話の不得意な私が兄弟を集め話のキャッチボール|セラピーの現場から(655)

 

もともと私は話が不得意だった。表現が苦手だった。兄弟同士もあまり話をしなかった。最近その私が中心になって、兄弟の集まりを持った。自分が中を持って話のキャッチボールをした。すごく良い話ができた。お互いに、あの時はこう思っていたとか、親父が怖かったとか、兄弟間の話が足りなかったとか、本音が言えた。はじめて兄弟になれたよう。弟がこの集まりを「またやろう」と話していた。私は嬉しかった。
私の心の傷は、弟が生まれた時の2歳児のときにあるようだ。その傷が元になって表現が苦手なのかもしれない。セッションでは、表現できない自分を殺したし殺された。表現したい自分も出て来た。風船のイメージが出る。優しさや受容の象徴だ。2歳児の表現できない自分を、その風船の中に入れて、さらに「寂しい人おいで」とやった。自分の子供や父方の親戚も、入れた。みんなの顔が見える。笑顔で遊んでいる感じ。
そのセッションの後に、保育園に行ったら「お子さん、凄く話せるようになっていますね」と言われた。自分が表現することをOK出せたから自分の子供も出せたのか、と思う。

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母は父をつなぎとめるために自分を妊娠したが離婚し自分にはとてつもない恐怖|セラピーの現場から(654)

○自分の中にすごい恐怖があることが分かってきている。この恐怖が私の人生に存在する不具合の原因になっているようだ。その自分の恐怖の出所が今まで謎だった。それがうすうすわかってきたような気がしている。私の出生前、母と父の仲は破たんしかかっていた。母は父をつなぎとめるために妊娠した。しかし父の浮気があり結局は離婚した。そうであれば自分のとてつもない恐怖が説明できる。
○自分の中にすごい恐怖がある。とてつもない恐怖。言葉にすると全く抵抗ができない状態で、身動き取れない状態で、急に殺される。受け入れる準備もない。その状況で死んで行かなくてはいけない。窒息されるような感じ、否応無しに。
○この恐怖は、胎児が感じていたのではないか。そう思うと母が父の浮気を知った時のことが、当てはまるのではないかと思っている。その恐怖というのは、急に命が奪われる(堕胎の)恐怖だが、そのほかに絶望感がある。(愛情を貰えないまま)生きなきゃいけない絶望感。怖い思いをしなながら生きる生き辛さ、周りに疎まれながら、苦しいことが何度もあるのに生き続けなければならない絶望感だ。
○妊娠中に(浮気)相手がいるという時の母の絶望感があったのではないか。母の絶望感を自分が取り込んでいたのか。母が感じる絶望感なのか、自分が感じる絶望感なのか。区別はつかない。母と一体的で自我の無い(あるいは弱い)胎児には同じことかもしれない。
○今回のセッションではそこをやりたかった。最初、恐怖は出て来た。でも、それ以上は、上手く入れなかった。考える癖が出て来て、それで苛立っていた。逆方向への表現が起きた。楽しくなった。楽しさはエネルギーが出てワクワクしている感じ。それが本当の自分に近いんだろうなと思う。セッションで使われる音楽で楽しくなったのか。最初の恐怖を少しだけだけれども味わうことができたからか。恐怖の理解が進めば自分がこういう(楽しい)自分だろうなと少し納得できた。それが自分だろうな。苦しいこと、辛いことが多いけれども、本来は楽しい自分なのだろうな。
○恐怖をやりたい(深く入りたい)気持ちはあっても、意図的にやると上手く行かない。やはり怖くて嫌なんだと思う。胎児期の恐怖が絶望感になりエネルギーが湧かない、それが今までの自分だったんだ。そのことが分かってきた。

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パンドラの箱を開けた母を求める気持ち|セラピーの現場から(653)

○母を求める気持ちは、現実の母親には受け入れてもらえなかった。だから人生の早くに諦めた。そのつもりだった。そうしてきた。しかし、母を求める気持ちは、現実の母親とは関係なく、自分の中で、存在し続けていた。セッションでは、受け入れてもらえないことからくる、恨みと吐き気が起きる。今回のセッションでは、現実の母親とは関係なく純粋に母を求める愛気持ちが、突然、現れた。パンドラの箱を開けたような、地雷を踏んだような感じだった。
○小さなころから母には邪険にされた思いがある。どんなに母の愛情を求めても、母には受け入れてもらえなかった。心の中で、泣きながら自分を閉じていった。20歳になった頃には(母の愛情を求める)手を引っ込めた自分がいる。諦めた。心象を絵を描いて見ると、真っ暗で、人物の後姿しかない。この人物は母であり、自分でもあるなと思う。私の子供も、同じように私に愛情を求める。応じてあげられない。子供には、私に愛情を求めても「無理だから諦めろ」と言っている。
○今までセッションをやると、恨みと吐き気が起きる。「なんで、なんで」という言葉が出る。何で受け入れてくれないのかという意味だ。「寂しい、辛い、悲しい」という言葉も出る。しかし、それ以上はなかなか深まらない。現実の母親には受け入れてもらえなかったし、いくら求めても現実の母親には受け入れてもらえる可能性は無い。
○今回のセッションでは、セッションで使ったシーツを引っ張っていて、母親のように手放せない、引き寄せる感じが出て、突然に「好きだ」という言葉が出た。言ってはいけない言葉だった。どんなに望んでも愛情はもらえないことが分かっていたから、絶対言わない言葉だった。でも、出てしまった。パンドラの箱を開けたような、地雷を踏んだような感じだった。気持ち良かった。
○次のセッションでは、途中で、幸せだーという感じがあった。幸せが何回か出て来た。この幸せって何だろうなと思った。母親を好きだと言えず封じ込めていたことが、言えたことが幸せなのかと今は思う。今まで求めて来たものを、半分認めつつ、半分認めないでいたが、母親を求めているのをしっかりと認めた。

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生後数か月の頃に置いていかれた心の傷|セラピーの現場から(652)

○私には生後数か月の頃に、置いていかれて受けた心の傷がある。セッションをすると分かる。私の中には母を求める純粋な気持ちがある。赤ん坊が求めるような気持ちだ。それをどうしたら良いか分からない。母はいない、現れない。純粋な求めの矛先を向ける先がない。現実の母も私の気持ちを理解しない。どうしたら良いか分からない状況に直面すると恐怖と怒りがやってくる。
○この純粋な気持ちが通らない状況は死だ。その死をのぞき込んで恐怖を感じる。
○この恐怖は絶対嫌だ。激しい怒りの圧力ではねのける。(それが私の生きてきた生き方。怒りこそが私を支えてくれた。)恐怖は痺れとともにやってくる。手や顔も痺れる。怒りを出すとほぐれる感じはあった。しかし今までのような怒りでは届かない感じがして、恨み呪い殺すと言うのが出てきた。恨んでも呪っても殺しても相手は潰れる感じは全然ない。この怒りの先には皆殺しの殺意がある。それでも十分ではない。まだ体が辛い。
○死を意味する恐怖を少しでも受け入れると体が楽になることがわかっている。でも受け入れるのは嫌だ、絶対嫌だ。受け入れて弱くなるのが許せない。どっしりとしなくなるから。テレビで誰かアスリートが「恐怖を味方にしたら」自分の壁を突破できたというようなことを言っていた。自分には無理かもしれない。
○でも嫌だいやだと言いながら、少しずつ、何かが変わっている。
○セッションで母に「どうかお願いだから殺してください」というのが出た。同時に「一人にしやがって」というのが初めて出た。寂しい、一人ぽっちだった。だんだん、本当に一人なんだ、となった。寂しい悲しい感じの一人より、一人で強くなった感じだった。
○実生活でも変化が起き始めている。普段の生活で家族に対して湧き勝ちだった怒りが湧かない。子供に対して怒りが出ない。夫も楽になったらしい。以前はちょっとしたことで、例えば約束の時間に遅れたことで「このやろう」と腹わた煮えくる感じがあった。自分の中に引けない怒りがあり、怒っていると訳がわからなくなるものがあった。それが、最近は、家族の事情が見えて、怒れない。
○自分の怒りの事情も見えてきたのかもしれない。腹わた煮え繰り返る<どうしようもない>のは、赤ん坊の頃に置いていかれて<どうしようもなかった>んだろう。家庭や職場で自分で<どうしようもできないこと>に怒る。もどかしくなる。泣きながら怒る感じ、怒りながら泣く感じがある。湧いてくる怒りと赤ん坊の頃の恐怖を繋(つな)げないように、味わわないように、している感じがある。
○繋げて味わう途中が恐怖。しっかり恐怖というのを味わっていられない。体が辛かったり痺れたりするから、それで、怖さがあるのだろうと何とか実感できるが、本当に直接にその恐怖を感じるのはできない。何か違う方向に行っちゃうかもしれない。恐怖という一点に絞れない感じ。ドップリ浸かれない感じがする。
○ドップリ浸かれないが、セッションで瞬間的に浸かった経験はある。そのとき、体が全部抜けるような感覚で楽になる。瞑想でも瞬間的には浸かり楽になったりする。恐怖が体に出たりするときに、瞬間的に恐怖に触れると楽になる感じはある。
しかしその瞬間にたどり着くまでが長い恐怖で、その恐怖にはドップリ浸かれない。凄く苦しい。
○でも本当はドップリ浸かりたい。ドップリ浸かって心底満たされたら何もかも納得できる。恐怖は絶対嫌なんだけど恐怖抜きには語れない。

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母の言うことを聞く明るい私「そんな私は幻想だ」|セラピーの現場から(651)

○私の中にある激しい殺意の裏に、母に対して「自分をわかってほしい」「愛してほしい」「くっつきたい、一つになりたい」という気持ちがあった。いくら尽力しても母の愛情は手に入らない悲しさに気づき、涙が溢れ止まらなかった。だけど不思議と温かな気づきでもあった。手に入らないことに傷ついていた。悲しさ、虚しさの理由がわかって嬉しかった。自分の感情を受け入れたのかもしれない。安心感があった。
○ 母は何をきっかけに怒り出すのかわからない人だった。母の言うことを聞く、明るい私だけを好いている。「こんなところが好きだよ」と理想的な姿を並べられるたび傷ついた。「そんな私は幻想だ」と知ってほしくて、母の怒りに触れるようなことをわざとしたり、傷つけるような態度を取った。なぜそんな行動を取ってしまうのか自分のことなのにわからなかったが、はっきりしてきた。優しい母(私を部分的にしか受け入れない母)をぶち壊したい、暗くて悲しい悪態をつく私と向き合ってほしい。そんな背景があった。

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鬱と死の衝動|いらない子だった|セラピーの現場から(650)

 

○毎年ある季節になると、ひどい鬱になり、外に出られなくなる。ときどき死んでしまいたい衝動に駆られ、発作にもなる。その原因として考えられるのは、いらない子だったこと。いらない子だったと、口に出して言うことは簡単だが、正面から認めることがなかなか難しい。だから、その背後にあるべきはずの恐怖が感じられない。
○今、感じられるのは、認められたい、甘えたい、と思う本音、寂しさ、怒りだ。それらを出し切った後で、恐怖がやってくるのかもしれない。その恐怖を受け入れてようやく一人前になると、頭では理解できる。
○さて、私はいつも人前でニコニコ笑う。自分でも不自然と思うくらいニコニコする。この不自然さがひどい鬱と関係しているのかもしれない。前回のセッションではセッションの間中、あえてニコニコしないように、過ごした。そのセッションの後、ニコニコしないことを、持って帰って継続しようとしたができなかった。
無理していい子をやって来たことは随分前に気づいて来て、最近はいい子になろうと思っていないはずなのだけれど、「可愛い」とは思われたい。そうしてやっぱりニコニコしちゃう。可愛い女の子と思われたい。「認められたい、甘えたい」の変形なのかも知れない。
○このニコニコとどんな関係があるのか分からないが、別のことだと思うけれど、生活上であることに気づいた。秘密にしていたことだが、私は元々人を見下す性格で、人をバカにしている。それがとんでもない大きなことだと気づいた。例えば同じ職場で母親に近い年齢の人がいて、何かにつけて気になってしょうがない。目で追ってしまう。不快になる。そして、いつの間にか見下す。見て、凄くバカにしてしまう。その人を見ていて気持ち悪いし、こんな感情があるんだと、自分自身も気持ち悪い。関係ない他人なのに自分でも変だと思う。そもそも私は母親を見下してバカにしている。それが他人にも及んでしまうのかもしれない。母親への不満と怒りが混合して、見下しになるのかもしれない。
○今回のセッションを受けるに際して、どうも具合悪い。何かを分かりたくないのかもしれない。今までにないくらいドキドキして頭が痛い。
○今回のセッションで、前回のセッションでの気づきを、受け入れていないことに気が付いた。「いらない子」だったということが受け入れられていない。思えば、姉二人は母親が生きるためにしがみついて利用してきたが、私ははじめから利用もされない、完ぺきにいらない子だった。そうしてニコニコして生きて来た。ニコニコして元気にしていたら(私がここに存在することを)気づいてもらえるか、「いらない子」から脱せられるか、ということだと思う。
○今回のセッション前に宿題として、現状の自分の状況を、絵に描いてきた。その絵は、見下してひどい状態に描いた母と、その母から遠くに建つ細い高い塔の上に立つ小さな自分が、描かれている。小さな自分は、黒い細い線で描かれ、頭に不似合いなほど大きなリボンをつけている。
○今回のセッションをした。「私が一番」をやった。はっきり言葉にして大声でやれて気持ち良かった。私が可愛くて一番優れた人間で、要は認めて欲しい、認めて欲しいということだ。「だろうな」と思っていたがそこに自然に行けて、認めて欲しい、認めて欲しいを言い続けられた。よかった。
怒りをワーッと出せたのも良かった。最後まで怒りを止めないでできた。
○次の日のセッションでは、「認めて欲しい」や怒りは、影を潜めた。ある程度満足できたのかな。出て来たのが「抱っこー」だった。「認めて欲しい」より、もっと感覚的子供的だ。寂しい、抱っこして欲しい。姿は見えないけど母がいるのは分かる。どんなに泣いても叫んでも母は無反応。それを感じていらないんだなと思ったが、「頭で」考えてしまった。やっぱり本当にはそこに行けない、いらないのを受け入れられない。そこに行くのが怖いんだと分かる。頭では理解しているつもり。いつも分かったつもり、受け入れたつもりでいる。受け入れるのが怖いから「つもり」にしていたんだろうな。恐怖もはっきり感じられない。感じられないくらい怖いんだろうなと・・・。「ただ怖い」ところへ本当には行けない。
○実は母に頼んで、祖母のところに連れて行ってもらった。どうしても祖母に会いたかった。祖母は施設に入っていた。可愛かった。祖母は母を傷つけ、傷ついた母はそのため私を傷つけてしまった。母は私を直接に傷つけたから可愛くないが、祖母は直接でないから可愛いい。愛おしいと感じられる。よかった。

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今まで出せなかった寂しさや怒り|生きていくことが楽|セラピーの現場から(649)

○今までのセッションを通して自分を振り返ると、母親の役に立つことで何とか生きていこうとする心境から、役に立とうが立つまいが要らない子だったと気が付き、その無条件の死の受け入れが起きたことで、ただの温かい自分で居ていいという無条件の温かさに至り、これらの相反する二つのものの同居を「死と背中合わせの無条件な暖かい自分」と呼んで馴染んでいるうちに、それまで母親中心の世界という傾向だったのが、母親という囲いのない自分中心の世界へ移って行った。死の受け入れから真の自立が始まるように思われた。
○最近のセッションでは、死を扱う深い穴のような部分から、まるでその深穴を広げるように、今まで取り扱わなかった、より現実的な部分へと戻る傾向にある。一般的には、セッションを進めるにつれ、現実的な部分を含んだいかりや悲しみが出て、やがてその奥にある死を扱うようになるようだが、私の場合にはまるで、その逆の方向へ進んでいるようだ。死という大きな押さえが取れたので、安心して現実的な部分に取り組めるのかもしれない。
○セッションで、失恋した相手への怒りを出した。愛して欲しいというのが出てきた。母も祖母もそうだった(彼女たち自身もまた愛情を欲していた)。よしよしで終わった。そうではなく、自分自身のことを感じたいなと思っていたら、凄く寂しいのがゴーッと出てきた。昔からある寂しさ。途中から涙が出てきた。
○この涙は窮屈さに対するもの。よくイメージとして出てくる昔の場面で、階段の真ん中の自分にいる窮屈さだ。父と祖母と親戚が1階で、2階に母と妹がいる。1階と2階のグループの仲は悪い。自分はどっちのグループへもいけない。象徴的な場面。凄く狭い感じ。窮屈さ。居ていいよと言われないと、居られない。(自分の存在を)認めてもらえないのはこんなに窮屈なんだ。認めて欲しいのは、祖母も父も母も。
○それは分かっているが物足りない。家族に対して怒っている。寂しさを出した。物足りなくて発狂するように叫びが出てきた。本当に気が狂いそうな込み上げてくる。気が済むまで出そうと思って出した。最後はちょっと暖かくなった。気が狂うような発狂する叫びが良かった。
○今まで出せなかった寂しさや怒りだ。まだあるなと思う。寂しさはまだしも、怒りを扱うのができないので、少しずつ(怒りを)掘っていこうと思う。
○以前に比べれば生きていくことが楽になった。それでも今でも、職場などでの空気、雰囲気で萎縮することがあった。まるで階段の真ん中にいる感じだった。それが、セッションで「発狂」してから、それほどは空気にやられない感じがある。空気にやられるというのは、自分がいちゃいけない、自分を無くす感じだ。そのことが今更のようによくわかる。

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赤ん坊(私)は「荷物じゃない人間なんだ」|セラピーの現場から(648)

○私が胎児のとき母親が重い荷物を不用意に持って、予定よりもはるか前に、破水してしまった。助産院では手に生えない状態になり、病院に入った。もう助からないだろうと思われていた節がある。そうして生まれてすぐ保育器に入り50日近く一人ぼっちにされた。その傷をようやく直視することをはじめた。でもなかなか乗り越えきれなくている。乗り越えられるのかどうか自信がない。不安だ。
○セッションを始めたきっかけが、産後鬱(うつ)だった時のことを思い出す。自分を見たくて始めたというより、鬱々しているのを取りたくて(排除したくて)いたんだな、と思う。その後もセッションを続けようとすると、胸が苦しい妄想が湧いてきたり、風邪をひいたり、遅刻したり、身体に色々な反応が出た。続けるのが嫌なんだなと思ってきた。それだけ怖がっているんだなと分かってきた。そういえば、私の中学生の息子が学校に遅刻するのと似ているのかもしれない。
○今の自分の状況を絵に描いてみた。描かけたのは黒い小さな「点」。悲しみ、絶望、の涙を流している「点」の私。存在が薄い私、消えそう。その点を、消えそうな私を、拡大して描いて見た。体育座りしている私。背中や胸にたくさんの矢や槍のようなものが刺さっている。抜けない。身体中刺さっている。横たわってどす黒い血を吐いている。生きるエネルギーがない保育器の中にいる自分だ。
○この絵をイメージしてセッションを行った。絵は傷ついた恐怖の絵だと思った。横たわった時に湧いてきた感情は怒り。保育器に長い間入れられ見舞いにも来てもらえなかった。赤ん坊は「荷物じゃない人間なんだ」と。怒りの後は悔しいが出てきた。傷を直視しようとするには覚悟がいる。覚悟すること自体が怖い。怖い怖いと泣いていた。時々絵を思い出すと恐怖が引き締まる。怖い怖いと泣いていた。
○実は、もっと怖い事実がその先にあるのではないか。そもそも胎児期から自分の命は軽んじられていたのではないかという漠然とした恐怖がある。その恐怖を思う時、1歩も足が前へ進まなくなってしまうのではないか。
○その後の瞑想では、無の中に時々いられて、じわじわ、良かったなと思う。いつも泣けないのに、今回、泣けてよかった。
○セッションの後、自分という入れ物の中に自分が入っているのが少し感じられた。

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母自身が怒りを持っていた。怒りの塊。寂しい塊|セラピーの現場から(647)

○それまで有るとさえ思わなかった、大きな大きな怒りを出すことができ、いろいろなことが改善され、まるで別世界のような中にいるみたいだ。しかし、自分が感じる日常の怒りが気になっている。まるで前よりも怒りでイライラしているのではないかと思ってしまう。ところが周りの私への評価は逆だ。周りは言う。昔大きな怒りを隠していたときの方がイライラ感が強く私には近寄れなかった。最近は私は丸くなりほとんど怒りが感じられない、と言う。私と周りの感覚の違いは驚くほどだ。怒りに敏感になっているようだ。怒り続けている。何に怒っているのか。
○仕事でイラついて、理不尽にイラついているのではなくて、「まっ良いか」と流していたことが「(そうではなくて)こうだろう」と思うことが結構ある。カッカしてしまう。気になることが多い。それまでスルーしたり無いことにしていたことが、気になって出している。ずっと怒っている。周りの感覚は違うのだろうけれど、私は怒っている。
○何に怒っているのか。それは不自由さだ。押さえつけられ自由になれない。(大きな大きな怒りを出すことができた)今だから分かるのは、(自分の)抑圧で、フィルターのように囲われるもの。究極は守らないといけないと刷り込まれてきたが、(大きな大きな怒りを出すことができてから)解禁された。
○私の不自由さの原因は、気を病んで病院で亡くなってしまった私の母、シングルマザーとして私を育てた母だ。母自身が怒りを持っていた。怒りの塊。寂しい塊だった。その影響を私は受けた。問題の原因として扱いたいのは、母だったり祖母だったり、する。二人は繋がっている。
母の怒りの正体は寂しさだ。寂しいからみんなに癒着していた。祖母や父や(父と離婚後にお付き合いしていた)Aに癒着していた。でも母は祖母に対して甘えられなかったろう。大きな大きな怒りを出すことができた時、寂しい塊は、祖母であり母だったことがわかった。私の不自由さの原因を扱うことができないと(私は)気狂いになる。大きな大きな怒りの対象は彼女ら二人だ。怒りを出すことは、それまでタブーだったが、そのタブーの感じは今は来なくなった。怒りを出せるようになった。扱えるようになった。
○昔は、日常でも人と何かあると、「(その人に自分のとった対応が)良かったのかどうか」と気になって朝まで眠れなかったが、今は気にならなくなった。怒りを出してそれで「良いんだ」と思えるようになった。

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怒りがあまりに激しいため感情が伴わない|セラピーの現場から(646)

○セッションでは、閉じ込めた怒りを、感情を伴わずに、イメージで扱っている。怒りがあまりに激しいためかもしれない。それでも進むにつれて、改善が起き始めている。
○セッションでは、保育器が出てくる。新生児の時に、親の都合で長い間、保育器に入れられたことが大きな傷になっていて、その傷の象徴が保育器だ。今までのセッションでは、保育器の外側に両親がいて相談している。仕事が忙しい時なので(新生児=私を病院に)「預けちゃおう」と言う話をしていた。私は聞かないふりをして静かにしていた。しかし、この保育器は私を入れたまま、レールの上を走り、焼却炉へ投入される運命だ。
○今回のセッションでは、静かにせずに、保育器の中で(嫌だと)暴れていた。その状況を両親も見ている。感覚的には(言葉にはならないが)私は「こんなところに入れやがって」と怒っている。
○親の都合で新生児を無慈悲に扱う雰囲気が、別の場面では、祖母が残飯を無造作に窓から捨てる光景につながる。鍋の残りを捨てる。その残飯を捨てるように私は保育器へ捨てられた。祖母から母へ、そして私へと伝わる雰囲気だ。
○私の怒りが燃え上がる。今度は、私の方が捨てる番だ。窓際で母と祖母を捨てようとしている。彼女らは窓枠にしがみ付く。蹴ったり押したりしても、しぶとく、なかなか落ちない。窓の外は霧が立ち込めて見えない。落ちないでいて、ナタがあったので、しがみついている手や足をナタで叩いた。ひたすらやってなんとか外に落とそうとしている。指とか下にバラバラ落ちている。指のなくなった手首だけで戻ろうとしている。許さない。激しい憎悪だ。さらに叩く。もぐらたたきのよう。そんなイメージでやっていた。窓枠から入ってくる手首を外に出した。彼らは最終的にいなくなった。窓の内側に落ちている指や手を外へ投げた。気持ち悪い。
○次の場面では、自分が燃えている。怒りの象徴。灯油をかぶって全身を炎に包まれ燃えるように。燃えている自分を見て母も祖母も逃げて行く。追いかけて抱きついて一緒に燃やす。燃える匂いや髪の毛がわかる。何度もやるが、途中から母親だけは何度も生き返る。しぶとく逃げる。「どうだこのやろう」と怒ってやる。
○焼却炉のイメージと関係があるのか、私は、火の中に入れられても、死ぬまで我慢できる、という気がする。(火だけではなく、私は傷みにも人一倍我慢強い。)私は我慢できるが、抱きついて焼かれるのは我慢できないだろう、この怒りがわかるか、苦しみがわかるか、どうだこのやろうと、そういうことだと思われる。
○出てきた三つの場面とも、激しい怒りがテーマだ。怒りの矛先は母と祖母、特に祖母。普段の生活では、同じような想像をしても、冷静で怒りとかはない。今回のセッションでは、怒りとして出てきた。確かに怒っている。が、全然物足りない。何度もやりたい。
○実生活は、かえって、落ち着いている。我慢している感じはない。我慢しているのではない。前よりも寛容になっている。怒りそのものが減っている。いろんなことに、だんだん我慢できなくなっている。痛みもダメになっている。

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生きているお前はいらない| 母子相互依存|セラピーの現場から(645)

○母との相互依存から抜け出せない。なんとか自立しようとする気持ちがある。その反対に、共依存のままもっと一体化したいと言う思いが隠れている。その思いをなんとか、なくそうとしている。でもなくならない。強くなる。その絵を描いた。もっと一体化したいと言う気持ちでセッションが進んだ。ところが、そうすると、一体化の主導権を自分が握ることになり、母親は主導権を奪われ、離れていくと言うイメージが出た。相互依存から抜け出すきっかけが現れた。
○<母に対する憎悪から自立へ向かい空っぽの自分の正体へ>
母との相互依存に苦しんでいる。今まで母に対する憎悪を扱ってきた。そして、ようやく母からの自立の感覚が出てきた。前回のセッションで、自立を扱うにつれて、自分には感情がない、空っぽだと分かった。寂しいと言う感じが出た。これが自分の正体かもしれない。すると、その後の生活で、1週間くらいはぼんやりやる気が出なく眠い。昼寝してぼーっとしている。母から離れられず、本当に自立する勇気が出ないのかもしれない。でも自分で食材を買って来て料理をしようとしたり、それを食べて美味しいと感じる。喜怒哀楽や聴覚、味覚が戻って来た。悲しいときは泣くし、楽しいときは笑えるようになった。自立に向かっている自分の来の感覚がよみがえったのかもしれない。
この本来の感覚を今までなぜ失っていたんだろう。今まで色々なことを感じ過ぎるので、感情をなくして生きるしかなかった。感じ過ぎて反応すると(母からの)罵声が返ってくる。母が感情を切っている(OFFにしている)人なので、(私も)感情を持つことはいけないと刷り込まれたと思う。ちょっとしたことで嬉しかったり悲しかったりするのが本来の私に近い。
○<揺り戻しのように、自立したくない気持ちに向き合う>
つい最近、母に病気が見つかって、大慌てだった。手術はしなくて済んだが。母以上に、自分が慌てた。パニックになったらしく生理痛もひどかった。外に出られない。人と話すのが怖い。人と接するのが怖い、自立するのが怖い。自立できないという気持ちが、より本音に近い。自立できないという方が中身が入っている感じがする。
○<母と団子の絵>
自立したい自立しなければならないんだという気持ちの陰で、自立できない(したくない)という気持ちを否定し隠してきた。そこがネックになっている。そこで母と離れられない(離れたくない)という絵を描いて見た。自分と母が一体に団子(だんご)のようになっている絵、母が私を食べる絵、私が母を食べる絵だ。この絵をテーマにセッションを進めた。
○<隠れていた本音のセッション>
お母さんと一緒にいるのが怖かった。お母さんと「一緒にいる(いたい)」と言ったら、その途端にバイバイしなくちゃいけないと思っていた。お母さんと「一緒にいる」って言ってみたい。3歳の自分が言っていた。言っても(自分では)認知したくないことだった。お母さんと「一緒にいる」と言うことは3歳の自分が「生きる」ということだ。でも、本当に生きることは(母からの縛りで実は)叶わないことなので、いつも、死にたいと思っていたから、言えなかった。「生きたい」と言ったら嬉しかった。「一緒にいる」ことの主導権を、母ではなく、私が握った。死にながら「一緒にいる」のではなく、生きて「一緒にいる」ことを選ぼうとした。
<生きているお前はいらない>
そうしたら、(イメージとして)後ろからお母さんが出て来て、死んでないお前はいらない、生きているお前はいらないと言われた。
<本当に一緒になりたかった>
悲しかったし腹が立った。生きたいのを認めないのを許せなくて嫌だ、と母を殺したというより、こねた。(母に見立てた)座布団をこねた。今までのような状況でお母さんと生きるのは、私は死んだままだから嫌だった。でもお母さんを殺すことができない。できないのが嫌だとお母さんをこねていた。こねることで殺し始めていた。自分とお母さんが混じる感じだった。混じって一緒になって気持ちよかった。本当に一緒になりたかったんだ。
<バイバイ>
その瞬間お母さんはいなくなった。寂しい、辛い。いなくなった。混じったらいられるかと思ったがいなくなった。これから生きる決意を小声でバイバイお母さんと言った。寂しいし悲しいし、でも嬉しい。いなくなって嬉しい気持ちがあった。寂しさと嬉しいので泣けた。ずっと泣いていられる感じがあった。途中でやめた。もっと泣けば良かったな、と思いながら泣いた。
セッションが終わった後、足も軽いし、肩も軽い。不安もあるが、今回のセッション前は「お母さんと離れられなくて、これからどうしょう」と思っていたが、今は「私一人だし、これからどうしよう」だった。離れて一人になった。ご飯も美味しい。今回のセッションは自力で初めて掴んだ感じがあった。
<登場した「大好き」>
次の日のセッションでは、泣き足りなかったところからやった。「お母さん」と叫びたかった。以前は、こっちを向け、憎い(憎悪)、だったが、「お母さん」ダーっとボロボロ泣けた。「大好き」とやると、死んじゃえよとなってこねる。大好きと憎悪があって良いんだと思った。以前は、死にたいばかりできたが、生きたいもあって良いんだと思った。殺せなかった母を2回殺したし、あなたが生きたら私が死んじゃうと言うので「ふざけんじゃねえよ」と、やれた。死んだお母さんを抱いていたら安心した。落ち込むのと、寂しいのと、嬉しいのと、ため息だった。
生きていて良いぞと笑いたかった。「愛おしいお母さん」とやれたのが嬉しかった。お母さんと二人でダンスした。生きることも死ぬことも怖くないなと思った。母を本気で愛し本気で憎まなければ、本当の自立はありえないのだと思った。

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