母自身が怒りを持っていた。怒りの塊。寂しい塊|セラピーの現場から(647)
○それまで有るとさえ思わなかった、大きな大きな怒りを出すことができ、いろいろなことが改善され、まるで別世界のような中にいるみたいだ。しかし、自分が感じる日常の怒りが気になっている。まるで前よりも怒りでイライラしているのではないかと思ってしまう。ところが周りの私への評価は逆だ。周りは言う。昔大きな怒りを隠していたときの方がイライラ感が強く私には近寄れなかった。最近は私は丸くなりほとんど怒りが感じられない、と言う。私と周りの感覚の違いは驚くほどだ。怒りに敏感になっているようだ。怒り続けている。何に怒っているのか。
○仕事でイラついて、理不尽にイラついているのではなくて、「まっ良いか」と流していたことが「(そうではなくて)こうだろう」と思うことが結構ある。カッカしてしまう。気になることが多い。それまでスルーしたり無いことにしていたことが、気になって出している。ずっと怒っている。周りの感覚は違うのだろうけれど、私は怒っている。
○何に怒っているのか。それは不自由さだ。押さえつけられ自由になれない。(大きな大きな怒りを出すことができた)今だから分かるのは、(自分の)抑圧で、フィルターのように囲われるもの。究極は守らないといけないと刷り込まれてきたが、(大きな大きな怒りを出すことができてから)解禁された。
○私の不自由さの原因は、気を病んで病院で亡くなってしまった私の母、シングルマザーとして私を育てた母だ。母自身が怒りを持っていた。怒りの塊。寂しい塊だった。その影響を私は受けた。問題の原因として扱いたいのは、母だったり祖母だったり、する。二人は繋がっている。
母の怒りの正体は寂しさだ。寂しいからみんなに癒着していた。祖母や父や(父と離婚後にお付き合いしていた)Aに癒着していた。でも母は祖母に対して甘えられなかったろう。大きな大きな怒りを出すことができた時、寂しい塊は、祖母であり母だったことがわかった。私の不自由さの原因を扱うことができないと(私は)気狂いになる。大きな大きな怒りの対象は彼女ら二人だ。怒りを出すことは、それまでタブーだったが、そのタブーの感じは今は来なくなった。怒りを出せるようになった。扱えるようになった。
○昔は、日常でも人と何かあると、「(その人に自分のとった対応が)良かったのかどうか」と気になって朝まで眠れなかったが、今は気にならなくなった。怒りを出してそれで「良いんだ」と思えるようになった。
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