なぜ参加しているのか|「病識」|セラピーの現場から(666)
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カウンセリングやセッションの成否を左右する要素は色々ありますが、最も初めの段階にある要素が、参加者の「病識」の有無です。
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当面の成否を左右しますね。
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「病識」というのは、本来は、自分が病気であることを認識していることをいいますね。ここでは、なぜ、カウンセリングやセッションに参加しているのかの理由の認識ということになります。対人関係や自分自身の問題など、抱えているトラブルにはいろいろありますが、ご自分の中に解決を探る姿勢が、ある人とない人と大きく分かれます。
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分かれますね。
トラブルの原因は他人に在って、自分にはない、というのが一番大変です。それが本当であれば、ご自分への心理的なカウンセリングやセッションは必要ないはずです。
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しかし、カウンセリングやセッションの費用を払い、会社を休み、交通費を出してやって来ているわけですから、何とか、自分の中に解決を探ろうとしているともいえます。
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そうです。
ところが、カウンセリングやセッションを進めてみると、自分の中をなかなか観ることができず、固く他人のせいになっていることも多々あります。そうなると、お互いに苦しむことになります。
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つらい状況ですね。
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カウンセリングやセッションをリードさせていただく立場としては、こちらの力量不足も絡んでくるので難しい問題です。その問題に触れないわけにもいかず、痛し痒しです。愚痴も言いたくなりますが、自分の力量も振り返らなければなりません。
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難しいですね。
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例えば家族との人間関係や職場の人間関係に困っているときに、その夫や上司が100パーセント悪いのであれば、必要なのは、弁護士や警察かもしれません。そのような良くない人間関係の中で、ニッチのサッチもいかなくなるのは、なぜでしょう。人によっては何とかなる人もいるはずです。困り果てて生きづらさを認識するのは、やはりご自身の心の中に傷があり、その傷に触れてしまうからではないのだろうかと、探る必要があります。参加者が、傷を探る姿勢になるまで、待ち、辛抱し、促進しなければなりません。それが力量というものでしょう。しかし、とてもとても難しいです。
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まったく本当に。
将来その傷を理解でき成長できれば、良くない人間関係の中でも何とかなるかもしれません。というよりは、そのような人間関係の中で、逆に、頼りにされる人になってしまうということが多いのですが・・・。
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カウンセリングやセッションの初めには、そんなことは想像もできないでしょうから、こちらも正直のところ困ります。
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病識が無く他人のせいになってしまうというのは、ある意味、無理もないかもしれません。例えば人間関係に対応できない心の傷も、結局は、幼い時の養育者(母親)からの影響があることがほとんどなので、人(養育者(母親))のせいということになります。
*(注、養育者は母親に限らず、父親、祖父母、親戚、義理母、施設の担当者などいろいろなケースがあるでしょうが、もっとも一般的で決定的な影響力がある母親を例にします)
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つまり、認識ですね。養育者のせいということが認識されていれば、立派に「病識」はあることになり、セッションもスムーズに進むことでしょう。
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幼い時の養育者は、その人にとっては生きる基盤のようなものですから、その認識は簡単ではないということでしょうか。
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