聖母マリア様信仰と似て異なる|事実を理解して「理想の母親」|セラピーの現場から(688)

「W」
前回のブログ(687)の続きを少し話したいと思います。
「H」
「理想の(健康な)母親」と聖母マリアの話ですね。「理想の母親」を仮定してベビーブレスを行い自分のトラブルの突破口をつかむ人がいるけれども、それは聖母マリア様信仰と似ているということでした。
「W」
似ているけれど根本的に異なる点があるということです。
「H」
はい。
「W」
例としては愛情を抑圧している人になります。愛憎のアンビバレントのうち、母親への怒り(憎悪)は認識できるようになったものの、母親への愛情を、つまり母親を求める気持ちが認識できないでいる人の話になります。
「H」
怒りが半分は出せるようになって、エネルギーはある程度改善できている段階ですね。半分は健康になった。しかし、あと半分ある。母親を求める気持ちが閉じ込められている。「あの母親にはいくら言ってもムダ・・・」という段階です。
「W」
そう。「半分」です。しかし、両方そろって初めて大きなエネルギーが湧き起って、トラブルを吹き飛ばします。「半分」では、やはり、トラブルを抱え続けることになります。残りの半分は抑えられ続けることになります。結局は自分を抑えることを続けなければなりません。
「H」
両方そろっても、その二つが統合されなければ、大きなエネルギーにはなりません。両方を別々には、出来る人もいます。
「W」
両方そろっているのに統合されない状況の話は、ここでは、割愛させてください。統合はまた別のところで。今日は、聖母マリア様信仰と根本的に異なる点に絞らせてください。
「H」
はい。
聖母マリア様信仰であっても、果たせなかった母親への求める気持ちを、出せるようになって救われる人もいるでしょう。愛情を感じられず出せずにいるよりも遥かに素晴らしいと思います。その部分だけ見れば、似ていますね。
「W」
はい、似ています。
「H」
異なる点は色々あるでしょうね。
「W」
一番大きな点は、何かを信じ込む必要がないことです。マリア様を信じ込む必要がない。
「H」
なるほど。仮に「理想の母親」だったならばという仮定で済む・・。
「W」
そうです。
「H」
しかし単に「理想の母親」を仮定するだけで済むには、やはり条件がありますよね。理解が必要です。自分の心の傷を理解し、母親の心の傷を理解する。自分は愛されなかったことで心に傷ができ苦しんでいる。母親もまたその母親から愛情を貰ってはいなかった。だからこうなっていると・・。
その理解の上で、「理想の母親」を仮に仮定するのだから、その「仮定」にとらわれる必要は起きない。
「W」
そうです。「仮定」を便法として利用することができます。自分を回復するための便法です。理解があって、利用するという心の余裕ができる。
ところが、信じ込む事は、他方で、何かを事実を否定することに通じ、無理を生じます。社会的に肯定的と思われるもの(愛情)のみが受け入れられ、否定的と思われるもの(憎悪)は受け入れられません。実際には二つともあるのですから、うっかりすると、自分に嘘をつかなければならない羽目になります。天使と悪魔・・・。
「H」
必要なのは事実の理解ですね。
愛憎のアンビバレントは、人の心にある事実です。愛情と憎悪を理解する。グループカウンセリングで人の話を聞くなどして理解できる。客観的な理解で構わない。「両方あるんだな」と。でも自分の傷を通して理解しないとエネルギーは湧かない。抑圧している状態。
その上で、理想の母親を仮定する。仮定すること自体はためしに行ってみることで、無理はない。仮にそうであったならば、どうする、と。隠れていた愛情のエネルギーを出してみることができる。
「W」
仮定してやってみるのだけれども、結果として愛情のエネルギーがどっと出れば、これは仮定としてやったものの実は本当の事だったんだ、自分には愛情があったんだと、分かることになる。
「H」
それだけでも自分を取り戻して、非常に助かる人もいます。更に、愛憎の両方が統合されれば、とても大きなエネルギーになります。
「W」
その統合については、やはり、別の機会に。

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