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493 昔からの物語は人の心を深く打つ:エディプス王や阿闍世王の物語

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昔から伝わる物語は、人の心を深く打つから伝わるのであり、打たれる側の人に同じものがあることを意味する。
エディプスコンプレックスの語源は、ギリシャ悲劇のエディプス王の物語にある。この物語で、エディプス王は、それと知らないうちに父王を殺して母との間に子供を作っていたことに気が付き、深く葛藤し自らの目をつぶした。一般的にも、男の子には父親への殺意があり母を得たいと望む気持ちが隠れているとして、フロイトは、その葛藤をエディプスコンプレックスと名付けた。これは有名な話。自分、父、母の3者関係。
阿闍世(あじゃせ)コンプレックスの語源は、仏典の阿闍世王の物語にある。阿闍世王は母親が胎児の自分を殺そうとしたことから、長じて母親への殺意を持つ。一般的にも、母親が胎児を望まない時期があると、子は長じて母親への激しい怒りを持つとして、古澤平作は、この葛藤を阿闍世コンプレックスと名付けた。生まれる前からの怨(うら)みという意味で未生怨(みしょうおん)ともいう。自分、母の2者関係。
ところが前者の物語にも、後者の物語に相当する部分がある。前者のエディプス王の物語では、「産まれてくる子は父を殺し母を犯すであろう」との神託を信じた両親(父王とその妃)によって、エディプスは産まれてすぐに、殺すために捨てられてしまう。殺すために捨てられるシーンは色々あるらしい。一つには、エディプスの踵を矢で射ぬいて川に捨ててしまう(「阿闍世コンプレックス」小此木啓吾 他著 創元社 54ページ)。他には、外に放置して死なせるように、踵(かかと)から木に吊り下げた(「胎児は知っている母親のこころ」トマス・バーニー著 日本教文社 第4章81ページ)。エディプスとはギリシャ語で腫れた足の意味だそうである。
ベビーブレスでは、未生怨(阿闍世コンプレックス)がテーマになることは珍しくない。昔から私たちは同じテーマで葛藤してきたようだ。

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369 繋がり(つながり)たいと言う気持ちが子宮の中のイメージ

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ベビーブレス。自分の子宮の中に両親を入れるイメージと、自分が子宮の中にいるイメージと、自分の子宮の中に息子がいるイメージと、重なって体験された。一体になって繋がり(つながり)たいと言う気持ちが、子宮の中に入る、すなわち妊娠と言うイメージで表されているように思われる。
今回は呼吸がスムーズに出来た。父、母と繋がっていたい。私は求めているのに、繋がれず悲しく泣く。父母の口癖「仕方ない」が出てきた。なんでもそれで諦める2人。自分がなく、いつもそうやって逃げる2人を許せない。今度は怒り。ダンボールを殴りつけたが、呆気なく2発で潰れ、物足りない。潰れたダンボールをギュウギュウ捻り、最後は息の根を止めるために、折った。それを抱きしめ離れたくない、離れないと股の間に挟み丸くなる。
そうしたら、子宮の中。胎児の私と息子が出てきた。思えば息子を、意識なく産んだ。破水させてもらい産んだ。息子はまだ生まれる準備は出来ていなかったはずで、私は後悔している。お産をやり直したい気持ちがあった。息子へ「出たくなったら出たら良いよ。出たくないのならそのままで良いんだよ」と思う。
胎児の私はこのままが良い。母と一体のままずーっと一緒が良い、このまま離れたくない。とても温かく静かで安心する場所、落ち着く。
<笑い>のセッションでは、泣きながらダンスした。ヘロヘロになった。<死>のセッションでは、倒れ、鼓動が激しく生きているなぁと実感する。段々落ち着いてきて、そのまま身を任せていた。静か。死の感じ。大地に吸い込まれ一体になる感じ。スッキリし気持ちが良い。

 

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139 生を諦めた(死を選んだ)のに生かされたことへの怒り:死が怖いのに死を望む人生3/4その6

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母や自分の正体が知りたい3/4その6
<本当の生を諦めたことへの怒り>
でも、弱々しくなる=母に従う事でもある。母の殺意を感じ生きてきた私は、自分が弱々しくなり、死ぬ事は、産まれたくなかった私にしてみればそれで良いのかもしれないが、結局は母に従って死ぬ事になる。それが許せなかったんではないか・・・と。母の私自身への殺意や憎悪を感じてきたから、産まれたくなかったって思ったのであって、殺意や憎悪を感じなければ、本当の私はどう思ったのだろう・・・。生きる事を本当は望んでいたのかもしれない。だって生きたい!!と絶対言ってはいけなかったのだから。言えなかったのだから。この母親はダメだと思い諦めて「産まれたくない」と思ったんだろう。生きたい私は、諦めて死を選んだんだろう。

<生を諦めた(死を選んだ)のに生かされたことへの怒り:死が怖いのに死を望む人生>
母は私を妊娠中切迫早産になり入院し、その後は予定日を1週間以上すぎても私は粘り、お腹の中に留まり、挙げ句の果て心拍が弱くなったと言われ帝王切開で産まれた。全く私の思いを無視した事だ。せっかく生きる事を諦めたというのに。生きる事になってしまた・・・。産まれてくる事まで従ってしまった・・・。従わざるおえなかった・・・。帝王切開なんだから。そう思うとガッカリするし、無性に腹が立つ。納得した。この怒り。死が怖いのに死を望む人生・・・。納得した。
自分の生に怒り、自分が生きる事を諦めてたのに死ねなかった死に対して怒り、母に怒り、母のプレゼントに怒り、母にプレゼントした祖母に怒り、そして、娘に怒り、娘を育てられない事に怒り、母の子育てについて怒り・・・怒り、怒りのオンパレードで生きてきた。

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127 子としての傷と母親としての鈍感さとー生かそうが殺そうが私の自由

 

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私たちは、母が自分の妊娠を望んでいなかったことに非常に大きく傷ついてしまう。その傷が自分の人生に、陰で大きく影響していたことにも気が付く。とても大きな傷。大きな痛み。

ところが私たちは、反対に、自分が母親として子供を身ごもり、自分のお腹の中にいるときに、「この子さえいなければ・・」と思ったことがあるのを忘れていることもある。傷の大きさとこの鈍感さとは、どのように両立するのか。唖然とする。
母はどこかで思う。私の血と肉とで無から胎児を育て上げ、自分の命をかけるような出産をし、乳を与え、おしめをして一人前にする過程は、子供と母の1対1の関係であり、余人を一切受け入れない。全くの私的な出来事。私の子の髪の毛一本すべて私のもの。可愛いと思えれば命を張って生かす。躊躇なく自分の命を差し出す。が、可愛いと思えなければ、指一本動かすことでこの世から消し去ることができる弱い存在。生かそうが殺そうが私の自由。子の生死は私のもの。
思うに、お腹の中は無から生が生じるところ。死と生が出会うところ。おそらく、私たちは、事の全体を生と死からとらえることが必要。

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119 「この子さえいなければ・・」と思ったことがあるのを忘れているーそう思われていたことも忘れている

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自分自身の子供を堕胎した事実さえ忘れていることがある。記憶にないことがある。悪人だからではなく、それに耐えられないからである。生まれて今は立派に(肉体的には)育った子供も、その子供が自分のお腹の中にいるときに、「この子さえいなければ・・」と思ったことがあるのを忘れていることもある。
一方で、ベビーブレスなどで、心の傷の深い部分に入って行った際に、母親が自分の妊娠を望んでいなかったことをに気がつき、今まで自分を苦しめていた傷として納得し、その傷の大きさに圧倒されることがある。
後者の重大さを体験することは起きやすい。しかし、前者のことの重大さに気が付くことは、起きにくい。まるで他人事である。2つには大きな大きなアンバランスがある。被害者としての傷の大きさには耐えられても、加害者としての罪の意識には耐えられないのかもしれない。だからまず、自分の心の傷を徹底してやる。そして、阿闍世コンプレックスの重大さを十分に理解する必要がある。

 

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113 思い出した殺意 1/2ー母からの殺意自分へ胎児へ

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セッションが進み、思い出してきたことがある。はっきりしてきたことがある。怒りを許し、悲しみを許し、自分自身の死の恐怖に向かい合う作業を始め、そして、記憶の固い蓋が緩んだ。私のお腹にいた娘に対する拒否があった。さらに昔、19歳の時に堕胎していたことをはっきり思い出した、話せないことだった。殺意だった。自分へも殺意があった。その奥には母が持つ殺意があるだろう。
<母の結婚生活は幸せではなかった>
母の結婚生活は幸せではなかった。私がお腹の中にいる時、母は「あんた(胎児の私)さえできなければ」と思っただろう。毎日飲みに行っては帰ってこない夫。飲んでは暴れる夫。妊婦の母が家政婦のように奴隷のように扱われていたらしい。
<母の殺意>
きっと母親の中にも殺意があるだろう。私を真っ暗な押し入れに閉じ込めて、どんなに泣き叫んでも、どんなにお願いしても、どんなに謝っても出してくれず、また違う日には怒り狂って私のお尻をミミズ腫れになるまで叩いた。母の手が痛くなると、手の代わりにスリッパに替えて叩かれた。
そして、弟も同じ様に叩かれているのを、弟を叩いている時のあの鬼の様な狂った母の顔を、私はジッと見ていた。今でも思い出す。狂った母の顔を。

<本当の気持ちは言えない、絶望感、怒り、自傷行為、閉じる感じ、物凄い怒り>
私は本当の気持ちを言ってはいけなかった。絶望感、怒り、その怒りを鎮める為の自傷行為、どうせ私なんか…と自分を閉じていった。自分の無力さ、本当は傷ついているのに平気な顔をした。それが限界に達すると、私は母親に対して爆発した。地球、いや全宇宙を破壊してしまう程の物凄い怒りを感じた。
<堕胎:罪悪感がない>
今までグループカウンセリングで話さなかった事を思い出してきた。それは私が19歳の時に子供を堕胎したこと。初めはエコー写真を見て「誰に何と言われようと絶対産む!!と決めた。なのに、母親にも彼氏にも産む事を反対された私は、あれだけ「産む!!」と決めていたのに、すぐに平気な顔をして堕胎した。その時は何の罪悪感もなかった。
<母の反対に従う>
でも、本当は本当の私は産みたかった。彼氏というよりも母親に反対された事が何よりも悲しかった。私1人だったら何もできないと思った。母親に反対されるなら、母親に私を拒否されるなら、私の本当の気持ちを無くしてしまえ。そうすれば丸く収まる。きっと母に従えば私に優しくしてくれるから。と小さい頃から自然と学んできたんだと思う。
<自分と胎児への殺意>
私が罪悪感もなく堕胎したという事は、私の中にある殺意で自分自身を殺し、実際に子供を殺したんだ。自分を利用し、子供を利用し、何の罪悪感もなく平気で殺したんだ。そんな恐ろしい殺意が私の中にある。
続く

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112 勇気をもって体験し冷静に振り返るーセッションから精神分析

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ブログで精神分析のいろいろな説を紹介させていただくけれど、初めから、そのような他人の説に従うのは、本当はよくない。頭で考えてしまい感覚を迷わせる。予断は、進みを悪くする。
体験した後で自分で確認することは有効。整理され進みを良くする。(例えば)ベビーブレスで、「ああそうだったのか」と納得し大きく気づくことがあり、それで自分が解放される感覚を味わい人生が変わった体験をしたときは、その後になって、それは抑圧(フロイト)というものが外れたということなのかと、自分なりに確認すればいい。
母には感謝していると思っていたのに、セッションを受けるうちに母への怒りが激流のように押し寄せ、そして静かな気分になって、長年苦しんでいたものが楽になる体験をしたときには、いい母だけではなくわるい母(クライン)を認めるのは大切だと確認すればいい。
セッションで深く自分の中に入ったとき、思いもかけずお腹の中の記憶のようなものが出て、無制限の殺意があふれ出て、生まれて初めてのような開放を体験したときには、落ち着いた後で、これが未生怨(小此木啓吾、古沢平作)というものなのだろうかと思えるのであれば、胎児期に何があったのか肉親に情報を得て確認すればいい。
勇気をもって体験し、その後、必要であれば他人の説をお借りして、冷静に振り返る。

 

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98 古沢平作の「阿闍世コンプレックス」ーむしろ普通

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日本に精神分析を導入した。フロイトと書簡のやり取りがあった。気難しいフロイトに珍しく「東洋の友」と親しく呼ばしめた。体内の自分の命を否定(堕胎など)しようとする母に対し、産まれる前から殺意(未生怨)をもつことがあり、これが究極の罪悪感を生む。命の大恩がある母親への殺意と罪悪感が相争い、根本的な葛藤となる。仏典に似たような話として「阿闍世(アジャセ)王」の物語があることから、阿闍世コンプレックスと名付けている。門下に、木田恵子や小此木啓吾(ともに故人)。

ベビーブレスでは胎児期と思われる記憶が蘇り未生怨や阿闍世コンプレックスの深みにまで到達するのは珍しいことではなく、むしろ普通である。

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64 子供は私がやれなかった事をやっている

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子供が学校に行きたがらない。母親の私がセッションを続けて、このごろ感じることがある。子供は私がやれなかった事をやっているのか。私は親からの愛情が十分でなく人生の初期から辛い思いをしている。死にかけで生まれて、どうやらお腹から出て来たくなかったようだ。生まれてからも長い間、親に抱かれていない。その間、母乳ももらっていない。その私が子供を生んだ。平々凡々に。今となっては私の子供への愛情が十分だったとは思えない。私は早産だったが子供は出産予定日より遅く生まれた。待てなかった私は、外から羊水の膜を破って産んだ。その時は十分お腹の中にいたと思っていたけれど、子供は出たくなかったのではないかと今は思う。
子供がなかなか止めない指しゃぶりは、求めた母乳という名の愛情なのか、自分もしていたこと。子供が飲みすぎるコーラも、母乳の代わりのように見える。私は肩に力を入れて頑張ってきたけれど子供は頑張らない。私も、子供のように、フニャフニャでいたかった。もうちょっと力を抜きたかった。

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