護りたい弱い母親への実は隠れた殺意3/3|セラピーの現場から(633)

続き

<停滞期「踊り場」>
(自分探しへの)感覚が遠のいた時期(「踊り場」と呼んでいた)では、「呼吸だけが頼り」と取り組んだり、「何度も同じ話しをして」とアドバイスされ、疑問に感じたけど何度も同じ話をすることが、何度も感覚に触れること、そして回を増す毎に深まっていき、感覚が近づいて来ることも経験した。
そんな風に抑え込んでいた感覚に沢山触れて、少しづつ解き放たれていたことが準備となり、あの息子の卒業式の出来事に繋がったのだと思う。
<反抗期を真似てみたら罪悪感が襲いかかる>
また当時、反抗期の息子が(反抗期の無かった自分にはうらやましくて)眩(まぶ)しく、グループセッションで真似してみた経験が、物凄く気持ち良かった。途中から自分自身になり、思いがけず母を攻撃!する体験をした。事後、罪悪感が襲いかかり、しばらく何もできない期間があった。
<母親を護りたい気持ちでスタッフに「失恋」>
現実社会では、心の中の弱い母を護りたい気持ちが高じて、他の人を弱い母の代わりにしてしまい、失敗する出来事があった。
自分の会社の社員で、母子家庭で女手一つで子供を育てているスタッフを、他人のようには思えず、長い間ずっと見護ってきた。母子家庭を支え懸命に働き愛情豊かで強い母親は私の女神だ。私が幼い頃、家計の足しにするために、映画館でアイスクリームを売っていた私の母親と重なった。そのスタッフがまるで私を裏切るようにして退社した。ひどいショックを受けた。裏切られ捨てられたと感じた経験は、母親から受けた経験と重なり、とても辛く、今でもあとを引く切ない経験だった。まるで失恋だった。
このことで、自分は理想の母親(女神)を求め、自分の寂しさを、他人を利用して穴埋めしようとするところがあるということを学んだ。学んだけれども自分の寂しい心は、簡単には埋まるとも思えず、これからも同じような失敗をするのではないかと、覚悟をして、自分の中に納めた。
<近づいてくる恐怖>
以降、ベビーブレスでは恐怖がどんどん近づいて来る感じを受け、抑え込みが増していた。いつも記憶にあったのは、病院の鉄格子の下にのぞいているピンクのスリッパ。そのスリッパの上の方にあるはずの顔(気狂いの母)が、思い出せず、ブラックホールに見えたりした。恐怖が近づくにつれ、怒りのエネルギーも封印していた気がする。
この時期のセッションでは、終始、自分を抑えていた。何とか自分を開こうと頑張る自分(アクセル)と、抑え込む自分(ブレーキ)を一緒に踏む感じだった。抑え込んでしらけた自分を直後に動画で見たら、そこには寂しい坊主が居た。涙が溢れ出て止まらなかった。
<抑え込みの裏にあった殺意>
自分を抑え込む力に翻弄されていたとき、セッションのスタッフから「殺意」というワードが出て、相当動揺にした。自分の中にある「罪悪感」には気が付いていた。母が病院へ通う時代に感じていた、そして亡くなった今もまだ感じるこの罪悪感の意味が、すこしずつはっきりしてきた。隠れているかもしれない「殺意」は、その罪悪感を説明づけるのに、疑う余地もなくぴったりきた。隠れた「殺意」があるから根拠のない「罪悪感」が生じ、自分を抑え込まなければならないのだ。以後、生活の中で、自分の殺意がチラついて仕方なかった。殺意に関係する、心当たりとなる新しい記憶も思い出されて、殺意の存在はいよいよ確信的になってきた。思い出したのは、私が中3になった以降、就職後の大人になってからも、母親や祖母との私の癒着が続いていたこと。その癒着に対する猛烈なストレス(怒り)があったことが思い出された。
<浮上する怒り>
この頃、現実の仕事でも、とにかく怒りが浮上して、(それまでは抑えることができていた怒りの言葉を抑えられず)言わないと気が済まない状況にあった。心の通じた仲間へ、出せるところへ、怒りを出していた。人生の長い期間抑え込んでいた殺意というエネルギーが、沸騰した。
<整った準備>
この様に、準備はすべて整っていた。必然的に事が進むように。
<自分の中で繋がらなかったものが繋がった>
直近のセッションをした。
自分の中にある殺意は、気狂いの母に向けたもの。その殺意の正体は、抑え込んだ猛烈な怒りのエネルギー。この殺意を味わって・・・。殺意は、自分の中にあり、母そのものであり、祖母でもあり、一体のもの。
「怖い!怖い!」という気持ちが「死にたい!死にたい!」となり、更に「死ねー!」という殺意に変化する。この殺意を伴う猛烈な怒りのエネルギーを抑圧する。そうすると気狂いになるんだ。もしも外側に出せれば解き放たれる。そんな気がした。繋がった。
自分の中にある殺意は母に向けてのもの。しかし母は何としても自分が護る存在。聖域。もし母にそれ(殺意)を向ければ母は死に、自分も死ぬ。その恐怖で(殺意を)抑え込んできた。それ(殺意)が一番怖かった。
しかし(セッションで殺意を)出してみて・・・。(殺意は)自分が母に向けていたように、殺意は(外側の)対象に向けてのものであるが、そうでは無いとも感じられる。対象とは関係なく自分の中にあるもので、抑圧した寂しいかたまり・・・。この最後の部分はがうまく繋げられないけど、重い蓋を少し開けられたことで、安心して怒りのエネルギーを出せる気が今はしている。怒りという色が付いたエネルギーだけれども、このエネルギー自体は、私自身。罪悪感に脅える感覚も、嘘のように消え去った。得たものを更に消化していきたい。

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