抜け殻になって娘を守った|殺さずに済んだ|セラピーの現場から(674)
<<前回(673)からの続き>>
<譲れない私の意思、私の命>
私には私の意思がある。どんなに小さくても私には私の意思がはっきりある。その意思を否定される事は許さない。
お母さんが大好きな事。誰よりも愛しているという事。そして私の存在を母に私を愛してもらいたいという事。これは私の意思。
そして、私の命は私の物であって、たとえ大好きな母でも私の命を握る事は許さない。
私の命を握るのではなく私の命を大切に母の愛で守ってくれる存在が母であり、私の命を自由に扱って良い権利などない。
<脅迫されての死はいや、爆弾で吹き飛ばす>
ましてや私の命を、母が私の脅迫の材料に使うなら、母を恨み呪い殺してやる。そしてそんな事が出来ないように、私は自らの命を絶つ。それは私の唯一できること、母への怒りのまま、寂しさや呪いを怒りの爆弾で、自らを吹っ飛ばす。これが私の怒りの元だ。私の命は私の物。
<抜け殻のように死にながら生きている>
でも実際は生きている。生きることを選んでいる。母に従い生きている。まるで抜け殻のように死にながら生きている。
(実際には、自らを吹っ飛ばすという)私の意思は持ってはいけないのだから、体は生きているが、中身は死んでいる。
<歴代の母たちは子供から奪ってきた>
母は私のこの爆弾部分を吸い取り、私は抜け殻のように意思もなく死んでいる。この爆弾部分を吸い取るのは代々(祖母、母、私、娘)続いている。決して子供には持たせてはいけない意思、爆弾を歴代の母たちは奪ってきた。子供が自分の意思を持たないように、そして子供に自ら死なれないように、また自分も殺されないように、必死に奪ってきた。
<死とリラックス><爆弾の死、抜け殻の死、安心の死>
(抜け殻のような死を味わうことでリラックスする体験を以前にしたが)何故リラックスなのか分からなかった。何故抜け殻がリラックスなのか分からなかった。(その後に瞑想で自分から真っ暗な所へ入って行く体験ができるようになった。安心できた。真っ暗な所は死だった。自分から入って行ける死だった。)私が真っ暗な所が安心していられるように、自ら納得し死を受け入れられる時は怖くはないし、安心できる。リラックスできる。(自分の意思ではない脅迫されての爆弾の死も、)抜け殻の死も、(安心の死も)死んでしまえば同じ死だ。
抜け殻の死と安心の死は奥では死で繋がっていた。抜け殻の死のリラックスが中々理解できなかったのは奥では死で繋がっているもう片方の死、自分の意思ではない死を味わうのが不十分だったからなのだと思った。(それまでは死を半分しか味わえなかった。)
こうして私の死は3つになった。
爆弾の死、爆弾部分を吸い取られた抜け殻の死。そして安心の死。
こんなに死を毛嫌いしていたのに、3つも味わった。
<抜け殻になって娘を守った>
(娘を産んだ時に抜け殻でいたので、身体が思うように動かず、娘をほとんど育児放棄してしまった。にもかかわらず)抜け殻でいたのは娘を守っていたという感じがあった。それは、(母から私が受けたことによる、私が娘へ向ける殺意があり、その殺意である)爆弾が現れると怒り、呪いで爆弾が吹っ飛び私も娘も死んでしまう。娘を殺さないようにできる唯一私が守れる手段が抜け殻の死のまま娘を育てる事だった。そう思うととても納得ができた。(娘を殺したかったのに。)
<パニックは、強く生きたいという思いと母からの死との激突>
私は生と死の狭間でパニックになることがあった。そうなるのは、自分の意思を母に吸い取られ、そして自らも押さえつけていたからだ。パニックは、母から植え付けられた死に対する恐怖と死に対する否定と怒りだ。そして私の生きたい、どうしても生きたい強く生きたいという思いが死と激突していたからだ。
弱く生きるのではなく、強く生きたい、何がなんでも強く生きたい!。(抜け殻のようになって生きる)弱くて無力な生と、(脅迫された死を受け入れる)弱くて無力な死は、嫌って嫌って絶対に嫌だった。大嫌いだった。
<傷の受け入れから理解が起きた>
そう思うととても納得ができた。(そのように今まで理解出来なかった事が、出来たのは、最近深い部分の寂しさの受け入れが起きたからだ。)「見捨てないで、置いていかないで、1人にしないで」という思いは最近、ようやく意識化できるようになった。見捨てないでという深い寂しさから納得できる、理解できる部分が増えた。
<<終>>
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