私が死んでも代わりはいるし世界はなにも変わらない|春が苦手で怒りを上乗せ|セラピーの現場から(561)

今回(明日)のセッション前は、かなり気が立っているように思います。元々、(あまり付き合いもよくない方)なのですが、友人の誘いも断ってしまい、常に怒っているところに怒りを上乗せしている気分です。
これは、セラピーへの拒絶の影響が大きく出ているのかもしれません。今までにない感覚です。明日は何か大きな変化がある気がします。何か見たくないものが隠れている気がします。
気分としては、母を殺して私も死にたいです。最近、妙に死が近いです。私が死んでも代わりはいるし世界はなにも変わらないよなぁと思っています。以前だったら、そこで本当の死を選んでいたと思いますが、今は(セラピーを始めいろいろなことが分かってきたので)考えているだけで、(実際に)自死をするつもりはありません。母に「要らない」と思われることがこんなに辛いのか…と思っています。
(次の日のセッションで、彼女は、殺したいほどの「わるい母親」の対極に隠れている「いい母親」に言及し、その結果、両者の統合が起きる兆しと見るべきなのか、自分の気持ちを説明するのに使っていたそれまで複数の人格を必要としなくなった。何か見たくないものとは「いい母親」との「統合」のことだったのかもしれない。)

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