ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違1/2|セラピーの休憩時間(705)

「ベビーブレスによる解放と禅の悟りとの類似と相違」

(H)

今日のお題は何やら難しそうですね。

(W)

いつか話したいと昔から思っていました。

(H)

やさしく話してくださいね。個人的には少しは聞いていますが・・。

(W)

ベビーブレスによる爆発するような大きな気づきがあります。同時に大きな開放があります。禅仏教にも、悟り、というものがあります。類似する点があります。

(H)

似ていることが不思議だということでしょうか。

(W)

いえ。当然だと思います。人の心の奥底は同じでしょう。同じホモサピエンスの脳を持っているのですから。

(H)

不思議でないとしたら、何が、ポイントなのでしょうか。

(W)

ベビーブレスや禅で、人の心の奥底に何が起きるのか、より客観的に理解できるのではないかということです。

(H)

はい。

より、はっきりするということですね。

(W)

ベビーブレスと禅。二つ以上の視点を持つことはとても重要です。

(H)

動物が二つの目があるのは、獲物をはっきり見定めるためですね。

(W)

そう。象徴的に。

ベビーブレスという手法で探求を続けると母子関係の「アンビバレンツの受け入れ」という問題に到達し、やがて突破します。それは強力ではあるものの一つの視点、もう一つ欲しい。

(H)

アンビバレンツはキーワードですね。日本語で両価性と言われます。その意味するところは、セラピーの現場でとても重要ですね。「このくそババー!」という究極の殺意と、「ママー!」「かあちゃーん!」という愛情の本質のようなものが、実は同じものと気が付く瞬間があるのですよね。セラピーのだいご味です。

母親には本当の愛情がないことで小さな乳幼児は死を突きくけられる。一人ぼっちの死。究極の恐怖です。他方、母親は、自分の生命を支えてくれる全宇宙のような存在。そのことに気が付くとき、死と生を同じものとして受け入れる。

(W)

そうです。「アンビバレンツの受け入れ」と言葉では簡単ですが、果てしなく大きなことです。ドカンとくるような大きな気づき、大きな開放です。

(H)

もう一つの視点が欲しい、というのは?

(W)

「アンビバレンツの受け入れ」がいくら大きなことと、こちらがわかっていても、ベビーブレスを体験しない人には、説得力がない。今はやりの言葉で言えば、エビデンスが足りない。

(H)

エビデンスは十分です。何を言いますか。実際に人に、大きな気づき、大きな開放があるのですから。世の中に、これ以上大きな事はないくらいです。山のように動かせない証拠です。

(W)

それは体験した人のことです。体験しない人にはさっぱりです。このブログを読む人には不十分です。体験しない人には、言葉の説明しかありません。エビデンスというのは言葉によるエビデンスということです。客観的な理解というのは、極論すれば、言葉です。

(H)

体験しない人に言葉で伝えるのは難しいでしょう。

(W)

その通りです。

しかし、ブログを出すというのは、その難しさにあえてチャレンジするという面があります。難しさを、少しでも減らすために、二つの視点が有効と思うのです。

(H)

そんな難しいことをやらなければならないのだったら、私は、一人でも多くの人に実際に「アンビバレンツの受け入れ」を体験してもらう苦労をしたい。

(W)

うーーん。まあ、まあ。そう言わずに。

体験した人にも全く関係ないことでもありません。体験し大きな気づきがあり大きな開放があっても、それが瞬間的なことで終わってしまう弊害があります。大きな気づき大きな開放があった結果、家族などとの人間関係が改善し、自分自身の生きやすさが生じても、そういう結果物、そういうお土産(おみやげ)だけで満足し、自分に何が起きたのかを検討しようとしない弊害があります。私は不満ですね。

(H)

確かに、ニコニコして明るくなり、楽しそうに、いろいろな改善を報告して来ても、なぜ、そのようなことが起きたのか、振り返れない人もいますね。私だって不満です。なにやら浅い感じがします。

(W)

そうです。振り返って検討することは大切です。客観的な理解は必要です。

(H)

そのために二つの視点が必要ということでしょうか。

(W)

はい。

ベビーブレスと同じように自己を深く探求するものとして禅仏教(禅宗)があります。宗教ではありますが、ほとんど心理学に近い感じです。禅宗の本で、修行僧が「道でブッダにあったらすぐに殺せ」という話がありました。宗祖様を殺せとは・・。宗教を超越する雰囲気があります。重要なのは宗祖様ではなく自己ということです。もう一つの視点として有力です。

(H)

わかりました。

それでは、禅宗の悟りとの類似と相違、お願いします。

[Ⅰ]類似

(W)

まずは「類似性」です。

アンビバレンツの受け入れによる解放と、禅の悟りとは、際立つ類似性があるように思われます。4つくらいありますかね。

(H)

ほー。

(W)

といっても、私自身が悟りを経験したことはないので、禅の悟りの材料は、書物です。

経験していれば、もっとたくさんの類似点を挙げられるのかもしれません。これは想像ですが、無数に挙げられるのかもしれません・・。

(H)

ほーほー。

(W)

一つ目は、突然やってくること(①)。これが似ています。

ベビーブレスを中心としたアコールのセッションでも、母親へのアンビバレンツを観るために、カウンセリング、ベビーブレス、寸劇などいろいろ行っていきます。アンビバレンツの概念は、理論で理解できます。自分の成育歴も、文章化できます。過去の母親との係わりを調べることができます。

(H)

仏教でも、身しらべというのがあるようですね。

(W)

あなたは長い間、似た行をやってきましたね。

(H)

はい

(W)

アコールでもいろいろ行いますが、しかし、それらは準備にしかすぎません。実際に、その人がアンビバレンツを観て受け入れ解放されることは、突然にやってきます。

(H)

そうですね。ある時、潮が満ちるように、ね。

(W)

禅の悟りも、些細な物事をきっかけに、突然やってくることが知られています。この辺りは、書物にいろいろありますね。

(H)

ほうきで掃いた小石が、竹の幹に当たって、コーンと音がした瞬間に悟ったとか。

(W)

それは有名ですね。禅寺の美しい庭が想像されます。おしゃれなほうです。悟りの瞬間をたくさん集めた書物によると、便所で小便をしていてブクブク泡が立った瞬間に悟った、とかいうのもあるようです。

(H)

・・・・・。

(W)

なぜ突然くるのか。

(H)

毎日セッションしていて、クライアントの抵抗と対面している側としては、抵抗が突然に崩れ落ちる感じは、なじみがあり、違和感がないのですが・・・。

(W)

はい。

脳の中がどんな風に突然変化するのかも興味があります。想像しかできませんが、神経細胞がつながっていき、ある瞬間に必要な電流の臨界に達するのかもしれません。

(H)

むむ。

<以下は次回に続く>

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