セラピストへの愛憎|本物であろうとするなら避けられない|セラピーの現場から(539)

 

私たちは、意識はしないものの、セラピストから愛情がもらえるので、そのために、セラピーを受け続けることがあります。はじめから、それを目的に、セラピーを受けようと思うこともあるかもしれません。親から十分な愛情が貰えなかった立場としては無理もなく当然と言えるかもしれません。残念なことに、そもそもセラピストから愛情がもらえなければセラピーなど受けなかっただろうということもあります。そうであれば、セラピーを受け始めるきっかけになったという効果も確かにあったと言えます。しかし、いつかは自立をしなければなりません。自立のないセラピーなど、そもそも意味がありません。自立には苦痛が伴います。もはや表面的な「愛情」がもらえるか、もらえないかのことではなくなります。転移(セラピストへの愛着や憎悪)も逆転移(セラピストからの愛着や憎悪)も起きます。心を分かってもらえる(愛情が貰える)のでセラピストへ気持ちを寄せ、でも最後のところは自立するよう突き放され愛情が貰えないので敵意を燃やし、これに対しセラピストもついつい本音で対応せざるを得ず、自分自身の内で起きる愛憎を感じます。セラピーが本物であるためには必要不可欠なことのようです。これを避けずに通り対峙(たいじ)することが必要となります。これは、本当の気持ちを避けないで話し合おうとする、健康な親子の関係に似ています。

お試しの「無料60分心理カウンセリング」もあります

ホームページの記事もどうぞ⇒実績紹介>ベビーブレス体験集(本の内容)