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怒りがあまりに激しいため感情が伴わない|セラピーの現場から(646)

○セッションでは、閉じ込めた怒りを、感情を伴わずに、イメージで扱っている。怒りがあまりに激しいためかもしれない。それでも進むにつれて、改善が起き始めている。
○セッションでは、保育器が出てくる。新生児の時に、親の都合で長い間、保育器に入れられたことが大きな傷になっていて、その傷の象徴が保育器だ。今までのセッションでは、保育器の外側に両親がいて相談している。仕事が忙しい時なので(新生児=私を病院に)「預けちゃおう」と言う話をしていた。私は聞かないふりをして静かにしていた。しかし、この保育器は私を入れたまま、レールの上を走り、焼却炉へ投入される運命だ。
○今回のセッションでは、静かにせずに、保育器の中で(嫌だと)暴れていた。その状況を両親も見ている。感覚的には(言葉にはならないが)私は「こんなところに入れやがって」と怒っている。
○親の都合で新生児を無慈悲に扱う雰囲気が、別の場面では、祖母が残飯を無造作に窓から捨てる光景につながる。鍋の残りを捨てる。その残飯を捨てるように私は保育器へ捨てられた。祖母から母へ、そして私へと伝わる雰囲気だ。
○私の怒りが燃え上がる。今度は、私の方が捨てる番だ。窓際で母と祖母を捨てようとしている。彼女らは窓枠にしがみ付く。蹴ったり押したりしても、しぶとく、なかなか落ちない。窓の外は霧が立ち込めて見えない。落ちないでいて、ナタがあったので、しがみついている手や足をナタで叩いた。ひたすらやってなんとか外に落とそうとしている。指とか下にバラバラ落ちている。指のなくなった手首だけで戻ろうとしている。許さない。激しい憎悪だ。さらに叩く。もぐらたたきのよう。そんなイメージでやっていた。窓枠から入ってくる手首を外に出した。彼らは最終的にいなくなった。窓の内側に落ちている指や手を外へ投げた。気持ち悪い。
○次の場面では、自分が燃えている。怒りの象徴。灯油をかぶって全身を炎に包まれ燃えるように。燃えている自分を見て母も祖母も逃げて行く。追いかけて抱きついて一緒に燃やす。燃える匂いや髪の毛がわかる。何度もやるが、途中から母親だけは何度も生き返る。しぶとく逃げる。「どうだこのやろう」と怒ってやる。
○焼却炉のイメージと関係があるのか、私は、火の中に入れられても、死ぬまで我慢できる、という気がする。(火だけではなく、私は傷みにも人一倍我慢強い。)私は我慢できるが、抱きついて焼かれるのは我慢できないだろう、この怒りがわかるか、苦しみがわかるか、どうだこのやろうと、そういうことだと思われる。
○出てきた三つの場面とも、激しい怒りがテーマだ。怒りの矛先は母と祖母、特に祖母。普段の生活では、同じような想像をしても、冷静で怒りとかはない。今回のセッションでは、怒りとして出てきた。確かに怒っている。が、全然物足りない。何度もやりたい。
○実生活は、かえって、落ち着いている。我慢している感じはない。我慢しているのではない。前よりも寛容になっている。怒りそのものが減っている。いろんなことに、だんだん我慢できなくなっている。痛みもダメになっている。

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