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愛情が欲しいけれど生きたいと思えない|職場への不満と母への依存1/6|セラピーの現場から(676)

彼女がセッションを始めたのは職場への不満に取りつかれて身動きが取れなくなっていたためでした。背後には母親への強いあからさまな依存がありました。もともとは母親との相互依存が始まりでしたが、母親はセッションにより依存を脱出していました。
あたかも母親への満たされない思いが職場への攻撃になっているようでした。母親は依存させてくれなくなりつつあったので彼女はいよいよ孤独でしたが、その孤独に向き合わざるを得ないために、一筋の光もさしてきました。
<愛情が欲しいけれど生きたいと思えない>
愛情が欲しい。何故か分からないが泣きから始まって、お母さんの愛情が欲しいでなく、みんなの愛情が欲しいになっていて、気持ちが欲しい、関心が欲しい、好きになって欲しい、愛が欲しい。そういう気持ちに支配されていた。(お母さんは今はセッションをしたため自分の傷に気づき、ちゃんと関心を持っているが昔は)母の愛情もなくて来たから。
愛情が欲しいだけの私。それだけ。自分がない。
でも、セッションで「愛情が欲しい」とやると、本当に一杯もらったら死ぬとしか思えない。愛情を貰って死にたい。「死にたい」がある。
<型にはめて生きようとする><でも生きる資格がない>
私の中では「生きていて良い理想の人像」があって、どうしても本当の自分を無視してそこに収めようとしている。
(もともと母親に望まれず)要らなかった自分、死にそうな自分を守ろうとして、だんだん分からなくなって、型にはめて生きようとする。が、分からなくなって、生きる資格がない。生きたいと思えないのが(セッションでの)一番の泣きだった。(それは始めは)何だか分からない感情だったが出て来て良かったなと、思えた。
「生きたい」とやっても「死ね」と返って来る。「生きてはダメ、死ね」という自分に泣いた。私には生きたいというのがないのか、目標は愛情を貰って死ぬんだとなってしまう。
価値のない自分に泣けた。生きたいという価値も資格もない自分。その自分も隠そうとして見ないようにしている。うまくいかないと、頭だけで理想像に走って、(本音や感情がなく)泣けない。そんなセッションをやっていた。
<父親の危機的病気>
そうしているうち父親がトイレで倒れた。知り合いが癌の末期と聞いたショックからだった。脳梗塞だった。救急車を呼んだ。フラフラしながらも自分で歩いていたので大したことはないかと思っていたが、大手術することになった。
そもそも父は、いても、いないようなものだった。いないのは慣れている。金銭的支えはあるだろうが、心の支えでない。かえって、自分の心の空白と向き合えない父が四六時中かけているテレビの音がなくなって良かった、と感じていた。
それよりもお母さんが、病院に行くことで、疲れがあって、心配にはなった。
<自分の「惨め」さを境遇(職場)のせいにし、左右に揺れ、時間に追われて・・。>
そうするうちも相変わらず、職場のことで何回も母と喧嘩した。自分は職場を辞める、辞めないで左右に揺れて両親に愚痴を言った。そうしたら「生き死にがかかった人(父)に言うな」と母に怒られた。辞めたいなら辞めて「好きにしてくれ」と言われた。喧嘩した後、仕事に行きたくなくてじっとしていた。本気で辞めようかと思った。
でも職場に行くと、私だけ作業の「時間がない」とガガーッとやる。怒りながら作業をしている。時間に追われて胸が苦しく楽しくないまま、「急げ急げ」で1日が終わる。
<明日になるのが怖い>
最高に苦しかった時など、休日に日が沈むのを見ると、胸が苦しくなり、明日になるのが最高に怖い時があった。明日になるのが嫌だから死にたいと本気で思った。人に会いたくない。
<いい子をやって内心怒りがいっぱいで帰ってきて愚痴る>
そんな気持ちを引きずって仕事場のドアを開けた瞬間に、仕事イケイケどんどんの自分が出てきて、怒りの勢いでうれしくも楽しくもない気持ちですごい勢いで仕事をこなすが、人への敵対心を隠すようないい人、いい子をやって内心怒りがいっぱいで帰ってきて親に愚痴る。
まるで自分で自分の頭を鈍器で殴って気絶させて胡麻化しているような、嘘だらけの毎日である。仕事のせいで私は本当のなりたい自分になれないと思っていた。

<<続く>>

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