殺すなら殺せ|アコールセラピーの現場から(726)
<W>
今日はj君のまとめですね。
<H>
彼は、上手な絵で、回顧録をまとめてくれました。ありがとうございます。以下<j>の部分はj君の回顧録の部分です。絵は10枚です。絵を中心にまとめています。
<W>
彼のきっかけは、一言で言うと、何になるのでしょう。生きづらさとでも言えばいいのでしょうか。
<H>
そうですね。彼はあるチェーン店の店長を務めており、初めのころは上司や部下との関係などが話題に上がりました。以下、彼の回顧録を見ていきます。
1枚目
<j>
「周りの目を極度に気にする自分」
周りの評価を極度に気にする自分。
生きづらさに苦しむ。
集団の中にいるのが苦手。小人数もダメ。
話すことが見つからないと異常に焦る。
早く1人になりたい。
人との関係の中でいつもそう思っていた。
そして当時の上司との関係に苦しんでいた私。
これがセッションを始めるきっかけとなる。
<H>
j君は、はじめは、こんなふうにはっきり自分のことを語ったわけではなかったような気がします。もう少しぼんやり「自分のことを知りたい」とかなんとかいうことだったと思います。
<W>
今、まとめができる段階になって、よりはっきり自分のことを語れるようになったんでしょうね。
2枚目
<j>
「悲しみの母」
私がセッションを始めた当初。
まずこんな家族の様子を感覚的に思い出しました。
母はいつも悲しい顔をしている。
祖母(父の母親)はいつも母を攻撃している。悪辣。嫌味ったらしい。
父は扉の向こう。何処かに行っている。家にはいない。
私は暗い気持ち。
他に兄と姉もいたが、家族の誰も私には関心が無い。
誰の心の中にも私はいない。
という感覚がずっとある。
当時は家族がいない所で、寂しさや怒りを訴える。
こんなセッションを何度も何度も、繰り返していました。
<H>
兄弟を含め人間関係が薄い感じがしました。実家に帰ってもあまりお兄ちゃんなどと話をしなかったようです。
<W>
一時期は、お兄ちゃんの悪口などを言っていましたね。
<H>
この回顧録では一切触れてないです。セッションが大きく進んで、もう、どうでもよくなっていってしまったのに違いない、と思います。自分のことをやらないと、外側(例:お兄ちゃん)に問題を求めてしまう。
<W>
そういうものですね。
3枚目
<j>
「「苦しみ死に」の恐怖」
ある日のセッションで私に起こった、とてつもない恐怖の体験。
圧倒的な力で押し寄せる死の恐怖。
全く抵抗できない。
死を受け入れる心の準備などできずに、
苦しんで、苦しんで死んでいく。
それが胎児期の恐怖である事は当時から分かっていたが、
具体的な事が分かったのは、
もっと後になってからであった。
父には私が生まれる前から浮気相手がいた。
母はそれを知っており、
父を自分に繋ぎ止めるために私を妊娠した。
しかし母は私を妊娠している時に、
父の浮気が続いている事を知ってしまう。
私を妊娠した事は全くの無駄であった。
母の強い怒りが私に向きます。
母の殺意。
とてつもない身体的な苦痛を伴って
殺される恐怖。
このセッションで体験したこの「苦しみ死に」の恐怖は、
その後長く私を停滞させる事になる。
<W>
それまで彼が希望していたのは「心の傷に触れずに、感情豊かで、魅力的な人間になりたい」辛いところには触れたくない、というようなことだったと思います。
<H>
お土産だけが欲しい人だった、ようです。
<W>
今は見事に、心の傷のおおもとに届きました。対峙すべき心の傷がはっきりしました。
<H>
生きにくさの原因には、親の意向を汲んで生きていくと言う、同じグループカウンセリングの仲間の話なども参考になっていると思われます。
<W>
親に利用され、自分から利用されようとする切ない気持ちですね。
<H>
切ないです。
<W>
彼は「「苦しみ死に」の恐怖は、その後長く私を停滞させる事になる。」と言いますが、なぜ、「停滞」してしまうのかが、人が悩むということのカラクリのような気がします。
<H>
傷を目の前にして、引き返そうとする気持ちが働くのですね。
<W>
引き返しを言うのであれば、傷を目の前にする以前から、傷に無意識なときから、何とかして引き返そうとしていた、とも言えます。事実を否認することで何とかしようと苦戦する。
4枚目。
<j>
「グレーにする自分」
父を自分に繋ぎ止める為に私を妊娠した母。
私はその役目を果たせれば、
母からの愛情を得られる。
と思うようになります。
本当は愛情あって私を産んだわけではない事は知っているが、
それを直視しない。
正しく認識する事を避ける。
ぼかしてグレーにしてしまう。
この心の癖は、
この後の私の対人面にしばしば影響を
及ぼす事になります。
<W>
今でこそ、そのようにはっきり言えますが、白黒はっきりさせないグレーな場所にいるときには、ひたすら、ただグレーだったのでしょう。
<H>
なんとかすれば(自分に対する母親の)愛情はあるはずだと思い込んで、ギリギリのところで生きていこうとするのは、トラブルに悩んでいる人の共通の部分かもしれません。本当の母親の姿、本当の自分の姿、を見ることができない。
5枚目
<j>
「全てを閉ざして石になる」
母は私に、
父を自分に繋ぎ止める役目を与えて、
私を出産します。
しかし私が4歳くらいのとき。
両親は離婚。
役目を果たせなかった私は、
一人洞窟の中で石になって、
全てを閉ざして死んでいく。
家族の誰も私の事など意識がなく、
私は誰にも知られない所で、
一人死んでいきます。
一度死んでしまえば
案外そこは居心地が良く、
私は自分をその場所に居続けさせる事になります。
閉ざして生きていけば、嬉しい事は少ないが、
辛い思いをすること事も無くてすむ。
何も無い人生を私は選んだ。
しかし、私は覚えていました。
閉ざすとき、
凄く凄く悔しかった。
悔しかったが、閉ざす事しか出来なかった。
無理難題をおしつける母への怒り。
母の愛情を得るために頑張ってきたが、
それが叶わない絶望感。
母と私は両思い。
という暗示を自分にかけて、
他の事は閉ざしてしまった。
そうするしか無かった。
<H>
母親にはほんとに愛情がないんだということがわかって、石のように閉じてしまう、ということですね。
<W>
そこのところです。彼の回顧録では、あくまで「離婚」がきっかけです。しかし、「父を繋ぎ止める役目を」うまく果たし「離婚」がなければ、母から本当に愛情を得られたのでしょうか。離婚がなくても本当の愛情は無理だったのかもしれません。そもそも条件付きの愛情ではj君自身が納得しないでしょう。彼は、実は知っていたのかもしれません。「母親にはほんとに愛情がないんだ」と無意識には始めから。
6枚目
<j>
「殺すなら殺せ」
グレーにする自分から脱却するきっかけになったのは、
「殺すなら殺せ」をやった事であった。
愛情の無い両親から生まれた私が、
自分の存在にどれだけ戸惑って生きてきたか。
愛情が無いなら俺を殺せ。
俺はおまえの役には立たない。
そんな事はしたくも無い。
だから殺せ。
キズだらけ血まみれの私の、
渾身の怒りであった。
しかしいざ殺されるとなると、
母を思う気持ち。慕う気持ちが溢れる。
大好きで死を受け入れる。
母を殺すセッションも繰り返し行なってきた。
怒りで始める母殺しですが、
大好きで大好きで殺しきる。
母への怒りをやればやるほど、
母を慕う気持ちを思い出していく事になる。
この、「殺すなら殺せ」をやって以降、
私に色々な変化が起こっていった。
<W>
大きな突破が、転機が起きました。大迫力の絵です。
<H>
この転機が訪れるきっかけになったことの一つが、セッションを中止するかどうかのカウンセラーとの話し合いだったかもしれません。グレーにして石のようになりセッションが進まない。このままやっていても、時間とお金が無駄なので、中止したほうがいいのではというふうに相談をしました。
<W>
カウンセラーも、彼の心情と一体になって、決断が迫られたのですね。
<H>
彼が辛いようにカウンセラーも辛い。グレーにして石のような状態には、だんだんカウンセラーも耐えられなくなる。本当に同じような内的な経験をするのだと思います。
<W>
そして彼は前に進む決断をするのですが、その結果の「殺すなら殺せ」はカウンセラーにも向けられていたのかもしれません。「見放すのなら見放せ」と。陰には依存がありますから。カウンセラーはいつの間にか母親役です。辛いときに依存は慰めになります。ところが依存を頼りにして前には進みたくない。依存できなければ自分で立つしかない。その時、前に進むも見放されるも同じようなもので自分の目の前にある。
<H>
そういう意味ではカウンセラー自身が健康でなければならない。ぎりぎりのところまで。
<W>
「いろんな変化が起こっていった」とあります。
<H>
「停滞がなくなってきた」ということですね。
<W>
その変化の原因が回顧録のここに書かれています。母親への愛憎の統合から生死の統合が起きています。
<H>
母親への愛憎の統合は、自分自身の生死の統合に通じているというあれですね。
<W>
あれです。大切なところですから、見ていきます。
「殺すなら殺せ」は母親への究極の怒りです。憎悪です。「母への怒りをやればやるほど、母を慕う気持ちを思い出していく」とあり母親への愛憎のエネルギーが実は同じであることを彼は体感しています。愛憎の統合です。
そして「殺すなら殺せ」は、また同時に、自分自身の死の受け入れです。
グレーにして石のようになって何とか生を守ろうとしますが、その守りの彼岸は死です。自分にとって宇宙のように大切な母親から、あろうことか自分自身の死が望まれている、その死です。
その死を受け入れることで「渾身の怒り」つまり激しい「生」が出ます。何とか守ろうとする弱々しい生ではありません。死を受け入れて本当の生が出る。生死の統合の兆しです。この辺りは、この後の8枚目の絵でも描かれています。
7枚目。
<j>
「靄に包まれて死ぬ」
胎児期に母に殺されそうになった感覚は、
身体的苦痛として私の心に刻まれ、
私はその記憶にずっと苦しめられてきた。
一切の抵抗は許されず、
死を受け入れる心の準備も出来ず、
胎内いう狭い場所で暑さからも逃れられず、
窒息死するという、「苦しみ死に」の恐怖。
しかしある日のセッションで気づくことになる。
本当に怖いのは一人ぼっち。
母も。誰も彼も。私の事など意識に無いと知ること。
そしてこの世界の、
厳しさ。冷たさ。無慈悲さを知る事。
それが本当の恐怖。
一人ぼっちを自覚したくないが為に、
私は「苦しみ死に」の恐怖を利用していた。
「苦しみ死に」に囚われていれば、
一人ぼっちを自覚しなくて済むので。
恐怖で恐怖を隠す。
私はそんな生き方をしていたのだ。
この7枚目の絵に描いた黒い靄は「苦しみ死に」を表現しています。
「苦しみ死に」の正体(一人ぼっち)を知った私は、
抵抗する事なく安心して、靄に包まれて死んでいく。
“やっと死ねた。”
私の中からしみじみとそういう気持ちが湧いて来た。
<H>
「本当に怖いのは」「一人ぼっち」。母親から殺される「苦しみ死に」の恐怖ではなく、さらに、その奥にあった。
<W>
はい。6枚目の絵のところで母親からの死を受け入れたら、その奥の本当の恐怖である「一人ぼっち」を受け入れることができ、「やっと死ねた」という境地になったのですね。
<H>
大亀の水底に足が着いた。「安心」ですね。
<W>
死の受け入れが深まった。
8枚目
<j>
「恐怖と共に生きていく」
私は恐怖を克服したいと思って、セッションを続けてきました。
日常的に感じている、対人面での恐怖が辛くて辛くて。
しかしそれ(辛い辛いと言うこと)は心を閉ざして生きていく、
と言っているのと同じことだと、ある時、気づかされます。
本当の自分の人生を歩んでいくために、恐怖と共に生きて行こう。
と思うようになりました。
幼いころの恐怖がどんな物であったか。
日常の中で感じながら生活していると、
不思議と恐怖は和らぎ、
恐怖の中にいる事に心地良さを感じることも多いほどです。
どんなに惨めな思いをしてきたか。
本当に死んでしまいたかった。
消えて無くなってしまいたかった。
そんな事も少しづつ思い出していきました。
8枚目の絵には3人の自分を描いています。
その中の一番小さい自分は恐怖している自分。傷ついた小さい自分。可愛い、可愛い自分。
真ん中はそれを包む今の自分。恐怖と共に生きて行く。
一番大きい自分は、本当の自分のようなものだと思われる。いつも私(真ん中の自分)に、”大丈夫。オレがついてるから大丈夫。落ち着いて!”と声をかけてくれる。
<H>
「どんなに惨めな思いをしてきたか。本当に死んでしまいたかった。消えて無くなってしまいたかった。」と過去形で話せるようになりました。よかった。「不思議と恐怖は和らぎ」とあります。「和ら」がせるセッションもありますが、自然と起きてくることが本物ですね。
<W>
はい。この絵がいいですね。
<H>
見るだけで暖かい「安心」が伝わってきますね。「3人の自分」が成長を表現しているようにも見えます。
<W>
生と死の統合を見ます。6枚目の絵のところで「殺すなら殺せ」と死を受け入れて本当の生「渾身の怒り」が出た後で、7枚目の絵でさらにその奥の「一人ぼっち」を自覚して死の受け入れがより深まり、この8枚目の絵で、その深まった死(真ん中の自分)に応ずるように暖かい生(外側二人の黄色とオレンジの自分)が現れ、生と死の統合がより明確に描かれているように思います。
9枚目
<j>
「やっと甘えられた」
ある日のセッション。
母を慕う気持ちを感じながら母を殺す。
愛おしくて愛おしくて殺す。
その後、死んだ母に抱きついて
心から甘える。
思いがけず甘えを出せた私でした。
甘えたいと強く望んでいる自分を、
さほど意識いてはいなかったのだが、
“やっと甘えられた”
“やっと甘えられた”
何度も何度もそう思いました。
本当に嬉しかった。
<H>
「思いがけず、やっと甘えられた」いいですね。甘えると言うのは難しいことです。甘えたふりはできるけどほんとに甘えるのは難しい。
<W>
努力して甘えられるものではないのかもしれません。恐怖の正体を知り受け入れ「安心」できたのが大きいのでしょう。
<H>
母親はいまだ石のような色に描かれています。母は石であっても甘えるのは自分、自分は甘えられる。母の事情に左右されないということなのかもしれません。
10枚目。
<j>
「心から自分を抱きしめる」
またある日のセッションで。
恐怖でオロオロする自分を思い出した。
父を母に繋ぎ止めるなんて出来ない。
でも母は私にそれを求めて私を生んだ。
どうしたらいいか分からず。
どうにも出来ず。
焦り、恐怖し、オロオロするしか無かった。
そんな自分がかわいそうで。かわいそうで。
幼い自分を抱きしめて安心させてあげたい。
大丈夫だよ。と言ってあげたい。
そんな事は出来なくていいんだよ、と。
“心から自分を抱きしめてあげて‼️”
私の内側からこんな声が
湧き上がってきました。
嬉しさやら。切なさやら。
悲しさやら。愛おしさやら。
幼い自分を抱きしめて泣きました。
幼い自分も感情的のままに泣いていました。
<W>
いいですねー。
<H>
いいですねー。
これらの絵には出てきていませんが、彼は、本当に生きていくエネルギーが出てきて、宇宙に向かって吠えるような、歌うような表現ができたということです。
<W>
いいですねー。
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