スタッフ対談|憎悪はダメ|セラピーの現場から(664)

スタッフ対談

<W>
今回は、愛憎のアンビバレントについて、少し話したいと思います。
<H>
分かりました。
<W>
ブレスワークを通して分析すると、母親への愛憎のアンビバレントが事実として出てくるのですが、社会的には困ったことにもなります。「愛」の方はいいのですが「憎」が困るということです。
<H>
困るというのは公に話しにくいということですか。
<W>
そうです。
精神分析にでも興味がある人であればそういいうこともないのでしょうが、一般的には、特に日本社会のように儒教の影響が残っている社会では、困ります。大恩ある自分の親への憎悪を当然のように扱うのは、道徳的に非難されがちです。「愛」「憎」ともに事実なのですが、道徳的には「愛」の方はいいのですが「憎」が非難されます。
<H>
確かに、子供さんがセッションを受けに来て、費用は親御さんが出す場合など、親御さんへの憎悪を当然のように扱うのは、ある意味、気が引けなくもないです。しかし、事実はは事実。だから回復が期待できる。道徳は抑え込んで悪化させることになります。親御さんも、またその親御さんへの愛憎が事実としてあるのですから、説得できます。私は腹をくくっています。
<W>
なるほど。
しかし、儒教の影響は親御さんなど社会だけではなく、セッションを受ける本人の中にもあります。心の中にあります。自分自身によって「愛」の方は受け入れられ「憎」が非難されます。
また、儒帳だけではなく心理的にも「愛」はよく「憎」はダメです。
<H>
本人の心理であれば、そうです。
<W>
心理的に「憎」はダメというのが多数派なので、やはり社会的な困難性もあるのではないかと思います。
<H>
さて、セッションを受ける人が「いい人」であればあるほど、愛憎のアンビバレントのうち、否定的なものである憎悪は隠されます。そして、その隠された憎悪を認識することがカギになります。
<W>
憎悪は認識されにくいということですね。
<H>
はい。
愛憎のアンビバレントのうち、都合の良い方の愛され愛しという面を強調して、なんとか生きていこうとします。しかし、残念なことにうまくいかない。隠されたものがあるから。隠されたものは必ず悪さをする。心理的な不具合の原因となる。始めは分からないけれども、セッションが進み、アンビバレントが統合されて初めて納得がいくことになります。
<W>
憎悪は認識されにくい理由を詳しく説明してください。
<H>
憎悪は否定的なもので嫌われてしまう。憎悪の先は、行き着くところ、生きていけない破壊的なもの、死が待っている。だから認識したくないのです。
<W>
憎悪の行きつく先ですね。
<H>
憎悪そのものが意味するところもそうです。認識したくない。認識しようとすると、憎悪を作った傷、心の傷を見ることになってしまうから。例えば乳幼児期の辛い心象風景を思い出してしまう。心の傷を癒すことなく、自分の憎悪を観ることは難しいです。
<W>
どうすれば心の傷を癒せるのでしょうか。
<H>
心の傷は再体験する事で初めて癒される。
再体験とは、自分で自分の傷をわかってあげること。そのことで初めて癒される。隠された傷は癒されないまま温存されます。
<W>
再体験ですね。
<H>
再体験は難しい。なぜなら、心の傷が痛むから。心の傷を扱う事は辛く嫌なことだから。

<W>
でも鍵は再体験ですね。
<H>
そう。再体験された自分は、ありのままの自分とか、等身大の自分とか、素の自分とかいう。まさにそのこと。
<W>
癒しと痛みは同じところにあるようですね。行きつく先の死はどうなるのでしょうか。
<H>
いつの間にか経験されます。できてしまえば、それほど怖くはありません。
観る事は、辛いことであり、同時に癒しです。

ヒーリングと言って、美しい音楽を聴いたり、いい香りをかいだり、いろいろなことが行われますが、傷を観て本当に癒された後は、良い音楽や良い香りは必要でなくなります。すべてのものに癒されます。
<W>
はい。
<H>
心の傷を見る事は、本当の自分を知ること。本当の自分を知れば、本当に生きることができる。本当に生きることができれば、死ぬことが怖くない。そうゆうふうに進みます。

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