341 「太陽のめざめ」その2

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先日「太陽のめざめ」という映画の話をした。最後はハッピーエンドを予感させる終わり方だが、実際の話ならば、そうはならないだろう、描き方が不足だと話した。
しかし、感心する描写もあった。主人公の札付き不良少年には、更生させるために、裁判所から教育係が付けられる。この教育係の男も昔は少年と同じ不良だった。今は立ち直って教育係になっている。しかし、少年から憎悪に満ちた激しい反抗を受けるうち、自分自身の憎悪に火がついて、逆に、少年に暴力をふるう。少年は「俺よりこいつの方がワルだ」と叫ぶ。表面は立ち直って見えても、憎悪には憎悪が呼び起される。憎悪そのものは手つかずで残っている。リアリティーがある。
もう1か所。少年は不良になり初めの頃、自分の人生を狂わせた母親に向かって叫ぶ。「子供はおもちゃじゃない。」ところが、少年が恋人の妊娠を知って、子供を産むかどうか悩んでいるときに、逆に母親が少年にやさしく(切ないほど気持ち悪い)全く同じセリフを言う。「子供はおもちゃじゃない。」
母親は、幼い頃の少年を育てるときには、乱暴なひどい母親として描かれ、長じて立派な不良少年になったときには、オロオロする愚かな母親(被害者)として描かれ、少年が若い父親になろうとするときには、ありふれた浅はかな大人として描かれる。本当の原因が分からず、一生懸命ではあるが表面的にしか生きれないと、そうなる。リアリティーがある。

 

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