死は「いやだーー!」と「死にたーい!」|生死の統合|セラピーの現場から(702)
「生死の統合」
(H)
前回(701)の続きをやりたいと思います。実際のセッションでも、とても重要なところですから。
(W)
前回は、小さいころに「母親の意識の中に自分がいない」として死の恐怖にさらされ、それが心の不調の原因になっていたものが、セッションが進んで「生死の統合」を経て回復していく、というような内容でした。
(H)
ベビーブレスをやったりして経験がある人には分かるでしょうが、一般には分かりにくいですね。その「生死の統合」というところを今回やりたいです。
(W)
「母親の意識の中に自分がいない」ことは、小さな子供にとっては、死を意味することは、ベビーブレスをしなくても、それほど分かりにくくはないと思います。
この死に対する感じ方で、人は二つのグループに分けられるように思います。便宜的ですが・・。
(H)
死に対して「いやだーー!」というのと、「死にたーい!」というのですね。
(W)
そうです。
一つめは、死を忌み嫌い、死を怒りで払いのけようとするグループです。生きようとするエネルギーに重心がある人達です。しかし、死を払いのけることはできません。それで心の不調がやってきます。
二つめは、死に親近感があり、生きることに価値を見いだせないグループです。死へのエネルギーに重心がある人達です。しかし、生きることを止めるわけにはいきません。それで心の不調がやってきます。
(H)
どちらのグループも片肺飛行機のようです。墜落寸前。
(W)
原因は同じです。
「母親の意識の中に自分がいない」というのは、小さいころに愛情が決定的に足りなかったということです。小さな子にとって救いの主になれるのは、唯一、母親です。しかし現実の母親は変わりません。現実の母親はあてになりません。本来は他人です。他人を当てにし続けることこそが、心の不調の原因です。
(H)
小さな子、というのは、大人になっても心の中にいる小さな子、ということですね。
(W)
はい。みんな、心の中には小さな子がいます。傷ついた子です。
そこでセッションでは、自分が、仮に健康な母親から愛されたらどうだったか、というようなことをやります。そのときにヒットして、湧き起る感情は、生きようとする強い肯定的な感情です。
(H)
その肯定的な感情を味わうと、その感情は、現実の母親には関係がないことが、分かりますね。他人に頼らず、健康な自分が自分を支えてくれることを実感します。自立の感覚です。これが助けになります。
(W)
感情というには、あまりに強すぎて、エネルギーというべきですね。
(H)
ほんとに。
(W)
一つ目のグループでは、・・・
(H)
「いやだーー!」の人たちですね。
(W)
はい。
一つ目のグループでは、この自立して生きることを肯定するエネルギーが、不思議なことに、死を受け入れるエネルギーにつながります。あれほど嫌っていた死が、どういうわけか嫌いではなくなり受け入れられるようになります。死を受け入れられると、もともと持っていた生きようとするエネルギーは更に強くなる・・・、というか、死が邪魔にならなくなり、初めて、本当に生きる感じになります。本当に生きると、死は増々、親しくなります。親しくなった死は、生きるエネルギーをさらに強くします。
(H)
「いやだーー!」と言っていたのに、まるで宝物と言うようになる人たちもいます。
(W)
二つめのグループ・・・、
(H)
「死にたーい!」の人たちですね。
(W)
はい。
二つめのグループでは、自立して生きる肯定的なエネルギーが、新鮮な生まれて初めての感覚のように感じられます。生きることに初めて価値を見いだします。死へのエネルギーに重心があり、死には違和感がありません。ですから、死はもともと邪魔にならず、初めての生きる肯定的なエネルギーを、純粋に、受け入れることができます。はじめて生きるのです。純粋に生きるようになると、実はそれまで違和感がなかったものの、冷たい死の中にいたのに、死が冷たくなくなります。柔らかく、あったかくさえなります。
(H)
この「死にたーい!」の人たちは、健康な母親を・・というより、小さいころに親切にしてくれた先生とか、心を通じていたペットとか、心を許した自然の景色の思い出とか、のように、母親から離れた事柄を想起することが役立つかもしれません。
(W)
そうですね。
この二つめのグループでは、「健康な母親」というのは、「仮に」の話にしても難しいのかもしれません。ケースバイケースでお願いできれば・・・。
(H)
個人セッションでは、ケースバイケースで対応しています。
(W)
どちらのグループも、死と生の、一見して正反対の二つのエネルギーが、交互に、互いを深めていくようです。
(H)
交互に徐々に、という場合もあれば、一時にドカンとくる場合もありますね。
(W)
ドカンの人、いますよね。二つのエネルギーが、ドカンと一つになる感じ。
しかし、その場合でも、それで終わりではなく、そのドカンの感じをその後も忘れずに維持できれば、さらに深まっていくと思われます。
(H)
是非、忘れないでほしい。
(W)
さて、この「健康な母親」という手法で起きることは、ベビーブレスで深く入れば、ひとりでに起きてくるプロセスです。「いやだーー!」や「死にたーい!」に強く引っかかってしまうと、なかなか深くには入れない。そこで、そのプロセスを、あえて、手法化しようとしているともいえます。
(H)
有効な手法です。
ベビーブレスで深く入れば、ひとりでに・・・ということですが、そこのところを、もう少し、話せますか。
(W)
私も、理屈や手法に頼るのは、本当は好きではありません。
ベビーブレスで深く入れば、自分自身の嘘を自分で見抜くことができます。
一つめのグループが、死を排除して生きようとすることも、実は嘘です。何かを毛嫌いし、忌み嫌っているだけです。無力な自分を隠そうとしています。母親からもらった死を、本当は自分が望んでいることを、隠さなければなりません。嫌い続け、戦い続けるために。
(H)
本当は自分が望んでいるですよね・・・。
(W)
また、二つめのグループは、死へのエネルギーに支配されてることに、本当は、満足はしていません。生きることに価値を見いだせないことに、本当は、満足はしていません。死に傾倒し続けるためには、満足していないことを隠さなければなりません。そのまま、不本意だった生を終えることには、実は、納得できません。それを隠さなければなりません。生きることができる生があることを、うっすらと知っているのに、現実のものとして実感できない。悔いが残ります。
(H)
本当は知っているんですよね・・・。
(W)
ベビーブレスで可能なのですから・・もったいない。
二つのエネルギーが一つになる、生と死の統合とでもいうべきものだと思います。死んで万歳、生きて万歳の境地になると思われます。統合した後で、瞑想で確かめて欲しいです。
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