ブログ(715)への感想|2〜3歳の頃から理由がわからない不安|アコールセラピーの休憩時間(718)

<W>
ブログに対して寄せていただいた感想をご紹介したいと思います。
<H>
ブログ(715)「命もっていかれるような不安1/3記憶がはっきりしない」を読んだEさんの感想です。
<Eさん>
ブログを読んでいる時は内容に引き込まれる感覚で、自分に重ねる感じは無かったのですが、その後の瞑想で、幼い頃のいくつかの場面を思い出しました。
記憶にあるのは、2〜3歳の頃から理由がわからない不安が常にあった事(今は母親に拒絶される不安だったと思う)。思い出す場面で、その時の会話や様子から、母親の気持ちを感じ取っているが、自分自身の気持ちがわからない。
母親の感情が全てという感じだった事を思い出しました。どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じがすごく悲しかったです。
<W>
ブログが刺激になっていて、その時には思い出すことはなかったのが、瞑想で深く自分の中に入ったときに、思い出したんですね。
<H>
ブログでも「記憶がはっきりしない」とあり、簡単には思い出せなかったことが前提ですね。深いところに深いところが響いた。そういうことですね。
<W>
響いた先が「理由がわからない不安」で、わかってみると「母親に拒絶される不安」でした。ブログ(715)~(717)でも、「命もっていかれるような不安」があって、その不安は、はじめは理由がわからなかったのですが、やがて母親からの不安ということが判明します。
<H>
そのあたりは共通しますね。根源的な不安はやっぱりそこになりますね。そういう厳しい不安に小さなころからさらされることで、「自分自身の気持ちがわからない」状況になり「母親の感情が全て」となってしまうことも、よくあることです。
<W>
「どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じ」とありますが、その中の「意識が全くない」というのは、どちらの意味なんでしょう。母親の意識が自分(Eさん)にない、という意味か、あるいは、自分自身(Eさん)が「自分(Eさん)の気持ちに意識が全くない」という意味なのでしょうか。
<H>
そうか。私は当然、前者の意味と思っていましたが、後者の意味の可能性もありそうですね。
<W>
ブログ(715)~(717)の内容を前提にEさんの感想を聞くと、私は、後者の意味にとれていました。子供のころからきつい不安に触れ続けると、自我の発達が弱くなり、そのため自分と母親の境界がはっきりしなくなり、母親だけではなく、同じように自分自身も、
同じ感じになってしまう。どちらも悲しいけれど、後者のほうがさらに悲しいですね。
<H>
Eさん、感想をありがとうございました。ブログを読んで感じるところがあっても、なかなか文字(言葉)にするのは容易ではないですね。しかし言葉にしようとすることで、自分の中の大切な部分を何度も見つめることになり、有意義なセッションになることと思います。Eさんから次のようなメールをもらいました。
<Eさん>
思った事をそのまま言葉にする事は難しいです。隠したり、ずらしたり悪い癖が出そうで慎重になります。自然でいたいです。

<H>

追伸:Eさんから、意識がなかったのは自分自身(後者)だそうです。回答ありがとうございます。

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