対談(631)について|大きくヤマを越えて1/3|セラピーの現場から(635)

対談(631)について(敬称略)
林:また、大きくヤマを越える人が出てきましたね。
諸智:自分の問題に向き合い続けるというのは、できそうで、なかなかできないものです。
林:<何が起きたのか>の「後々、気になっていた」「それもしっくりこないでいた」というのは、自分の感覚で自分の中を探るというのが、はっきり出ていますね。
諸智:奥の方に納得したいという感覚がある感じです。
諸智:<殺意を強く抑圧し続けるのでストレス>というのは大きくヤマを越えたから分かるようになったことで、超えるまでは分からなかった。ストレスだけは分かっていた。「分厚い蓋」はなんとなく分かっていたが、その原因である「殺意を強く抑圧」していることは分からない状態がありました。
林:その分からない状態で「殺意」というヒントを逃がさず、逃がさなかったので「殺意⇒猛烈な強い怒りのエネルギー⇒母への殺意」ということを観(み)抜きましたね。
諸智:逃さなかったのも、納得したいという感覚の現れのような気がします。観抜いて自分で納得できて、だから、こころが開きました。
林:「自分の中のエネルギーが湧き出す体験をした」ことは、そういうことですね。蓋が取れたと言っていいと思います。

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ひと山越えて子どもが成長|私と比べたら人生雲泥の差|セラピーの現場から(634)

自分の心の傷を観る作業をしてきて、一つの大きなヤマは越えたのではと思いつつも、次のヤマの前で留まっているのかもしれない、そう思う日々この頃です。

高校生の子供が、自らヨガと瞑想を始めだしました。
子供は(瞑想などをする)私の日常を見て育ちました。子供に瞑想やヨガの効能や時間の使い方の質問に聞かれたら答えるだけで、私は特に勧めてません。

高校生ですが、自分の心は自分でなんとかするしかないんだという所まで、来たんだと思います。私の背中を見ていてくれたのかもしれません。子供と、同年齢の頃の私と比べたら、人生雲泥の差です。私は「自分で」などという心境にはありませんでした。

子供は、小さな頃から耳が悪いのかと思う位、テレビの音を大きくし、私は注意ばかりしてました。子供が瞑想を始めてまだ数日ですが、子供自身が「うるさく感じるようになった」と言って、音量が普通並になりました。
私は「それだけ今まで心がザワザワして集中出来なかったんだね」と子供に言いました。子供は納得した様子です。瞑想で落ち着く感じが「人生初の感覚で、ずっと瞑想していられるかもしれない」とまで言ってました。

自分の心の傷を観ないでいると深くなってしまう世代間伝達(の影響)が、少しずつでも薄らいでいくようにしてあげたい、そう思ってます。

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護りたい弱い母親への実は隠れた殺意3/3|セラピーの現場から(633)

続き

<停滞期「踊り場」>
(自分探しへの)感覚が遠のいた時期(「踊り場」と呼んでいた)では、「呼吸だけが頼り」と取り組んだり、「何度も同じ話しをして」とアドバイスされ、疑問に感じたけど何度も同じ話をすることが、何度も感覚に触れること、そして回を増す毎に深まっていき、感覚が近づいて来ることも経験した。
そんな風に抑え込んでいた感覚に沢山触れて、少しづつ解き放たれていたことが準備となり、あの息子の卒業式の出来事に繋がったのだと思う。
<反抗期を真似てみたら罪悪感が襲いかかる>
また当時、反抗期の息子が(反抗期の無かった自分にはうらやましくて)眩(まぶ)しく、グループセッションで真似してみた経験が、物凄く気持ち良かった。途中から自分自身になり、思いがけず母を攻撃!する体験をした。事後、罪悪感が襲いかかり、しばらく何もできない期間があった。
<母親を護りたい気持ちでスタッフに「失恋」>
現実社会では、心の中の弱い母を護りたい気持ちが高じて、他の人を弱い母の代わりにしてしまい、失敗する出来事があった。
自分の会社の社員で、母子家庭で女手一つで子供を育てているスタッフを、他人のようには思えず、長い間ずっと見護ってきた。母子家庭を支え懸命に働き愛情豊かで強い母親は私の女神だ。私が幼い頃、家計の足しにするために、映画館でアイスクリームを売っていた私の母親と重なった。そのスタッフがまるで私を裏切るようにして退社した。ひどいショックを受けた。裏切られ捨てられたと感じた経験は、母親から受けた経験と重なり、とても辛く、今でもあとを引く切ない経験だった。まるで失恋だった。
このことで、自分は理想の母親(女神)を求め、自分の寂しさを、他人を利用して穴埋めしようとするところがあるということを学んだ。学んだけれども自分の寂しい心は、簡単には埋まるとも思えず、これからも同じような失敗をするのではないかと、覚悟をして、自分の中に納めた。
<近づいてくる恐怖>
以降、ベビーブレスでは恐怖がどんどん近づいて来る感じを受け、抑え込みが増していた。いつも記憶にあったのは、病院の鉄格子の下にのぞいているピンクのスリッパ。そのスリッパの上の方にあるはずの顔(気狂いの母)が、思い出せず、ブラックホールに見えたりした。恐怖が近づくにつれ、怒りのエネルギーも封印していた気がする。
この時期のセッションでは、終始、自分を抑えていた。何とか自分を開こうと頑張る自分(アクセル)と、抑え込む自分(ブレーキ)を一緒に踏む感じだった。抑え込んでしらけた自分を直後に動画で見たら、そこには寂しい坊主が居た。涙が溢れ出て止まらなかった。
<抑え込みの裏にあった殺意>
自分を抑え込む力に翻弄されていたとき、セッションのスタッフから「殺意」というワードが出て、相当動揺にした。自分の中にある「罪悪感」には気が付いていた。母が病院へ通う時代に感じていた、そして亡くなった今もまだ感じるこの罪悪感の意味が、すこしずつはっきりしてきた。隠れているかもしれない「殺意」は、その罪悪感を説明づけるのに、疑う余地もなくぴったりきた。隠れた「殺意」があるから根拠のない「罪悪感」が生じ、自分を抑え込まなければならないのだ。以後、生活の中で、自分の殺意がチラついて仕方なかった。殺意に関係する、心当たりとなる新しい記憶も思い出されて、殺意の存在はいよいよ確信的になってきた。思い出したのは、私が中3になった以降、就職後の大人になってからも、母親や祖母との私の癒着が続いていたこと。その癒着に対する猛烈なストレス(怒り)があったことが思い出された。
<浮上する怒り>
この頃、現実の仕事でも、とにかく怒りが浮上して、(それまでは抑えることができていた怒りの言葉を抑えられず)言わないと気が済まない状況にあった。心の通じた仲間へ、出せるところへ、怒りを出していた。人生の長い期間抑え込んでいた殺意というエネルギーが、沸騰した。
<整った準備>
この様に、準備はすべて整っていた。必然的に事が進むように。
<自分の中で繋がらなかったものが繋がった>
直近のセッションをした。
自分の中にある殺意は、気狂いの母に向けたもの。その殺意の正体は、抑え込んだ猛烈な怒りのエネルギー。この殺意を味わって・・・。殺意は、自分の中にあり、母そのものであり、祖母でもあり、一体のもの。
「怖い!怖い!」という気持ちが「死にたい!死にたい!」となり、更に「死ねー!」という殺意に変化する。この殺意を伴う猛烈な怒りのエネルギーを抑圧する。そうすると気狂いになるんだ。もしも外側に出せれば解き放たれる。そんな気がした。繋がった。
自分の中にある殺意は母に向けてのもの。しかし母は何としても自分が護る存在。聖域。もし母にそれ(殺意)を向ければ母は死に、自分も死ぬ。その恐怖で(殺意を)抑え込んできた。それ(殺意)が一番怖かった。
しかし(セッションで殺意を)出してみて・・・。(殺意は)自分が母に向けていたように、殺意は(外側の)対象に向けてのものであるが、そうでは無いとも感じられる。対象とは関係なく自分の中にあるもので、抑圧した寂しいかたまり・・・。この最後の部分はがうまく繋げられないけど、重い蓋を少し開けられたことで、安心して怒りのエネルギーを出せる気が今はしている。怒りという色が付いたエネルギーだけれども、このエネルギー自体は、私自身。罪悪感に脅える感覚も、嘘のように消え去った。得たものを更に消化していきたい。

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護りたい弱い母親への実は隠れた殺意2/3|セラピーの現場から(632)

 

続き

<振り返ってみて>
<予兆:鬼門突破>
今回の重要なことが起き得たのは、今春息子の卒業式で起きた経験が、とても大きく関係していると思う。
中3の時代が自分にとっての<鬼門>で、これまでものすごく影響を受けてきた。中3で不本意に社会に出なければならず、自分の中にある蓋に、更に、社会に出ることの恐怖が上乗せされ、より強固な蓋になり、自分の人生が中3で停止していたようになっていた。
それが、息子の卒業式で、図(はか)らずも自分の卒業式を再体験し、当時の寂しさと怒りを両方味わい、本当に卒業できた、<鬼門>を突破できた。そんな経験をした。
今思えば、だから必然的に次に進んだのだと思う。卒業前の中3の自分には、(母親への)殺意というものは取り扱えなかったのだと思う。
<初めは「二度と来たくない」>
振り返れば、1番最初のグループセッションでは、終始しらけ、何もできなかった。
終始抑えこみ、その怖さからセッション会場がお化け屋敷に思え二度と来たくない場所となった。
<2回目すっきり|心が自由>
2回目のグループセッションでは怒りが爆発!自分を見失う(気違いになる)経験をし、怖かったけどすっきりしたのだと思う。
2回目以降のグループセッションでは、見失うことなく怒れるようにもなり、それに伴って心が自由な感覚を覚えるようになった。
<心が温まり溢れるように泣けた>
グループセッションやベビーブレスで怖い経験を再体験する毎に解き放たれる感覚になり、寂しいところに触れると逆に心が温まり溢れるように泣けた。
<しらける自分への怒り>
恐怖を感じるとしらける、現実逃避する、ずーっとそうして生きてきた。自分は人とは違う?、特殊?、自分も気狂い?。自分自身への疑問を他人に気づかれないように隠す。
そんな自分がとにかく大嫌いで、やっつけたくて、その頃のグループセッションでは、ベビーブレス中にしらけると、そのしらけた自分に怒りをぶつけていた。
<幼い寂しい坊主:氷が溶けていく>
あるベビーブレスで、しらけた自分の中に居る幼い寂しい坊主に触れた。丸めた毛布が坊主になり、愛おしく、思いっきり抱きしめて泣いた。その後、何度かその坊主に触れ、温めることで氷が溶けていく感じがした。
<しらけは防衛:分かって生き易い>
しらけを克服した。そう思えた。しらけの正体は、恐怖から身を護る防衛だった。そうしないと生きれない寂しい自分。この辺から、日常では変な力みが取れ、生き易くなっていった気がする。

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護りたい弱い母親への実は隠れた殺意1/3|セラピーの現場から(631)

<何が起きたのか>
今回のセッションで出てきたものが怒りだったのか?何なのか?とても重要なことが起きた気がした。それが後々、気になっていた。
セッション直後の感想ではたしか、外側じゃなく内側に向けての怒りと説明したかと思うが、それもしっくりこないでいた。
<隠れたいた母への殺意>
出てきたものは、強い「殺意」だ。
殺意の正体は、(既に亡くなっている)気狂いの母親に対するものだった。
また、それ(殺意)は、小さな頃からずーっと続く強いストレスの源(みなもと)だった。それ(殺意)は母親に、祖母に、取り巻く環境すべてに対して、うっかり気を許すと向かっていこうとするものだった。
<殺意を強く抑圧し続けるのでストレス>
最大のストレスは、弱い母を(殺意をむけるのではなく)自分が護らなくていけないということ。殺意が隠れているのに、表面の意識では逆に、護りたい。だから殺意は強く抑圧されなければならない。
この殺意が、私の中に強固に存在する抑圧の一番の原因で、それ(抑圧)はまるで分厚い蓋のように感じられた。罪悪感がカチカチに固まってできた蓋だ。蓋に閉ざされた中身は・・・猛烈な強い怒りのエネルギーだった。
今回の経験は、その分厚い蓋を少しだけ開けちゃった経験だったという気がする。事後の物足りなさ(初めて蓋をあけられたものの満足度は2割程度と感じたこと)は、中身の怒りのエネルギーはまだ全く出せていないと感じるから。
<繋がった>
今回の分厚い蓋を少しだけ開ける経験は、考えもしなかったことが突然起こったと感じたけど、思い返して消化する中で、これは必然的に起きたことだと、(セッションからの)帰り道、雨に降られながら繋がった。
この重要なことが繋がった後日のセッションでは、しらけもなく罪悪感もなく怒りを出せ、自分の中のエネルギーが湧き出す体験をした。

続く

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豊田議員の罵倒する声を聞いて心臓がドキドキ|セラピーの現場から(630)

(母から)捨てられる恐怖を感じて、私が閉じ込めた思いは何だろう。怒りや悲しみが少しずつ出てきている。まだまだ出てきそう。
(テレビで)豊田議員の罵倒(する声)を聞いて、自然と心臓がドキドキした。フラッシュバックしたような感じだった。(この豊田議員の例だけではなく)大きな音や声にも命の危険を感じて、ドキドキ、イライラする。大きな音や声は私を殺すものに感じられる。それで私も殺されまいと怒るけど、それは偽り。本当は怒りたくなんてない。本当は怖くて怖くてたまらない。縮こまる心が、どうにもならない。怒りたくなくて縮こまって逃れようとするがうまくいかない。

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自分のことは分からない|本人だけが疼きに耐える|セラピーの現場から(629)

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不思議な話があります。グループカウンセリングなどで、誰も皆、人のことは良くわかりますが、自分のことは良くわかっていません。例えばある人が、自分の子どもが自立できずに不憫(ふびん)なので何とかしたい、との話だけれども、よーく聞くと、自立しない子供を手放したくない思いが見え隠れする。本人は気が付いていませんが、周りで聞いている人は、ほとんど皆が気が付いている。本人が「手放したくない」という本音に行きつくのを、周りは、今か今かと待つ。本人だけが本音に気が付かない、というようなことが、よく起こります。

ところが本人は、気が付かないだけではなく、自分の事に謙虚になれません。自分の事であっても気が付かないことがあるのではないか、と謙虚に振り返れる人は稀です。自分のことは自分が一番よくわかっているつもりになってしまいます。自分とは生まれてから今までずーっとのお付き合いですから、自分のことは他の誰よりもよく理解しているつもりになってしまいます。

これは不思議なことです。こんな不思議なことがなぜ起きるのでしょうか。その理由は、他人の傷は痛くないが自分の傷は疼(うず)くからではないでしょうか。上の例で、子供を手放したくないのは、手放してしまうと、心の傷が疼くからです。心の傷を自分の子供の存在で癒(いや)してきました。本当の癒しではないにしろ、慰めにはなってきました。それを、「手放したくない」という本音に行きついてしまうと、自分の身勝手さに気が付いてしまい、本当に子供を手放す羽目になり、慰めは消えてしまい、隠していた心の傷が、いよいよ疼いてしまいます。だから本音に気が付く訳にはいきません。無意識に気が付かないようにします。

ところが、聞いている他の人は、本音は「手放したくない」ということだと気が付いても、別に自分の心の傷が痛むわけではありません。共感は起きうるでしょう。でも本当の傷が疼く痛みを味わってしまう訳ではありません。本人だけがその疼きに耐えなければならないのです。

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自分の存在を消そうと頑張ってきた|自由を喜べない|セラピーの現場から(628)

ブログ化された私の文章(625)を読んで、(今まで)ずーーーっと苦しかった、と思って涙がでた。自分に嘘ついて生きるのって凄く苦しい。わたしは自分の存在を消そうと頑張ってきたようだ。一人でいる時より誰かといる時のほうがより孤独に感じることが強くなってきた。「わかってよーーーーー!」って叫びたくなる。だれに?だれよりも自分自身に?(グループセラピーの場の)自由は気持ちいいはずなのに、誰かの意識に引っ張られて自由を喜べなかった。私のやり方は?わたしの思いは?譲れない気持ちは?私がそうしたいからする。それでいいのに。それが気持ちよく出来たら素敵なことだと思う(その時は出来ず悔しかった)。
そのことに関係することがあった。職場の仲間に、自分の思いや話したいことを、相手の時間を割ってでも話せた。今までだったら「忙しそうだし止めておこう」と思っていたと思う。そしたら、仲間は手を止めて聞いてくれて「わたしも丁度そのこと話そうと思ってた!」と言ってもらえた。嬉しかった。自分の気持ちをどこまで正直に話せているのか分からないが、「どうしたらいいかわからない」ところも素直に相談でき、一緒にどうすればいいか考えられた。何より話せた後の世界がスッキリして見えた。そして仲間は、私が何を考えているのか見えたことが、どことなく嬉しそうだった。それからは以前は少し苦手だったその仲間とちょっと距離が縮まったような気がしている。
もう一つあった。職場に外部からの講師を招いて仕事をした。わたしの準備が不十分であることに対して講師が苛々していた。わたしも初めてだったので段取りが不十分な事は悪かったと思ったが、「初対面の私に対してその態度は何だよ」「初めてなんだからわからないことだってあるだろ!」「ふざけんなよ」って心の中で怒っていた。悔しくて悔しくて泣きたかった。
口を聞くのもやめようかと思ったが、何とか「初めてでわからないことが多くて、すみませんね。」と呟いてみた。そしたら講師に「そうね、経験ある人(講師)がちゃんと伝えなきゃダメよね。」と言われて、私も相手も少しだけ気持ちが落ち着いた。(講師が)誰かのせいにしているところが、何だか気に食わなかったけど、それでも言ってみて何かが変わった。言えて良かったと思った。
本当の気持ちを伝えようとせず逃げてきた自分がいたから、苦しいし悔しいんだ、と思った。

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何の感情なのか訳も分からずに必死で抑えていた|セラピーの現場から(627)

この喜びはもうそれだけで十分です。でも説明してほしいようなので、気乗りしなく苦手ですが、頑張って説明します。
母からの無意識に感じる圧力から、更に、自分で抑え何の感情なのか訳も分からずに、必死で抑えていた感じから、少しだけ解放された。だからこそ、日々自分で選択し、私が私を生きることができる。その喜びだと思います。今までと変わらない日常を過ごしているにも関わらず、今までのように「どうせ私なんか!!」とか、「なんで認めてくれないの?」「なんで私の言っている事が理解できないの?」と勝手に相手に求めて、怒りが爆発するというようなことが、なくなりました。何にも振り回されず自分で選択し、自分で生きる。私が、私自身を生きる。そう思うと益々ワクワク楽しくなってきます。もうワクワクが止まりません。
私の怒りは、寂しさや孤独という簡単な言葉で表したくない程の事(この事に少し触れたから私の解放は起きたのですが、残念ながら十分には触れる自信が今もあまりありません)に対して、強烈な叫びを伴って、怒って怒って怒っていたのかもしれません。だから(全く触れることができなかったから)怒りだけでは物足らなかったんだと思います。まだまだ謎の多いこの寂しさや孤独を、私が理解し納得できるように、(私自身で)これからも探っていきたいと思います。

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やりたくない、今が良ければ良いじゃん|でも子供を生きて行かせてあげたい|セラピーの現場(626)

閉じこもりの子供が回復しつつある。見ていて嬉しくてしょうがない。子供はいつも9時前後に起きるのだが、今朝は7時には起きてきて、8時半頃に遠くへ買い物に出かけたようだ。さっき「帰りは遅くなる」というメールが美味しそうな料理の写真と一緒に送られてきた。ついこの間までは、家から出ない子だったのに。この喜びを元に戻したくない。何があっても(私が自分のことをやって)前に進んで、子供を生きて行かせてあげたい。
私が自分のことを本当にやれるのか正直、自信はない。「いやだ、やりたくない、今が良ければ良いじゃん、その場をしのげれば良いじゃん。」となってしまう。そうなると、子供は家から出られない。そっちも絶対いや。どっちもできない。
でも、子供は生きて欲しい。今までのようになって欲しくない。(私が自分のことをやれず、子供が家から出られない間、実は)私も辛かったから、二人とも苦しい。辛くてしょうがない。悔しい。凄い悔しいし、悲しい。
幼い頃の自分(私)の事もちゃんと解ってあげたい。もう自分(のこと)がわからないまま居るのは嫌だ。自分のことを解明して前進したい。

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私を孤独にした相手にハラワタが煮え繰り返り「早く死ねばいい」と|セラピーの現場から(625)


最近はよく寂しい気持ちになる。だけど何かですぐに誤魔化すのではなく、寂しいと感じてみる自分がいる。それが嫌では無い感じ。
自宅でする瞑想の前に、吐き気があって、それでも瞑想をはじめたら、前回のグループセッションのイメージが出てきた、その時の感じも思い出した。ここは自由でいいんだなって思った後にものすごく身体が冷たくなった。自由と孤独が繋がるような、そんな感じなのか。うろうろ自分の気持ちを探して瞑想を続けると、恐怖の顔したまま固まって凍ってしまったような自分のイメージが出た。その動けなくなった自分を見て、わたしは怒っている。怒っている自分は自由に動ける。でも、その間身体はずっと冷たい。
孤独を感じると、ものすごい憎しみがやってくる。自分から機嫌を直すなんて絶っ対に嫌で、わたしを孤独にした相手が、わたしの悪態で死ぬほど苦しめばいいのにって思う。もしくは早く死ねばいいのに、って思う。
自分からは心を開きたくない。自分のこと興味もないのに知って欲しくない。だから自分からは話しかけない。憎しみでハラワタが煮え繰り返りそうなほどだけど、本当の怒りや本当の感情とは違う気がする。ただ自分を守って守って守っているみたい。

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