抱っこして、一緒にいて、逃げないで2/3|アコールセラピーの現場から(721)

(つづき)

「「怒り」」
(母に求めても、母には届かない、応えてなんかくれないこと)そのことへ、とにかく怒った。求める度に気がつかない、わかろうとしない母へ怒った。
<H>
「気がつかない、わかろうとしない」というのは、無意識的な無視で、母に内在する消極的な殺意でしょう。
<W>
でしょうね。「いらない子」と「気がつかない、わかろうとしない」というのが起こりえるのは、背後に無意識の殺意があるから、と考えられます。
<S>
時に唸り、吠えたり雄叫びをあげて段ボール(母の身代わり)を殴り蹴飛ばし馬乗りになったり踏みつけちぎって捻って潰した。あっさり潰れることにより怒りが増す。怒りは出せるだけ目一杯出した、爆発していた。出せることがとにかく気持ち良かった。
求めても求めても母の反応は無い。母が遠い。私への意識が無い。出しまくったら、なーーんにも無い事が良くわかった。
<H>
「なーーんにも無い」というのは自分(彼女)への敵意さえない。敵意でも虐待でもあった方がまだまし。
<S>
孤独、ひとりぼっちの恐怖。気狂いになると思った。気が狂う、こんか恐怖には耐えられるはずが無い。閉じるしかなかった事に納得もした。
<W>
この恐怖、はじめの方で語られた「のっぺらぼう」とつながりますね。
<S>

私は母に安心して100%の依存したかった。でもそんな事は叶わない。だんだん怖くなって、「助けて欲しい」って誰に向かうでもなく、ただずっと「助けて助けて」って叫んでいた。
「「大きな衝撃:あんたが気がついてあげないと」」

その時ふっと自分に対して「あんたが気がついてあげないと」って思った。えっ!私!!
ハッとした。すっごい衝撃だった。
<H>
大きな気づきですね。なかなかないです。
<W>
永遠に「助けて助けて」を繰り返していっても不思議ではありません。この復元力というか健康さに目を見張りますね。いわゆる治療的自己ですね。
<H>
彼女の強さですね。
<S>
目が開いた、目が醒めた。誰でもなかった、私だった。今まで気がつかなかった自分に怒りが湧いた殺意で自分に向った、本来の私を生かしたい生きる為に(自分を)殺した。
<H>
自分殺し。愚かな自分を殺した。同時に死の受け入れを感じます。
<S>
深く深く泣いた。「私」に謝ったただただごめんなさい、私が「私」を大切にしていなかった本当にごめんなさい。本当の私の存在に気がついた。心強い存在。
<W>
死を受け入れた、その瞬間に、本当の自分を手に入れた。
<S>
そこから日常生活もすごく楽に送っていて気づいたら周りに求めなくなっていた。ひとりぼっちを受け入れていてひとりで大丈夫になった。
<W>
この「ひとりぼっち」、いいですね。人依存とは正反対です。
<H>
この頃から、彼女は、どんどんどんどん安定していきました。
<S>
「「エネルギーは永遠に枯れない/諦め無くて良い/自由だっー」」
その後のブレスでも母を求める。
私を受け入れ理解出来るのは私しかいない。でも私はただただ母を求めて叫んだ。母を呼んだ。どんどん出てくる湧いて溢れて出てくる母を求めるエネルギー。この求めるエネルギーは止まらないし永遠に枯れないって思った。もう諦め無くて良いし諦められるものでは無いと思ったそれ程までにすごいエネルギー。そう思ったらなんか自由だっーって感じた。
<H>
ダメな「母を求める」のではなく、自分の生きるエネルギーに気がついた。同じようにブレスしても難渋する人は、このレベルの手前でとどまってしまう。手前でとどまって、深くまでいかない。浅いところでパニックになって盲目になってしまう。
<W>
鍵になるところですね。百万回でも読んで欲しい、話して欲しい。
<S>
こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか?こんなにあるのに無い事にしていたなんて、そう思うと泣けて泣けて胸が締めつけられ痛くて苦しかった。そして子ども達の顔が浮かんだ。皆んな持ってるんだね、求めているんだね、求めてくれることがありがたいし「こんなお母さんだけど決して諦めないでね」って思った。
<H>
いいお母さんになったね。
<W>
「こんなエネルギーをどこに閉じ込めていたのか・・泣けて泣けて胸が痛い」、いいですねえ~。
<S>

「「殺意」」
怒りでどんどん自分の中心子宮がムズムズするどんどん熱くなる。「いらないなら産むな、産みっぱなしにするな。」「わかった振りをするな、被害者面するな許さん許さん!」怒りに震えてとどめを刺す。殺意は父や夫子ども達、祖母祖父にも向いた。そして自分にも。子どもを利用した私、子どもに意識が無かった私。被害者面する母と私は一緒だ。私も加害者だ。最大の怒りに震えた。
<H>
この怒りのエネルギーは、統合されるべき生のエネルギー。本当の自分のエネルギー。純粋の怒りのエネルギー。何が「のっぺらぼう」だよ。
<W>
はい。「のっぺらぼう」とは正反対の人になりました。
<S>
寂しさや怒りを出しまくっていた時期は、日常生活でも抑えきれず、(怒りを)周りに出しまくっていた。思い通りにならないと怒り、寂しくて泣いたり嫉妬も酷かった。とにかく周りの人に私を1番大事に私を大切に思って扱って欲しかった。H先生からは「家族にちゃんと説明するように」って言われていたので、話をして(寂しさや怒りを)「出させて下さい」ってお願いはしていたけど、(人生で)今まで出せなかった分かなり凄かったと思うし(周りは)大変だったと思う。
<H>
家族など周りは大変だった、迷惑したと、まずい話ですね。実はいい話もいっぱいあるのです。いい話もしてもらいましょう。彼女の話だと、職場で信頼されるようになった、パートなんだけれど社員よりも頼られるようになった。上司への不満をちゃんと言えるようになった。など、次のように言ってました。

(つづく)

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知る人ぞ知る秘密のバラ園(山中湖)|アコールセラピーの休憩時間(720)

 

今年もまた、散歩のついでに、あのバラ園へ行ってきました。知る人ぞ知るあのバラ園へ。アコール研修施設から少し歩きます。独特の雰囲気、至宝の香り、・・・何とも言えません。

バラが好きで、ほかのバラ園にもよく行きます。府中の深大寺植物園の広大なバラ園、横浜港の見える丘の環境抜群のバラ園、・・・、でもここは特別です。

個人のバラ好きのご夫婦(特に奥様)が、個人的な思いを山のように込め、費用度外視で、バラの天国を作り上げています。足の踏み場もないほどに、バラが密生しています。また、バラの香りがとても強い。山中湖の厳しい冬を毎年生き延びるので、野生の生きるエネルギーを目覚めさせ、バラの体臭を振り撒いているのかもしれません。素晴らしい限りです。特にブレスワークの後では、五感が、バラに圧倒されます。

素晴らしさの割には、知られていません。山中湖の住民でも知らない人もいます。ポスターなども見かけません。ことさら秘密にしているわけではないのでしょうが、あまり多くの人に来てもらっても、ご夫婦だけでは対処にしようがないのか、宣伝する気は感じられません。バラの数が膨大で世話が大変なようで、奥様は「今年でやめる」と毎年言っています。でも、うわさを聞きつけてか、観光バスもたまに来るようです。今年はコロナで来ませんが・・・。

「オープンガーデン」「塚原ガーデン」「MF(何の略か不明)ガーデン」などと呼ばれています。他の人のブログで地図などの載った詳しいものもありますので、必要な人は検索してください。入園料ひとり500円。開園期間がとても短い。6月後半から7月頭まで。

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抱っこして、一緒にいて、逃げないで1/3|アコールセラピーの現場から(719)

<W>
今日はSさんの話ですね。
<H>
彼女は、ご自分で、絵と原稿をまとめてくれました。ありがとうございます。以下<S>の部分はSさんの原稿の部分です。
<S>
アコールのベビーブレスの事は兄と義姉を通して知っていた。
「「ブレス以前」」
今思うと、ブレス以前の私は、のっぺらぼうの顔なしのようだった。自分がなかった。自分の意思がなかった。母親のいいなりだったが、それで良かった。

私は生きにくさも感じていなかったし、なにより母との関係に何も問題が無いと思っていたので(ブレスなど)必要では無かった。
「「ブレスを受けるきっかけ」」
ブレスを受けるきっかけは夫のパチンコによる借金の発覚。私の父親もパチンコによる借金で夫婦喧嘩が絶えない家で育った私は、結婚前に常々、夫にそれが嫌だったと話をしていた。(夫は私の気持ちを)わかってくれていると思っていた。(しかしそうではなかった)家事や育児に協力をしないTVやゲームばかりの夫へ不満、不信感も募っていった。イライラを子どもにもぶつけたり、思い通りにならない事に怒りが止まらない。精神状態が悪く、やっと私にも何か問題があるのではないかと思い始めた。
<H>
似た人を選んだんですね。
<W>
自分のことが分かる前は、そんなもんですね。
<H>
それで増幅して、追い詰められるのかもしれません。
<S>
「「はじめのころのブレス」」
夫、私、長男、長女4人で東京へ夫と私が個人セッションを受けた。
夫、父への怒りを出す。嫌だと知っているのに(パチンコなど)何故するのか。わかってもらえない怒り、寂しい。
(そのブレスの中で)母からの殺意に気づいた。恐怖。いらないと思われている。いらない子だった。母に向かい「殺さないで欲しい、助けて」とすがる。母が堕胎をしていた事実を、ブレスを受ける前に知った。それまで両親は隠していた。「いらない子」はショックだった。でも何か問題があるのかもしれないと思い始めていたので、その何かがこれだったのかとスッキリした。そして今まで何も問題は無いと頑なに思っていたのか納得がいった。
<W>
「頑な」になる必要があった、隠す必要があった、ということですね。
<H>
本当は知っていた。知らないふりをする必要があった。
<W>
Sさんが言いたいのは、堕胎という生命軽視の環境があって、その環境の中で自分への扱いが「いらない子」であった、ということですね。
<H>
はい。子供の命が大事にされない状況です。
<S>
月に一度の勉強会や3〜4ヶ月に一度のグループカウンセリング&ブレスを始めてから、自分の想いや感情に意識を向けるようになってきた。本当の気持ちはこうだったとか幼い頃の記憶を思い出せたりもした。
「「思い出した記憶の例1、スーパーの商品を食べた」」
4歳頃母と2人で近所のスーパーへ買い物へ。ガムが欲しかったけど母に欲しいとは言えなかった。でもどうしても欲しくてひとりでお菓子売り場に行った。縦にぶら下げて陳列している袋入りガムの一番下を一つちぎってその場で食べた。甘くておいしいって思った。でもすぐに怖くなった。心臓がバクバクした。悪い事をしてしまった、、。ばれたらお母さんを困らせてしまう、、。「絶対にバレませんように」って思った。
<H>
「欲しい」ということを言える状況ではない。心の中はそうなのですね。
<S>
「思い出した記憶の例2、寂しくて寂しくて嫌だった」
小学校低学年の夏休みの朝、仕事に行く母を見送る為、バス乗り場まで一緒に行っていた時の事。バスに乗り込む母に笑顔で「行ってらっしゃい」って手を振っているんだけど本当は泣きそうなのを我慢していた。バスを見送った後も近所の人に見られたくなくて泣くのを我慢して帰った。ひとりで家に戻るのも寂しくて寂しくて嫌だった本当は一緒に家に居て欲しかった。
<W>
「寂しくて寂しくて」などの本当の深い気持ちは「我慢」しなければならなかった。「近所の人」だけではなく当の「母」に対しても。
<S>
「「ブレスで溢れ出た寂しさ」」

ブレスでは寂しさが溢れ出て家族や周りの人達皆んなにわかって欲しかった。本命の母へは○○して欲しいという思いがたっくさん出てきた。「抱っこして、一緒にいて、遊んで、こっちにきて、そばにいて、ギュっとして、私だけ見て、逃げないで、気付いて、、」とにかく母に求めた。でも母には届かない、応えてなんかくれない。

(つづく)

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ブログ(715)への感想|2〜3歳の頃から理由がわからない不安|アコールセラピーの休憩時間(718)

<W>
ブログに対して寄せていただいた感想をご紹介したいと思います。
<H>
ブログ(715)「命もっていかれるような不安1/3記憶がはっきりしない」を読んだEさんの感想です。
<Eさん>
ブログを読んでいる時は内容に引き込まれる感覚で、自分に重ねる感じは無かったのですが、その後の瞑想で、幼い頃のいくつかの場面を思い出しました。
記憶にあるのは、2〜3歳の頃から理由がわからない不安が常にあった事(今は母親に拒絶される不安だったと思う)。思い出す場面で、その時の会話や様子から、母親の気持ちを感じ取っているが、自分自身の気持ちがわからない。
母親の感情が全てという感じだった事を思い出しました。どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じがすごく悲しかったです。
<W>
ブログが刺激になっていて、その時には思い出すことはなかったのが、瞑想で深く自分の中に入ったときに、思い出したんですね。
<H>
ブログでも「記憶がはっきりしない」とあり、簡単には思い出せなかったことが前提ですね。深いところに深いところが響いた。そういうことですね。
<W>
響いた先が「理由がわからない不安」で、わかってみると「母親に拒絶される不安」でした。ブログ(715)~(717)でも、「命もっていかれるような不安」があって、その不安は、はじめは理由がわからなかったのですが、やがて母親からの不安ということが判明します。
<H>
そのあたりは共通しますね。根源的な不安はやっぱりそこになりますね。そういう厳しい不安に小さなころからさらされることで、「自分自身の気持ちがわからない」状況になり「母親の感情が全て」となってしまうことも、よくあることです。
<W>
「どの場面でも自分の気持ちに意識が全くない感じ」とありますが、その中の「意識が全くない」というのは、どちらの意味なんでしょう。母親の意識が自分(Eさん)にない、という意味か、あるいは、自分自身(Eさん)が「自分(Eさん)の気持ちに意識が全くない」という意味なのでしょうか。
<H>
そうか。私は当然、前者の意味と思っていましたが、後者の意味の可能性もありそうですね。
<W>
ブログ(715)~(717)の内容を前提にEさんの感想を聞くと、私は、後者の意味にとれていました。子供のころからきつい不安に触れ続けると、自我の発達が弱くなり、そのため自分と母親の境界がはっきりしなくなり、母親だけではなく、同じように自分自身も、
同じ感じになってしまう。どちらも悲しいけれど、後者のほうがさらに悲しいですね。
<H>
Eさん、感想をありがとうございました。ブログを読んで感じるところがあっても、なかなか文字(言葉)にするのは容易ではないですね。しかし言葉にしようとすることで、自分の中の大切な部分を何度も見つめることになり、有意義なセッションになることと思います。Eさんから次のようなメールをもらいました。
<Eさん>
思った事をそのまま言葉にする事は難しいです。隠したり、ずらしたり悪い癖が出そうで慎重になります。自然でいたいです。

<H>

追伸:Eさんから、意識がなかったのは自分自身(後者)だそうです。回答ありがとうございます。

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命もって行かれるような不安3/3|謎の罪悪感から生と死の受け入れ|アコールセラピーの現場から(717)

(つづき)

<謎の罪悪感>
<H>
この頃の彼は、罪悪感という言葉を盛んに口にします。この執拗な罪悪感はどういうことなのでしょうか。彼の言葉だけでは謎です。本当は、母を護もりきれずに死なせてしまったために罪悪感があるのではなく、実は心の奥では、狂気の母を攻撃していたのではないか?
<W>
はい。
<H>
意識に上らないように抑え込んではいたものの、自分に十分な愛情を注ぐこともなく病気に逃げた母を、攻撃し、自分を孤独にし寂しさの暗闇に追い込み心に大きな消えない傷を残した母を、攻撃し、その攻撃する気持ちに対して、罪悪感があり、その罪悪感だけが、最近になって意識されるようになった。
<W>
はい、はい。
<H>
そういえば、昔、狂気の母に対して、「関わらない、見て見ぬ振りなどした」ことがありました。
セラピーを通して自分の中には癒されない「大きな怒り(殺意)」があることが分かっています。何への怒り(殺意)なのかははっきりしません。その自分の中にある怒り(殺意)を、本命の母に向けることが一番の恐怖です。
<W>
はい、はい、はい。
<H>
怒り(殺意)を母に向けると、病気がちでいつも弱い存在であった母はその殺意に耐えられず、母を失うことになります。優しく愛情いっぱい(彼にとっては)の母を失うことになるのです。命の基盤であった大切な母を失うことになるのです。それには私が耐えられません。それが一番の恐怖です。
<W>
はーい。
<H>
それでも殺意は依然としてあるのを知っているから、母に何かある度に、自分に責任があるのではないか、隠れている殺意のせいではないかという罪悪感が襲ってきます。
<W>
追加として、彼自身も彼の中に母と同じ狂気を感じる部分があると思われますが、その狂気の正体も、物凄く強い殺意(怒り)のエネルギーなのではないでしょうか。これは、彼の口から語られることはなく、未だはっきりはしません。

<母親殺し>

絵6
<W>
いよいよ彼は自分の殺意を正面から扱えるようになります。絵6には3つの絵が描かれます。
左側の絵の中央に描かれる灰色のシャツは彼です。ピンクの服はお母ちゃんです。
上側の絵のピンクの服もお母ちゃんです。黄色の服はお祖母ちゃんです。
右側の絵のピンクのスリッパは、ピンクの服を着たお母ちゃんが履いていることが、先の絵4で描かれています。殺意を表す鬼のような顔は、本人とお母ちゃんで、同じ顔が描かれています。世代間伝達です。
<H>
本人からの絵の説明です。
「(ベビーブレスで)、殺意(をやっていて)、お母ちゃんをぶっ殺していたら、お母ちゃんがお祖母ちゃんをぶっ殺すイメージが同時に…(出てきた。)左上は、(症状が重くなったお母ちゃんが)新聞紙で塞いだ窓。左下は、「死にたい、死にたい、死にたい」と書かれた(お母ちゃんの)ノート。右下は、(絵4でも描いた)鉄格子越しのピンクのスリッパ。怖い象徴。」
「母親になって気狂いをやろうとしたがなかなか上手くいかない。・・・(母親からの)「死にたい」というのが来て、死ねばいいじゃないか、だったら殺してやろうかとグワッときた。馬乗りになって首を締めた。意外と早く死んだ、ぐにゃぐにゃになった。気に入らなくて捻ってグニャグニャにして、抱えこんで首も折って。死んでいるのに。手が食い込んで一体になった。やっている間に、だんだん寂しい塊になって来た。だけどギューっとやっている。死体でなくなって来て、寂しいの塊になっていた。大切に思えて離せなくなった。後でやっちゃったと言うのが来た。また泣けた。あったかい涙。終わってから罪悪感が来るのかなと様子を見ていた。来ない。」
<W>
母親への憎悪(殺意)と愛情が一体になっています。愛憎の統合です。罪悪感は来なかったんですね。
<H>
その事実が一番ですね。
<母親への殺意を出してみて:消えた罪悪感>
<H>
彼は言います。「自分の中にある殺意は母に向けてのもの(である)と、ここ最近では確信していた。しかし母は何としても(自分が)護る存在。聖域。もし母にそれを向ければ母は死に、自分も死ぬ。その恐怖で抑え込んできた。それが一番怖かった。しかし出してみて・・・。(謎だった殺意は)自分が母に向けて(のも)であるように、殺意は(ある)対象に向けてのものであるが、そうでは無い(対象はない)とも感じられる。それぞれ(自分、お母ちゃん、お祖母ちゃん)の中にあるもので、抑圧した寂しいかたまり。
・・・うまく繋げられない(説明できない)けど、重い蓋を少し開けられたことで、安心して怒りのエネルギーを出せる気が今はしています。罪悪感に脅える感覚も、嘘のように消え去っています。」
<W>
世代間伝達で代々溜まっていて彼が受け取っていた殺意を、ようやく出した、ということと説明されています。殺意は単に母親へだけのものではないと。

<阿闍世コンプレックス>
<W>
この殺意と罪悪感は、阿闍世コンプレックスを暗示します。そう考えると、彼の、命もって行かれるような不安というのも、理解できます。
<H>
阿闍世コンプレックスは、胎児期に母親から殺されそうになったことへの恨み、というようなことですが、
彼自身が次のように言っています。
セッションが進んで自分の出自に興味が出て「「どこで生まれたか」と聞いた時の父親の反応。堕すという話があったよう。親父が言っていた。「子はかすがいだ」と言っていたので、そうだ。」
<W>
本当は堕されるところだったが、「かすがい」として利用するために産んだ・・ということでしょうか。この阿闍世コンプレックスについては、いつか、もっと詳しく彼に話して欲しいです。

<愛憎の統合から生死の統合へ>
<H>
彼は、「俺は生とか死の話とは無縁」で、よくわからないと言っていました。しかし、母親への殺意(憎悪)は明確になりました。
<W>
なりましたね。
<H>
はじめのころ彼は、母親から愛された誇らしいような感覚を持っていました。少なくとも母親への愛情は感じていました。そして今回、母親への殺意(憎悪)が明確になりました。そのため、愛憎の統合が着手されました。
同時に、母親のもとで幸せに生きたいと思う生と、「命もって行かれる」という死との統合も着手されたとしてよいと思います。生と死の統合のど真ん中を進んでいると言えると思われます。
<W>
そのようにして愛憎の統合や生死の統合が起きてくれば、母親へのこだわりは減って自立が始まります。
<母親離れ>
彼は言います。「よく泣いた。呼吸していて、エネルギーがワーッときていて、言いたくてしょうないみたいな。何か言いたくてしょうがないというのがワーッと来て。マットレス(母親代わり)が良かった。お母ちゃんだから丸めて文句言っている。時より怒りが来て首しめたり愛おしくなったり、文句言って、雑に扱うんじゃねえ。無視するんじゃないと言っていた。怖くて寂しくて向いて欲しいと思っている。・・・お母ちゃんに「寂しいって言え、不安だと言え」と言っていた。そう言っていて愛おしくなった。・・・怒るほど優しくなる。不満だったりストレスだったり抑えていたのが残念だったりする。お母ちゃんをずっと抱いていて離さない。ぶっ殺しているが愛おしい。文句言えた。「泣いてみろ」と言った。(母親が今も)生きていたら・・・(このセッションを受けさせに)連れて行きたい。」
<W>
母親に支配されていたのが、愛憎の統合が進み、母親から離れ、母親を癒そうとしています。
<H>
ほんとうに。
彼は言います。「・・・不満が出て来て、寂しい求める感じが出て来て、お母ちゃんを抱きしめる。どんどん(感情が)上がってくるとぶっ殺す。やればやるほど濃厚になる。どんどん(昔に)戻って、どんだけ(愛情が)なかったんだよ、なかったことにして来たんだよというのが凄く出て来た。ブレスが(時間がたつのが)早くて勿体ない。・・・もう終わっちゃうのかと。体を動かしていたらお母ちゃんをおいて一人で踊っていたら、・・・体が軽くなって、風のようにフワフワと舞っていた。・・・よりパワーアップして自由に踊って気持ち良かったです。・・・しばらくしたら暖かいものが来て、布団を抱きしめてお母ちゃんと一体感。気持ちいい。瞑想は無になれて気持ち良かった。・・・みんなの話でも寂しさが伝わって響く、どんだけ寂しいんだろうと増して来た。分かっていた自分もいたが、全然分かっていない、足りていない、小さな坊主が叫んでいる。凄く納得する。」
<W>
愛憎の統合が進み、自分の人生を「納得する」ということでしょう。
<母親との別れ:バイバイ>
<H>
彼は続けます。
「・・・母を抱いた。・・・力いっぱい抱きしめた。大好きと抱きしめた。力一杯大好きとやっていたら、殺意が出て来たのでブッ殺していたらまた大好きとでた。・・・吠えていた。ダンスだから動いていた。一人になろうと思い布団をおいて動いていたら気持ち良くなって来た。上に向かってバイバイと自然と出た。その涙はしめっぽい涙ではなかった。・・・自分が風になった。風になって吹きまくっていた。涙も止まってただ単に呼吸も静かにユラユラ揺れていた。・・・静かで寝ているように静かに無で瞑想できた。凄く心地良かった。」
<W>
母親との心地よい別れですね。

<心からの求め:完成>
<H>
ブレスの中で勇気を出して「お母ちゃん」と叫んでみますが返事はありません。
「・・・今まで大きい声で「お母ちゃん」と叫んでみたい願望はあった。それをやってみた。やりたいと思える事ができるようになった。勇気が言った。腹から「お母ちゃん」と叫んでも何もなかった。期待していた・・・甘い世界があると思った。愛おしくなることもなく、止まってしまった。そんな訳ないと叫んでみたら、何もない事が自覚した。何もないのは母の意識がなかったと思った。ない事が自覚して来たら一人と言う自覚が出て来た。寂しかった。イメージとは違っていたが、知っていた感じもあった。ビックリというよりもそうだよな・・・という感じだった。何度も何度も「お母ちゃん」と叫んでいる自分が母を求めているものがとめどもない感じがあった。ずっと言いたかった事で叫んでいると自分が愛おしくなった。もっと一緒にいたかった。自分の中にあるものを出している実感があった。・・・腹のそこから叫んで本当に心から求めた。
・・・寂しさ、一人だった。甘いのがないのを経験したから苦痛だが、「お母ちゃん、お母ちゃん」と求めていた。だけどいなかった。・・・一人でずっとこれまでそうなんだと、どこかで知ってたが実感がなかった。本当に一人だった。常に一人なんだけど、一人だからお母ちゃんを感じていた。・・・マットレスを抱っこしていたら時より怒りがきた。寂しくて、ぶっ殺すよりも思い切り力を入れて体を密着させてお母ちゃんをピッタリした。こねくり回して密着させた。それでも一人だった。本当に愛おしいし、本当に大好きなんだと実感した。それで良いと思った。それを誤魔化してきたから、(今回誤魔化さずに)良かった。寂しいのは甘い世界だった。・・・寂しいから癒着してラブラブだと思ったが、向こうは全く(愛情は)なかった。・・・」
<W>
母親に愛情はなかったが、自分は心から求めることができた・・・。
<H>
心から求めることができて、「一人」の意味が違ってきます。
「(ベビーブレスで)・・・一人になって落ち着いた。凄く安心の場所。・・・それが自分。泣けてきた。お母ちゃんに甘えたくなって、「ずっと見て、ずっといて」と声に出して叫んで泣いた。落ち着いてきた。きちがいが怖くて、嫌だったのに、凄く良い気持ちになって、そこがお母ちゃんで甘えることもできて、安心感が出てそこにいたかった。・・・遊んでいる感じ。一人で遊んでいる。テーマは一人だった。実際遊んでいた。楽しかったんだと。取り巻く環境は怖かったが遊んでいたのは楽しかった。・・・意味分からないが勝ち誇ったよう。「勝ったぞー」と。凄く気持ちよかった。」
<W>
・・・自立が完成しました。人生の困難に勝ったんですね。

<孫が眩しい>
<H>
実生活でも変化が出てきます。かわいい孫への気持ちが新鮮です。
「涙が止まらなくなる。寂しさも怒りも怖さも冷え切ってカチカチしていたのが、緩んだり溶けたりしている。(そこへ)触れるとダメ。Hちゃん(彼の孫)はもうダメ。光輝いている。眩しくて(自分も輝きたかったという)憧れがあって、これだろうと思う。」
<W>
周り中が眩しくなりますよね。

<本当はこうしたかった>

絵7

絵8
<H>
ここまでくると安心して、本当はこうしたかったという気持ちを表現できます。
絵7、絵8を表現して彼は次のように言います。「一緒にいるときにいなかった感じがあるし、(今も)一緒にいたいんだな。一緒にいたくて離れたくなくて置いていかれたくなくて連れて行って欲しくて、とにかく一緒にいたい。・・・大好きなんだなと思った。やり直しをしたい。甘えたり、抱っこしたり、置いていかれそうになったら駄々こねたり、病院の鉄格子の中にも一緒に行きたい。」

絵9
<H>
絵9について、「あったかい家族全員で過ごしたかった」と言います。

 

絵10
<自分と富士山と星空が一体:贅沢>
<H>
彼はそれまでも、みんなとワイワイするキャンプは好きでしたが、ソロキャンプをも楽しめるようになりました。そこで神秘的といえるような贅沢な体験をします。
「今年初のソロキャンプに・・・行った。・・・怖いのを取っ払ったら、晴天、満天の星。焚き火していると夜でも富士山が見える。夜中ぼーっとしていた。そこで(瞑想の時のように)呼吸を整えたら、星と一体になって富士山(の中)に自分が入った感じになった。点の自分と富士山と星空が一体になった。・・・全部富士山になっている。宇宙と地上の間の富士山と自分がいる。
富士山のシルエットの中に自分が入り込んで、宇宙と繋がっている、大地に根がバーっと張っている。死って宇宙だと分かった。あっちに行って無の世界か。この世にきて辛いことも生きているのかと考えた。
自分のとっての死が原点、贅沢で寝る。・・・満喫した。一人で贅沢味わって満喫する。一人は贅沢。
それでキラキラして起きる。(セッションが進んで)死が怖くなくなった、生きやすいと言っていたが、(さらに進んではじめから)生きていたんだなとなった。愛おしい。」
<W>
死と生がともに受け入れられるものとして語られます。
<H>
バンザーイ。

(終わり)

*******************

引きこもりからの自立等いろいろな心理的悩み相談や心理カウンセリングのお試し無料あります。さらにベビーブレス(アコールで開発した独自のブレス,ブレスワーク,またはブリージング)ができるようになれば精神分析の組合せで大きな効果があります。東京府中

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命もって行かれるような不安2/3|母親の発作を止め早く終わらせて・・|アコールセラピーの現場から(716)

(つづき)

<イモリ、ハムスター、インコ>
<H>
本人の言に反して母親との関係はあまりよくないので、そのため、友達との関係もうまく作れなくて、彼は小動物のペットを友達にします。ブレスが進んで幼い頃の自分をよく思い出すようになった彼は、そんな幼い自分のことを「チビ」と呼びます。
「怖くて、寂しくているチビ(自分)を周りから見ている感覚になった。そして泣いた。チビの頃、イモリを飼っていた。それをいじっていた。これが寂しい。イモリと遊ぶしかない。唯一の友達だった。暴れているイモリを撫ぜていたら大人しくなって眠った。イモリと通じ合えた。それとなら通じた。縁側でイモリと遊んでいた。たまらない。何でイモリと遊ばないとならないのか。
ハムスターも7回飼った。死んだらまた飼った。小動物と寂しさを分かち合っていた。・・・イモリやハムスター、インコ。頭に乗せたりしていた。(小動物をかわいがるように見えるので学校の)先生に「優しい子だ」と言われるのが嫌だった。優しくもない、寂しいだけ。」
<W>
グループカウンセリングの中で、幼い頃の自分をチビと呼ぶ彼は、自分を治療する治療者のようでした。
<H>
このころ、A兄ちゃんの存在もあって母親は安定し、彼は幸せな時期を過ごします。しかし、A兄ちゃんに全面的に頼るということも不可能でしょう。やがて破局が来ます。そして母親の大きな発作が起きます。
<W>
うーん・・・・・。

<母親の発作を止める:早く終わらせて楽しいことやろう>
<H>
彼は言います。
「母の発作を止めたあの場面(絵には未だ描かれない)は中3の時だ。多分きっかけはA兄ちゃんが音信不通で帰らなくなったことだと思う。この中学3年の時が相当やばかった。どんどん実感がわいてくる。刃物で(自身を)切ろうとしている母を(羽交い絞めにして)止め、それ(その現実)を見ないようにして、「早く終わらせて楽しいことやろう」などと思っている。究極を行っている。力緩めたらイコール死の状況なのにそう思っている。普段ビクビクしているのは当たり前だ。究極そうした。発作の場面はこれまで気違いが怖かった。」
<W>
「早く終わらせて楽しいことやろう」。自分の心の状況を守るものが、それしかないんですね。「気違い」というのは母親の状況であり、自分自身の危うさでしょう。
<H>
彼は続けます。「自分自身の(中学卒業に向かっての)進路の不安と、A兄ちゃんがいなくなることと、それによって母がまた崩れていく恐怖と、全部重なった時期だ。発作は何回もあった。後々発作を起こしても包丁や(鉄道への)飛び込みは止めれば良い。しかし、この中3の怖いのは、比ではないのがあった。」
<W>
「比ではない」というのは自分自身の危機・・・ということです。
<H>
彼自身が狂ってしまうかもしれないという恐怖・・・。その恐怖を今思い起こして消化し、理解が進んでいきます。
彼は言います。「母親は、病気の時は子供(私)どころでないが、一寸良くなれば(私へ)愛情を注いだというのはあるのだろう。閉鎖感があった。母親の発作が起きる瞬間に自分は白ける。「又かよ」と表向きは思っている。(実は)凄い恐怖があるからだと思う。お母ちゃんが健康なら(包丁を持ち出したりしないで)子供を守ろうとすると思う。大好きで「お母ちゃんはいつも優しくて・・」とやっていたのがおかしい。」
<W>
「おかしい」と、自分を振り返り始めます。
<美化する自分への理解>
<H>
彼が二十歳代の時に母親はなくなります。彼は言います。「(母が)余命1年の時に、(母の世話を)自分がやりたくてやったが、やりたくない自分もいた。大好きなお母ちゃんと(自分で)言っているが、(本当なのか)疑ってしまう。客観的に考えたら、何事もなく穏やかに過ごせた時間が少なかった。嫌がっていたり、恨んでいたりしたかもしれない。他人の家の家族の食卓が羨ましがったりしていた。〈悪感情を抑圧し〉押えて蓋して、美化している。それをやらないと、自分が美化した人間でないとまずいとなる。お母ちゃんがダメなら自分もダメになる感覚だから。」
<W>
美化しないと幼い自分が危なかった・・。

<突破口となった怒り>
<H>
少し復習しますが、彼は彼自身の問題点として、自信がなく、不安感情が強く、(物事を)ぼやかしやすく、強い抑圧があり、奥さんへの八つ当たりをしてしまうことなどを、認識できており、さらに、ブレスワークを怖いと思いながらも少しずつ進んできていました。そして、以上のように、自分の成育歴もだんだんはっきりして来て、母親との関係も徐々に明らかになって来ました。また、自分自身も悪感情を押えて蓋し美化しているなどと見抜くようになってきていました。そうして大きな突破口となったのは、怒りでした。
<W>
そうでしたね。

絵5
<W>
この絵5では、自分チャートとして8つの絵が描かれています。セッションを受けて変化していった自分の意識です。意識は左から右へ、上から下へ変化します。以下、説明のために、第一~第八の絵と呼びます。
<第一の絵>
はじめのころ(過去の自分)を示す絵には、中心には怖さ(恐怖:黒色の玉)が描かれ、それを隠すように周囲にはしらけ(薄青色)が描かれます。初めのころのブレスワークを怖いと思う意識です。
<第二の絵>
その後、しらけの中から怒りが現れます(濃い青色)。同時に寂しさも現れます(茶色)。大きな突破口となる怒りが出せました。彼は言います。「(映像は出てこないけども)何故か、怒りが出てきた。怒りを吐き出した。ギャンギャン怒っている。前は分からなかったが意図して怒っている。終わったら寂しくなった。(でも)気持ち良い。」
怒りを出せると恐怖からも逃げないでいられます。
「(怖いところから逃げないでいられた)ずっと怖いところにバックれ(しらけて逃げること)ないでいれている。子供の頃からの、怖いドキドキに近いような匂いがするところにずっといる。・・・・・・・・怖いとこがベタっとあって。すごく泣ける、怒りが、感覚が、出てくる。ベターっと怖い感覚にいる。」
<第三の絵>
そうするうちに、中心には本当の自分としての小さな坊主(赤色:チビ)が認識されます。怒りや恐怖を扱えるようになり、本当の自分に出会えます。
「小さい坊主と出会って、寂しいというのが自分のものにできてきた。何でそうなったのかに行きたくなっている。その坊主が何でそうなったのかと。それを無視して放り出していたのが溶けてきたから、何でそんな可哀想になったのかを知りたいのだろうと思う。拒絶している意識はないが嫌だと思っていた。」
<第四の絵>
怒りや寂しさが、より大きくはっきりします。
本当の自分が何を感じているのかが少しずつ分かるようになります。
「・・・何なんだという怒り、取り巻く怖さは何なんだと。お母ちゃんを求めるが感じられない。泣いた、怒って泣いた。」
彼が坊主と呼ぶ幼い自分自身を、治療者としての彼自身が扱います。しかし怒りの対象は未だに謎です。
「・・・・・怒るかと思ったら泣いちゃった。おーおー泣いちゃって。・・・・・・毛布を抱っこして小さい自分。・・・・マットレスが敵だった。取っ組み合っていた。蹴っ飛ばしたりぶん殴ったり破いたし地面に押し込んだし、良いあんばいだった。・・・・久しぶりに出てきた子供。一人ぽっちで寂しい坊主を感じた。ずっと抱っこして凄く泣けてきた。満足するくらいやれた。マットレスを小さい子も一緒になって叩いていた。一緒になっていた。マットレスはお母ちゃんだというとやれない。・・・泣きながらやっていた。動いていた。毛布を高い高いや飛行機ブンブンをやった。・・・ずっと寂しかった坊主と今の自分が一つになる。・・・毛布を丸めて抱くとたまらなくて愛おしくて泣いていた。やっぱりここかと。前は白けがやってきた時は嫌で怒っていた。白けている坊主をギューっとして、白けは俺じゃないかと。今日はずっと寂しい坊主と一緒にいた。」
<第五の絵>
第四の絵の段階が過ぎて停滞が生じます。停滞の原因が、表現されることを拒否している殺意ではないかと、グループカウンセリングの中で気が付きますが、受け入れきれずに再び、怒りや寂しさが追いやられて消され、しらけが優勢になります。
<第六の絵>
その後に突然、恐怖の中から殺意が爆発します。爆発する殺意は恐怖と同じ黒色で描かれます。殺意自体が寂しさをも伴っています。今までの寂しさの中身がはっきりし、(母親を)求める自分や愛しさ、あったかさを感じるようになります。
「寂しい自分が自分だろうな、「お母ちゃん、お母ちゃん」と求めていた。ずっと泣いていた。恋しくて愛おしくてずっと泣いていた。凄くお母ちゃんを求めて、キチガイじゃないお母ちゃん、兄ちゃんも寂しいし、みんな寂しいしここに来て、求めていても満たされない。でも求めているので満足。」
<第七の絵>
寂しさはさらに大きくなり、もはや恐怖(黒色の玉)は描かれておらず、代わりに爆発する殺意(黒色)と本当の自分(赤色の玉)が描かれます。まるで、本当の自分には殺意があり、それを閉じ込めていたので恐怖が存在した、というふうに取れます。
絵には描かれていませんが、殺意の近くには罪悪感がありました。殺意の対象がわからないのと同じで、罪悪感の正体はわかりません。
「小さい頃からずっとそうだった。・・・最後の最後に出さないように踏ん張っていた自分が出て来て泣けた。逃げているんだと。罪悪感や殺意も感じないようにバックれている。・・・だから凄く疲れる」
わかるのは、ずっと一人だった、ということです。
「やっぱりぶっ飛んでんだなと思えて。再確認できた。ずっと一人だったので、ずっと一人だった。・・・母に意識がなくてずっと一人だった。最後の方のブレスにそこに行けた。背中を丸めてヤモリ、鳥、ハムスターとか何でも飼っていた自分。なんかすっきりした。一人ぽっちだと分かってすっきりした。」
<第八の絵>
最後の絵八では、本当の自分は寂しい自分であると認識でき、その寂しさには底がないと感じます。
このように寂しさを正面から扱えるようになると、正体がはっきりしない殺意や罪悪感に焦点が定まります。そして、殺意や罪悪感の正体を受け入れるようになっていきます。

(つづく)

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命もって行かれるような不安1/3|記憶がはっきりしない|アコールセラピーの現場から(715)

<H>
世間では、新型コロナ災害の第一波を何とかかわし、緊急事態制限が解除されました。
<W>
死と生の統合シリーズの第三弾として、ようやく、新しいブログを出すことができます。心待ちにしていた皆様、お待たせしました。
<命もって行かれるような不安>
<H>
今回のまとめは、小さなお孫さんがいる男性です。
<W>
よくやりました。彼自身も無我夢中の感じで来たと思いますが、よかったです。
<H>
はじめのころ、彼が意識できる彼自身の問題点としては、次のようなものがありました。
○自信がないこと。自分への過少評価を凄くする。
○不安感情が強い。(自分の心の中を)はっきり見たら「命もって行かれるような不安」がある。
○だから(物事を)ぼやかしてきたので、(いつも)霧の中にいるようで怖い感じがする。言い換えると、周囲がはっきり見えていない。(もしも)見えたら怖くないと思う(が見えない)。
〇世間では良い人と言われるが、実は強い抑圧がある。(抑圧のはけ口として)奥さんへの八つ当たりをしてしまう。ストレス溜まると奥さんに甘える(だから八つ当たりができる)。
○(何に対してかわからないが)怒りがある。煮えくり返るものがあると思うが、それは出ないものの、甘えられる奥さんに(ある程度)出てしまう。わざとやっている自覚はない。子供の前でもイライラするとガーって当たってしまう。「お前のせいだ」と押し付けたり、「ごめんね」と謝ったり繰り返す。
<W>
命もって行かれるような不安や、何に対してかわからない怒りがある、というのは大きな手掛かりでしたが、彼自身は、それらの謎解きを積極的に話すという感じは、少なかった印象ですね。
<H>
その代わりセッション(ベビーブレスなど)の中では夢中でやっていた感じです。夢中でやった結果、振り向いたら、いつの間にか謎が解けていた・・という感じでしょう。
<W>
実践派ですね。

<記憶がはっきりしない>
<H>
はじめのころ、問題点の背景になるものとして彼が意識できるものには、次のようなものがありました。
○精神的病になった母に育てられた。
彼は言います。「お袋が勤め先から帰ってくるとき、笑っている顔だと、だんだん近づいてきて表情を見てほっとする。調子悪い顔だとドキドキしていた。顔色を伺っていたんだなと。」
○お袋の病状が悪化して最後に言葉が喋れなくなった場面は恐怖体験だった。(子供心にはっきりわからないまま)何度となく、最終的には病気で「そうなってしまうんじゃないか」と怖くて怖くていたなと。
○その精神的病が(おそらく)原因で両親が離婚したこと。彼は母親に引き取られた。
○離婚などもあり何回か引っ越ししているが住居の記憶がはっきりしない部分がある。
<W>
「笑っている顔だと・・・ほっとする」「そうなって(悪化して)しまうんじゃないかと怖くて怖くて」と母親を失うことの不安を言っています。それが問題点の背景だと・・。ところが、ベビーブレスなどの実践をしていくと、もっと奥の方へ入っていきますね。
<H>
奥へ入っていくのは、もっと、後のことで、はじめのころは消えていた記憶と対峙することで精いっぱいだった、かもしれません。
彼は言います。「ブレスワーク(をすること)を思うと怖い。呼吸することがキチガイになる感覚。自分がキチガイになる感じ。記憶の母か、自分がなると思う恐怖なのか。」
<明るい畳の部屋>

絵1
<H>
辛い記憶がよみがえる前は、彼は、自分が愛されて育ってきたという自負がありました。そのような幸せな記憶も描いています(絵1)。
彼は言います。「自分が赤ちゃんで畳の部屋でバタバタしてる感覚が出てきた。明るくて陽がこうこうとしていて、父ちゃん母ちゃんもいたイメージが出てきた。木漏れ陽があって、自分が守られている。ただ寝ているだけ、それが居心地良い。泣けてくる。凄い、光にも包まれていて、畳の臭い、太陽の臭いがして感覚に残っている。いつもお母ちゃんがいて何ともない安心感。包まれている中にいた。こんな世界があるんだと泣けて、泣けてきた。」
<W>
あったかい絵ですね。もっとも、人は誰もいませんけど・・。
<H>
絵は描かれていませんが、おっぱいと母親の記憶もよみがえっています。
彼は言います。「おっぱいを飲んでいる。足りなくなってくるとお母ちゃんがおっぱいくれて、気持ち悪くなるとお尻を掻いてくれて。下から見上げているお母ちゃん。味とかもフワーとして、温かく満たされてベットに寝かされて。自分だけ安全な所にいる位の感じ。怖くも寂しくもない。居心地良かった。おっぱいを飲んでいて、臭いも感じてきた。望まれていたかどうかは分らないがお母ちゃんは大事にしてくれた。愛情を感じた。」
<W>
「大事にしてくれた」とあったかい記憶ですが、陰はありますね・・。
<H>
「望まれていたかどうかは分らないが・・・」ですね。
<W>
表面は明るい畳の部屋・・、ですが、チラチラと暗い奥が・・。辛すぎるのでしょう。
<H>
そうなんです。
彼は言います。「幼稚園はバスに乗って行っていた。笑っていたお母ちゃんが出てくる。存在として親父もいたよう。卒園した後、離婚した後だと思うが、小学2,3年ごろの記憶を抹消してなくしていた。」
後でわかったことですが、このころ母の具合が悪くなり、入院などの都合で引っ越ししなければなりませんでした。
<W>
離婚、入院、引っ越し・・・辛いことが重なって記憶が消えたんですね。引っ越しで、明るい畳の部屋も実際に失ったことになります。
<H>
いいこともありました。小学高学年の頃には、母親に新しいパートナーができ、離婚の痛手が癒(いや)されます。彼はその人をA兄ちゃんと呼んで、なつきます。彼は言います。「A兄ちゃんが外に連れて行って(キャンプやバーベキュー)くれて楽しかった。」
<W>
パートナーができ母親が安定したことで彼も安定したんですね。

<働く母を見る安心感>

絵2
<H>
そのようにして、彼は、小学高学年から中学にかけては、安定していたんです。幸せな時期ですね。
<W>
そういう時期があってよかったですね。
<H>
もっとも母親が本当に真に健康になったわけではないでしょうから、不安はつきまといます。彼は言います。「中学のころ(母の職場の)映画館に何度も行っている(絵2)。自分も何で行っているのか考えちゃった。そしたら、働いているお母ちゃん、アイスクリームを抱いて働いている、それが(あって自分が)安心している。働いているお母ちゃんが安心でそれを求めている。家にいても笑っているときも穏やかな時もあったろうが、狂ってしまうお母ちゃんがイメージで(在る)。働いているお母ちゃんを見て(それが楽しくて)、映画が楽しいわけでない。」
「(下校後の)バスケを(して)友達と別れて一人で帰る。休みはお母ちゃん追いかけて(遠くの町のその映画館に)行っていた。働くお母ちゃんは目が合うとニコッとする。映画が終ると出てくるお母ちゃん。2,3回(同じ題名の)映画は見た。だから(見たいのは)映画ではない。日常は(母親は)いるのに何でわざわざ(映画館に)会いに行っていたのか。(自分は)満たされないで不安で寂しい子だった。ジワジワ思い出した。溢れるような感情ではないが。」
<W>
絵には他の観客がいません。映画が終わって次の映画が始まる間の様子でしょうか。彼と、働けてニコッとする母親とが、二人きりになれる瞬間だったのでしょうか。家でも手にいらない瞬間だったのでしょうか。

<愛されて育ったと思い込んで来たというが、愛されないとどうなるの>
<H>
彼は言います。「寂しいとか(は心の)表にいて、お母ちゃんが死んでしまう怖さ(もある)。(しかし)内側は見せないように思った。そこには誰も入れないような感じ。内側には(愛された)誇らしいような感覚がある。」
<W>
「誰も入れない」で死守されるべき砦(とりで)なんですね。
<H>
しかし、彼はその後、愛されて育ったと「思い込んで来た」と言うようになります。
<W>
セッションが進んで余裕ができ「誰も入れないで思い込む」必要がなくなってきた・・・。
<H>
彼に聞いたことがあります。「愛されて育ったと思い込んで来た」というが、母親は自分の問題で追い詰められていて十分な愛情をあなたに注げたとは思えない。愛されないとどうなるのか、と。
彼は言いました。「死んじゃうような恐怖感。愛されていなかったら存在意義がないような恐怖感。ピンボケにして、見ないようにして、自分がないようにしてきたが、唯一「愛された」と思ってきたのでそれがなくなったら、ピンボケの自分だけだから、(自分は)いなくなる、消滅感か。怖いから(母親に)しがみ付いて癒着していた。」
<W>
消滅するんですね。
<H>
彼は続けました。「冷めていてピントずらしても母と同じところにいたから怖かったのか。難病で発病した時の恐怖は半端じゃなかった。お母ちゃんが死ぬか自分が死ぬ話か。だから罪意識か〈後年、母親は病気で亡くなるが、一緒に逝かなかった事〉。(自分と母親は)一緒なのに片方だけになった。それだけの癒着があったな。」
<W>
愛されて育ったという思い込みが必要でなくなり、辛い過去の記憶にも向き合うようになります。
<H>
そうです。話が少し戻ります。辛くて記憶を抹消していた、卒園した後から小学2,3年ごろのことです。
<抹消したいお化け屋敷>

絵3
<W>
記憶を抹消した中心の話がこの絵3と次の絵4になります。
<H>
母親の病状が悪化し入院のために家を引っ越しする必要がありました。引っ越し先の家を、彼はお化け屋敷と呼びます。
<W>
よほど嫌だったんですね。怖かったんですね。
<H>
母親の入院の時期に、彼は自分の小学校の入学式を迎えます。
<W>
この絵3は入学式の帰りですね。まるで絶望に向かって帰っていくようです。ピシッとした和服の女性は、お祖母ちゃんですね。
<H>
はい。
彼は言います。「(記憶がよみがえってきて)小学校の入学式の場面が出てきた。入学式の(自分の実際の)写真があるのだが、(それまで抹消していた記憶が)動き始めた。お祖母ちゃんが取ったのだろう。嬉しいのと不安が混合していて、どっちかいうと不安が大きい。入学式は初めてだから不安なのだろうが、(母親が)明らかに病院に入って(いたのに入学式のために)出てきたので、ビックリしたのといなくなる恐怖があった。嬉しさもあった。(式の時に母がいる)後ろをずっと見ていたときの感覚が出てきた。
怖くて、「またいなくなんだろう」と、最初からいなければいいが、いるのは嬉しいが又いなくなる。いなくなったのは病院に(帰って)行ったということ。(式にいたはずの)友達も出てこない。記憶喪失のようになっている。」
<W>
式の記憶が記憶喪失のようなんですね。
<H>
彼は続けます。「(入学式の帰りには)お母ちゃんがいなかった。お祖母ちゃんが怖かった(絵3)。お母ちゃんは(精神科の)病院に入院していたのだろう。牢屋(病院の中の鉄格子で区切られた空間)に入っているのは怖い。入学式の後にお化け屋敷(病院時代の自宅)に帰ったに違いないのに、お祖母ちゃんの背中を見て帰ったところは(記憶では)、(それ以前の彼が幼い時代を過ごした)両親がいたところの家だった。(実際は違った。お化け屋敷に帰った。)創作していた。無意識でそうした。(母が)入学式に来てくれたのは嬉しくなかった。「まだいる」「まだいる」「やっぱりいなくなった」と。泣きもしない。お祖母ちゃんが慰める訳でもない。抹消したい家(お化け屋敷)に帰った。」
<W>
記憶を抹消するだけでなく、別の家へ帰ったと、ゆがめて創作していたんですね。
<H>
さらに続けます。「帰り道は途中まで思い出したが、お化け屋敷は思い出せなかった。(夜寝たのは)どんな布団なのか、お祖母ちゃんと二人で寝たのか出てこない。出てきたのは、ごま塩のような石(花崗岩?)の台所に立っているお祖母ちゃん。お祖母ちゃんが洗物をしている背中が出てきた。中華料理なのかそこで卵焼きを作ってくれた。醤油付けにしたような卵焼き。お母さんの方は甘い卵焼きだった。毒々しい醤油味の卵焼きを思い出した。それを食べていたんだよな。どんなちゃぶ台だったのか覚えていない。」
<W>
家(お化け屋敷)も思い出せないし、「毒々しい醤油味」・・・嫌だったんですね。
<H>
「卵焼き」だけでなく「トウモロコシ」は今も苦手です。
「昼間なのに薄暗い部屋の風景が見えて。トウモロコシが出てきた。兄貴もいた。おばあちゃんが茹でたトウモロコシをオチャラケてグワーッと食べた。息が詰まって苦しかった。おばあちゃんも兄貴も助けてくれない。お母ちゃん助けてとやったが誰も助けてくれない。お母ちゃんがいなくなって後の事。寂しさの穴埋めで食べたと言うのが落ちた。ふざけてやってしまう事。何も考えずオチャラケて食べた。それで吐いた。死の体験のよう。怖い。誰も助けてくれない。お母ちゃんがいないと感じた瞬間が怖い。」
<W>
怖さを埋めるために「オチャラケて食べ・・吐いた」・・。
<H>
お祖母ちゃんは、卵焼きやトウモロコシをつくってくれたのに、彼は嫌いだったんですね。
<W>
それでもその人に命をつないでもらう(食べ物)しかない。
<H>
お祖母ちゃんの夫(祖父)は日本海軍の連合艦隊のお偉いさんだったらしい。そのせいなのか、お祖母ちゃんは厳しかったのかもしれません。
彼は言います。「離婚にもお祖母ちゃんは絡んでいる。凛として存在が強かった。尋常でない状況でも凄かった。普通でない状況でも動じないようにしている。祖母は、子供を一人養女に出し、母と、母の姉は精神的病を得ている。祖母は戦時中の時代の人で、連合艦隊の白服の夫を持ち、お国のためとやっていた代々の因縁があるのか。」
<W>
戦争のために人間性を自分から犠牲にしていった、そして子供も犠牲にしていった世代というのがあるのかもしれません。
<H>
犠牲にされた子供(母親)は耐えられないということなのでしょう。
彼は続けます。「お母ちゃんは寂しい。父親と別れたり、A兄ちゃんを含め(他の)おじさんも2回去っていく。支えになる人がいないとだめな弱い人が母だった。」
実は、彼の卒園前に、両親が離婚し父だけ家を出て別居しますが、このことが契機になって母親の入院があったと考えられます。別居と入院はほぼ同じ時期です。また、後で話題になりますが、A兄ちゃんが音信不通になって母親の大きな発作が起きます。
<W>
お祖母ちゃんも辛い、子供(母親)も辛い、孫(彼)も辛い・・。連鎖しているよう。
<H>
そう。「お祖母ちゃんと一緒に歩いている時(絵3)、お祖母ちゃんから逃れられない、後ろで黙って歩いていた。」

絵4
<牢屋>
<H>
絵3を描いたかなり後に、ようやくして上の絵4が描かれます。
<W>
なかなか思い出せなかった「ピンクのスリッパ」の上の部分ですね。抹消記憶の中心部分。
<H>
ええ。入院している母親です。彼は病院を牢屋と呼びます。
彼は言います。「お化け屋敷の時代に、怖いのが、母が精神科の病院に連れて行かれたこと。いかにも病院。分厚いガラスと鉄格子。まるで牢屋。面会をしたはずだ。鉄格子の精神病棟の奥にあって、あれが怖かった。中も二重になっていて、そこからお袋の顔が出てきた。鉄格子を開けて出てきて、怖かった。厚いドアの向こう、あんな奥にいるんだという恐怖。思い出そうとしても母親の顔(の詳しい様子)が出ない。顔を見ようとしても見えない。鉄格子だけ見えて、スリッパしか出ない。ピンクのパジャマを着ていた。大好きなお母ちゃんなのに顔を見ないで帰って来た。おかしい。二度と会えないという恐怖、(小学入学の)これからスタートという時に二度と会えない切り裂かれる恐怖。子供ながらに残っている。トラウマ。そこは怖い。」
<W>
顔の詳しい様子は出てきませんが、それでも、それまで出なかった「ピンクのスリッパ」の上の部分がかなり描かれています。彼の状況がよくなった証しですね。
<H>
彼は、自分が母親に愛されて育ったと言いますが、一方で、母親をお化けとも言います。もう一面があると言います。
「恐れているお化けは「愛してくれたお母ちゃん像が崩れる事」だと思う。(母親は私に)愛情一杯と思っているが、本当はどうかと。(母親の)もう一面を見る事になるから。母親が病気で死ぬと俺が死んでいなくなるという感覚はずっとあった。その時のお母ちゃんって嫌いだったと思う。病気が出てきたら「早く前のお母ちゃんに戻って」と思っていたと思う。でもどこかで罪意識があった。」
<W>
お化けに関して、何かの「罪意識があった」ということですね。ここは重要ですが、まだまだ、はっきりはしません。

<鉄格子というフィルターの中>
<H>
彼はよく、フィルターの中にいた、と言います。
「初めてお母ちゃんがキチガイ病院に入っていることを知った時、友達がいたけど、遊んでいたけど、一緒にいるが自分だけが違う所にいる感じで怖くて。何をやっても怖い。何やっても楽しくない。今の子じゃないからゲームもない。怖くて、怖くて。100パーセント影響を受けていた。友達の中にいるとき自分だけフィルターを掛けられているようだった。怖い。鉄格子の中に自分がいるようだったのか。」
<W>
母親と同じように自分自身が鉄格子のなかに・・・。

<H>
母親は2年後に退院して次の家へ引っ越し、やや安定した日が続きます(絵2)が、完全に安心できる状況ではありません。
「母親は2年間入院した。出てきてからは自力でいて病院に通っていて、大量の薬を飲んでいた。」
<W>
薬に頼るしかないのでしょうが、危(あや)ういですね。

(つづく)

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