親に感謝しろ!宗教との対比|戒律がないとだめ?|セラピーの現場から(694)
宗教との対比
「H」
私達のベビーブレスでは、フォーカスする部分が、主に母子関係が中心になりますね。それも愛憎のアンビバレントに重点がいきます。
「W」
そのことについて・・。
母親へのアンビバレントに特化されると、何か定められた方針があって、それに沿って活動しているようで・・、予め定められていることに対して批判も生まれるかもしれません。
「H」
型に嵌めると・・?。しかし、これは何か方針というよりも、長い間にベビーブレスで人の心の奥を探っていった結果です。何十年も探ってきた結果です。その自然な事実として、トラブルの中心にはそのような部分が存在しており、その中でも重点はここという、当然の流れであったということですからね。
「W」
それに、人のこころへ精神分析的な探求をすることとも関係します。
「H」
関係しますね。ベビーブレスを利用して、自分で自分の心を科学し、自己分析して、一体どうなっているか、と。どうなっているかを自分で理解し納得できれば、洞察が起きてトラブルが自然と改善する。これ以上に根本的なセラピーはないのでは・・・。
「W」
その通りですが、批判としては他にも、大恩のある母親への憎悪を正面から扱うことなどです。「母を憎悪するとはけしからん!」と。
「H」
批判は避けたいので、あらかじめ話しておきたいということですね。
「W」
そうです。
宗教などとの違い、どうあるべきかではない。どうなっているか、ということです。「どうあるべきか」は人間性の抑圧につながり、「どうなっているか」は人間性の理解、解放につながります。
「H」
まったく。
「W」
例えばいろいろの宗教は「親に感謝しろ」という。
「H」
宗教にはいろいろな戒律があります。それは、たくさんの戒律がないとそもそも歯止めがきかないのだろうなと思ってしまう。必要でなければ存在しない戒律です。
「W」
そうです。人々を抑え込みにかかります。戒律がないと、まるで宗教が成立しないかのようです。
それらの宗教は残れたものだけが残っている。優れていてもつぶれていったものも山ほどあると思います。生き残れた事情として、人々に支持されたということもあるのだろうけれども、それよりも、治世する側としての国に認められたということがある。国が認めるということは倫理や道徳、治世しやすさと折り合いをつけた宗教だけが残っているということです。裸の宗教はつぶれてきたはず。原始仏教や原始キリスト教は、国との整合性がないので、今は生き残っていない。ブッダやキリストは生きていれば殺されます。
「H」
生き残っている宗教は人々や国に支持されたということですが、表面的にはそうでも、本当に支持されたのでしょうか。生き残った宗教が本当に人々に役に立つのならば、今の世の中の心のトラブルは、いったいなぜ起きているのでしょうか。恐ろしいようなトラブルが山ほど続発しています。
「W」
そのことを言いたかったのです。
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