二番目の壁|セラピーの現場から(670)

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今日は、ベビーブレス(ブレスワーク)で乗り越える二番目の壁のようなものについて、例を挙げて、話したいと思います。
<H>
はい。
<W>
壁のようなものは大きく二つあるように感じます。一番目の壁は、「出せるかどうか」の壁です。自分の中に入って行って、それまで長い間隠していた(といっても意識的ではないですが)怒り、悲しみ、恐怖を出せるかどうかです。
<H>
はい。ブレスワークをする人たちは皆、経験するところですね。この壁を乗り越えて、ブレスワークの魅力、醍醐味を知りますね。
それまで隠されていた怒り、悲しみ、恐怖を出せるようになると、エネルギーが湧いてきて、いろいろな改善が起きてきます。出せなかったものが出せるようになって、しばらくは、それまで楽しめなかった人生を楽しむ余裕も出てきます。苦しかった人生がある程度楽になるのですから、出来るだけ、たっぷりと楽しんでほしいものです。
<W>
立派なブレッサー(笑)になりますね。
ところが、それが出せるようになると、しばらくして、物足りなくなります。物足りないのに、それなのに何かに阻(はば)まれ、次に進めない感じです。二番目の壁です。出しても出しても、何かが満足しない。
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はい。満足しない感じの人は進んでいくでしょう。いい感じです。怖くなって進めない感じで苦労するということもありますね。それで同じ所をぐるぐる回ってしまう。この怖さは意識はされていないことも多いでしょうが。
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この二番目の壁を乗り越える時の話をしたいのです。
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重要な部分ですね。そもそもブレスワークの中で自分自身で乗り越えるべきものですが、どうやって乗り越えたか、自分でも説明できない人も多いと思います。言葉にしにくい部分でもありますね。
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そもそも自分自身で乗り越えることが、その人の実力になる、ということですね。その通りですが、しかし、乗り越えるのに時間がかかってしまう人もいるので、何とか話題にして、言葉にしてみたいです。大きな参考になると思います。
怒り、悲しみ、恐怖を出せるようになると、それらの元になっている自分の心の傷が、母親から来ていることも明らかになります。そして傷をつくった母親に憤慨します。母親へ怒りが向き、母親をまともな人に変えたい気持ちが湧き起ります。変えようとします。でも変わりません。母親には母親自身の傷があるからです。変わらない、どうしようもない母親を前にして、地団太(じだんだ)を踏みます。母親が変わらないことを頭では分かっていても、どうしようもない気持ちに突き動かされます。母親を変えようとする気持ちが叶わないことで、怒り、悲しみ、恐怖にとらわれ、からめ捕(と)られてしまいます。

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二番目の壁ですね。
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そうです。そうやって怒り、悲しみ、恐怖で七転八倒(しちてんばっとう)しているうちに、ある何かが切り替わります。「母親」へエネルギーが向かうことに意識が向いていたのが、母親へ向かう「自分のエネルギー」に意識が向くとも言えます。母親へではなく、自分のエネルギーです。母親は関係がなくなるのです。
<H>
はい。母親は消えてしまう。そこですね。
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切り替わる前後は、一見して、似ています。ともに、怒り、悲しみ、などのエネルギーに溢れているという点では非常に似ています。でも、180度異なっています。切り替えが起きています。大きく変わってしまいます。
いくつかの事例を挙げてみます。
(例1)
幼い自分に愛情くれなかった母親、今もくれない母親。おかげで私は恐怖の底で死に直面しなければならない。その憎たらしい母親へ(セッションの場ではなく、やってはいけない)実生活の場で大きな怒りを出してしまった。今は若くない母親は、実際の私の怒りに、あっけないほど耐えられなかった。その瞬間、あの強大だった憎たらしい母親は、心に傷を負った1人の悲しい小さな弱い女性だった。そのことが初めて心に入ってきた。そうして、それが起きた。自分の悲しさだけがそこにあった。悲しさのエネルギーだけが。深い深い愛(いと)しいエネルギーが。
(例2)
母親もまた自分の母親から愛情を貰えなかった。そのために私を愛せなかった。頭では理解できる。でも本当には納得できない。私のこころは大きく傷ついている。傷は今も疼き(うずき)続ける。目の前の現実の母親に、理想の母親を求め続ける。他方では、愛情なしで死に追い立てられ、母親への狂気の憎悪が突き上げる。この狂気を無いものにするために私のこころは歪み(ゆがみ)続ける。
そこで、想像してみる。仮に、自分の母親が、傷を持たず健康な人であったならば、どうだろう。愛情に溢れ自然に私を愛(いと)おしんでくれる人であったならば、どうだろう。自分は夢にまで見たような暖かさで愛されただろう。その愛された自分はどのようなエネルギーを持つだろうか。そう想像するときに、それが起きることがある。喜びのエネ
ルギーが湧き起る。体が熱くなる。小さな子供が庭を走り回るように、私は走り回る。エネルギーだけがそこにある。求め喜ぶエネルギーだけがあり、もはや母親はいない。
(例3)
どうにもならない母親のことをどうにかしようとして悩み続け苦しんだ。自分の中の小さな子供が母親なしでは生きていけないと悲鳴を上げる。それでも実際にはどうにもならない。苦しみ続ける。その挙句(あげく)、問いかけても問いかけてもどうにもならない母親を「あーめんどくせ」と感じ放り投げる。瞬間的にではあるがそれが起きることがある。
<W>
何かが切り替わることを、母親へではなく自分のエネルギーへ意識が向くと説明してみました。
<H>
なるほど。
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さて、この事は、陳腐になることを恐れなければ、親(母親)離れの瞬間とも言えるのでしょうか。
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ことが重要すぎて、簡単にそうラべリングしたくないですね。
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そうなんです。一度そう言ってしまうと、たちまち「親離れをしなければならない」「死を受け入れなければならない」と頭が働き始めます。まるで標語のように。標語は全く役に立ちません。「何々せねばならない」は役に立ちません。自発性が無くなりますから。標語の代わりに、実際に自分の中に動く何かへの理解が起きることが重要です。何かが理解されるその瞬間の感覚が重要と言えるようです。
<H>
ベビーブレス(ブレスワーク)で一番底まで行けば、おのずと起きることだと思います。

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