3歳の子供「お母さんお腹がすいた」死の縁から引き返し|セラピーの現場から(638)

<ある記憶の本当の意味が鮮明になった。>
○長い間、自分の本音というものが分からず、苦しんだ。自分の子供にも嫌われた。背後に、親からの愛情が少なかったことがあるのに、気が付いていた。やがて、「甘えたいだけじゃん」と言う自分の本音に気がついて、生きるのが自由になり、遊びたい心が初めて芽生え、子供の気持ちがわかるようになってきた。それと同時に、ある記憶の意味が、鮮明に思い出されるようになってきた。
○昔あるとき、とりわけ辛いことがあった。その辛い気持ちを紛らわせるために、町を離れ、バスに乗って、自然の中へ行った。3歳の子供の手を引き、赤ちゃんを背負い、そこへ行った。
○そこは、たまたま(と思っていた)自殺の名所だった。今、記憶が鮮明になって、実はやはり、自殺のためにそこへ行ったのだった。そのことが思い出された。鋭く察知した3歳の子供が「お母さんお腹がすいた」と言った。死の縁へ向かう母親(私)を引き止めた。死から引き返させた。3歳の子供は、人の心を観抜きそうなクリッとした眼をした子だった。私は「今日はお昼なんかないの」と言ったけど、しかたなく近くの食堂をさがして食べさせ、赤ちゃんのオムツを取り替えた。その時のことを思い出した。子供達にご飯を食べさせ、オムツを替えること、世話をすることで、はじめて生きられる感覚だった。3歳の子供は「死なずに生きよう」とは言わずに「お母さんお腹がすいた」と言ったのは、そこのことだった。私に本当に生きることは求めきれないが、「世話」を求めることはかろうじて求められる。<本当ニ生キルノハ難シクテモ、私ノ世話ハ、デキルデショウ。ダカラ、オカアサン、ワタシノ世話ヲスルコトデ、今ハ生キテ!>
○私は、薄幸な人生の中で、子供があって生きられた。そして、どれだけ子供にしがみ付いたことか、私にとって子供は救いの神だった。生きるために子供を利用した。子供は、私に自我を潰されて、(怒られなくてもいいことで)怒られて、それでも私に従った。私は、子供にしがみ付いていた自分を隠した。隠していることさえ分からなかった。分かったら、初めて、子供に「しがみ付いていたこと」を告白できるようになった。
○それまで、子供とまともに話すことが出来なかった。子供に「しがみ付いている」ことを観抜かれ(その自覚はないが)、嫌われていることが痛かった。子供と話す時に、子供の目を見れない、目が泳ぐ、話を聞くこともできなくてオロオロしていた。
それが、正面から話が出来るようになった。聞けるようになって来た。逃げないで聞けるようになったのだろう。子供との関係が徐々に改善している。

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