386 怒りとは違うエネルギーが出て・・・

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死自体をテーマにしている感じ。前回のセッションは、母親を殺して、自分も殺して討ち死にするような死。母からの圧力に対する反発、怒り。怒り狂う。エネルギーを外に向け怒りを出す。溶けていくような心地よい死。夢の中みたいだった。多分もっと内側は、怖すぎて、どこかに行っちゃう。
でも今回のセッションではそれは嫌になっていた。満足しない。もっと内側。でも前回よりずっと怖かった。昔そうだったように、過呼吸になって、怒りを出してそこから逃げようとする。
内側の、殺す対象のない死は、自分が弱くなっていく、蝉の抜け殻のような死。いやな死。母親の言うなりで自分の意思とは違う死。「諦めの死」とでもいうべきか。それが抜け殻の感じ。弱いのを受け入れられない。弱いのが嫌だ嫌だとなった。
その弱い中へ1歩1歩入っていく。歩くとき、一歩踏み出すのも怖いし、踏み出したいし、踏み出すと嬉しいし、悲しいし、一人なんだと感じる。怒りとは違うエネルギーが出て歩いている。
まるで初めて生まれた子供が、自分の足で歩んで、弱さの中へ入っていく。誰もいない死のようなこの世で、生きていく覚悟をするかのように。死と生の融合のような感じ。
最後に倒れ込むとき、どんどんどんどん小さくなってくる自分。その中で自分の中で、弱くなっていくことが、認められない。ただ小さくなって行き、素晴らしさもなく、抜け殻のようだった。ただそこに私が横たわっている。どんよりして起き上がれない。
翌日のセッションでは、どんより感の悪いのが取れた。重たい感じは、目眩(めまい)を感じて抜け殻を感じていたら、しゃんとした。

 

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