生きている事自体が見っともなかった<実は子供を愛してなかった>2/2|セラピーの現場から(669)

Kさんは人生の謎が解け(「生きている事自体が見っともなかった」)、人生全体を細部まで語ります。セラピーの現場から(660)の中の<実は子供を愛してなかった>の細部1/2 です。

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子育て
<赤ん坊を預けた>
赤ん坊が怖かった。仕事に戻ることを理由に赤ん坊を姑に預けた。姑に預けたのは赤ん坊が生後2ヶ月位のときだった。住むアパートは雪が深くてバス停から更に歩いていくような住まいだった。舅はおとなしく、姑は癇癪持ちだった。本当は私の母のところで産めればよかったのかもしれないと思った。

<泣き続けた赤ん坊>
この頃、一時、姑が腎炎になったことがあり、長男(産まれた子供)は姑から乳児院へ預けられた。2ヶ月間くらいだった。2ヶ月後に引き取ったら、長男は出臍になっていた。それだけ泣き続けたという証だった。姑は、へその上から10円玉を絆創膏で固定して治してくれた。私はそんな事も知らなかった。

<赤ん坊が最初に発する言葉が「ダメ」>
しばらくして姑から赤ん坊を引き取った。生後9ヶ月くらいだった。そのころ学校が教員住宅を用意してくれたので入った。一部屋だが今度は台所もあった。子供の面倒を見るのに未婚の妹を呼んだ。妹の住むところを近くに借りて、通いで面倒見て貰った。子供が最初に発する言葉が『ダメ』だった。片言話す時期に、独り言は「ダメ」だった。私が何でも子供のする事をダメと言っていたためだ。
<私の顔色を見るようになった赤ん坊>
赤ん坊は好奇心で動く。私はとにかく自分の不安感情でダメ出ししていた。子供は私の顔色を見るようになった。テレビを見て笑う時も(笑ってもいいのだろうかと)私の顔を見た。
<子供を預けて単身赴任>
やがて3年間の僻地勤務のノルマを果たしたので、都市部に戻りたかった。夫も教員をしていた。二人同時に都市部に移りたかった。でも、同時というのは難しかった。叶わなかった。夫と子供をまた姑に預けた。私は更に1年間僻地に留まって、単身赴任だった。
単身赴任の地から、夫の実家へ、土曜の午後に片道3時間かかってバスと汽車を乗り継いで行った。そして、月曜日の朝早く、夫の自転車の荷台に乗って駅まで来て、僻地に戻った。夫が言うのは、「お前が哀れというか息子が哀れというか」と言っていた。

<発達障害は人のせい>
親にOKを出されないと動けない子供になった。典型的な自閉だ。今でこそ発達障害が育て方だと分かるが、恥ずかしいことに当時は分からなかった。「この子はおばあちゃん子だから」と姑のせいにした。自分のせいにはなれない。人のせいだ。子育てがうまくいかないことに追いつめられた。昔振られた彼氏のことも癪に触って(未練、恨みがあって)、彼氏の勤務先に子供(4~5歳のころ)を連れて行って会いに行った事がある。
子育ては、学校に入るにはどうしたらいいかというのが目的で、自立して生きていく人間を育てるとは考えていなかった。立派に自閉傾向があったので医者に連れて行った。小児科の医者は、脳波を調べるより、「集団生活をさせなさい」と言った。保育園に入れた。
その後、次男、三男と生まれた。子育ては自信がないので産児制限し次男は6年後だった。次男は元気で生まれたがその後に、優秀な子として期待して自由にさせることができずコントロールしてしまった。三男は、女の子が欲しかったのに男だったのでがっかりして、今思えば育児放棄してしまった。全体としては次男、三男は問題なく、長男だけが問題だと思っていた。今考えるとそうではない。氷のような子供を3人産んだという思いがある。

<うまくいかない就職>
私の心配は、子供が入れる学校があるかどうかということだけだった。問題の長男は高校には入った。大学は推薦で入り4年で卒業した。そこまでは良かった。しかし就活でつまづいた。はじめての就職先で大きなミスをした。「世の中通用しない」と言われた。この子(長男)をどうにかしたいと思った。

<自傷する子供>
私に三男は『俺たちのことはどうでも良いんだな』と言って高校に入ったがグレ始めた。呼び出しも何度かあった。次男はだらしない不甲斐ない兄を殴った。「何で仕事に行かないのか」と言うと「自信がないからだ」と大きな声で言ったから殴ったと言う。長男は「俺の頭は役に立たない」と自殺しようとした。頭を木ねじの付いた板(小さな家具)で殴った。血だらけになった。既に家庭が崩壊していたのに気がつかず、それでも、長男だけが問題だと思っていた。

<抱きしめている大事な写真は私ではなかった>
長男が頭に木ねじで(傷つけて)自殺しようとした時に、気が付いた。長男のベットの枕の下から写真が見付かった。彼が大事にしていた写真だ。長男が妹に抱きしめられている写真だった。私にではない。私は長男を抱きしめていないから。最初、写真を見た時、私かと思って「大事に持っているんだな」と。でも、よくよく見たら妹で、がっかりした。長男は妹には特別の感情がある。それくらい私はダメ母だ。

<生みっぱなしで愛することを知らなかった>
思うに私は、不安なまま子供を育て、愛することを知らなかった。生みっぱなしで、ほとんど虐待をした。子供を自分に近づけさせない、抱きしめない、遠ざける、悪いことしたとき抱きしめない、ダメダメばかりだった。そして子供がうまく育たないことを人のせいにしていた。環境のせいにしていた。自分自身の事が分からなかったから、観えなかったから。
現在、この長男と2人で生活している。昔はできなかったが一つ一つ噛み砕いて話すと息子は分かる。子供の頃のやり残しを私はやっている。二人で食事しながら、育て直しのように、丁寧に話している。

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