愛情が欲しいが生きたいとは思えない|記事<676>〜<681>について|セラピーの現場から(682)
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記事<676>〜<681>について本人に許可を得て対談したいと思います。
以前の彼女(本人)は、職場への強烈な不満を抱え、転職も繰り返し、その葛藤の真ん中で苦しんできました。実は、背後には母親との依存があったものの、そのことにはあまり触れることができませんでした。ましてや自分自身の本当の心の傷を観ることはできませんでした。
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そのことを想うと、今の彼女は、驚くほどですね。褒めてあげたいです。
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良かったですね。大きなきっかけは、やはり、あれですかね。
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そう。母親の娘への依存がとれた。無くなった。そのことが大きいですね。娘は、そのこと(母親が離れたこと)に不満を述べていない<676>。もっとも自分自身の母親への依存は残っている。
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残っているけれど少しづつ、とれざるをえない・・。
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今までは純粋に職場への不満でした。強烈でした。それが変わってきた。<676>にあるように、自分は愛情が欲しい。生きたいとは思えない。それでも何とか生きるために、形にはめて生きようとする。でも生きる資格がない。もともと要らなかった(存在を望まれていなかった)自分。これらのことが正面から認識できるようになってきているということです。自分の問題として扱えるようになっている。
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はい。それらの事実を受け入れ始めている。それら(不満)が外側の(職場などの)事柄ではなく、自分自身の事柄だと言うことをを受け入れ始めている。大きな進歩だと思われます。職場のトラブルを、自分のみじめさを、「境遇のせいにして」と、はっきり述べている。今まではこのことが全く抑え込まれてきていました。
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それまでは「良い子」をやっているので、職場の不満が溜まり、そのことを家で愚痴る、というカラクリを述べることができている。職場へ本当の不満があるというよりは、仕事のせいにしていると、客観視しています。
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「良い子」というのは、重要なカギですね。表面的には、職場で活躍することを通して世間に認めてもらおうとすることですが、無意識的には自分の存在を、生存を、親に認めてもらおうとすること・・・。さらには、親が無理なので、宇宙(大きな存在)に認めてもらおうとするような・・・。
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同じく変化したこととして、それまで相手にしなかった父親のことも話に上るようになっている。
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意識の変化が次々に起きてますね。
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<676>や<677>にあるように、父を通して自分を理解するようなところが述べられていますね。仕事だけを頑張って死に向かうような病気になっている父、を通して、同じような状況にある自分を認識する。父を理解し自分を理解する。彼女の深まりを感じます。
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はい。父を単に無視し軽蔑するような状況から、事の次第を理解することへ、大きく前進した感じがします。
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<677>にあるように、彼女は自分の「セッションが深まった」と言っている。その通りだと思います。
自分の二重性や狂気のような寂しさの存在に気づき、それを述べることができる彼女は、それ以前のひたすら職場への不満を述べることしかできなかった彼女と比べ、天と地の差があるように感じます。
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ここでも母親からの助けは大きいですね。「楽をして治ることはない、痛みを通してしか分からない」「あなたも分かっているだろう」と母が言う。彼女も、私にとって母親は重要だ、と思いを漏らします。
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母親が依存を抜けましたから、そのことが大きいです。
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<678>にも、それまでなかったようなこととして、職場の人に優しい気持ちを持てる体験をしたことが語られます。それは、父親のこと、ひいては自分のことを理解したことと同じ広がりを感じる。理解の広がりとでも言えるようなことですね。
もらった花が枯れること、人が死ぬこと、ひいては自分の人生、人の人生全体に思いが至る。お母さんと一緒に死にたいと思ったのは、過去のこととして、述べられています。今はもうそうではない、ということ。
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自分の問題になれたという事は凄い事です。それまで(職場など外側への)攻撃ばっかりだったのに、このように自分の中に入れたのは、何度も言うけどすごい。父の姿も響いたと思うけれども、母親が依存から抜けていったのは決定的だった。そして、母親に依存させてもらえず、孤独に直面し、自分の問題を見ることができた彼女を褒めたいと思う。よくやった。
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彼女は自分の問題を「過剰なもの」として表現し、その正体がこころの「傷の中」にあると意識しています。はっきり意識しています。大きな進歩ですね。
次に<679>は揺り戻しですね。大きく前進すると、その直後に、かなり後退することがあります。3歩進んで2歩後退。
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短い時間で見ると、2歩進んで4歩後退だってあります。いろいろある。傷に触れて大きな気づきがあり気持ちの良い反面、傷に触れた痛みにびっくりして後退してしまう。無意識でね。
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「どっかやっちゃっ」ても、やっちゃったことを再認識できないということも、他のケースではありますが、今回は彼女はしっかり認識しているので、ここもやはりすごいです。<H>
娘の揺り戻しを見た母親のアシストがすごいです。「あなたを1番騙してたのは私お母さんだよ」とか、「捨てるべき人は誰?バーカあかんべえ」とか、いやはや、頼りになるお母さんです。
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ここのところは一般の人には難しいので、分かるように説明してください。
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無理かも。実際にブレスをやり自分の依存などの傷を体験しなければ、この頼もしさは分かりにくいでしょう。
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それまでの相互依存のいわば暖かさが前提としてあるので、その依存関係が偽物だったとして切って捨てるような鋭さも、冷た過ぎない。なんとか自分の苦しみから(いまだに続く自分側の依存から)脱出し本物になろうとする人には、かえって、砂漠で水のようなありがたさがある、ということでしょうか。
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<680>では、その頼もしさの効果が語られています。彼女は、自分が一人ぽっちという本当のところを隠すために、「お母さん大好き」一本槍でがんばってきた。それが、お母さんから面と向かって拒否されることで、「私も嫌い」かもとなり、本当は「母から操られていた」、ということに焦点を当てるようになりました。
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子離れから母離れへ、ですね。
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それまで深い相互依存の状態であったところを脱して、娘を突き放したお母さんの功績です。そして、それに耐えて自分の中に入っていこうとした娘の頑張りがあります。
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耐えざるを得ない。耐えられた結果、「胸がギューっとな」ることがなくなって来たり、泣けなかったのに「傷そのものになってただ泣く」ことができるなどの回復が起き始めた。
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娘は、傷に触れ、傷を吐き出す作業を心地よいと感じている気配があります。心地よいと感じる事はとても重要なことです。それまでは嫌で逃げていた。今は、逃げないどころか、まったく反対で、心地よい。そのことが彼女が語る内容全体から感じ取れる。大きな前進だとおもいます。
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次の<681>の部分でも、先導役としての母親の役割が大きいですね。
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彼女が「殺すより残虐だ」と言ったら、母親は「そうかもね」。すごいですね。普通は否定や自己弁護などしてしまいますね。『そんなことはありません、私だって私なりに頑張ったのよ・・』などなど。
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母親自身が苦しみ抜いて自分の傷を観て依存を抜けていきましたから。その母親の言葉ですからね。迫力はあるでしょう。
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セッションで「傷そのものが自分の中から出せている」と彼女は言います。今度は彼女自身が、自分の傷を観て依存を抜けていこうとしています。
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それはもう起き始めていますね。<681>の後半で、彼女は自分の傷を観て、自分を認めたことの、独特の清々(すがすが)しさが、彼女の言葉で語られています。
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