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怒り狂っているお母さんの顔の記憶が欠けている|セラピーの現場から(658)

○どうも自分はお母さんから虐待されて育ったようだ。そして自分のこども達を同じように虐待してきた。そう考えると納得できる。自分が虐待された時の怒り恨みを溜め込んでいるはずだ。その溜め込んだものを、本当に出したいが、本気が足りないことがわかってきた。今回、本気でやったら、恨みの母親を殺し、恨みの自分も殺せた。その後、愛おしさ寂しさが現れた。
○事前に、怒り恨みを本気で出すために、自分を虐待し怒り狂っているお母さんの顔を絵に描いて見ようと思った。が、どうしても描けない。記憶が欠けている。そこでこども達を虐待しているときの自分の顔を、こども達に頼んで描いてもらった。見事に描いてくれた。怒り狂っている顔だ。こども達は具体的に描けるのが良いなと思う。私よりは自由だ。
○この自分の顔の絵を、お母さんの顔としてセッションをした。この絵とか思い浮かべてて(イメージの母親を)殺すことができた。死んだ感じがあったので、(母親を)可哀想だなと思って泣けた。
寂しい、一人だな。お腹の中でもさみしいな、全てに寂しい。寂しさに対して恨みがあって、恐怖もあって、母への恨みというより、自分の寂しさからくる恨み。恨みの自分を殺したくなる。
恨みを、動けなくなるくらい枯れるまで、やってやろうと思った。恨みの自分を(イメージの中で)「殺してやる」と本気でやれた。そしたら死にそうになる直前で恐怖が来て、「死にたくない」になった。そして苦しくなって、「殺してくれ」になって、恨みの自分は死んだ。
今まで、生きるのに恨みを支えとしてきた自分だったから、死んだら(自分が)可哀想だった。寂しいから恨んで、恨みが支えで生きて来た。恨みの自分が愛おしくなって来た。死んで平和になった。途中で悲しくなってきた。泣いて、途中から「生きていこう」となって、恨みがないけど「生きていこう」前に「進もう」になった。気持ち良かった。

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