136 自分の意図ではない自身の生への怒り3/4その5ー死を認めたくないのか?
母や自分の正体が知りたい3/4その5
<自分の意図ではない自身の生への怒り>
前にやったベビーブレスの中で、「本当は産まれたくなかった」と泣いた事を思い出した(忘れていた・・・)。産まれたらきっとこの殺意に、そして母のお腹の中にいる時に感じた私の物ではない、負の感情が槍のように痛く降ってくる感じを味わっていたから、私はこの人の犠牲になる・・・と思い「産まれたくなかった」と思ったんだとその時ベビーブレスの事を納得した。産まれたら、この人に頼らないと生きていけない事を悟っていたのかもしれない。必死に愛情を探した。自分の意図ではない生に怒り、死ぬ事が出来なかった私自身に怒った。お前(私自身)の為に、そしてお前の傷と一緒に「生きてやってるんだ!!馬鹿ヤロー!!」と・・・。納得した。
<死を受け入れる=母に従う=弱々しいしいことへの怒り>
弱々しくなる事も許せない。こんなに必死に愛情を求めて、あんな母にすがるように生きているのに、なんで弱々しくならなきゃいけないんだ。
私は「死にたい」と願うと弱々しく小さく明かりが消えるように自分が小さくなっていく。声に出して言っていたのに、声すら出なくなる。そうやって死を受け入れようとしてるのではないかと思っていた。弱々しい自分を許す行為なのではないかとも思った。とにかく、私は弱々しい事が許せないし、弱々しい事を隠す。だが、なんとなく腑に落ちない。ストンと落ちなかった。弱々しい自分を認めたくないのか?死を認めたくないのか?とも思った。
ホームページの記事もどうぞ⇒実績紹介>ベビーブレス体験集(本の内容)