辛さの奥には辛さを感じる健康さがある|セラピーの現場から(698)
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長い間、ブログをお休みしていました。ホームページもアクセスできない期間がありました。
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サーバーの引越しだったんですね。
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そうなんです。自力でやれる部分を増やそうとして、一応、自主管理ということでやろうとしたんですが、難渋しました。
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今は、トラブっていることはないのでしょうか。
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はい、おかげさまで。
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ブログも頑張ってくださいね。待っている人も多いと思います。
さて、今日は、「自分の辛さが分かる」ということを話したいと思います。例えば、自分自身の生き辛さ、人とのトラブルなどの、辛さ。
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いつも、内輪で話題になることですね。
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そうです。話題になる理由は、そこに二つの方向があるからですね。一つは、辛さから逃げてしまう。責めることはできません。もう一つは、辛さが分かるということは、ある理解がそこにある。逃げない。
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快、不快で、苦痛から逃げるのは、当然と言えば当然ですからね。でも、逃げてしまうと、セッションの進みが悪くなってしまう、という愚痴も出てしまうのですね。
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はい、愚痴が出ます。
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本気で逃げる時は、本人は、逃げたという意識は無いですね。
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重症なほど、無いですね。「こんな辛いこと、いやだ~、逃げてやる」というのは意識がありますから、重症ではありません。重症なときは、意識がなく、ケロリとしています。自分が逃げたことを知りません。
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戻すのが大変ですね。「・・・逃げてやる」は、逃げることが話題になっていますから、楽ですよね。ケロリは、そもそも逃げたことをどうやって話題にするのか、から工夫しないといけませんね。
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そうです。
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そもそも、人は、辛い状況にあっても、これが普通と思うかもしれない。セッションを受けて、回復したときに、こんなこと!(回復した状況への感慨)が起きるのかという感想を持つ。それからすると、あの状況は普通じゃなかった。すごく辛かった。それで初めて分かる。それまでは、本当の意味では、けっして、分からない。
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そう。
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回復が起きないうちには分からない。
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う・・・ん。いえ。
辛いということは、実は、分かっている。ぼんやりさせているかもしれないけれど、分かっている。分かっているからこそ、辛い。辛さの奥には辛さを感じる健康さがある。
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辛さを感じる健康さこそが、治療の始めに、治療を進める原動力になる、ということですね。
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はい。治療が進み、辛さの原因を見抜いたときに、自分は健康であったことが強く分かる。自分は始めからこうだった。健康だった。ちょっと病んでただけだ。
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治療のためには、その辛さこそが、救い。そこが今日の話ですね。
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辛さの手前で、辛さを否定すれば・・、辛さなんてない、これが普通、人並みと、いうことにすれば、自分への嘘つきにならざるを得ない。嘘つきの人生。分かることは健康。辛いと分かることは健康。
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