大切にしてよ!」など、いつもなかなか出せなかった言葉とともに、発狂するかのように、物凄く沸き上がるエネルギーとともに、感情を出せた感じがある。
そうしたら、氷水の所(究極の孤独)に行く予定で冷たいはずだったのに、逆に、自分の物凄く暖かいエネルギーを感じた。すごく暖かくてまっすぐなエネルギーだった。冷たい予定だったのに、暖かくてとまどった。その暖かい自分のいるところは、氷水の冷たい中、それなのに暖かいって感じがした。
相反するものが同居する。役に立とうが立つまいが要らない子という、無条件の死。役に立とうが立つまいが、ただの温かい自分で居ていいという、無条件の温かさ。この相反するものの同居を「死と背中合わせの無条件な暖かい自分を感じる」って私は言っている。セッションの後、自宅で、深く呼吸をしたりしてみて(これらの気づきを)消化をしようとしている中で、感じるのは、いい意味で自分の中が空っぽになった感覚。この感覚が少しずつ自分の物になって来るような、柔らかく近づいて来ている感じがあって、とても良い。ゆっくり、じっくり味わっている。味わえると、身体がポッかポッか暖かく自分のエネルギーを感じる。

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自分の存在がなく世界の終わり|保育器で50日一人ぼっち|セラピーの現場(604)

<成育歴> 母は、私を妊娠中に、重い扇風機を箱の中にしまおうとして破水した。殺意があったのかもしれない。私は、羊水を飲んで溺れたような状態になったらしい。生後、この早産のため未熟児で、すぐに保育器と入院とで50日近く一人ぼっちだった。母は、私を産み保育器に預けて退院し、その後は実家に居た。母は出産で腰を痛めていたので、祖母が病院に支払いに行ったりしていた。母にそのころのことを聞くと、その腰痛のことしか覚えていない。母は、母の父に「年越すまでに(嫁ぎ先へ)帰れ」と言われたらしい。「何であんな人(私の父)と結婚したのか」と後に述べており、母は嫁ぎ先に戻りたくなかったのかなと思う。母は、病院に居る赤ん坊の私へ見舞いにも来なかったらしい。母自身は見舞いに行ったと嘘をついていた。私が退院する時まで実家に居た。私が退院すると、こんな「生後1ヶ月の赤ちゃんをどうしよう」と言っていたようだ。ようやく母に会えても迷惑がられた感じがする。小学生になっても、母は、私の話を聞いていない、見ていない、信じていない、傾向があった。私は、言い返せなくて悔しい思いをした。

 <自分の中の二人> 胎児期から十分に月満ちるまで居させてもらえず未熟児となり、産まれてもそのまま一人ぼっち。その後も薄幸。大きな大きな傷。傷が大きすぎて、傷を観るのが辛すぎて、セッションを続けられるかどうか迷う。自分の中に二人いる感じ。 続けようと思う人はA子。セッションでの気づきが面白い。続けたくない人はS子。怖い。小さい頃、一人遊びでこの世の終わりのような劇をやっていて、すごく怖くなった。ワーッと夜中でも叫び出すくらいのがあった。そうなるのは今でもある。太陽が爆発して地球がなくなるというかなり未来の話も、ドキドキして怖い。自分の存在がなくなる、世界の終わりの恐怖。

<セッション> セッションは、二人が引っ張りあってなかなかうまくいかなかったが、何とかこなし、足が冷たいことが認識された。冷たい=怖い=捨てられることと自己解釈した。保育器に入ったことは捨てられるのと同じ。自分の存在を認めてもらえない、月満ちるまでいなかったことも捨てられる感じ。存在が消え、全て捨てられる恐怖に包まれている感じ。「悔しい」という気持ちも出る。しかし、生きた真の感情がなかなか出てこなかった。 後のセッションでS子の言い分を聞いた。「(セッションするなんて)よけいなことしやがって。誰のおかげでここまでやって来れたのだ。」防衛して我慢して生きていく、なんとか生きていく、その働きがS子。怒りの感情が爆発した。火の玉。感情が前面に出た。「気持ちを殺して、頭を使って生きてきた。今のまま、自分のことをわからずに、ロボットのようにして、はじめて生きていける。その私(S子)を無くすのか」今までS子が引っ張ってきて生きてこれた。

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人の話に割って入ってでも存在をアピールしなければ!|本当は喋るのも苦手|セラピーの現場(603)

セッション後の報告
<自分はおしゃべりで積極的ではなく、実は独りぼっちで人と接するのが怖く寂しい>
以前にもお話しましたが、私はおしゃべりで積極的な人間だと思い込んでいました。それは本当の自分ではなくて、人の輪に入るのが苦手で喋るのも苦手です。前は人の話に割って入ってでも喋らなければ!私の存在をアピールしなければ!と思っていました。いまは、人が喋っているのを邪魔するのは悪いなぁとか、私が喋りたいことは話の流れを無視しているから黙ってようと思うようになりました。その代わり?なのかはわかりませんが、誰の心にも私の存在なんてないんじゃないか?本当に独りぼっちだなと思います。その原因が、自分が壁を作っているからだというのも分かります。自分が必要とされていない、甘えられない子供なので、人と接するのが怖いのかもしれません。ちゃんと甘えたり自分のことが分かれば、この寂しさは改善されるのかもしれません。以前よりは耐えられていますが、まだ寂しいのは辛いです。
<自分の内面に向き合う>
以前はセッションを受けると、どんどんやるぞー!!とやる気に満ち溢れることが多かったのですが、今回は少し違います。ぼんやりしているとも言えますし、穏やかともいえます。誰とも繋がっていないなかで、より自分と向き合いたいと思っています。今までは好きだったSNSやサッカー等の外界の刺激が、鬱陶しいと思っている自分がいます。心をかき回されたくないのです。仮想世界でも良いから誰かと繋がっていたい!とSNSやサッカーに依存していました、本当の自分は独りぼっちなので、それを認めないことには先に進めないと思います。こんなに自分の内面に向き合っているのは初めてです。自分が精神的に弱いから、どうしても外界の刺激に流されてしまうのです。サッカーは嫌いになった訳じゃないので、自分が精神的に落ち着いたらまた見に行こうと思います。
じっくり自分と向き合おうと思います。

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脳の障害だから心の傷ではない?|だから薬を飲ませる|セラピーの現場(602)

問題は脳の障害が原因であって、心の傷が原因ではないとする傾向があります。器質的な問題なのだから、心因性の問題ではないとする傾向です。A(脳)だからB(心)ではないということです。
この傾向はだんだん強くなっており、例えばLD(学習障害)や ADHD(注意欠陥多動性障害)も脳などの機能障害(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/004/008.htm)とされるようになっています。LDや ADHDの子供たちは、別学級に入れられ、薬を飲まされ、通常の教育のルートから外されようとしています。これらの問題のある子供たちの数は多くなり教育の現場で手に負えなくなっているようです。脳(臓器)の問題であれば教育の問題ではなくなり教師は責任から逃げられます。親も面倒な子供の問題から逃げられ職場の仕事に専念できます。本人自身も、自分の心臓や盲腸等の内臓の病気に責任が無いように、責任から逃げられます(薬は飲まされてしまいますが・・)。
このA(脳)だからB(心)ではないという傾向は、脳科学の発達に従って、ますます広がっていくかもしれません。ぐずって親の言うことを聞かない幼い子供から、重大犯罪を犯す大人まで、広い範囲へ広がることと思います。
しかし、このA(脳)だからB(心)ではないという傾向は正しい方向なのでしょうか。セラピーの現場では全く違う感触を得ています。劇的に回復する例などを見ていると、とても脳の傷などの障害と片付けられません。
A(脳)だからB(心)ではないという判断自体も間違っているのではないでしょうか。例えば、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)は外部(災害、事故、暴力、戦争)からのストレスが心に傷を及ぼしたものであることに間違いありません。しかしこのPTSDにも脳の変化(委縮や炎症)が見つかっているらしいのです(http://news.mynavi.jp/news/2012/05/23/030/  http://www.excite.co.jp/News/it_biz/20120523/Cobs_ie_201205_ptsd.html)。この「心的外傷」は心を傷つける意味です。「心」であっても「脳」に変化が出るのです。A(脳)だからB(心)ではないという判断ではなく、AであればBの可能性も排除できない、という判断も必要なはずです。
脳科学の発達によって、それまで心因性(B)のものと考えられていたものが、脳(A)の障害として研究されるようになると思われます。激しい失恋も脳に変化を与えることが分かってくるかもしれません。そのときには、B(心)だからA(脳)だ、ということにもなると予想されます。心が問題を抱えていれば、当然に脳も問題を抱えているでしょう、となるでしょう。
仏教には心身一如という見方があるそうです。心と身(体、臓器、脳)は一体という意味にとれます。これは、まさにセラピーの現場の感触と同じです。

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赤ちゃんの泣声が怖い謎|ボタンを押され保育器ごと焼却炉|セラピーの現場(601)

<保育器の経験から我慢と遠慮>
誕生後すぐに保育器に入れられた。両親が仕事で忙しく、私を病院に預かってもらう必要があったという事情が大きく影響している。心の傷になっている。人生のスタートから一人ぼっちで保育器の中で我慢して過ごすしかなかった。今も、人生に対する我慢や遠慮が根強くある。
<ボタンを押され保育器ごと焼却炉へ>
セッションで、あるイメージが出た。保育器の中にいる自分を、高いところから両親が眺めており様子を見てボタンを押すと、保育器が自分ごとレールの上を滑り下って焼却炉の中に放り込まれる、というイメージだ。両親の意図で、抵抗する間もなく殺されてしまうという意味だ。
<赤ちゃんの泣き声が怖いという謎>
赤ちゃんの泣き声が怖い。なぜだかわからないけれども怖い。職場などで、他の人の赤ちゃんが火が付くように泣いていると、聞いているのに堪えられない。その赤ちゃんのように、自分が我慢を外して本気を出したら、ボタンを押されて殺されてしまう。背後には、どうしようもない遠慮と我慢の人生がある。本当は、その赤ちゃんのように泣いてみたいという自分もいるのかもしれない。
<死をも我慢しようとする>
セッションで死をやったが、今考えるとあっさりと死んだ。あっさりできた。保育器から火葬場まで熱いのも我慢して我慢して死ぬ。絶命するまで我慢できるのかと思ってしまう。でも実は、恐怖とか飛ばして死んだんだと思う。怖いところにいられない。すぐに死ねたのはその方が楽だからかもしれない。
でも後日、別のセッションで死をやったら、息もハアハアしてなかなか死ねない。往生際が悪い。かなり怖かった。
<どうしたら我慢しなくて済むのか>
セッションではどうしても我慢してしまう。立ち向ってしまう。降参できない。力を抜いて見たりするが、呼吸ができなくなるのではないかとビビりまくっていた。言葉も出ない。
<解放の仕方が分からない>
自分を解放するその解放の仕方がわからない。我慢は保育器から来ていることはわかっている。何かあると踏ん張って抵抗していた。我慢や抵抗ができないと、どうしようもない。
<クネクネと「やりたくねえ」「ヤダヤダ」>
セッションで、幼い子供が駄々をこねるようにクネクネと体を動かすと、少しは自分を解放できる気がする。でもクネクネしながらも脚を踏ん張っていた。そこで、踏ん張らないようにしてみた。そうしたらナマケモノのようなイメージになった。何も「やりたくねえ」「ヤダヤダ」とやって見た。自然とそうなった。気持ちよかった。でも本当の解放はこんなもんじゃないとも思う。

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甘えている人に腹が立つ|べたーと来るような人には無視をする|母に甘えたことがない|セラピーの現場(598)

<聞き分けのいい子>
私は、親の手をわずらわせないように我慢して聞き分けのいい子をしてきた。その延長で今まで、職場や家庭でとにかく頑張った。
<甘えかたがわからない>
幼少期に母に甘えたことがない。ベタぁ~ジトぉ~という甘えをした記憶がない。甘えのイメージとしてはメイプルシロップの様にベッタリとすること。そんな甘えへ憧れを持つ自分の中の自分にメイプルちゃんと名前をつけた。幼少期にベッタリと甘えることは必要なことで健全なことだ。でも自分は甘えをしたことがないので、そもそも甘えかたがわからない。
<甘えを押し込めて無視をする>
甘えている人をみると腹が立ってしょうがなかった。初対面でもべたーと来るような人には、思わずシャッターを下ろす。それどころか、イライラして怒ってしまう。無視をする。自分の甘えたい気持ちを無視して、心の奥底に押し込めていた。そのことに気づくチャンスは沢山あったけれども、いつも忘れてしまうことが多い。
<甘えられない訳>
甘えることは(メイプルちゃん)本当は自分が一番やりたかったことだった。甘えたいと思っているけれども怖い。甘えの欲求を(母に)受け入れてもらえないことがわかっている。無視される。無視されるくらいなら、言わない方がいい。表現しないで黙っていよう。その気持ち(甘えたい気持ち)を押し込めて無いことにしよう。無視しよう。
その奥には、自分の存在を否定される怖さがある。否定をされることは、自分は「いらない子」になってしまうことだ。そこを認められなくってメイプルちゃんを我慢して、無視して生きてきた。でも、その気持ちに気づいたらメイプルちゃんを無視できなくなり表現してみたくなった。
<お母さんとバイバイして弾けた>
セッションをした。母に疎(うと)ましく思われているのは知っている。だから何があってもお母さんから離れない。離さない。しがみついた。お母さんと一緒になる感じがあった。そうしたら(できなかったことがやれて受け入れが起きたのか)自分から手を離しバイバイした。そして死んだ。お母さんとバイバイした。自分からバイバイできた。
その後、自分が泥団子になった感じでコロコロ転がり、バ~ンバ~ンと弾けた。
母から離れて初めて自由になった。メイプルちゃんと泥団子は自由な感じ。
<そのままの自分でいいんだ>
後日の自宅での瞑想で、「そのままの自分でいいんだよ」と自分で自分をOKを出せた。「そのままでいい風船」に入っていて守られている感じで安心している。体の中が熱くなってパワーが湧いてくる。「風船」がどんどん大きくなってきて中で自由に遊んでいる。
「そのままでいいよ」と何度も言いながら瞑想していると、小さい自分が(2歳くらい)出てきて、その子の(幼い自分の)頭をなでながら「そのままでいいよ」と言っていると、どんどん自分が小さくなり胎児になって人間の形もない位いの胎児になって、なでなでしていた。涙が止まらなかった。
<子供がいとおしい>
瞑想を終わって隣で寝ている子供をみて(いとおしくて)、又泣いた。「そのままでいいよ」と言いながら…外側の事ではなく、子供そのものを肯定していなかった事に気づいた瞬間だった。それからいとおしいと言う気持ちが出てきている。ホントに「そのままでいてほしい」と思う。親の言うことを聞いたり、自分のやりたいを無くしたり、表現しなかったりなど、が今までの自分であれば、その自分とは真逆のことが「そのまま」ということだ。
<職場でも自然にやれた>
その後、職場で、頑張る感じではなく自然に伝えよう、伝えたい、という気持ちが出てきて、職場の新人に自然な指導が出来るようになってきた。これだ。自分が大切にしていることが分かった。改めて確信が持てた!!その気持ちを伝えていきたいと感じている。
<家族とも改善>
子供はリアル。私が少しずれていると、態度が変わる。それを見た私が、ずれているんだと思い返すきっかけをくれる。こっちがまっすぐでいると真っ直ぐに返してくる。今回もそうだ。ホントにリアルだと感じる。
旦那に対して、(今思えば)上から目線でのものの言い方だったが、優しくお願いすることができたりしている所も出て来た。

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全く外出せず散髪もままならず宅配便も受け取れなかった|セラピーの現場(597)

長年の閉じこもりだった子供Yに変化が起き始めた。凄いスピードで変化している。私(母親)が自分の母親との関係、自分の傷は母親から来ていること、をやり始めた途端の変化だと、言われる。でも、私には、そこのところは理屈では分かっているが、ぼんやりしている。
しかし変化は起きている。Yの変化について行くのが大変だ。今まで、全く外出せず、散髪もままならなかった。他人に接するのが嫌で宅配便も受け取れなかった。それが、時折、夜間で私たち両親連れだが、外出してコンビニに行き買い物をするようになった。
そうしているうちに、昔の友達とメールで、会う約束をした、と言う。友達と会うための準備が始まった。長年の使用で傷んでいたメガネを変えることになった。買って来たメガネを喜んで受け取った。何日か後には、一緒に買い物に行った。靴を買った。帽子も買った。初めて買い物が「楽しかった」と笑いながら帰ってきた。
友達と会う当日は、朝から普通に起きてきて「行くんだ~」。遠くの大きな駅まで送って行くよと言っても「近くの駅でいいから」と言われる。その近くの駅へ送ったときに、閉じこもり以来はじめて「行ってきます」とニコッと笑った。新しい帽子かぶって、「かっこいい」と夫婦でつぶやいた。
その日、会うのは男女混合の数人。昔の学校の友達。食事をしたレストランの料理の写真がスマホに来た。夕方、「遅くなる」というメールが来た。私はきっとYは、両親の同伴のない一人で行ったので疲れ、友達と別れて帰る途中で、ネットカフェにでも休んでいるんだと思った。私「すごくさみしいんだYがいないから」と夫に言えた。Yはなかなか帰ってこない。夜も遅くなって帰って来た。喋ってくれた。友達とボーリングに行って、それから、また食事に行ってお酒を飲んで、カラオケ行って歌えた。フルコースだ。すごい…たまげた。
後日、私たち夫婦で外出した留守に、Yは、たった一人で散歩に出かけたらしい。夜ではなく、昼間一人で1時間半歩いた、という。私たち夫婦が夕方家に戻ると、Yは、夫婦の外出には参加しなかったけれど「食べには行くよ」とさらっと言った。「寿司がいい」と言うので気楽な回転すしに行った。家族で外食なんて何年ぶりだろう。その次の日も、「今日は何がいい」と言い、焼肉に行った。まるで当然のように、行った。
また次の日も、Yと一緒にショッピングに外出した。その後、Yは一人で散歩に行った。さらに次の日も、一緒に外出し、何軒も買い物をし、喫茶店やレストランに入った。レストランではちゃんと注文が顔を見て大きな声で言える。帰宅してからは、一人で散歩に行った。夜も一緒に散歩に行く。そんな日が続いた。
外出は車だったが、そのうち、多くの他人の目に触れる電車でも外出するようになった。閉じこもり以来、はじめて親戚にも会いに行けた。普通に挨拶し自然な会話をしたのに驚いた。
Yに急激な変化が起き、大変な事態になっていて狐につままれた感じがしている。普通に育った子供なら当然のことなのだろうが、一つ、一つできたことが嬉しい。
レストランなどにはいろいろ行けたが、ただ未だに、食べ放題は、お皿を落としてしまう妄想にかられてしまい、ちゃんとしないといけなくなるから嫌だという。ちゃんとしないと「ダメだ」と私が育てた。

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うまくいっていたセッションが何度やってもうまくいかない|セラピーの現場(594)

セッションがそれまではうまくいっていたのに、何度やってもうまくいかなくなることがあります。うまくいっているときはご機嫌でも、そうでないと不愉快になってしまいます。誰かのせいにしたくなり、無駄をしているように思えます。
でも少し待って。うまくいかないときにこそ真剣に対応することで、それまでになかった成果が、見えないところで密かに築かれているかもしれません。実は、本質的な大きな問題が解け(ほどけ)かかっているのかもしれないのです。

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恋愛したいが怖い|別れた父とのこと|また捨てられるのでは|セラピー現場(592)

セラピーを始めて、いろいろのところで、すこしずつ余裕が出ているかもしれない。飲み会で出会った人とやり取りをしていて、会話しているのもしっくりくるので「いいな」と思う。恋愛したいとかも感じている。
でも嬉しい反面、怖い。傷つくんじゃないかとかネガティヴに見ちゃう。父親の関係も意識するというのがある。いつかのベビーブレスで、お父さんが「憎たらしい」気持ちがあった。けれど、そこまで憎いのかと思うと、実は「大好きだった」という気持ちに気付いた。(お父さんは私の)そのままの存在を、良い悪いでなくて、そのままの自分の(父の)側にいさせてくれた。(幼い頃に母と離婚したので長く会っていないが)会って見たいという気持ちが出てきた。
いろんな人と会うけど愛せない。お父さんを超えられる人がいない。お父さんを大好きという気持ちがあるものの、(離婚のときのように私が)置いていかれる寂しさとかが傷になっていて「嫌だな」と思う。今までも(恋愛が)ダメそうになると(本当にダメになる前に)私から振る。置き去りにされるなら自分からにする。
何で別れたかもぼんやりしている。周りのせいにしている。分かりたくないのかもしれない。

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「明るいところばかり見ていると人と繋がれないんだよ」と私「そんな人生あーやだやだやだ!」と母|セラピーの現場(591)

セラピーを何回か受けて自分を取り戻す方向へ向かっていると感じています。原因は母との関係のようです。しばらく会っていなかった母と会いました。
母親には、二人で出かけた際に話しをしました。自分の「心へ向き合うことがどれ程大切か」とか、(わたしが幼い頃に母と離婚した)「父さんに会いに行こうと思っている」「なぜお父さんと結婚したのか」など、今まで話せなかったようなことを、一気に話しました。母は何を言っても、響いていない様子でしたが、とりわけ母が感情的になったのが、「明るいところばかり見ていると心から人と繋がれないんだよ」「苦しみや悲しみも認めなければ・・」とわたしが言った時です。耳を塞ぐようにして「そんな人生あーやだやだやだ!」と言って、「全部わたしが悪いって言ってるんだよね。そうですよ、全部わたしのせいだよ。」とひねくれた態度で反撃してきました。
「そうは言っていないよ、、」と強いて穏やかに言ったところで無理でした。逆にわたしは今まで出せなかった怒りが出て、「みんなが苦しいから救おうとして言ってんだよ!!ちゃんと心と向き合おうとしないからみんな苦しんでるんだろ?わたしの人生ぐちゃぐちゃだ!どれだけ必死になってやってると思ってんだ!ふざけんな!!もう一緒には居たくない!」と心から怒れました。「ごめん」と母。外出中にも関わらずわたしは涙が止まらなかった。
その後も「もうわかったよ。全部わたしのせいだよ。」と母は言っていました。それがあなたのわかったことと言うならなら、本当には「わかってない!!」と私のイライラは止まりませんでした。話が噛み合わない。会いたいと心から思えるまで、会いたくないと思いました。とぼとぼ泣きながら帰るわたしは7歳のようでした。
「全部わたしが悪いって言ってるんだよね」と母に言われたときに、そうだ、お前のせいだ!というのが本当の私の気持ちだったのに、「そうだ!!!」とは言えませんでした。

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母は「役に立たなきゃいらない」と私の生を望んでいなかった|なのに頑張る|私の中の<氷水>|セラピーの現場(585)

役に立つように頑張るという条件のもとで、はじめて生きていていいということになっている、自分の中のカラクリが分かってから、生きることがとても楽になってきていた。ところが、同じそこのところで、未だにクリアーできない何かがある。
仕事をしていても(必要以上に周りの状況に)合わせる自分がいる。そんなに頑張らなくても良いのに(と重々分かっているのに、それでも)頑張る自分がいる。それって何だろう。(おかげで溜め込んでしまった)数日の疲れ感を振り返った時に、(分かっていること以外の?)何かあるなと思った。
頑張っちゃって疲れるのはあるが、それ以外に疲れる訳があるのかなと思う。感覚的に何かあるなと思う。ただ体が疲れたと済ませてもいいけど、(心の中の)何かあるなと思う。
ベビーブレスを受ける。
やりたいことは(心の奥にあって未だに避けているらしい)<氷水>のところ。<氷水>の中で本当に孤独な感じで、母親の事情(役に立たなきゃいらないとして私を使い、本当に私の生を望んでいる感じでないこと)も知っている。でもそれだけではないようだ。私が<氷水>の中で感じているのがもっとあると思うので続きをやりたい。
【ベビーブレス】
呼吸を始めたあたりから足が冷え始めてきて、頭もちょっと痛かった。呼吸は止めずにやった。(エネルギーの)吐き出しのときに、逆に体が暖かくなってきて、凄く暖かくなって、呼吸のときの冷えはなくなって、本当に体は暖かい。頭痛はあった。冷たいはずの<氷水>のところへ行く予定だったのに、ずっと暖かかった。でも頭が痛いから(そのまま)ずっと続けていた。体は暖かい、何もなくてただ暖かい。終わりの方になったら頭痛がなくなってきて、暖かくて、何もないけど暖かい。
吐き出しが終わって静かな曲になったとき思った。「ただの暖かい自分」を無しにしていたと思った。そしたら(知らないうちに)泣いていた。何か「条件」がないとダメな自分なんだなと分かる。でも本当は「ただ暖かい自分」が自分なんだな。それを認めるのは自分が怖い。手放しになるのが怖い。慣れていないというか。それを忘れるくらい「条件」があった方が生きやすい。「ただ暖かい」感じを認めていないのは私なんだなと。涙が出てきて分かった。
ベビーブレスが終わって、今、体がポカポカで暖かい。「条件」で麻痺していたんだ。行けたところが<氷水>でなくてちょっとビックリしている。冷たい予定だったが暖かくなった(*)。
(*:避けていた<氷水>という象徴の中に、あるいは手前に、「条件で麻痺」という部分があり、避けずにその部分へ入って行けたので、融けて暖かくなった、と語られているように理解できる)

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自分を早く変えたい|でもじっくり進もう|セラピーの現場から(584)

セラピーを受けていますが、自分を早く変えたいという気持ちがあるようです。そのこともあって、じっくり進もうと思い、自分を見て(セラピーを受けて)よかったことを思い返していました。
○少しずつ堂々としてきたこと、
○「自分の感覚」が少しわかってきたこと、
○自分の病んでいる部分を知ることができたこと、
○子供中心の生活に意識を向けられるように少しずつなってきたこと、
○グループカウンセリングで感情をともなって話ができるようになったこと 、
が浮かびました。

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自分は何かが腑に落ちない何かが気に入らない|セッションの羅針盤|セラピーの現場から(582)

ベビーブレス(弊社で開発したブレスワーク)のようなセッションに臨むときには、自分自身が強く望むことが重要のようです。自分自身の欲求不満を大切にしてほしいと思います。自分の生き方は何かが腑に落ちない。自分は何かが満足していない。自分の人生を何かが気に入らない。そういう感じが、セッションの中で進むときの羅針盤になります。
強く強く望んで欲しいのです。どのように変わるかはイメージがつかないはずなので、「どのように」を考えることは無意味だと思われます。方向を固定してしまうのは害にもなると思われます。自分自身がどのように変わるかは、変わる前には分からないもののようです。わからないけど、本当の自分をどこかで知っているので、現状に腑に落ちない、満足できない、となります。だから、ただ強く望むことが全てだとも言えるようです。

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ジワ~と全身を満たすような感じ|物凄いエネルギー|セラピーの現場から(579)

前回のセッションで、初めてと思えるような物凄いエネルギーを感じ、そのエネルギーが溢れてきて、永遠に泣けていられるような体験をしてから、一週間以上たちます。今も同じような深い場所に居続けられています。
自分の変化が分かります。とても良いです。ハイになる喜びではなく、ジワ~と満される感じ、溢れる感じの喜び、嬉しさです。まだ、言葉(普通の寂しさや孤独という言葉では十分に表せきれない何か)は見つかっていませんが、その寂しさや孤独を感じられているからこそ、溢れるような満されるような喜びがジワ~と全身を満たすような感じなのかもしれません。味わっていきたいと思います。

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「ママどうしたのぉー。怒らないなんて」|セラピーの後で(572)

 

ベビーブレスから帰ってきて嬉しいのは、自分が気持ち良いだけではなく、子ども達がとても可愛いと思えることです。帰ってきて、自分の子どもを一目見ただけで、小さい赤ちゃんを見るように可愛いと思いました。子どもたちもブレスから帰って来た母は、優しいことをよく知っています。
中学生の子どもが期末試験で、勉強が間に合わなくて成績の悪い学科があったという。「理由がわかっているなら三学期は頑張って」というと「ママどうしたのぉー。怒らないなんて」と言っていました。それからずーと御機嫌で、いつもの反抗なし。私のうるさくいう態度に反抗していたのがよくわかりました。
翌日の朝。いつもなら、朝起きると、追い込まれたように朝ご飯や弁当の準備に取りかかり、余裕なく、思いのままに怒りちらした態度で、早く早くと子ども達をせかせて、毎日過ごしていました。朝だけではありません。晩も。そして職場でも。
ところが今日の朝は、その早く早くと追い込まれる感じがない。なんて楽なのか!子どもを起こす時、いつもなら「早く起きて 。なぜ自分で起きないの。早く」と何度も怒り散らして起こしています。だけど、今日は三回だけ「起きて」と優しく言えました。
起こす時だけではありません。他のことでも、一つ一つ声をかけるとき、言う前にどう言うか(と思う)余裕がある。しかも子どもの気持ちを考えて。
あーこんな毎日を過ごしたい!継続したい。ベビーブレスの次の日だけではなく。
思えば、夫にも同じような態度をとってきました。いちいち怒った態度でした。全然大事にできる余裕もありませんでした。
自分が認めてほしいがために、自分の職場の昇進試験の勉強と、仕事を優先にしてきました。本当はそんな試験勉強よりも家族のことを考えたら、ベビーブレスの時間を優先にすべきだったとは思います。そうしたらもっともっと家族を大事にできただろうに。
もう昇進試験も合格したので給料も立場も少しレベルアップしたから、安心して、ただただ目の前の気持ちのわかった、気持ちのこもった一言、声かけを家庭でも職場でも、やってみたい。

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会社の仕事のやり方を変えられ怒り夫のせいで大損し怒り|怒りの無い自分は「抜け殻」|セラピーの現場(570)

怒りが自分を支えてくれていた。そのことに気が付いた。気が付くと、やがて怒りだけでは嫌になった。怒りを取り除いた自分は何だろう。怒りの無い自分は「抜け殻」だった。そこに居ようと思い、ずっと「抜け殻」をやっていた。
ところが、続かない。「抜け殻」のままはできない。イライラがある。仕事が忙しくなった。会社の方針だからと仕事のやり方をゴロッと変えられた。理不尽な変更だ!現場で仕事しているこっちの身になって見ろ!怒りが出た。店長やマネージャーに抗議した。
確定申告で必要な手続きを夫がしなかった。私は事前に夫に言っていたのに!結局、税金の金額が大きくなってしまい大損した。ムカついた。怒りが出た。
自分でどうしようもない怒りが凄い。会社や夫、周囲の気に入らないことへ向かって噴出する。それまでの「抜け殻」なんてどこかへ行ってしまった。しかも怒りの中心にあるはずの母のこともどこかへ行ってしまっていた。何で何だろう。どうしようもできない。
私のこの怒りの謎は何だろう。母親に変わってほしいとか、変わって私に謝ってほしいとか、変わって始めから私に愛情を注いでほしいとか、そんなのではない。自分の中に自分で処理しきれないものがある。どう変わっても、謝ってもらっても、分かってくれたとしても、足りない。
母がそうなってしまった母自身の傷もわかる。しかし私にしたことは許さない。許せない。「分かったよ」と言えない。母からの謝罪がどんなに嘘でなく本心だとしても許せない。お腹の中から従いたくなかった。従わないことを、自分で選択していたらどうなるのだろうか。(母をどうの、こうの、ではなく)自分はこうして欲しかったというのもずっとあって、それが何なのか、知りたい。お腹の中で母から降り注がれて来ていた殺意、自分をダメにしたもの、自分の感情でないもの、がある。しかし、そのもっと前はどうだったろうか。感じて見たい。想像すると「抜け殻の死」かもしれないが、実感はない。

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なぜか大事なものが壊れ体調が優れなかった|グループセラピーに初めて参加|セラピーの現場(566)

グループセラピーに初めて参加した。周りの人との関わりが良くない、というのが動機。当日、行くまでの間、大事なものが壊れたり、体調が優れなかったりした。
セッションでは、他の人を見て、涙が止まらなかった。なぜこんなに涙が溢れて来るのかわからない。怖いような、感動しているような。私の番がきて、周りの人からの応援の声で、消えそうな力が再び湧いてくる感じが不思議だった。初めて会った人の前で、自分の感情を露わにするなんて、とても出来ないと思っていたけど、何も気にせず、むしろ自分の世界に入り込んでいた。あんなに非日常的な体験をしたはずなのに、その晩はすぐに深い眠りについて、翌朝は気持ちの良い目覚めだった。
帰りの車の中では、他の参加者に、私の生い立ちを沢山聞いてもらえた。どんな質問でも、たくさん聞いてほしい。言いたい!と思った。嘘偽りなく話せた。自分を知ってもらうこと、こんなに嬉しいんだな、求めてたんだなとわかった。
なんだかすごいところに居た、感想は、ただそれだけ。

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私の中にいる「母」が脆(もろ)くてさわれない|だから気を使って来たんだなあ||セラピーの現場から(565)

子供が閉じこもりから回復する兆しが出て、ひと段落した感じがある。子供の閉じこもりは、母である自分が影響していた。特に自分の中の恐怖が元になっていた。この恐怖は出生の時にもらった死の恐怖だと思う。そのようにして、私のセラピーのテーマは、子供から、母になった。母は年取って歩けなくなって来ている。瞑想で母に触れると母は砂のように崩れていく。私も一緒に崩れていくように思う。もう瞑想しまいと思うくらい。母は何年生きられるか、客観的な母を見て具合の悪い母を心配しているのもあるが、そうではなく私の中にいる「母」が脆(もろ)くてさわれない。あんな母だったから、気を使って来たんだなあ。

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母を適当に褒めそやしていたら激しい頭痛|母を包み込む自分を演じれば演じるほどガタが来た|セラピーの現場から(560)

セッションを何回か受けて少し自分に余裕が出来てきました。今まで母へは怒りばかりが出ていましたが、母への理解も自分の中に生まれてきて、母の大変さも感じられる気がするので、ここはひとつ、母を褒めてみようと思いました。
昨日は母と2人で晩御飯を食べていたので、母を適当に褒めそやしていたら、激しい頭痛が起こりました。あまり激しいので今日の仕事を休んでしまいました。父はいつもこんなこと(母を褒めること)をしてるのか!と感心しました。凄く疲れます。人の人間を常に持ち上げないと成り立たない人間関係は、親子であろうと、おかしいのを痛感しました。今は頭痛やそれに伴う吐き気は、落ち着いて、食欲も戻ってきました。まだ少し頭痛は残っていますが……。明日は仕事に行けそうです。
思えば、少し自分に余裕が出来てきたので、母を褒めてみようとしたのは単なる思い上がりだったと思います。母を包み込む自分を演じれば演じるほどガタが来たように感じます。心理的なものが身体に出る、身体は正直ということでしょうか。正直な思いは、現実の母とは口を聞きたくもないし、見たくもありません。「気を使って貰って当たり前!」な態度を取る母に苛立ちます。それでも、何処か縋(すが)ってしまうのは、まだ理想の母と現実の母の区別がついていないんだと思います。母はどうして「私は褒めてもらって当たり前!」という態度を取るのでしょうか……。今まで気づかなかった(忘れていた)自分にも腹が立ちます。

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旅行で上司たちへ自分からは話しかけられなかった|小さい頃に周りの大人の顔色を伺って生きてきた|セラピーの現場から(558)

セッションを始めてから、徐々に上司たちとの関係が楽しめるようになった。
会社で毎年、旅行がある。小さなグループで行く。同じメンバー。その中に苦手な上司もいる。2年前の旅行では、上司たちへ自分からは話しかけられなかった。頑張って話そうとしてすぐに疲れて話せなくなるという感じだった。
昨年の旅行は、無理に話さなくても「いいか」と楽にはなった。今年の旅行は、初めて楽しく思えた。私は、本来そんなにしゃべる方ではないが、自分から(上司たちに)話しかける回数が「増えたかな」と思う。無理に話そうという感じもなくなっていた。前と比べればだが(注:「もっとできる」と自分で感じているのかも)、自然に楽にできた。
前より(大人や上司たちが)怖く無くなった。人にどう思われるか気にならなくなってきている。小さい頃に周りの大人の顔色を伺って生きてきたというのがあって、その中で息を潜めていた自分への嫌悪感が分かったことが、よかった。ベビーブレスの中で大人たちに対しても怒りを出して抵抗するのができるようになってきたことも、大きいだろう。

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その前はこの世にいなかった|体験する似た感覚|セラピーの後で(556)

ありふれた場所、ありふれた時間に、幼い子供たちが遊んでいるのを見ることがあります。幼稚園の帰りに。立ち話の親の足元で。自宅の前で。買い物の途中の階段で。子供はどうしてあんなにかわいいのかと思います。彼らは生きることに夢中。一生懸命。つい、この前まで母のお腹の中にいました。その前は、この世にいませんでした。存在しませんでした。生きられることが当たり前ではありません。生命(いのち)が当たり前ではありません。当然の権利ではありません。

あの感覚は、私たちが、ベビーブレスの後で体験する感覚と似ています。非日常的な感覚です。しかし、それこそが望まれていたもの、欲しかったものたと感じます。日常では忘れていて、欠落していたもの。何か本質を見逃していたような、その本質。生きられることが当たり前ではなかったという事実を、ベビーブレスを通して逃げずに体験したからこそ、味わえる本質ではないかと思われるのです。

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仕事でクレームがあってエンドレスに繰り返して考えてしまう|セラピーの現場から(548)

 

いろいろなことに拘(こだわ)ってしまう。自分でも変だと思うほど。例えば、仕事で客先からクレームがあった時に、エンドレスに同じことを考えてしまう。そのことを絶対に人に言えなかった。とても辛かった。ベビーブレスで、そのことをオープンにできた。大きな衝撃だった。
後日、自分が変化していることに驚いた。それまでの自分とは違った。久しぶりに会った仲間を懐かしく感じた。今までにないほどだった。思わず仲間の肩を揺さぶってしまった。

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どうして?幼い子供たちは生きることに夢中であんなにかわいい|体験する似た感覚|セラピーの後で(540)

ありふれた場所、ありふれた時間に、幼い子供たちが遊んでいるのを見ることがあります。幼稚園の帰りに。立ち話の親の足元で。自宅の前で。買い物の途中の階段で。子供はどうしてあんなにかわいいのかと思います。彼らは生きることに夢中。一生懸命。つい、この前まで母のお腹の中にいました。その前は、この世にいませんでした。存在しませんでした。生きられることが当たり前ではありません。生命(いのち)が当たり前ではありません。当然の権利ではありません。あの感覚は、私たちが、ベビーブレスの後で体験する感覚と似ています。非日常的な感覚です。しかし、それこそが望まれていたもの、欲しかったものたと感じます。日常では忘れていて、欠落していたもの。何か本質を見逃していたような、その本質。生きられることが当たり前ではなかったという事実を、ベビーブレスを通して逃げずに体験したからこそ、味わえる本質ではないかと思われるのです。

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ブレスワーク(弊社ではベビーブレス)の最中に、しらけてしまうのだけれど|セラピーの基本(536)

ブレスワーク(弊社の開発したものはベビーブレスと呼んでいる)の最中に、しらけてしまうのだけれどどうすればいいか、ということが時々あります。それほど心配することはありません。
しらけるのは、あなたの一部が、あなた自身にブレスワークをさせないよう引き止めるために、起きることのようです。背後に恐怖や不安や怒りなど出してはならない感情があると思われます。引き止めていたものが何であったのかは、感情が出た後に自分ではっきり認識することが多いようです。
別のあなたはベビーブレスをして自分を変えたい、成長したいわけですから、二つのあなたが対立し迷っているともいえます。この対立は別の場面でもよくあらわれるのかもしれません。言わば、しらけはあなたがいつも抱えている葛藤そのものだと思われます。何とかかいくぐって、感情に入っていってください。しらけが強いときには、ほんのちょっとでも入ることができれば、効果があります。一度入れば二度目からはそれほど苦労しないのが普通です。統合へ向かい迷いが少なくなります。
しらけを自力でかいくぐるときに実力がつきます。自分の方法を何とか見つけることをお勧めします。とはいうものの<どうすればいいか>ということです。人によってはしらけがやってくる方向が、ボンヤリとですが、あることがあります。例えば右から来るとか、斜め上から来るとか。であれば、それとは別の、反対の方向へ見て続けてください。ブレスワークは、真っ暗の中で、あるいは、目を閉じて行うことが普通ですので、方向を「見る」といっても戸惑うかもしれませんが、それでもボンヤリ方向と言うのがわかることがありますので、そのときには、試してみてください。

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仲間と話しながら原因を探る|セラピーの現場から(529)

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傷つきながら生きてきた人は、大方、自分を抑え込む感じがあります。ベビーブレスで徐々に解放されて行くようです。押え込み、抵抗、癖・・・というようなもの(言い方はいろいろ)がなくなっていきます。そして、ベビーブレス仲間と自分の癖をオープンに話せるようになります。その癖が付くまでに、幼い自分がどれだけ傷ついてきたことかと。お互いに、各自の癖や傷を意識させられるから余計に自覚でき認識しやすい自分が出てきます。自覚や認識の機会が少ないまま毎日を過ごしてしまうことを避けられます。そして、何でこうするんだろうと、原因となっている子供時代へと繋げていける機会が多くなるようです。

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毒親はいかにして毒親になったのか3つの原因?|毒親のこころ|セラピーの現場から(520)

毒親の親もまた毒親であったというのは、セラピーの現場ではほとんど、あたり前のことのように思えます。つまり、毒親に毒されて育てられた子供も、また長じて毒親になり自分自身の子供を毒するようになる、ということのようです。世代間連鎖とはそういうもの、と、ラベルを張っても、それだけでは何か腹の足しにはならないような気がします。毒親によって子供はどのようにして自分自身も毒親になっていくのでしょうか。納得できる原因は、仕組みは、どうなっているのでしょうか。いろいろのケースを思い浮かべて、推察します。
○愛情が分からない
親が毒親であるために、愛情をもらっていない人は、愛情の温かさなどの良さがわかりません。そのため、その良さを子供に伝えられない感じがします。愛情を伝える積極性が欠如するようです。興味がないように見えます。愛情そのものを持っていないのでは、などと不覚にも思ってしまいそうにもなります。子供に無関心な毒親になっていきます。意識しないネグレクトなども生じます。
〇復讐
親が毒親であるために、愛情をもらっていない人は、子供のとき、愛情をもらえなかったことから、親に対して攻撃性や殺意を抱きます。しかし、幼い子供にとって親は宇宙のようなもので反抗はできないので、我慢し、自分の中に内在させます。意識はできません。やがて、大人になり、自分の子供をもうけると、愛情を求めて自分に擦り寄ってくる弱い子供へ、その攻撃性や殺意が噴出するようです。「私は我慢してきたのに、どうしてあなたは我慢できないの!私がどうして与えなければならないの!」というわけです。愛情の反対物である攻撃性や殺意を伝えてしまう。復讐のようにも見えます。子供へ敵意がある毒親になっていきます。積極的な虐待も生じます。
〇依存
親が毒親であるために、愛情をもらっていない人は、未だに不足し続ける自分への愛情をなんとか補うために、自分の子供から愛情を吸い取ろうとするように思われます。親からもらえなかったものを、ついつい子供に求めてしまいます。依存です。一見するとやさしく見えます。でも、やはり本当の愛情ではないと言えます。なお、この状況では子供も本当は愛情不足であり、愛情をもらうために自分も、一見やさしい親に近づきます。しかし、近づいても本当には満たされないので、成長することができず、親から離れていけません。相互依存となります。子供を成長させない、巣立ちをさせない毒親になっていきます。

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なぜ女性は禅寺の坊さんにはいないのか?|でも濃い関係性から温かい大きな理解へ|セラピーの現場から(510)

心理セッションやグループカウンセリングに立ち会わせていただいて、感じることがあります。男女の違いのことです。男性や女性がそれぞれ示す、人との関係性。
女性は、親や子供など人との関係性の中に、自分の問題の解決を見出そうとする傾向が強い。男性はその傾向は弱い。そう感じます。
人は、自分の問題が、人生早期の母子関係にあることが分かってくると、さらに、その理解を深めようとします。深めることができれば問題がひとりでに解消するようです。ところが、深めようとする際に、人との関係性の中にこそ問題解決があるとする気持ちがあまりにも強いと、どうにもならない母親をどうにかしようとして、大苦戦する傾向があります。ほとんど自滅の方へ向かおうとするのです。それほどの強い傾向は必ず女性が示します。男性はそれほど強くありません。
関係性があまりに強いと、一人になれません。そういえば、禅寺の坊さんは皆男性です。禅の修行は、個的な作業で、ほとんど一人ぼっち。しかも尼寺の数はとても少ないです。
なぜでしょうか?この男女の違いを見るにつけ、その原因を想像することがあります。以下、その想像です。

人類はたかだか数千年以前は母系社会でした。何万年も、ひょっとしてもっと何百万年もの間、女性は家を支配し、常に家族の中心にいました。人類へ進化する以前は、ハーレムなどのグループの中にいました。常にメスの周りには仲間がいました。
他方、男性は違います。父系社会は高々この数千年で、それ以前は母系社会の中で、冷や飯食いでした。家族の中心にはなれませんでした。人類へ進化する以前は、ハーレムなどのグループの中に居られたのはごく一部のオスであり、他のほとんどのオスは、離れオスとなって、グループの外で単独で暮らしました。オスの周りには仲間がいないのが常でした。一匹で死んでいくことがほとんどでした。
子づくりにおける男女の違いも、関係性の違いに、大きな影響があると想像されます。女性は、長い妊娠期間をすごし、お腹の中の胎児を感じながら暮らします。自分の血と肉で胎児を大きくする実感を持ちます。子が産まれた後も、自分の体の一部(乳という形で)を与えて、大きくします。何年もの間、自分の体に、子の温かさを感じ、子のあまい匂いを嗅ぎ、子のやわらかな動きを感じて過ごします。子の動きに応え、子の泣き声に応え、子の雰囲気に応えます。自分のこと以上の世話をして過ごします。時として子への完全な支配をつくります。ほとんど母子一体の長い期間を過ごします。子(人)との関係性は非常に濃いといえます。
男性は違います。極端に言えば、受胎期の一瞬だけしか関係しないこともあります。
ところが、そんな濃い関係性を持つ女性が、苦戦を乗り越えて、理解を深めると、男性には無いような、温かい大きな理解にたどり着くようです。周りの人を全て包み込むような温かさ、大きさがあります。女性が持つ関係性がゆえであろうと思われます。

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せっかくの大きな気づきからつい逃げてしまうのはなぜ?|心理セラピーの現場から(507)

心理カウンセリング等の心理セッションを続け、大切な気づきに次々と出会うと、実生活もいろいろな改善が起き、順調に進みます。それに伴い心理セッションへの意欲も出て、もっと進みたいと思います。そして、徐々に大きな気づきがあります。往々にして、心理的に生存にかかわるようなことです。いよいよです。
大きな気づきがあったときに、そこから逃げないことが大事です。長い間その気づきと一緒に居られれば、徐々に、自然に癒しが起き、大きな成長が起き、物事は進んでいきます。ところが、よくあることなのですが、いつの間にか、逃げてしまう。忘れたり、乖離(かいり)が働いたりします。大きな気づきは辛さを伴うためです。その辛さと一緒にいられないのです。
そして、前の大きな気づきはまるで無かったようにして、次の新しい気づきを求めるようです。ところが、また別の大きな気づきがあると、また逃げてしまう。そのようにして繰り返しが起きる。繰り返しているだけでなかなか前進しない。そんなことがよくあります。気づきはまるで漢方薬。苦い(辛い)けれど、徐々に効く。なんとか吐き出さないで。なんとか逃げないで。

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始めは好きだった相手をなぜ害しようとするのか?|心理トラブルの謎は解ける|心理セラピーの現場から(504)

一方的な恋愛感情を相手に抱き、思うようにならないと、相手を傷つけたり殺したりする事件が起きています。悲惨な事件です。しかし、同様の事件は、古今東西、珍しくないようです。
では、そもそも始めは好きだった相手を、害しようとする感情はどこから来るのでしょうか。謎です。犯人は事件を起こす前は、まともで、相手に出会って初めて原因が発生し、おかしくなるのでしょうか。そう考える人はほとんどいないだろうと思われます。犯人はもともとから自分自身の心理的トラブルを持っていると、皆が思うことでしょう。
犯人を長い間、刑務所に入れば、そのトラブルが治るのでしょうか。望み薄のようです。死刑にすればいいのでしょうか。そうしても同じような事件はまた起き続けるでしょう。出所後も、犯人はあまり変わらないまま人生を過ごすと思われます。いつものように。使い古された「心の闇」という言葉がまたつかわれるのかもしれません。それで事件は、また、いつの間にか忘れられるのでしょう。
ベビーブレスを経験していくと、その心理トラブルの謎は解けるようです。自分自身のセラピー体験として、謎を構成するカラクリを理解するようです。母子関係が隠れています。そうして、理解した人は、そのような事件を謎とは思わないでしょう。心理トラブルに支配されず、心理トラブルを越えていきます。

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なぜ?死と背中合わせから温かい無条件の自分の命へ|体験談|心理セラピーの現場から(499)

東京の電車の中から富士山が見える場所がある。毎朝、通勤の途中に眺(なが)める。富士山のふもとの山中湖の近くにある研修施設。そこでの気づき。私の命は条件付きの命。役に立つことが生きていてもいいことの条件。そのように生きてきた。そのことに気がついた。さらに実は、役に立とうが立つまいが、本当はそもそもいらない子だった。それにも思いあったった。
その気付きから逃げないでいるうちに、今、条件なしの自分に居る。役に立たなくても自分自身だ。いらない子だけれど自分には温かいのがある。気がつけば、体がポカポカしている。富士山が見える度(たび)に、そのことを思い出す。毎朝そこで確認する。体が暖かい。
天気によっては富士山が見えない日もある。でもそこに富士山がある事は、見えなくても感じる。富士山が見えない日も、自分の事を感じられる。条件付きの命、いらない子、を通して、その先にまっすぐな死がある事を。そうして、その死と背中合わせに、温かい無条件の自分の命がある事を、感じられる。

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496 女性は濃い関係性がゆえの温かい大きな理解にたどり着く

心理セッションやグループカウンセリングに立ち会わせていただいて、感じることがある。男女の違い。男性や女性がそれぞれ示す、人との関係性。
女性は、親や子供など人との関係性の中に、自分の問題の解決を見出そうとする傾向が強い。男性はその傾向は弱い。
自分の問題が、人生早期の母子関係にあることが分かってくると、さらに、その理解を深めようとする。深めることができれば問題がひとりでに解消する。ところが、人との関係性の中にこそ問題解決があるとする気持ちがあまりにも強いと、どうにもならない母親をどうにかしようとして、大苦戦する。ほとんど自滅の方へ向かおうとする。それほどの強い傾向は必ず女性が示す。男性はそれほど強くない。
関係性があまりに強いと、一人になれない。そういえば、禅寺の坊さんは皆男性だ。禅の修行は、個的な作業で、ほとんど一人ぼっち。尼寺の数はとても少ない。
なぜだろう?この男女の違いを見るにつけ、その原因を想像することがある。ほとんど確信に近い。人類はたかだか数千年以前は母系社会だった。何万年も、あるいはもっと何百万年もの間、女性は家を支配し、常に家族の中心にいた。人類へ進化する以前は、ハーレムなどのグループの中にいた。常にメスの周りには仲間がいた。
男性は違う。父系社会は高々この数千年で、それ以前は母系社会の中で、冷や飯食いだった。家族の中心にはなれなかった。人類へ進化する以前は、ハーレムなどのグループの中に居られたのはごく一部のオスであり、他のほとんどのオスは、離れオスとなって、グループの外で単独で暮らした。オスの周りには仲間がいないのが常だった。一匹で死んでいくことがほとんどだった。
子づくりにおける男女の違いも、関係性の違いに、大きな影響があると想像される。女性は、長い妊娠期間をすごし、お腹の中の胎児を感じながら暮らす。自分の血と肉で胎児を大きくする実感を持つ。子が産まれた後も、自分の体の一部(乳という形で)を与えて、大きくする。何年もの間、自分の体に、子の温かさを感じ、子のあまい匂いを嗅ぎ、子のやわらかな動きを感じて過ごす。子の動きに応え、子の泣き声に応え、子の雰囲気に応える。自分のこと以上の世話をして過ごす。子への支配を子は一身に受け取る。ほとんど母子一体の長い期間を過ごす。子(人)との関係性は非常に濃い。
男性は違う。極端に言えば、受胎期の一瞬だけしか関係しないこともある。
ところが、そんな濃い関係性を持つ女性が、苦戦を乗り越えて、理解を深めると、男性には無いような、温かい大きな理解にたどり着く。周りの人を全て包み込むような温かさ、大きさがある。関係性がゆえであろう。

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494 お母さんだって人間なんだから

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ベビーブレスをした。(母親に)わかってくれない事に対して怒りが出てきた。言おうとする前に「怖い顔がくるから言えないんだ」という気持ち。その後、聞いてもくれないから、自分の気持ちをわからなくして泣く事しかできなくて「何で聞いてくれないんだよ」って泣いているのに、怖くてこの瞬間が「終わってくれないかな」と。
聞いてもくれないので(そのままでは)怒りが増えてくるから「なかったものにしよう」としていたと気がついた。気が付いてから「何で聞いてくれなかったんだよ」本当は「こう思っていたのに」「怒った顔が怖いから言えなくなるじゃないか」と出た。怒りと悲しみをボコボコとぶつけた。私が大声であまり泣くからその場から母が立ち去って、泣き止んだ頃に優しい顔でくるけど、私は疑う気持ちで母の気持ちが分からないまま。受け入れてくるから(母の近くへ)行くんだけど。わからないまま行く。その瞬間しか甘えられないから(行く)。その時はべったり行くが、心は疑わしくて、私の事を好きか嫌いかわからないし、私も分からなくて苦しい。「分からないままくるな」と怒りたいけど母の感情のまま(それに従って今まで)生きてきた。
ブレスをやって深く入っていく中で、だんだん、お母さんに求めても繋がれない感覚で(私は)泣いている。「分からない」と泣いている。お母さんもどうして良いか、(なぜ私が)こんなに怒っちゃうか分からない。私の気持ちを聞けないのか、分からないのか、お母さんも泣いている。母の泣いた顔を見ると私が安心する。(母の)感情をもっと出して欲しかった。
大人になって心理の学びをして、おかあさんのせいでこうなったんだよと(強く)は言わないけど、「母親がこうだと子供は荒れるよね」と言う。お母さんを傷つける事を言って、母親を試すようにいうんだろうと思っていたけど、(本当は母親に)泣いて欲しかった、気付いて欲しかった。お母さんだって「泣くのを辞めた」というけど人間なんだから泣いて良いのに。
静かな呼吸になって、かわいそうなお母さんを小さくしてお腹の中に乗っけて「穏やかになって良いよ」というイメージでいた。一緒に穏やかになったよう。
足は震えて、怖い。怖いけど繋がりたい。そんなイメージだったのかも。

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486 寂しさに包まれて温かい

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寂しいところにいる。凄く寂しい自分が感じられて、同時に、寂しい自分を包み込んでいる感じで、優しくいられる。寂しい「から」だけど、いろんなものや人に包み込まれている感じがあり、気持ちいい。
私の娘たちの婚約者と会った。その男の子たちも、話(成育歴)を聞くと、みんな寂しい奴ら。共通点は寂しさ。奴ら悪い訳でない。私の寂しさが、娘たち経由で、奴らとつながったのかもしれない。奴らは私。その寂しさを癒すのが、娘たちや私の奥さん。彼女らが癒し部隊。寂しい奴らも癒し部隊も、中心は「寂しい」。
でも、今日は怖くない。お母ちゃんの愛情に包まれていた。寂しくて泣いているが、温かい。贅沢な、いつも行きたいけど行けない(ところへ行った)ベビーブレスだった。
1回目も2回目も呼吸ができた。2回目は呼吸はできていたが頭痛くなった。(何かを)押さえ込んでいるのかと思ったら、包み込んでいる感じが占めてきて、ワーッと泣いて痛みが取れた。一部始終温かい。自分を抱いていた。心地いい。私を含めた寂しい奴らも癒し部隊も全員を包み込んでいるのが、お母ちゃんだった<そう思いたいのかもしれないが>。「何でこんなに寂しいんだよ」「大丈夫だよ」というがのやってきて、これ「何なんだよ」と。でも超気持ちいい。いよいよのところ(お母ちゃんに関するところ)へ入る準備かもと言われるが、今はここが温かい。

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480 本来の父は人間でした、嬉しいです

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私の母は昔、父の女性問題や暴力で苦労しました。その後、私が14歳の頃に、父は母とは離婚し、私は父方祖父母に引き取られました。私は24歳の頃に父から理不尽な暴力を受けたのがきっかけで、その後縁遠くなっていました。
そんな父も今は年老い、私が看(み)取ることになりました。5日前から父の最期を看取るために病室に泊まり込んでいます。医者にいよいよ峠だと言われて泊まり込みましたが少し持ち直しました。
癌末期なので緩和ケアのホスピスです。病室は死に向かう穏やかな空間を作りだし、初めて、本来の父と出逢ってます。まるで(ベビーブレスの後で瞑想する時間がある)ブレスルームのような空間です。24時間が瞑想的です。窓からは光が差し込み 穏やかに時間が流れ、私の愛情が溢れでる、、かけがいのない時間とは こんな時間の事をいうのか、、そんな風に感じています。
父は、不安、1人ぼっちの恐怖、寂しさ、甘え、全てを出しています。赤ちゃん返りして、自由自在に甘えられています。父は私が片時も離れる事を許しません。ずーっと触ってあげてないと寂しがります。赤ちゃんのように敏感なセンサーが働いています。 15秒ごとに私が側に居るかどうか確認します。そして甘えます。
最期に本来の父に触れる事が出来ました。ベビーブレスで死に向かう体験をしてきて、経験があるのでどっしりと構えてられます。本来の父は人間でした。嬉しいです。穏やかに看とれる自分が居て本当に幸せです。
今日、父は、病室で68歳の誕生日を迎えました。本人はしんどくてもう無理だから今日死にたいと言ってますが、言葉とは裏腹に、まだ生へのしがみつきがある感じです。モルヒネと眠剤で今うとうとしてます。また報告します。

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478 あー生きているなぁ

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今回のセッションは弾けた。仲間が話してくれた、お父さんを看取る話が響いていた。
初めからエネルギーを出せた。久々に気持ち良く笑えた。身体の痛みを感じたがそれも笑えた。あー、生きているなぁと実感。
ダンスは思い通りに出来て気持ち良かったー!最高に気持ち良かった。今までにも何度かフロアーを走り回りたい、スキップしたいと思ったことはあったが抑えてやらなかった。抑えた自覚もあった。今日はどうしてもやりたかった。やった。大満足!
死のセッションは呼吸が落ち着くのを待って深呼吸を2度して倒れた。あー、よく生きたなー、ほんと幸せだったなー、もう満足!これで、ちゃんと死ねると思った。
最後にまた2度深い呼吸をして死んだ。身体は重力でどんどん大地に吸収され溶け込んでいく。でも魂はスッーと抜け出て上にいった。これが死なんだと感じた。
瞑想は雑念も湧かず静かで穏やかだった。呼吸が深く長くできるようになったなぁと感じた。気持ち良かった。

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477 母にただ幸せになってもらいたいだけ

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ベビーブレス。最初に湧き出てきたのは母に対して、本来の自分で生きて欲しいという願いだった。母にただ幸せになってもらいたいだけ。
いい加減今までの生き方を止めて欲しい。いつもの不幸せな母の顔が浮かぶ。
「ちゃんと生きろー!」やっと声に出し何度も叫んだ。
叫んでいたらどんどん怒りが出てきて唸り声に変わってきた。
人のせい、環境のせい、そうするしか仕方なかった‥と自分がなく何かのせいにする母へ殺意が湧く。
私が許さん。逃がさん。段ボールをボッコボッコにして馬乗りになって捻りあげ息の根を止めた。小さくなった段ボールを股の間に挟み抱え込んだ。
このまま離さない。一体感。自分の子宮の中に母がいるイメージと、自分が子宮の中にいるイメージとが、重なる。
私は産まれたくなかった。もしかしたら母もだったのかと思った。
母自身が本来の母(自分自身)と繋がれない‥本当に孤独な母を思い泣けてきた。せつなかった。

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470 心柱(しんばしら)

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せっかく大きな手掛かりが、いくつかつかめても、なかなか繋(つな)がらず、うまく話せないことがある。多くのことを話そうとして支離滅裂ぎみになる。小さなころから話をうまくまとめて話すことをやってこなかったのかもしれない。自分自身が何を話していいのか分からなくなる傾向もある。
そんなときやってみて欲しい。一言で言えばどんなことを話をしたいのか。自分に聞いてみる。「つまり何が言いたいの。」要約して核心の一言にしてみる。「辛いわけが分かったよ」or「ある出来事が背後に隠れていたぞ」or「実は生きたかった」or「あの感覚だったな」などなど・・・・。そうして一言にできたら、それを心に持って、忘れないようにしながら話す。その一言の周りで、つかめたいくつかの大きな手掛かりを、一つずつ話す。その一言との関連を話しながら(その一言とどんな関係にあるのかを心に浮かべながら)次の手掛かりを話す。その一言の周りに色々な言葉(つかめた手掛かり)が集まり、全体として、まとまる。まとまれば自分の気持ちを込めやすい。この話し方を練習すれば、往々にして、長い話であっても言いたいことはたった一言であることが分かる。
このことで連想することがある。五重塔などの高い建物を建てる方法。建設重機などを使わずに建てる昔の方法。まずはじめに、真ん中に一本、心柱(しんばしら)という高い太い柱を立てる。背の高い木の枝を払ったもの。ロープや棒を使って人力で立てる。これが大事。立てたならば、その心柱の周りに、各階の梁や柱が取り付けられ、床や壁や天井が取り付けられ、全体として、しっかりとした一つの高い建物になる。

話す時は、たった一言、心柱がはっきりしているかどうか。

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468 いいぞいいぞ

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ベビーブレスの後はすっきりして、仕事で接する子供たちにも、穏やかに接せられる(もっとも時間が1ヶ月あるとそろそろ切れてくるが・・・)。穏やかなとき、子供たちの子供らしい振る舞いが、ベビーブレスの私のように思えて、「いいぞいいぞ」となる。子供たちを見ていると、子供らしく自由なことも分かれば、2歳くらいから我慢する子は凄く我慢しているのも分かる。本当の気持ちがあるのに違う表現をしていると、自分自身と重なる。もっと素直になると良いのにと思うが、その子にとっては簡単な事でないんだろうなと思う。子供が寝起きや寝る時、寂しい感じの時は、抱きしめるとしっくりくる。子供はこれを待っていたんだと思うくらい落ち着く。 私自身が穏やかでなく強がっている時は、しっくりこない。私自身がものごとを表面的に見たり、(気持ちではなく)仕事に向いたりすると、怒りたくなるような事を子供たちはドンドンやってくる。子供たちの表情がきつくなる。

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466 怪談番町皿屋敷のお菊さん

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私たちは悩みがあるときに同じ思考過程でぐるぐると回ってしまうことがある。グループカウンセリングでも同じようなことがしばしば起きる。止めどなく同じ思考過程で円を描いてぐるぐると考えが回り、なかなか先に進まない。何か重要なことが抜けていることが多い。それは(その時は)絶対に思い出したくないことでもある。
そのことで思い出す話に、怪談話の「番町皿屋敷」がある。絶対に欠けてはならないはずの皿の1枚が欠けてしまったために非業の死を遂げたお菊が、幽霊となって、残りの9枚の皿を、何かの間違いであってほしいと、恨めしく、飽くことなく「1枚・・2枚・・・」と数える。9枚まで行くと元に戻って1枚から数え始める。ぐるぐる回る。
さて、割れてしまった10枚目は、いったい、どこに行ったのだろうか。多分、縁の下にでも隠されてしまったのであろう。バラバラになった10枚目の皿を探し出し、透明なビニールの袋に包んで、数を数えている最中のお菊さんの目の前に差し出せば、お菊さんは悲鳴をあげ、きっと、二度と幽霊になって出る事は無いのかもしれない。(もっとも実際の番町皿屋敷の話ではお坊さんが「十」と声をかけるとお菊さんは「あら、うれしや」といって消える。)
「皿屋敷」の怪談話は日本中のあちこちにあり、ストーリーは色々らしい。何か人間の思考には、欠けたものを観ないままぐるぐる回ってしまう機能があり、長い間、広く共感を得られるのだと思う。

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463 ジグゾーパズルのピースその3

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出したくない最後のピースの手前で何としてでも踏みとどまろうとする、表面の自分には分からない隠れた自分がいる。そんな時、何ができるか。ただただ望み続けなければならない。心のそこから望み続ける。それがなければ、表面的な努力など何も役に立たない。どんなインチキでもやってしまう。それが人間。それが意識のずるいところ。ただただ真に望み続けなければならない。幸薄い人生で死が迫っているとき初恋の人に今一度会いたいと望むように。望み続けることに耐えられたとき何かが起きる。その最後のものが顔を出した時、大きな大きな変化が起きる。

 

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461 病院の匂い

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職場でトラブルが起きると、責任上、トラブルに向かい合わなければならない立場にいる。トラブルはほとんど従業員のこと。人間関係。その時に、自分の内面が影響する感じがある。良い面と悪い面と両方。自分の内面としては、シングルマザーとして私一人を育ててくれた優しい母親が、精神を病んで病院で亡くなっていったことが半消化のまま残り、苦戦していることだと思う。
トラブルに対して、従業員の個人的内面の状況はよくわかるようになった。そして、それに対して自分が、尻込みして隠れるような感じはない。前とは違う。前は問題をぼやかして見えないようにしていた。十分ではないがある程度対応できるようになっている。自分自身も変に頑張らずに済む状況になっている。それは良い面。
悪い面が困っている。自分自身が緩んできているせいか、人(従業員)と当たれば当たるほど不安や恐怖が来る。次に何なんだよとグワーッと来るのは怒り。怒りがきているなと思うとまたワーッと恐怖がやって来る。自分の内面が出ている。この自分の感情を職場で表に出すわけにはいかない。それを家庭に出している。奥さんに出している。
ベビーブレスをした。まさにそこに触る。最初、呼吸してちょっとしたら怒りが出てきた。怒りがきていて、そしたら怖くなった。怖さがきて、深く泣けた。泣けたのが良かった。一人ぽっちという感覚がやってきてより怖くなってきて、病院の匂いが感じた。病院の映像はないが臭いがした。病院の匂いが今でも怖い。そんだけ怖い状況に、(現状に至る今まで)ずっと怖い状態に怒ってもいる。その匂いで余計怖くて真っ暗になって、怖い怖いと泣いていた。寂しいというより、怖かった。そうして、一山超えて、一人ぽっち。一人が怖い。暗黒の中に一人。今まではそれをないことにしていた。その感覚に触れられた。良かった。

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432 あけましておめでとう

あけましておめでとうございます。

今年もよい年をすごしましょう。

2017.1.1

 

 

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420 あーこんな毎日を過ごしたい

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ベビーブレスから帰ってきて嬉しいのは、自分が気持ち良いだけではなく、子ども達がとても可愛いと思えることです。帰ってきて、自分の子どもを一目見ただけで、小さい赤ちゃんを見るように可愛いと思いました。子どもたちもブレスから帰って来た母は、優しいことをよく知っています。
中学生の子どもが期末試験で、勉強が間に合わなくて成績の悪い学科があったという。「理由がわかっているなら三学期は頑張って」というと「ママどうしたのぉー。怒らないなんて」と言っていました。それからずーと御機嫌で、いつもの反抗なし。私のうるさくいう態度に反抗していたのがよくわかりました。
翌日の朝。いつもなら、朝起きると、追い込まれたように朝ご飯や弁当の準備に取りかかり、余裕なく、思いのままに怒りちらした態度で、早く早くと子ども達をせかせて、毎日過ごしていました。朝だけではありません。晩も。そして職場でも。
ところが今日の朝は、その早く早くと追い込まれる感じがない。なんて楽なのか!子どもを起こす時、いつもなら「早く起きて 。なぜ自分で起きないの。早く」と何度も怒り散らして起こしています。だけど、今日は三回だけ「起きて」と優しく言えました。
起こす時だけではありません。他のことでも、一つ一つ声をかけるとき、言う前にどう言うか(と思う)余裕がある。しかも子どもの気持ちを考えて。
あーこんな毎日を過ごしたい!継続したい。ベビーブレスの次の日だけではなく。
思えば、夫にも同じような態度をとってきました。いちいち怒った態度でした。全然大事にできる余裕もありませんでした。
自分が認めてほしいがために、自分の職場の昇進試験の勉強と、仕事を優先にしてきました。本当はそんな試験勉強よりも家族のことを考えたら、ベビーブレスの時間を優先にすべきだったとは思います。そうしたらもっともっと家族を大事にできただろうに。
もう昇進試験も合格したので給料も立場も少しレベルアップしたから、安心して、ただただ目の前の気持ちのわかった、気持ちのこもった一言、声かけを家庭でも職場でも、やってみたい。

 

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417 始めから知っていた:その3求める気持ちを出していい

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私の命は人生の初めに母に利用された。そのことを話せる母はいなかった。私の中に母がいないことは知っていた。委縮しながら感じないようにしていた。
セッションをした。萎縮しているのが取れていくよう。「お母さん」と言葉に出した。いないのは知っているが「お母さん」って求めている自分が出てきて。出てきたけど、すごく凄く小さくて・・・。小さいまま、ずっとやっていた。求めていた。
その時の自分は3重になっていた。真ん中で押し込めている自分。そこから外へちょっと解放されて求めている気持ちを出している小さい自分。その二つを今の自分が包んでいる。あったかく包んでいる。
3重の(3人の)自分の共通点は、(母は)いないのを知っているけど、(求める気持ちを)出して良い、求めている自分はいる、と感じていること。背中がぽかぽかと包まれている感じがした。
そのまま空気に溶けていく感じ。無くなっていくのではなく、溶けていく。その溶けていくというのは、死んでいくというより、馴染んでいく感じ、空気に馴染んでいく感じ。いないけど求めて良いんだというのが空気に馴染む感じになったのだと思う。

 

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