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お母さんは空っぽ|自分に怒りがあるとは思えなかった|セラピーの現場から(656)

◎自分に怒りがあるとは思えなかった。そのうちに、怒りがあり、それを出すと気持ちが良いし、少しずついろんなことに改善があるのもわかってきた。しかし何か物足りない。やはり私は、かなわないと思っていても、母からの本当の愛情が欲しい。だから、母親への怒りがある事は分かってきたが、でもその怒りを出すことで、完全に納得するとまでは思えない。
<鉄の檻の中>
自分自身のイメージ。6歳くらいの自分が膝を抱えて一人でいる。鉄の檻の中にいる。本当に言いたいことが言えなくてモヤモヤしている。口がない。動けずにじっとしている。
<お母さんは空っぽ>
先回のセッションで、イメージとして初めてお母さんが出て来た。お母さんは中身がなくて空っぽで何もない。けれども自分はお母さんを抱きしめて離れない。自分は寂しさで冷たくなっている。冷たくて寒くてしょうがないけど、それでもお母さんにくっつけていられる喜びがある。
<自分に怒りがあるとは思えなかったが>
もともと自分に怒りがあるとは思えなかった。そのうち、怒りがあり、出すと気持ちが良いこともわかってきたし、そして少しずついろんなことに改善があるのもわかってきた。

<職場で感じた怖くなるくらい殺意>
そのころ、(大人しい私にはないことだったが)職場で怒りを感じる出来事があった。どうしても許せなくて怒りが出て抑えられない感じ、怖くなるくらいの自分の殺意を感じた。その出来事のイメージを絵に描いてみた。それは実は、母親への殺意だった。自分を見てくれない母を血まみれになるくらい引っ掻いて、自分も血まみれで引っ掻き続ける感じ。怒りと悲しみ。凄く怖い。イメージした後では、スッキリしている自分もいた。この気持ちを認めて良いんだなと思えた。この時の出来事は、ある幼児に関することだった。
<幼児期の記憶がない>
そういえば、私には0才くらいから5才まで記憶がない。そのころ父とは離婚して母と引っ越しした。引っ越しの前の記憶がない。小さい時に一緒に住んでいたはずの父との記憶がない。その事情を知りたい。
<止まらない涙と母への殺意>
セッションに入るまで怖さがあった。人のセッションを見ていて、私の心に響いて、涙が止まらなくて、それは自分に殺意があるからだと分かる。怖くて体が震えてくる。ここで(隠れている殺意を)吐き出さないと(自分は変わることができない)という気持ちで自分のセッションになったが、なかなかは入れなくて、でも、なんとか本当に出すところまでやってみようと思った。途中から、だんだん母親への殺意に移って来て、やっぱり、絶対許さないという気持ちで激しく怒った。ずっと激しい怒りが続いた。
<何で分かってくれないの>
そうしたら、「何で、何で、分かって欲しいのに何で分かってくれないの、こっちを向いて欲しい」という気持ちが出て、それも全部怒りになってぶつけた。そし、その怒りを言葉にしたら、寂しい気持ちにもなって来て、悲しいも寂しいも後から出て来て、母親の中に何もない、空っぽの母でも、それでも自分は甘えたかったし、くっつきたかったし、くっつきながら怒りをぶつけた。抑えずにできた。全身を使ってぶつかっていけたのが凄く良かった。深い悲しみが溢れてくる感じで、ちょっとスッキリした。
<悲しくて虚しくて>
でも、こんなに怒りを出し尽くしても、悲しくて虚しくて。やっぱり、くっついていたい気持ちになった。他方で、力が抜けて気持ちいい感じもした。
<母へのしがみつき>
セッションでは、母親にくっついて、そのまま絞め殺してしまうくらいのしがみつきを感じた。今まで隠れていたそれを感じられた。くっつきたいけど、何で安心もくれないの、何で分かってくれないの、だからますますくっつく。そういう意味のくっつき方だ。今までは母に嫌われる恐怖があって、くっつけなかったけれど、できた。自分のセッションを思い返してみて、なんか凄い怖い気持ちがあるなと思った。

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母の言うことを聞く明るい私「そんな私は幻想だ」|セラピーの現場から(651)

○私の中にある激しい殺意の裏に、母に対して「自分をわかってほしい」「愛してほしい」「くっつきたい、一つになりたい」という気持ちがあった。いくら尽力しても母の愛情は手に入らない悲しさに気づき、涙が溢れ止まらなかった。だけど不思議と温かな気づきでもあった。手に入らないことに傷ついていた。悲しさ、虚しさの理由がわかって嬉しかった。自分の感情を受け入れたのかもしれない。安心感があった。
○ 母は何をきっかけに怒り出すのかわからない人だった。母の言うことを聞く、明るい私だけを好いている。「こんなところが好きだよ」と理想的な姿を並べられるたび傷ついた。「そんな私は幻想だ」と知ってほしくて、母の怒りに触れるようなことをわざとしたり、傷つけるような態度を取った。なぜそんな行動を取ってしまうのか自分のことなのにわからなかったが、はっきりしてきた。優しい母(私を部分的にしか受け入れない母)をぶち壊したい、暗くて悲しい悪態をつく私と向き合ってほしい。そんな背景があった。

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セラピストへの愛憎|本物であろうとするなら避けられない|セラピーの現場から(539)

 

私たちは、意識はしないものの、セラピストから愛情がもらえるので、そのために、セラピーを受け続けることがあります。はじめから、それを目的に、セラピーを受けようと思うこともあるかもしれません。親から十分な愛情が貰えなかった立場としては無理もなく当然と言えるかもしれません。残念なことに、そもそもセラピストから愛情がもらえなければセラピーなど受けなかっただろうということもあります。そうであれば、セラピーを受け始めるきっかけになったという効果も確かにあったと言えます。しかし、いつかは自立をしなければなりません。自立のないセラピーなど、そもそも意味がありません。自立には苦痛が伴います。もはや表面的な「愛情」がもらえるか、もらえないかのことではなくなります。転移(セラピストへの愛着や憎悪)も逆転移(セラピストからの愛着や憎悪)も起きます。心を分かってもらえる(愛情が貰える)のでセラピストへ気持ちを寄せ、でも最後のところは自立するよう突き放され愛情が貰えないので敵意を燃やし、これに対しセラピストもついつい本音で対応せざるを得ず、自分自身の内で起きる愛憎を感じます。セラピーが本物であるためには必要不可欠なことのようです。これを避けずに通り対峙(たいじ)することが必要となります。これは、本当の気持ちを避けないで話し合おうとする、健康な親子の関係に似ています。

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ただ甘えたいだけ|どうしようもない母親からの脱出口|セラピーの現場から(534)


これまで私が苦しんできたのは、母からもらうことばかりだったから。今回、「ただ甘えたいだけなのに」という境地に居れた。その違いは大きい。<もらう>とか<甘える>とかの言葉の問題ではない。
母親からもらうことばっかりでいっぱいになっていた。幼い頃から愛情をもらえない渇きはほとんど命の問題だった。しかも、当の母親は、どうしょうもない、愛情をくれない母親であったため、大きな混乱が生じていた。今は、母親自身も寂しい人で、愛情を人にあげられるような余裕は無いことがわかってきた。それが分かっているにもかかわらず自分には甘えたい気持ちがある。とても激しい気持ちだ。その甘えたい気持ちは、母親とは関係なく、{独立して}{自分の}気持ちとして存在する。そういう自分がいとおしい。これが寂しさに居ることなんだ。寂しいというところに居られると、母親が関係なくなる。自分が1人で立っている。そうして、さらに、寂しいことが正面から味わえる。逃げずに居られる。

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448 傷がわかるとどうして成長するか

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愛情をもらえなかった。存在を認められなかった。その傷がわかるとどうして自立するのか、どうして回復するのか、どうして成長するのか。
(1)傷が分かったからといって、愛情なしで、どうして成長するはずもない。回復するはずがない。自立もない。決定的に不足しているのは愛情。愛情の欠如(けつにょ)で、私の存在は軽んじられ、命が脅(おびや)かされてきた。その残酷なまでの恐ろしさ。一人になるとその傷が未(いま)だに私を脅かす。傷が手で触れられそうだ。その傷が私をダメにした。動かしようのない事実だ。その傷を愛情なしで満たせるはずがない。回復できるはずがない。どんな愛情でも求めてしまう。渇きが泥水でも飲もうとする。そのことを誰が責められようか。愛情がもらえて初めて愛情を与えられる。それ以外にない。目の前に愛情をくれるべきだった人が居る。のうのうと分からないまま居る。どうして諦められようか。渦巻く怒りは湧いて出るが、あきらめは付かない。あきらめる?どんなに頑張っても不可能!。愛情もない成長や回復や自立など在(あ)ろうはずもないし興味はない。

(2)自分を傷つけたのは既に他人。過去に愛情くれなかったのは、もはや他人。生物学的な血はつながっているが、他人。私の存在を認めなかったのは他人。気の毒にも鈍感になってしまった人。その人は自分ではない。その人を変える力は今の私には無い。    自分は愛情を求め、得られず苦しんだ人。限りなく苦悩した人。求める力を持った人。苦しむ力を持った人。本当に求めるから本当に苦しむ。求める力は私のもの。求める心は私のもの。この健康さは私のもの。この私のものは誰にも奪うことはできない。この私のものの中でこそ私は満たされる。失うことのないその中に、投げ出され溶け出されて、初めて温かくなる。この健康さがあるから憎しみと愛情の区別ができる。嘘の愛情と本当の愛情が分かる。もっと分かるようになりたい。本物の中で生きていきたい。不思議なことに、供給されていなかったはずの愛情が湧く。存在できなかったはずのものが湧いて出る。依存の必要がなくなる。初めて他人との自立した関係が築ける。それが回復。それが成長。それが自立。

 

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387 お母さんの不幸を思うほうが先だった

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セミナーで〇〇ちゃんと知り合ったのが嬉しくて、珍しくセミナーの話を母にした。「同じような境遇の人と友達になったよ」と言ったら、明らかに私から逃げるような態度を取ったのがわかった。それが悲しく悲しくて泣いた。私に意識がないからではなく、自分が受け入れられないものに対して忘れることしが選択出来ない彼女の不幸を思うほうが先だった。
このまま無視するのが普段なのだが、昨日は勇気を出して母に話した。「お母さんが嫌いで憎いけど私は逃げない。私はお母さんを嫌いになりたくない、やっぱりお母さんが好きだからセミナーに行っている。変わってしまった私はいらない子供かもしれないけど、ほんの少しでもいいから私から逃げずに踏ん張って欲しい。」彼女の心に響いたかは分からないが、彼女に今の本音は言えた。彼女は自分の都合のいいところしか聞いてない気もするが……。いつかは真正面から母とやり合うことができたらいいと思う。

 

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337 エネルギーを噴射して重力を振り切り宇宙へ出る

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母親から自立するのは大変。まるで地球の重力を振り切って脱出するロケットが、何トンもの燃料を噴射するのに似ている。一度、宇宙へ出れば、大きな噴射は必要ない。無重力状態で自由自在。
小さな子供にとって、母親との同化も母親からの庇護も、なくてはならないもの。ないと生きていけない。地球そのものが存在しなくなるようなもの。同化と庇護の甘い一体感を存分に味わう必要がある。味わい尽くして満足し飽きる必要がある。飽き果てたときに、子供の興味は外へ向かう。安心して外界に向かう。外界は子供にとって宇宙のように広く魅力的。そして、母親と自分は異なる存在だということを実感し、母親から心的に自立する。大きくなった子供にとって、自立は必要。自立して初めて人生を味わうことができる。自由自在に生きることができる。
ところが幸薄い人生を送ってきた母親は、子供の自立を許せないことが多い。満たされなかった人間関係の唯一の希望であった子供。何とか自分の手の中に収めておきたい。いつまでも赤ん坊のように懐(ふところ)の中に暖かさを感じていたい。暖かく柔らかく程度に重く赤ん坊のいい香りがする。逃がしたくない。一人になりたくない。飲み込んで置きたい。できれば子宮に戻したい。重力は強い。
そして実は子供もそれに応じてしまう。母親は都合のいいときには自分を可愛がったが本当は違った。本当は子供を要らなかった。自分を要らなかった。同化も庇護も上質なものはほとんど無かった。ゼロ。未だに本物の同化と庇護を渇望している幼い子供が自分の中に居る。永遠の栄養失調。いつまでもお腹を空かしている。偽物にもついよろよろとしてしまう。重力は増々強い。
それでも自由になりたい。自由になろうとする欲求は強い。生きようとする欲求は強い。ベビーブレスがそれを証明する。ベビーブレスの中でエネルギーが爆発し噴射される。こんなすごいエネルギーが自分の中に隠れていたのかと思うほど。重力を振り切って宇宙へ出る。

 

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243  「私は何者なのか」|記憶が弱いと同一性が弱く頼りない

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テレビのある番組を見た。「私は何者なのか」モーガンフリーマン<時空を超えて>。
3歳児の実験。記憶と自我の関係が説明される。クッキーの箱の中身を当ててもらう。中身を見る前は箱のクッキーの図柄を見て「クッキー」と答える。実際には中身はマーカー(ペン)。中身を見た後に、もう一度、何が入っていると思ったかと聞く。答えは「マーカー」。
解釈はいろいろ。①前の答えを覚えていない。②前の答えが間違っていたと認識できない。③二つの答えをした自分が同一人物とは認識していない。

実際にはこれらの解釈はつながっている。自分が同一人物とは認識できないので、前の答えが間違っていたとの認識はなく、嘘をついているわけでもなく、(同一人物とすれば)前の答えを覚えていないように見える。自我の未発達。
4歳児になると、大人と同じような答えになる。前の答えを覚えていて、前の答えが間違っていたと認識できる。二つの答えをした自分は同一人物であると認識している。記憶を手に入れる。つまり自分の同一性を手に入れる。
番組の結論としては、記憶が弱いと同一性が弱く、自分が何者だろうかという頼りない感覚になってしまう、ということ。
実際のカウンセリングでは、このことが、大人の心の奥でも起きていることがある。

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120 愛情か自立かーセラピストからの「愛情」を目的とし自立できない

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愛情か自立か
意識はしないものの、セラピストから愛情がもらえるので、そのために、セラピーを受け続けることがある。はじめから、愛情がもらえるので、それを目的に、セラピーを受けようと思った。残念なことに、そもそも愛情がもらえなければセラピーなど受けなかったであろう。そのための微かな効果も確かにあった。

しかし、いつかは自立しなければならない。自立のないセラピーなど、そもそも意味がない。自立には苦痛が伴う。もはや「愛情」がもらえなくなる。転移(セラピストへの愛着や憎悪)も逆転移(セラピストからの愛着や憎悪)も起きる。セラピーが本物であるためには必要不可欠なこと。これを避けずに、客観視して、通過することは健康な親子の関係に似ている。客観視して自立し、おそまつな「愛情」は不要になる。

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