399 自分を表現できないという謎が解けた1/2
◎私は、自分のことを言葉でなかなか表現できない傾向がある。なぜそうなのか、長い間の謎だった。その謎を探るうちに、「表現すると死」という感覚がつかめた。その後しばらくして「表現しなくても死」という感覚が出た。一体どういうことなのだろうか。その二つは何を示そうとするのだろうか。謎が極(きわ)まった。それを調べるうち「いらない子」というのがわかってきた。謎は解け始めた。同時に、帝王切開で生まれることの恐怖も絡んでいることがわかった。その恐怖の裏には、生まれたくない、という気持ちが潜んでいた。セッションで、生まれることを拒否して死んだら、自分のエネルギーが弾(はじ)けた。
○<表現できない>
私は、長い間カウンセリングに親しんできて、人の気持ちはよく理解できるようになった。みんなから頼りにされる。仕事も家庭も順調。産まれた子供もかわいく育てられ満足している。しかし、自分のことを言葉でなかなか表現できない傾向がある。カウンセリングの最中でも言葉に詰まり沈黙が続いてしまう。なぜそうなのか、長い間の謎だった。その謎を探る時期が続いた。
○<表現しても死、表現しなくても死>
その謎を探るうちに、「表現すると死」という感覚がつかめた。自己表現すると、疎(うと)んじられ愛情をもらえず、死が待っている。
瞑想で思い出したことがある。私が2歳で弟が生後3ヶ月、母が弟におっぱいをあげている姿が出ている。私は母へ声もかけない。行かない。見ているだけ、待っているだけ。それが、ずっと、私だった。行くより待つのが私。何度も思い出される。
本当は何を言いたいのか。母から私に声をかけて欲しい、母の背中に抱きついて行きたかった。でも、受け入れてもらえないのを知っているからできない。甘えたい自分がいて、瞑想で甘えをやってみた。走って行ったら、そうしたら、お母さんがいなかった。母は透明人間で、私へ意識がない。表現しないでいると、私へ意識のない母は、いつまでたっても私のところには来ない。行きつく先は死。
〇<表現できた>
その2歳の頃の甘えをセッションで扱った。母が弟におっぱいをあげていた時をイメージしてやれた。言葉に出せた。「こっち向いて」「抱っこ」「ちょうだい、ちょうだい」言葉で表現できた。駄々っ子。母がこないのは分かっている。でも諦めないで求め続けるのができた感じがした。良かった。気分がいい。やりたいことができた。
○<いらない子>
「表現すると死」と「表現しなくても死」という感覚は、一体どういうことなのだろうか。その二つは何を示そうとするのだろうか。謎が極(きわ)まった。すぐそこまで答えが来ている感じがあるのに、なかなか、二つはつながらなかった。心の中を調べるのを止めなかった。瞑想を続けた。
すると、お腹の中に飛んだ、「本当はいらなかったのに」が出た。納得して、いい感じ。
「いらない子」。これをはっきりさせないようにするために、しがみついてきた。瞑想の中で「どうしようできちゃって」と母が思っている。母は父を見ている。最初の兄の上は堕胎している。順番が違えば私だったかもと、前から思っていた。お父さんに言われて堕していたのかもしれない。
実は、私も自分の子供を妊娠した時、そう思った。母と一緒だなと思う。
続く。
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