159 重要なのは感覚か理屈か ー 理屈でギリギリまで迫り、最後のところは感覚が仕留める 

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自分の心の謎を解き明かす時に、重要なのは感覚か理屈か。
感覚は言う。母親を「嫌いだ」。別の感覚が言う。母親を「大好きだ」。理屈は言う。それは「変だ」「どっちなのか」。
しかし感覚は間違っていない。2つの感覚はともに正しい。そのことがわからない理屈は、感覚よりも役に立たない。するどい感覚を持っている女性は、本質を見抜く。相手のことがわかる。共感が成立する。カウンセリングが成立する。
ところが理屈は、学ぶ。母親を嫌いでもあり好きでもあるという人は、たくさんいる。どうもそういうものらしい。そして、嫌いでもあり好きでもあると言うことが2つの感覚によってバラバラに認識されているらしい。そしてバラバラがやがて統合されることで、病気が治っていくのを目の当たりにすると、理屈は学ぶ。そういうものらしい。そうなれば理屈は強い。感覚に惑わされない。
感覚は直観的で強い味方。だから女性はカウンセリングに向く。カウンセリングに価値を見いだすのも女性。悩んだ人の話に、感覚的に共感することができる。分かり合うことができる。それがカウンセリングの本質。
では理屈は無用なものか。精神分析は理屈である。それでも精神分析は役に立つ。精神分析が最終的に引き起こす「洞察(どうさつ)」は、紛れもない感覚の世界。理屈によって、重要な感覚にたどり着く。
感覚は他の感覚によって乱され訳が分からなくなる。互いに反する感覚の群れの中に、あなたは失われてしまう。右も左も東も西もわからなくなってしまう。混沌。それが厄介。都合の悪い事は、別の感覚が押し隠してしまう。深く埋められる。あなたは分からなくなる。
理屈も間違う時がある。しかし、1度間違ったことに気がつくと、2度目からは間違わないことができる。理屈だからである。理屈は明快。感覚のような混沌とは一線を引く。
結局のところ感覚と理屈はともに必要。理屈でギリギリまで迫り、最後のところは感覚が仕留める。理屈が追い、もう逃げられないところで、最後に感覚が捕まえ包み込む。両方必要。

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