Q&A
質問とその答えをまとめました。お悩みの方は参考にしてみてください。
質問とその答えをまとめました。お悩みの方は参考にしてみてください。
人が人へ五感を通して伝えるものです。言葉とは縁のない世界でした。人の心理の深い部分を扱うときに、言葉による表現は足りないことが多いものです。
しかしアコールのベビーブレスのセッションは著しい効果があるため、なぜそんな効果が上がるのか、理論できちんと説明すべきだという声が聞かれます。特に、男性から多いようです。
仮に理論を説明できても、聞いた本人が深く自分の中に入ることにあまり役に立つとは思われません。かえって予断が入り、害になる恐れさえあります。あまり乗り気になれませんでした
しかしながら、セッションの工夫を重ねるにつれ効果はますます大きくなり、更に、いろいろの心の状態の人々がセッションを受けるようになり、どうしても理論化の必要に迫られ、ようやくここに現代医学の概念を用いて表現してみました。
※なお、表現をわかりやすくするために、質問形式にしました。 また、文中の【 】の中の数字は引用文献(Q101~Q110ページの文末に掲載)を示します。
※ここに体験者さまの許可を得てご紹介しています。
Q1 人が心理的・精神的に悩むということはどういうことですか?
この質問に対し、単刀直入な言い方をすれば、私たちが乳幼児期に特に母親との間で形成された心の傷が原因になって、いまだにもがき苦しみ続けているのです。アコールでセッションを受けていただいた多くの人の聞き取り記録は、すべてこのことを裏付けます。
悩みの種類には、悩みの対象がはっきりした例えば人間関係の悩み、対象がはっきりしない不全感、神経症や精神病の症状などに煩わされること、などがあるように思います。神経症や精神病の症状が、どのようにして、なぜ、生じるかは、これらについて、例えばフロイトやその流れを汲む人々など先人たちが研究した結果を勉強すれば、私たちにもおおよそのことが分かります。また、神経症や精神病まではいたらない人間関係の悩みや不全感も、いわば軽い神経症的傾向、軽い精神病的傾向として理解できます。
この研究結果の中で、神経症や精神病、さらには人間関係の悩みや不全感など(以下これらを全体として心理的トラブルという)も、私たちが生まれてから3歳くらいまでの乳幼児期に、特に母親との間で形成された心の傷が原因になっているという立場があります。フロイトの流れを汲むメラニー・クラインやドナルド・ウイニコット、日本では木田恵子などの立場です。後で詳しく説明します。
私の経験やベビーブレスを受けてくれた人の経験は、経験した人にとっては納得できることが多いのですが、他の人から見ると不思議に思えることがあります。この不思議な体験は、実は不思議ではなく、なるほどそうだったのかということが、上の立場から説明されます。
Q2 私たちが乳幼児期に特に母親との間で形成された傷とは、具体的にはどういうことですか?
この質問に対しても、なりふり構わず言ってしまえば、その傷とは母親から私たちが否定されることで形成されます。この否定とは、簡単に言えば、母親から愛情を十分にもらえないことによる私たちの存在の否定です。乳幼児のような小さな子供は、母からの、あるいは祖母に育てられた人は祖母からの愛情がないと、本当の意味では生きられないのです。
Q3 母親からの愛情がないと生きられないのはなぜですか?
全く愛情がないときは、多分、体がうまく大きくなれず生物としても生きていけないでしょう。少ししか愛情がないときは、暖かみのある人間としては生きていけないでしょう。小さな子供は、愛情をもらえないと、自分の存在を否定されたように感じるようです。なぜかと言えば、分かりません、でもそうあるしかない、と思います。
Q4 母親から愛情がもらえず、否定されると、どうなりますか?
母親は、乳幼児のような小さな子供にとっては、自分にオッパイやミルクをくれ、おしめを換えてくれ、食べ物を与えてくれる、いわば全世界そのものです。その全世界から否定されると、ある人は心の深層の部分に全世界(母親)に対する憎悪を形成します。しかし反面、母親はその人にとってはどこまでもかけがえのない愛しい母親であり続けます。その人は、憎悪と愛情の狭間で引き裂かれるように苦しみます。この憎悪と愛情のような相反するふたつの気持を、アンビヴァレンス(両価性)と言います。また、もっとひどい場合には、母親に対する憎悪さえ形成できないことがあり、自分で生きていきたくなくなります。心の底から、純粋に自分の死を望むようになります。これをフロイトは死の本能と呼びました。
小さな子供は、この引き裂かれる苦しみや生きていきたくない気持に耐え続けることはできませんので、無意識のうちに心理的な工夫をしながら、なんとか生きていきます。この工夫は、苦しみから防衛するためのもので、防衛メカニズムといい、主なものに抑圧やスプリッティング(分裂)と呼ばれるものがあります。この防衛メカニズムは、生きる上に必要なことですが、同時に、色々な心理的・精神的なトラブルのもとになります。
そして、防衛された苦しみは、なくなってしまうのではなく、心理的に消化されないまま心の中に傷となって残ります。この傷は消化されない限り一生生き続けますので、防衛メカニズムも一生働き続けることが必要になります。このため、心理的・精神的なトラブルも、そのままでは、一生続きます。
Q5 母親はどうしてそんなひどいことをするのでしょうか?
わざと、そんなひどいことをする母親は、多分、一人も居ないでしょう。彼女もまた、同じような傷を持っていたと思われます。自分が愛されずに育った人は、そのままでは、自分の子供にも愛情を与えることができません。子供が愛情を求めてすり寄ってきても、彼女にはうっとうしく感じられるかもしれません。子供の泣き声にイライラしてしまうかもしれません。そして子供は愛情をもらえません。気が付かないうちに、親の傷が子供を傷つけるのです。これを世代間伝達と呼びます。この世代間伝達を防ぐことが精神医学の一つの目的でもあり、ベビーブレスの目的でもあります。
Q6 ベビーブレスとはなんですか?
呼吸を使って、自分の心にある隠れた感情を体験する手法です。この感情は、心の深層の傷に直結しているので、その傷を再体験することになります。傷の再体験がなされると、この傷が原因となっていた諸々の悩み、不全感、症状などが改善され、場合によっては消滅します。
Q7 隠れた感情の体験、傷の再体験とは具体的にはどんな感じですか?
精神医学でいう治療的退行を経験することになります。退行とは、簡単にいえば、幼児帰り赤ちゃん帰りです。感情が沸き起こるに連れて心理的に退行が生じ、大方は精神的な抑圧の解除などがなされ、退行は表層から深層へ段階を追って進みます。
具体的には、その人その人で千差万別なのですが、無理に一般的な例を作って説明しますと、表層では、その人の悩んでいる上司部下の関係、嫁姑の関係、夫または妻との関係、自分の子供との関係、あるいはその人が教師の場合には生徒との関係などが出ます。この層は、あまり厚くなく、次の2番目の層へ移り、その人の兄姉・姉弟との関係、父との関係、祖父母との関係などが出ます。やがて順調にいけば、3番目の層へ行きます。この層では母との関係が、青年期・少年期・児童期・幼児期の順で出ます。そして、ベビーブレスを重ねることで、最後の最も深い層に行きます。この層では乳児期・胎児期が出ます。主観的には母との関係は消滅し、後で述べるようにフロイトがいう死の本能などを体験します。
Q8 傷の再体験をするとなぜ、傷が原因となっていた悩み、不全感、症状などが改善され、消滅するのですか?
なぜなのか、不思議ですが、そうなのです。Q4で述べたように、子供の頃に防衛し心の中に残ってしまった傷は、消化されない限り一生生き続けます。まるで、いつか消化され理解されることを待っているようです。ベビーブレスの中の再体験では、心の傷は、恐怖や不安として認識されます。この恐怖や不安を十分に体験できれば、心の傷は消え始めます。心理的な消化が起き始めます。この効果はベビーブレスの後、少しずつ、長い間持続します。あたかも自然治癒力が備わっているようです。効果は、本人が自覚するよりも早く、周りの人が気が付くことが多いようです。本人が効果を実感として自覚するのには、数ヶ月以上かかることもあります。
この自然治癒力は、傷が再体験されることがなければ、言い換えれば防衛が継続して働き続けるのであれば、発揮されません。不思議です。
【 本論 】
【 乳児期と悩み(心理的トラブル)】1
Q9 人間関係の悩みや不全感も、いわば軽い神経症的傾向、軽い精神病的傾向として理解できるということですが、そうなんですか?
自分たちの経験では、その通りです。しつこい悩みや不全感を持っている人は、神経症とまでは行かなくても、神経症の場合と同じように、心の中に抑圧された部分を持っています。そしてこの抑圧された部分が、ベビーブレスで再体験することを通して理解され、悩みなどが改善されたり、消失したりします。神経症も、抑圧された部分が理解されることで治るので、メカニズムは同じです。だから軽い神経症的傾向といえます。
さらに深い心理的なトラブルを抱えている人の中には、例えば精神病である分裂病の場合と同じように、スプリッティングという防衛メカニズムが働いている人々がいます。軽い精神病的傾向といえます。ですから、神経症や精神病のことを理解することは、私たちの悩みなどを理解することに非常に役立ちます。
Q10 そのような心理的トラブルが、乳幼児期に母親との間で形成された心の傷が原因になっているという立場があるということですが、どんな内容ですか?
ウィーンの神経学者であったフロイト(1856~1939)が創設した精神分析学では、精神的な病気は、幼少時期の精神の未発達な段階に留まっていたり(固着)、逆戻りしたり(退行)することと関連して理解されました。そして、その流れを汲むクライン学派のメラニー・クライン(1882~1960)は、この理解を更に押し進め、例えば精神分裂は、生後3~4ヶ月ころまでの新生児の段階に関連し、そううつ病は、生後約6ヶ月以降の段階に関連することを見いだしました。この学派から出発し新しい学派の中心となった英国の児童精神科医ドナルド・ウイニコット(1896~1971)は、更に、そのような精神的な病気の発生は、母親の養育態度のいかんに関わっていることの解明を進めました。
【15】P164~167
Q11 固着とか退行とか、例を挙げて説明して欲しいのですが?
人は、胎児、乳児、幼児などの段階を通して大人になってきているわけですが、大の大人があるとき人前や仕事場などでいきなり幼児がえりしたりすると、これはもう、おかしくなったと思われてしまうわけですが、他方では、気心の知れた人々と酒盛りをして泥酔したときなどは、まるで幼児のようになったりしますし、よくあることです。このような幼児がえりが退行です。自分で制御できずに退行が起きると、病的で困ったことですが、ベビーブレスなどの精神療法では、意図的に退行を起こし、その時に治療的効果があるので、これを治療的退行といいます。ベビーブレスでは、赤ちゃん(乳児)がえり、胎児がえりも見られ、そのぶん深い治療効果があります。制御できない病的な退行にも、ある意味では治療効果があって、だから精神的に追いつめられたときなどに思わず退行するのかも知れません。
ベビーブレスでの退行は、その人の小さいころの問題点へ退行することがほとんどです。この問題点のことを固着といいます。例えば、3歳のときにつらいことがあった場合には、その3歳のころに退行して感情を吐き出します。制御できない退行でも同じかもしれません。
また、完全に幼児がえりなどを起こすのではなく、神経症の症状も固着と退行の考えで説明がされます。
たとえば強迫神経症のような人は、何度も手を洗わずにはいられないとか、鍵やガス栓を何度も確認せずにはいられないとかいうことがありますが、これは2~3歳ころの幼児がトイレットトレーニングで大小便をきちんとすべき場所にするようにしつけられる時期になんらかの理由で固着があり、その固着に戻ってしまうというわけです。
【15】P164~165
Q12 精神分裂病やそううつ病を乳児の発達段階と関連して説明するクラインの立場をもう少し詳しく説明して下さい。
簡単にいうと、分裂病や躁鬱病のような重いトラブルも、人生の早い時期への固着と退行という考えから説明できるという立場です。 まず、生後半年近くの間の乳児は、いろんなことの区別がつかない混沌とした状態にいます。つまり、自分と自分でないもの(母親などの対象)との区別がつかず分裂しています。また、母親についても全体として認識できず、たとえば顔やオッパイなどの部分に分裂した認識にとどまっています。また、欲求を満たしてくれる良いオッパイ(母親)のイメージと、空腹なのに欲求を満たしてくれない悪いオッパイ(母親)のイメージとが別個の存在として分裂しています。さらに、このように対象(object)が分裂して認識されるだけでなく、対応する自己(self)も分裂しています。
そして、欲求を満たしてくれない悪い対象や悪い自己(bad object and self)が欲求を満たしてくれる良い対象や良い自己(good object and self)を破壊してしまうのではないかという迫害的不安ににおそわれる。この不安は乳児の主観の中で自分の攻撃性を投影して生じる、いわば妄想的なものです。特に、生後3から4ヶ月ころまでの新生児の段階に活発に見られます。
乳児のこの時期の発達段階を、妄想的-分裂的態勢(paranoid schizoid position)と呼びます。この態勢(position)という言葉を使うのは、このような発達段階を乳幼児が一過性に通過するのではなく、成人後の精神生活にも一生を通じて存続するものであり、ときに(退行によって)復活することを強調するためです。
成人の分裂病者は、外界が信頼できず、何時も迫害を受けるのではないかという感覚に支配され、その結果、現実を客観的に見ることができなくなって自分だけの主観的な見方、つまり妄想的になり、また例えば、ある人を「好き」だと思う気持と「嫌い」だという気持が統合されないで並存するなど分裂的になる特徴がありますが、これらの特徴は乳児の妄想的-分裂的態勢と関連しています。
また、乳児はさらに成長して生後約6ヶ月以降になると、母親など(対象)や自分を全体的に認識できるようになります。つまり、母親は欲求を満たしてくれる良い面と満たしてくれない悪い面の両側面を有する一人の人間として認識すると同時に、自分にも、例えば母に対する愛情と攻撃性の両側面(アンビヴァレンスや両価性ともいう)があると認識するようになります。その結果、自分にとって大切な対象、たとえば母親を自分が愛するのみでなく、怒りや攻撃性を向けてしまうこともあることに気づくようになり、そのために対象を傷つけてしまうのではないかという不安を抱き悩むようになります。この不安は、罪悪感を伴う苦痛なものであり、抑うつ的不安と呼ばれます。この不安が支配的な乳児の発達段階を抑うつ態勢(depressive position)と呼びます。そして、この罪悪感の苦痛などを避けるために、逆に、自分には万能的な力があって対象は自分の自由に支配できる、あるいは少しも大切ではないなどと主観的非現実な世界に逃避するそう的防衛を行います。この発達段階をそう的態勢(manic-depressive position)と呼びます。
成人のうつ病患者は、自分自身の攻撃性をめぐる罪悪感やそれにともなう抑うつ感情などを特徴としますが、これらの特徴は乳児の抑うつ態勢に関連しています。
また、成人のそう病患者は、現実の否認や対象の支配などを特徴としますが、これらの特徴は乳児のそう的態勢と関連しています。
これらがクラインの主な立場です。
【15】P164~167【14】P855・794
Q13 母に対する愛情と攻撃性の両側面(アンビヴァレンスや両価性ともいう)を認識する結果、母親を愛するのみでなく、傷つけてしまうのではないかという不安を抱き悩むようになり、抑うつ不安に支配される乳児の発育段階を抑うつ態勢というそうですが、この抑うつ態勢について、もう少し知りたいのですが。
そうですね。この部分はベビーブレスの中で、人によっては退行していって直接に主体的に体験する場合も多く、大切な部分です。
前に述べたように、生後約6ヶ月前の幼児は妄想的-分裂的態勢にあり、迫害的不安を抱きますが、これは悪い対象や悪い自己と、良い対象や良い自己とが分裂していることから生じます。生後約6ヶ月を過ぎると、乳児はこれまで分裂して経験していた「悪い対象」と「良い対象」が同一の対象であることに気づき、自分が攻撃性を向けてきたことに強い罪悪感を抱くようになります。 このとき、乳児が愛情と憎悪の両価性に耐えて、対象を喪失することへの抑うつ的不安を克服するならば、万能的幻想(そう的防衛)は薄れ、自分自身及び対象の現実をありのまま受け入れることができるようになります。これは他者への愛情の基礎となります。逆に、抑うつ的不安に耐えられないとき、妄想的-分裂的態勢に逆戻りするか、対象への依存を否認するそう的防衛に訴えることになります。
【14】P794
Q14 母に対して持つ愛情と攻撃性の両側面をアンビヴァレンスや両価性ともいうそうですが、何か大切な概念のようですね。
そうです。とても大切です。
私たちの心理を理解するのに大きな鍵になる精神状態のように思えます。幼児期の母に対する態度が基本にありますが、成人の精神生活の中では、当然のことながら、いろいろな対象に対しての種々の精神状態をいいます。
すなわち、このアンビヴァレンスの定義は、精神医学事典によれば、同一の対象について、愛と苦しみ、友好的態度と敵対的態度のような、相反する心的傾向、感情、態度が同時に並存する精神状態をいう、となります。
精神分裂病という名前を導入したことで有名なスイスの精神医学者ブロイラーは、これを3つの種類に分類しています。(1)たとえば「食事をとろうとし、同時にとるまいとする」ような意思のアンビヴァレンス(2)たとえば「夫が妻を愛しながらも憎む」というような情動のアンビヴァレンス(3)たとえば「私は田中です。私は田中ではありません。」というような知的なアンビヴァレンスです。ブロイラーは、アンビヴァレンスを分裂病の基本症状とし、分裂病者は彼の連合能力(統合する力、著者注)の衰弱のために、ものごとの様々な側面を一つにまとめて考えることができないためであるとする。また、彼は、アンビヴァレンスを健康人の夢ではありふれたものであるとし、正常人にも正常なアンビヴァレンスが心的に対立する力の平衡を作り出すのに大きな意味を持つとします。
さらにフロイトは、過度の感情のアンビヴァレンスは神経症者に特有な特徴であるが、強迫神経症の場合、このアンビヴァレンス感情は「一対の対立物への分裂」を遂げることが特徴であり、(具体例として)愛と憎しみという二つの対立物へ分裂、その一方である憎しみの抑圧に注目した。また、彼は、性本能の発達過程について、最初の口愛期(生後6ヶ月までくらい)における合体(かわいくて食べてしまいたい)を、一種の愛であって、アンビヴァレンスと命名しうるといいました。
また、クラインは、本能は基本的にそのはじめからアンビヴァレントであって、対象への愛と破壊は不可分であり、このアンビヴァレントに耐えられないときには、良い対象と悪い対象への分裂(splitting)が生じるとしました。
ドナルド・ウイニコットは、人間の心的健康度を、同一対象に対するこのアンビヴァレンスに耐えうる能力で規定しています。
【14】P26~27
はい色ガンの雛鳥の行動から「刷込(インプリンティング)」という概念を広めたことで有名な動物行動学のコンラット・ローレンツは、鳥の求愛動作は攻撃動作が変化したものといっている。また性的な興奮が、破壊あるいは攻撃のエネルギーに変換されてしまうことも、動物の発情期の行動や自分たち自身の経験から理解できることです。
Q15 今までの話によると、生後6ヶ月くらいで乳児の精神状態が大きく別れ、前の時期の乳児は混沌とした精神状態にいて分裂と関係があり、後の時期では母に対するアンビバレンスすなわち愛憎相反する精神状態が生じてそううつ病と関係があり、その精神状態が大人になってからも影響するということですね。
だいたいそうです。生後6ヶ月位を境に歯が生えないか、生えるかが分かれます。前の時期は、歯が生えずに吸う活動が中心です。そして先に述べたように妄想的-分裂的態勢といいますが、別に「前アンビヴァレンス段階」ともいうそうです。自己と対象が未分化であるばかりでなく愛情と攻撃も未分化な時期であり、したがって乳児は両価性を体験することもありません。これに対し、後の時期には、歯が生え噛むことができ、噛むことが快感でもあり対象を破壊することでもあることを経験することから、対象に対し両価的な関係を持ち始めるということです。
【14】P482
Q16 成人の分裂病やそううつ病が、生後6ヶ月前後という早い時期に関係するということですが、そのような精神的な病気の発生が、遺伝やウイルスなどでなく、母親の養育態度のいかんに関わっているというのは本当ですか?
この部分はドナルド・ウイニコットの説によるところですが、自分たちがベビーブレスで、自分自身の体験または参加者の体験として経験するところによっても、正にその通りだと思います。
ドナルド・ウイニコットは、分裂病や根深い病理の発生を子供の心身を抱える環境(holding enviroment)やほどよい母親(good enough mother)の側の失敗に対応するものとしてとらえています。育児に没頭する母親に抱えられて絶対依存を経験せねばならない赤ん坊が、取り返しのつかない外界からの侵襲のために想像を絶するような精神病的不安を体験するのであり、環境の失敗に適応するために子どもが本来の創造性を犠牲にして妥協するとき病的な防衛的自己(偽りの自己false self)が生まれるといいます。
【14】P843
Q17 精神病は乳幼児期の発達段階と関係し、精神病の発生は母親の養育態度のいかんに関わっているという学説を唱えたクラインやウイニコットは数十年前の人ですが、これらの説は現在どのように発展していますか?
クラインやウイニコットの書籍は、現在でも本屋さんに並んでいますので、古くなってっしまった学説ということではないと思います。日本では、木田恵子女史がさらに発展させた説を出版しています。また外国で、特に米国で精神医学のいろいろな分野へ発展しているようです。
Q18 精神病については、乳幼児期の発達段階と母親の養育態度が関係しているということだと思いますが、普通の人の心理トラブルにも、これらが関係しているのでしょうか?
そうです。自分たちのベビーブレスの経験からすると正にその通りです。また、前に述べた木田恵子女史が正常人の性格の分類に、これらの関係を応用しています。女史は、日本の精神分析の創生期に第一人者としてかかわりフロイトのもとに留学したことがある古沢平作博士の愛弟子で、約60年の精神分析家としての経験があり晩年まで活躍しておられました。
Q19 木田恵子女史は、乳幼児期の発達段階と関係して、どのように正常人の性格を分類していますか?
既に述べたように、精神分析学では精神病の原因を、人生初期の性格形成上の問題点(固着)に求め、どの時期に問題点があるかで、どのような精神病を発病するかという分類が説明できるとしているが、この分類は、正常人の基本的な性格の分類にも用いることができると、彼女は考えます【10】。すなわち、
正常人で分裂型の性格の人は、胎内から生後6ヶ月ぐらいを中心に、つまりオッパイすってネンネしての時期(口愛前期)に固着があり、0歳人と名付けます。周囲に対する関心が薄く、孤独的です。0歳人でも特に、胎児期や出生時に悪い状態におかれると、人生の出発に存在そのものが否定されるので、フロイドのいう死の本能が強くなり、生きる力がとかく死の本能に負けそうになり、自滅的な傾向が強く出ます。0歳人には非現実性がありますが、その非現実性が高い知能の働きによってかえって自分自身の発想を持ち、独創的になる可能性も十分あるでしょう。
パラノイア(妄想)型の性格人は、6ヶ月から1年半ぐらいを中心に、ハイハイして歩き出すが、排便のコントロールは難しい、つまり肛門の括約筋が発達する以前のたれ流しの時期(肛門愛前期)に固着があり、自己の胎内の自己の所有物と感じられるものが自分の意志とかかわりなく出ていくので、絶滅感や喪失感から一種破壊的傾向を強くするといい、1歳人と名付けます。自分の力では何もできない無力な存在で受け身なくせに、転んでぶつかったりすると自分を痛くした石を恨む他罰的な気持が強く動きます。離乳で下手をすると1歳人になってしまいます。今まで十分に与えられていたこの親しいもの(乳)が与えられなくなるのかは理解できないので、母への憎悪が湧きあがります。しかし母親は一番好きな大事な人で、そこには愛憎相反するものが共存する心理、つまり両極性(両価性のこと)があります。
なお、病気としてのパラノイアは、妄想症、偏執狂ともいい、通常、幻覚や分裂病性の思考障害は伴いません。
【14】P768
抑うつ型の性格の人は、1年半から2年半ぐらいを中心に、つまり噛む力が強くなって離乳されてしまう時期(口愛後期)に固着があり、2歳人と名付けます。自己主張が強く、能動的で、相手構わず押しまくり、相手から強く反撃されるとグシャッとなってしまいます。躁うつの波の発生源は愛憎の相反性にあるために、生き生きと発散されます。
強迫神経症やある種のてんかん神経症型の人は、肛門の括約筋が発達し排便の躾が行われる時期(肛門愛後期)に固着があり、獲得、所有の傾向が強くなるといわれています。精神病ではなく神経症になります。
【10】P119~122・P124・P142・P167・P190
そして、「人に追従」するとき、2歳人はその人に愛されたいからですが、0歳人は愛されたいよりも否定されることが怖いから、ということになります。0歳人が人を避けたりするのは、否定されることに対する鋭敏さがあって、否定され自己嫌悪が刺激されるような場面を避けようとするためだったりします。
【10】P192
また、「妄想」について、分裂病の妄想は0歳児の未発達な非現実的な状態から出るので、誰から見ても奇妙なことがよく分かります。しかし1歳人のパラノイア型の妄想は、内なる万能感と外なる現実のギャップを外部のせいにして深く怨むところから発生するので、実情を知らない第三者には妄想であることが見抜けないほど日常性を帯びます。
【10】P142
さらに「怨み」について、新生児(0歳人)の怨みは対象が明確でなく、特定の対象にいつまでも執念深く取り付いて離れないようなものではありません。1歳人の怨みは、晴れるときがあるとは思えないしつこさがあります。もともと怨みの根は空想的に高められた自己像と現実の自分との間の格差にあるのですが、その格差を認識するのを恐れ、認識することの防衛として、他罰的妄想的に怨みを作り出すのです。
【10】P143
また彼女は、自閉症をなんらかの理由で乳児に止まっている精神であるとも考えています。
【10】P37
Q20 クライン、ウイニコット、木田恵子女史などのように乳幼児期に着目した説は、少数派なのでしょうか、多数派なのでしょうか?
詳しくは分かりませんが、精神医学のかなり大きな学問の流れになっていると思われます。
まず、ウイニコットらの研究を背景に、1980年には世界乳幼児精神医学会の初回開催が行われています。この「乳幼児精神医学」では、乳幼児の問題には、放置すれば後年精神病理に発達するリスクを持つ状態がある一方で、乳幼児期の急速な発達力ゆえ適切な介入により解決しやすいと考えられており、胎生期発達の解明、精神病理の世代間伝達の解明などが焦点とされています。【14】p606
また、ウィーンの児童精神科医、精神分析医、小児科医であるマーラーは「固体分離化理論」として、母子の共生的な状態から乳児が自立していく段階を、正常な自閉、正常な共生、分離・固体化の順で説明しています。
また、英国の児童精神科医、精神分析医であるボウルビーは、乳幼児は母親とのたえまない相互作用の中から特別な母子の絆を形成し、それを根拠に外界を探索し、対象世界を発展させ、ここに生涯の対人関係の土台となる内的作業モデルが発達するといいます。
【14】P901
そして、早期乳児期に母親から分離されたり絆が破綻したりすると、この内的作業モデルに影響を及ぼし後年の精神問題のリスクを高めます。この絆の形成に関連し、エインズワースは、乳幼児が本能的に母親にしがみついたり後追いしたりする母子の相互関係を示す愛着(アタッチメント)という概念を導入しました。彼は、この愛着パターンの個人差をstrange situation というテストで検査した。この検査は、見知らぬ人のいる状況で母から乳児を分離するなどの場面で乳児がどう反応するかを見るものです。この反応は4つのタイプに分類されます。すなわち、
A 再会時に乳児は母親を避ける回避型
B 再会時に母親を求め、しばらくすると落ち着く安定型
C 分離時に動揺し、再会時に母親に両価的に振る舞う両価型
D 再会時の混乱の度合いや複雑さが強い混乱型
さらにメインは、この検査を親に応用する成人愛着面接というのを作成しました。この面接は、幼児期の愛着体験を親にたずねるもので、面接結果は3つのタイプに分類される。すなわち、
(1)葛藤的な記憶は忘れ去り、表層的なよい記憶のみ語る却下型
(2)幼児期の愛着体験をありのまま、まとまりある形で語る自律的安定型
(3)葛藤に満ちた幼児期の愛着体験をとりとめなく、まとまらぬ形で語る没入型
この3つのタイプの親は上のA、B、Cの成人版に匹敵し、自分が乳児のときにそれぞれ、乳児のA回避型、B安定型、C両価型であったと考えられる。さらに、(1)の却下型の親がA回避型の乳児を、(2)の自立安定型の親がB安定型の乳児を、(3)の没入型の親がC両価型の乳児を生み出すという親子同型が見られる。これにより愛着パターンの世代間伝達が示される。
【14】P7
く片伯部の親は却下型、自身も却下型>
また、米国の児童精神科医、児童分析医であるフライバーグが創設した「親-乳幼児精神療法」は、親と乳幼児の問題を両者の関係性障害と見なし、この障害の要因に、親の無意識の幼児期の記憶などをあげます。不幸な乳幼児期を持つ親は、泣き声などにより過去の悪夢に悩まされ、つまり不幸な情緒を甦らせ、乳幼児に過去の葛藤的関係を重複させる現象があるとし、この現象を「赤ちゃん部屋のお化け」と呼びます。この療法の目的は、乳幼児を親の転移(A108を参照)対象であることから解放すること、すなわち世代間伝達(Q21を参照)を防ぐことです。
【14】P8・P889
<自分の赤ちゃんの泣き声に耐えられず癇癪を起こした片伯部>
Q21 世代間伝達とはどういうことをいうのですか?
世代間伝達という概念は、自分の心理のからくりを理解するのにとても重要な概念です。
世代間伝達とは、例えば、祖父母から親へ、親からその子どもへというぐあいに、各世代は、その家族が抱く子どもイメージや子どもへの期待、子どもにたいする愛と憎しみの葛藤などを世代から世代へ伝達していくことをいいます。伝達される内容は、このようなイメージ、期待、葛藤などに限らず、家族が共有する顕在的な家族神話のようなものもあります。生まれてくる赤ん坊に投影される想像の赤ん坊(Q21~22参照)イメージにも、世代間伝達が関係しているものがあります。
それぞれの家族成員はそれぞれの世代特有の歴史を持っているが、そこには各世代の発達経験を次の世代に直接に、または間接に伝達する作用がある。この世代的な伝達内容は、各家族成員によって自己の中に内在化されていく。例えば、母親の自分自身の母親との関係の回想が、自分の娘との間の相互関係の中に伝達されていく。また、自分のきょうだいとの関係が自分の子どもたちに投影(Q75、77参照)され、同一視(Q76、77参照)される。
このような世代間伝達によって、例えば親に虐待された子どもは、無意識のうちにまた自分の子どもにたいする虐待をくり返すといわれる。虐待以外にも、自殺、アルコール依存症、離婚などが伝達されて各世代にくり返されることが見いだされている。
【14】P478
Q21-2 想像の赤ん坊とは、どんなことですか?
フランスの精神分析医で乳幼児精神医学の指導者であるレボイッシュが唱える概念で、女の子は、自分の人生の初期に未だ自分の母親と同一化している状態で、自分の母親に同一化し自分の父親の子供を身ごもり産むことを願うが、このときの空想の赤ん坊を「幻想の乳児」という。やがて女の子は成人し、自分が産むであろう赤ん坊について、想像生活や白昼夢で種々の想像を思い描き、名前を付けたり愛称で呼んだり語りかけたりする。これを「想像の赤ん坊」という。実際に妊娠した彼女は、妊娠中や出産後に、現実の胎児や乳幼児に対し、「幻想の乳児」や「想像の赤ん坊」を投影(Q75、77参照)する。
Q22 世代間伝達といわれるような親から子への心理的な伝達は、子どもの乳児期や乳児期に伝達される内容が、子どもの人生にとって大きな意味を持つのでしょうか?
きわめて大きな意味を持つと思われます。
例えば分裂病の研究で有名な精神分析学者であるハリー・スタック・サリヴァンは、重篤な精神的トラブルである分裂病の原因が親子の関係にあるとしていますが、彼によれば、子供の対人経験様式は早い時期に、未分化な様式から中間の様式を通って現実的な様式へ移るが、分裂病は、この中間の様式に退行してしまった状態であるとします。
少し詳しく説明します。
サリヴァンによれば、精神医学は対人関係の科学にほかならず、純粋に精神内部のこととか個人的自我などは存在せず、すべては対人関係という点から見直されるべきであり、特に重要なのが両親あるいはその代理者(養父母など)であるとします。そして、両親の示す態度や評価が子供の反応を決定し、ひいては子どもの自我を規定していく。子どもは親の不安や怒りや否認に特殊なエンパシー(感入能力または共感)を通して敏感に反応するが、不安を避け心理的安全を得るために、待避や敵意や依存の態度を身につけ、さらに自我の積極的な働きによって不安など有害なものを意識の外に保つ「分離」を行う。こうして子どもは他人(両親)との真の接触を結ぶことができなくなります。
また、子供は早い時期に、自分と外界との区別もできない未分化なプロトタクシックな様式から、たとえば自分を空想の中だけしか存在しない人物と関係づけ、自分をその人物と同一視してしまうような、秩序や構成や関連を欠いた「並列的な」解釈を行ってしまう主観的態度を特徴とするパラタクシックな様式を通り、現実的な人間関係を確立するシンタクシックな様式へ発達する。
さて、エンパシーを通して敏感に受け取る他人(両親)からの不安があまりに強かったりすると、自我は統一を失い、意識を統御できなくなり、分離に失敗する。失敗するばかりでなく、既に分離されていたものまでが意識に侵入して来ることになり本人にとって脅威になる。この脅威から逃げるために、それまでのシンタクシックな様式からパラタクシックな様式へ退行せざるを得ない。このパラタクシックな様式へ退行した状態では、対人関係が困難になり、分裂病にもなる。もっとも退行的で、新生児の状態に退行したものが、緊張型の精神分裂であるといいます。
【5】P101~103
Q23 子供が親の不安などに敏感に反応するエンパシー(感入能力または共感)とは、何ですか?
精神医学上の一般的な意味でのエンパシー(共感)とは、二人の人物の間一方が他方の体験している感情と同一の感情を体験すること、感情的な共揺れをすることを意味し、人間の間で起きる感情移入ともいわれます。エンパシーが存在すると精神療法的な意義が大きくなります。
しかし、サリヴァンのいうエンパシーは、さらに重要な意味で使われます。つまり乳幼児が母親などの重要人物との間に体験する特殊な感情的共振体験に限定して使われます。サリヴァンのいうエンパシーは成長と共に減少するといわれます。
Q24 このエンパシーという考えを唱えたサリヴァンとはどんな人ですか。どうして分裂病のことがよく分かるのですか?
新フロイト派に属するアメリカの精神分析学者であり、医者として、入院中の精神分裂患者にインテンシヴ精神療法的接近を試み、その成果を発表して有名になり、晩年は政治精神医学などの多彩な活動を行い、1949年に没しています。彼は自分自身が精神分裂の傾向を有していたといわれ、そのためか分裂病にたいする深い理解があり、彼の著書は他の精神科医の参考にされるほどです。
<フロイトは神経症 最近のニュースでアメリカのそううつ病をもつ女性精神科医がそううつ病の本を書いて有名になっている 自分たちもそう>
Q25 そのように心理的トラブルの原因を乳幼児期にみるのは、精神医学では一般的なのでしょうか?無意識の意識化をくり返して行うことで、最終目的地はどのようになるのでしょうか?
精神病の原因をすべて乳幼児期に求めようとするのは、精神医学一般のものではないと思われます。ほかの原因も考慮されています。
たとえば精神病のうちの精神分裂については、もともと原因がよく分かっていないようですが、イタリア生まれの米国人で精神科医、精神分析医のシルヴァーノ・アリエティーがいうように、三つの要因が組み合わさって発生すると考えられるのが一般的でしょう。つまりアリエティーは
(1)生物学的要因。あるいは有機体の身体的条件。たぶん遺伝的。
(2)心理的要因。あるいは幼児期またはそれ以後発展した諸条件。家族または他者との関係がある。
(3)社会的要因。あるいは環境状態一般または患者が属する社会の環境状態。
の三つに原因を分け、そのうち(2)について「心理的因子とはなんだろう。それは患者の児童期の環境、家庭の育て方に見いだされるというのが多くの研究者の考え方である。全体として家族の異常に大きな重要性をとく研究者もいる。またある研究者は、うまくいっていない両親の関係、父親の性格、同胞との関係に焦点を合わせる。母親の性格と態度が何にもまして一番重要な因子であるというのが大多数の意見である。極度の不安と敵意が他者との関係の特徴であったり、無関心、あるいはこれらの感情が混じり合ってその特徴となっているような状況で児童期を過ごすと、将来分裂病になるといわれる。」と述べます。
【4】P102、P111
Q26 仮に、原因が乳幼児期にあるとすると、家族、特に母親が問題ということになりますか?
当然そうなります。
アリエティーは、分裂病者を精神力動的(A30ー3参照)に研究してきた学者の大半は、研究された精神分裂病のあらゆる症例には、重大な家族の障害が存在したという点で、意見の一致を見ており、重大な家族の障害が、精神分裂病を説明するための十分条件ではないにしろ、おそらく必須条件である、としています。【6】p106~107
また、家族研究の教えるところでは、分裂病者の家族には父親の欠損、両親の不和、母子関係の歪みなどをはじめなんらかの意味で秩序や安定を欠いた家庭像が大部分であるといわれます。【5】p49
そして、家族のうちでも、もっとも乳幼児に影響を与えるのは母親ですから、理屈からいっても、アリエティーがいうように、母親の性格と態度が何にもまして一番重要な因子であるというのが大多数の意見である、となります。【4】p111
Q27 ベビーブレスでは、心理トラブルの原因が母親であり、母親が責められるべきだと考えますか?
ベビーブレスによる自分たち自身の体験や参加者の体験によれば、心理トラブルの重要な部分に母親の要素があると思われます。
その理由ははっきりしませんが、精神的な療法を求めてこられる参加者には、心理的要因以外の生物学的要因などを抱えている人が必然的に少なく、ある意味で健康な人が多いからかもしれません。また、分裂病などの重篤なトラブルを抱えた人が少ないためかもしれません。さらにまた、ベビーブレスでは、乳児期や胎児期などの人生のきわめて早い時期の体験を再体験できますが、このような深い経験は他の手法では経験しずらいのではないかと思われ、心理トラブルの深い部分にはやはり母親が関係しているというのが真実なのかもしれません。
しかし、母親が責められるべきであるとは思いません。
世代間伝達(Q21参照)において、母親もまた「被害者」なのです。母親から伝達された心理的トラブルを抱えた自分たちも、自分たちの子供に対し「加害者」になりうるのです。しかも、世代間伝達は、無意識のうちに起こり、私たちは普通ではどうしようもありません。意思の力で、何とかしようとしても無理です。
Q28 母親が主な原因ではあるが、責められるべきではない、というのは一般的には理解されにくくはありませんか?
理解されにくく、ときに問題が発生します。
たとえば、子供のトラブルでカウンセリングに来られるお母さん方には、遅かれ早かれトラブルの原因はあなたですということを伝えることになりますが、言い方はどんなに気をつけても彼女たちを傷つけることになります。子供のことで、彼女たちもまた深く悩んでいるのですから。
このようにして発生した問題を、先に紹介した木田女史も、著書の中でとても正直に述べています。彼女はある雑誌で、こどもの「自閉」は「その子が生まれてから今日までの親の悪行の結果」と書いたので、自閉症の原因は「脳の気質的障害」と考える”自閉親の会”から反撃され2回にわたる公開質問状を受け、その質問内容と回答内容、および前後の事情を詳しく記述されています。【10】p39
精神分析やベビーブレスを受けるなどして自分の深層心理を理解することがない状態では、「原因はあなたです」といわれても納得のしようがないと思われます。
また、分裂病の原因が親子の関係にあるとするハリー・スタック・サリヴァンも、精神分裂病患者の母親は、怪物や悪人ではなく、人生の困難に打ちのめされた人であるといい、深い同情を示します。【6】p107
Q29 すべて乳幼児期や母親が原因であるとすることに反対の意見はありませんか?
あります。重篤なトラブルである分裂病の場合には、乳幼児期や母親だけを原因にするのは、現在の精神医学では一般的ではありません。
たとえば、アリエティーは、精神分裂病の原因を乳児期の問題とできるケースは少ない。そもそも赤ん坊は、(脳が十分には発達していないので)葛藤がなく、(心に傷を受けない。)寧ろ、生まれたときから既に問題があったようだとし、微小脳損傷が原因ではないかと推測する。
すなわち「赤ん坊と母親との関係の中に存在する様々な異常は、後の成人の精神病と直接関係するものではない」そのような異常の「いくつかが、後に精神分裂病を引き起こすかも知れない別の異常へと至ることがあるのは、確実である」が、しかし「赤ん坊は恒常性の変化とか不快とか剥奪といった状態にはあるのかも知れないが、精神内界でも対人的にも、葛藤状態を体験してはいない。」というのも「見捨てられ、死、取り返しのつかない喪失、絶望と言った観念を概念化することができない」からだ。このことを裏付けるように「筆者の長年にわたる臨床経験の中で、母性の剥奪と成人の精神分裂病との関係が成立するのを確証できたのは、たった一例だけである。」「分裂病者の近親者の中には、まさに生まれたその瞬間から、その子供にはなにか悪いことがあったようだと報告している人もいる。すなわち、神経質そうに見えたとか、泣いてばかりいたとか、授乳が難しかったとかいうことである。」そういうわけで「子供のこうした特徴がその子供に初めからあったものなのか、母親の不安や敵意に対する反応であったかを決定することは不可能である。」「こうしたいわゆる扱いにくい子供の大多数は、おそらく、微小脳損傷を持って」いる。【6】p96~97
また、日本のある精神科医は、以前、分裂病を作る母親、分裂病を作る父親といわれる時代があった。たしかに、子供にもっとも密に接してきた父母が、子供のあらゆる精神活動に大きな影響を与えてきたことは否定できないであろう。しかし、分裂病という個人を越える病が、彼らの影響をそれほど強く受けるものなのかと少し疑問に思う。」【2】p87というが、日本の精神科医の一般的な感想ではないかと思う。
Q30-1 そのような反対意見をどのように思いますか?
それだけ分裂病は原因をはっきりさせるのが難しいのだと思います。難しいからといって、原因を特定しようとするすべての試みが非難されるべきだとは思いません。どんな情報によって、原因の特定がなされるかが重要なことです。「どうしてそれが原因と思うのか」といいうことです。
分裂病を研究する学者や精神科医は、分裂病の患者から話を聞いたり(精神分析もこれに含まれる)、家族から話を聞いたりする以外には、情報を手に入れることができません。あくまで客体からの情報に過ぎません。この客体的情報でさえ、心理的なトラブルを抱える子供の母親からは、適切な情報は得にくいものです。精神科医も、分裂病の子供の親の持つ不思議な性質は「分裂病患者のお母さんから生活史はちゃんと聞けないよ」といった精神科医の経験からのつぶやきが示すとおりである、といいます。【7】p261 これに対し、ベビーブレスでは、自分の乳幼児期や胎児期を主体的に体験できます。
もっともサリヴァンのような人は別で、自分の分裂的傾向の主体的体験が情報になります。しかし、サリヴァンであっても、自分の体験のうち情報として入手できるのは意識的な部分、すなわち表面的な部分に過ぎないはずです。これに対し、ベビーブレスは、自分の意識下の深層の部分の体験も可能です。
Q30-2 そのような反対意見を含め、現在の精神医学全体では、どのような分野がありますか?
精神分析的精神医学ないし力動精神医学などに代表される心理学的な方法とともに、生物学的精神医学という生物学的な方法が、現代の精神医学を支える二つの柱です。このうち生物学的精神医学とは、例として、ドパーミンなどの脳内神経伝達物質などを研究する神経化学的研究、MRIなどを用いた画像診断学的研究などです。【14】p475
<ベビーブレスをリードする者としては、心理的な原因を見てしまう>
Q30-3 精神分析的精神医学ないし力動精神医学とは、どのような分野ですか?
精神分析的精神医学とは精神分析を中心にした精神医学をいいますが、精神分析は後述するA34「精神分析とは」のところを参照して下さい。
力動精神医学は、「力動」がフロイトの用いた「力動的見地(dynamic aspect)」という概念を意味し、ほぼ精神分析的精神医学のことを意味するようですが、主としてアメリカで発達し、その基本的な観点の中に、精神現象を幼児期の諸体験ととの関連において理解する観点が含まれます。【14】p804
【抑圧圏と分裂圏】3
Q31 たとえば母に対する憎悪と愛情とで引き裂かれる苦しみや生きていたくない苦しみから防衛するための防衛メカニズムの主なものに、抑圧やスプリッティング(分裂)がある(A4)ということですが、どういうことでしょうか?
抑圧は、簡単にいえば、受け入れがたい記憶などを意識から追いだし、無意識の中に閉じこめるメカニズムをいいます。分裂は、簡単にいえば、上述の例を用いると、母に対する憎悪と愛情を別個の存在として認知し、憎悪と愛情の対象が同じ母であることを認知してしまう場合に起きる決定的な苦しみから逃げるメカニズムをいいます。
例として、ベビーブレスの前後のカウンセリングで、参加者自身の心理トラブルの原因を本人がどこまで深く把握されているかお伺いすることがありますが、人それぞれで深さが違います。そして、その深さの限界に達したときの参加者の反応が、おおよそ二つのタイプに分かれます。一つは、あるところ以上深くは分からなくなって話が進まないタイプです。多くの人がこのタイプです。
二つ目のタイプは、話はどこまでも進みます。ある人は、その話の中で、自分の心理トラブルの真の原因も言ってみせます。しかし、自分で言ったことを覚えておらず、前後の脈絡がうまく取れません。「あなたは先ほど、ご自分でこう言いましたよ」といっても、きょとんとして、その内容が何のことか理解できません。また、ある人は、自分で言ったAとBの内容をつなげれば、心理トラブルの真の原因が分かるはずなのに、どんなことがあっても決してAとBをつなげようとはしません。
この場合には、一つ目のタイプが抑圧メカニズム、二つ目のタイプが分裂メカニズムと言えると思います。
両メカニズムについては詳しく後述します(A32)(A74-2)。また、両メカニズム以外にも防衛メカニズムは存在し、後述(A72)します。
さらに抑圧やスプリッティング(分裂)は、神経症の人や分裂病の人だけではなく、健康な人にも働く防衛メカニズムで、また同じ人の中でも両メカニズムは働きます。前者のメカニズムが強く働く人を「抑圧圏」の人と呼び、後者のメカニズムが強く働く人を「分裂圏」の人と呼ぶことにします。ベビーブレスに参加してくれる人は多くは抑圧圏の人ですが、中には分裂圏の人もいます。
【抑圧と神経症】3
Q32 抑圧についてもう少し詳しく説明して下さい。
フロイトによって一番最初に明らかにされた防衛システムで、意識に受け入れがたい観念表象や記憶、それにともなう情動や衝動を意識から追いだし、無意識の中に閉じこめておこうとする自我の防衛メカニズムをいいいます。この抑圧された無意識内容は決して消滅せず、無意識内でその力を保ち、神経症症状として形を変えて現れてくる。精神分析療法は、自由連想法を介してこの抑圧の緩和を試み、無意識内容の意識化が可能となると神経症状の解決が生じる。抑圧されたものが本人にとって無意識であるばかりでなく、抑圧の作用自体も無意識のうちに働く。また随意的に意識化することはできません。
蛇足ですが、これに対し意識的(随意的)に、無意識内に押し込めようとする心理活動を、つまり、あえて忘れ去ることを抑制といいます。この場合は、随意的に意識化、つまり想い出すことができます。このように抑圧と抑制を区別するため、意識と無意識の間に、前意識という領域が想定されます。意識から前意識へ押し込めることを抑制、意識から前意識を通りぬけ無意識まで押し込めることを抑圧といいます。【14】p793、795
Q33 無意識について説明して下さい。
「無意識」とは、A32で述べたように、意識、前意識、無意識というふうに心の中の構造をいう場合と、無意識内容、つまり抑圧されたものをいう場合と、があります。
この無意識内容は、絶えず意識や前意識内容に進入しようとしているが、検閲が働くので、その検閲を通行可能なように歪曲を受け、失錯行為や神経症などの形で表れます。
【14】p755
Q34 精神分析とは、どんなことをするのですか?
精神分析とは、人間の言葉、行動、空想、夢、症状などの無意識的意味を理解することで、抑圧されたものを意識化する方法のことをいいます。具体的には、主に自由連想法、ほかに遊戯療法などがあります。精神分析が行われ、無意識の意識化がなされると精神統合が生じるが、この統合は、分析治療を受けている者の中で、分析者の関与なしに、自動的不可避的に行われます。【14】p461p462
<ベビーブレスでの体験と同じ。>
Q35 自由連想法とは、どんなことをするのですか?
たとえば、分析者は分析治療を受ける患者に対し「何でも頭に浮かんでくることを、そのまま批判・選択しないで話して下さい」と告げ、患者は自分が話した直前の内容に対し連想されることを批判・選択しないで話す。これにより、日常的な意識的抑制を緩和し、やがて抑制の緩和は無意識的な抑圧をも弱め、無意識の意識化が始まり、この意識化とともに治療的退行(A11)が生じます。【14】p346、347
Q36 自由連想法は、誰でも受けられますか?
いいえ。自由連想法は、患者には一種の自己観察の方法として働かなくてはならないので一定の観察自我(A74-3)が前提となりますし、言葉を介しての作業なので一定の知的能力が必要ですから、精神病者や子供には実施が不可能です。【14】p346、347【10】p81
<ベビーブレスは小学4年からOK 必ずしも言葉は不要>
Q37 無意識内容の意識化により神経症状の解決が生じるということですが、その神経症状にはどんなものがありますか?
神経症状は、アメリカ精神医学会による精神障害の診断と統計の手引きであるDSMーⅢでは、神経症的障害として複数のカテゴリーの中に分配されています。この神経症的障害とは、その症状が本人に様々な苦痛を与え、その本人によって受け入れがたい自我違和的なものであり、現実検討機能は大まかな意味で健全であり、大まかな意味で社会的な基準を積極的に逸脱する様なことはなく、・・・、ストレスに対する一過性の反応ではなく、明らかな器質的な病因ないし要因をともなわない、と定義されます。また、分配される複数のカテゴリーは、感情障害、不安障害、身体型障害、解離障害、精神・性的障害です。 【14】p388
Q38 フロイトはどんな人ですか?
ジークムント・フロイト(1856~1939)といい、ウィーンの神経学者で、精神分析の創始者です。フロイト自身が心臓神経症、汽車恐怖症、うつ神経症などの神経症を持っていたといわれます。精神分析を確立する段階で、コカインの使用、催眠療法、自由連想法と移って行きました。【14】p892p894
【スプリッティング(分裂)と精神分裂病】4
【分裂の導入】4
Q39 分裂や精神分裂病の話が多く出てきますが、これらはなぜ重要なのでしょうか?
私たちの人間関係の悩みや不全感などは精神科の病院に行っても、多くの場合には、神経症や精神病と診断されることは少ないでしょう。しかし、これらの悩みや不全感も、いわば軽い神経症的傾向、軽い精神病的傾向として理解できることは既に述べたとおりです(A1、19)。だから、神経症や精神病そのものを理解することは、私たちの役に立ちます。
特に、精神分裂病は、心理トラブルの中でも原因が人生のもっとも早い時期に存在するように思え、未だ解明されないことが多く、症状も様々です。この分裂病を理解することは、人間の深部を理解することのように思えます。同じ深部が私たちの中にも存在します。私たちは分裂病にはなっていないかもしれません。しかし、その深部を体験し理解しなければ、私たちの真の満足はあり得ないように思えるのです。
アリエティーは言います。われわれは分裂病を無視できない、分裂病について知ることは人間の状態と苦悩を知ることである。なぜ分裂病者を同類として感じなければいけないのか、なぜならわれわれのなかには少なくとも標準からの逸脱の片鱗がひそんでいるからである。ただ分裂病者と違って、われわれはそれを外に表すことを恐れている。分裂病を研究することにより、われわれは、独特な方法で人間の大きな謎を調べることができる。 分裂病の患者は、はっきりと病気(精神分裂病)になる以前にもゆゆしい心理的問題を既に明らかにしている。彼の自尊心は非常に低い。自分は不十分で価値がなく、不器用で誰にも愛されず、愛されるはずもなく、受け入れられず、これからも受け入れられないと思い込んでいる。能力がなく生まれつき劣等であると自分を責め、自分を改善するためになすべきことをしなかったことで自分を非難する。【4】p7、p16、p18、p59~60
サリヴァンは言います。分裂病の患者は、本人にとってはせいいっぱいの適応への努力を延々と重ねた挙げ句、分裂病が出現する。【7】p147
Q40 分裂病の患者というと、何かなじみがなく、敬遠したくなる感じもあるのですが。
そうかもしれません。しかし、たとえば分裂病患者が社会的に劣る人々であると言うことはないのです。
フロイトが行った有名な唯一の分裂病患者の分析例として、「自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察」というのがあります。ここにいうパラノイアは、当時の分類で、現在は内容からいって精神分裂病に分類されるそうです。ダニエル・パウル・シュレーバーという人が自伝として書いた「ある神経病患者の体験記」の内容をフロイトが分析したものです。このシュレーバーという人は、約百年ほど前のドイツのザクセン州控訴院長(日本でいえば高等裁判所の所長でしょうか)でしたが、幻視、幻聴、知覚過敏、妄想観念などが現れて精神病院に入院しました。そのような病的な部分を除けば、「彼の意識は清明であり・・・思考過程を通じて発表でき」「国政、法律、政治、・・・正確な判断・・・正しい理解・・できた。」そして、その病院からの退院を要求して担当医に拒否された際に、裁判所に訴えを起こし、その陳述書の「聡明さと論理的な確実さがついに勝利を得」、退院を認めさせてしまったほどだそうです。【11】p116~117
【分裂定義】4
Q41 精神分裂病とは、どんな病気なのでしょうか?
精神分裂病というのは、診断や原因などが分かりにくい病気のようです。
この病気に対し、初めは、ドイツのエーミール・クレペリンが100年以上も前に「早発性痴呆」と名付けました。老年の痴呆がまるで早期に発生するような病気という意味合いでした。次に、スイスのオイゲン・ブロイラー(フロイトと同世代)が90年前に「精神分裂病」として提唱し、分裂病の基本的症状として連合作用の弛緩や解体が認められるとした。そのため心理的機能相互の関係が弱まって、互いに分裂するようになるという。【5】p39~41、p87
Q42 連合作用の弛緩や解体とは、どのような症状を言うのですか?
連合作用の弛緩は、思考や感情などの連合作用が弛むことをいい、短く連合弛緩ともいいます。緩みが激しくなった状態を解体といいます。詳しくは、思考や感情などに限らず、種々の精神活動の統合に障害があることをいいます。正確な定義は、「要素的体験(感覚、観念、運動)がある法則に従って結びつくこと、およびこのような要素的体験のあるものがほかのものを維持的に、または同時に呼び起こすことを連合といい、この弛緩が連合弛緩である。」となります。【14】p821
このうち思考の連合弛緩は、「支離滅裂」と呼ばれ、意識が清明なら「滅裂」思考、意識に混濁があれば「支離」思考という。前者は精神分裂病に見られ、後者は意識障害者に見られるそうです。【14】p378
<カウンセリングでも軽い滅裂思考は多々見られ、ベビーブレスに深くはいれるようになると、改善される。滅裂思考が改善されることが、セラピーの効果の大きな指標になっている>
【分裂病の正体のあいまいさ】4
Q43-1 精神分裂病というのは、診断や原因などが分かりにくい病気だということですが、たとえば分裂病であるという診断は、どのようになされるのですか。どのように分かりにくいのですか?
まず、症状がたくさんあって、分かりにくいようです。特に、発病初期の症状は千差万別の状態ということです。【5】p57
また診断基準そのものが、はっきりしていないように思われます。診断は、症状と経過を観察して行われます。症状からの診断基準は、種々が存在し、あいまいな印象を受けます。たとえば、K.シュウナイダーの分裂病の一級症状として11の症状が羅列され(考想化声、対話と応答の幻聴、行為をいちいち批評する声の幻聴、身体被影響体験、思考途絶と思考奪取、思考吹入、考想伝搬、奇異な感情、奇異な行動、させられ体験、了解不能な妄想知覚)、これらの症状は分裂病の診断の上で必要条件でもないが十分条件でもないが、この症状が一つでもあることは無視してはならない危険な兆候である、とされます。【1】p29~30
また、精神分裂病という言葉を紹介したことで歴史的に有名なオイゲン・ブロイラーの息子であるマンフレッド・ブロラーは、7つの症状(普通の人は患者の一連の考えを・・了解できない、感情的な共感がいちじるしく乏しい・・、異常な興奮や混迷の状態が数日以上持続する、幻覚と錯覚が数日以上持続する、妄想を経験する、毎日の通常の義務をまったく怠り家族などに野蛮な行為をする、友人や家族にとって患者は変わってしまいそのふるまいを理解できない)を列記し、このうち少なくとも3項目あることで分裂病として診断されるとしています。【1】p40~41
Q43-2 精神分裂病の原因は、一般的にはどのように考えられていますか?
簡単に言うと、よく分からない、ということのようです。
先に述べたように(A12)、新フロイト派の人たちと同じように、私たちは精神分裂も含め乳幼児期などの早い時期に原因があると考えますが、これは精神医学の一般的な意見になっているとは思えません。
一般的には、かなり漠然と考えられています。すなわち、分裂病や躁うつ病は「内因性」の精神病と考えられ、「内因性」とは「心因(心理的な原因)」や「外因(外部からの身体的な原因)」ではなく、内部的な原因という意味で、具体的には生まれつきの素因や体質、あるいは内分泌や代謝の障害までを漠然とさすと思われますが、しかし、この素因や体質という概念があいまいで、それを規定する遺伝も決定的ではありません。【5】p48
簡単に言うと、「内因」「心因」「外因」とは精神障害の起きる原因を大まかに指す概念で、原因が、肉体か、心か、外部からか、ということのようです。しかし、これらの概念的な線引きはあいまいです。そのあいまいさを見るにつけ、結局原因が分かっていないためではないかと、思うのです。
Q44 「 内因」「心因」「外因」は、どのようにあいまいですか?
それでは、各々をもう少し詳しく見ていきます。
まず、「内因」ですが、内因性精神障害とは外的要因(外因のことか?)なしに発病し、なんらかの身体的基盤の見いだされることが要請される精神病である、とありますが、今日のところその「身体的基盤」は明らかになっていないそうです。ただ遺伝的要因が関与していることは一般的に認められているそうです。
その理由は、分裂病の双生児における一致率は、一卵性双生児における一致率が二卵性双生児における一致率を上回ること、および、分裂病の発端者の家族内における発病危険率は、発端者に近いほど高いこと、によります。
他方、一卵性双生児における一致率が100%でないことから、遺伝的要因がすべてということではなく、環境的要因が関与していることも一般的に認められています。環境的要因の研究は、主として力動的立場から行われ、たとえば幼少期以来患者の上に多大の影響を与えてきた両親などを心理学的立場から研究されています。【14】p594
次に「心因」とは、心的葛藤が精神障害の原因である場合を指す。しかし今日の具体的症例では、内因と心因を厳密に区別することは困難だそうです。【14】p379
さらに「外因」とは、身体的原因つまり外傷や病気などで脳に直接にダメージを受けることが原因になることをいい、広くは環境的原因や精神的な原因(心因のことか?)も含まれる。また、直接に精神症状に結びつくのではなく、体質などを考えなければならないともいわれる。【14】p87
<これらを検討すると、「内因」の定義を構成する「身体的基盤」の中に含まれる「環境的要因」は、本来「外因」に分類されているものであり、しかもこの「環境的要因」は上記内容を見ると両親が幼少期の子供に与える影響を言うのですから、本質的に「心因」でなければなりません。また「内因」と「心因」を厳密に区別することは困難とされています。さらには、「外因」に広く含まれる精神的な原因とは用語的にも「心因」でなければなりませんし、症状に結びつくには体質を考えなければならないとあり、この体質とは「内因」のはずです(A43参照)。このように「内因」「心因」「外因」は、定義または概念そのものに混乱があるように思われ、控えめに言っても、あいまいであるといわざるをえません。>
Q45 「内因」「心因」「外因」の概念があいまいなままで、分裂病と躁鬱病の原因は、精神医学では一般的に結局どう考えられていますか?
あいまいな「内因」の用語は使われなくなりつつあります。
つまり、内因性精神障害の代表であるとされる精神分裂病と躁鬱病に、(外因であるはずの)環境的要因が関与していることは一般に認められており、これらの病気は結局は、遺伝と環境のあざなえる縄のごとき関係の中で発生すると考えられています。このために最近のアメリカの分類(DSM-Ⅲ-R(精神障害の診断と統計のためのマニュアル改訂版、北米で用いられ現在、標準的診断のためのガイドとなっている【1】p27~28))では、内因の用語は用いられない。【14】p594
Q46 分裂病は、精神医学では、遺伝と環境のあざなえる縄のごとき関係の中で発生すると考えられているということですが、もう少し詳しく話して下さい。
あざなえる縄のごとし、というかわりに、有機的な結びつきという人もいます。【5】p50 50年ほど前までは、精神病や犯罪などの原因について「遺伝が環境が」という二者択一論的な議論がされていたが、現在は姿を消し、双生児の研究などにおいても両者の役割を切り離して測定することは困難という意見もあります。【14】p47
Q47-1 遺伝と環境について、ベビーブレスの立場はどうなのですか?
ベビーブレスの立場もほぼ同じですが、もう少し踏み込んだ観測を持っています。
自分たちの主体的な体験内容から、原因は乳児期よりもさらに早い胎児期にあると考えます。胎児期では、胎児の精神的状態は遺伝のみならず母親からの影響など環境に大きく左右されます。胎児が持つであろう並外れたエンパシー(A22)やフレキシビリティー(損傷を受けやすい柔軟性)により、環境からの影響はとてつもなく大きくなると考えています。生まれ出た赤ん坊の精神的状態が、遺伝によって規定された結果なのか環境によって規定された結果なのか、両者の役割を切り離して測定することは、それこそ困難であるといわなければなりません。
Q47-2 胎児がエンパシーやフレキシビリティーにより母親などから大きな影響を受けるということはを、もう少し説明して下さい。
エンパシーやフレキシビリティーというのは、感受性の高さや損傷を受けやすいことというふうに、言い換えることができます。このような胎児期の特殊性については、後ほど(A78~82)詳述します。
今は、人生の非常に早い時期に傷を受けて分裂病になるという見方(A12)がありますが、分裂病の症状の多様性(A43)はその傍証になるのではないか、という私見を述べたいと思います。つまり胎児などの人生の早期に心に傷を受けることが、その時期の感受性の高さや損傷を受けやすい柔軟さ(フレキシビリティー)によって、いろんな精神のありようを形成してしまい、症状の多様性を生むのではないかと思います。
たとえば世界中には多様な民族性や言語が存在します。日本人や日本語もその本の一部です。しかし、始めから日本人として産まれてくる人は一人もいません。始めから日本語を話す様に産まれてくる赤ん坊は全くいません。産まれた後に、日本人になるのです。日本語をしゃべれるようになります。このような多様性は、個人が人生の早い時期、例えば幼児期から、そのような民族環境や言語環境に身を置くことにより可能になるはずです。そして一度、日本人になると、大人になって英語を勉強してアメリカ人になりすまそうとしても、そうはうまくいきません。つまり、この多様性は幼児期の柔軟性と関係があります。
このような柔軟性を有する幼児期から、あるいはもっと大きな柔軟性を有する早い時期、例えば胎児期から影響を与えるn通りの悪い成育環境があったとすれば、n通りの傷ができるのではないでしょうか。悪い生育環境の夫々の微妙な差違を考慮すれば、このnはとても大きな数Nになります。そして、その微妙な差違に影響されるほどその子供の柔軟性が大きく、N通りの傷ができる、という仮定が成り立つのではないでしょうか。そう言うわけで、H.S.サリヴァンがいうように、分裂症の患者の数だけ分裂の症状がある、ということになるのではないでしょうか。
そして、逆に考えると、そのような症状の多様性は、分裂病の原因がそのような早い時期の傷に起因することの傍証にもなるのではないでしょうか。
Q47-3 そのような多様性から、分裂病に似ているように感じられる多重人格も説明できるのでしょうか?
なるほど、多重人格も、多い場合には数十もの人格が出てくるそうですから、多様と言えるかもしれません。また、何か一つであるべきものが多数に分裂してしまう感じは、多重人格も分裂病も似ているかもしれません。
しかし多重人格と分裂病は、医学上は、全く別のようです。多重人格は人格が複数現れるという症状も特徴的で、分裂病のように様々な症状から特徴となるものが特定できないのとは、ずいぶん事情が違います。また、多重人格は虐待、特に性的な虐待がその病気の原因となる傷としてあります。一般的にいえば、性的な虐待であればかなり成長してからの傷であり、したがって、症状の多様性は精神分裂ほど多くないのも、当然と言えます。
Q48 胎児期を重視するプノブレスの立場からは、「内因」「心因」「外因」の概念を、どのように扱ったらよいと考えますか?
全くの私見として、このような不明確な3分類ではなく、原因が存在した成育年代別に、すなわち発生学的な分類をしたらどうか、と考えます。例えば、遺伝子性精神障害(純粋な内因性)、胎児性精神障害、乳児性精神障害、幼児性精神障害、成人性精神障害(純粋な外因性)などです。
【傷付きやすさ】4
Q49 プノブレスの立場からは胎児期の環境を重視しているようですが、遺伝的なものを感じることはありませんか?
もちろんあります。心の傷が深い人は、深い感受性のような傷付きやすさを、そもそも遺伝的に備えているのではないかという感想を持つことが、しばしばです。その感受性の故に、傷が深くなってしまったのではと感じます。
Q50 遺伝的な「傷付きやすさ」について、もう少し詳しく説明して下さい。
そのような感想を持つのは私たちだけではありません。
アリエティーは、異常な感受性をもつ分裂病患者の話をし【4】p25、分裂病の心理学的原因の結論の項目の中で、「傷付きやすい人は一生をとおして心理的防衛を築き上げようとする。・・・防衛が不満足に終わり、自分自身を全く受け入れることができないとき、患者は精神病的防衛と呼ばれるものに訴える。」と述べています。【4】p125
また、人生の長い時期を分裂病の治療に捧げた日本のある精神科医は、分裂病に親和的な人は、かすかな兆候を読む能力が傑出しているからではないか、といいます。彼は、分裂病が太古からあると言われるにもかかわらず分裂病になりやすい人が淘汰されずに、人口のおよそ1%で、今日まで残っているのは、太古の狩猟民族としてそのような能力は生き残りに非常に有利であるのみならず、現在でも子孫を残す相手の獲得には、つまり恋愛には、相手のわずかな表情の変化から相手の心情を読んでタイミングを測って接近することが成功率をたかめることに関係する旨の説明をしています。【3】p90~p92
さらに、木田恵子は、自閉(自閉は分裂病の一症状にも数えられています)の状態の子供達について「良くなった子供達が皆抜群の才能なので、私は頭の良すぎるのが不運のもと、などといっています。行動療法的・・訓練ということは考えません。それは根本的治療に成功さえすれば、長年の遅れをたちまち取り返すという体験を重ねているからです。」といい【10】p25、また「普通児より鋭敏で感じすぎることがあるような気がしてなりません。」といいます。【10】p38
【神経症と分裂病の違い】4
Q51 抑圧が神経症に関係し、スプリッティング(分裂)が分裂病に関係するということでしたが、神経症と分裂病は全く違う病気なのでしょうか、どう違うのですか?
抑圧が神経症に関係し、スプリッティング(分裂)が分裂病に関係するということでしたが、神経症と分裂病は全く違う病気なのでしょうか、どう違うのですか。
Q52 ベビーブレスでは、抑圧圏の人と分裂圏の人とを区別しますか?
伝統的なドイツ精神医学では両者を峻別します。峻別の基準は、内因性か心因性か、病識がないかあるか、人間的交流の遮断(【5】p68)があるかないか、などです。日本では一般的です。
これに対し精神医学の先進国である米国では、両者の間には斬新的な移行が認められるという力動的精神医学が盛んであり、峻別するどころか両者の境界線上に位置づけすべき「境界例」(境界線例 境界型分裂などともいうようだ)という中間型が認められてきています。【5】p78~80 分裂病はノイローゼ(神経症)の重いものという一般的な素人認識に近い感じになってきた。
また、サリヴァンは分裂病と神経症の本質的な差を認めていない、ということです。【5】p103
Q53 抑圧圏と分裂圏の間の中間型として「境界例」というのがあるということですが、その話をもう少しして下さい。
境界例というのは、表面的には抑圧圏に、つまり神経症に属するように見えて、実は分裂病であるという観点があり、そこから境界型分裂、さらには潜伏分裂病といわれた時期もあったようです。また、境界例を、神経症と分裂病の境界にいるというよりは、さらに、正常、神経症、心因精神病、精神病質に接するところで不安定状態で安定している臨床単位としてとらえる概念もあるようです。
また、神経症、境界、精神病の3つを分類するのに、(1)統合された同一性をもつか、同一性が拡散しているか(2)防衛メカニズムは抑圧か、分裂を基礎とするか(3)現実検討能力はあるか、の3つの基準を用い
神経症は(1)統合(2)抑圧(3)YES
境界は(1)拡散(2)分裂を基礎(3)YES
とする立場がある。【14】p158
現在は、アメリカのDSM-Ⅲ-R(A45)では、人格障害に分類されている。
Q54 「境界例」は中間であっても、実態はどちらかというと分裂圏よりというニュアンスがありますが、逆に、中間であって抑圧圏よりというのはないのですか?
たぶん、強迫神経症がそれに該当するのかもしれません。
強迫神経症は、文字通り神経症の仲間ですが、分裂病の前駆段階で、おそらく分裂病から護っているものとして考えられ、徹底的な確認などその例として、不安に対して意識性を高めて対抗しようとする面があるが、その意識性の高まりには天井があり、いわば意識が天井にぶつかって、痙攣的に”確認”を反復しているのが強迫症状であるといわれます。強迫症を通過しなければ分裂病にならないということはありません(必要条件ではない、著者注)が、この意識性の天井が抜けてしまったらほとんど分裂病であると考えることができるでしょう。【3】p45~46
Q55 強迫神経症から分裂病になることがあるということですが、分裂病を発病するというのはやはり大変なことのようですね。
大変なことだと思います。
分裂病にならないように、人間には日々働いているシステムが備わっているのではという人もいます。つまり、免疫系が日々働いてくれるから菌やカビが重い感染症を起こすのを防いでいるように、急性分裂病状態が起きる臨界期の前後を考えると、のほほんとして分裂にならないのではなく、分裂病から人間を守るシステムが日々働いているからで、そのシステムとは、睡眠、夢活動、心身症、意識障害、死(強烈な自死への衝動)の順で働く、といいます。【3】p44
<危なくなると眠り、夢を見、足りなければ心身症になり、さらに意識障害・・・ということでしょう>
【危険性】5
Q56 治療のつもりが分裂病を引き起こすという危険性もあるのでしょうか?
あると思います。
神経症などを含め心理トラブルの治療には、精神分析の自由連想法や薬、私たちのベビーブレスなど種々のものがあります。このうち、分裂病の発病時臨界期には坑精神病薬は、発病しやすくさせることもあるそうです。【3】p52 また、由連想法が精神病を顕在化させる危険性もあるそうです。【14】p347 有効な治療には、当然の結果として危険性があると思われます。ベビーブレスも例外にはならないと思います。
<この部分は書かない方がいいのかも知れない>
【性】5
Q57 ベビーブレスは、呼吸を使って心の中に隠れているものをすべて出してしまうように思えますが、ベビーブレスの立場から性についてはどのように考えますか?
この原稿全体のベビーブレスに関する説明の精神医学的な基盤は、始めにもいいましたように、フロイトやその流れを汲む人々の研究結果です。ご存じのようにフロイトの出発点は、性的な抑圧を解除することで神経症が治るということでした。その意味で、ここで性的な内容にノーコメントでいるわけにはいきません。
性的な抑圧は、自分自身の生きるエネルギーを抑圧することに通じます。自分の中に性的なとまどいなど、性に関するブロックがあると自分で感じる場合には、それも全部出してしまうほうがいいと思います。そんな場合に性に関する部分だけを引っ込めておいて隠れた感情や自分の傷を体験するという離れ業は、難しいのではないかと思います。
もっとも、ベビーブレスの中では、いきなり乳幼児期などに退行することが多いので、あえて性に関する部分に触れることは難しいかもしれません。あえて触れなくても、気が付いたらそのようなブロックもなくなっていたということはあると思います。統計を取ったわけではありませんが、ベビーブレスで性生活が改善されるというのは多いようです。
サリヴァンは、例え短期間であっても性的対象にほぼ完全に適応したことがある者は決して(分裂病に)発病することがないらしい、といっています。【7】p147 また性的順応は深い退行であって均衡した退行で、しかも孤独でなく二人での退行であるから、それを経験した人間は分裂病にならないということになろうか、ともあります。【7】p482
退行が十分にできなければ、性生活の満足も十分でないのかもしれません。もっともベビーブレスに深く入れば、性に限らず、すべての人間生活が生き生きとする感じがします。
【宗教】5
Q58 宗教についてはベビーブレスの立場からどう思いますか?
その人がどんな宗教を信じていようとベビーブレスは関知しません。
ただ、宗教などいろいろな精神的心理的体験をしてきた人で、そのためにベビーブレスに深く入りやすい人と、その逆の人とがいるように思えます。要するに、自分を苦しめているであろう心の中の隠れた感情や傷に興味があるか否かが重要です。宗教そのものにもいろいろあるのだと思います。
また、分裂病の人が宗教的な色彩を帯びることは珍しくはないようです。
A40で登場した分裂病のシュレーバー氏に関する記述で、「それらの妄想観念は、次第に神秘的、宗教的性格を帯び、神と交流し、悪魔達が彼と戯れ、彼は不思議な現象を見、聖なる調べを聞き、ついに、自分は別な世界にいるのだとだと信じた」「彼は、世界を救済し、失われた幸福を再びこの世界にもたらすことを自分の使命だということを確信している。しかしそれが実現されるためには、彼があらかじめ男性から女性に性を転換させておかなければならない、と考えている」「ちょうど予言者から教えられるように、神から直接与えられる霊感によって自分はこの使命を課せられたのであった」【11】p114p117というようなくだりがあります。この人の分析においても、フロイトはリビドーという性的なエネルギーの流れから分析、考察を行い、パラノイアの研究に寄与しています。
【他の精神療法との関係】6
Q59 ベビーブレスは、どのような精神療法の分野に属するのですか?
ベビーブレスは、呼吸を使った療法で特に乳幼児期に争点を当てます。抑え込んでいた感情を表出して浄化したりします。
感情表出による浄化という効果を有しています。呼吸を使った療法にもいくつかあります。ホロトロピック・セラピー、ブリージング、あるいはブレスと呼ばれる手法です。このうちホロトロピック・セラピーは日本でも何冊か本が出版されています。
このホロトロピック・セラピーはチェコスロバキア生まれの米国人精神病理学者のスタニスラフ・グロフという人がはじめたもので、これによって体験される無意識の領域を5つに分けます。(1)何か美しいものが見えたり五感に非常に心地よい感覚が伝わったりする領域(2)生まれた後に抑圧されたりしていたものを想い出す領域(3)分娩前後のことを想い出す領域(4)原始的な宗教形態の手法を通して体験される意識の領域(5)自己と他者のあらゆる領域がはずれてしまって全宇宙と一体感を体験する領域【18】p134~p175
これらのうち(3)分娩前後のことを想い出す領域は、特に重要視され、さらに4つに分けて説明されます。すなわち、a分娩前の子宮内存在時における胎児と母の原初的な共生的融合、b分娩の開始と分娩の最初の(子宮口が閉じている)臨床的段階、c分娩の(子宮口が開く)臨床的第二段階、d分娩の(実際に子供が誕生する)臨床的第三段階です。【16】p11~p34
<不安が分娩に関係するとしているフロイトの説に近い また(4)(5)は胎児期のこととして理解できる>
Q60 精神療法全体ではどんなものがあるのですか?
セラピーと名の付くものを集めると、ものすごくたくさんあると思います。手元には適当な資料がありませんが、精神医学事典には次のように紹介されています。
「精神療法」
(1)表現的精神療法(別名カタルシス法)特殊なものとして催眠カタルシス麻酔カタルシス
(2)支持的精神療法 危機介入法、環境調整など
(3)洞察的精神療法 精神分析療法、ロジャーズ法など
(4)訓練療法(学習、再学習) 行動療法、自律訓練法、認知療法、森田療法など【14】p469
<ベビーブレスは(1)(3)を含むか>
Q61 一般の精神療法では、何をもって治ったとするのでしょうか。目標は何でしょうか?
精神医学では、療法の目標は、症状の改善や社会適応性の改善が主で、特殊な場合には、さらに洞察の獲得があるそうですが、それらだけではなく本格的な精神療法では、それぞれ独特の人間理解の体系があるようです。精神分析療法では「無意識過程の理解」、認知・行動療法では「再学習」、森田療法では「あるがままの体験」などです。
なお、神経症では治療後数年を経過するにつれて適応度が良くなり、これは自然治癒力の故であるとされますが、しかし不安に対処することを獲得するには、精神療法が必要であるとされます。【14】p545
【不安と恐怖】7
Q62 ベビーブレス中の再体験では、心の傷は恐怖や不安として認識されるといういうことですが、この恐怖や不安について話して下さい。
ここにいう恐怖や不安は、心理トラブルを理解する上でとても大きな鍵になります。神経症や分裂病を起こす黒幕のような感じです。
まず神経症についてですが、フロイトの流れを汲む心的力動論では、神経症とされるすべての心理現象はこの不安を回避するためにつくられた過剰な心的防衛メカニズムに由来すると説明されています。【14】p691
Q63 不安についてフロイト自身はどういうふうにいっていますか?
彼は不安の問題が神経症心理学の諸問題の中でまさしく中心的とも言うべき位置を占めている、といいます。【11ー2】p265
フロイトは、不安こそは大抵の神経質者の訴えるところであり、彼ら自身がもっともおそろしい悩みだと称し、実際に不安がきわめて激しい強度に達した結果、はなはだ気違いじみた行為に及ぶことがよくあります、といい、「神経質な」「不安な」という語とは、(ドイツ語では(著者注))ふつうごっちゃに使われているそうです。【11ー2】p236~237
Q64 フロイトの意見では、不安の原因は何ですか?
フロイトは、不安の原因は分娩にあるといいます。
フロイトの理解によれば、不安感情は分娩行為という早期の印象を反復するという形で再び心に甦らせるものであって、分娩は生命の危機が生じた場合の原型であり、(胎児期に行われている(著者注))内呼吸の中断による息苦しさが不安体験の原因であり、また母体からの分離を契機として最初の不安状態が生じる。そして、この最初の不安状態を反服する素因が無数の世代を通じて、くり返し有機体(人間のことか(著者注))の内部に徹底的に取り入れられ同化されてきた結果、(帝王切開のように(著者注))分娩行為そのものを経験しなかった人間であっても、不安感情を免れることはできない、といいます。
【11ー2】p242~243
Q65 神経症の人は、不安を感じるときに、何が不安なのか分かっているのでしょうか?
それが分かれば神経症にはならずにすむのだと思います。
フロイトは晩年になって、神経症的不安の場合は何を恐れるかという問いに対し、満たされざるリビドーが直接不安に転ずる、つまり興奮の当て外れにより、己のリビドーを恐れるのだ、といいます。【11ー3】p125~128
また、不安ヒステリーに属するある種の恐怖症においては、抑圧が不安を生ずるのではなく、不安の方が前にあるのでありまして、不安が抑圧を作るのです。この不安は外的危機に対する不安に過ぎず、エディプスコンプレックスを例にすると、去勢コンプレックスである、といいます。【11ー3】p130
Q66 フロイトは、不安と乳幼児期の関係については、何と言っていますか?
彼は、(健康な(著者注))幼児期の不安は、現実不安との関係がきわめて乏しく、むしろ大人の神経症的な不安と近親関係にある、といっています。【11ー2】p261
Q67 つまりこの不安は、「何が不安なのか」分からないということですね。
そうです。幼児期や神経症的な不安は、対象を持たない。さらに、神経症などの心理トラブルの恐怖は対象を持たないか関連が薄い、といわれます。
例として対人恐怖症、広場恐怖症、動物恐怖症などの「恐怖症」は、対して危険でも脅威でもないはずの対象や状況に対して不釣り合いなほどの激しい恐れを覚えます。そして、現実の対象や状況と体験される恐怖感との関連が薄れていて、その非合理性、抵抗のしようのなさからは、むしろ強烈な不安であるといわれます。【14】p170
なお、このように精神医学では正式には、対象がない場合を「不安」、対象がある場合を「恐怖」というように一応両者の用語的な区別をしているようですが、そのような区別をしない文献も多いので、ここでも不安と恐怖の区別をあまりしていません。
<いわれのない不安、得体の知れない恐怖>
Q68 なるほど神経症では、なにか不安が深いところで関係しているようですが、分裂病でも同じなのでしょうか?
同じというよりは、もっと深く不安に関係しているように思えます。
長い間、精神分裂病に取り組んだ中居久夫はこう言っています。発病過程で描かれた絵は見ているとしんしんと怖さがしみとおってきます。それは患者が感じている恐怖と不安です。【3】p13 また、一般的には幻覚妄想などを以て分裂病の特徴と考えているようですが、最も強烈な分裂病体験は恐怖であるとサリヴァンは考えていましたし、私も賛成します。【3】p55~56 さらに、アリエティーも、急性の分裂症では、どこから起こってくるか分からない極度の不安感が特徴の第一にあげられる、といいます。【4】p55
Q69 幻覚や妄想は、得体の知れない不安と恐怖のために生じるのでしょうか?
そのようです。不安と恐怖を少しでも和らげるために生じるようです。
中居久夫は言います。恐怖はいつも存在します。しかし、(発病後の(著者注))時とともに大旨は、恐怖から幻覚・妄想・妄想・知覚変容などに比重が傾いていくと、私は思います。そのほうが少しでも楽だからです。【3】p58 極度の恐怖は対象を持たない全体的な「恐怖そのもの」体験ですが、幻覚・妄想・知覚変容は対象化されえます。意識とは一般に”何かについての意識”ですから、幻覚にせよ幻想にせよ、それらは意識に対象を与えます。【3】p59 患者にいわせれば、発病時の恐怖に比べれば幻覚や妄想はものの数ではないということです。患者のあるものは幻覚や幻想という藁にすがりついています。藁を奪おうとするとますますしがみつくのは、これを失うと大海によるべなく漂うことになるからです。【3】p60
分裂病の人は、まなざしが自己すなわち自極の方へ向かうとき恐怖が再びつのり、その恐怖には限界がない。【3】p61
<分裂圏の人と思われる人には自分を観ることができない人がいるのはこのためであると思われる>
【不安と心身症】8
Q70 不安や恐怖が、神経症や分裂病の黒幕のように存在すると言うことですが、他の心理トラブルでも同じ様なことが言えるのでしょうか?
言えるのではないかと思います。たとえば、心身症の原因に「いわれのない不安」を推測する人もいます。
今から20年ほど前に「幼児体験」という本を書いた鈴木秀男という内科医は、おとなの気管支喘息を扱っているときに、喘息の患者たちが、気象の変化や自分の身体の変化に対して異常とも言えるほど強い不安を示すことに気づきました。彼によれば、本人にも分からない「いわれのない不安」が存在するようだとし、その不安の正体が「心の核」とでも言うべきところに存在し続けるのでは、と言います。そして、そのような「いわれのない不安」は、気管支喘息の患者に限らず、人間の心身の異常性の根源なのではないかと、推測しています。そして、そのような「いわれのない不安」は、乳幼児期の生活に根ざしているのではないか、と言います。【8】p10~14
鈴木氏は、30歳の男性の例をあげ、この男性は心身状態を示すCMIテストが42問中26項目が「ハイ」で、心臓の動悸や手足の冷えなど多くの症状を示していました。また、精神症状を表すCMI調査表が51問中15項目が「ハイ」で、頭が混乱する、ちょっとしたことでも気になるなど多くの不適応や緊張を示したいました。鈴木氏によると、男性の母は彼が生まれるとすぐに「また死ぬのではないか」という態度で扱ったことをあげている。
また、43歳の女性の例をあげ、この女性はCMIテスト42問中18項目が「ハイ」で多くの症状を示し、CMI調査表が51問中35項目に「ハイ」で多くの不適応や緊張を示した。鈴木氏によると、女性の母は、彼女が生まれるとすぐにいつ母親に「置き去り」にされるか分からない不安を持っていたであろうことを述べている。【8】p42~56
また、鈴木氏は、フロイドが不安神経症という病気の身体症状としてあげた9つの症状は、母親に突き放されて育てられた子供に見られる症状を、きわめてよく似ている、と言います。【8】p117~118
Q71 心身症というのは、神経症とはどのように違うのでしょうか。どんな例がありますか?
心身症は「身体症状を主とするが、その診断や治療に心理的因子についての配慮が特に重要な意味を持つ病態」と定義されるそうですが、この定義だと、身体症状を主とする神経症やうつ病も含まれてしまうので、現在は、「ただし神経症やうつ病などにともなう身体症状は除外する」となっているそうです。
例は、とてもたくさんあります。なじみのある例を挙げると、気管支喘息、過換気症候群、狭心症、心筋梗塞、十二指腸潰瘍、慢性胃炎、慢性すい炎、甲状腺機能亢進症、片頭痛、書痙、アトピー性皮膚炎、円形脱毛症、慢性関節リューマチ、腰痛症、外傷性頸部症候群、夜尿症、心因性インポテンツ、更年期障害、メニエール症候群、アレルギー性鼻炎、顎関節症、などです。【14】p400
さらには、重傷筋無力症や小脳失調症も心身症だという心身症の権威者もいるそうです。【10】p41
【防衛メカニズム】9
Q72 前に、防衛メカニズムの主なものとしての抑圧(A32)の説明がありましたが、そもそもの防衛メカニズムとは、どんなものですか。?
防衛メカニズムについて、簡単な説明はすでにしています(A31)ので、ここではもう少し詳しく見ていきたいと思います。
すでに説明しましたように、人間が本来備えているメカニズムとしての抑圧や分裂のことを、広く防衛メカニズム(防衛:ディフェンス、メカニズム:機制ともいう)といいます。
フロイトによれば、防衛メカニズムとは、それを意識することによって、不安、不快、苦痛、罪悪感、恥などを体験するような情動や欲動を意識から追っ払い、無意識化してしまう自我の働き、をいうそうです。例として、抑圧、転換、隔離、反動形成、投影、とり入れ、同一化などがあげられます。さらに、フロイトの流れを汲む人々によって、知性化、禁欲主義、創造性、回避、途絶、思考によるコントロール、魔術的思考、引きこもりなどがあげらていれます。
特にクライン学派では、防衛とは、もっぱら不安と攻撃性ひいては死の本能から自己を守る規制としてとらえられる。例として、上のフロイトによる例(神経症的防衛機性)にさらに追加して、分裂(対象分裂、自我分裂)、躁的防衛、投影性同一視、否認、理想化、などが解明されている。この追加部分は、「原始的防衛機制」と呼ばれ、精神病、境界例との関係で理解されています。【14】p726、727
Q73 その「原始的防衛機制」とは、なぜ「原始的」なのですか?
抑圧を中心とした神経症的防衛機性が本来は健康な3歳から5歳児に見られる防衛メカニズムであるのに比べ、この「原始的防衛機制」は本来は健康な0歳から2歳の乳幼児に見られる防衛メカニズムであり、より早期に見られるので原始的と言われます。分裂病やそううつ病などの精神病に関係が深く、それらの理解に寄与しています。【14】p210
Q74-1 「原始的防衛メカニズム」は、どのように分裂病やそううつ病に関係しているのですか?
このことは、0歳から2歳の乳幼児は、どのように分裂病やそううつ病に関係しているかという質問とほとんど同じで、すでにクラインの説として説明した(A12から15)ことになります。
クラインによると、生後3ヶ月前後の乳幼児は、対象(例えば母親)を全体的に認知できず、対象を「良い対象」と「悪い対象」とに「分裂」し、前者を「理想化」して「取り入れ」て自己の中核にし、後者を「投影」して排除しようとし、これにより自己を脅かす「迫害的不安」が生じます。また、悪い対象に対応する自己の悪い部分を「分裂」し、対象に投影して対象に属するものとみなしたりする「投影性同一視」を行います。すでに述べましたがこの段階を妄想分裂ポジションといいます。
さらに乳児が大きくなって、生後6ヶ月から2歳頃まででは、乳児はそれまで「分裂」していた対象(例えば母)が、同一の対象であることに気づくようになり、対象を失ってしまう不安、罪悪感などの「抑うつ的不安」を経験する。この段階では原始的防衛メカニズムは緩和しているが依然活動しており、さらに「躁的防衛」が活動する。すでに述べましたがこの段階を抑うつポジションといいます。
Q74-2 「分裂」とはどのようなものでしょうか?
上のA74やA12でも述べたように、生後3ヶ月前後(人によっては生後半年近く、あるいは1歳前後ともいう)の乳児に活発に働く、原始的防衛メカニズムです。
このような早期の乳児は、いろんなことの区別がつかない混沌とした状態にいます。つまり、自分と自分でないもの(母親などの対象)との区別がつかず分裂しています。また、母親についても全体として認識できず、たとえば顔やオッパイなどの部分に分裂した認識にとどまっています。また、欲求を満たしてくれる良いオッパイ(母親)のイメージと、空腹なのに欲求を満たしてくれない悪いオッパイ(母親)のイメージとが別個の存在として分裂しています。さらに、このように対象が分裂して認識されるだけでなく、対応する自己も分裂しています。そして、この分裂をすることで、欲求を満たしてくれない悪い対象や悪い自己が、欲求を満たしてくれる良い対象や良い自己を破壊してしまうのではないかという迫害的不安からの防衛を行うのです。【14】p714
Q74-3 「分裂」は早期の乳幼児と精神分裂病や境界例の患者に働く防衛だ(A12)ということですが、健康な人にはないのでしょうか?
いいえ。可逆的な分裂メカニズムは、健康な人にも働いています。ベビーブレスのような精神療法では、本人の自我が、観察自我と体験自我に分裂する自我分裂が起きることが知られています。【14】p714
Q75 「投影」とは、どのようなものをいいますか?
「投影」とは、例えば自分が攻撃的な感情を持っているときに他人が怒っていると知覚するように、不安、緊張、怒りなどの、自己の内部にとどめておくことが不快なものを外に出してしまう防衛メカニズムで、内的な緊張や不安から一時的に自己を保護する機能を果たします。【14】p577
Q76 「同一視」とは、どのようなものをいいますか?
「同一視」とは、自己と対象の未分化な妄想分裂ポジションにおいては、自己と母親が別々の存在であるとの認識を持たず、母の乳房を自己の一部と見なすような防衛メカニズムです。なお、そのような同一視にあっては、対象を失うことは自分の一部を失うことを意味し、失った対象(例えば母)つまり自分をすてた対象に対する不満、攻撃性はそのまま、自分自身に向かって抑うつにおちいります。【14】p575
Q77 「投影性同一視」とは、どのようなものをいいますか?
「投影性同一視」とは、妄想分裂ポジションにおいて基本的な防衛メカニズムである分裂の基礎の上に働く防衛メカニズムであって、まず、分裂した自己の良い部分あるいは悪い部分を対象に投影し、次に、その投影した自己の部分と、投影を受けた対象とを同一視する防衛メカニズムである。投影した部分と同じ態度を対象にもとり続けるので、投影した部分が良い部分であれば願望従属追求的な態度をとり、悪い部分であれば処罰的・攻撃的な態度をとり続ける。【14】p577
【子宮内、胎児】10
Q78 早期の乳児期が人間に大きな影響をおよぼすと言うことですが、ベビーブレスでは、さらに胎児期を重要視していますね。胎児に感じたり体験したりする能力があるのでしょうか?
ベビーブレスでの自分たちの体験や参加者の体験からは、そのような能力があるように感じます。胎児の能力を、普通に考えるよりも非常に高く評価する研究などもあるようです。
Q79 胎児にも、感覚や意識や記憶があるということですか?
そういう文献があります。
まずサリヴァンは、子宮内の胎児には出生以前にすでに、硬度に統合された活動が起きていて、この活動は全身反応とするほうが健全であり、したがって両親などの重要成人よりなる周囲の人的環境が強力な影響力を行使する、といっています。【7】p260
また、木田恵子は、無意識の内容は必ずしも抑圧されたものばかりではなく、胎児が何か感じる力ができる頃からのものもそのまま保存されており、まるで皮袋の中に入れられたビー玉のようだといっています。【10ー2】p15
また、前ハーバード大学講師で精神科医のトマスバーニーは、胎生4ヶ月で光に対して敏感になり、母親のお腹に向かってライトを点滅すると、胎児の心拍数が著しく変動した例、母を悲劇的なストレス(夫が事故で亡くなった)が襲ったときに、激しく暴れた胎児の例を紹介しています。【12】p31、p80
また、アルバート・アインシュタイン医科大学の教授で、国立衛生研究所の脳研究班のチーフを務め、『脳研究』という定評のある雑誌の編集長もしているドミニック・パーパラが行った研究で、胎児に意識が芽生えるのは胎生7~8ヶ月で、そのころ脳の神経回路は新生児とほとんどかわらないくらい進歩しているとする研究を紹介しています。【12】p33
さらに、彼は胎児に記憶があるという実話や研究も複数存在することを報告しています。
例えば、パリ医学校で言語心理学を教え注目すべき論文や著書をいくつか発表しているアルフレッド・トマティス教授の治療経験によると、自閉症にかかったフランスの4歳の女の子が、治療の過程で英語を話し、そのたび毎に治っていったが、この英語を彼女がいつ覚えたのか不思議がっていたところ、実は、彼女が胎児のときに母親の勤め先の英会話を聞いて覚えていたらしいことが判明した。
また、交響楽団の指揮者が、あるとき突然にチェロの旋律が譜面を見なくても頭に浮かんで来ることがあったが、その曲は、実は彼が母のお腹の中にいたときに、母がいつも引いていた曲だったことが判明した。
さらに、チェコスロバキアの精神科医であるスタニラフ・グロフ博士は著書の中で、ある男性はある薬を飲むことで、自分が胎児だった頃のことを思いだすことができたが、あるとき、カーニバルで鳴らすトランペットのかん高い音が聞こえ産道を通る体験をした。そしてその後、男性の母の話で、カーニバルの興奮が彼女の出産を早めたことが判明した、としている。
さらに、カナダの神経外科医ワイルダー・ペンフィールド博士が証明したところによると、電気的な脳へのショックにより、患者が長い間忘れていたことを正確に再体験でき、その時に感じ理解したことを再び感じ取った、ということです。
また、デービッド・B・チーク教授は、ある研究者が分娩にたちあった4人の子供が大人になった後に、催眠状態で思い出してもらった出産時の生まれてくる姿勢が、4人とも分娩記録と一致したという実験を報告しています。
トマス・バーニーによると、胎児が記憶を獲得する時期には諸説があって、胎生3ヶ月になると胎児の脳の中に記憶した痕跡のようなものが時たま現れるというのや、胎生6ヶ月から記憶できるという研究者や、少なくとの胎生8ヶ月にならないと記憶する能力は備わらないとする研究者もいるといっています。
【12】p18、p28、p34、p102、p110から111
Q80 胎児にそのような高い能力があるというのは、一般的に言われていますか?
一般的ではないかもしれません。
フロイトの時代は生後2、3才にならなければ深く感じたり体験したりはできない、と思われていたようですし、【12】p21 トマス・バーニー自身も、1950年代に勉強した医学では、新生児は思考を持たぬと教えられた、と回顧しています。【12】p172<いわんや胎児をや>
Q81 仮に、胎児に感じたり体験したりするような高い能力があったにしても、母親の気持をどのようにして感じ取るのでしょうか?
バーニーによれば、胎児と母は相互のコミュニケーションを、3つの回路でとっているといいます。
一つは、ホルモンを介する相互作用
二つは、動作による相互作用
三つは、共感による相互作用です。
一つ目に関しては、アメリカの生物学者で心理学者でもあるW・B・カノン博士により、ホルモンの一種のカテコールアミンという物質が胎児の恐怖や不安を引き起こすことが証明されたことを報告しています。【12】p36
また別の文献では、酸素供給量が恐怖の伝達物質である可能性が指摘されています。すなわちアメリカの国立衛生研究所のロナルド・マイヤーズが行った実験によると、妊娠したアカゲザルに恐怖を与えると、胎児の酸素供給量が激減したという結果があり、また、胎児のときに酸素欠乏症にかかった動物の赤ちゃんは異常ないらだちを見せる、といいます。【9】p29、30
<酸素はベビーブレスに関係か>
三つ目の共感とは、直感力、超感覚的なものをいいます。胎児から母へのコミュニケーションでは、母が夢によって自然流産や早産を予見した例があげられます。母から胎児へのコミュニケーションでは、母が持っている恐怖や不安などの感情が、生理学について私たちの知識の範囲を超えた形で伝わるようだとし、なぜなのかは、全く説明できないとしています。【12】p36、p81~94
Q82-1 妊娠中の母親とその胎児との関係を示す事実は他にもありますか?
トマスバーニーは、他にも興味深い研究結果などを集め報告しています。
デニス・ストット博士の研究によれば、母親の長い個人的なストレス、例えば夫に起因する影響や義理の近親者による精神的緊張などからくるストレスは、しばしば胎児に影響を与えるそうです。そして不幸な結婚生活を送っている母親からの方が、幸福な結婚生活を送っている母親からよりも、すぐ恐怖心に駆られるひ弱で神経質な子供が生まれる率が5倍にも達するといいます。【12】p39p44
さらに、フィンランドでマティ・フットンとベネッカ・ニスカネンが行った研究では、父親の死亡という大きなストレスの後に生まれた子供には分裂病などの精神障害が多いことが判明しました。【12】p55
父親の死亡に関しては別の文献によると、出生後に反社会的な行動をとるか否かのパーセントは、胎児の間に父親を失ったグループは14、5%、誕生後に父親を失ったグループは6、5%であるということです。【9】p30
また、客観的には強いストレスを母親が受けているのではないかと思われる場合でも、母親が胎児に愛情を感じれば、正常で幸福な子供を育てることができるのではないかと、しています。バーニー自身が扱ったケースで、妊娠してから、夫に捨てられ、絶えず経済的な問題に悩まされ、卵巣に前癌状態の嚢腫が発見され中絶を勧められるなど、立て続けにトラブルにみまわれた妊婦が、どうしても子供を欲しいと「子供のためなら、どんな危険も覚悟」し子供を産んで、正常で幸福な、しかも温順な子供が育っているといいます。バーニーによれば、子供はお腹の中で母親の願望を感じ取ったのではないかといいます。
Q82-2 そのように胎児期を重要視したトマス・バーニーの結論は何ですか?
彼は出生前心理学の必要性をうたっています。妊娠中の母親と胎児の心の相互作用を研究する心理学です。また彼の著書の訳者で、東大小児科教授を経て国立小児病院院長になった小林登氏も、出生前心理学の必要性に賛同し、可能になりつつあるとしています。【12】p9、21
*****表紙の帯の絵を利用すること【9】p0*******
【【阿闍世コンプレックスと死の本能】】11 【導入】
Q83 乳幼児のような小さな子供が、母親から愛情をもらえないと、母に対する憎悪と愛情の間で苦しみ、ひどい場合には死の本能が働くことになる場合があるということ(A4)でしたね?
木田恵子女史によれば、小さな子供は、愛されないのは自分に愛されるべき価値がないからだと思い込むように見えるということですし【10】p133し、鈴木秀男医師は、生後2ヶ月くらいの乳児にとっては満たされる当てのない欲求をあきらめることは死を意味することになる【8】p112~113という感想を持ちます。
【12】p40
さらに、ザルツブルク大学のゲルハルト・ロットマン博士の研究では、母親の出産に対する態度を次の4種類に分け、生まれた子供の状態と比較しました。
(1)子供を望む母親
(2)冷淡な母親(無意識には産むことを望んでいる)
(3)二面的な価値の母親(無意識には産むことを否定)
(4)妊娠に否定的な母親
です。そして、
(1)の場合には、妊娠や出産が楽で、心身の健康な子供が生まれている。
(2)の場合には、子供は心理的に混乱する。
(3)の場合には、生まれる子供に行動や胃腸に問題のある子が異常に多い。
(4)の場合には、妊娠中に重大な医学的問題を抱え、早産や低体重児を産む割合が最も高く、精神的にも不安定な子供を産んでいる。 【12】p43
また、西ドイツの医者のパウル・ビック博士によると、不安におそわれると全身に熱感が走る男性を、催眠術をかけて調べたところによると、胎生7ヶ月のところで恐怖におののきはじめ、この症状のもとになった体験を思いだしているようだった。博士が母親に告白してもらったところによると、実は、妊娠7ヶ月目に母親が熱い風呂に入って流産しようとしたことが判明しました。【12】p68
さらに、母のオッパイに顔を背ける赤ちゃんは、実は、母がいやいや産んでいたことが判明したという例があります。スウェーデンのウプサラ大学の産婦人科教授であるペーター・フェードル・フレーイベルクが示した例です。教授の関わったクリスチナという赤ちゃんは、母親がオッパイを出しても、顔をそむけて取り付かない。しかし、粉ミルクの哺乳壜にはしゃぶりつくし、実験として別の女性に乳房を与えてもらったところ、乳房をつかんであらん限りの力でオッパイを吸い始めたのである。びっくりした教授が母親に事情を聞いたところ、実は母親は妊娠を望まず中絶したかったが、夫が子供を欲しいというので、いやいや産んでしまったという答えが返ってきたそうです。【12】p76
バーニーは、母子が、胎内でのきずなをうまく結べないのが精神分裂の母に精神分裂の子供ができる理由の一つかも知れないと述べています。【12】p79
また、バーニー自身の調査結果から、性行動の方向性も胎児期に決定されるといいます。彼によると、彼の調査結果からえられた相関関係から、胎内で恐怖に襲われたことを回想した人は、性的な点でいちじるしく自分に自信がなく、また性的な問題を起こしやすい。これに対し、胎内を心地よく平和な場所だったと回想した人は、性的に、より良好に順応している、といいます。【12】p135、136
Q84 小さな子供がそんな状態であれば、もし胎児に感じたり体験したりするような高い能力があり(A79)、しかも母親の気持ちを感じ取ることができるのであれば(A81)、どんなことになってしまうのでしょうか?
想像を絶するような傷を人の心の中に形成してしまうのかもしれません。そのような傷を推し量る二つの概念があります。一つは「阿闍世コンプレックス」、もう一つは「死の本能」です。
【阿闍世コンプレックス】11
Q85 「阿闍世コンプレックス」とはどのようなものですか?
「阿闍世(あじゃせ)コンプレックス」とは「自己の生命の本源たる母が自己を裏切ったことによる怒りから、母に対し殺意を抱く無意識の感情など」をいいます。
これは日本の先駆的な精神分析学者である古沢平作が、フロイトのもとに提出した『罪悪感の二種』という論文の中で明らかにした精神分析理論で、インドの釈迦時代の王子阿闍世の故事にならって命名したものです。フロイトがテーベのエディプス王の故事にならって命名した「エディプスコンプレックス(母に対する愛から父へ抱く殺意)」に対比されます。そして、阿闍世コンプレックスは、生命の本源たる母への愛情との間で、苦しみを生み罪悪感を形成しますが、エディプスコンプレックスは、父親との関係で苦しみを生み罪悪感を形成します。【14】p5 なお、「コンプレックス」とは無意識的な感情、観念、態度などをいい、観念複合体と訳されます。【14】p255
Q87 王子阿闍世の故事を参考までに教えて下さい。
昔、お釈迦様の時代のインドに、頻婆沙羅(びんばしゃら)という王がいて、王には韋提希(いだいけ)夫人という妃がいたが、年をとって容姿が衰え、夫の愛が自分からさっていく不安から、王子が欲しいと強く願った。予言者から、ある仙人が天寿をまっとうした後に夫人の子供として生まれ変わるという定めを聞き、生まれ変わりをその年まで待てずに仙人を殺してしまった。仙人は「自分が生まれ変わる王子は、父を殺す大罪人になるだろう」という呪いの言葉を残して死んだ。やがて夫人は身ごもったが、呪いが恐ろしく、子供をおろしてしまいたいと願ったが、かなわず、いざ産むときにわざと高い塔の上から産み落とした。子供は傷だけで助かった。やがて成人した阿闍世王子は、お釈迦様のライバルであった提婆達多(だいばだつだ)に出生の秘密を暴かれ、父母に忽然と怨みを抱き、父を幽閉し、食を与えないで殺そうとしたが、夫人は夫の命を助けようとした。このことを知った阿闍世王子は母までもとらえて殺そうとした。
みかねた忠臣ギバ大臣は「昔から父を殺して王位を奪ったという話は聞いたことがあるが、母を殺したことはいまだかって聞いたことがない」といさめた。しかし食を断たれていた父は死亡し、後悔の念に責められた阿闍世は、全身の皮膚病にかかってもだえ苦しんだ。阿闍世のことを陰で人々は未生怨と呼んだ。生まれる前からの怨念を持つ子供という意味である。しかし、やがて、お釈迦様の出会いと母の献身的な看護とによって救われる。【14】p5
Q88 阿闍世コンプレックスとか未生怨とかは、普通の人にもあるのですか?
木田恵子女史は、自由連想法の対象になる人たちでも、退行の極限に未生怨を出してみせる人はかなりあります、といっています。【10ー2】p71
自分たちの経験からも、あると思いますし、しかも、かなり普遍的にあるように思えます。何か一部の人の特別の現象ではないように思えるのです。
自分たちの意見はともかく、この阿闍世コンプレックスについて医学的に次のように言われています。
@<子供を堕胎したい、捨てたいという衝動をもった母親に対し子供は、無意識のうちに殺意を持つ>
@<そのことは罪悪感を形成する>
この阿闍世コンプレックスは心理学者の小此木啓吾らによって「世代間伝達という文脈で理解され、国際的な論議を呼んでいる」ということである。
@<世代間伝達する>子供が女性であれば生まれてくるそのまた子供にも阿闍世コンプレックスが起きる可能性がある。 【14】p5 【死の本能】
Q89 「死の本能」とはどういうものですか?
非常に簡単に言ってしまうと、人間の深層心理にある純粋に自分の死を望む部分のことということでしょうか。フロイトが提唱した概念です。
フロイトの本能論は、年を追って3段階に発展しましたが、第三段階で、人の本能は「生の本能」と「死の本能」との対立で理解されるべきものとされました。【14】p328
この第三段階で彼は、サディズムおよびマゾヒズムの現象を評価せんとしていたり着いた一般的省察として、最広義に解された性本能すなわちエロスと、破壊を目的とする攻撃本能と、本質を異にする2種類の本能が存在することを仮定し、さらに論を展開して、生なき物質から生命は生じたということが真でありますならば、その生命を再び解消し無機的状態を復活させようとする本能が発生したに違いありません。我々はこれを・・死の本能の現れと解しても差し支えありません。・・常により多く生きている実質を集めて大きい単位にしようとするエロス的本能と、この傾向に抗して、生きているものを無機的状態に還元する死の本能・・両本能の協力作用と反作用とから・・生命現象は生じるのであります、と述べています。【11ー3】p155~157p162
このことの例として、フロイトは、マゾヒズム的願望の列に加えるしかなかった強い無意識的罰則欲求を示した娘さんの例をあげます。フロイトの分析治療を受けた娘さんは、神経症の症状群から解放され、自分の才能を伸ばすべく社会に飛び込みますが、やがて自分の年のせいで挫折します。こんな場合に、通常ならば症状が再発するのですが、その代わり、そのつど何時も事故が起こり、足を挫いたり、膝を傷つけたり、手に怪我をしたりしました。彼は、この無意識的罰則欲求の由来の行きつくところに死の本能を見るのです。 【11ー3】p164
古沢平作は、死の本能が強くなった人を「よみの国人」と呼んだそうです。 【10】p181
Q90-1 死の本能は人によって強弱があるのでしょうか。強い人は自殺するのでしょうか?
木田女史によると、0歳人(胎内から生後6ヶ月くらいまでに傷(固着)がある人)が特に死の本能が強い(A19)ということです。そして、死の本能が強くても0歳人は自殺という大仕事をするにはエネルギーが不足していて、2歳人は逆に命への欲が熾烈で、そのためかえって裏目に出たときは自殺などということもする、そうです。【10】p186
Q90-2 死の本能の強い人は治療可能でしょうか?
フロイトは、死の本能の強い人々は「分析的方法による治療に耐えることができない」といっているそうです。【10ー2】p64
<これに対しベビーブレスは分裂病の境界領域などにも有効です。精神分析では、分析された無意識内容を言葉によって分析者から伝えられる瞬間には、それを自分自身のものとして受け入れる準備ができておらず、それから準備ができて受け入れるまでに時間がかかり、いわば空白の時間が存在し、その空白の苦しみに耐えられないのではないかと思います。ベビーブレスは、準備ができてはじめて無意識内容がやってくるように思え、空白の時間は存在しません。いわば言葉を介さない分無理のない効果があるようです。>
Q91-1 ベビーブレスでも、阿闍世コンプレックスや死の本能を確認できますか?
イエスです。
人の悩みが本当に突破されるには、この二つの関門は、必ず通過する必要があると思われます。
それまで思っていなかったような母に対する殺意や自分自身に対する殺意を主体的に(自分自身の経験として)経験することがあるということで、完全に、イエスです。このような深い部分を自分の体験として経験でき、しかも、それに対応する効果が得られるのですごいことだと思います。
実際のセッションにおいて、母親へのアンビバレンツをようやく認め、生と死のアンビバレンツが扱えるようになると、「死」そのものを体験したくなります。それまでは「死」は忌み嫌われていたのに、いよいよ、対峙する勇気がわくのです。
【説明1 正体不明の不安や恐怖は、自分自身への殺意と生きるエネルギーとの葛藤】
ここで阿闍世コンプレックスや死の本能について述べたいとおもいます。
既に説明したように、エディプスコンプレックスは母を独占したという気持から父に対し殺意を生じ、父に対する葛藤により罪悪感を持つものです。
これに対して、阿闍世コンプレックスは母に対する二つの感情、つまり愛情と殺意の間に挟まれた葛藤による罪悪感を持つものです。 これらに対し、ベビーブレスを続けると更に深い部分により根元的なコンプレックスがあることが分かります。すなわち、胎児や新生児のときに、堕胎したい捨てたいという母の気持ちを取り込んで、あるいは母の気持ちに共鳴して、それが自分の気持ちになり、自分自身に対する殺意になります。こころから死そのものを望みます。
ところが、本人は現在生存しているのであるから、自分自身は生きようとするエネルギーがあります。片面では、生きたいのです。自分自身への殺意と、この生きようとするエネルギーがぶつかって葛藤を生み、ある種罪悪感に類似するものを形成します。この類似するものは、父や母になどの他者に対するものではなく自分自身に向かうので、本来の意味の罪悪感としては感じられず、正体不明の不安や恐怖として本人には認識されます。
正体不明の不安や恐怖のもとになるこの殺意は、前記二つの殺意よりも早い人生の初期に発生し、他者(対象)が存在する前の自分自身に向かい、これより根元的なものは存在しないと思われます。
フロイトやクラインは、不安や恐怖として本人に認識される、この根元的な葛藤を、死の本能と生の本能の葛藤として説明します。
【説明2 本当に「死の本能」ってあるの?】
「死の本能}なんて、一般的な常識からは、あり得ない感じがします。人間、死んだら、終わりだからです。そんなものが存在するのでしょうか。存在する意味があるのでしょうか。フロイトは生物の細胞レベルから、死の本能の存在意味を説明しようとしていますが、普通の人の一般的な感覚としては、ピンときません。
私たちアコールのスタッフでも、懐疑的議論がありました。自分自身への殺意は、ベビーブレスで従来から一般的に体感されていたように、本来的に母親の気持ちを取り込んだものであり、生物としてはじめから持っているものでは、ないのじゃないか、と思えるということです。
また、 死の「本能」とはいえないと思われる理由には、ベビーブレスでの体感による以外にも、進化論的理屈の上でも存在し難いように思えます。本能と呼ばれるものは普通には、自分が生きようとする自己保存本能や自分の子孫を残そうとする種保存本能などがあると思いますが、これらの本能が強い種族は、その本能が弱い種族よりも生存競争の中で生き残っていくことになり、その結果、現在生き残っている種族はこれらの本能を強く持っているわけです。ところが、「死の本能」なるものを持つことで自分の死を早々と受け入れることができる種族と、最後まで受け入れず自分の死と戦おうとする種族がいれば、生存競争の中で生き残るのは後者の方になるはずです。母親から受け入れられずに死の本能が発揮されてしまう種族は、そうでない種族よりも、生き残り難いはずなのです。
なお、多くの学者は臨床的観察から、攻撃性や自己破壊制は認めても「死の本能」は承認していないそうです。【14】p328
また、英国の有名な児童精神科医で精神分析家のドナルド・ウイニコットは、「本能」ではなく「自発性の発露」だと考えます。すなわち、攻撃性は死の本能ではなく自発性の発露と考え、分裂病や根深い病理の発生を子供の心身を抱える環境やほどよい母親(good enough mather)の側の失敗に対応するものとしてとらえ、育児に没頭する母親に抱えられて絶対依存を経験しなければならない赤ん坊が、取り返しのつかない外界からの侵襲のために想像を絶するような精神病的不安を体験するのであり、環境の失敗に適応するために【14】p843精神病のもとをつくってしまうと、いっています。
【説明3 死の本能は種全体として生きようとする種保存本能の一部の可能性】
ところが、近年のアコールのセッションでは、セッションの工夫が進んだこともあり、自分の内部に深く入る人が多くなるにつれ、自分の「死」を深く体感する人が増えてきました。つまり、母親への愛憎のアンビバレンツを許すことで、生と死のアンビバレンツを許し、そのアンビバレンツのうち半分の否定的な部分、愛情の不在、すなわち死が、受け入れられる経験が増えてきました。一人ぼっちの愛情なしの死です。究極の死です。
アコールでは、このような体験を一般的なものと理解する上で、やはり、死の本能を「本能」と呼ぶべきだと、素直に認めることが、実際的な態度になってきました。
進化論駅な理屈も可能です。「本能」は、個体自身が死ぬことで種全体としては生き残るような状況があれば、個体自身の死を認めることがあるからです。例えば、野生のライオンは一度に複数頭の子供を生みますが、なんらかの原因でほとんどの子供が死んで一頭の子供だけが残った場合には、その子供を育てることを放棄することが、事実として、あるようです。厳しい野生の環境では、一頭の子供を育てるのは効率が悪すぎるので、再び妊娠して複数の子供を産み直した方がいいからです。効率が悪い子育ては最終的には種の絶滅につながるかも知れないのです。この場合には、一頭だけ残った子供のライオンは、種全体の生存のためには、死ぬことが望ましいのです。
母ライオンから見捨てられたことを悟った子ライオンは、ひょっとしたら母親の後を追うことをあきらめ草原の中にうずくまって死を受け入れはじめるのかもしれません。その時、どのような気持で死んでいくのでしょうか。死を悟らず受け入れずどこまでも母を追いかける子ライオンは、母の次の妊娠を遅らせ、結局は、種としての保存を危うくさせるのかもしれません。母を追いかけないことが、自分たちの種としては生き残ることにつながるかも知れないのです。
これと全く同じことが、堕胎したい捨てたいという母の気持ちを取り込んでしまう胎児や乳幼児にも、全くの仮説ですが、言えるかもしれません。胎児にとって、なぜ母親が自分の存在を望まないのかはっきりした理由は分からないかも知れないけれど、ひょっとしたら胎内から出た外の世界は厳しい飢饉の年であり、そのため母は自分が生きることや子供を育てることに絶望しているのかもしれません。無理して産まれていくと、母子共々に食べ物が足りず全滅するかもしれません。もし、自分が胎内で死に死産になれば、母親だけでも助かるかもしれません。そうすれば、次の年は、食べ物が豊かな年になり、あらためて子供を妊娠し親子ともども生きていけるかもしれません。前にのべたライオンのように。このような想定は現代の世界では想像しづらいかもしれませんが、たかだか何千年前、あるいは何万年前には当然にあり得た状況です。
また、胎児や乳幼児が望まれない理由は、飢饉以外のこともいろいろ考えられます。その他の自然災害や、種族同士の戦争や、種族内部の争いや、家族内部のいさかいかもしれません。また、母親はなんらかの原因で体調が悪く、その年は妊娠の継続に耐えられないのかもしれません。さらに現在では、資本主義経済の中での限りない過酷な努力が要求される下で強いられる安らぎのない生活のために、妊娠を心から喜べないのかもしれません。例えば、ノイローゼなどのように精神状態が悪くて、子供のいないことを望むのかもしれません。ノイローゼの母親が一人の子供は育てられても、2人の子供は育てられないのかもしれません。この2人目である自分が産まれることで、母親は家族3人の無理心中を選ぶのかもしれません。
胎児や幼い子供にとって母親は世界全体、宇宙全体です。世界や宇宙が望むことを、子供は受け入れるのです。その時、自分が産まれ生きようとすることは迷惑であり、自分が居ない方がみんなが幸せになる、と感じるのかもしれません。
このような意味合いにおいて、種全体としては「生きようとする本能」の一部として、いわゆる「死の本能」が存在でき、内在的に受け継がれてきている可能性があります。
なお、子捨てライオンの話から、個体自身が死ぬことで種全体としては生き残るような状況により、個体自身の死を認めることがある、という説明をしましたが、同じような話は他にもたくさんあると思います。例えば、ネズミは増えすぎると、ある日突然に大移動を始め、大群となって河や海に突進し、集団自殺するということがあるそうですが、この場合は、個体どころか大変な数の仲間が死ぬことで種全体としては生き残ることを選ぶのだということができます。増えすぎてエサが無くなり、全員が最後まで生きようと競争すると、全体が一度に飢えてしまう可能性があります。その可能性を避けるのだといえます。自殺するネズミの心理を探ることができれば、ネズミ版の「死の本能」ということになるのかもしれません。
「内観」という業がありますが、その中でのお詫び、つまり自分のようなものが生きていて申し訳ないというお詫びの行が、深い傷を負った人の心をある意味では癒すことができるのは、実行できなかった「死の本能」を満たすことができるからではないか、とも思われます。
Q91-2 正体不明の不安や恐怖を引き起こすものとして自分自身への無意識の殺意があり、この殺意が生じる原因は、胎児や新生児のときに自分を堕胎したい捨てたいという母の気持ちを、(たとえば)取り込むことだということですが、その時の状況をベビーブレスでは再体験するのですか。どんな感じでしょうか?
再体験します。
どんな感じかは、自分で体験する以外にありません。誰も言葉にはできなでしょう。しかし、あえて説明すると「愛情なしの死」を受け入れる感じです。これに対し「死」自体の体験はそれほど恐怖ではないと思われます。例えば愛された人は死を受け入れることができるでしょう。愛した人は死を受け入れることができるでしょう。まさに愛されずに死んでいこうとする体験が、最も恐ろしく不安に駆られるもののようです。愛された経験のない者は、人を愛することもない。愛されず、そして誰も愛すことなく死んでいかなければならない体験ほど惨めで不安になるものはありません。人生を全く生きることなく、死んでいかなければならないからです。
Q91-3 そんな母親の気持ちなんか拒否すればいいのに。
残念ながら拒否は不可能です。
拒否するためには、少なくとも自分と母親の区別がついていなければなりません。胎児期および早期の乳児期には、この区別はつきません。そして、その時期には母親の気持ちが自分の気持ちとして入ってきます。母親の気持ちは特殊なエンパシーで、非常に強く伝わってきます。抵抗できません。そのような母と子のエンパシーの下で、子は、自分の存在を否定する母の観念や願望を自分の観念や願望として受け入れてしまうのです。他に道はありません。この悲惨さ、決定的な悲惨さ、宇宙的な悲しみを、何と呼んだらいいのでしょうか。
Q92 前に神経症、精神病、さらには心身症が発生することの黒幕に、恐怖や不安がある(A63、69、70)ということでしたが、その恐怖や不安が実は、自分自身への無意識の殺意によって引き起こされる罪悪感に類似するもの(A91)である、ということですか?
まさに、そのように感じられます。
Q93 阿闍世コンプレックスや死の本能が働いた実例文献はありますか?
(例1)
木田恵子女史は、自分の息子さんが事故でなくなった心理的な原因を、死の本能が働いたことによるものと分析しています。以下は要約です。
人気編曲家として活躍していた息子さんが不慮の交通事故(飲酒運転でも自殺でもない)で亡くなったのは、彼の仕事の上で大きな状況の変化があり、0歳人である彼の精神が退行現象を起こして固着点まで引き返し、死の本能に身を任せたことが原因である。彼の自己破壊(事故死)が、彼の人生の最も初期である胎内から乳児時代に根ざしていることは動かしがたい事実である。そのように彼を0歳人にしてしまったのは、親である自分の不徳の致すところである。
自分は、息子を妊娠中に、疎開先の今思い出してもゾッとするような悲惨な生活から何とか脱出したいとそればかり考えており、その資金を稼ぐため小説の懸賞募集に応募しようと、昼間は使用人並の野良仕事をしながら、明け方に起きて150枚の原稿を書き上げ、胎児にとっては最悪の状況を作ってしまった。もしかしたら私は自分の意志では中絶したくないが、自然に流産すれば都合がいいとでも、無意識では思っていたのかもしれない。そのような場合、胎児であった子供は、阿闍世コンプレックスを引き起こすような存在そのものの葛藤を持つことになる。【10】p233~249
(例2)
また女史は、自身がよみの国に住み着いたいきさつも述べています。
彼女が母の胎内にいたときに、有名な大正8年のスペイン風邪が流行し、母も風邪にやられ、兄姉も4人のうち2人が亡くなり、母は心身ともに大困憊の最悪状態で妊娠を迷惑がっただろうといいます。そして産まれてみると、女であることにがっかりされて父などは蚕室をのぞく気にもおこらなかったそうですし、裕福な家庭であったのに、新しく乳母もつけてくれず、兄の乳母の付録になったということです。また、母は、子供のおしめの世話もしたことがない人だったようです。【10ー2】p80~81
(例3)
また、女史がよみの国の住人として例にあげるE子さんが、性別は違うものの、私(雲泥諸智)の状況にそっくりです。無気力怠惰、外出もしたくない人です。お母さんは大変に自分の痛みには敏感で人の痛みには鈍感なタイプでしたので、E子さんはただ大人しい手のかからない子に過ぎませんでした。その大人しい手の掛からない赤ちゃんが、母親に早々と失望していくありさまがよく分かり、頭の良い赤ちゃんほど早期に事態を理解しますから抑圧も強いそうです。【10ー2】p74~79
【では、どうすればいいのか】12
Q94 心理トラブルを抱える人々の心の最深部に、そのような葛藤、殺意、罪悪感が潜んでいることがあるということだと思いますが、では、どうすればそのような心理トラブルを解決できるのでしょうか?
ベビーブレスでは、すでに述べたように(A6、A7)、呼吸とを用いて治療的退行を、すなわち幼児帰り、赤ちゃんがえり、胎児帰りなどを体験し、これらの時期に形成され無意識の領域に隠蔽されていた心の傷を再体験します。この傷がどのようなものであったかを体感し理解することで、傷が原因となっていた諸々の悩み、不全感、症状などが改善され、場合によっては消滅します。
Q95 精神分析でも自由連想法の手法によって治療的退行を経験するようですが、ベビーブレスはどう違いますか?
なるほど治療的退行は、ベビーブレスや精神分析に限らず本格的な精神療法では多かれ少なかれ経験するのではないかと思います。禅の公案、瞑想、問答にも類似点があるという人(田中忠雄、元日本教文社編集局長)もいます。人を本当に癒すということは、そうあるべきだと思います。
違いは、非常に効果的なことです。短時間で深い退行が経験でき、その分効果が大きく、必要な治療回数が少なくて済みます。
精神分析や一部のカウンセリングにおいては、分析者やカウンセラーから分析結果などを言葉によって与えられ、言葉による理解を経由しなければなりません。例えば精神分析では、精神分析を受けるクライアントは自分の心的内容を言葉に翻訳して話します。分析者はその話の内容やクライアントの態度を材料にして、分析者自身の経験をもとに感じ取り、感じ取った内容を分析し、分析結果を再び言葉に翻訳して、クライアントに伝えます。クライアントは、分析結果である言葉を介して、自分の傷を理解します。
これに対し、ベビーブレスでは、セラピストは実際にクライアントの横に居てセラピーを導きクライアントの不安を和らげますが、理解の過程自体には分析者やカウンセラーはいりません。自分自身も自分を分析する必要すらありません。自分の心的内容が深く掘り下げられ直接に傷を体感し理解します。その分、効果的です。
【意識化】12
Q96-1 乳幼児期などに形成され無意識の領域に隠蔽されていた心の傷を再体験するということですが、この再体験とは、無意識を意識化するということですか?
そうである場合が多いです。
しかし、ベビーブレスを行うことで吐き気や強い感情を経験するものの、傷の意識化がないまま、悩みや症状が改善される例があります。自分の傷が何なのか分からないまま治っていくのです。また、恐怖や不安を体験するものの、それが何なのかはっきりしないまま、改善が進む例もあります。ベビーブレスには必ずしも、意識化はともなわないのかもしれません。
Q96-2 自分の心の中に、それまでは分からなかった吐き気、強い感情、恐怖や不安があったということは理解するのですから、その意味では意識化の一種ではないでしょうか?
なるほど、そうかもしれません。
精神医学では、治療的洞察というのがあり、患者が抑圧の緩和を介して無意識を理解する心的過程をいいます。【14】p580 そして、この治療的洞察のうち、単なる知的な洞察よりも、生き生きした情緒的な体験をともなう情緒的洞察、「ああそうか(Aha-Erlebnis)」といった直感的な体験的洞察(体得とか体悟)が治療効果が大きいといわれます。精神分析と違い、ベビーブレスでは、理解が言語の存在を前提としないので、「知的な」ものが登場しないまま情緒的、直感的、体験的な部分のみを経験してしまうのかもしれません。思えばもともと、赤ちゃんや胎児は言語を獲得していませんからね。赤ちゃんのころの傷を再体験しても言語化、つまり知的な理解は難しいのが普通なのでしょう。
Q96-3 ベビーブレスでは言語のような知的なものを前提としないで、情緒的、直感的、体験的な部分のみを経験でき、しかも精神分析でいう意識化と同じような効果、すなわちなんらかの理解があるということでしょうか。どういうことなのか、もう少し話してください。
そういうようなことですが、このことは経験しなければ、なかなか分かりづらいと思います。
【象徴的な理解】
このようなベビーブレスでの情緒的、直感的、体験的な理解は、多くの場合は言葉を越え、映像や音声のようなものをともなう記憶の回復のような感じです。また、映像や音声もともなわない場合もあります。単なるフィーリングのような感じの場合もあります。しかし、本人は何かを理解します。その理解のことを、言葉を越えたものであることから自分たちでは象徴的理解と呼んでいます。
Q96-4 ベビーブレスの象徴的理解について、具体例をあげてさらに説明してくれませんか。
例えばある人の場合は、「自分と折り合いの悪い母と祖母が、ブレスの中で自分の現在のかわいい小さな子供と同じように、小さな子供になって自分に抱きついてきた」経験をするとき、本人は次のようなことを理解すると思われます。
(1)母や祖母は小さい頃、甘えられなかったが、本当は自分の子供がするように、甘えたかった。
(2)そうすれば、自分の子供と自分の仲がいいように、母や祖母と自分の仲はよかったであろう。
(3)そして、自分もそれを喜んだであろう。自分の子供に対して喜びを感じるように。
胎児期や乳児期などのように言語を獲得しておらず映像としての情報がないときに受けた悲しみなどの傷を自分で理解しようとするときに、理解の材料としては言語や映像は手元にありません。もっと漠然とした感覚的なものしか残っていません。この「感覚的なもの」が現在でも存在することは、胎児期乳児期から遥かに年月が過ぎた現在でもその頃の傷によって苦しむのであるから、当然であると考えられます。あるいは、この傷そのものが「感覚的なもの」として保存されているのかも知れません。
多くの場合にベビーブレスの終了直後から、本人は、この「感覚的なもの」を、あたかもパズルのように組み合わせて、意識がはっきりつかめるようにしようと、すなわち理解しようとします。パズルが組み合わさったとき、それは例えば合理的な映像として、意味のある映像として認識され、その映像によって自分が理解したことを再認識します。始めの理解で映像が完成し、その映像をまるでテレビの映像のように見て、2番目の理解がなされ言語化が可能になります。始めの理解を象徴的理解、2番目の理解を言語的理解と呼びたいと思います
Q96-5 ベビーブレスで体験する映像や音声は、幻覚、幻聴とはどのように違いますか?
現実のこの場にはないものが見え、ない音声が聞こえるような気がするのですから、その意味で、人間の深い部分で同じようなメカニズムが働くのかも知れません。深い部分とは、言語や映像の存在しないほど深く、漠然とした「感覚的なもの」しか存在しないほどに深い部分ということです。違いは、幻聴、幻覚、幻想は、悲しみなどの傷の痛みから逃れるために「感覚的なもの」からなるパズルを更にバラバラにしようとする営みによるものであり、象徴的な理解に伴う映像は、悲しみなどの傷の痛みがどのような傷から来るのか観るために、パズルを組み合わせようとする営みによるものであると、思います。逃げることより観ることを選んだということに違いがあります。背中がじくじくと痛むとき、ある人は、痛みから逃れ忘れる手だてを講じるかも知れません。別の人は、背中に手を回して傷の正体を観ようとするかも知れません。その違いです。
Q97 無意識を意識化し理解することで神経症の症状が治るということは、精神分析治療の根本ですね。
その通りです。
木田恵子女史によれば、精神分析で自由連想法をていねいに実施すると、不思議にその人の無意識の中の問題が洗い流されてきて、その意識化によってヒステリーや神経症の症状が消えていく【10】p51のみならず、副産物として病気が治る例は豊富にあり、胃、心臓、肝臓、肺臓、卵巣、蓄膿症、さらには失明していたはずの目まで見えた例もあるということです。【10】p207
また、鈴木秀男医師は、「いわれのない不安」を押さえるためには、その正体を知って、相対化(客観視)することが考えられると、いいます。【8】p205
Q98 無意識といいますが、その中でも重要なのが母親に関する部分なのでしょうね。
そうだと思います。
木田女史はいいます。1930年代にメラニークラインなどの影響で幼児早期の母との関係が注目されはじめましたが、私が分析した重症の人たちの例でも、暴虐な父親や不幸な境遇の影響ばかりに取り組んできていたのが、自由連想法で赤ん坊の頃に戻ると、この母への怨みがどっと出て、それを洞察すると症状が良くなる例が多くあります。横暴な父親への恐怖心など自分でもはっきりしている問題は、本当の問題ではないのが普通です。何と言っても子供にとって一番かけがえのない母に対する怨みや憎しみは、厳重に抑圧してありますから、ていねいに・・意識化しなければ症状は解消しないのです。【10ー2】p61~64
【退行】
Q99 退行とは、幼児帰り、赤ちゃん帰りなどと説明されていますが、もう少し詳しく知りたいのですが。
退行ということを、木田女史によればフロイトは民族の大移動という比喩を用いて説明しています。この比喩によれば
民族全体が現在の住地を立ち去り新しい土地を探し出すとき(赤ちゃんが機能を発達させようとするときに)、全部がそろって新しい土地に到着する(発達し成長する)のではなく、一部は半途に停止し駐屯すること(固着)が普通でしょうし、その場合に先遣部隊が優秀な敵に遭遇するなど(外的難関)を経験すれば、駐屯地まで撤退(退行)しようとするのはごく自然なことであって、駐屯地に残してきた人数が多ければ多いほど(固着が強ければ強いほど)、先遣部隊の敗北(発病や症状の発生)は早くなる、ということになります。【10-2】p27~28
<自分たちの説明では、退行を建物の基礎の修理として説明します。すなわち 私たちは、幼い頃に形成された心理的な安定の上に成長するように思え、その意味で、建物がしっかりした基礎の上に一階、二階、三階、・・・の順で高層階まで建設されるのに似ています。しかし、必ずしも基礎や下層階がしっかりしてはいなくて、なんらかの理由で手抜き工事(固着、傷)がなされているかもしれません。そして地震(外的難関)が来ると、建物は弱いところが危なくなります。一ヶ所が壊れれば私たちは壊れます。そこで危なくなると、大急ぎで弱い部分を補修(固着への退行)しようとします。>
Q100 普通の人にも固着はあるのでしょうか?
あると思いますし、その固着の場所が人それぞれなので、基本的な性格が人によってそれぞれなのだと思います。木田女史によれば、完全に良い育ちかたをした固着のない人などあり得ない【10ー2】p31そうです。
Q101 退行と治療的退行とは、違うのですか?
すでに(A11で)簡単に、意図的な退行を治療退行、制御できない退行を病的な退行としましたが、少し詳しく説明します。
精神医学にしたがうと退行には、病的退行、健康な精神生活に見られる健康な退行、精神療法の過程で見られる治療的退行に、があります。そして、精神療法適用上の基準として、退行をみずから観察でき、そこから回復する能力が保たれるか否かなどがなどがあげられます。【14】p551
<ベビーブレスでも重要。>
Q102-1 治療的退行は、固着まで到達することで終わりになるのでしょうか?
ベビーブレスでは、一度固着へ退行する経験をすると、何度か満足するまで退行をくり返すことを望むようです。また、満足するまで何度か固着を体験し、その後に人生を再構築する経験をする人もいます。また、固着はいくつかあるのが普通で、見方によれば、それらは連続しているようにも見えます。
精神分析でも同じようです。木田女史によると、精神が退行してゆきその人の人格が形成された歴史をさかのぼり、問題点(固着)を拾いあげながら赤ちゃんの最初まで行きつくと、再出発が始まって問題点をできるだけ修正しながら現在に立ち戻ります。そして、症状の古い人などは、問題点の箇所が何度もくり返し取り上げられた後、ようやく治癒します。【10ー2】p26~27
Q102-2 固着が連続するとはどういうことですか?
固着はどこかに単独で存在したり、複数箇所に離れ島のように独立しているのではなく、自分たちの経験では連続して存在し、まるでなだらかな複数の土山のようです。一番高いところが、一番大きな固着ですが、固着はそこだけではありませ。例えば乳児期に大きな固着がある人は、多かれ少なかれ幼児期にも胎児期にも固着はあるように思えます。同じく、一人の人間の中に、抑圧的部分も分裂的部分も躁鬱的部分もあるように思えます。神経症的な部分も阿闍世コンプレックスの部分も死の本能的な部分もあるように思えます。その人によってどの部分が一番、大きく固着しているか、濃度が濃いかが違うだけのような気がします。
このようなことが起きる原因としては、ほとんどの場合、子供は胎児期、乳児期、幼児期を通して一人の重要人物、つまり母親に連続して育てられるためであると思われます。
【くり返し】。
Q103 傷(固着)を何度か再体験するという、くり返しは必要なことでしょうか?
そうだと思います。
これは、ベビーブレスなどの療法の不完全さというよりも、治療はそういうふうにしか進まない、ということだと思います。このくり返しは、私たちの心が傷付いたときに自然に行われるプロセスのような気がします。
木田女史も、完全な解決のためには、感情の発散と解釈を分析中に何度もくり返し行われる必要がある、とします。【10ー2】p25
また、女史が扱ったあるクライアントは、仕事で行う計算の結果を、間違ってはいないのに何度も確認せずにはおれないしつこい症状に悩みましたが、女史は精神分析を通してその原因を、どんなに自分が正しくても母親から自分(クライアント)がまちがったことにされたつらい体験がたくさんあって、母の愛情を切りもなくたしかめることにあると、分析しました。その際、女史はこのクライアントに三つのフロイトの意見を話しました。
(1)幼児が不快体験を遊びでくり返す理由は、受け身な体験を自ら能動的に行うことによって、不快な体験を自分で支配するという修正を加える作業であるという意見。
(2)外傷性神経症の人が、その精神的外傷の局面を夢でくり返し体験してうなされるが、その理由は、精神的外傷は不安を持っていないときに突然に強烈な刺激の来襲を受けて刺激保護が破綻を来した結果であるから、夢の中で不安をもってその場面にくり返し直面することで、刺激を統御しようとする刺激保護の力を回復しようとするのだ、という意見。
(3)現実生活で難題にさしかかっている際にくり返して見る、試験ができなくて苦しむ夢は、実際には受かっているその試験に、夢の中ではできなくて脂汗を絞っているが、さて目が覚めてみるとその試験には成功しているので、ああ良かった何も案じることはないのだと、ほっと安心し慰めを得るために見るのだという意見。【10】p218~219
<このうち(1)については林さんの娘さんの話が例としてあげられると思います。
林さんの娘さんは直枝といいますが、彼女はまだ言葉も十分に話せない1歳の頃に、深く傷付くことがあって、その傷付き体験を母親とくり返し話をしました。林さんは仕事で首に怪我を負い、治療のために飛行機で九州に行き、一週間ほど彼女を残したまま家を留守にしました。怪我が重かったせいもあり、林さんは彼女にていねいに話して聞かせることをしないまま、彼女を家に残してしまいました。林さんが家に帰ってきたとき彼女は深く傷付いており、あえて林さんの顔を見ず、林さんが彼女を抱き上げたときに爆発したように泣きました。彼女は捨てられる体験をしたのでした。その後、しばらく林さんはそのことを忘れていましたが、彼女が2歳になり言葉を覚えたときに、びっくりしました。空を飛行機が通る度に、「ママ、痛い痛い、飛行機ブーン」というのだそうです。林さんはその度に彼女にくり返して、残していったことを謝りました。
また、直枝のもう一つの例があります。彼女が少し大きくなり、乳歯が抜けないうちに永久歯が生えてきて、歯がうまく整列しておらず二列になっている部分があり、歯医者で何本かを抜くことになりました。
彼女が納得しないうちに歯医者は「歯は一列です」と言い放ち、彼女がどんなの(器具)でやるのと聞いても、歯医者は器具を背中に隠して彼女にはみせずに、治療を決行しました。抜歯がとても痛かったこともあって、彼女は傷付きました。後日が大変でした。彼女は林さんの上に馬乗りになり、鉛筆を器具のように背中に隠し「歯は一列です」と言って、林さんの口を開かせました。林さんも心得ていて、彼女が歯医者で叫んだように、自分も思いきり叫びました。こんな遊びを、彼女は納得するまでくり返したそうです。
(3)については、同じような夢を私が何度も見ました。現在もたまに見ます。大学の卒論の試験や、仕事で必要だった国家試験の夢です。ひどい場合には、未だに小学校や中学校、高校の授業を受けている夢で、不思議なことに受けている自分や周りの人たちは、現在の年齢なのでした。どうも、その時の県の教育長が手続きを間違えたので、自分たちはもう一度、授業を受けなければならないのだという設定です。その度に、自分は現実の困難さをそれほど嘆いているのだなあーということを、逆に自覚させてもらったものです。
【納得】
[/av_toggle]
[av_toggle title='Q104 本人が何か「納得」し安心する必要があるのですね。' tags='' av_uid='av-jdph8c']
そのようです。納得するまでくり返して治療的退行や夢を見ることが、傷を癒すことには必要なようですね。治療的退行や夢に限らず、現実でも「納得」ということは重要なことのようです。自分自身が納得してはじめて、次の段階へ進んで人間的に成長すると言うことはあります。
木田女史は、いいます。0歳人には、酒やタバコへの耽溺がある人もいます。この耽溺は、自己破壊であり、同時に防衛でもあり、欠損(母乳の飲み損ないなど)の補充でもあります。例えば断酒をさせるなら、それに代わりにやさしい柔らかい抱擁がが必要です。でなければ、嫌な顔しないで黙って飲ませ、本人自身が快く享受できればその段階に「納得」がゆき、そこに縛り付けられた状態から脱却できるのです。「母なるもの」を十分に与えるのが治療のポイントです【10】p125~130、203
[/av_toggle]
[av_toggle title='Q105-1 本人に納得してもらおうとするあまり、子供などには甘やかしてしまうことはありませんか?' tags='' av_uid='av-hzo7jw']
そのことは本当の愛情を必要とすることで、本当の愛情があれば甘やかしも過保護も厳しすぎることも発生しえないと思います。
木田女史も、母なるものと甘やかしなどとは、まるで質が違うし、甘やかし、溺愛、過保護などは、親の側の未熟や干渉によるものである、といっています。【10】p204
[/av_toggle]
[av_toggle title='Q105-2 ベビーブレスでは、心の傷の再体験、つまり無意識を意識化することや治療的退行をくり返して納得することで、心理トラブルを解決するということですね。' tags='' av_uid='av-gfjocs']
だいたい、そういうことです。
しかし、そのような説明は理屈による説明であって、本当のところは十分に説明できません。仮に十分な説明をしようとしても、説明はもともと言葉によるものであり、体験的なものではありえません。したがって本当に分かったことにはなりません。「なぜ自分の心の傷、人生の暗部を観ることがいいのか」と疑問をのべる人もいますが、どんなに説明をしても本当には満足しません。
これに対し、実際にベビーブレスをやれば、何をやっているのかが体感的に分かり、自分の成長に必要だということが、自分で感覚的に分かる可能性があります。しかし、疑問をのべる人は、ベビーブレスをやっていないので、そのように自分で答えを得る可能性も期待できません。疑問者がベビーブレスを体験すれば、その後で、ある程度満足のいく説明をすることができるが、そのときには、そのような「なぜ」は既に消えているので、「答えること」はできなくなっています。
そして、実際にベビーブレスをやり、自分で答えをつかんだ人は、本人が自身のことをわかるようになります。それまで自身のことが全くと言っていいほどわからなく、ベビーブレスの必要性もあまり感じなかった人が「まだ何かがある」「まだ1/3しか出ていない」「ようやく始まりです」などと、信じられないような感想を述べます。
【緩んだ感情の反撃、攻撃的】12
[/av_toggle]
[av_toggle title='Q106-1 心の傷を再体験して、せっかく抑えていた感情などを解放することになると、実生活で感情に抑えが効かずに、困ったことになることはありませんか?' tags='' av_uid='av-djjw4c']
ある意味でイエスであり、別の意味ではノーです。
イエスの意味では、何十年もの長い間抑えに抑えていたものを解放することになりますので、例えば、それまで母親の支配に耐えに耐えてきていた人が反撃を行い、母親がショックを受けるということはあります。ですが、その人が自分を取り戻すことの重大さを考えると、その程度のリスクは母親は引き受けて欲しいと思います。
この部分の事情は、精神分析の効果でも同じようです。木田女史はいいます。分析をしていると・・抑圧されていた怨みや憎悪が湧きあがって、ちょうど振り子が反対側に触れるように非常に攻撃的になったりします。分析者は悪い挑発者として親たちから怨まれなければなりません。・・当事者が幸せになれば、こちらが悪者になるぐらいはお安いご用だというくらいの気持にならないと、他人の心に深入りする仕事などできるものではない。あるクライアントなどは「先生のところから帰った日はとても気持が楽になっていますが、二、三日するとモヤモヤといろんな感情が湧き起こってきて・・・後の一週間が大変です。」母親などにも攻撃的な電話をかけたりするので、逆に、母親に電話して「私がもしもしというと母親は、・・電話器をぱーんと投げ捨てて・・二度と出ないんですよ」ということもあるそうです。【10】p71、72、73
しかし、別のいくつかの意味ではノーです。
一つは、本人が自分のことをコントロールできなくなることはない、ということです。母親に反撃するときも自分が何をしているかはよーく分かっています。自分を取り戻していることを理解しています。
二つ目は、ベビーブレスは、精神分析のように分析者の言葉を介して洞察するのではなく、もっと直接的に(A95参照)傷を、感情を体験するので、その場で完結できやすく、後でモヤモヤというのは、効果の割には、少ないと思います。
[/av_toggle]
[av_toggle title='Q106-2 例えば、攻撃的な気持を母親にぶつけて、それでどんないいことがあるのですか?' tags='' av_uid='av-bzkpto']
その攻撃が十分に受け止めらえれば、不思議なことに、母に対する愛はより深まることが体感されるでしょう。
【両価性(アンビバレンス)とは、”等しい”ことを意味しない】
例えば、私たちを苦しめる母に対する憎悪と愛情は両価性の典型的なものと思われます。
私たちは、ほとんどの場合に、憎悪の方を抑圧して生きてきます。母に対する愛情もまた本物だからです。しかし、この抑圧は、実際には全体的に行われ本当に母を愛することもできません。そして私たちは苦しんで生きていくハメになります。
そしてベビーブレスをやって自分の気持ちがはっきりしてくると、母に対する愛情と同時に攻撃も目覚めます。この場合の両価性は本当には”等しい”ことを意味しないように思われます。なぜなら、ベビーブレスで憎悪や殺意を十分に味わうと、意外にも母に対する愛はより深まることが体感され、したがって母に対する両価性を深く認識でき、この認識を通して自分自身の人間的な成長を感じることができのです。まるで、二つの目で見ることで、はじめて、ものごとを立体的に認識できることに似ています。そして不思議なことに、憎悪や殺意は、気が付かないうちに影をひそめはじめます。
しかし逆に、一部のセラピーの手法のように、母に対する愛を強調し十分に味わうと、母に対する憎悪や殺意は味わわれないまま意識からは消え失せる傾向になり、心の奥に内在化させてしまい、両価性を認識できなくなります。そして、私たちを苦しめるものの正体を遠い闇のむこうに押しやってしまうのです。闇に押しやられたものは、決して消えてしまわず、いつか復讐の機会をねらいます。
したがって両価性は、両価ではあっても等価ではないのです。この不等価性は、何を意味するのでしょうか。あたかも、憎悪や殺意は、私たちによって理解され消化されることを待っているように思われるのです。
【転移・逆転移】
[/av_toggle]
[av_toggle title='Q107 感情をベビーブレスの会場で他人にぶつけてしまうことはありませんか?' tags='' av_uid='av-b3k8mk']
ベビーブレスは、分析者もカウンセラーも介在しない、個人的な作業ですから、他人に感情をぶつけるということはきわめて少ないです。しかし、まれに、スタッフや、その場に一緒に参加していた肉親に、感情をだすことがあります。また、ベビーブレスの前後には、参加者が自分の気持ちを話す機会がありますので、その時に、感情を出す可能性はありますが、現実にはほどんどありません。
しかし、そのように感情を出すときには、状況が許す限り感情を十分に出してもらうようにしています。治療に有効だからです。
[/av_toggle]
[av_toggle title='Q108 他人に感情をぶつけることが治療に役立つのですか?' tags='' av_uid='av-9arf58']
そうです。
そのような感情の動きを「転移」といいます。転移の本来の意味は、過去、ことに子供時代に重要な人物、とくに両親に対して経験した感情、思考、行動、態度を現在の対人関係の中にある人物へ置き換えることをいい、転移が起こることが治療可能であることのめやすにさえなっています。
また、この転移に対し逆に治療者側が反応することを「逆転移」といい、フロイトは純粋な転移を生じやすくするために、この逆転移は治療者が克服しなければならないものとしています。しかし他方で、逆転移は治療上積極的な意義を持ち、積極的に生かして行くべき事象であるという考え、ひいては患者と治療者との間には無意識と無意識のコミュニケーションがあり、逆転移はその治療者側の現れであるという考えもあります。【14】p566、577、154。
概して、「転移」「逆転移」は治療上役に立つというのが今日的な考えであると思われます。
[/av_toggle]
[av_toggle title='Q109 そのような感情は、治療者側からは迷惑ではありませんか?' tags='' av_uid='av-6svtnw']
ベビーブレス中の感情は、治療者(スタッフ)に向かうものではありませんので大丈夫です。しかし、スタッフに直接に出してくる場合などには、こちらも真剣に対応しないと、耐えられません。
フロイトは、催眠法の最中に患者の激しい個人的な感情(転移)を体験し、それが動機になって自由連想法などの手法に切り換え、うまく精神分析療法に発展しました。【14】p566
<激しい感情に嫌になったんでしょうか。ベビーブレスは、この患者の激しい個人的な感情を出し切ることに、根本的な治療効果があることに着目しました。>
【悟りの境地】
Q110 ベビーブレスで退行し無意識の意識化をくり返して行うことで、最終目的地はどのようになるのでしょうか?
子供のようになるのだと思います。
心の傷の再体験は、過去に向かって進んでいきます。例えば、始めは職場の人間関係のトラブルで悩んできても、やがて実は幼児期における父親との心の傷が問題であったことが判明し、そのことに納得すると次に、乳児期に母親から受けた傷がより深いことが分かり、その気付きに満足してもっと深く退行すると胎児期に自分自身産まれたくなかったことに気が付きます。胎児期にも深さがあって、より早期の胎児は自他の区別がないぶんだけ傷の度合いがひどいでしょうし、その傷の再体験が十分になされて納得がいけば、自他の区別のない満足がやってくるでしょう。
仏教の修行僧などは悟りの境地を目標にするのかもしれませんが、まだ悟りなど経験もしたことのない人がどうして、きっと悟りという境地があって到達できるに違いないと、思うのでしょうか。それは、胎児期の何の心配もない宇宙と一体になったかのような境地が原型にになっているのでは、という説をどこかで聞いたことがあります。
木田女史もいいます。胎児が何もしないで母胎内に生かされている状態は、何一つ不足がなく何の努力も必要としないで、万能感に満たされている状態といいます。・・すべての欲から超脱した人が、無欲のゆえに不足がなく、自由闊達の境地に遊ぶようなものでしょうか。【10】p139
『自分たちの理論を裏付けられる文献資料』
文中の番号 文献資料
【1】【分裂病の起源(ゴッテスマン)日本評論社】
【2】【分裂病の心理療法(角野善宏)日本評論社】
【3】【最終講義・分裂病私見(中居久夫)みすず書房】
【4】【精神分裂病入門(シルヴァーノ・アリエティ)】
【5】【精神分裂病の世界(宮本忠雄)】
【6】【精神分裂病の解釈I(シルヴァーノ・アリエティ)みすず書房】
【7】【分裂病は人間的過程である(サリヴァン)みすず書房】
【8】【幼児体験(鈴木秀男)北洋社】
【9】【赤ちゃんには世界がどう見えるか(ダフニ&チャールズ・マウラ)草思社】
【10】【0歳人、1歳人、2歳人(木田恵子)太陽出版】
【10-2】【子供の心をどう開くか(木田恵子)太陽出版】
【11】【症例の研究(フロイド選集 小此木啓吾訳 日本教文社)】
【11-2】【精神分析入門下(フロイド選集 井村・馬場訳 日本教文社)】
【11-3】【続精神分析入門(フロイド選集 古沢平作訳 日本教文社)】
【12】【胎児は見ている(トマス・バーニー 小林登訳 詳伝社)】
【13】【(メラニー・クライン)】
【14】【新版精神医学事典(弘文堂)】
【15】【「精神医学が分かる」精神科教授岩崎徹也AERA,Mook(朝日新聞社)】
【16】【自己発見の冒険(スタニラフ・グロフ)春秋社】
【17】【本当の自分をつかんだ人々の記録(意識教育アコール)】
【18】【トランスパーソナル・セラピー入門(吉福伸逸)平河出版社】