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今まで出せなかった寂しさや怒り|生きていくことが楽|セラピーの現場から(649)

○今までのセッションを通して自分を振り返ると、母親の役に立つことで何とか生きていこうとする心境から、役に立とうが立つまいが要らない子だったと気が付き、その無条件の死の受け入れが起きたことで、ただの温かい自分で居ていいという無条件の温かさに至り、これらの相反する二つのものの同居を「死と背中合わせの無条件な暖かい自分」と呼んで馴染んでいるうちに、それまで母親中心の世界という傾向だったのが、母親という囲いのない自分中心の世界へ移って行った。死の受け入れから真の自立が始まるように思われた。
○最近のセッションでは、死を扱う深い穴のような部分から、まるでその深穴を広げるように、今まで取り扱わなかった、より現実的な部分へと戻る傾向にある。一般的には、セッションを進めるにつれ、現実的な部分を含んだいかりや悲しみが出て、やがてその奥にある死を扱うようになるようだが、私の場合にはまるで、その逆の方向へ進んでいるようだ。死という大きな押さえが取れたので、安心して現実的な部分に取り組めるのかもしれない。
○セッションで、失恋した相手への怒りを出した。愛して欲しいというのが出てきた。母も祖母もそうだった(彼女たち自身もまた愛情を欲していた)。よしよしで終わった。そうではなく、自分自身のことを感じたいなと思っていたら、凄く寂しいのがゴーッと出てきた。昔からある寂しさ。途中から涙が出てきた。
○この涙は窮屈さに対するもの。よくイメージとして出てくる昔の場面で、階段の真ん中の自分にいる窮屈さだ。父と祖母と親戚が1階で、2階に母と妹がいる。1階と2階のグループの仲は悪い。自分はどっちのグループへもいけない。象徴的な場面。凄く狭い感じ。窮屈さ。居ていいよと言われないと、居られない。(自分の存在を)認めてもらえないのはこんなに窮屈なんだ。認めて欲しいのは、祖母も父も母も。
○それは分かっているが物足りない。家族に対して怒っている。寂しさを出した。物足りなくて発狂するように叫びが出てきた。本当に気が狂いそうな込み上げてくる。気が済むまで出そうと思って出した。最後はちょっと暖かくなった。気が狂うような発狂する叫びが良かった。
○今まで出せなかった寂しさや怒りだ。まだあるなと思う。寂しさはまだしも、怒りを扱うのができないので、少しずつ(怒りを)掘っていこうと思う。
○以前に比べれば生きていくことが楽になった。それでも今でも、職場などでの空気、雰囲気で萎縮することがあった。まるで階段の真ん中にいる感じだった。それが、セッションで「発狂」してから、それほどは空気にやられない感じがある。空気にやられるというのは、自分がいちゃいけない、自分を無くす感じだ。そのことが今更のようによくわかる。

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甘えたかっただけじゃん|すごい剣幕で私を殺そうとする母|でも譲れない|セラピーの現場(621)

ハッキリしなかった私の心に届いた。ようやく見つけた。私の本音「甘えたかっただけじゃん」。
ある日のセッションで本気でやれた。それまで、(セッションは)やれば良いんでしょみたいだったが、本当にやれた。その後に出て来たのは虚しさ悲しさ。ワーッと出て来た。その瞬間「甘えたかっただけじゃん」とストンと分かった。子供も私にこんなに甘えたかったんだなと分かった。その後のセッションで、劇の補助役の母役だった時に、やはり同じように、そのことに響いた。
今回のセッションでも同じ本音をやった。納得できた。そして死に響く。甘えたかっただけなのに。この「甘えたい」を隠したのはなぜか。死に近づくからだ。「甘えるとは何事か」「生きているうちは甘えな」「甘えるとはとんでもない」(母が)ものすごい剣幕で私を殺そうとする。
それでも母親に甘えたい。殺されようと、私は甘えたかった。私への殺意があっても、甘えたかった。そのことを味わった。寂しさがあった。でもあったかい。あったかい涙。
これがあれば生きていける。これは譲れない。私にはこれ(甘え)がある。殺されようが譲れない。誰がなんと言われても譲れない。殺されたって曲げることがない。媚びることがない。気持ちよかった。
セッションから家に帰って、今夜こそ、ぐっすり眠れると思った。その通りにぐっすり眠れた。解放感を味わった。今までは、しつこい不眠症気味だった。
次の日は、身体は疲れるけれど心は軽いと感じた。苦手な母の介護もイライラは長く続かなかったな~と感じた。明日、母をまたお世話するのが、ある意味楽しみだ・・・。これも「甘えたいだけじゃん」のお陰だ!私の究極の本音だから。頑張って(母に対する)「いい娘」をやったり(子供に対する)「いい母」をやったりしない様にしたい。頑張りではなく本音とともに居たい。

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死にさらされて死を拒否|心の蓋を開けてしまうよう|堤が崩れ物凄いエネルギー|セラピーの現場(618)

今は何があっても日常が楽しく、これからの自分が歩いて行く人生を思うとワクワクしてくる。
今、分かってみれば、昔の私は死にさらされていて、そして死を完全に拒否していた。死にたくなかった。死ぬのが怖かった。生きたかった。どうしても生きたかった。でも、生きたい!!と言っては絶対いけなかった。心の蓋を開けてしまうようで、死に扉を開けてしまうようで、どうしても口に出して言えなかった。でも、私は自分を知りたかった。知って私は自分自身を生きたかった。その当時、セッションで、決意して「生きたい」と口に出して言った。ほんの少し死に扉を開けた。そしたら、なんと止まらない止まらない。この生きたい願望が湧き出した。どんどん口から、いや、お腹から、いや、全身から湧き出てくる。「生きたい」「生きたい」・・・。
この「生きたい」という願望は、同時に、その願望を許さない何かに向かって、激しい怒りのエネルギーとして噴出した。怒りを存分に噴出させることで自分を徐々に回復できる時期が続いた。
やがて、怒っても怒っても物足りないようになった。怒りの奥には恐怖があった。怖くて怖くて本当に怖かった。寂しさや孤独という簡単な言葉では表したくない程の寂しさや孤独だった。そこを跳ね除けるために怒っているようでもあった。
その後に、跳ね除けずにほんの少し味わうことができた。そうしたら堤(つつみ)が崩れるように泣けた。永遠に泣けていられる感じだった。泣けるエネルギーは、怒りと同じエネルギーだが、怒りのエネルギーが小さく感じるぐらい、物凄いエネルギーだった。
この物凄いエネルギーが出てから、今は、いわば毎日が遠足前日の気分で、日々圧倒される気分を味わっている。

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