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現代の悟り:見捨てられ感から悟りの道|アコールセラピーの現場から(710)

「現代の悟り:見捨てられ感から悟りの道」
<W>
ブログ(705)(706)で悟りとの類似性を話題にしました。
<H>
アコールセラピーが似ているということですね。
<W>
はい。すこし、続きをさせてください。
<H>
どうぞ。アコールセラピーが現代の悟りだという話ですね。
<W>
悟りというのは日本の禅仏教だけの概念ではありません。
他国の宗教にも似た概念があるようです。エンライトメントとか言うこともあるようです。
<H>
うんうん。それで・・・。
<W>
宗教の話をするには、宗教とは何かが、ある程度はっきりしていないと、実のある話にはなりにくいです。しかし、宗教といえば、心が解放される点(悟り)、そのために死を扱う点などは共通していると言っていいと思います。大ざっぱですが・・・。
<H>
なぜ死なのか、ということですね。
<W>
そこです。寿命という意味の死だけでは、説得力がないですね。毎日、宗教家が修行するのに、50年先の寿命の死をどう扱うのかを目標にしているなどとは・・・。
<H>
毎日修行するのですから、もっと時々刻々の切実な心的欲求があるはずだと・・・。無意識では。
<W>
その通りです。
<H>
定説ではないけれど、イエスキリストの原罪というのが、彼の出生の秘密に関係していて、母マリアから本当の愛情をもらえなかったことから来る、というあれですね。
<W>
キリスト教を例にすると、ということですね。はい。
二千年以上前のことですから真相がわかるということは望みにくいけれど。根強くささやかれるというあの話です。例えばですが。マリアがローマ兵にレイプされてできた子供がイエスで、マリアが信心深かったので、イエスの命を長らえ、何とか育てたけれども、本当にはイエスを愛することは、決してできなかった。
<H>
感性豊かな子供であったであろうイエスの心は、深く、深く傷ついたでしょうね。
<W>
イエス自身には何の落ち度もないのに、絶対に真の愛情はもらえない。意識の底では本当は嫌われ続けるのですから。自分には、生まれる前からの原罪というのがあるのだ、ということにも当然なりますね。
<H>
深い得体のしれない殺意を抱いた殺人者になっても不思議ではない、ひどい話ですね。
<W>
深い殺意の裏には死があったでしょうね。
<H>
あったでしょうね。実は死を望まれていたでしょうから。いらない子。
<W>
母子関係からの死です。母親からの見捨てられ感からの死です。
そこを観られれば、悟りの道まっしぐら。
<H>
母親からの見捨てられ感は現代に溢れかえっていますね。だから見捨てられ感から悟りの道へ入っていけるということですね。
<W>
そうです。
現代の悟りの道です。
<H>
苦しむだけではもったいないということでしょうか。
<W>
まさに。医療は役に立たない。自分を変えられない。薬に頼らない。慰めに頼らない。事実を観て自分で自分を変える。苦しみを抱えた現代人の突破口。現代の悟り、です。
<H>
究極の健康が手に入るということでしょうか。
<W>
そのハウツウが、愛憎の統合、生死の統合です。
<H>
その統合についは既に別のブログで話していますね。
<W>
何度でも話したいです。

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