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私わかった!1/3|アコールセラピーの現場から(707)

<<私わかった!1/3>>
<W>
今日は、パニック障害が治った女性の話です。その話から、人がどう治っていくか、事の全体を観られるといいと思います。
<H>
はい。
<W>彼女は、女のお子さんを持っていますが、自身のパニック障害から逃げるのが精いっぱいで、子育てに苦労しました。
<H>
パニック障害や子育ての問題は、いわば表面の話で、こういう問題は奥が深いですから。彼女の場合には、その奥に手が届きましたね。その人全体に大きな変化がありました。人間性の回復ですね。
<W>
その通りです。まずは、大きな、大きな山を越えましたね。本当によかったですね。
<H>
人生を取り戻したことでしょう。うれしそうな彼女を見ていて、心の中~のほうが明るくなった彼女を見ていて、こちらもうれしいです。
<W>
まったく。
少し戻します。
今回彼女の話をするのは、彼女の全体を見ていくためです。超えた山があまりに大きいので、全体が見えにくいということがあります。
<H>
彼女自身の性質にもそういうところが、まだ残っています。
<W>
他の人たちにとっても、全体として何が起きたのかということを眺めてみることは、とても役に立つことだと思います。
<H>
はい。本質的な部分は共通しますからね。たとえパニック障害や子育てとは関係ない人でも、問題の本質は同じですから。
<W>
さて、以下に掲げるように、今回は彼女が描いた絵を中心に話を進めます。
その絵のことです。私たちは、セッションの後で、カウンセリングのまとめを文章化して本人に渡し、「後日何度も読み返してください」とお願いすることをしています。しかし文章は時間をかけて読まなければならず、読んだ内容をまとめて全体を見渡すことができにくい。その点で絵は、一目で見て、感覚的に自分の全体をつかむことができます。そのため、何かの気づきのたびに絵を書いてもらうようにしています。
彼女の場合も絵を描いてもらいました。わかりやすい絵を並べてみました。彼女のセッションの進み具合を全体的に理解できると思われます。
<H>
では見ていきましょう。この絵(①)ですね。
<W>
そうです。右上に、小~さな子供が描かれています。真ん中は、本人自身です。

① <子育てができない>

彼女自身からの説明です。
「この(絵の中央の人体は自分で、その)二重の部分は、本当の自分に蓋をして抜け殻になっている感じです。抜け殻の私と、その私を見つめている娘の絵です。
(私は)娘が産まれてから「育てられない」と思った。でも、その奥では「育てたい、(健康に育って)私のようになって欲しくない」とも思っていた。まだ新生児の時は良かった。おっぱいをあげればまた寝てくれたから。でも、娘がお座りをするようになると、朝しっかりと目が覚め、おっぱいをあげても寝てくれなくなった。それでも私は体が動かないので娘を放置して寝ていた。そんな私を娘は私の側でジッと私を見つめて座っていた。オムツはおしっこでたっぷりになり、うんちもしているからビチャビチャで気持ち悪かっただろうに、娘は泣かずにジッと私の側で座って私を見つめていた。
この時の私は、後のセッションで、抜け殻の状態だった事が分かった。育てられないという娘に対する殺意を抜け殻の状態でいる事で私は(殺意を実行せずに)娘を守った。私の娘に対する愛情でもあったことは事実だ。でも、娘の事はどうでも良い、どうなっても良いという私の殺意があった事も事実だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
本当の私(絵の二重の部分の内側)がいるのに、しっかりと蓋をし隠し正面から私を見る事ができないので、被害者の抜け殻の所にいる絵であり、この頃が子育てで1番辛くて、ハッキリと覚えているけど思い出すのが辛い所の絵です。」
<H>
抜け殻でいることで子供を守ったんだと彼女は繰り返して主張していました。抜け殻でなければ殺意を実行したんですね。
<W>
「守った」ことを強調しないと危ないということです。
<H>
その意味では殺意に十分には向き合えてはいません。
<W>
この絵の子供の存在の小ささが印象的です。「子供」を守ったという意味の絵にしては、主役の子供が小さすぎます。
<H>
抜け殻になることで何かから耐えた、といことですね。主役は、隠された殺意、でいいでしょうか。
<W>
この後の絵で、感情を無くして耐えたり、分裂して耐えたりする絵が出てきます。抜け殻も、耐えるための守りの一つといえると思われます。

② <襲い来る何か(死)から必死に逃げる パニック発作>

彼女自身からの説明です。
「これは1番辛かった時期の絵です。死の恐怖から必死で逃げている絵です。突然と現れて必死に逃げても死の恐怖が迫ってくる。自傷する(彼女には自傷歴があります)ヒマを与えずにどんどん迫ってきて、死の恐怖に飲み込まれないように、絶対嫌だと無我夢中で必死で逃げて逃げまくった。
とても寂しくて、孤独で、死が目の前に(恐怖が)くるから1人で耐えて、死の恐怖を永遠とまた味わいたくない、耐えたくない、感じたくない、お願い、誰か助けて!!と必死でもがいた。私は死にたくない・・・怖い、絶対嫌だと必死で逃げているのがパニック発作、過呼吸の原因でした。」
<H>
彼女の問題は子育てがうまく行えないというのもありましたが、1番の問題はパニック発作が起きて苦しくてしょうがないという事がありましたね。その原因は、上の説明で彼女は「死の恐怖」と言っていますが、もちろん本人は最初はわからない。ただひたすら発作を起こして暴れたり泣いたりすることのようでした。
<W>
わからないこそのパニック発作ですね。
<H>
当時はもちろんそういう死との絡みで理解する事はとても出来ませんでした。得体の知れない恐怖です。得体が知らないので余計苦しくて恐ろしいということだと思います。恐怖を振り払おうとする彼女の強烈な怒りで、周りの人々も、大変でした。
<W>
わかりたくない、ということもありますね。それがトラブルの中心にある芯かもしれません。

<<続く>>

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何で他の姉妹ばかりが可愛いのか|疎外され自分の子育てに失敗|セラピーの現場(568)

私は、小さなころから親や姉妹に疎外(そがい)されたらしく、愛情をうまく育めず、子育てに失敗し、その影響は孫にも出ているようだ。
セッションをすると「なんで、なんで」というのが出る。始めのころは「なんで、なんで」の意味がはっきり分からなかったが、今は、疎外されたことへの抗議の意味だと分かる。
今回「なんで、なんで」をずっとやっていた。一人ぽっちにしないで。孤独は嫌だと言っていた。何で無視するのか、何で疎外するのか、何で愛してくれないのか、何で姉ちゃんや妹ばかりが可愛いのか、何で私ではないのか。何で孤立させられるのか、何で私を可愛くないの、何で私の存在がないのか、それがずっと何で何で、と続く。
自分の中の孤独、無視されること、疎外感がある。何で仲間はずれなのか。不細工だからか。この容姿は母方の血筋のものじゃないか。母自身も自分の容姿を悪く言われて、それで私を悪く言うのか。この容姿には父方の血筋のものもある。母は父方の親戚を嫌っていた。その嫌いな親戚と私が似ているからか。
7~8歳のころ、私は母に、廊下で突き飛ばされた記憶がある。私を疎外する母に、私が反抗したのかもしれない。反抗したことを、母が憎々しく対応したのが残っている。
「なんで、なんで」を身体全体を使ってやれたので満足しているが、もっとやりたかった。

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433優しい気持ちの母白熊に

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動物園の白熊の話の続き。子熊と仲良く子育てをすることができた母熊は、自分自身も成長するらしい。

それまで、気が荒く、何度も子育てに失敗した(赤ん坊熊は死んだ)雌熊がいた。飼育係がなんとか子育てが成功するように工夫した。そして、ようやく赤ん坊が死なずに成長した。そのとき、母熊も、気性の粗さが消え、優しい気持ちの白熊に成長するらしい。自分自身も成長するらしい。人間であればなおさら・・。

 

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349 そうすれば、どんなに心が楽になるだろう。その2

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子育てがうまくいかない。自分自身が良好な子育てとは縁がなかったことに気が付く。隠れていた母への恨みが出る。それなりに色々な改善が起きる。しかし恨んでも恨んでも足りない。母は分からない人。分かろうともしない人。大きな壁。私たちの突き当たる壁。さあ、壁の前で立ち往生している私たち自身は、十分に正直か。母の問題と自分の問題がすり替わっていないか。壁にひっかかっていれば、その先に行かなくて済むからではないか。十分に自分を観られているだろうか。心を透明にして内側を観る。

 

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348 幼い女の子の散歩:その2

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幼い女の子の散歩:その2
目的の公園はすぐそこに見えている。デモ、延々ト、モノゴトハ起キル。遠くから犬の散歩が近づいてきた。「ワンワン!」じっと見る。白い大きな二頭の犬。彼女より背が高い。だんだん近づき横を通り遠ざかる。その間、口をあけてじーーと見る。まるで動物園から大きな白いインド象が逃げてきたのを見ている感じ。
公園に着いた。子供たちが遊んでいる。じーーっと見る。(イッショニ、アソベルカナ?チョット、ムリネ)あきらめて、滑り台の方に向かう。途中、植木の繁みの入り口があった。入口に立つ。ハイッテミタイ。でも、茂みの中は暗い。スコシ、コワイ。入り口から中を覗(のぞ)いたまま。長い間、迷った。ぎりぎりで勇気は出なかった。やっぱり滑り台へ向かう。台は雨で濡れていた。ハンカチで拭いた。彼女は何度も何度も滑った。興味は次から次に移った。次々と遊んだ。・・・・。
やがて公園から帰る。住宅地の中を通る。まっすぐな広い道で車や人がほとんど通らないので安全。すると彼女は突然走り始めた。叫んでいる。髪がなびく。エネルギーが彼女の中で爆発している。最後のフィナーレだ。私も一緒に走った。道はその先で大きなバス通りとT字になる。「はい、そこまで!」私は叫んだが止まる気配がない。「ほんとにそこまで!」彼女は私の声など無視して走る。バス通りに入る瞬間、走りながら彼女を抱きあげた。すぐそこにバスが来ていた。バスの運転手と目が会った。
また彼女と手をつないで歩いた。彼女は静かだった。冒険が終わった時に子供が出す堂々とした雰囲気をしていた

 

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340 映画「太陽のめざめ」

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「太陽のめざめ」という映画を見た。カトリーヌ・ドヌーヴ出演。学生時代に映画でカトリーヌ・ドヌーヴの美しい魅力に圧倒されていたので、どんなお婆ちゃんになっているかな、という興味もあった。大きな映画館ではやっていないので、横浜の小さな映画館で見た。彼女はちょっと太めになっていたが、未だに魅力的な現役だった。
さて、映画は、乱暴なひどい母親に育てられた幼い男の子が、愛情を知らないまま長じて札付きの不良少年になり、更生施設の職員や裁判所の人(そこの判事がカトリーヌ・ドヌーヴ)等との人間的なやり取りを通して、何とか自立できそうなところまで成長する話。この人間的なやり取りがこの映画の圧巻。自立の大きなきっかけが、恋人との出会いにより真に人間的なものに触れるというストーリのようだった。その恋人との間にできた子供を、堕胎の直前に思いとどまって産まれた姿で、少年がまるで自分自身を抱くように不器用に手に抱えて、広場に出ていくシーンで映画は終わる。
最後はハッピーエンドを予感させる終わり方だが、仮に本当の話であれば、実際にはそうにはならない悲劇が待つだろうと思われた。なぜなら、少年が愛情を知らずに育ったことが暗示されるものの、何に傷ついて、そんなに更正が危ぶまれるほどだったのか。何に傷ついて、そんなに荒れたのか、描かれていない。母親も乱暴なひどい母親として描かれるが、なぜ、そうだったのか描かれない。原因は全く触れられていない。であれば本当の癒しは期待できない。
子育ては甘いものではない。自分のように不幸な子供にはけっして育てないぞと、そのときは強い決心をしても、子育ては人間対人間の本質が触れ合うもの。心の傷を隠し抱えたままやれるものではない。あっという間に自分と同じ傷を持つ不幸な子供にしてしまうはずだ。最後に少年が不器用に手に抱えた赤ん坊をいつぶん投げてしまうのかと、ヒヤヒヤしたという鑑賞者もいた。そのとおり。

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