インスタグラムも見てください|アコールセラピーの休憩(735)
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[母親に対する依存と殺意の一体構造]
小さな子供が健康な母親に育てられるとき、完全な一体感を伴う依存を味わうでしょう。母の懐で何不自由なく天国の時間をたっぷり過ごすでしょう。そして満足した後で依存から卒業し健康な発達を遂げることでしょう。
しかし、なかなか、そうはうまくいかない。健康な母親はめったにいない。そのため十分な依存が手にいらずに、大人になっても依存的な人たちがいる。
依存と殺意は、一体のものとして、小さい子供が人生のはじめに、母親に対して形成するもの。母親から十分な愛情をもらえなかった子供の感覚として、母親の中に良い母親と悪い母親がいる。悪い母親への殺意をあらわにすると母親全体を失ってしまう。母親に嫌われる。母親を失った子供を待っているのは、一人ぼっちの死である。耐えられない。そこで悪い母親への殺意を隠し、良い母親への依存を失わないようにする。しかし殺意を隠し持っているので、一体性のある本当の愛情を獲得することはできない。依存しながら殺意を隠して付き合うことの不満足さは、母親に対してのみならず、その後の他の人間に対しても、受け継がれる。
[他の人間に対する受け継ぎ]
依存と殺意の一体構造は、大人になったのちも、持ち続ける。どうしようもない母親には見切りをつけて、新しい、より好ましい人間関係をつくろうとしても、他の人間に対して、依存と殺意の一体構造は、気が付かないうちに維持され、それに伴う不満足さは受け継がれる。
すなわち大人になっても、奥深くでうごめく一人ぼっちの死を避けるために、最も好ましいと思われる誰かに依存する。母親の代わり(依存対象)だ。会社の上役、夫、カウンセラー、子供。しかし依存によって満足するのは、感受性を失っていない小さな子供が、健康で好ましい母親との関係で、完全な一体感を伴う場合であって、大人になった今となっては、相手にとっては迷惑な限りであろう。あるいは病的な相互依存をなす。不満足はどこまでも続く。
その人の感覚が鋭く、運が良ければ、あるとき追い詰められる。何か(殺意)を隠したようなそんな生き方は嫌だ、という気持ちが強まる。殺意は依存対象へ向かう。もともと母親へ向かうべきものが、せき止められており、現在の依存対象を襲う。
その時、殺意を放出する本人が、内面の一人ぼっちの死を恐れないほどに勇敢であれば、依存から抜ける。ブレスの中で殺意を表現し「一人ぼっちの死」に入っていくことができて「これで初めて生きていける感じがする」というのは、ニュアンスは異なるけれども、よく聞く感想である。
「生と死のエネルギー」
依存的な人たちは、昔、十分には手に入らなかった愛情(依存)を、今、何とか手に入れて生きていこうとする、生のエネルギーを中心とする人たちのように思えます。ある人は自分を見抜いて自嘲的に「愛情乞食」と言っていました。一方で、一人ぼっちの死を拒否し、そのために殺意という大きなエネルギー(死のエネルギー)を隠さなければなりません。それが、一人ぼっちの死を受け入れたときに、それまでの生のエネルギーに死のエネルギーが補われ、生と死のエネルギーが統合され、自分の本当のエネルギーを手に入れるのだと理解できます。
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白鳥の話2(つづき)
[4.守る親白鳥]
白鳥の両親は、いつもヒナを守っていた。
私が、一家へ必要以上に近づくと・・・3メートルくらいかなあ・・、父白鳥がこちらに向かってくる。真っ白い両羽根を、肩を怒らす様に持ち上げる。ノッシのっしと歩いてくる。別に、パンが欲しいわけではない。歯がない口ばししか持っていないのに、・・やってくる。ごめん、ごめん。あわてて後ろへ下がるしかない。
あるとき、白鳥が子育て中であるという事情が分かっていない人が、飼い犬を連れて散歩にやってきた。犬が20メートルくらい近くになったときに、父白鳥が無言のまま動き出した。犬に向かってノッシのっしと歩いていく。犬は、・・・逃げた。本気の戦いなら、白鳥は勝てるはずはない。首が細い。口ばしが小さい。歯がない。でも気迫勝ち。
人や飼い犬は、ヒナを襲わない。でも野生の肉食の生き物は、違う。襲って食べる。生きるために食べる。人が見ても、小さなヒナはかわいらしく、おいしそうである。ときどき白鳥の両親がともに、急に、首を上げて動きを止めることがある。上空にトビがいる。カラスがいるときである。
[5.生存の厳しさ]
私たちが初めて、一家に会ったときは、ヒナは3羽だった。地元の人によると、ヒナは、はじめは6羽くらいいたらしい。「狐ではないか」ということだった。ある朝さらに、2羽に減っていた。周りを見ると、近くの木に複数のカラスがいた。木の近くの屋根の上に、何かがある。屋根に近づいてよく見ると、はっきりしないものの、大きさや色が、それらしかった。湖畔には、白鳥が隠れる適当なものがない。上空から襲われたら防ぐのは楽ではない。あの父白鳥がいても、守り切れるのは2羽くらいかもしれない。それで湖の白鳥の数は、そこそこに維持される。
意外なことがある。犬にさえ向かって行く白鳥が、さっさと退散することがある。一家が急に目の前から移動しはめるので、何事かと思い、よく観察すると、遠くから、他のつがいの白鳥がやってきていた。距離は100メートルもあるかと思うほど遠かった。白鳥同士なので仲よくすればいいのに、と思うけれど、違う。ほかの動物でも同じようなことがある。同じ種の群れ同士が出会うと激しい争いになることがある。草食、肉食を問わない。多分、食べ物や生きるために必要な環境が重なるので、他の群れを追っ払う必要がある。あるいは追っ払われてしまう。子供(ヒナ)がいるときには、子供が殺されないように、さっさと退散するに越したことはないのであろう。
[6.ヒナの成長と家族の終了]
私たちが出会ったのは、6月ころだった。片手の平に乗るくらい小さかった。一口サイズ。かわいかった。会うたびに大きくなっていった。片手では難しそうになり、近くのカルガモを超える大きさになり、両手でやっとだろうなと思えるくらいになり、あれよアレヨと、大きくなった。
ヒナは増々かわいくなり、4羽家族の居る風景は、しみじみ愛おしかった。あるとき、4羽家族は、ワカサギ釣りの屋形船がつながれている木の下に、いた。木の周りは、柔らかそうな緑の草が、芝生のようにふわふわと生えていた。その上に、4羽家族は幸せそうにうずくまっていた。ヒナはもうカラスには簡単には襲われない大きさになっていた。親白鳥の安心が伝わってきた。就学前くらいの男の子が走ってきた。白鳥家族を見つけ、赤ん坊を抱っこしたお母さんの手を振り切って、木のところまで来た。白鳥家族のすぐ近くに来て、「天国みたい!」と大声で言った。そう、まるで天国みたいだった。
親白鳥の半分くらいの大きさになっても、羽根の色が薄い茶色なので、遠くからでもヒナだとわかった。このころ、両親白鳥は、ヒナに遠慮せずに食パンを食べた。
親白鳥とほぼ同じ大きさになっても、色は、茶色と白のマダラ模様なので、ヒナだとわかる。
マダラ模様になる少し前あたりから、父白鳥はいなくなっていた。母白鳥はその後もかなり一緒にいた。近くにいるので、母白鳥だろうな、と思うだけで、母白鳥らしいしぐさをするわけではない。他の白鳥かもしれなかった。そのうち、マダラ模様の二羽のヒナだけで堂々としているようになった。母白鳥が近くにいるのかどうか、わからなかった。私には見分けがつかない。どこかへ行ってしまったかもしれない。11月になっていた。マダラ模様が完全に消えて、真っ白になるころ、この二羽の兄弟も、互いに独立して、他の白鳥とつがいになるのかもしれない。
[7.健全さの違いは何?]
成長したヒナだけで堂々としている様子は、自然界の親離れを感じさせますね。ヒナを守るために犬にも向かって行っていた父白鳥が、いつの間にかいなくなり、エサをヒナに譲っていた母白鳥も、やがていなくなる様は、寂しいようで、健全な子離れを感じさせます。この健全さはどこから来るのでしょうか。本能に過ぎないと言えばそうでしょうが、人間だって本能は持っています。違いは何なのでしょうか。
推測します。
白鳥は人間よりも自由に生きています。つがいになる相手も自分で選ぶでしょう。自分の気持ちを感じ相手を感じ、感じるままにつがいになります。誰にも強制されません。誰へも忖度しません。生まれてきたヒナは、だから、「とてもかわいい」と親白鳥は感じるでしょう。かわいいヒナには、命をかけ、エサも譲って、後悔はないでしょう。気の進まない結婚をして、いやいやながら子育てをする人間を、白鳥はなんと思うでしょう。
(おわり)
白鳥の話1/2
[1.白鳥一家]
山中湖の湖畔に白鳥たちが住みついている。2021年には、ある白鳥の一家が、私たちのセミナーハウスの近くに住んでいた。両親の白鳥と数羽のヒナだった。ヒナは淡い茶色でフワフワしていた。カステラをくりぬいたお菓子のようだった。ヒナのあまりのかわいらしさに、私たちは毎朝、湖畔を散歩するたびにその一家を探した。
湖畔には、春になると、小さいおいしいサクランボをつける、背の低い富士桜の並木があった。その並木が両側を囲む小道を抜けると、目の前に湖が大きく広がり、一家が居る地域になる。片道20分くらい歩く距離で、日によって、居る場所が違った。彼らも朝は食事であちこち水草をもとめて移動するらしい。私たちは食パンをポケットに忍ばせて、ちぎって白鳥に投げ与え、ときどき私たちも食べた。
[2.白鳥の食欲]
白鳥は食パンを好んで食べる。透明な湖水に白く浮かんだパンを、口ばしでほぐしながら、水と一緒に飲み下す。たいていの白鳥はお腹を空かしていて、あっという間に食べ尽くす。そして、もっと寄こせと、水から上がる。恐竜のような大きな水かきが現れ、ノッシのっしと、歩いて、こちらへ近づいてくる。堂々としている。小さな二つの眼が正面からこちらを見据えて、やってくる。野生の白鳥だ。零下20度の山中湖の冬を、白く雪をかぶりながら身一つで過ごして生き抜く、凄さがある。
そして、パンをちぎるのに手間取っていると、すぐそこへ来た白鳥に、必ず手をかまれる。口ばしには歯がないので痛くない。でも、あまりの迫力に誰もが、小さな悲鳴を上げてしまい、手からパンを落としてしまう。落ちたパンはたちまち白鳥が食べる。思わず後ずさりしてのろのろしていると、あっという間に食べ終わった白鳥が、再び、ノッシのっしと迫ってくる。あんなに美しくてかわいいと思っていた白鳥へのイメージは変わってしまう。怖い・・・。白鳥の食欲はすごい。
[3.食べない親白鳥]
しかし、一家の親白鳥は、ほとんどパンを食べない。自分は食べずにヒナに譲る。親鳥のすぐ近くにパンを投げても、ヒナがそばに居れば、食べない。食べようか食べるまいか迷う様子はなかった。ヒナが、当然のように食べてしまう。多分、子育て中は、親白鳥は食欲そのものがなくなるのではないかと思える。
仮に、食欲が自動的になくなるとしても、人間にも同じような感覚はあるのだから、ついつい想像してしまう。親白鳥はヒナが可愛くてしょうがなくて、あまりの可愛さに、ヒナが食べるのを見ていると自分の食欲さえ失ってしまうのだ・・と。あの本来持っているすごい食欲を失うのだから、どれほど可愛いと感じているのだろうか、と。
(つづく)
あけましておめでとうございます。
コロナ禍のため、山中湖のグループセッションがなかなか再開できませんが、今年こそ再開可能になることを祈っています。
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○1月のアコールのズームミーティングは1月3日に実施させていただきました。ベビーブレス体験のシェアが行われとても有意義なミーティングになりました。ありがとうございました。
○2月のアコールのズームミーティングは、2月6日土曜日20時から22時にさせていただきます。無料で出入り自由です。ベビーブレス体験者でご希望の方は林(042-363-9948)まで御連絡ください。当日、ズームミーティング参加のためのURLをメールやラインなどで送ります。ご参加のほどお待ちしております。
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<W>
今日はYさんのインタビューをしたいと思います。
<H>
Yさんは大きな壁を突破して、絶好調の毎日を過ごしています。
<Y>
(笑)
<H>
ご自分でも、今まで経験した自分史のまとめを書き始めているということです。しかし、絶好調のせいで、新しい仕事も始めたということもあり、日常もいろいろ忙しいようで、自分史の完成は時間がかかるかもしれません。とりあえず、皆さんにご報告したいので、今日、インタビューさせていただきます。
<Y>
毎日が気力に満ちて充実していて、夜はコテッと寝てしまうんです。
<W>
(笑)
<H>
ベビーブレスを始めた頃のあなたは、全くやる気がなかったですね。
<Y>
最初のベビーブレスは、高校生の頃です。そのころ、朝起きる事が出来ず学校も遅刻するようになり、夜になったらバイトに行く…また朝が起きられないの繰り返しの私にうんざりしてました。母親に勧められて、嫌々ベビーブレスをしました。「やりゃ良いんでしょ、あなたが満足するんでしょ」とやった。呼吸もせずにただ寝ていたんです。
<W>
始めたきっかけは子育てがうまくいかないということでしたね。
<Y>
子育てでオッパイが出すぎたということもあり、オッパイを上手く吸ってくれない娘のせい‼︎とイライラして、4階から子供を放り投げるイメージが出ていました。それを思いとどまったのは私の愛情だ、と自分に言っていました。子供の大事な成長期にネグレクトが続いたことも、思いとどまった愛情の結果だったんです。
<H>
ベビーブレスなどのセッションを続けて「絶対嫌」というのが手がかりでした。重要なところで口癖のように「絶対嫌」と言っていました。何が絶対嫌なのかはっきりしないところがありましたね。
<Y>
心の傷の奥底を「絶対嫌」と言っていた。今思えば絶望だった。心の谷底へ通じる淵。とてつもなく怖かった。愛情や殺意がバラバラに存在していた。そのことが話題になっても、せっかくバラバラにしたのに何故一つにしないとダメなのと、いう感じで、ピンとこなかった。
<W>
なるほど。
<Y>
バラバラになっていることこそが、自分の存在意義の感じなんです。うまくは言えないけれど・・。いろいろの心痛やトラブルを、バラバラになったそれぞれのせいにできる。ある心痛は愛情のせい。あるトラブルは殺意のせい。傷の奥底に絶望があってバラバラにした。愛情や殺意は、本当は自分の中にあって、自分という一つのものなのだけれども、バラバラにしておくことで、全部周りのせいにできる。この私の愛情があってそうなったの!私は悪くない。私に向けられた(母からの)殺意に対して、殺意でやり返して生き抜くことが私のすべてだった。怒りでやり返すことが自分の存在意義だったんです。
<H>
激しい怒り(殺意)がありました。絶望を怒りで追い払うというか・・・。
<Y>
ところが、絶望を手に入れたら怖くない。絶望を手に入れたとき「私、解った!」と叫んだ。何度も叫んだ。その感覚を説明するのは難しい。これこそが本当の私の存在。生きていても存在がある。死んで体が無くなっても私の存在がある。
<W>
バラバラのものが一つになることが、谷底淵の絶望だったんですね。
<H>
Yさんの描いた絵はそう言っているようにみえますが・・。
<Y>
そこのところは未だによく言葉にできないんです。「解った!」という感覚ははっきりしていますが、感覚のままなんです。
<H>
「解っ」てみると、生きることも死ぬことも私だ、という感覚なんですね。
<W>
言葉による説明を越えていますね。絶望が嫌だったのでバラバラにした。絶望を手に入れたから怖くない。そういうことになりますね。
<H>
今のYさんは以前にくらべ堂々とした美人で別人のようという人もいます。美人の度合いがますますパワフルになって、そばにいると、こちらも元気になります。
ご自分で意識するのは難しいかもしれませんが、どう変わったか、教えてください。
<Y>
私は、死や病気に対して人並み以上の恐怖があったんですが、最近の乳がんの検診でビクビクしない自分がいました。それまででは、あり得ない感じです。今までだったらパニックになっていました。持病の足爪の治療も怖くなくてできた。
仕事も新しく二倍にしました。やりたいんです。新しい仕事の指導を受ける時も「緊張していないね」と言われました。古い仕事の仕事場でも、自分は楽になっている、と感じています。そのせいか、同僚に「やっと心が開いたのね」と言われてしまいました。
<W>
子供さんへの気持ちはどうですか。
<Y>
子供を憎たらしいと感じるのは消えてきました。でも全て消えたというのではなく、突発的に子供へ怒りを感じることもあります。そのときも「私の殺意だ」と分かる。認識できるので楽です。今までと違います。そのため自分にも子供にも隠さなくて良い状況になっています。今までは子供への殺意を隠していたので後悔したり、子供の事を思うと切なくなり、辛かったです。
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どうにもならない母親|自分が切り替わる瞬間4パターン
「W」
今日は、どうにもならない母親に立ち往生していた人が、あるとき切り替わる瞬間があり、突破口へ向かうという話をしたいです。
「H」
外向きから内向きへ、ですね。
「W」
それはそうですが、そう簡単に言っていただくと、なにやら企業の研修会のスローガンみたいで・・・。
「H」
これは失礼。
その切り替わる瞬間は、こちらから見ていると劇的な瞬間とも言えますが、本人は只々起きてしまうことで意識がないようにも見えたりします。
「W」
そこを意識化できれば・・、言語化できればと、思います。
ベビーブレスを進んでいくと、例えば、次のような経過をたどることが多いですね。始め、出なかった感情を出せるようになって、その感情の中には激しい怒りがあることに気が付いて、怒りの元になる心の傷があることが分かり、その傷が母親から来ているがはっきりしてくる。同時に、母親もまた、その母親(祖母)から傷を受けていることを理解するようになる。
「H」
はい。そのあたりまでは、順調な回復とともに進むことが多いように思われます。
「W」
それでも納得できなくて、どうにもならない母親をなんとか変えようとし、エネルギーは外側へ外側へと向き、それが叶わない怒り悲しみ恐怖にとらわれる。
「H」
怒り悲しみ恐怖に絡め取られて身動きができず苦戦する人が多いですね。心理的なトラブルの本質的な部分です。
「W」
本質的であるから辛さも辛い・・。
「H」
逃げる人もいる。
「W」
こう着状態、立ち往生。
「H」
逃げずにスーと通って洞察が起きる人もいるのですけれどね。逃げるか逃げないか・・。と言うより、あの違いは何でしょうね。
「W」
まったく。分岐点ですね。
それまでは、母親が変わらないという怒り悲しみ恐怖のど真ん中に居た人が、そうではなくて、母親をなんとかしようとする自分のエネルギーそのものに気持ちが向く事がある。切り替えが起きる。そのエネルギーが自分そのものである。傷を負ってどうしようもなくなってしまった母親は、関係がなくなる。
「H」
本当にね。
「W」
怒りのようなエネルギーが出ているという状況は、こちらから見ていて、この2つは非常に似ている。が、切り替えが起きる時、何かが大きく変わる。180度異なることになる。
「H」
その切り替わる瞬間は、人によっていろいろあるように思えます。
「W」
いくつかパターンを上げます。
パターン1
自分に愛情くれない憎たらしい母親が、傷を負った1人の悲しい女性と見えた瞬間、それが起きることがある。
「H」
母親も自分と同じだ、とね。
「W」
パターン2
自分の母親が、仮に、傷を持たず健康な人であったならば、自分は愛されたであろう、その愛された自分はどのようなエネルギーを持つか想像するときに、それが起きることがある。
「H」
起きた人は、体が熱くなるようなエネルギーを感じますね。
「W」
パターン3
どうにもならない母親の事をどうにかしようとして悩み続け苦しんだあげく、「あーめんどくせ」となって、それが起きる瞬間がある。
「H」
子供の側からの突き離しですね。「あーめんどくせ」は個人の例ですけど・・。
「W」
パターン4
怒り悲しみ恐怖にとらわれている自分の、その「恐怖」の真っただ中へ入れたとき、それが起きることがある。
「H」
一番逃げたかったところへ入るという・・。究極の切り替えといっていいかも。
「W」
4つもパターンを挙げました。
言葉を変えると親離れの瞬間とも言えます。「親離れをしなければならない」「私(自分)を受け入れなければならない」と、そういうふうにも言えるかもしれない。しかしそれは全く役に立たないですね。何々「せねばならない」は役に立たない。何かを「理解する」「何かが理解される」。その瞬間に何かが変わる。理解が洞察ですね。
「H」
その理解がなされるために必要なものがあります。怒り悲しみ恐怖に苦戦する体験です。その体験を避けたら、結局は逃げになり、理解も洞察もないでしょうね。
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スタッフ対談
<W>
いろいろな心理的な不具合が、心の傷を、押し込めたり、無かったものにしたりすることで、起きてくる。そのことは、ブレスワークを通して心を分析する現場では、ほとんど明らかなように思えます。そして、心の傷の正体を自身で自覚できることで、不具合が回復するという事実が、そのことを自明のこととするように感じられます。
<H>
そうですね。セラピーの参加者も、そのことは自覚できるようになります。でも、実際には、なかなか難しいですね。理屈では分かっていても、心が付いて行かない。そこにセラピーの成否がかかります。
<W>
傷を自覚できない、「観たくない」ということですね。観ることができれば進み、観れなければ留まることになる、と言えますね。
<H>
心の傷に触れることは辛いですから。母から本当は愛されなかったなどのことは、やはり辛いです。だから自分でも触れないように、ついつい、無かったことにするのです。
<W>
セラピーが進み、ここ一番というときに、傷を「観たくない」と明言する人もいますね。ドロップアウトするのかな、というギリギリに立つ人もいますね。でも、明言しても、本心の本心かどうかは分からない。参加者本人も分からない。こちらも分からない。そういう面があります。「観たくない」と明言した後で、かえって、どんどん進んでいく人もいます。
<H>
ほんとに観たくないのなら、観ないまま「健康」に生きていけばいい。それでは何か気に入らないし、何かがうまくない。「健康」ではなく「病気」になってしまう。そこが人間の凄いところ。ほんとのことを知りたいし自分に嘘をついて生きていきたくない。
<W>
そうですね。そもそも病気になるという事はどういうことか。奥の方では求め続けているということ、「このままではいやだ」と言っていることのように感じます。人間の素晴らしさがそこにあると思います。
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やまなかや
Kと呼ばれる人格を扱っている。Kは、皆殺しや自分殺し母親殺しを一挙に担当する、破壊的な人格。その人格Kが隠れていて、隠れているのに時々、顔を出して、問題を起こす。これが実生活上の問題となっている。しかも顔を出したことを本人が意識できない。Kがどういう理由で存在するのか、存在しなければならないのか、どのようなことがきっかけで顔を出すのか、詳しいことが意識できない。言葉で説明できない。
最近、その人格Kを絵にすることで、意識できるようになった。そして描いた絵をヒントにしてセッションをおこない、人格Kを中心とした自分の闇の部分を解明している。
***************
○セッションで母から首を絞められるのが出てきた。とともに、優しいお母さんが抱っこしてくれる場面が出てきた。抱っこしてくれるお母さんのところに行けなくて、泣くことしかできなくて泣いて終わった。次に母が幼い私に向かって、私のことは「やっつけられないでしょ」と言う。私は動けないしやっつけられない。自分の中の怒りは出てくるが母には出せなくて自分をやっつけるしかできなかった。お母さんはやっつけられない。Kのようには怒りを出すことができない。だから私の代わりに、Kは、怒りを担当してくれるのだ。
○次のセッションで、「抱っこ」(赤ん坊のように抱っこしてほしいと表現すること)をやった。Kが出て来た。他方でKが出ないように引き止める人(別の気持ち)がいる。せめぎあいの中でやった。引き止められながらも前より自分の怒りを出せた。終わったら悲しくなって寂しくなって来て、セッションルームの端の隅の方で泣くのが一人ぽっちでぴったり来た。怒りの奥には寂しさがあった。
○さらに次のセッションでは、近くにKが怒っている絵を置いていて、やった。
寂しくて泣いた。泣き終わったら、お母さんをやっつけた。寂しさの奥にも怒りがあった。怒りと寂しさは重なり合っていた。Kがやる絵のように、母をやっつけられた。母の上に乗って、若いワンピースをつけたお母さんに乗って、(刃物で)胸を突き続ける。感情もない。ワンピースも(血で)赤黒い。手も(血で)ねっとりしている。刺しても刺しても怒りは止まることがない。刺し続けても疲れない。ずっと刺していた。お母さんの表情が、最初は怖い若いお母さんで、そのあとは今のお母さんが出て来て、(その母には)感情がない。もう一つは私を産んだ頃のお母さん。ただ刺し殺している。こんな母親殺しのような激しい怒りを、今まで、出せなかったのを、代わりにKが担当してくれていた。母親殺しの近くには、皆殺しや自分殺しもある。
○そしたら、再び、寂しくて悲しくて泣いた。最初は少しずつ泣いていたが、そのうち遠吠えのように泣けて来た。泣きながら体を動かして、終わりの頃に「抱っこして」と言いながら泣いている。凄く寂しかった。
○その後、自然な感じで、肩はなで肩になったように力が抜けた。静かな中にいた。寂しいけど気分は良い。今まで引き止めていてせめぎあっていたので出しづらかったが、今回のセッションは、引き止めるものがなく気持ちよかった。今までぼんやりしていたお母さんの顔が、しっかり出て来た。
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ホームページの記事もどうぞ⇒実績紹介>ケース研究
○グループセッションでは、自分の中に大きなエネルギーが湧き起る体験をしている。その時は強く満足する。しかし後になると、なにか、満足しない部分がある。「絶対一人は嫌だ」という気持ちが強くある。頭にこびりついている。絶対嫌の中身は何なのか、自分でもうまく説明できない。そこを知りたい。
○そこで久しぶりに個人セッションを受けた。私は生後8か月のときに、両親において行かれた経験がある。個人セッションの準備として、置いていかれた時の赤ちゃんの絵を「描いて来て」と言われた。描いてみた。どうしても表情がない。顔が描けない。描くのも嫌で苦しくなった。体と頭だけを描いて持って行った。
○個人セッションの当日では、やはり、「絶対一人は嫌だ」というのが出て、自分に向かってくる殺意や自傷がでる。自分が描いた顔のない赤ちゃんを目の前にして、気持ち悪くて、可哀想でもあり、見ていられなくて、絵をグシャグシャにした。
そのうち、(自分を置いて行った)母に対する恨みと呪い殺す感じが出た。しかし、足りない。殺しても殺してもビクともしない。母を呼んでも泣いて呼んでもそこにはいない。震えるくらい恨んで呪い殺した。私自身とこんな私を作り出したみんなを殺した。隠してきた殺意が表現できたのは前進だ。
○この殺意は娘にも向いた。娘だからと言って手加減はない。昔、私は、産まれた娘に対してのオムツを変えなかった。育児放棄だ。娘は今、自閉的だ。当時は娘なんかいなくなれば良いと思っていた。娘に触れないことで、娘を、私の恨みと呪い殺しから守っていたのだ。赤ん坊の自分と、赤ん坊の娘は重なる。赤ん坊の娘と、自分の顔なしの絵がダブル。苦しい。
○恨みや呪いは表現できたのに「絶対一人は嫌だ」はまだ存在する。まだ満足しない部分がある。死を拒否しているのがあるし、生きるのも苦しいというのもあるし。もがいている感じがある。
○呪い殺す時の気持ちを絵に描いた。暗い背景に二つの赤い目だけを描いた。個人セッションから帰って、その後、その絵を全然見れなかった。しまって置いた。呪い殺す、真っ黒な背景に赤い目だった。何でこんなに純粋な(母を求めても得られずに呪い殺すほどの)気持ちを、訴えてはいけないのか、何で求めたらいけないのか、私はどうしたいいのか、本当に生きることも死ぬこともできずに、もがいて苦しくて苦しくて。瞑想でずっとそこにいる。
○そうしていると、母が彼女のセッションで口にする「何で、何で」が出てくる。母もまた母(祖母)に私と同じような思いがあるのか。それと、寝たきりになってしまった祖母の硬直した手とが出てくる。祖母とも微かに会話が成立するときがあり「どうせ私なんか」という気持ちがあるようだ。あの祖母の姿は自分を見ているようで辛い。(おそらく私と同じような辛さの)思いを出してあげたいが、しかし、そうすればきっと今度は自分が耐えられない。手を伸ばそうとしても(私のその手も)硬い。ドキドキする。親子3代にわたって続くものがある。
○私の気持ちを自分ではどうしようもできない。(母を求める)純粋な気持ちなのに(そんな気持ちをぶつけても受け取ってもらえないことも分かっているのに、引っ込めることなどできず)自分でどうしようもできない。もどかしい。だから(母とは関係のない仕事先の)上司や仲間に、(彼らに失態や)何かある度に、物凄く怒ることがある。何としてもひん曲げてやりたいという気持ちが出てしまう。
○描いた自分の顔の赤い目は何を意味しているか。私が純粋に求めているのに受け取れない母を恨み呪い殺す、何もできない無力な自分も恨み呪い殺す、生まれてこなければいい、何で産んだんだというのもある。死を拒否する気持ちがある。一人で死ぬくらいなら巻き込んでやるというのがある。
○「絶対一人は嫌だ」の中身が少し変わった。それまでは、一人ぼっちの死は、自分が弱くなることなので、受け入れられなかった。弱いのが嫌いだった。だから死が嫌いだった。だから一人ぼっちになるのは嫌いだった。でも今回は少し違った。隠していた殺意を表現できたことで、強くなった。正面切って、少しだけれど、死を受け入れることが起きた。
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○[閉じこもりだった子供は好調。でも・・]
閉じこもりだった子供の回復は続いている。子供は好調だ。問題は私だ。
私が自分の問題に取り組み始めたことで、子供の回復が起きて来ているようだ。しかし本格的に問題に取り組めるのか。全然自信がない。「やりたくない、今が良ければ良いじゃん。」となってしまいそうになる。
子供の閉じこもりの原因を私が作ったらしいことは、おおよそ、了解している。そして、その原因の中へ、さらに一歩を踏み出すのが、とても難しい。原因が作られた幼い頃の自分(私)の事をちゃんと解ってあげたい。そう、頭では思う。だけれど、なんとも心がついていかない。
○ [・・「ありません」と嘘ついて来た]
それは私と母のことだ。
私は自分に嘘をついて来た。(母へ)いろんな気持ちがあったはずなのに、求める気持ちも、辛かったことも、「ありません」と嘘ついて来た。分かってくれる旦那と子供で埋め合わせていた。でも本当には上手くいかなくて、本当に求めているのは、夫や子供でなくて…(母だ)。この部分をどうしても言いたくない。あまりにも嘘ついて来て、そんな自分が可哀想になる。言えない。(母は)頼りになれない。(本当のことを言わせまいと)自分が自分を縛るのが強い。そんな気持ちはダメ、こんなのはダメとか、ぽろぽろ(弱気になって本音を)出すんじゃないとか、心の声が言う。だから本音は言えない(私と母の関係を認められない)。
<少しでもいいから言ってみてくれませんか>「(母に)もうちょっと側にいて欲しい」「遠くを見てないで近くにいてくれないかな」って。「何も言わなくて良いから近くにいてくれたら」「「何もできなくて良いよ」って言って欲しい」・・・。
この本音を、場所を変えたセッションで、改めて言うことになった。
○[・・引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い]
その場所になると、なかなか決心がつかなくて、「言ってもいいかな」と言うと、みんなが答えてくれて心強かった。おっかなびっくりだった。慣れない。本当になれない。まんじりとしない。少し言葉に出すと、(出させまいと後ろへ)引っ張ろうとする気持ちが物凄く強い。出すと引っ張られる。他の兄弟より「私を見て」と(母へ)言おうとすると、罪悪感が出る。小さく言った。ちょっとは言えたけど、もっと力を抜いて言いたかった。どうしてもあーなっちゃう。終わった後、頭がくらくらした。みんなが声かけてくれて嬉しかった。一人では無理だろう。大変だった。
原因となったであろう母と私の関係。わかってはいるけど認められない。認められない認められないと言いつつ、今回のセッションで、でも、ほんの少し認められた。怖くて怖くてしょうがなかったが、ほんの少しは、言えた。
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納得できなかった謎の答え。
○幼い頃から抑えていた自分自身を解放するセッションを重ね、ようやく心が開いて、大きなエネルギーが出るようになった。嬉しかった。
○しかし、心底から喜べない気持ちがあった。何かどうしても納得できないことがあったからだ。それが何かは説明できないけれど、納得できないことがあるのは確かだった。謎だった。
そこで今度は、セッションで自分を、再び抑える作業をし始めた。抑えたエネルギーが凄いことを今更のように体験した。そしたら昔と同じように、具合が悪くなり、以前のような恐怖が来るようになった。痺れがきて、身体が重くなって動かない。以前味わった抜け殻のような感じだ。そのようにして、自分を閉じる作業をして、そして閉じた。でも、やはり納得がいかなかった。何に納得がいかないのかもはっきり分からないままだった。
○やがて気がついた。親戚の人の母子関係で、子供を「親が勝手に抑え込む」という話を聞くことがあって、そのことが自分の心に響いた。自分は、自分のことばかりやって、自分の子供への加害性に、意識があまりなかったのだ。子供を抑え込んで自閉的な子にしてしまった。セッションで子供への「ごめんなさい」を言った。止まらなかった。いくら言っても言っても言ってもどんなに言っても許されないような、言っても言っても足らない感じだった。はじめて自分が「親」になった。
「抑えた」ということが、自分で自分を抑えていながら、子供にも抑えることをやってしまったという、そこがなかったなと思った。どっちも怖かった。自分を抑えたという被害者も、やってしまったという加害者も、怖かった。今までは被害者だけだった。それが分かった。そして、再び開いて、再び大きなエネルギーが、わき出した。嬉しかった。納得感があった。
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○<閉じこもりは母子関係>
私の子供が閉じこもる理由は、私との母子関係に隠れていた。
子供は、母親(私)の寂しさを紛らわすための犠牲として、自立を諦(あきら)めていた。そういえば、子供は小さい頃から優しい子だった。レストランなどで自分の料理を必ず私に分けてくれるような子だった。
○<子供は溺れる母親(私)の浮き輪>
閉じこもりという現象は、子供が浮き輪となり、溺れかけている母親(私)を助けるということだった。私は一人になりたくない。子供にしがみついて浮輪にした。母親(私)の足には重りがついている。重りがいつも足を引っ張り常に溺れかけている。だから浮き輪が必要だった。
○<溺れさせる重りは私の母>
その重りは、母親(私)が身分自身の母から愛情を貰えなかったという、気づいてはならなかった秘密。今もその秘密はなかなか突破できない。今も私は自分と母の関係をうまく探れない。触れない。触ると砂のように崩れる母がいる。だから触るのが怖い。触れるのも怖いが、実は、触れても何の反応もないのが、もっと怖い。だから触れられない。その先は考えられない。考えようとすると、首が凝る、頭が痛くなる。何かを抑える感じ。
○<私も母の浮き輪だった>
子供を、自分の命を救うための浮き輪としていることに気が付いたとき、自分自身も母の浮き輪だったと、直感した。私は子供を長い間、浮き輪にしてきたが、私自身はその何倍もの間ずーっと母の浮き輪だった。母の生い立ちの大変さは、戸籍を調べた時にそうだったろうなと思った。
○<母へ向かうべきもの>
一人になりたくないという恐怖は、私の中だけではなく、母の中にもあるのかもしれないと想像する。そんな母を支えてあげたいが、母には触れられない。だから母に向かうべきエネルギーが子供に向かったのかもしれない。子供を母の寂しさの代用品とした。「いてあげなくちゃ、守ってあげなくちゃ」として過干渉になり子供の自立を妨げてしまったが、本当は、これは母へ向かうべきものだったのかもしれないと考える。
○<嬉しい子供の自立>
さて、母親(私)が自分の足の重りに気がついて、その重りの謎を解き始めること(自分では十分とは思えないが)で、子供は浮き輪の役割を徐々に免除され、自立に向かってきているようだ。そのことが嬉しくて仕方がない。
子供は外出の範囲を徐々に広げている。始めは深夜のコンビニ、そのあと家族との外食。やがて仲間と待ち合わせての外出。最近は、仲間と待ち合わせての外出したものの、出先で仲間と会うことができないというトラブルに陥った。にもかかわらず、トラブルを自分で解決して、難なく仲間と会うことができ、予定通りにイベントを楽しんで、帰りに食事して来た。今までの完全完璧な閉じこもりからすると夢のようだ。
○<でも絶対に離したくない>
でも私は白状する。私の中には、自立してほしくない気持ちが、まだある。セッションの中では子供に対する「行くな」(自立するな)という気持ちが出た。「絶対に離したくない」というのが出た。「絶対に離したくない」のは(離すくらいなら)「死んじまえ」ということだった。
○<捨てられことに対する絶望的な抵抗>
私が小さいときに、母が私達姉妹を置いて出ていく場面で、同じように「行くな」という私の強い思いがあった。未だに母からポイっと捨てられるような気がする。だから過干渉は、ポイっと捨てられ砂のように崩れることに対する絶望的な抵抗なのかもしれない。
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閉じこもりの子供が回復しつつある。見ていて嬉しくてしょうがない。子供はいつも9時前後に起きるのだが、今朝は7時には起きてきて、8時半頃に遠くへ買い物に出かけたようだ。さっき「帰りは遅くなる」というメールが美味しそうな料理の写真と一緒に送られてきた。ついこの間までは、家から出ない子だったのに。この喜びを元に戻したくない。何があっても(私が自分のことをやって)前に進んで、子供を生きて行かせてあげたい。
私が自分のことを本当にやれるのか正直、自信はない。「いやだ、やりたくない、今が良ければ良いじゃん、その場をしのげれば良いじゃん。」となってしまう。そうなると、子供は家から出られない。そっちも絶対いや。どっちもできない。
でも、子供は生きて欲しい。今までのようになって欲しくない。(私が自分のことをやれず、子供が家から出られない間、実は)私も辛かったから、二人とも苦しい。辛くてしょうがない。悔しい。凄い悔しいし、悲しい。
幼い頃の自分(私)の事もちゃんと解ってあげたい。もう自分(のこと)がわからないまま居るのは嫌だ。自分のことを解明して前進したい。
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閉じこもりだった子供が回復しつつある。どんどん回復している。その嬉しさの中で、でも、自分で気が付いたことがある。衝撃だった。
実は、あの子は自分の浮き輪だった。思えば自分も母親の浮き輪だった。そのことに気がついた。足には重りがついていて必死にもがいかないと溺れて死んでしまう。
<子供は浮き輪だった:子供に何をしたか震え上がるほど恐ろしい>
自分があの子に何をしたか、あまりにも恐ろしくて、分からないことにないことにしていた。それをあの子にやったのかと考えたら、はっきりさせられない。というのは、中心にあるのは死という恐怖であること、やって来たことの恐ろしさが・・・。どうして良いかわからない、いたたまれない。わかっていてやった。震え上がるほど恐ろしい・・。
<指の間から溢れる砂のように崩れる母>。
イメージとして母に触るとボロボロと崩れてしまう。追いかけると逃げるように振り返る母がいる。私を「助けて」と言いたかったのに、そんなことを言おうものなら、(母は)崩れてしまって・・指の間から溢れる砂のように・・・、それが耐えられない、本当は「辛かったね」と抱きしめてくれるとか、・・・してほしかった。でも砂が溢れるようで怖い。このことに気が付き始めてから、カウンセリングの記録を読み返しても怖い。ここをはっきりさせて行くんだろうな私・・・と気が重い。それが出来ないから、生きるか死ぬかのレベルのことを今まで子供にやったのかい、って。気が付いたものの、どうして良いか分からない。
<重りの正体>
助けてと追いかけても逃げて砂のように崩れてしまう母。怖くて耐えられない。今にも溺れてしまいそう。足には重りが付いていた。今も本当には正体を観れない重り。だから子供にしがみ付いていた。子供が、私の生きるための浮き輪だった。本当に浮いて助かるのは、重りを外してからなのに・・、できない。子供も私と同じだった。子供は、私という重りを足に付けられて、ずっとそうしていたと思う。あの子は私だったんだ。
今、子供という浮き輪が外れたら、いよいよ潜れということ。重りを外すために潜れと。苦しくてそうなって来たのに、更に(恐怖という)水の中に落ちろということかと。
勝手に生みやがった。産みたくないのに産み落とされて、ずっと母親の顔色みて、母が死んじゃわないようにして来た。ずっと気を使って来た。……私も母の浮き輪か。この年まで母の浮き輪だったのか。衝撃だった。
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<子供の閉じこもりと、自分と母親の関係>
長年の閉じこもりだった子供に変化が起き始めたのは、私が自分の母親との関係をやり始めた途端の変化だと、言われる。でも、私には、そこのところは理屈では分かっているが、ぼんやりしている。
<怒りから母親へ、そして恐怖と死へ>
セッションでは今までは激しい怒りが中心だった。この怒りは母に関係しているらしい。そこでセッションで母のことをやろうとする。すると、恐怖が出てくる。何もない恐怖。愛情を貰ってなくて空っぽで生きている。死が追いかけてくる。母と一体になって死にたかったのに、死なずに生まれることを選択したので、生き続けるにはその死は観ちゃいけない。でも観なくても、その死は無くなったわけではないので、追いかけてくる。母のお腹の中だとそういうことだったのだろうと思う。生まれてしまった今でも、その死があるから「怖い」のか、と思う。
<死の願望と死の恐怖>
死が怖いのに、なぜ死にたいのよ、と考えていた。死の選択もできたのに生まれた。生まれることを選択してきたので、死をないものにしてきた。自分の中ではそこ(死)に行きたいと思ったのに(死は)ないことにしていた。それでも生きなきゃ行けないから怖いのか。恐怖に居られないから怒るが、逃げるから(恐怖が)追いかけてくるから、嫌で嫌で怖い。死をないことにしているから怖い。恐怖からなんとか逃げようとしていたんだと初めてわかった。世紀の大発見だった。
<行かないで>
この恐怖を扱ったセッションの中で、思わず出た言葉がある。「行かないで」という言葉が出た。それは自立しようとする子供へ発する本音のようでもあり、自分の幼い頃に愛情を貰えないまま行ってしまおうとする母へ発する隠されていた本音のようでもあった。閉じこもりという現象の謎を解く鍵を見たような感じだった。
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これまでの1年は、グループワークの効果もあり、とてもセラピーが進んだ1年であった。調子良く成長し満足感があった。
ところが今回のセッションはその満足感がいっぺんに吹き飛ぶような、悔しさに満ちたものとなってしまった。その悔しさから、セッション後のグループカウンセリングでは、怒りが湧きおこり「愛情の欠片(かけら)もないこの場を壊してやろう」とさえ思った。
でも後で考えると、セッションの途中で、苦しさ(湧き上がる死への恐怖)に耐え切れず、途中で逃げ出してしまった。また困難から逃げ出してしまったという、自分に対する悔しさであると感じた。
あれから1週間あまりが経過した。直後はだいぶ気持ちが塞(ふさ)がっていたが、激しい悔しさを味わった割には、意外に自分が元気であることに驚く。仕事中に湧き上がるウキウキ感には戸惑ってしまうほどだ。また、(職場で怒るべき場面では)人に対してハッキリと怒りを出せた。とっても気待ちが良かった。
思い返してみると、苦しかったセッションは幼い頃の困難(虐待)に伴う心の傷の再体験をしていたのだ。1週間あまりの間、自分に対する理解は案外すすんだようだ。かつて困難に直面した時に逃げてしまった自分。今でも困難に立ち向かえない弱い自分。それらの事を本当に悔しいと思っている自分。自分に対する強い怒りがあった事を理解した。この怒りを抑え込んで生活していることを考えると、日頃、自分自身に抱いている気持ち悪さにも、説明がつくように思える。
この1年、調子良く成長してこられたのは、セッションで感じた恐怖や、自分に対する憤りと向かいあうための準備であったと、今は思える。
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長年の閉じこもりだった子供Yに変化が起き始めた。凄いスピードで変化している。私(母親)が自分の母親との関係、自分の傷は母親から来ていること、をやり始めた途端の変化だと、言われる。でも、私には、そこのところは理屈では分かっているが、ぼんやりしている。
しかし変化は起きている。Yの変化について行くのが大変だ。今まで、全く外出せず、散髪もままならなかった。他人に接するのが嫌で宅配便も受け取れなかった。それが、時折、夜間で私たち両親連れだが、外出してコンビニに行き買い物をするようになった。
そうしているうちに、昔の友達とメールで、会う約束をした、と言う。友達と会うための準備が始まった。長年の使用で傷んでいたメガネを変えることになった。買って来たメガネを喜んで受け取った。何日か後には、一緒に買い物に行った。靴を買った。帽子も買った。初めて買い物が「楽しかった」と笑いながら帰ってきた。
友達と会う当日は、朝から普通に起きてきて「行くんだ~」。遠くの大きな駅まで送って行くよと言っても「近くの駅でいいから」と言われる。その近くの駅へ送ったときに、閉じこもり以来はじめて「行ってきます」とニコッと笑った。新しい帽子かぶって、「かっこいい」と夫婦でつぶやいた。
その日、会うのは男女混合の数人。昔の学校の友達。食事をしたレストランの料理の写真がスマホに来た。夕方、「遅くなる」というメールが来た。私はきっとYは、両親の同伴のない一人で行ったので疲れ、友達と別れて帰る途中で、ネットカフェにでも休んでいるんだと思った。私「すごくさみしいんだYがいないから」と夫に言えた。Yはなかなか帰ってこない。夜も遅くなって帰って来た。喋ってくれた。友達とボーリングに行って、それから、また食事に行ってお酒を飲んで、カラオケ行って歌えた。フルコースだ。すごい…たまげた。
後日、私たち夫婦で外出した留守に、Yは、たった一人で散歩に出かけたらしい。夜ではなく、昼間一人で1時間半歩いた、という。私たち夫婦が夕方家に戻ると、Yは、夫婦の外出には参加しなかったけれど「食べには行くよ」とさらっと言った。「寿司がいい」と言うので気楽な回転すしに行った。家族で外食なんて何年ぶりだろう。その次の日も、「今日は何がいい」と言い、焼肉に行った。まるで当然のように、行った。
また次の日も、Yと一緒にショッピングに外出した。その後、Yは一人で散歩に行った。さらに次の日も、一緒に外出し、何軒も買い物をし、喫茶店やレストランに入った。レストランではちゃんと注文が顔を見て大きな声で言える。帰宅してからは、一人で散歩に行った。夜も一緒に散歩に行く。そんな日が続いた。
外出は車だったが、そのうち、多くの他人の目に触れる電車でも外出するようになった。閉じこもり以来、はじめて親戚にも会いに行けた。普通に挨拶し自然な会話をしたのに驚いた。
Yに急激な変化が起き、大変な事態になっていて狐につままれた感じがしている。普通に育った子供なら当然のことなのだろうが、一つ、一つできたことが嬉しい。
レストランなどにはいろいろ行けたが、ただ未だに、食べ放題は、お皿を落としてしまう妄想にかられてしまい、ちゃんとしないといけなくなるから嫌だという。ちゃんとしないと「ダメだ」と私が育てた。
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ベビーブレス(弊社で開発したブレスワーク)のようなセッションに臨むときには、自分自身が強く望むことが重要のようです。自分自身の欲求不満を大切にしてほしいと思います。自分の生き方は何かが腑に落ちない。自分は何かが満足していない。自分の人生を何かが気に入らない。そういう感じが、セッションの中で進むときの羅針盤になります。
強く強く望んで欲しいのです。どのように変わるかはイメージがつかないはずなので、「どのように」を考えることは無意味だと思われます。方向を固定してしまうのは害にもなると思われます。自分自身がどのように変わるかは、変わる前には分からないもののようです。わからないけど、本当の自分をどこかで知っているので、現状に腑に落ちない、満足できない、となります。だから、ただ強く望むことが全てだとも言えるようです。
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子供の閉じこもりがきっかけでセラピーを始めた。セラピーで気が付いたところを家で瞑想するようにしている。しかし、怖くて瞑想できないことがある。何が怖いのか。自分の中の恐怖を考えていた。腑に落ちたことがある。閉じこもりは私が子供を支配したからだ。子供を支配するのに食べ物を使っていた。自分の恐怖で、子供の(食べ物を)生き死にを支配していた。子育てがうまくいかないことは私の恐怖が元だったのかと、考えていた。何かの「「淵」に立っているから怖いのでは」と言われたので、淵に立つだけではなく、(瞑想で)中を覗きながら見ていようと思った。ぼんやり「死」だというのが分かっている(*1)。納得していないから、はっきりは言えないが多分そうなんだろう。
(*1:「死」に裏打ちされた自分の恐怖を慰めるために、子供の生き死にを支配し、子供の閉じこもりが起きた、という文脈で語られている)
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子供が閉じこもりから回復する兆しが出て、ひと段落した感じがある。子供の閉じこもりは、母である自分が影響していた。特に自分の中の恐怖が元になっていた。この恐怖は出生の時にもらった死の恐怖だと思う。そのようにして、私のセラピーのテーマは、子供から、母になった。母は年取って歩けなくなって来ている。瞑想で母に触れると母は砂のように崩れていく。私も一緒に崩れていくように思う。もう瞑想しまいと思うくらい。母は何年生きられるか、客観的な母を見て具合の悪い母を心配しているのもあるが、そうではなく私の中にいる「母」が脆(もろ)くてさわれない。あんな母だったから、気を使って来たんだなあ。
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息子は、引きこもりで家から全く出ない状態だった。しかし、母親である私のセラピーが進むにつれ、最近は、家から出て買い物に行くようになった。始めのときは嬉しくて驚いた。息子にばれないように表情は隠した。息子は買い物にもだんだん慣れてきたようだ。そうしていると、今度は息子が、友達と会うと「約束をした」という。今度ばかりは嬉しい表情を隠すことができず、あからさまに喜んでしまった。しかも、息子の眼鏡が傷んでいるのが気になり、見た目が悪いので、急いで「眼鏡屋さんに行こうよ」と焦ってしまった(*1)。嬉しさ余って、やってはいけないことを、ついつい、やってしまった。途端に、息子は夕飯も「いらない」、友達とも「会わない」となった。そして布団に潜ってしまった。私が困惑して「ごめん」と謝ると、息子は「小学校からそうだよね」という。小学校のころから息子の俺を、自分(母親)の思い通りにしようとしていたよね、という意味だ。私も落ち込んだ。本当に落ち込んだ。そうしていたら(*2)息子が布団から出て来て、「ごめん」という。私こそ申し訳ないと思い、自分にがっかりした。
(*1:強制する雰囲気があったのかもしれない。*2:母親が落ち込む様子の中に、息子は自分が本当に理解されていることを感じられたので、その結果、相互の謝罪が起きたと理解できる。)
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小さいころから良い子でいようと頑張っていた。お母さんも自分の事で大変そうだなと分かっていた。でも、良い子でいようと思って過ごしていたら、精神的に参ってきて、「人が怖い」とか思うようになった。人前で緊張してうまくやっていけない。
高校2年のころ、母に、精神科に行って薬を飲みたいと話した。母は、精神科にいくのは「キチガイになったという事なんだよ」と応えた。「キチガイにしたのは誰だよ」と思った。凄い言い合いになって、平手打ちをされて、返して、怒りに怒った。「この人に何を言ってもダメだ」と思って、ドアをバンと閉じこもったが、これは何もならないから、出て、どうにか母を説得して病院に一緒に行った。医者とは私一人で会った。母は会わなかった。母は、医者との話の内容は聞かない。薬は自分で調べて、副作用が出ると分かり、実際にちょっと出たが、飲み続けた。薬で症状は安定はしていった。それまで学校の授業だけでなく、電車に乗るのも、人とご飯食べるのも、怖くなっていたが、だんだん大丈夫になったので、飲み続けた。ずっと飲み続けているのが5年くらいあった。
そのうち、おかしいぞと思うようになった。保育の仕事をはじめていたが、そこは心を育てる保育園で、園児の「自己肯定感」が大切だとかキーワードが出てきた。それがきっかけで、園児のことではなく、むしろ自分の事を考えるようになった。薬でなく、心と向き合って行こうと思った。
セラピーを始めた。少し進み、グループカウンセリング勉強会で人の前で話せたことが自信になった。職場では大勢の前で話す場面があると緊張するので、そんな時は事前に薬を飲んでいた。最近、同じような場面があったものの、薬を飲まずに済んだ。実は、飲むのを忘れていた。
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自分をダメにした母親への怒りが強い。母親は、どうにもならないと頭では分かっている。それでも母親を何とかしたいと思う。怒りが掻き立てられる。ほとんど絶望的だ。子供のころ母親から本当の愛情をもらえなかった。寂しい。その寂しさには、耐えられない。いつも怒ってきた。怒りは出しやすい。怒ることには慣れている。でも、それだけでは物足りない。それだけでは自分の成長は望めないのではと感じている。このままでは、いつまでも子供のままいる感じがする。嫌だ。でも、そこのところで停滞している。つい先ごろのセッションで、自分の心の深いところにある本音に気が付いた。母親と一体になりたい。母親との一体感が本当に欲しいもの。それが本音。でも、どうしようもない現実の母親との一体はまっぴらごめん。多分、幼いころ味わった理想の母親との一体感。それが欲しい。
そこまでは分かっているのだが、それらの気づきがなかなかつながらず、堂々巡りの傾向がある。そこで、分かっている範囲でまとめてみる。
① 母親への怒りは出しやすい。
② 寂しいところにいなければならないと思う。
③ 理想の母親との一体感が本当に欲しいもの。
これらをつなげるために、①②③を使って、まとめてみた。
「自分の母親への怒りは、どうにもならないと頭では分かっている母親を、それでも何とかしたいと言う絶望的な怒りだ。母親から本当の愛情をもらえなかった寂しさにはいられないので、怒ることで自分を支えてきた。でも、それだけでは自分の成長は望めない。自分の心の深いところの本音は、母親との一体感が本当に欲しいというものだ。どうしようもない現実の母親ではなく、理想の母親との一体感だ。一人になり寂しさに耐えることができれば、人生の早期に得られていたように、その一体感が得られる感じがする。」
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毒親の親もまた毒親であったというのは、セラピーの現場ではほとんど、あたり前のことのように思えます。つまり、毒親に毒されて育てられた子供も、また長じて毒親になり自分自身の子供を毒するようになる、ということのようです。世代間連鎖とはそういうもの、と、ラベルを張っても、それだけでは何か腹の足しにはならないような気がします。毒親によって子供はどのようにして自分自身も毒親になっていくのでしょうか。納得できる原因は、仕組みは、どうなっているのでしょうか。いろいろのケースを思い浮かべて、推察します。
○愛情が分からない
親が毒親であるために、愛情をもらっていない人は、愛情の温かさなどの良さがわかりません。そのため、その良さを子供に伝えられない感じがします。愛情を伝える積極性が欠如するようです。興味がないように見えます。愛情そのものを持っていないのでは、などと不覚にも思ってしまいそうにもなります。子供に無関心な毒親になっていきます。意識しないネグレクトなども生じます。
〇復讐
親が毒親であるために、愛情をもらっていない人は、子供のとき、愛情をもらえなかったことから、親に対して攻撃性や殺意を抱きます。しかし、幼い子供にとって親は宇宙のようなもので反抗はできないので、我慢し、自分の中に内在させます。意識はできません。やがて、大人になり、自分の子供をもうけると、愛情を求めて自分に擦り寄ってくる弱い子供へ、その攻撃性や殺意が噴出するようです。「私は我慢してきたのに、どうしてあなたは我慢できないの!私がどうして与えなければならないの!」というわけです。愛情の反対物である攻撃性や殺意を伝えてしまう。復讐のようにも見えます。子供へ敵意がある毒親になっていきます。積極的な虐待も生じます。
〇依存
親が毒親であるために、愛情をもらっていない人は、未だに不足し続ける自分への愛情をなんとか補うために、自分の子供から愛情を吸い取ろうとするように思われます。親からもらえなかったものを、ついつい子供に求めてしまいます。依存です。一見するとやさしく見えます。でも、やはり本当の愛情ではないと言えます。なお、この状況では子供も本当は愛情不足であり、愛情をもらうために自分も、一見やさしい親に近づきます。しかし、近づいても本当には満たされないので、成長することができず、親から離れていけません。相互依存となります。子供を成長させない、巣立ちをさせない毒親になっていきます。
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自分の親が「毒親」だと気がつくのは、軽傷の子供の場合のようです。子供にとって毒親と気がつくのには大きな勇気がいるからです。子供にとって親はどんな親でも命の基盤です。自分を産み育ててくれた大きな宇宙です。それを否定することは、簡単には、できません。やっつけることは簡単にはできません。非難することは容易ではありません。なぜなら、それは「失う」ことになるからです。命の基盤を失い、宇宙を失い、心(幼いこころ)は生きてはいけません。大きな不安や恐怖に直面します。
だから気が付かないまま抑え込まなければなりません。しかし、抑え込んでも傷自体がが治るわけではないようです。かえって傷は膿み塞(ふさ)がれ重くなります。外出できず、動けず、表現できません。抑え込んで重篤になります。それでも「失う」不安や恐怖よりは増しなのです。
不安や恐怖への直面は、一人ではできなくても、カウンセラーや仲間と一緒にいることで可能になります。不安や恐怖は弱められます。直面することで徐々に傷は開放され癒されていきます。
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母親は宗教に入信した。そのことで私は2度捨てられた。小さい時に私は母親から愛情を貰えずに捨てられた。大きな傷になった。大人になりその傷を修復する作業し始めた。始めは、その傷がどこから来るのか、はっきりしなかった。作業を続けるうちに、そこには母親がいた。原因としての母親がいた。原因が分かり、私は、母親にそのことを問い詰めたかった。しかし、母親は入信した宗教を守りとして、私の言い分には耳をかさない。そうやって、母親は私をもう一度捨てた。
母親には母親の傷があり、傷の原因があると、頭ではわかっている。でも、どうしても許す気にはなれない。遠くない時期に、私が母を看取る時期がやってくるだろう。許せないが、ことの全体をわかっている事はせめてもの救い。
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心理セッションやグループカウンセリングに立ち会わせていただいて、感じることがあります。男女の違いのことです。男性や女性がそれぞれ示す、人との関係性。
女性は、親や子供など人との関係性の中に、自分の問題の解決を見出そうとする傾向が強い。男性はその傾向は弱い。そう感じます。
人は、自分の問題が、人生早期の母子関係にあることが分かってくると、さらに、その理解を深めようとします。深めることができれば問題がひとりでに解消するようです。ところが、深めようとする際に、人との関係性の中にこそ問題解決があるとする気持ちがあまりにも強いと、どうにもならない母親をどうにかしようとして、大苦戦する傾向があります。ほとんど自滅の方へ向かおうとするのです。それほどの強い傾向は必ず女性が示します。男性はそれほど強くありません。
関係性があまりに強いと、一人になれません。そういえば、禅寺の坊さんは皆男性です。禅の修行は、個的な作業で、ほとんど一人ぼっち。しかも尼寺の数はとても少ないです。
なぜでしょうか?この男女の違いを見るにつけ、その原因を想像することがあります。以下、その想像です。
人類はたかだか数千年以前は母系社会でした。何万年も、ひょっとしてもっと何百万年もの間、女性は家を支配し、常に家族の中心にいました。人類へ進化する以前は、ハーレムなどのグループの中にいました。常にメスの周りには仲間がいました。
他方、男性は違います。父系社会は高々この数千年で、それ以前は母系社会の中で、冷や飯食いでした。家族の中心にはなれませんでした。人類へ進化する以前は、ハーレムなどのグループの中に居られたのはごく一部のオスであり、他のほとんどのオスは、離れオスとなって、グループの外で単独で暮らしました。オスの周りには仲間がいないのが常でした。一匹で死んでいくことがほとんどでした。
子づくりにおける男女の違いも、関係性の違いに、大きな影響があると想像されます。女性は、長い妊娠期間をすごし、お腹の中の胎児を感じながら暮らします。自分の血と肉で胎児を大きくする実感を持ちます。子が産まれた後も、自分の体の一部(乳という形で)を与えて、大きくします。何年もの間、自分の体に、子の温かさを感じ、子のあまい匂いを嗅ぎ、子のやわらかな動きを感じて過ごします。子の動きに応え、子の泣き声に応え、子の雰囲気に応えます。自分のこと以上の世話をして過ごします。時として子への完全な支配をつくります。ほとんど母子一体の長い期間を過ごします。子(人)との関係性は非常に濃いといえます。
男性は違います。極端に言えば、受胎期の一瞬だけしか関係しないこともあります。
ところが、そんな濃い関係性を持つ女性が、苦戦を乗り越えて、理解を深めると、男性には無いような、温かい大きな理解にたどり着くようです。周りの人を全て包み込むような温かさ、大きさがあります。女性が持つ関係性がゆえであろうと思われます。
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スーザン・フォワードの「毒親」という著書から始まり、あちこちで「毒親」という言葉・概念が使われています。この言葉・概念は、< ひどい親のせいで自分は不幸な思いをしており将来もろくなことにはならない >という運命論だと批判され、そういう「アダルト・チルドレン」と呼ばれる人たちでも、たくさんの可能性があることに目を向けるべきだと論じられています(「毒親」のこどもたちへ 斉藤学 メタモル出版)。
確かに運命として諦めるのは早すぎると思われます。ひどい親だと攻撃するのは誠に無理もないことです。諦めてしまえば、辛いことに直面し続ける苦痛もいくらか減らすことができるでしょう。自分が「毒親」の世代間伝達(最近ではよく「世代間連鎖」と言われる)の伝達手になっている現実にも気が付かなくて済むかもしれません。しかし突破口も閉じてしまうのではないでしょうか。
ベビーブレスでは、そのような母子関係に強く気が付き、逆に、[今までは諦めて生きてきたけれど、気が付いた今は、絶対に諦めない]という心境になるようです。ひどい親のせいで、自分が不幸になり、今度は自分が自分の子供を不幸にするという世代間伝達(世代間連鎖)を、自分の世代で断ち切れる。そういう手ごたえを感じるからだと思われます。強烈な手法であるベビーブレスを手に入れることで、やれる、断ち切れると感じるようなのです。
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私たちは心のトラブルを解決するのに、母子関係は避けて通れないようです。そして自分の母子関係を理解すればするほど、母を許すことなどできなくなり、どうしようもない母親をどうにかしようとして、絶望的な葛藤をし、ホントに絶望してしまうこともあります。
その絶望の様子を見て、次のような連想をしてしまいました。
自分の車が動かない。前の車(母親)がじゃまになっている。後ろにも車がいる。周りの車のせいで運転がうまくいかない。動けない。立ち往生しているうちに、時が流れ、やがて自分の車が故障している。エンジンが故障している。ガソリンが切れてしまった。昔は、前の車にじゃまされていたため動けなかったのかもしれない。前の車のせいでだったのかもしれない。しかし、今は、長い時間を経て、自分の車自体が故障してしまった。
さて、そうであるなら、自分の車を路肩に止めて、自分の車を修理しよう。周りの車を押して動かすことはできない。周りの車はもう廃車になっている。自分を修理して別の道を行こう。
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沖縄の花
ベビーブレス(弊所で開発したブレスワーク)のセッションで、隠れていた過去の重要な記憶が手に入ることがあります。それらはジグゾーパズルのように断片的です。カウンセリングでそれらの断片を精神分析的につなげます。つながって初めてことの全体が観えます。全体が観えてその人が変わります。
ところで、ブレスワークの最中には、「なんとか記憶を出したい」「出てきたこれは記憶なのか」、などと考えるのか。あるいは、考えるとうまくいかない気がするのだが、というようなことがあります。
簡単に言えば、ベビーブレスの最中では何も考えないことをお勧めします。ただ一心に呼吸をする。そうして溜め込んでいた感覚を吐き出す。出てくるものを、もっとたくさん出すように、努める、ということです。考えると、心理操作が活発になり、それは防衛になってしまいます。溜め込んでいたものを何とか出さないようにする防衛が働いてしまうのです。だから考えない。感覚だけになる。それがコツです。
ベビーブレスが終了した後では、頭を使い、出てきたものの中から手掛かりを探すことをお勧めします。手掛かりの中に、人生早期の記憶の断片が隠れていることがよくあります。大事です。できれば、探偵シャーロックホームズのように、鋭く考えなければなりません。考えて、つなぎ合わせ、謎を解く。感覚を研ぎ澄まして考えることが役に立つと思われます。
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心理セッションやグループカウンセリングに立ち会わせていただいて、感じることがある。男女の違い。男性や女性がそれぞれ示す、人との関係性。
女性は、親や子供など人との関係性の中に、自分の問題の解決を見出そうとする傾向が強い。男性はその傾向は弱い。
自分の問題が、人生早期の母子関係にあることが分かってくると、さらに、その理解を深めようとする。深めることができれば問題がひとりでに解消する。ところが、人との関係性の中にこそ問題解決があるとする気持ちがあまりにも強いと、どうにもならない母親をどうにかしようとして、大苦戦する。ほとんど自滅の方へ向かおうとする。それほどの強い傾向は必ず女性が示す。男性はそれほど強くない。
関係性があまりに強いと、一人になれない。そういえば、禅寺の坊さんは皆男性だ。禅の修行は、個的な作業で、ほとんど一人ぼっち。尼寺の数はとても少ない。
なぜだろう?この男女の違いを見るにつけ、その原因を想像することがある。ほとんど確信に近い。人類はたかだか数千年以前は母系社会だった。何万年も、あるいはもっと何百万年もの間、女性は家を支配し、常に家族の中心にいた。人類へ進化する以前は、ハーレムなどのグループの中にいた。常にメスの周りには仲間がいた。
男性は違う。父系社会は高々この数千年で、それ以前は母系社会の中で、冷や飯食いだった。家族の中心にはなれなかった。人類へ進化する以前は、ハーレムなどのグループの中に居られたのはごく一部のオスであり、他のほとんどのオスは、離れオスとなって、グループの外で単独で暮らした。オスの周りには仲間がいないのが常だった。一匹で死んでいくことがほとんどだった。
子づくりにおける男女の違いも、関係性の違いに、大きな影響があると想像される。女性は、長い妊娠期間をすごし、お腹の中の胎児を感じながら暮らす。自分の血と肉で胎児を大きくする実感を持つ。子が産まれた後も、自分の体の一部(乳という形で)を与えて、大きくする。何年もの間、自分の体に、子の温かさを感じ、子のあまい匂いを嗅ぎ、子のやわらかな動きを感じて過ごす。子の動きに応え、子の泣き声に応え、子の雰囲気に応える。自分のこと以上の世話をして過ごす。子への支配を子は一身に受け取る。ほとんど母子一体の長い期間を過ごす。子(人)との関係性は非常に濃い。
男性は違う。極端に言えば、受胎期の一瞬だけしか関係しないこともある。
ところが、そんな濃い関係性を持つ女性が、苦戦を乗り越えて、理解を深めると、男性には無いような、温かい大きな理解にたどり着く。周りの人を全て包み込むような温かさ、大きさがある。関係性がゆえであろう。
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私たちは悩みがあるときに同じ思考過程でぐるぐると回ってしまうことがある。グループカウンセリングでも同じようなことがしばしば起きる。止めどなく同じ思考過程で円を描いてぐるぐると考えが回り、なかなか先に進まない。何か重要なことが抜けていることが多い。それは(その時は)絶対に思い出したくないことでもある。
そのことで思い出す話に、怪談話の「番町皿屋敷」がある。絶対に欠けてはならないはずの皿の1枚が欠けてしまったために非業の死を遂げたお菊が、幽霊となって、残りの9枚の皿を、何かの間違いであってほしいと、恨めしく、飽くことなく「1枚・・2枚・・・」と数える。9枚まで行くと元に戻って1枚から数え始める。ぐるぐる回る。
さて、割れてしまった10枚目は、いったい、どこに行ったのだろうか。多分、縁の下にでも隠されてしまったのであろう。バラバラになった10枚目の皿を探し出し、透明なビニールの袋に包んで、数を数えている最中のお菊さんの目の前に差し出せば、お菊さんは悲鳴をあげ、きっと、二度と幽霊になって出る事は無いのかもしれない。(もっとも実際の番町皿屋敷の話ではお坊さんが「十」と声をかけるとお菊さんは「あら、うれしや」といって消える。)
「皿屋敷」の怪談話は日本中のあちこちにあり、ストーリーは色々らしい。何か人間の思考には、欠けたものを観ないままぐるぐる回ってしまう機能があり、長い間、広く共感を得られるのだと思う。
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職場でトラブルが起きると、責任上、トラブルに向かい合わなければならない立場にいる。トラブルはほとんど従業員のこと。人間関係。その時に、自分の内面が影響する感じがある。良い面と悪い面と両方。自分の内面としては、シングルマザーとして私一人を育ててくれた優しい母親が、精神を病んで病院で亡くなっていったことが半消化のまま残り、苦戦していることだと思う。
トラブルに対して、従業員の個人的内面の状況はよくわかるようになった。そして、それに対して自分が、尻込みして隠れるような感じはない。前とは違う。前は問題をぼやかして見えないようにしていた。十分ではないがある程度対応できるようになっている。自分自身も変に頑張らずに済む状況になっている。それは良い面。
悪い面が困っている。自分自身が緩んできているせいか、人(従業員)と当たれば当たるほど不安や恐怖が来る。次に何なんだよとグワーッと来るのは怒り。怒りがきているなと思うとまたワーッと恐怖がやって来る。自分の内面が出ている。この自分の感情を職場で表に出すわけにはいかない。それを家庭に出している。奥さんに出している。
ベビーブレスをした。まさにそこに触る。最初、呼吸してちょっとしたら怒りが出てきた。怒りがきていて、そしたら怖くなった。怖さがきて、深く泣けた。泣けたのが良かった。一人ぽっちという感覚がやってきてより怖くなってきて、病院の匂いが感じた。病院の映像はないが臭いがした。病院の匂いが今でも怖い。そんだけ怖い状況に、(現状に至る今まで)ずっと怖い状態に怒ってもいる。その匂いで余計怖くて真っ暗になって、怖い怖いと泣いていた。寂しいというより、怖かった。そうして、一山超えて、一人ぽっち。一人が怖い。暗黒の中に一人。今まではそれをないことにしていた。その感覚に触れられた。良かった。
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知りたい。はっきりさせたい。
ある記憶が封印されていた。セッションにより封印が解かれた後に、気が付いた。母親が家を出た記憶であった。母親は戻ってこなかった。封印していたので、嫌だということを嫌だと言えない人生が続いていた。「嫌だ」と言うと、何か恐ろしいことが起きるという漠然とした感覚があった。そのことに気がつき、嫌な事は嫌だと言えるようになった。自分にとって大きな自由を獲得した。
しかし、そのうちに、嫌だ嫌だと言うだけではなぜか満足しなくなっていた。母が家を出た事情をもっと深く知りたい。母親はなぜ自分たち子どもを捨てたのか。それができた母親の人柄。その時自分は本当には何を感じたのか。知りたい。はっきりさせたい。自分の人生をはっきりさせた。心からの欲求になった。
[ベビーブレスや精神分析的心理カウンセリングなどのセラピーを行うアコール(有)のブログです]
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あるクライアントが大きな大きな壁を突破しました。
それは感動的で私も身震いしました。
そのセッションのときに使った毛布を洗いました。
汚れが人間性の回復されたことを表している様で誇らしく思えました。
きたないはずの汚れが、まるで、人の内部で起きた素晴らしいこと
から送られたプレゼントのように感じられました。
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辛い記憶と魅力
辛さがあまりに強いため、その記憶が蘇えらず症状がなかなか消えない人たちを見ていると、無理せず、そのままでもよいのかな…と思うことがある。
しかし、同じ程度の辛い記憶を持ちながら、困難を突破して思い出し、受け入れ、魅力的な人間になっていく人たちを見ると、絶対的にそちらを応援する。そういう人と人一緒に生きていきたい。申し訳ないが、そのことは揺らぐことがない。
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胎児期も視野に入れた精神分析的カウンセリング、ベビーブレスを体験し、自分の心理的なトラブルを理解し、本当の自分をつかんだ人々の体験談集
価格:1,000円(税込)
著者:林貞子 雲泥諸智
単行本:162ページ
発行所:アコール有限会社