あれっ、戻ってしまった|セラピーの現場から(690)

戻ってしまった人のために
<W>
今日は「あれっ、戻ってしまった」という話をしましょう。
「H」
時々ありますね。
「W」
本人は分からないで、かえって周りの人は気が付きますね。
「H」
本人の無意識で起こっていることなんですね。
「W」
ベビーブレスやカウンセリングを通して、その人が自分の心の深い部分の傷を観ることができたときには、周りで聞いている人も、そのことを感じます。
「H」
少なからず感動もします。多くの場合には、そのことをきっかけに、その人はグングンと良くなっていきます。
「W」
ところがまれに、そうならずに、戻ってしまう人がいます。その人の話を聞いていて、「あれっ、この前の、あの大きな気づきはどこへ行ったの?」「お母さんに対する、あの隠れていた気持ちはどこへ行ったの?」と怪訝に思ってしまいます。別人の話を聞いているようです。
「H」
戻ってしまったんですね。防衛機能の反撃です。瞬間的に観たけれどもやはり受け入れ切れないので閉じてしまう。心を開いたことで余計に傷に響き痛みを大きく感じる。
「W」
しかし、繰り返し傷を観て少しずつ痛みを受け入れることで本物になっていく。繰り返しが必要。
「H」
頑張れ!・・・といっても、本人はたいていポカンとしてますね。

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事実のみが人を癒す|周りの人は分かっている|セラピーの現場から(689)

「W」
事実のみが人を癒す、ということがありますね。
事実を曲げて人を慰めるのは、単に慰めるだけで、本当の癒しにはならない。
「H」
そうですね。
しかし、それは究極のところです。そのところへ行くまでは、誰でも母親が自分を愛していなかった事実を認めるのは辛い。
「W」
特に小さな子供にとってはそうでしょう。そして、その事実は心の傷となります。しかし、子供は心の奥では知っています。知っているから傷を受け、閉じます。閉じたまま大きくなり、トラブルを抱えます。
「H」
セッションの初期の段階では、事実を認めるのは辛いけれども、トラブルのままは嫌です・・と。
「W」
認めるという辛い作業なしで、トラブルを解消したいと、いう気持ちになるのももっともです。しかし、そんなうまい方法があればいいのですが・・・。
「H」
セッションでは行きつ戻りつしながら、事実を認める辛さと、トラブルの辛さの間で、揺れながら、自己成長していきます。そばにいて、そのお手伝いをするしかありません。慰めが欲しくても、欲しいことを認めてあげるだけです。慰めを上げるわけにはいきません。
「W」
グループカウンセリングなどで、人のことは良くわかる。事実を認められなくて慰めが欲しくて苦しんでいるのがよくわかる。しかし自分の番になるとそうはいかない。同じように認められなくて苦しむ。周りの人は皆分かっている。
「H」
見ているこちらも自分の事のように辛くて、稀に、この人にこれ以上は無理なのかな、と思うことがあります。
「W」
そんな時、瞬間的には事実を認めることもあるのに、直後に、せっかくわかった事実を否定する。そうすると、もっと症状がひどくなる、ということがありますね。
「H」
瞬間的には事実を認めたが、本当には認めきれずに、防衛が働くのです。揺り戻しです。
「W」
でも、あるときその事実を本当に認められる地点にやってくる。劇的な場面です。多くの涙と本当の癒しが同時にやってくる。その時になって今までの慰めは全く色あせてしまう。役に立たなかったことが分かる。
「H」
感動的な場面ですね。
「W」
事実こそが深い癒し。そのことを体感できれば、事実の否定はばかばかしい。
いちど事実を受け入れた後は、あまりの清々しさに、なぜ自分が否定を続けたのかさえもよくわからない。思い出すことができにくい。

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聖母マリア様信仰と似て異なる|事実を理解して「理想の母親」|セラピーの現場から(688)

「W」
前回のブログ(687)の続きを少し話したいと思います。
「H」
「理想の(健康な)母親」と聖母マリアの話ですね。「理想の母親」を仮定してベビーブレスを行い自分のトラブルの突破口をつかむ人がいるけれども、それは聖母マリア様信仰と似ているということでした。
「W」
似ているけれど根本的に異なる点があるということです。
「H」
はい。
「W」
例としては愛情を抑圧している人になります。愛憎のアンビバレントのうち、母親への怒り(憎悪)は認識できるようになったものの、母親への愛情を、つまり母親を求める気持ちが認識できないでいる人の話になります。
「H」
怒りが半分は出せるようになって、エネルギーはある程度改善できている段階ですね。半分は健康になった。しかし、あと半分ある。母親を求める気持ちが閉じ込められている。「あの母親にはいくら言ってもムダ・・・」という段階です。
「W」
そう。「半分」です。しかし、両方そろって初めて大きなエネルギーが湧き起って、トラブルを吹き飛ばします。「半分」では、やはり、トラブルを抱え続けることになります。残りの半分は抑えられ続けることになります。結局は自分を抑えることを続けなければなりません。
「H」
両方そろっても、その二つが統合されなければ、大きなエネルギーにはなりません。両方を別々には、出来る人もいます。
「W」
両方そろっているのに統合されない状況の話は、ここでは、割愛させてください。統合はまた別のところで。今日は、聖母マリア様信仰と根本的に異なる点に絞らせてください。
「H」
はい。
聖母マリア様信仰であっても、果たせなかった母親への求める気持ちを、出せるようになって救われる人もいるでしょう。愛情を感じられず出せずにいるよりも遥かに素晴らしいと思います。その部分だけ見れば、似ていますね。
「W」
はい、似ています。
「H」
異なる点は色々あるでしょうね。
「W」
一番大きな点は、何かを信じ込む必要がないことです。マリア様を信じ込む必要がない。
「H」
なるほど。仮に「理想の母親」だったならばという仮定で済む・・。
「W」
そうです。
「H」
しかし単に「理想の母親」を仮定するだけで済むには、やはり条件がありますよね。理解が必要です。自分の心の傷を理解し、母親の心の傷を理解する。自分は愛されなかったことで心に傷ができ苦しんでいる。母親もまたその母親から愛情を貰ってはいなかった。だからこうなっていると・・。
その理解の上で、「理想の母親」を仮に仮定するのだから、その「仮定」にとらわれる必要は起きない。
「W」
そうです。「仮定」を便法として利用することができます。自分を回復するための便法です。理解があって、利用するという心の余裕ができる。
ところが、信じ込む事は、他方で、何かを事実を否定することに通じ、無理を生じます。社会的に肯定的と思われるもの(愛情)のみが受け入れられ、否定的と思われるもの(憎悪)は受け入れられません。実際には二つともあるのですから、うっかりすると、自分に嘘をつかなければならない羽目になります。天使と悪魔・・・。
「H」
必要なのは事実の理解ですね。
愛憎のアンビバレントは、人の心にある事実です。愛情と憎悪を理解する。グループカウンセリングで人の話を聞くなどして理解できる。客観的な理解で構わない。「両方あるんだな」と。でも自分の傷を通して理解しないとエネルギーは湧かない。抑圧している状態。
その上で、理想の母親を仮定する。仮定すること自体はためしに行ってみることで、無理はない。仮にそうであったならば、どうする、と。隠れていた愛情のエネルギーを出してみることができる。
「W」
仮定してやってみるのだけれども、結果として愛情のエネルギーがどっと出れば、これは仮定としてやったものの実は本当の事だったんだ、自分には愛情があったんだと、分かることになる。
「H」
それだけでも自分を取り戻して、非常に助かる人もいます。更に、愛憎の両方が統合されれば、とても大きなエネルギーになります。
「W」
その統合については、やはり、別の機会に。

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理想の健康な母親だったら|あの母親にはいくら言ってもムダ・・・|セラピーの現場から(687)

理想の健康な母親だったら
「W」
ベビーブレスで深くまで入り、隠されていたいろいろな感情が出てくると、心のトラブルの底には、母親からの見捨てられ感があるように思われます。
「H」
そうですね。経験的には疑いようもないです。ベビーブレスをしても始めはなかなか感情が出ない人もいますが、そのうち自分を解放し感情が出てくると、今のところ例外はないですね。
「W」
心のトラブルは脳の傷だから母親は関係ないと言われたりしますが、ストレスやトラウマが脳の傷をつくることは常識になってきています。原因と結果が逆ですね。
「H」
脳の傷だからと言ってカウンセリングなども行わず投薬して人間性を殺し死を待つようなことが医療として行われているのを見たりすると、悔しくなることがあります。
「W」
ほんとうに。少しずれましたので、話を前に進めましょう。
「H」
はい
「W」
母親からの見捨てられ感に対しては、母親への怒りと母親を求める気持ちと、アンビバレントな感情が生じます。
「H」
本人が自覚する気持ちは一方だけということが多いです。簡単にいうと「クソババー」か「ママー」か。
「W」
はい。
個人差がありますが一般的には、怒りは出しやすいですが、求める気持ちは閉じ込める傾向にあります。現実の具体的な母親を見るとエネルギーを閉じ込めるしかない。
「H」
小さい頃に、いくら求めても、そのたびにひどい目にあってきて、もう閉じるしかない・・・という個人史があるのだと思います。「あの母親にはいくら言ってもムダ・・・」ということですね。
「W」
一方の気持ちを閉じる、つまりアンビバレントの愛憎のエネルギーの一方を閉じるので、不具合が起きます。それでも間に合わないと、分裂、解離、・・・・。
「H」
閉じてない方の気持ちであっても、深く底を突くまでやれば、もう一方の気持ちにも自然にたどり着くのだけれでも・・。自力で・・。
「W」
問題は人によっては時間がかかってしまうという点です。月に一度程度のペースでは、揺り戻しも含めると、遅々としてしまうことがあります。
「H」
それこそ個人差ですね。
「W」
「理想の母親」をやるのは、現実の具体的な母親から少し離れて、自分自身のエネルギー、求めるエネルギー自体に焦点を当ててもらうためです。
「H」
そこがなかなか難しい人もいます。「あの母親に・・・今さら・・」ということです。
「W」
そこで、良くたとえ話をします。カルガモの「刷り込み」の話です。生まれたての鳥(カルガモ)のひなは、目の前で動く相手を母親と信じ込みます。動物学的には、そうすることで、無力なひなが肉食獣から身を守る確率が高くなるということでしょう。動くものが、ただの風船でも、無我夢中で(まるでそのように見えます)追いかけます。しかし、もしカルガモに心があれば、相手がどんなにカラッポでも頼りなくても、切ないほど母親を求めているに違いありません。
「H」
人も、いわば同じに違いないということですね。
「W」
そう。人が乳幼児期に自分で生きていけない無力さは、カルガモにも負けません。同じような刷り込みがあっても不思議ではありません。どんな母親であっても、その母親を通して理想の母親を見て、命がけで求めて構わないのです。母親も自分の傷を持っていて自分の子供(あなた)の気持ちに応じることができなかったのでしょう。仮に、彼女がそのような傷を持っておらず、理想の健康な母親であったら・・・どうでしょう。恥じて自分を抑える必要はありません。ベビーブレスの中で、求めることができたときに、自分自身のエネルギーの強さに驚くでしょう。閉じ込めていたエネルギーの解放を感じるでしょう。

「H」
何人もの人が、そのエネルギーの解放をできています。そのエネルギーの強さには驚きますし、愛憎のエネルギーの両方が強化されます。その人のエネルギー自体が強まる印象です。そして、求めるエネルギーは肯定的なエネルギーですから、家庭や社会の活動にもいい影響が直接にあるようです。
「W」
はい。
「H」
「理想の母親」というと、たとえば南米でのキリスト教に見られる聖母マリア様信仰を思い出します。
「W」
確かに似ています。だから聖母マリア様信仰は広まっているのでしょう。しかし根本的に異なります。そのことは次回のブログにします。

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引きこもりからの自立等いろいろな心理的悩み相談や心理カウンセリングのお試し無料あります。さらにベビーブレス(アコールで開発した独自のブレス,ブレスワーク,またはブリージング)ができるようになれば精神分析の組合せで大きな効果があります。東京府中

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